渋谷・WWW。わー、ミュージック・ラヴァーがいっぱい。なんか、そう思える、公演だったな。
いろんな活動で大車輪(月に休みの日って、何日あるのか?)の芳垣安洋(2011年3月2日、他)がここのところ力を入れている大所帯バンド、オルケスタ・リブレの公演を見る。国内ツアーをしてきて、今晩がその最終日。ゲストも入れて、とにかく、盛りだくさん。別なバンドが3つとか出る公演はいくらでもあるが、一つのバンドによる完全3部制のショウというのは初めてのような。バンドの面々はセットごとに上着を変えていた。
基本の演奏陣は、リーダー/ドラマーの芳垣安洋に加え、トロンボーン/ピアニカ/編曲の青木タイセイ(2007年1月27日、他。あと、原稿では触れていないが、サム・ムーア〜2011年7月27日、他〜の来日公演に、彼は毎度加わっている)、ソプラノ・サックス/クラリネットの塩谷博之(2007年1月27日)、テナー・サックスの藤原大輔(2006年10月19日、他)、渡辺隆雄(2010年12月28日、他)、チューバのギデオン・ジュークス(2008年8月24日)、ヴァイブラフォンの高良久美子(2013年2月11日、他)、ベース/編曲の鈴木正人(2013年1月29日、他)、ギター/ペダル・スティールの椎谷求、パーカションの岡部洋一(2013年2月11日、他)。それ、不動の顔ぶれで、芳垣の人望や統率力の高さをうかがわせる。
ファーストはそこにヴォーカルとギターのおおはた雄一(2012年7月16日、他)、セカンドはタップ・ダンスのRON×II(ちゃんと見える位置にいたせいもあり、おおいに感心して見てしまった。ぼくは初めて知ったが、素晴らしい踊り手)とピアノのスガダイロー(2009年7月3日、他。なんと短髪で無精髭なし、見た目かなり新鮮)、サード・セットはヴォーカルの柳原陽一郎(歌声きっちりデカく、毅然とした個性を持っている。ぼくには少し濃すぎるところはあったが)が加わる。そして、アンコールはゲスト陣が全員出てくる。終わったのは、23時近く。
有名曲を想像力あるブラス中心サウンドのもと開き、そこに言葉/肉声がのり、さらにこの日は肉体音やピアノ音も乗る。いろんなミュージシャンシップ、技、感情などが交錯し、解け合い、溢れていく……。アルバム収録曲からやるのかと思ったら、新しく出て来た曲もやっていたようで、大きく頷きもした。ちゃんと、表現を育んでいるナ。少年期から洋楽に入れこみ、いろんな音楽をどん欲に追い求めて、ジャズもちゃんと知っている……そういう人間〜世代ならではのしなやかな音楽観や矜持のようなものがここには具現化されていると、ぼくは感じもした。
<昨年6月の、芳垣安洋>
昨年(2012年)夏にオルケスタ・リブレは2種類のアルバムを同時にイースト・ワークスからリリースしている。これは、それに際して、同年6月にとったインタヴューの抜粋だ。
——芳垣さんはROVO(2006年12月3日、他)をはじめいろんなことをやるかたわら、複数のリーダー・バンドを持っていますが、本人のなかではどう分けているのでしょう?
「やっていることが違いますよね。簡単に言うと、それぞれ、他でできない事をやっています。ヴィンセント・アトミクス(2005年2月19日)は形としてはミニマルなものとか民族音楽的要素をジャズ、ジャズ・ロック、ファンクをミックスし、同じような旋律やビートが変化していくみたいな事を求めています。オリジナル曲をやっていますね。エマージェンシー(2004年1月21日)は、ロック形式のジャズ・バンドと思っている。ギター・サウンドに固執して、(チャールズ・)ミンガスとかの作品を中心にやっていますね。オルケスタ・ナッジ! ナッジ!(2005年9月17日)は打楽器だけでやりたい。そして、今回のオルケスタ・リブレは基本、カヴァーをやるというのからスタートしている。言葉があるものを言葉がない状態でやるとどうなるか。あるいは、英語の歌を日本語でやるとどうなるかというのを、しかも1920年後半から70年代までぐらいまでの曲を視野におき、そうした古い曲を僕はこう解釈している、こうもできる、というのをやりたかった」
——2011年6月に新宿ピットインで始めたことが出発点となっているようですが。
「ワーとしたことをやりたかったんです。去年(2011年)は盛り上がってなかったので。特に春以降沈滞していて、気持ちを切り替えたいと思いました。で、旧き良き時代のもの、僕が子供のころワクワクしたものを、僕たちなりに届けたら皆も元気になるんじゃないか、そういう純粋な気持ちから始まったんです。ほんと、皆で楽しくなりたいな、ライヴで気持ちをあげたいなという気持ちだった。インスト曲に関しては、今回やっている8割はそのときやっていますね」
——では、ある意味、選曲は芳垣さんの音楽遍歴を出してしまっていると言えるのでしょうか。
「かなり。完全にぼくの好きな曲です。だから選曲には困っていません、好きな曲をやっているだけですから。ただ、アレンジに時間がかかる。とはいえ、1年の間にけっこうな数になって、やってない曲もありますね」
——レコーディングしている顔ぶれもそのときと同じなんですか。
「そうですね。それぞれ、僕がいろんなシチュエーションで仕事をして、気になった人たちです。たとえば、(青木)タイセイは東京に出て来たときからの付き合い。鈴木は南博(2013年2月17日、他)とかUA(2009年7月25日、他)とか、しょっちゅう顔を合わせていますね」
——そして、ヴォーカリストの選択も興味深いです。
「おおはた(雄一)はよく一緒にやっています。デュオで回ったりもしていますし。僕が知っているシンガー・ソンライターの中では、一番ウマがあった人なんです。録りあげる曲のセンスと、訳詞のセンスがいい」
——日本語でやりたいというのはあったんですか? 確かに、言葉が入って来たり、言葉が残ったりします。
「それは考えました。歌モノよりもインストが多いという世界を選んでしまったわけですが、どうせやるなら洋楽曲であっても、自分も、聞く人も言葉が分るものをやったほうがいいですから。そこで、日本語でできないかと思い、日本語で歌っていていいなと思える人で、作詞者や訳詞者、詩人として優れている人に加わってほしいと思ったんです。柳原(陽一郎)はまさしく詩人。出会いは古いんですが、そんなに一緒にやったことはなかった。でも、ヤナちゃんが訳詞した曲で、いつかやりたいなとずっと思っていました」
——そして、今回形となったのは、ヴォーカル付き曲からなる2枚組『うたのかたち〜UTA NO KA・TA・TI』(柳原陽一郎とおおはた雄一が、1枚づつフィーチャーされる)、そしてインスト曲を収めた『Can’t Help Falling In Love〜好きにならずにいられない』という、3枚にまとめられましたが。
「ヴォーカルとインストと、それぞれ分けて出そうとは思っていました。でも、ヴォーカル曲は1枚にしようと思ったんだけど、別にしたほうがいいので、こうなりました」
——どんな感じで、レコーディングは進んだのでしょう?
「楽しくできました。今回は変わったやり方をしたんです。ちょっと大きめの部屋に全員で入って、マイクを2本立ててヘッドフォンもせずに、せえので録りました。間違えたら、やり直し。歌も、同じ所に入ってやりました。だから、録りもミックスも大変でしたが、それゆえに緊張感はあるのにゆったりしたものが録れたと思います。音がかぶるので、そりゃ別撮りのほうが楽です。でも、モニター・システムがないころの昔のジャズは耳研ぎすませてそうやって録っていたわけだし、ビートルズのハーモニーがどうしていいかというと、ポールとジョージが1本のマイクに向かって歌っていたからだと思う。(エンジニアを勤めた)益子(樹。ROVOのメンバーでもある)くんは本当に苦労したはずですが、今回はそれが功を奏したと思います」
——リーダーとして、一番気をつかったのは。
「メンバーの人間性がおもしろく、いい人たちなので、あまり気は使わなかったですね。たとえば、この曲をやりたいというときに、ホーンのアレンジは書けないので、タイセイや鈴木に頼むんですけど、自分がやりたい形〜方向性を伝えることには気を使いました。出来上がってきたものを、再度お願いして直してもらったものもあります。また、伝えたものとは違っているんだけど、別の意味で面白くなっていたものもあります」
——インスト部の演奏を聞いて、夢のブラバンだなとも思いました。芳垣さんはトランペットを吹いたりもしますが、ブラス・バンドをやっていた経験ってあるんですか。
「やってないけど、ブラスは好きです。シカゴやタワー・オブ・パワー、ニューオーリンスのものも。それから、(レスター・ボウイの)ブラス・ファンタジーが大好きだったんです。やはり、憧れはあって、そういうものを作りたかった。そして、これが出発点。これから広がり、びっくりするほうに変わっていくと思います」
——(2012年の)7月には、オルケスタ・リブレでヨーロッパをツアーすることになっていますよね。
「5カ所です。ロンドン、コペンハーゲンや南バイエルンのパッサウとか。沢山の人にきいてもらいたいですね」
いろんな活動で大車輪(月に休みの日って、何日あるのか?)の芳垣安洋(2011年3月2日、他)がここのところ力を入れている大所帯バンド、オルケスタ・リブレの公演を見る。国内ツアーをしてきて、今晩がその最終日。ゲストも入れて、とにかく、盛りだくさん。別なバンドが3つとか出る公演はいくらでもあるが、一つのバンドによる完全3部制のショウというのは初めてのような。バンドの面々はセットごとに上着を変えていた。
基本の演奏陣は、リーダー/ドラマーの芳垣安洋に加え、トロンボーン/ピアニカ/編曲の青木タイセイ(2007年1月27日、他。あと、原稿では触れていないが、サム・ムーア〜2011年7月27日、他〜の来日公演に、彼は毎度加わっている)、ソプラノ・サックス/クラリネットの塩谷博之(2007年1月27日)、テナー・サックスの藤原大輔(2006年10月19日、他)、渡辺隆雄(2010年12月28日、他)、チューバのギデオン・ジュークス(2008年8月24日)、ヴァイブラフォンの高良久美子(2013年2月11日、他)、ベース/編曲の鈴木正人(2013年1月29日、他)、ギター/ペダル・スティールの椎谷求、パーカションの岡部洋一(2013年2月11日、他)。それ、不動の顔ぶれで、芳垣の人望や統率力の高さをうかがわせる。
ファーストはそこにヴォーカルとギターのおおはた雄一(2012年7月16日、他)、セカンドはタップ・ダンスのRON×II(ちゃんと見える位置にいたせいもあり、おおいに感心して見てしまった。ぼくは初めて知ったが、素晴らしい踊り手)とピアノのスガダイロー(2009年7月3日、他。なんと短髪で無精髭なし、見た目かなり新鮮)、サード・セットはヴォーカルの柳原陽一郎(歌声きっちりデカく、毅然とした個性を持っている。ぼくには少し濃すぎるところはあったが)が加わる。そして、アンコールはゲスト陣が全員出てくる。終わったのは、23時近く。
有名曲を想像力あるブラス中心サウンドのもと開き、そこに言葉/肉声がのり、さらにこの日は肉体音やピアノ音も乗る。いろんなミュージシャンシップ、技、感情などが交錯し、解け合い、溢れていく……。アルバム収録曲からやるのかと思ったら、新しく出て来た曲もやっていたようで、大きく頷きもした。ちゃんと、表現を育んでいるナ。少年期から洋楽に入れこみ、いろんな音楽をどん欲に追い求めて、ジャズもちゃんと知っている……そういう人間〜世代ならではのしなやかな音楽観や矜持のようなものがここには具現化されていると、ぼくは感じもした。
<昨年6月の、芳垣安洋>
昨年(2012年)夏にオルケスタ・リブレは2種類のアルバムを同時にイースト・ワークスからリリースしている。これは、それに際して、同年6月にとったインタヴューの抜粋だ。
——芳垣さんはROVO(2006年12月3日、他)をはじめいろんなことをやるかたわら、複数のリーダー・バンドを持っていますが、本人のなかではどう分けているのでしょう?
「やっていることが違いますよね。簡単に言うと、それぞれ、他でできない事をやっています。ヴィンセント・アトミクス(2005年2月19日)は形としてはミニマルなものとか民族音楽的要素をジャズ、ジャズ・ロック、ファンクをミックスし、同じような旋律やビートが変化していくみたいな事を求めています。オリジナル曲をやっていますね。エマージェンシー(2004年1月21日)は、ロック形式のジャズ・バンドと思っている。ギター・サウンドに固執して、(チャールズ・)ミンガスとかの作品を中心にやっていますね。オルケスタ・ナッジ! ナッジ!(2005年9月17日)は打楽器だけでやりたい。そして、今回のオルケスタ・リブレは基本、カヴァーをやるというのからスタートしている。言葉があるものを言葉がない状態でやるとどうなるか。あるいは、英語の歌を日本語でやるとどうなるかというのを、しかも1920年後半から70年代までぐらいまでの曲を視野におき、そうした古い曲を僕はこう解釈している、こうもできる、というのをやりたかった」
——2011年6月に新宿ピットインで始めたことが出発点となっているようですが。
「ワーとしたことをやりたかったんです。去年(2011年)は盛り上がってなかったので。特に春以降沈滞していて、気持ちを切り替えたいと思いました。で、旧き良き時代のもの、僕が子供のころワクワクしたものを、僕たちなりに届けたら皆も元気になるんじゃないか、そういう純粋な気持ちから始まったんです。ほんと、皆で楽しくなりたいな、ライヴで気持ちをあげたいなという気持ちだった。インスト曲に関しては、今回やっている8割はそのときやっていますね」
——では、ある意味、選曲は芳垣さんの音楽遍歴を出してしまっていると言えるのでしょうか。
「かなり。完全にぼくの好きな曲です。だから選曲には困っていません、好きな曲をやっているだけですから。ただ、アレンジに時間がかかる。とはいえ、1年の間にけっこうな数になって、やってない曲もありますね」
——レコーディングしている顔ぶれもそのときと同じなんですか。
「そうですね。それぞれ、僕がいろんなシチュエーションで仕事をして、気になった人たちです。たとえば、(青木)タイセイは東京に出て来たときからの付き合い。鈴木は南博(2013年2月17日、他)とかUA(2009年7月25日、他)とか、しょっちゅう顔を合わせていますね」
——そして、ヴォーカリストの選択も興味深いです。
「おおはた(雄一)はよく一緒にやっています。デュオで回ったりもしていますし。僕が知っているシンガー・ソンライターの中では、一番ウマがあった人なんです。録りあげる曲のセンスと、訳詞のセンスがいい」
——日本語でやりたいというのはあったんですか? 確かに、言葉が入って来たり、言葉が残ったりします。
「それは考えました。歌モノよりもインストが多いという世界を選んでしまったわけですが、どうせやるなら洋楽曲であっても、自分も、聞く人も言葉が分るものをやったほうがいいですから。そこで、日本語でできないかと思い、日本語で歌っていていいなと思える人で、作詞者や訳詞者、詩人として優れている人に加わってほしいと思ったんです。柳原(陽一郎)はまさしく詩人。出会いは古いんですが、そんなに一緒にやったことはなかった。でも、ヤナちゃんが訳詞した曲で、いつかやりたいなとずっと思っていました」
——そして、今回形となったのは、ヴォーカル付き曲からなる2枚組『うたのかたち〜UTA NO KA・TA・TI』(柳原陽一郎とおおはた雄一が、1枚づつフィーチャーされる)、そしてインスト曲を収めた『Can’t Help Falling In Love〜好きにならずにいられない』という、3枚にまとめられましたが。
「ヴォーカルとインストと、それぞれ分けて出そうとは思っていました。でも、ヴォーカル曲は1枚にしようと思ったんだけど、別にしたほうがいいので、こうなりました」
——どんな感じで、レコーディングは進んだのでしょう?
「楽しくできました。今回は変わったやり方をしたんです。ちょっと大きめの部屋に全員で入って、マイクを2本立ててヘッドフォンもせずに、せえので録りました。間違えたら、やり直し。歌も、同じ所に入ってやりました。だから、録りもミックスも大変でしたが、それゆえに緊張感はあるのにゆったりしたものが録れたと思います。音がかぶるので、そりゃ別撮りのほうが楽です。でも、モニター・システムがないころの昔のジャズは耳研ぎすませてそうやって録っていたわけだし、ビートルズのハーモニーがどうしていいかというと、ポールとジョージが1本のマイクに向かって歌っていたからだと思う。(エンジニアを勤めた)益子(樹。ROVOのメンバーでもある)くんは本当に苦労したはずですが、今回はそれが功を奏したと思います」
——リーダーとして、一番気をつかったのは。
「メンバーの人間性がおもしろく、いい人たちなので、あまり気は使わなかったですね。たとえば、この曲をやりたいというときに、ホーンのアレンジは書けないので、タイセイや鈴木に頼むんですけど、自分がやりたい形〜方向性を伝えることには気を使いました。出来上がってきたものを、再度お願いして直してもらったものもあります。また、伝えたものとは違っているんだけど、別の意味で面白くなっていたものもあります」
——インスト部の演奏を聞いて、夢のブラバンだなとも思いました。芳垣さんはトランペットを吹いたりもしますが、ブラス・バンドをやっていた経験ってあるんですか。
「やってないけど、ブラスは好きです。シカゴやタワー・オブ・パワー、ニューオーリンスのものも。それから、(レスター・ボウイの)ブラス・ファンタジーが大好きだったんです。やはり、憧れはあって、そういうものを作りたかった。そして、これが出発点。これから広がり、びっくりするほうに変わっていくと思います」
——(2012年の)7月には、オルケスタ・リブレでヨーロッパをツアーすることになっていますよね。
「5カ所です。ロンドン、コペンハーゲンや南バイエルンのパッサウとか。沢山の人にきいてもらいたいですね」