ジェフ・テイン・ワッツ。デイヴィッド・T・ウォーカー
2007年12月18日 いけねえ、11時間強も寝ちまっった。外出時間までの3時間弱で原稿2500
字、打ちまくる。いや、当人のなかでは、撃ちまくるという感覚だな。くう
っ。
ジェフ・テイン・ワッツは現純ジャズ界の、最たる働き盛りドラマー(60
年生まれ)。マルサリス兄弟のバッキングをはじめ80年代あたまから、いろ
んなジャズ・アルバムに参加するとともに、数枚のリーダー作を出してきて
いる。今回のバンドはここ数年の彼のリーダー作のレコーディング・メンバ
ーの選抜群ともいうべきもので、マーカス・ストリックランド(テナー。と
きにソプラノ)、デイヴィッド・キコウスキ(ピアノ。一部、キーボードも
)、クリスチャン・マクブライド(ベース。電気ベースも置いていたが、こ
のセットはすべて縦を弾く。2005年1月18日、2006年9月17日。なお、こ
の日は普通の靴を履いていた)を従えてのもの。テイン&ジ・エボニクスと
いうバンド名(それは、07年の新譜タイトルから来たもの)が付けられてい
て、各人ともに数枚づつリーダー作を出している手練たちですね。
覇気(テインの叩き音はデカかった)のある、今のジャズを1時間半弱(
6〜7曲演奏したか)。ワッツは4ビート曲はレギューラー・グリップ(左
手は、掌を上に向けるようにスティックを握る)で叩き、叩き込む曲や非4
ビートのときはマッチド・グリップ(両手とも、スティックを鷲掴み的に握
る。ロックやR&Bのドラマーは多くがこっちなはず)で演奏。曲調によっ
て握り方を使い分け、曲の途中でも変えたときがあったな。本編最後にやっ
た、メンバー全員の烏合の衆的なヴォーカル(かなりいい感じ)を出だしと
クロージングに用いるワッツ曲「JC・イズ・ザ・マン」はけっこうオーネ
ット・コールマン(2006年3月27日)ぽい曲だった。丸の内・コットンクラ
ブ、ファースト・ショウ。
そして、南青山・ブルーノート東京に移動。今年2度目の来日となるデイ
ヴィッド・T・ウォーカーが出演。受付階に下りると人が沢山いる。なるほ
ど、演奏時間が長いのだな。それゆえ、ファーストとセカンド・ショウの入
替え時間が押してしまうというわけだ。
モータウン他、R&Bバッキングのヴァーチュオーソ。60年代後期からリ
ーダー作も出すようになっていて、フュージョンとはならないギター・イン
スト表現を控えめながら世に送り、しっかりと人々のココロに火を灯してる
人。朋友ジェリー・ピータース(キーボード)や一緒にザ・クルセイダーズ
のサポートをしたンドゥグ・チャンスラー(ドラム)など、気心の知れた名
手たちを従えてのもの。
メロウ。まったくもって、唯一無二の嬉しい手癖。適切なひっかかりを持
ちつつ曖昧な文様を描くようなその特殊演奏はアーニー・アイズレーの複音
弾き演奏とともに、米国黒人音楽/流儀の嬉しい何かをしかと教えるもの。
かつ、デイヴィッド・Tの場合は人徳というか、ある種の高潔さみたいなの
があるのがポイントですね。演目はジャジィに気儘に流れていくような曲が
主体、そして「ラヴィング・ユー」、「ホワッツ・ゴーイン・オン」や「ウ
ォーク・オン・バイ」などの有名曲も取り上げる。個人的には単純なファン
ク・リフに乗って弾きまくり、妙味が溢れ出るような曲が1曲ききたかった
な。彼はセミアコ・タイプのギター(をステージに置いてはいたものの)を
弾かずに、カスタム・メイドっぽいソリッドなエレクトリック・ギターを弾
いていた。
彼の演奏を聞きながら、ぼくが最初にLAに行ったのは89年だったことを
思い出す。ちょうどNYとワシントンD.C.とシンシナティに遊びに行く機会
があり、ならついでにLAにもおいでよと誘ってきたのが、当時デイヴィッ
ド・Tのアルバムをプロデュースしていた基本LA在住の日本人Oだったの
だ(ぼくは海外出張と重なり出ていないが、駒場エミナースでやった彼の結
婚披露宴にはデイヴィッド・Tも出席したはず)。ぼくがLA入りする日と
Oが東京からLAに戻って来る日を合わせて、LAXで待ち合わせ。もし、
なんかあったときの保健で彼はデイヴィッド・Tの自宅の電話番号を教えて
くれたっけ。NYやロンドンは何度か行っていても、LAはそのときが初め
てで、その後LAに行く仕事が増え、Oのアパートには2、3度ほど延長滞
在時に泊めてもらったことがあった。なんて、デイヴィッド・Tの絶妙な指
裁きに触れつつ、遠い昔のことがふんわり浮かんできた。
デイヴィッド・Tの演奏は聞き手の遠い昔の記憶と繋がった甘美な音であ
る。だが、その豊かな昔の音は今という時もやんわりやさしく、でもしっ
かりと揺り動かす力を持つものでもあると思う。
字、打ちまくる。いや、当人のなかでは、撃ちまくるという感覚だな。くう
っ。
ジェフ・テイン・ワッツは現純ジャズ界の、最たる働き盛りドラマー(60
年生まれ)。マルサリス兄弟のバッキングをはじめ80年代あたまから、いろ
んなジャズ・アルバムに参加するとともに、数枚のリーダー作を出してきて
いる。今回のバンドはここ数年の彼のリーダー作のレコーディング・メンバ
ーの選抜群ともいうべきもので、マーカス・ストリックランド(テナー。と
きにソプラノ)、デイヴィッド・キコウスキ(ピアノ。一部、キーボードも
)、クリスチャン・マクブライド(ベース。電気ベースも置いていたが、こ
のセットはすべて縦を弾く。2005年1月18日、2006年9月17日。なお、こ
の日は普通の靴を履いていた)を従えてのもの。テイン&ジ・エボニクスと
いうバンド名(それは、07年の新譜タイトルから来たもの)が付けられてい
て、各人ともに数枚づつリーダー作を出している手練たちですね。
覇気(テインの叩き音はデカかった)のある、今のジャズを1時間半弱(
6〜7曲演奏したか)。ワッツは4ビート曲はレギューラー・グリップ(左
手は、掌を上に向けるようにスティックを握る)で叩き、叩き込む曲や非4
ビートのときはマッチド・グリップ(両手とも、スティックを鷲掴み的に握
る。ロックやR&Bのドラマーは多くがこっちなはず)で演奏。曲調によっ
て握り方を使い分け、曲の途中でも変えたときがあったな。本編最後にやっ
た、メンバー全員の烏合の衆的なヴォーカル(かなりいい感じ)を出だしと
クロージングに用いるワッツ曲「JC・イズ・ザ・マン」はけっこうオーネ
ット・コールマン(2006年3月27日)ぽい曲だった。丸の内・コットンクラ
ブ、ファースト・ショウ。
そして、南青山・ブルーノート東京に移動。今年2度目の来日となるデイ
ヴィッド・T・ウォーカーが出演。受付階に下りると人が沢山いる。なるほ
ど、演奏時間が長いのだな。それゆえ、ファーストとセカンド・ショウの入
替え時間が押してしまうというわけだ。
モータウン他、R&Bバッキングのヴァーチュオーソ。60年代後期からリ
ーダー作も出すようになっていて、フュージョンとはならないギター・イン
スト表現を控えめながら世に送り、しっかりと人々のココロに火を灯してる
人。朋友ジェリー・ピータース(キーボード)や一緒にザ・クルセイダーズ
のサポートをしたンドゥグ・チャンスラー(ドラム)など、気心の知れた名
手たちを従えてのもの。
メロウ。まったくもって、唯一無二の嬉しい手癖。適切なひっかかりを持
ちつつ曖昧な文様を描くようなその特殊演奏はアーニー・アイズレーの複音
弾き演奏とともに、米国黒人音楽/流儀の嬉しい何かをしかと教えるもの。
かつ、デイヴィッド・Tの場合は人徳というか、ある種の高潔さみたいなの
があるのがポイントですね。演目はジャジィに気儘に流れていくような曲が
主体、そして「ラヴィング・ユー」、「ホワッツ・ゴーイン・オン」や「ウ
ォーク・オン・バイ」などの有名曲も取り上げる。個人的には単純なファン
ク・リフに乗って弾きまくり、妙味が溢れ出るような曲が1曲ききたかった
な。彼はセミアコ・タイプのギター(をステージに置いてはいたものの)を
弾かずに、カスタム・メイドっぽいソリッドなエレクトリック・ギターを弾
いていた。
彼の演奏を聞きながら、ぼくが最初にLAに行ったのは89年だったことを
思い出す。ちょうどNYとワシントンD.C.とシンシナティに遊びに行く機会
があり、ならついでにLAにもおいでよと誘ってきたのが、当時デイヴィッ
ド・Tのアルバムをプロデュースしていた基本LA在住の日本人Oだったの
だ(ぼくは海外出張と重なり出ていないが、駒場エミナースでやった彼の結
婚披露宴にはデイヴィッド・Tも出席したはず)。ぼくがLA入りする日と
Oが東京からLAに戻って来る日を合わせて、LAXで待ち合わせ。もし、
なんかあったときの保健で彼はデイヴィッド・Tの自宅の電話番号を教えて
くれたっけ。NYやロンドンは何度か行っていても、LAはそのときが初め
てで、その後LAに行く仕事が増え、Oのアパートには2、3度ほど延長滞
在時に泊めてもらったことがあった。なんて、デイヴィッド・Tの絶妙な指
裁きに触れつつ、遠い昔のことがふんわり浮かんできた。
デイヴィッド・Tの演奏は聞き手の遠い昔の記憶と繋がった甘美な音であ
る。だが、その豊かな昔の音は今という時もやんわりやさしく、でもしっ
かりと揺り動かす力を持つものでもあると思う。