プリザヴェイション・ホール・ジャズ・バンド
2017年8月11日 音楽 六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。この由緒正しい、ニューオーリンズのブラス主体バンド(2014年7月29日 )の来日は、2年ぶりとなる。陣容は、ダブル・ベースのベン・ジャフィ、テナー・サックスの クリント・メドゲン、トロンボーンのロネル・ジョンソン 、トランペットのブランドン・ルイス 、キーボードのカイル・ルーセル、ドラムのシャノン・パウエルという6人。ジャフィとメゲトンの二人の白人奏者は前回の来日公演にも同行している人で、他の黒人奏者は前回は来ていない。
あともう一人、サックス/クラリネット奏者が同行する予定であったが、来れなくなった。でも、なんも問題なかった。強く、幅広く、気張ったパフォーマンスを6人は悠々と繰り広げる。そして、2014年作『ザッツ・イット!』よりも少し保守化した感もある新作『ソー・イット・イズ』のノリともそんなに重なるところもなく……。いやあ、前回公演よりもぼくはずっと今回の実演の方に感じてしまった。
けっこう長めにやったショウの前後にはドクター・ジョン(2000年5月24日、2002年3月23日、2005年9月20日、2012年2月15日、2013年10月1日)が場内音楽として流されたが、しいて指摘するならドクター・ジョンが持っている同地音楽を俯瞰する審美眼につながる批評性を山ほど持つパフォーマンスを見せてくれたと指摘することができるのではないか。とともに、前回公演とも3分の2異なるメンバーは比較的年を取っていない人たちであり(30代あたりが、主体?)、それもショウの内容には反映されていたか。ソロとかを取らせると管楽器奏者たちは本当に溌剌としていたし、ヴォーカルもきっちり取り、声を重ねていた。
ふむ、構成員の腕はそれぞれに確か。ニューオーリンズは観光客を相手とする仕事ががいろいろとあるため、実のところ同地のプレイヤーの質はそれほど高くないとも言われる。だが、リーダーのジャフィはちゃんとニューオーリンズの音楽の肝を知り、腕の立つ音楽家たちを連れて来ていると思った。
それから、へえと思ったのは、ゴスペル〜チャーチ風味をいくつかの曲でおおいに用いていたこと。ニューオーリンズとは関係ないシカゴのザ・インプレッションズでまず知られるゴスペル・スタンダードの「エイメン」(カーティス・メイフィールトとジョニー・ペイトの作)もやったもんなあ。
今回はニューオーリンズのブラス・バンドのアイコン的(とは、言わない?)な楽器であるスーザフォン奏者は入っておらず。それについては片手落ちと当人たちも思ったのか、ステージ後方中央に同バンドの名前が書かれたチューバが置いてあった。見た目は寂しいが、でも先に書いたようにやっていることは充実しまくり、ぼくはなんの不満もなかった。
アンコールのさい、面々と一緒ににこやかな日本人老夫婦が出てくる。誰かと思えば、外山喜雄(1944年生まれ)/恵子と自ら名乗るではないか。日本のニューオーリンズ・ジャズを代表する演奏家夫婦であり、オールド・ウェイヴのニューオーリンズ・ジャズの啓蒙家。二人は1960年代後期とかにニューオーリンズに渡り、プリザヴェイション・ホールに日参し、ホールやバンドを仕切っていたベン・ジャフィの父親アラン(1987年死去)らと親交を深めたのだという。お二人の名前はよく知っていたが、その当人たちを見るのは初めてナリ。
▶︎過去の、ザ・プリザヴェイション・ホール・ジャズ・バンド
http://43142.diarynote.jp/201408051721103640/
▶過去の、ドクター・ジョン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200510030016390000/
http://43142.diarynote.jp/201202161725143619/
http://43142.diarynote.jp/201310050709459564/
<2年前の、ベン・ジャフィ>
以下、彼に行ったインタヴューの抜粋です。
——お父さんのアラン・ジャフィがプリザヴェイション・ホールを始めたわけですから、物心ついたときからそのジャズ・バンドは横にあったわけですよね。
「その通り。だから、最初の出会いというものが、僕の記憶の中にはない(笑い)。だって、生まれたときに、すぐ横にあったがわけだからね。即ホールに連れていからたわけだから、ワクワクドキドキもまたなかった。他の人から話を聞いて、そんなにドキドキできる場だったのかと思ったりもしたね」
——大人になったら、プリザヴェイション・ホール・ジャズ・バンドに入ると思ったのですか。
「いや、フットボールが好きで、セインツ(ニューオーリンズのアメリカン・フットボールのチーム)のファンになりたかった。弱かったけど、まさに我らの誇りのチーム。セインツではなく、エインツ(Ain’ts)なんて呼ばれていた。とはいえ、音楽が横にあるニューオーリンズという街に僕は誇りを持っていて、小さな頃から教会や学校で音楽に親しんでいたよ。そして、ストリート性もまた重要な要件。パレードというのは説明しきれないほどニューオーリンズでは大切なもので、今でも週に2、3回行われていて、ジャズ・フューネラルもある。実際に、今回戻ると92歳でなくなった最年長メンバーだったライオネルのジャズ・フューネラルに参加する。僕は小さな頃から父とジャズ・フューネラルに参加し、ニューオーリンズと音楽は不可分な関係にあることを肌で知った。音楽家になるというよりは、生まれた時点でそういう運命にあったと言ったほうがいい」
——あなたはダブル・ベースやチューバ他、いろいろな楽器をやるけど、音楽学校に通っているんですか?
「小さな頃はちゃんと勉強したわけじゃないけど、ニューオーリンズは家の中に楽器がある。ましてや僕は父がミュージシャンだったから余計にいろいろとあった。小学生に入ってから正式に音楽を勉強したんだけど、高校のころになるとフットボールをやるのはこりゃ無理だよなあとなった。それで、本格的に音楽をやるようになったね。高校は芸術のそれに通った。ウィントン・マルサリス(2000年3月9日)、ハリー・コニックJr. ( 2000年3月31日 )、ブランフォード・マルサリス(2001年10月24日、2010年3月8日、2010年10月21日)、テレンス・ブランチャード(2005年8月21日、2009年3月26日、2013年8月18日)、ドナルド・ハリソン(2014年8月25日、2015年8月22日)なども学んでいる学校だね。そこで今一緒にやっているトロンボーンのマークと出会い、切磋琢磨したんだ。大学ではクラシックを学んだんだけど、実はそのころはニューオーリンズの音楽にはあまり興味がなかった。でも、最終的にはニューオーリンズが大好きだし、その音楽を僕はやるべきなんだという結論に至った。なんか、むくむく情熱が出て来たんだ」
——プリザヴァイション・ホール・ジャズ・バンドに入ったのは、いつでしょう?
「93年の6月だった。ちょうど大学を出た後で、87年に父は死んでいたんだけど、父ともやっていた僕の先生であるジェイムス・プレボストがツアーに出られなくなり、その代わりに僕がバンドに入ったんだ。卒業してパリに行ったこともあったんだけどね」
——プリザヴァイション・ホール・ジャズ・バンドを21年間やっていて、ターニング・ポイントと思えることは?
「いくつか、あったよね。僕がバンドに入ったときは、父と演奏していたミュージシャンがまだ沢山いた。僕としては、そういう素晴らしい先駆者をサポートしようと心に決めた。そんな彼らの力量が落ちていても、僕は彼らを守ろうとした。でも、時代が変わり、我々のファミリーに新しいメンバーが入ることで世代交代が訪れると、僕の役割は変わっていった。サポートする立場から、インスピレーションを出し、新しい物を作り出す役割に変わって来た」
——その変化が、鮮やかな形で表れたのが新作『ザッツ・イット!』と言っていいですか。
「そうだよね。『ザッツ・イット!』でプリザヴァイション・ホール・ジャズ・バンドの新しい面、今の顔というものにたどり着いたと思っている。今もメンバーは。コノチの音楽家血筋にあるミュージシャンも多い。マーク・マンはおじさん二人がメンバーだったし、チャーリーは七世代続いているし、ジョー・ラッセルは三代目。そいういったミュージシャンが集まってもいるので、この地の音楽家として過去とニューオーリンズの歴史に敬意を表することを忘れちゃいけないと思っている。かつ、同時に今の自分たちを反映させるべきであるとも思うよね。音楽的に自分たちが今受けている影響、ルイ・アームストロングからジェイ・Z(2010年8月7日)までが今のプリザヴァイション・ホール・ジャズ・バンドの音楽には入っている。でも、そうしてこそ、今を生きる誠実な音楽家たることができると思っているよ。そして、それゆえに、我々の表現は新たな感動や創造を呼ぶとも。ジェリ−・ロール・モートンをはじめ、昔からニューオーリンズの音楽家は新しいものを作り出して来たわけで、僕たちもそういうことをしているつもりだ」
——ええ、『ザッツ・イット!』は今の音楽として出していると感じますね。
「僕の父がこのプロジェクトを始めたときはまだスケールが小さいものだった。でも、ニューオーリンズの伝統をショーケースするということ、それを広めて行くということを大切にしていた。でも、そういうことは、他の人も違う分野でやっているよね。ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ(2001年2月9日)でのライ・クーダー(2009年11月5日)とか、ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ(2004年9月17日、他)、レディスミス・ブラックマンバーゾとか。でも、ザ・ビートルズとかストーンズ(2003年3月15日)のような存在がいると、それらは横に追いやられてしまう。だけど、代々そういう人たちがいて、表現に向かっているのは忘れてはいけない」
——『ザッツ・イット!』のプロデューサを務めたマイ・モーニング・ジャケット(2005年7月30日、2012年3月29日)のジム・ジェームズはどんな役割を果たしたのですか。
「彼はプリザヴェイションに初めて来て感激して、メンバーと私に会って、とてもインスピレーションを受けたし、ホーン効用をいろいろと発想したみたいだ。彼は僕たちを励まし、過去に対しての尊敬の念は、新しいものを作ることでも出せる、という感覚を教えてくれた。彼はまさに同士的な存在だね。しかも、彼は自分がいい思いをしようとかいう打算がなく、僕たちが何か素晴らしいもを出す才能があるというのを献身的に見出してくれた。ほんと、彼はいい影響を与えてくれたと思うな」
——現在、プリザヴァイション・ホール・ジャズ・バンドの構成員は固定されているんですか? 今回の来日メンバーは、その選抜隊ですか。
「この編成で4年間やってきている。いろいろ変わってきたけど、今はこの編成だね。ハリケーン・カトリーナという自然災害があり、それでいろんな意味で変化があった。メンバーにとって、精神的にも肉体的にも、経済的にもそれは打撃を及ぼしたし、それによりメンバーも変わった。まあ、それはバンドだけでなく、ニューオーリンズにとってそうだった。そして、今はこういう形になったわけだけど、面白い事に新しいメンバーが新しい役割とともに入り、好影響を及ばすんだ」
——あなたはプロデューシングにも興味を持つ人であるともと思いますが、今なら誰をプロデュースしたいです?
「あはは。コラボレーションしたいのは、ベック(2000年5月29日、2001年8月18日、2003年4月1日、2009年3月24日)、モデスト・マウス、ジャック・ホワイト(2003年10月21日、2006年3月5日、2010年3月31日)、クエストラヴ(2002年12月29日、 2003年12月2日、 2004年9月19日、2007年1月15日、2013年12月19日)、トム・ウェイツ。僕はジャズ・ミュージシャンをやってきているが、ロックンロール、ヒップホップ、エレクトロ・ミュージック、レゲエ、いろんな音楽を聞いている。そして、(同地の最たるR&Bスターであった)ファッツ・ドミノも好きというわけさ」
▶過去の、ウィントン・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
▶︎過去の、ハリー・コニックJr.
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
▶過去の、ブランフォード・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/201003101340038868/
http://43142.diarynote.jp/201010221631583852/
▶過去の、テレンス・ブランチャード
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/200903271727246000/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
▶過去の、ドナルド・ハリソン
http://43142.diarynote.jp/201408260930269988/
http://43142.diarynote.jp/201508231007506736/
▶過去の、ジェイ・Z
http://43142.diarynote.jp/201008261617154352/
▶︎過去の、ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
▶︎過去の、ライ・クーダー
http://43142.diarynote.jp/200911071134384805/
▶︎過去の、ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ
http://43142.diarynote.jp/200410071540230000/
▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
▶過去の、マイ・モーニング・ジャケット
http://43142.diarynote.jp/?day=20050730
http://43142.diarynote.jp/201204021351501388/
▶︎過去の、ベック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm サマーソニック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm
http://43142.diarynote.jp/200903260428284843/
▶過去の、ジャック・ホワイト
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htmザ・ホワイト・ストライプス
http://43142.diarynote.jp/200603080248000000/ ザ・ホワイト・ストライプス
http://43142.diarynote.jp/201004080750382797/ ザ・デッド・ウェザー
▶︎過去の、クエストラヴ/ザ・ルーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
http://43142.diarynote.jp/201312200917503345/
あともう一人、サックス/クラリネット奏者が同行する予定であったが、来れなくなった。でも、なんも問題なかった。強く、幅広く、気張ったパフォーマンスを6人は悠々と繰り広げる。そして、2014年作『ザッツ・イット!』よりも少し保守化した感もある新作『ソー・イット・イズ』のノリともそんなに重なるところもなく……。いやあ、前回公演よりもぼくはずっと今回の実演の方に感じてしまった。
けっこう長めにやったショウの前後にはドクター・ジョン(2000年5月24日、2002年3月23日、2005年9月20日、2012年2月15日、2013年10月1日)が場内音楽として流されたが、しいて指摘するならドクター・ジョンが持っている同地音楽を俯瞰する審美眼につながる批評性を山ほど持つパフォーマンスを見せてくれたと指摘することができるのではないか。とともに、前回公演とも3分の2異なるメンバーは比較的年を取っていない人たちであり(30代あたりが、主体?)、それもショウの内容には反映されていたか。ソロとかを取らせると管楽器奏者たちは本当に溌剌としていたし、ヴォーカルもきっちり取り、声を重ねていた。
ふむ、構成員の腕はそれぞれに確か。ニューオーリンズは観光客を相手とする仕事ががいろいろとあるため、実のところ同地のプレイヤーの質はそれほど高くないとも言われる。だが、リーダーのジャフィはちゃんとニューオーリンズの音楽の肝を知り、腕の立つ音楽家たちを連れて来ていると思った。
それから、へえと思ったのは、ゴスペル〜チャーチ風味をいくつかの曲でおおいに用いていたこと。ニューオーリンズとは関係ないシカゴのザ・インプレッションズでまず知られるゴスペル・スタンダードの「エイメン」(カーティス・メイフィールトとジョニー・ペイトの作)もやったもんなあ。
今回はニューオーリンズのブラス・バンドのアイコン的(とは、言わない?)な楽器であるスーザフォン奏者は入っておらず。それについては片手落ちと当人たちも思ったのか、ステージ後方中央に同バンドの名前が書かれたチューバが置いてあった。見た目は寂しいが、でも先に書いたようにやっていることは充実しまくり、ぼくはなんの不満もなかった。
アンコールのさい、面々と一緒ににこやかな日本人老夫婦が出てくる。誰かと思えば、外山喜雄(1944年生まれ)/恵子と自ら名乗るではないか。日本のニューオーリンズ・ジャズを代表する演奏家夫婦であり、オールド・ウェイヴのニューオーリンズ・ジャズの啓蒙家。二人は1960年代後期とかにニューオーリンズに渡り、プリザヴェイション・ホールに日参し、ホールやバンドを仕切っていたベン・ジャフィの父親アラン(1987年死去)らと親交を深めたのだという。お二人の名前はよく知っていたが、その当人たちを見るのは初めてナリ。
▶︎過去の、ザ・プリザヴェイション・ホール・ジャズ・バンド
http://43142.diarynote.jp/201408051721103640/
▶過去の、ドクター・ジョン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200510030016390000/
http://43142.diarynote.jp/201202161725143619/
http://43142.diarynote.jp/201310050709459564/
<2年前の、ベン・ジャフィ>
以下、彼に行ったインタヴューの抜粋です。
——お父さんのアラン・ジャフィがプリザヴェイション・ホールを始めたわけですから、物心ついたときからそのジャズ・バンドは横にあったわけですよね。
「その通り。だから、最初の出会いというものが、僕の記憶の中にはない(笑い)。だって、生まれたときに、すぐ横にあったがわけだからね。即ホールに連れていからたわけだから、ワクワクドキドキもまたなかった。他の人から話を聞いて、そんなにドキドキできる場だったのかと思ったりもしたね」
——大人になったら、プリザヴェイション・ホール・ジャズ・バンドに入ると思ったのですか。
「いや、フットボールが好きで、セインツ(ニューオーリンズのアメリカン・フットボールのチーム)のファンになりたかった。弱かったけど、まさに我らの誇りのチーム。セインツではなく、エインツ(Ain’ts)なんて呼ばれていた。とはいえ、音楽が横にあるニューオーリンズという街に僕は誇りを持っていて、小さな頃から教会や学校で音楽に親しんでいたよ。そして、ストリート性もまた重要な要件。パレードというのは説明しきれないほどニューオーリンズでは大切なもので、今でも週に2、3回行われていて、ジャズ・フューネラルもある。実際に、今回戻ると92歳でなくなった最年長メンバーだったライオネルのジャズ・フューネラルに参加する。僕は小さな頃から父とジャズ・フューネラルに参加し、ニューオーリンズと音楽は不可分な関係にあることを肌で知った。音楽家になるというよりは、生まれた時点でそういう運命にあったと言ったほうがいい」
——あなたはダブル・ベースやチューバ他、いろいろな楽器をやるけど、音楽学校に通っているんですか?
「小さな頃はちゃんと勉強したわけじゃないけど、ニューオーリンズは家の中に楽器がある。ましてや僕は父がミュージシャンだったから余計にいろいろとあった。小学生に入ってから正式に音楽を勉強したんだけど、高校のころになるとフットボールをやるのはこりゃ無理だよなあとなった。それで、本格的に音楽をやるようになったね。高校は芸術のそれに通った。ウィントン・マルサリス(2000年3月9日)、ハリー・コニックJr. ( 2000年3月31日 )、ブランフォード・マルサリス(2001年10月24日、2010年3月8日、2010年10月21日)、テレンス・ブランチャード(2005年8月21日、2009年3月26日、2013年8月18日)、ドナルド・ハリソン(2014年8月25日、2015年8月22日)なども学んでいる学校だね。そこで今一緒にやっているトロンボーンのマークと出会い、切磋琢磨したんだ。大学ではクラシックを学んだんだけど、実はそのころはニューオーリンズの音楽にはあまり興味がなかった。でも、最終的にはニューオーリンズが大好きだし、その音楽を僕はやるべきなんだという結論に至った。なんか、むくむく情熱が出て来たんだ」
——プリザヴァイション・ホール・ジャズ・バンドに入ったのは、いつでしょう?
「93年の6月だった。ちょうど大学を出た後で、87年に父は死んでいたんだけど、父ともやっていた僕の先生であるジェイムス・プレボストがツアーに出られなくなり、その代わりに僕がバンドに入ったんだ。卒業してパリに行ったこともあったんだけどね」
——プリザヴァイション・ホール・ジャズ・バンドを21年間やっていて、ターニング・ポイントと思えることは?
「いくつか、あったよね。僕がバンドに入ったときは、父と演奏していたミュージシャンがまだ沢山いた。僕としては、そういう素晴らしい先駆者をサポートしようと心に決めた。そんな彼らの力量が落ちていても、僕は彼らを守ろうとした。でも、時代が変わり、我々のファミリーに新しいメンバーが入ることで世代交代が訪れると、僕の役割は変わっていった。サポートする立場から、インスピレーションを出し、新しい物を作り出す役割に変わって来た」
——その変化が、鮮やかな形で表れたのが新作『ザッツ・イット!』と言っていいですか。
「そうだよね。『ザッツ・イット!』でプリザヴァイション・ホール・ジャズ・バンドの新しい面、今の顔というものにたどり着いたと思っている。今もメンバーは。コノチの音楽家血筋にあるミュージシャンも多い。マーク・マンはおじさん二人がメンバーだったし、チャーリーは七世代続いているし、ジョー・ラッセルは三代目。そいういったミュージシャンが集まってもいるので、この地の音楽家として過去とニューオーリンズの歴史に敬意を表することを忘れちゃいけないと思っている。かつ、同時に今の自分たちを反映させるべきであるとも思うよね。音楽的に自分たちが今受けている影響、ルイ・アームストロングからジェイ・Z(2010年8月7日)までが今のプリザヴァイション・ホール・ジャズ・バンドの音楽には入っている。でも、そうしてこそ、今を生きる誠実な音楽家たることができると思っているよ。そして、それゆえに、我々の表現は新たな感動や創造を呼ぶとも。ジェリ−・ロール・モートンをはじめ、昔からニューオーリンズの音楽家は新しいものを作り出して来たわけで、僕たちもそういうことをしているつもりだ」
——ええ、『ザッツ・イット!』は今の音楽として出していると感じますね。
「僕の父がこのプロジェクトを始めたときはまだスケールが小さいものだった。でも、ニューオーリンズの伝統をショーケースするということ、それを広めて行くということを大切にしていた。でも、そういうことは、他の人も違う分野でやっているよね。ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ(2001年2月9日)でのライ・クーダー(2009年11月5日)とか、ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ(2004年9月17日、他)、レディスミス・ブラックマンバーゾとか。でも、ザ・ビートルズとかストーンズ(2003年3月15日)のような存在がいると、それらは横に追いやられてしまう。だけど、代々そういう人たちがいて、表現に向かっているのは忘れてはいけない」
——『ザッツ・イット!』のプロデューサを務めたマイ・モーニング・ジャケット(2005年7月30日、2012年3月29日)のジム・ジェームズはどんな役割を果たしたのですか。
「彼はプリザヴェイションに初めて来て感激して、メンバーと私に会って、とてもインスピレーションを受けたし、ホーン効用をいろいろと発想したみたいだ。彼は僕たちを励まし、過去に対しての尊敬の念は、新しいものを作ることでも出せる、という感覚を教えてくれた。彼はまさに同士的な存在だね。しかも、彼は自分がいい思いをしようとかいう打算がなく、僕たちが何か素晴らしいもを出す才能があるというのを献身的に見出してくれた。ほんと、彼はいい影響を与えてくれたと思うな」
——現在、プリザヴァイション・ホール・ジャズ・バンドの構成員は固定されているんですか? 今回の来日メンバーは、その選抜隊ですか。
「この編成で4年間やってきている。いろいろ変わってきたけど、今はこの編成だね。ハリケーン・カトリーナという自然災害があり、それでいろんな意味で変化があった。メンバーにとって、精神的にも肉体的にも、経済的にもそれは打撃を及ぼしたし、それによりメンバーも変わった。まあ、それはバンドだけでなく、ニューオーリンズにとってそうだった。そして、今はこういう形になったわけだけど、面白い事に新しいメンバーが新しい役割とともに入り、好影響を及ばすんだ」
——あなたはプロデューシングにも興味を持つ人であるともと思いますが、今なら誰をプロデュースしたいです?
「あはは。コラボレーションしたいのは、ベック(2000年5月29日、2001年8月18日、2003年4月1日、2009年3月24日)、モデスト・マウス、ジャック・ホワイト(2003年10月21日、2006年3月5日、2010年3月31日)、クエストラヴ(2002年12月29日、 2003年12月2日、 2004年9月19日、2007年1月15日、2013年12月19日)、トム・ウェイツ。僕はジャズ・ミュージシャンをやってきているが、ロックンロール、ヒップホップ、エレクトロ・ミュージック、レゲエ、いろんな音楽を聞いている。そして、(同地の最たるR&Bスターであった)ファッツ・ドミノも好きというわけさ」
▶過去の、ウィントン・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
▶︎過去の、ハリー・コニックJr.
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
▶過去の、ブランフォード・マルサリス
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▶過去の、テレンス・ブランチャード
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▶過去の、ドナルド・ハリソン
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▶過去の、ジェイ・Z
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▶︎過去の、ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ
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▶︎過去の、ライ・クーダー
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▶︎過去の、ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ
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▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
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▶過去の、マイ・モーニング・ジャケット
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▶︎過去の、ベック
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http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm サマーソニック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm
http://43142.diarynote.jp/200903260428284843/
▶過去の、ジャック・ホワイト
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htmザ・ホワイト・ストライプス
http://43142.diarynote.jp/200603080248000000/ ザ・ホワイト・ストライプス
http://43142.diarynote.jp/201004080750382797/ ザ・デッド・ウェザー
▶︎過去の、クエストラヴ/ザ・ルーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
http://43142.diarynote.jp/201312200917503345/