京橋・テアトル試写室で、レバノン出身というジアド・ドゥエイリ監督による2017年レバノン/フランス映画を見る。脚本も共同執筆している米経験を持ちかつて「レザボア・ドッグ」や「パルプ・フィクション」などでクェンティン・タランティーノのアシスタント・カメラマンをした経歴を持つよう。この作品の舞台はレバノンで、使われる言葉はアラビア語だ。

 ベイルートに住むレバノンのマロン派キリスト教徒であるレバノン人とスンニ派ムスリムのパレスチナ難民、おじさん同士の個人的な軋轢が、国を二分にするような(仲裁しようとする大統領が出てくる場面まである)裁判になって行く様とその背景を綴り、法廷シーンも多く出てくる映画だ。監督の両親は裁判官と弁護士であるという。

 レバノンの歴史やそこに住む人たちの心持ちなどをひしと感じさせられ、生理的にヘヴィ。それは筋立てや役者の達者さもある。両者の弁護士の属性設定も練られた。だが、大枠では、晴れの方向に向かうヒューマン・ストーリーになっていて、120分近くをすうっと見切らせる。とても心に残るシーンもある。音楽は、フランス人のエリック・ヌヴーが担当。今様なエレクトロ音をつけていて、終盤は<晴れ>の感覚を持つそれが多用され、それは肯定的な感覚を導く。映画の英題(各クレジットはアラビア語と英語でなされていた)は「Tne Insult(侮辱)」、それを大きく変えた邦題にも、納得できよう。各映画祭でいろんな賞やノミネートを得た本作は、8月末より順次公開される。

 その後は、丸の内・コットンクラブでラテン・ジャズ系にいるピアニストであるビル・オコンネル(2017年6月19日。1953年、NYC生まれ。大柄な彼、苗字からするとアイルランド系?)のセカンド・ショウを見る。5弦フレットレスのエレクトリック・ベースおよびダブル・ベースを弾くリンカーン・ゴーインズ(2012年5月11日、2012年6月21日、2017年6月19日)と、ドラマーのロビー・アミーン(2000年1月12日、2001年5月15日、2002年7月24日、2003年8月9日、2004年4月5日、2011年12月8日、2017年6月19日)というリズム隊がつく、トリオによるもの。その顔ぶれは、その名も『Jazz Latin』(Savant)という新作の主メンバーですね。

 前回の感想と同様に、ジャズ要素の濃いピアノ・トリオによる広義のジャズ・ラテン表現を繰り広げる。左足でハイハットを刻むとともに、木魚のような音を出るものをその外に設置していて、アミーンは場面によってはそちらもキックしながらこんこんという音を出していた。またちょっとしたカウベル使いとか、ラテン属性の活用はやはり耳を引く。オープナーはしっとり目で演奏していて大人の叩き方をしているなあと頷いたら、2曲目から急に音がデカくなった。

▶︎︎過去の、ビル・オコンネル
http://43142.diarynote.jp/201706190940184750/
▶︎過去の、リンカーン・ゴーインズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20120511
http://43142.diarynote.jp/?day=20120621
http://43142.diarynote.jp/201706190940184750/
▶︎過去の、ロビー・アミーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm キップ・ハンラハン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm キップ・ハンラハン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm キップ・ハンラハン
http://43142.diarynote.jp/?day=20040405
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
http://43142.diarynote.jp/201706190940184750/

<今日の、時間のやりくり>
 試写は珍しく、18時から。やはり送り手側の勤務時間内に合わせたいのだろう。試写会は明るい時間に持たれる場合が多い。その後、京橋から丸の内までは電車だと乗り換えないと行けないが、ちんたら歩いても10分ちょい。セカンド・ショウの開始は、21時から。映画の尺は2時間近くあったので、かなりつなぎはスムース。せっかちなためもあり、そういう効率のいいことに快さを感じるワタシ……。いや、家ではちんたら過ごしたいので、外に出るときは効率良くしたいのかもしれない。なんて書くと、あれだけお店でだらだら飲むのが好きなくせにとか、言われそう。確かに、人生に無為は必要と考えているところもあるナ。