シーマス・ブレイクズ・スーパーコンダクター。ショーン・ポール
2015年8月5日 音楽 1970年英国生まれでカナダ育ち、そしてバークリー音楽大学を経て、現在はニューヨークで活躍するリード奏者のリーダー・ブループの公演。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。
ブライクはけっこうリーダー作を持つ御仁だが、今回のバンドはアルバム上では披露していない(と、思う)、彼が自らのエレクトリック・バンドと位置づけるスーパーコンダクターなるカルテット。ドラムのネイト・スミス(2012年5月28日、彼のみ、アフリカ系)、キーボードのスコット・キンゼイ(2009年11月12日、2013年3月8日)、ベースのマット・クロヘシーという面々を従える。
ふむ。ブレイクの他のアルバムではどっしりとした王道ダブル・ベース演奏に徹するクロヘシーはエレクトリック・ベースのみを弾くし、ブレイクはといえば1曲目からEWI(ウィンド・シンセサイザー)を吹き出すし、なるほどこれはエレクトリック志向だと思わせられることしきり。とはいえ、フュージョン的な晴れやかさや分りやすさとは離れたことをしていて、へえ〜。
まず、リズムが今。そりゃ、現代ジャズ界の辣腕ドラマーと言えるだろうネイト・スミスが叩いているのだから当然と言えば当然なのだが、クロヘシーの妙な抑揚を感じさせる重い(ペラ男くん度数ゼロ)4弦電気ベース演奏との絡みもなんか良い。それが幸いしてか、キンゼイの聞き味もこんなによかったっけかという感じ。彼が弾くリフ/パターンを基調に流れて行くという感じもあるし、彼は時にサックス音やベース・フレーズに鍵盤音をさりげなく重ねることをしたりして、それも効果的だった。
ぼくがEWI音が大嫌いなのはともかく、ブレイクの肝心のテナー・サックス音もある種の臭みや尖りに欠けるように聞こえたのは、電気傾向バンドでの演奏ということが左右しているか、否か。率直に言えば、テナー・サックス奏者としてのブレイクには少し期待外れだった部分もあったのだが、この妙な現代回路を持つグループ・コンセプトを掲げたということで、今のジャズ・マンとしてのぼくのなかのシーマス・ブレイクの株は上がった。次に見る公演との兼ね合いで、50分しか見れなかったのが残念……。
▶過去の、ネイト・スミス
http://43142.diarynote.jp/201205301445023004/
▶過去の、スコット・キンゼイ
http://43142.diarynote.jp/?day=20091112
http://43142.diarynote.jp/?day=20130308
そして、六本木・ビルボードライブ東京で、グラミー賞も受賞しているダンスホール・レゲエの大スターのショウを見る。1日1ショウで、20時のスタート。彼って、モヒカン風の頭がトレードマークだったはずだが、今は坊主にしちゃったんだな。
ショウの前後にも回した(そのときは、EDM調というか、非ラガなものも流しもする)DJ、補助MC、2人の女性ダンサーを従える。やっぱいい声しているナと思いつつ、ダンスホール・レゲエとラップの関係に思いを巡らしたり、そこからレゲエやジャマイカの文化の独自性を考えたり……。
ジャマイカの担い手には珍しくショーン・ポールは大学を出ているが、ヤンキー濃度が高いなか進むショウの時々にクールネスをにじませる部分もあったような。きちっとショウの全体を俯瞰しているように思えたりもしたし、ああやはりスターだなと思わせる部分も、そこに帰結したりはしまいか。
<今日の、偶然?>
シーマス・ブラウンのショウ、冒頭3分ほどはスコット・キンゼイの鍵盤演奏。それに触れて、アレレ。その詩的な指裁きや軽快なハネの感覚から、なんとくシャソル(2015年5月30日)のそれと重なる部分を感じさせられた。おそらく、それは偶然であると推測されるが、ブリリアントな指使いや感性を持つからこそ、重なる部分は出てくるということか。これまでぼくはキンゼイのことを高くは評価していなかったので、なんか彼のことを見直す部分、今回のブラウン公演に触れておおいにあり。
そして、その聞き味の重なりに触れて、今騒動になっている、2020年東京オリンピックのロゴのことを思い出す。きっと、パクリではないだろう。あれだけ大きなやつだと、すぐバレちゃうし、万が一バレたら大事になるのはコドモでも分るだろうから。だけど、違う哲学のもとオリジナルな発想で作ったとしても、先に発表されていたものとかなり似ているのは事実。真似ではないから、先の意匠は登録されていないから、似ていてもそれはしょうがないで済ませてしまっていいのか。プロの矜持を持っていたら、関知してはいなくとももろに似ちゃったわけだし、そこは独自性の欠如を恥じ、作者は作品撤回するのがスジではないのかしら。
▶過去の、シャソル
http://43142.diarynote.jp/201505310957591440/
ブライクはけっこうリーダー作を持つ御仁だが、今回のバンドはアルバム上では披露していない(と、思う)、彼が自らのエレクトリック・バンドと位置づけるスーパーコンダクターなるカルテット。ドラムのネイト・スミス(2012年5月28日、彼のみ、アフリカ系)、キーボードのスコット・キンゼイ(2009年11月12日、2013年3月8日)、ベースのマット・クロヘシーという面々を従える。
ふむ。ブレイクの他のアルバムではどっしりとした王道ダブル・ベース演奏に徹するクロヘシーはエレクトリック・ベースのみを弾くし、ブレイクはといえば1曲目からEWI(ウィンド・シンセサイザー)を吹き出すし、なるほどこれはエレクトリック志向だと思わせられることしきり。とはいえ、フュージョン的な晴れやかさや分りやすさとは離れたことをしていて、へえ〜。
まず、リズムが今。そりゃ、現代ジャズ界の辣腕ドラマーと言えるだろうネイト・スミスが叩いているのだから当然と言えば当然なのだが、クロヘシーの妙な抑揚を感じさせる重い(ペラ男くん度数ゼロ)4弦電気ベース演奏との絡みもなんか良い。それが幸いしてか、キンゼイの聞き味もこんなによかったっけかという感じ。彼が弾くリフ/パターンを基調に流れて行くという感じもあるし、彼は時にサックス音やベース・フレーズに鍵盤音をさりげなく重ねることをしたりして、それも効果的だった。
ぼくがEWI音が大嫌いなのはともかく、ブレイクの肝心のテナー・サックス音もある種の臭みや尖りに欠けるように聞こえたのは、電気傾向バンドでの演奏ということが左右しているか、否か。率直に言えば、テナー・サックス奏者としてのブレイクには少し期待外れだった部分もあったのだが、この妙な現代回路を持つグループ・コンセプトを掲げたということで、今のジャズ・マンとしてのぼくのなかのシーマス・ブレイクの株は上がった。次に見る公演との兼ね合いで、50分しか見れなかったのが残念……。
▶過去の、ネイト・スミス
http://43142.diarynote.jp/201205301445023004/
▶過去の、スコット・キンゼイ
http://43142.diarynote.jp/?day=20091112
http://43142.diarynote.jp/?day=20130308
そして、六本木・ビルボードライブ東京で、グラミー賞も受賞しているダンスホール・レゲエの大スターのショウを見る。1日1ショウで、20時のスタート。彼って、モヒカン風の頭がトレードマークだったはずだが、今は坊主にしちゃったんだな。
ショウの前後にも回した(そのときは、EDM調というか、非ラガなものも流しもする)DJ、補助MC、2人の女性ダンサーを従える。やっぱいい声しているナと思いつつ、ダンスホール・レゲエとラップの関係に思いを巡らしたり、そこからレゲエやジャマイカの文化の独自性を考えたり……。
ジャマイカの担い手には珍しくショーン・ポールは大学を出ているが、ヤンキー濃度が高いなか進むショウの時々にクールネスをにじませる部分もあったような。きちっとショウの全体を俯瞰しているように思えたりもしたし、ああやはりスターだなと思わせる部分も、そこに帰結したりはしまいか。
<今日の、偶然?>
シーマス・ブラウンのショウ、冒頭3分ほどはスコット・キンゼイの鍵盤演奏。それに触れて、アレレ。その詩的な指裁きや軽快なハネの感覚から、なんとくシャソル(2015年5月30日)のそれと重なる部分を感じさせられた。おそらく、それは偶然であると推測されるが、ブリリアントな指使いや感性を持つからこそ、重なる部分は出てくるということか。これまでぼくはキンゼイのことを高くは評価していなかったので、なんか彼のことを見直す部分、今回のブラウン公演に触れておおいにあり。
そして、その聞き味の重なりに触れて、今騒動になっている、2020年東京オリンピックのロゴのことを思い出す。きっと、パクリではないだろう。あれだけ大きなやつだと、すぐバレちゃうし、万が一バレたら大事になるのはコドモでも分るだろうから。だけど、違う哲学のもとオリジナルな発想で作ったとしても、先に発表されていたものとかなり似ているのは事実。真似ではないから、先の意匠は登録されていないから、似ていてもそれはしょうがないで済ませてしまっていいのか。プロの矜持を持っていたら、関知してはいなくとももろに似ちゃったわけだし、そこは独自性の欠如を恥じ、作者は作品撤回するのがスジではないのかしら。
▶過去の、シャソル
http://43142.diarynote.jp/201505310957591440/