SMV。ラナ&フリップ
2008年9月8日 SWVとはスタンリー・クラーク、マーカス・ミラー(2007年12月13日)、ヴィクター・ウッテンの名前のキャップを並べたもの。技巧派電気ベース奏者3人(クラークはウッド・ベースも少し弾く)がつるんだユニットで、アルバムを出し、このサマー・シーズンに大々的にツアーをし日本にもやってきた。六本木・ビルボード東京(ファースト・ショウ)。サポートはキーボード奏者とドラマーだけ。プリセットのトラックは併用していたが、できるだけ3人のべースの音/技を聞かせましょう、という方策を持つ。ドラマーはウッテン人脈の人で、キーボード奏者はかつてミシェル・ンデゲオチェロのバンドにいたらしい。
こりゃ、大笑い。イロモノと言えばそうなんだが、腕と自尊心に覚えありの3人のベース奏者が自在に重なり合う様は売り物になるなと実感。生だと、誰がどの音を弾き、どういう奏法によるものなのかが分かるので相当おもしろい。個人が前面に出るときは他の二人が興味深そうに見守っていたりして、その風情も悪くない。さんざんギグを重ねてきたはずだが、そういうものなのか。もし、その“図”を演じていたのなら、それはそれで立派なプロ意識ですね。ミラーはベース・クラリネットを弾きながら、客席前部を歩ったりもした。
ぼくが一番ウフフとなれたのはクラークの演奏。一番大雑把と言えば大雑把だったかもしれないが、でかい手でばしばし豪快にスラッピングしたりコード弾きして行く様は快感。それに触れながら、彼のロッキッシュでもあった70年代前半のネンペラー期だけはなぜかけっこう夢中になって聞いたことを思い出す。だからこそ、ぼくは彼がジガブー・モデリステ(2007年2月3日)とリズム・セクションを組みキース・リチャーズらと70年代後半にツアーをやった(ザ・ニュー・バーバリアンズ)時も違和感を覚えなかったのだ。その鮮やかな迸りやはみ出す感覚は80年代頭のジャマラディーン・タクーマのごとし。コイツには黒人音楽の未来があるとタクーマに夢中になったことがあったけど、クラークの20代の頃もそういうところはあったはずだ。話はとんだが、同じ道を歩むものが笑顔で切磋琢磨する感じは横溢。三者ともに刺激を得て、その経験は後のそれぞれの活動に跳ね返るんじゃないか、とも思えた。
最後までは見ずに、目黒に移動。チャバンというお店で途中からにはなったが、オーストリアのウィーンから来ているラナ&フリップを見る。クロアチア出身のラナはアニー・ロスとベティ・カーターの間を自由に行き来するようなシンガー(ブラジリアン歌手も好きなよう)で、フリップはウィーン交響楽団の打楽器奏者を務めているが、クラシックはけっこうお仕事モードが入っているようで(とはいえ、その道では有名で、教鞭をとったりとか何度も来日しているそう)、ジャズが大好きという人物。その場合、ヴァイブラフォンを弾く。そんな彼は、京都のバンドのくるりのシンフォニック・ロックの傑作『ワルツを踊れ』で弦音をアレンジしてもいて、その流れでグループで今回来日した。
同行のアルト・サックス、ウッド・ベース、ドラムのサポートを受けてのもの。最初はセロニアス・モンクの曲をヴォーカル付きでやるユニットとしてスタートしたというが、本当に確かで瑞々しいジャズ流儀が横溢。総じてはしっかり過去の滋養を受けつつ、前を見た&自分をきっちり出したヴォーカル付きジャズ表現といったものを粋に提供。素晴らしい。すべて、オリジナルで固めた彼らの『ザ・ダスト・オブ・ザ・ウィーク』は大推奨盤です。エリック・ドルフィー好きというアルト奏者をはじめ、サイド陣も腕は確か。ウィーンとジャズはまったく結びつかないが、やっぱジャズの伝搬力/影響力は強いナ。実演だとラナの歌はより奔放で、フリップはもしNYで活動したら今ピカ一のヴァイブ奏者として話題をよぶんじゃないかと思えるほど。クラシックの世界にいながらこんなに巧みにジャズをこなす人は初めて知った。蛇足だが、ウィーン絡みで1人だけインターナショナルなジャズ系ミュージシャンがいた。元ウェザー・リポートのジョー・ザヴィヌル、その人。今は亡き彼はウィーンでジャズ・クラブを開いていたが、フリップは彼と仲良くしていたという。
こりゃ、大笑い。イロモノと言えばそうなんだが、腕と自尊心に覚えありの3人のベース奏者が自在に重なり合う様は売り物になるなと実感。生だと、誰がどの音を弾き、どういう奏法によるものなのかが分かるので相当おもしろい。個人が前面に出るときは他の二人が興味深そうに見守っていたりして、その風情も悪くない。さんざんギグを重ねてきたはずだが、そういうものなのか。もし、その“図”を演じていたのなら、それはそれで立派なプロ意識ですね。ミラーはベース・クラリネットを弾きながら、客席前部を歩ったりもした。
ぼくが一番ウフフとなれたのはクラークの演奏。一番大雑把と言えば大雑把だったかもしれないが、でかい手でばしばし豪快にスラッピングしたりコード弾きして行く様は快感。それに触れながら、彼のロッキッシュでもあった70年代前半のネンペラー期だけはなぜかけっこう夢中になって聞いたことを思い出す。だからこそ、ぼくは彼がジガブー・モデリステ(2007年2月3日)とリズム・セクションを組みキース・リチャーズらと70年代後半にツアーをやった(ザ・ニュー・バーバリアンズ)時も違和感を覚えなかったのだ。その鮮やかな迸りやはみ出す感覚は80年代頭のジャマラディーン・タクーマのごとし。コイツには黒人音楽の未来があるとタクーマに夢中になったことがあったけど、クラークの20代の頃もそういうところはあったはずだ。話はとんだが、同じ道を歩むものが笑顔で切磋琢磨する感じは横溢。三者ともに刺激を得て、その経験は後のそれぞれの活動に跳ね返るんじゃないか、とも思えた。
最後までは見ずに、目黒に移動。チャバンというお店で途中からにはなったが、オーストリアのウィーンから来ているラナ&フリップを見る。クロアチア出身のラナはアニー・ロスとベティ・カーターの間を自由に行き来するようなシンガー(ブラジリアン歌手も好きなよう)で、フリップはウィーン交響楽団の打楽器奏者を務めているが、クラシックはけっこうお仕事モードが入っているようで(とはいえ、その道では有名で、教鞭をとったりとか何度も来日しているそう)、ジャズが大好きという人物。その場合、ヴァイブラフォンを弾く。そんな彼は、京都のバンドのくるりのシンフォニック・ロックの傑作『ワルツを踊れ』で弦音をアレンジしてもいて、その流れでグループで今回来日した。
同行のアルト・サックス、ウッド・ベース、ドラムのサポートを受けてのもの。最初はセロニアス・モンクの曲をヴォーカル付きでやるユニットとしてスタートしたというが、本当に確かで瑞々しいジャズ流儀が横溢。総じてはしっかり過去の滋養を受けつつ、前を見た&自分をきっちり出したヴォーカル付きジャズ表現といったものを粋に提供。素晴らしい。すべて、オリジナルで固めた彼らの『ザ・ダスト・オブ・ザ・ウィーク』は大推奨盤です。エリック・ドルフィー好きというアルト奏者をはじめ、サイド陣も腕は確か。ウィーンとジャズはまったく結びつかないが、やっぱジャズの伝搬力/影響力は強いナ。実演だとラナの歌はより奔放で、フリップはもしNYで活動したら今ピカ一のヴァイブ奏者として話題をよぶんじゃないかと思えるほど。クラシックの世界にいながらこんなに巧みにジャズをこなす人は初めて知った。蛇足だが、ウィーン絡みで1人だけインターナショナルなジャズ系ミュージシャンがいた。元ウェザー・リポートのジョー・ザヴィヌル、その人。今は亡き彼はウィーンでジャズ・クラブを開いていたが、フリップは彼と仲良くしていたという。