新春恒例となる、トランペッターの田村夏樹(1999年8月16日、2000年6月2日、2000年10月1日、2002年8月5日、2003年1月21日、2003年4月7日、2004年7月27日、2010年8月6日、2012年7月1日、2005年2月10日、2005年11月28日、2005年12月11日、2006年7月3日、2008年8月24日、2008年12月17日、2010年1月9日、2010年6月7日、2016年1月28日、2017年1月9日、2017年9月13日、2018年1月8日、2019年1月13日、2019年3月22日、2020年1月13日) と、ピアニストの藤井郷子(1999年8月16日、2000年6月2日、2000年10月1日、2002年8月5日、2003年1月21日、2003年4月7日、2004年7月27日、2005年2月10日、2005年11月28日、2005年12月11日、2006年7月3日、2008年8月24日、2008年12月17日、2010年1月9日、2010年6月7日、2010年8月6日、2012年7月1日、2016年1月28日、2017年1月9日、2017年9月13日、2018年1月8日、2019年1月13日、2019年1月13日、2019年6月29日、2019年12月20日、2020年1月13日)が主宰する、新宿ピットインの昼の部と夜の部の打ち抜き企画を見る。入れ替えにて、13時からと17時から。

 昼の部は、This is It! から。田村と藤井と、ドラムとパーカッションの井谷享志(2017年1月9日、2018年1月8日、2019年1月13日、2020年1月13日、2021年3月1日)のトリオだ。この3人は神戸と草加に分かれてレコーディングしたという新作『MOSAIC』(Libra)を出して間もない。三位一体、確かな道標のもと長〜いタイト・ロープを臨機応変に渡っていくような感じで、3者はいろいろと重なる。当然、ソロやデュオになる場合もある。まずは、ピアノがよく響くなということと、田村のトランペットの音と表情の豊かさにうなる。それ、装置をいっさい介さないアナログ回路で出していて、まったくもって感心。貴重な吹き手だな。井谷はグロッケンシュピールなども操る。

 続くGato Libreは、田村とここではアコーディオンに専念する藤井に加え、岡山在住というトロンボーン奏者の金子泰子(2019年1月13日)によるトリオだ。かつてGato Libreはギターの津村和彦(2005年2月10日)とダブル・ベースの是安則克(2005年2月10日)とのカルテットだったがが、是安の逝去もあり、今はこういう形になっている。3人はステージ中央に座って演奏したが、これは室内楽的な指向をもつグループであるとも言えるか。また、ここのレパートリーは猫にまつわるタイトル付けしているのだな。まろやか、まったり気味の曲のもと、マウスピース系管楽器2本とアコーディオンという楽器編成の妙が効いた、ペーソスあり〜その奥にはアヴァンな発露もある〜演奏を披露する。新作『コネコ』(Libra)に続くアルバムもすでにできていて、そこからの曲もやった。

 そして、3つ目は藤井とギターの大友良英(2002年3月17日、2003年6月28日、2004年2月6日、2004年10月10日、2004年11月7日、2005年4月26日、2006年1月21日、2006年4月18日、2007年4月21日、2009年5月31日、2011年6月8日、2012年3月21日、2013年7月13日、2016年9月4日、2016年10月27日、2019年11月12日、2021年10月2日)の完全一発デュオ演奏だ。

 なんと二人は初共演(大友は一緒にやったことがあると思っていたよう)、当然のごとくデュオでやるのも初めてとなるそう。リスボンやパリで偶然会って飲んだことはあるものの。藤井はピアノのなかをいろいろといじり(どんなものを噛ませていたのかは知らないが、ときに風情ある爆音が出る場合あり)、一方の大友はアルコ弾きでそれに対応したパートから始まる。静と動の絶え間ない対話/相乗が50分強続けられた。両者とも様々な音や奏法を繰り出し、二人の立ち位置をいろんな場に持っていこうとする。二人は1歳違いだが、しっかり者の姉と照れ屋の弟といったノリの話のやりとりが楽しい。このセットはレコーディングされていたようで、商品として日の目を見るかもしれない。

 2部は、田村のソロから始まった。彼は自宅で音を重ねた結果となる『Summer Tree』(Libra)を2月に出すが、その内容を踏襲するのかと思ったら、違っていてドヒャー。トランペットにカップをつけてゆったりとバラードを吹き出したと思ったら、前のテーブルには鍋をはじめとするキッチン用品を並べていてそれを子供のように小撥(箸の類?)叩き始め、ついでに延々とハナモゲラな歌も入れてくる。それ、和を感じさせつつ、無国籍でもあり。そして、ピアノに移動してじゃんじゃか弾いたりもする。それらは与芸以外の何物でもないが、悪びれず究極のアマチュア道を行きまくる様に接し、音楽への純真と解き放たれた音楽観はつまらぬ常識を捨て去るのだと了解する。その一方では、誰にも真似のできない輝かしいトランペッター/インプロヴァイザーとしての姿をだすのだから。いやはや。

 最後は、田村と藤井、テルミンと加工ありのヴォイスの巻上公一(2004年11月6日、2013年8月11日、2015年9月28日、2016年7月12日、2017年9月13日、2018年1月8日)、テナー・サックスの広瀬淳二(2018年1月8日)、エレクトリック・ベースのナスノミツル(2002年1月5日、2005年9月6日、2007年4月21日、2007年6月3日、2014年9月7日、2018年1月8日)、ドラムの芳垣安洋(2004年2月6日、2004年10月10日、2004年11月7日、2005年4月26日、2006年1月21日、2006年4月18日、2007年4月21日、2009年5月31日、2011年6月8日、2012年3月21日、2013年2月19日、2013年7月13日、2016年9月4日、2016年10月27日、2017年8月24日、2018年1月8日、2019年8月5日)からなるギグ。これ、お年玉バンドと名付けられている。

 この模様は配信されたようだが、配信開始後に田村が今回用に書いた譜面/指南書を参加者たちに回す。そして、軽く4分ほどリハーサルをして構成確認をする。隠すモノはなし、すべておおらかに見せます、か。柱となるのは、民族意識やコミュニティ意識に目覚めたころのロフト・ジャズがやりそうな二つのテーマで、それをプロットとして差し込み、その間にそれぞれの人たちが長めのソロを取る。そのソロは最初は無伴奏ながら、徐々に気分で他奏者が音を挟んでいったりもする。自分も加わっていくような一体感も持てるわけで面白くも興味深い。あー。楽しいよー。全員が音を出す場合はかなりの音量となるが、どの音もちゃんと聞こえ、PAにも拍手。芳垣の叩き音もよく、マレット使用が効いていたなー。これは、田村が主導。なんか今回は、“田村夏樹祭り”という所感も得たかな。

▶過去の田村夏樹
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm 藤井カルテット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-6.htm 藤井3+1
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm 藤井カルテット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm 藤井3+1
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-1.htm 藤井4
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 田村カルテット
http://43142.diarynote.jp/200407271618520000/ 藤井3+1
http://43142.diarynote.jp/?day=20040820 板橋オーケストラ
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http://43142.diarynote.jp/?day=20050210 田村カルテット
http://43142.diarynote.jp/200512020244540000/ ザ・レイモンド・マクドナルド・トウキョウ・インプロヴァイザーズ・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/200512140951100000/ エリオット・シャープ
http://43142.diarynote.jp/?day=20060703  藤井オーケストラ名古屋/同東京
http://43142.diarynote.jp/?day=20080824 レイモンド・マクドナルド・インターナショナル・ビッグ・バンド
http://43142.diarynote.jp/200812281445103402/ 藤井4
http://43142.diarynote.jp/201001101203088126/ ガトー・リブレ、ファースト・ミーティング、ma-do、オーケストラ東京
http://43142.diarynote.jp/?day=20100607 ファースト・ミーティング
http://43142.diarynote.jp/201601301017037781/ KAZE
http://43142.diarynote.jp/201701101136544400/ Quartet Maho。Maho、 Satoko Fujii Orchestra Tokyo、Tobira―one、Satoko Fujii Quartet
http://43142.diarynote.jp/201709141146381271/ 藤井オーケストラ東京
https://43142.diarynote.jp/201801100512178732/ あれもこれも
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▶過去の、藤井郷子
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https://43142.diarynote.jp/201906280923527705/ 2019年ダウンビート誌クリティクス・ポール
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https://43142.diarynote.jp/201912220907352341/ 藤井東京トリオ
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▶︎過去の、井谷享志
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▶︎過去の、金子泰子
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▶︎過去の、津村和彦
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▶︎過去の、是安則克
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▶︎過去の、大友良英
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▶︎過去の、巻上公一
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▶︎過去の、広瀬淳二
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▶過去の、ナスノミツル
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▶過去の、芳垣安洋
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm 29日、ROVO
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-9.htm オーガニック・グルーヴ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm ONJQ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm ONJQ
http://43142.diarynote.jp/?day=20040121
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<今日の、道路>
 「あれもこれも」は昨年はパンデミックを受けてお休みで、1年ぶり。即興演奏の機微と素敵がどばあーと開陳されるこの催しに触れると、また年が明けたんだなと思うか。1部と2部の間に、久しぶりに来た新宿を散歩。祭日、そしたら歩行者天国(っていう言葉、あったよな?)が広い通りでなされていた。わー、なんか懐かしい。
 P-ファンクのオリジナル・シンガーの一人であったカルヴィン・サイモンの訃報が届いている。甲状腺がんを患ったこともあったようだ。

 ウェスト・ヴァージニア州ベックリーの生まれ、当然教会で歌っている。13歳のときに家族でニュージャージー州に引っ越したことが、大きな転機となるか。1950年代後期に同州プレインフィールドのジョージ・クリントン(2002年7月28日、2009年9月5日、2011年1月22日、2013年4月12日、2015年4月12日、2016年11月29日、2019年4月30日)が働いていた床屋に出入りして、一緒にドゥーワップをするようになった。5人組で、それがオリジナル・パーラメンツだった。1960年代中期にはパーラメンツ(後にパーラメントとなる)はデトロイトに拠点を移し、1966年には「(アイ・ワナ・)テスティファイ」(Revilot)というシングルがヒット。だが、1967年にカルヴィンは徴兵され、ヴェトナムに派遣された。除隊後、再びクリントンたちに合流。そのときはコーラス・グループではなくサイケデリックなバンドに変わろうとしていた時期で、そこでカルヴィンはヴェトナム派遣で陥ったPTSDのうさを晴らしたという記載も認められる。

 ともあれ、パーラメント/ファンカデリックのアルバム群にカルヴィンはシンガーとして名前を連ねた。数々の黄金期の名作に関与したが、1970年代後期にギャラの問題でP-ファンクを脱退。そして、一緒に抜けたファジー・ハスキンスとグラディ・トーマスの3人で、1980年にファンカデリック名義の『Who’s a Funkadelic?』(Lax)をリリース。それは、3人とともにザ・ファミリー・ストーンのグレッグ・エリコがプロデューサーとして入っていた。その動きは、とうぜん法廷闘争を生んだ。しかし、その“当てつけP”はその後も続けられたようだ。

 いつごろからか、彼は生まれ故郷のウェスト・ヴァージニア州ベックリーに戻り、ゴスペル・シンガーとして活動する。2000年代に入ると、自己レーベルであるSimon Sayz Recordingを設立し、コンテンポラリー(で、ときにファンキーな)な味付けのアルバムも出している。そうなってからの写真はとってもエスタブリッシュされた紳士という感じで、なかなかいい感じだ。それは、少し高めでたっぷりした喉にも合っている。そして、1970年代のイカれた風体の写真群を見ると、人生って楽しいなあと思わずにはいられない。

▶過去の、ジョージ・クリントン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm 触れていないが、フジ・ロック
http://43142.diarynote.jp/?day=20090905
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http://43142.diarynote.jp/201504131109395934/
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 カナダ東海岸のケルト系3人組であるザ・イースト・ポインターズ(2018年12月7日、2018年12月8日)のコーディ・チェイソンの訃報が届いた。享年、37。死因は不明。昨年12月中旬までライヴをしており、開けて2月から英米のツアーが入っていた。

 ザ・イースト・ポインターズは、フィドルとリード・ヴォーカルとストンプ音のティム・チェイソン、テナー・バンジョーのコーディ・チェイソン、そしてギターとキーボードと口琴のジェイク・シャロンからなる。以下は来日した際、2018年12月5日にしたインタヴューの抜粋である。コーディの奥さんはオーストラリア人で、新年は豪州で迎えることが多いとも、彼はその際に言っていた。ナイス・ガイ、でした。

——ティムとコーディは同じ地区の出身なんですよね?
ティム「プリンス・エドワード島さ。従兄弟同士だよ」
コーディ「ジェイクは、モントリオール。だから、彼はシティ・ボーイだね」
——みなさん、同年代ですか。
ティム「うん。コーディが昨日誕生日だったんだ」
——3人ともケルトの家系なのでしょうか?
コーディ「そうだね。プリンス・エドワード島はスコットランドから来た人が多く、レパートリー的にもスコットランドの曲が多いよね。あとは、フランスの影響を受けたケルトの音楽もやるし、アイルランドの音楽もやる」
ジェイク「俺もそう。3人とも、苗字はフランスぽいんだけどね(笑い)」
——子供の頃から、代々受け継いできたトラッドをやっていたわけですか?
ティム「だよね。世代を超えて伝えられてきた音楽を聞いて育った。その後、コンテンポラリーな音楽も聞くようになって、いま僕が披露している曲や歌は昔から好きだったものと新たに好きになったものの組み合わせと言えるな」
——当然、ロックも聞いて来ていますよね。
コーディ「俺はペイン・キラー(ジョン・ゾーン主導のハード・コア・バンド)が好きだった。妹たちはパンクを聞いていたりと、いろんなものに接してきたな」
ティム「俺は親父がトラッドが好きで、母親はザ・ビーチ・ボーイズやザ・ビートルズが好きだったので、お母さんといるときはそういうのを聞き、父親といるときにはトラッドに親しんだ。まあ、そういう世代なんだよね」
ジェイク「俺も似たようなもの。父はトラッドを聴いていたけど、俺はラジオからかかるポップ・ミュージックやヒップホップを楽しんでいた。」
——あなたたちの外見を見て、誰もトラッドをやる人たちとは思わないと思います。そして、それはあなたたちの音楽に表れていると思います。ストンプ音を強調したり、ヴォーカル曲はシンガー・ソングライター的なメロディがあったりと…。
ジェイク「いやいや、最初はトラッドのダンス・チューンとかやっていたんだよ(笑い)」
コーディ「バンドとして機能し始めたのは4年半ほど前からだね。そのころ、みんなでダンス・チューンを演奏するのが楽しくてしょうがなく、みんな他者の伴奏しかしていなくて、クリエイティヴな曲を作るということをしていなかった。そこに、ティム主導でシンガー・ソングライター的な要素を入れる一環で、ザ・イースト・ポインターズとして曲を作るということに目覚めた。それが、俺たちの出発点だ」
——みんな、トラッドとポップ・ミュージックの2本立てで楽しむというノリだったんですか。
ティム「トラッドは外ではなく、家でやるという感じかな。他の友達は普通にポップ・ミュージックを聞いていたよな。でも、俺たちの周辺には従兄弟が120人いたからね(笑い)」
コーディ「大勢の従兄弟が狭い街にみんな住んでいて、みんな同じ学校に行く。学校の友達=皆んな親戚、みたいな場所だった。そんな地縁の強い環境だったので、僕たちにとってトラッドをやるのは当たり前だったんだ。でも、一方では親戚じゃない友達もいるので、普通の音楽で盛り上がることもしていた」
ジェイク「俺が住んでいた環境はそれとは違うんだけど、彼らと出会い、全然違う所に住んでいるのに、同じような音楽享受の様をしているんだと思った。長く離れていた親戚に出会ったと思ったな」
——このバンド名の由来を教えてください。
コーディ「僕とティムが育った近くにあるコミュニティの名前だね。よくロブスターを釣っていたんだ。港があり、マグロで有名。日本の買い付け業者もたくさん来ている」
——そもそも、この3人でやろうという理由は?
ティム「ミュージック・キャンプがあって、毎年そこで教えていて、ジェイクともそこで知り合った。それで、何年か前に3人で延々とチューンを演奏したことがあって、しっくりきたんだ。これは楽しいっ、これはバンドとして行くべきだと思った」
——ファースト作『Secret Victory』(The East Poiters)のことは、今どう捉えていますか?
ジェイク「今となっては、過去のもの。俺たちは成長し、上を俺らは目指している」
——では、今作『ホワット・ウィ・リーヴ・ビハインド』(同/プランクトン)は?
コーディ「これは自信作! 満足している。今、ライヴでここの曲をやると毎度ワクワクするな。それは嘘のないものを作ったからだと思う。毎晩、楽しんでやれるというのが、その証拠だよね」
——『ホワット・ウィ・リーヴ・ビハインド』はビート感とメロディ性にあふれた新世代のトラッド音楽たらんとする意思が結晶した仕上がりを見せています。そのプロデュースを、ウィリー・ネルソンやボン・ジョヴィなどにも曲を提供しているコーディ・サンプソンがしていますが。
コーディ「そもそも、彼も友達だった。プロデューサーとしてもソングライターとしても、俺たちは彼のことが大好き。トラッドの背景も持ち、アメリカの大スターにも曲を提供していて、その二つの世界を股にかけているところが、俺たちにぴったりだった。彼はグラミー賞も受けているしね」
——彼はどこに住んでいるんですか?
ティム「ナッシュヴィル。彼には10代のときに、僕のレコーディグで彼のスタジオを使わせてもらったことがあった。彼はケイプ・ブレトンの出身で、彼もまたケルト系なんだ」
——コーディ・サンプソンはバンドにどんなものを持ち込みました?
ジェイク「とにかく、バランス感覚に優れている。前にも出てくるけど、引くところは引く。そして、押し付けることなく、俺たちのいいところを引き出してくれるんだ」
ティム「彼は本当に気持ちよく、やらせてくれるよね」
コーディ「落ち着いて作業ができる。サウンド・エムポリアムというナッシュヴィルの有名なスタジオで録ったんだけど、そこで録って悪いものになるはずがない。テイラー・スィフト、ケニー・ロジャース、アラバマ・シェイクスとかもそこでレコーディングしているよ」
ティム「ナッシュヴィルという街からも、インスパイアされていると思う。音楽スポット、そのものという感じの街だからね」
——コーディ・サンプソンとやる事で、もっと聞き手のパイをひろげようという意図はありましたか。
ティム「もちろん。最終的な目標として、カナダ東海岸のトラッドに多くの人が目を向けてほしいという思いがあるからね。今回のアルバムもスポティファイで聞いた人がアレレと感じ、こっちに興味をもってくれたらうれしい。もちろん次作も彼にプロデュースを頼みたいな(3作目の『Yours to Break』は実際そうなった)」
——日本は今回が初来日となりますが、いろんな国に行っているんですよね?
コーディ「たくさん、行っている。アフリカはさすがに行っていないけど。日本でケルト音楽がこんなに人気があるとは思いもよらず、とても光栄に思っている」
ティム「スペインのガリシアは興味深かった。本では知っていたんだけど、すごい感興を俺は受けた」
——外に出て得たものというのは、今作にも反映されています?
コーディ「間違いなくある。例えば“82ファイアーズ”はタスマニアのことを題材にしている。オーストラリアに行ったときに山火事が頻発していて、演奏する街は警戒状況にあったりし、それが引き金となっている」
ジェイソン「昨年は忙しかったよなー。10ヶ月、旅していたもの。だけど、今回日本で得ることができた感銘を味わってしまうとやめられないよね」

▶︎過去の、ザ・イースト・ポインターズ/コーディ・チェイソン
https://43142.diarynote.jp/201812081040285928/
https://43142.diarynote.jp/201812091225184437/

 六本木・ビルボードライブ東京で、吾妻光良(2007年7月22日、2010年5月29日、2010年11月20日、2016年10月22日、2019年7月31日)率いる、ラージ・コンボを見る。18時からの、セカンド・ショウ。ファーストとは、正月を題材にした1曲以外、かぶらないように曲披露したようだ。https://43142.diarynote.jp/202108120849088289/ の欄外で触れているように吾妻は退職してげんざい晴れてご隠居の身。しかし、今日は土曜日。2月5日にはビルボードライヴ横浜でも彼のショウが予定されているが、それも土曜日。まだ、会社員をしているメンバーがいるのかな。

 バンドは管楽器8人、ピアノ(少しピアニカも)、ダブル・ベース、ドラム。多くは初老の方々、そりゃ大学卒業時に仲間たちでシャレで組んだのがグループの発端であるので、みんな年寄りにはなるよな。そんな陣容で、デューク・エリントンの「昔は良かったね」を演奏したあとに、ギターを弾きながら吾妻が出てきて、まずはステージに上がらず、客席フロアの前を動いてソロをとる。はは。滑舌が悪く横の方から見ていたぼくにはぐだぐだ話すMCはあまり魅力的とは思えなかったんだが、黒人音楽にある大切な諧謔の表れではあるわけで……。って、それはオリジナルや日本語歌詞をつけたブルース・スタンダードの内容に十全に出ているか。ぼくは彼が名文家であるとも思っているが、それもブルース愛好が導いているよな。吾妻は要介護なボケ仕草も取ったりして、笑いを誘う。

 2曲目は、2019年ソニー盤『Scheduled by the Budget』収録のラップも少し入る「ご機嫌目盛 」。合いの手の声はやはり、アルト・サックス奏者の渡辺康蔵(2014年1月25日)であったか。ドラムの岡地曙裕(2005年6月16日、他)は力の限りと言いたくなるほど、強い語調でスネアを叩いていた。でも、厚いホーン音の屋台骨としては適切。いい感じであった。


 ブルースやジャズを等価に置いてかき回したようなジャンプ・ミュージックを、手を変え品をかえ、ユーモラスに送り出す。一頃よりジャジーになっている部分もあるか。でも、それだと手弾きによるトリッキーな吾妻のギター・ソロは映える。こういう場であると、より総合的なエンターテインメント性も出ているとも感じた。お尻から声が出ているような吾妻の歌は、よく言えばサッチモ的。<確かな音楽知見>と<マニアックな嗜好>と<シャレのめし>、そうした要件が交錯しあう彼らの表現は知的と書くと離れるかもしれないが、クールなものであることは間違いない。だから、ぼくは早く彼らが海外に出た姿、そして触れた人の反応を見たいのだ。この日の評は日経新聞2月2日夕刊に出る予定、だからここでは核心をボカす形で書いておく。

<今日の、追記>
 米国映画界最大のアフリカ系俳優であるシドニー・ポワチエ(1927年2月20日〜2022年1月6日)もお亡くなりになった。母親がマイアミに来たときに生まれ、少年期までは両親が住むバハマで育ち、10代半ばで米国に渡った。当初は、たいそう苦労したらしい。映画にそれほど明るくないぼくでも少年のころから知っていた大俳優、白いハリウッドで最初に主役を張った際たる先駆者だった。

<Feelin’ Groovy>

1. I Want You To Be My Baby / Janis Siegel『I Wish You Love』(Telarc,2002年)
2. Bang Bang / David Sanborn 『Upfront』(Elektra,1992年)
3.キャント・ターン・ユー・ルーズ / 前田サラ『フロム・マイ・ソウル』(ビクター,2015年)
4.Sticks / The Cannonball Adderley Quintet 『Mercy, Mercy, Mercy! Live At "The Club”』(Capotpl,1967年)
5. Home Fries / Joshua Redman 『Freedom In The Groove』(Warner Bros. 1996年)
6. Something’s Happening / 『Of The Same Mind』The Dave Weckl Acoustic Band (Universal.2015年)
7. (Satis) Faction / Charlie Watts Meets The Danish Radio Big Band 『Charlie Watts Meets The Danish Radio Big Band』(Impulse!,2017年)
8. Speak Low / Tommy Smith 『Standards』‎(Blue Note,1991年)
9. Up Behind The Beat / Courtney Pine ‎『Within The Realms Of Our Dreams』(Antilles,1991年)
10. ご機嫌目盛 / 吾妻光良 & The Swinging Boppers 『Scheduled by the Budget』(Sony,2019)

+トランペット
A)松島啓之(2014年9月25日、2015年5月20日、2018年1月19日、2018年9月2日2019年3月29日、2020年10月5日、2021年4月6日、他)、⾼瀬⿓⼀、中村恵介 (2015年7月23日、2016年10月9日、2016年10月28日)
B)曽根⿇央(2017年9月17日)、佐瀬悠輔(2017年9月24日、2021年4月11日)、⾼澤綾
+アルト・サックス
A)多⽥誠司、太⽥剣(2003年8月8日)、池⽥篤
B)中島朱葉 (2021年4月11日、2021年9月23日)、 松丸契(2021年4月6日、2021年9月23日)、江澤茜
+テナー・サックス
A)川嶋哲郎(2017年7月8日、2019年5月31日)、岡淳、三⽊俊雄
B)⻄⼝明宏(2016年7月21日、2019年1月21日、2021年7月3日、2021年9月19日、2021年9月23日)、吉本章紘 (2020年8月16日、2021年7月9日、2021年7月30日、2021年9月24日)、⾺場智章(2018年9月28日、2018年12月5日、2021年9月23日)
+リズム・セクション
A)ピアノの椎名豊、ダブル・ベースの安ヵ川⼤樹 、ドラムの⼤坂昌彦(2003年1月28日)
B)ピアノの魚返明未(2021年6月24日、2021年8月12日)、ダブル・ベースの粟⾕巧 (2016年9月4日、 2021年12月12日)、ドラムの木村鉱

 丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。日本ジャズ界の熟練者(A)と、わりと若手と言える担い手(B)たちが一堂に会したギグを見る。同所でこの4日には(B)の面々で、昨日はA)の奏者たちによる同様の出し物が1日づつ行われている。そして、この日は両日の出演者が一緒にやっちゃうという設定なり。まとめ役は⼤坂昌彦で、もともと彼が赤阪・bフラットで主宰していたものが土台にあるようだ。

 その大坂なんだが、そつね〜。あんな商社マンのようなルックスだったっけというのはともかく、テキパキ進行役をこなす。だが、その一方、とっても主張の強いドラミングをしていて、いささか驚く。もう、どう猛だったりシャープだったりするアクセント音をごんごん差し入れる。おお、なんか感心した。

 まさか1度に24人の奏者がステージに上がることはないだろうとは思っていたが、なるほどの設定が取られていた。基本各曲はピアノとダブル・ベースとドラム(みんな仲良く、同じ楽器を演奏する)のもと、フロントに立つ管楽器奏者のほうは3人を選抜しフィーチャーしていくことで各曲の演奏は成り立つ。その管プレイヤーの絞り込みはいかなるさじ加減でなされたかぼくは知るよしもないが、割り切ってスパっと決めたのかな。その指針は顔見せ興行的なそっけないソロ交換に陥ることなく、ちゃんと各々のソロを聞かせようとするにはとても的を射た指針であると思った。

 1曲目こそはA)のみの奏者たちだけで演奏されたが、その後の曲はA)とB)の奏者が満遍なく入り混じることでギグは勧められた。そして、聞いていて合点がいったのは、一昨日と前日に披露されたナンバーを素材に置いて曲は披露されていったのではないか。でなきゃ、3曲目だか4曲目だかにやった⾼澤綾のポスト・モード的な手触りを持つ曲において、最初高澤と松島がそれなりの尺でソロを取り、その後二人のソロの交換のあとは一転し、中島朱葉が大坂だけのサポートでブイブイとソロを取るという練られた行きかたは不可能だろう。

 2人づつのリズム・セクションの人数に比し、各楽器に6人もいる管楽器奏者のほうは1度(とアンコールしか)出る機会がなかった人もいたろうが、よく大坂はこの規模のでかいものを1時間20分強のなかにまとめと思う。アンコールは、「ソー・ホワット」で、その際は管楽器奏者が次々に出てきて短いヴァースをつないでいった。なんだかんだ、A)とB)のやりとりも面白かったし、アリだと思えました。しかし、楽屋の様、どーだったんだろ? 

▶過去の、松島啓之
http://43142.diarynote.jp/201409261635554506/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
https://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
https://43142.diarynote.jp/202010060748585515/
https://43142.diarynote.jp/202104071750586426/
▶過去の、中村勇介
http://43142.diarynote.jp/201507251003319800/
https://43142.diarynote.jp/201610141746599845/
https://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
▶︎過去の、 曽根⿇央
https://43142.diarynote.jp/201709180648097389/
▶︎過去の、佐瀬悠輔
https://43142.diarynote.jp/201709261222472364/
https://43142.diarynote.jp/202104121207459452/
▶︎過去の、太田剣
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
▶︎過去の、中島朱葉
https://43142.diarynote.jp/202109241712255724/
https://43142.diarynote.jp/202104121207459452/
▶︎過去の、松丸契
https://43142.diarynote.jp/202104071750586426/
https://43142.diarynote.jp/202109241712255724/
▶︎過去の、川嶋哲郎
https://43142.diarynote.jp/201707101243147840/
https://43142.diarynote.jp/201906050929394234/
▶︎過去の、西口明宏
https://43142.diarynote.jp/201607221000152412/
https://43142.diarynote.jp/201901231045028294/
https://43142.diarynote.jp/202107041453546495/
https://43142.diarynote.jp/202109200901226322/
https://43142.diarynote.jp/202109241712255724/
▶︎過去の、吉本章紘
https://43142.diarynote.jp/202008171907569224/
https://43142.diarynote.jp/202107100947566078/
https://43142.diarynote.jp/202107310742529881/
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▶︎過去の、馬場智章
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▶過去の、中村勇介
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https://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
▶︎過去の、⼤坂昌彦
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-1.htm EQ
▶︎過去の、⿂返明未
https://43142.diarynote.jp/202106251409441425/
https://43142.diarynote.jp/202108131719111936/
▶︎粟⾕巧
https://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
https://43142.diarynote.jp/202112131810155222/

<今日の、降雪>
 朝起きたら、寒い。陽も差さないので、迷わずエアコンのスウィッチを入れる。ニュース既報のとおり、お昼前から降雪。わあ、けっこう積もってくるじゃあないか。外出に備え、マンションの物置きを探すが、ヘヴィ・デューティなスノウ・ブーツが出てこない。しょうがないので、雨用長靴を履いて出かける。ライヴ帰りの際は止んでいるが、結構積もったな。明日は、インタヴューが2本。最初の方は10時から、少し早めに出たほうがいいかな。
 しかし、謎の奇跡のもと低い数字で収まっていた感染者数がやはり増大してきた。新年あけて増えてくると思ったが、東京都昨日が390人(今日は641人)。151人だった4日は知人と会って気を使い3軒はしごしたが、当面飲みはやめかなあ。寒いし、ちょうどいいか。実は、来週連休明けの旅に出ようかという計画があったのだが、それはなしか。

 水道橋・Ftarriで、バリトン・サックスの本藤美咲とアルト・サックスの山田光 (2014年7月22日、2021年3月1日)、エレクトリック・ギターの細井徳太郎(2021年11月6日) のギグを見る。初顔合わせ、お店の人が組んだ顔合わせのよう。

 行き当たりばったりの長尺の演奏を、1部と2部で一つづつ開いた。皆、PCは置かず。だが、通常の楽器音から離れるものをそれぞれ出すかという指針はあったか。その端々にアナログ、人間の所作という感覚はあり。総体としてキーはあるがコード感は希薄なノリで音が重ねられる。1部では管楽器奏者はゆったりと楽器音を流すことから始まり、それは棘のあるアンビエント調と言いいたくなるものだった。

 本藤美咲の前のテーブルと足元には、それなりの装置が置かれていた。使わなかったが、カセット・テープと小さなレコーダーもあった。そういうこともするのか。普段はバリトン生音1本で行っているそうだが、家にあるものをとりあえず持ってきて並べ、使える場合は使おうとしたようだ。バリトン音に効果をかける場合もあったが、サンプラーに入ったノイズをミキサーを介して出す場合もあり。尖った方向に出てもどこか柔らかさがあるような。それは美徳ですね。

 2部は山田が断続的に出すビート音を基調に異音が重ねられることから始まる。山田は2部では自分の出し音を拾い、それをいじったりもした。ここではインプロヴァイザーとしての姿をきっぱり出す彼だが、自分のプロダクツとなると打ち込みによるコンテンポラリーで浮遊性あるポップネスも出すクリエイターであるんだよなー。どーにでも、こーにでも。生音でバリトンとアルト音が重なる場合、こういう設定だと美が出る。

 シンガー・ソングライター的(がっつりと書くなら)なアルバムも出している細井はピックを使わず弾いていた。それはギグの内容によるようで、7割はピック弾きしているそう。足元に並べたボードを靴を脱いだ足で扱い、彼は終始異音を出していた。2部ではプリペアド・ピアノならぬ、プリペアド・ギターとい言いたくなる奏法を見せたり、膝の上にスタラトキャスターを置いて音を出す場合もあり。引き出し、いろいろ。グッジョブ。

▶︎過去の、本藤美咲
https://43142.diarynote.jp/202103011157184014/ 欄外
▶︎過去の、山田光
https://43142.diarynote.jp/201407231341189225/
https://43142.diarynote.jp/202103031127296987/
▶︎過去の、細井徳太郎
https://43142.diarynote.jp/202111071551287545/

<今日の、もろもろ>
 年末の慌しさから一転して、新年ののんびりさ加減が好きだ。だから、新年会も好き。でも、天邪鬼なので今年はうんたらとか、年頭にあたって目標や願いを掲げるということはあまりしない。まあ、何時だろうと、そう思ったらそうなるといいなと感じたりはするものの。でもって、罰当たりなもんで、年賀状は一切出さないし、お参りもしない。逆にそういう殊勝なことをすると、よくないことが訪れそうな気がする。タバコ、待たされること、格闘技の3つが一番嫌いなことというのは今年も不変だな。
 即興/実験音楽に特化したCDショップであるFtarriの存在は耳にしていたが、初めて行く。CDをリリースしたり、大友良英らが出るフェスを企画していたりもするよな。お店は都営地下鉄水道橋駅からわりと近いビルの地下一階にあり、思っていたよりも広く、アップライト・ピアノも置いていた。そして、知らないCD(少しだけ、12インチや7インチのアナログやカセットもあり)がいっぱい。冨樫、山下、坂田といった定番大御所のCDも置いてあったが、基本知らない人、インディー発のものだらけ。素敵だな。結構、2000円以下のアイテムが多い。ものによっては細かいQ数の文字で丁寧な内容説明がなされている。
 夕方の販売時間の後にライヴ・パフォーマンスの場を提供しているようだが、入り口はスタジオのようにがっちりしめる設定で、これはドラムが入るライヴも可能なのかな。このおりなためか10人限定、とのこと。そして、時節柄<福袋付き新春コンサート>と謳い、商品がたくさん入った袋を入場時にいただく。2000円のギグであるのにわーいいんですかという感じ。お年玉もらったキブン? 帰宅して開けてみたら、CD11(うち特殊ジャケット2)、7インチ・シングル1、カセット1、という内訳。中には、セルジュ・ゲンズブールのラテン集という日本フォノグラム盤の『コーヒー・カラー』も入っていた。どれも未開封ですね。そのなかの一つは、Ftarri編集の3枚のCDを封入した書籍サイズの『Improvised Music from Japan 2009 』で、それは読み物/資料も充実。今は、都市のフィールドワーク音のサンプリングとノイズを絡めたようなアンビエント調音の『Dispositif:Canal Saint-Martin』(Xing-Wu 、2007年)を聞きながらこれを書いている。エマニュエル・ミエヴィルとエリック・コルディエという在フランスの二人が、2005年5月27日にパリ市庁舎でやったギグを録ったもののようだ。

 ジャズやミュージカルに強かった音楽評論家の瀬川昌久さんが、肺炎のため新宿区で自宅でお亡くなりになった。野口久光(1909年8月9日〜1994年6月13日)さんや油井正一(1918年8月15日〜1998年6月8日)さんに続く、ジャズ評論の草分け的な存在だった。定年までエリート銀行員もしていた方で、ニューヨーク赴任時代にチャーリー・パーカーのライヴを見たという話はすごい。それ、ジミ・ヘンドリックスを見たことがあるという話以上に、となるな。

 個人的に、瀬川先生との付き合いはなかった。しかし、稀にパーティやコンサートの際とかに拝見し、その鶴のようなお姿、温厚にしてノーブルな紳士然とした様には常々共感を抱いていた。なにより、97歳まで明晰に、柔らかな態度を貫きなら尊敬を集め続けたことが素晴らしい。まさしく、様々な面で謙虚なジャイアントあったと思う。

 今年の最後のライヴは、カルナバケーション(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年2月11日、2013年8月24日、2014年5月3日、2014年6月15日、2016年2月11日、2016年5月22日、2016年12月1日、2017年2月11日、2018年2月11日、2018年6月17日、2019年2月11日、2020年9月10日、2021年6月18日)。21時すぎ、その終盤に滑り込む。渋谷・クロコダイル。場内は、満場。多大なエンターテインメント精神のもと、ブラジル音楽への愛着と打楽器音とブラス音が活きた、賑やかしのビート・ポップを送り出していた。って、毎度のことなんだが。彼らの実演にはサンバ・ダンサーが要所で登場するが、今回は2人登場(ここんとこ、1人が多かったような)。華ある年の瀬、なり。

▶過去の、サンバマシーンズ/カルナバケーション/カンタス村田関連
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201105140858559432/
http://43142.diarynote.jp/201206120854205300/
http://43142.diarynote.jp/201211151028209850/
http://43142.diarynote.jp/201302181123344904/
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160211
http://43142.diarynote.jp/201605240833401202/
https://43142.diarynote.jp/201806181751451387/
https://43142.diarynote.jp/201908071557182844/
https://43142.diarynote.jp/201902141412599444/
https://43142.diarynote.jp/202002120812258847/
https://43142.diarynote.jp/202009111437086137/
https://43142.diarynote.jp/202106192236481544/

<今日の、飲み>
 その後、メンバー2人と流れる。飲んだあとに行ったのに、一人でクロコダイルでもワインを1本完飲。でもって、また楽しくぐびぐび。3時ぐらい、店を出てもそこそこの賑わいであったような。タクシーは逆方向に行く車を止めて、ことなきを得る。飲むとコロナがここまで長続きすると思わなかったという話がけっこう出るが、2021年も基本外出が少なかったゆえに家飲みしないぼくの今年の飲酒量は相当に少なかったはずだが、12月はいろいろ飲んじゃったな。まあ変わらず、楽しくできることに感謝。ゆるりゆるりと、新年を迎えたい。

 六本木・ビルボードライブ東京で、レゲエ・シンガーのPUSHIMを見る。ファースト・ショウ、15時から。お、女性客が何気に多いな。

 やはり、喉力あり。ある曲の際、彼女はトゥーツ・ヒバート(2004年9月17日)のようなソウル流儀のバンドとのやりとりも見せる。それはともかく、もしR&Bのほうに進んでも彼女は注目を集めたろうと思った。そんなPUSHIMはときに大阪のおばさんノリのMCで、客席を和ませる。過不足ない演奏陣はワーキング・バンドのようで、エレクトリック・ベース/スタンダップ電気ベースのTANCO、ドラムのYUKKY、キーボード(ときどきピアニカも効果的に用いる)Mi3、ギターのNODATIN、バックグラウンド・ヴォーカルのChicaという面々。

 日本語のオリジナルをレゲエの妙味を介して堂々披露していく。アタマはダブっぽい効果をつけたときも。その際、ドラマーはパーカッション・パッドも使った。1曲だけ、ボブ・マーリーの「イズ・ディス・ラヴ」のカヴァーも聞かせる。そのとき、バンド音の強度が増したような。アンコールの最後は、ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」をバンドが少し演奏した。

 かつてブルース・インターアクションズがSPARKLEという雑誌を出したことがあり、ぼくはその創刊号でデビューしたばかりのPUSHIMにインタヴューしたんだよなー。それ、20年ほど前のこと。以来しっかりと地に足をつけて鋭意活動してきていることが分かり、感無量なり。彼女の格好はレゲエ風ではない、柔らかなパンツ姿。それも、自然体で音楽と向き合っていることを伝えてくれるような気がした。

▶過去の、トゥーツ&ザ・メイタルズ
http://43142.diarynote.jp/200410071540230000/
https://43142.diarynote.jp/201405230833199357/ トゥーツ・ヒバートが出てくる映画「ハーダー・ゼイ・カム」
https://43142.diarynote.jp/202009122115229363/ 訃報

 野暮用をすませ、国分寺M’sに行く。19時半から。お、北口横のほうにこんなジャズ箱があったのか。グランド・ピアノも置いてあった。出演者はギターの平井庸一(2021年3月1日、2021年11月7日)と天野丘 、ダブル・ベースの土村和史(2021年3月1日 )、そしてドラムの嘉本信一郎。平井と天野の関係〜それは阿吽の呼吸を持つ〜を軸に、ジョン・アバークロンビー(2010年2月5日、2014年10月18日)の曲やレパートリーを取り上げるグループなり。https://m.youtube.com/watch?v=y2pDhfq-iOE は、過去のライヴ映像。そうした積み上げのもと、この晩のライヴがあるようだ。→そして、https://m.youtube.com/watch?v=0xdZRkaIHec が、今回の模様だ。

 MCは平井が務める。曲の背景が分かりやすい、的確に喋る人なんだな。この日はエフェクターは控えめにて、今様ジャズ・ギタリストの様を出す。天野はその平井以上にアバークロンビーのギター表現の襞をいろいろ知っている(ということを、平井はMCで語った)そうだが、まずぼくの目は彼の右手に釘付け。ピックを使わなくなって5〜6年になるということだが、爪弾き調からそのヴィヴィッドな奏法が活きるトリッキーなフレーズまで、自在。これは実力者だ。土村は5度調弦を施したベースを演奏するが、そのチューニングはチェロと同じであるそう。通常チューニングのそれとは違う浮遊感のようなものが出るような気もした。高いほうの音が出ると、言っていたか。そして、嘉本は適切なパッションを抱えたドラミングで、それにも感心する。いいジャズ・ドラマーだ。そんな人たちの集合表現が興味深くないわけがない。

 ばくはそれほどアバンクロンビー表現に入れ込んでいる者ではないが、この晩の演奏に触れてすごい人なんだなと思えた。ともあれ、市井のジャズ・ミュージシャンの誉を今更ながら受けとった。

▶︎過去の、平井庸一
https://43142.diarynote.jp/202103031127296987/
https://43142.diarynote.jp/202111081314458102/
▶︎土村和史
https://43142.diarynote.jp/202103031127296987/
▶︎過去の、ジョン・アバークロンビー
http://43142.diarynote.jp/201002072246423695/
http://43142.diarynote.jp/201410231404401926/
https://43142.diarynote.jp/201708280821026300/ 訃報

<今日の、もろもろ>
 まず毎度のGくんにお願いして、髪の脱色2回&カット。予約いっぱいのところ、10時半にやってもらうことに成功。この後、21時までびっしり入っているという。……2時間半の苦行を経て、ブリリアント度増大のワタシに(苦笑)。そして、根津から六本木に向かう。食事をするところを探してきょろきょろ、交差点横の本屋がなくなり、六本木ブックセンターも商い形態を変えていた。ビルボードライブは飛行機の自動チェックイン機のような自動席番号発券機を併置するようになっていた。
 平井傭一はトリオで、新作を録音したそう。スタンダード集だそうだが、山田光(2014年7月22日、2021年3月1日)の プロデュースのもと、定石を外した録り方/ポスト・プロダクションを通したものになるよう。解放されたアルト・サックス奏者である山田はその一方コンテンポラリーなトラック・メイカー〜本業はゲームの音楽作りをしているよう〜で、その仕上がりが楽しみだ。
▶︎過去の、山田光
https://43142.diarynote.jp/201407231341189225/
https://43142.diarynote.jp/202103031127296987/

 南アフリカの偉人である、デスモンド・ムピロ・ツツがケープタウンの施設でお亡くなりになった。教育者/神学者であり、反アパルトヘイトを芯に置く人権活動家として、澄んだ行動をし続けた。あれ、誰かが南アのマーティン・ルーサー・キングと言っていたっけか? 1980年代中期以降は南アフリカのデカい教会の筆頭者に黒人として初めてついたりもしている。彼は同性愛にも寛容な立場を取ったという。

 貧しい家庭に生まれながら大学にまで通い、英国にも留学したりもして、リベラルな考え方を押し出し続けた人物。その功績で、1984年にノーベル平和賞を受賞。それはもちろんネルソン・マンデラ(1918年7月18日〜2013年12月5日)が投獄中のことであり、マンデラは釈放後の1993年に同賞を受けている。マンデラは1994年から5年間大統領も務め、ツツは先達を助けた。

 マイルス・デイヴィスが長年在籍したコロムビアからワーナー・ブラザースに移籍しての1作目となる1986年作『ツツ』のオープナーが「ツツ」で、もちろんこれは彼のことを指す。また、同作のクローザーは「フル・ネルソン」。ともにマーカス・ミラー(1999年11月12日、2001年 6月14日、2003年8月19日、2005年8月21日、2007年12月13日、2009年9月15日、2010年9月3日、2013年9月3日、2015年2月21日、2016年9月17日、2017年1月7日、2018年5月16日、2018年5月24日、2019年1月3日)の制作/作曲の曲で、演奏もミラーが一人で作った。『オン・ザ・コーナー』収録曲「ブラック・サテン」を引き継ぐようなすちゃらかしたデイヴィスの魅力を伝える「フル・ネルソン」のほうがぼくは好きだが、「ツツ」と違い、そんなに取り上げる人はいないような。ミラーも「ツツ」はいろいろセルフ・カヴァーしているが、「フル・ネルソン」はあまり取り上げていないのではないか。というのはともかく、「フル・ネルソン」のほうはマンデラにあてた曲のようだ。

▶︎過去のマーカス・ミラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm 
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200712161023010000/
http://43142.diarynote.jp/200909181206531984/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201309051241384602/
http://43142.diarynote.jp/201502231815384234/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160917
http://43142.diarynote.jp/201701091247527188/
https://43142.diarynote.jp/201805201310351671/
https://43142.diarynote.jp/201805250930363191/
https://43142.diarynote.jp/201901041047462042/

<今日の、へたれ>
 昼はまあ太陽が差して問題がないが、夜は寒い。外出をやめてしまった。そういえば、25日深夜にタクシーに乗った際、運転手さんが時々雪がちらついていますよと言っていた。

 フェラ・クティ&アフリカ77のギタリストであったオゲネ・コロクボがパリで亡くなった。昨年初頭に彼はツアー中に交通事故で左足を大怪我し、入院をよぎなくされたことが報じられたが、それと関係があるかは不明だ。

 ナイジェリアでは知られたハイ・ライフ・ミュージックの進歩派ギター奏者であるジョー・キング・コログボの息子として同国に生まれた。だが、早々に家に飛び出しフェラ・クティのコミューンであるカラクタ共和国に身を寄せた。そんな彼がクティのバンドに入ったのは、16歳だったと言われる。かなりクティの信任を受け、彼が夜中に口ずさんだ歌を他のメンバーに教えるという役割を担ったりもしたそうだ。コロクボは1978年ごろまで唯一無二のアフロ・ビート表現を支えたが、ドラマーのトニー・アレン(2003年9月26日、2019年1月23日)がアフリカ77を抜ける少し前に彼はクティのもとから離れ、渡欧した。その後、アレンとは懇意にし、お互いのアルバムに参加し合う関係にあった。アレンの2003年の来日公演は彼が同行していたかもしれない。

 リーダー作は少ないが、アフロ・ビート表現流儀のもと得難いいろんな刻みやオブリーガードを聞かせ、歌や曲作りや打楽器/ドラムやプロデューシングもした。2015年リリースのオゲネ・コロクボ&ワールド・スクアッドの『Music No Get Enemy』(https://okws.bandcamp.com/album/music-no-get-enemy)ではカルロス・サンタナ(2013年3月12日)もびっくりのギター・ソロを聞かせていた。なお、P-Vineから日本盤も出た『Africa Is The FutureAfrica Is The Future』(Paris DJs、2017年)には、1曲ギターで父親の名前も入っている。それ、ぼくが大好きなアヨ(2014年6月21日)も4曲に入っていたんだよなー。

▶︎過去の、トニー・アレン 
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm
https://43142.diarynote.jp/201901241310023413/
https://43142.diarynote.jp/202005011231478842/ 訃報(インタヴュー付き)
▶︎過去の、カルロス・サンタナ/嫁のシンディ・ブラックマン・サンタナ
https://43142.diarynote.jp/200812281442184528/
https://43142.diarynote.jp/201303211531189619/
https://43142.diarynote.jp/201905100759197664/
▶︎過去の、フェラ・クティの息子たち
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-4.htm フェミ・クティ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フェミ・クティ
http://43142.diarynote.jp/200711121022550000/ これ以下は、シェウン・クティ
https://43142.diarynote.jp/200908180045212538/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090726
http://43142.diarynote.jp/?day=20120727
https://43142.diarynote.jp/201808012004309687/
▶︎過去の、アヨ
https://43142.diarynote.jp/201406231449024018/

 佐藤浩一(2014年10月22日、2016年7月11日、2017年10月27日、2018年1月7日、2018年4月7日、2018年6月4日、2019年1月5日、2019年10月30日、2020年8月16日、2021年7月30日、2021年11月6日、2021年11月25日、2021年12月18日、2021年11月27日)と、林正樹(2013年9月6日、2015年9月27日、2015年12月17日、2016年7月16日、2018年5月13日 、2019年1月7日、2019年10月6日、2019年11月19日、2019年11月21日、2019年12月18日、2020年8月28日、2020年10月29日、2020年11月14日、2021年4月19日、2021年9月26日)と、栗林すみれ(2021年11月27日)。

 渋谷・公園通りクラシックスで、福盛進也((2018年1月7日、2018年4月7日、2019年1月5日、2019年6月14日、2019年12月18日、2021年11月25日、2021年11月26日、11月27日、2021年11月26日、2021年11月26日)の<nagalu>レーベルのピアニスト3人をフィーチャーする公演を見る。このハコ常設の2台のグランド・ピアノに加え、異なる響きを持つピアニーノというアップライト・ピアノ型のそれを入れての出し物となる。それぞれのソロ、3種のデュオ、3人一緒と様々な設定でショウは進む。公演は2部制で行われたが、それぞれに終盤には福盛が入り、優しいテイストのドラム演奏を加えた。その際、福盛はいわゆるドラムではなく、パルスや揺れを出せるメロディ楽器を奏でているという感じもあった。もちろん、PAなしの生音にてことは進む。

 設定により、3人は弾くピアノを代える。ピアニーノは少しくぐもったなかから光を出すような質感の音色を持ち、グランド・ピアノとはまた違った聞き味を与える。それについては、当の奏者たちも興味深しのようであった。しかし、ソロにせよ、デュオにせよ、3人で一緒に弾くにせよ、それぞれの個性がちゃんとこぼれ出ているのには大きく頷く。とくに、デュオの場合は助に回るほうの奏者の好センスが明解に現れ、おもしれーとぼくは身をよじった。
 
 三者三様、自由に振る舞い、十全に会話を図る。1部は曲が短めに披露されたような印象を得たが、ちょっとした調べだけでも、詩情あるメロディ性やジャズ感覚/衝動を下敷きにするからこその広がりや余韻が宙に舞い、聞く者を包む。結果、これは今のもう一つのジャズであるなあとも合点する。楽曲はそれぞれのオリジナルを弾いたり、弾きあったり。栗林はソロ演奏の際、最後の方に少しスタンダードも入れた。それにしても、演奏する3人は本当に楽しんでいるのが手に取るように分かる。林と栗林はメロディにあわせて、ハミングする場合もあった。

▶︎過去の、佐藤浩一
http://43142.diarynote.jp/201410251055118180/
http://43142.diarynote.jp/201607121045394372/
http://43142.diarynote.jp/201711020707155260/
http://43142.diarynote.jp/201801081118162617/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201806060708363548/
https://43142.diarynote.jp/201910311450514339/
https://43142.diarynote.jp/202008171907569224/
https://43142.diarynote.jp/202107310742529881/
https://43142.diarynote.jp/202111071551287545/
https://43142.diarynote.jp/202111261008298329/
https://43142.diarynote.jp/202111280904312385/
https://43142.diarynote.jp/202112191950511696/
▶過去の、林正樹
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
http://43142.diarynote.jp/201607191312426603/
https://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
https://43142.diarynote.jp/201910070759405954/
https://43142.diarynote.jp/201911201705565775/
https://43142.diarynote.jp/201911230723444744/
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
https://43142.diarynote.jp/202008290914077509/
https://43142.diarynote.jp/202010300958115053/
https://43142.diarynote.jp/202011150954203089/
https://43142.diarynote.jp/202104211350032210/
https://43142.diarynote.jp/202109271035415011/
https://43142.diarynote.jp/202111270737509911/
▶︎過去の、栗林すみれ
https://43142.diarynote.jp/202111280904312385/
▶︎過去の、福盛 進也
http://43142.diarynote.jp/201801081118162617/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
https://43142.diarynote.jp/202111261008298329/
https://43142.diarynote.jp/202111270737509911/
https://43142.diarynote.jp/202111280904312385/

<今日も、日和よし>
 遠方から、便りあり。ほっこりする。それもまた、ホリデイ・シーズンなり。

 訃報を受け、懐かしい、クールな汚れや捩れを抱えたロック・バンドを思い出した……。トリート・ハー・ライト、そしてモーフィンのドラマーだったビリー・コンウェイが肝臓癌でお亡くなりになった。2014年に発病、一進一退という感じで闘病していたという。享年、65。

 ミネソタ州オワトナの生まれ。そこはアダム・ヤングが生まれ、彼のアウル・シティ(2009年11月24日)が結成された中西部の街としても知られる。高校卒業後、コンウェイはアイビー・リーグのイェール大学に進み心理学を専攻。バンドを組んでいたが、寒いオワトナはアイス・ホッケーが盛んだったため、同大のアイス・ホッケーの選手としても活躍した。

 大学卒業後、彼はボストンの中学でカウンセラーとして働き出したが、1985年にイェール時代のバンド仲間であるハーモニカ奏者のジム・フィッティング、ベースのマーク・サンドマン、スライド・バーを多用するギタリストのデイヴィッド・シャンペインと、白人ブルース・バンド(いろいろアイデアあり)のトリート・ハー・ライトを結成する。その1989年リリースの2作目『Tied To The Tracks』はメジャーのRCAから発表され、キャプテン・ビーフハートのカヴァーも収められていた。また、次作はラウンダーからリリースされた。そこで、コンウェイは変則キットを用いてパッションを得ていた。

 1998年にサンドマンは、バリトン・サックス奏者のダナ・コリーとドラマーのジェローム・デュプリと変則トリオ編成のモーフィンを結成。サンドマンは2〜3弦のスライド・ベースを弾きながら歌い、バリトン・サックスとの重なりを利した彼らの表現は“ロウ・ロック”と呼ばれたりもする。その楽器編成は、ギター2本とドラマーというベースレス編成のトリオでことにあたるジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン(2000年8月5日、2004年7月14日、2004年12月13日)とともに、変則編成だからこそ突出するロックを作り出せるという当時の真理を教えてくれるバンドとして、ぼくの頭のなかに刻まれた。

 コンウェイのことに話を戻るが、ジェローム・デュプリがモーフィンを脱退したため、1993年に彼はモーフィンに加入。セールスも出て、モーフィンがオルタナティヴ・ロック界の重要バンドとなったのは彼が入ってからだった。ライコディスクやドリームワークスから数枚のアルバムをリリース。残念ながら、1999年にマーク・サンドマンがモーフィンのイタリア公演中に心臓発作で亡くなってしまう(1952年9月24日〜1999年7月3日)。だが、コンウェイとコリーはその意思を継ぐバンドをするとともに、二人は女性シンガーのローリー・サージェントを迎えたトゥインメンというバンドを組み、そちらはジャム・バンド・ミュジックの層にも受け、山ほどのライヴ・アルバムを出している。サージェントとコンウェイは結婚したとも聞く。

 カルト的な支持を得ていたトリート・ハー・ライトは2000年代を回ってから再結成され、そこにはコンウェイも参加していたが、彼が叩いた新作リリースを記念する2020年コンサートには体調不良で出演することができなかった。。結構ドラミングはシャープで、奥行きあり。経歴をチェックし直し、ボストンのオルタナティヴ・ロック界にしかと貢献した人であったのだなあと頷いた。

▶︎過去の、アウル・シティ
http://43142.diarynote.jp/200911261250221741/
▶︎ブルース・エクスプロージョン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm サマーソニック初日
https://43142.diarynote.jp/200407151608250000/
https://43142.diarynote.jp/200412212100580000/

<今日の、メモリー>
 モーフィンは人気バンドであったので、日本にも何度もやってきている。1995年作『イエス』(ライコディスク)を出したおり、ぼくはモーフィンに一度インタヴューする機会を得た。その際、コンウェイはなんかインテリ崩れのくだけた表情がいい感じであったかな。サンドマンは写真が趣味だと言って、少し古めのカメラでぼくを撮ってくれた。そのモノクロームのポートレイトは大きくプリントされて、ぼくのもとに届いた。とかなんとか、けっこう忘れっぽいぼくではあるものの記憶に残っている人たちだ。

 まず、渋谷・映画美学校試写室で、2021年日本映画「なん・なんだ」を見る。監督は1980年生まれの山嵜晋平。うわあ、すごい昭和感が強い映像の映画だな。そのトーンは意識的なものだろうか。横須賀や奈良や京都で撮影されているようだ。

 熟年夫婦のほつれた関係を軸に、周りの人たちを含めての生理的にやり場のない切ないストーリーが描かれる。溌剌したものを排したくすんだ色調で描かれる大人の物語り、と言えるだろうか。映画に浸ってきていないぼくには、フィリップ・グラスが音楽を担当していた1985年米国映画「Mishima: A Life In Four Chapters」に出ていた烏丸せつこ以外に知っている出演者は一人もいない。もう一人の主役の下元史朗は通受けしている俳優のようだが、彼の台詞回しがピンと来ない、脚本の会話などにも違和感をぼくは覚えるところがあると思って見ていた。しかし終盤、どんどん映画はいい感じに向かい……。なるほど、だなあ。

 要所で少し入る音楽は、下社敦郎による。使う楽器はおそらくエレクトリック・ギター、エレクトリック・ベース、ドラムだけ。ギターやドラムだけの場合もあるが、これは最低限にしてOKな音楽づけと感じた。来年1月中旬より公開される。

 その後は、目黒・BLUES ALLEY JAPANで、サロゲート・トリオを見る。パーカッションのヤヒロトモヒロ(2007年11月14日、2009年2月8日、2009年10月12日、2010年7月22日、2011年10月26日、2012年6月13日、2014年2月9日、2014年2月22日、2014年6月16日、2015年8月31日、2019年10月19日、2019年11月21日)、ピアノの阿部篤志(2010年4月19日)、箱モノのエレクトリック・ベースとダブル・ベースを弾く宮田岳が、その構成員。30歳だそうな宮田は頭脳警察他ロック畑を歩んでいるそうで、ヤヒロがじゃがたらで一緒になった際にコイツは何かあると感じ自分の側に引っ張ったのだという。宮田は漆/木工作家もしていて、そちらの方でEテレにも出ているそうな。そういう方の情報はすべてヤヒロが話したが、その穏やかで気持ちのあるMCはなかなか。MC嫌いのぼくだが、これならいいナと思えた。

 ともあれ。平たく言えばピアノ・トリオの表現となるのだが、これは“許容の音楽”だと思った。人間いろいろな嗜好があって当たり前、違う文化や流儀や音楽が当然という開かれた認識が前提で様々なものを受け止め、3人は音楽を紡いでいると思えたから。その際にフックとなるのは南米やアフリカの音楽の心得だったりするわけだが、普段閉塞した感覚に囲まれている人がこの呼吸しているトリオ音を聞いたなら、なんかさあっと前が開ける感じも得るのではないだろうか。阿部はピアノを弾きながら曲によっては鼻歌気分でスキャットを入れる。それも、どこか効果的であった。

▶過去の、ヤヒロトモヒロ
http://43142.diarynote.jp/?day=20071114
http://43142.diarynote.jp/200902102121513506/
http://43142.diarynote.jp/200910141731349364/
http://43142.diarynote.jp/201007241308021448/
http://43142.diarynote.jp/201111141210356758/
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196/
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
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https://43142.diarynote.jp/201911230723444744/
▶︎過去の、阿部篤志
https://43142.diarynote.jp/201004211621084144/

<今日の、試写室>
 ぼくが座った少し前の横の方に、上映中携帯をいじっている人がいた。まあ、まっすぐスクリーンを見ている場合は視野に入らないのでそれほど気にしていなかったが、後ろにいる(だろう)人が、ついに「携帯、見るのやめてもらえますか」と丁寧な言葉ながら、少し怒りに満ちた声を上げる。ホント、そいつ何しに来ているんだろうね。そりゃ、スクリーンを見る視界に携帯の光る画面が入ったらイヤだろうなあ。クラシックのコンサートのように、映画館でマナーを巡って殴り合いの喧嘩が起きるということはあったりするのだろうか。
 サロゲート・トリオの実演は1部で失礼し、外せないお座敷へ。夜の大飲み、絶賛継続中。さあ、明日でオフィシャルな飲み会はおしまい、なはず。

 恵比寿・The Garden Roomで伊藤ゴロー アンサンブルを見たのだが、場内に入り、これはおお。椅子席が固定ではない正方形に近い会場の利点を生かし、中央に置かれたロウソク群を取り囲むようにミュージシャンたちが円状に位置し、その周りを囲むように客席が8方を囲む体裁をとっている。それだけで、なんかスペシャルな感じがごわーんと出るな。公演は2部構成で持たれた。

 ギターの伊藤ゴロー(1999年6月3日、2014年8月3日、2018年1月7日、2018年6月4日、2021年11月6日)、ピアノの佐藤浩一(2014年10月22日、2016年7月11日、2017年10月27日、2018年1月7日、2018年4月7日、2018年6月4日、2019年1月5日、2019年10月30日、2020年8月16日、2021年7月30日、2021年11月6日、2021年11月25日)、コントラバスの森田晃平(2021年11月6日)、ヴァイオリンの伊藤彩(2021年11月6日、2021年11月25日)、チェロのロビン・デュプイ(2021年11月6日、2021年11月25日)、フルートとアルト・フルートの坂本楽(2021年11月6日)、バス・クラリネットとクラリネットの好田尚史という面々が向かい合い、音を重ね合う。楽器音は結構生音で耳に入ってくるような気もしたが、音は拾われており、天井に配置されたスピーカーから出されていたようだ。少しプリセット音を敷く曲も2つあった。

 曲はアントニオ・カルロス・ジョビンのワルツ曲「ショヴェンド・ナ・ロゼイラ」を除いて、それぞれに風情を抱えた伊藤のオリジナルを演奏する。当然のことながら、アレンジも本人がしているはずで、曲によっては現代音楽的と称したくなるそれはすごいな。音大で学んだりせず、余白を抱えた美や揺れを一身に追求していき、確固たる核心にたどり着いたと言いたくなるその音の造形は確かな光彩を放つ。

 アンコールは、ケルティック・パンクのザ・ポーグス(2005年7月29日)の「フェアリーテイル・オブ・ニューヨーク」。クリスマス・イヴとかハッピー・クリスマスとか歌詞に入るこの哀愁曲は英国の人気クリスマス・ソングなんだよな。

▶過去の、伊藤ゴロー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm エスピリト
http://43142.diarynote.jp/201408061110256933/
http://43142.diarynote.jp/201801081118162617/
https://43142.diarynote.jp/201806060708363548/
https://43142.diarynote.jp/202111071551287545/
▶過去の、ザ・ポーグス
http://43142.diarynote.jp/200508042335560000/

<今日の、ライヴ後>
 奇跡的な感染者数の低さに甘え、ここんとこ毎晩外で深酒している。まさに、2020年1月以前の生活だあ! もう年だし、生活態度を改めるいいきっかけになったと思っていたはずなのに。どこかで再び、自粛の日々がやってくると思っているのだろうか。
 一緒にライヴを見た知人と流れたお店にクラリネット奏者の近藤哲平(2016年2月28日、2017年9月24日、2017年12月17日、2019年3月14日、2019年9月7日)がいて、さっそく声をかけてくれる。彼とは2ヶ月ぐらい前に別のバーで偶然会い、彼が率いるof Tropiqueの米エレクトリック・カウベル・レコーズ発の7インチ・シングルをいただいた。そのカラフルなレーベル柄がいい感じの「Wooooo/Zoro」、両曲とも確かな趣味に依る美味しい妄想がもわもあ溢れる。それは地域性もジャンルも大きく超えたしなやかにしてタフなインストゥルメンタルとしか言うしかない。https://electriccowbellrecords.bandcamp.com/album/wooooo-zoro における紹介文章には「Think Captain Beefheart meets Os Mutantes in a Colombian bar in a back alley in Tokyo.」とか、「...from Surf to Zappa to Cumbia...experimental and a very nice mix of things! 」といった文言が載せられている。
 その後、ドラマーのみどりん(2005年7月29日、2007年5月6日、2009年6月12日、2010年6月11日、2011年1月30日、2011年5月21日、2011年6月23日、2012年3月3日。2012年9月9日、2012年9月13日、2013年11月1日、2014年7月23日、2015年9月27日、2017年2月12日、2021年4月25日)が店に入ってくる。ソイルのブルーノート東京でのショウを終えてきたとか。またしばらくすると、バンドネオンの北村聡(2010年10月16日、2012年6月17日、2012年11月21日、2013年3月23日、2017年6月27日、2020年8月28日)とピアノの三枝伸太郎がやってきた。こちらは、公園通りクラシックスでのライヴ帰りだそうだ。文壇バーというのはあるが、これはまさに音壇バーではないか。
▶︎過去の、近藤哲平
http://43142.diarynote.jp/201603011023174338/
http://43142.diarynote.jp/201709261222472364/
https://43142.diarynote.jp/?day=20171217
https://43142.diarynote.jp/201903151046159191/
https://43142.diarynote.jp/201909091048167448/
▶過去の、みどりん/SOIL & “PIMP” SESSIONS
http://43142.diarynote.jp/200508042335560000/ Soil
http://43142.diarynote.jp/200705181805330000/ Soil
http://43142.diarynote.jp/200906160733018341/ Soil
J.A.M
http://43142.diarynote.jp/amp/201006171603353982/ J.A.M
http://43142.diarynote.jp/201010111257003810/ J.AM
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/ Soil
http://43142.diarynote.jp/201105230925539578/ ハナレグミ
http://43142.diarynote.jp/201107020946473690/ Soil
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/ Soil
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/ Soil
http://43142.diarynote.jp/201209191239346073/ J.A.M
http://43142.diarynote.jp/201311021703148497/ HEX
http://43142.diarynote.jp/?day=20140723 J.A.M
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/  Soil
https://43142.diarynote.jp/201702141642011828/ × 池澤龍作
https://43142.diarynote.jp/202104270842552952/ 勝井祐二ほか
▶︎過去の、北村聡
http://43142.diarynote.jp/?day=20101016
http://43142.diarynote.jp/201206210942136482/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121121
http://43142.diarynote.jp/?day=20130323
https://43142.diarynote.jp/201706281510173316/
https://43142.diarynote.jp/202008290914077509/

 セッション・ベーシストとして活躍したフィル・チェンがお亡くなりになった。癌が死因のよう。1946年10月21日〜2021年12月14日。

 ファンキー目のロック録音に起用されることが多かったというか、弾力のあるベースを聞かせる人というイメージをぼくは持つ。チェンという苗字にあるように中国系で、ジャマイカのキングストン生まれ。同地にあるセイント・ジョーンズ・カレッジに通い、その後英国に渡った。1970年代初頭からロンドンで頭角を現し、リンダ・ルイス、ドノヴァン、ジョン・アーマトレイディング、クレア・ハミル、ジム・キャパルディ、ロッド・スチュワート(2009年3月11日)、ブライアン・フェリー(2010年7月31日)、ピート・タウンゼント(2008年11月17日)、デイヴ・エドモンズ他のレコーディングに関与。ザ・ドアーズのジム・クリューガーのバッツ・バンド、ジャクソン・ブラウン(2003年5月2日)やジョン・フォガティ(2010年7月31日)作にも入っているので、けっこう“アトランティック・クロッシング”するスタンスを取ったときもあったのかもしれない。

 2014年にジャマイカ政府から勲章を授与された。そんな彼の1枚というと、ジェフ・ベック(2009年2月6日、2015年9月27日)の『ブロウ・バイ・ブロウ』(エピック、1975年)をあげたいな。

▶︎過去の、ロッド・スチュアート
http://43142.diarynote.jp/200903130124118315/
▶過去の、ロキシー・ミュージック/ブライアン・フェリー
http://43142.diarynote.jp/201008251413325933/
▶︎過去の、ザ・フー/ピート・タウンゼント
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm ジョン・エントウィッスル 2001年11月9日
https://43142.diarynote.jp/200810010211566772/ 映画
https://43142.diarynote.jp/200811201240456237/
https://43142.diarynote.jp/?day=20200326 タウンゼントが出てくる映画
▶過去の、ジャクソン・ブラウン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 5.02
▶︎過去の、ジョン・フォガティ
http://43142.diarynote.jp/201008251413325933/
▶︎過去の、ジェフ・ベック
http://43142.diarynote.jp/200902080200527638/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/

 ザ・ルーツ(2002年12月29日、 2003年12月2日、2004年9月19日、2007年1月15日、2013年12月19日)の創設メンバーであるベーシストのハブ(レオナルド・ハバード)は、血液の癌である多発性骨髄腫により亡くなった。2007年に、発病しザ・ルーツを脱退。放射線治療を受けていたというが、14日に突然具合が悪くなったようだ。彼は2007年8月のライヴにまで参加していたというので、2007年1月の来日公演も彼が弾いていたはずだ。

 1970年代生まれのドラムのクエストラブ、ブラックソウト、ラッパーのマリク・B(1972年11月14日〜2020年7月29日)らと比べると、10歳強年長だった。彼はフィラデルフィア芸術高校を出た後に、名門セトルメント・ミュージック・スクールに進んだ。同校は、スタンリー・クラーク(2008年9月8日、2010年12月3日、2012年12月5日、2015年9月30日、2020年1月5日)、ウォレス・ルーニー(2004年11月3日、2013年3月8日、2016年9月3日 )、クリスチャン・マクブライド(2000年11月1日、2006年9月17日、2007年12月18日、2009年8月30日、2012年9月8日、2014年9月7日、2016年6月26日、20016年9月3日、2016年9月7日、2018年6月14日)、そしてクェストラヴらが出ている。ザ・ルーツの初作『Do You Want More?!!!??!』(DCG、1995年)では1曲目からハブはダブル・ベースを弾き、ヴァイオリンを手にする曲もあった。

 UKアルト・サックス奏者のスティーヴ・ウィリアムソンの英国録音作『ジャーニー・トゥ・トゥルース』(日本フォノグラム、1993年)になぜか1曲参加していたりもするが、基本ザ・ルーツだけでベースを弾いた人。向こうの訃報記事を見ると、ハブは2016年に印税支払いの問題でザ・ルーツ側を訴えた。まだ、その件は解決を見ていないようだ。

▶︎過去の、ザ・ツーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
▶過去の、スタンリー・クラーク
http://43142.diarynote.jp/?day=20080908
http://43142.diarynote.jp/201012051906481605/
http://43142.diarynote.jp/201212131141531884/
https://43142.diarynote.jp/201510021221454336/
https://43142.diarynote.jp/202001060957069830/
▶︎過去の、ウォレス・ルーニー
http://43142.diarynote.jp/200411071405440000/ ジュリ・アレンも同行。
http://43142.diarynote.jp/201303110415585115/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903
https://43142.diarynote.jp/202004011417279041/ 訃報
▶過去の、クリスチャン・マクブライド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200609190457510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20071218
http://43142.diarynote.jp/200909120642135954/
http://43142.diarynote.jp/201209191209186663/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201606281735457440/
https://43142.diarynote.jp/201806151747389966/

 ドイツ人ジャズ・ピアニストのウォルター・ラングの訃報も届いている。1961年5月13日〜2021年12月16日。音楽好きの家庭に育ち、キース・ジャレット(2001年4月30日、2007年5月8日)に憧れジャズ・ピアニストを志望し、ボストンのバークリー音大に進んだ。同大は経済的な理由により中退したが、アムステルダム芸術大学を卒業している。そんな彼の名前が出たのは、アメリカ人ドラマーながら1987年以降は欧州で活動するようになったリック・ホランダーのカルテットに参加し、アルバム群に名前を連ねたことによる。1991年以降、ホランダーはミュンヘンに居住したため、同地に拠点を置くラングはずっと重なりを持った。

 アクト、エンヤ・イエローバード、澤野工房、ヒップ・オーほかいろいろなレーベルから自己作をリリース。振り幅の大きい人で、深遠な考える指さばきをアピールするものから優しい調べをさらりと弾くものまで、いろいろ。日本のM&Iからもアルバムを出したことがあるように、秀でたオリジナルを書く一方、ザ・ビートルズ曲集やECM大御所曲カヴァー集といった企画ものにも飄々と臨んでもいた。来日は多数、彼は渋さ知らズ(2004年9月1日、2005年12月22日、2006年1月14日、2006年1月21日、2006年8月27日、2006年11月15日、2006年12月1日、2007年1月13日、2007年6月3日、2007年6月13日、2008年7月6日、2009年7月26日、2009年9月27日、2010年4月22日、2010年9月19日、2013年5月19日、2015年6月15日、2015年11月23日)で歌っていた室館綾をフィーチャーしたアルバムを独Pirouetからリリースしたこともあった。同レーベルからはリー・コニッツ(2013年9月7日、2017年9月3日)とのデュオ・アルバム『Ashiya」(2008年)を出したこともあった。また、クラブ・ミュジック的なビート感/質感を介するピアノ・トリオのトリオELFや、カメルーン出身のシンガー/パーカッショニストのンジャミー・シトソンとドイツ人マリンバ奏者のウォルフガング・ラッカーシュミットとの牧歌的ユニットであるダクタリンバでもう一つの顔見せたりもした。

 ぼくは福盛進也(2018年1月7日、2018年4月7日、2019年1月5日、2019年6月14日、2019年12月18日、2021年11月25日、2021年11月26日、11月27日)トリオの一員として2018年に来日した際に初めてラングの存在感ある指さばきに触れた。現在のところの新作は、26歳の新進ギタリストであるフォリップ・シーペックとの繊細にして柔和な対話作『Cathedral』(Act,2021年)。癌で闘病していたという。

▶︎過去の、ウォルター・ラング
http://43142.diarynote.jp/201801081118162617/
▶過去の、キース・ジャレット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
▶過去の、不破大輔/渋さ知らズ
http://43142.diarynote.jp/200407290730290000/
http://43142.diarynote.jp/200409010713470000/
http://43142.diarynote.jp/200512231958440000/
http://43142.diarynote.jp/200601161256540000/
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
http://43142.diarynote.jp/200609031311580000/
http://43142.diarynote.jp/200611190320370000/
http://43142.diarynote.jp/200612060135390000/
http://43142.diarynote.jp/200706061351450000/
http://43142.diarynote.jp/200701141431470000/
http://43142.diarynote.jp/200706162321180000/
http://43142.diarynote.jp/200807081247190000/
http://43142.diarynote.jp/200908180046187200/
http://43142.diarynote.jp/200910071809361076/
http://43142.diarynote.jp/201004231559516550/
http://43142.diarynote.jp/201009231554333481/
http://43142.diarynote.jp/201305260923241736/
http://43142.diarynote.jp/201506161247423392/
http://43142.diarynote.jp/201511250531202253/
http://43142.diarynote.jp/201605170939589783/
http://43142.diarynote.jp/201711241828493970/
https://43142.diarynote.jp/201804290935481570/
▶︎過去の、リー・コニッツ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130907
https://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
https://43142.diarynote.jp/202004161121456104/ 訃報
▶︎過去の、福盛 進也
http://43142.diarynote.jp/201801081118162617/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
https://43142.diarynote.jp/202111261008298329/
https://43142.diarynote.jp/202111270737509911/
https://43142.diarynote.jp/202111280904312385/

 そして、モータウンの女性ヴォーカル・グループのザ・マーヴェレッツのワンダ・ヤングもお亡くなりになった。1943年8月9日〜2021年12月16日。ザ・マーヴェレッツの説明においていの一番に話のマクラとなるのは、ザ・ビートルズがカヴァーした「プリーズ・ミズター・ポストマン」の一番有名な1961年ヴァージョン(全米総合/R&Bチャート、ともに1位。英国はチャート外)を発表したグループということか。どこかレトロで、どこかしましい4人組だった。享年、78。

 ミシガン州生まれ。高校時代は看護婦を目指していたが、メンバーのなか一番最後にグループに加入し、モータウンと契約。彼女たちはスモーキー・ロビンソン(2019年9月20日)に可愛がられたが、1963年にワンダ・ヤングはザ・ミラクルズのポビー・ロジャース(1940年2月19日– 2013年3月3日)と結婚。彼女はロジャースと姓を改めた。複数の子供を得たが、1975年に離婚している。

 1965年以降はメンバーも変わり、彼女はメインのシンガーの位置に立つ。1970年にザ・マーヴェレッツは終止符を打ったが、スモーキー・ロビンソン主導でワンダ・ロジャースはレコーディングし、それはザ・マーヴェレッツ名義でリリースされた。そして、モータウンのLA移転に伴い、彼女は引退し故郷に戻った。ザ・マーヴェレッツは1989年に一時リユニオンしたことがあったという。

▶︎過去の、スモーキー・ロビンソン
https://43142.diarynote.jp/201909260735539261/
https://43142.diarynote.jp/202009301104353283/ 出演した映画

<今日の、追記>
 ハブの項で触れた『ジャーニー・トゥ・トゥルース』はヴァーヴを介して米国や欧州でもリリースされたが、それは日本フォノグラムA&Rの故柳田一彦さんが企画し、録音したものだった。あ、アナ・カラン(https://43142.diarynote.jp/201906181051514607/)の項でも、彼女の盤を作ったと書いていますね。1970年バブル期まではとにかく日本出資の外国人レコーディング作がいろいろあり、海外でもリリースされた。
▶︎過去の、柳田さんの死に触れた文
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/julylive.htm 2日

 また、他にも訃報が報じられていて、冒頭の表題欄に文字が入りきらないので、簡単にここに記す。
 まず、米国業界実力者だったケン・クレイゲン(1936年11月24日〜2021年12月14日)。ハーヴァード・ロウ・スクールを出ているので弁護士資格を持つかもしれない彼はケニー・ロジャースやトリシャ・ヤーウッドらカントリー・ミュージックの担い手のマネイジメントで名前をあげ、ライオネル・リッチー他も扱うようになり、どんどん音楽業界で確固たる位置を築いた。そんな彼の力が大爆発したのが、スター総出演のチャリティのためのUSAフォー・アフリカ〜「ウィ・アー・ザ・ワールド」だった。これは、ハリー・ベラフォンテがクレイゲンに声がけしてスタートしたと言われる。そして、その1年後には「ハンズ・アクロス・アメリカ」という大チャリティ・イヴェントも行い、それについてはhttps://43142.diarynote.jp/201906191011319598/ で触れている。
 西海岸ベイエリア地区生まれで草食系白人の見かけを持つクレイゲンは、後に南カリフォルニアを拠点に悠々社会的な活動を続けたよう。亡くなったのはLAの自宅で自然死と伝えられる。
 それから、たくさんの著作を持ち、いろいろな大学で教鞭を取ってもいた、社会活動家であるベル・フルック(1952年9月25日〜2021年12月15日)の訃報も届いている。ケンタッキー州生まれ、腎不全のためやはりケンタッキー州の自宅で亡くなった。人種、階級、歴史、アート、セクシュアリティなどをリベラルにとらえ、生理的に雄弁に啓発し続けた人物であった(よう)。女性の方が悲報に接し、ショックを受けている人が多いか。

 まず、東銀座。松竹試写室で、2019年ドイツ映画を見る。イスラエルとパレスチナの軋轢を下敷きにする、クラシック音楽を材料に置く作品だ。監督は、1959年生まれイスラエル人のドラー・ザハヴィ。脚本は彼を含め、5人で書かれている。1月下旬より、全国公開される。

 ドイツ人の著名指揮者が、憎しみとともに殺しあう関係にあるイスラエルとパレスチナに住む奏者をオーディションし、彼らが一緒になった小編成オーケストラを結成、両国の新ステップを導くような公演を行うことを目指し……。映画は関係がギクシャクした両側の若者がオーディションで会し、南アルプスでの練習合宿の模様などを描いていく。そのストーリーは実際にイスラエルとパレスチナの両方の市民権を持つ大御所ピアニスト/指揮者であるダニエル・バレンボイムのウェスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラに着想を得ているという。いただいた資料のインタヴューにおいて監督はイスラエルとパレスチナの人たちが手を取り合うオーケストラを組むなんて今はまだ絵空事だと語っているが、少し臭いなあと思わすやりとりや出来事なども織り込み、両者の断絶のデカさや音楽の普遍的な力を指し示さんとしている。

 見る前に期待したほどの感興はないなと思って見ていたのだが、最後の締めはにはわっ。それで、ぼくが覚えていた違和感は霧散した。言葉はドイツ語、ヘブライ語、アラビア語、そしてみんなで意思疎通を図る際となる多くのシーンでは英語が使われる。音楽は練習演奏シーンなどもありクラシックが中心となるが、場合によってはエレクトロ調やポスト・クラシカル調も出てくる。

 夜は、三鷹市芸術文化センター 星のホールで、「星の王子さまとの出逢い」と題された公演を見る。とうぜんアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(1900〜1944年)の「星の王子さま」(1943年)のストーリー〜銅版画家の中井絵津子がその語りを入れる〜と自身による挿絵を用い、そこに曲によりアルト・サックス、クラリネット、ピアノ(少し肉声や親指ピアノも)を使い分ける仲野麻紀(2018年7月7日、2018年10月21日)が音楽をつけるという内容を持っていた。そして、舞台美術や装置(ステージ前の半透明スクリーンとステージ背後のスクリーン2種を巧みに使っていた)を手作り的に用いたこの出し物は、やっぱ仲野麻紀すげえと思わせるステージになっていた。

 あのメルヘンチックな絵や邦題の痒さに退いて、ぼくは同書をめくったことはないが、朗読の1部を耳にすると、単なるファンタジーではない、いろんな含みを抱える本だったのだと気付かされる。でも、そんなことはどうでもいいことで、やはりぼくの耳や目はストーリーとともに自分のいろんな面を出す、仲野の自在の独演に釘付けとなった。

 彼女はアルト・サックス、クラリネット類、ヴォイス、民族楽器などを無理なく重ね新境地を見事に開拓した単独録音作『OPENRADIO』(openmusic)をこの秋に出したが、そこで獲得したその場の自己演奏サンプリングも用いるリードの多重演奏音が核となる音楽はまこと存在感あり。ときにはプリセット音などもうっすら流し、彼女は雄弁な仲野ワールドを送り出す。舞台美術/ストーリーに合わせ、そのソロ演奏の流れはじっくり作られたのだと思うが、フフフと楽しんでいる様子、スポンテニアスな感じもそこから浮かび上がるのも頼もしい。結果、情を持ちつつ研ぎ澄まされた音楽家であることが浮かび上がり、さらには澄んだ我と自由が溢れ出るというわけなのだった。

▶過去の、仲野麻紀
http://43142.diarynote.jp/201807080932266789/
https://43142.diarynote.jp/201810221139492314/

<今日の、我が道を行く>
 試写会とコンサートの間に時間があったので知人を呼び出し、ゆっくりと飲食。ここんとこ、久しぶりに大飲み日が続いているためもあってか、1杯で顔がほてるのを感じる。ニシンの酢漬け、久しぶりに食べたら美味しゅうございました。食べながら、自分で作るのは難儀そうと思う。スウェーデンでは夏場に食べると聞いたことがあるような気もするが、スカンジナヴィアの食べ物というイメージがあるためか、なんかぼくにとっては暖かくない食べ物であるのに冬場のアテという気持ちを持ってしまうかな。昔は酢が嫌いで、酢でしめる食べ物はNGであったが、しめ鯖や寿司のこはだなんかも好きだしだいぶ好みが変わってきているなー。ガリも近年は食べるようになった。とはいえ、バルサミコ酢はいまだに苦手であるが。
 仲野の新作『OPENRADIO』を結構立派な体制で物販している。おお、配給しているキング・インターナショナル仕切りであるのか。現在フランスから一時帰国中の仲野は公演前、下北沢で1000円カットの店があるのを見つけ、少し襟足を切りたかったので入ってしまったという。お店の人ビビッていた、そう。今までいろんな場所に行って自分であり続ける彼女らしい話だな。

 1960年代半ばから1970年代中期にかけてヒット曲をたくさん出したシンガーのジョー・サイモンが、長年住んでいたイリノイ州シカゴ圏でお亡くなりになった。

 南部ルイジアナ州生まれ。ゴスペル育ちで、歌で頭角を現したのは西海岸のベイ・エリア。とにもかくにも、たっぷりした歌声と歌唱が魅力の人。であり、ルックスにも恵まれた人。それほど曲作りに関与はしなかったが、深みとスケール感に富む彼の歌は、どんな曲でもいい感じに聞こえるじゃんと思わせる利点があった。彼はある種の都会性を抱えてもいたか。そんなサイモンは20作弱のアルバムを出していたが、1983年に世俗音楽から離れて説教師の道に入り、鋭意活動。何枚かゴスペル・アルバムも出している。彼はキリスト教を説くとともに、彼は同胞の地位向上のためにも力を注いたという。

<今日の、実直>
 師走だなあ。一個一個、丁寧に仕事を片付けていこう。昨年と違い、知人から締めの飲みに誘われる機会も多いが、それもなるたけ笑顔で応えたい。この月曜夜にはグレゴリー・ポーター(2013年3月6日、2013年9月6日)にズーム取材をしたが、彼はロンドンに滞在していた。ジュールズ・ホランド(2010年3月24日)のTVショウに出るんだとか。彼のとてもゆっくりした口調はなかなか染み入るものがありました。
▶︎過去の、グレゴリー・ポーター
http://43142.diarynote.jp/201303070815313472/
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
▶︎過去の、ジュールズ・ホランド
https://43142.diarynote.jp/201003261728103458/


 ブロンスキ・ビートのキーボード奏者だったスティーヴ・ブロンスキが亡くなった。詳細は不明。そのシンガーを務めていたジミー・ソマーヴィルがSNSで死を伝えたことで、ニュースは広まったようだ。みんなゲイであることを公言する鍵盤2+歌手1の3人組で、ゲイである悲哀を歌った1984年デビュー曲「スモール・タウン・ボーイ」が英米でヒットし、一躍知られる存在となった。彼らは当時ロンドン・レコードと契約していたが、そのころ麻布台に同レーベルを扱う(日本の)ロンドン・レコードがあったっけ。4つ打ちのシンセサイザー・サウンド(どちらかというと、マイナー・キー)に乗るソウル流れのファルセット・ヴォイス……。そんな彼らの表現は当時のUK若人のソウル好きをたんまり知らせるとともに、ヒットしたことでゲイやそれに理解を示す人が増えていることを、ぼくは知った。

 翌年フロントに立っていたジミー・ソマーヴィルは脱退してしまう。だが、ブロンスキ・ビートは1995年まで活動を続け、また2017年にもアルバムをリリースした。ソマーヴィルはよりレフト・ウィングな態度も出すザ・コミュナーズを結成し、より大きな支持を得る。このブログで書いたことがあるが、ぼくが1987年冬にロンドンに行った際、ロイヤル・アルバート・ホールでザ・コミュナーズを見た。その前座はジャイヴ所属のUKブラックのルビー・ターナーと、英CBSからデビューしたばかりのテレンス・トレント・ダービーだった。

 なお、ブロンスキとソマーヴィルはグラスゴー出身。持たざる者が、愛や性愛を出しやすいソウル/ディスコ様式に倣い、エレクトロな味付けのもと素を出す。と書くと、普通な感じになってしまうが、それはなんとも妙味を持ち、時代の風情を抱えていた。

 夕方、渋谷・Bunkamuraオーチャードホールで、渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日、2017年10月8日、2017年12月16日、2018年5月28日、2018年9月2日、2018年10月6日、2018年12月15日、2019年8月6日、2019年11月12日、2019年12月15日、2020年10月5日、2021年6月23日)のビッグ・バンド公演を見る。

 <サリュート・トゥ・デューク・エリントン>という表題にあるように、優美にして闊達なデューク・エリントン(けっこう片腕役のビリー・ストレイホーンの曲もやったな)楽曲を、オリジナル同様大きな編成でやるという設定のライヴとなる(少し渡辺や村田の自作曲も披露)。アルト・サックスの渡辺貞夫に加え、トランペット・セクションの西村浩二と奥村晶と菅坂雅彦と岡崎好朗、トロンボーン・セクションが村田陽一と辻冬樹と奥村晃と山城純子、サックス・セクションが吉田治、近藤和彦、小池修、竹野昌邦、竹村直哉、リズム・セクションが小野塚晃(ピアノ)とダブル・ベースの粟谷巧(ベース)とドラムの竹村一哲という16人でことに当たる。

 村田(2005年1月7日、2006年1月21日、2010年3月9日、2011年12月20日、2012年9月8日、2014年12月14日、2015年9月27日、2016年12月11日、2017年12月5日、2018年6月8日、2018年9月2日、2019年4月26日、2019年4月27日、2019年4月28日、2020年10月5日、他)はステージで、管奏者たちが位置する場所と反対側のリズム・セクション側に立つ。つまり、目立つ立ち位置を与えられていたが、それも当然だろう。すべての曲が村田のアレンジによるもので、やはりそれが今回の肝であったから。

 いまだ朽ちぬエリントン楽曲/大所帯サウンドの素晴らしさを素直に浮かび上がらせる方向に出る実演かと思って行ったら、さにあらず。何気に定番曲を外す曲選びのもと、フレッシュなハーモニーや仕掛けがそれぞれに与えられ、その上質な“絨毯”の上で渡辺が悠々と吹くという指針を持つショウであったのだ。言うなれば、当時のエリントン・サウンドではなく、現在のエリントン・サウンドのもと、アルト・サックスを踊らせようとするものだった。

 1曲めが終わった際のMCで竹村一哲を紹介する際、「今日は彼が大活躍します」といった言葉を添えたが、確かにリズムも立ち気味のものが採用されていた。あまりに耳にハマった曲の場合だと、こういうふうに行くのかと軽い肩透かしを覚える局面もあるのだが、やはりノスタルジーではなく、今を取ろうとするライヴを御大が求めていたことは鮮明に出ていた。その指針に、なんの異議があろうか。

 しかし、げんざい渡辺貞夫を見ると、微妙な感情を覚えざるを得ない。だいぶ退化している同じ年齢の母親の様と比較してしまい……。マジ、彼は超人だな。そして、ツアーを続けてきているにも関わらずたっぷり2部構成のショウをこなし、吹いていたのだから。本人も達成感を覚えていたと思う。会場の横の業務車が停める駐車場には、大きな録音&映像関連トラックが2台止められていた。

▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm  6日
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000/
http://43142.diarynote.jp/200610080946310000/
http://43142.diarynote.jp/200712171350530000/
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http://43142.diarynote.jp/201107111008176019/
http://43142.diarynote.jp/201207031353196616/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201304031026406106/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
http://43142.diarynote.jp/201310050701201281/
http://43142.diarynote.jp/201407091243129270/
http://43142.diarynote.jp/201410061850124929/
http://43142.diarynote.jp/201412281017371613/
http://43142.diarynote.jp/201512151504068292/
http://43142.diarynote.jp/201607100827363436/
http://43142.diarynote.jp/201609201032322395/
http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/
http://43142.diarynote.jp/201612171245154424/
http://43142.diarynote.jp/201710121700178187/
http://43142.diarynote.jp/201712181015052794/
http://43142.diarynote.jp/201805290906425481/
http://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
http://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
http://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
https://43142.diarynote.jp/201812201004266842/
https://43142.diarynote.jp/201908071557182844/
https://43142.diarynote.jp/201912161054076351/
https://43142.diarynote.jp/202010060748585515/
▶過去の、村田陽一
http://43142.diarynote.jp/200501170151560000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
http://43142.diarynote.jp/201003101342028780/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111220
http://43142.diarynote.jp/?day=20120908 ベン・E・キング
http://43142.diarynote.jp/?day=20141214
http://43142.diarynote.jp/?day=20150927
http://43142.diarynote.jp/201612171245154424/
https://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
https://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201904271153238361/
https://43142.diarynote.jp/201904281151232549/
https://43142.diarynote.jp/201904291825347224/
https://43142.diarynote.jp/202010060748585515/

<今日は強く怒りを覚え、悲しくなった>
 母親のドコモの携帯が壊れてしまい、先週からいろいろとやっている。容易に動けず、ボケもきている母親の代わりにぼくが動かなくてはならない。姉も忙しいと言っているし。委任状とIDのコピーを用意でき一括で購入するなら、ぼくの家の近くにあるドコモ・ショップで新しい携帯が買えるというので、今日は午前中から手続きをした末に母親に新しい携帯を届けようと思った。母親の近くに住む姉から、委任状や彼女の保険証のコピーが届いたし。その委任状には母親の住所や電話番号や署名の項だけ母親が書き、押印してあった。他はぼくが書いていいのかと思い提出すると、提出日の日付とか、委任する人物(つまり、ぼく)の名前や住所も母親が書かなくてはけないので、受け付けられないと窓口で戻される。おいおい。抜けているところはあるが国際弁護士をしている姉も、委任状の他の項目はぼくが書いていいと思ったらしいぞ。
 まあ、しょうがねえ。すでに電話が壊れて1週間以上経つし、一念発起して、これから母親のところまで行って、もう一度委任状を書いてもらい、母親の住んでいるとこに近いドコモ・ショップに持参して新たな携帯(ずっとヴァージョン・アップされていないガラ携でも5万円もするのね)を買おうと思い、該当のドコモ・ショップに電話をかけたら今日は予約はいっぱいだと言われる。日曜だしな。少し事情を説明していたら、母親の電話番号のデーターを見たのだろう、保険プログラムに入っているので新たに買う必要はないと先方は言う。そして彼は電話でその手続きができると、うれしいことを言う。だが、その際に母親も電話に出る必要があるというので、母親のところに1時間半かけて直行した。そして、その専用窓口に電話をしたら、ネット手続きすると手数料がタダになる(か、安くなるかは忘れた)ので、それでやりますかと担当が言う。母親はメールもしないし、当然PCも持っていない。では、ぼくが代理でやっていいですかと問うと電話先の小僧が本人じゃなきゃとダメだと拒否する。なら、手数料たんまりかかっても構わないので、電話で今手続きする由を伝えたら、先方はお母さんと変わってください。そして、彼女に電話番号や住所を言わせた後、代わりの電話が届いたときの事を言ったようなのだが(たぶん、カードを移し換えるとかそういう事だと思う)、母親は何を言っているのか分からず、ぼくに電話を戻してくる。ぼくに代わり、88歳の母親に難しいことは無理ですと伝えると、先方はそんな人ではダメなので改めて委任状と本人IDを郵送していただき手続きしたいというようなことを、ロボットのように言いやがった。
 その失礼千万な対応は年寄りが騙されないようにするためのガイド・ラインから来るものかもしれないが、そんなダメな老人から毎年お金を引き落としておいて、いざ保険を行使する段階になって、老人を排除する対応をするというのは考えられない。それだったら、最初から契約なんかするんじゃねえ。ましてや、今回の案件は、母親がお金を払う事案でないのに。理不尽な対応に、怒りがこみ上げた。でも、大人の対応をしようと思いつつ、少し語気を強めて、ちゃんと説明していただけますかと言い、母親ともう一度話してもらい、なんとか代替え品が明日とどくことになった。まあ、auもソフトバンクも同じような非人間的対応をするのかもしれないし、対応する人の心地によっても変わるかもしれない。だが、今回の一連のドコモの対応は、2番めのドコモ・ショップの人を除いては0点。もう、心からドコモ潰れろと思っている。明日、また母親のところにいって、届いた電話を使えるようにしてげなきゃ。

 ああ、ちゃんと歩みをチェックしなきゃと思っていたミュージシャンがまた死んでしまった。テキサス州ヒューストン生まれで高校中退で空軍に入り、除隊後に同州サンアントニオ大学に入るとともに音楽活動を始める。その後はロサンゼルスに渡り、作曲家として出版契約を得たりもした。そんなおり、20代半ばの彼はTV局が行ったアイドル・バンドのオーディションに合格する。それがザ・モンキーズで、目指すところはザ・ビートルズに対抗できるポップ・ロック・バンドをでっち上げ、毎週のTV番組とともに人気/上がりを得よう。ハリウッド系音楽裏方の冴えを集約もしたザ・モンキーズは見事に成功、確かに前に出た青年たちは操り人形ではあり、ザ・ビートルズの名前は断じて出せるものではないものの、娯楽性あるそのポップ・ロックは耳して全然イヤじゃない。

 ギターや歌を担当したマイケル・ネスミスは、1965年から70年までザ・モンキーズに在籍。その後はより個人力をアピールする方向で活躍するわけだが、まずはカントリー・ロック的な指針を出すバンド活動に邁進したのをはじめ、その後はソウル味を出したり、剛性感の強いポップス盤を作ったり、レゲエ・ビートやファンキーなビートの効用に目を向けてみたり、なかにはリトル・フィート(2000年12月8日、2012年5月22日、2019年8月31日)を思わせる方向に出てみたりと、本当に多彩なことを彼らは思うまま差し出した。……そんなに詳しくないので、断片的に耳にした印象で書いておくが、確かな才能をアピールしていたのは間違いない。

 そんな彼は1974年に自己レーベルのパシフック・アーツを設立したことがあった。また、おもしろいのは1980年に富豪になり、映画総指揮/制作の分野に討って出たり、小説家として本を複数出したりもしたこと。オフロード・レースに手を染めたこともあったか。ワーキング・マザーだったネスミスの母親はインク修正液“リキッド・ペイパー”の発明者。白色の液を塗り文字を消すリキッド・ペイパーはぼくも大昔に使ったことがあったが、母親の死により一人っ子であったネスミスは莫大な遺産を引き継いだのだった。アレックス・コックスのデビュー映画『レポ・マン』(1984年)やビル・フィッシュマン監督の『テープヘッズ』(1988年)は彼が仕切ったカルト人気を持つ作品だ。

 再結成ザ・モンキーズにも参加もした彼は4回のバイパス手術を受けるなど心臓に障害を抱え、カリフォルニア州の自宅で心不全で息を引き取った。ネスミスは4回結婚した。

▶︎過去の、リトル・フィート
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/
https://43142.diarynote.jp/201911011701216748/ ポール・バレルの訃報

 18時から渋谷・Li-Poで、自伝と言えるライフ・ストーリーやメッセージ・ソング送出者としての姿勢や覚悟を認めた「ぼくが歌う場所 フォーク・ソングを追い求めて 50 年」(平凡社)出版を受けての中川五郎(1999年8月9日、2004年2月1日、2005年6月17日、2017年9月12日)のトーク&ライヴのイヴェントなり。僭越ながら、1部の聞き手役を務める。40年近く前、五郎さんとは共に雑誌編集者をしていた頃からの知り合いで、ぼくは彼に音楽の原稿を頼み、フリーになってからは五郎さんもぼくと同様ライヴによく行く人だったので、ライヴ終了後は一緒に流れたりもした。ぼくは、ちゃらくしなやかで、甘えをスマートに出す←それは、強さの裏返しでもあるのだが、五郎さんが大好きだった。

 ようは、彼が音楽家から一番離れていた時期に知り合い、交友を持ち、そして彼がもう一度原点に立ち返るかのように、ギター弾き語りのライヴをやり出し、その比重がどんどん増すとともに、自らのメッセージ・ソングのあり方を獲得していった流れを(そんなにライヴは見ていないが)ぼくは横で見たきたわけだ。というのはともかく、まあ五郎さんについてふと思っていた疑問や本を読んで感じたことを素直に聞いてみた。五郎さん、くだらない戯言を前ほど言わなくなったな。→それを後で指摘したら、だってああいう場だから、というような返事が返ってきた。

 2部は、たっぷり中川五郎の弾き語り。ノー・マイクで、完全素のパフォーマンス。でも、まったく問題なし。このおりライヴの数は減っているはずだが、そっちのほうの能力や勘は落ちていないようだ。前半は古い曲をずらり〜とやる。彼の曲として有名な「受験生のブルース」はもともとボブ・ディランの「ノース・カントリー・ブルース」に日本語歌詞を乗っけたものだそうで、それを披露。マイナー・キーで、なかなか陰湿な内容ね。そして、その後一般に知れるだろうどこかおどけた「受験生のブルース」もやる。また、50年ぶりに歌うと断った曲もあった。1970年代中期に発表された彼の代表曲「25年目のおっぱい」も披露し、ぼくは初めて同曲を聞く。ほう、こんな(技アリでもある)内容であったのか。エリック・アンダースン(2012年9月3日)の「カム・トゥ・マイ・ベッドサイド」の訳詞曲などは前にも聞いたことがあったかな。

 後半は、徐々に今に近い曲をやったよう。まあ日本語訳詞曲は抵抗を覚えたりもするわけだが、はっきりとした語調で歌われる彼の歌はとにもかくにも歌詞がちゃんと聞き取れる。そして、彼はそれを空で、歌詞カードなど一切おかず、まっすぐにまっとうしたことには感心した。あっぱれ。やはり、彼は正のパフォーマーであり、その雄姿に触れて、歌詞カードを置く担い手はやはり外道だと再認識した。

▶︎過去の、中川五郎
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://43142.diarynote.jp/200402051852240000/
http://43142.diarynote.jp/200506200011180000/
http://43142.diarynote.jp/201709130923483891/
▶︎過去の、エリック・アンダーソン
http://43142.diarynote.jp/201209181236296275/

<今日の、五郎さん>
 すんごく久しぶりにあったが、それほど変わらず、元気そう。開演前から赤ワインを飲み始め、ライヴの最中もぐびぐび。終わってからも、ごくごく。安心した。そーいやあ後半には、「愛があれば年の差なんか」というベタな表題の曲も披露する。それも、なにより。彼は映画「トイ・ストーリーズ」テーマ曲(ランディ・ニューマン作)の日本語歌詞を作ったそうだが、それをやってと言ったら、歌詞を覚えていないとのことで却下された。

 ソウル流れのファルセット歌唱のもと、米国ポップ音楽界のあまたのバックグランド・ヴォーカルを引き受けていたデイヴィッド・ラズリーが亡くなった。癌で闘病していたという。写真だと金髪(染めていたという話もある)が印象的な人でした。

 ミシガン州の、デトロイト圏の生まれ。1970年にミュージカル「ヘアー」のツアーに入り、ブロードウェイにも出演。そして、そのころから裏方歌手として活動しだし、ルーサー・ヴァンドロス、トッド・ラングレンズ・ユートピア、ジェイムズ・テイラー、ボズ・スキャッグス、アリーサ・フランクリン、シック、ザ・ポインター・シスタース、デイヴィッド・サンボーンら本当にいろいろな人たちのアルバムに彼は参加してきている。また、ソングライターとしても、アニター・ベイカー、ボニー・レイット、パティ・ラベル、ジュディ・コリンズ他に曲が取り上げられた。

 2枚組『Demos』(Almo Irving Music、1981年)以降はリーダー・アルバムをリリース。同作のことは後から知ったが、スモーキー・ロビンソン耽溺が出たしっとり好盤だと思う。シック調曲なども入ってはいるものの。EMIアメリカ他、5作以上10作未満のリーダー作を持つ。P.C.H./ポニーキャニオン、中田利樹主宰のクール・サウンドなど、日本のレーベルからアルバムを出したこともあった。

<今日の、記憶>
 1990年前後に、P.C.H.の業界コンヴェンションが確か赤坂のANAホテルで開かれた。そして、その際ラズリーは来日していたかもしれない。P.C.H.はLAの海岸沿いの道〜パシフィック・コースト・ハイウェイの名で、西海岸のAORを出すレーベルとして発足し、20作弱のアルバムをリリースしたか。当時、A&Mやグマヴィジョンなども持っていたポニーキャニオンの洋楽攻勢はなかなかにすごいものがあった。そのころ、一番給料がいいレコード会社はポニーキャニオンという話もあったっけ? 本当かどうかは知らないが。いつからか、同社から洋楽の部署が消えた。現在、同社にぼくが知っている人はいない。

 まず、訃報を二つ。ここんとこずっと書いてなかったのに(ブランドXのギタリストのジョン・グッドソールのように、多忙さにかまけてまいっかとなった人もいるけど)、ここにきて大物の訃報が相次いでいて、あわわわ。

 まず、ベーシストのロビー・シェイクスピア(1999年12月6日、2003年7月25日、2009年3月7日、2011年11月4日、2014年10月10日、2018年9月18日)。ジャマイカではリズムのことをリディムと言うんだよという説明とともに、スライ・ダンバーとの人間基準法違反のリズム・セクション音は1980年代前半に、一気にジャマイカを飛び出し、インターナショナルな存在となった。二人の送り出す攻撃的なビートはミリタント・ビートなんて呼ばれたりもした。フロリダでの腎臓手術後にお亡くなりになったようだ。享年、68。

 1973年、スライ&ロビーは出会って間もなくチャンネル・ワン・スタジオのハウスバンドであるザ・レボリューショナリーズのメンバーになり、様々なシンガーのサポートをするようになる。2人の相性の良さは当人たちもすぐに分かったのだろう、彼らはタクシーと名付けたレーベル/プロでクションも設立。その命名理由は、タクシーのように誰でも乗せる、からではなかったか。1970年代後期には、2人は当時のNo.1レゲエ・グループのブラック・ウフルーにも太く関与。その2作目はタクシーから出た。1980年にブラック・ウフルーはアイランド・レコードに移籍、同社がボブ・マーリーその後の推しとして彼らを位置付けたこともあり、スライ&ロビーのビートはより国外に出やすくなった。

 レゲエNo.1リズム・セクションは、出会って10年の間に世界的なリズム隊となった。それは、当時のビート・ポップにとってジャマイカ的因子が必須要素であり、レゲエ/ダブが米英のモダン・ミュージックを触媒として伸張させる時代になっているのを示してもいた。

 セルジュ・ゲンズブール、グレイス・ジョーンズ、イアン・デュリーなどのアルバムに参加したのが1979〜1980年。そして、グエン・ガスリーやジョー・コッカーに続き、1983年にはボブ・ディラン、カーリー・サイモン、ハービー・ハンコック、渡辺香津美、ノーナ・ヘンドリックス、ザ・ローリング・ストーンズのレコーディングなどに参加し、彼らへの注目は大爆発。もう二人に対す妄想が膨らみまくった時期に行われたブラック・ウフルーの来日公演(1984年のライヴ・アンダー・ザ・スカイ)の際の、マイケル・ローズの喉力とスライ&ロビーの強度の衝撃は今もぼくの身体のどこかに残っている。

 二人には、1990年代に一度取材したことがあった。P-ファンクのメンバーにインタヴューできたときのように嬉しかった。ロビーは強面で怖そうな感じを受けていたが、そんなことなく朴訥とした方だった。スライの方がより愛想が良かったのは確かだが。そのとき、どんな話をしたのか。PCがクラッシュしていて引き出せないのだが、それらかつての文章をなんとか復活させるというのは今後の宿題だな。二人の『Taxi Fare』(Haertbeat,1986年)のライナーノーツを書けたのはいい思い出だ。その日本盤は、当時あったレコード会社であるNECアヴェニューから出た。

 過激なダブ効果にもビクともしない芯と頑丈さを持ち、好奇心旺盛にエレクトロな音にも望んだし、それこそ山ほどの他流試合的録音セッションもこなしまくったスライ&ロビーではあったが、俺たちの本望はシンガーのバッキングにあるという思いも持っていたんじゃないだろうか。

 しかし、ずっとコンビを組み続けた1歳年長のスライの胸中や……。

▶過去の、スライ&ロビー
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 そして、バド・パウエルの流れをつぐ名ジャズ・ピアの奏者であるバリー・ハリスの訃報も届いた。享年、91。天命をまっとうしたと言っていいのかな。彼はジャズ・ピアノ講師としても知られ、このコロナ禍でもリモートでレッスンを行っていたものの、残念ながらニュージャージー州の病院でCOVID-19感染による合併症で亡くなった。

 なんか妙な言い方だが、ジャズらしい、ジャズ・ピアノを弾く御仁。デトロイト生まれ。教会で弾いていた母親からピノの手ほどきを受け、1950年代に入ると同地のシーンで活動しだし、アート・ファーマーやドナルド・バードらのレコーディンに関わり、1958年にアーゴからデビュー作をリリースした。その後、くつろいだいぶし銀的な指さばきのもと、リヴァーサイド、プレスティッジ、ザナドゥ、コンコード・ジャズ、エンヤ他からアルバムをリリース。アルファやヴィーナスといった日本の会社からアルバムをリリースしたこともあった。例外もあるが、それら多くはピアノ・トリオで録音し、ピアノ・ソロも最低2作出している。

 夜、渋谷bunkamura・オーチャード・ホールへ。上原ひろみの(2004年11月25日、2005年7月31日、2006年9月3日、2009年9月4日、2010年12月3日、2011年9月3日、2011年9月9日、2011年12月11日、2012年7月25日、2012年12月9日、2014年9月6日、2014年9月7日、2016年9月4日、2016年9月15日、2016年11月16日、2017年5月7日、2017年9月28日、2019年11月17日、2021年9月22日)の弦カルテットとの2021年協調作『シルヴァー・ライトニング・スウィート』(テラーク)をフォロウする公演を見る。ピアノの彼女に加え、ヴァイオリンは西江辰郎とビルマン聡平、ヴィオラの中恵菜、チェロの向井航という面々がつく。現在、5人は全12公演ものツアーをしている。

 すべての曲作り(1曲は旧曲を持ってきた)と編曲を自らした同作、実のところぼくは彼女のアルバムのなかで一番好きなんじゃないだろうか。彼女の才が見目麗しく、明晰に出ていると思えるから。そして、その多面体的な魅力はより臨機応変に伸ばされ、十全に生の場で開かれていたと思う。

 収録曲をずずいとやるとともに、途中にピアノ・ソロと弦楽四重奏だけの演奏パートも入れ、アンコールではヴィオラ奏者とのデュオも披露し(会場により、デュオの相手は変わるそう)、さらに最後は皆上半身はTシャツになり、さばけたバルカン色調を増した上原曲「リベラ・デル・ドゥエロ」も演奏する。その際に弦の奏者たちは濁った民族音楽的なソロをかます。いやあ、見せどころを本当に上手に設けつつ。音楽性の高さと音楽愛を5人は出していた。

▶過去の、上原ひろみ
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<今日の、へえ〜>
 前日は、キング・クリムゾン公演がオーチャードホールであったのか。上原のツアーに締めはまたここで28日に。その後、年末(大晦日も)から新年1月(元旦から)にかけて、彼女はかなりの公演をブルーノート東京ですることになっている。ああ、働き者。オレの年末年始は……??
 メイシオ・パーカー(1999年8月6~8日、1999年10月28日、2001年4月17日、2002年11月19日、2005年9月6日、2007年9月13日、2009年1月21日、2010年2月16日、2010年9月3日、2013年2月2日、2015年7月27日、2016年7月18日)の年後の弟であり、ジャボ・ストークスとクライド・スタブルフィールド加入前のジェイムズ・ブラウン(2000年8月5日)のバンドの屋台骨を支えた最たるドラマーであるメルヴィン・パーカーの訃報が届いた。ノース・カロライナ州キンストン生まれ、長兄のケリスはロトンボーンを吹いたと言われる。1964年にメイシオとともにJBのバンドに加入し、「パパのニュー・バッグ」や「アイ・ガット・ユー(アイ・フィール・グッド)」などJBファンクの黄金のクラシック曲録音に関与。だが、少しして彼は兵役につきブラウン・バンドを去った。1960年代末にザ・JBズ入りしたものの、メイシオを主役に立てたバンド員造反事件(1970年。→メイオ&ザ・オール・ザ・ギングズ・メン)で再びブラウンのもとから離れたりもした。基本、JBとメイシオ録音物にしか名前が見られない人物だが、やはりリズム・ボックス的な正確さが生むグルーヴをしかと出せる人で、JBファンク確立におけるV.I.P. と言っていいのではないだろうか。

 あまり訃報が出て回っていないが、ブーツィ・コリンズ(2011年8月12日、2012年5月31日)がトゥイートしているので間違いないだろう。ブーツィ・コリンズの2006年好ホリデイ・アルバム『Christmas Is 4 Ever』には1曲、彼がドラマーで入っている曲あり。それは過去録音を引っ張り出したものかもしれないが、その「スライ・ライド(そりすべり)」を聞くとメルヴィンの妙味がよく分かる。

▶︎過去の、メルヴィン・パーカーへの言及
https://43142.diarynote.jp/200704251224130000/ ジャボとクライドの、メルヴィンの話
https://43142.diarynote.jp/201302041827243806/ 息子で同じくドラマーのマーカス・パーカー
https://43142.diarynote.jp/201606281735457440/ 映画「ミスター・ダイナマイト ファンクの帝王ジェームス・ブラウン」  メルヴィン・パーカーが証言者として出てくる!
▶過去の、メイシオ・パーカー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200509130313320000/
http://43142.diarynote.jp/200709171112310000/
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
http://43142.diarynote.jp/201002171552164447/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
http://43142.diarynote.jp/201508050852067247/
http://43142.diarynote.jp/201607191314481207/
https://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
▶過去の、JB関連
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm JBサマーソニック
https://43142.diarynote.jp/200702090041480000/ フレッド・ウェズリーやジョージ・ポーターらによるトリビュート・バンド
http://43142.diarynote.jp/201412310727087161/ ザ・オリジナル・ジェイムズ・ブラウン・バンド
https://43142.diarynote.jp/201503041619591535/ 映画「ジェームス・ブラウン 最高の魂を持つ男」
https://43142.diarynote.jp/201606281735457440/ 映画「ミスター・ダイナマイト ファンクの帝王ジェームス・ブラウン」
https://43142.diarynote.jp/201806040807198626/ ザ・オリジナル・ジェイムズ・ブラウン・バンド
https://43142.diarynote.jp/?day=20210204 ダニー・レイの訃報
▶︎過去の、ブーツィ・コリンズ
http://43142.diarynote.jp/201108131129381378/
http://43142.diarynote.jp/201206011834355756/

 また、音楽批評家で、バーント・シュガー名義で音楽活動もしたグレッグ・テイトもお亡くなりになった。オハイオ州デイトン生まれ、そしてワシントンD.C.で育ち、そのまま同地にある黒人名門大学であるハワード大学でジャーナリズムと映画を学んだ。持ち楽器はギターで、10代半ばに独学で技量を会得したという。実ははみ出しジャズとファンク/R&B/クラブらが渾然一体となったバーント・シュガーのプロダクツを聞くと、僭越ながらかなりぼくと音楽趣味が重なる御仁であったように感じる。その『The Rites』(Avant Groidd Musica、2003年)にはブッチ・モリス、ヴィジェイ・アイヤー(2019年5月27日、2014年6月17日、2014年6月19日、2014年6月20日)、ピート・コージー、メルヴィン・ギブス(1999年12月18日、2002年9月9日、2004年11月21日、2014年10月26日、2017年6月23日、2018年10月23日)他が参加。また、自らのユニットをバーント・シュガー・アーケストラと名乗っていたこともあった。彼はブラッド・ウルマーのことも大好きだったらしい。

 1970年代後期に娘を得たという記載もあるので、大学を出るころには結婚していたのかもしれない。彼がニューヨークに移ったのは1982年のこと。1980年代中期には、ヴァーノン・リード(2000年8月13日、2008年12月16日、2015年10月26日)主宰のブラック・ロック・コーリションの設立に関与。そんな彼は1987年にヴィレッジ・ヴォイスで連載を持つようになり、知名度を得た。また、彼はニューヨーク・タイムズ、ローリング・ストーン、ダウンビート、ヴァイブらクォリティある媒体に寄稿している。また、著書も数作あり、それらは何故に我々は白人に搾取されなければならないのかという問題意識が横たわっていた。

 アルバム・ライナーノーツもいろいろ。再発時に書いたものを含め、リヴィング・カラー、カーティス・メイフィールド、スライ&ザ・ファミリー・ストーン(2008年8月31日、2008年9月2日、2010年1月20日)、マイルズ・デイヴィス、チャールズ・トリヴァー、グレアム・ヘインズ、パーラメント(2002年7月28日、2009年9月5日、2011年1月22日、2013年4月12日、2015年4月12日、2016年11月29日、2019年4月30日)、ウィリアム・パーカー、ジュリ・アレン(2004年11月3日)、オリヴァー・レイク(2003年11月18、同22日、2012年9月28日)……。うう、とても他人とは思えねえ。彼は無実ながら死刑求刑を受けた、爆裂ギタリストのロニー・ドレイトンの息子であるドノヴァン・ドレイトンの釈放運動にも熱心に関わった。

 そして、先に書いたバーント・シュガー名義の諸作(実は山ほど出している)が素晴らしすぎる! 後にザ・ルーツ(2002年12月29日、 2003年12月2日、2004年9月19日、2007年1月15日、2013年12月19日 )に入るスーザフォン奏者のカーク・ダグラスもその初期メンバーだった。ああ、一度お会いしてみたかった。64という享年は早すぎる。でも、ぼくはあなたの残したブツを掘っていきますね!

▶過去の、ヴィジェイ・アイヤー
http://43142.diarynote.jp/201406180853065508/
http://43142.diarynote.jp/201406201008164250/
http://43142.diarynote.jp/201406210910441716/
https://43142.diarynote.jp/201905290941114147/
▶過去の、メウヴィン・ギブス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200411231722390000/
http://43142.diarynote.jp/201410301512336095/
http://43142.diarynote.jp/201706240934237865/
https://43142.diarynote.jp/201810240904066739/
▶過去の、リヴィング・カラーのメンバーたち
+ヴァーノン・リード
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm 8/13
http://43142.diarynote.jp/?day=20081216
http://43142.diarynote.jp/201510290732352521/
+ダグ・ウィンブッシュ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-4.htm ポーラ・コール・バンド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm 27日 フジ・ロックのモス・デフ
+ウィル・カルホーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm 27日 フジ・ロックのモス・デフ
http://43142.diarynote.jp/200808090220540000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160913
https://43142.diarynote.jp/201609201702049986/
▶過去の、スライ・ストーン
http://43142.diarynote.jp/200809011923060000/
http://43142.diarynote.jp/200809071428140000/
http://43142.diarynote.jp/201001211346277187/
http://43142.diarynote.jp/201505201630381899/ 映画
▶︎過去の、P-ファンク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm 触れていないが、フジ・ロック
http://43142.diarynote.jp/?day=20090905
http://43142.diarynote.jp/201102081256005311/
http://43142.diarynote.jp/201304150853287353/
http://43142.diarynote.jp/201504131109395934/
https://43142.diarynote.jp/201612011925201175/
https://43142.diarynote.jp/201905010724461038/
▶︎過去の、オリヴァー・レイク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm ミチェル・ンデゲオチェル公演に同行
https://43142.diarynote.jp/201210021415382722/ WSQ
▶︎過去の、ロニー・ドレイトンの訃報
https://43142.diarynote.jp/202005181643344196/
▶過去の、ザ・ルーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
https://43142.diarynote.jp/201312200917503345/

<先週からの、悲しみ>
 今使っているマック・ブック・エアーに不満はないのだが、ストレージがいっぱい気味との表示が出て、4倍のストレージ容量を持つエアーを新たに購入。さぁバリバリ原稿を打つぞと思ったら、USBの穴が小さなものになっている。ありゃ。しょーがねえぷ〜と、旧USBを繋げることができるアダプターをネットで購入したら、なぜか届くのに5日もかかった。ともあれ、月曜にさっそくタシム・マシーンの外付けハード・ディスクを繋げたら、メーラーの部分がうまく移行できず。過去、なんどもタイム・マシーンで設定/データー移行をしてきているが、こんなこと初めてだ。また、過去使っていたワードのソフトが古いためか使用できなくなり、標準装備のPagesしか使えず戸惑う。アイフォンに同アイコンが入っていてこれはなんなのと思っていたが……。それの1行の文字数設定がIT弱者できねえよーとかいろいろで、寂しく旧エアーで仕事をしているわけだが、そうすると旧来PCが急にスリープ状態になってしまうときが出てきちゃい……。ああ”〜。しかし、マック・ブック・エアーが今年一番高い買い物となるはずで、オレの生活ってなんとなんと慎ましやかであることよ。それも、コロナ禍ゆえだよなー。

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