選曲してまして、<With Strings>の巻でーす。

1)
煙が目にしみる/クリフォード・ブラウン
『クリフォード・ブラウン・ウィズ・ストリングス』(エマーシー、1955年)
2)
スワンダフル/ダイアナ・クラール
『ザ・ルック・オブ・ラヴ』(ヴァーヴ、2001年)
3)
ウィロー・ウィープ・フォー・ミー/デイヴィッド・サンボーン
『パールズ』(エレクトラ、1995年)
4)
パーカーズ・ムード/チャーリー・パーカー
『バード(オリジナル・サウンドトラック)』(コロムビア、1988年)
5)
アフター・イアーズ/渡辺貞夫
『ナチュラリー』(ビクター、2015年)
6)
ピープル・ウィル・セイ・ウィアー・イン・ラヴ/エラ・フィッツジェラルド・フィーチャリング・グレゴリー・ポーター
『サムワン・トゥ・ウォッチ・オーヴァー・ミー』(ヴァーヴ、2017年)
7)
スイングしなけりゃ意味ないね/ソニー・スティット・ウィズ・ストリングス
『プレリュード・トゥ・ア・キッス』(M&I,1978年)
8)
星に願いを/ウィントン・マルサリス
『スターダスト』(コロムビア、1989年)
9)
マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ/ダイアン・シューア
『ラヴ・ソングス』(GRP,1993年)
10)
ヴィダ・リアル/アルトゥーロ・サンドヴァール・ウィズ・ミシェル・ルグラン
『ドリーム・カム・トゥルー』(GRP,1993年)
11)
君を想いて/ハリー・コニックJr.
『オンリー・ユー』(コロムビア、2004 年)
 キューバ出身バルセロナ在住の規格外ピアニストのオマール・ソーサ(2001年8月24日、2002年7月22日2004年8月2日、2005年9月24日、2006年10月28日、2008年3月16日、2009年5月12日2010年8月3日、2013年9月17日、2014年3月10日、2016年7月15日、2016年7月16日、2017年10月22日、2018年10月6日)の1年ぶりの来日は、昨年と同様に、キューバ→ロシア→ベネズエラなどの音楽学校に通い、現在はスイスの市民権を獲得しているというヴァイオリン奏者/シンガーのジュリアン・カニサーレス(2018年10月6日)をフィーチャーするもの。前回の項でエスペランサ・スポルディング(2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日、2011年2月17日、2012年3月7日、2012年9月9日、2015年9月5日、2016年5月31日、2017年3月27日)に髪型とか似ていると書いているが、実際カニサーレスは彼女のファンなんだそう。

 他の協調者は、ベースのチルド・トーマス(2009年5月12日、2010年8月3日、2013年9月17日)とパーカッションのグスターボ・オバージェス((2017年10月22日、2018年10月6日)。今回からダブル・ネックのエレクトリック・ベースを弾いていたトーマスはカニーサレスにスペシャル・ゲストと紹介されていたので、普段は前回がそうだったようにトリオでライヴをやっているのかもしれない。

 ラテンやジャズをはじめとする、いろいろな音楽のメルティング・ポットと言える表現であり、掛け声や息遣いを重要視する人間性に溢れたパフォーマンス。今回、わりとジメっとした曲が多かったという印象も持った〜ぼくとしては発散の情を重ねにくい〜し、ソーサのピアノ演奏(一部はキーボードも弾く)は控え気味という印象を持ったが、やはり毎度来るたびに見に行かなきゃと思わせられる人であるのは疑いがない。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。

▶過去の、オマール・ソーサ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200408021925240000/
http://43142.diarynote.jp/200510030021170000/
http://43142.diarynote.jp/200611020835550000/
http://43142.diarynote.jp/200803201207150000/
http://43142.diarynote.jp/200905131200576485/
http://43142.diarynote.jp/201008251432447574/
http://43142.diarynote.jp/201309201840164499/
http://43142.diarynote.jp/201403131302032810/
http://43142.diarynote.jp/201607191309581526/
http://43142.diarynote.jp/201607191312426603/
http://43142.diarynote.jp/201710240958114009/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
▶︎過去の、ジュリアン・カニーサレス
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
▶過去の、エスペランサ・スポルディング
http://43142.diarynote.jp/200809071430380000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20081201
http://43142.diarynote.jp/?day=20100904
http://43142.diarynote.jp/201102190814495504/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120307
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
http://43142.diarynote.jp/201606101027587993/
http://43142.diarynote.jp/201703281829079078/
▶︎過去の、チルド・トーマス
https://43142.diarynote.jp/200905131200576485/
https://43142.diarynote.jp/201309201840164499/
https://43142.diarynote.jp/201008251432447574/
▶︎過去の、グスターボ・オバージェス
http://43142.diarynote.jp/201710240958114009/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/

<今日の、ムカっ>
 少し前から、日本発と思われる短文スパム・メールが頻繁に送られてきていて、辟易。まあ、サラリ消せばいいのだが、間違って他の見なきゃいけないメールも削除しそうで怖い。夜半帰宅し、酔っ払ってその作業するのはやめておこう。そういえば、ここのところは、海外発のそれは見かけなくなっているなー。一時、半分脅迫のような英文のものもあったが、今となっては懐かしい。

 キューバ人ピアニストのアロルド・ロペス・ヌッサ(2014年7月19日、2016年9月3日、2018年10月9日)は何度も来日してだいぶ知られる存在になっているはずだが、彼は音楽家族の恩恵をたっぷり受けた末にインターナショナルなミュージシャンになった人物で、そんな彼の少年時代の音楽環境を透かしてみせるようなところもあるファミリー・コンサートが日本でもお披露目された。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

 アロルドの他は、父親であるドラマーのルイ・ロペス・ヌッサ、弟のドラマーであるルイ・アドリアン・ロペス・ヌッサ(2014年7月19日、2016年9月3日、2018年10月9日)、叔父(お父さんの弟)のピアノのエルナン・ロペス・ヌッサ、トランペットのマイケル・ゴンザレス、エレクトリック・ベース(フレットレスで、5弦だったか)フリオ・セサール・ゴンザレスという陣容。おお、2ピアノ、2ドラムではないか。父ロペス・ヌッサの発案によりハバナで2006年に初演され、その後海外でも披露され好評を博してきた。

 向かって右側にグランド・ピアノとピアノ音色のクラヴィア・ノードが置かれ、アロルドとエルナンは随時場所を交換する。基本、主となる演奏をするほうがグランド・ピアノの前に座るという感じか。並列されると、さすがアロルドのほうがブリリアントな指さばきをするな。一方、向かって右側にはドラムが2台並べられる。ツイン・ピアノにせよ、ツイン・ドラムにせよ、もう勝手知ったるというか、阿吽の呼吸ありまくりの重なりぐあい。一方、結成時から参画しているトランペットのマイケル・ゴンザレスは何気にぶっきらぼうな吹き口を持ち、バンド音に芯や色を加える。演目は何げにジャズ・スタンダードもやる。

 ピアノ奏者2人だけの連弾や、ドラマー2人だけの演奏パートもあり。なんか、いい感じ。本編最後はドラマー2人が叩くなか、トランペッターがメロディを弾く以外、他の3人も鳴り物やタムを叩きながらステージを降りる。そして、面々は同様の体にてステージに戻り、アンコールに応えた。兄と弟によるアロルド・ロペス・ヌッサ・トリオの実演にもしっかりと現れていたが、一番身近な単位での音楽をする気安い悦びが山ほどあった。

▶︎過去の、アロルド・ロペス・ヌッサとルイ・アドリアン・ロペス・ヌッサ
http://43142.diarynote.jp/201407221705302936/
http://43142.diarynote.jp/201609201032322395/
https://43142.diarynote.jp/201810161356269313/

 その後は、渋谷・LUSHに行き、毎年行われているSHIBUYA MUSIC SHOWCAS EFESTの初日に行く。この日は、オルタナティヴ・ロック・ナイトと称されている。ぼくは、3番目のアクトから見た。その前は、スウェーデン人とフランス人がパフォーマンスしたよう。

*Colores(日本)
 福岡で結成され東京でけっこうキャリアを重ねているバンドで、ヴォーカルとギターの吉村美香、ドラムの中野良子、そしてサポートのベースの朱雀祐輝のトリオ。米サウスバイサウス・ウェストや英国に出向くなどしているようだが、しっかりした出音のもと、歌もよく聞こえる。他の2人もコーラスを入れる。パンク、ガレージ、グランジなどを消化したパワー・ビート表現を作ると言っていいかな。曲作りも確かで、フックと勢いアリ。にっこり、見れた。ベーシストは器用な弾き方で音にヴァイリエーションをつけ、ドラマーはあまりハイハットのオープン/クローズは用いないもののしっかりと屋台骨を担う。客は外国人が多かったが、やはり女性主体バンドということもあり、受けていた。そんな彼女たち、2週間後から北欧、フランス、ドイツ、オーストリア、ハンガリーなどを回るヨーロッパ・ツアーを行うという。今年出た5枚目のアルバム『Colores』(日本語歌詞主体)はミニストリー、キリング・ジョーク、リヴィング・カラー、ホワイト・ゾンビーらいろんなプロダクションやオーディオに関与している米国人リー・ポーパのプロデュースだ。

*アローン・アンド・ミー(フランス)
 少し変わった短髪の女性1人のプロジェクトで、パフォーマンスに触れながらその名前になるほどとうなずく。エフクトのかかり方の異なるマイクを二つ立てて歌を拾い、またアコースティック・ギターの音も随時サンプリングし、立派な1人多重表現をその場で開いていく。そういうことやる人は少なくないけど、足元にもいろいろなエフェクターを置いた彼女の所作は実に達者。これまで触れたなかで、一番かも? 歌詞は英語、その弾き語りの所作だけをとってもまっとう。歌い方とかから、アニ・ディフランコ(2001年7月29日)に影響を受けていそうとも感じる。マイナー・キーの曲ばかりやったが、1曲ぐらい弾けた曲も、ぼくの好みとしてはやってほしかった。

▶︎過去の、アニ・ディフランコ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm フジ・ロック

*ディヴェル(米国)
 笑った。シカゴ拠点だそうだが、なんだコイツら。お酒が回っていたせいもあるけど、ケレケラしながらもうぎんぎん踊っちゃったよー。もう立派な体格をした短髪の髭面中年2人が(ヴォーカル担当と音出しとキーボード担当)、ちゃらい四つ打ちポップ(曲は粒ぞろい)を大真面目に繰り広げるんだもの。これは、ある種、脳みそとろけそうな手触りを持つ。もともとはハード・コアとピコピコ音を合わせたようなことをやるパウンド・オブ・フレッシュという連中を母体にできたらしい。1曲でシンガーは帽子とサングラスをかけて歌い、それはヴィレッジ・ピープルを意識した? シャレなのかとことん本気なのか判別しかねるが、いやあ妙な、レアなもんに触れちゃったなー。

<今日の、早い買い物>
 ぼくはスケジュール帳がわりに、マス目でできているカレンダーを使うのだが、早々に来年のそれを買ってしまった。フリーランスのぼくには関係ないが、来年も連休はそこそこあるなあ。しかし、ハロウィーンぽい飾りの店も目にしたし、まだ寒くはまったくないが、師走にむかっているー。来週からはけっこう、涼しくなるみたいだな。

 同フェスの中日。渋谷・LUSH。

*サンティアゴ・バレンシア(チリ)
 グループかと思ったら、個人+キボードレスのバンドのよう。英語圏のポップ・ロックに影響を受けたスペイン語曲を陽性に披露。やはり、どこかスペイン語から導かれるうれしい情緒あり。まだ曲つくりのパターンを確立していないのか、ブルース・コードの曲も二つあった。ギタリストがテレキャスターをピックを使わず弾いていて、イエイ。

*ニコラ・ソン(ブラジル/フランス)
 アルメニアン・ルーツを持ち、5年間のリオデジャネイロ居住を持つ在フランスのシンガーソングライター。ちゃんと会得しているブラジリアン・ミュージック味と今の環境を併置したことをする。開演前にサウンド・チェックのため1曲やったら、聞き味良しで場内がけっこう聞き入り、「これはリハーサルなんだよ」と告げ、一度引っ込む。ギターをつまびきながら歌う本人に、ベーシスト、ドラマー、アルト/テナー・サックス奏者がつく。そのサポート奏者は日本で用意された(ドラマーは日本に住むブラジル人のよう)が、過不足ない音をつけていた。ポルトガル語とフランス語の曲あり。2019年最新シングルの「A Pura Essência da Malemolência」は、メロウさとグルーヴィさを巧みに持つ好曲だ。ヴィニシウス・ジ・モライスとトッキーニョが作った曲も披露。事前にマネージメントから 日本に行くのでよろしくねーとのメールを受けていて、終演後に挨拶。彼はこの後、ニュージーランドに行き、けっこうな数のギグを持つ。

*Escalera al Cielo(日本)
 日本人ギター奏者の2人組で、フラメンコ・ギターをベースに置くインストゥルメンタルを聞かせていた。ロドリーゴ・イ・ガブリエーラを思い出させるところ、あり? あのメキシコ人たちの表現が苦手なぼくは……。少し見て、外で立ち話し。

*マレオ(チリ)
 男性ヴォーカル(ギターを弾くときもあり)、女性補助ヴォーカル、女性キーボード,鍵盤ベース/エレクトリック・ベース、ドラムの陣容にて事に当たる。誰が出しているか分からなかったが、一部仕込み音も使っていたか。キッチュな、スペイン語のビート・ポップを展開。

<今日の、そうなんだよなあ>
 ライヴに行く前、渋谷で知人と会い、飲んでから会場に向かう。その際、スクランブル交差点の混み具合にびっくり。なんか、観光客目線になっちゃたよー。で、出演者4つを見たあと、渋谷の馴染みのバーを2軒流れたのだが、改めて外国人が多いのを認識。最初の店には東南アジアのグループがいて、それと入れ替わるように入ってきたのがスウェーデン人のグループ。また、その後には米国人が1人で入ってきた。そいつは隣に座ったので、どうしてこの店に入ったのと問えば、ここら辺を歩いていて入りたくなった……。次の店にも、アメリカ人の客がいた。まあ、それとは関係はないが、いま日本観光のガイド・ブックに夏季は常軌を逸した多湿(←こっちのほうが問題だと思う)/高温であるため、訪日を避けるべき、という記載はないだろうか? 

 アルト・サックス奏者の渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日、2017年10月8日、2017年12月16日、2018年5月28日、2018年9月2日、2018年10月6日、2018年12月15日、2019年8月6日)による毎年恒例の食事付きの丸の内・コットンクラブ公演は、日本人のワーキング・バンドによるもの。海外から呼ぶゲスト・シンガーもおらず、ここのところでは一番シンプルな設定であると言える。

 ピアノの林正樹(2013年9月6日、2015年9月27日、2015年12月17日、2016年7月16日、2018年5月13日 、2019年1月7日)、ダブル・ベースに専念するコモブチキイチロウ(2011年1月21日、2012年4月10日、2012年11月10日、2012年11月25日、2013年7月10日、2013年7月27日 、2018年10月6日)、ドラムの竹村一哲(2016年9月27日、2018年3月27日、2018年9月2日)、パーカッションのンジャセ・ニャン(2006年10月4日、2013年9月29日、2014年10月5日、2016年10月11日)がバンドの面々だ。

 御大が現在もっとも信頼する日本に住むミュージシャンたちとのギグであり、そのカルテットのみで繰り広げられたということで、今の渡辺貞夫の自然体の姿勢のようなものが出た公演と言えそう。「サイクリング」で始まりアンコールの林とデュオで披露された「カリニョーゾ」(近年、エンディング曲に採用される度合いが一番高い曲と言える)まで2部構成で20曲弱披露されたが、意外な(最近やらなかった)曲もあったし、スタンダードと紹介しやった曲もあった。

 一応、アコースティック・ジャズ仕立てなんだが、一番ジャズにフォーカスした活動をしている(&この中では一番若い)竹村以外はジャズ以外の素養も山ほど抱えたミュージシャンであり、いろんな凸凹や余白を抱えた演奏内容であり、普通のジャズはやらないぞという意思もまた出ていたと指摘できる。林とコモブチがテーマ部でコーラスを取る曲が2曲、ニャンが歌う曲も2曲(うち、1曲は重なる)、それらはいい変化球となっていた。

▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm  6日
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000/
http://43142.diarynote.jp/200610080946310000/
http://43142.diarynote.jp/200712171350530000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200907310048137248/
http://43142.diarynote.jp/200909120646397236/
http://43142.diarynote.jp/201107111008176019/
http://43142.diarynote.jp/201207031353196616/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201304031026406106/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
http://43142.diarynote.jp/201310050701201281/
http://43142.diarynote.jp/201407091243129270/
http://43142.diarynote.jp/201410061850124929/
http://43142.diarynote.jp/201412281017371613/
http://43142.diarynote.jp/201512151504068292/
http://43142.diarynote.jp/201607100827363436/
http://43142.diarynote.jp/201609201032322395/
http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/
http://43142.diarynote.jp/201612171245154424/
http://43142.diarynote.jp/201710121700178187/
http://43142.diarynote.jp/201712181015052794/
http://43142.diarynote.jp/201805290906425481/
http://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
http://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
http://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
https://43142.diarynote.jp/201812201004266842/
https://43142.diarynote.jp/201908071557182844/
▶過去の、林正樹
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
http://43142.diarynote.jp/201607191312426603/
https://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
▶︎過去の、コモブチキイチロウ
http://43142.diarynote.jp/201101231224498510/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120410
http://43142.diarynote.jp/?day=20121110
http://43142.diarynote.jp/?day=20121125
http://43142.diarynote.jp/?day=20130710
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
▶︎過去の、竹村一哲
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
https://43142.diarynote.jp/201803281101075372/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
▶︎過去の、ンジャセ・ニャン
https://43142.diarynote.jp/200610080946310000/
https://43142.diarynote.jp/201310050701201281/
https://43142.diarynote.jp/201410061850124929/
https://43142.diarynote.jp/201610141747514263/

<今日の、訃報>
 ジャズ・ドラマー/UKブルース・ドラマー/ロック・ドラマー(クリームのメンバーとして著名)/貿易商であった、ジンジャー・ベイカー(2012年11月21日)が10月6日に亡くなった。ここ数年、かなり健康状態が悪かったらしい。少年期は不良でありつつツール・ド・フランスに出ることが夢の自転車小僧、その夢が破れ、運動神経のいいベイカーはドラムに邁進した。彼はアフリカ音楽にも興味を持ち、ラゴスに乗り込みフェラ・クティともっとも早く共演盤を作った西欧のミュージシャンだった。すでに同地とのパイプを持っていた彼はポール・マッカートニー(2018年10月31日)のラゴスのEMI スタジオ録音の大ヒット作『バンド・オンザ・ラン』(アップル、1973年)の準備に助言したとも言われる。なるほどなあ、劣悪な環境だったと言われるナイジェリア録音(帰国後、ロンドンのエアー・スタジオなどでけっこう追加録音された)の成り立ちは他とは大きく違う。1939年8月19日ロンドン郊外生まれ、80才でした。
▶︎過去の、ジンジャー・ベイカー
https://43142.diarynote.jp/201211231437358985/ その様、興味深すぎ
▶︎過去の、ポール・マッカートニー
https://43142.diarynote.jp/201811011655349966/

 タランティーノの2019年長時間映画をやっと見る。渋谷・シネクイント。さすが公開されて2ヶ月たつため、会場は空いていた。なるほど、こんなん。おもしろい。傾向はぜんぜん違うけど昔のLAを扱ったデイミアン・チャゼル監督の映画「ラ・ラ・ランド」は駄作だったとも、改めて思わせられた。ほのぼのした終わり方にもおおいに拍手。

 1969年のハリウッド/LAの人間模様を史実をうまく(いや、うますぎる)織り込んだ作品だが、メッセージ性を抱えず、クスクスさせるところを盛り込みながら、見せきるのは素晴らしい。あ、アメリカなんてクソだが、でもおもしろい。って、思いは投影されている? しかし、チャールズ・マンソン事件をああいう風に盛り込んでしまうとは。1969年って、タランティーノは小学校に入るかという時期だったが、そのころの記憶の断片をつないでいるところもあるのか。彼が南部からLAに引っ越したのは1971年だった。

 しかし、マーティン・スコセッシのとっても完成度の高いわちゃくちゃ作「ウルフ・オブ・ウォールストリート」の怪演にも頷いたが、主演のレオナルド・ディカプリオはいい監督からの評価が高いんだな。音楽はカー・ラジオやレコード・プレイヤーから流れる音楽が主で、とうぜん当時のポップ・ソングが使われる。サイモン&ガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」やディープ・パープル(2005年8月13日、2006年5月21日)の「ハッシュ」(ともに、1968年のヒット曲)、他。レトロな曲調のものがおおいのは、タランティーノの趣味? 自動車好きは、古い車群に目が釘付け?

▶過去の、ディープ・パープル
http://43142.diarynote.jp/200508152007550000/
http://43142.diarynote.jp/200605231801250000/

 その後は、音楽ライヴのお時間。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

 現代音響ジャズの先駆者と間違いなく言える存在が、1990年代から独創的な活動を鋭意標榜したスウェーデンのピアノ・トリオであるE.S.T. (2003年6月17日、2007年1月13日)だった。彼らが解散したのは、ピアニストのエスビョルン・スヴェンソン(そのグループ名はエスビョルン・スヴェンソン・トリオの略で、当初はその名前で活動していた)が2008年6月14日に亡くなってしまったからだった。その後、残されたダブル・ベース奏者のダン・ベルグルンド とドラマーのマグヌス・オストロムはそれぞれにいろんな活動してきている(ともに、ACTからリーダー作を出してもいる)が、なんとノルウェーの電化ジャズの顔役であるピアノ/キーボード奏者のブッゲ・ヴェッセルトフト(2001年5月27日、2002年5月8日、2008年9月21日、2010年1月24日、2012年4月29日、2016年10月4日)とリムデンという名前のトリオを結成してしまうとは! 

 ふうむ、これは大ありだよなあ。実は、ベルグルンドとヴェッセルトフトはドイツのハウス系制作者のヘンリク・シュワルツと3人連名で2014年に『Trialogue』というアルバムをヴェッセルトフトが主宰するジャズランドから出していて、その助走はなくもなかったわけだが。ときにE.S.T.流れのものとしては、ダン・ベルグルンドとマグヌス・オストロムがとフィンランド人ピアニストのイーロ・ランタラ(トリオ・トウケアットの活動で知られる)を擁してE.S.T.曲をストックホルム・フィルハーモニック・オーケストラ付きで開いたアルバムを2016年に出しており、また2005年5月20日のロンドン公演が2枚組で2018年に蔵出しリリースされたりもしている。また、2012年にも昔の豪州録音のスタジオ作『301』が出されたこともあり、その存在を今も忘れていない人は少なくないと思われる。一方、ヴェッセルトフトはノルウェーの人気DJであるプリンス・トーマスとの双頭作やB4やR5やディランやバッハらの曲を扱うピアノ爪弾きカヴァー・アルバム『Everybody Loves Angels』(ACT,2017)を出している。

 なんでも、3人はリムデンとして2017年からライヴを行ってきているというが、アルバム『リフレクションズ&オデッセイズ』(ジャズランド。日本のモークラウド盤はライヴのボーナス曲を収録)リリースを期に来日した。そしたら、なにげにアルバムとは別な行き方、この3人による“この晩、このとき”と言える演奏をきかせてくれて頷く。ゆえに、自在に流れていき、けっこうアブストラクトな面を出してもいた。ジャズはそうでなくっちゃ。セカンド・ショウはまた違ったものになったんじゃないか。ステージ背景には、デジタル感覚の強い鮮やかな映像が音楽に合わせて映されていた。

 まず、印象に残ったのは、アルバムよりアコースティック感覚が強い方向性をとっていたこと。電気ピアノやシンセサイザーも場合によっては弾いたものの、ヴェッセルトフトはピアノを弾く時間が長く、またその演奏が耳を引いた。ほう、やっぱし確かぢゃん。過去の電気キーボードを弾く際の彼はハービー・ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日、2014年9月7日、2015年9月6日、2016年9月3日、2018年9月1日)趣味を出したりもするのだが、今回はそれもなし。また、E.S.T.時代には過剰にエフェクターをかけてギターみたいな音も出していたがダン・ベルグルンドであったが(リムデンのアルバムの曲でも1つ、そういうのあり)、それはなし。2曲ではかなり弓引きを聞かせ、終盤曲の和音を多用したソロは個性が横溢。そして、マグヌス・オストロムのドラミングだが、手数が多いことにおお。なるほど。かつのE.S.T.が持つロックっぽさは彼が担っていたところもあったのか。彼がMCも軽快に担った。

▶過去の、E.S.T.
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/200701141431470000/
https://43142.diarynote.jp/200806180852480000/ エスビョルン・スヴェンソンの逝去に触れた文章
▶︎過去の、ブッゲ・ベッセルトフト
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-5.htm
http://43142.diarynote.jp/200809231132339668/
http://43142.diarynote.jp/201001251710004302/
http://43142.diarynote.jp/201205080620235237/
https://43142.diarynote.jp/201610110957506440/
▶過去の、ハービー・ハンコック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903
https://43142.diarynote.jp/201809051532324111/

<今日の、雲行き>
 ライヴ会場を出ると、雨。出口にお持ち帰り傘が置かれていて、ありがたやー。そして、和食屋、焼き鳥ならぬ焼きジビエ屋をハシゴしたのだが、ともに外国人客がいる。とくに、人気店である前者は客の3分の2は外国人だった。値段安くはないのに、彼らポンポン頼んでいるなあ。まあ、日本は外食代は欧米と比して安価なのは間違いないけど。今度の連休も台風が来ると言われているが、観光客にとってみたら、それと合致したらサイアクだと、ふと思いは飛ぶ。そういえば、千葉に多大な被害をもたらし、成田空港を一時陸の孤島にした台風15号上陸から1ヶ月たった今も被害はいまだ身近なところでも目につく。うちのマンションの入り口の損傷を受けたドアはまだ交換されていなし(在庫がないのかな)、近所の高層ビルに入っているスーパーの側面ガラスにはいまだテープが無様にベカーっと貼られている。
 恵比寿・東京都写真美術館で、日本とポーランド国交樹立100周年を記念して企画された展を見る。「しなやかな闘い ポーランド女性作家と映像 1970年代から現在へ」という表題に示されているように、50年近く前からの、ポーランド人女性による映像作品を展示する。8月から持たれ来週まで続く出し物だが、平日であるにも関わらず、けっこう人が入っていて驚く。当然、途中に民主化を挟むわけだが、結構な数の展示がなされたいた。

 民主化前からポーランドには刮目すべきポップ・カルチャー調のアート感覚を持つ人が少なくなかったとぼくは思っており、そういうものを少し期待していったのだが、内容は違っていた。どの時代のものにせよ、アヴァンギャルド目。冷笑的な視点や諧謔を抱えもし、そういう作風は民主化前のものも同様だ。そして、トーンが暗めというのも、少なくてもここに集められたものについては指摘することができる。飛ばし気味に見たが、じっくり吟味しようと思ったら、けっこう時間がかかるだろうなー。

 そのあとは、スウェーデン大使館のアルフレッド・ノーベル・オーディトリアムでの催しを見る。普段行くのは大使公邸のほうだったが、大使館のメインの建物には小ホールのようなものがあるのだな。

 まず、ヴァイオリンと歌のダニエル・ヴィクスルンドがにこにことパフォーマンス。ヴァイオリンは複音弓弾きとピチカートの併用を見せ、ヴォーカル曲の場合は英語の曲が多かった。事前の案内にヨイクの文字があったので、その系統にいる人なのかと思ったら、そうではまったくあらず。トラッドを自分の感覚で、足のストンプ音込みで、ウィティに披露していた。

 その後は、サーミ民族学者であるというエリーナ・ニーゴードによる、映像を介してのレクチャー。彼女は民族衣装っぽい服を着て、おおらかにことを進める。極寒の先住民族であるサーミの説明をする際、彼女は日本だと北海道のアイヌのような存在と説明。残念ながら、独特の歌唱を抱えるサーミ人の民謡であるヨイクについてはほぼ言及されなかった。

▶︎過去の、ヨイク関連アーティスト
https://43142.diarynote.jp/201007081547031840/
https://43142.diarynote.jp/201001201250553549/
https://43142.diarynote.jp/201610241405267224/ アルヴァス
https://43142.diarynote.jp/201810031028426328/

<今日の、取材>
 午後一から、リムデン(2019年10月7日)の3人にインタヴュー。一緒にやらないと声をかけたのはブッゲ・ヴェッセルトフトであったそう。リムデンの第一作において3者連名になっているフリーフォーム曲(1曲め)以外は、3人がそれぞれ曲を出しあっている。E.S.T.時代はピアニストの故エスビョルン・スヴェンソンの曲をやっていたので、自分たちも曲を出せるのはうれしいとのこと。個別の活動のことも聞いたが、ブッゲが前に女性バンドを率いたのは、「ジャズ界は男社会で、なかなか女性は出られない。その状況を僕は少しでも変えたかった」。おお、格好いい発言じゃん。ジャズランドはビーディ・ベルとか、女性にも門戸を開いていた。
▶︎過去の、リムデン
https://43142.diarynote.jp/201910081218288479/
▶︎ブッゲ・ヴェッセルトフトの女性バンド
https://43142.diarynote.jp/201610110957506440/
https://43142.diarynote.jp/201701301326224033/ ドラマーはトゥーレ・ブルンボルグの娘だった
▶︎過去の、ビーディ・ベル
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm ブッゲの項

 やったー。また、スペインの輝ける才能(2018年5月11日)が今年もやってきた。今回はピアニストのマルコ・メスキーダ(1987年生まれ)とのデュオによるもの。ここのところペレス・クルスは彼とのライヴを続けており、彼女の次のアルバムは、一環のツアーで抑えたものをソースとするライヴ・アルバムになるようだ。

 まず、共演者のメスキーダがペレス・クルスに見合う奏者であることをすぐに了解。間(ま)を適切に抱えつつ、泉がこんこんと湧くような質感を持つ指さばきに深くうなずく。音のダイナミクスも、ブリリアント! ソロ・ピアノ作を複数出しているという事実にも大きく納得だな。フラメンコ・ギター奏者とのデュオ、モーリス・ラヴェル(バスク系フランス人ですね)曲をジャズ化したものまでいろんなアルバムを出してもいて、同国ジャズの希望の人であるというのもすぐに了解。というか、彼は米国のフレッシュ・サウンドからリーダー作も出していて、アメリカにも進出している。また、ステファーノ・ボラーニ(2006年11月3日、2007年5月14日)のトリオにも入っていたことがあるデンマーク人ベーシストのイェスパー・ボディルセンのトリオ作で弾いたこともあった。

 そんな彼の伴奏のもと、ペレス・クルスは思うまま題材を探り、思うまま肉声を重ねる。その強弱のダイナミクスは弦楽五重奏を連れてきた前回ライヴ以上。今回はけっこう声を張り上げる局面もあり。英語曲はスタンダードの「マイ・ファニー・ヴェレンタイン」、サイモン&ガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」、レディオヘッド(2001年10月4日、2004年4月18日、2008年10月4日、2016年8月21日)の「ノー・サプライゼズ」の3つだったか。

 先にピアノとのデュオと書いたが、数曲はペレス・クルスはアコースティック・ギターを弾きながら歌う。そして、会場にはグランド・ピアノとともにアップライト・ピアノが置かれており、メスキーダはくぐもった音色を持つそちらを弾く場合もあった。また、メスキーダがグランド、ペレス・クルスがアップライトを一緒に弾く場面もあり。

 アンコールの1曲目は、メスキーダが4歳のときにおばあちゃんに買ってもらったというおもちゃのピアノを弾き、それに合わせて彼女は歌う。それが、先に触れたレディオヘッド曲でした。

 片足は地元の大地を踏みしめ、もう片方は自由に、好奇心旺盛に外の世界に踏み出す。言葉にすると普通だが、彼女はそれをなんとも個性豊かに、鮮やかにやりきる。そんな素敵なことって、あるかい?

▶︎過去の、シルビア・ペレス・クルス
https://43142.diarynote.jp/201805121754429711/
▶︎過去の、ステファーノ・ボラーニ
https://43142.diarynote.jp/200611071310280000/
https://43142.diarynote.jp/200705181811010000/
▶過去の、レディオヘッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200404180058130000/
http://43142.diarynote.jp/200810061856366600/
https://43142.diarynote.jp/201608241301049887/

<今日の、真心>
 そっちの方でも、破格というしかないものを2人は出していた。「今日は来てくれてありがとう。日本語ができなくごめんなさい」云々というMCをまず冒頭にするし、その発言の機会はメスキーダーにも与えられた。そして、そんなここでライヴをできてうれしいっというヴァイブは公演中終始満ちていた。アンコールの2曲めはメスキーダの曲で、歌詞は冒頭の日本語MCに近いものをメロディに乗せる日本語曲だった。彼女たちは今回の東京公演に際し、ポスト・カードを印刷してきて、終演後にはそれを配った。
 そんな真心と才能が呼応しあう公演に触れながら、この編成で出る予定にあるライヴ盤に、ブルーノート東京のソースが数多く収録されないものかと思う。とともに、メスキーニのリーダー公演ももたれたりはしないだろうか。少しクラシック臭が出るところは好みが分かれるかもしれないが、聞きてー。

 昼下がり。まず、六本木・キノフィルムズ試写室で、2018年イラン映画を見る。世界的評価のとっても高いイラン人監督であるジャファル・パナヒの新作だが、よくできている。監督と実在の人気スターだそうなペーナズ・ジャファリが本人役で出てきて、2人が謎を追求していく流れでいろんな話や余韻が盛られていく。セミ・ドキュメンタリー風とも言えるか。原題の英語のほうは(エンドロールは、英語とペルシャ語でクレジットが併記される)「3faces」。それは、世代の異なる3人の女性をストーリーに組み込んでいることから来ているよう。脚本はもちろん、監督当人が書いている。

 映像は出演者のアップ多用、一方で2人が乗る車(三菱パジェロでした)の動きは運転席からの画面や自動車の音で表現するなど、とっても癖あり。また、ラジオから音楽が流れるシーンがわずかにあるのと、最後のシーンからエンドロールに移る箇所には音楽が挿入されるが、音楽なしの映画と言っていいだろう。すごいね、自分の映像にとても自信を持っている。

 ペルシャ語とともにトルコ語が用いられ、イランの地方にはトルコ語が使われるところがあるのを知る。地方のイランの人たちって、見知らぬ人にもとっても丁寧な挨拶をし、紅茶や果物をふるまうのも伝えられる。

 自分役で出てくるジャファル・パナヒはイランの実情を伝えた作品を作るため、政府からは反体制と見なされ、2度投獄もされ、2010年以降は映画を撮ることも禁じられてしまったそう。その後、少し状況が変わったのか、これを含めて4作撮っているようだが、国外に出ることはいまだ許されていないようだ。

 パナヒは2008年ベルリン映画祭グランプリ作に輝いた「オフサイド・ガール」を2006年に作っているが、それは女性のスポーツ観戦が許されないイランの状況からヒントを得た、サッカー観戦をなんとかしようとする少女を主人公に据えた作品だった。ぐうぜん、今日の新聞にはイランのテヘランでのW杯予選で女性のサッカー観戦が認められたことが報じられていた。彼の境遇も、もっともっと変わりますように。

 次は、京橋・テアトル試写室で、映画「グラン・ブルー」のモデルにもなった大御所フリーダイバーのジャック・マイヨール(1927年〜2001年)を題材に置くドキュメンタリー映画(ギリシャ/フランス/日本/カナダ)を見る。監督は、英国の学校で映画作りを学んだ1969年生まれギリシャ人のレフトリス・ハリートリス。これはドキュメンタリー畑を歩んできた彼にとって、初の長編作品になるという。

 ぼくはマイヨールやフリーダイビングにも、リュック・ベンソンにも興味を持ったことがない人間である(ゆえに、「グラン・ブルー」も見たことはない)。まあ、だから冷静に見れたということはあるはずだが、マイヨールの豪快なんだか繊細なんだか判別のつかないいっぷう変わった人生(最後は自死しちゃう)を伝えるとともに、フリーダイビングや海の妙も伝えるものになっていると指摘できよう。そして、イルカ好きはニッコリかな。

 いろいろな掘り起こし映像とともに、彼ゆかりの人々がいろいろ出てきてコメントを出している。娘や息子も出てくる。そして、日本ともいろいろ関わりを持った御仁ゆえ、日本の友人たちも出てきてフィーチャーされる。日本ロケは最後にやったが、それで映画の方向ずけが定まったという、そういう監督発言が資料には載せられている。

 「偉大な人だと思って撮り始めたら、途中で嫌いという一面も出てきて、嫌いな人の作品を作るわけにもいかないので困ったなと思った」という監督のコメントには笑った。ダーク・サイドも持っていたことも、確かに伝えられている。だが、それを超える素敵をマイヨールが抱えていたということも……。

 その後は、南青山・ブルーノートで、昨日に続きシルビア・ベレス・クルス(2018年5月11日、2019年10月10日)とマルコ・メスキーダ(2019年10月10日)のデュオを見る。ファースト・ショウ。基本は昨日と同様のものであったが、やはり音楽は生き物、いろいろ目新しく感じるところはあり。まず、この日のほうがよりくつろいでいる部分があったような気がした。ほんの少し声が枯れたかと思わなくもないところもあったが、声も今日のショウのほうが出ていたんじゃないかな。

 また、「マイ・ファニー・ヴェレンタイン」はこの日はやらず。昨日はイントロではメスキーダがグランド・ピアノ、ペレス・クルスがアップライトを一緒に弾く箇所があったが、今回はその2人のピアノ演奏部分が長く、そのままインストにしちゃうのかなと思えたりもした。どっちかを選べと言ったら、今日を選ぶ。2度目だと新鮮味が薄れてしまうときもあるが、行き方を把握したうえで接した2回目のほうがどきどき興味深く接することができた。

▶︎過去の、シルビア・ペレス・クルス
https://43142.diarynote.jp/201805121754429711/
https://43142.diarynote.jp/201910131402485845/
▶︎過去の、マルコ・メスキーダ
https://43142.diarynote.jp/201910131402485845/

 そして、最後は渋谷・クラブクアトロで、リアム・オメンリー(1999年9月23日、2000年10月3日、2001年7月28日、2009年5月20日、2011年12月6日、2011年12月7日、2011年12月10日、2011年12月12日、2014年12月4日、2014年12月6日)率いるホットハウス・フラワーズを見る。20時開始なので1ショウなのかと思っていたら、しっかり2ショウだった。ゆったり悠々、出し惜しみしません。

 昨年と違いドラムレス編成だが、フィオクナ・オ・ブラニアンとピーター・オトゥール、ギターを持つ2人はオリジナル・メンバー。すんげえ付き合いを持つからこその気持ちの良い重なり方は、厚みあるコーラスをはじめ随所に顕れるし、終わり方や始まり方にも阿吽の呼吸がある。曲の長さも、自由自在という感じ。グランド・ピアノを弾きながら歌うリアムは変わらず仙人、求道者ふう。ゲール語でも一部歌う彼はなんか何を歌っても掛け替えのない表現になると思わせる訴求力あり。それは、一部の選ばれた音楽家だけが持つ特権だ。スピリチュアルさだけでは片付けたくない、圧倒的な、超越した歌心に、これは酔うしかない。森羅万象とか、不用意に抽象的な単語も使いたくなっちゃうな。ペレス・クルスとオメンリー、今晩は圧倒的な歌心の公演の二乗とも言うべきもので、オレって幸せだなとふと思う。

 しかし、いいファンが(ずっと)付いていると思わずにはいられず。1曲目からオメンリーは観客に詠唱を求めるが、最初からそれなりのヴォリュームの歌を返すもの。そういえば、10月10日のペレス・クルスも最後の曲は皆んなに日本語歌詞を歌うことを求めたものの形にならず。今日の彼女は、観客に歌うことを求めず←でもうれしそうで、慈愛に満ちていた。彼女も来日を積んで、もっともっと親身に接する聞き手を獲得しますように。

▶過去の、リアム・オメンリー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm(フジ・ロック28日、ホット・ハウス・フラワーズ)
http://43142.diarynote.jp/?month=200905
http://43142.diarynote.jp/201112171632304826/
http://43142.diarynote.jp/201112171633334584/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111210
http://43142.diarynote.jp/201112191500441741/
http://43142.diarynote.jp/201412151250144917/
http://43142.diarynote.jp/201412221527313725/
https://43142.diarynote.jp/201808012004309687/ ホット・ハウス・フラワーズ

<今日の、時々刻々>
 夜中まで飲んでいてもだいたい8時ぐらいまでには起床するぼくだが、なぜか6時過ぎに目がさめてしまう。今日やらなければならないのは、ミュージック・マガジン誌のアルバム30選リストを正午までに出すこと。早く起きたおかげで10時にはやりかけのものが完成してしまった。明日は激強い台風が関東直撃とかで、お昼近くから鉄道は止まり、朝霧ジャムやアイ・アム・オーク(2018年9月29日)などの公演群もみな中止になることが報じられている。今日は日が暮れるまでは机に向かう予定であったが、台風のために2日間家に缶詰になるのかと思ったら、今日やらなきゃならない最低限の仕事はすませたし、まだ雨も降っていないということもあり、昼間から気ままに外出することにする。でも、天候急変に備え、濡れてもいい雑な格好with大きめのハンド・タオル、そして釣具屋でいつだか買ったカラフルな長靴着用で出かけた。
 11時45分。家を出るさいは、曇り空ではあるが降雨なし。田園都市線/半蔵門線→大江戸線。そして、12時半から最初の試写。少し、空き気味。試写室を出ると、降雨あり。おお、台風の気配をほのかに感じる。少し時間調整で向かいのミッドタウンを覗き、日比谷線→銀座線。そして、15時半からの試写。そしたら、こちらの試写室はほぼフル。終わって出ると、雨は先ほどより小降り。時間調整とこの時間に銀座線に乗りたくないので(https://43142.diarynote.jp/201903201545383725/、参照)で地下街を東京駅に向かい散策。そこでご飯を食べたが、お店の選択すこし誤る。そのまま、さらに10分歩き大手町駅から千代田線で表参道に向かった。ここから、会場に向かう際が一番雨が降っていたか。風はなし。最初のライヴを見る。実は、夕方ひとつ用事が入っていたのだが、それがとんで、2夜連続で才豊かなスペイン人を見ることができた。前の席にはミュージシャンもしている同業のTKさんが。彼としばし台風話。横浜の高台在住の彼の家は9月上旬の台風で屋根が少し剥がれたりもし、自分の家の修繕は完了しているものの、眼下には修理が追いつかずまだブルーシートで覆った家がいくつも見えるという。それが終わり、渋谷に向かわん。タクシーが店の前に止まっていなかったのと、来たときより雨が弱まっているので、表参道駅まで歩き田園都市線(銀座線ではなくこちらを使った方が、降りてから会場に楽に行ける)で一駅。雨も風も気にならず。そして、二つ目のライヴを堪能し屋外に出てら、まだ平穏。すると、これはちょいお店に寄って行こうかとなっちゃう。結局、ぼくが起きている間は、本当に強大な台風が来るのかという感じだった。それは、あちこちにいた外国人観光客も同じであったろう。
 和田誠さんがお亡くなりになった。イラストレーションだけなく映画や著作でも知られる氏だが、本嫌いのぼくはそらら書物群には親しんでおらず、トライセトプスのリーダーのお父さんという印象の方が強い? ということはないかもしれないが、ぼくは和田さんが飲み屋ですらすら描いたもの(よくそういうことをなさっていたのかな?)のコピーを持っている。1990年代中ばぐらいだったか、なんかの打ち上げで一緒になったことがあり、氏が長テーブルを挟んで向かい側に座っている人たちの絵を描いた。ぼくはそのなかの1人で、ぼくの3人隣に座っていたのは山下達郎さんだった。
▶︎過去の、アイ・アム・オーク
https://43142.diarynote.jp/201809300634456583/

 マンダリン・オリエンタル・ホテルの向かいのビル4階にある、日本橋三井ホール。そのメイン会場に出る二つの出演者(それしか、出ないんだな)を見る。他の細い会場でも、日本人たちによる催しはなされていたようだ。

 まず、小坂忠(2001年12月16日、2013年8月11日、2015年10月25日、2015年11月19日)と中納良恵(2004年2月5日、2005年7月31日、2005年8月17日、2006年12月13日、2006年11 月17日、2006年11月17日、2009年8月8日、2009年11月1日、2010年8月4日、2011年5月21日、2013年11月1日、2017年11月15日)がフロントに立つというステージ。サポートは鍵盤、ハコもの電気ギター、ダブル・ベース/電気ベース、ドラム、トロンボーン、テナー・ザックス/フルートという陣容。キリスト教の牧師であるはずの小坂はイスラム教を想起させなくもない帽子をかぶっていた。いっぽう、中納はかなり胸を協調するドレスを着ている。小坂曲の際、中納は抜群のサポート・ヴォーカルを聞かせる。中納メイン曲の場合は小坂は袖に引っ込んだりも。この日の客はほぼこの後の出演者のファンではないかと思っていたが、小坂の往年の曲が始まると歓声が上がっりもし、45分という短い出しものにも関わらず、彼(1週間後には、ライヴ・マジックにも出演する)のファンもそれなりに来ていたのかな?

▶過去の、小坂忠
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
http://43142.diarynote.jp/201510290731105395/
https://43142.diarynote.jp/201511200934467321/
▶︎過去の、中納良恵/エゴ・ラッピン
http://43142.diarynote.jp/200402052323250000/
http://43142.diarynote.jp/200508060622480000/
http://43142.diarynote.jp/200508230542360000/
http://43142.diarynote.jp/200611190321510000/
http://43142.diarynote.jp/200612151848180000/
http://43142.diarynote.jp/200908181435528052/
http://43142.diarynote.jp/?day=20091101
http://43142.diarynote.jp/?day=20100804
http://43142.diarynote.jp/201105230925539578/
http://43142.diarynote.jp/?day=20131101
https://43142.diarynote.jp/201711181232064946/

 休憩時には中原仁(2011年2月11日、2013年2月11日、2014年12月1日、2015年2月11日、2016年2月11日、2016年9月29日、2017年2月11日、2017年8月24日、2018年2月11日、2019年2月11日、2019年6月10日)がホワイエで回していたが、CDJの二分の一が不調で、一つのプレイヤーだけを用いDJをしていた。

▶︎過去の、中原仁
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201302181123344904/
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 そして、ブラジルの大スター〜やはりブラジル人観客多かった〜のマリーザ・モンチがステージに登場。冒頭濃いサングラスをして出てきた彼女も50を過ぎたが、太っていないし、以前のイメージをキープしている。12年ぶりの来日だそうだが、前回公演は事情ありで行けず、ぼくが彼女を見るのは1992年以来となるのかー。

 バンドはベース(一部キーボードもおさえた)のダヂ(2013年5月26日、2014年7月21日、2014年7月23日)を含むバンドで、ギター、カバキーニョ/パーカッション、ドラムという編成を取る。モンチも生ギター、電気カバキーニョ、電気ギターを手にして歌う場合もある。

 アンコール2曲、1時間半強のパフォーマンス。演目はオールタイム的な楽曲をやる。もう、ブラジル人たちは一緒に歌いっぱなし。その様すごかったし、日本人も含めた声援も破格であった。やはり、久しぶりに見ると成熟していると思わせられる。だが、その一方でマリア・カラスに憧れ若い時分にイタリアに住んだり、初期にアート・リンゼイ(1999年12月18日、2002年9月9日、2004年11月21日、2011年6月8日、2014年10月26日、2015年6月9日、2016年9月1日、2017年6月23日、2018年10月21日、2018年10月23日)にプロデュースを複数作で頼むといった枠超えの好奇心の在りかも随所に息づくわけであり、引き込まれる。そして、やはり今の逸材は拠り所となる軸をきっちり抱えつつ、自在にいろんな世界と交信してこそ吉と出ると思わされもするのだ。

 その美味しさは、先日のシルビア・ベレス・クルス(2018年5月11日、2019年10月10日、2019年10月11日)もまったく同様。そして、強くもしなやかな女性像を自然体で出す彼女たちに触れると、同性の方々はどんな思いも得るのかともふと思いは飛びました。

▶過去の、ダヂ
http://43142.diarynote.jp/201305280925006733/
https://43142.diarynote.jp/201407261219061857/
https://43142.diarynote.jp/201407221737554384/
▶︎過去の、マリア・カラスの映画
https://43142.diarynote.jp/201901101218074224/
▶過去の、アート・リンゼイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200411231722390000/
http://43142.diarynote.jp/201106141341111340/
http://43142.diarynote.jp/201410301512336095/
http://43142.diarynote.jp/201506111719463390/
http://43142.diarynote.jp/201609200958472477/
http://43142.diarynote.jp/201706240934237865/
http://43142.diarynote.jp/201810221139492314/
https://43142.diarynote.jp/201810240904066739/
▶︎過去の、ヌーノ・ベッテンコート絡みのモンチの思い出https://43142.diarynote.jp/200603011148430000/

<今日の、会場>
 ”三井村”にあるこの綺麗な会場、銀座線三越前駅から直結なのはとてもいい。半蔵門線の同駅からはかなり離れる。かつて同フェスが開かれていた恵比寿・ガーデンホール(大きさも同程度? 恵比寿のほうが少し広いかな)よりもこっちのほうがぼくは好きだな。なんか、ステージを見やすい気もしたし(ステージ高がこっちのほうがあるのか?)。飲み物は500円均一なのはマルだが、もう少し種類をふやしてほしい。とともに、キャパが小さく並ぶことをしいられるので、ぼくの知り合いには一度で2杯買っている人が複数いた。ぼくもワインをダブルで買い、大きいプラコップでもらった。後の方で買った瓶のライト・アルコール飲料はあまり冷えておらず。食べ物販売はなかったが、出入り自由で、ホールの下は飲食店で占められているので問題ないでしょう。
▶︎過去の、日本橋周辺についての記載
https://43142.diarynote.jp/?day=20170929

 六本木・キノフィスムズ試写室で、2018年フランス/ベルギー映画「CLIMAX クライマックス」を見る。おお、こんなん。11月1日より、公開される。

 監督と脚本は、1963年ブエノスアイレス生まれのギャスパー・ノエ。NYを経て、1976年以降はフランスに住み、映画作りもパリの学校で学んでいる。というわけで、フランス映画界の人としていいだろうが、尖っている。

 アメリカ公演のため、欧州在住のダンサーたちがオーディションで集められ(多くはフランス人で、フランス語が主の言語。ドイツ人など非フランス語圏の人が会話に入る場合は英語が用いられている)、人里離れた場所で最終リハーサルを終え、そのまま打ち上げパーティとなる。そこにはLSDが混入されたサングリアもあり、それらを飲んだダンサーたちは……。

 阿鼻叫喚、陰陰滅々。前々から激ヤバな作風で知られる監督らしいが、この単純と言えば単純なプロット(実在の事件にインスパイアされたらしい)をぐちゃぐちゃに膨らませている。通常のエンドロールのクレジットが冒頭で流されたり、混乱を表すため終盤は上下が逆の映像になったり(字幕も逆に出される)、途中で大きな文字で出演者名や楽曲担当者の名前が出されたりとか、何かと定石外しの部分も介しつつ、負の情緒を撒き散らしていく。

 一応、時代設定は1996年のよう。音楽はゲイリー・ニューマン、M/A/R/R/S、ダフト・パンク、エイフェックス・トゥイン、ソフト・セル、ジョルジオ・モロダー(2013年5月28日)、他。監督はダフト・パンクと仲良しで、そのトーマ・バンガルテル(2018年8月15日、参照)が書き下ろした曲も使っている。夜があけて強者どもが夢の跡的なシーンに流されるのは、ベタにザ・ローリング・ストーンズ(2003年3月15日)のお涙頂戴曲「アンジー」。だが、ヴォーカルは出てこないインスト。これヴォーカルを抜いたのか、似せたものを使ったのか?

 終始4つ打ち音楽がかかり、ダンス・シーンも多い。1人を除き、出演者はみな役者ではなくダンサーたちだそうだ、その比重から言えば、ダンス音楽とダンスの映画と言ってもいいだろうが、そうは問屋がおろさない。もう一度見るかと問われれば、見たくない。でも、本作の場合はその感想が決して否定的な感想にはならないだろう。

▶︎過去の、トーマ・バンガルテルが出てくる映画
https://43142.diarynote.jp/201808160646059913/
▶︎過去の、ジョルジオ・モロダー
https://43142.diarynote.jp/201305291024093851/
▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月13日(バック・バンド)。15日
https://43142.diarynote.jp/201904200941516964/ ストーンズ展

 次は、周防正行監督の2019年映画「カツベン!」を見る。銀座・東映本社試写室。→下に映画館がある古い建物、試写室に机が並ぶオフィス内を通っていかないと行けないという構造になっており、少し困惑した。この人気監督にとって5年ぶりとなる作品だそう。周到に準備したのだろうな。脚本と監督補は片山章三。音楽は周防作品の常で、周防義和。

 カツベンとは、活動映画の弁士=活弁。実は弁士というのは日本独自の存在で、100年前の一時期、日本ではサイレント映画の時代に映像と観覧者との間に入って語りを入れた弁士はスター的な存在で、人気者は相当な収入を得ることができたという。だが、じきにトーキー(音声付き映画)が出てきて、弁士の活躍の場はなくなっていった。

 映画の舞台は大正時代、1925年。いろんな人間模様を絡ませており、無声映画や日本映画界萌芽期への胸いっぱいのリスペクトや愛は山ほど。映画館内で流れる数々の実在の無声映画は新たに撮られていて、本当に熱意あふれる。映画に合わせ弁士が話すあいだ随時生の音楽もつけらていたことを映画は伝え、主人公がいる映画館ではクラリネット、三味線、鳴り物の3人が担当。その和洋折衷の音楽、なかなか魅力的だった。主役の男女はTVドラマや邦画をあまり見ないぼくにとっては初めて見る俳優さんたちで、それも新鮮だった。

 エンディングで用いられるのは、様々なハイカラな固有名詞と当時の洒脱の発露である言葉遊びや風刺が盛り込まれる「パイノパイノパイ(東京節)」(合衆国曲がベースにある曲で、1918年初出)で、それを奥田民生(2000年6月22日、2003年3月13日、 2006年12月22日、2010年10月26日、2013年8月11日)がちゃらんぽらんに歌っている。榎本健一からソウル・フラワー・モノノケ・サミットやザゼン・ボーイズ(2005年7月16日)まで様々な人たちが取り上げているこの曲のメロディは、劇中でも使われる。

 ヒネたぼくにも存分に楽しめた、エンターテインメント映画。青春映画のように、爽やかでもある。12月13日から、一般公開。好評を受け、ヒットするのではないだろうか。あ、終わの部分は映画「ブルース・ブラザース」のそれを、ぼくは想起した。

▶︎過去の、奥田民生
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-6.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm  バーナード・ファウラー、ブロンディ・チャップリン、リサ・フィッシャー、ダリル・ジョーンズ、奥田民生、小原礼、沼澤尚
https://43142.diarynote.jp/200612281419530000/
https://43142.diarynote.jp/201010301012548114/
https://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
▶︎過去の、中川敬/ソウル・フラワー・ユニオン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/201103271555032719/
▶︎過去の、向井秀徳
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm ナンバーガール
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm ナンバーガール
http://43142.diarynote.jp/200507200104370000/ ザゼン・ボーイズ
http://43142.diarynote.jp/201009231554333481/ 渋さ
https://43142.diarynote.jp/201809261358593168/ KIMONOS

<今夏の、よかったこと>
 それは、この6月に電気代も東京ガスのほうに一括支払いにしたことで決まりですね。東京電力↓↓↓の人なんで(件の原発事故で、誰も罪を問われないというのはありえないとぼくは思う)、ずっと前からそうしたかったのだが、ズボラなものでずっとやらずにいた。手続きはPCでサクっとでき、最初の3ヶ月だかは確か20%オフであったはずだが、その電気代がものすごく安いのには驚いた。エアコン1日中使いっ放しでも、5000円超えなかったのではないか。前の東京電力料金の半額(下手すると、それ以下)という印象を持たざるをえない。健全な企業の競争は吉である。それにしても、だいぶ涼しくなってきたなー。

 六本木・ビルボードライブ東京で、ハレの名R&Bコーラス・グループ(2012年8月21日)を見る。ファースト・ショウ。

 バンドは、比較的若そうな3人。鍵盤を変形コの字型においたキーボード奏者、ときに鍵盤のそれも扱うベーシスト、アクリル版で囲まれたドラマー。前にPCも置いていた、ベース君が全体を統率していたのかな。彼、スラッピング多用(サム・ピック奏法も)、でした。そんな3人が演奏し始めると、おお音がデカい。もう、ドラマーがこれでもかとプッシュする叩き込みを見せる。ながら、今っぽくバラける感覚も少し抱えていて、好印象。そんななか、3人のディーヴァは笑顔で登場し、歌い始める。のだが、その攻めている感の強いオープナーはキーボード音があまり聞こえないので、リズム・セクション音に歌声群が乗るという具合でけっこうアブストラクトに聞こえた。なんか、ストリート感たっぷり?

 2曲目からは鍵盤の音も大きくなり、全体像を掴みやすくなり、親しみやすさが増す。ココたちはお揃いの感じの衣装を身につけ(うまく説明できないが、悪くないとぼくは思った。ここのジャケットの背面にはストーンズのロゴみたいな絵があった?)、ファンのココロに刻まれた楽曲を披露していく。同期音を使う場合もあったのだろうけど、バンド音はほぼほぼ生演奏でまかなわれる。

 少し乱暴な進め方であると感じもしたが、のびのびとふるまい、シズターズたちの歌声が、それにまつわる好メロディや好情緒とともに客側に提供される。送り手と受け手との間には、心ときめく輝く感覚が共有されたはずだ。

 本編最後の曲は、ロバータ・フラック(2008年3月4日)の大ヒット曲「キリング・ミー・ソフトリー・ウィズ・ヒズ・ソング」。面々は楽曲に水を与え自分たちなりの「優しく歌って」にしていくわけだが、その曲中に3人はサポートの3人を紹介し、それぞれちゃんと尺を持つソロを披露させる。まあ、人数が少ないため可能だったかもしれないが、R&Bショウでそれは珍しい。やはり、男性陣腕はたつよな。

▶︎過去の、SWV
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
https://43142.diarynote.jp/201608241301049887/
▶︎過去の、ロバータ・フラック
https://43142.diarynote.jp/200803051002560000/

 その後は、荻窪・ベルベットサン。改装後、初めて行く。場所は同じながら、改装されて、少しきれいにもなり、見やすくなった。

 ドラムの芳垣安洋(2004年2月6日、2004年10月10日、2004年11月7日、2005年4月26日、2006年1月21日、2006年4月18日、2007年4月21日、2009年5月31日、2011年6月8日、2012年3月21日、2013年2月19日、2013年7月13日、2016年9月4日、2016年10月27日、2017年8月24日、2018年1月8日、2019年8月5日)とヴァイブラフォン/打楽器の高良久美子(2004年10月10日、2005年2月19日、2005年9月17日、2006年12月13日、2013年2月11日、2013年2月19日、2014年9月7日、2019年8月5日)の日本人勢と、パーカッションのサンチアゴ・バスケス(2006年7月7日)とヒューマン・ビート・ボックスのミロ・モヤというアルゼンチン勢が、2×2で重なるという出し物。おお、みんな打楽器系の奏者と言えるではないか。

 会場入りすると、あらバスケスがピアノを弾いている。かつてはピアノ神童でオーケストラものにも強いという話にも納得? しっかし、ステージ上の打楽器類の多いこと。それらを並べたり、マイクのチェックをするの大変だったろうなー。芳垣は通常のドラム・セットではなく民族楽器的太鼓を組み込み、回りにいろいろなブツも置く。その前のバスケスのスペースには打楽器や鳴り物がこれでもかと置かれ、その横に位置する高良はヴァイブラフォンを中心に小さな鍵盤打楽器や鳴り物を置いている。肉声ビート担当のミロ・モヤは潔く(?)マイク一本。

 休憩を挟んでの2部から、きっちりパフォーマンスと対峙。1曲目はバスケスのカリンバ演奏で始まり、2曲目は芳垣のドラム演奏から始まり……。と、行き方はしっかり変化を抱えているものの(何気にミニマル音楽的局面になることは少なくなかったか)、ことはすべてフリー・フォームで進められているよう。バスケスは詠唱を繰り出す場合もあり。高良がピアノのところに行き弦をハンマーで叩く場合もあり、またバスケスがピアノに座り魅惑的なメロディを弾き出し、他の3人がそれに合わせて流れていったり。バスケスと芳垣がビリンバウ合戦をしたときもあり。もう、流れるまま、気分の赴くまま。みんな、自らの“おもちゃ箱”をひっくり返し合う。でも、散ったおもちゃは決して無秩序ではなく、おいしい並びや傾向を持っていたりするんだよなー。確かな音楽知識や楽器演奏技量の先にある、コドモ心に満ちた自然体のプレイグラウンドというべきものが、そこにあった。なんか、音を録っている感じもあったが、商品化希望〜。

 しかし、いろんな楽器に次々にあたる三者に、マイクだけで対したミロ・モヤは相当な実力者。スネア的音やスクラッチ音などの声質が良いうえに、彼からことを始めるということはないのだが、3人の重なりや変化に鋭敏自在にヒューマン・ビート・ボックスを加えていく様にぼくはとても感心した。もう、彼の肉声が全体表現に確かな芯やビート感覚を与えていたし、次の動きも引き出していた。

 明日はこの単位に、ギターの大友良英(2002年3月17日、2003年6月28日、2004年2月6日、2004年10月10日、2004年11月7日、2005年4月26日、2006年1月21日、2006年4月18日、2007年4月21日、2009年5月31日、2011年6月8日、2012年3月21日、2013年7月13日、2016年9月4日、2016年10月27日)とヴァイオリンの太田恵資(2001年3月24日、2003年5月22日、2004年10月10日、2005年2月19日、2016年9月27日、2018年7月7日)というメロディ楽器の奏者たちが加わる。その2人は自らの持ち楽器をパーカッシヴに使ったり、肉声がより前に出てくることも考えられるが。。。

▶過去の、芳垣安洋
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm 29日、ROVO
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-9.htm オーガニック・グルーヴ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm ONJQ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm ONJQ
http://43142.diarynote.jp/?day=20040121
http://43142.diarynote.jp/?day=20040206
http://43142.diarynote.jp/?day=20040610
http://43142.diarynote.jp/?day=20040611
http://43142.diarynote.jp/200411141142200000/
http://43142.diarynote.jp/200411231717590000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050219
http://43142.diarynote.jp/?day=20050906
http://43142.diarynote.jp/?day=20050729
http://43142.diarynote.jp/200510030014590000/
http://43142.diarynote.jp/200511221816310000/
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http://43142.diarynote.jp/201302201720351212/
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http://43142.diarynote.jp/201602030848199962/
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http://43142.diarynote.jp/?day=20161027
http://43142.diarynote.jp/201708280821026300/
https://43142.diarynote.jp/201801100512178732/
https://43142.diarynote.jp/201908071555289133/
▶︎過去の、サンチアゴ・バスケス
https://43142.diarynote.jp/200607100307170000/
▶過去の、高良久美子
http://43142.diarynote.jp/200410162220330000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050219
http://43142.diarynote.jp/200510030014590000/
http://43142.diarynote.jp/200612151848180000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130211
http://43142.diarynote.jp/?day=20130219
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https://43142.diarynote.jp/201908071555289133/
▶︎過去の、大友良英
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/200402061359140000/
http://43142.diarynote.jp/200410162220330000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20041107
http://43142.diarynote.jp/200504301042210000/
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▶︎過去の、太田恵資
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-3.htm シカラムータ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm ハシケン
http://43142.diarynote.jp/?day=20041010
http://43142.diarynote.jp/200502232040290000/
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
https://43142.diarynote.jp/201807080932266789/

<今日の、認知>
 昨日、試写室でコンコンとなったりして、ぼかぁ静かなところに来ると意味もなく咳が出るのだなあと思っていた。そして、起きたら寒くてエアコンを入れる。短時間ではあったけど。夕方、外に出るとなかなかに涼しいなあと感じた。そんなに薄着で出かけていないのになあ。で、ライヴ会場でときおり咳が出ちゃう。もしかして、オレって風邪をひいているのかとやっと自覚する。あぁ午後、なんか肩がダル重いなあと思っていたのはそのせいではないかと気づく。うん。間違いなく熱っぽい。非弱なぼく……。でも、今のところは来週頭までずらりと入っているライヴ行きをやめようとかは考えることもなく、ライヴを楽しみながらぐびぐび。飲めるうちは大丈夫、酔えば不調は飛んでいく……、そう考えているところあるナ。そういえば、今日の夕刊には、すでにインフルエンザが流行っているという記事が載っていた。早く衣服の夏物と冬物の交換しなきゃ。

 まず、青山・プラッサオンゼで、ギターの竹中俊二(2007年8月23日、2008年1月31日、2009年6月12日、2009年9月26日、2009年12月18日、2010年2月23日、2010年12月22日、2014年7月23日、2015年1月10日、2015年6月17日、2016年11月7日)とキーボードの中島徹とのデュオのファースト・セットを見る。竹中は全面的にガット・ギターを弾く。素材はジョアン・ドナート(2008年8月18日、2009年6月7日、2009年9月29日)やトム・ジョビン他、ブラジルの曲群。そこに、自作曲も加える。ブラジル音楽/曲の敏樹や愛着を、すらりと2人で描くような内容なり。

▶過去の、竹中俊二
http://43142.diarynote.jp/200708270314500000/
http://43142.diarynote.jp/200802051630130000/
http://43142.diarynote.jp/200906160733018341/
http://43142.diarynote.jp/200909291504366263/
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http://43142.diarynote.jp/201002280940361567/
http://43142.diarynote.jp/201012241100592422/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140723
http://43142.diarynote.jp/201501131341317551/
http://43142.diarynote.jp/201506181125125625/
https://43142.diarynote.jp/201611101703321633/
▶︎過去の、ジョアン・ドナート
http://43142.diarynote.jp/200808221741070000/
http://43142.diarynote.jp/200910021138591223/
http://43142.diarynote.jp/200906091637138003/

 そして、徒歩で南青山・ブルーノート東京に。出し物は、大御所ドラマーのハーヴィー・メイソン(2002年8月11日、2010年7月9日、2011年6月21日、2014年5月28日、2016年4月5日、2017年9月1日)がLAの実力者や若手を同行させ、彼が世に広く知られることになったハービー・ハンコック『ヘッド・ハンターズ』(コロムビア、1973年)を俎上に一部起きつつ、メイソンなりの現代的ジャズ表現を提供しましょうという企画ライヴの2019年度版だ。カマシ・ワシントン(2014年5月28日、2015年10月31日、2016年12月6日、2018年8月19日、2019年9月2日)やモノニオン(2017年9月1日、2018年3月22日、2018年7月19日)も、メイソンのこのプロジェクトが初来日だった。

 ピアノやキーボードのマーク・ド・クライヴ・ロウ(2006年3月9日、2016年4月5日、2017年9月1日)を音楽統括者に置くというのは、ここのところの常。他の同行者は、アルト/ソプラノ・サックス/フルートのヘイリー・ニスワンガー。彼女は、ディー・ディー・ブリッジウォーター(2003年8月1~2日、2007年8月24日、2008年12月4日、2009年11月27日、2014年5月3日)からエスペランサ・スポルディング(2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日、2011年2月17日、2012年3月7日、2012年9月9日、2015年9月5日、2016年5月31日)まで参加したテリー・リン・キャリントン(2004年9月7日、2005年8月21日、2008年12月1日、2009年6月15日、2010年9月4日、2014年9月16日、2017年3月27日)の女性プロジェクト作『ザモザイク・プロジェクト』(コンコード、2011年)に入っていた奏者だ。5弦エレクトリック・べースはオマール・ドミニク、日本ではほぼ無名の彼はフィラデルフィア、フロリダを経てLAで活動をしている。そして、今回は歌い手が同行。そのエリック・ドウキンスは1990年代にドウキンス&ドウキンスというデュオを組み、A&M(そこからのファースト作は日本盤も出た)他から数作品出していた、ゴスペル畑の人。カーク・フランクリン(2009年9月18日、2017年2月2日)の2019年最新作にも入っていた彼は、キーシャ・コールやメアリーJ・ブライジ(2002年3月13日)、シャンテ・ムーア(2006年9月19日、2008年12月8日、2012年3月5日、2012年12月9日)らいろんな人に曲を提供してもいる。

 今回のギグで驚いたのは、ハービー・ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日、2014年9月7日、2015年9月6日、2016年9月3日、2018年9月1日)絡みの有名曲を4つもちゃんと披露したこと。「カンタロープ・アイランド」、「アクチュアル・プルーフ」、「カメレオン」、「4A.M.」、それらは今のこの5人のヴァージョンとして送り出された。また、ドウキンスがフィーチャーされたのは、中後半部の2曲と、「カメレオン」。その際のちゃんとしたヴォーカル曲のうちの1つはもろにスティーヴィー・ワンダー(2005年11月3日、2010年8月8日、2012年3月5日)を想起させる歌い方で、わあ。また、スキャットでことを進めた「カメレオン」では一部でロイ・エアーズ(2000年3月23日、2002年8月11日2004年3月10日2008年7月10日、2014年7月19日、2016年2月12日、2017年10月8日)の著名曲「エヴリバディ・ラヴズ・ザ・サンシャイン」(そのオリジナルでキーボードを弾いていたのは、フィリップ・ウー大先生。2007年6月6日、2009年5月26日、2012年9月9日、2014年5月28日。実は、メイソンの一番最初の“カメレオン”プロジェクトのブルーノート公演には彼が参加していた)のメロディを、彼は歌い込む。イエイ。

 なお、https://43142.diarynote.jp/201903201617547581/ の項で触れているが、ハーヴィー・メイソンの1975年デビュー作のオープナーでありタイトル・トラックである「マーチング・イン・ザ・ストリート」(https://www.youtube.com/watch?v=bHEM1NHQMeQ)はダニー・ハサウェイの「マグニフィセント・サンクチュアリー・バンド」(https://www.youtube.com/watch?v=NWnnbDraKqo 。1971年作『ダニー・ハサウェイ』収録)へのアンサー・ソングだ。彼はそういうこともしている人なのであり、せっかくドウキンスが参加しているのなら、どちらかの曲も聞かせてほしかったな。

 クォーテイションといえば、オマール・ドミニクは「アクチュアル・プルーフ」のイントロでベース・ソロを披露したのだが、その際スライ&ザ・ファミリー・ストーン(2008年8月31日、2008年9月2日、2010年1月20日)の「ドント・コール・ミー・ニガー」を引用。ヘッド・ハンターズ曲をいろいろやったためもあってか、彼は過去のこの出し物に参加したべーシストのなかで一番ヘッド・ハンターズのオリジナル・メンバーであったポール・ジャクソン(2002 年3月12日、2008年6月12日)を思い出させる演奏をした。ジャクソンに特徴的な1弦の効果的な開放音の使用は見せなかったものの。とともに、ジャクソンはなんとアメイジングな化け物奏者だったかも痛感。そんな御仁、一時は千葉県市川市に住んでいたんだよなー。

 クライヴ・ロウはピアノ主体ながら、3種のキーボードも扱う。とともに、横にPCを置いた彼はマイクで拾ったヘイリー・ニスワンガーのリード音に自在にエフェクトをかける。こんな音なら、彼女がウィンド・シンセを吹けばいいぢゃんと思えたか。まあ、指は動くが音色の抑えが甘い彼女にはそれもアリだったのかもしれない。また、クライヴ・ロウはメイソンのドラム・ソロ時にもその音に存分にエフェクトをかけた。前にも書いたことがあると思うが、メイソンのドラミングは100%正しい。だが、コンサバすぎて面白いとは、今は言えない。そのソロでの音響効果は逆説的に、その事実を浮き上がらせていたと思う。メイソン、今回は多くはマッチド・グリップで叩いていたんじゃなかったか。

▶過去の、ハーヴィー・メイソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-8.htm 8月11日、トム・スコット
http://43142.diarynote.jp/201007110625087085/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110621
http://43142.diarynote.jp/?day=20140528
http://43142.diarynote.jp/201604060850393487/
https://43142.diarynote.jp/201709071307037021/
▶過去の、︎マーク・ド・クライヴ・ロウ
http://43142.diarynote.jp/200603100922500000/
http://43142.diarynote.jp/201604060850393487/
https://43142.diarynote.jp/201709071307037021/
▶︎過去の、カマシ・ワシントン
http://43142.diarynote.jp/?day=20140528
http://43142.diarynote.jp/201511040742444324/
http://43142.diarynote.jp/201612091513593556/
https://43142.diarynote.jp/201808211635045064/
https://43142.diarynote.jp/201909031830055314/
▶︎過去の、モノニオン
http://43142.diarynote.jp/201709071307037021/
http://43142.diarynote.jp/201803231446465272/
http://43142.diarynote.jp/201807210953487881/
▶過去の、テリ・リン・キャリントン
http://43142.diarynote.jp/200409070203440000/
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200812141259213603/
http://43142.diarynote.jp/200906160735045241/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100904
https://43142.diarynote.jp/201409171722239857/
▶過去の、ディー・ディーブリッジウォーター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200708270316020000/
http://43142.diarynote.jp/200812150311286788/
http://43142.diarynote.jp/?day=20091127
http://43142.diarynote.jp/?month=201405
▶過去の、エスペランサ・スポルディング
http://43142.diarynote.jp/200809071430380000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20081201
http://43142.diarynote.jp/?day=20100904
http://43142.diarynote.jp/201102190814495504/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120307
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
http://43142.diarynote.jp/201606101027587993/
https://43142.diarynote.jp/201703281829079078/
▶過去の、カーク・フランクリン
http://43142.diarynote.jp/200909251530436151/
https://43142.diarynote.jp/201702081152242280/
▶︎過去の、メアリー・J・ブライジ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
▶︎過去の、シャンテ・ムーア
https://43142.diarynote.jp/200609241220220000/
https://43142.diarynote.jp/200812150313441401/
https://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
https://43142.diarynote.jp/201212140959573710/
▶過去の、ハービー・ハンコック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903/
https://43142.diarynote.jp/201809051532324111/
▶過去の、スティーヴィー・ワンダー
http://43142.diarynote.jp/200511130015240000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
▶過去の、ロイ・エアーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200403101442170000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080710
http://43142.diarynote.jp/201407221705302936/
http://43142.diarynote.jp/201602161249535545/
https://43142.diarynote.jp/201710121700178187/
▶過去の、フィリップ・ウー
http://43142.diarynote.jp/200706131357530000/
http://43142.diarynote.jp/200905271738046764/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120909
https://43142.diarynote.jp/201405291806044863/
▶過去の、スライ・ストーン
http://43142.diarynote.jp/200809011923060000/
http://43142.diarynote.jp/200809071428140000/
http://43142.diarynote.jp/201001211346277187/
http://43142.diarynote.jp/201505201630381899/ 映画
▶過去の、ポール・ジャクソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20080612

<今日のパーティ、頭だけ>
 この15日から22日にかけて、原宿・B-SIDEで<Swiss Design / Made in Japan>という展覧会が開かれている。同所でのオープニング・パーティがあり顔を出したのだが、それなりの広さを持つ会場に人がいっぱい。外国人〜スイス人なのだろうか〜比率もかなり高い。大使館主催ということもあるのかな。外にも、人があふれている。そんな混み具合なので、早々に辞したので、展示品をちゃんとチェックできなかったのだが、皿、ボウル、ペン、包丁、椅子、バッグ、ブラシ、時計など、日常流れの洗練されたアイテムがいろいろ展示されていた。その表題は、それら展示品はスイス人のデザインを日本の会社や職人が作っていることから。また、その逆のブツもあるようだ。この晩のDJは、松浦俊夫(2011年4月6日、2013年11月1日)が依頼されていたよう。
▶︎過去の、松浦俊夫
https://43142.diarynote.jp/201104091623415118/
https://43142.diarynote.jp/201311021703148497/

 どすこい&アーシーな米国黒人音楽についての生理的理解や物質的技量は日本一ではないかとぼくは信じている女性シンガーの菅波ひろみ(2017年12月1日)と関西のブルースが得意な人たちによるライヴ。ツアー中の一環で、高円寺・JIROKICHII。そのバンド構成員は、オルガンの花田えみ、ギターの 篠原裕、ベースの中島かつき、ドラムの平岡タカノリ。もっとおっさんたちかと思ったら、皆さん意外に若そうで、主役との息もあっていた。噴出感をちゃんと出せるオルガン奏者はとくにいい感じだったな。

 ブルースやサザン・ソウル系統にあるもやもやした大海を鷲掴み。そして、声には良質なブラック・ミュージックに不可説な濁りの感覚や熱情あふれる歌声とフィーリングあり。イエイ。冒頭2曲がブルース曲で、アリサ・フランクリン曲も二つやり、ニューオーリンズ調も二つ。エタ・ジェイムズやココ・テイラーの曲もあり。アラン・トゥーサンの「イエス・ウィ・キャン」の際にザ・ミーターズ曲に入っている特徴的な肉声パートをバンド・メンバーたちが3つに分けてつけ、それを観客に歌わせるなんてこともした。客扱いも、お上手。そして、彼女にはいいファンがしっかりついていることも再確認。ファースト・セットで場を離れるのが、悲しくてしょうがなかった。

▶︎過去の、菅波ひろみ
https://43142.diarynote.jp/201712031012091034/

 その後は三軒茶屋・グレープフルーツ・ムーンで、オランダ人のシンガー・ソングライターのゴスト(2017年9月15日)を見る。間に合わないかと思ったら、ちゃんと彼の出番の前についた。

 おお、アーティストは生き物。前回見たときと大きく異なる印象を受け、彼が異なるモードにあることを実感した。前回はキーボードを弾きながら歌い、その歌にはエフェクトがかけられ、そこにドラマーが付いていた。←ゆえに、同じ編成でライヴをやるジェイムズ・ブレイク(2011年10月12日、2013年6月4日、2017年2月25日)をまずぼくは想起したわけだが、今回セミ・アコースティック・ギターを弾きながら歌う(エフェクトなし)様はもっと歌心に富むフォーキィ表現の好担い手という像を得た。少しレトロとも思わせる素直な歌心を天衣無縫に泳がせる感じを、今回はおおいに受けた。歌詞はすべて英語。

 今回も1人のサポート奏者ありで、アムステルダム在住の英国人がアコースティック・ギターでサポート。彼は随時ハーモニー・コーラスもつけ、それも効果的。一方、ゴストは横にサンプラーを起き、簡素な下敷きビートを敷く場合もあり。そのサンプラーには日本語の女性の声が何種類も入れられていて、曲間には適時そのプリセットMCが使われる。あら、それ意外なくらいいいじゃん。なんか、彼の気持ちやお茶目さがちゃんと伝わる。

 基本は、オーセンティックなシンガー・ソングライター的な姿を優男風情を介してアピール。一部かつてのマイケル・フランクス(2013年10月29日)が今にワープしたような、テンダー&メロウ味もあり。それからやはりユーロ感覚もどこかに出ていて、ぼくは今回の彼の実演にクレスプキュール・レーベル(1980年代下半期が黄金期の、ブリュッセルの都会派レーベル)が抱えていた洗練ポップネスの残り香も感じたかな。

 やまぬ拍手のもと急遽応じたアンコールは、1人でボブ・マーリーの「リデンプション・ソング」を披露した。その力のあり様にびっくり。歌声が大きく、何かを照らさんとする力が大。へーえ、30歳になったばかりの彼のなかにはそういうヒューマン・ソングがしっかりとあるのか。

▶︎過去の、ゴスト
https://43142.diarynote.jp/201709160841239914/
▶過去の、ジェイムズ・ブレイク
http://43142.diarynote.jp/201110161924242614/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224/
https://43142.diarynote.jp/201702261130301434/
▶︎過去の、マイケル・フランクス
http://43142.diarynote.jp/201310301217408539/

<今日の、初めて>
 2軒目の三軒茶屋にあるハコには、初めて行く。おお、太子堂中央街に足を踏み入れるなんて、20年ぶり? その屋号にあった明るい感覚を持ち、見やすくもあり、なかなかに好印象。カウンターにはアルバム・ジャケットが飾ってあったが、洋楽好きの人が開いたお店であろうか。でも、ぼくがここに初めて来たということは、普段は日本人ミュージシャンが主に出ているのかな。

 毎年秋恒例の、ピーター・バラカンがキュレイトする音楽イヴェント、デイ1。恵比寿ガーデン・ホール。大小のホール、そして飲食&物販スペースでもあるホワイエに設けられたステージの3つの場で、ライヴ・ミュージックは提供される。

+スタイナー・ラクネス
 ノルウェー人ジャズ・ベーシストのスタイナー・ラクネス(2003年11月17日、2004年11月16日、2013年9月8日、2016年10月22日、2017年1月28日)は、今回ソロでパフォーマンス。ダブル・ベース音を効果的に重ねたループ音のもと、彼は渋低い歌声〜それ、ほど良いダミ声とも言えようか〜で歌っていく。ときには、ベースをボンボン弾きながら、それのみで歌ったりもずる。なんか、その様はヴァイキングという言葉も思い出せるか。ぼくが見ていたときは、ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーンの曲を歌ったりもしていた。
▶︎過去の、スタイナー・ラクネス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm アーバン・コネクション
http://43142.diarynote.jp/200411170828460000/ アーヴァン・コネクション
http://43142.diarynote.jp/?day=20130908 ヘルゲ・リエン・トリオ
http://43142.diarynote.jp/?day=20161022 アルヴァス
https://43142.diarynote.jp/201701301326224033/ トゥーレ・ブルンボルグ・スノウ・スロウ・カルテット

+タミクレスト
 歌と電気ギター(レスポールを弾いていた)のウスマン・アグ・モサ(2018年5月9日)をリーダーとする、トゥアレグのバンド。モサに加えて、エレクトリック・ベース、股に挟む大きな太鼓、電気ギター、ドラムという編成で、もう1人のギターとドラムはフランス人か。その事実もあってか、他の砂漠のブルースの担い手グループと比すと、どことなく西欧化されていると思えるところはある。その呪術的音場に明快さを持ち、他の環境にいる人に両手を広げているとも指摘もできるか。ある曲のバンド・アンサンブルは、そのままオールマンズの「ランブラリン・マン」になっていっても違和感なしと思えた。
▶︎過去の、タミクレストのウスマン・アグ・モサ
https://43142.diarynote.jp/201805101438514929/

+ミャーク・ソング・ブック
 2年前のこのフェスに出た際は宮古の民謡歌手である與那城美和と福岡県在住のジャズ・ベース奏者である松永誠剛の2人によるものだった(2017年10月22日)が、今回はさらに大きな単位で、宮古の神秘を伝える。最初の長いパートは、松永と宮古のファンク・バンドであるBLACK WAX(2014年9月16日、2014年10月25日)のサックス奏者(今回、ぼくが見ている間はテナーを吹いていた)である池村真里野によるデュオ。アブストラクトにジャズの流儀を介して立ち上がる宮古のもやもや。そのあとは、松永が下がり、與那城美和ら3人が出てきて、女性4人でアカペラによるパフォーマンス(そこにテナー音が入りもする)。で、その様に感嘆。その肉声の絡みの謎の訴求力は、ブルガリアン・ヴォイス(2019年9月29日、他)のそれに完全に匹敵。いや、指揮者を介しない宮古の彼女たちのほうがより自立していて、ストロングな印象を与えるのは間違いない。その後、また松永も加わったんじゃないかとも思えたが、その前にまた移動。
▶︎過去の、ミャーク・ソング・ブック
https://43142.diarynote.jp/201710240958114009/
▶過去の、BLACK WAX
http://43142.diarynote.jp/201409171722239857/
https://43142.diarynote.jp/201410301511243448/
▶︎過去の、ブルガリアン・ヴォイス・アンジェリーテ
https://43142.diarynote.jp/201909300820035963/

+ドス・オリエンタレス
 パーカッションのヤヒロトモヒロ(2007年11月14日、2009年2月8日、2009年10月12日、2010年7月22日、2011年10月26日、2012年6月13日、2014年2月9日、2014年2月22日、2014年6月16日、2015年8月31日)とウルグアイ人ピアニストのウーゴ・ファトルーソ(2007年11月14日、2017年8月24日)、長い付き合いを持つ2人によるユニット。途中から、女性シンガー/打楽器奏者(ウルグアイ人?)が加わりやったウルグアイのシンガー・ソングライターの曲はすんげえ味よし。その天衣無縫な感触を持つそのパフォーマンスはなんかブラジル音楽的な色彩が強かった。
▶過去の、ヤヒロトモヒロ
http://43142.diarynote.jp/?day=20071114
http://43142.diarynote.jp/200902102121513506/
http://43142.diarynote.jp/200910141731349364/
http://43142.diarynote.jp/201007241308021448/
http://43142.diarynote.jp/201111141210356758/
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196/
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
http://43142.diarynote.jp/201402240940377749/
http://43142.diarynote.jp/201406180852131370/
http://43142.diarynote.jp/201509021103292742/
http://43142.diarynote.jp/201708081443281390/
https://43142.diarynote.jp/201708280821026300/
▶︎過去の、ウーゴ・ファトルーソ
https://43142.diarynote.jp/200711170537080000/

+小坂忠Magic Band2019
 シンガーの小坂忠(2001年12月16日、2013年8月11日、2015年10月25日、2015年11月19日、2019年10月14日)、キーボードのDr.kyOn (2013年8月11日、2015年11月19日、2017年10月9日)、ギターの鈴木茂(2013年8月11日、2010年11月21日、2015年10月25日、2015年11月19日、2017年6月19日)、ベースの小原礼(2003年3月13日、2004年5月9日、2013年8月11日、2015年11月19日、2017年10月21日)、ドラムの林立夫(2009年1月16日、2015年10月25日、2016年9月27日、2017年7月14日)、ゲスト・シンガーの桑名晴子という陣容による。1週間前と同じような帽子を小坂はかぶっていた。トリの出し物である事もあり、場内は混み、歓声も熱い。
▶過去の、小坂忠
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
http://43142.diarynote.jp/201510290731105395/
https://43142.diarynote.jp/201511200934467321/
https://43142.diarynote.jp/201910150806553324/
▶︎過去の、Dr.kyOn
https://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
https://43142.diarynote.jp/201511200934467321/
https://43142.diarynote.jp/201710121702369819/
▶過去の、鈴木茂
http://43142.diarynote.jp/?day=20101121
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
http://43142.diarynote.jp/201510290731105395/
http://43142.diarynote.jp/201511200934467321/
https://43142.diarynote.jp/201706200846275599/
▶過去の、小原礼
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月13日
http://43142.diarynote.jp/200405071410000000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
http://43142.diarynote.jp/201511200934467321/
https://43142.diarynote.jp/201710240957109863/
▶過去の、林立夫
http://43142.diarynote.jp/200901171017206901/
http://43142.diarynote.jp/201510290731105395/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160927
https://43142.diarynote.jp/201707151654245284/

<今日の、所作>
 フェス中頃から、会場入り。つまみ食い的にステージ間を移動していたが、それはずっと立っているのが辛いのと、もちろん重なるプログラムも見たかったため。今回、珍しくタイムテーブルがずれたりもしていた。基本、なごみのある場。懐かしの人に久しぶりに会う場。←それが、楽しい。なんか、今日のお客さんの様を見ながら、フジ・ロック・フェスに年1の音楽心を満たすために(それだけに)行く人がいるように、ライヴ・マジックをそういう位置付けに置いている人もいるんじゃないか。物販Tシャツを身につけている人の比率は高めかもなあ。やはり、年寄りが多いぶん、少しお金をもって人の比率は高いのかもしれない。今、XC40(https://43142.diarynote.jp/201902011533573977/)で日本マーケットに攻勢をかけるボルボは、例年のように会場前に車を展示している。

 まず、代官山・晴れたら空に豆まいて で、イスラエル人とブラジル人によるデュオを見る。在NYのイスラエル人であるアロン・ヤブナイは数作リーダー作を出すとともに、ヨー・ヨー・マからパキート・デリベラ(2013年10月26日、2014年10月5日、2018年6月28日)までいろんな人のリーダー・アルバムに名前が見られるジャズ・ピアニスト。他方、ブラジルのリオ生まれながらイスラエルに住むというパーカッショニストのジョカ・ペルピナンはザ・イダン・ライヒェル・プロジェクト(2014年10月7日)に入ったりもしているという。その2人は少なくても2作品双頭作を出しており、その2018年作『Dança Das Águas』(Chant 、2018年)は独ハンブルグのNDRビッグ・バンド(2016年3月9日)との連名作。大きなアレンジも得意なバークリー音大卒のヤブナイは自らの2012年リーダー作でもNDRビッグ・バンドを起用。彼の母親はアルゼンチン人であるそう。

 完全な、デュオ表現。そして、ほぼヴォーカル付き、主ヴォーカルはジョカ・ペルピナンが担当するが、アロン・ヤブナイも歌い、詠唱合戦をしたりもする。実はこのお二人、声質が似ている。声が大きくて通るのは、ペルピナンのほうだ。演目はオリジナル曲とともに、アントニオ・カルロス・ジョビンやセザール・カマルゴ・マリアーノ他らブラジルの曲も取り上げる。

 ジョカ・ペルピナンがポルトガル語で歌うためか、けっこうブラジル的機微を介した総花的な表現と感じる。ペルピナンは1曲で大々的にパンデイロも用いた。また、一曲はヤブナイがカホンを叩き、ペルピナンがボンゴみたいな太鼓を叩いた曲もあり。ヤブナイのピアノはアップ目のとき切れあり、ファースト・セットの最後の曲のソロは間違いなくスティング(2000年10月16日)の「ホエン・ザ・ワールド・イズ・ランニング・ダウン」のライヴ・ヴァージョンにおけるケニー・カークランドの闊達なソロ(https://43142.diarynote.jp/201612270940364817/ の下のほうを参照のこと 。https://www.youtube.com/watch?v=asPdkHD9k8M&list=RDEudXHJ60J_U&index=6 )を意識しているのは間違いなし。とか、そんなこんなでサーヴィス満点、いろいろな見せ方で、2人の息のあった丁々発止表現を聞き手に提示した。ときに、決めや仕掛けをいろいろと盛り込む場合があり、それについては子供っぽいとぼくは感じてしまう。だが、できるだけ聞き手にアピールすることを求め、支持者を取り込みたいとう面々の思いはよく伝わってきて、それは文句の言う筋合いではないだろう。2人はアートではなく、広い知識を介した万人に向けてのエンターテインメント表現をやっていた。

 なお、ショウが始まって、音がいいなとすぐに思う。ピアノの音、各種打楽器の音がちゃんと立って、それらしい音でくっきり聞こえる。その感想を隣に座っていた知人に漏らしたら、ここはそっちもお金をかけていていつ来ても音がいいと思っているとの返答でした。

▶︎過去の、パキート・デ・リベラ
https://43142.diarynote.jp/201310280755386500/
https://43142.diarynote.jp/201410061850124929/
https://43142.diarynote.jp/201806291621332624/
▶︎過去の、ザ・イダン・ライヒェル・プロジェクト
https://43142.diarynote.jp/201410141139176172/
▶︎過去の、NDRビッグ・バンド
https://43142.diarynote.jp/201603111218495183/
▶︎過去の、スティング
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm

 そして、昨日に続き恵比寿・ガーデンホールに行き、ライヴ・マジックの2日目。そういえば、先のアロン・ヤブナイとジョカ・ペルピナンの姿も会場で見た。

+東京中低域
 ステージ上には、バリトン・サックスス奏者がずらり10人。うひょ。すでに四半世紀のキャリアを持つはずの〜構成員はかなり変わってきているんだろうな〜ある意味日本人らしいと言えそうな変則大所帯ユニットだ。様々な曲調、ヴァリエーション/構成(ときに、面々は動き立ち位置を変えたりもする)のもと中低音だけのブラス表現を送り出す。

+サカキマンゴー
 歌と親指ピアノとゴッタンのサカキ・マンゴー(2008/09/12、2011年10月2日、2012年1月28日、2013年8月27日)のショウは機材をシンプルに介しもしてのソロ・パフォーマンス。派手な格好しつつ、人懐こくも我を出す。鹿児島に戻って以降手がけるようになった、同地の廃物利用の弦楽器であるゴッタンの扱いを楽しみにしていたのだが、ぼくが見てからは持たなかった。残念。
▶︎過去の、サカキ・マンゴー
https://43142.diarynote.jp/200809160031546361/
https://43142.diarynote.jp/201110091256254404/
https://43142.diarynote.jp/201202071445258085/
https://43142.diarynote.jp/201309021132512714/

+3MA
 1968年マリ生まれのコラ奏者のバラケ・シソコ(2011年6月6日)と1970年モロッコ生まれのウード奏者のドリス・エル・マルミと1964年マダガスカル生まれのヴァリハ(同国の弦楽器。尺八みたいな筒の外側に弦が張ってあり、それを寝かせて持ち操る)奏者であるラジェリによる、弦楽器トリオ。その接点は、フランス? 接してすぐに、これはすごい集中力を要する純度の高い演奏だと悟る。ラジェリは肉声なども繰り出し、奔放さや親しみやすさを少し出したりもするのだが、これは細心な歌心や演奏心得のもと紡ぎ出されるアンサンブルであるから。綺麗な文様を描きもし、弦群の音が集積離散していくようなそれはよくぞ、だな。ミュージシャンシップ度、高し。これもまた、異なる地域の音楽や楽器の最大公約数+を溶解させる方向にあるワールド・ビート表現だよねと思う。ステージ情報から淡い光が注いでくる感触も、ぼくは覚えた。
▶︎過去の、バラケ・シソコ
https://43142.diarynote.jp/201106131249004038/

+Amamiaynu
 奄美の島唄の歌手である朝崎郁恵(2005年6月5日)とアイヌ文化を継承し旭川に住むトンコリ奏者のOKI(2004年8月27日。2006年8月11日、2006年9月24日、2007年1月26日、2012年10月10日、2014年12月10日、2016年11月18日、2018年5月9日)・ファミリー、まさに日本の北と南を繋ぐ出し物。実は、ガラス越しに見える外の席で知人とワインをぐびぐび飲みながら溢れてくる音に接しただけなので、ちゃんとした感想は書くことはできない。でも、各地に残る固有の文化の強固な流儀がワープし握手させちゃうような試みはなんかワクワクしちゃう。
▶︎過去の、朝崎郁恵
https://43142.diarynote.jp/200506120639310000/
▶過去の、OKI
http://43142.diarynote.jp/?day=20040827
http://43142.diarynote.jp/200608141732470000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060924
http://43142.diarynote.jp/200702010111560000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121010
http://43142.diarynote.jp/201412241025308207/
http://43142.diarynote.jp/201611211530147646/
https://43142.diarynote.jp/201805101438514929/

+Flor de Toloacheフロール・デ・トロアーチ
 “ゴキブリの花”という名を掲げるような、NY在住のマリアッチの5人の女性グループ。みんな、ラティーノなのかな。リード・ヴォーカル/ヴァイオリン、でかい(ベース系音を担う)弦楽器、生ギター、トランペット二人、みな赤い衣装でまとめていて、それだけで異国情処を醸し出すし、華がある。で、やはり今の時代、しかもNYという場を拠点にしているだけあって、広がりと確かな音楽素養/技量を介した表現を送り出す。ニルヴァーナやレッド・ゼッペリン曲からスタンダードまでを素材にし、娯楽性豊かに受け手を魅了。そして、ちゃんと柱とするマリアッチに対する興味も喚起するだろうパフォーマンスだった。

<今日の、アフター>
 フェスはこの後、アルゼンチン人のファナ・モリーナ(2002年9月7日、9月15日。2003年7月29日、2011年8月1日、2013年12月3日、2015年2月6日、2016年3月17日、2017年8月18日)、日本人のThe Kota Oe Band、ベルリンに住むイスラエル人のJラモッタすずめ(2018年8月31日)と続いたはずだが、ぼくはこれにて打ち止め。ガーデンプレイス近くの友人ちに行って、ラグビーの日本vs.南アのTV中継を見る。家では地上波TV放送が映らないので、今回のラグビーW杯の試合には初めて接する。いや、約1ヶ月前にラスヴェガスのホテルで少し見たか。もう、すごい昔のような気がする。ともあれ、盛り上がってよかったなー。来年のオリンピックについては、様々な面でそうは思えないだろうと今から思う、、、。
▶過去の、ファナ・モリーナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm トゥルー・ピープルズ・セレブレーション(7日)、モリーナ&カブサッキ(15日)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20110801 コンゴトロニクスvs.ロッカーズ
http://43142.diarynote.jp/201312171240301597/
http://43142.diarynote.jp/201502071011467530/
http://43142.diarynote.jp/201603221010109346/
https://43142.diarynote.jp/201708191803252111/
▶︎過去の、Jラモッタすずめ
https://43142.diarynote.jp/201809031607547023/

 まず、六本木・アスミック試写室で、2019年日本映画「ゴーストマスター」を見る。試写が始まる前に監督のヤング・ポール(米国人と日本人のミックスで、ヤングが苗字。おお、往年の英国ブルー・アイド・ソウルのスター歌手と同じ名前じゃないか)が挨拶。とっても、誠実そうな人だな。

 <ツタヤ・クリエイターズ・プログラム>という新人映画企画コンペチションの2016年準グランプリとなったものが草案となる映画で、他愛なく書いてしまえば、ホラー映画だ。だが、そこはいろんな要素や捻りやクスっとなれる要素も盛り込まれ、もう一つの見え方や感興が出てくる……。というのは、少し好意的な書き方。ホラーにまったく興味が持てないぼくには、少し御都合主義なところも感じるし、ほぼほぼ真価は分からないという感想を持った。ホラー映画項目に対するオマージュもいろいろ盛り込まれているようだが、それも一切ぼくは分からず。だが、共同脚本もかねるヤング監督は1985年生まれ。おやじとは、ぜんぜん違うところ見ているかもなあ。

 音楽を担当しているのは、渡辺琢磨(2003年12月4日、2005年10月21日、2006年4月18日、2011年4月6日、2011年5月22日)。洗練された作風を持つと思っていたが、ここではかなりベタな(チープな音色でもある)音楽を随所につけていて驚く。とともに、その音楽の音量がデカいのにもまた驚く。音楽の音量がデカいと生理として思ってしまった映画の、これはぼくのNo.1だった。

▶︎過去の、渡辺琢磨/コンボピアノ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
https://43142.diarynote.jp/200510230301330000/
https://43142.diarynote.jp/200604210538510000/
https://43142.diarynote.jp/201104091623415118/
https://43142.diarynote.jp/201105230926029205/

 その後、品川区・スクエア荏原ひらつかホールに行って、現代アルゼンチンのネオ・フォルクローレの白眉と言いたくなる、ピアニストのセバスティアン・マッキのトリオを見る。なんとサイド・マンにカルロス・アギーレ(2010年10月16日)が入り、打楽器奏者のゴンサーロ・ディアスもマーメリ傘下にいる奏者だ。それ、マッキのトリオ名義の2019年新作『アグアシラバス』と同じ顔ぶれのものですね。

 すべて、ヴォーカル曲。基本のフォーメイションは、マッキはグランド・ピアノを弾きながら歌い、アギーレはフレットレスの電気ベースを弾き、ディアスは変則的なキット(遠目に見た所感)を思うまま叩く。もう1曲目からそうこれこれという広がりや誘いが舞いだし、夢心地。そして、それは一部ブラジルの揺らぎとも重なる。メッキのヴォーカルはうまいとは言えないものだが、それで、この音楽性の場合はOK。ブラジルの洒脱ポップとともに、歌のうまさが必要要件にならない不思議なヴォーカル・ミュージックであるとも思う。でも、考えてみたら、それってとてもすごいこと。歌、メロディ、サウンドの緊密な何かがモノを言うのかもしれない。

 しかし、アギーレの電気ベースの演奏は初めて触れるが、浮いた情緒を与えるその伴奏には脱帽。ピアノやギターよりも良いと、ぼくには思えた? コーラスもいい感じでつける彼のヴォーカルがフィーチャーされる曲もあり、その際に彼はギターやピアノを弾き歌ったりもした。そんな二人にテンションをしなやかに与えるディアスもかなりの実力者であり個性派。どちらかというと、パーカッション的な叩き方をすると言えるのかもしれないが、その演奏は十全に歌う感覚を持ってもいた。

 彼らとアルゼンチンで共演もしている、女性シンガー・ソングライターのコトリンゴが出てきて、2曲一緒にやったりもした。その際、彼女はピアノを弾きながら歌い、メッキはキーボードや生ギターを抑えたりも。うち、一つはアギーレが主ヴォーカルだった。

 メッキはスペイン語でMC。その際、黒子として通訳していたのは、アルゼンチン大使館勤務の知人だった。まあ、なくてもいいかなとも思えたが、曲の背景を伝えた時もあり、来ている人たちに自分たちの喜びと感謝をちゃんと伝えたいという思いからそうしているのは、面々の笑顔や物腰をみていればすぐにわかる。タイトロープを渡るような高度と言えることをやりつつゆったりと流れていく、ストレスとは無縁の聞き味は、まさしく名人芸。現代のもっとも洗練されたポップネスと普遍的な人間的な気持ちが見事に共存する公演、この後は名古屋、大阪、岡山と回る。

▶︎過去の、カルロス・アギーレ
https://43142.diarynote.jp/201010191403189326/

<今日の、パトロール>
 六本木駅中ビルにある試写場から次の場まで一本で行ける南北線麻布十番駅まで、雨も降っていなかったし、時間に余裕があったので歩く。まず、テレ朝方向に下る芋洗坂。あら、スイートベイジル139があったところが大きめのホテルになっている。その一階には、立派なステーキハウスが入っていた。街は確実に書き換えられている。また、途中には越境生徒が多いらしい六本木中学校があり、立派な校舎で驚く。昔、その旧校の2分1となる中学校に通っていたという奴がいたなあ。そして、途中からは麻布十番商店街を歩く。かつての麻布十番温泉〜同業のKTさんは結婚披露パーティをそこの大広間を貸し切ってやったことがあった。昨日は(そのときの奥様とは別れた後の奧さんとの)子供づれで来ていた。ピアノにすごい才を発揮していると自慢していたが、今は野球とサッカーに夢中らしい〜があった場所には一階にセブンイレブンが入ったビルになっていた。ぼくがこのあたりの飲食店に出入りしていたのは麻布十番駅がまだなかった1990年代だが、つまらない通りになっていると思わずにはいられず。本屋がちゃんとあったのは偉いけど。前は下町的店舗と訳あり(?)飲食店が共存していたような気がする……。でも、ぼくのなかでのこの通りはもっと狭かったと思えるので、いい加減な記憶かもしれないが。
 次の会場となる区の施設の最寄駅である武蔵小山に降りることができたのはうれしい。初、武蔵小山。ぼくのなかでは、安い飲み屋がたくさんあるというイメージがあるから。そしたら、ドバーって商店街アーケードがあってびっくり。この長さ、すごいな。並んでいる店自体はフツーという感じではあったけど。途中のハードオフ←ブックオフがそういうのをやっているのは知っていたが、ぼくは今回初めて入る〜の店内のメインのアイテムは楽器で、それには驚く。今、手頃なショート・スケールの電気ベースが欲しいんだよなー。会場は、そのアーケード出口の近くにあった。残念ながら、いい感じの飲み屋は発見できず。反対側の出口のほうにあるのかな。

 83歳になった英国のヴェテラン名監督のケン・ローチ(1999年5月10日)の新作となる、2019年イギリス/フランス/ベルギー映画を見る。京橋テアトル試写室。ニューキャッスルに暮らす家族とともに、現代プロレタリアートの明るいとは言えない状況を描く、いかにもローチらしい内容を持つ。出口なしの終わり方にはいささか驚くが、もううまい。無意味な映画もぼくは好きだが、メッセージをしっかり抱え、それを明晰に伝えんとするこれには首を垂れざるを得ない。原題は、「Sorry We Missed You」。音楽担当者の名前をも出されているが、ほぼ音楽に頼っていない。12月初旬から公開される。

▶︎過去の、ケン・ローチの映画 「マイ・ネーム・イズ・ジョー」
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live2.htm
▶︎過去の、ケンの息子のトム・ローチの映画
https://43142.diarynote.jp/201201171011033219/


 その後は、丸の内・コットンクラブ。2008年にブルーノートからデビューし、ECMからも2作品出してもいる秀英ピアニストであるアーロン・パークス(2002年7月3日、2005年8月21日、2008年11月22日、2009年2月3日、2012年5月31日、2014年2月5日)のカルテット公演を見る。セカンド・ショウ。

 グランド・ピアノを中心に、エレクトリック・ピアノとシンセサイザー2台も弾く当人にくわえ、ギターのグレッグ・トゥオヒー (g)、エレクトリック・ベースのジェシー・マーフィー(2002年1月24日、2005年8月17日)、ドラムのトミー・クレインという陣容。マーフィー以外は彼の新作『Little Big』(Ropeadope,2018)の参加者であり、演目はそこからの曲が多かったはず。
 
 初来日となるそうな(一番年長そうにも見える)グレッグ・トゥオヒーは随所でフィーチャーされ、局面によっては彼がリーダーに思えてしまうかもしれない。今様かもしれないが、彼の演奏はぼくの好みではない。パークスってキース・ジャレット(2001年4月30日、2007年5月8日)〜ブラッド・メルドー(2002年3月19日、2003年2月15日、2005年2月20日、2015年3月13日、2019年5月31日、2019年6月3日)という系譜にのせることも可能なピアノ演奏能力を持つのに、ほんとギター好きなんだよなあ。純ピアノ・トリオ作品なら、ベン・ストリート(2014年2月5日)とビリー・ハート(2014年2月5日、2019年8月21日)のリズム隊を起用した『Find the Way』(ECM,2017)を聞けばいい。
 
 ギター音偏重に加え、全面的に電気ベースを採用していることにも表れているように、彼なりのコンテンポラリー・ジャズを展開しようとする実演。とうぜん、ドラムも少し立ち気味。ときに、プログ・ロック的決めをかます曲もあり。パークスは2曲で、シンセサイザーの単音ソロもとった。

▶過去の、アーロン・パークス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm テレンス・ブランチャード
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/200811241224271906/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090203
http://43142.diarynote.jp/?day=20120531
http://43142.diarynote.jp/201402071150071550/
▶︎過去の、ジェシー・マーフィー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
https://43142.diarynote.jp/200508230542360000/
▶過去の、キース・ジャレット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
▶︎過去の、ベン・ストリート
https://43142.diarynote.jp/201402071150071550/
▶︎過去の、ビリー・ハート
https://43142.diarynote.jp/201402071150071550/
https://43142.diarynote.jp/201908221131088459/

<今日は、15000歩ごえ>
 渋谷→京橋→有楽町→渋谷。そんなに歩いたつもりはないのに、数字的にはかなり歩いていてびっくり。アタマの渋谷は、アルト・サックス奏者の渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日、2017年10月8日、2017年12月16日、2018年5月28日、2018年9月2日、2018年10月6日、2018年12月15日、2019年8月6日、2019年10月6日)へのインタヴュー。この8月初旬の実演が『ライヴ・アット・ブルーノート・トーキョー』(ビクター)として12月にリリースされるのに際してのもので、その出来に満足しているためだろう、口調も滑らか。そして、本当にお元気。当方が格好いい発言を引き出そうとする質問には、「いやいや、それに応えちゃうと誇張になってしまうから」と余裕の返答。ミュージシャンシップの高さとどこかでつながる、かような誠実さを氏は持つ。媒体はジャズ・ライフ誌。大昔、ぼくが4社から『フリー・ファンク』というパンク・ジャズ系のコンピレーションを出したときにインタヴューしてもらったことがあるが(4ページやってくれたんじゃなかったかなー)、同誌でインタヴュー記事を書くのは今回が初めてのこととなる(←間違い。1990年ごろにプーさんのインタヴューを同誌の依頼でしたことがあった)。ライヴ後の渋谷は、ライヴのアフターの常で飲み屋まわり也。
▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm  6日
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
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https://43142.diarynote.jp/201908071557182844/
https://43142.diarynote.jp/201910070759405954/

 南青山・ブルーノート東京。1980年代はUSマイルズトーンと契約し米国進出も果たしていたブラジリアン・フュージョンの大御所であるアジムス(2011年6月15日)に、ジャズの才も持つブラジリアン・ポップの大家マルコス・ヴァーリ(2002年11月7日、2003年10月24日、2008年4月28日、2010年5月25日、2014年4月22日、2016年10月8日)がゲスト入りするという公演。ファースト・ショウ、満場。

 長年トリオ編成で来ているアジムスはアレックス・マリェイロス(ベース)、イヴァン・コンチ(ドラムス)、キコ・コンティネンティーノ(キーボード)という陣容。前回の来日公演は黄金期メンバーによるものであったが、2012年に亡くなったホセ・ベルトラミに代わり今回は別の鍵盤奏者がつき、そつなく旧メンバーと重なる。3人はときに曲趣を高めるスキャットも入れた。

 ブラジリアン・アクセントや同メロディの差し込みも持つ、くつろいだフュージョン。ぼくは、旧態依然のフュージョンという言葉も用いたくもあり、そろそろ変化が欲しいなと思えたとき、30分ぐらいたったところでヴァーリ御大がトランペットとフリューゲルホーンのジェッセ・サドッキを伴い登場する。その1曲めはインストだった。そしたら、アジムスの演奏も熱を帯び、おお。以下は、マルコス・ヴァーリとバック・バンドという形のショウになる。

 フェンダー・ローズ(主体。一部、ピアノ音色めのキーボードも弾く)を弾きながら、悠々と歌っていくヴァーリのパフォーマンスには心底うなずく。接しながら、どんどん自分がウッキッキになるが分かり、オレってこんなにヴァーリのことが大好きだったのかと少し驚く。いやあ、いい味を感じてしまったなあ。ジェッセ・サドッキの演奏もこういう音楽性の場合はリード系管楽器よりもマウス・ピース系のそれのほうがとっても合うという事実を語るとても的を射た演奏をする。また、途中からは年齢は半分ほどだろう奥様のパトリシア・アルヴィ(2016年10月8日)も出てきて、コーラスをする。

 結局、80分ほどのパフォーマンス。とにかく、ヴァーリの無形の“黄金”に触れることができて、ぼくはたいそう満たされた気持ちになった。そういえば、ヴァーリの「サマー・サンバ」とアジムスの「ヴォオ・ソブリ・オ・オリゾンチ」をマッシュ・アップした曲も面々は披露した。

▶︎過去の、アジムス
https://43142.diarynote.jp/201106161121512700/
▶過去の、マルコス・ヴァーリ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm  11月7日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm 10 月24日
http://43142.diarynote.jp/200805031401060000/
http://43142.diarynote.jp/201006031537221581/
http://43142.diarynote.jp/201404260858553785/
https://43142.diarynote.jp/201610140945007657/

 そして、間を少しおいて、代官山・晴れたら空に豆まいて で、ウッタ・ギダという出し物を見る。それ、Salyu(2011年8月7日、2013年8月11日)と内橋和久(2004年7月6日、2005年9月6日、2007年1月27日、2009年9月27日、2010年9月11日、2011年5月22日、2012年6月17日、2014年9月7日、2018年7月16日、2019年4月17日)のデュオ。内橋の響き漂うエレクトリック・ギター演奏のもと、Salyuの透明感と含みを抱えるヴォーカルが舞う。その二人のパフォーマンスを書き記せば、そうなるか。このデュオ、過去にも行われているよう。

 実はもう少し二人がその場で丁々発止する行き方をとり、ときに途中からどんどん飛躍していく〜それは、いわゆるジャズ的な流儀を取るものではないにせよ〜のかと想像するところもあったのだが、それはあまりなし。もっと曲の形を尊重し、お互いにその曲に寄り添いながら、よりしなやかでふわふわしたヴォーカル表現/音場を作っていた。とはいえ、両者の息遣いの重なりは、確かに楽曲に水を与えてもいた。たくさん歌われた曲はチャップリン「スマイル」やバーンスタイン「サムホエア」など海外有名曲からSalyuの持ち歌までたっぷり、様々。

▶︎過去の、Salyu
https://43142.diarynote.jp/201108101635051749/
https://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
▶過去の、内橋和久
http://43142.diarynote.jp/200407062149440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050906
http://43142.diarynote.jp/?day=20070127
http://43142.diarynote.jp/?day=20090927
http://43142.diarynote.jp/?day=20100911
http://43142.diarynote.jp/?day=20110522
http://43142.diarynote.jp/?day=20120617
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
https://43142.diarynote.jp/201807171220429185/
https://43142.diarynote.jp/201904180943312064/

<今日の、意見の相違>
 ブルーノート東京と晴れたら空に豆まいて の間に時間があったので、会場であった人たちと飲み屋に流れる。そしたら、他の人はアジムスの演奏が良くて、もっと彼らだけの演奏が長くてもよかった、とのこと。ハイ、人の好みは様々です。

 青山・月見る君思フ。やっと、LOOLOWNINGEN & THE FAR EAST IDIOTSを見ることができた! ヴォーカルとエレクトリック・ギターの赤倉滋、エレクトリック・ベースの上田睦(ぼくが2009年10月7日に見たときはすで抜けていたようだが、スクールフード・パニッシュメントに在籍していたこともあったよう)、ドラムの山本淳平からなるトリオ・バンドだが、ちゃんと媒体に彼らのことを書いたことがないぼくが言うのもなんだが、素晴らしいロック・バンドだ。良い。2度も全米ツアーを行っているものの、アンダーレイテッドな存在だとも思うことしきり。

 まず、アダルトな襞を持つ楽曲を介しての、赤倉の強度のある伸びるヴォーカルがあり。だが、上田が6弦のフレットレスのエレクトリック・ベースを手にするように(右手、見事にいろんな使い方をしていたなあ)、そのバンド・サウンドは一筋縄ではいかない。まっすぐな歌心と心地よいひしゃげた感覚を持つバンド音の拮抗(ゆえに、インスト部からも耳を離せない)はギザギザした感覚を伴いつつ、多大なダイナミクス/ストーリー性を抱えていろいろなところに受け手を連れていく。リズム隊のバックグラウンド・コーラスもときに効き、赤倉と上田はときにダダいパフォーマンスも見せる。ヘンテコだけど、まあ自由。とにかく、見渡している世界が広く、それを自分たちが考える現代ロックに見事にフォーカスさせているバンドという認識を強めた。また、ちゃんと見なきゃ。

 続いては、札幌から来たという、やはりトリオ・バンドの喃語(なんご)。肉声とギターの武田 紀亮、エレクトリック・ベースの照井 ドラムの岩崎 隆太郎という面々。ルロウズの短いながらも圧倒的なパフォーマンスの後だとどうかなと思った。実際、アタマの方は先の演奏と比べるとコンビネーションがもう少し常識的とも感じたが、肉声の力と冒険心や知見を抱えたバンド・サウンドの重なりを持つということにかけて(ともに、部分的にプログ・ロック的構成感を持つことも重なるか)、ルロウズとも共通点があり、聞き所を持つ。こちらは、フロント・マンがほぼポエトリー・リーディングと言えるもので勝負、歌詞カードをのせているのだろう譜面スタンドを置いているのはいただけないが(いいじゃん。自分の言葉なんだから間違っても……)、MCのときとっても声が通るのに驚いた。ギター・アンプが不調であれこれやっている間、リズム・セクションが軽くフリー・フォームで演奏していたが、それに接しちゃんと演奏できるなと思った。

▶︎過去の、スクールフード・パニッシュメント
https://43142.diarynote.jp/200910140951409875/
▶過去の、山本淳平
http://43142.diarynote.jp/201504181000432127/
http://43142.diarynote.jp/201509231111454665/
http://43142.diarynote.jp/201510141817129055/
http://43142.diarynote.jp/201603151140427186/
http://43142.diarynote.jp/201702211431013289/
http://43142.diarynote.jp/201708240028435013/
https://43142.diarynote.jp/201806081020157759/
https://43142.diarynote.jp/201811191728519787/
▶過去の、LOOLOWNINGEN & THE FAR EAST IDIOTS ︎のアルバムについて。
https://43142.diarynote.jp/201610120805451037/
▶︎過去の、LOOLOWNINGEN & THE FAR EAST IDIOTS の全米ツアーについて。
https://43142.diarynote.jp/201904200941516964/

 その後、今月いっぱいで閉まる青山・プラッサオンゼに移動。この晩の出演者はギタリストの梶原順(2017年7月28日)と三味線奏者のゲレン大嶋からなるcoco←musika。ちょうどセカンド・セットの開始から見ることができたが、中盤までゲストのヴォーカル/ガット・ギターのマルセロ木村と箱モノのフレットレスのエレクトリック・べースを手にするコモブチキイチロウ((2011年1月21日、2012年4月10日、2012年11月10日、2012年11月25日、2013年7月10日、2013年7月27日 、2018年10月6日、2019年10月6日 )のデュオが続く。サンパウロ出身のマルセロ木村のパフォーマンスには初めて接するが、しなやかにしてまっとう。声も通るし、ギターも上手い。ジョビンやトニーニョ・オルタ(2010年10月7日、2016年10月27日)の曲やオリジナルを悠々と開いていくのだが、それに寄り添うコモブチの演奏も実にぴったりで心地いい。日本の童謡「桃太郎」もやったが、それはミナスにワープした風情を持っていた。

 途中からガット・ギターを弾く梶原順が加わり、過不足なく重なる。ゲレン大嶋が入ったのは最後の曲とアンコールの2曲。ファーストはけっこう演奏したようだが、彼の三味線の音って、妙に抜けていて、トロピカルだと思わすものがあった。

▶︎過去の、梶原順
https://43142.diarynote.jp/201708081429085086/
▶︎過去の、コモブチキイチロウ
http://43142.diarynote.jp/201101231224498510/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120410
http://43142.diarynote.jp/?day=20121110
http://43142.diarynote.jp/?day=20121125
http://43142.diarynote.jp/?day=20130710
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
https://43142.diarynote.jp/201910070759405954/

<今日の、ふうむ>
 毎日新聞夕刊の2面に、<発達障害と偏食は関係あり、その感覚過敏やこだわりが偏食に結びついている(→ゆえに、それに無理解で、一方的に偏食を責めるのは……)>というような特集がなされていた。実はぼくは高校を出るまで、食べ物の好き嫌いが常軌を逸して激しかった。肉と魚と野菜(果物は平気)は、基本的にダメ。とくに中学生までは偏食がすごくて、給食で完食できるのは月一回あるかないかではなかったか。牛乳は大好きでゴクゴク飲んでいたというのはともかく、発達障害だと思ったことも指摘されたこともない〜けっこうやりたい放題だったものなあ。そんなぼくが、学校でスクールフード・パニッシュメントに一度もあわなかったのは大ラッキーだと思う〜が、その記事を読んで多少は発達障害的偏食に自分がかする部分もあるのかとも思った。とにかく、ぼくは見た目と匂いに敏感というか不寛容で、それが自分にとって苦手と感じると、一切受け付けることができなかった。肉はだめでも、ハムやソーセージといった加工品はOK(ようは、見た目の生々しさが駄目だったのだと思う)で、煮物系の匂いはそれこそダメ駄目だった。そんなぼくがなんでも食べるようになったのは高校を出て、親元を離れてから。お酒を飲むようになると、その場で友達がうれしそうに食べているのを見てちょいうらやましさを覚えるし、飲酒で気も大きくなり(苦笑)なんでも口にすることができるようになった。あんときは、今食べないと次はいつちゃんと食事の場を持てるか分からなかったというのもある? というわけで、成人近くになって食べることの悦びも得るようになったぼくではあるが、そんなウブな過去を持つがゆえ、今はこだわりを持っていても、食通ぶってはいけないとは感じる。とともに、食えるようになるときはそうなるんだから、第三者が無理やり食べることをしいるのはやめたほうがいいと、自分の経験上せつに思う。ほんとにヤなものを口に入れるのは苦痛極まりなく、それを強制されると人間ひん曲がっちゃうよーー。親もいいかげんだったのか、偏食には緩かったはずで、それには感謝している。ぐうぜん、今日は国分寺に住んでいる母親とあって、ちょい親孝行。って、40才すぎまでは親が大嫌いでほぼ会わなかったけどね。優しくなったのは、父親が亡くなってからかな。

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