1926年生まれだから、85歳。へえー。ちょい段差はゆったりのぼるが、杖をつくこともなく、背筋をピンとのばして、アルト・サックスをブロウする。やっぱり、好ましい年輪をいろいろ感じさせられたな。
50年代前半から70年代中期にブルーノート・レコードが閉まるまで、ずっと同社に在籍したスター奏者。60年代を回るとオルガンを採用したソウル・ジャズ風の行き方で当て、その方向性はクラブ・ミュージック期になるとより顧みられている。
サポートは、敦賀明子(オルガン)、ランディ・ジョンストン(ギター)、田井中福司(ドラム)。二人の日本人奏者は長くNY在住する奏者たちで、敦賀は何枚もジミー・スミス(2001年1月31日)を根に置くリーダー作を出しているし、田井中はずっと前からドナルドソン・バンドに入っている。白人ギター奏者のジョンストンも何枚もリーダー作を出すとともに、やはりソウル・ジャズ系テナー・サックス奏者のヒューストン・パーソン作に名前を出していたりもする。
「ボディ・アンド・ソウル」や「チェロキー」などのスタンダードから、ソウル・ジャズ有名曲にして彼十八番曲(ドナルドソン作曲)の「アリゲイター・ブーガルー」まで、悠々と披露。面白いのは、テーマ→ドナルドソンのソロ→ジョンストンのソロ→敦賀のソロ→テーマという順で、どの曲も演奏されること。普通のジャズ・マンだと変化を出すためにオーダーを代えるものだが、大人(たいじん)はそんな策をろうしたりはしません。敦賀のハモンド演奏はまさに堂にいる(ベース音は左手で弾いていたのかな)、いい音を出していました。
それから、最高だったのは、“彼女は一日中、ウィスキーを飲んでいる”と歌い始められる純スロウ・ブルース曲(俺の女だから、というのがオチ)を、じっくりドナルドソンが歌ってくれたこと。すんげえ味あり、とても良い。全曲ヴォーカル曲でもいいじゃないか。なんか大昔のブルース・フェスの場に俺はいるのか、なぞともと思ってしまった。やはり、米国黒人音楽の大河はつながってきた。そんなことをさらりと出しもする御大、やはり今や貴重な担い手というしかない。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。アンコールにも応え、1時間20 分強やったはず。
<今日のエスペランサ>
帰国後すぐ、けなげに勤労。おもったほど寒暖の差がきつく感じもしないし、不思議とストレス感じないなー。なにより、なにより。午前中から新作『ラジオ・ミュージック・ソサエティ』(ヘッズ・アップ/コンコード)プロモーション来日中のエスペランサ・スポルディング(2011年2月17日、他)にインタヴュー。前回の取材も午前中だったよなー。早起き、けっこう機材を持ってきていて、朝から作業しているらしい。とにもかくにも、何度あっても、いろんな部分で、ええ娘やあ、と思わずにはいられず。
複数の血が入っている彼女ではあるが、アフリカンとしての意識が強く、その自負をしなやかきわまりない音楽に、特に今回はのせている。そんな新作のほとんどの曲に彼女は映像をつけていて、夜は関係者をまねいて、その発表会(大げさに言えば、ワールド・プレミアらしい)が明治神宮前のカフェであった。実は帰国便に乗る日のジャカルタ早朝からお腹をこわしていたのだが(やはり、インドネシア侮れず。帰りの飛行機のなかで、いっさいアルコールを飲む気にならなかった。そんなこと、自分の人生において初めてのこと)、ゴクゴク飲んでもなんともなく、お腹もいたくならない。お、薬飲んでも効かなかったのに、お酒飲んじゃったらなおったじゃないか。で、にこにこでライヴ会場に向かう。↑
50年代前半から70年代中期にブルーノート・レコードが閉まるまで、ずっと同社に在籍したスター奏者。60年代を回るとオルガンを採用したソウル・ジャズ風の行き方で当て、その方向性はクラブ・ミュージック期になるとより顧みられている。
サポートは、敦賀明子(オルガン)、ランディ・ジョンストン(ギター)、田井中福司(ドラム)。二人の日本人奏者は長くNY在住する奏者たちで、敦賀は何枚もジミー・スミス(2001年1月31日)を根に置くリーダー作を出しているし、田井中はずっと前からドナルドソン・バンドに入っている。白人ギター奏者のジョンストンも何枚もリーダー作を出すとともに、やはりソウル・ジャズ系テナー・サックス奏者のヒューストン・パーソン作に名前を出していたりもする。
「ボディ・アンド・ソウル」や「チェロキー」などのスタンダードから、ソウル・ジャズ有名曲にして彼十八番曲(ドナルドソン作曲)の「アリゲイター・ブーガルー」まで、悠々と披露。面白いのは、テーマ→ドナルドソンのソロ→ジョンストンのソロ→敦賀のソロ→テーマという順で、どの曲も演奏されること。普通のジャズ・マンだと変化を出すためにオーダーを代えるものだが、大人(たいじん)はそんな策をろうしたりはしません。敦賀のハモンド演奏はまさに堂にいる(ベース音は左手で弾いていたのかな)、いい音を出していました。
それから、最高だったのは、“彼女は一日中、ウィスキーを飲んでいる”と歌い始められる純スロウ・ブルース曲(俺の女だから、というのがオチ)を、じっくりドナルドソンが歌ってくれたこと。すんげえ味あり、とても良い。全曲ヴォーカル曲でもいいじゃないか。なんか大昔のブルース・フェスの場に俺はいるのか、なぞともと思ってしまった。やはり、米国黒人音楽の大河はつながってきた。そんなことをさらりと出しもする御大、やはり今や貴重な担い手というしかない。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。アンコールにも応え、1時間20 分強やったはず。
<今日のエスペランサ>
帰国後すぐ、けなげに勤労。おもったほど寒暖の差がきつく感じもしないし、不思議とストレス感じないなー。なにより、なにより。午前中から新作『ラジオ・ミュージック・ソサエティ』(ヘッズ・アップ/コンコード)プロモーション来日中のエスペランサ・スポルディング(2011年2月17日、他)にインタヴュー。前回の取材も午前中だったよなー。早起き、けっこう機材を持ってきていて、朝から作業しているらしい。とにもかくにも、何度あっても、いろんな部分で、ええ娘やあ、と思わずにはいられず。
複数の血が入っている彼女ではあるが、アフリカンとしての意識が強く、その自負をしなやかきわまりない音楽に、特に今回はのせている。そんな新作のほとんどの曲に彼女は映像をつけていて、夜は関係者をまねいて、その発表会(大げさに言えば、ワールド・プレミアらしい)が明治神宮前のカフェであった。実は帰国便に乗る日のジャカルタ早朝からお腹をこわしていたのだが(やはり、インドネシア侮れず。帰りの飛行機のなかで、いっさいアルコールを飲む気にならなかった。そんなこと、自分の人生において初めてのこと)、ゴクゴク飲んでもなんともなく、お腹もいたくならない。お、薬飲んでも効かなかったのに、お酒飲んじゃったらなおったじゃないか。で、にこにこでライヴ会場に向かう。↑