シュギー・オーティス。渡辺貞夫カルテット
2013年4月1日 音楽 父親のジョニ−・オーティス(1921年〜2012年)はギリシャ系(ようは、白人ですね)米国人ながら、西海岸ジャンプ・ブルース/R&B作りの大才人。マルチ系プレイヤー、コンポーザー、バンド・リーダー、タレント・スカウトなど多方で才を発揮した人物で、シュギー・オーティス(1953年生まれ)はその息子さんであり、アフリカ系とのミックスだ。まだ10代だった1969年には天才ブルース・ギタリストという触れ込みでアル・クーパー(2007年12月10日)との双頭リーダー作『クーパー・セッション』(コロムビア)をリリースし、翌年にエピックとソロ契約。同社発の3作目であるスライ・ストーン(2010年1月20日、他)的な部分も持つ虚脱系グルーヴ・ポップ作『インスピレーション・インフォメーション』はその表現を買うデイヴッド・バーン(2009年1月27日)が自身のルアカ・バップ・レーベルを通して2001年に再発したこともある。同作はソニー/レガシーが1970年代から2000年にかけての未発表曲集『ウィングス・オブ・ラヴ』を伴う2枚組で再リリース、それはちゃんと日本盤も来月に出る。
1970年代前半に3作品をリリースしたあと、彼は沈黙。ながら、先に触れたデイヴィッド・バーンをはじめ、スライ・ストーン的な揺れや(1970年代中期以降の)ギル・スコット・ヘロン的な俯瞰感覚を持つ彼のメロウ表現は知る人ぞ知るという感じで愛好されて来ており、ザ・ブラザーズ・ジョンソンはオーティスのセカンド作収録の「ストロベリー・レター23」を1977年にカヴァーし、R&Bチャート1位を獲得。また、ビヨンセ(2006年9月4日、他)は彼の曲をサンプリングしたのだろう、2003年曲「ギフト・フロム・ヴァーゴ」をオーティスとの共作で登録している。そんなこともあり、彼はなんもしていなくても印税は得ていたと思われる。
ずっと人前に出る事がなかったオーティスではあったが(六本木ピットインで、彼の情けないパフォーマンスを見たという先輩あり。渡米前の山岸潤史〜2012年9月8日、他〜やバーナード・パーディが〜2012年6月19日、他〜一緒だったと、彼は言う)、唐突に昨年秋から大々的にライヴ活動をするようになり、今回は豪州のバイロン・ベイのフェスに出た帰りに日本にも寄った。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。まず、ちゃんと管(トランペット、バリトン・サックス/フルート、テナー・サックス)付きのバンドを率いているのに、かるく驚く。当人を含めて、全8人編成。でもって、オーティス本人の風体にほうっ。痩身、けっこう薬に溺れていたとは思えない精悍な顔つきというのはともかく、王子様のようなシャツとブーツという出で立ち。感じとしては、モノトーン色でまとめたプリンス(少し前の)。こんな感じの人であったのか。また、驚かされたのは、かつてはとっても猫なで声だった(それを聞くと、ぼくはアート・リンゼイ〜2011年6月8日、他〜のヴォーカルを思い出す)はずの歌声がかなり声量が増してたこと。とはいえ、けっこう音痴で、それに関しても、かつてよりパワー・アップ。おそらく、今年接する実演のなかで、彼は一番歌声が不確かな人となるのではないか。
もともと歌は上手じゃないのは分っていたので、それに関しては別に失望を覚えず。バンドも一緒に回っているはずの人たちなはずだが、合格点のサポートの域までは行かず。どこか、ピリっとしない。だから、往年のメロウ・グルーヴ曲をやってもいまいちその妙味は伝わりづらいとも書けるのだが、俺はシュギー・オーティスという数奇な有色才人のブラックホール的なもやもや/常人には窺い知れない音楽人生〜業に触れているのだという所感はおおいに得るわけで、なんか見ていて、不思議な達成感のようなものをぼくは得た。
中盤より少し後の3曲は純ブルース曲。やはり、それが根っこにある? このときは、歌もギター演奏もより太くなる。アンコールは「ストロベリー・レター23」、最後のほうはかなり出音が大きくなっていた。
その後は、南青山・ブルーノート東京に移って、ヴェテラン日本人のジャズ・スターと在NYの若手奏者たちとのお手合わせライヴを見る。今にはじまったことではないが、渡辺貞夫は若い才との出会い、そこから起きる活き活きした音楽的成果の獲得を心から楽しんでいて、まったくレコーディングとは関係のないこの顔合わせ(この4月にリリースされる新作は、ブラジル人奏者/歌手とのリオデジャネイロ録音)もその流れにある。なんでも、けっこう彼はPCを通して若い奏者のチェックに余念がないようだ。そんな彼はこの6月には、この晩とは別の米国人若手奏者たちとブルーノートNY3日間出演を含む米国数カ所のライヴをすることにもなっている。
2011年7月のライヴ(2011年7月4日)で呼んでいるピアノのアーロン・ゴールドバーグ(2012年6月8日)、渡辺貞夫の近2作に録音参加するとともに今やパット・メセニーの現ワーキング・グループの正メンバーになってしまった縦ベースのベン・ウィリアムズ(2012年3月3日〜4、他)、ジャッキー・テラソン(2013年2月8日)の4年前の来日公演(2009年5月18日)やパット・メセニーのジャカルタ公演(2012年3月3日〜4、他)でベン・ウィリアムズとコンビを組んでいるドラマーのジャマイア・ウィリアムズという3人がアルト・サックスの御大をサポート。彼はこの2月で80歳になったようだが、全く元気。アルトの音色も奇麗だし、本当にのれているという感想を抱く。
演奏した曲のなかでは、チャールズ・ミンガスの屈強曲「ブギー・ストップ・シャッフル」には少し驚く。これは、若手とのやりとりの息吹を明快に出したくて取り上げた? いい感じで飛ばしていた貞夫さんだった。
<今日の、盛り下がり>
ここ3日間、また寒い。今日は流れたバーから出たときは、雨がちらついていたりして、なかなかに悲しい。一気に春が遠のいたキブン? 夕方から外に出たからかもしれないが、今日からピカピカの新学期という感じもしないな。エイプリル・フールの嘘もぼくの回りではなんも出回っていない。けっこう遊びゴコロを持つのは好きだけど、ぼくも4月1日用の特別嘘を用意したことは(ここんとこ、ずっと)ないかなあ。なんか、万が一誤解を与えることを考慮すると、日常の他愛ない戯れ言で十分かと。
1970年代前半に3作品をリリースしたあと、彼は沈黙。ながら、先に触れたデイヴィッド・バーンをはじめ、スライ・ストーン的な揺れや(1970年代中期以降の)ギル・スコット・ヘロン的な俯瞰感覚を持つ彼のメロウ表現は知る人ぞ知るという感じで愛好されて来ており、ザ・ブラザーズ・ジョンソンはオーティスのセカンド作収録の「ストロベリー・レター23」を1977年にカヴァーし、R&Bチャート1位を獲得。また、ビヨンセ(2006年9月4日、他)は彼の曲をサンプリングしたのだろう、2003年曲「ギフト・フロム・ヴァーゴ」をオーティスとの共作で登録している。そんなこともあり、彼はなんもしていなくても印税は得ていたと思われる。
ずっと人前に出る事がなかったオーティスではあったが(六本木ピットインで、彼の情けないパフォーマンスを見たという先輩あり。渡米前の山岸潤史〜2012年9月8日、他〜やバーナード・パーディが〜2012年6月19日、他〜一緒だったと、彼は言う)、唐突に昨年秋から大々的にライヴ活動をするようになり、今回は豪州のバイロン・ベイのフェスに出た帰りに日本にも寄った。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。まず、ちゃんと管(トランペット、バリトン・サックス/フルート、テナー・サックス)付きのバンドを率いているのに、かるく驚く。当人を含めて、全8人編成。でもって、オーティス本人の風体にほうっ。痩身、けっこう薬に溺れていたとは思えない精悍な顔つきというのはともかく、王子様のようなシャツとブーツという出で立ち。感じとしては、モノトーン色でまとめたプリンス(少し前の)。こんな感じの人であったのか。また、驚かされたのは、かつてはとっても猫なで声だった(それを聞くと、ぼくはアート・リンゼイ〜2011年6月8日、他〜のヴォーカルを思い出す)はずの歌声がかなり声量が増してたこと。とはいえ、けっこう音痴で、それに関しても、かつてよりパワー・アップ。おそらく、今年接する実演のなかで、彼は一番歌声が不確かな人となるのではないか。
もともと歌は上手じゃないのは分っていたので、それに関しては別に失望を覚えず。バンドも一緒に回っているはずの人たちなはずだが、合格点のサポートの域までは行かず。どこか、ピリっとしない。だから、往年のメロウ・グルーヴ曲をやってもいまいちその妙味は伝わりづらいとも書けるのだが、俺はシュギー・オーティスという数奇な有色才人のブラックホール的なもやもや/常人には窺い知れない音楽人生〜業に触れているのだという所感はおおいに得るわけで、なんか見ていて、不思議な達成感のようなものをぼくは得た。
中盤より少し後の3曲は純ブルース曲。やはり、それが根っこにある? このときは、歌もギター演奏もより太くなる。アンコールは「ストロベリー・レター23」、最後のほうはかなり出音が大きくなっていた。
その後は、南青山・ブルーノート東京に移って、ヴェテラン日本人のジャズ・スターと在NYの若手奏者たちとのお手合わせライヴを見る。今にはじまったことではないが、渡辺貞夫は若い才との出会い、そこから起きる活き活きした音楽的成果の獲得を心から楽しんでいて、まったくレコーディングとは関係のないこの顔合わせ(この4月にリリースされる新作は、ブラジル人奏者/歌手とのリオデジャネイロ録音)もその流れにある。なんでも、けっこう彼はPCを通して若い奏者のチェックに余念がないようだ。そんな彼はこの6月には、この晩とは別の米国人若手奏者たちとブルーノートNY3日間出演を含む米国数カ所のライヴをすることにもなっている。
2011年7月のライヴ(2011年7月4日)で呼んでいるピアノのアーロン・ゴールドバーグ(2012年6月8日)、渡辺貞夫の近2作に録音参加するとともに今やパット・メセニーの現ワーキング・グループの正メンバーになってしまった縦ベースのベン・ウィリアムズ(2012年3月3日〜4、他)、ジャッキー・テラソン(2013年2月8日)の4年前の来日公演(2009年5月18日)やパット・メセニーのジャカルタ公演(2012年3月3日〜4、他)でベン・ウィリアムズとコンビを組んでいるドラマーのジャマイア・ウィリアムズという3人がアルト・サックスの御大をサポート。彼はこの2月で80歳になったようだが、全く元気。アルトの音色も奇麗だし、本当にのれているという感想を抱く。
演奏した曲のなかでは、チャールズ・ミンガスの屈強曲「ブギー・ストップ・シャッフル」には少し驚く。これは、若手とのやりとりの息吹を明快に出したくて取り上げた? いい感じで飛ばしていた貞夫さんだった。
<今日の、盛り下がり>
ここ3日間、また寒い。今日は流れたバーから出たときは、雨がちらついていたりして、なかなかに悲しい。一気に春が遠のいたキブン? 夕方から外に出たからかもしれないが、今日からピカピカの新学期という感じもしないな。エイプリル・フールの嘘もぼくの回りではなんも出回っていない。けっこう遊びゴコロを持つのは好きだけど、ぼくも4月1日用の特別嘘を用意したことは(ここんとこ、ずっと)ないかなあ。なんか、万が一誤解を与えることを考慮すると、日常の他愛ない戯れ言で十分かと。