<How To Tell A Life Story>

1 It Never Entered My Mind / Miles Davis 『Vol.3』(Blue Note,1954年)
2 Heaven/Jimmy Scott 『Heaven』(Warner Bros.,1996)
3 Alegrinho #2 / Egberto Gismonti Group『Música De Sobrevivência』(ECM,1993)
4 Cry Me A River / Julie London 『Julie Is Her Name』(Liberty,1955)
5 Milonga (La Puñalada) / Dino Saluzzi Group 『Mojotoro』(ECM,1992)
6 Willow Weep For Me / Tony Bennett 『On Holiday』(Columbia,1997)
7 Endless Days / Eberhard Weber 『Endless Days』(ECM.2001)
8 The Long And Winding Road / Ray Charles + The Count Basie Orchestra『Ray Sings - Basie Swings』(Hear Music/Concord ,2006)
9 It’s Only A Paper Moon / Paul McCartney ‎『Kisses On The Bottom』(Hear Music/Concord ,2012)
10 Smile / Gregory Porter 『Nat "King" Cole & Me』(Blue Note,2017)

<今日の、あらら>
 毎回更新されるたびに出していた、JALのジャズ・チャンネルの曲目リストだが、今回は忘れていた。あと、2週間で次のに変わってしまうなー。うっかり痴呆な、ぼくらしくはありますが。それに気づいたのは、フランス在住のリード奏者の仲野麻紀(2018年7月7日、2018年10月21日)から、JAL便で帰国した際にぼくが選曲したプログラムを聞いたとのメールを受けたから。KY というユニットでアルバムを出すことが多かった彼女であるが、この11月に映えあるソロ・アルバム『OPENRADIO』(openmusic)をリリースする。全曲自作、アルト・サックス、クラリネット類、ヴォイス、民族楽器などを、うっすら無理なく重ねたものが主で、完全ソロの曲もある。とにかく、豊かで研ぎ澄まされた音楽家であることが凛と出た内容で、そこには澄んだ我と自由が横溢している。
▶過去の、仲野麻紀 と ヤン・ピタール
http://43142.diarynote.jp/201807080932266789/
https://43142.diarynote.jp/201810221139492314/
https://43142.diarynote.jp/202102131109583628/ 下部

 軍の制服組トップや息子ブッシュ政権下で国防長官を務めた、著名アフリカ系アメリカ人であるコリン・パウエル(1937年4月5日〜2021年10月18日)の訃報が届いている。新型コロナ・ウィルス感染による合併症による。共和党員だったもののリベラルな人物と伝えられるが〜2020年の大統領選ではジョー・バイデンを推した。オバマのときもそうだったよう〜、ドナルド・トランプは今回の訃報を受けてパウエルを下品に揶揄する発信をしているので、確かにそうなのだろう。ジャマイカ系の貧しい家庭に育ち苦学して大学を出たあと陸軍入りし、差別が多いなか異例のエリート・コースに乗った人物……。そんな彼の姪にあたるのが、豪州生まれのR&B歌手であるデニ・ハインズ(2020年1月25日)だ。
▶︎過去の、デニ・ハインズ
https://43142.diarynote.jp/202001271121184491/

 渋谷・ル・シネマで、2020年ボスニア・ヘルツェゴビナ/オーストリア/ドイツ/フランス/オランダ/ノルウェー/ポーランド/ルーマニア/トルコ映画「アイダよ、何処へ?」(原題:QUO VADIS, AIDA?)を見る。悲惨な事実を題材にすることもあるだろうが、とっても緊張感がありまくり、もう飽きやすいぼくも引き込まれ続け、見切った。この映画、ユーゴ解体を発端とするボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の末期に起こったスレブレニツァの虐殺を題材とする。

 監督と脚本は、1974年サラエヴォ生まれのヤスミラ・ジュバニッチ。多感な時期にボスニア紛争に触れている彼女はサラエヴォの美術大学を出たあと、一時は米国に住んでいたこともあるようだ。そして、属性とつながる4作品を撮り映画監督としての国際的な評価が定まるなか、スレブレニツァの虐殺を鋭意テーマとして取り上げたようだ。

 1995年7月、セルビア人勢力のスルプスカ共和国軍が、国連が管理する(オランダ軍がそれにあたったよう)安全地帯であるスレブレニツァに侵攻し、避難民を連れ去り、うち男性8000人を大虐殺するという事実に基づく。役者は旧ユーゴスラビアのセルヴィア人やモンテグロ人、国連兵士役のオランダ人やベルギー人など。言葉は、ボスニア語、英語、セルビア語、オランダ語が使われている。

 表題にあるアイダとは教師をしていた主人公の名前で、国連軍の通訳を勤めていた彼女の目線で、またその夫や息子たちとのやりとりなども絡め、とんでもない暴挙を丁寧に淡々と、ながらエモーショナルに描いていく。いやあ、よくできている。国連管理の施設に殺到する避難民の数の多さたるや。そのシーンはことの大きさを伝えるために必要な光景であるのだが、よくぞあれだけ膨大な数の人たちを動員しているな。そんな短い場面からも、本作に対する力の注ぎ方、真摯さなどはひしひしと感じてしまうのではないか。

 劇中、ほぼ音楽は使われない。でも、確かな映像と演技と筋があれば、音楽は必要なものではないとということも、この映画は指し示すか。

<今日の、偶然>
 生理的に明るくなく、ひりひりする質感を持つ佳作だった。ではあったののの、終演後に飲食に流れようとしたら知人チームとばったり会い、たのしく宴。幸せを感じる。自分の”引き”の良さも。ところで、エンヤ他多数のリーダー作を持つトランペットの奏者のダスコ・ゴイコヴィッチはボスニア生まれ、サッカーのイビチャ・オシムはサラエヴォ生まれでドラガン・ストイコビッチはセルビアの生まれ。ぼくはそちらの鍵からこの辺りの不幸な歴史に興味を持った。のかな?

 横尾忠則の日、だな。六本木・21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3と東京都現代美術館。前者はカルティエ企画で無料だ。

 まずは、六本木のほうは、小さなサイズの肖像画を139点展示する。確か、2020〜2021年とデーター表示がされていたか。カルティエ現代美術財団の依頼のもとアーティストや学者などが顔中心で描かれ、海外の人が多い。でも、写真家の森山大山などは2点展示されていた。写真を見ながら軽めに書きましたという感じか。でも、近年の彼のタッチや発想は伝わる。原画があっさり置かれていて、すんごく身近に見れて(^ ^)。

 その後は、下町のMo+へ。当人監修による展覧会で、こちらはデカいサイズの作品を600点以上展示する。1960年代から現在までの、非商業作〜画家横尾忠則の作品群が主に並ぶとしていいのか。アクリルと油絵を用いてキャンバスに描く作品が多かった。時期によって、作風やモチーフとなるものは異なるが、その動きもまたとっても興味深い。そして、驚かされたのは、こちらも2020〜2021年のものも多数展示されていること。1936年、そのまったく衰えない想像意欲/量に驚きまくり。平日なのにけっこう人が多くて、何気に飛ばし見してしまったが、それでも横尾ワールドの妙は山ほど受けることができた。

▶︎過去の、“横尾忠則、初のブックデザイン展”
https://43142.diarynote.jp/201211231437358985/ 下方

<今日の、感服>
 東京都現代美術館のほうの売店横のホワイエの壁や柱には、コロナ禍であることを逆手に取った、人物にマスクを被せた作品が山のように貼られていた。そこには、六本木で展示されていた肖像画も使われていた。この作業だけでも、相当な創作量と思わずにはいられず。あぁ横尾忠則、超人なり。

 巨星墜つ。という書き方がなんら違和感のない、偉大なアイルランド人音楽家であるパディ・モローニがお亡くなりになった。彼は世界中に影響を与えたトラッド・グループのザ・チーフタンズ(1999年5月29日、2001年5月20日、2007年6月1日、2012年11月22日、2012年11月30日、2017年11月30日)でイーリアン・パイプやホイッスルを担当し、メインの作編曲もしていた偉才だ。すぐに、同国大統領も声明を出したという。来日もいろいろ、そのときの様々な所作が思い出される。

▶過去のザ・チーフタンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200706061351080000/
http://43142.diarynote.jp/201209181228508895/
http://43142.diarynote.jp/201211241109408189/
http://43142.diarynote.jp/201212111331075592/
https://43142.diarynote.jp/201712011129041106/

 また、英国で活躍した米国人ベーシストであるディオン・エスタスの訃報も届いている。デトロイト生まれでジェイムス・ジェマーソンにベースを習ったりした彼は、同地のR&Bセルフ・コンテインド・バンドであるブレインストーム(ベリータ・ウッズもここから出た)の2作のレコーディングに参加するなど10代のころから頭角を著し、ジニー“ギター”ワトソンやハーヴィ・メイソン(2002年8月11日、2010年7月9日、2011年6月21日、2014年5月28日、2016年4月5日、2017年9月1日、2019年10月17日)のアルバムにも録音参加した。だが、1980年代初頭に渡欧し、ベルギーやアイルランドを経てロンドンに。そして、彼はエルトン・ジョンやワム!のレコーディングに関わり、とくにワム!解散後もジョージ・マイケル表現に関与、1988年には彼も部分関与した自らヴォーカルを取る『Spell』(Mika,1989年)を発表した。死因は発表されていない。

▶過去の、ハーヴィー・メイソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-8.htm 8月11日、トム・スコット
http://43142.diarynote.jp/201007110625087085/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110621
http://43142.diarynote.jp/?day=20140528
http://43142.diarynote.jp/201604060850393487/
https://43142.diarynote.jp/201709071307037021/
https://43142.diarynote.jp/201910180828345862/

 外苑前・ギャガ試写室で、2021年日本映画『サヨナラアメリカ』を見る。2019年5〜6月に行われた細野晴臣(2009年10月12日、2010年4月15日、2010年11月21日、2011年8月7日ち2012年8月12日、2012年9月5日、2013年1月29日、2013年8月7日、2013年8月11日、2014年10月25日、2017年11月13日)の2箇所の米国公演の模様を伝えるドキュメンタリーだ。監督は細野の過去〜現在を括った2019年映画『NO SMOKING』を撮った佐渡岳利。それ、ぼくは未見だ。

 ギターをつまびきながら歌う御大をサポートするのは、ギター/スティール・ギター/マンドリンの高田漣(2007年1月27日、2007年11月27日、2009年10月31日、2014年10月25日、2018年10月20日)、ダブル・ベース/電気ベースの伊賀航(2021年5月26日)、ドラムの伊藤大地(2013年2月5日、2013年9月20日、2015年7月27日、2018年10月20日) 、キーボードとアコーディオンの野村卓史の4人。ホーギー・カーマイケルらのカヴァーも含む、ルーツィなアメイリカン・ミュージックを根に置く、ここのところ見せている手作り/滋味ホソノ・ミュージック路線ですね。まあ、はっぴえんど後の初ソロ・アルバム『HOSONO HOUSE』(ベルウッド、1973年)に最大級の成熟とともに戻った、なんて言い方もできるかもしれない。

 ライヴ映像は頭にニューヨーク公演(グラマシー・シアターで、定員650人。2日間行われた)の模様が紹介される以外は、マヤ・シアターにおけるロサンゼルス公演の映像がずっと使われる。1700人キャパのそっちのソースは『あめりか / Hosono Haruomi Live in US 2019』(ビクター、2019年)でアルバム化されている。各曲はけっこうカットされずに使われ、そうした指針はじっくりと細野の米国公演を共有しているという気持ちになれるか。観客へのインタヴューは聞いていて、楽しい。米国人のなかでも珍しい方の部類に入る人たちだろうけど、みんなよく細野の音楽を聞いている(何気に『フィルハーモニー』が人気?)な。

 終始、いい感じで観客に受けるアメリカにおける細野晴臣……。タイトルの、「SAYONARA AMERICA」はラリってスタジオに乱入してきたヴァン・ダイク・パークス(2013年1月29日。このLA公演の楽屋にも出てくる)の関与がなかったら出来上がらなかったと言われる はっぴえんどの1973年LA録音曲「さよならアメリカ さよならニッポン」からの引用か。あの曲は日本にも米国にも違和感を覚える根無し草なワタシという意味合いを込めていたと思うが、この映画では、自分の音楽に多大なインスピレーションを与えてくれたアメリカ合衆国への落とし前(恩返し)ができた、という心境の反映のように感じられる。

 監督の佐渡は1990年入局のNHK職員であり、この映画はNHKエンタープライズの制作。結構な経験を持つようだが、その映像構成手腕は他の多くのこの手の音楽映画を見ている者としては上等ではない。特にそう感じてしまうのは、古い映画や記録映像をインサートするときの手際。その映像の探し方が浅く、入れ方が単純で画一的。それ、残念ながら細野の音楽錬金の様とまったく釣り合っていない。←これについては、「サマー・オブ・ソウル」(2021年7月21日)でのクエストラヴのあまりに見事な手腕がいまだ鮮やかに頭のなかに残っているせいかもしれないが。

 冒頭の方に出てくる、彼が東京のビルの屋上に立つシーンは、2021年9月とデーターが出されていたような。ずっと引きこもっていたので、細野はかなり長髪になっている。髪の毛、豊かですね。そのシーンに本人のこの現況を受けての独白が入るわけだが、コロナ禍にある音楽家としての矜持にそれは満ちる。言っている内容はまったくもって正。ながら、格好良すぎてなんか浮く? 映画には今年に入ってからの、「あのときツアーができてよかったね」的なメンバーたちとのトーク(ラジオ放送のための際のものか)場面も入る。というわけで、新型コロナ・ウィルスによるパンデミック以降という視点が加えられた映画にもなっている。この11月上旬から公開されます。

▶過去の、細野晴臣
http://43142.diarynote.jp/200910141731349364/
http://43142.diarynote.jp/201004180836405961/
http://43142.diarynote.jp/201011250550109951/
http://43142.diarynote.jp/201208201258419318/
http://43142.diarynote.jp/201209181238434594/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130129
http://43142.diarynote.jp/?day=20130807
http://43142.diarynote.jp/201108101635051749/
http://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
http://43142.diarynote.jp/201410301511243448/
http://43142.diarynote.jp/201711141337544172/
▶︎過去の、高田漣
http://43142.diarynote.jp/200702010112550000/
http://43142.diarynote.jp/200711290932200000/
http://43142.diarynote.jp/200911010931589797/
http://43142.diarynote.jp/201410301511243448/ 細野
https://43142.diarynote.jp/201810211009327305/
▶︎過去の、伊賀航
https://43142.diarynote.jp/202105271048588035/
▶過去の、伊藤大地
http://43142.diarynote.jp/201302091324078636/
http://43142.diarynote.jp/201309220902394351/
https://43142.diarynote.jp/201508050852067247/
https://43142.diarynote.jp/201810211009327305/
▶過去の、ヴァン・ダイク・パークス
http://43142.diarynote.jp/201301311032072367/
▶︎過去の、映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』
https://43142.diarynote.jp/202107220942576811/

<今日の、記憶>
 細野晴臣に取材したのは、1度だけ。『オムニ・サイト・シーイング』(エピック、1993年)リリースの際に、白金でインタヴューをした。例のフラットな飄々トーンで、ある種宇宙を感じさせる返答をしてくれたと記憶する。それは自分のキャパシティではそれに追いつかないと感じた、という意味合いも含むかな。

https://www.facebook.com/events/543538766938865/?acontext=%7B%22source%22%3A%2229%22%2C%22ref_notif_type%22%3A%22plan_user_joined%22%2C%22action_history%22%3A%22null%22%7D¬if_id=1632452019457312¬if_t=plan_user_joined&ref=notif

 選曲のポイントは2人が親しんできた音楽観形成に寄与した新旧の素材を介して、我々ならではの切り口のもと、史実を踏まえつつ現在ならではの新しい解釈を加えていくということが主眼となります。
 たとえば、吉成伸幸といえば1970年前後にサンフランシスコに居住していたため当時の同界隈や米国音楽界を語るアイテムはもちろん選曲されまが、それらを彼は今どう捉えているのか。そこから、彼の意外な音楽嗜好が浮かび上がるかもしれません。
 一方、佐藤英輔はロックやファンクやジャズなどおっちょこちょいな雑食主義のもと執筆活動を続けてきました(この9月で、フリーランス35周年!)が、どんな楽曲/アーティスト群がそうした姿勢を導き、現在に至ったのか。
 また、一般には見落とされているものながら得難いと思っているものを紹介できればとも考えます。そして、それら曲群はバック・トゥ・バックにて回され、場の流れとともに臨機応援。共に、どうにでも対応できるように多めの素材を持参します。それぞれに出したアイテムをお互いが忌憚のない意見を交わし、また来場いただけた方々の意見も伺いつつ(アイテムご持参も歓迎します)、広義のポピュラー・ミュージックの積み重ねの様や意義が浮き上がればと思います。
 近年は本当に示唆に富む秀でた映画音楽が続けざまに公開されていますが、そこにも我々ならではの見解や音盤回しが反映されればと思います。言及したいことは山ほど、ゆえにかける音のフェイド・アウトはご容赦を。トーク後はゆっくり時間を設けその完全版をかけることも可能ですし、本編で回すことができなかったものを紹介することも可能です。土曜の昼下がりから夜の帳が下りるまで、音楽愛好の誉れやこだわりを確認できるような時間となれば幸いです。

 毎年、池袋・東京芸術劇場で持たれている音楽フェスティヴァルの、昼下がりに行われた<スペシャル・コンサート>を見る。ロンドン在住の現代音楽家の藤倉大が仕切るもので、今年で5回目となる。ぼくが藤倉の名を知ったのは、ギタリストの笹久保伸(2013年8月29日、2014年5月24日、2014年12月12日、2017年2月4日、2018年6月3日、2019年11月24日、2020年9月18日、2021年2月14日、2021年7月10日)とのデーター交換によるエレクトロニカ傾向作『マナヤチャヤ』(ソニー)によってであった。この2人がどういう経緯で一緒の出し物を作ることになったかは知らないが、いろんな人たちが出る正味2時間にわたるプログラムを見ても、しなやかにして顔の広い人なんだろうと思わせられる。

 話は脱線するが、今年の笹久保伸のリモート期であることを逆手にとった快進撃はすごい。モニカ・サルマーゾ(2017年10月8日)やアントニオ・ロウレイロ(2013年8月29日、2013年9月6日、2017年4月15日 )、サム・ゲンデルら5人とそれぞれ“電線”対話した『CHICHIBU』(Chichibu)に続き、LAのあららな異才であるサム・ゲンデルとの『SAM GENDEL & SHIN SASAKUBO』(カルネ音楽部)、フランスのは破格鋭敏ギタリストのノエル・アクショテとのデュオ『Auto & Bauto』(Bandcamp)と、国外の大逸材と重なりあう好作品をこの半年間に彼は連発しているのだから、すごすぎ。口アングリ、耳ばっくり。うむ、彼もここに加えて欲しかったな。

 笙の東野珠実(2014年12月11日 )や箏の八木美知依(2008年8月24日、2008年9月25日)など和の楽器や回路をワープさせる出し物や、佐藤紀雄が率いる“アンサンブル+”による演奏など出し物はいろいろ。締めの曲は藤倉の曲を佐藤のノマド・アンサンブルと名付けられた20人ほどの弦楽器奏者たちが演奏する曲だったが、とっても重なりの妙が現れたもので引き込まれる。チェロ3とコントラバス1しか低音の楽器がいないのにそっちがとても豊かに聞こえたのにも頷く。その曲では、指揮をとるただのおじさんぽい佐藤がとっても立派に見えた。

 また、ヤン・バングと藤倉の協調映像も出されたり、大友良英(2002年3月17日、2003年6月28日、2004年2月6日、2004年10月10日、2004年11月7日、2005年4月26日、2006年1月21日、2006年4月18日、2007年4月21日、2009年5月31日、2011年6月8日、2012年3月21日、2013年7月13日、2016年9月4日、2016年10月27日、2019年11月12日)の偶発性にも満ちた曲を子供達とノマド・アンサンブルでやる曲もある。大友は毎回このフェスに作品を出しているようだが、いろんな枠を超えようとしつつユーモラスでもあるそれはやはり面白かった。

 根っこには、現代音楽ビヨンドの面白がり精神や実験性が。そして、まず作曲(といっても、どういう書かれ方がされているのかと思わすものもあるのが要点。多く曲は世界/日本初演と紹介されていた)あり、それらを一筋縄では行かない人選や編成で開き、その先にある創造的な何かをも求める催しが、大掛かりに実践されていることに安堵のようなものも覚えた。このライヴ評は日経新聞10月13日夕刊に出ます。

▶過去の、笹久保伸
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201405271717357738/
http://43142.diarynote.jp/201412281015581474/
http://43142.diarynote.jp/201702081153548285/
http://43142.diarynote.jp/201710061415044353/
https://43142.diarynote.jp/201806051522321880/
https://43142.diarynote.jp/201911251210191459/
https://43142.diarynote.jp/202009190752549504/
https://43142.diarynote.jp/202102151301034903/
https://43142.diarynote.jp/202107111030289457/
▶︎過去の、モニカ・サルマーゾ
https://43142.diarynote.jp/201710121700178187/
▶過去の、アントニオ・ロウレイロ
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
https://43142.diarynote.jp/201704170805443358/
▶︎過去の、東野珠実
https://43142.diarynote.jp/201412251103164767/
▶過去の、八木美知依
http://43142.diarynote.jp/200808260821260000/
http://43142.diarynote.jp/200809270215092074/
▶︎過去の、大友良英
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/200402061359140000/
http://43142.diarynote.jp/200410162220330000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20041107
http://43142.diarynote.jp/200504301042210000/
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
http://43142.diarynote.jp/200604210538510000/
http://43142.diarynote.jp/200704251227010000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090531
http://43142.diarynote.jp/201106141341111340/
http://43142.diarynote.jp/201203260805006088/
http://43142.diarynote.jp/201307160735048974/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
https://43142.diarynote.jp/201610310943306583/
https://43142.diarynote.jp/201911131405562579/

<今日は、盛りだくさん>
 公演後、受け付け階に降りると、ドラム音が聞こえてくる。おお、横のほうにあるガラス貼りのスペースで、八木美知依と本田珠也 (2000年5月9日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年10月13日、2007年12月4日、2011年5月5日、2012年7月16日、2013年7月27日、2015年5月20日、2018年1月19日、2018年4月7日、2019年7月16日、2021年4月6日、2021年4月14日)の2人がリハーサルをやっている。それは2時間後の無料(と思う)の出し物でとても興味惹かれるが、別の用事を入れてしまった。それをはじめ、昨日〜今日の2日間に渡りこの会場建物のあちこちでいろんな出し物が持たれているよう。地下の2箇所ではアンビエント音を流す部屋が2つあったし、またその階下では、ヤン・バングとアイヴィン・オールセット(2001年9月28日、2003年6月28日、2008年11月13日、2010年9月5日、2017年1月28日、2018年9月18日)のデュオ、さらにニルス・ッペッター・モルヴェル(2001年9月28日、2005年8月20日、2008年11月13日、2018年9月18日)らのパフォーマンス映像を見せる会場もあった。オールセットらノルウェー勢は本来この催しに出ることになってたが、この新型コロナ禍においては訪日が難しいので、映像提供となったよう。
 そういえば、今週頭にオスロ在住のピアニストである田中鮎美(2016年10月29日)にズーム取材をした。彼女はすでにピアニストとして入ったタイム・イズ・ア・ブラインド・ガイドの『Lucus』(2018年)とトーマス・ストレーネン/田中鮎美/マルテ・レア三者名画の『Bayou』(2021年)がECMからリリースされているが、この10月に晴れて田中鮎美トリオの『スベイクエアス・サイレンス』(彼女はそれに、−水響く− という邦題をつけた)が同社から発売される。田中鮎美トリオは『Memento』‎(AMP、2016年)というアルバムを出しているが、同じ顔ぶれで録った『スベイクエアス・サイレンス−水響く− 』は実は自分たちで録音を済ませており、別のレーベルから出そうとしていたのだという。だが、マンフレート・アイヒャーが同作を気に入り、見事ECMからの発売となったそう。曲順と一部の曲の尺はアイヒャーが変えたそうだが、録音(場所も)には一切していない。それ、アイヒャー制作のクレジットがあるECM作としてはレアなケースとなるのではないか。ピアニストのマイケル・ケイン(2003年11月18日、同23日)唯一のECM作『Circa』(1997年)も録音の場にアイヒャーがいなかったアルバムだったが(渡ノルウェー直前に骨折入院してしまい、アイヒャー抜きでレインボウ・スタジオで録音された)、その事実が内容に関係していると、ケインはかつて言っていたことがあった。すごい円満な印象を与える田中鮎美のインタヴューは、ミュージック・マガジンの11月号に掲載。ECMが作った彼女のEPK→https://www.youtube.com/watch?v=6u7YjeIDcJY

▶過去の、本田珠也
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm 菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm 菊地雅章
http://43142.diarynote.jp/200410162306570000/
http://43142.diarynote.jp/200712151621260000/
http://43142.diarynote.jp/201105101010399933/
http://43142.diarynote.jp/201207180824136323/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201907180809371988/
https://43142.diarynote.jp/202104071750586426/
https://43142.diarynote.jp/202104151741019185/
▶︎過去の、ニルス・ぺッター・モルヴェル
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-9.htm 2001年9月28日
http://43142.diarynote.jp/200508230544440000/ 東京ジャズ
http://43142.diarynote.jp/200811141532429331/
https://43142.diarynote.jp/201809191422205248/
▶︎過去の、アイヴィン・オールセット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-9.htm 2001年9月28日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm 2003年6月28日
http://43142.diarynote.jp/200811141532429331/
http://43142.diarynote.jp/201009171511588216/
http://43142.diarynote.jp/?day=20170128
https://43142.diarynote.jp/201809191422205248/
▶︎過去の、田中鮎美/ナカマ
https://43142.diarynote.jp/201610311234024646/
▶︎過去の、マイケル・ケイン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm ミシェル・ンデゲオチェロ

 英国ロック史を確実に彩ったステイタス・クオーのオリジナルのベーシストであり、曲作りや歌でも貢献したアラン・ランカスターが亡くなった。ずっと、多発性硬化症を患っていたよう。

 前身バンドの結成は1962年だそうで、中学に入った頃だったのか。パイからのアルバム・デビューは1968年で、ランカスターはまた10代だったんだな。1970年代前半からはヴァーティゴからアルバムを出すようになり人気急上昇し、大人気バンドとなった。当時、ステイタス・クオーは日本の雑誌ではブギ・バンドと紹介されていて、ぼくはそれでブギという言葉を知った。ある種のグツグツしたギター・リフ採用をさしてその言葉が使われた(それと対比的とも言える、柔らかいヴィーカルやちょっとしたポップ性が彼らの特徴であったか)と思うが、今のぼくの耳にはあまりブギには聞こえませんね。

 ランカスターはライヴ・エイドにバンドとして出演した1885年に脱退したと報道されているが、それ以前からオーストラリアに住むようになっていたよう。なんでも、1973年にスレイドらとツアーで豪州に行った際に奥様と出会い、すでに45年の居住歴であったという。1987年にはオーストラリアで組んだザ・ボマーズというバンドで、A&Mと契約もした。とってもオーストラリアを気に入り、彼の親族もごっそり豪州に移住してしまったとも聞く。

 そして、うわあそりゃないぜ〜な訃報も届いた。我が道を行く、ジャズ・オルガン奏者のドクター・ロニー・スミス(2015年7月2日、2018年7月28日)。ニューヨーク州バッファロー生まれで、ニューヨーク在住が長かったはずだが、亡くなったのはフロリダ州のフォート・ローダーデイル(←何気に成功者と思ってしまう?)。死因は、肺にまつわる疾患であったという。新作『ブリーズ』(ブルーノート、2021年)にはイギー・ポップが諦観ヴォーカルで2曲参加し、ティミー・トーマスとドノヴァンの曲を一緒にやっていた。とにもかくにもアフリカ系米国人ミュージシャンはこうあったらうれしい的な美点をたんまり持つ傑物であり、逸材。その様は、下のリンクから2015年の来日公演の模様を見ていただきたい。え〜ん、まだまだ生き、素敵な変をいっぱい出してくれると思っていたのに。どうぞ、安らかに。

▶︎過去の、ドクター・ロニー・スミス
http://43142.diarynote.jp/201507030846173120/
http://43142.diarynote.jp/201807290828583298/

<今日の、びっくり>
 独メルス・フェスティヴァル(2004年5月28〜31日。今は、ニュー・ジャズの呼称がフェス名から外されたよう)は今年ちゃんと開催され、メイン会場は野外で観客が離れて座ることで持たれた(そこに、ジョン・スコフィールドはソロで出演した?)ようだ。同祭、今年は50周年にあたるようだが、それを祝ってメルスのサイトに提出したジャマラディーン・タクーマ(2014年7月28日)主導のオーディン・ポープ+3のフィリー発の実演映像をタクーマ自身が紹介しているのを見つけた。2人に加え、ドラムのコーネル・ロチェスターとダブル・ベースのウォレン・オリーからなるカルテットによる演奏。なんだが、ぬわんとタクーマもダブル・ベースを弾いているじゃないか! 少しは弾くんだよと言っていたことがあったが、彼がアップライトを弾くのを見るのは初めてとなるような? 演奏途中からは電気に持ち替えるもののずっとツイン・ベース編成でことにあたる。マックス・ローチのお気に入り奏者であったことでも知られるポープ(1938年生まれ。まだ、元気だ)のデビュー作はフェスと連動したメルス・レーベル発。ジェラルド・ヴィーズリー(2004年3月24日、2010年6月17日)とコーネル・ロチェスターとの疾走トリオ盤『Almost Like Me』は当時本当によく聞いた。パンク・ロックや爆発ファンクと横並びで……。
▶︎過去の、メルス・ニュー・ジャズ・フェスティヴァル
https://43142.diarynote.jp/200406062249580000/
https://43142.diarynote.jp/200406080043380000/
https://43142.diarynote.jp/200406090118170000/
https://43142.diarynote.jp/200406100011020000/
▶︎過去の、ジャマラディーン・タクーマ
http://43142.diarynote.jp/201408051026553769/
▶︎そのタクーマやポープたちの映像
https://moers-festival.de/en/50-years-of-moers/50-weeks-50-greets/17?fbclid=IwAR0wRquQ2MS7lP_H8QZIfBs8QePSzAk5CJc0-QeA4Sw2CSRT94x_zO4Eoz8
▶︎過去の、ジェラルド・ビーズリー
https://43142.diarynote.jp/200403241554160000/
https://43142.diarynote.jp/201006181524353169/

 まず、丸の内・コットンクラブで、米国ブラック・ミュージックの良質な消化をしてきている日本人ビート・バンドを見る。ファースト・ショウ。ビクターと関係を持つ前のインディ発のセカンド作『beach party』をすべて、アルバムと同じ順でやるという設定を持つ。オリジナルが2001年の発表で、今年がリリース20周年となるのか。そんな符号にくわえ、本人たちのなかでこのアルバムには思い入れがあるんだろうな。

 スピチュアル・ジャズ調曲が流されるなか、例によりそれぞれにスーツを身にまとう4人のメンバーが登場する。みんな体型を保っていて、それほど老けた感じがないのは何より。まずは、フロントに立ち太い声で歌うコヤアマシュウ(少しブルース・ハープを吹く場合もある)によるMCがリードする、ソウル・ショウのごとき煽りパートで始まる。その後、アルバムの曲だけやると40分で終わってしまうというので、冒頭3曲は同作には入っていない、彼らの夏をテーマにした曲を披露した。

 バンドを組んで、四半世紀を超えるのか。立派なキャリアだな。骨太のR&B/ファンク愛好と、日本人聞き手の獲得につながるメロウネス/親しみやすさの拮抗を成就させてきた自負が、伸び盛り期の楽曲群とともに溢れ出る。ときに、簡単なコーラスが効いた曲もある。ギタリストはセミ・アコースティック型(それより少しボディが厚めに見えた)のエレクトリック・ギターを構えていて、少しジャジーなソロ取る場合もあり。ギミックなしの1時間、キーボードレスの3ピースのバンド表現の良さもぼくは再確認した。

 続いて、青山・月見ル君想フ。全10回持たれたピアニスト同士のデュオ企画<2PIANO4HANDS>の、最終の回を見る。林正樹(2013年9月6日、2015年9月27日、2015年12月17日、2016年7月16日、2018年5月13日 、2019年1月7日、2019年10月6日、2019年11月19日、2019年11月21日、2019年12月18日、2020年8月28日、2020年10月29日、2020年11月14日、2021年4月19日)と新進の梅井美咲の組み合わせだ。1度リハーサルして、本番に臨んだよう。

 お互いの曲を交互に、その場の流れで選び、弾き重ねる。もう、十全の噛み合わせを持ち、見事な相乗発展を見せる。「すごいなあ」(林)。「幸せです」(梅井)。その言葉が曲間のMCの際、両者から繰り返される。林からは、またやりたいなあ、という言葉も梅井は途中で引き出した。彼女は2002年の早生まれ。昨年音大に通うために、関西から上京した。とはいえ、今年早々にデビュー作『humoresque』(Brilliant Works)をリリースし、丸の内・コットンクラブでリーダー公演を持つなどしている。林はちょうど、梅井の二回り上であるとか。

 打てば響く、そんな2人のピアノ音は美しい弧を描いて宙に避けていく。雄弁な間や情感も抱える瞬発性に富んだ音を連鎖させていく様に、トリオで録音された昨年録音の『humoresque』とはまた別の梅井がここにいると思った。MCによれば、この組み合わせはダメ元で梅井が林を指名したそう。彼女は小学校2年生のときから林のピアノを聞いていたんだとか。わわ。林は自分の曲でも譜面を確認用に置いていたのに、梅井は自作曲は当然こと林の曲もすべて空で弾いた。林は8分の21拍子(5・5・5・6、と勘定するそう)を提出したりもし、それはケーナ奏者の岩川光(2014年2月9日、2018年7月7日)とのユニットのために書いたと紹介されたか。

 曲群は、十全にインプロヴァイズされるものの、詩的で、ストーリー・テリングする感覚を聞く者に与える。梅井の曲は、すべて今年になって書いたそう。伸び盛りきわまりないな。彼女は、林を相手に想定しピアノ2台のために書いた曲も持ってきた。林が参画する須川崇志バンクシア・トリオ(2020年10月29日、2021年4月19日)用に彼が書いた曲は1番アグレッシヴな曲調を持ち、そのとき梅井の左手は拳うちを何度もした。

▶過去の、林正樹
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
http://43142.diarynote.jp/201607191312426603/
https://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
https://43142.diarynote.jp/201910070759405954/
https://43142.diarynote.jp/201911201705565775/
https://43142.diarynote.jp/201911230723444744/
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
https://43142.diarynote.jp/202008290914077509/
https://43142.diarynote.jp/202010300958115053/
https://43142.diarynote.jp/202011150954203089/
https://43142.diarynote.jp/202104211350032210/
▶︎過去の、岩川光
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
https://43142.diarynote.jp/201807080932266789/
▶︎過去の、須川崇志バンクシア・トリオ
https://43142.diarynote.jp/202010300958115053/
https://43142.diarynote.jp/202104211350032210/

<今日の、ちょぴっとの感慨とぼう〜>
 うわー、6日連続でライヴ行き。はしごがあったりもして、見た公演数は9つ。日常が戻ってきたァなんては思わないが〜お酒飲めないしね〜、なんか少しうれしい。って、明日からまた5日間はまたライヴ行きの予定はない。ところで、この1ヶ月、なんだか時間がたつスピードが早い。ぼくは確か1986年9月15日付けで、新卒で入った出版社をやめた。つまり、この9月15日はフリー35周年となるのだったが、見事に忘れていた。がびーん。なんか。ここのところふわふわもしている。
 サルサの名ボンゴ/パーカッション奏者がお亡くなりになった。気分が悪くなり病院に救急車で運ばれるなか、心臓発作で息を引き取った。2人の娘がつきそっていたようだ。プエルトリコ生まれ、同国を代表するエル・グラン・コンボに初期から関わり、1969年以降は自己バンドのアポロ・サウンドを組んで意気揚々の活動をした。そのグループ名は映画「サマー・オブ・ソウル」(2021年7月21日)でも触れられる、アポロ11号の月面着陸を受けてのものだった。

 それほど追ってはいるわけではないが、そんな彼はぼくにとってはファニア・レコーズ・ガイ。ファニア・オールスターズのアルバムにずっと名前が見られ(もちろん、映画『アワ・テンン・シング』にも出ているはず)、山ほどのリーダー作も同社から出している。彼は秀でたダンサーでもあったようで、賑やかしの人であり、音楽的にも好奇心旺盛だった。

 プエルトリコでは26日に彼の功績を称えて喪に服し、公共の建物には半旗が掲げられるという。

▶︎過去の、映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』
https://43142.diarynote.jp/202107220942576811/
▶︎過去の、映画「アワ・ラテン・シング」
https://43142.diarynote.jp/202107081155351857/

 あー。ピー・ウィ・エリス(2005年9月24日、2007年9月13日、2008年4月1日、2012年4月9日、2012年11月21日、2013年7月4日、2016年2月3日)も亡くなってしまった。1960年代下半期にジェイムズ・ブラウン(2000年8月5日)のバンドに在籍、その際は「コールド・スウェット」、「セイ・イット・ラウド、アイム・ブラック・アンド・アイム・プラウド」、インストの「チキン」などの曲作りにも貢献した。

 フロリダ州、テキサス州を経て、ニューヨークでマンハッタン音楽院に学び(そのころ路上でソニー・ロリンズ〜2005年11月11日〜に会ったことがきっかけで、個人レッスンを受けている)、その後はフロリダ州で演奏。JBとのシンシナティ拠点の活動を経て、1969年以降はまたニューヨークに住み、1970年代後半にはサンフランシスコに居住したという。移動を厭わない人であったのだな。1970年代上半期は、リオン・トーマス、ジャック・マクダフ、デイヴ・リーブマンらジャズ流れのアルバム参加が目に付く。また、1970年代後期から1980年代半ばにかけてヴァン・モリソンのバンドに音楽監督として関わった。実は、エリスのモリソン作への参加数はけっこうある。

 1980年代後期以降は、ザ・JBズの同僚のメイシオ・パーカー(1999年8月6~8日、1999年10月28日、2001年4月17日、2002年11月19日、2005年9月6日、2007年9月13日、2009年1月21日、2010年2月16日、2010年9月3日、2013年2月2日、2015年7月27日、2016年7月18日、2018年6月8日)とフレッド・ウェズリー(1999年10月25日、2007年2月2日、2007年2月4日、2007年4月18日、2007年9月13日)2008年4月1日、2014年10月28日)とともにJBの財産を引き継ぐ活動で脚光を浴び、リーダー作もいろいろとリリースした。その流れでパーカーは米国在住ながら英国の会社にマネージメントを委ねるようになったが、エリスもいつのころからか英国に住んでいた。

▶︎過去の、ピー・ウィー・エリス
http://43142.diarynote.jp/?day=20050924 オマール・ソーサ
http://43142.diarynote.jp/200709171112310000/ メイシオ/ウェズリー/エリス
http://43142.diarynote.jp/200804030050390000/ RAD
http://43142.diarynote.jp/201204150858456025/ エリス
http://43142.diarynote.jp/?day=20121121 ジンジャー・ベイカー
http://43142.diarynote.jp/201307071319405650/ ザ・エリスズ・ファンク・アセンブリー
http://43142.diarynote.jp/201602040957261258/ ザ・エリスズ・ファンク・アセンブリー
▶過去の、JB(関連)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm サマーソニック
https://43142.diarynote.jp/200702090041480000/ フレッド・ウェズリーやジョージ・ポーターらによるトリビュート・バンド
http://43142.diarynote.jp/201412310727087161/ ザ・オリジナル・ジェイムズ・ブラウン・バンド
https://43142.diarynote.jp/201503041619591535/ 映画「ジェームス・ブラウン 最高の魂を持つ男」
https://43142.diarynote.jp/201606281735457440/ 映画「ミスター・ダイナマイト ファンクの帝王ジェームス・ブラウン」
https://43142.diarynote.jp/201806040807198626/ ザ・オリジナル・ジェイムズ・ブラウン・バンド
▶︎過去の、ソニー・ロリンズ
https://43142.diarynote.jp/200511130413390000/
▶過去の、メイシオ・パーカー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200509130313320000/
http://43142.diarynote.jp/200709171112310000/
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
http://43142.diarynote.jp/201002171552164447/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
http://43142.diarynote.jp/201508050852067247/
http://43142.diarynote.jp/201607191314481207/
https://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
▶過去の、フレッド・ウェズリー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200702090041480000/
http://43142.diarynote.jp/200702121118370000/
http://43142.diarynote.jp/200704251224130000/
http://43142.diarynote.jp/200709171112310000/
http://43142.diarynote.jp/200804030050390000/ 
https://43142.diarynote.jp/201410301514399746/

 青山・月見ル君想うフで、“2PIANO4HANDS”シリーズの一つを見る。あっぱ、東京事変、the HIATUSなどいろんな活動で知られる伊澤一葉(2012年3月28日)と1993年生まれである高井息吹の2人が、ピアノを前に向き合う。ともに、歌を歌ってこそのシンガー・ソングライター、どうなるのかとこれは興味津々。高井は8年前にサインをもらったことがあるなど、伊澤のファンであるよう。

 基本、交互に持ち歌を繰り出しあう。いや、2人とも本当にいい曲を書いているな。君島大空(2020年11月19日)とも絡んできている高井はやはり自己内対話を経ての流動性の高いゆらゆらするパフォーマンスを披露し、それに対し伊澤はもっとポップスとしての整合感の高い曲を歌う。とはいえ、ポップでありながら多彩な曲種のもといろいろな差し込み、変換ワザを組み込んでいて、内に抱える音楽素養の豊富さを彼は伝える。ピアノの指さばきと一体化してワタシを天真爛漫に開く高井の様に触れ、どこか若いころの矢野顕子(2004年7月20日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年8月19日、2009年9月4日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年9月9日、2011年12月11日、2012年8月21日、2013年8月11日、2013年11月30日、2014年8月7日、2015年8月20日、2016年9月15日、2017年12月10日、2018年8月27日、2019年4月26日、2019年4月28日)を想起したりもした。その高井はなにもなく、伊澤は歌詞カードが入ったポートフォリオをピアノの上に置く。曲目などは一切決めていなかったようで、ショウの頭ではじゃんけんをして、弾きだす順番を決める。セカンド・セットは弾くピアノを交換。ともにピアノ弾き語り能力、とっても高し。うち1曲は即興でピアノ演奏を重ねあい、高井は伊澤の曲を取り上げた箇所もあった。

 まず、楽曲ありき。作曲者が主となるパフォーマンスに、もう1人が合いの手のピアノ演奏を入れる。高井は少し声を重ねる場面もあった。伊澤の方がサブに回ったときの演奏は控えめ、もっと入れようと思えば入れられたはずだが、曲趣を壊すのを避けたいという気持ちがそうさせていたとも思え、そこには真っ当なポップ・ミュージックのクリエイター哲学が反映しているか。伊澤はヒイズミマサユ機(2005年5月2日、2005年7月29日、2005年9月21日、2006年5月29日、2006年8月9日、2006年10月24日、2007年4月14日、2008年4月6日、2009年10月29日、2012年4月22日)と近いのでもっとはちゃめちゃなところがあるのかと思ったら、表現者としてはとても真面目な姿勢を持つ人で、それは意外だった。

 純ジャズ的ではない、音楽観の交錯や相乗あり。今回の<2PIANO4HANDS>、ここでの名物企画<パラシュート・セッション>と<2PIANO4HANDS>のノリを重ねたよう、という感想も持った。

▶︎過去の、伊澤一葉
https://43142.diarynote.jp/201204021350442625/
▶︎過去の、君島大空
https://43142.diarynote.jp/202011201047548918/
▶過去の、矢野顕子
http://43142.diarynote.jp/200407200015350000/
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200908221621447408/
http://43142.diarynote.jp/200909120647256771/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201109151818437240/
http://43142.diarynote.jp/201112191449196187/
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
http://43142.diarynote.jp/201312051627467488/
http://43142.diarynote.jp/201408091058201133/
http://43142.diarynote.jp/201508210809254412/
http://43142.diarynote.jp/201609201813357761/
http://43142.diarynote.jp/201712111145326498/
https://43142.diarynote.jp/201808291108033102/
https://43142.diarynote.jp/201904281151232549/
https://43142.diarynote.jp/201904291825347224/
▶︎過去の、パラシュート・セッション
http://43142.diarynote.jp/201407261219061857/
http://43142.diarynote.jp/201504241016038747/
https://43142.diarynote.jp/201805091613022617/
▶過去の、ヒイズミマサユ機/PE’Z
http://43142.diarynote.jp/?day=20050502
http://43142.diarynote.jp/200508042335560000/
http://43142.diarynote.jp/200510030017510000/
http://43142.diarynote.jp/200605300511290000/
http://43142.diarynote.jp/200608111018540000/
http://43142.diarynote.jp/200610251745190000/
http://43142.diarynote.jp/200704151310510000/
http://43142.diarynote.jp/200804081928430000/
http://43142.diarynote.jp/200910300859204528/
http://43142.diarynote.jp/201205080614265555/
https://43142.diarynote.jp/200804081928430000/

<今日の、やりとり>
 とくに、高井は楽しそうだったなー。それが、可愛らしい。こうなるのかと当人たちがことを進めつつ合点していったところもある感じで、またこの2人がお手合わせをするなら、かなりヴァージョン・アップしたものになるはず。しかし、他の日もそうだが、2人の指さばきを見ていて、達者にブラインドで指を這わせているなと思う。まあ、プロとはそういうものだが。でも、文章を書くのを生業としているぼくは、まったくブラインドでPCのキーボードを打てない。原稿を打つのを横で見た友人に、それについてのどんくささにとっても驚かかれたことがある。とほほ。

 ブラックスプロイテーションを代表する、往往にして音楽も担当する辣腕アフリカ系映画監督のメルヴィン・ヴァン・ピープルズの訃報が届いた。死因は不明、マンハッタンの自宅で亡くなったという。大学を出たあとに空軍に3年半入り、その後小説を書いたり短編映画を作ったりするようになる。中米や欧州で暮らしもしたりもしたようだが、その事実はサバけた生活観を映し出すか。一方、それは才を発揮しようとするアフリカ系が邪魔される米国の環境が導いたものでもあったようだ。

 長編監督作「The Story of a Three-Day Pass」(1967年)は、自身のフランス語で書いた小説「La Permission」を元に起き、フランスで撮影されている。主演もしている1971年作「スウィート・スウィートバック 原題:Sweet Sweetback’s Baadasssss Song」は当時のブラック映画の金字塔的な作品とされている。のちに、それは自身の手によりステージ化もされた。それ以降は監督するものより、俳優として出演した映画のほうが多い。また、『Brer Soul』‎(A&M、1969年)を皮切りにサウンドラック主体ながら10作近い、質の高いR&B/ジャズ俯瞰統合型アルバムをリリース。E.W.&.Fがレコーディングに参加した先の「スウィート・スウィートバック」のサントラはスタックスから送り出された。多才な人で、通貨オプション・トレイダーをしたこともあったよう。

 1990年代だと思うが、ぼくは俳優と映画監督をしている息子のマリオ・ヴァン・ピープルズにインタヴューしたことがあつた。媒体、なんだったけなあ? 彼は1957年、メキシコ生まれ。彼は長身かつ精悍で、なかなか格好よかった。

 もう一つ訃報があり、懐かしいバンドを思い出してしまった。1980年前後のポスト・パンク/ニュー・ウェイヴ期にいかにもな、あっけらかん&風通しの良いビート・ミュージックを送り出した男女混合バンド(女性3人男性2人、2ギター、2ベース、ドラムという編成)であるデルタ5のシンガー/ギター奏者のジュルツ・セイルが亡くなったという。リーズで結成され、ラフ・トレイドから数枚のシングルと、クリサリス傘下レーベルから1枚のアルバムをリリース。それらは、今聞いてもウキウキしつつ、甘酸っぱい気持ちになれる。ドライなファンキー感覚も少し抱えた、いい意味での素人感も持つ彼女たちの表現はこの時期UK発ならではのもの。同じラフ・トレイドのザ・レインコーツなんかとともに愛好したなあ。そんな彼らは“ロック・アゲイント・レイシズム”に賛同するグループでもあった。彼女の生年月日、死亡日、死因などは発表されておらず、すぐに音楽からも離れたとも推測されるが、それもポスト・パンク期の一瞬の輝きという感じがして、違和感はない。享年60ぐらいだったのではないだろうか。大学の頃、そのスッコーンと抜けた表現に触れて得たサムシングは、今のぼくのどこかに生き続けていると思う。

 夜は、普段ニューヨークに住む、ピアニスト/作編曲科の加藤真亜沙 ( 2021年9月19日)の実演を見る。丸ノ内・コットンクラブ、1日1回打ちのショウ。面白かった。なかなか、才能あるな。

 奨学金を得て2009年に渡米しニュー・スクール大で学び、ケヴィン・ヘイズ(2016年12月6日、2017年2月7日、2018年9月6日、2019年12月16日)やアーロン・ゴールドバーグ(2011年7月4日、2012年6月8日、2013年4月1日、2014年5月15日、2015年2月4日、2017年11月30日)らに師事。その後、ジュリアード音楽院の修士過程にも進み、ケニー・バロン(2001年11月20日、2009年1月7日、2003年10月10日、2014年9月7日、2016年9月4日、2016年11月15日)にもついたという。公演表題に持ってきた『アンモーンの木』とは、彼女が2016年作のアルバム名(Somethin’ Cool発)で、同作はダグ・ワイス(2011年10月6日 )とダニエル・ドー(2014年1月21日、2015年5月14日、2019年9月13日)のリズム・セクションに、4管とギターと自分のピアノや歌(一部、アディッショナル歌手も入れる)を載せた内容だった。

 この晩は、フリューゲル・ホーンやトランペットの広瀬未来 (彼が一部合図を出しているところがあり、まとめ役をしていたのか)、ソプラノ・サックス/フルート/アルト・サックスの吉本章紘 (2020年8月16日、2021年7月9日、2021年7月30日)、テナー・サックスの西口明宏(2016年7月21日、2019年1月21日、2021年7月3日、2021年9月19日)、トロンボーンの和田充弘 (2017年6月15日、2018年7月4日、2019年11月16日)、ダブル・ベース/エレクトリック・ベースの中林薫平、ドラムの小田桐和寛 (2021年3月29日)という、3リズム+4管にてショウは進められる。

 披露したのはすべて加藤の曲だろうが、曲趣を引き立てるアレンジ方策にまず耳が向く。アルバムで示されるように4つの管楽器の絡みがいい感じ。なんか風の感覚を持つというか、はんなりしているのに流動的な感覚を孕むというか。なんか、弦楽四重奏の秀でたテイストを管4つで繰り広げているという説明の仕方もありか。かなり先鋭的であることをしていると思わせるのに、その総体はギスギスしないまろやかさのようなものを抱えているのは大きなポイントだ。トランペット以上にフリューゲル・ホーンが活躍する時間が長かったのも、その説明に沿うだろう。

 へえそうなのと思ったのは、多くの曲のテーマ部で加藤はスキャット歌唱を加え、彩りを与えていたこと。それは差別化を測れるもので、絶対にあり。そして、彼女は自らのソロ(一部は右手のみで、シンセサイザーでソロを取る箇所もあった)や構成員のソロを思慮ありで組み込む。趣味良い。ソロを組み込まなくても、彼女なら即興の窓や秀でたジャズ機微を存分に感じさせるアンサンブルを出せるはずともぼくは頷いた。

 旧作の表題を掲げつつ、演目は来月ニューヨークでするという新作レコーディングのための曲もいくつか演奏する。そういえば、ショウの後半は立ちの感覚と今っぽいバラけ感覚を持つドラム演奏が目立ったりもして、それは見事に今っぽいニューヨークのジャズ感覚と重なると思わせた。

▶︎過去の、加藤真亜沙
https://43142.diarynote.jp/202109200901226322/
▶︎過去の、ケヴィン・ヘイズ 
http://43142.diarynote.jp/201612091513593556/
http://43142.diarynote.jp/201702090925559534/
https://43142.diarynote.jp/201809081804431343/
https://43142.diarynote.jp/201912170840218127/
▶過去の、アーロン・ゴールドバーグ
http://43142.diarynote.jp/?day=20110704
http://43142.diarynote.jp/?day=20120608
http://43142.diarynote.jp/201304031026406106/
http://43142.diarynote.jp/201405171309186867/
https://43142.diarynote.jp/201502051100298160/
▶過去の、ケニー・バロン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200901080850146753/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090607
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
https://43142.diarynote.jp/201712011129041106/
▶︎過去の、ダグ・ワイス
https://43142.diarynote.jp/201110091258307349/
▶︎過去の、ダニエル・ドー
http://43142.diarynote.jp/201401221432209419/
https://43142.diarynote.jp/201505150911423384/
https://43142.diarynote.jp/201909141701525366/
▶︎過去の、西口明宏
https://43142.diarynote.jp/201607221000152412/
https://43142.diarynote.jp/201901231045028294/
https://43142.diarynote.jp/202107041453546495/
https://43142.diarynote.jp/202109200901226322/
▶︎過去の、和田充弘
http://43142.diarynote.jp/201706190920527378/
https://43142.diarynote.jp/201807050952089343/
https://43142.diarynote.jp/201911181002427435/
▶︎過去の、小田桐和寛
https://43142.diarynote.jp/202103300808386569/

<今日の、サーヴィス>
 3度目の正直……。今年の1月に予定されていたのが延期、また5月に再予定されたものがまた延期になっての、本日の公演であるという。入場者には、本人一部手書きのカードを入場時に配る。そこには、1曲聞けるコードも載せられていた。近くあるレコーディングが首尾よく進みますように。とっても、出来が楽しみだ。

 英インダストリアル・ミュージックの至高ユニット、キャバレー・ヴォルテールを率いたリチャード・H・カークがお亡くなりになった。シェフィールド出身、シンセサイザーとテープ・ループの実験から始まり、ライヴを意識した活動を介してもう一つの尖った日常を作り、多くの支持者を得た。僕は1980年前後にラフ・トレイド発の諸作を手にし、ジャケット・カヴァーの雰囲気もあったためか、オルタナティヴな彼らを聞いて一つオトナになったような気持ちを受けたりもした。一時はダンサブルでときにポップな志向を取り、その際は心もとない歌が入り、妙な根無し草的感覚/俯瞰感覚を感じさせたためか、ぼくはアート・リンゼイ(1999年12月18日、2002年9月9日、2004年11月21日、2011年6月8日、2014年10月26日、2015年6月9日、2016年9月1日、2017年6月23日、2018年10月21日、2018年10月23日)を思い出したりした。カークは1980年からはソロとしても活動するようになり、1990年代にはキャバレー・ヴォルテールは休止したものの、2009年にカークにより再び再開。ミュート発の『BN9Drone』は今年のリリースだった。サントラなどにも関わり、グループ名義にせよ個人名義けっこういろいろ。彼はやりたいことをやり切った、そういう感想も持つ。なお、キャバレー・ヴォルテールはチューリッヒのダダイズム発祥の地と言われる酒場の名前で、スイス大使館が絡んで催しがされたことがあった。https://43142.diarynote.jp/201607140848004102/

▶過去の、アート・リンゼイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200411231722390000/
http://43142.diarynote.jp/201106141341111340/
http://43142.diarynote.jp/201410301512336095/
http://43142.diarynote.jp/201506111719463390/
http://43142.diarynote.jp/201609200958472477/
http://43142.diarynote.jp/201706240934237865/
http://43142.diarynote.jp/201810221139492314/
https://43142.diarynote.jp/201810240904066739/

 さて、今日から青山・月見ル君想フでは4日間にわたる、帯公演を持つ。わざわざグランド・ピアノを2台会場に入れて(蓋を取っていた)の、“2PIANO 4HANDS”というピアノ・デュオ企画だ。祭日である今日は3つのプログラムが組まれている。その2番目、南博(2001年10月29日、2005年6月9日、2005年9月11日、2006年10月25日、2007年4月12日、2007年10月17日、2011年3月2日、2013年2月17日他)と渡辺シュンスケ(2012年3月28日、2012年6月1日、2014年6月1日)によるギグを、15時15分からまず見る。

 ぼくのなかでは繋がらない2人だが、渡辺は南に4年間ピアノを習っていて、過去にも一緒にやったことがあるよう。渡辺は南のことを、彼ほどセクシーにバラードを弾く人はいない、みたいな紹介の仕方をしたか。

 1曲、10分強。渡辺や南のオリジナルを素材に指さばきを重ね合う。演奏は作曲者が主となり始まるが、途中からは役割交換がなされもして、進み方は多彩。また、2曲ではお客さんからお題をもらって、即興で演奏しあう。その際は、南が弾き始め、デュオ演奏は始められる。過去、渡辺シュンスケの演奏は電気キーボード中心のそれしか知らなかったので、ピアノ生一本の演奏は新鮮だ。信頼関係を持つ師弟関係(というと、大げさかもしれないが)っていいなとも、これを見て思わされる。お客さんは、とっても女性の比率が高かった。

 70分聞いて、南青山・ブルーノート東京へ移動。しかし、月見ルとブルーノートは本当に近い。住所、同じ南青山だからな。タクシーだと5分もかからない。

▶過去の、南博
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200506120644360000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050911
http://43142.diarynote.jp/?day=20061025
http://43142.diarynote.jp/200704151310110000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20071107
http://43142.diarynote.jp/201003280551094942/
http://43142.diarynote.jp/201103040841482385/
http://43142.diarynote.jp/201302191656063458/
▶過去の、渡辺シュンスケ/SCHROEDER-HEADZ
http://43142.diarynote.jp/?day=20120328
https://43142.diarynote.jp/201206021156313888/
https://43142.diarynote.jp/201406110832491208/
▶︎以前の、2PIANO 4HANDS
https://43142.diarynote.jp/202010060748585515/

 こちらは16時45分からの、ファースト・ショウ。今年は、インパルス!・レコード創立60周年となり、その記念ライヴがすでに1度ブルーノート東京で行われている(2021年4月6日)が、今日はその2回目で、テーマはやはりインパルス!と言えば真っ先に名前が上がるジョン・コルトレーンなり。前回は鮮烈あっち側突き抜け作『アセンション』を題材としたのに対し、今回はコルトレーンの滋味ありメロディを持つ楽曲や覇気と人間性に満ちた吹き口に焦点を当てるとなるか。この日の公演は緊急事態宣言で一度飛んだものがリスケジュールされていたが、なんとこの日がコルトレーンの誕生日であるそう。生きていれは、95歳か。

 今回ステージに上がったのは、テナー・サックスの馬場智章(2018年9月28日、2018年12月5日)と西口明宏 (2016年7月21日、2019年1月21日、2021年7月3日、2021年9月19日)、アルト・サックスの中島朱葉(2021年4月11日)と松丸契(2021年4月6日)、そしてピアノのデイヴィッド・ブライアント(2015年1月9日)、ダブル・ベースの須川崇志 (2010年3月14日、2011年7月25日、2016年6月27日、2017年6月21日、2018年1月19日、2018年4月7日、2019年3月29日、2019年12月14日、2019年12月20日、2020年10月29日、2021年4月6日、2021年4月19日、2021年7月30日、2021年9月19日)、ドラムの石若駿 ((2014年9月26日、2016年6月27日、2016年7月21日、2016年9月4日、2017年6月21日、2017年7月12日、2019年1月21日、2019年3月16日、2020年10月29日、2021年4月11日、2021年4月19日、2021年7月9日)。楽曲のテーマ部は4人で吹くが、そのアレンジはMCも担当した馬場がやっていたよう。各リード奏者たちは、全員が判で押したようにソロをつなぐのではなく、テナー・サックス奏者だけで繋いだり、別の曲ではアルト奏者が一緒にブロウしたり、松丸はソロの部分で石若とのデュオ演奏になったりと、けっこう気の利いたディレクションはなされている。みんな、最良の師を念頭に、自分の息遣いを出していた。

 ピアニストは現在日本に住むアメリカ人だが、4管が重なったときにもきっちり音が聞こえて、感心する。ソロを取る場合は言わずもがな。とても芯のあるピアノ音を送る様に拍手した。また、須川は普段以上にボンボンという質感を持つ、太く弾んだベース音を送り出し、彼なりのジミー・ギャリソン観を出す? いいネっ。石若は、すべてレギュラー・グリップで通したのではなかったか。彼、ダーツの的の絵みたいというか、漫画のバカボンの着物の柄のような模様がついたキック、タム、フロア・タムを使っていた。

 取り上げた曲は、「ブルー・トレイン」や「レザルーション」など、有名曲を本編で5曲。「ナイーマ」と、アンコールにやったコルトレーンの発掘ブルース曲はゲストの日野皓正(2005年6月5日、2006年11月3日、2011年3月28日、2011年7月25日、2011年9月2日 、2013年9月22日、2014年4月4日、2015年3月10日、2017年9月3日、2018年8月11日、2019年4月27日)が加わる。イエイ。いつだってなんだって、彼は彼。ぼくは、そんな日野皓正が大好きだ! アンコールのときソロを吹かない際に日野は後ろ横で踊っていたが、彼は一番近い立ち位置の松丸に何か耳打ち。すると、松丸は照れたように苦笑したが、キミも踊ろうよと、言っていたりして。

▶︎過去の、馬場智章
https://43142.diarynote.jp/201809290719113115/
https://43142.diarynote.jp/201812081039071230/
▶︎過去の、西口明宏
https://43142.diarynote.jp/201607221000152412/
https://43142.diarynote.jp/201901231045028294/
https://43142.diarynote.jp/202107041453546495/
https://43142.diarynote.jp/202109200901226322/
▶︎過去の、中島朱葉
https://43142.diarynote.jp/202104121207459452/
▶︎過去の、松丸契
https://43142.diarynote.jp/202104071750586426/
▶︎過去の、デイヴィッド・ブライアント
https://43142.diarynote.jp/201501131019359012/
▶︎過去の、須川崇志
http://43142.diarynote.jp/201003191715113498/
http://43142.diarynote.jp/201107310727152406/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160627
http://43142.diarynote.jp/201706220952582448/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
https://43142.diarynote.jp/201912161052582124/
https://43142.diarynote.jp/201912220907352341/
https://43142.diarynote.jp/202010300958115053/
https://43142.diarynote.jp/202104071750586426/
https://43142.diarynote.jp/202104211350032210/
https://43142.diarynote.jp/202107100947566078/
https://43142.diarynote.jp/202107310742529881/
https://43142.diarynote.jp/202109200901226322/
▶︎過去の、石若駿
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
http://43142.diarynote.jp/201607221000152412/
http://43142.diarynote.jp/201606281737237220/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
http://43142.diarynote.jp/?day=20170621
http://43142.diarynote.jp/201707130853185809/
https://43142.diarynote.jp/?day=20180404
https://43142.diarynote.jp/201901231045028294/
https://43142.diarynote.jp/201903171331065828/
https://43142.diarynote.jp/202010300958115053/
https://43142.diarynote.jp/202104121207459452/
https://43142.diarynote.jp/202104211350032210/
https://43142.diarynote.jp/202107100947566078/
▶過去の、日野皓正
http://43142.diarynote.jp/200506120639310000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20061103
http://43142.diarynote.jp/?day=20110328
http://43142.diarynote.jp/201107310727152406/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110902
http://43142.diarynote.jp/201309260930584072/
http://43142.diarynote.jp/201404070654593139/
http://43142.diarynote.jp/201503110740041978/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
https://43142.diarynote.jp/201808120917002515/
https://43142.diarynote.jp/201904271153238361/
https://43142.diarynote.jp/201904281151232549/
▶︎過去の、インパルス・レコード創立60周年記念ライヴ・シリーズ の1回目。
https://43142.diarynote.jp/202104071750586426/

 そのあとは、再び月見ル君想フに戻り、“2PIANO 4HANDS”。 18時半からの「スガダイロー×和久井沙良」を見る。

 スガダイロー(2009年1月8日、2009年7月3日、2013年2月19日、2016年2月28日、2016年7月16日、2017年4月11日、2017年7月8日、2019年5月30日、2019年6月14日、2019年7月8日、2019年12月14日、2021年4月6日)と和久井沙良(2021年4月25日)、この無頼漢おじさんと1988年生まれのお嬢さんは正真正銘、この日が初顔合わせだそう。

 2人とも譜面の類は一切置かない。最初、和久井が出てきて弾きはじめ、少ししてスガが出てきて、触発しあい、重なりまくる。完全な即興で通し、30分の塊を2つ提出し、アンコールはとなる10分弱のもの。このときは、2人は弾くピアノを交換した。もう徹頭徹尾、察知と反応というアンテナを張り巡らし、テンションがハイすぎ、審美眼が磨かれすぎのやりとりを、潮の満ち引きのような強弱を伴いながら、両者は繰り広げていく。もう、圧巻。多くの場合、スガは顔を伏せて弾き、和久井は目を閉じて少し上を見上げる感じでピアノを弾く。ほとんどアイ・コンタクトはなされないが、相手の音を十全に聞き、理解し、自分の中から湧いてくる音を鍵盤に移すという作業にそれは必要ないのダと思わせられる。彼らは全身全霊のもと、コンタクトし合っていた。ひょえ〜。これぞ、研ぎ澄まされた裸のピアノ・デュオ? しかし、この手の大家であるスガに一切臆することなく、自分の音と技を繰り出し、スガにいろんな引き出しも開かせた和久井は驚異的だ。前見たときと全然違う演奏に、ぼくは驚きつつ頭を垂れ、身をまかせた。

 この顔合わせは、この“2PIANO 4HANDS”や“パラシュート・セッション”などこのハコ特有の出し物を企画する、店長のタカハシコーキの発案だそう。普段、過剰にジャズの現場とは関わっていないと思われるのに、他のブッキングを含めてよくぞという感じではあるなあ。あ、普段は非ジャズにもたんまり関わっているからこその高い経験値を下敷きにする、しなやかな自由さは間違いなくあるだろう。

▶過去の、スガダイロー
http://43142.diarynote.jp/200901091437341082/
http://43142.diarynote.jp/200907131158382767/
http://43142.diarynote.jp/201302201720351212/
http://43142.diarynote.jp/201603011023174338/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160716
http://43142.diarynote.jp/201704131639031673/
https://43142.diarynote.jp/201707101243147840/
https://43142.diarynote.jp/201905310800294940/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/ 取材
https://43142.diarynote.jp/201907091307078386/
https://43142.diarynote.jp/201912161052582124/
▶︎過去の、和久井沙良
https://43142.diarynote.jp/202104270842552952/

<今日の、もう一つの拍手>
 月見ルにおける“2PIANO 4HANDS”の2つのギグは、ともに配信用の映像が映るモニターが見える席で見ていた。複数のカメラによる、その映像は質高し。2フロア分の吹き抜けのここはクレーンを用いるカメラも導入していて、それは真上から鍵盤に指を踊らせる様をばっちり捉え、まことこの企画にドンピシャだぁ。

 小曽根真(2011年3月28日、2011年8月6日、2012年8月24日、2012年9月8日、2013年8月1日、2013年10月26日、2014年9月7日、2015年9月5日、2016年9月3日、2017年9月12日、2018年3月29日、2020年7月25日)と、上原ひろみ(2004年11月25日、2005年7月31日、2006年9月3日、2009年9月4日、2010年12月3日、2011年9月3日、2011年9月9日、2011年12月11日、2012年7月25日、2012年12月9日、2014年9月6日、2014年9月7日、2016年9月4日、2016年9月15日、2016年11月16日、2017年5月7日、2017年9月28日、2019年11月17日)。2人の臨機応変にしてけっこうシャープなやりとり〜聞く人にとっては難解なものに聞こえたところもあったのではないか〜に触れながら、ぼくは妙な計算を頭のなかでしていた。実際にはあまりないだろうが10本の指が88鍵(97鍵だったかもしれない)を抑えるとして、その音は瞬間だけでも880通りとなる。いや、弾く指を1本から2本、3本……と細かく勘定していけば、その数はべらぼうになるだろう。2人だとその総数の二乗で、それこそ天文学的な数となる。そして、その数は延々と連らなっていく。数学的思考ができない人間であるのでこの考え方が合っているかどうかはともかく、なるほど宇宙的な重なり、広がりを持つという書き方も決してデタラメではないのだとふと思ったりもした。

 小曽根はバークリー音楽大学在学中の1982年に学内コンサートの一環でコリア(2006年9月3日、2007年10月1日、2016年9月16日、2017年9月2日、2019年8月31日)と邂逅し(https://note.com/intoxicate_notes/n/n854cd4f4cdd3、参照のこと)、上原は渡米前の高校時代に彼女を認めたコリアとの共演経験を得た。そして、『レゾナンス』(2016年録音)と『デュエッツ!』(2007年録音)というコリアとのデュオによる2枚組ライヴ・アルバムを、2人はそれぞれ出している。実は本来、この公演はこの2人だけでなくチックを交えた3人による出し物として企画されていたらしい。このコロナ禍ではチックが存命でも3人でやるのは不可能だったわけだが……。

 赤坂・サントリー・ホール。満席。1席づつ開けることもなく、通常時のようにすべての席に入場者を座らせる。休憩も含めて、150分近く。それも、平常時か。おそらくインプロヴィゼイション曲で始まった1部は小曽根や上原のオリジナルや(そのブルージィな自作曲の際、彼女は真ん中より少し高めの弦を一つ切ったよう)、コリアが上原の夢枕に立ち絶対会うから2人で演奏してネと行ったというガーシュイン曲3パート、などが披露される。

 2部は、コリア絡みの楽曲が続く。まず、1曲づつソロで演奏。上原が「チルドレンズ・ソング#4」で、小曽根が「クリスタル・サイエンス」だったけ?。そして、コリアが愛好したピアノ2台のための大曲。アンコールは、「スペイン」。と、コリアへの多大な思いを置きつつ多様に進められるが、基本は上原に自由にふるまわせて、小曽根はそれに敏感に対応し、包まんとする。そんな感じではなかったか。それは『レゾナンス』でコリアが小曽根にしてくれたことを、今度は上原に小曽根がしようとしたのではないかと思った。ま、もちろん対等なものでもありましたが。

 MCは小曽根が中心になって、進める。それにしても、2人は芸達者。1部のステージへの現れ方にせよ、お辞儀の仕方にせよ。2部(両者、格好を変えて出てきた)の冒頭、ソロ・パフォーマンスの順序はジャンケンで決めたが、2人はこのホールで最初はグ〜とやった初めての人ではないか。ハハ。また、アンコールに出てきた際は、小曽根は弾くピアノ変えてみないと提案し、すると上原がこんなご時世なので、(鍵盤を)消毒してくださいと応える。そして、2人の調律師が出てきて鍵盤を丁寧に拭く。ふふ。

 この日は東京2日間の初日だが、最終日の兵庫県公演では2人の重なりはどう変わっているのか。ものすごく、興味深い。

<今日の、疑問>
 こういう会場に来ると、コンサート告知のチラシをたくさん渡されるが、それらを見て驚く。なんやかんや、クラシックを中心に外国人が出るコンサートが10月以降あるじゃないか。ぼくはこれからも当面、外国人音楽家の来日公演を見るの無理だろうと諦めていた。昨年秋も特別処置で海外の著名オーケストラの日本公演が開かれたと記憶するが、この秋のそれら外タレ公演は渡日後の扱いはどうなのか? そういえば、先日のクリエイティブマンが開いた“スーパーソニック”にも外国人のアクトが入っていたが、彼らは2週間の隔離を強いられたのか。サッカーの国際大会のバブル方式のように、来日ミュージシャンにもそれが適用されることは困難なのだろうか?

 一時はSF系コスプレも効いたキャラ立ちソウル・コーラス・グループ、ラベルのメンバーだったサラ・ダッシュがニュージャージー州で急死した。彼女は9月18日、ニュージャージー州アトランティック・シティでのパティ・ラベルのショウでちょっとステージに立ち歌っていたという。

 生まれは同州の、トレントン。父親は牧師で母親は看護婦をし、13人の兄弟姉妹がいた。彼女に加え、パティ・ラベル、ノーナ・ヘンドリックス(2010年9月4日)からなるラベルの、アラン・トゥーサン(2006年5月31日、2006年6月1日、2007年10月21日、2009年5月29日、2011年1月10日、2012年10月15日、2013年10月22日、2015年1月21日)制作による1974年電波系艶歌「レディ・マーマレード」は全米1位に輝いた。その曲のステージ立ち位置は、彼女が中央だった。それ、王道派のパティ・ラベルと革新派のノーナ・ヘンドリックスのちょうど中間にいたからという話もある。なお、「レディ・マーマレード」は常識なんかに屈しない、したたかな強い女性を顕すようなアンセムに近いものに今はなっているか。

 その前身グループの結成は1960年代初頭で、ラベルとなったのは1971年。そして1976年まで、視点を持つ6枚のアルバムを発表。また再結成盤『Back to Now』がヴァーヴから2008年に出された。それ、ぼくが日本盤解説を書いたな。1977年にはパティとノーラがエピックから、1978年にサラが当時CBS傘下にあったカーシュナーからリーダー作をリリース。その後、10年にわたり彼女は最低でも4枚のソロ・アルバムを出しているはずだ。1988年マンハッタン/EMI盤にはパティ・ラベルが入った曲も収められていた。1990年代中期には映画曲のために集結したこともあったし、3人は離れていてもお互いの持ち味を認め合い、仲が良かったように思う。

 そんなサラ・ダッシュというと思い出されるのは、1980年代後期以降、キース・リチャーズやザ・ローリング・ストーンズ(2003年3月15日)の録音セッションにいくつも呼ばれていること。3人の中では一番素直な歌い方をしていたと思うが、それだけでもぼくのなかでは彼女は燦然と輝く。また、ラベルというと、ローラ・ニーロとの絡みを思い出す人もいるかもしれない→https://43142.diarynote.jp/201603281027273371/ の下方記載参照のこと。

 日本に情報はあまり伝わってこなかったが、彼女はソロのショウ打ちもいろいろしていたよう。また、社会貢献にも力を入れ、ニューヨークで子供を持つホームレスの独身女性を助ける活動を熱心にした。「Dash of Diva」という自伝もあり、同名のミュージカルも自ら書いたという。

▶︎過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月13日(バック・バンド)。15日 ストーンズ
https://43142.diarynote.jp/201904200941516964/ ストーンズ展
▶︎過去の、ノーナ・ヘンドリックス/ラベル
https://43142.diarynote.jp/201009151537076176/
▶過去の、アラン・トゥーサン
http://43142.diarynote.jp/200606071933120000/
http://43142.diarynote.jp/200606071936190000/
http://43142.diarynote.jp/200710221206190000/
http://43142.diarynote.jp/200906051614524790/
http://43142.diarynote.jp/201101111202336229/
http://43142.diarynote.jp/201210201217291727/
http://43142.diarynote.jp/201310241000242214/
http://43142.diarynote.jp/201501220923108418/
https://43142.diarynote.jp/202106092115452309/ 没後のニュース

 夜、代官山・晴れたら空に豆まいて で、“PIANO WARP”と題された出し物を見る。ピアノ/装置とトランペットを操るTAKUYA NAKAMURA(2007年4月12日、2012年6月25日、2016年11月18日、2020年1月10日)と舞踏のATSUSHI TAKAHASHI(2018年3月22日、2021年6月30日)の2人による。ピアノの弦に何かを挟み、通常のピアノ音とボディから拾った乾いた効果的な音の二つを装置を介して広げ、また適材適所でトランペット音も入れる中村卓也の手腕に頷く。いい感じ。なんか経験と技と閃きが綺麗に絡み合って文様を描いていた。その音にまた絡んでATSUSHIは動き、フロアやステージで身体を動かす。彼はときに、ストゥール状の布やライトも巧みに用いる。2箇所にあった灯りは彼の動きに合わせてついたり消えたりもしていたが、誰がそれを操作していたのだろう。2人のパフォーマンスに触れていて、なんか贅沢な気持ちにもなった。

▶︎過去の、中村卓也
https://43142.diarynote.jp/200704151310110000/
https://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
https://43142.diarynote.jp/201611211530147646/
https://43142.diarynote.jp/202001111407501067/
▶︎過去の、ATSUSHI
https://43142.diarynote.jp/201803231446465272/
https://43142.diarynote.jp/202107021050388675/

<今日の、旧山手通り>
 ちょうどいい季節だな。夕方、テラス席で和み、そう実感することしきり。そして、日が暮れるのが早くなったことも認知し、ほのかに冬の気配を覚えて少し悲しくなる。真夏もそうだが、寒い冬も嫌いだー。代官山の蔦屋書店をすごく久しぶりにのぞいたが、まだちゃんとあった。完全に、利益を度外視しているんだろうな。

挾間美帆 m_unit

2021年9月19日 音楽
 すっかりインターナショナルな人となっている挾間美帆(2014年7月10日、2015年10月15日、2016年10月28日、2017年9月3日、2019年2月6日、2020年8月16日、2021年7月30日)の活動根幹にあるラージ・アンサンブルの公演を、南青山・ブルーノート東京で見る。ファースト・ショウ。

 その日本公演をやる際、リズム・セクションだけは外国人奏者を呼んでいたが、このおりすべて日本人でことにあたる。指揮の挾間、アルト・サックスの土井徳浩、テナー・サックスの竹村直哉、バリトン・サックスの佐々木はるか、トランペットの真砂陽地、フレンチ・ホルンの林育宏、ヴァイオリンのマレー飛鳥と沖増菜摘、ヴィオラの吉田篤貴、チェロの島津由美、ヴァイブラフォンの香取良彦、ピアノの加藤真亜沙、ベースの須川崇志、ドラムの伊吹文裕という面々、なり。ピアノは佐藤浩一の予定だったが諸事情で、今回は来日中でこの金曜にコットンクラブで自己公演をする加藤が弾いた。

 普段はアルバム・リリースにあわせてm_unitのショウをやるので基本その新作曲を演奏するものの、(アルバム・リリースとは重ならない)今日は過去3作のアルバムから満遍なくやりますと、彼女は観客に伝える。なんにせよ、あり曲をなぞるのではなく、そのときその面々で楽曲を育むのだという気持ちは表れる。

 うち1曲はm_unitのアルバムに未収録の曲ながら昨年のオン・ライン版東京ジャズで披露された、ハービー・ハンコック『処女航海』(ブルーノート、1966年)の収録曲3つをつなげたハービー愛にあふれたメドレー。実は彼女はハンコックの昔からの大ファンで、中止になり叶わなかったものの、昨年の東京ジャズで会えることをとても楽しみにしていた。

 「私が出演する(東京ジャズの)28日のイヴニングの回には、私がこの人のピアノや音楽観をなぞって生きてきたと言っても過言ではないハービー・ハンコックが出るんです。もう、子供のころから大好きでした。そんな人と場所と時間を共有できるのかと今はふわふわした感じで、私にとっては夢のような話なんです」と昨年2月に取材した際に言っていた彼女だが、オン・ライン版に関係なくm_unitで出る幻の本番用にこのハンコックが80歳になったことを祝うアレンジを用意していたのかもしれない。

 リオネル・ルエケがゲスト入りもしているその映像は、ユーチューブにも出されている(https://www.youtube.com/watch?v=-3O_9QaQEWs)が、そのズームのような多数画面分割映像はウィットに富み、ひいては狭間のハンコックに対する思慕や信頼とともに楽しみを持てる仲間たちの存在を伝えるものになっていて、かなり感激できる。つまるところ、彼女の高貴でマジカルな大人数表現はそのラヴリーな人間性にも大きく起因するのだとも思ってしまう。

 挾間の新作は音楽監督を務めるデンマーク・ラジオ・ビッグ・バンドとの『イマジナリー・ヴィジョンズ』(英エディション)だが、その職についた彼女が2019年にデンマークに訪れた際に、すでに2017年の東京ジャズで共演し顔見知りだった楽団メンバーたちは彼女を待ち構え歓待、フラッシュモブを敢行した。その映像(https://www.youtube.com/watch?v=tFIxpy3BdCQ)を見れば、彼女がいかに接する者を魅了してしまう人物であるかがよく伝わってくる。また、デンマークの人たちのハンパない温かさも……。

 音楽はそれだけで成り立つものではなく、それまでの人と人の出会いや繋がり、お互いの思いが結晶するものでもあるのだ。このショウを見ながら、ぼくはそんなことを反芻した。

▶過去の、挾間美帆
http://43142.diarynote.jp/201407111305232157/
http://43142.diarynote.jp/201510181000334516/
http://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
https://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
https://43142.diarynote.jp/201902071836593799/
https://43142.diarynote.jp/202008171907569224/
https://43142.diarynote.jp/202107310742529881/

<今日の、できるオレ>
 3連休の中日の日曜日。ここのところ天気がすぐれなかったが、今日は青空にして陽光燦燦で、とっても晴天じゃあ。日向だと、暑い。午前中から、母親詣で。母んとこから富士山が見えていて、驚く。本当にいい天気なんだな。その後、新宿を経由して行くのが生理的にイヤで、井の頭線を使い渋谷駅銀座線乗り換えで、ライヴ会場に向かおうとする。だが、ぬわんと銀座線のホーム位置が変わりかつては楽に行けるところが、同線の改札をゲットするためには工事中なためもあってかバカみたいにぐるりと歩かされる。その通路の端々に、前からの定期使用者の怒りが埋め込まれていたような。こんなんだったら、ブルーノート東京まで直に歩いて行ってもたいして変わらんだろ、天気もいいし歩こうとなる。それは、正解だった。
 ところで、電車にいろいろ乗り、混んでもいなかったので、新聞をいろいろ見る時間もあったのだが、クソ真面目そうな候補の岸田某が政界きっての酒豪と紹介されていて、驚くとともにほんの少しいい奴かもしれぬと思う。まあ、酒好きは酔っ払うが、酒豪は飲んでもそんなに変わらない。というのが、ぼくの見解。ぼくは悪酔いしない、酒好きだな。今日の狭間はソツのない愛らしいMCをしつつ、私はお酒が好きなんです、と言っていた。
 会場に知っている人もいなかったし、まっすぐ帰るつもりで終演後に外に出ると涼しい。うむ、これは渋谷まで歩こうとなった。そして、渋谷に近づくと、このまま家まで歩いちゃおうかとなる。よくもまあ武蔵野を回ってきたのに、そんな元気が残っていたものだ(飲んでいないのは大きいんだろうナ)と思いつつ、徒歩を延長することを決定。50分ちょいかかり、この日の総歩数は18000歩となる。普段歩く人には何ぬるいことを書いているのかと思われるだろうが、たぶん本日は2021年で一番歩いた日になるだろう。ケケケ。

 パーカッション奏者のレオナルド“ドク”ギブスがお亡くなりになった。フィラデルフォアンで、米国最古の美術学校であるフィラデルフォア・アート・アカデミー(学士が取れる)で学び、現場に出た。1970年代中期に同地に拠点をおいたこともあった人気アルト・サックス奏者のグローヴァー・ワシントンJr.のグループに加入し、確立された奏者となる。ドグという愛称はワシントンJr.にハーブを用いる癒しの方策を教えたことで、彼が付けたという。ギブスは基本、アフロ・キューバン系の掌裁きを見せる人だ。

 ボブ・ジェイムズ(2013年9月3日、2015年3月5日、2015年9月5日、2018年10月12日)、アール・クルー、ジョージ・ハワード、オナージ・アラン・ガムス、カーク・ウェイラム(2013年4月22日)らスムース・ジャズと言われる人から声がかかる傾向にあったが、彼はエリカ・バドゥ(2000年11月19日、2006年4月2日、2012年3月2日、2017年10月6日)の好盤『ママズ・ガン』(モータウン、2000年)にも名前が見られる。また、ラルフ・マクドナルドがプロデュースの方の需要が高まるにつれ、彼が打楽器奏者として参加していたセッションに入るようになったという指摘も可能かもしれない。

 その仕事ぶりからしてニューヨークに拠点を置いていたんじゃないかと思われるが、そのうちまた戻り、フィリー拠点のベーシストのジェラルド・ビーズリー(2004年3月24日、2010年6月17日)とともに同地のミュージシャンのまとめ役もしたという。だが、亡くなったのはオレゴン州のセイラム、長いあいだ前立腺癌で闘病していた。

 それから、彼はフード・ネットワークという食べ物系ネット・チャンネルで1997年から10年続いた人気料理番組「エメリル・ライヴ」でハウス・バンドのリーダーを務めている。エメリル・ラガセという威勢のいい料理人がホストを務める、ニューヨークで収録されていた1時間ワクの帯番組。どうして料理番組に音楽のバンドが入るのかと思う人もいるだろうが、それなりの数の観覧者をスタジオに入れライヴ・キッチン形式で進められる同番組において、煮たりしている時間にギブス率いるバンドがフュージョン調の演奏をしていた(そして、その際にCMが入る)のだった。オープニングのほか、途中で3回ほどギブス・バンドの演奏が入り、観客はやんやの喝采でバンド演奏にも耳を傾けるし、穏健なおじさん然としたギブスがちゃんとバンド員を紹介する時間も設けられる。少なくても、ぼくが見た回はそうだった。だから、日本で感じる以上に、彼はお茶の間でも知られるミュージシャンであったのだと思う。

▶過去の、ボブ・ジェイムス
http://43142.diarynote.jp/201309051241384602/
http://43142.diarynote.jp/201503060912185943/
http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
https://43142.diarynote.jp/201810170926249130/
▶︎過去の、オナージ・アラン・ガムス
https://43142.diarynote.jp/202004071333055842/ 訃報
▶︎過去の、カーク・ウェイラム
https://43142.diarynote.jp/201304230829465253/
▶︎過去の、オナージ・アラン・ガムスの訃報
https://43142.diarynote.jp/202004071333055842/
▶過去の、エリカ・バドゥ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
http://43142.diarynote.jp/201203062004221304/
https://43142.diarynote.jp/201710071225329957/
▶︎過去の、ジェラルド・ビーズリー
https://43142.diarynote.jp/200403241554160000/
https://43142.diarynote.jp/201006181524353169/

 コントラバス奏者の、ジョージ・ムラーツの訃報も届いた。秀でたクラシック素養を下敷きにする、アルコ弾きにも個性を発揮した名手だった。チェコ生まれ、同国のクラシック経由のジャズ弦楽器奏者のレヴェルが高いと感じるのは、やはり同国出身のミラスロフ・ヴィトウシュ(2019年3月6日)という、彼に続きジャズ界前線で活躍した︎ベーシストがいるからだろう。って、サンプルは2つだけじゃないか。プラハの音楽院で学んだあと、1966年からミュンヘンでジャズ奏者としての活動を始め、その後バークリー音楽院への特待生留学を経て米国のジャズ界中枢に入り、様々な名手たちを秀でた技巧でサポートした。亡くなったのはプラハで、晩年は母国に戻っていたと思われる。本名はJiri、米国人にはそのチェコ語読みは不可能なのでGoergeとしていた。

 オスカー・ピーターソン、トミー・フラナガン、ローランド・ハナ(彼とは、ニューヨーク・ジャズ・カルテットの名前で活動もした)、リッチー・バイラーク、ドン・フリードマン(2009年6月7日)など、ピアニストとの絡みが得意な人物との印象も得るか。リーダー作も10作強、それらもピアニストをフィーチャーしたものだったはず。とはいえ、サド/メル・オーケストラやジョン・アバークロンビー(2010年2月5日、2014年10月18日)作での演奏も印象に残る。また、基本穏健で滋味志向の奏者ながら(妙にセンチなメロディ・ラインを好んだという感想も、ぼくは持つ)、ビリー・ハート(2014年2月5日、2019年8月21日)やアル・フォスターやジョーイ・バロン(1999年9月24日、2011年1月30日、2017年3月2日、2019年5月17日)といったキャラ立ちドラマーと組んだことがあったのは面白い。また、彼関与の日本録音のアルバムが何枚もあったりして、来日回数もかつては少なくなかったろうし、親日家であったのも疑いがない。

▶︎過去の、ミロスラフ・ヴィトウシュ
https://43142.diarynote.jp/201903071110239629/
▶︎過去の、ドン・フリードマン
https://43142.diarynote.jp/200906091637138003/
▶︎過去の、ジョン・アバークロンビー
http://43142.diarynote.jp/201002072246423695/
http://43142.diarynote.jp/201410231404401926/
https://43142.diarynote.jp/201708280821026300/ 訃報
▶︎過去の、ビリー・ハート
https://43142.diarynote.jp/201402071150071550/
https://43142.diarynote.jp/201908221131088459/
▶︎過去の、ジョーイ・バロン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm マサダ
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/ ロン・カーター ビル・フリゼール
https://43142.diarynote.jp/201703081443314613/
https://43142.diarynote.jp/201905180802284680/

<今日の、夢>
 大枚入れたサイフを飲食店に置き忘れ、急いで戻ろうとするが、なかなかたどり着けない。実際、あまりキャッシュ・ディスペンサーに触りたくないという気分もあって、今年いっぱいは銀行に行かずにすむだろうという金額を下ろしたばかりであったので、余計にリアルというか、焦る。ああ、夢ぐらい現実と離れ、荒唐無稽なシチュエーションを楽しみたい。

 10月1日と2日(英国時間)に、昨年6月に亡くなった、自由のピアニストであるキース・ティペット(2013年3月15日)を讃える催しがブリストルであります。38人のミュージシャンが、10のギグを行います。奥さんの、ジュリー・ティペットも出るようです。
https://www.keithtippett.co.uk/celebration-event

どうぞご注視を。配信のための支援も募っています。
https://www.keithtippett.co.uk/gofundme

▶︎過去の、キース・ティペット
https://43142.diarynote.jp/201303211554207854/
https://43142.diarynote.jp/202006151329217052/ 訃報

<今日の、とふぉふぉ>
 上の情報は、とても尊敬するインターナショナルな日本人アーティストからぼくのことを聞いたとの前書きのもと、ディヴェリオさんが英国から送ってきたもの。拡散していただけたらと書いてあったで、ものすごく久しぶりにフェイブックとトゥウィッターに投稿した。ブログはマメにやっているもの、ともに2009とか2010年には入っているが、ロクにやってないよなーー。んなことはいいのだが、昨年6月に亡くなったのに、この6月に亡くなったと書いてしまった。とほ。直し方を知らないので、そのままにしようとも思ったが、開催日も1日分しか書いてなかったので、知人に訊いて訂正した。昔からそうなんだけど、なんか最近うっかり病が少しだけつらい。ブログの訃報がそっけないのは、その時とっても他にしなきゃいけにことがあったからですね。そういえば先月に、あるアーティストにブログやめちゃったんですかと尋ねたら、ブログは時代遅れで今はインスタグラムですよ、と言われた。

灰野敬二の世界

2021年9月16日 音楽
 灰野敬二(2008年9月25日、2014年1月8日、2015年8月21日)って、日本人だよナ。唯一無二の世界観〜手段で独自の地平に立つ彼のことを3つの枠にわけて紹介する出し物を見てそう思った。いや、これまでも突き抜けたなかに日本人的なるものを出すのを隠してはいなかった。だが、この日のヴォイスを前面に出すパフォーマンスからは、古い和の風情がいろいろとこぼれ出るものであり……。自在のサイズがどんどん日本語を伴う歌(彼は歌詞が載っていると思われるものを各セットで置いていた)を介して我々のなかにもあるもやもやした日本人的心象をノックしてもいく。

 毎年この時期に秋に持たれる<JAZZ ARTせんかわ>初日の出し物。席は(ちゃんと櫓のような組まれ、見やすい段差がつけられていた。この会場ってそうだったっけ?)は一つづつ開けて、座るようになっていた。

 最初の20分は、特注新楽器を弾きながらのパフォーマンス。おお、なんかスティックのような楽器をスティール・ギターのように横に寝かしたというか、小さな琴のようなものというか。実際、多弦の楽器を琴のような奏法で弾いていたか。基本太い弦を貼っているのかなと思わせる鈍い低めの音をビヨ〜ンと出し(でも、それに比するとギター的な高めで鋭敏な音を出す場合もあって、細い弦も貼っているのかとも思わせる)、よく通る抑揚に富む肉声をのせる。けっこうコンテンポラリーな造形印象も与える〜電気を使う楽器でもありますね〜、それはインドの瓢箪を用いた楽器を彼流にアレンジしてカスタム・メイドしたと聞いたが。その楽器音は見てくれ以上に面白すぎるということはなかったが、酔狂なこと、我が道を行くことだけは如実に伝えてくれた。

 二番目はヴォイスをより前に出してのもの。いくつかのパートに分けて10分ぐらいやったが、先に書いたことと重なるが、日本人としての灰野敬二の凸凹がごわーんと仁王立ちする。ときに、サンプリング/エフェクトを声にかけるところもあった。このパートのみ、一部はなもげら調のものもあったのかな。それとも、ぼくの耳には日本語が入らなかったのかもしれない。ぼくは日本語〜いや、すべての言語においてそうなんだが〜の聞き取りに難がある人間だ。

 そして、ステージ配置替えの時間を少し起き、残りの40分ほどは彼の一連の歌の根になるものを示すかように、それほど年齢は行っていないだろう〜ちゃんと音楽教育を積んでいると思われる〜雅楽の奏者を4人招いて行う。笙(しょう)の石川高、篳篥(ひちりき)の中村仁美、楽琵琶(がくびわ)の中村かほる、龍笛(りゅうてき)の中村香奈子がステージ四方に座るなか、その中央で灰野敬二は歌う。とともに、1曲以外は大き目のタンバリンのようなものを1つづつ両手に持ったり、底の浅い大きめの太鼓ようなものをやはり両手にしたり、左手に持つ金属製の鳴り物を右手のマレットで叩いたりもするのだが、それらの打楽器音がけっこう表現総体に効いていたりもする。鳴り物だけをする場合、灰野はちょいパフォーマンス的な動き方もする。

 4人はうっすら古い日本の音を出す。どのぐらいリハをやったのかは知らないがちゃんと重なる。終わり方も自然だし、楽器音から始まるものも複数あったし、4人がいつも音を出すわけではなく、各奏者が入らない箇所もあったり…とか、構成されているとも思わされた。また、灰野のヴォイスに寄り添い思いつきの合いの手的な音を出す場合もあって、篳篥や笙の奏者はインプロ流儀も抱えていると思わせた。

<今日の、遭逢>
 会場では幾人か知り合いと会う。久しぶりだね〜、とかいう会話には必然的になりますね。その後、知人の店が用事がありたまたま出ているというので顔を出した。飲み屋っていいね。カウンターに座り店主と2人で飲んでいたら、閉まりかけているシャッターをくぐりやっていますかと問う人が。あらあ、20年ぶりぐらいに会う、ぼくより少し年長のレコード会社の方だった。先の会場で会ったレコード会社の人も同じ会社だな。先の1人はずっとリモートですと言っていたが、後から会った人は会社帰りだと言っていた。

 著名ジャズ・プロモーターである、ジョージ・ウェインが亡くなった。バブル期前後に長野県で開かれていたニューポート・ジャズ・フェスティヴァルin 斑尾で当人を見た記憶があるような気もするが、それほどぼくとは関わりのない人であり、ここんとこバタついていることもあって、その訃報をスルーしようかとも思った。でも、ザ・ニューヨーク・タイムズのネット記事をちらりと見たら、ぼくが認知していたのを大きく上回ることを彼は抱えており、これは書き留めておこうという気になった。しかし、享年95か。ニューヨークのアパートで亡くなったよう。長生き、なすったな。

 ぼくがウェインについて持つ知識は、映画「真夏の夜のジャズ」(2021年7月13日)の題材となったニューポート・ジャズ・フェスティヴァルを1954年から仕切って、その後の野外ジャズ・フェスの雛形を作り、大衆へのジャズの広がりを支えた著名にして巨大なプロモーダーであったということ。医者とアマチュア・ピアニストの両親のもとマサチューセッツ州ボストン近郊に生まれ、8歳からピアノを習い始めた彼は、ボストンのノース・イースタン大に入るころにはジャズ演奏家のキャリアを考え始め、在学中はジャズ・ピアニストとしてライヴもしていた。けっこう商業主義とも交わる末広がりなジャズ・フェス指針で知られる人だけに、彼がちゃんとミュージシャンもしていたというのは意外だった。

 1944年から2年間は陸軍に入り海外に派遣されもし、除隊後はボストン大学に在籍した。学位を取る1950年までにはボストンにストーリーヴィルというジャズ・クラブを持ち、また同名の名前でレコードも制作。ストーリーヴィルというと北欧の同名レーベルを思い浮かべる人もいるかもしれないが、ウェインの方もシドニー・ベシエ、ビリー・ホリデイ、龝吉敏子(2013年12月17日)、リー・コニッツ、ボブ・ブルックマイヤー他アルバムをいろいろ送り出した。ウェインは龝吉敏子をもっとも初期に認めた米国業界人のようだ。

 ウェインは場を提供する側に立ってからも、ピアニスト活動を行なっており、『Wein, Women & Song』(Atlantic,1955 年)などリーダー作も出し、ピアノを弾くだけでなく歌も歌っている。そして、彼はニューポート・ジャズ・フェスに関わって以降、辣腕プロモーターとして大車輪。ニューポート・フォーク・フェスティヴァルというのも当時あったのは知っていたが、なんとそれはジャズ・フェス流れでウェインが企画したものとは知らなかった。また、ぼくにとってはもっと黄金のように思えるニューオーリンズのジャズ&ヘリテッジ・フェスティヴァルが彼の手を介していようとは夢にも思わなかった。そういえば、1969年のニューポート・ジャズ・フェスにはスライ&ザ・ファミリー・ストーン(2008年8月31日、2008年9月2日、2010年1月20日)とレッド・ツェッペリンも出演したという。

 ウェインは“フェスティヴァル・プロダクション”という会社を作り、それを介し、大々的に世界中にジャズ・フェスを仕出しした。また、タバコのクール、雑誌のプレイボーイ、日本のJVC、ダンキン・ドーナツなど、いろいろなスポンサーを冠につけフェスをより大規模に運営したが、そうした大風呂敷な様には批判もあったと聞く。ぼくは彼らが仕切ったフェスは先のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルin 斑尾(スポンサーはバドワイザー。日通がついたこともあった)の様しか知らないが、広く出演者を集め、またその選抜によるセッションをいろいろ企画するなど、ジャズの広がりやおもしさを平たく伝え、両手を広げた姿勢でジャズの裾野を広げること、ジャズの担い手の活動の場/お金儲けの機会を増やしたことは間違いない。

 その原点たるニューポート・ジャズ・フスティヴァルは、昨年はキャンセルされたものの、今年は7月29日から31日かけて開かれた。一時はニューヨークで大々的に行われていたが、今はまたマサチューセッツ州ニューポートで開かれている。本来ならそこにウェインも顔を出すはずだったそうだが、フェスの2日前に参加しないことがSNSで出された。だが、リモートで出演者のメイヴィス・ステイプルズとアンドラ・デイ(2016年9月17日 )を紹介したとのこと。そのデイは2021年米国映画『The United States vs. Billie Holiday』でビリー・ホリデイ役を演じており、彼女名義のサントラ作はワーナーから出ている。

▶過去の、︎映画「真夏の夜のジャズ」
https://43142.diarynote.jp/201609201835285184/
▶︎過去の、ニューポート・フォーク・フェスティヴァルを撮った映画「フェスティヴァル」
https://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
▶過去の、龝吉ジャズ・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/201305071422511328/
▶過去の、スライ・ストーン
http://43142.diarynote.jp/200809011923060000/
http://43142.diarynote.jp/200809071428140000/
http://43142.diarynote.jp/201001211346277187/
http://43142.diarynote.jp/201505201630381899/ 映画「SLY STONE スライ・ストーン」
▶︎過去の、アンドラ・デイ
https://43142.diarynote.jp/201609201835285184/

<今日の、苦笑>
 知人が来たので、軽く飲む。うー、本当に軽くなのにすごい酔っ払った。あー、どんどん安上がりになっていく〜〜〜。


 ロックを聞き出したころは、ブリティッシュ・ロック主体だった。それが、高校に入った頃からサザッン・ロックの隆盛もあり、アーシー&ルーツィな米国のロック・バンドを好んで聞くようになった。コード進行がブルース・ビヨンドであったので、レコード音に合わせて一緒に楽器を弾きやすいのは魅力ではあったか。そして、その流れでわざとらしい仕掛けを施すプログ・ロックは逆に音楽的偏差値が低いとも感じるようになり、聞かなくなってしまった。なぜ、AからBに行くのに、余計にCDEとまだらっこしいパートを通らにゃならのか、と。その頃は少しグルーヴにも留意するようにもなり、それに欠けると感じたことも反プログ・ロックの態度を後押ししたかもしれない。

 まあ、キャプリコーン勢は別格として(同社の場合、安価なカット盤がいろいろと流通していることは大きかったか。あらら、家にあるキャプリコーンのアナログの大半がカット盤ではないだろうか)、ブラック・オーク・アーカンソーはレナード・スキナードやZ.Z.トップやブラウンズヴィル・ステイションなんかと並んで愛好したサザン・ロック・バンドだった。前置きが長くなったが、そのブラック・ロック・アーカンソーのギタリスト/シンガーがリッキー・リー・レイノルズだ。“リスキー”、または“リコシェ”という愛称もかつてはあり。ユース・カルチャーの最たる存在だったロックは当時10代でデビューする人が少なくなく、彼もそうであり享年72だ。

 死因は、新型コロナ・ウイルス。居住していたメンフィスの病院に入院中で、腎不全と心停止を起こしたと伝えられる。レイノルズはその前身バンドであるザ・ノウバディ・エルス(The Knowbody Else)から関与し、ザ・バーズとザ・ヤードバーズのコピーを当初していたというそのザ・ノウバディ・エルスはスタックス・レコード傘下のヒップから1969年にアルバムを出した。その後、彼らはブラック・オーク・アーカンソーと名前を変えてアトランティック/アトコと契約し、1971年にデビュー・アルバムをリリースした。

 当初はカントリー色も出していたが、それもつかの間。すぐにストレートなロックンロール(別の書き方をするなら、ストーンズ調)曲も披露し〜それについては、ローリング・ストーン誌の「彼らは新しいザ・ローリング・ストーンズになりえる」という記事に引っ張られたという話もある〜、シンガーのジム“ダンディ”マングラムが少しわざとらしいダミ声 (耳障りな歌声。なんても、言われた)のためか、少しグリッター色を感じさせる部分もあった。1980年代に入るとぼくは彼らをまったく追わなくなってしまったが、1970年代後期にはポップ色を強めたり、ほんのりピコピコ音を入れたこともあった。なんにせよ、1970年代中期まではかなりの動員を持つバンドであり、レイノルズの死去の記事はいろいろと出ている。それらをちゃんと吟味したわけではないが、さすがアーカンソー州の輝けるバンド、アーカンソー・タイムズのネット記事が詳しい。レイノルズはよりよい結婚生活を送るために1976年に脱退、1984年に再びバンドに復帰した。

 もし、ぼくが1枚彼らのアルバムをあげるなら、1975年作『Ain’t Life Grand』(Atco)かな。“耳障りな歌声”もあまり気にならないし(笑い)。ザ・ビートルズの「タックスマン」のカヴァーで始まり、当時のしていたリトル・フィート(2000年12月8日、2012年5月22日、2019年8月31日)調の曲もある。その事実に現れているように、彼らはスライド・バーを用いるギター奏者を抱えるバンドだった。実際のところはよく知らないが、レイノルズはボトル・ネック奏法はしなかったと思う。

 なお、レイノルズは2016年にジョースファス・アンド・ザ・ジョージ・ジョーンズタウン・マサカーというという名義の、『Mutants Of The Monster (A Tribute To Black Oak Arkansas)』(Saustex)というアルバムに関与。また、ブラック・オーク・アーカンソーは2019年に『Underdog Heroes』(Purple Pyramid。うち「Channeling Spirits」はジム・モリソン、オーティス・レディングやリヴォン・ヘルムら故人の名前がいろいろ語られる哀愁渋味曲だ)という新作を出している。レイノルズは1963年に街で唯一の長髪野郎だったというが、ブラック・オーク・アーカンソーはヒッピー/コミューン的姿勢のもとバンド活動がされるバンドであるとも紹介されていた。

▶︎過去の、リトル・フィート/ポール・バレル
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/
https://43142.diarynote.jp/201911011701216748/ バレルの訃報
▶︎過去の、ザ・バンド/リヴォン・ヘルム関連の記載
https://43142.diarynote.jp/201204221307297965/ 下の方の<>内
https://43142.diarynote.jp/201308110826574632/ ハドソン夫妻
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/ ザ・ウェイト・バンド
https://43142.diarynote.jp/202010311315187907/ 映画

<今日の、錯覚>
 本文で、カット盤のことに触れたが、今それを書いてどのぐらいの人が分かるのだろうか。アナログ時代にアメリカのレコード会社は過剰在庫を抱えると(もしくは廃盤が決定すると?)、すぐにレコード・ジャケットの角をカットしたり穴を開けたりして、安価な価格で市場に出していた。定価の6割ぐらいで買えたのではなかったか。浪人生になると毎日のように輸入盤屋に行っていたが、興味ひかれるブツがカット盤で出ていると超うれしかったなあ。
 7月にやろうと思っていた、髪のカット/カラーにやっと行った。お土産のアナログ盤を手にして……。3時間ちょい、途中から毎度のごとく飽き始めるが、話が合うのでなんとかこなせる。案内ハガキが来ていた歯科医院の定期検診にも、そろそろ行きたいところだが。今定期的に使っている歯医者は昨年3月にマスク購買不可能なおりまとめてもらったりしてお世話になっているのだが、そのセンセは当初、そんなに心配するものじゃないから安心してよと言っていた。というのはともかく、このコロナ禍にあってまずは身の安全のためと危うきに近寄らずの姿勢を取って先送りにしていることがいくつかある。だが、先ほど上のどこかから、ならもう少し節制しなさいという声が聞こえていた。それはボカロ声、真に受けないでネと暗に言われているような気にもなった。はは。

 なるほどなー。パーカッションの大儀見元(2005年6月9日、2006年2月16日、2006年7月10日、2006年8月24日、2011年1月21日、2013年3月26日、2014年9月7日、2018年5月13日、2020年11月18日、2021年4月8日 )は大西順子(1999年10月9日、2007年9月7日、2010年9月30日、2010年12月22日、2011年2月25日、2011年8月6日、2015年9月6日、2018年2月8日、2019年2月17日、2018年2月8日、2021年4月8日 )からとても信頼を受けているんだなーと納得した。今年初夏に出た大西が編曲に専念した(作曲やピアノは別の人がやる)変則編成のオーケストラ作『Out Of The Dawn』(Sometuhin’ Cool)でも効果的に重なっていたが、彼は大西の哀愁曲「Out Of The Dawn」をスペイン語にて歌ったりもした。また、デュオで演奏された曲もあった。ラテンを根本に置く演奏流儀を臨機応変にジャズ作法に乗って出す大儀見は、とても楽しそうだった。

 その2人にプラスして、大西の懐刀的存在とも言えそうなダブル・ベースの井上陽介(2006年1月21日、2008年8月19日、2009年4月1日、2010年12月22日、2012年8月24日、2021年4月8日 )と、ドラムの吉良創太(2021年4月8日 、2021年7月3日)。この7月に続く南青山・ブルーノート東京での同編成による公演で、この日は1日1回公演なり。大まかな所感は離れていないものの、大儀見と吉良が2人で重なりをずっと聞かせるパートもあったり、クインテットとしての整合性は高まっていた。今月末に、この4人でレコーディングに入るそう。この晩は大西新曲を柱とする形で進められたが、録音でもそれが踏襲されるのではないだろうか。

 この日は、ピアノが通常置かれる客席側から見て左ではなく、ステージ右の方に配置されていた。ピアノはわりと横に置かれ、大西は観客側に背中を向ける(つまり、指さばきは捉えやすい)感じに座る。コバルト・ブルーのローブっぽい衣服を身にまとう彼女はMCも快活、いい感じで録音にあたれるだろうなと思わせた。

▶過去の、大西順子
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200709131138020000/
http://43142.diarynote.jp/201010030952428017/
http://43142.diarynote.jp/201012241100592422/
http://43142.diarynote.jp/201102261254532443/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110806
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
https://43142.diarynote.jp/201802091845433242/
https://43142.diarynote.jp/201902181354161728/
https://43142.diarynote.jp/201712201609098430/ カーター時代の大西の思い出を記した項
https://43142.diarynote.jp/202104100834546125/
▶︎過去の、井上陽介
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/ 三好“3吉”巧郎
http://43142.diarynote.jp/200808221745590000/ 塩谷哲
http://43142.diarynote.jp/200904061348147316/ ヒラリー・コール
http://43142.diarynote.jp/201012241100592422/ 大西
http://43142.diarynote.jp/201209181226141636/ 塩谷
https://43142.diarynote.jp/201802091845433242/
https://43142.diarynote.jp/202104100834546125/
▶︎過去の、吉良創太
https://43142.diarynote.jp/202104100834546125/
https://43142.diarynote.jp/202107041453546495/
▶︎過去の、大儀見元
http://43142.diarynote.jp/200506120644360000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060216
http://43142.diarynote.jp/200607110800410000/
http://43142.diarynote.jp/200608271342350000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110121
http://43142.diarynote.jp/201303290751204240/
https://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
https://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
https://43142.diarynote.jp/202011191142195242/
https://43142.diarynote.jp/202104100834546125/

<今日の、車内から>
 数日前の新聞に、総裁選に出ないことになった現首相には一ついいこともあった、という記事があった。それは、原発推進には消極的な姿勢を取っていたこと。だそう。そうであったか? あの人のことを振り返るに、首相になりたてのときに権力を持ったことを誇示せんと、日本学術者会議の政府に意向に反対する傾向にある候補を6人任命拒否したことは気が弱そうに見えただけに印象に残った。それは前首相のA(←ぼくはより救い難い悪党だと思っている)の人事権を握っての強権政治の作法を踏襲しただけかもしれないが、あれがケチのつきはじめ。オレの知り合いには、あの貫禄がない人とそっくりの親族がいる人がいる。そんなに禿げてはいないそうだが、影の薄さは同じとか。今日、電車で少し佇まいが似ているナと感じる人を見かけていていろいろ思いはとんだ。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 >