カナダのシンガー・ソングライター(2015年11月17日)の公演を渋谷・クラブクアトロで見る。フジ・ロック出演者で、2015年にも彼は来日公演を行なっているようだ。ピアノやギターを弾きながら歌う本人を、ギターリスト、電気ベーシスト、ドラマーがサポートする。

 少し高めの枯れた声の持ち主で、訥々と自らのメロディと言葉を開いていく。そのショウに接していて、なるほどこれは存在感のあるシンガー・ソングライターだとうなずかされるか。とともに、ピアノ系シンガー・ソングライターの先達、ランディ・ニューマンの存在を思い出させるか。ニューマンほど、歌の音程は甘くはないけれど。途中で、彼はピアノ弾き語りを披露したりもしたが、するとニューマンの影響はより出たか。かつて、いろいろと彼の曲を真似たりもしたのではないか。

▶︎過去の、デクラン・オドノヴァン
http://43142.diarynote.jp/201511181203116234/

<今日の、想起>
 彼の「ハンク」という曲の出だしの感じは、ランディ・ニューマンの(曲で、スリー・ドッグ・ナイトのカヴァーでもよく知られる)「ママ・トールド・ミー」を思い出させる。そういえば、ランディ・ニューマンの9年ぶりの新作『Dark Matter』(Nonesuch)がリリースされ、無料配信もされている。変わらぬニューマン節であり、どこかノスタルジックなところもある毎度の編曲仕様。実は、ぼくが一番最初に取材したアーティストはランディ・ニューマン。新卒で出版社に入り配置された雑誌で、初めての編集会議で提案して、やらせてもらった記事が彼のインタヴューだった。<ランディ・ニューマンの、眼鏡の内側>、そのとき付けたタイトルはいまだしっかりと覚えている。

DUBFORCE

2017年8月8日 音楽
 MUTE BEATのDUB MASTER X(ミックス)と屋敷 豪太 (ドラム。1999年7月31日、2006年4月2日、15年11月19日)と増井朗人 (トロンボーン。2005年2月19日)の3人を中心に置く、2015年初春結成のダブ・バンド。もともとは、自転車事故で意識不明の状態が続いていたやはりMUTE BEATにいた朝本浩文(1963〜2016年。2000年5月14日)を支援しようという思いのもと、2015年3月にライヴのために組まれたダブ・バンドで、それが面々の朝本への思いとともに続いている。コアの3人に、いとうせいこう(盛り上げ役、肉声。2012年3月21日、2017年3月24日)、 Watusi (ベース)、會田 茂一 (ギター。2005年5月28日)、龍山 一平(キーボード)、 コバヤシケン (テナー・・サックス)、SAKI(トランペット)が加わる。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。

 冒頭のファンキーなリフ曲はサウンド・チェックなんて言っていたが、一発で屋敷のドラミングの素晴らしさに唸る。わあ、やっぱり彼はレゲエ・ドラマーであるとも。とともに、DUB MASTER Xの卓裁きのクールさにも頭を垂れる。朝本もUA(2004年7月6日、2004年8月12日、2007年1月27日、2009年5月30日、2014年4月3日)他を手がける敏腕クリエイターであったわけだし、ベーシストの故松永孝義(2005年2月19日、2007年6月29日)もメンバーだったし、ほんとMUTE BEATって才人が集まっていたんだなと思わずにはいられず。いやあ、屋敷とDUB MASTER Xの二人だけでも延々聞き通せてしまうのではないか。快感〜。三菅のほんわかしたアンサンブルも気持ちよかった。

 終盤、元ちとせ(2001年12月3日、2007年6月1日)が出てきて2曲歌う。増井が昔、彼女の伴奏をつけたことがあったそう。強い歌声とヴァイタルなビートが噛み合うその1曲目の様に、ぼくはブラック・ウフルーを思い出した。

▶過去の、屋敷豪太
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/julylive.htm 7月31日、シンプリー・レッド
http://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
http://43142.diarynote.jp/201511200934467321/
▶︎過去の、増井朗人
http://43142.diarynote.jp/?day=20050219
▶︎過去の、いとうせいこう
http://43142.diarynote.jp/201203260805006088/
http://43142.diarynote.jp/?day=20170324
▶︎過去の、朝本浩文
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm Infinity
▶︎過去の、會田茂一
http://43142.diarynote.jp/?day=20050528
▶︎過去の、松永孝義
http://43142.diarynote.jp/200502232040290000/
http://43142.diarynote.jp/200707041025510000/
▶過去の、UA
http://43142.diarynote.jp/200407062149440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20040812
http://43142.diarynote.jp/200702010112550000/
http://43142.diarynote.jp/200906061045286071/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140403
▶︎過去の、元ちとせ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://43142.diarynote.jp/200706061351080000/

<今日の、コンソール>
 なんと、普段は横の方に卓があるところ、上階の正面の方にセッティングしてDUB MASTER Xは音をさばいていた。今回、PAスピーカーはどうしたのだろう? なお、6日に面々は、ワールド・ハピネスに出演した模様。

Eri Liao Trio

2017年8月9日 音楽
 台湾原住民のタイヤル族の血を引く台湾人シンガーのエリ・リャオと二人の日本人奏者からなる3人組の初アルバム『紅い木のうた』のリリースをフォロウする公演のファースト・セットを、渋谷・SARAVAH TOKYOで見る。

 まず、扱う楽曲属性、その言葉の幅広さに留意しちゃうか。19世紀米国の名作曲家のスティーヴン・フォスターの曲(歌詞は、台湾の合唱団のために同国の言葉に直されたもの)、台湾アミ族の曲(アミ語)、同タイヤル族の曲(タイヤル語)、メンバーのオリジナル(英語)、昭和22年初出の歌謡曲「星の流れに」(日本語)、モンゴ・サンタマリア作の「アフロ・ブルー」(英語)といった塩梅。台湾の歴史に沿う同国のいろんな文化、台湾と日本、アジアと米国といった様々な要件が交錯、溶解させたようなヴォーカル表現と書いてしまうと大袈裟か。

 天真爛漫さを聞き手に与えるエリ・リャオは大学や大学院教育は日本で受けており、綺麗な日本語でMCをする。母親が台湾から来て見にきている、なんても言っていたな。また、彼女はNY留学時代にジャズに開眼して歌うようになったそうで、そうすると「アフロ・ブルー」の選曲も納得ですね。用いる歌詞によって、歌が導く風景が異なり、一言でどういうシンガーと書き留めにくいが(やはり、台湾の言葉を用いたものはエスノ性が出るか)、地域軸を個の力や経験でヒョイっと超えていくような不思議な力を持つか。

 ギタリストのファルコンとダブル・ベースの小牧良平が、その伴奏陣。結構、エレトリック・ギターを弾く曲が多く、それは半数の曲でゲストとしてくわわったギタリストの鬼怒無月(2003年3月6日、2003年6月30日、2004年1月16日、2005年4月11日、2006年1月21日、2009年10月8日 、2010年3月20日、2012年2月10日、2012年6月13日、2012年6月28日、2012年11月21日、2013年2月11日、2014年2月9日、2014年2月22日、2014年6月16日、2015年8月31日、2017年7月31日)も同様。間を持つ“響きのサウンド”を男性陣は付ける、という説明もありか。わりと淡々とアコースティック・べースを爪弾く小牧に何気に感心したかも。彼の奥にあるのはジャズだろうけど、歌心あるもう一つの土台を作り、多層性を持つこの表現をバランス良く落ち着かせていた。

▶過去の、鬼怒無月
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/200401160000000000/
http://43142.diarynote.jp/200504151004040000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
http://43142.diarynote.jp/200910140952248669/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100320
http://43142.diarynote.jp/?day=20120210
http://43142.diarynote.jp/?day=20120613
http://43142.diarynote.jp/201207031352302181/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121121
http://43142.diarynote.jp/?day=20130211
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
http://43142.diarynote.jp/201402240940377749/
http://43142.diarynote.jp/201406180852131370/
http://43142.diarynote.jp/201509021103292742/

<今日は、人間センサー>
 この夏の気候についての所感は、去年ほどは涼しくはないが、ずっと暑かったそれ以前の夏から比べればマシというもの。本日は正午過ぎに37度超えし、今年一番の暑さであったとか。家にいるときは過剰に暑いとは感じなかったが、午後4時過ぎにインタヴューのために外に出たら、モワモワしてて、汗が吹き出す。ぼくの身体もまた、今日が今年一番の暑さであると知らせていた。

 レゲエの名シンガーであったのジミー・ライリー(1947年にキングストン生まれ、2016年NYで死去)の息子であるトーラス・ライリー(1979年、NY生まれ)のショウは、彼のアルバムをプロデュースしたこともある、レゲエの伴奏にこの人ありの名アルト・サックス奏者であるディーン・フレイザー(1957年、キングストン生まれ)を伴ってのもの。他の、ベース、ドラム、ギター、キーボード、パッドという演奏陣は日本のホーム・グロウン(2012年10月20日 )が務めた。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。彼らは、明日の横浜レゲエ祭にも出演する。

 朗々とした歌声(少しの濁りを抱え、甲高さから逃れる)をバンド音が支える。ああ、ちゃんとした歌ものレゲエを聞いているナと実感できる。フレイザーはサックスを吹く(エモーショナルなケニー・G、とも言いたくなる音色を出すのだな)だけでなく、ハーモニー・ヴォーカルもしっかりつけた。

▶︎過去の、HOME GROWN
http://43142.diarynote.jp/?day=20121020

<今日の、その後>
 流されて、3件ハシゴ。うち、一つは六本木のレゲエ・クラブ。新しめのビルの上階にあったが、あの音で上下から苦情が来ないのはすごい。なのに、お酒が500円と安いのにも驚く。次の店への移動にあたり、外苑東通りでタクシーがなかなか拾えない。おお、なんか懐かしい。まあ、木曜ながら翌日は祭日で(お盆休みの初日になっている人も少なくないだろう)今日は実質ハナキンみたいなものだからな。そこで、この5月に松葉杖を強いられた際に必要から覚えた、タクシーの迎車連絡コールを使う。やっぱ、便利だわ。しかし、夜は結構涼しい。昨日の猛暑はなんだったのか? このまま夏が終わりに向かう感も、少し受けた。

 六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。この由緒正しい、ニューオーリンズのブラス主体バンド(2014年7月29日 )の来日は、2年ぶりとなる。陣容は、ダブル・ベースのベン・ジャフィ、テナー・サックスの クリント・メドゲン、トロンボーンのロネル・ジョンソン 、トランペットのブランドン・ルイス 、キーボードのカイル・ルーセル、ドラムのシャノン・パウエルという6人。ジャフィとメゲトンの二人の白人奏者は前回の来日公演にも同行している人で、他の黒人奏者は前回は来ていない。

 あともう一人、サックス/クラリネット奏者が同行する予定であったが、来れなくなった。でも、なんも問題なかった。強く、幅広く、気張ったパフォーマンスを6人は悠々と繰り広げる。そして、2014年作『ザッツ・イット!』よりも少し保守化した感もある新作『ソー・イット・イズ』のノリともそんなに重なるところもなく……。いやあ、前回公演よりもぼくはずっと今回の実演の方に感じてしまった。

 けっこう長めにやったショウの前後にはドクター・ジョン(2000年5月24日、2002年3月23日、2005年9月20日、2012年2月15日、2013年10月1日)が場内音楽として流されたが、しいて指摘するならドクター・ジョンが持っている同地音楽を俯瞰する審美眼につながる批評性を山ほど持つパフォーマンスを見せてくれたと指摘することができるのではないか。とともに、前回公演とも3分の2異なるメンバーは比較的年を取っていない人たちであり(30代あたりが、主体?)、それもショウの内容には反映されていたか。ソロとかを取らせると管楽器奏者たちは本当に溌剌としていたし、ヴォーカルもきっちり取り、声を重ねていた。

 ふむ、構成員の腕はそれぞれに確か。ニューオーリンズは観光客を相手とする仕事ががいろいろとあるため、実のところ同地のプレイヤーの質はそれほど高くないとも言われる。だが、リーダーのジャフィはちゃんとニューオーリンズの音楽の肝を知り、腕の立つ音楽家たちを連れて来ていると思った。

 それから、へえと思ったのは、ゴスペル〜チャーチ風味をいくつかの曲でおおいに用いていたこと。ニューオーリンズとは関係ないシカゴのザ・インプレッションズでまず知られるゴスペル・スタンダードの「エイメン」(カーティス・メイフィールトとジョニー・ペイトの作)もやったもんなあ。

 今回はニューオーリンズのブラス・バンドのアイコン的(とは、言わない?)な楽器であるスーザフォン奏者は入っておらず。それについては片手落ちと当人たちも思ったのか、ステージ後方中央に同バンドの名前が書かれたチューバが置いてあった。見た目は寂しいが、でも先に書いたようにやっていることは充実しまくり、ぼくはなんの不満もなかった。

 アンコールのさい、面々と一緒ににこやかな日本人老夫婦が出てくる。誰かと思えば、外山喜雄(1944年生まれ)/恵子と自ら名乗るではないか。日本のニューオーリンズ・ジャズを代表する演奏家夫婦であり、オールド・ウェイヴのニューオーリンズ・ジャズの啓蒙家。二人は1960年代後期とかにニューオーリンズに渡り、プリザヴェイション・ホールに日参し、ホールやバンドを仕切っていたベン・ジャフィの父親アラン(1987年死去)らと親交を深めたのだという。お二人の名前はよく知っていたが、その当人たちを見るのは初めてナリ。

▶︎過去の、ザ・プリザヴェイション・ホール・ジャズ・バンド
http://43142.diarynote.jp/201408051721103640/
▶過去の、ドクター・ジョン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200510030016390000/
http://43142.diarynote.jp/201202161725143619/
http://43142.diarynote.jp/201310050709459564/

<2年前の、ベン・ジャフィ>
 以下、彼に行ったインタヴューの抜粋です。

——お父さんのアラン・ジャフィがプリザヴェイション・ホールを始めたわけですから、物心ついたときからそのジャズ・バンドは横にあったわけですよね。
「その通り。だから、最初の出会いというものが、僕の記憶の中にはない(笑い)。だって、生まれたときに、すぐ横にあったがわけだからね。即ホールに連れていからたわけだから、ワクワクドキドキもまたなかった。他の人から話を聞いて、そんなにドキドキできる場だったのかと思ったりもしたね」
——大人になったら、プリザヴェイション・ホール・ジャズ・バンドに入ると思ったのですか。
「いや、フットボールが好きで、セインツ(ニューオーリンズのアメリカン・フットボールのチーム)のファンになりたかった。弱かったけど、まさに我らの誇りのチーム。セインツではなく、エインツ(Ain’ts)なんて呼ばれていた。とはいえ、音楽が横にあるニューオーリンズという街に僕は誇りを持っていて、小さな頃から教会や学校で音楽に親しんでいたよ。そして、ストリート性もまた重要な要件。パレードというのは説明しきれないほどニューオーリンズでは大切なもので、今でも週に2、3回行われていて、ジャズ・フューネラルもある。実際に、今回戻ると92歳でなくなった最年長メンバーだったライオネルのジャズ・フューネラルに参加する。僕は小さな頃から父とジャズ・フューネラルに参加し、ニューオーリンズと音楽は不可分な関係にあることを肌で知った。音楽家になるというよりは、生まれた時点でそういう運命にあったと言ったほうがいい」
——あなたはダブル・ベースやチューバ他、いろいろな楽器をやるけど、音楽学校に通っているんですか?
「小さな頃はちゃんと勉強したわけじゃないけど、ニューオーリンズは家の中に楽器がある。ましてや僕は父がミュージシャンだったから余計にいろいろとあった。小学生に入ってから正式に音楽を勉強したんだけど、高校のころになるとフットボールをやるのはこりゃ無理だよなあとなった。それで、本格的に音楽をやるようになったね。高校は芸術のそれに通った。ウィントン・マルサリス(2000年3月9日)、ハリー・コニックJr. ( 2000年3月31日 )、ブランフォード・マルサリス(2001年10月24日、2010年3月8日、2010年10月21日)、テレンス・ブランチャード(2005年8月21日、2009年3月26日、2013年8月18日)、ドナルド・ハリソン(2014年8月25日、2015年8月22日)なども学んでいる学校だね。そこで今一緒にやっているトロンボーンのマークと出会い、切磋琢磨したんだ。大学ではクラシックを学んだんだけど、実はそのころはニューオーリンズの音楽にはあまり興味がなかった。でも、最終的にはニューオーリンズが大好きだし、その音楽を僕はやるべきなんだという結論に至った。なんか、むくむく情熱が出て来たんだ」
——プリザヴァイション・ホール・ジャズ・バンドに入ったのは、いつでしょう?
「93年の6月だった。ちょうど大学を出た後で、87年に父は死んでいたんだけど、父ともやっていた僕の先生であるジェイムス・プレボストがツアーに出られなくなり、その代わりに僕がバンドに入ったんだ。卒業してパリに行ったこともあったんだけどね」
——プリザヴァイション・ホール・ジャズ・バンドを21年間やっていて、ターニング・ポイントと思えることは?
「いくつか、あったよね。僕がバンドに入ったときは、父と演奏していたミュージシャンがまだ沢山いた。僕としては、そういう素晴らしい先駆者をサポートしようと心に決めた。そんな彼らの力量が落ちていても、僕は彼らを守ろうとした。でも、時代が変わり、我々のファミリーに新しいメンバーが入ることで世代交代が訪れると、僕の役割は変わっていった。サポートする立場から、インスピレーションを出し、新しい物を作り出す役割に変わって来た」
——その変化が、鮮やかな形で表れたのが新作『ザッツ・イット!』と言っていいですか。
「そうだよね。『ザッツ・イット!』でプリザヴァイション・ホール・ジャズ・バンドの新しい面、今の顔というものにたどり着いたと思っている。今もメンバーは。コノチの音楽家血筋にあるミュージシャンも多い。マーク・マンはおじさん二人がメンバーだったし、チャーリーは七世代続いているし、ジョー・ラッセルは三代目。そいういったミュージシャンが集まってもいるので、この地の音楽家として過去とニューオーリンズの歴史に敬意を表することを忘れちゃいけないと思っている。かつ、同時に今の自分たちを反映させるべきであるとも思うよね。音楽的に自分たちが今受けている影響、ルイ・アームストロングからジェイ・Z(2010年8月7日)までが今のプリザヴァイション・ホール・ジャズ・バンドの音楽には入っている。でも、そうしてこそ、今を生きる誠実な音楽家たることができると思っているよ。そして、それゆえに、我々の表現は新たな感動や創造を呼ぶとも。ジェリ−・ロール・モートンをはじめ、昔からニューオーリンズの音楽家は新しいものを作り出して来たわけで、僕たちもそういうことをしているつもりだ」
——ええ、『ザッツ・イット!』は今の音楽として出していると感じますね。
「僕の父がこのプロジェクトを始めたときはまだスケールが小さいものだった。でも、ニューオーリンズの伝統をショーケースするということ、それを広めて行くということを大切にしていた。でも、そういうことは、他の人も違う分野でやっているよね。ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ(2001年2月9日)でのライ・クーダー(2009年11月5日)とか、ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ(2004年9月17日、他)、レディスミス・ブラックマンバーゾとか。でも、ザ・ビートルズとかストーンズ(2003年3月15日)のような存在がいると、それらは横に追いやられてしまう。だけど、代々そういう人たちがいて、表現に向かっているのは忘れてはいけない」
——『ザッツ・イット!』のプロデューサを務めたマイ・モーニング・ジャケット(2005年7月30日、2012年3月29日)のジム・ジェームズはどんな役割を果たしたのですか。
「彼はプリザヴェイションに初めて来て感激して、メンバーと私に会って、とてもインスピレーションを受けたし、ホーン効用をいろいろと発想したみたいだ。彼は僕たちを励まし、過去に対しての尊敬の念は、新しいものを作ることでも出せる、という感覚を教えてくれた。彼はまさに同士的な存在だね。しかも、彼は自分がいい思いをしようとかいう打算がなく、僕たちが何か素晴らしいもを出す才能があるというのを献身的に見出してくれた。ほんと、彼はいい影響を与えてくれたと思うな」
——現在、プリザヴァイション・ホール・ジャズ・バンドの構成員は固定されているんですか?  今回の来日メンバーは、その選抜隊ですか。
「この編成で4年間やってきている。いろいろ変わってきたけど、今はこの編成だね。ハリケーン・カトリーナという自然災害があり、それでいろんな意味で変化があった。メンバーにとって、精神的にも肉体的にも、経済的にもそれは打撃を及ぼしたし、それによりメンバーも変わった。まあ、それはバンドだけでなく、ニューオーリンズにとってそうだった。そして、今はこういう形になったわけだけど、面白い事に新しいメンバーが新しい役割とともに入り、好影響を及ばすんだ」
——あなたはプロデューシングにも興味を持つ人であるともと思いますが、今なら誰をプロデュースしたいです?
「あはは。コラボレーションしたいのは、ベック(2000年5月29日、2001年8月18日、2003年4月1日、2009年3月24日)、モデスト・マウス、ジャック・ホワイト(2003年10月21日、2006年3月5日、2010年3月31日)、クエストラヴ(2002年12月29日、 2003年12月2日、 2004年9月19日、2007年1月15日、2013年12月19日)、トム・ウェイツ。僕はジャズ・ミュージシャンをやってきているが、ロックンロール、ヒップホップ、エレクトロ・ミュージック、レゲエ、いろんな音楽を聞いている。そして、(同地の最たるR&Bスターであった)ファッツ・ドミノも好きというわけさ」
▶過去の、ウィントン・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
▶︎過去の、ハリー・コニックJr.
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▶過去の、ブランフォード・マルサリス
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▶過去の、テレンス・ブランチャード
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http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
▶過去の、ドナルド・ハリソン
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http://43142.diarynote.jp/201508231007506736/
▶過去の、ジェイ・Z
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▶︎過去の、ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ
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▶︎過去の、ライ・クーダー
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▶︎過去の、ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ
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▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
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▶過去の、マイ・モーニング・ジャケット
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▶︎過去の、ベック
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http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm サマーソニック
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http://43142.diarynote.jp/200903260428284843/
▶過去の、ジャック・ホワイト
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htmザ・ホワイト・ストライプス
http://43142.diarynote.jp/200603080248000000/ ザ・ホワイト・ストライプス
http://43142.diarynote.jp/201004080750382797/ ザ・デッド・ウェザー
▶︎過去の、クエストラヴ/ザ・ルーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
http://43142.diarynote.jp/201312200917503345/


 長年のシカゴ在住を経て、現在はロサンゼルスに居住するジャズ・ギタリストのリーダー公演を見る。丸の内・コットンクラブ。過去にhttp://43142.diarynote.jp/201705161314529397/ てなことを書いている(下部のほう、参照)ぼくは、ファーストとセカンド・ショウを通して見た。そしたら………。なお、同行者は、アルト・サックスとキーボードのジョシュ・ジョンソン(2017年1月16日)、エレクトリック・ベースや鍵盤ベースのポール・ブライアン(彼のみ、白人)、ドラムのジャマイア・ウィリアムズ(2009年5月18日、2012年3月3日、2013年4月1日、2013年6月4日、2014年8月7日、2015年1月22日)。彼らは『ザ・ニュー・ブリード』のレコーディングの主要となる参加者たちである。

 ところで、以下の発言は、この5月にパーカーにインタヴューしたときのものである。
——『ザ・ニュー・ブリード』はLAに移ったからこその内容と言えますか?
「ああ。でなきゃ、こういう仕上がりにはなっていなかったよね」
——別の次元に入ってしまった作品じゃないですか? あなたはギター以外の楽器もしていますし。
「うん。LAのシーンはどばーっと広くて、シカゴのようなコミュニティはない。別な言い方をするなら、シカゴにいると一人で音楽を作るということはないけど、LAに来て一人で作ることが増えた。サンプラーを使ったりして一人でデモを作り上げたんだ」
——『ニュー・ブリード』で聞くことができる音なんですが、あなたが作ったトラックと生演奏の比率はどのようなものでしょう?
「……それを言うのは難しいな。デモを元にLAで知り合ったミュージシャンたちが生で再現するという方策を取ったわけだけど、一人で作ったデモとミュージシャンたちで演奏するものが、同じに聞こえるものもあった。すべてのコントロールはぼくが持っていて、即興もしているけど、その即興も元々作ったデモの佇まいを壊さないように留意した。サンプル基調の音楽と即興をブレンドさせるさじ加減が難しかった」
——当然、ポスト・プロダクションにも凝ったわけですよね。
「とっても、ね」

 さて、ファースト・セット。そんなわけなので、ぼくはPC音とバンド音の併用で、ライヴはなされると思った。ところが、彼らは生音のみで進んでいくパフォーマンスを展開。というか、『ザ・ニュー・ブリード』の内容とはそんなに重ならないような行き方をパーカーたちは見せた。ジョー・ヘンダーソンやバート・バカラックやジョン・コルトレーンの曲もやったしね。

 それ、“ザ・ニュー・ブリード・バンド”ではなく、LA版“ジェフ・パーカー・カルテット”の実演と書くことができるか。ジャマイア・ウィリアムスのビートはやはり今の瘤を持つし、フレッテッドの4弦を弾き『ザ・ニュー・ブリード』では共同プロデュースやミキシングも担当するポール・ブライアンのフュージョンにも純ジャズにもならない演奏もいい感じだし、曲によってはエフェクトもかけるアルトを吹き、鍵盤もいい効果で抑えるジョシュ・ジョンソンも妙味を持つ。こりゃ、おもしろい奏者を揃えたなと思わせるその総体のもと、パーカーはぼくが見た彼のパフォーマンスのなかでは一番長くソロをとる。真っ当にジャズをやろうとしたアルバムを聞いても分かるけど、やっぱり彼は秀逸なジャズ・ギタリスト。他のジャズ・ギタリストとは差別化できるなという引っかかりのあるフレイズを彼は飄々とくりだし、ぼくは大きく頷いた。それから、著名ジャジー・ブルース・ギタリストのT・ボーン・ウォーカーの特徴的なチョーキングのフレイズ〜一部の人には<とって>と言われる〜を、パーカーはファーストでもセカンドでも繰り出す場面があった。パーカーはウォーカーも通っているのは間違いない。

 といったわけで、なかなかのもう一つの今のジャズを披露。とはいえ、『ザ・ニュー・ブリード』の再現を求めた聞き手は肩透かしを食わされるところもあったか。と思ったら、2部は出て来たパーカーがPCの蓋を開けてプリセットの下敷き音を流して、切れ目なしに2曲〜『ザ・ニュー・ブリード』のりの演奏を披露。そのあとは『ザ・ニュー・ブリード』唯一のカヴァー曲「ヴィジョンズ」(ボビー・ハッチャーソン作)だったか。で、集団意匠濃度の増したこっちの方(PC音を流したのは、冒頭の2曲+1、2曲だったか)がパーカーの演奏はエフェクターをかけ気味で、フレイズのジャズ臭は低くなる。面白いことに各人の音色の幅が広くなったためか、セカンド・ショウの方では1曲しかブライアンは鍵盤ベースを弾かなかった。ほとんど切れ目なしに演奏された第2部はもっとエラーや歪みの感覚を出してもいい(それは、卓扱いでなされるべき効果か)と思わせるところもあったが、まこと『ザ・ニュー・ブリード』を生の場で開いたものだった。ひゃは。

 聞けば、昨日はファーストもセカンド・ショウも、今日のセカンド・ショウで見せたものをやったという。本日、両方見ることができてよかった! それしか、ありません。

▶過去の、ジェフ・パーカー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm シカゴ・アンダーグラウンド・デュオ、サム・プレコップ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm ブロークバック、シカゴ・アンダーグラウンド、アイソトープ217
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm トータス
http://43142.diarynote.jp/?day=20040120 ロブ・マズレク、ジェフ・パーカー・トリオ、ブロークバック、シカゴ・アンダーグラウンド・カルテット
http://43142.diarynote.jp/200501170151560000/ トータス
http://43142.diarynote.jp/201111251250189885/ トータス
http://43142.diarynote.jp/201405081408031505/ トータス
http://43142.diarynote.jp/201705140938439184/ スコット・アメンデラ
http://43142.diarynote.jp/201705161314529397/ トータス
▶︎過去の、ジョシュ・ジョンソン
https://43142.diarynote.jp/201701171118107802/
▶過去の、ジャマイア・ウィリアムズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130401
http://43142.diarynote.jp/200905191118258984/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120303
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224
http://43142.diarynote.jp/201408091058201133/
http://43142.diarynote.jp/201501230914317086/

<今日の、所感>
 さすが、お盆。飲み屋も電車も、空き気味だな。
 2008年にニューヨークで結成された5人組の公演を、南青山・ブルーノート東京で見る(ファースト・ショウ)。2012年以降、メンバーたちはノラ・ジョーンズ(2002年5月30日、2002年9月14日、2007年3月21日、2010年1月20日、2012年11月8日)のツアー・サポートもしている。ヴォーカルとギターのジョシュ・ラタンジ(電気とアコースティック・ギターを持つ比率は半々ほどか)、ギターのジェイソン・エイブラハム・ロバーツ(エレクトリック・ギターを主に弾き。スライド・バーを使ってスティール・ギターのような音も出すなどもする)、鍵盤のピート・レム(グランド・ピアノを主に弾く)、エレクトリック・ベースのウェス・ハッチンソン(ピック弾き)、故リヴォン・ヘルム(ザ・バンド)流れの演奏をするドラマーのグレッグ・ウィッゾレック(1曲だけ、レギュラー・グリップで叩いた)が、その構成員だ。

 もう絵に描いたような、手作り系アメリカン・ロックを聞かせるバンド。フォーク・ロックやカントリー・ロックの要素も絡めつつ、彼らはそういう表現を外連味なく届ける。フロントに立つジョシュ・ラタンジはもう45歳だそうだが、みんな若めで30代に見える。そのためもあってか、大学の1970年代アメリカン・ロック研究会から巣立ったバンドなんて感想も、ぼくはえた。

 そして、面々はなるほどうまい。この手のサウンドを出すには“鉄板”と言いたくなる演奏を見せる。ラタンジとロバーツはギター・ソロを取るとジェリー・ガルシアを想起させもして、グレイトフル・デッドあたりも大きな影響源の一つなのか。また、ラタンジのヴォーカルも強すぎず弱すぎず、すがりつきがいのある歌声のもと味のあるものではなかったか。

そんなパフォーマンスに触れながら、彼らのことをアメリカーナと言う人もいるが、それはないっしょと感じる。ぼくがアメリカーナという言葉にはルーツ・ミュージック要素や合衆国の襞をしっかり抱えた表現であるのにプラスして、移行や転換の感覚〜それはある種の現代的批評とも繋がる〜を持つと言いたくなるが、ザ・キャンドルズはもっと健全で、ポジティヴ。もっと直接的に過去の表現を愛でていると思わせるわけで、それはそれで悪いことではない。シンガー、鍵盤、ドラマーはアロイシウス3というユニットも組んでいるが、もっとルーツィでオルタナティヴでジャム的でもあるそちらの方の方が多分にアメリカーナだと、ぼくは思う。

 3枚の既発アルバムはどれもジョシュ・ラタンジの曲で固められていたので、すべてオリジナルで通すのかと思ったら、リトル・フィート(2000年12月8日、2012年5月22日)の1973曲「ロール・アンド・イージー」やザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの1970年曲「オー・スウィート・ナッシン」をやったりもしていて、他にもカヴァーはあったかもしれない。普通、カヴァー曲をやる場合は、MCで断ったりするが、彼らは一切それをしなかった。

▶過去の、ノラ・ジョーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-5.htm 5.30
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm 2.09
http://43142.diarynote.jp/200703241326090000/
http://43142.diarynote.jp/201001211346277187/
http://43142.diarynote.jp/201211151032395193/
▶過去の、リトル・フィート
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/

 その後、渋谷のWWW Xに移動。会場入りすると、トクマルシューゴ(2012年12月14日、2016年9月4日)が5人編成のバンドを率いてパフォーマンスしている。シンガーとしては何の魅力も感じないが、今の音楽家として大切なものを抱え続けている担い手という印象は変わらない。ちゃんと生の場で広がることをしていて、普通じゃないことと普通であるべきことをうまく綱引きさせている作り手という印象を持ったか。もし定時に始まったなら、1時間近く彼らは演奏したはず。

 ギター/キーボードとドラマー(過去と同じ人かは未確認)を従えたファナ・モリーナ(2002年9月7日、9月15日。2003年7月29日、2011年8月1日、2013年12月3日、2015年2月6日、2016年3月17日)は毎度の実演を見せた。よって、大きな驚きはないが、接することがっできてよかった、やっぱし彼女は今のポップ・ミュージックの前線に立っている、と思わせられる。ステージに出てきて、一声を発しただけで、さああと場内に風が流れ、それだけでこれは良い公演だと思わせられちゃったしね。

 ヴォーカルすべてにエフェクトをかけていたけど、それは過去もそうだったっけ? またお茶目さをいろいろと出していたが、それも過去の公演はどうだったっけと思わせる。アフト・ビートのコンビネーションを想起させる曲があって、彼女がコンゴ勢主体大所帯ユニットに参加していたこと(2011年8月1日)も思い出した。会場は満場、若い人が多かった。

▶︎過去の、トクマルシューゴ
http://43142.diarynote.jp/201212171530244316/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160904
▶過去の、ファナ・モリーナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm トゥルー・ピープルズ・セレブレーション(7日)、モリーナ&カブサッキ(15日)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20110801 コンゴトロニクスvs.ロッカーズ
http://43142.diarynote.jp/201312171240301597/
http://43142.diarynote.jp/201502071011467530/
http://43142.diarynote.jp/201603221010109346/

<今日も、>
 よく飲んだ。ずうっと、こんな生活が続いていて、幸せではあるが。。。。。でも、ぼくの周りも、比較的みんな元気だよなー。

nouon

2017年8月23日 音楽
 新宿・ピットイン、昼の部(14時半〜)。おお、相当な入り。こりゃ、夜の部でも上々だろうし、昼の部としては破格の動員ではないのか。客の年齢層は、何気に高い。ここのところ、プログ・ロック/変拍子好きの方からnouonは支持を受けていると言う話を聞いたことはあったが、なるほど……。デビューCDに入っていた曲である「アヴェレイジ」をやりますというMCで拍手が待ってましたァという感じで上がったりして、固定ファンがついていると確かに思わされた。

 日本人二人、米国人と英国人が一人づつ、という東京ベースの4人組であり、編成はヴァイブラフォン、エレクトリック・ピアノ、コントラバス・クラリネット(超低音クラリネットで、形はデカい)、そしてドラム。そんな変わった組み合わせを持つカルテット(2015年4月17日、2015年9月13日、2015年10月9日、2016年3月14日、2017年2月17) だが、その一角を担っていたコントラバス・クラリネットのヒュー・ロイドがこの日をもって脱退。1週間前に荻窪でも彼女たちはライヴをやっているが、この日のギグはこの顔ぶれでの最後のものとなり、オノセイゲン(2000年3月12日、2009年1月17日、2011年8月4日、2012年6月7日、2013年1月30日、2014年4月20日、2014年7月28日、2014年9月23日、2014年10月8日、2014年10月11日、2015年4月17日、2015年9月13日、2015年9月24日、2015年10月9日、2016年3月14日、2016年5月22日、2016年7月26日、2017年5月7日)の手により録音もされた。

 新曲が多く、デビュー作を出して以降も、地道に練り上げてきていることが伝わる。とともに、特殊編成のもとアンサンブルとソロが独創的に交錯する行き方はこのnouonならではの妙味がいろいろ、と思わずにはいられず。マイナー・キーの曲が多かったが、いい意味でのアブストラクト濃度も強くなっていて、瑞々しいアメーバのようなボーダーレス集団表現を4人は成就させていた。この日の演奏がちゃんと残るのは送り手にとっても受け手にとっても、僥倖であると思う。

 始めがあれば、終わりもある。この後の、nouonは? 可能性はいろいろ、楽しみはやまほど……。と、言うしかない。

▶過去の、nouon
http://43142.diarynote.jp/201504181000432127/
http://43142.diarynote.jp/201509231111454665/
http://43142.diarynote.jp/201510141817129055/
http://43142.diarynote.jp/201603151140427186/
http://43142.diarynote.jp/201702211431013289/
▶過去の、オノセイゲン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200901181343426080/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
http://43142.diarynote.jp/201206110945571082/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130130
http://43142.diarynote.jp/201404251643448230/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140728
http://43142.diarynote.jp/201409261635077130/
http://43142.diarynote.jp/201410210814495715/
http://43142.diarynote.jp/201509250943244179/
http://43142.diarynote.jp/201603151140427186/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160522
http://43142.diarynote.jp/201608020801362894/
http://43142.diarynote.jp/201705081232023349/

<今日は、ヴァイブラフォンの日?>
 夕方、現代ジャズ・ヴァイブラフォンの日本人第一人者の赤松敏弘にインタヴューをする。真摯な好現代ジャズ作である新作『シノムニ』(ベガ)リリースに際してのもので、ジャズ・ジャパン誌用。話はいろいろはずむ。nouonのヴァイブ奏者の山田あずさ(2013年5月19日、2014年6月13日、2014年6月15日、2014年10月19日、2014年11月21日、2015年4月17日、2015年5月2日、2015年5月6日、2015年5月22日、2015年5月28日、2015年6月15日、2015年9月13日、2015年11月11日、2016年5月22日、2016年6月13日、2016年9月7日、2017年1月17日、2017年4月27日)とは師事した先生が同じだったりもし、彼女のグループはどんな音なのと、彼からは逆質問されたりもした。昨日は、エドマール・カスタネーダ(2014年1月12日)とのデュオ盤『ライヴ・イン・モントリール』(テラーク)を出す上原ひろみ(2004年11月25日、2005年7月31日、2006年9月3日、2009年9月4日、2010年12月3日、2011年9月3日、2011年9月9日、2011年12月11日、2012年7月25日、2012年12月9日、2014年9月6日、2014年9月7日、2016年9月4日、2016年9月15日、2016年11月16日、2017年5月7日)に取材。CDジャーナル用。相変わらず、快活にして明晰。エドマールとは一緒に欧米を回っており、その中のモントリオール・ジャズ・フェスティヴァルで、該当作はこの6月30日にレコーディングされた。先の『シノムニ』は6月29日と30日の録音。そして、ともに9月下旬のリリース也。いいなあ、録音してすぐに製品化されるというのは。今日のnouonのライヴはe-onkyoから配信されるとともに、フィジカル化もなされるよう。
▶︎過去の、エドマール・カスタネーダ
http://43142.diarynote.jp/201401171004104264/
▶過去の、上原ひろみ
http://43142.diarynote.jp/200411292356580000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050731
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000/
http://43142.diarynote.jp/200909120647256771/
http://43142.diarynote.jp/?day=20101203
http://43142.diarynote.jp/201109121452527893/
http://43142.diarynote.jp/201109151818437240/
http://43142.diarynote.jp/201112191449196187/
http://43142.diarynote.jp/201207310933428147/
http://43142.diarynote.jp/201212140959573710/
http://43142.diarynote.jp/201409100929108025/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160915
http://43142.diarynote.jp/201611171021419374/
▶過去の、山田あずさ
http://43142.diarynote.jp/201305260923241736/ 渋さ知らズ
http://43142.diarynote.jp/201406160956273046/ WUJA BIN BIN
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/ 蝉丸
http://43142.diarynote.jp/201407261220126653/ ダモ鈴木
http://43142.diarynote.jp/201410251052527799/  Down’s Workshop
http://43142.diarynote.jp/201411221353274586/ アトラス
http://43142.diarynote.jp/201504181000432127/ nouon
http://43142.diarynote.jp/201505071132034325/ w.パール・アレキサンダー
http://43142.diarynote.jp/201505240923518276/ MoMo
http://43142.diarynote.jp/201505310957076398/ タクシー・サウダージ
http://43142.diarynote.jp/201506161247423392/ 渋さ知らズ
http://43142.diarynote.jp/201509231111454665/ ヒュー・ロイド
http://43142.diarynote.jp/201510141817129055/ nouon
http://43142.diarynote.jp/201511120722274234/ タクシー・サウダージ
http://43142.diarynote.jp/201603151140427186/ nouon
http://43142.diarynote.jp/201605240833401202/ w.パール・アレキサンダー
http://43142.diarynote.jp/?day=20160613 QUOLOFUNE
http://43142.diarynote.jp/201609201648546159/ WUJA BIN BIN
http://43142.diarynote.jp/?day=20170117 TNT
http://43142.diarynote.jp/201704280745098662/ BLOW UP
http://43142.diarynote.jp/201705081232023349/ w.パール・アレキサンダー
 ブルジル大使館で、来日中の怪(?)パーカッション奏者が出る出し物があり、見に行った。18時からというハンパな時間から始まったのに、盛況。同大使館が時折持っている「Samba100年の歩み」という企画の一環のよう。しかし、シロさん、老けないなあ。って、若い時分から老けていたのかもしれないけど。

 最初の方は、中原仁(2014年12月1日、2015年2月11日、2016年9月29日)が相手役となり、二人でお話。へえ、1980年からニューヨークに住むようになり、ビリンバウはそこでナナ・バスコンセロスにちゃんと習ったのか。その話に及んだときに、彼はビリンバウを少し弾いた。また、「サンバの要はスルド。そして、それは心臓の鼓動」だそう。

 その後は、バティスタ(2004年9月5日、2004年9月18日)を中心とするパフォーマンス。前日だかに、芳垣安洋(2004年2月6日、2004年10月10日、2004年11月7日、2005年4月26日、2006年1月21日、2006年4月18日、2007年4月21日、2009年5月31日、2011年6月8日、2012年3月21日、2013年7月13日、2016年9月4日、2016年10月27日)を交えたワーク・ショップを行ったようで、その参加者達も芳垣とともに加わる。パティスタはいくつかの鳴りや肉声を用い、天真爛漫な音楽の歓びを作り出していく。

▶︎過去の、シロ・バティスタ
https://43142.diarynote.jp/200409050916440000/
https://43142.diarynote.jp/200410121001170000/
▶︎過去の、中原仁
http://43142.diarynote.jp/201412031621332692/
http://43142.diarynote.jp/201502140823232703/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160929
▶過去の、芳垣安洋
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm 29日、ROVO
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-9.htm オーガニック・グルーヴ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm ONJQ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm ONJQ
http://43142.diarynote.jp/?day=20040121
http://43142.diarynote.jp/?day=20040206
http://43142.diarynote.jp/?day=20040610
http://43142.diarynote.jp/?day=20040611
http://43142.diarynote.jp/200411141142200000/
http://43142.diarynote.jp/200411231717590000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050219
http://43142.diarynote.jp/?day=20050906
http://43142.diarynote.jp/?day=20050729
http://43142.diarynote.jp/200510030014590000/
http://43142.diarynote.jp/200511221816310000/
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060707
http://43142.diarynote.jp/?day=20060827
http://43142.diarynote.jp/200612060136540000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20070127
http://43142.diarynote.jp/?day=20090726
http://43142.diarynote.jp/200710181835010000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20091008
http://43142.diarynote.jp/201103040841482385/
http://43142.diarynote.jp/201302201720351212/
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201602030848199962/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161027

 その後は、目黒・ブルースアレイ・ジャパンに行ってパーカッション奏者のヤヒロトモヒロ(2007年11月14日、2009年2月8日、2009年10月12日、2010年7月22日、2011年10月26日、2012年6月13日、2014年2月9日、2014年2月22日、2014年6月16日、2015年8月31日)がリーダーとなる4人組バンドを見る。2003年パリで結成されていて、ヴァイオリンの金子飛鳥(2011年4月6日、2016年11月10日)、さらにピアノの ヘラルド・ディ・ヒウスト、縦と電気6弦を併用するベーシストのカルトス“エル・テロ”ブスキーニという面々。外国人奏者はアルゼンチン人だ。

 4作のアルバムをリリースし、日欧で多数のツアーをこなしている(日本は今回が10度目になるという)だけに、奏者間の信頼関係は半端なく、皆んなでのびのびと音楽観を分かち合い、グループとしての表現を育んでいるのが伝わり、なせか高潔という単語が頭のなかに浮かんでくる。いろんな属性が溶け合うインストゥメンタル主体の表現は、この4人ならではの地域軸を超えたフュージョン表現であると思う。

▶過去の、ヤヒロトモヒロ
http://43142.diarynote.jp/?day=20071114
http://43142.diarynote.jp/200902102121513506/
http://43142.diarynote.jp/200910141731349364/
http://43142.diarynote.jp/201007241308021448/
http://43142.diarynote.jp/201111141210356758/
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196/
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
http://43142.diarynote.jp/201402240940377749/
http://43142.diarynote.jp/201406180852131370/
http://43142.diarynote.jp/201509021103292742/
http://43142.diarynote.jp/201708081443281390/
▶︎過去の、金子飛鳥
http://43142.diarynote.jp/201104091623415118/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161110

<今日の、R.I.P.>
 8月22日に、米国人ギタリストのジョン・アバークロンビー(2010年2月5日、2014年10月18日)が心不全で72歳で亡くなったことを知る。ECMのマフレート・アイヒャーに愛された最たる米国人ギタリストでした。
▶︎過去の、ジョン・アバークロンビー
http://43142.diarynote.jp/201002072246423695/
http://43142.diarynote.jp/201410231404401926/
 まず、丸の内・コットンクラブで、NY在住ピアニストの山中千尋(2005年8月21日、2009年6月7日、2010年3月14日、2011年8月6日、2013年3月3日、2015年5月31日、2015年9月6日)のトリオ公演を見る。エレクトリック・トリオと名乗っているが、ベーシストはダブル・ベースを弾く曲の方が多かったし、山中もエレクトリック・ピアノも弾いたが、グランド・ピアノの演奏の方が印象強かった。ゆえに、”エレクトリック・バンド”というのは看板に偽りあり、だな。後述するが、ドラマーは完全に4ビート流儀で叩いていたわけだし。

 だが、その一方でこのトリオは大きく目を引くものがあり。それはリズム隊も女性でかためた、フィメイル・グループであったこと。同性の奏者は刺激を受けるだろうし、それにはぼくも興味がわく。なお、山中の2017年新作はモンクにトリビューションした『モンク・スタディーズ』というアルバムで、今回はモンク曲をいくつも演奏した。

 ベーシストはドイツ人で今はロンドンに住んでいるというインガ・アイヒラで、ドラマーはイスラエル人のカレン・テパーバーグ。もともと3人はバークリー音楽大学の仲間であったよう。アイヒラーはおとなしい演奏をするのにダブル・ベースの音程が甘くて、少し戸惑う。小さなキットを用いていたテパーバーグはいろいろとアクセント繰り出す人で、面白い奏者だなあと頷く。山中はときにこんなに強い弾き方をしていたっけと思わせるところあり。また、あんなにグリッサンドを多用する奏者であったか? 気の許せる、旧知の同性との演奏ということは、多少それと関係あったかもしれない。

▶過去の、山中千尋
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200906091637138003/
http://43142.diarynote.jp/201003191715113498/
http://43142.diarynote.jp/201108101632022013/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130303
http://43142.diarynote.jp/201506031918248506/
http://43142.diarynote.jp/?day=20150906

 その後は、南青山・ブルーノート東京で、UK洒脱ポップ・ユニットのマット・ビアンコ(2001年2月5日、2013年8月24日、2016年4月19日)の実演を見る。長年キーボード奏者を務め闘病生活に入っていたマーク・フィッシャーが昨年12月に亡くなってしまい、シンガーのマーク・ライリーの単独プロジェクトとなったマット・ビアンコの2017年新作『ギラヴィティ』は約3年越しで進めていた、アコースティック・ジャズ志向作。意外なほど1950〜1960年代の王道2管コンボの音を通ったなかでマット・ビアンコ節が展開される同作について、かなり秀逸なジャジー・ポップ盤とぼくは評価しているが、今回は同作に関与していた英国ジャズ・ミュージシャンを従えて来日した。

 コンボのまとめ役でもあるテナー・サックスのデイヴ・オ・ヒギンズ、トランペッターのマーティン・ショウ、昔インコグニートに入っていたこともあるピアノと電気ピアノのグラハム・ハーヴィー、ダブル・ベースのジェフ・ガスコイン、ドラマーのセバスティアン・デ・クロムという面々は皆なかなかの実力者。彼らだけの公演を持っても、ぼくは楽しめルノではとも思った。そして、そこに、女性コーラスのエリザベス・トロイも加わる。

 『グラヴィティ』の味の良さをそのまま伝えるパフォーマンス。そこで書き下ろされた新曲だけでなく、「フーズ・サイド・アー・ユー・オン?」や「イエー・イエー」などの人気曲もよりジャズ化された設定のもと披露。それも堂に入り、ライリーの歌も溌剌。お客からも熱烈に受けていて、送り手にとっても受け手に取ってもまさにウィン・ウィンな出し物ではなかったか。ぼくは今回の路線をもう少し続けてもいいと思うが、ライリーはどうするつもりだろうか。

▶過去の、マット・ビアンコ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201605140738083056/

<今日の、ご近所さん>
 少し前にちょい近所を散歩したら、前から近くにあった音楽学校のメイザーハウスの場所が少し変わっていた。かつて、菊地成孔が橋本一子に習ったこともあった学校。昔はもっと立派なビルに入っていたが、今はかつてポリドールの洋楽部が分室としてあった(同社はちゃんと労働組合が機能していて、その事務室が一番階上にあると聞いたことがあった)、漬物屋さん所有のわりとこじんまりとしたビルに看板が出ていた。ああ規模が小さくなっているのだなと思ったら、同校は2020年3月をもって閉まるそう。それ、少子化が一番の理由か。それとも、他の音楽専門学校の攻勢や音大の非クラシック系カリキュラムの整備が要因だろうか。

 渋谷・WWW。先発はトルコのガイ・ス・アクヨル。彼女は1970年代のゴー・ゴー・ガールといった出で立ちで出てきて、サポートをする演奏男性陣(ギター、ギターと鍵盤、ベース、ドラム)は黒いローブのようなものを身にまとい、目の部分を覆うマスクをしている。個人名のようであるが、佇まいはとてもバンドっぽい。ドラムとギターはイケ面ぽいかも。いっていても、皆30歳ぐらいか?

 そんな面々がやるのは、オールド・スクールなサイケ・ロック(初期のロキシー・ミュージック〜2010年7月31日〜を思わせるリフの曲もあった)とトルコの伝統音楽をがっつり重ねたようなこと。基本はオリジナルのようだが、20世紀頭の曲と紹介されたものもあった。そんな”私たちの血が生きたロック”は弾けていても、いい意味でおどろおどろしい感覚を持つ。トルコ語で歌われているようだが、アクヨルは英語でMCをし、インタヴューも英語で受けていたという。

▶過去の、ロキシー・ミュージック
http://43142.diarynote.jp/201008251413325933/

 2番目の出演者は、アフリカのモーリタニアのシンガーであるヌーラ・ミント・セイマリ。日本でも紹介されている2枚のアルバムはとっても気に入っていたが、やはり屈強にして、オリジナルな持ち味をぐいぐい味合わせる。セイマリの出で立ちはイスラム教信者であるのは即了解させる。こちらは、旦那でもあるエレクトリック・ギター、5弦のエレクトリック・ベース(痩身で、2メートルはありそう)、英語でMCをしたドラマー(白人で、英語ネイティヴか)がバンドでつく。セイマリも少し英語のMCをし、彼女は頭の方はコラみたいな弦楽器を手して朗々と歌った。

 押しの強い、アフリカン・アラビック・ロック。脳みそとろけそうなストロングな情緒がギターにフランジャー系のエフェクトがかかることで減じていたのは、アルバムでの変化と同じ。だが、グリグリとぐろを巻くようなギター演奏(ピックを用いず、指で弾く。それはやはりサイコー)に、わりとロック流儀のリズムがつくという説明が、それはできるか。ステディなビートの上で枠越えの個体(この場合は、歌やギター音ですね)が舞うという構図はジミ・ヘンドリックス・エキスペリエンスを思い出させるところもあった? イエイ。結構、曲が同じに聞こえちゃう部分もあるのだが、とにかくそんな感じなんだもの、ぼくはグイグイ身体をを揺らしながらやら見てしまった。

<今日の、所感>
 WWWは映画館だったところを、ライヴ会場用に改造したハコ。まあ、ロンドンのザ・スカラ(http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm 8月2日)やニューオーリンズのステイト・パレス・シアター(http://43142.diarynote.jp/200702112125550000/)のように、海外でも映画館や劇場をスタンディング主体のライヴ会場用にリノヴェイションした会場はいくらでもある。ともあれ、あちこちにライヴ用会場は新設されてもいるわけで、それは音楽より映画の方が斜陽ということを示すのか? とか、一瞬思ったが、シネコンとかミニ・シアターとかはたくさんあるはずで、映画の場合はハコのあり方が変わってきているのだと思う。確かに、今のシネコンの座席予約システムの便利さや、会場/座席の見易さはひと昔とはずいぶん変わった。それにならうなら、そろそろライヴ会場のあり方も大きく変化しても良さそうなものだが。企業努力がなされていないのか。まあ、まずはライヴの質ではあるのだけれど。だって、今日見たのような出演者はどんな会場であっても見たいと思うもの。