年季の入った外見のベース奏者のフレッド・トーマス(2014年12月30日)はサム・ピックのみで弾くし(1曲だけ、前に出てきて声をぶちかましながら弾いた)、70年代にJBのアルバムに入っているドラマーのトニー・クック(2014年12月30日)はすべてレギュラー・グリップでことをこなしている。なんか往年のミュージシャン作法を感じて、とっても甘美なミブンになったか。昔のフェンダーのジャズ・ベースって親指弾き前提でボディに指置き用の木製断片が設置されていたよなあ、なぞとも思い出す。高校に入り入手した、そのコピー・モデルにもしっかりついていて、邪魔だと思った。パーカッションのジョージ"スパイク"ニーリー(2014年12月30日)は今回ラテン的な演奏をする際があって、その場合ありゃトラブル・ファンク(cf.ワシントン・ゴー・ゴー)みたいじゃんと思わせられる場合もあった。これ、前回はなかった。

 ジェイムズ・ブラウン(2000年8月5日)の財産をさくっと、かつてそのバンドに在籍した人たちとともに送りだそうとする企画バンド(2014年12月30日)の3年半ぶりの公演なり。全、10人。今回はトロンボーン奏者が音楽監督を務め、2管編成から4管にかわり、うち3人はJBバンド加入経験者。面々は動きを合わせたりする場合もあり、ときに烏合の衆てきな掛け声も出し、やっぱり盛り上がるなあ。

 主シンガーはシンシア・ムーア(2014年12月30日。前回は女性コーラスの1/3だったが、メイン歌手に昇格)と、歌わないときはキーボード弾いていたクリス・ロブ。JB流れの踊りも繰り出すロブはJBの歌声を意識しなければ、かなり歌えると思った。「パパのニュー・バッグ」、「アイ・フォール・グッド」、「イッツ・マンズ・マンジ・マンズ・ワールド」(ゆったり目は、この曲のみ)、「パス・ザ・ピース」、「セックス・マシーン」など、見せ方が多彩になったなかで、いろいろい聞かせる。今回、前回と同様に名司会者のダニー・レイ(2014年9月7日、2014年12月30日)もリストには)入っていたが、病とかで急遽キャンセル。1935年生まれだから、もう80歳越え。しょうがないか。また元気になってやってくることを祈るが、“伝説”は見れるうちに見とけですね。

▶︎過去の、ザ・オリジナル・ジェイムズ・ブラウン・バンド/シンシア・ムーア。フレッド・トーマス 、トニー・クック 、ジョージ"スパイク"ニーリー
http://43142.diarynote.jp/201412310727087161/
▶過去の、JB
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm サマーソニック初日
▶︎過去の、JBの映画2種
http://43142.diarynote.jp/201503041619591535/
http://43142.diarynote.jp/201606281735457440/
▶過去の、ダニー・レイ
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/ 小曽根真ノー・ネーム・ホーセズvs.クリスチャン・マクブライド・ビッグ・バンド
http://43142.diarynote.jp/201412310727087161/

 その後は丸の内・コットンクラブに回り、1965年NYC生まれのジャズ・ギタリストであるアダム・ロジャース(2012年5月28日、2015年5月27日、2016年5月18日)の2017年新作『Dice』(AAJ)に基づく公演を見る。電気ベースのフィマ・エフロン (2012年5月28日 )とドラムのネイト・スミス (2012年5月28日、2015年8月5日、2016年2月16日、2018年2月21日)を擁する同作はディストーションの効いたギターを採用しつつロッキッシュに行き、ときにアメリカーナ的指針も加えた内容(自作曲に交え。ウィリー・ネルソン曲も取り上げた)を持つ。MCによれば、ロジャース16回目の来日にして、初のリーダー公演だそう。

 この3人は、クリス・ポッター(2012年5月28日、2013年5月21日)の旧グループ=アンダーグラウンドのメンバーがそのまま残った顔ぶれでもありますね。ベースのエフロンはびっくりするぐらい、超堅実演奏に終始。その分、ドラムのスミスがめちゃ運動能力が高そうな演奏をくりひろげて、耳をひく。基本レギュラー・グリップで叩き、とてもリストが強そう。バスドラはベース音としっかり韻をふまんとボンボンとキックするし、フロア・タムは片手で叩いても両手で叩いてるみたいに聞こえる。スミスは2017年にリーダー作『Kinfolk: Postcards from Everywhere』(Ropeadope)を出しているが、それはエフロンとコンビを組み、クリス・バワーズからデイヴ・ホランドやグレッチェン・パーラトまでいろんな人が関与。今様ジャズの傑作であると信じる。今度、それのライヴでこないかな?

 主役のロジャースはや複音/単音のバランスをとりつつ、少しがんちんこ気味に行く。なんか、オズ・ノイ(2007年7月3日、2016年3月29日)の行き方を少し大人にしたみたいとも思えるか。ミシシッピー・フレッド・マクドゥエル(20世紀初頭生まれの、カントリー・ブルース・マン)に触発されたとかなんとか紹介した曲はすうっと渋味路線で行った。

▶過去の、アダム・ロジャース
http://43142.diarynote.jp/201205301445023004/
http://43142.diarynote.jp/201505281537538677/
http://43142.diarynote.jp/201605240831421865/
▶︎過去の、フィマ・エフロン
http://43142.diarynote.jp/201205301445023004/
▶過去の、ネイト・スミス
http://43142.diarynote.jp/201205301445023004/
http://43142.diarynote.jp/?day=20150805
http://43142.diarynote.jp/201602181207326029/
http://43142.diarynote.jp/201802221538438234/
▶過去の、クリス・ポッター
http://43142.diarynote.jp/201205301445023004/
http://43142.diarynote.jp/201305260927026044/
▶︎過去の、オズ・ノイ
http://43142.diarynote.jp/200707041026510000/
http://43142.diarynote.jp/201603300704079868/

<今日は、花金>
 両公演とも良好な入り。とくに、なぜかロジャ—ス公演にはわんさか入っていて、本人も感激しまくりの感あり。有楽町界隈も人がええええというほど、あふれていた。なんか、いつもと違う金曜日みたいで、これは一体どうした? 

頂-IYADAKI- 2018

2018年6月2日 音楽
 静岡県吉田町の吉田公園で持たれているフェスに、初めて行く。インターからわりと近い駿河湾と大井川に接する一角にある公園は、けっこう立派。人口の滝みたいなのもあった。芝生っぽい寝っころがることができる平坦なところに同じような大きさのステージが並び、交互に行われるそこはスタンディング。後部のほうはいろんな物を持ち込んでの和みお座りスペースとなっていて、その住み分けが明快で、キブンが楽。そして、横の方にはキャンプのスペースがあったようだ。天気も良く快適、楽しんだ。

 ラッパー/トラックメイカーの5lackから見る。DJと補助MCを擁してのパフォーマンス。日本語の、ヒップホップ。事前に耳にしたものより、生は太く感じた。次に出てきたLITTLE CREATURES (2011年5月22日、2017年9月8日)は3人で自然体にことをすすめる。都会の機微を持つ、さりげないポップ・ロックが宙に溶ける。

▶︎リトル・クリーチャーズ
http://43142.diarynote.jp/201105230926029205/
http://43142.diarynote.jp/201709110843278416/
▶︎過去の、青柳拓次
http://43142.diarynote.jp/200702010112550000/
http://43142.diarynote.jp/201709110843278416/
▶︎過去の、鈴木正人
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm コンボ・ピアノ
http://43142.diarynote.jp/200407062149440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20041130
http://43142.diarynote.jp/?day=20050609
http://43142.diarynote.jp/?day=20051030
http://43142.diarynote.jp/200511221816310000/
http://43142.diarynote.jp/200702010112550000/
http://43142.diarynote.jp/200710181835010000/
http://43142.diarynote.jp/200802051630130000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090116
http://43142.diarynote.jp/?day=20091031
http://43142.diarynote.jp/?day=20110302
http://43142.diarynote.jp/201105230926029205/
http://43142.diarynote.jp/201301311032072367/
http://43142.diarynote.jp/201302201720351212/
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201402210802184994/
http://43142.diarynote.jp/201404050818444425/
http://43142.diarynote.jp/201412301043067796/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160927
http://43142.diarynote.jp/201709110843278416/
▶︎過去の、栗原 務
http://43142.diarynote.jp/?day=20110406
http://43142.diarynote.jp/201709110843278416/

 秋には武道館公演もきまっているというNulbarichはうまくブラック・ミュージック要素を介した草食系J-ポップを送り出していると感じる。どんどん、ステージ前の観客が増えていった。その次は、石野 卓球(2005年8月13日)のDJ。もうそのころはだいぶ出来上がって聞いていたが、さすが場数を踏んでいる重鎮、フックを持つ音さばで、聞く者を上がらせる。

▶︎過去の、石野卓球
http://43142.diarynote.jp/200508152007550000/

 リードの元春 (2005年7月29日、2007年5月6日、2011年1月30日、2011年6月23日、2012年3月3日、2012年9月9日、2015年9月27日、2017年3月9日)が抜けてのSOIL & “PIMP” SESSIONS (2005年7月29日、2007年5月6日、2009年6月12日、2011年1月30日、2011年6月23日、2012年3月3日。2012年9月9日、2015年9月27日)のライヴは、テナー・サックスの栗原健(2011年6月16日、2012年12月6日、2013年5月24日、2013年6月6日、2017年3月9日)をゲストにいれてなされた。新編成になって初めて出した2018年新作『DAPPER』はお洒落系コード使い曲が多く、肉声担当者もいろいろ迎え、ポップ・ミュージック側に一歩踏み出した方向を取るとも言えるか。その変化は、どんなことをやろうとダブル・ベースを演奏していた秋田ゴールドマンがついにステージで鍵盤ベースを2曲演奏したことにも現れる。やっぱし、鍵盤ベースでしか出ない風情ってある。それから、曲により男女のシンガーが入り、男性のほうはレゲエ歌手のPJ。昔、まだ10代だったころの彼にインタヴューしたことあったっけなー。そのときのマネージャーがぼくと同い年の同姓同名の人。驚いたなあ。面々、ピッグ・パッグの「パパのニュー・ピッグ・バッグ」も取り上げていた。昔も、やっていたっけ?

▶過去の、SOIL & “PIMP” SESSIONS
http://43142.diarynote.jp/200508042335560000/
http://43142.diarynote.jp/200705181805330000/
http://43142.diarynote.jp/200906160733018341/
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/
http://43142.diarynote.jp/201107020946473690/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
▶︎過去の、栗原健
http://43142.diarynote.jp/?day=20110616
http://43142.diarynote.jp/201212131541413347/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130524
http://43142.diarynote.jp/201306111556299464/
http://43142.diarynote.jp/201703111127396253/
▶過去の、元晴
http://43142.diarynote.jp/200508042335560000/
http://43142.diarynote.jp/200705181805330000/
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 陽が落ち切ったころに出たエミ・マイヤー(2009年1月29日、2009年6月22日、2009年7月26日、2010年2月25日、2010年5月31日、2011年5月21日、2011年6月5日、2012年6月4日、2012年10月16日、2013年7月4日、2015年12月17日、2016年7月16日)は、それまでのステージとはちょうど対角線反対にあるキャドル・ステージに登場した。人口池/川(?)を間に置いてステージが作られていて、舞台上やその周りにはたくさん蝋燭がおかれ、灯されている。いやあ、そこにドレスを着た綺麗な人が出てくると合うなあ。電気ピアノを弾き語りする彼女はこの1月に出産、お母さんになった。お子さん連れで来フェスしたようだが、どこか優しいまろやかさや、超然とした存在感が増したような。その所感、幻想的なステージ(彼女がパフォーマンスしていた際、会場内自体のあかりも低められていたのではないか)が導いたところもあったろうが、新たに内に生まれた母性が働いたところもあったのかもしれない。秋には、ナッシュヴィル録音の新作を出すという。

▶過去の、エミ・マイヤー
http://43142.diarynote.jp/200901310844354188/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090622
http://43142.diarynote.jp/200907131157415716/
http://43142.diarynote.jp/201002280942269300/
http://43142.diarynote.jp/201006071814527618/
http://43142.diarynote.jp/201105230925539578/
http://43142.diarynote.jp/201106131248013805/
http://43142.diarynote.jp/201206110916017268/
http://43142.diarynote.jp/201210201218283712/
http://43142.diarynote.jp/201307071319405650/
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506/
http://43142.diarynote.jp/201607191312426603/

 唯一の外タレ出演者であるクリス・デイヴ(2009年4月13日、2009年12月19日 、2010年12月16日、2012年9月21日、2013年9月28日、2015年8月18日、2016年1月25日、2016年10月11日)&ザ・ドラムヘッズは、また逆の本ステージ側にてパフォーマンス。キーボードのボビー・スパークス(2007年12月13日、2012年12月5日、2016年1月25日)、ギターのアイザイア・シャーキー(2012年9月21日、2013年9月28日、2015年8月18日、2016年1月25日、2016年12月12日)、ベースのニック・マナック(2013年9月28日、2016年1月25日)という面々でのショウで、出音でグっと聞く者を引くものあり。とはいえ、弦楽器奏者も座って演奏するなど、ゆったり。まあ、毎度のセッション的演奏とも言えるか。つまり、ブルーノートから今年出した肉声担当者もいろいろ入れたセルフ・タイトル作のことはあまり考慮に入れない演奏とも言える。アルバムはアルバム、ライヴはライヴ、と……。一人シンバル・ディレイ奏法とかバスドラ連打の様とか、知人はデイヴのいろんなところに釘付けとなっておりました。トレードマークになっている輪切り型シンバルも、今回は何気に叩いた? ところで、シンガーとしてモータウンから2017年に『The Future』というアルバムをだしているクリスチャン・シンガーのジーン・ムーアという名前がキャスティングされていたが、出てきて歌ったのは本当に彼? ぼくの印象の中ではダニー・ハサウェイ型の流麗ヴォーカルを聞かせる人というイメージがあったから。この晩のシンガーはそんな感じではなかった。

▶過去の、クリス・デイヴ
http://43142.diarynote.jp/200904150840164356/
http://43142.diarynote.jp/201001051625155901/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120921
http://43142.diarynote.jp/?day=20130928
http://43142.diarynote.jp/201601260728484520/
http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/
▶過去の、ボビー・スパークス
http://43142.diarynote.jp/?day=20071213
http://43142.diarynote.jp/?day=20121205
http://43142.diarynote.jp/201601260728484520/
http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/
▶過去の、アイザイア・シャーキー
http://43142.diarynote.jp/?day=20120921
http://43142.diarynote.jp/?day=20130928
http://43142.diarynote.jp/201508200741137207/
http://43142.diarynote.jp/201601260728484520/
http://43142.diarynote.jp/201612171246253699/
▶過去の、ニック・マナック
http://43142.diarynote.jp/?day=20130928
http://43142.diarynote.jp/201601260728484520/
http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/

 メインの方のステージのトリは、UA(2004年7月6日、2004年8月12日、2007年1月27日、2009年5月30日、2014年4月3日)。今、カナダに住んでいるそうだが、日本人バンドときっちり気概にあふれた実演を見せきった。まず、キーボードレスのバンド演奏が興味深くも、イケる。ギターは青柳拓次と誰か(名前が聞き取れなかった)、ベースが鈴木正人、ドラムは山本達久(2010年6月7日、2010年9月11日、2012 年1月10日、2013年4月21日、2013年5月24日、2016年11月16日)。毅然、凛、いろんな枠と対峙しつつ、さらりと自分を開いていく。その表現総体は、<私は風に向かい、大海に繰り出す>みたいな風情がとってもあった、感服ですっ。

▶過去の、UA
http://43142.diarynote.jp/200407062149440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20040812
http://43142.diarynote.jp/200702010112550000/
http://43142.diarynote.jp/200906061045286071/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140403
▶︎過去の、山本達久
http://43142.diarynote.jp/201009231546089571/
http://43142.diarynote.jp/201304230829016302/
http://43142.diarynote.jp/201305280923275394/
http://43142.diarynote.jp/201611171021419374/

 この後、泊まり客エリアの方で、2組のライヴが組まれていたよう。

<今日の、もろもろ>
 会場入りするときに、ちょうど一人で車を運転してきたSOILの秋田ゴールドマンと会う。ずいぶん早く入るんだなあと思ったら、豊田市(豊田スタジアム! 行ってみたい)で明日まで持たれる橋の下世界音楽祭に金曜日にSAICOBABにて出演、そしてこちらに回ってきたのだという。SAICOBABは肉声のBoredoms(2001年7月27日、2007年4月20日)/ OOIOO (2000年2月16日、2003年10月24日、2008年5月24日)のYOSHIMIO、シタール奏者のYOSHIDADAIKITI、ガムランのパーカッション奏者の濱元智行、そしてダブル・ベースの秋田ゴールドマンからなる、サイバーなエイジアン味を介したカっとびユニット。馴染みのバーでたまに会う濱元は今日から欧州に楽旅するということを、秋田が教えてくれた。今度あったときに、土産話を聞くのが楽しみだ。
 夜は会場近くの、アメリカのモーター・ホテルをもろに日本に持ち込んだようなところに泊まる。ベッドは大きめだし、トイレと浴室は日本風に(?)別だし、使い勝手が良かったなー。
▶︎ボア/ヴォアダムス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm フジ
http://43142.diarynote.jp/200704251225580000/
▶︎過去の、OOIOO
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-2.htm ステレオラブ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200805281150320000/

 昼前に吉田町を発ち、沼津港で食事をし、富士川サービスエリアで遊び、ゆっくり東京に戻る。海やいろんな景色を見てはわあーいとはしゃぐぼくだが、東名から首都高に入り、ビル群の景色に触れると、それはそれでとても安心感を覚えてしまう。

 夜、代官山・晴れたら空に豆まいてに行く。ぼくが遅れて会場入りしたときは、笹久保伸(2013年8月29日、2014年5月24日、2014年12月12日、2017年2月4日)と同じく秩父を拠点に置くギタリストの清水悠(彼はセミ・アコースッティックのエレクトリック・ギターを弾いていたか)と笹久保のデュオ演奏の終盤。最後の曲は、ブラジル曲「ビリウンバウ」だった。

 そして、2部は、ぺルーのアヤクーチョ出身のシンガーであるイルマ・オスノ(2014年5月24日、2017年9月9日、2017年10月5日)と笹久保のデュオ。最初、オスノはアカペラで歌い、その後笹久保が出てきた後も、金属の鳴り物を手にして歌ったり、10弦(5コース)の小さな弦楽器を弾きながら歌ったりもする。一方の、笹久保はガット・ギター、12弦のアコースティック・ギター、ペルーのチャランゴなどを曲によって持ち替える。こんなに各種弦楽器を使い分ける彼は初めて。今回は、車運搬をしてくれる人がいたおかげで、それは可能になったとのこと。

 なんにせよ、編成が最低限の二人だったためもあり、けっこうオスノの素の歌唱表現に触れられたと思えたか。彼女の日本語MCはうまくなっいるし、聡明な人なんだろうと思う。ぼくは笹久保の(その興味深い人間性を映すような)MCのファンだが、彼女と彼の掛け合いも面白い。この晩うたった歌は、けっこう艶っぽい内容のものが多かったようだ。

▶過去の、笹久保伸
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201405271717357738/
http://43142.diarynote.jp/201412281015581474/
http://43142.diarynote.jp/201702081153548285/
http://43142.diarynote.jp/201710061415044353/
▶︎イルマ・オスノ
http://43142.diarynote.jp/201405271717357738/
http://43142.diarynote.jp/201709110844473913/

<今日の、適材適所?>
 この晩に弾いた12弦ギターはボディのっでかい米ギルド社のもの。彼のMCによれば、突然知らない人からあげますと連絡があり、いただいたのだという。それまでは、池袋で5000円で買った12弦ギターで録音していたそう。その“いい人”をライヴに誘ったら、遠慮されてしまったとか。ドンマイ。

 ピアノのイリアーヌ・イリアス(2006年6月28日、2015年2月8日、2016年1月7日、2017年6月20日)、ダブル・ベースのマーク・ジョンソン(2006年6月28日、2015年2月8日、2016年1月7日、2017年6月20日)、ウルグアイ・ルーツのドラマーであるティアゴ・ミチェリン(2017年6月20日)のトリオを、南青山・ブルーノート東京(ファースト・ショウ)で見る。

 グラミー賞のベスト・ラテン・ジャズ・アルバム賞をとったりしたをコンコード発の近2作は、ブラジル曲をピアノを弾きながら歌ったもの。そして、同レーベル発の新作『Music from Man of La Mancha』はミュージカル「ラ・マンチャの男」の楽曲を取り上げたヴォーカルなしの軽快なピアノ盤(実は、23年前のお蔵入りしていたブツが出された)で、ショウは主にその3作の行き方を並べるかたちで持たれた。やはり、まずはピアノ第一ながら、ここのところは歌うことにも喜びを見出してもいるようだ。

▶過去の、イリアーヌ・イリアス
http://43142.diarynote.jp/200607041956350000/
http://43142.diarynote.jp/201502090956393081/
http://43142.diarynote.jp/201601090750252990/
http://43142.diarynote.jp/201706211900006500/
▶過去の、マーク・ジョンソン
http://43142.diarynote.jp/200607041956350000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20150208
http://43142.diarynote.jp/201706211900006500/
▶︎過去の、ティアゴ・ミチェリン
http://43142.diarynote.jp/201706211900006500/

 その後、渋谷 JZ Bratに回る。かつてウィンター・プレイ(2011年8月6日)というユニットで歌っていた韓国人女性シンガーのMOONのショウを見る。ギタリストの伊藤ゴロー(1999年6月3日、2014年8月3日、2018年1月7日)がプロデュースしたアルバム『Kiss Me』(ユニバーサル)のリリースをフォロウするもので、伊藤に加え、ピアノ/キーボードの佐藤 浩一 (2014年10月22日、2016年7月11日、2017年10月27日、2018年1月7日、2018年4月7日)、ダブル・ベースの鳥越啓介(2000年9月14日、2001年2月15日、2003年3月6日、2008年12月15日、2013年3月26日、2017年9月29日)、ドラムの守真人がサポート。アルバムと同様に、ポップ曲やジャズ曲カヴァーが中心に英詞で披露された。

 何気に、彼女の声は低めで、そこからしなやかさを出す。そして、終盤にはアルバムでもデュエット参加していたTOKU(2000年2月25日、2001年9月6日、2004年3月10日、2006年2月16日、2008年8月19日、2011年3月16日、2012年6月19日、2013年9月22日、 2014年2月5日、2015年3月19日、2015年3月28日、2016年3月1日、2016年12月12日、2018年4月10日)が、ヴォーカルとフリューゲルホーンで加わった。

▶︎過去の、ウィンター・プレイ/MOON
http://43142.diarynote.jp/201108101632022013/
▶過去の、伊藤ゴロー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm エスピリト
http://43142.diarynote.jp/201408061110256933/
http://43142.diarynote.jp/201801081118162617/
▶︎過去の、佐藤浩一
http://43142.diarynote.jp/201410251055118180/
http://43142.diarynote.jp/201607121045394372/
http://43142.diarynote.jp/201711020707155260/
http://43142.diarynote.jp/201801081118162617/
http://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
▶︎過去の、鳥越啓介
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-9.htm phat (オーガニック・グルーヴ)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm phat (オーガニック・グルーヴ)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm phat
http://43142.diarynote.jp/200812281441122331/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130326
http://43142.diarynote.jp/201710011917499392/
▶過去の、TOKU
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-2.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-9.htm ロニー・プラキシコ
http://43142.diarynote.jp/200403101442170000/
http://43142.diarynote.jp/200602171950040000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080819
http://43142.diarynote.jp/201103171354125352/
http://43142.diarynote.jp/201206210944302024/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130922
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http://43142.diarynote.jp/?day=20150328
http://43142.diarynote.jp/?day=20160301
http://43142.diarynote.jp/201612171246253699/
http://43142.diarynote.jp/201804110754439999/

<今日の、いい人>
 イリアーヌ・イリアスのショウの、ファーストとセカンドの間に楽屋でインタヴュー。相変わらず、ニコニコと優しい。よどみなく、取材は進む。エディ・ゴメス(2014年10月17日。2017年9月2日 )とジャック・ディジョネット(2001年4月30日、2003年8月23日、2007年5月8日、2014年5月22日、2015年9月5日)、マーク・ジョンソンとサトシ・タケイシ(2004年5月27日)の二つのリズム・セクション(その両方に、マノロ・バドレーナ〜2014年9月7日〜が入る)を起用した『Music from Man of La Mancha』は原作曲者のミッチ・リー(1928〜2014年)がブラジル人としての属性が入るイリアスの味を気に入り、あなたなりにやってみないかいと彼女に働きかけてレコーディングされた。まったく好きにやらせてくれたそうだが、プロデュース・クレジットはイリアスとリーになっているので、彼が資金を出したのかもしれない。
 インタヴュー終了後に編集者がウェッブ事前告知用に写メを撮らせてもらっていいですかと彼女に問うと、快諾ながら、そういうのはマークが得意なので彼に撮らせるワと、旦那のマーク・ジョンソンをわざわざ呼ぶ。あなたも入るでしょと誘われ、一緒にパチリ。あのビル・エヴァンスの晩年のトリオで弾き、ECMレコードから米国人ベーシストとしてはトップ級に厚遇されている名老人にとても丁寧に撮影していただき恐縮至極。しかし、昔この欄で書いたが、ぼくは取材時に自分からはよほどのことがないかぎり、2ショット写真を求めない。でも、なんだかんだここのところはその機会が多くなっているのは、誘ってくるミュージシャンが増えているのだろう。
▶︎過去の、エディ・ゴメス
http://43142.diarynote.jp/201410220711345595/
http://43142.diarynote.jp/?day=20170902
▶過去の、ジャック・ディジョネット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
http://43142.diarynote.jp/201405231458349566/
http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
▶︎過去の、サトシ・タケイシ
http://43142.diarynote.jp/200406062249580000/ エリック・フリードランダー・カルテット
▶︎過去の、マノロ・バドレーナ
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/ アーマッド・ジャマル
 京橋・テアトル試写室で、レバノン出身というジアド・ドゥエイリ監督による2017年レバノン/フランス映画を見る。脚本も共同執筆している米経験を持ちかつて「レザボア・ドッグ」や「パルプ・フィクション」などでクェンティン・タランティーノのアシスタント・カメラマンをした経歴を持つよう。この作品の舞台はレバノンで、使われる言葉はアラビア語だ。

 ベイルートに住むレバノンのマロン派キリスト教徒であるレバノン人とスンニ派ムスリムのパレスチナ難民、おじさん同士の個人的な軋轢が、国を二分にするような(仲裁しようとする大統領が出てくる場面まである)裁判になって行く様とその背景を綴り、法廷シーンも多く出てくる映画だ。監督の両親は裁判官と弁護士であるという。

 レバノンの歴史やそこに住む人たちの心持ちなどをひしと感じさせられ、生理的にヘヴィ。それは筋立てや役者の達者さもある。両者の弁護士の属性設定も練られた。だが、大枠では、晴れの方向に向かうヒューマン・ストーリーになっていて、120分近くをすうっと見切らせる。とても心に残るシーンもある。音楽は、フランス人のエリック・ヌヴーが担当。今様なエレクトロ音をつけていて、終盤は<晴れ>の感覚を持つそれが多用され、それは肯定的な感覚を導く。映画の英題(各クレジットはアラビア語と英語でなされていた)は「Tne Insult(侮辱)」、それを大きく変えた邦題にも、納得できよう。各映画祭でいろんな賞やノミネートを得た本作は、8月末より順次公開される。

 その後は、丸の内・コットンクラブでラテン・ジャズ系にいるピアニストであるビル・オコンネル(2017年6月19日。1953年、NYC生まれ。大柄な彼、苗字からするとアイルランド系?)のセカンド・ショウを見る。5弦フレットレスのエレクトリック・ベースおよびダブル・ベースを弾くリンカーン・ゴーインズ(2012年5月11日、2012年6月21日、2017年6月19日)と、ドラマーのロビー・アミーン(2000年1月12日、2001年5月15日、2002年7月24日、2003年8月9日、2004年4月5日、2011年12月8日、2017年6月19日)というリズム隊がつく、トリオによるもの。その顔ぶれは、その名も『Jazz Latin』(Savant)という新作の主メンバーですね。

 前回の感想と同様に、ジャズ要素の濃いピアノ・トリオによる広義のジャズ・ラテン表現を繰り広げる。左足でハイハットを刻むとともに、木魚のような音を出るものをその外に設置していて、アミーンは場面によってはそちらもキックしながらこんこんという音を出していた。またちょっとしたカウベル使いとか、ラテン属性の活用はやはり耳を引く。オープナーはしっとり目で演奏していて大人の叩き方をしているなあと頷いたら、2曲目から急に音がデカくなった。

▶︎︎過去の、ビル・オコンネル
http://43142.diarynote.jp/201706190940184750/
▶︎過去の、リンカーン・ゴーインズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20120511
http://43142.diarynote.jp/?day=20120621
http://43142.diarynote.jp/201706190940184750/
▶︎過去の、ロビー・アミーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm キップ・ハンラハン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm キップ・ハンラハン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm キップ・ハンラハン
http://43142.diarynote.jp/?day=20040405
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
http://43142.diarynote.jp/201706190940184750/

<今日の、時間のやりくり>
 試写は珍しく、18時から。やはり送り手側の勤務時間内に合わせたいのだろう。試写会は明るい時間に持たれる場合が多い。その後、京橋から丸の内までは電車だと乗り換えないと行けないが、ちんたら歩いても10分ちょい。セカンド・ショウの開始は、21時から。映画の尺は2時間近くあったので、かなりつなぎはスムース。せっかちなためもあり、そういう効率のいいことに快さを感じるワタシ……。いや、家ではちんたら過ごしたいので、外に出るときは効率良くしたいのかもしれない。なんて書くと、あれだけお店でだらだら飲むのが好きなくせにとか、言われそう。確かに、人生に無為は必要と考えているところもあるナ。

nouon

2018年6月7日 音楽
 メンバーの4分の1であり、存在感を持つ楽器であるコントラバス・クラリネットを吹いていたヒュー・ロイドが抜けたnouon(2015年4月17日、2015年9月13日、2015年10月9日、2016年3月14日、2017年2月17日、2017年8月23日) だが、新たなメンバーとしてギター奏者の加藤一平(2013年9月22日、2015年6月15日、2018年3月15日他)が入った。すでに2度ほどnouonウィズ加藤一平としてライヴをやっているそうで、この日から正メンバーとなったという。話すととても物静かな人なんだが、もう全面的にバンド表現に干渉していて、プロだなあと思う。新宿・ピットイン、昼の部。前にここでやったときの方が埋まっていたような気もするが、十分と思える入り。日中ひまな人けっこういるんだなー。この日も、オノセイゲンがレコーディングしていた。

 とにもかくにも、音楽性が大幅に変わった。それは加藤のエフェクター類を駆使する演奏が導く面も当然あるのだが、変化していきたい、新たなnouon表現を求めたいという従来メンバーの意思がもたらすものだろう。それで、加藤に白羽の矢を立てたと考えたほうが自然だ。
 
 ほとんどが新曲だし、彼らの人気曲「アヴェレイジ」もまだ未整理な部分は感じたが、大きく改変。シンプルに言ってしまえば、音響系、ポスト・ロック側に位置する音に大きく動いていた。以前の<いろんな要素をタペストリー状に重ね合わせた、多大な含みを持つ変則編成によるしなやかオルタナ・ジャズ>もそりゃ我が道を行かんとする創造性や野心や審美眼に溢れたものであったが、新ラインアップによるこの4人組は大胆に焦点を絞り、モダン・ミュージック側に飛び込んだ! いやあ、短期間にこれだけ鮮やかに舵を取ったバンドをぼくはそうは知らない。低音担当楽器がいなくなったぶん。ケビン・マキュー(米国人である彼は自らの日本語表記について、”ヴ”でなく”ビ”を希望しているよう)は電気ピアノ音色のノード・エレクトロを扱うだけでけでなく、左手で新たに用意する鍵盤ベースを弾いたりもしていた。それも、何気に好変化の要素になっていたか。

 ヴィニシウス・カントゥアリア(2015年9月10日)曲のカヴァーなどもやっていたが、生理的にキレキレ。かつてはまず進歩的なジャズ系の聞き手に紹介すべきところはあったが、今の音なら、ロック〜モダン・ミュージックの分脈で語られるインストゥメンタル・バンドであると実演にふれながら確信した。もちろん、メンバーたちの核にはジャズ素養もあるわけで、複雑な構成/アンサンブルから浮き上がるソロやメロウネスもぐんぐん聞き手をノックする。間違いなく、nouonは今日本でもっとも秀でた音響系ポスト・ロック・バンドだ! 7月1日に渋谷・公園通りクラシックスでライヴをやったあと、4人は新作用にスタジオに入るという。

▶過去の、nouon
http://43142.diarynote.jp/201504181000432127/
http://43142.diarynote.jp/201509231111454665/
http://43142.diarynote.jp/201510141817129055/
http://43142.diarynote.jp/201603151140427186/
http://43142.diarynote.jp/201702211431013289/
http://43142.diarynote.jp/201708240028435013/
▶︎過去の、加藤一平
http://43142.diarynote.jp/201309260930584072/
http://43142.diarynote.jp/201506161247423392/
http://43142.diarynote.jp/?day=20180315
▶︎過去の、ヴィニシウス・カントゥアリア
http://43142.diarynote.jp/201509231110566930/

<今日の、早朝>
 5時前にうなされるように、起きる。なんかトラで、まじジャズをやるトリオに入ることになった夢をみた。わりとセッションぽいゆるいライヴのためで、事前打ち合わせでこんなんやるのはどうですかと提案した、少しひねりを入れたブルースと、ワルツの美メロ曲の旋律が、頭のなかで起きてもしばらく回っている。でも、ぼくが担当しようとしたのはコントラバスだったような気もするし、ピアノだった気もするし、記憶が曖昧だ。どっちにしろ、現実はどっちもちゃんと弾けねえ。うへっ。3年に一度ぐらい、ミュージシャンとしてステージに立つ(そして、喝采を浴びる)夢は見るが、それはロックで、ジャズを演奏しようとしたのは初めて。昨日見たオコンネルの実演の残像もあったのかな。とにかく、げんざい多忙につき、早起きは大歓迎であるのだが(実際、明々後日だそうと思っていた原稿をさくっと書いてしまった。無理な発注をしてきたM君、感謝しなさい)。3時間ちょいの睡眠時間につき、お酒片手のnouon観覧時は寝ちゃうかもなあーと思ったら、あまりに変化がおもしろすぎて、凛凛とがっつり見ちゃったよー。

 まず六本木・ビルボードライブ東京に行き、UKシンガーのコリーヌ・ベイリー・レイ(2011年3月8日)のファースト・ショウを見る。エレクトリック・ギターとコーラスのジョン・マッカラムとキーボードとコーラスのステファン・ブラウンを従える。二人とも、白人。イケ面紳士然としたブラウンは右手で電気ピアノ、左手でシンセサイザーにてベース・ラインを弾く。また、1曲ではエレクトリック・ベースも手にした。彼がレイのパートナーというのは、本当?

 ようはドラムレスの、簡素な設定でパフォーマンスをする。どうやら、こういう設定でライヴをするのは今回が初めてのこととなるらしい。ステージに登場した彼女は相変わらずスリムでかわいらしい。もともと喉力で勝負する人ではないので、最初のほうはサウンドの簡素さもあり少し寂しいと感じる部分があったが、徐々に声も輝きを増し、この素が出やすい設定もありだろうと感じてくる。

 彼女は曲によってはギター、そして1曲ではカシシを振りながら歌う。なんにせよ、彼女を包むスレていない“いい人”光線が心地よく、きっといまだに彼女は育ったリーズで暮らしているんだろうなとも思わせる。そして、かつてのリンダ・ルイスがそうであったように、ソウルもロックも同地平に抱えた英国的な風通しの良さ〜それはキラキラした感覚を持つ〜がその個体の奥から顕れるわけで、にっこりしてしまうではないか。

▶︎過去の、コリーヌ・ベイリー・レイ
http://43142.diarynote.jp/?day=20110308

 そして、南青山・ブルーノート東京に移動。アルト・サックス奏者/シンガー(1999年8月6~8日、1999年10月28日、2001年4月17日、2002年11月19日、2005年9月6日、2007年9月13日、2009年1月21日、2010年2月16日、2010年9月3日、2013年2月2日、2015年7月27日、2016年7月18日)のメイシオ・パーカーの特別仕立て公演を見る。

 ザJBズ→P-ファンクという流れを経て、1980年代後期からピンで活動を始めた(それら関連者の中で、彼は一番安定した活動を続けているのではないか。そのことと、マネイジメントを英国の会社がやっていることと関係はアリか?)。また、プリンス(2002年11月19日)も事あるごとに、彼をツアーのフィーチャード・プレイヤーとして重用していましたね。

 ビッグ・バンドを擁する公演。穏健そうな中年白人のスティーヴ・シグムンドを指揮者におき、サックス・セクションの本田雅人、近藤和彦、小池修、庵原良司。トランペット・セクションの佐久間勲、奥村晶、佐々木史郎、二井田ひとみ。トロンボーン・セクションの村田陽一、中川英二郎、半田信英、朝里勝久。電気ギターの今泉洋、キーボードの小倉泰治(ピアノ)、電気ベースの川村竜(ベース)、ドラムの岩瀬立飛(ドラムス)という、日本人奏者たちがつく。管楽器奏者たちはブルーノート東京オールスター・ジャズ・オーケストラの面々が主となるもの。他の公演では、そのリーダーのエリック・ミヤシロ(2010年5月11日、2011年3月10日、2011年3月28日、2011年4月21日、2011年8月6日 、2014年9月7日、2015年9月27日、2016年1月7日、2017年7月28日、2017年11月8日、2018年5月16日)が入る日もある。

 メイシオ・パーカーの新作『It’s About Love』(Jazzline)は独ケルンのWHDビッグ・バンドを従えた新旧のソウル・カヴァー集だが、今回はレイ・チャールズ曲に特化したショウをしますというもの。指揮のスティーヴ・シグムンドは晩年のレイ・チャールズの大所帯バンドに入っていたトロンボーン奏者で、スコアは彼が用意したのだろうか。

 ステージに出てきたパーカーは、レイ・チャールズを気取ったキンキラの正装で、彼と同じように濃いサングラスをかける。仕草もどこか彼のそれを踏襲しているとことはあったか。そして、彼はビッグ・バンド音に乗って歌い倒す。ここ15年ほどはアルト・サックス奏者として以上に歌うことに力を入れてきている彼だが、確かサックスのソロをとったのは2曲だけだった。彼は一度だけサングラスを外して歌ったが、それはレイ・チャールズ絡み外の曲だったのではないか。

 終盤、ザ・レイレッツ(チャールズのコーラス隊は昔からそういう名称だった)と名乗る3人のおばちゃんコーラス隊(エレイン・ウッダード、カトリーナ・ハーパー、カレン・イヴァンス。チャールズと絡んだ人はいないはず)も加わった。どうせなら、視覚的効果もあるし、もっと早く登場してもいいはずだが、自分が目立ちたかったのか。メイシオ・パーカーの音楽体験原点にある大人(たいじん)とのつながりを求めた公演、当人の感慨をはじめ、いろんな歓びが会場には渦巻いていた。で↓

▶過去の、メイシオ・パーカー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200509130313320000/
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http://43142.diarynote.jp/201002171552164447/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
http://43142.diarynote.jp/201508050852067247/
http://43142.diarynote.jp/201607191314481207/
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
▶過去のエリック・ミヤシロ/ブルーノート東京・オールスターズ・ジャズ・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/?day=20100511
http://43142.diarynote.jp/?day=20110310
http://43142.diarynote.jp/201104041100266528/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110421
http://43142.diarynote.jp/201108101632022013/ ノー・ネーム・ホー^セズ
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/ ノー・ネーム・ホーセズ
http://43142.diarynote.jp/201501131019359012/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201601090750252990/
http://43142.diarynote.jp/201708081429085086/ B.B.STATION
http://43142.diarynote.jp/201711091333526195/ マシュー・ハーバートツ・ビッグ・バンド
http://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
http://43142.diarynote.jp/201805201310351671/
▶過去の、レイ・チャールズの映画
http://43142.diarynote.jp/200411170827380000/

<今日の、メイシオ公演>
 混んでいた。あら、ステージすぐ前の席に知り合いチームがいる。うち、一人は著書多数の某有名ジャズ喫茶店主。途中から、立ち上がりイエ〜イな感じで踊っている。終了後、ノリノリでしたねと声をかけると、オレの青春なんだよっ。青春、バンザイ! そして、残っていたワインを飲みなよと、お酒に目のないぼくにすすめてくれる。優しいまーくん、これまたバンザイ! 
 「ホワット・アイ・セイ」の掛け合いに触れながら、大阪を舞台にしたリドリー・スコットの米国映画『ブラック・レイン』で、高倉健演じる松本刑事が酒場で同曲を歌うシーンを思い出した。その映画の主題歌は、グレッグ・オールマンが歌っていた。オールマンは1973年ソロ作『レイド・バック』(「キャプリコーン、」を大ヒットさせたご褒美(?)で菅セクションや3人の女性シンガーを擁する大きな設定でツアーに出た(その模様は、2枚組『ザ・グレッグ・オールマン・ツアー』として翌年商品化される)が、それはレイ・チャールズを気取りたかったからと言われる。みんな大偉人レイさんに対する業のようなものは深いです。
 関口祐加監督のドキュメンタリー映画を、昼下がりに渋谷・映画美学校試写室で見る。29年間居住していたオーストラリアで映画監督をしていたものの(3作品を作ったよう)、母親がアルツハイマーになり、帰国。そして、母親ひろこさんとのやりとりを柱に据えたドキュメンタリーを撮るようになり、「毎日がアルツハイマー」(2012年)、「毎日がアルツハイマー2 関口監督イギリスへ行く編」(2014年)を発表。「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル」は、それらに続くに続く3作目となる。7月中旬から公開されるが、2本の旧作も6月下旬からまた単館上映される。監督は今59歳、ひろこさんは86歳のよう。二人は妹家族とともに、横浜に住んでいる。

 テーマがテーマだけに、すんごく暗くなると思った。が、覚悟していたほどではあらず。それは、関口監督がかなりユーモラスな人であるのが随所から伝わる事。映画も、彼女のあっけらかんとしたナレーションで進められる。また、ひろこさんもぼくが想起するアルツハイマーの症状よりしっかりしていて、それも負の所感を弱める。とはいえ、今はまあ元気とはいえ抗がん剤治療を受けている母親を持つ身としては、やはり自らの身の処し方に考えはおよんでしまい、ヒリヒリした心持ちを抱えざるを得ないが。

 映画は監督自身の股関節の手術/リハビリのシーンから始まり、いつまで介護を続けられるのかと、自らも老いの時代を迎えていることを自覚。そして、今作は誰もが避けることができない〜それはひろ子さんにとっても〜<死に方>についていろいろ考えて行く内容を持っている。監督は、その選択肢を探るために、豪州、松山、英国、スイスにも飛ぶ……。ところで、入院中に監督は、ジミ・ヘンドリックスとセックス・ピストルズのTシャツを日替わりで着ていた。あれは好んでという感じに見え、ロック・ファンであるとお見受けした。音楽はガイ・クロスという人が作っていて、鍵盤打楽器音中心のほのぼのした作風は映画にあっている。

 夜は、代官山・晴れたら空に豆まいて に行く。最初にやっていたのは、縦笛(ネイ?)を吹く在日トルコ人と、弦楽器を弾く日本女性と太鼓を叩く日本男性の3人組。LだかRだかが頭につくグループ名を(スーパーデラックスでやった実演のDVDを会場で売っているとも)言っていたが、失念。ごめんなさい。しかし、ぼくにとってはなかなか謎の演奏。笛はサックスでいうところのサブ・トーンといった音を出していたが、ときにもっと高い澄んだ音を出したりもした。また、笛の男性がちょい歌ったヴォーカルは渋かった。それ、もっと聞きたかった。最後のほうくるくる回る日本人ダンサーが出てきたので、スーフィーをやっていたのか? そこらあたり、ぼくはうとい。会場は混んでいて、みんな熱心な聞き手っぽい。なんか、近年になくアウェー感を味わった。

 メインの出演者は、トルコのタンブール(たぶん3コースの、弦楽器)奏者のムラット・アイデミルと、ギリシャのネイ(縦笛)奏者のクリストス・バルバスのデュオ公演。両者ともにその道の大家であるらしい。そして、公演表題となっている『The Mountain & The Tree』は、今年リリースされた二人のアルバム・タイトルのよう。タンブールにせよネイにせよ、形はかなり大ぶり。MCはバルバスが英語でし、彼が朗々とした声で歌った曲もあり。

 こちらも自分が門外漢であることを痛感させる、ぼくの内に溜めている知識を超えたものを航海図に置くパフォーマンス。ネイのひょろひょろした音色の演奏にタンブールの単音演奏が付いて行くという、とってもシンプルな演奏なのだが、その抑揚や間は別の世界観や文化を感じさせる。用いる楽器は当然のこと音楽流儀もトラッド基調なのだろうけど、ギリシャとトルコがまずぼくの中ではあまり結びつかなく……。いやあ、生理的にとっても距離感を感じ、世界は広いなと思えた実演だった。そんなにインプロ度数が高いとは思えないが演奏は悠然と流れ、短めではない。アイデルがバルバスの顔を覗き、終わりを探る場面は何度もあった。

<今日の、道すがら>
 程よい気候のため、家から歩いて試写会場に行く。途中、TSUTAYA O-イーストの前に公演を持つ人が結構いる。ええっ、キミたちあと何時間そこに立つの? DAY6という韓国のバンドの公演があるよう。そして、夜のライヴを見た後も、なんか電車乗るのもなんだかなあというキブンになり、歩いて帰宅。久しぶりに、立派なTSUTAYAの前を通る。中目黒にもこ洒落たTSUTAYAができたが、代官山店の規模は破格。ここに投下する各店舗であげた利益はどのぐらいなのかなーと、横を通るたびに思うぼく。関係ないが、途中の飲み物の自動販売機にマウンテン・デューが入っていた。わあ。昔、けっこう好きだったんだよなあ。てな感じで、けっこう歩いた1日であると思ったのだが、1万歩には少し届かなかった。

 まず、六本木・アスミック試写室で、2017年英/伊映画「バンクシーを盗んだ男」を見る。2007年にパレスチナのベツレヘムにある米国/イスラエルによる巨大な隔離壁(“アパルトヘイト・ウォール”という呼び方もあるようだ)に描かれたバンクシーの絵の行方を追ったドキュメンタリーだ。けっこう、みんな英語をしゃべっているナ。ある英国の団体が企画し、現代アートの担い手たちにいろいろ壁に描いてもらったのが発端。そのさい、バンクシーは6、7人のスタッフにて、毎日変装して作業をすすめたという証言も入れられている。

 壁のバンクシー作品は勝手に切り取られ、売買に出される。そんな経緯をフォローし、パレスチナの住民感情なども介しつつ、ストリート・アートの価値や投機に対しての問いかけがなされていく映画。見ている途中で、バンクシー作品は一部の資産家たちが結託し高額売買し合うことで取引価格の高騰を招かせ、さらなる富を生んでいる、なんて説も出てきたら面白いのにと思ってしまった。ハハ。なんとナレーションは、真正ロッカーのイギー・ポップが担当。彼がしゃべることで、どこかバンクシーを取り巻く環境の奇妙さや不毛さを浮き彫りにする部分はある? 日本公開用のちらしにも、彼の名はけっこうデカくのせられていて、うれしい。

▶︎過去の、バンクシーを扱った映画(一番下部)
http://43142.diarynote.jp/201603170929502385/

 続いて、京橋・テアトル試写室で、2017年タイ映画語「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」を見る。1981年生まれのナタウッド・プーンピリヤ(写真を見ると、イケ面ぽい)が監督し、タイで大ヒットするとともに近隣諸国でも高成績を収めたを作品のよう。お金持ち私立高校を舞台とするもので、受験戦争を背景に、カンニングを請け負う秀才と高額を払いそれを受ける高校生たちの人間群像が青春映画タッチで描かれる。試験会場で答えを教える手口の数々は、この映画の才気発露の肝となるものか。亜熱帯圏の作品かもと覚えたのは、映画のテンポや編集が、どこかゆっくりしているところ。それゆえ、長さは130分もある。最後のマジメな終わり方は、へえそうするんですかと、ぼくは思った。

 最後は、丸の内・コットンクラブに回る。ジャズ・ベーシストのクリスチャン・マクブライド(2000年11月1日、2006年9月17日、2007年12月18日、2009年8月30日、2012年9月8日、2014年9月7日、2016年6月26日、20016年9月3日、2016年9月7日)の新カルテットのセカンド・ショウを見る。そしたら、過去見た中で一番、ハードで真摯なジャズを展開。やればできるぢゃんと、ぼくは喝采を送った。前日は新宿のブルックパーラーでフィリー・ソウルの曲をかけながら電気ベースを弾くというDJをマクブライドはやったらしいが、それに接していたら、余計にその落差(と、そこから生まれる米国黒人音楽の不可解な連続線の面白さ)に感激したろうな。

 トランペットのジョシュ・エヴァンス(2017年12月22日)、テナー・サックスのマーカス・ストリックランド(2007年12月18日、2012年1月13日、2013年9月28日)、ドラムのナシート・ウェイツ(2007年1月16日、2007年1月17日、2015年1月20日、2018年1月24日)という実力者を擁しての、ピアノレス(!)のカルテット。当然、マクブライドはダブル・ベースだけを弾く。すでにこの顔ぶれで録音も済ませているらしいが、その編成だけで、マクブライドの覇気は露になりますね。

 セロニアス・モンクやアコースティック期オーネット・コールマン(2006年3月27日)表現の綾などにも言及する意思を見せる、研ぎ澄まされた黒さと含みを抱えたリアル・ジャズを悠然と展開。到達点を皆んなで共有しつつ、自在にほつれ、流れる……。みんなイケた演奏を開くが、これは今のジャズ以外の何物でもないのだと思わせる決定的な要素が、ウェイツのドラミング。このカルテットを自動車に比喩するなら、ドラムは高出力のハイブリット・エンジンと言いたくなる感じで、いかに外見が古くても(いや、そちらも現代要素はいろいろ練りこまれている)、走りは今のもになると思えてしまったもの。マクブライド、ア・ゴー・ゴー!

▶過去の、クリスチャン・マクブライド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200609190457510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20071218
http://43142.diarynote.jp/200909120642135954/
http://43142.diarynote.jp/201209191209186663/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201606281735457440/
▶︎過去の、ジョシュ・エヴァンス
http://43142.diarynote.jp/201712221459383586/
▶︎過去の、マーカス・ストリックランド
http://43142.diarynote.jp/200712190953140000/
http://43142.diarynote.jp/201201141645353138/
http://43142.diarynote.jp/201310041548056608/
▶︎過去の、ナシート・ウェイツ
http://43142.diarynote.jp/200701201417260000/
http://43142.diarynote.jp/200701201418210000/
http://43142.diarynote.jp/201501210901575140/
http://43142.diarynote.jp/201801251404591913/
▶︎過去の、オーネット・コールマン
http://43142.diarynote.jp/200603281335030000/

<今日は、幕開け>
 映画の試写会に行くというのは、少し余裕があるバロメーター。20日間ぐらい続いた“仕事 死のロード”(←少し、大げさ)がこの火曜で終わりをみたのは事実で、この日は気分転換ごっこもしたくなり、試写を二つはしごした。そして、コットンクラブの後、そこで会った悪い友人にそそのかされ、電車で動きたかったものの、3時近くまで飲んじゃう。ここらあたりからタクシーで帰る際、高速を勧められたことはなかった。だが、今回勧めに従い、霞が関から高速に乗ったら、確かに早かった。というのはおいといて、ワールドカップ初戦のロシアvs サウジアラビアの試合は所々お店のデカいヴィジョンに映されていたものを見る。ロシアがあんなに点をとっちゃうとは。あれで、世界の人はアジアの水準の低さをまた認識するのか。ああ、またワールドカップが始まってしまった。家でTV観戦できないぼくは、試合放映をもとめてジプシー生活を始めることとなる……。とはいえ、多忙にならざるを得ない懸案が待ってもいて、どのぐらい酔狂生活に没入できるか。前回大会のときは、こんなことも書いていた。http://43142.diarynote.jp/201406160956273046/ 。そこで記してあるストリーミング放映、それを多用すると、なっぜかうちのPCはどれも動作が悪くなるのと、やはりデカい画面がいいので、結局それほど頼らなかった。

エルヴェ・サム

2018年6月16日 音楽
 セネガル出身パリ在住のギタリストであるエルヴェ・サム(2016年6月11日)のリーダー公演を、代官山・晴れたら空に豆まいて で見る。設定されている楽器群を見ると、もっと大きなステージでやった方が合いそうとも思える? サポート者は皆セネガル出身であるのかな。パーカッションはジャンベ型の縦長の打楽器3つを主に用いる。これを海外から持ち込むのは大変そうで、レンタルで揃えたんだろうか。

 サポートは、電気ベースとダブル・ベース併用のパセ・ジェシ(デトロイト在住)、ドラムのマコドゥ・ンディアイ(パリ在住)、パーカッションのアリオウネ・セック(セネガル在住)。彼らが皆すらりとし、格好もいけてて、格好いい。その見てくれを期待して行っても不満は持たないだろうなと思う。

 サムはマヌーシュ・ジャズの担い手が持っているようなスティール弦が張ってあるアコースティック・タイプのギターを持ち、アンプリファイド経由でことをこなす。いい奴そーだなと言うのはともかく、十全に客とのコミュニケーションを取ろうとする彼(英語でやっていた)はときどき最前面に出て来てギターを弾いたりもし、ステージ・マナーもチャーミング。鈴を転がすようなアフリカ属性を感じさせる奏法から、コード弾き主体でソロを取ったり、もろジャズ流儀に入っていったりと、演奏も多彩。サポート陣もそれに多様性を加える。とくに、1970年代初頭のソウル・バンドにいそうな格好をしているドラマーの演奏はアフリカで培っただろうタイム感と西欧的なステディなビート感が多大な間を抱えて重なったような奏法を見せ、彼がちょい演奏しただけでも引き込まれる。この叩き口は、米国の渋いシンガー・ソングライターやアメリカーナ的持ち味を求める奏者たちから求められる味ではないだろうか。

 そして、曲によっては民族衣装に身を包んだシンガーのアルファ・ディエンが加わり、よく通るでっかい歌声を加える。おお、彼がちょい歌うだけでも、西アフリカな感じはどばあって広がりますね。ほうと思ったのは、彼が出て来て歌いはじめると、客席にいた同胞と思しき二人が次々に、彼におひねりの紙幣(1000円札より、上のように思えた)を手渡したこと。かの地でも日本の大衆芸能のような、そうした風習があるのだろうか。また、演奏陣もときに歌声を重ねたりして、それもいい感じだ。

 客席側の反応は熱い。各所に決めをもっていたり、異なる要素がえいやっと繋がれる様から、<アフロな、プログ・ビート・ミュージック>なんて説明も彼らの実演に触れながらしたい部分もあった。この後、面々は京都、大阪、岡山、名古屋と回る。

▶︎過去の、エリヴェ・サム
http://43142.diarynote.jp/201606121230202174/

<今日の、言いわけ>
 W杯試合TV観戦のため、一部にて失礼する。この時期は音楽より、サッカー優先だす。ここんとこ、また涼しい。基本雨天だったが、来週も雨マークが多そう。気温もそんなに上がらなさそうで、それにはマル。

 1960年代から米国西海岸ロックを支えた名ロック・ギタリスト(2006年12月22日、2017年7月30日)の2年ぶりのリーダー公演だが、今回はうわわあああという顔ぶれ。より名のある西海岸ロック名士たちとやってきた。今回はキーボードレスで、ギター奏者が3人。新作も出した彼らは、日本人歌手をいろいろ招くホール公演も行うということだが。六本木ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。

 コーチマーに加え、ドラムのラス・カンケルとベースのリーランド・スクラー、ギターのワディ・ワクテル、ギターのスティーブ・ポステル(2017年7月30日)という布陣。ありゃ、それにクレイグ・ダーギ(鍵盤)がいれば、ザ・セクションになっちゃう。ダーギとコーチマーとスクラーとカンケルは1970年代にザ・セクションというインストゥメンタルのグループを組み、3枚アルバムを出していた。それ、サイケ・フュージョンと言っていいかな。

 前面にならんだギター陣は、持ち回りでリード・ヴォーカルも取る。すべてヴォーカル曲で、ザ・セクション曲(彼らのアナログを面々にかざしているお客さんがいましたね)はなし。メンバーのオリジナル、そしてジェイムス・テイラー、グレン・フライ(2011年3月5日)、ジャクソン・ブラウン(2003年5月2日)らの曲などを演奏。そして、驚かされたのは、それら多くが竹を割った情感を持つ、どすこいなパワー・ロック傾向にあるものであったこと。!!! うれしい、なるほど、キーボードレス編成であるのにも納得。そこに、ジョー・ウォルッシュ(2011年3月5日)の「ロッキー・マウンテン・ウェイ」が入ってもなんら違和感はないと、ぼくは思った。

 ワクテル(見た目、そんなに変わらないね)とポステルはスライド用のバーを指にはめる曲もあり。ジミ・ヘンドリックス映画(2015年2月27日)の音楽を作ったりもしているワクテルはもしかしてエフェクターをつないでいなかったかもしれない。スクラーは意外にも愛想のいい人で、カンケルはやはりとっても堅実な演奏っぷり。彼らの満たされた様を認めながら、実は一番幸せなロックの時間を歩んできた人たちなのかもしれないなとも思った。

▶︎過去の、ダニー・コーチチマー
http://43142.diarynote.jp/200612281419530000/
http://43142.diarynote.jp/201708081430263083/
▶過去の、ジャクソン・ブラウン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 5.02
▶過去の、グレン・フライ/ジョー・ウォルシュ
http://43142.diarynote.jp/201103091707591166/
▶︎過去の、ジミ・ヘンドリックスの映画
http://43142.diarynote.jp/201502280948374540/

<今日の、余計な気遣い>
 乃木坂寄りのミッドタウンの角には、小さな別練の交番が設置されている。だが、いつも無人で警察官がいるのをとんと見たことがないし、ただいま巡回中とかいう案内板も出されていない。その有り様を見ると、ミッドタウン側が交番に入ってもらいたくて作ったものの、警察側からお断りされたんじゃないかと思える。たしかに近くの六本木交差点には規模が多めの交番があるし、もうちょい行けば古くも汚いビルでいつ建て替えになるのかなあと思ってしまう麻布警察署もある。ともあれ、そのミッドタウンの見捨てられた交番の外見を見ると、なんか寂しい気持ちになる。また、何かトラブルがあり間近に見えた交番に駆け込んだら誰もいずえ〜んという出来事が、これまであったりはしなかったのだろうか。
 カンタス村田/村田匠(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年2月11日、2013年8月24日、2014年5月3日、2014年6月15日、2016年2月11日、2016年5月22日、2016年12月1日、2017年2月11日、2018年2月11日 )とサンバマシーンズ(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年2月11日、2013年8月24日、2014年6月15日、2015年7月12日)改め、カルナバケーション(2016年2月11日、2016年5月22日)のアルバム発売をフォローするライヴを汐留・BLUE MOODで見る。彼らは、『CARNIVAL』と『VACATION』、2枚のアルバムを同時発売した。

 歌とギターと打楽器の村田匠、パーカッションの宮地良平、パーカッションの青栁智里、ギターとコーラスの浅見卓矢、ドラムの岡部量平、キーボードとコーラスの田中綾美,パーカッションの宮澤摩周,ベースの沼原ルイ、リードの林遼佑が現行メンバーで、そこにトロンボーンの原田彩香とトランペット/フリューゲル・ホーンの淡路泰平が加わる。全11人。つまり、普通のバンドに3打楽器と3管楽器が加わったカタチですね。あと、例により着飾ったサンバ・ダンサーも部分出てくる。

 2枚のアルバムを出した(また、フジ・ロックにもサマー・ソニックにも登竜門ステージとはいえ出演したことがある)サンバマシーンズ時代の曲を封印し、改名して3年たつカルナバケーション曲を繰り出す。バンド名の変更後、彼らはより曲種を広げる傾向にあるわけで、その動きを意気揚々と示す。なかにはレトロなR&Bと演歌をデフォルメさせて交錯させたような曲も、今は持つ。しかし、それはなかなかに面白い味を持つもので、確かなブラジル音楽研鑽を経ている打楽器群の活躍の余地は減るかもしれないが、より日本歌謡に踏み込むのも聞き手の拡大を求めるならアリかもしれないとも思えた。

 大学サークル流れの前身バンド結成からだと10年になるそうだが、いまだ青春という感じ音楽を送り出しているのはすばらいいな。バンド員同士も和気藹々という感じも見ていて、楽しい。村田のMCは好みではないが(男は、恥の感覚や韜晦を滲ませなきゃ。とまあ、基本MCきらいのぼくが書くのもナンだが)、村田の歌はやはりぼくは好き。なんかえも言われるものを感じるし、それが表情豊かなバンド・サウンドと重なった末の湧き上がる力のようなものは、破格の魅力を持つものと思う。

 W杯期間中ゆえ、この晩もファースト・ショウのみで失礼する。昔サッカーのGKを熱心にやっていた村田なら許してくれるだろう。ステージには、しっかりワールドカップのトロフィーも置かれていましたね。しかし、今W杯はまだ序盤ながら、面白い試合が多い。

▶過去の、サンバマシーンズ/カルナバケーション関連
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201105140858559432/
http://43142.diarynote.jp/201206120854205300/
http://43142.diarynote.jp/201211151028209850/
http://43142.diarynote.jp/201302181123344904/
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160211
http://43142.diarynote.jp/201605240833401202/
▶過去の、村田匠
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201105140858559432/
http://43142.diarynote.jp/201206120854205300/
http://43142.diarynote.jp/201211151028209850/
http://43142.diarynote.jp/201302181123344904/
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160211
http://43142.diarynote.jp/201605240833401202/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161201 
http://43142.diarynote.jp/201702120725278375/
http://43142.diarynote.jp/?day=20180211

<今日の、道すがら>
 初めて行くハコ。すべてテーブル席で、料理をちゃんとサーヴするところだった。ぼくはワインのボトルだけで、食べ物は頼まなかったが。そこそこ広く、天井も低くはない会場であったかな。そこへの行きは前日のWカップ観戦場所の流れから日比谷線を使用し、築地駅で降りて てくてく歩いていく。まず、立派でデカい築地本願寺がどーんとあって、おおと目を奪われる。浄土真宗の寺のくせに、あのインドその他の様式がてんこ盛りになった無国籍風外観は多少の違和感も感じるがすごい。和のイメージからは完全に離れており、浄土真宗って心が広いだなとも思わせられる? だが、ぼくは20年前ぐらいに、あの中に葬式で入ったことがあったのだった。新卒で入った出版社の社長のそれでした。。。しばらく行くと、立派な国立がん研究センターがあり、そして朝日新聞社がばーんと現れる。大昔は有楽町駅前にその本社社屋はあったので(子供の頃、母親の知り合いが働いていて社屋にはいったことがある。地下にある輪転機施設がなぜか強く印象に残っている)、引越し当初に勤務者たちはさぞや都落ちした感覚を味わったことと思う。そばの駅の大江戸線の築地市場駅ができたのはだいぶたってからだよな。そして、向かい側には築地市場、そして場外店舗群が広がる。すこし、うきうき。考えてみれば、ぼくは築地市場にちゃんと入ったことがない。
 1973年フィラデルフィア生まれのジャズ・ドラマーであるアリ・ホーニグ(2012年3月12日)のリーダー公演を、丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)で見る。前回見たときはイスラエル出身のシャイ・マエストロ(2012年3月12日、2016年1月4日、2016年6月11日、2016年6月11日、2017年9月3日、2017年9月6日)を連れてきていたが、今回はやはりイスラエル人ピアニストのエデン・ラディンを同行、さらにはベーシストもイスラエル出身の新鋭オル・バレケットを擁する。なお、すでに10作を超えるリーダー作を持っているホーニグの2015年録音の新作『NY Standard』(Fresh Sound New Talent、2018年)はテナーやギター入りカルテットによるものだが、そこで曲により起用していたピアニストはアルメニア人のティグラン・ハマシアン(2015年10月12日)とシャイ・マエストロとエディン・ラディンだった。

 頭の2曲で、頭を垂れる。アコースティックなピアノ・トリオ表現ではあるのだが(ラディンは自己表現だと、電気音の効果も用いるが、ここでは粛々とアコースティック・ピアノ演奏にあたる)、リフの積み重ねかたがジャズ・ビヨンド。そして、それを支えるのは複数のテンポを交錯させるようなホーニングの才気に満ちたドラミング。なるほど、どんなグループか知らずに接しても、これに触れたならドラマーがリーダーであると思うのではないか。

 しかし、ホーニグは不思議なドラマーであるとも再認識。叩くキットはといえば、スネア、タム、フロア・タム、キック・ドラム、ハイハット、シンバル2枚という、本当にシンプルなセッティングを採用する。なるほど、基本に忠実であらんとする人なのかと思えば、スティックの握りはレギュラーではなくマッチドで叩く。だが、その一方で音色にはかなり気を使い、ブラシやマレットも彼は用いる。アンコールで、3人はセロニアス・モンクの「モンクス・ドリーム」を披露したが、始める前にホーニングはスネアとタムのヘッド(面)のチューニングを変える。張りを強めているように感じたが、それを経て彼は「モンクス・ドリーム」のメロディをそれで出していた。また、その際はヘッドをけっこう触ったりもし、トーキング・ドラム奏法を介していた。

▶︎過去の、アリ・ホーニグ
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
▶︎過去の、シャイ・マエストロ
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
http://43142.diarynote.jp/201601050914043127/
http://43142.diarynote.jp/201606121230202174/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
http://43142.diarynote.jp/201709110842026988/
▶過去の、ティグラン・ハマシアン
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/

<今日は、びっくり。ニコっ>
 お祭り、享受。この時期、ライヴはファースト・ショウ限定となる。終了後、W杯日本vsコロンビアのTV観戦のため、知人宅に急行。そういえば、会場で会った米国人の妹の旦那さんはコロンビア人だと言っていたな。2ヶ月前にhttp://43142.diarynote.jp/201804110754439999/ と西野/協会ディスりをしたら、あらら勝っちゃった。やりい。彼が監督をした1996年アトランタ五輪の予選リーグ初戦の対ブラジル戦もそうだったが、ほんと西野は大ラッキーくん。だが、あの五輪予選リーグは2勝したにも関わらず、決勝リーグに得失点差で進めなかった。1勝1敗1分けでも決勝リーグに進める場合もあるというのに、そういう部分では大不幸くん。なんか次のセネガル・チームがとても溌剌としているし、安心できない。マーフィーの法則の継続を願う。

ETHNIC MINORITY

2018年6月21日 音楽
 セカンド作『Beatin’』発表をフォロウする実演で、赤レンガ倉庫・モーションブルー・ヨコハマ。ファースト・ショウ。

 アルト・サックスの横田寛之、電気ベースのサトウヒロ、ドラムの島野和樹が、エスニック・マイノリティの構成員。横田はコントラバス・クラリネットを冒頭でエフェクト込みで吹きそれをループさせるなんてこともし、またソプラノ・サックスも1曲で吹いた。サトウはウッド・ベースを弾いた曲もある。編成は小さいものの、搬入した楽器の量は多かったんだったんだろうな。

 それほどは凝らないプリセット音を下敷きに、トリオ音を重ねる。1ホーンのジャズ・トリオ単位の音に、いかに電気/ダンス・スタッフを重ねるかと言うことにあたっているとも、それらは基本説明できるだろう。ぼくはオーネット・コールマン(2006年3月27日)らリアルカっとび派から得たネタを彼らなりの今様感性で押し出すグループという印象を持っていたが、初めて接した実演は、客に手拍子をうながしたり、MCが長かったり、烏合の衆的コーラスを3人でとるな曲もあるなど、もっと愛想よく受け手に大きく両手を広げたものだった。それは一時熱心にストリート・ライヴをやっていた横田たちが長年活動を維持していくうえで得たグループ姿勢であるのだろう。新作の1曲目に入っていると紹介されたものは、曲だけをとればスクエアがやっていると聞いても頷けるものだった。

 最後の曲は、プリセット音抜きの3人で、サトウはエレクトリック・スタンダップ・ベースを演奏。そして、演奏したのはザ・ミーターズの「シシィ・ストラト」。大げさに言えば、“プライムタイム”・ヴァージョンてなノリで、彼らはその有名ファンク曲を演奏した。やっぱり、随所からツっぱった気概のようなものは見えたかな。

▶︎過去の、オーネット・コールマン
http://43142.diarynote.jp/200603281335030000/
▶︎過去の、ザ・ミーターズ派生ライヴ
http://43142.diarynote.jp/?day=20090725
http://43142.diarynote.jp/201301311053069360/
http://43142.diarynote.jp/201401181209502731/
http://43142.diarynote.jp/201410301514399746/
http://43142.diarynote.jp/201505111009314451/

<4年前の、ちょっといい話>
 以下は、2014年にマーク・リーボウ(2001年1月19日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年8月4日、2014年7月28日、2017年5月18日)らと来日した際に、ジャマラディーン・タクーマ(2014年7月28日)に取ったインタヴューである。その抜粋は、ジャズ・ジャパン誌に出した。彼はその来日の際、渋谷で路上演奏していた横田を見て、一緒にレコーディングすることを申し出た。録音終了後、ジャマラディーンはちゃんとギャラも支払ったという。残念ながら、まだその際のブツは世に出ていないと思う。
▶過去の、マーク・リーボウ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
http://43142.diarynote.jp/201408051026553769/
http://43142.diarynote.jp/201705191100017980/
▶︎過去の、ジャマラディーン・タクーマ
http://43142.diarynote.jp/201408051026553769/

——今、髭をのばしているんですね。なんか、若いソニー・ロリンズといった感じです(笑い)。
「そっか、じゃあずっと伸ばそうかな」
——スタインバーガーのベースはやめちゃったんですね?
「家にはあるよ。やめたわけはないんだ、僕を語るような楽器でもあるしね。でも、もう古くなっているし、あまり外に持って出たくない」
——普段は、フェンダーの赤いやつを弾いているのですか?
「海外に自分の楽器を持って行くのは好きじゃなく、現地で(フェンダーの)ジャズ・ベースを用意してもらうことが多い。今回のツアーはちゃんと自分の楽器を持ってきたけどね」
——最初の楽器がベースなんでしたっけ? そして、その後ずっと弾いているんですか?
「ああ、そうだよ。他の楽器はやらない。だから、曲作りもベースでやっているよ」
——まさに、生まれついてのベーシストですね。(頷くのをの見て)では、生まれ変わってもベーシストになりますか。
「それはどうかなー。次はパラダイスの住人で、ゆっくり暮らしたいかも。好きな事をやりたいというのは、変わらないけどね」
——ぼくはあなたの活動を見て来て、かなりパラダイスの住人であると思えますけどね。
「いやあ、それは違うんじゃないかな。音楽はつまらないビジネス事が多すぎる。やっぱり、音楽業界はパラダイスではないよ。どっちかというと、地獄のほうに近いんじゃない、ハハハハ」
——あなたの人生において、オーネット・コールマンと出会ったことは一番大きな出来事であるのでしょうか?
「うんうんうん。僕はその頃、チャールズ・アーランドのグループにいた。タイム感が悪いという理由でクビになったんだけど、本当の所は奇抜なものを身につけていたのが気に入らなかったみたいだ。でも、クビになった1週間後に、マイルス・デイヴィスのグループにいたレジー・ルーカスとジェイムズ・エムトゥーメイから電話があり、オーネット・コールマンとやるかと打診された。すぐに、ハイと返事をしたよね。そこから、始まったわけだな」
——そのときは、まだ10代でしたよね。
「18歳だった。ちょうど、40年前だよねえ」
——それで、オーネットの新編成によるハーモロディック・ファンクのお披露目盤『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』の1976年録音セッションにも加わったわけですか。
「2週間ヨーロッパに行く予定が6ヶ月になって、あれはパリで録音したんだよねえ。昔は、スケージュールが鷹揚だったなあ」
——あなたお洒落な音楽家として知られますが、そのころから衣服には気を配っていたわけすね。
「もちろん! 昔からファッションには興味があった。フィラデルフィアにアポロ劇場みたいな会場があって、そこにはザ・テンプテーションズとかが出ていたんだが、彼らのショウを見て、感激するとともに、イケてる格好から秀でた音楽は生まれると思ったんだよ。で、僕はそれを実践してきているわけさ」
——あなたがローティーンの頃って、フィラデルフィア・ソウルが盛り上がってきた時期ですよね。
「そのとおり。それで、今日のショウでは、ザ・スタイリスティックス、ザ・インタルーダーズ、ギャンブル&ハフら、その手の曲をいろいろやるよ」
——たまたま、オーネットと繋がりが持ててジャズのほうで名前が知られるわけだけど、ギャンブル&ハフに可愛がられていたら、よりソウル側の道に進んだということはあります?
「なんとも言えないね。モータウンもそうだったが、ギャンブル&ハフのトラックは共通するリズム・セクションが引き受けていて、僕が入り込む余地はなかったと思う。まあ、しいて言えば、僕は曲作りとかで関われたかもしれないね」
——あなたは現場叩き上げの人で、音楽教育を受けたということはないんですよね。
「ちょいクラスは取ったことはあった。でも、独学で来ていると、言える。実は高校を出るときにバークリーから奨学金をもらえる話があったけど、僕はそれを蹴った。だって、学校で学ぶよりもツアーに出て、実践で学んだほうがいいと思っていたから。今、生徒に教えてもいるが、学校で覚える事にも有意義なものはあるけど、それは音楽の一部でしかなく、実際に現場に出なければ得られない事が沢山ある、と言っている」
——オーネットのグループに入って、あなたはすぐに彼の求めるハーモロディック表現に対応することができたのでしょうか。『ダンシグ・イン・ユア・ヘッド』を聞くと、もう人間基準法違反のベースを堂々と弾いていますが。
「けっこう早いうちから、電車の車両と車両が連結するみたいな感じでフィットすることができた。何も考えることなく自然に入って行けて、作為をめぐらすという必要性もなかったな。僕のやりことをそのままやったらハマったという感じで、だから12年間も彼の所にいたし、今もちゃんと付き合いがある」
——オーネットも参加した、あなたの2010年作『フォー・ザ・ラヴ・オブ・オーネット』はどういう内容にしようと思ったのでしょう?
「オーネットの音楽って、彼がバンドの前に立つというのではなく、バンドの中に入って全ての楽器が平等であるというやり方から生まれる。どの楽器も同じ重要性を持ち、音楽と向き合っていくわけだね。それが僕はすごく好きで、あのアルバムを作るときもそうあればと思ったし、オーネットにも自由にやってもらったんだ」
——あのアルバムは、あなたたちアメリカ人だけでなく、日本人、英国人、オーストリア人と、複数の国籍の奏者が入っていました。そんな妙なスケール感もあなたの音楽の魅力ですが、あなたは『Music World』(Gramavision、1986年)という各国の人と絡んだアルバムも作っていますし、いろんな国籍の人とやりたいという意図はあったんですよね?
「その通り。僕にとって音楽は平等なもので、どんな属性を持つ人とも分かち合えるものだし、国境を軽く超えてしまうものだ。だから、僕はいろんな国の人とやることを常に考えている。あの録音の際も、いろんな国の僕の知り合いを集めて一緒にやるチャンスだと思った。参加者はそれぞれの文化を持ち寄ってきたが、それが僕にとっては自然なことだった」
——そういえば、昨日は日本人とスタジオに入ってレコーディングしたようですが。
「(声量が倍になって)ワ〜ウ、そうなんだよ! 東京に着いた最初の夜、渋谷で食事をしたあと街頭をふらついたら、イカしたストリート演奏が聞こえてきたんだ。エレクトロニク・スタッフを下敷きにサックスを吹いていたんだけど、これがクールでさあ。それで、販売していたCDを買って、“僕はジャマラディーン・タクーマです”と、自己紹介した。エスニック・マイノリティというバンドをやっているというヨコタは、オーネット・コールマンのフレーズをティリリリ〜ィティリリリ〜イと吹きだしたりもした。僕は(フジ・ロック・フェスティヴァルや名古屋公演の後に)また東京に戻ってくるけど、そのとき一緒にレコーディングしようと、彼に申し出た。そして、昨日スタジオに入ったんだけど、それは“ジャマラディーッン・タクーマ・フィーチャリング・エスニック・マイノリティ”として絶対出すよ。彼らは本当に才能あるミュージシャンだった!」
——今もインストをやる場合は、オーネットのハーモロディック理論を用いていると考えていいのでしょうか?
「場合によるよね。曲によりいろんな影響をまぜてやっているから。昨日レコーディグした若い3人はそのオーネットの感覚を良く分っていて、パッと演奏してもすぐにフィーリングが合った」
——あなたはR&B調のアルバムを作ったり、ザ・ルーツと一緒のCDも作っていますが、やはりできるだけ幅広いことをやりたいと思っています?
「うん、いろんなことをジャンルにとらわれずにやっていきたいと思っている。今は音楽が多様化していてそういうことをやってもなんの問題もなくなってきているが、1980年代は、アルバムにいろんな要素が入りすぎていてレコード屋でどこに置いたらいいか分らないとか言われたよね。今は自分のレーベルから出せるから、なんの問題ない」
——でも、いろんな要素が入っていたからこそ、ぼくはグラマヴィジョンからアルバムを出し始めたときに、あなたこそが今後の米国黒人音楽をしょって立つと思ってやみませんでした。
「実は、僕もそう思っていた(笑い)。あの時代は、サンプリングのはしりみいたいなもの取り入れてもいたよね。そして、エスニック・マイノリティにもかつての僕が持っていたような可能性を感じているんだ」
——1984年に取材した時に、5人子供がいると言っていたと思うんだけど。
「10人、子供がいるよ」
——わあ。では、奥さんは何人(笑い)?
「その答えは社会問題になるかもしれないので、答えません(笑い)」
——子供たちで、音楽の道に進んだ人はいますか。
「いない。僕は音楽を押し付けることはなかったし、それにやっぱり音楽業界は大変だしね。女性だとどう見せるかということがまず求められたり、コネ社会だからごますりも必要となってくる。でも、僕はそんなルールに従わず、自分のやりことをやるし、演奏する相手が有名かどうかなんて関係ない」
——今後は、どんなふうに活動していきたいと考えています?
「まずは、エスニック・マイノリティをなんとかしたい。僕が18歳のときにオーネットに呼ばれたように、僕はヨコタがサックスを吹いているのを見て、彼とやる必然性を感じてしまった。かつてオーネットは出会った若いミュージシャンをどんどんバンドに入れていたけど、今になって、彼の気持ちが良くわかるんだ。だから、今後の展望としては、才ある若手をもっと育てること、さらにいろんなジャンルにいる人と一緒にやること、それから今持っている自分のレーベルの活動を充実させることを求めたいね。あと、僕は洋服が好きだから、それをもっと楽しみたい。今のミュージシャンは本当にファッションに気を遣わないので、若いミュージシャンに僕の服を与える事もやっている」
——服はどこで見つけたり、買ったりしているんですか。
「古着屋さん、どこに行ってもフリー・マケットには顔を出す。それから、ネットで探したたりもするよ」
▶過去の、ザ・ルーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
http://43142.diarynote.jp/201312200917503345/

フレンデル

2018年6月22日 音楽
 スウェーデンのウプサラで兄弟妹として育ったナターシャ・ドゥッジャスカ(フィドル、ヴォーカル)、ガッピ・ドジェスキ(マンドーラ、歌)とダニエル・ドジェスキ(ダブル・ベース、歌)の3人に、ガッピのフィアンセでエストニア人のセデ・タタ―(フルート、歌)を加えた、スウェーデン人とエストニア人からなる男女二人づつのアコースティック・グループ。その公演を、青山・Heavenで見る。ただし、今回はナターシャが肺炎のため、かわりにフィンランド人のミルヴァ・タルヴァイネンが同行。普通にまざっていて、その事実を知っていなかったら、代役メンバーだとは気づかないか。

 スウェーデンとエストニアの伝統音楽をベースと(歌う言語も、その二国の言葉のよう)しているらしいが、若いグループらしく(まだ、皆20代か)、鷹揚にいろんな興味を素直に取り入れていると感じる。アイリッシュ調のダンス・ナンバーもあれば、バルカン調と言いたくなる曲もあったし、4人のコーラス・ワークが冴える本編最後にやった曲はコード進行も良くできていて、なんかC.S.N.&Y.みたいと感じた。
 
 素直なようでいて技をめぐらせているのは、面々の手にした楽器をみても分かる。ガッピは5コースのマンドーラを弾き、ダニエルは5弦のウッド・ベース(持ち運びが楽な小型ボディで、ネックを折ることができるタイプ)を使用し、セデはアルト・フルートも吹いた。

 とにもかくにも、和気藹々。音楽的には清らかなところもあるのだが、かしこまったところはなにもない。MCは英語でしていたが、みんな人柄の良さみたいなのがにじみ出ていて、うわあ。フレンデルとは広義の家族みたいな意味をもつらしい。この晩が日本ツアーの初日で、この後5箇所を回る。彼らは今、カナダや欧州を回るツアー中だそうだ。

<今日の、トランク・ホテル>
 その後、1年前に原宿と渋谷の間にできた、小洒落たデザイナーズ・ホテルに流れる。PCをひくと、けっこうな宿泊料をとっているんだなー。懇意にしている事務所がすぐ横で、かつてはデカい駐車場だった。 “Fete dela Musique” というDJイヴェントを一階でやっているというので出向いた。花金なのにそんなに混んでおらず、ゆったりいれてマル。野外のくつろぎスペースも広く、雨の降らないこの季節にはとても吉だった。
追記:知人の会社の忘年会、そこの広い部屋を借りてのものだったそう。なるほど、そういう使い方もされるのね。

 代官山・晴れたら空に豆まいて で、フランスのスペイン寄りのオート・ピレネー県のタルブという所を本拠とするグループを見る。地元高校の校庭で2004年に結成された、ある種の自然体さ〜それはペーソスや雑草性と繋がる〜が魅力的な集団。現在は7人編成で活動しているが、ステージには4人が登場。彼らが14年活動を共にしているオリジナル・メンバーであるそうな。シンガー、アコースティック・ギター、キーボード、パッド・パーカッションという編成にて和気藹々と、哀愁に満ちた(基本、彼らの曲はマイナー・キー)、人懐こくもある、風通しのよい手作りポップを繰り出す。アルバムではその居住する場所を示唆するかのようにフラメンコ基調の曲もあったが、この日ぼくが聞いた範囲ではなし。4人はありゃというぐらいオーラを感じさせないが、それは日常と繋がった隣人のバンドというイメージを与えるだろう。頭の40分、見させていただいた。

<今日は、燦燦>^
 “マーフィーの法則、絶賛継続ちう”。知人宅で日本vs.セネガル戦を見たりしたあと、起床。自分ち大好きだけど、家庭訪問はわりと好きかな。外を見るとまぶしい。我が家よりも高い階から見下ろすためもあるかもしれないが、明らかに照度が高い。9時代から30度を超えたそうな、今年初の真夏日。実は、ブールヴァール・デ・ゼールの面々は先週土曜日に野外のイヴェントに出演するはずだったが、それは雨天で中止になった。彼らも、この天候の変わり様にはびっくりだろうな。水曜日に面々にインタヴューすることになっているが、今ワールドカップのフランスは2戦2勝と結果オーライの成績。そのことも聞いてみよう。

 ロシアのサンクトペテルブルクからやってきたトラッド系バンドを、青山・月見ル君想フで見る。ワールド・カップ自国開催中にわざわざ訪日とはなんと酔狂なと一瞬思ったが、ほとんどのミュージシャンはやはりそうするか。初来日となれば余計に。

 グスリというロシアの多弦楽器とジャレイカという縦笛とバグ・パイプと歌(MCは英語で彼がした)、フィドル(すごいボディが厚い無骨なものを弾いていた)と歌とジャレイカ、フィドルと歌(紅一点)、エレクトリック・ギターと歌、エレクトリック・ベース、パーカッション(バス・ドラム、タラブッカ)という陣容からなる6人組、30代から50歳がらみぐらいか。まずは、もうその外見(なにげにロックぽい?)だけで引きつけるものあり。

 で、音が送り出されると、もっと引きつけられる。のっけからズールー・ジャイヴ調のギターの調べが出てくるなど、参照する世界が広い。フィドル2本が活躍する曲はもろケルト調となったりするのをはじめ、ロシア外のいろんな手作り表現に発展のネタを求めているのが、”一聴瞭然“。楽しくも、技あり。ロシアのトラッド音楽の歌詞やメロディを柱に置きつつ、好奇心旺盛に四方八方に広がり、なんとも愉快な手作り世界を笑顔とともに送り出す様にはおおいに頷く。妙な臭みやユーモアも持つが、そんな彼らのノリ/楽器編成でレッド・ツェッペリンの「カシミール」をカヴァーしたら滅茶イケるはずとも、ぼくは思った。
 
 2部の途中で、南青山・ブルーノート東京に移動。キューバ出身、在NY のアルト・サックス/クラリネット奏者(2013年10月26日、2014年10月5日)のショウを見る。サイドは、アルゼンチン出身のディエゴ・ウルコラ(トランペット、バルブ・トロンボーン)、アレックス・ブラウン(ピアノ)、ペルー出身のオスカル・スタグニャーロ(6弦エレクトリック・ベース)、マーク・ウォーカー(ドラム、カホンなど)というレギュラー・コンボの面々。今回のライヴはクラッシック曲を洒脱なジャズ流儀のもと開いた『 Meets the Classics』(Sunnyside、2014)の方向でなされると聞いていたが、ふたを開けてみれば、クラシック曲はベートーヴェンの曲一つだけだったのではないか。「エスタモス・アイ」や「黒いオルフェ」といったブラジル曲を2曲やったりと、ある種広義の中南米性を淡く出しているところはあったか。また、「ナイト・イン・チュニジア」なんていうベタなジャズ曲もやっていたのだが、どこかほっこりするようなメロウネスがあって、そこらあたりはこの出し物のポイントか。まあ、それはパキートの演奏にも通底することであるのだが。
 
 ピアニスト以外いい年齢の奏者たちは、皆手だれ。デリベラは今月70歳になったそうだが、見た目はもっとおじいちゃんに見えた。最後の方、パーカッション奏者の木川保奈美がパンデイロで加わる。ステージの笑顔と照度が強まった。

<今日は、3回目の日本戦>
 ブルーノート東京のショウ後、知人との会話を振り切り、すぐに別の知人宅へ。日本の予選リーグ成績は、1勝1敗1分け。で、ギリで決勝リーグへ。はい、土下座します。