納得の2人と、あまり結びつきを感じない女性歌手が重なったライヴ。まあ、とってもおおまかに重なる項目を挙げれば、ブラコン(ブラック・コンテンポラリー)という用語が有効だった時期、1980年代に出て来たR&B歌手たちであるとは言えるのか。共通のバンド(5人編成のそれは完全な生音で勝負。プラスして、女性コーラスが2人)を用いてのもの、向こうでも同様のパッケージのショウをやっているのかな。六本木・ビルボードライブ、ファースト・ショウ。1時間40分やってくれた。
オニール(1953年、ミシシッピ州ナッチェス生まれ)とシェレール(1958年LA生まれ)はタブー・レコードに所属し、デュエットをしあうなどもし、1980年代下半期にぶいぶい言わせたお二人。彼らのアルバムはどれもプリンス・ファミリー出身の名制作者チームであるジミー・ジャム&テリー・ルイスが作っていましたね。両者をフィーチャーした“タブー・ナイト”という出し物も東京で複数回行われたことあったよなー。少なくとも、1回は行った。あれ、エムザだったっけ? ←あのあたりのブラコン系のライヴというと、真っ先に有明(当時は、車でしか行けなかった)のバブルな建物を思い出すよなー。リネンがけ丸テーブルに着席して飲めたエムザのガディルという箱のほうは、宇宙人みたいなと書きたくなるミニの制服を着ていた女性がサーヴィスしていたよな。ああ、バブルきわまりない時代、それを思い出すと少し甘酸っぱい気持ちにもなる。でも、スタンディング会場のエムザのほうはR.E.M.なんかも来日公演をそこでやっている。
で、今回はその2人に、1980年代上半期にルネ・ムーアと男女デュオであるルネ&アンジェラを組んで世に出た、アンジェラ・ウィンブッシュ(1955年、セントルイス生まれ)も加わる。彼女は歌うだけなく、曲作りもサウンド作りもばっちりできる才人で、その後ピンになったが、マーキュリー発の2枚のリーダー作でエグゼクティヴ制作者をしていたのが、ザ・アイズレー・ブラザーズ(2001月12月6日、2004年3月1日)のロナルド・アイズレー。2人は結婚(し、離婚)、彼女は天下のザ・アイズレー・ブラザーズの表現にも一時関わったこともあった。
まず、登場したのはウィンブッシュ。問題あるところなし、才ある人物の天下無敵のステージ。身体は太目だが、顔はかなり若く見える。で、喉は手応えありまくり。途中にゴスペル調の叩き込みも見せるが、それがなんともうれC。で、彼女は男性客や女性客も1人づつ上げて、いじったり一緒に踊ったりしたのだが、特に男性が相手のときは野卑猥褻路線をざくっと出したものでうわあ。そういう路線の最たる人というと、ミリー・ジャクソンが思い出されるが、そこまで下品ではないウィンブッシュの場合はなんか可愛らしさも少し出たりもする。なんにせよ、ウィンブッシュがいまや貴重なR&B女性流儀をいまだ持つ人であるのを認知した。
シェレールも過剰には老けてなく、なるほどのショウを見せる。どっちかというと、ちゃんと歌えつつも雰囲気幻惑路線を行っていたという印象もあるのだが、彼女も堂々歌っていたな。片方の足にはギブスがわりのスキー靴みたいのを履いていたが、健気に動き、彼女もまたゴスペル流儀を見せる局面もあり。最後のほうで、1984年曲「アイ・ドント・ミーン・トゥ・ターン・ユー・オン」をやる。ぼくはアゲアゲ。翌年、故ロバート・パーマーが翌年全米2位となるカヴァー・ヒットさせた曲だ。それ、もちろん、ジャム&ルイス曲ですね。
そして、3番目にオニールが登場。彼はシェレールの最後の曲のときデュエットする感じで、2階から降りてくる。立派な体躯の彼、声にエコーがかかり過ぎではないか。ぼくが得た感興の大きさは、ウィンブッシュ、シェレール、オニールの順。しかし、曜日を連呼する曲とか「フェイク」とか、知っていると思わせる曲が多かったのは彼だった。ヒット曲は大事ですね。終盤、シェレール(彼女は着替え、このときはギブス靴を脱いで出て来た)がまた出て来てデュエットした後、そこにウインブッシュも呼び込まれ、最後は和気あいあいとシェレールの「サタディ・ラヴ」を3人で歌う。良い、な。
続いて、J-WAVEの人気ブラジル音楽番組” SAUDE! SAUDADE…”(ちょうど四半世紀続いているそう)が主催する、毎年2月に行われているパーティに行く。今年から会場は渋谷・クラブクアトロ。生理的に、敷居がより低くなる。入り口階ではブラジル仕様の食べ物や飲み物も販売、というのはともかく、盛況の場内にはなんか華やいだヴァイブがあって和む。先のハコがバブル期を経験しています的な年齢層の人が多かっただけに、若い人が目立つこちらはより弾けたキブンを与える。それは今のブラジル愛好層のノリを直裁に示しているのかもしれないし、我々のブラジルのイメージを映し出すものかもしれない。
だいぶ遅れて会場に入ったが、4組いた出演者のトリの、Saigenji(2013年1月7日、他)のトリオによる実演には間に合う。パッション、鮮やか。こういう場だけに、有名曲カヴァーもさくっと。パっと広がる感じ、ドライヴする感じ、枠を突き破る感じに、やっぱこの人は持っている、人に誇るべき事をやっていると思わずにはいられず。終盤は、カンタス村田とサンバマシーンズ(2012年10月27日、他)のトロンボーン奏者とアルト・サックス奏者も加わる。Sigenjiはこの週の金曜は、モーション・ブルー・ヨコハマで、新作をフォロウするギター弾き語りのライヴをするとか。行きたい。けど、用事が入っている。
この日はもう一つハシゴ。その後は、新宿ピットインで、Bondagefruitのセカンド・セットを見る。ギターの鬼怒無月(2012年11月21日、他)、ヴァイオリンの勝井祐二(2013年1月7日、他)、ヴァイブラフォンを主に演奏するや高良久美子(2006年12月13日)、電気アップライト・ベースの大坪寛彦、打楽器(けっこう、ドラムっぽい叩き方もした)岡部洋一(2011年8月22日、他)という面々の長寿バンド。
ものすごーく久しぶりに見たが、ああ、成育しているんだなと、すぐに合点する。プログ・ロックとパンク・ジャズを掛け合わせた事をやっているという印象を彼らに持っていたが、もっと繊細で、ジャンル分け不可能なことをやっていて。それが顕著に出たのが、新曲と紹介された室内楽的な新曲。それ、奏者間の息遣いが丁寧に重ねられる、どこか漂う曲。で、けっこう譜面で書かれているのかと思ったらそれほど詳しくはなされていないようで、それはメンバーのイマジネーションの良好な持ち合いかたを示していたと思う。ぼくが一番気に入ったのは、「ロコモーション」と紹介された曲。勝井はフィドル的な奏法を取る(それ、美味しい)曲で、一応カントリーにインスピレーションを受けていると説明できるのかもしれないが、そこにはいろんな表現様式や情緒の縦糸と横糸が交錯しあっていて、興味深く変質して行く。一筋縄では行かないこのグループの面白さがよく出ていたと思う。
この日のライヴは、ここで持たれる<鬼怒無月3デイズ>の1日目。明日は、ナスノミツル(2007年6月3日、他)と吉田達也(2008年8月24日、他)とのトリオの是巨人+壷井彰久(ヴァイオリン)、水曜日はアストラ・ピアソラ曲ビヨンドを求めるサルガヴォでの出演となる。ライヴ終演後、ダニー・ハサウェイの『ライヴ』がかかる。なんか、いい日だったなと思う。
<今日の、ニっ>
その後、行った飲み屋で、Jリーグができた頃、サッカー日本代表チームの不動のレギュラーだった人物がお母さんの弟だという女性と会った。なんか、それだけでうれしくなるサッカー・ファンのぼく。でも、考えてみたら、やはり同時期に不動の代表レギュラーだった選手のお兄さんと知り合いなのを思い出す。一時はコンサートで会ったりし、飲みに流れたりもしたが、ここ10年ほどはまったく顔を合わせてないなー。地方に転勤になったんだっけ?
オニール(1953年、ミシシッピ州ナッチェス生まれ)とシェレール(1958年LA生まれ)はタブー・レコードに所属し、デュエットをしあうなどもし、1980年代下半期にぶいぶい言わせたお二人。彼らのアルバムはどれもプリンス・ファミリー出身の名制作者チームであるジミー・ジャム&テリー・ルイスが作っていましたね。両者をフィーチャーした“タブー・ナイト”という出し物も東京で複数回行われたことあったよなー。少なくとも、1回は行った。あれ、エムザだったっけ? ←あのあたりのブラコン系のライヴというと、真っ先に有明(当時は、車でしか行けなかった)のバブルな建物を思い出すよなー。リネンがけ丸テーブルに着席して飲めたエムザのガディルという箱のほうは、宇宙人みたいなと書きたくなるミニの制服を着ていた女性がサーヴィスしていたよな。ああ、バブルきわまりない時代、それを思い出すと少し甘酸っぱい気持ちにもなる。でも、スタンディング会場のエムザのほうはR.E.M.なんかも来日公演をそこでやっている。
で、今回はその2人に、1980年代上半期にルネ・ムーアと男女デュオであるルネ&アンジェラを組んで世に出た、アンジェラ・ウィンブッシュ(1955年、セントルイス生まれ)も加わる。彼女は歌うだけなく、曲作りもサウンド作りもばっちりできる才人で、その後ピンになったが、マーキュリー発の2枚のリーダー作でエグゼクティヴ制作者をしていたのが、ザ・アイズレー・ブラザーズ(2001月12月6日、2004年3月1日)のロナルド・アイズレー。2人は結婚(し、離婚)、彼女は天下のザ・アイズレー・ブラザーズの表現にも一時関わったこともあった。
まず、登場したのはウィンブッシュ。問題あるところなし、才ある人物の天下無敵のステージ。身体は太目だが、顔はかなり若く見える。で、喉は手応えありまくり。途中にゴスペル調の叩き込みも見せるが、それがなんともうれC。で、彼女は男性客や女性客も1人づつ上げて、いじったり一緒に踊ったりしたのだが、特に男性が相手のときは野卑猥褻路線をざくっと出したものでうわあ。そういう路線の最たる人というと、ミリー・ジャクソンが思い出されるが、そこまで下品ではないウィンブッシュの場合はなんか可愛らしさも少し出たりもする。なんにせよ、ウィンブッシュがいまや貴重なR&B女性流儀をいまだ持つ人であるのを認知した。
シェレールも過剰には老けてなく、なるほどのショウを見せる。どっちかというと、ちゃんと歌えつつも雰囲気幻惑路線を行っていたという印象もあるのだが、彼女も堂々歌っていたな。片方の足にはギブスがわりのスキー靴みたいのを履いていたが、健気に動き、彼女もまたゴスペル流儀を見せる局面もあり。最後のほうで、1984年曲「アイ・ドント・ミーン・トゥ・ターン・ユー・オン」をやる。ぼくはアゲアゲ。翌年、故ロバート・パーマーが翌年全米2位となるカヴァー・ヒットさせた曲だ。それ、もちろん、ジャム&ルイス曲ですね。
そして、3番目にオニールが登場。彼はシェレールの最後の曲のときデュエットする感じで、2階から降りてくる。立派な体躯の彼、声にエコーがかかり過ぎではないか。ぼくが得た感興の大きさは、ウィンブッシュ、シェレール、オニールの順。しかし、曜日を連呼する曲とか「フェイク」とか、知っていると思わせる曲が多かったのは彼だった。ヒット曲は大事ですね。終盤、シェレール(彼女は着替え、このときはギブス靴を脱いで出て来た)がまた出て来てデュエットした後、そこにウインブッシュも呼び込まれ、最後は和気あいあいとシェレールの「サタディ・ラヴ」を3人で歌う。良い、な。
続いて、J-WAVEの人気ブラジル音楽番組” SAUDE! SAUDADE…”(ちょうど四半世紀続いているそう)が主催する、毎年2月に行われているパーティに行く。今年から会場は渋谷・クラブクアトロ。生理的に、敷居がより低くなる。入り口階ではブラジル仕様の食べ物や飲み物も販売、というのはともかく、盛況の場内にはなんか華やいだヴァイブがあって和む。先のハコがバブル期を経験しています的な年齢層の人が多かっただけに、若い人が目立つこちらはより弾けたキブンを与える。それは今のブラジル愛好層のノリを直裁に示しているのかもしれないし、我々のブラジルのイメージを映し出すものかもしれない。
だいぶ遅れて会場に入ったが、4組いた出演者のトリの、Saigenji(2013年1月7日、他)のトリオによる実演には間に合う。パッション、鮮やか。こういう場だけに、有名曲カヴァーもさくっと。パっと広がる感じ、ドライヴする感じ、枠を突き破る感じに、やっぱこの人は持っている、人に誇るべき事をやっていると思わずにはいられず。終盤は、カンタス村田とサンバマシーンズ(2012年10月27日、他)のトロンボーン奏者とアルト・サックス奏者も加わる。Sigenjiはこの週の金曜は、モーション・ブルー・ヨコハマで、新作をフォロウするギター弾き語りのライヴをするとか。行きたい。けど、用事が入っている。
この日はもう一つハシゴ。その後は、新宿ピットインで、Bondagefruitのセカンド・セットを見る。ギターの鬼怒無月(2012年11月21日、他)、ヴァイオリンの勝井祐二(2013年1月7日、他)、ヴァイブラフォンを主に演奏するや高良久美子(2006年12月13日)、電気アップライト・ベースの大坪寛彦、打楽器(けっこう、ドラムっぽい叩き方もした)岡部洋一(2011年8月22日、他)という面々の長寿バンド。
ものすごーく久しぶりに見たが、ああ、成育しているんだなと、すぐに合点する。プログ・ロックとパンク・ジャズを掛け合わせた事をやっているという印象を彼らに持っていたが、もっと繊細で、ジャンル分け不可能なことをやっていて。それが顕著に出たのが、新曲と紹介された室内楽的な新曲。それ、奏者間の息遣いが丁寧に重ねられる、どこか漂う曲。で、けっこう譜面で書かれているのかと思ったらそれほど詳しくはなされていないようで、それはメンバーのイマジネーションの良好な持ち合いかたを示していたと思う。ぼくが一番気に入ったのは、「ロコモーション」と紹介された曲。勝井はフィドル的な奏法を取る(それ、美味しい)曲で、一応カントリーにインスピレーションを受けていると説明できるのかもしれないが、そこにはいろんな表現様式や情緒の縦糸と横糸が交錯しあっていて、興味深く変質して行く。一筋縄では行かないこのグループの面白さがよく出ていたと思う。
この日のライヴは、ここで持たれる<鬼怒無月3デイズ>の1日目。明日は、ナスノミツル(2007年6月3日、他)と吉田達也(2008年8月24日、他)とのトリオの是巨人+壷井彰久(ヴァイオリン)、水曜日はアストラ・ピアソラ曲ビヨンドを求めるサルガヴォでの出演となる。ライヴ終演後、ダニー・ハサウェイの『ライヴ』がかかる。なんか、いい日だったなと思う。
<今日の、ニっ>
その後、行った飲み屋で、Jリーグができた頃、サッカー日本代表チームの不動のレギュラーだった人物がお母さんの弟だという女性と会った。なんか、それだけでうれしくなるサッカー・ファンのぼく。でも、考えてみたら、やはり同時期に不動の代表レギュラーだった選手のお兄さんと知り合いなのを思い出す。一時はコンサートで会ったりし、飲みに流れたりもしたが、ここ10年ほどはまったく顔を合わせてないなー。地方に転勤になったんだっけ?