フジ・ロック・フェスティヴァル’09
2009年7月26日 音楽 朝、起きてうわあ疲れがたまっているう、とおののく。が、食欲はあり、朝食パクパク。空を見ると、少しパラつくこともあるかもしれないが、それほど濡れずには済むかなと思えたのだが(それは外れた)。最終日はまず一気にフィールド・オブ・ヘヴンまで進み、スティーヴ・ナイーヴ(2004年12月8日、他)・バンドにスクィーズのグレン・ティルブルック(2005年8月8日)が加わったパフォーマンスを見る。いかにもUK的な情緒を持つティルブルックの歌声はやはりうれしい。ナイーヴも下手だったけど、歌ったな。おやじ英国人気質/ポップネスの笑顔の開示。話は飛ぶが、時間が早いせいもあるが、道にせよ会場にせよ、ゴミが落ちてないのって、本当に良い。日本人っていいなあ。フジ・ロックはどこか理想主義を確認する場、一時でも実践する場でもあるのかな。もめ事を見ることもなかったし、肉体的な負担はともかく、生理的には快適なフェスだと再認識しました。
フィールド・オブ・ヘヴンは下が草地だったら本当に素敵な会場なのにと思いつつ、けっこう草地で覆われている少し横にあるジプシー・アヴァロンに行く。実はソーラー・パワーを用いているここをぼくと同姓同名の方が仕切っていて、彼と15年ぶりぐらいに会って話した。まあ、人生いろいろですね。最近ヨットを始めたそうで、船酔いしちゃうぼくにはうらやましい。そして、久しぶりにここの上のほうまで登ってみたが、すうっと対岸(?)の道路や山まで見渡せ、気持ちいい。なんか、山に来ていることや、自然のなかのイヴェントにいることが実感できる。ここに座っているだけでいいんです、みたいな人も散見されたような気もするが、なんかそれも分からなくもない。などといろいろ思っていたら、エミ・マイヤー(2009年6月30日)の自然体パフォーマンスが始まる。電気キーボードの、弾き語り。すううと鼻にかかった伸びやかな歌声が宙に舞い、周りの緑に溶けて行く。おー、なんかシチュエイションがとても合っている。どんどん客も集まってきて、上から見下ろして行くと、ステージに向かう扇状の緑色のスロープがどんどんカラフルになって行くのが目の当たりにできる。ときにピアノ音の微妙な干渉の仕方が表現の全体像にグルーヴィな余韻や揺れを与える。そういうのに触れると、彼女はジャズもやってきた人だなと実感できました。
その後、見る予定にはなかったが、知人に誘われ頭脳警察をオレンジ・コートで見る。熟年ジャズ・ファンにおける山下洋輔のような重み(2009年7月19日参照)を年寄りロック・ファンは頭脳警察のパンタに抱く、なーんて。ロックが市民権を得ようとしていた時代の、フォークと並走していた時代の日本のロック表現があった、と、それは思わせた。
この後、知り合いとプリンス・ホテルで“大人食事”をすることになっていて、ホテルに向かおうとしたら、どばあと雨が降ってくる。で、ホテルにびしょびしょになって到着したが、急に行けなあいと連絡があり(でも、しょうがない理由だな)、寂しくちびちび飲みつつ一人で食事(なんで、一カ所しか食べる所が空いていなかったんだろう。前はもっと営業していたはず)。ぼく、会場内にちゃんと座れてそれなりの量と質をサーヴする店があるなら、2500円でもそこを選択します。もう、ビールは500円から600円に値上げされているし、食べ物はどの店も量や質の割には高すぎる(フェスに店を出すると異常にもうかるという風評に頷いちゃう)。いま、もう一度、フェスの飲食関連の価格設定を問い直す時期にきているのではないか。あと、絶対に立って食事はしたくないと頑に思うように自分がなっているのに今回気付いた。
ホテルから再び会場に向かうとき、外国人から声をかけられる。ん、俺知らんぞという反応を少し出したら、「Womexのときに会ったじゃないか」。おお、シェウン・クティの面倒を見ているマルタン・メソニエかあ(←もともと、彼はワールド・ミュージック全盛期最たる敏腕音楽プロデューサー。シェウン・クティのデビュー盤作りに関与し、久しぶりにワールド・ミュージック業界前線に戻ってきた)。話題のアーティストとともにいろんな所でいろんな人としこたま会っているはずだが、なのにちょっと会っただけの俺を覚えているって凄いな(←例によって、ぼくは忘れていた)。やはり、俺はビジネスの仕切りとかには向いてないんだろうな。
マイア・バルーやROVO(2006年12月3日、他)に少し触れつつ、ずずいっとオレンジ・コート。渋さ知らズオーケストラ(2008年7月6日、他)を頭から。冒頭、例によってデカい風船の龍が場内を泳ぐ。さすがフジ・ロックの“裏の主”と言うにふさわしい観客動員であり、熱狂的なオーディエンスの反応。ぼくは渋さ知らズオーケストラの実演はレパートリーが固まり過ぎで、どこか予定調和的な感じを得てここ1年ほどは機会があっても彼らのライヴに足を運ぶのをやめていたのだが、躍動する肉感的サウンドの持ち味、オーディエンスとの相乗でわき上がるその不可解な雑食奇怪パワーは渋さでしかないナと実感。えーじゃないか的に聞く者を根こそぎあっち側に持って行くような力を彼らは持っていた。フェスの晴れの場に渋さアリ。なんか、無条件に鼓舞され、こみ上げてくるものがあったナ。近年は参加することがなかった、旧構成員のROVOの勝井佑二(2008年2月18日、他)や芳垣安洋(2007年10月17日、他)も客演した。
そして、それに続くは、アフロ・ビート表現の正統的継承者シェウン・クティ。なんか納得いく並びですね。実は、バックステージではクティと不破大輔(2007年6月3日、他)の邂逅なんてのもあった。セット・チェンジの時間に、少しフィールド・オブ・ヘヴンのザ・ディスコ・ビスケッツのショウ(ジャム・バンドらしく、3時間も演奏予定時間がとられていた)を事なかれな感じで少しだけ見る(けっこう、見た人は好評している)が、すぐにオレンジ・コートに戻る。本当はホワイトのアニマル・コレクティヴ(2008年3月8日)を見たかったが、あそこまで行く根性がなかった。その新作はおとなしい出来だったが、ライヴはもう壮絶&進歩的な口あんぐりなものだったそう。
シェウンのショウに話は戻るが、バンドが出てきて場を温めて真打ち登場という感じで主役の彼は登場するわけだが、その前説的な演奏だけでもう血に頭がのぼっちゃう。人間の根本に直結した、問答無用の熱血肉感性開放ビート・ミュージック! それは森羅万象と言いたくなる(?)普遍性とともに、黄金の場を作り出す。もちろん、07年に最初触れたときの興奮(もう、最前列でかぶりつきで見ちゃった)には叶うはずもないが、何度だって、いつだって、どんな心持ちのときだって、ぼくは喝采を上げるに違いない。
シェウンの炎の表現とともに、ぼくのフジ・ロックは終わった。
フィールド・オブ・ヘヴンは下が草地だったら本当に素敵な会場なのにと思いつつ、けっこう草地で覆われている少し横にあるジプシー・アヴァロンに行く。実はソーラー・パワーを用いているここをぼくと同姓同名の方が仕切っていて、彼と15年ぶりぐらいに会って話した。まあ、人生いろいろですね。最近ヨットを始めたそうで、船酔いしちゃうぼくにはうらやましい。そして、久しぶりにここの上のほうまで登ってみたが、すうっと対岸(?)の道路や山まで見渡せ、気持ちいい。なんか、山に来ていることや、自然のなかのイヴェントにいることが実感できる。ここに座っているだけでいいんです、みたいな人も散見されたような気もするが、なんかそれも分からなくもない。などといろいろ思っていたら、エミ・マイヤー(2009年6月30日)の自然体パフォーマンスが始まる。電気キーボードの、弾き語り。すううと鼻にかかった伸びやかな歌声が宙に舞い、周りの緑に溶けて行く。おー、なんかシチュエイションがとても合っている。どんどん客も集まってきて、上から見下ろして行くと、ステージに向かう扇状の緑色のスロープがどんどんカラフルになって行くのが目の当たりにできる。ときにピアノ音の微妙な干渉の仕方が表現の全体像にグルーヴィな余韻や揺れを与える。そういうのに触れると、彼女はジャズもやってきた人だなと実感できました。
その後、見る予定にはなかったが、知人に誘われ頭脳警察をオレンジ・コートで見る。熟年ジャズ・ファンにおける山下洋輔のような重み(2009年7月19日参照)を年寄りロック・ファンは頭脳警察のパンタに抱く、なーんて。ロックが市民権を得ようとしていた時代の、フォークと並走していた時代の日本のロック表現があった、と、それは思わせた。
この後、知り合いとプリンス・ホテルで“大人食事”をすることになっていて、ホテルに向かおうとしたら、どばあと雨が降ってくる。で、ホテルにびしょびしょになって到着したが、急に行けなあいと連絡があり(でも、しょうがない理由だな)、寂しくちびちび飲みつつ一人で食事(なんで、一カ所しか食べる所が空いていなかったんだろう。前はもっと営業していたはず)。ぼく、会場内にちゃんと座れてそれなりの量と質をサーヴする店があるなら、2500円でもそこを選択します。もう、ビールは500円から600円に値上げされているし、食べ物はどの店も量や質の割には高すぎる(フェスに店を出すると異常にもうかるという風評に頷いちゃう)。いま、もう一度、フェスの飲食関連の価格設定を問い直す時期にきているのではないか。あと、絶対に立って食事はしたくないと頑に思うように自分がなっているのに今回気付いた。
ホテルから再び会場に向かうとき、外国人から声をかけられる。ん、俺知らんぞという反応を少し出したら、「Womexのときに会ったじゃないか」。おお、シェウン・クティの面倒を見ているマルタン・メソニエかあ(←もともと、彼はワールド・ミュージック全盛期最たる敏腕音楽プロデューサー。シェウン・クティのデビュー盤作りに関与し、久しぶりにワールド・ミュージック業界前線に戻ってきた)。話題のアーティストとともにいろんな所でいろんな人としこたま会っているはずだが、なのにちょっと会っただけの俺を覚えているって凄いな(←例によって、ぼくは忘れていた)。やはり、俺はビジネスの仕切りとかには向いてないんだろうな。
マイア・バルーやROVO(2006年12月3日、他)に少し触れつつ、ずずいっとオレンジ・コート。渋さ知らズオーケストラ(2008年7月6日、他)を頭から。冒頭、例によってデカい風船の龍が場内を泳ぐ。さすがフジ・ロックの“裏の主”と言うにふさわしい観客動員であり、熱狂的なオーディエンスの反応。ぼくは渋さ知らズオーケストラの実演はレパートリーが固まり過ぎで、どこか予定調和的な感じを得てここ1年ほどは機会があっても彼らのライヴに足を運ぶのをやめていたのだが、躍動する肉感的サウンドの持ち味、オーディエンスとの相乗でわき上がるその不可解な雑食奇怪パワーは渋さでしかないナと実感。えーじゃないか的に聞く者を根こそぎあっち側に持って行くような力を彼らは持っていた。フェスの晴れの場に渋さアリ。なんか、無条件に鼓舞され、こみ上げてくるものがあったナ。近年は参加することがなかった、旧構成員のROVOの勝井佑二(2008年2月18日、他)や芳垣安洋(2007年10月17日、他)も客演した。
そして、それに続くは、アフロ・ビート表現の正統的継承者シェウン・クティ。なんか納得いく並びですね。実は、バックステージではクティと不破大輔(2007年6月3日、他)の邂逅なんてのもあった。セット・チェンジの時間に、少しフィールド・オブ・ヘヴンのザ・ディスコ・ビスケッツのショウ(ジャム・バンドらしく、3時間も演奏予定時間がとられていた)を事なかれな感じで少しだけ見る(けっこう、見た人は好評している)が、すぐにオレンジ・コートに戻る。本当はホワイトのアニマル・コレクティヴ(2008年3月8日)を見たかったが、あそこまで行く根性がなかった。その新作はおとなしい出来だったが、ライヴはもう壮絶&進歩的な口あんぐりなものだったそう。
シェウンのショウに話は戻るが、バンドが出てきて場を温めて真打ち登場という感じで主役の彼は登場するわけだが、その前説的な演奏だけでもう血に頭がのぼっちゃう。人間の根本に直結した、問答無用の熱血肉感性開放ビート・ミュージック! それは森羅万象と言いたくなる(?)普遍性とともに、黄金の場を作り出す。もちろん、07年に最初触れたときの興奮(もう、最前列でかぶりつきで見ちゃった)には叶うはずもないが、何度だって、いつだって、どんな心持ちのときだって、ぼくは喝采を上げるに違いない。
シェウンの炎の表現とともに、ぼくのフジ・ロックは終わった。