グレイ(2004年11月25日、2005年7月31日)は上原ひろみ(2011年12月11日、他)のバンドにいたことで日本では高い知名度を持つ電気ベース奏者で、今回の来日バンドの顔ぶれは彼よりもずっと実績を持つ在NYの逸材、ギターのデイヴィッド“フューズ”フュージンスキとドラムのジーン・レイク(2009 年3月18日、他)を擁する。自ら“キター・フェチ”という上原はフューズのことを大好きで、彼女はソニックブルームというバンドを組んだときに彼に入ってもらい、CDやDVDを出している←実は、近年のデカいフューズの仕事はそれだけのような……。ありがとう、上原ひろみ。フューズとレイクはお互いのリーダー作に入り合うなど、近い関係にずっとある。そういえば、レイクははみ出しジャズのファースト・コール的な位置にもいるが、ディアンジェロの1作目『ブラウン・シュガー』で叩いてもいた。

 フューズは90年代の中頃、そうとう贔屓にしていたことがある。ジョン・メデスキ(2008年12月16日、他)やミシェル・ンデゲオチェロ(2009年5月15日、他)とも仲良しだったしね。そんな彼はスクリーミング・ヘッドレス・トーソズという、狼藉混沌ファンク・ロック・バンドをやっていたことがあって(ミレニアム後、復活したことがあった?)、同バンドはがそこそこ日本で注目を受けて、新宿・リキッドルームで来日公演をやったこともあった。いい時代だったなー。

 そんなぼくは誰よりも彼の演奏を受けたくてショウを見にいったのだが、風体はあまり老けていなかったものの、かつてのぐちゃぐちゃな演奏はあまり披露してはいなかった。まあ、自分のリーダー・グループではないし、それは当然と言えば当然かもしれないが。彼は普通の6弦と6弦フレットレスのダブルネックのギターを弾く。フレットレスのほうを弾いたのは、2.7割ぐらいか。グレイも6弦のベースを使用、それで3人が息や技を重ね合うインストゥメンタル表現を淡々気味(レイクは叩き込む局面もあるけど)にいろんな含みを通りつつ披露。モーションブルー・ヨコハマ、ファースト・ショウ。

 続いて、代官山・晴れたら空に豆まいてで日本の曲者奏者たち集まったバンド(?)をセカンド・ショウから見る。リードの梅津和時(2011年4月1日、他)、ギターの鬼怒無月(2010年3月20日、他)、ヴァイオリンの壷井彰久、アコーディオンの佐藤芳明(2010年9月10日、他)、電気ベースの佐藤研二、ドラム/歌の佐藤正治という面々で、名古屋でこの顔ぶれでやり、今回が2回目のよう。進行役は鬼怒が担う。曲はそれぞれが出し合っているようだが、ジャズぽいときや少し民俗音楽要素が入るときもあるが、基本プログ・ロック色が強いインストゥメンタルが多かったか。鬼怒のMCによれば、彼と佐藤正治(彼がフランスでマグマのメンバーと録音したとういう曲もやった)は完全にプログ・ロック畑とか。何をやったっていいじゃん的自由としなやかさ、あり。みんなでコーラスを取るときもあったし、全員でミュージシャンシップを謳歌している感じが強く出ていた。
 
<今日の、移動>
 朝8時起床、4時間一心不乱にキーボードに向かったあと、取材の下調べをして、渋谷で3時と4時半にインタヴューを2本。場所はビクターエンタテイメントとP-ヴァインのオフィス。今、両会社はともに六本木通り沿いにあってけっこう近い。ビクターのほうの社屋は引っ越して半年たっているが、初めて行く。その住友系の駅からけっこう離れたビルにはぴあやミクシィも入っているようだ。それらを終え、東横線で横浜へ。トニー・グレイ・トリオは丸の内・コットンクラブでもやっていたが、用事が立て込んでいて行けず。で、グレイのことは別に見たいとは思わなかったが、やっぱフューズの勇士をちゃんとチェックしなきゃとなり、神奈川県まで向かったのだった。そういえば、モーション・ブルーのある赤レンガ倉庫には野外のスケートリンクがあった。22時までやっているようで、なかなかぢゃん。というのはともかく、その後は横浜で道草することもなくとんぼ帰りし、代官山で下車。で、そっちのライヴ終了後ほろ酔いで、やっと蔦屋の新規出店大店舗に行く。家から徒歩20分ぐらいのところにあるにも関わらず、ちゃんと駐車場を備えているのにも関わらず、これまで行ってなかったんだよなー。←そういう知人がけっこういます。やっぱ、新しい施設に行くのはウシシ。へ〜え。お金をかけているのはよく分かる。長続きしてほしいが。