カート・ローゼンウィンケル2010年3月12日 音楽

 在NYの真性ジャズ・ギタリスト(1970年、フィラデルフィア生まれ。2009年3月1日)、白人のウッド・ベース奏者、黒人ドラマーを率いたトリオでのパフォーマンス。赤レンガ倉庫・モーション・ブルー・ヨコハマ。とても満員、土曜と日曜の新宿ピットイン公演も激売れだそうで、新しいジャズ・ギター・ヒーローの座を得ているナとほのかに思わずにはいられず。受けていて、彼も嬉しそうだった。

 本来は生理的にほころびたり立っていたりする自作曲のもと敏感なギター演奏を繰り出す彼(その際はサックス奏者や鍵盤奏者がバンドには入る)だが、昨年盤はトリオによる正調ジャズ傾向作で、今回の実演もそれにならうもの。チャーリー・パーカー、セロニアス・モンク、マイルズ・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ウェイン・ショーターらジャズ巨人の曲を、彼は誠実に紐解いて行く。少しぐらいはかつて見せていたはみ出した自作曲素材の行き方を出してもいいのにと思ったが、今回はそういう設定ではないもん、というのが彼の気持ちらしい。ま、なんにせよ、ジャズ奏者としての高い資質、確固とした矜持がすうっと出た演奏だったのは間違いない。1時間半ぐらいのセットを二つやる。

ピンク・マティーニ2010年3月10日 音楽

 六本木・ビルボードライブ東京(セカンド・ショウ)。ピンク・マティーニはオレゴン州ポートランドをベースとする洒脱&酔狂集団。その求めるところは、憩いある広義のラウンジ・ミュージック/野卑にならないキャバレー・ミュージックを提供しよう……。だからこそ、彼らはスウィンギンなジャズ調曲、ラテンやブラジル調曲、シャンソン曲、そして果ては日本の歌謡曲までを涼しい顔して取り上げてしまう。そして、その先にはしなやかな音楽観や生活観が広がっており、アメリカにも変テコな愛い奴らがいるじゃんと思わせられるわけだ。かなり洒落のめした、外しのグループと言えるわけで、日本だとダブル・フェイマスとかASA-CHANG&ブルーハッツなんかは少しは近い? ただ、ピンク・マティーニはみんな中年以上なので少し落ち着いているところはあるか。とともに、中心人物のピアニスト(オフは、日本の赤いランドセルをしょっている)と女性歌手(母親はアフリカン・アメリカンで父親はアイリッシュとどこか、と言っていたな)はハーバード大出だそうで、いろんな言語で歌う部分をはじめ、どこかに知性のありかを透けさせているところはあるかも。90年代中期から活動している人たちだが、演奏は過剰には上手くないので、当初はほんと密かな愉しみ的なノリでスタートしたのかもしれない。

 ステージ上には、12人。ピアノ/MC(一生懸命、たどたどしい日本語を連発)、女性ヴォーカル、サブの男性ヴォーカル、トランペット、トロンボーン、ヴァイオリン、チェロ、ギター、ウッド・ベース、ドラム、パーカッション2。もちろん、みな正装。さらに、途中にマヒナスターズの曲「菊千代と申します」をやるときは琴奏者も出てきて、大正琴のような演奏を聞かせる。やはり、日本語の曲はウケる。その際、シンガー陣は綺麗な日本語発音で歌う。格好いい男性シンガーは日本姓を持つ美声の持ち主で、ジェロと絡んでほしいと思った? 終盤に再び日本語曲の「タ・ヤ・タン」。そしたら、横からオリジナル・シンガーの由紀さおりが出てきて、一緒に歌う←さすがの歌い口、物腰。そりゃあ、湧きます。ぼくはともにそれらの日本語曲をピンク・マティーニの前に聞いたことはなかったが、原典を知っている人だと、また別の感慨があるかも。

 ところで、ポートランドというと、インディ系のロック・バンドがいろいろ出ていてちゃんとした音楽シーンを持つ街という印象を持つ(ヘルメットにいたペイジ・ハミルトンもそこの出身だよな)が、レコード市場も充実しているよう。なんでも、マヒナスターズや由紀さおりの曲は同地の中古盤屋で買って、知ったのだとか。ほお。なお、彼らのマネイジメントはノラ・ジョーンズ(2010年1月21日、他)とかメロディ・ガルドー(2009年9月5日、他)とかダイアナ・クラール(1999年5月21日)とかが所属する事務所。彼らはインディからアルバムを出しているが、けっこうツアーもやっているようであり、日本盤も出た最新作『草原の輝き』はそこそこ米国総合チャートでも健闘した(客は外国人も少なくなかった)のは、そのご利益もあるのだろう。初来日だと思っていたら、彼らのことを企業絡みの公演でかつて見た(アストロ・ホール)という人がいましたが。

イヴァン・リンス2010年3月9日 音楽

 6時すぎ、家を出ると、雨が雪に変わっている。うわ、そりゃ寒いはずだ(夜半に帰宅するときは雨になっていたが、それなりに積もっていた)。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 いいライヴだったネ、見終わった後、自然にそんな感想が生まれてきそうな実演だったな。リンス(2002年5月1日、2009年3月17日)は今回少し趣向を変えて(?)ホーム・タウンであるリオにまつわる歌をいろいろ歌ったようだが、ほんわか歌心が舞う様はほんといい感じ。毎度おなじみのメンバー(鍵盤、電気ベース、ドラム)との実演、その3人のバッキング・ヴォーカルもいい風情を出しており、それは音楽が生まれる場の歓びを呼んでいたのは間違いない。レギュラーのサックス奏者をオミットしてのパフォーマンスだったのだが、フュージョンぽさをあまり感じさせなかったのは、そのせいもあるのかな。とにかく、インティメントなバンド力学のもと開かれるブラジル的なくつろぎの気持ちににっこり。昨年出た、蘭のフル・オーケストラを従えたライヴ盤もかなり良かったが、リンスさん好調のようだ。

 ステージ横にマイクと譜面台が置いてあるぞと思ったら、後半部にはトロンボーン奏者の村田陽一(2005年1月7日、他)が出てくる。村田は1月にリオでイヴァン・リンスとの共演アルバムをレコーディングしたばかり、そりゃ客演も当然か。で、アンコール曲も含めて、じっくり5曲も一緒にやる。演奏曲はそのアルバムに入る両者が書いたオリジナル曲のようだが、あたかもそれらは、ゆったりしたサウンドやメロディに乗って、リンスの歌と村田のトロンボーンがしなやかにデュエットしているよう。この晩、改めてトロンボーンが肉声の音域に近い楽器であるのを再確認させられました。その共演作が楽しみ。

コブラ・スターシップ。ブランフォード・マルサリス2010年3月8日 音楽

 恵比寿・リキッドルーム。昨日の項で、客の熱烈な反応について触れているが、今日もそれについては破格なもんがあった。凄かった。そんなコブラ・スターシップはNYの態度の軽いダンス・ロック・バンド。で、サマーソニックやフジ・ロックにも出演歴アリというが、会場入りし入場者を見て、まずはうなる。多くは10代のようで女性が多く、フツーのロック系公演客の感じとは違う。もう、完全に歌謡アイドル系ですね。で、やる曲もその手のダンス・ポップをバンドでやっているという感じ。

 ヴォーカル、ギター、ベース(鍵盤ベースも使う)、ショルダー・キーボード(女性)、ドラマーという布陣にて、同期音併用のもと、あっけらかんとコンパクトにまとまった曲を大歓声のなか開いて行く。とにかく感心しちゃったのは、メンバーの物腰/ステージマナー。これだけ受けてたら尊大さが顔を出してもおかしくないのに、彼らはイキがらず笑顔&真心にてショウを遂行。オ客様ハ神様デス……。うわあ、プロ意識たっぷり、人間できている! その様にはちょっとびっくり。すごいすごい。音楽性はちゃらいが実演能力は上々、歌は前に出ているし、ドラマーやギタリストはけっこう腕がたつと思わされた。

 続いて、南青山・ブルーノート東京。現代ジャズ界を代表するサックス奏者(2001年10月24日。今はテナーとソプラノを吹く)のワーキング・グループを見る。もう、ハード・ロックならぬ、ハード・ジャズ。もう、笑っちゃうぐらいに。共通理解項をもとに、後は行くしかねえべ的に腕に覚えりまくりの奏者たちが絡まり、突っ走って行く。

 彼は長年、顔ぶれが同じグループを率いて録音&ライヴをやってきているが、今回ドラマーはジェフ・ワッツ(2007年12月18日)からフィラデルフィア育ち若手のジャスティン・フォークナーという人物に変わっていたが、その叩き口がまたうれしい。どんなハード・コア・バンドにも入れるんじゃないか、なんてね。実は、この帯公演のアタマの3日間はピアニストのジョーイ・カルデラッツオが来日できなかったようで、片倉真由子と小曽根真という米国の活動歴/コネクションも持つピアニストが代役で入ったようだが、どうだったんだろ? この晩のようなお互いを分かり合っての濃密さや諧謔〜破綻の表出はなかったろうが、一期一会的なジャズをジャズたらしめる何かはあふれるものだったかも。

ザ・ゲット・アップ・キッズ2010年3月7日 音楽

 雨天で、寒い。昨日は見に行く予定だっサッカーJ1開幕の東京と横浜の試合を、同様の天候のためパス。今日もライヴ・ショウだけだと気持ちが揺らいだかもしれないが、昼下がりに知人の新居お披露目パーティ(気張ったなア。車は手放したそうだが、ちょい不安デスとぽつり。でも、きっと大丈夫。新居にはちゃんとヒカリがあったもの)があり、そのまま会場の赤坂・ブリッツに流れる。なんて、ヘタレなこと書いていて申し訳ない。熱心なファンが詰めかけたこの晩の公演はソールド・アウトで、実際オーディエンスの反応はすごかった。

 05〜08年の間は解散していた、澄んだ性根/歌心を鮮やかに出すような、人なつこい青春ロックを聞かせるカンサス州拠点の5人組(ベースはトラだったよう)の、再結成後の初来日公演。もう1曲目から、モッシュが始まるとともに、結構な人が片腕を差し上げて、リフレインを合唱する。うわー、すごい光景。一緒に歌える曲なぞ1曲もない外様客のぼくではあるが、その様に触れることができて良かったと素直に思えた。それはやはり、生のアクトに触れたい/やり取りを持ちたいという受け手はしっかりいて、ライヴの場は不滅なのダという思いを導くものであったから。出演者がぼくの好みのストライク・ゾーンにいる人だったら、もっと有頂天になれただろうな。でも、気持ちよ〜く、お酒は進みました(この晩のここのビールは泡が多すぎ。もう少し丁寧に注いでほしい)。バンドの再結成は綺麗ごとが喧伝されたりもするが、大方はお金を得たくてなされる。ザ・ゲット・アップ・キッズの場合はどういう理由でまた活動を再開したかは知らないが、そういうロマンに欠ける理由であっても、これだけ熱く受けている(ありがとう、なんて声が客から飛んだりも)なら、続けるべきだとも、ぼくは思った。

ジビエ・ド・マリ2010年3月4日 音楽

 夏木マリをフロントに置く、オールド・ウェイヴ・ロック・バンドと言っていいのか。オープナーは、ジャニス・ジョプリン曲を日本語詞にて披露。以下は日本人曲(ウルフルズのカヴァーは2曲あったよう)をやる。どっしりしたサウンド(ドラマーはかつてクリエイションをやっていた人。あんまり外見は老けてないな)を受けてキャラクタリスティックなヴォーカルを乗せ、その総体はある種のあやしい情緒を浮上させたりもする。

 場所は渋谷に新しくできる、プレジャー・プレジャーという新しい音楽用のハコで、このミニ・ライヴはそのお披露目を目的としたもの。田園都市線駅直結となる渋谷プライムの6階(下のほうは、ユニクロになるなど、ビル自体がかなりリニューアルになるのかな)で、隣はシネ・セゾン。ここも元々は映画館だったようで、席はそれをそのまま用いているのだろう、基本着席のスタイルをとる。ぼくは2階から見たが、見やすかった。客席数は300人強、大人向きの日本のアーティスト中心に出演させていくよう。

ジョン・バトラー・トリオ2010年3月3日 音楽

 代官山・ユニット。豪州ベースのルーツィなロック・バンド(2008年4月4日)のギグ。レコード会社が新作リリースのプロモーションのため呼んじゃってのショーケースで、入場者はネットで募ったよう。1時間の予定と言われていたが、1時間半はやったはず。この下旬から、彼らは新作『エイプリル・ライジング』(このアルバムから、バンド名から定冠詞が抜けたみたい)をフォロウする全米ツアーに入る。
 
 バトラーは気合いの入ったドレッド・ロックスがトレイド・マークであったが、今は短髪に(なんでも、その理由を聞かれると、答えを濁すそう。父親になったのが、関係あったりして)。が、それ以上に大きいと言えるかもしれない変化は、なんとリズム・セクションが二人とも変わったこと。ドラマーは04 年作でも絡んだことがある義理の兄で、ベーシストはメロウなグルーヴ表現を聞かせるシドニー拠点のザ・レイ・マン・スリーのメンバー。彼らは今年のグリーンルーム・フェスに来るが、ちょうどバトラーのツアー中でどうするべかという感じらしい。ここで、彼は一部でウッド・ベースも弾く。ともあれ、すぐに了解できたのはバンドの音圧もそうだが、何よりバトラーの歌が少し雄々しくなっていること。それには、うれしくなる。最後の方では、3人でドラムを叩いたりしてチーム・ワークもばっちりな感じ。

 実はジャクソン5の「アイ・ウォント・ユー・バック」のカヴァーを披露するのをほのかに期待していたのだが、それはなし。彼のウェッブには、ラジオ番組に出演したとき披露した新作からの先行シングル「ワン・ウェイ・ロード」と「アイ・ウォント・ユー・バック」がアップされていて、なかなかいい感じであったから。普通は、アーティストのサイトをマメに見ることはあまりないが、インタヴューをすることになっていたので、ちゃんとチェックしていた次第……。ブルガリアにルーツを持つバトラーだが、彼が豪州で人気者になった理由はアーシィな事をやっているのに優男であったことも働いているんじゃないだろうか。そんな彼、弦を押さえない右手の指と左手の親指は爪を伸ばしていて、白いマニュキアを塗っていた。

ジェーン・モンハイト。ロバータ・ガンバリーニ2010年3月1日 音楽

 女性ジャズ・ヴォーカリストの日。曲線と直線、両者の違いを誇張して言うなら、そう言えなくはないかな。

 まず、現在はコンコード(ものすごく間口を広げた今も、同社は伝統に則り、女性ジャズ・ヴォーカリストを厚遇しようとしている、とは言えるか。ニーナ・フリーロンの近く出る新作も相変わらずの水準をキープ)と契約しているNY州出身のモンハイトを見る。ピアニストと縦ベーシストをバックに、細心の心持ちのもと山と谷のあいだを移っていき、綺麗な放物線を描くような歌を笑顔で(なんか、ちょっとした所でお茶目なキャラクターの持ち主であるのも伝わってくる)披露。やっぱり物理的な歌のうまさを超えるサムシングを多大に出していて、大スタンダード「ザッツ・オール」の素晴らしさをびっくりするぐらい再確認させられたり、コリーヌ・ベイリー・レイの可憐な「ライク・ア・スター」がしっとりした大人の歌に変わっていてオホっとなったり。ジョビン曲「3月の雨」のときは、ピアニストはドラムを叩いた。

 前回みたときは写真とゲンブツの体つきの落差にびっくりしちゃって、そのことばかり書いているはず(そのときの日付がわからい)だが、太っていても(この日も、身体の線がしっか出る格好ナリ)しっかりと名声を獲得しているわけで、本当に喉の作法で居場所を得ている人という感を強くする。そんな彼女には、歌を習ってます風な女性を含め、しっかりと支持者がついているようで、会場はとても入っていた。実はこの晩は、旦那さんでもあるドラマーが急病で出演できずにピアノとベースのバッキングとなったようだが、それもなんら問題はなく。逆に、下手をうってはイカンと普段以上に出演者はプロの矜持とともに気持ちを入れてやるはずで、貴重と言えるかも。帰り際、お詫びでチャージ無料の優遇チケットを渡された。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 続いて、現在米国ではエマーシィ/ユニヴァーサルからアルバムがリリースされている、イタリア出身のガンバリーニ(2008年9月16日、2009年4月22日)を南青山・ブルーノート東京で見る。例によってカラダを張っていて、この晩は薄手のワンピース。そして、よく整備されたピアノ・トリオをバックに思うまま、歌っていく。けっこう、その場で臨機応変に曲を決めている感じもあり、まさに悠々。スキャットも往々にかまし、やっていることの難易度はモンハイトより彼女の方が高いか。が、それゆえ、情緒的にゆったりしているモンハイトのほうが少し攻撃的な姿勢を持つ彼女よりくつろげて聞けていいという人も少なくないだろう。だが、それでも私はきっちりインプロヴィゼイショナルな歌に向かうという覚悟のようなものもガンバリーニには感じ、ぼくは冒頭で直線という形容を用いたわけだが。それと、今はNYに住むとはいえ、イタリアで生まれてジャズ歌いを激マジで志したという経歴はその姿勢に繋がっているかもしれない。本場のジャズの流儀をモノにしたい、どうせやるなら核心に通ずることを志したい……その純にして澄んだ気持ちはよりオーセンティックなジャズ・ヴォーカル表現に向かわせているところはあるんじゃないだろうか。

清水靖晃&サキソフォネッツ2010年2月27日 音楽

 今週はようやく気候が温み、ホっとする。それまで2月は、ほんと寒かったア。ながら、冬場は通常ずっと風邪ぎみ(でも、ズボラなんで医者に行こうかとは思わないが)だったりする私なのだが、今期は現在のところ一切風邪の症状とは無縁。うれしいが、どうして? どんどん、体力/抵抗力は下がっているはずなのに。が、クラシック仕様の会場/雰囲気のなかにいて、この日は見事に咳をごほごほしたくなる(いや、少しする)。錦糸町・すみだトリフォニーホール。

 ジャズ、ポップ(CM曲で見せる、そっち方面のセンスはすごい)、クラシックなどいろんなジャンルを自在に横断しまくりのテナー・サックス奏者と各種サックス奏者4人が協調するユニット(2000年12月16日、2006年9月26日)の、バッハの「ゴルドベルク変奏曲」(18世紀に、チェンバロ演奏のために書かれたそう)をやりますという出し物。彼のサキソフォネッツは<バッハ曲をサックスのアンサンブルにて紐解き、それを開かれた場にて宙に溶けさせる>という名目を持っていたはずだが、この前みたときはバッハ/クラシックから離れ、いい意味で下世話(民謡的)な五音音階のメロディにのぞむユニットに移行していたはずなのだが、ここではまた前のノリを出す。小パンフを見たら、この会場は<ゴルドベルク変奏曲>をいろんな人が演奏するシリーズを打っているようなので、会場の求めに従い、今回は再びバッハ曲に立ち戻ったのかもしれない。

 が、そこは清水のこと、一筋縄で行くはずもなく、クリエイティヴにかっとぶ。鍵盤用に書かれた楽曲をサックス群用に書き直すだけでなく、そこにさらに4人のコントラバス奏者の演奏を加えて(<5本のサクソフォンと4本のコントラバスによる>という、副題がつく)、250年以上も前につくられた曲を今の揺れや色彩感を持つものに持ってこようと、彼はする。編曲段階でかなり引き算したり足し算したり、ときには拡大解釈も加えてもいるようで、オリジナルよりも長目の演奏になったよう。冒頭は清水一人の即興演奏、2曲目から9人により、原曲に従い主題と30もの派生ヴァリエイションが提示されたわけだが、15個目が終わった時点で休憩が入った。

 枠を定めない、高尚さと隣り合わせの、開放された音楽行為……。しかし、大学なぞに行かずに現場叩き上げである清水(元マライア。その所属事務所は、確かビーイング)が、芸大出の奏者たちを堂々掌握し、また普段クラシックを聞く人が多いだろう観衆を魅了していく様は愉快千万。うひひひ。

Shingo02(歪曲バンド)、レ・ロマネスク、マイア・バルー2010年2月25日 音楽

 バルーをフロント・アクトに置く、複数の国と繋がりを持つ国際派の3つのアクトが出る興味深くも面白い出し物で、代官山・ユニット。ベースメント・ジャックス(2007年1月11日)のライヴとどっちに行こうかなと少し悩んだけど、こっちで正解と思ふ。

 まず、LA在住の日本人ラッパーのShingo02が登場。DJ、ヴァイオリン、キーボード、ウッド・べース、ドラムがサポート。独自のクールネスとさあっと清新な風とともに熱を散らすような感覚を持つ態度/フロウは格好良い。キーボードはエミ・マイヤー(2009年7月26日、他)で、途中で1曲フィーチャーされる。
 
 この日はサブ・ステージが横に設けられていて、次はそこにパリ拠点の日本人仮装(王子とメイドを模しているよう)二人組のレ・ロマネスクが登場。チープな歌謡ポップ風打ち込みトラックに乗り、独自の妙味をもわもわ出すパフォーマンスをする。ほう、こんなん。もう10年近くもパリに住み、いまやフランスではトップに知られる日本人であり、活動範囲は欧州/米国に広がっているのだとか。MCはフランス語を茶化した日本語にて、バカじゃできねえなと感じさせますね。世界中に、オバカでクールで洒落の分かるオルタナ日本人像を広めてください。少し、越路姉妹(2009年10月12日、他)を想起させるところもあったか。

 そして、ピエール・バルーと日本人の両親を持ち、現在は日本で活動するマイア・バルー。ベースや打楽器二人に、なんとシアターブルックの佐藤タイジ(2005年2月15日、他)も入る編成にて、生理的にとても開かれているポップを展開。当人は、天衣無縫に歌をうたうだけでなく、フルートやギターやキーボードを弾くときも。なんでも出来るんだナ。妙な寸劇みたいなMCも含めて、スケールが違うという感じはひしひし。なんか、かなわねーと感じさせられます。

TOYONO2010年2月23日 音楽

 青山・プラッサオンゼ。ファースト・ショーだけ見たのだが、パンデイロのソロから始まった頭2曲のグルーヴィなバンド音の大きさにびっくり。おお、何度かここで見る彼女(2009年12月18日、他)の実演の印象からけっこう離れるじゃないか。その場合は、本人も即興性の強い歌い方で攻める。基本、固まった顔ぶれによるワーキング・バンドだし、日々笑顔とともに試みつつ、伸長しようとしているんだな。当たり前のことかもしれないが、確かなミュージシャンシップを感じました。

ハンク・ジョーンズ“ザ・グレイト・ジャズ・トリオ”。ザ・ブランド・ニュー・ヘヴィーズ2010年2月22日 音楽

 ハンク・ジョーンズ(2006年9月3日)の年齢は、91歳(1918年生まれ)ですぢゃ。わあ。でも、けっこう毎年来ているはずで、ほんとお元気。すごいな、その年齢ながら、飛行機で太平洋を横断するのが苦にならないとは。「機内で、退屈な映画を見れば大丈夫。すぐに、眠たくなるから」と、彼は言っているそうだが。とはいえ、いつ召されてもおかしくない年齢なわけで、ちょい前に飲んだときに彼の話になったことがあり、もう一度ちゃんと見ておきたいなという気持ちになった。ちなみに、彼の弟二人は、ともにハンクさん以上にジャズ史に名を残すと言えるかも(と、書くと、ハンク・ジョーンズのファンは怒るか)。ビッグ・バンド史に燦然と輝くサド・ジョーンズと、スーパー・ドラマーのエルヴィン・ジョーンズ。すでに、彼らは60代と70代で亡くなっている。ブルーノート東京、ファースト・ショウ。まあ、切れやスピード感(で、もともと売っていた人ではないけれど)は減じているが、するりと枯れたフレイズを綴る。何か余韻のようなものが、そこから広がる。サイド・マンは、ベースがデイヴィッド・ウォン(2009年6月1日)で、ドラマーはリー・ピアソン。みんな正装、それもある種の風情を高める。ゆったりしたMCをするが、まだボケてもいないようだ。長身痩身の彼は歩行も、杖とかついいていない。

 その後、六本木・ビルボードライブ東京で、UKジャジー・ファンクの代表格バンド(1999年8月2日)を見る。デビュー以来代わらない高校時代からの仲間であるオリジナル・メンバー3人に、サポートのキーボード奏者をいれてのもの。そして、ヴォーカリストは最初の看板シンガーだったエンディア・ダヴェンポート。そこに、さらにバックグラウンド・ヴォーカルとして、日本人シンガーのMARUも加わる。MARUは昨年の彼らのUSツアーにも参加したとかで、いい感じでグループに溶け込む。ダヴェンポート→サイーダ・ギャレット→カーリン・アンダーソン→ニコール・ルッソ(2002年5月28日)→ダヴェンポート、とリード・シンガーは一周したわけか……。俺、彼女たち全員にそれぞれインタヴューしている。とともに、90年代に2度ほどロンドンでも彼らのライヴを見ていたりして、ちょい近い気持ちを抱いてしまうバンドかもしれない。残念ながらダヴェンポート(いまだ、ニューオーリンズに住んでいるのかな?)の歌声は少し衰えていると感じる部分はあったものの、UKらしさを感じさせる(メンバーたちは、やはりR&B/ファンクの本場たるアメリカを大西洋の対岸から俯瞰できる特権を活かした表現をやりたい……というようなことを言っていたと記憶する。彼らの生演奏のうえでギャングスターやクール・G・ラップらいろんなラッパーたちが乗るという体裁を持つ92 年デリシャス・ヴァイナル発『Heavy Rhyme Experience,Vol.1』は再評価されてもいいかも。ザ・ブラック・キーズの同指針盤など、そういうの最近見られるし)、闊達なソウル表現は気分良し。ココロ踊る。

シカゴ。クランツ・カーロック・ルフェーブル2010年2月19日 音楽

 シカゴはロックを聞きだした頃から、リアル・タイムに聞いたバンドだった。彼らはブラス・ロックと呼ばれた管セクション付きの大型バンドで、BS&Tとかチェイスとか同型の米国グループは他にもいたが、ちゃんとアルバムを買ったのは彼らだけ。とはいえ、ぼくがちゃんと聞き込んだのは5枚目の『シカゴⅤ』(72年)までで、そのあとはなぜかすうっと潮が退くように興味が失せてしまい、“その他”のバンドになってしまったわけだけど。そしたら、それと軌を一にするように音楽性がどんどん甘くなっていって、80年代に入るころには耳に入れたくない存在となってしまった。ではあるものの、その初期の男っぽく、ツっぱった音楽性のことを思うと、生理的に発汗するぐらいの愛着は今のぼくのなかにもしっかりとある。

 そんな彼らは初期においては反体制的なイメージを鬼のように背負って活動をしていたわけだが、曲者音楽家が大挙出演した(ルー・リード、ボブ・ディラン、ランDMC、ルーベン・ブレイズ、トニー・ウィリアムズ、デイヴィッド・ラフィン、エディ・ケンドリックス、ビッグ・ユース、ボーノ、ボニー・レイット、ジョーイ・ラモン、アフリカ・バンバータ、ボビー・ウォマック、ジョージ・クリントン、ジミー・クリフ、元ミッドナイト・オイルで現在は“おクジラ様”な態度を横柄に取る豪州国務大臣のピーター・ギャレット、他)、南アの反アパルトヘイトを掲げた85年チャリティ・プロジェクト“サン・シティ”で反面教師的に非難の矢面に立たされたときにはびっくりしたっけ。それは、その名前を冠した白人用の象徴的娯楽施設に彼らが出演していたためで、リトル・スティーヴン主導の同曲の決めのリフレインは”We Ain’t Gonna Play Sun City!“だった。ちなみに、その曲はアフリカ風味もまぶしたヒップホップ・ロックの傑作(クリップは、ジョナサン・デミやゴドリー&クリームらが監督)で、「ウィ・アー・ザ・ワールド」やボブ・ゲドルフ主導の「ドゥ・セイ・ノウ・イッツ・クリスマス」と当時相次いた有名人満載チャリティー・ソングのなか、ぼくは「サン・シティ」がダントツで好きだった。

 有楽町・東京国際フォーラムのホールA。翌日も行われるが、けっこう入っている。笑っちゃうぐらいに、中年越えの人だらけ。オヤジだけでなくオバハンも目に付き、女性からも受けたバンドであるのを認知する。71、72、73年と連続して日本ツアーを行い、東京公演は必ず日本武道館で、初期の日本ロック興行史のなかではトップに大きな存在であったろうバンド。72年の時は、NYカーネギー・ホールでの4枚組の実況盤を出したばかりなのに、日本では2枚組『ライヴ・イン・ジャパン』としてまとめられ、それは遅れて海外でもリリースされた。故テリー・キャスのギター音のチューニングが甘くて少し気持ち悪いそこには、2曲の日本語ヴァージョンが納められていた。この晩もさっそく、2曲目に愛想良く、彼らは日本語版曲(「クエスチョンズ67&68」だったか)を決める。彼らは、かつてもっとも日本にフレンドリーなバンドでもあったのですね。

 ロバート・ラム(ピアノ、ヴォーカル)と3人の管楽器奏者がオリジナル・メンバー(という触れ込みだったようだが、サックス/フルート奏者は少し若目に見えたので、新参かな)。他に、ベース/歌、ギター/歌、キーボード/歌、ドラム、パーカッションという、9人編成によるもの。ステージの両側には大きなヴィジョンが置かれ、メンバーの表情/仕草は手に取るように分かる。で、驚いたのは、歌う人は皆ヘッド・セットのマイクを使用し、ブラス陣はワイヤレスのピックアップをつけていて、かなり動いてパフォーマンスすること。じいさん&おじさんたち、意気軒昂。ノースリーブの上着を着たトロンボーンのジェイムズ・パンコウは特に張り切りまくって動き、見栄を切る(前夜は、遅くまでホテルのバーで飲んでいてぐだぐだになっていたらしいが)。ほう。やはり、ホーン音の絡みは好アレンジのもと良好、ときに取った各ソロは確か。本当に、鍛錬された奏者が意気をもって結成したバンドであることが、改めて分かる。当初からブラス・アレンジも担当したパンコウは当時の全米の大学ビッグ・バンド在籍のトロンボーン奏者のなかピカ一の存在ですぐにジャズ・マンとしても活躍できる、なんて紹介のされかたもしたと記憶するが、それもありなん。

 1時間45分ほどのパフォーマンス、演奏曲の半分ぐらいは知っていたので、やはり初期曲比率は高かったんじゃないか。うれしい。一番、リード・ヴォーカルを取る比率が高かったのはベーシスト。ハイ・トーンで歌う人で、彼はオリジナル・ベース奏者のピーター・セテラのノリを踏襲する。だが、ベースの指さばきは普通で、それは残念。実は、セテラはベーシストとしては、ポール・マッカートニーの演奏スタイルを最大級に引き継いでいた人。コードの分解に終わらず、ちゃんとメロディと曲調を読んで手数多くメロディアスなフレイズを置いていた彼は、とても秀逸なロック・ベーシストだったと思う。

 そんな部分にも表れているように、ジャズ流れのインスト部に力を入れるだけでなく、ザ・ビートルズから受けたようなポップ性も一部では持つバンドであったし、だからこそコーラスに力を入れた曲もあり、曲種に合わせて複数のリード・シンガーを自在に使い分けたりも、彼らはした。それを活かして対話調の曲を作ったときもあったし、集会音を巧みにコラージュした曲を作ったこともあったし(政治的な意識をリアルに表明するために用いたその指針は、チャーリー・ヘイデンのリベレイション・ミュージック・オーケストラ第一作の行き方と重なり、まさに時期も重なった;2001年11月20日参照)、野心的な長尺曲を披露したこともあるなど、あまりにどん欲にいろんな表現に邁進していたバンド。やはり、娯楽性にも長けたこの晩のパフォーマンスに触れてぼくが感じたのは、そんな燦然と輝く事実であったのは間違いない。やはり彼らは、ロックという表現の定型がきっちりと出来上がらず、自分たちならではのロックを作り出すゾと意欲たっぷりにいろんな事に担い手が臨めた時代(彼らは、69年アルバム・デビュー)の旗手であった! だが、そんな彼らも、70年代中盤を超えると開拓/挑戦することを止め徐々に所謂AORという枠型に自分たちの表現を停滞させることを求めてしまう。……それゆえ、ぼくは彼らを見限ったんだナ、とも、ちんたらした曲もやる今のシカゴのパフォーマンスに触れつつ、再確認した。

 終盤、有名曲「サタディ・イン・ザ・パーク」のとき、ラムはなんとショルダー・キーボードを手に前に出てきて歌う。ピアノ・ポップの傑作ながら、途中から風と広がりを持つ、本当良くできた曲。1999年7月31日に記しているように、鮮やかな情景を蘇らせる力を持つ曲でもある。一緒に口ずさめてうれしー。やっぱ、素敵なヴァリエイションや表情や曲をいろいろと持つ大グループ、機会が許せばまた見たいな。

 その後は、道路を挟んで位置する丸の内・コットンクラブに流れて、在NYのインストゥメンタル奏者の名前が連記された、昨年に同名義のアルバムを出してもいるトリオの実演を見る。90年代は独エンヤ・レーベルからリーダー作を出していたウェイン・クランツ(ギター)、再結成後のスティーリー・ダン(2000年5月15日)に関与しているキース・カーロック(ドラム)、この3人の中では一番フュージョン色の強いセッションに関与しているティム・ルフェーブル(ベース)という内訳。カーロックとルフェーブルはラダーというギターレス/サックス付き4人組(一部で、ポストMM&Wという評も受けているようだ)を組んでいたりもしますね。3人ともトホホなほど普段着、リズム隊は譜面を前にする。

 けっこう熱心なファンがいるようで、拍手/反応はそこそこ受けている。で、3人は辛口フュージョンというよりは、パワー・ジャズと言ったほうが適切と思える演奏を繰り広げる。そう思わせるのは、ちゃんとリアルな対話があったためであり、カーロックが笑っちゃうぐらいに叩き込み型の演奏に終始していたため(グルーヴはあまり感じなかったが、このリズムの上にジェイムズ・ウルマーが乗ってもそんなに違和感ないかもと感じた局面もアリ)。1曲ぐらい、ゆったりした曲をやるのかと思ったら、全部その路線。バラード嫌いのぼくは、おおいに拍手! オープナーはかなり仕掛けに凝った曲でもあり、それは個性あり。それ以降は、もう少し1発っぽい曲をやっていたが。また、1曲だけ、テーマ部でクランツは少し歌った。1曲15分ぐらいの尺で、1時間半演奏。

牧山純子2010年2月17日 音楽

 寒い。家から出るとき、なんか雪が降りそうで、傘を携帯する(翌日、午前中にクルマに乗ろうとしたら、フロント・ガラスに雪がそれなりに積もっていたア)。かつては、雪が降るとうれしくてうれしくてしょうがなかった。本当に犬のように外に出かけたくなったし、スタッドレス・タイヤ履きっぱなしのオフ・ロードの車に乗っていた(一時はスキーにハマっていたいました)ためもあり、ごんごん周辺ドライヴもしたなあ。が、今は車の車高も低くなったし、ぜんぜんうれしくない。迷惑千万、とも思っちゃう。わー、凄い変化。これも、歳をとった証拠かしら。シクシク。

 ジャズ・ヴァイオリン奏者(2008年12月15日、他)の新作をフォロウするツアーの最終日、六本木・スイートベイジル139。で、そんな天候ながら、フル・ハウス。ちゃんと顧客を獲得しているな。ここは大昔、東風(トンプー)という小洒落た中華系レストラン(YMOの同名曲は、ここから来たハズ)があった場所だナなぞと、寒い寒いと心の中でこぼしつつ駅から会場に向かうとき、ふと思い出す。かつて、雪が降った日に行ったことがあったからか。六本木周辺は中華の店が多いという印象をぼくは持つが、昔たまに使っていたのは、鳥居坂ガーデン(けっこう、飯倉片町交差点より。それもだいぶ前になくなったな)にあった温室のような建物を用いたやはりお洒落な中華屋。なつかしいなあ。あの頃は、今ほどは飲んでなかったよなー。

 なんて、昔のことを書きたくなったのは、牧山の演奏がそういうビターではない記憶を蘇らせるような、そしてその反すうを許すような、ふくよかなスウィートネスや誘いを持っていたからではないのか。クリヤマコト(ピアノ)、納浩一(縦ベース)、大槻英宣(ドラム)のサポートを受け手のもので、その設定のなかで、ヴァイオリンという楽器が抱える持ち味/世界観をうまく出していたとも書けるだろう。編成は純ジャズそのものだが、選曲や色づけはちょっとした工夫に富んだもので、それもうまく働いていたのか。演奏していたのは、自作曲やいろんな属性を持つ他人曲。スヌーピー(漫画「ピーナッツ」)・ソングの「ライナス・アンド・ルーシー」(作曲は、西海岸派ピアニストのヴィンス・グアラルディ。デイヴィッド・ベノアのヴァージョンが知られるか)がとってもいい曲なのを深く再認識。アンコールはゴスペル調で、第九の有名旋律を紐解く。意外に、合うんだなー。

メイシオ・パーカー・ウィズ・キャンディ・ダルファー2010年2月16日 音楽

 なんと、ファンク・サックスの人気者が一緒にやっちゃうという出し物。ダルファー(2009年5月11日、他)の最大の影響者はパーカー(2009年1月22日、他)であり、ともにプリンスのCDやツアーに関わり、それぞれのリーダー作にも客演しあっていたりもするので、な〜んも違和感は覚えませんね。で、見る者を絶対に笑顔にさせ、身体を揺らさせる、JB表現を下敷きとする熟達ファンキー表現/行為が繰り広げられた。100%保証付き、なんて言い方もしたくなるかな。バンドはパーカーのそれ(8人編成で、昨年来日時とまったく同じ顔ぶれ)で、全体の3分の2でキャンディは和気あいあいと加わる。火の出るようなアルト・サックス同士のブロウ合戦というのはあまりせず、歌やかけ声や身体の動作など総合的な協調で見せきった実演と言えるか。ダルファーはミニのワン・ピースで生足、やっぱ綺麗。そして、いい人そう。パーカーは一時期より若く見えるような。前半の「オン・ザ・フック」のときに騙し絵的にスライの「イン・タイム」を挿入してくれたのは、うれしかった。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。当然、フル・ハウス。会場を出たら、雪がちらついている。今年、何度目の東京の雪だろうか。なんだかんだ言って、今年の冬は寒目だ。

ザップ・フューチャリング・シャーリー・マードック2010年2月11日 音楽

 うひょ、こんなのアリ? と、書きたくなるぐらい、素敵なライヴだったな。

 ブーツィ・コリンズ/ジョージ・クリントン(2009年9月5日、他)の後押しで出てきたオハイオの知恵と知識を持つ兄弟主体のファンク・バンドで、統帥ロジャー・トラウトマン(彼は音楽活動の傍ら地元のオハイオ州デイトンで、不動産とか建設とかタクシーといった会社を複合で経営していた。確か、トラウトマン・エンタープライズという名前だったはず)が生きていたころはM&Iの招聘で何度も来日し、冴えた得難い姿を見せていた。彼らは全盛期にザップとロジャーという二つの名前を用いて同志向のアルバムを送り出していたが、99年に兄のラリーがロジャーを射殺、グループは表舞台から消えてしまった(ように、ぼくは感じていた)。

 六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。最初スケジュールが発表されたときはシャーリー・マードック名義の公演で、それが途中からザップ・フューチャリング・シャーリー・マードックに変更になったと、ぼくは記憶しているが。マードックは80年代中期に同ファミリーが送り出した、女傑系女性シンガーだ。

 まず、マードックが中央に立ち、2曲か3曲、バンドを従えて朗々と歌う。イエイ。もう、ゴスペル臭もたっぷりで、ぼくは彼女だけののショウだとしても、十分な満足を得たに違いない。が、すぐに、彼女とバンドは引っ込んでしまう(彼女はショウの最後のほうで出てきて、少しまた歌う)。そして、場内には音楽が流され一時休憩という感じになり、ステージ両端にはザップ系表現のトレイドマークでもあったトーク・ボックスが配置される(公演後、それを携帯で撮る人も次々)。お、ザップ公演のスタートだあという気になりますね。で、それからの1時間少し、もう山あり谷ありのショウ。黒人音楽の本質がメルティング・ポットで煮詰められたようなパフォーマンスは本当に夢のようだった。

 ステージ上には多いときで8人いたはずで、トラウトマン姓は3人のよう。もう、彼らはステージに出たり下がったりで、自在のステージ運び。自由にフォーメイションを変え、いろんな踊りを見せ(お見事!)、本当に頻繁にきらびやかな服装を換える。彼らは一体、何着服を持ってきたのか。皆でアフロのカツラをかぶるときもあった。とにかく、見せる、聞かせる、楽しませる。鮮やか、すぎる! 同期音も用いていたはずだが(80年代中期は、プリンスと並ぶエレクトロ・ファンクの旗手的存在として捉えられたこともあったのを、ぼくは思い出した)、演奏もまっとう、歌もおいしい。現役感、たっぷり。プロフェッショナル度数、高すぎ。で、その総体はザップ系表現の素晴らしさ全てを括るとともに、キャロ・キャブウェイ時代から現在までの黒人音楽妙味の流れを見事に鷲掴みにする。ほんと、すごすぎ。もしかして、ロジャーがいたころより、今のほうがいいんじゃないかなんても、興奮したアタマでぼくは思った。

 案内された席がミュージシャンが出入りする通路の横で、それもまた気分が高まった要因にはなったかな。でも、そんなの抜きにして、極上のファンク・ショーだったのは間違いない。というわけで、今年のブラック系実演のベスト3の一つは、これに決定。もう、毎年きてほしい。切に、そう思う。

ダニエル・ジョンストン2010年2月9日 音楽

 一般的な正がすべてではない。。。。。。。。。61年生まれの米国人シンガー・ソングライター、ダニエル・ジョンストンはまさにそんなことを思わせる人。04年に出たトリビュート作にはベック(2009年3月24日、他)やザ・フレイミング・リップス(2006年8月12日、他)らいろんな人たちが参加し、ニルヴァーナの故カート・コベインもファンであったなど、文字通りのミュージシャンズ・ミュージシャンでもあるわけだが、久しぶりの来日公演となったこの日は早々にソールド・アウトであることが伝えられていた。場は、ラフォーレミュージアム原宿。普段は椅子付きで公演が行われることが多い会場だが、この日はスタンディングにて。

 精神的な問題で入退院を繰り返していたなどとも過去言われているジョンストンだが、彼のサイトを見るとびっくりするほどツアー・スケジュールが組まれていて、この晩も機嫌良さそうな感じで登場。太っていて、外見はけっこうほのぼのとしている。そして、あまりいい音が出ない小さな電気ギターを手にし、か細い高めの声で歌いだす。歌もギターも心もとない。が、その不安定さが味というか、聞き手はそれこそがジョンストンの音楽だと、その“ほつれ”込みで表現を受け取る。客の反応はかなり温かく、ときに熱い。これが、無名の知らない人だったら、果たしてぼくは賛同できるのかとふと思いもしたけど、とにかく、その半端な歌と演奏の総体はするりと聞く者のなかに入ってきて、おおいに覚醒する。味あるナ、なんかいいゾと思えてしまう。やっぱ、ポピュラー・ミュージックのポイントなんて、いろいろですね。

 ともあれ、間違いなく言えるのは、曲がいい、ということ。だからこその訴求力なのだとも感じる。途中、2曲はピアノの弾き語り。そう思う人は少なくないはずだが、ぼくはピアノを弾きながら歌うほうが好き。もう少し聞きたかった。

 5分ほどの休憩を挟んで、数曲は友人のギタリストのバックで、さらに歌う。歌に力がもう少し入ったかな? ザ・ビートルズの「悲しみをぶっとばせ」やジョン・レノンの「ソリューション」もカヴァー。彼の原点には、そういう存在があるのか。アンコールが終わり場内照明がついたあとにも、熱心な拍手に促されて、彼はもう一度登場した。

 会場ではT-シャツとともに、イラストを描く事でも知られる彼の絵も販売していた。スケッチブックに軽い感じで描いたもので、それを1枚づつバラにしていて、1枚3.000円。その値段だったら買ってもいいよな。が、それに気付いたときは残り1枚で、それも売れた。本当にぼくは注意力がかけている(変なことには、良く気付いたりもするんだけどね)。

ジョアンナ・ニューサム。ブッカー・T・ジョーンズ2010年2月8日 音楽

 明るい場内に笑顔で出てきた彼女は、赤のノースリーブでミニの軽装ドレス。お、可愛い。なんか、キャピっとした風情も伝わってきて、それはどこか深読みを誘いもする音楽性とは相容れないもの。ブロンドですらりとした体躯、2階席からは相当にイケて見え、モデルですと聞いたら信じちゃうんじゃないか。なーんてことも、外見だけでうれしくなっちゃたぼくは思った。米国のハープを弾き語りする、通受けの20代シンガー・ソングライター。来月に出る彼女の新作、ドラッグ・シティ発『ハヴ・ワン・オン・ミー』はなんと大作3枚組だ。公演中、パフォーマンスをするのが嬉しくてしょうがないという感じを彼女は終始出していたが、純な“音楽のムシ”でもあるんだろうな。

 会場は、早稲田の奉仕園スコットホールという所。キリスト教の施設で、クラシックなそこそこ古そうな、生理的な温かさも持つ煉瓦外装の教会でのパフォーマンス(だから、そこの設置照明の都合で、ステージだけではなく客席側も演奏中明るい。最初は少し戸惑ったけど、でも、それもいいナと思えた)。トイレは建物内にないそうだが、椅子は余裕を持って配置されてもいて、たまにポップ系公演が行われる品川教会(2003年11月27日、2006年5月31日、2007年8月29日)より、ぼくはこっちのほうがなんとなく好印象かも。そんな場所でやるこの日は追加公演(150人限定とのこと)で、ソロ・パフォーマンスという触れ込みだったけど、冒頭の2曲を一人でやったあとは、同行メンバーである弦楽器奏者(電気ギター、バンジョー、縦笛など)とドラマー(スティックは用いず、手かマレットでやんわりとアクセントを付けた)が出てきて、とても控え目に主役に寄り添う。前日の本公演はどうだったんだろ?

 彼女が奏でるハープは、ぼくが身近に接しているスコティッシュ・ハープ(2005年2月1日、2008年11月9日、2009年12月6日)と比べるととても大きいと思わせる。これがクラシックで用いられるスタンダードな物なんだろうな。優美にして深淵、と言いたくなる音色が放出される。で、記憶の底にあるひっかかりを反芻するかのように、無数の弦音をたぐり寄せてゆったりと歌を乗せていく様はなるほど独自の味あり。それ、時代や固定した様式の狭間を飄々と泳ぎつつ、自分の足跡をイマジネイティヴに残していく、と言いたくなるものでもあるか。歌い込まれた感じもあるアルバムを聞くと、歌のテイストがビュークに近いと思ったりもするが、この晩のほんわかした歌い口と我の柔らかさに触れると、そうはあまり感じず。途中の数曲はハープから離れて、グランド・ピアノの弾き語りをする。そうなると、普遍性指数が上がる。フツーにいい、シンガー・ソングライターじゃないかと実感できる。とかなんとか、場の設定もあり、なかなか得難い公演ではないかという思いを得た。

 そして、南青山・ブルーノート東京に向かい、南部ソウルのアイコンであるスタックス・レコードの屋台骨を担ったレジェンダリーなオルガン奏者である、ブッカー・T・ジョーンズ(2008年11月24日、2009年7月25日)の実演を見る。30代だろう東海岸出身の白人のギターとベース、西海岸出身の黒人のギターとドラマーがサポート。それ、昨年のフジ・ロック出演時と同じ顔ぶれということだが。グラミー賞のベスト・ポップ・インストゥルメンタル部門を受賞したロッキッシュなところもある『ポテト・ホール』(アンタイ)のりの演奏で、その新作曲や往年のMGズ/スタックス系ナンバーが送り出される。ギターの演奏はときに乱暴と思わせるところもあった。

 今回のぼくの興味は、ブッカー・Tが歌うか否か。だって、上手いわけではないが、フジ・ロックで見たときに歌って、けっこういい味出していたから。そしたら、途中で、中央に出てきてギターを手にし(!)、4曲も歌った。内訳は、MGズがバッキングしたアルバート・キングの67年出世曲「ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン」(ウィリアム・ベルとブッカー・T・ジョーンズの共作)、サム&デイヴの「ホールド・オン」(ドラマーがラップをかましたりも)、オーティス・レディングの「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」、昨年エミ・マイヤー(2009年1月29日、2009年6月30日、2009年7月26日)とクール・ワイズ・メンが(2009年5月30日)が一緒にCF曲用にカヴァーしたブッカー・Tの異色フォーキー曲(?)「ジャマイカ・ソング」。

 弾く鍵盤はハモンド・オルガンだけ、それを右手主体で一筆書きのように彼はあっさりと奏でる。MGズのなかで唯一大学に進んだ人(確か、音楽専攻であったはず)で、当初は学生をしながらスタックスのハウス・バンドのMGズ活動をしていた人物あり、奥さんは白人で(最初の奥さんは、プリシラ・クーリッジ)……。そんなブッカー・Tに接してうれしいのは、その外見。劣化が少なくて、いい音楽人生を歩んでいるんだろうなと思えます。

 祝、ニューオーリンズ・セインツ、スーパー・ボウル勝利!

リチャード・ボナ。ジョン・アバークロンビー・オルガン・トリオ2010年2月5日 音楽

 ぼくがボナを東京で見る(2000年12月6日、2002年1月9日、2002年9月14日、2002年12月14日、2004年12月15日、2006年2月16日、2008年10 月19日)のは、8回目となるのか。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。

 今回の来日公演同行奏者(皆、軽々という感じで演奏する)は、キーボード、ギター、ドラム、トランペット、トロンボーン。毎度、奏者の(散っている)出身地を紹介するボナだが、ぼくが見た会はしなかったな。二人の管楽器奏者を擁するのは初めてのことで、その二人はセクション音を加えるだけでなく、曲によってはそれぞれソロ・パートを与えられる。ということに表れているように、今回のパフォーマンスは多少ジャズ/フュージョンのフォーマットを強めたと言えるのか。やはり、彼にはフュージョン系愛好者がまず多いと思われ、それは歓迎されたはず。だが、その一方で彼の豊かにしてしなやかなヴォーカルは全開、恒例のジャコ・パストリアス偏愛表明のウェザー・リポート曲カヴァー披露を除いては、すべてしっかりと歌う。歌とベースの噛み合いが、気持ちいい。そして、巧者のドラマーとの噛み合いも同様に。ボナとドラマーのデュオ演奏だけでも、間違いなく聞き手をぐぐいと引き込むはず。そして、アンコールは前回来日時に見せたような、機材を用いての一人多重ヴォーカル表現。才と気持ちが有機的に絡まる様は何度ふれても、すごいなと思わせられますね。

 つづいて、丸の内・コットンクラブで、ずっとECMレーベルとの関わりを持っている在NYのヴェテラン・ギタリストであるジョン・アバークロンビーのギグを見る。オルガン奏者(アバンクロンビーの同編成アルバムで弾いているダン・ウォールではなく、スティープル・チェイスやクリス・クロスからリーダー作を出しているゲイリー・ヴァセイシ)とアバークロンビーとは何かと仲良しなドラマーのアダム・ナスバウム(80年代はジョン・スコフィールドや故ギル・エヴァンスに気に入られましたね)を率いてのものだったが、接していてため息が出たな。

 みんな腹6.9分目という感じの力が抜けた演奏をするのだが、ジャズの言葉にならない妙味/凄さと個の技量/音楽観をちゃんと伝えるパフォーマンスを披露。60年代半ばという年齢よりも老けて見えるかも知れないクロンビーさん、綻び感覚やはみ出し感覚を抱えつつ滑らかな部分も持つソロ演奏時はもちろんいい感じだが、オルガン・ソロのバッキングのときの押さえ方も面白すぎ。その間(ま)の取り方とハーモニー感覚に頭をたれる。唯一40代でやたら鼻の高いヴァセイシの演奏も触れられてよかったという妙味を持つ。もう、それは完全に黒人オルガン・ジャズ奏法の文脈から離れて、チロチロ青白い光を照射するような手触りを持っていて。1曲では、プログ(レッシヴ)・ロックの愛好者がとってもニッコリしそうな感覚を持つ演奏を、彼は聞かせた。

 演奏曲はスタンダードや自作などいろいろ。1曲、オーネット・コールマン曲(「ラウンド・トリップ」と言っていたか)を演奏したが、そのときはアバンクロンビーの弾き味に少しジェイムズ・ブラッド・ウルマーを思い出す。それ、順当かな。だって、コールマンのハーモロディクス理論の筆頭免許皆伝ギタリストがウルマーだったわけだから。そして、アバーンクロンビーがコールマン曲をちゃんと理解した演奏をするならウルマーと近付くのは当然ではないか。ああ、コールマン〜ウルマー周辺の音に燃えまくった大学生時代がなつかしい。そして、その流れを括り紹介しようとして4社から90年代上半期に出した『フリー・ファンク』というコンピレーションも……。

デヴェンドラ・バンハート2010年2月4日 音楽

 カエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日)が流されるなか、バンハートはさりげなく、本当にさりげなく前座に出るバンドのように、他のバンド・メンバーとともに出てくる。手には白ワインが入っているだろうグラス。そして、くだけた感じで、演奏前にメンバー紹介をする。どーにもこーにも、気負いまったくなし。そうした一連の振る舞いに、彼のリヴィング・ルームに招かれた気持ちになった。と、書くと少し大げさか。でも、会場に終始あったのはそんな気安い雰囲気だよな。代官山・ユニット。

 少ししか見れなかったのでその際の項では触れてないが、06年のサマーソニックのビーチ・ステージに出てきたときは皆ひげ面長髪で暗い生理的にラフな会場と相まってもろに60年代からタイム・スリップしてきたような感じを受けてうひょーと思った記憶があったけど、今回はメンバーが変わっているのかもしれないが、外見上の“イブツ”度数は減じている。ギター2人、ベース(セミアコ・タイプのそれを弾いていた)、ドラムという編成。ときに手ぶらで歌う曲もあったが、バンハートも多くはギターを出にして、トリプル・ギター編成だァ。うち、一人の一番マジメそうな顔をしたギタリストはブラジル出身とか。自身のことも、生まれはテキサス州なくせに(育った地である)ベネズエラ出身と紹介する。

 思うまま、胸がすくぐらいに、天然のパフォーマンス。ときに、大仰なアクションを取ったりもするが、それはなんとなく、往年のボブ・マーリーを思い出させるか。レゲエ調あり、オールド・ロック調あり、ソニック・ユース的局面あり、ラテン調あり。中盤には、生ギター弾き語りパートもあり(キーボードを弾きながら、歌うのも1曲)。ニューヨーク・ドールズにいたジョニー・サンダースの79年曲「ユー・キャント・プット・ユア・アームズ・ラウンド・ア・メモリー」をカヴァーしたりも。でもって、各メンバーたちの前にはマイクが立てられ、実際コーラスを彼らは付けたりもするのだが、俺たちゃ仲良しファミリーといったノリも濃厚に、他のメンバーも1曲づつリード・ヴォーカルを取る。へえ〜。後半には、同行スタッフがテルミンを扱い、乱暴にサイケ度数を高めるときもあり。

 いや、見事なくらい子供のように嬉々として、いろんな事にあたる。そこには作為も、受け手の思惑を意識するような邪心もなし。そのすこーんと抜けた様には、すごいなアンタ、と思わずにはいられず。でも、だからこそ、間違いなく見事なほどの風通しの良さやサバけた訴求力が生まれる。それゆえ、彼の表現は年代や地域性も飛び越えた、開かれててしなやかなアシッド要素を発する。……天然、ばんざい。

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