U-ロイ(1942年9月21日 〜2021年2月17日 )
2021年2月18日 音楽 本国ジャマイカで、病死。その突出した偉業や個性とそれを会する多大な影響力を持つ人物に対して、キングという呼称が与えられるが、U-ロイもまたそういう存在だ。レゲエのトゥースティング、今ところのDJのパイオニアであり、ダンスホールも彼の登場がなかったらすこし異なる筋道を通るものになっていたかもしれない。米国ラップの礎となる人とも言われるが、彼の諧謔性も抱えた節回しはキャブ・キャロウェイからの強い影響があった。やっぱり、ジャマイカン・ミュージックと米国ブラック・ミュージックの関係は奥深い。
▶過去の、キャブ・キャロウェイの孫
https://43142.diarynote.jp/200511281324430000/
<今日の、……>
何も書くことがないなあ。日が長くなってきたのはうれしい。春よ、来い。
▶過去の、キャブ・キャロウェイの孫
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<今日の、……>
何も書くことがないなあ。日が長くなってきたのはうれしい。春よ、来い。
銀座・ギンザ・グラフィック・ギャラリー。無料。同所における石岡瑛子企画展のパート2となるもの。前期は<広告・キャンペーン>を扱い、3月19日まで開かれるこの後期は<グラフィック・アート>を扱う。展示は、すべて平面モノ。1980年代に彼女がニューヨークに移るまでの作品を扱っているようで、企画には彼女の妹さんも関与している。
ポスター類は多く、コッポラ映画「地獄の黙示録」のポスターは先の有料展(2021年1月26日)にも展示してあった。その横には1982年米国映画「コヤニスカッティ」(日本公開は1984年)のポスターも展示。懐かしい。その映画音楽はフィリップ・グラスが担当し、アイランド・レコードからサウンドトラックが出された。当時アイランドをライセンスしていたポリスター経由で、1984年来日中のグラスにインタヴューが可能となり、そのころ編集者だったぼくはデビュー作を出すか出さないぐらいかのオノ セイゲン(2000年3月12日、2009年1月17日、2011年8月4日、2012年6月7日、2013年1月30日、2014年4月20日、2014年7月28日、2014年9月23日、2014年10月8日、2014年10月11日、2015年4月17日、2015年9月13日、2015年9月24日、2015年10月9日、2016年3月14日、2016年5月22日、2016年7月26日、2017年5月7日、2018年6月7日、2018年11月12日、2019年9月27日)を質問者として立てた。グラスは、ちょいルー・リード的風体を持つ大人だった。
強い個の流儀と訴求力に満ちる。彼女のイラストレーションも用いた文庫本系の表紙もいろいろ、展示していた。コンピューター・グラフィックスのない時代によくぞ、と感じさせるもの多々。また、版下(当時の印刷物には不可欠な図版指示書のようなもの)も展示してあり、編集者経験のあるぼくは興味深くも懐かしかった。場内には、彼女のインタヴュー音声が流されていたりもするが、低い声だったんだな。
▶過去の、石岡瑛子展覧会
https://43142.diarynote.jp/202101271115119683/
▶過去の、オノセイゲン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
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<今日の、取材>
その後、渋谷に戻り、9年ぶりのリーダー作を出す笹子重治(2002年3月24日、2007年11月2日、2007年11月27日、2011年3月25日、2011年12月21日、2012年4月25日、2013年12月26日、2014年8月27日、2017年7月8日)にインタヴューする。電話取材はあったが、対面のそれは昨日の桑原あい(2013年9月8日、2016年12月7日、2017年7月8日、2017年9月29日、2018年12月21日、2019年1月21日、2019年4月26日、2019年4月27日、2019年4月28日、2021年1月6日)に続いて今年2度目。ともに、それを終えて飲みに流れたりもし(店は空いていたな)、ほんのすこし日常が戻ってきた気持ちになる。今日会った米国人知人のお母さんはすでに2度のワクチン接種を受けているそう。
▶過去の、笹子重治
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▶過去の、桑原あい
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https://43142.diarynote.jp/201904271153238361/
https://43142.diarynote.jp/201904281151232549/
https://43142.diarynote.jp/201904291825347224/
ポスター類は多く、コッポラ映画「地獄の黙示録」のポスターは先の有料展(2021年1月26日)にも展示してあった。その横には1982年米国映画「コヤニスカッティ」(日本公開は1984年)のポスターも展示。懐かしい。その映画音楽はフィリップ・グラスが担当し、アイランド・レコードからサウンドトラックが出された。当時アイランドをライセンスしていたポリスター経由で、1984年来日中のグラスにインタヴューが可能となり、そのころ編集者だったぼくはデビュー作を出すか出さないぐらいかのオノ セイゲン(2000年3月12日、2009年1月17日、2011年8月4日、2012年6月7日、2013年1月30日、2014年4月20日、2014年7月28日、2014年9月23日、2014年10月8日、2014年10月11日、2015年4月17日、2015年9月13日、2015年9月24日、2015年10月9日、2016年3月14日、2016年5月22日、2016年7月26日、2017年5月7日、2018年6月7日、2018年11月12日、2019年9月27日)を質問者として立てた。グラスは、ちょいルー・リード的風体を持つ大人だった。
強い個の流儀と訴求力に満ちる。彼女のイラストレーションも用いた文庫本系の表紙もいろいろ、展示していた。コンピューター・グラフィックスのない時代によくぞ、と感じさせるもの多々。また、版下(当時の印刷物には不可欠な図版指示書のようなもの)も展示してあり、編集者経験のあるぼくは興味深くも懐かしかった。場内には、彼女のインタヴュー音声が流されていたりもするが、低い声だったんだな。
▶過去の、石岡瑛子展覧会
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▶過去の、オノセイゲン
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<今日の、取材>
その後、渋谷に戻り、9年ぶりのリーダー作を出す笹子重治(2002年3月24日、2007年11月2日、2007年11月27日、2011年3月25日、2011年12月21日、2012年4月25日、2013年12月26日、2014年8月27日、2017年7月8日)にインタヴューする。電話取材はあったが、対面のそれは昨日の桑原あい(2013年9月8日、2016年12月7日、2017年7月8日、2017年9月29日、2018年12月21日、2019年1月21日、2019年4月26日、2019年4月27日、2019年4月28日、2021年1月6日)に続いて今年2度目。ともに、それを終えて飲みに流れたりもし(店は空いていたな)、ほんのすこし日常が戻ってきた気持ちになる。今日会った米国人知人のお母さんはすでに2度のワクチン接種を受けているそう。
▶過去の、笹子重治
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▶過去の、桑原あい
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R.I.P.ジョニー・パチェーコ(1935年3月25日〜2021年2月15日)
2021年2月16日 音楽 サルサというと、ファニア・レコードの名前が頭に浮かぶ。そのファニアの共同設立者である、フルートも吹く作編曲家/バンド・リーダー/プロデューサーのジョニー・パチェーコが肺炎で亡くなった。新型かどうかは不明。土曜日に救急病院に入院し、月曜日に息をひきとったという。本名、ホアン・アザリアス・パチェコ・ニッピング。メレンゲのバンド・リーダー/クラリネット奏者だった父親のもとドミニカで生まれ、11歳のときに渡米。ブルックリンで育った。
1963年にイタリア系法律家のジェリー・マスッチとファニア・レコードを立ち上げ、その音楽面を司る。そんなにラテン/サルサに入り込んでいないワタシではあるが、誕生日にまつわるこぼれ話として真っ先に出すのが、ファニア・オールスターズの1871年録音の名ライヴ盤『ライヴ・アット・チーター』、それをもとにする映画「アワ・ラテン・シング」のメインの実演シーンと収録日とぼくの誕生日が同じということ。大昔、ミュージック・マガジン誌がサルサを推しまくったことがあり(それで、トリオ・レコードがティコと契約したりもした。その際、ジャケ絵は河村要介さんのものに換えられた。ファニアを出したのはビクター音産だったっけ?)、レコードをいろいろ買ったのだが、そんななか一番気に入ったのがその2枚に分けられたライヴ盤。そして、年はもちろん違うが、収録された月日がぼくの誕生日と同じでなんとも誇らしいキブンを得たのだ。
もちろん、リーダー作も数多。そんなには聞いていないが。サルサ界きってのレーベルとともに、才ある在ニューヨークのラティーノ音楽家たちを輝かせた偉才。ファニア〜パチェーコはかつてのNYラティーノの伸長を映しだす最たる存在だった。そんな彼は、ケニー・バレルやマッコイ・タイナー(2003年7月9日、2008年9月10日、2011年1月12日)など、1960年代にはジャズ作のセッションにも打楽器で参加していた。
▶過去の、マッコイ・タイナー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200809111754413101/
http://43142.diarynote.jp/201101131336421886/
https://43142.diarynote.jp/202003120731162119/ 訃報
<今日の、買い物>
そんな必要でもないのに、ポチってしまった。後から悲しくなったのは、該当商品のもっと安い価格の案内が同じ元締めから3時間後に入ったこと。おいau、そりゃねーぜ。もともとそんなに通販を使う方ではないのだが、昨年夏に携帯を紛失した際に対応してくれたauショップの店員くんの口車に乗って、同社のクレジット・カードを作ってしまったことで通販をより使うことなってしまった。このコロナ禍のおりとはいえ、au の思うつぼだな。なんかポイントもあれれと言う感じでたまり、また値引きクーポンの案内もよく来たりもし、それらが同社のネット・ショップを使う理由になっている。結果、長年メインで使っていたダイナース・カードは基本公共料金や新聞代の引き落としのみの使用になったしまった。ダイナースのポイントは期限切れがないためずっと溜めたまま。相当なポイント数にになっているはずで、夏ぐらいまでにはなんかに交換したい。状況が好好転して、それで旅ができたらいいなー。なお、アマゾンは今使っていない。アマゾン発を模す、スパムが多すぎ。それをブロックする仕方がわからず放置しているが、ちッ。という気持ちから、アマゾン使用を可能なかぎりやめた。そういう人もいるのだから、通販関連の大会社たち、“語りメール”対策にもっと力を入れてください。
1963年にイタリア系法律家のジェリー・マスッチとファニア・レコードを立ち上げ、その音楽面を司る。そんなにラテン/サルサに入り込んでいないワタシではあるが、誕生日にまつわるこぼれ話として真っ先に出すのが、ファニア・オールスターズの1871年録音の名ライヴ盤『ライヴ・アット・チーター』、それをもとにする映画「アワ・ラテン・シング」のメインの実演シーンと収録日とぼくの誕生日が同じということ。大昔、ミュージック・マガジン誌がサルサを推しまくったことがあり(それで、トリオ・レコードがティコと契約したりもした。その際、ジャケ絵は河村要介さんのものに換えられた。ファニアを出したのはビクター音産だったっけ?)、レコードをいろいろ買ったのだが、そんななか一番気に入ったのがその2枚に分けられたライヴ盤。そして、年はもちろん違うが、収録された月日がぼくの誕生日と同じでなんとも誇らしいキブンを得たのだ。
もちろん、リーダー作も数多。そんなには聞いていないが。サルサ界きってのレーベルとともに、才ある在ニューヨークのラティーノ音楽家たちを輝かせた偉才。ファニア〜パチェーコはかつてのNYラティーノの伸長を映しだす最たる存在だった。そんな彼は、ケニー・バレルやマッコイ・タイナー(2003年7月9日、2008年9月10日、2011年1月12日)など、1960年代にはジャズ作のセッションにも打楽器で参加していた。
▶過去の、マッコイ・タイナー
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<今日の、買い物>
そんな必要でもないのに、ポチってしまった。後から悲しくなったのは、該当商品のもっと安い価格の案内が同じ元締めから3時間後に入ったこと。おいau、そりゃねーぜ。もともとそんなに通販を使う方ではないのだが、昨年夏に携帯を紛失した際に対応してくれたauショップの店員くんの口車に乗って、同社のクレジット・カードを作ってしまったことで通販をより使うことなってしまった。このコロナ禍のおりとはいえ、au の思うつぼだな。なんかポイントもあれれと言う感じでたまり、また値引きクーポンの案内もよく来たりもし、それらが同社のネット・ショップを使う理由になっている。結果、長年メインで使っていたダイナース・カードは基本公共料金や新聞代の引き落としのみの使用になったしまった。ダイナースのポイントは期限切れがないためずっと溜めたまま。相当なポイント数にになっているはずで、夏ぐらいまでにはなんかに交換したい。状況が好好転して、それで旅ができたらいいなー。なお、アマゾンは今使っていない。アマゾン発を模す、スパムが多すぎ。それをブロックする仕方がわからず放置しているが、ちッ。という気持ちから、アマゾン使用を可能なかぎりやめた。そういう人もいるのだから、通販関連の大会社たち、“語りメール”対策にもっと力を入れてください。
笹久保伸 with marucoporoporo
2021年2月14日 音楽 <El Canto Errante さまよう歌>、と題された公演。代官山・晴れたら空に豆まいて。
最初に、marucoporoporo(マルコポロロ。高校生の時から使っているアーティト名らしい)が1人でパフォーマンス。スティール弦のアコースティック・ギターの弾き語りを聞かせる。彼女は笹久保の2020年作『PERSPECTISM』のタイトル・トラックで漂う声を披露していた女性だ。足元には、アコースティック・ギター使用者としては結構多いエフェクターが置いてある。とはいえ、この日は不調で効果が効かず、普通にギター弾き語りという感じになってしまった。だが、自分に舞い降りてくる音を受けて、流動的に〜まさにさまよう〜ヴォイスとギター音で文様を紡いでいく様は確かな才能ありと思わせる。
少しの休憩をおいて、笹久保伸(2013年8月29日、2014年5月24日、2014年12月12日、2017年2月4日、2018年6月3日、2019年11月24日、2020年9月18日)が出てくる。オープナーはmarucoporoporoの曲と紹介される。普通に笹久保の曲なのかと思った。その後、オリジナルやペルー/アンデスの曲を演奏していくだが、右手と左手のかみ合い、そのヴァリエーションは本当に個性的で、魅力的だと思わずにはいられず。そして、そこからえも言われぬ情念や、音楽家としての厳格な姿勢が浮き上がるわけだ。
途中で、「琥珀色の光」と曲名が紹介された新曲を演奏したが、それはソロっぽい作品をECMから出しているギター奏者たちをふと想起もさせ……。その曲が入る新作は、わあなブラジル人が歌で入ったりする曲も収められる予定とか。いやはや、楽しみだな。ともあれ、今のECMはクラシック系作品を送り出すニュー・シリーズがどんどん充実しているとともに、変わらずフォークロア・ビヨンドの非英米圏以外のアーティストの作品も送り出している。もともとギタリスト好きとも言えそうなスタンスを持つECM、笹久保に興味を持たないだろうか?
最後の3曲は、2人一緒にする。笹久保がギターを弾き出し、marucoporoporoがそれを受けて歌を泳がせる。その歌詞のない歌唱、とても控えめな風情なのだけど存在感を持つ。最初の2曲は笹久保曲で、うち1曲は先に触れた「PERSPECTISM」。この晩にこの曲を聞いたら、これもECM風情をどこか抱えるとも思えてきた。彼女が即興ヴォーカルを乗せると、笹久保の曲が彼女の曲のようになってしまう。すごいな。アンコールとなる最後の曲は即興曲だったようだが、それにも、marucoporoporoは十全についていった。
笹久保が言うにはピアノもいけるらしい。彼女はかつてカセット作品を出す際にフィールド・レコーディングをしたくなり、秩父の廃村に出向いてレコーディグ。それを秩父っ子である笹久保が後から知って、ここ2年ぐらい繋がっているよう。しかし、超然とした佇まいも持つmarucoporoporoはオルタナティヴだな。普通、あんな不明な風体の男性が声をかけてきたら、ひいちゃうでしょ。おとなしそうな方なんだが、度量がでかいし、ひいてはスケールが大きいと思わされる。後から、彼女の2018年EPに入っていた2曲のPVを聞いたら、弦音も効果的に入った彷徨い響くトラックのもと清楚な歌を披露している。それはDIY的に作られているのだろうが、サウンド作りの能力も長けていそう。ちょいシガー・ロス(2003年4月14日、2005年7月31日、2006年4月5日、2010年8月8日)のようなことを、1人でやっているとも思わせられる?
▶過去の、笹久保伸
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201405271717357738/
http://43142.diarynote.jp/201412281015581474/
http://43142.diarynote.jp/201702081153548285/
http://43142.diarynote.jp/201710061415044353/
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https://43142.diarynote.jp/201911251210191459/
https://43142.diarynote.jp/202009190752549504/
▶過去の、シガー・ロス/ヨンシー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 4.14
http://43142.diarynote.jp/?day=20050731
http://43142.diarynote.jp/200604071341360000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
<今日の、いろいろ>
ライヴ前、渋谷で人と会う。わりと余裕ある椅子配置をしている店を選び、テーブルで互い違いに向き合うことを相手に求める。街は、けっこうな人出。暖かいし、ここのところ感染者数が少し下がっているしな(→確かに、皆んなが外出を控えるのが一番の特効薬なのかな?)。でも、ぼくは気をつける。帰りの渋谷駅、車両内の混み具合にビビり、パス。ホームの端っこに移動して、その後乗る。ところで、光ファイバーTVサーヴィスのスポーツ・チャンネル群では、今行われているウィンター・スポーツの国際大会の番組をいろいろやっている。感染がずっとひどい欧州だが、そういうことはちゃんと動いているんだな。ブラジルのチームをやめた本田圭佑も、結局はチームに入れなかったが、すぐにポルトガル入りしていたものな。香川真司や中島翔哉もギリシャやUAEにさくっと移りすでに試合に出てもいる。また、日本に今外国人選手や監督が入れないとも聞くが、移籍する日本人サッカー選手は欧州入りしている。湘南ベルマーレからロシア1部のFCルビン・カザンへ入った斉藤未月の現地オフィシャル映像を見たら、「ユー・ノウ」が多すぎるが、臆せず英語で対応していてへえ〜。アメリカン・スクールに通っていたのか。この閉塞した状況のなか、人々に娯楽や歓喜を与えるアスリートや音楽家は国をまたがる移動において少しエコイヒイキされてもいいのかと、ときに神経質なぼくでもそう思うところあり。
最初に、marucoporoporo(マルコポロロ。高校生の時から使っているアーティト名らしい)が1人でパフォーマンス。スティール弦のアコースティック・ギターの弾き語りを聞かせる。彼女は笹久保の2020年作『PERSPECTISM』のタイトル・トラックで漂う声を披露していた女性だ。足元には、アコースティック・ギター使用者としては結構多いエフェクターが置いてある。とはいえ、この日は不調で効果が効かず、普通にギター弾き語りという感じになってしまった。だが、自分に舞い降りてくる音を受けて、流動的に〜まさにさまよう〜ヴォイスとギター音で文様を紡いでいく様は確かな才能ありと思わせる。
少しの休憩をおいて、笹久保伸(2013年8月29日、2014年5月24日、2014年12月12日、2017年2月4日、2018年6月3日、2019年11月24日、2020年9月18日)が出てくる。オープナーはmarucoporoporoの曲と紹介される。普通に笹久保の曲なのかと思った。その後、オリジナルやペルー/アンデスの曲を演奏していくだが、右手と左手のかみ合い、そのヴァリエーションは本当に個性的で、魅力的だと思わずにはいられず。そして、そこからえも言われぬ情念や、音楽家としての厳格な姿勢が浮き上がるわけだ。
途中で、「琥珀色の光」と曲名が紹介された新曲を演奏したが、それはソロっぽい作品をECMから出しているギター奏者たちをふと想起もさせ……。その曲が入る新作は、わあなブラジル人が歌で入ったりする曲も収められる予定とか。いやはや、楽しみだな。ともあれ、今のECMはクラシック系作品を送り出すニュー・シリーズがどんどん充実しているとともに、変わらずフォークロア・ビヨンドの非英米圏以外のアーティストの作品も送り出している。もともとギタリスト好きとも言えそうなスタンスを持つECM、笹久保に興味を持たないだろうか?
最後の3曲は、2人一緒にする。笹久保がギターを弾き出し、marucoporoporoがそれを受けて歌を泳がせる。その歌詞のない歌唱、とても控えめな風情なのだけど存在感を持つ。最初の2曲は笹久保曲で、うち1曲は先に触れた「PERSPECTISM」。この晩にこの曲を聞いたら、これもECM風情をどこか抱えるとも思えてきた。彼女が即興ヴォーカルを乗せると、笹久保の曲が彼女の曲のようになってしまう。すごいな。アンコールとなる最後の曲は即興曲だったようだが、それにも、marucoporoporoは十全についていった。
笹久保が言うにはピアノもいけるらしい。彼女はかつてカセット作品を出す際にフィールド・レコーディングをしたくなり、秩父の廃村に出向いてレコーディグ。それを秩父っ子である笹久保が後から知って、ここ2年ぐらい繋がっているよう。しかし、超然とした佇まいも持つmarucoporoporoはオルタナティヴだな。普通、あんな不明な風体の男性が声をかけてきたら、ひいちゃうでしょ。おとなしそうな方なんだが、度量がでかいし、ひいてはスケールが大きいと思わされる。後から、彼女の2018年EPに入っていた2曲のPVを聞いたら、弦音も効果的に入った彷徨い響くトラックのもと清楚な歌を披露している。それはDIY的に作られているのだろうが、サウンド作りの能力も長けていそう。ちょいシガー・ロス(2003年4月14日、2005年7月31日、2006年4月5日、2010年8月8日)のようなことを、1人でやっているとも思わせられる?
▶過去の、笹久保伸
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201405271717357738/
http://43142.diarynote.jp/201412281015581474/
http://43142.diarynote.jp/201702081153548285/
http://43142.diarynote.jp/201710061415044353/
https://43142.diarynote.jp/201806051522321880/
https://43142.diarynote.jp/201911251210191459/
https://43142.diarynote.jp/202009190752549504/
▶過去の、シガー・ロス/ヨンシー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 4.14
http://43142.diarynote.jp/?day=20050731
http://43142.diarynote.jp/200604071341360000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
<今日の、いろいろ>
ライヴ前、渋谷で人と会う。わりと余裕ある椅子配置をしている店を選び、テーブルで互い違いに向き合うことを相手に求める。街は、けっこうな人出。暖かいし、ここのところ感染者数が少し下がっているしな(→確かに、皆んなが外出を控えるのが一番の特効薬なのかな?)。でも、ぼくは気をつける。帰りの渋谷駅、車両内の混み具合にビビり、パス。ホームの端っこに移動して、その後乗る。ところで、光ファイバーTVサーヴィスのスポーツ・チャンネル群では、今行われているウィンター・スポーツの国際大会の番組をいろいろやっている。感染がずっとひどい欧州だが、そういうことはちゃんと動いているんだな。ブラジルのチームをやめた本田圭佑も、結局はチームに入れなかったが、すぐにポルトガル入りしていたものな。香川真司や中島翔哉もギリシャやUAEにさくっと移りすでに試合に出てもいる。また、日本に今外国人選手や監督が入れないとも聞くが、移籍する日本人サッカー選手は欧州入りしている。湘南ベルマーレからロシア1部のFCルビン・カザンへ入った斉藤未月の現地オフィシャル映像を見たら、「ユー・ノウ」が多すぎるが、臆せず英語で対応していてへえ〜。アメリカン・スクールに通っていたのか。この閉塞した状況のなか、人々に娯楽や歓喜を与えるアスリートや音楽家は国をまたがる移動において少しエコイヒイキされてもいいのかと、ときに神経質なぼくでもそう思うところあり。
ジョン・コルトレーンからブラッド・ウルマーまでを相手にしたラシッド・アリ(1933年7月1日〜2009年8月12日)、セシル・テイラーやアルバート・アイラーらのサポートで何より知られるサニー・マレイ(1936年9月21日〜2017年12月7日)、近年はECMから関連作を出しかつてはミルフォード・グレイヴスとのデュオ74年作も出したアンドリュー・シリル(1939年〜)、アート・アンサブル・オブ・シカゴのドン・モイエ(1946年5月23日生まれ)、ロフト・ジャズ期にヒューマン・アーツ・アンサンブルを率いたチャールズ“ボボ”ショウ(1947年9月5日〜2017年1月16日)。とかとか。自分の世界を持っていた自由派のドラマーの名前を羅列したくなったりして。
そうしたフリー・ジャズ系ドラマーのなかでも、いろんな事項とドラミングを結びつけ、一番広い世界と哲学を出していたのがミルフォード・グレイヴスかもしれない。2018年に硬性心臓症候群/アミロイド心筋症と診断され余命半年と言われた末に、うっ血性心不全で亡くなった。NYクイーンズのジャマイカ地区の生まれで、3歳からドラムを叩き始めたという。また、ラテンやアフリカのパーカッション技法にも彼は早いうちから興味を持ち、彼の演奏にはそちらの素養も存分に活かされた。
1960年代上半期に伸長していたニューヨークのフリー・ジャズ・ムーヴメントの中枢に身を投じ、ジョン・チカイ、ラズウェル・ラッド、ジョゼッピ・ローガン、ポール・ブレイ(1999年6月1日)、アルバート・アイラー、ドン・プーレン、ソニー・シャーロック他とタッグ。リーダー作も打楽器奏者のサニー・モーガンと組んだ『Percussion Ensemble』(ESP、1965年)を皮切りに、いろいろ。『Meditation Among Us』(Kitty)はパーカッション奏者の土取利行との関係を軸に阿部薫、近藤等則(2006年4月28日, 2007年1月8日、2015年6月29日、2019年2月18日)、高木元輝らと会話した1枚だ。また、ジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月21日)やビル・ラズウェル(2004年9月5日、2005年7月30日、2005年8 月20日、2005年8月21日、2006年1月21日、2006年11月26日、2007年8月3日、2011年3月7日)らもグレイヴスには最敬礼し、複数のアルバムを作っている。意外なところでは、個性派シンガー・ソングライターのサム・アミドン(奥さんは、ベス・オートンらしい)の『The Following Mountain』(Nonesuch,2017年)でもグレイヴスは数曲で叩いている。
そんな彼は、ビートは身体と生理なり。といったような、スタンスを取る人であった。1970年代中期ごろから医学的な(医師や獣医の資格を持つという話もある)身体分析を大学で研究し人間の持つ鼓動の神秘を掘り下げたり、アフリカ系武術や舞踏を学んだり、ドロウイングや彫刻をしたりもした。また、東洋医学にも興味を持ったという。
彼が1960年代中期に組んだニューヨーク・アート・カルテットを扱う2014年映画「The Breath Courses Through Us」などもあり、2018年にはその名も「Milford Graves Full Mantis」というドキュメンタリー映画(https://vimeo.com/ondemand/milfordgravesfullmantis)も作られた。
▶過去の、ポール・ブレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm
▶︎過去の、近藤等則
https://43142.diarynote.jp/200604301346130000/
https://43142.diarynote.jp/200701131418140000/
https://43142.diarynote.jp/201507021227231770/
https://43142.diarynote.jp/201902201002506739/
https://43142.diarynote.jp/202010190735287926/ 訃報
▶︎過去の、ジョン・ゾーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
▶過去の、ビル・ラズウェル
http://43142.diarynote.jp/200409050916440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050730
http://43142.diarynote.jp/200508230544440000/
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
http://43142.diarynote.jp/200611271213510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20070803
http://43142.diarynote.jp/201103101345364557/
また、1970年代に、ジャズ要素もうまく取り込んだシティ派アダルト・ポップ表現で注視を受けたマーク-アーモンドのシンガー/ギター奏者であるジョン・マークの訃報も届いている。死因は不明。本名は、ジョン・マイケル・バーチェル。英国南西の港町コーンウォールに生まれ、1960年代後半にジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズに入り、同僚の各種サックスやフルートを吹くジョニー・アーモンド(1946年7月20日〜2009年11月18日。カリフォルニア州ベイ・エリアで癌により死去)とのユニットであるマーク-アーモンドを結成。1971年デビュー作と1972年2作目は、ブルー・サムからリリース。アメリカに拠点を置いた彼らの洗練を抱えた表現は着実な評価を受け、次の2作はコロムビアからのリリース。その際は7人組の大型バンドとして活動した。
マーク-アーモンドというと思い出すのが、そのコロムビア期にメンバーとして入ってしまいコーラスもつけていたアフリカ系純ジャズ・ドラマーのダニーのリッチモンド。その件については、https://43142.diarynote.jp/201711130924085796/ (下の方)で触れている。また、解散を経てのロイ・ハリー制作盤『トゥ・ザ・ハート』(ABC、1976年)はビリー・コブハムが叩いていた。
蛇足だが、ミルフォード・グレイヴスの原稿の冒頭に出してもよかった、シカゴのAACMに参加し、アート・アンサンブル・オブ・シカゴの初代ドラマーだったとも言われるフィリップ・ウィルソン(1941年9月8日– 1992年3月25日)は、1960年代後期から1970年前半にかけてポール・バターフィールド・ブルース・バンドに入っていたアルバム4作に参加)り、バジー・フェイトンらと洗練ジャズ・ロック・バンドのフルー・ムーンを組んだことがあった。ポール・バターフィールドのところでは、デイヴィッド・サンボーン(2000年3月21日、2003年7月18日、2010年12月1日、2012年3月3日、2013年9月3日、2014年11月6日、2015年10月19日、2017年12月5日、2017年12月7日、2018年11月26日)が同僚でしたね。一方、アラン・ダグラスのダグラス・レーベル発の1972年ファースト作『Full Moon』にはなぜかデイヴ・ホランドも1曲参加(後のリイシュー盤には、さらに彼作曲の曲も追加された)。そこで、ウィルソンは2曲でヴォーカルも取っている。また、彼はサザン・ソウルのスタッックのセッション・ミュージシャンも務めたという。その後、1970年代にはアンソニー・ブラクストン、ジュリアス・ヘンフィル、フランク・ロウ、デイヴィッド・マレイ(2003年8月9日、2004年6月6 日、2012年9月28日、2013年7月22日)ら錚々たる前衛派の作品を支え、1980年代はレスター・ブーイーのリーダー作にいろいろ参加した。
そんな彼は1980年代半ばにニュージーランドに移住し、鋭意音楽活動を維持。アンビエント傾向にあるリーダー作やケルト傾向を持つアルバムの制作など、多数のアルバムを送り出している。
▶︎過去の、アラン・ダグラス
https://43142.diarynote.jp/201707151654245284/ 下の追記の部分
▶過去の、デイヴィッド・サンボーン
http://www.myagent.ne.jp/%7Enewswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/201012051903113851/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130903
http://43142.diarynote.jp/201411101737513509/
https://43142.diarynote.jp/201510231145525391/
http://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
https://43142.diarynote.jp/201712081715389473
https://43142.diarynote.jp/201811271055049781/
▶過去の、デイヴィッド・マレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm(ハンラハンズ・コンジュア)
http://43142.diarynote.jp/200406062249580000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120928
http://43142.diarynote.jp/201307230845338219/
<今日の、付け足し>
マーク-アーモンドのデビュー作をプロデュースしたトミー・リピューマが制作した『ピープルズ・アザー・ルーム』(ホライズン/A&M、1978年)は1987年にポニーキャニオンからリイッシューされた際に、ライナーノーツを書かさせていただいた。同作はコア・メンバーの2人以外は、リオン・ペンダーヴィス(2009年7月14日、2017年6月12日)、ジョン・トロペイ(2004年1月27日、2007年10月9日、2016年2月19日、2017年6月12日)、ウィル・リー(2008年12月7日、2009年8月19日、2012年8月21日、2012年11月26日、2013年12月5日、2014年8月7日、2015年8月20日、2018年8月27日、2019年4月26日、2018年11月22日、2019年4月26日、2019年4月27日、2019年4月28日)、スティーヴ・ガッド(2004年1月27日、2010年12月1日、2012年11月26日、2013年9月3日、2004年1月27日、2010年12月1日、2012年11月26日、2013年9月3日、2016年2月19日、2016年12月6日、2017年6月12日、2019年8月6日、2019年12月16日)、ラルフ・マクドナルドらのサポートで録られていた。そのとき、同じ1978年ホライズン発のドクター・ジョン『シティ・ライツ』(こっちのリズム・セクションも、リーとガッド)の解説も一緒に引き受けていたのだが、急にロンドン出張の話があって、マーク-アーモンドの方だけを書いたのでよく覚えている。よりドクター・ジョン(2000年5月24日、2002年3月23日、2005年9月20日、2012年2月15日、2013年10月1日)の方に思い入れは強かったが、だからこそないがしろにしたくなく、マック・レベナックの方を泣く泣く諦めた(かな?)。まだ、フリーになって、半年もたっていないころ。けっこう、勝手やっていたな。
▶過去の、ドクター・ジョン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200510030016390000/
http://43142.diarynote.jp/201202161725143619/
http://43142.diarynote.jp/201310050709459564/
▶過去の、リオン・ペンダーヴィス
http://43142.diarynote.jp/200907161729269209/
https://43142.diarynote.jp/201706130913351348/
▶過去の、ジョン・トロペイ
http://43142.diarynote.jp/200402051855170000/
http://43142.diarynote.jp/200710131957390000/
http://43142.diarynote.jp/201602220813282241/
https://43142.diarynote.jp/201706130913351348/
▶過去の、ウィル・リー
http://43142.diarynote.jp/200812150312308154/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090819
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
http://43142.diarynote.jp/201212101904379741/
http://43142.diarynote.jp/201312171510083393/
http://43142.diarynote.jp/201408091058201133/
http://43142.diarynote.jp/201508210809254412/
https://43142.diarynote.jp/201808291108033102/
https://43142.diarynote.jp/201811251043143983/
https://43142.diarynote.jp/201904271153238361/
https://43142.diarynote.jp/201904281151232549/
https://43142.diarynote.jp/201904291825347224/
▶過去の、スティーヴ・ガッド
http://43142.diarynote.jp/200402051855170000/
http://43142.diarynote.jp/201012051903113851/
http://43142.diarynote.jp/201212101904379741/
http://43142.diarynote.jp/201312171510083393/
http://43142.diarynote.jp/201410220711345595/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160219
http://43142.diarynote.jp/201612091513593556/
http://43142.diarynote.jp/201706130913351348/
https://43142.diarynote.jp/201908071557182844/
https://43142.diarynote.jp/201912170840218127/
そうしたフリー・ジャズ系ドラマーのなかでも、いろんな事項とドラミングを結びつけ、一番広い世界と哲学を出していたのがミルフォード・グレイヴスかもしれない。2018年に硬性心臓症候群/アミロイド心筋症と診断され余命半年と言われた末に、うっ血性心不全で亡くなった。NYクイーンズのジャマイカ地区の生まれで、3歳からドラムを叩き始めたという。また、ラテンやアフリカのパーカッション技法にも彼は早いうちから興味を持ち、彼の演奏にはそちらの素養も存分に活かされた。
1960年代上半期に伸長していたニューヨークのフリー・ジャズ・ムーヴメントの中枢に身を投じ、ジョン・チカイ、ラズウェル・ラッド、ジョゼッピ・ローガン、ポール・ブレイ(1999年6月1日)、アルバート・アイラー、ドン・プーレン、ソニー・シャーロック他とタッグ。リーダー作も打楽器奏者のサニー・モーガンと組んだ『Percussion Ensemble』(ESP、1965年)を皮切りに、いろいろ。『Meditation Among Us』(Kitty)はパーカッション奏者の土取利行との関係を軸に阿部薫、近藤等則(2006年4月28日, 2007年1月8日、2015年6月29日、2019年2月18日)、高木元輝らと会話した1枚だ。また、ジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月21日)やビル・ラズウェル(2004年9月5日、2005年7月30日、2005年8 月20日、2005年8月21日、2006年1月21日、2006年11月26日、2007年8月3日、2011年3月7日)らもグレイヴスには最敬礼し、複数のアルバムを作っている。意外なところでは、個性派シンガー・ソングライターのサム・アミドン(奥さんは、ベス・オートンらしい)の『The Following Mountain』(Nonesuch,2017年)でもグレイヴスは数曲で叩いている。
そんな彼は、ビートは身体と生理なり。といったような、スタンスを取る人であった。1970年代中期ごろから医学的な(医師や獣医の資格を持つという話もある)身体分析を大学で研究し人間の持つ鼓動の神秘を掘り下げたり、アフリカ系武術や舞踏を学んだり、ドロウイングや彫刻をしたりもした。また、東洋医学にも興味を持ったという。
彼が1960年代中期に組んだニューヨーク・アート・カルテットを扱う2014年映画「The Breath Courses Through Us」などもあり、2018年にはその名も「Milford Graves Full Mantis」というドキュメンタリー映画(https://vimeo.com/ondemand/milfordgravesfullmantis)も作られた。
▶過去の、ポール・ブレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm
▶︎過去の、近藤等則
https://43142.diarynote.jp/200604301346130000/
https://43142.diarynote.jp/200701131418140000/
https://43142.diarynote.jp/201507021227231770/
https://43142.diarynote.jp/201902201002506739/
https://43142.diarynote.jp/202010190735287926/ 訃報
▶︎過去の、ジョン・ゾーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
▶過去の、ビル・ラズウェル
http://43142.diarynote.jp/200409050916440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050730
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http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
http://43142.diarynote.jp/200611271213510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20070803
http://43142.diarynote.jp/201103101345364557/
また、1970年代に、ジャズ要素もうまく取り込んだシティ派アダルト・ポップ表現で注視を受けたマーク-アーモンドのシンガー/ギター奏者であるジョン・マークの訃報も届いている。死因は不明。本名は、ジョン・マイケル・バーチェル。英国南西の港町コーンウォールに生まれ、1960年代後半にジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズに入り、同僚の各種サックスやフルートを吹くジョニー・アーモンド(1946年7月20日〜2009年11月18日。カリフォルニア州ベイ・エリアで癌により死去)とのユニットであるマーク-アーモンドを結成。1971年デビュー作と1972年2作目は、ブルー・サムからリリース。アメリカに拠点を置いた彼らの洗練を抱えた表現は着実な評価を受け、次の2作はコロムビアからのリリース。その際は7人組の大型バンドとして活動した。
マーク-アーモンドというと思い出すのが、そのコロムビア期にメンバーとして入ってしまいコーラスもつけていたアフリカ系純ジャズ・ドラマーのダニーのリッチモンド。その件については、https://43142.diarynote.jp/201711130924085796/ (下の方)で触れている。また、解散を経てのロイ・ハリー制作盤『トゥ・ザ・ハート』(ABC、1976年)はビリー・コブハムが叩いていた。
蛇足だが、ミルフォード・グレイヴスの原稿の冒頭に出してもよかった、シカゴのAACMに参加し、アート・アンサンブル・オブ・シカゴの初代ドラマーだったとも言われるフィリップ・ウィルソン(1941年9月8日– 1992年3月25日)は、1960年代後期から1970年前半にかけてポール・バターフィールド・ブルース・バンドに入っていたアルバム4作に参加)り、バジー・フェイトンらと洗練ジャズ・ロック・バンドのフルー・ムーンを組んだことがあった。ポール・バターフィールドのところでは、デイヴィッド・サンボーン(2000年3月21日、2003年7月18日、2010年12月1日、2012年3月3日、2013年9月3日、2014年11月6日、2015年10月19日、2017年12月5日、2017年12月7日、2018年11月26日)が同僚でしたね。一方、アラン・ダグラスのダグラス・レーベル発の1972年ファースト作『Full Moon』にはなぜかデイヴ・ホランドも1曲参加(後のリイシュー盤には、さらに彼作曲の曲も追加された)。そこで、ウィルソンは2曲でヴォーカルも取っている。また、彼はサザン・ソウルのスタッックのセッション・ミュージシャンも務めたという。その後、1970年代にはアンソニー・ブラクストン、ジュリアス・ヘンフィル、フランク・ロウ、デイヴィッド・マレイ(2003年8月9日、2004年6月6 日、2012年9月28日、2013年7月22日)ら錚々たる前衛派の作品を支え、1980年代はレスター・ブーイーのリーダー作にいろいろ参加した。
そんな彼は1980年代半ばにニュージーランドに移住し、鋭意音楽活動を維持。アンビエント傾向にあるリーダー作やケルト傾向を持つアルバムの制作など、多数のアルバムを送り出している。
▶︎過去の、アラン・ダグラス
https://43142.diarynote.jp/201707151654245284/ 下の追記の部分
▶過去の、デイヴィッド・サンボーン
http://www.myagent.ne.jp/%7Enewswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/201012051903113851/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130903
http://43142.diarynote.jp/201411101737513509/
https://43142.diarynote.jp/201510231145525391/
http://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
https://43142.diarynote.jp/201712081715389473
https://43142.diarynote.jp/201811271055049781/
▶過去の、デイヴィッド・マレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm(ハンラハンズ・コンジュア)
http://43142.diarynote.jp/200406062249580000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120928
http://43142.diarynote.jp/201307230845338219/
<今日の、付け足し>
マーク-アーモンドのデビュー作をプロデュースしたトミー・リピューマが制作した『ピープルズ・アザー・ルーム』(ホライズン/A&M、1978年)は1987年にポニーキャニオンからリイッシューされた際に、ライナーノーツを書かさせていただいた。同作はコア・メンバーの2人以外は、リオン・ペンダーヴィス(2009年7月14日、2017年6月12日)、ジョン・トロペイ(2004年1月27日、2007年10月9日、2016年2月19日、2017年6月12日)、ウィル・リー(2008年12月7日、2009年8月19日、2012年8月21日、2012年11月26日、2013年12月5日、2014年8月7日、2015年8月20日、2018年8月27日、2019年4月26日、2018年11月22日、2019年4月26日、2019年4月27日、2019年4月28日)、スティーヴ・ガッド(2004年1月27日、2010年12月1日、2012年11月26日、2013年9月3日、2004年1月27日、2010年12月1日、2012年11月26日、2013年9月3日、2016年2月19日、2016年12月6日、2017年6月12日、2019年8月6日、2019年12月16日)、ラルフ・マクドナルドらのサポートで録られていた。そのとき、同じ1978年ホライズン発のドクター・ジョン『シティ・ライツ』(こっちのリズム・セクションも、リーとガッド)の解説も一緒に引き受けていたのだが、急にロンドン出張の話があって、マーク-アーモンドの方だけを書いたのでよく覚えている。よりドクター・ジョン(2000年5月24日、2002年3月23日、2005年9月20日、2012年2月15日、2013年10月1日)の方に思い入れは強かったが、だからこそないがしろにしたくなく、マック・レベナックの方を泣く泣く諦めた(かな?)。まだ、フリーになって、半年もたっていないころ。けっこう、勝手やっていたな。
▶過去の、ドクター・ジョン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200510030016390000/
http://43142.diarynote.jp/201202161725143619/
http://43142.diarynote.jp/201310050709459564/
▶過去の、リオン・ペンダーヴィス
http://43142.diarynote.jp/200907161729269209/
https://43142.diarynote.jp/201706130913351348/
▶過去の、ジョン・トロペイ
http://43142.diarynote.jp/200402051855170000/
http://43142.diarynote.jp/200710131957390000/
http://43142.diarynote.jp/201602220813282241/
https://43142.diarynote.jp/201706130913351348/
▶過去の、ウィル・リー
http://43142.diarynote.jp/200812150312308154/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090819
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
http://43142.diarynote.jp/201212101904379741/
http://43142.diarynote.jp/201312171510083393/
http://43142.diarynote.jp/201408091058201133/
http://43142.diarynote.jp/201508210809254412/
https://43142.diarynote.jp/201808291108033102/
https://43142.diarynote.jp/201811251043143983/
https://43142.diarynote.jp/201904271153238361/
https://43142.diarynote.jp/201904281151232549/
https://43142.diarynote.jp/201904291825347224/
▶過去の、スティーヴ・ガッド
http://43142.diarynote.jp/200402051855170000/
http://43142.diarynote.jp/201012051903113851/
http://43142.diarynote.jp/201212101904379741/
http://43142.diarynote.jp/201312171510083393/
http://43142.diarynote.jp/201410220711345595/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160219
http://43142.diarynote.jp/201612091513593556/
http://43142.diarynote.jp/201706130913351348/
https://43142.diarynote.jp/201908071557182844/
https://43142.diarynote.jp/201912170840218127/
R.I.P.チック・コリア(1941年6月12日〜2020年2月9日)
2021年2月12日 音楽 今の末広がりなジャズの形成に多大な役割を果たしたピアニスト/キーボーディストのチック・コリア(2006年9月3日、2007年10月1日、2016年9月16日、2017年9月2日、2019年8月31日)が亡くなった。死因は、最近発見された癌だったという。それなりの年齢ではあったが、コロナ禍においても元気そうであったので、驚きは大きい。SNS上における反応も膨大、TVのニュースでも扱われていて(たまたま母親詣でした際に、そこで見た)、彼はジャズ・アーティストとして本当に広く知られていたんだなと再認識することしきり。
けっこうフリーの入った方から、フュージョンまで。クラシックに足を伸ばしたものもあったし、編成も様々。本当に好奇心旺盛に音楽にあたった人だった。マイルズ・デイヴィス・バンドでのエフェクターを噛ませたエレクトリック・ピアノ演奏も忘れ難いし、彼の“かもめ”はパット・メセニーの諸作とともに、ECMという新機軸ジャズ・レーベルの門戸を新しい聞き手に対して開いたはずだ。個人的なことを書けば、ぼくが一番聞いた彼のレコードはリアル・タイムで買った『フレンズ』(ポリドール、1978年。あれいつ頃か、人形のキャラクター使用の問題か、ジャケット・カヴァーが変わったんだよな)かな。ロバート・グラスパー(2007年10月3日、2009年4月13日、2009年12月19日2010年12月16日、2012年6月12日、2013年1月25日、2014年8月20日、2015年6月8日、2016年12月20日、2017年6月5日、2018年1月3日、2019年1月12日)は最初にインタヴューしたときに、一番コピーしたのはチック・コリアだと言っていた。
インタヴューは1990年代に一度だけ。ぼくのなかでは関わりが少ないほうの著名人ではあったが、ウィットに富む、気配りのできる人という感じだったかな。コドモの心を持つ包容力のあるオトナ、という言い方もあるだろうか。かつて彼が持っていたLAのマッド・ハッター・スタジオには1990年ごろ、一度行ったことがある。セルジオ・メンデス(2003年9月2日、2005年8月9日、2006年9月29日、2008年2月7日、2012年5月1日、2015年5月27日、2016年9月4日、2018年11月12日)のところで弾いていたキーボード奏者のフレディ・ラヴェル(少しして、EW&Fに入ったこともあった。cf.1993年作『ミレニアム』)のデビュー作『ミッドナイト・パッション』(ポリドール、1991年)のレコーディングを取材したのだが、その使用スタジオがコリアのスタジオだったのだ。少し丘陵地にあるその一軒家に、3日ぐらい通ったのかな。
▶過去の、チック・コリア
http://43142.diarynote.jp/?day=20060903
http://43142.diarynote.jp/200710121726160000/
http://43142.diarynote.jp/201609201820427313/
https://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/
▶過去の、ロバート・グラスパー
http://43142.diarynote.jp/200710121727100000/
http://43142.diarynote.jp/200904150840164356/
http://43142.diarynote.jp/201001051625155901/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/201206141342549869/
http://43142.diarynote.jp/201301270742196778/
http://43142.diarynote.jp/201408210931581467/
http://43142.diarynote.jp/201506070919133558/
http://43142.diarynote.jp/201506091124003170/
http://43142.diarynote.jp/201612211059578863/
http://43142.diarynote.jp/201706061756141899/
https://43142.diarynote.jp/201801042046591963/
https://43142.diarynote.jp/201901141233456475/
▶過去の、セルジオ・メンデス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20050809
http://43142.diarynote.jp/200610020643550000/
http://43142.diarynote.jp/200802101517380000/
http://43142.diarynote.jp/201205080621274204/
http://43142.diarynote.jp/201505281537538677/
https://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
https://43142.diarynote.jp/201811141355524842/
<今日の、仲野麻紀と大熊ワタル>
偶然、2人の管楽器奏者からそれぞれのCDが同日に届いた。前者はまず丁寧にメールで連絡をもらい、後者はCDと一緒に手書きのカードが封入されており、恐縮する。
フランス在住の仲野麻紀(2018年7月7日、2018年10月21日)はヤン・ピタールとのお馴染みのユニットであるKyの新作『CYRCLES』(openmusic,OPJP-CD1012)。日本でも2月10日からディスクユニオンによる配給が始まった。2019年3月に録音されたもので、ダブル・ベース奏者とドラマーが参加してのカルテットでの録音。100年強前のサティの曲を3つカヴァー(うち、「La Balançoire」の解釈が特にシビれた)とともに、フリー・インプロヴィゼイションによる4曲を収録。その4つ、なかなか成熟した味も持ち、しっとりしていて、鼓舞は受けるが聞きづらくはない。リズム・セクションのニコラ・ファイファー (https://www.youtube.com/watch?v=c7VZlUB1Z8k&list=PLSV6euga4JYKyKT-65z66c91oKyK3sD3t&index=1)とモガン・コルネベール (https://www.youtube.com/watch?v=o7J3JaWfAK0)については、ともに彼ら自身のYouTubeのリンクもつけてくれて、ありがたい。それらもチェックするに値する。
彼女は、現在ソロ・アルバム作りを行っているそう。メールには「フランスは18時以降一切外出できなく、また日本のようにライブ・ハウスの配信システム等整ってなく、観劇、演奏会などがロックダウンです....(涙)。しかし、プロジェクト(リハーサル)はあり、今後の展開を保障する政府の力を感じてもおります」と、書かれていた。「昨年約3ヶ月の外出禁止が解禁(それでもマスク着用義務=罰金制)になった夏は、屋外の演奏は可能で、わたしも何度かカフェのテラス、あるいはミニ・コンサート(客は着席義務=フランス人は音楽に合わせてついつい踊りだしちゃいますものね)をしていました。そして10月中旬に再度の外出禁止、12月中旬から18時以降の外出が全面禁止(仕事、緊急医療を除く)となり、それによりレストラン、カフェ、観劇等一切閉まる、という流れです」、とのこと。また、ミュージシャンが率先してweb TVという配信システムを立ち上げ、ジャズは https://adlib-tv.com/ 。9.9ユーロ/月、5ユーロ/24時間の登録有料性だそう。また、ラジオ・フランスでは無観客のスタジオ・ライブは継続して行っていたり、地方のコンサート・ホールでは外出禁止令の間に会場を改装し、配信用のシステムを構築したりもしているそう。やはり、それらは日本でいう文化庁、あるいは地方自治体の枠から文化芸術へ支援助成金が出されているとのことだ。
そして、大熊ワタル(2001年3月24日、2010年12月13日、2012年7月1日2019年9月7日)が送ってくれたのは大昔に在籍していた絶対零度の『絶対零度LIVE at 回天’80 + Jumk Connection EP』(ZEZCO,ZR-001)。当人たちもすっかり忘れていたという1980年3月4日のレコーディング・ライヴの蔵出し6曲と、1980年7月4〜5日に録音された3つのEP 曲がカップリングされたもの。わあ、パンク/ニュー・ウェイヴ期に出た絶対零度の名前は知っていたが、ちゃんと聞くのは初めてかもしれない。ポスト・パンク的混沌に加えNYノー・ウェイヴ的なトビもあり、7月録音の方はニュー・ウェイヴ的な味も持つか。どっちにしろ、当時の東京のひりひりザラついた情緒は収められた。そして、そんなバンドでシンセサイザー(一部ギターも)を弾いていた大熊がその後クラリネットを手にし出し、それを“魔法の絨毯”としちんどんやクレツマーら生理的にあまりに広い音楽の旅に出るようになったのは興味深すぎる。
あ、それはアルト・サックスとジャズへの耽溺し、やはりそれを魔法の絨毯とすることで日本を飛び出し、フランスやアフリカや中東にたどり着いてしまった仲野も同様か。『CYRCLES』のサックスも純な歌心を讃えていて、潤いを覚えずにはいられない。大熊の郵便物には、こぐれみわぞうの「みわぞうsings 三文オペラ」公演(東京は2月28日クラブグッドマン。もちろん、大熊も出る)のちらしも同封。意気盛んだな。————ともに、胸を張り自立して、自分の音楽をしがらみなく追い求めている。あ、パートナーとの二人三脚でブレない活動をしていることも重なるか。一番多くCDを長年送り続けてくれいる藤井郷子(2018年には還暦記念で月に1枚必ずアルバムを出していたので、12枚かそれ以上)と田村夏樹も夫妻だよなあ。
▶過去の、仲野麻紀 と ヤン・ピタール
http://43142.diarynote.jp/201807080932266789/
https://43142.diarynote.jp/201810221139492314/
▶過去の、大熊ワタル/こぐれみわぞう
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-3.htm
https://43142.diarynote.jp/201012150816313582/
https://43142.diarynote.jp/?day=20120701
https://43142.diarynote.jp/201909091048167448/
▶過去の、藤井郷子
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm 藤井カルテット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-6.htm 藤井3+1
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm 藤井カルテット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm 藤井3+1
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-1.htm 藤井4
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 田村カルテット
http://43142.diarynote.jp/200407271618520000/ 藤井3+1
http://43142.diarynote.jp/?day=20050210 田村カルテット
http://43142.diarynote.jp/200512020244540000/ ザ・レイモンド・マクドナルド・トウキョウ・インプロヴァイザーズ・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/200512140951100000/ エリオット・シャープ
http://43142.diarynote.jp/?day=20060703 藤井オーケストラ名古屋/同東京
http://43142.diarynote.jp/?day=20080824 レイモンド・マクドナルド・インターナショナル・ビッグ・バンド
http://43142.diarynote.jp/200812281445103402/ 藤井4
http://43142.diarynote.jp/201001101203088126/ ガトー・リブレ、ファースト・ミーティング、ma-do、オーケストラ東京
http://43142.diarynote.jp/?day=20100607 ファースト・ミーティング
http://43142.diarynote.jp/201008261616172628/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120701
http://43142.diarynote.jp/201601301017037781/ KAZE
http://43142.diarynote.jp/201701101136544400/ Quartet Maho。Maho、 Satoko Fujii Orchestra Tokyo、Tobira―one、Satoko Fujii Quartet
http://43142.diarynote.jp/201709141146381271/ 藤井オーケストラ東京
https://43142.diarynote.jp/201801100512178732/ あれもこれも
https://43142.diarynote.jp/201901141236416025/ あれもこれも
https://43142.diarynote.jp/201903231350548821/ モリ・イクエ
https://43142.diarynote.jp/201906280923527705/ 2019年ダウンビート誌クリティクス・ポール
https://43142.diarynote.jp/201906301115529387/ +齊藤貿子
https://43142.diarynote.jp/201912220907352341/ 東京トリオ
https://43142.diarynote.jp/202001141031439634/ あれもこれも
▶過去の田村夏樹
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm 藤井カルテット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-6.htm 藤井3+1
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm 藤井カルテット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm 藤井3+1
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-1.htm 藤井4
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 田村カルテット
http://43142.diarynote.jp/200407271618520000/ 藤井3+1
http://43142.diarynote.jp/?day=20040820 板橋オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/200410162220330000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050210 田村カルテット
http://43142.diarynote.jp/200512020244540000/ ザ・レイモンド・マクドナルド・トウキョウ・インプロヴァイザーズ・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/200512140951100000/ エリオット・シャープ
http://43142.diarynote.jp/?day=20060703 藤井オーケストラ名古屋/同東京
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http://43142.diarynote.jp/201001101203088126/ ガトー・リブレ、ファースト・ミーティング、ma-do、オーケストラ東京
http://43142.diarynote.jp/?day=20100607 ファースト・ミーティング
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http://43142.diarynote.jp/201701101136544400/ Quartet Maho。Maho、 Satoko Fujii Orchestra Tokyo、Tobira―one、Satoko Fujii Quartet
http://43142.diarynote.jp/201709141146381271/ 藤井オーケストラ東京
https://43142.diarynote.jp/201801100512178732/ あれもこれも
https://43142.diarynote.jp/201901141236416025/ あれもこれも
https://43142.diarynote.jp/201903231350548821/ モリイクエ
https://43142.diarynote.jp/202001141031439634/ あれもこれも
けっこうフリーの入った方から、フュージョンまで。クラシックに足を伸ばしたものもあったし、編成も様々。本当に好奇心旺盛に音楽にあたった人だった。マイルズ・デイヴィス・バンドでのエフェクターを噛ませたエレクトリック・ピアノ演奏も忘れ難いし、彼の“かもめ”はパット・メセニーの諸作とともに、ECMという新機軸ジャズ・レーベルの門戸を新しい聞き手に対して開いたはずだ。個人的なことを書けば、ぼくが一番聞いた彼のレコードはリアル・タイムで買った『フレンズ』(ポリドール、1978年。あれいつ頃か、人形のキャラクター使用の問題か、ジャケット・カヴァーが変わったんだよな)かな。ロバート・グラスパー(2007年10月3日、2009年4月13日、2009年12月19日2010年12月16日、2012年6月12日、2013年1月25日、2014年8月20日、2015年6月8日、2016年12月20日、2017年6月5日、2018年1月3日、2019年1月12日)は最初にインタヴューしたときに、一番コピーしたのはチック・コリアだと言っていた。
インタヴューは1990年代に一度だけ。ぼくのなかでは関わりが少ないほうの著名人ではあったが、ウィットに富む、気配りのできる人という感じだったかな。コドモの心を持つ包容力のあるオトナ、という言い方もあるだろうか。かつて彼が持っていたLAのマッド・ハッター・スタジオには1990年ごろ、一度行ったことがある。セルジオ・メンデス(2003年9月2日、2005年8月9日、2006年9月29日、2008年2月7日、2012年5月1日、2015年5月27日、2016年9月4日、2018年11月12日)のところで弾いていたキーボード奏者のフレディ・ラヴェル(少しして、EW&Fに入ったこともあった。cf.1993年作『ミレニアム』)のデビュー作『ミッドナイト・パッション』(ポリドール、1991年)のレコーディングを取材したのだが、その使用スタジオがコリアのスタジオだったのだ。少し丘陵地にあるその一軒家に、3日ぐらい通ったのかな。
▶過去の、チック・コリア
http://43142.diarynote.jp/?day=20060903
http://43142.diarynote.jp/200710121726160000/
http://43142.diarynote.jp/201609201820427313/
https://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/
▶過去の、ロバート・グラスパー
http://43142.diarynote.jp/200710121727100000/
http://43142.diarynote.jp/200904150840164356/
http://43142.diarynote.jp/201001051625155901/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/201206141342549869/
http://43142.diarynote.jp/201301270742196778/
http://43142.diarynote.jp/201408210931581467/
http://43142.diarynote.jp/201506070919133558/
http://43142.diarynote.jp/201506091124003170/
http://43142.diarynote.jp/201612211059578863/
http://43142.diarynote.jp/201706061756141899/
https://43142.diarynote.jp/201801042046591963/
https://43142.diarynote.jp/201901141233456475/
▶過去の、セルジオ・メンデス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20050809
http://43142.diarynote.jp/200610020643550000/
http://43142.diarynote.jp/200802101517380000/
http://43142.diarynote.jp/201205080621274204/
http://43142.diarynote.jp/201505281537538677/
https://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
https://43142.diarynote.jp/201811141355524842/
<今日の、仲野麻紀と大熊ワタル>
偶然、2人の管楽器奏者からそれぞれのCDが同日に届いた。前者はまず丁寧にメールで連絡をもらい、後者はCDと一緒に手書きのカードが封入されており、恐縮する。
フランス在住の仲野麻紀(2018年7月7日、2018年10月21日)はヤン・ピタールとのお馴染みのユニットであるKyの新作『CYRCLES』(openmusic,OPJP-CD1012)。日本でも2月10日からディスクユニオンによる配給が始まった。2019年3月に録音されたもので、ダブル・ベース奏者とドラマーが参加してのカルテットでの録音。100年強前のサティの曲を3つカヴァー(うち、「La Balançoire」の解釈が特にシビれた)とともに、フリー・インプロヴィゼイションによる4曲を収録。その4つ、なかなか成熟した味も持ち、しっとりしていて、鼓舞は受けるが聞きづらくはない。リズム・セクションのニコラ・ファイファー (https://www.youtube.com/watch?v=c7VZlUB1Z8k&list=PLSV6euga4JYKyKT-65z66c91oKyK3sD3t&index=1)とモガン・コルネベール (https://www.youtube.com/watch?v=o7J3JaWfAK0)については、ともに彼ら自身のYouTubeのリンクもつけてくれて、ありがたい。それらもチェックするに値する。
彼女は、現在ソロ・アルバム作りを行っているそう。メールには「フランスは18時以降一切外出できなく、また日本のようにライブ・ハウスの配信システム等整ってなく、観劇、演奏会などがロックダウンです....(涙)。しかし、プロジェクト(リハーサル)はあり、今後の展開を保障する政府の力を感じてもおります」と、書かれていた。「昨年約3ヶ月の外出禁止が解禁(それでもマスク着用義務=罰金制)になった夏は、屋外の演奏は可能で、わたしも何度かカフェのテラス、あるいはミニ・コンサート(客は着席義務=フランス人は音楽に合わせてついつい踊りだしちゃいますものね)をしていました。そして10月中旬に再度の外出禁止、12月中旬から18時以降の外出が全面禁止(仕事、緊急医療を除く)となり、それによりレストラン、カフェ、観劇等一切閉まる、という流れです」、とのこと。また、ミュージシャンが率先してweb TVという配信システムを立ち上げ、ジャズは https://adlib-tv.com/ 。9.9ユーロ/月、5ユーロ/24時間の登録有料性だそう。また、ラジオ・フランスでは無観客のスタジオ・ライブは継続して行っていたり、地方のコンサート・ホールでは外出禁止令の間に会場を改装し、配信用のシステムを構築したりもしているそう。やはり、それらは日本でいう文化庁、あるいは地方自治体の枠から文化芸術へ支援助成金が出されているとのことだ。
そして、大熊ワタル(2001年3月24日、2010年12月13日、2012年7月1日2019年9月7日)が送ってくれたのは大昔に在籍していた絶対零度の『絶対零度LIVE at 回天’80 + Jumk Connection EP』(ZEZCO,ZR-001)。当人たちもすっかり忘れていたという1980年3月4日のレコーディング・ライヴの蔵出し6曲と、1980年7月4〜5日に録音された3つのEP 曲がカップリングされたもの。わあ、パンク/ニュー・ウェイヴ期に出た絶対零度の名前は知っていたが、ちゃんと聞くのは初めてかもしれない。ポスト・パンク的混沌に加えNYノー・ウェイヴ的なトビもあり、7月録音の方はニュー・ウェイヴ的な味も持つか。どっちにしろ、当時の東京のひりひりザラついた情緒は収められた。そして、そんなバンドでシンセサイザー(一部ギターも)を弾いていた大熊がその後クラリネットを手にし出し、それを“魔法の絨毯”としちんどんやクレツマーら生理的にあまりに広い音楽の旅に出るようになったのは興味深すぎる。
あ、それはアルト・サックスとジャズへの耽溺し、やはりそれを魔法の絨毯とすることで日本を飛び出し、フランスやアフリカや中東にたどり着いてしまった仲野も同様か。『CYRCLES』のサックスも純な歌心を讃えていて、潤いを覚えずにはいられない。大熊の郵便物には、こぐれみわぞうの「みわぞうsings 三文オペラ」公演(東京は2月28日クラブグッドマン。もちろん、大熊も出る)のちらしも同封。意気盛んだな。————ともに、胸を張り自立して、自分の音楽をしがらみなく追い求めている。あ、パートナーとの二人三脚でブレない活動をしていることも重なるか。一番多くCDを長年送り続けてくれいる藤井郷子(2018年には還暦記念で月に1枚必ずアルバムを出していたので、12枚かそれ以上)と田村夏樹も夫妻だよなあ。
▶過去の、仲野麻紀 と ヤン・ピタール
http://43142.diarynote.jp/201807080932266789/
https://43142.diarynote.jp/201810221139492314/
▶過去の、大熊ワタル/こぐれみわぞう
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-3.htm
https://43142.diarynote.jp/201012150816313582/
https://43142.diarynote.jp/?day=20120701
https://43142.diarynote.jp/201909091048167448/
▶過去の、藤井郷子
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm 藤井カルテット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-6.htm 藤井3+1
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm 藤井カルテット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm 藤井3+1
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-1.htm 藤井4
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 田村カルテット
http://43142.diarynote.jp/200407271618520000/ 藤井3+1
http://43142.diarynote.jp/?day=20050210 田村カルテット
http://43142.diarynote.jp/200512020244540000/ ザ・レイモンド・マクドナルド・トウキョウ・インプロヴァイザーズ・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/200512140951100000/ エリオット・シャープ
http://43142.diarynote.jp/?day=20060703 藤井オーケストラ名古屋/同東京
http://43142.diarynote.jp/?day=20080824 レイモンド・マクドナルド・インターナショナル・ビッグ・バンド
http://43142.diarynote.jp/200812281445103402/ 藤井4
http://43142.diarynote.jp/201001101203088126/ ガトー・リブレ、ファースト・ミーティング、ma-do、オーケストラ東京
http://43142.diarynote.jp/?day=20100607 ファースト・ミーティング
http://43142.diarynote.jp/201008261616172628/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120701
http://43142.diarynote.jp/201601301017037781/ KAZE
http://43142.diarynote.jp/201701101136544400/ Quartet Maho。Maho、 Satoko Fujii Orchestra Tokyo、Tobira―one、Satoko Fujii Quartet
http://43142.diarynote.jp/201709141146381271/ 藤井オーケストラ東京
https://43142.diarynote.jp/201801100512178732/ あれもこれも
https://43142.diarynote.jp/201901141236416025/ あれもこれも
https://43142.diarynote.jp/201903231350548821/ モリ・イクエ
https://43142.diarynote.jp/201906280923527705/ 2019年ダウンビート誌クリティクス・ポール
https://43142.diarynote.jp/201906301115529387/ +齊藤貿子
https://43142.diarynote.jp/201912220907352341/ 東京トリオ
https://43142.diarynote.jp/202001141031439634/ あれもこれも
▶過去の田村夏樹
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm 藤井カルテット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-6.htm 藤井3+1
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm 藤井カルテット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm 藤井3+1
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-1.htm 藤井4
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 田村カルテット
http://43142.diarynote.jp/200407271618520000/ 藤井3+1
http://43142.diarynote.jp/?day=20040820 板橋オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/200410162220330000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050210 田村カルテット
http://43142.diarynote.jp/200512020244540000/ ザ・レイモンド・マクドナルド・トウキョウ・インプロヴァイザーズ・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/200512140951100000/ エリオット・シャープ
http://43142.diarynote.jp/?day=20060703 藤井オーケストラ名古屋/同東京
http://43142.diarynote.jp/?day=20080824 レイモンド・マクドナルド・インターナショナル・ビッグ・バンド
http://43142.diarynote.jp/200812281445103402/ 藤井4
http://43142.diarynote.jp/201001101203088126/ ガトー・リブレ、ファースト・ミーティング、ma-do、オーケストラ東京
http://43142.diarynote.jp/?day=20100607 ファースト・ミーティング
http://43142.diarynote.jp/201601301017037781/ KAZE
http://43142.diarynote.jp/201701101136544400/ Quartet Maho。Maho、 Satoko Fujii Orchestra Tokyo、Tobira―one、Satoko Fujii Quartet
http://43142.diarynote.jp/201709141146381271/ 藤井オーケストラ東京
https://43142.diarynote.jp/201801100512178732/ あれもこれも
https://43142.diarynote.jp/201901141236416025/ あれもこれも
https://43142.diarynote.jp/201903231350548821/ モリイクエ
https://43142.diarynote.jp/202001141031439634/ あれもこれも
AFRO URBANITY
2021年2月11日 音楽 日本のプログ・ラテン・バンドであるアフロ・アーバニティの、無観客ライヴ映像を収録を見させていただく。彼女たちはこのコロナ禍にライヴ映像を配信していて、これはその3回め用のための収録だそう。会場は青山クロスシアター。閉まった子供の城隣の小道の斜め前にある、ちゃんとしたホールだった。その2回めのライヴ映像は、https://www.nsrecordsjapan.com/post/2021afrourbanity_studiolive 。
2019年にリリースされた、デビュー作『AFRO URBANITY 』(NS)はいろいろすぐに忘却してしまうぼくにとって、実はなんとも印象に残っている1作だ。ぼくの耳に同作は<きちっと伝統に足をつけながら、相当に先進的なラテン>と感激させてあまりある仕上がり。ブラインドでロベルト・フォンセカ(2003年10月14日、2010年1月26日、2013年1月12日、2014年3月19日、2017年9月19日、2018年9月2日 )の新プロジェクトと聞いたら信じちゃう、とか思ったもの。なので、その生の様に触れるのが楽しみでしょうがなかった。ぼくはルンルン、渋谷駅から坂道を登っていった。
メンバーは、キーボードの阿部道子とヴォーカルの奈奈カンタリーナと。その2人が中心となり、研ぎ澄まされた音楽ディレクションをしている。いやはや、ラテン・ミュージック愛を根っこに置く、この歌心と野心の拮抗の繰り広げ方はすごい。彼女たちに加え、キーボードの津垣博道、ベースの小泉哲夫、ドラムの加納樹麻、ティンバレスの吉羽一星、バタとコンガの関コータがメンバー。今回はそこに、3本の管楽器セクションが入る場合もある。そちらは、トランペットの松木理三郎と、テナー・サックスとフルートの石井裕太とトロンボーンの石川智久。
会場に入ると、詰めのリハーサル中。カメラ・ワークの確認もなされていたが、カメラマンも複数いて、周到なお膳立てと労力をかけて収録に当たっていることを了解。その合間のときにも、打楽器陣は戯れるように楽器を叩いていたが、バタの出音の大きさや芯のあり方を再確認。そして、その音楽はかなりサンテリアに基を置いているのだとも認識。実際、オリジナルをやっているが、神の名前が入っている曲はサンテリア曲のメロディを引用しているようだ。この日やった中で、一番しっとりした「El Callejon de los Rumberos」はいい曲だなあ。
抜群のチームワーク、関係性のもと、瑞々しくも有機的なラテン+の表現が編み出される様に体が揺れる。収録じゃなかったら、大騒ぎして見ていたろう。しっかりキューバン・ラテンの本意を抱えつつ、現在進行形な今を見据えるその生き方はいろんな感じ方ができ、いろんな人に勧められるものではないかと思う。キップ・ハンラハン(2000年1月12日、2001年5月15日、2011年12月8日)を愛好する人にも聞いてほしい。
▶過去の、ロベルト・フォンセカ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm
http://43142.diarynote.jp/201001291746252351/
http://43142.diarynote.jp/201301161544336447/
http://43142.diarynote.jp/201403240917556171/
http://43142.diarynote.jp/201509291629428595/ (最後のほう、フォンセカへのインタヴュー)
http://43142.diarynote.jp/201709240952511030/
▶過去の、キップ・ハンラハン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
<今日の、会話>
なんか、貴重な機会をいただいてしまったなという気持ちいっぱい。そして、いろいろ聞きたいことも出てくる。どうやって、こういうメンバーになったんですか。「私が1人1人見にいって、こうなりました」(阿部)。ヴォーカルは歌詞のないものも耳につき効果的と思え、それが広がりあるグループの音楽性を導いているようにも感じます。「実は、AFRO URBANITY を組むとき、ヴォーカルは歌詞のないものにして、私も楽器奏者の一員であるようなグループにしたかったんです」(奈々)。ぼくがとってもプログレッシヴと感じるという言葉を受け、阿部は「実はブログレッシヴ・ロックも好きだった」というようなことも言っていた。終了後、ぼくがステージの機材を見ていると、津垣博通が気さくに話しけてくださる。彼の場合、ぼくはジャズ・ピアニストとしての印象をまず持つ。それを伝えると、ブラジル音楽はトロンボーン奏者の向井滋春(当時のマネイジャーは中原仁)のグループ、ラテンは松岡直也のグループ(けっこうな期間、在籍したはず)に入って理解を深めたとのこと。彼は、『Afro Cuban Fantasy』(RYU-GOOD-JOE、2002年)というラテン・ジャズのミニ・アルバムも出している。この日は彼の作った曲もやっていたが、それは3管のワザと妙味をたっぷり介したものだった。それから、彼女たちのアルバム配給会社の方に聞いたのだが、奈奈カンタリーナのおばさんは、金延幸子(1999年5月31日)であるのだとか。わー、そりゃ才能に満ちていて不思議はない。というか、才溢れ出て当然じゃないか。この日、撮影されたものは、まず前半が3月5日(金) 21時に”NS Records Japan YOUTUBE Channel ”で公開される。https://youtube.com/c/NSRecordsJapan
▶過去の、金延幸子
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live2.htm
2019年にリリースされた、デビュー作『AFRO URBANITY 』(NS)はいろいろすぐに忘却してしまうぼくにとって、実はなんとも印象に残っている1作だ。ぼくの耳に同作は<きちっと伝統に足をつけながら、相当に先進的なラテン>と感激させてあまりある仕上がり。ブラインドでロベルト・フォンセカ(2003年10月14日、2010年1月26日、2013年1月12日、2014年3月19日、2017年9月19日、2018年9月2日 )の新プロジェクトと聞いたら信じちゃう、とか思ったもの。なので、その生の様に触れるのが楽しみでしょうがなかった。ぼくはルンルン、渋谷駅から坂道を登っていった。
メンバーは、キーボードの阿部道子とヴォーカルの奈奈カンタリーナと。その2人が中心となり、研ぎ澄まされた音楽ディレクションをしている。いやはや、ラテン・ミュージック愛を根っこに置く、この歌心と野心の拮抗の繰り広げ方はすごい。彼女たちに加え、キーボードの津垣博道、ベースの小泉哲夫、ドラムの加納樹麻、ティンバレスの吉羽一星、バタとコンガの関コータがメンバー。今回はそこに、3本の管楽器セクションが入る場合もある。そちらは、トランペットの松木理三郎と、テナー・サックスとフルートの石井裕太とトロンボーンの石川智久。
会場に入ると、詰めのリハーサル中。カメラ・ワークの確認もなされていたが、カメラマンも複数いて、周到なお膳立てと労力をかけて収録に当たっていることを了解。その合間のときにも、打楽器陣は戯れるように楽器を叩いていたが、バタの出音の大きさや芯のあり方を再確認。そして、その音楽はかなりサンテリアに基を置いているのだとも認識。実際、オリジナルをやっているが、神の名前が入っている曲はサンテリア曲のメロディを引用しているようだ。この日やった中で、一番しっとりした「El Callejon de los Rumberos」はいい曲だなあ。
抜群のチームワーク、関係性のもと、瑞々しくも有機的なラテン+の表現が編み出される様に体が揺れる。収録じゃなかったら、大騒ぎして見ていたろう。しっかりキューバン・ラテンの本意を抱えつつ、現在進行形な今を見据えるその生き方はいろんな感じ方ができ、いろんな人に勧められるものではないかと思う。キップ・ハンラハン(2000年1月12日、2001年5月15日、2011年12月8日)を愛好する人にも聞いてほしい。
▶過去の、ロベルト・フォンセカ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm
http://43142.diarynote.jp/201001291746252351/
http://43142.diarynote.jp/201301161544336447/
http://43142.diarynote.jp/201403240917556171/
http://43142.diarynote.jp/201509291629428595/ (最後のほう、フォンセカへのインタヴュー)
http://43142.diarynote.jp/201709240952511030/
▶過去の、キップ・ハンラハン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
<今日の、会話>
なんか、貴重な機会をいただいてしまったなという気持ちいっぱい。そして、いろいろ聞きたいことも出てくる。どうやって、こういうメンバーになったんですか。「私が1人1人見にいって、こうなりました」(阿部)。ヴォーカルは歌詞のないものも耳につき効果的と思え、それが広がりあるグループの音楽性を導いているようにも感じます。「実は、AFRO URBANITY を組むとき、ヴォーカルは歌詞のないものにして、私も楽器奏者の一員であるようなグループにしたかったんです」(奈々)。ぼくがとってもプログレッシヴと感じるという言葉を受け、阿部は「実はブログレッシヴ・ロックも好きだった」というようなことも言っていた。終了後、ぼくがステージの機材を見ていると、津垣博通が気さくに話しけてくださる。彼の場合、ぼくはジャズ・ピアニストとしての印象をまず持つ。それを伝えると、ブラジル音楽はトロンボーン奏者の向井滋春(当時のマネイジャーは中原仁)のグループ、ラテンは松岡直也のグループ(けっこうな期間、在籍したはず)に入って理解を深めたとのこと。彼は、『Afro Cuban Fantasy』(RYU-GOOD-JOE、2002年)というラテン・ジャズのミニ・アルバムも出している。この日は彼の作った曲もやっていたが、それは3管のワザと妙味をたっぷり介したものだった。それから、彼女たちのアルバム配給会社の方に聞いたのだが、奈奈カンタリーナのおばさんは、金延幸子(1999年5月31日)であるのだとか。わー、そりゃ才能に満ちていて不思議はない。というか、才溢れ出て当然じゃないか。この日、撮影されたものは、まず前半が3月5日(金) 21時に”NS Records Japan YOUTUBE Channel ”で公開される。https://youtube.com/c/NSRecordsJapan
▶過去の、金延幸子
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live2.htm
ニール・ヤング(2001年7月28日)、ビッグ・ブラザー・&ホールディング・カンパニー、ゴードン・ライトフット、リンダ・ロンシュタット他、まずはロックの分野で知られるだろうプロデューサー/エンジニアのエリオット・メイザーがサンフランシスコの自宅で亡くなった。ここ数年は認知症を患い、心臓発作が死因と報じられている。
ジャズ世代でありニューヨックっこで、スタートはジャズの世界。1960年代初頭からプレスティッジ・レコードのブツを手がけ、ルディ・ヴァン・ゲルターとも懇意にした。また、1960年代中期にはキャミオ・パークウェイでクラーク・テリーやテディ・ウィルソン、メイナード・ファーガソンなどを手がけている。だが、1960年代のいつ頃か彼はナッシュヴィルに移り、同地の著名スタジオであるクオドラフォニック・サウンドの設立に関わるとともに、非ジャズ以外の担い手との仕事を彼はよりするようになる。
メイザーというとそのスタジオで録られたニール・ヤングの『ハーヴェスト』(リプリーズ、1972年)の共同プロデュースがまず語られ、その後もずっとヤングとは密な関係を保つが、最初に両者が会ったのは同地でのジョニー・キャッシュのパーティであったという。エリオットは1970年代に入るとサンフランシスコに引っ越すが、それがザ・バンドの『ザ・ラスト・ワルツ』や一部ウィンダム・ヒルものへの関与にもつながったのだろう。
1990年代に入るとレコーディングの現場から離れ、スタンフォード大学の嘱託でコンピューター音響の研究を行い、デジタル・レコーディング実践の先鞭をつけたことでも知られる。また、その流れで彼はソフトウェア会社のお偉方についたこともあった。でも、彼はライヴ・レコーディングが大好きだったという話もある。
▶過去の、ニール・ヤング
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm フジ・ロック
▶︎過去の、ザ・バンド関連の記載
https://43142.diarynote.jp/201204221307297965/ 下の方の<>内
https://43142.diarynote.jp/201308110826574632/ ハドソン夫妻
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/ ザ・ウェイト・バンド
https://43142.diarynote.jp/202010311315187907/ ドキュメンタリー映画
アルゼンチン人シンガー・ソングライターのガブリエラ・ベルトラミノ(2020年9月18日)のライヴを見る。配信目的(https://www.moonromantic-channel.com/210210)のもので、青山・月見ル君想フ。昨年2月にホテルのジャズ・クラブで歌うために来日、そのまま日本に滞在することを当初強いられた彼女だが、ついに帰国することとなり、これは日本における最後のショウとなる。
サポートは、小沼ようすけ(2004年11月30日、2010年10月12日、2011年3月28日、2011年3月31日、2011年7月25日、2013年7月1日、2014年2月5日、2017年4月29日、2020年7月9日)、ギターを手にしながら多くはベース音を出し少しコーラスも入れるKai Petite(2020年7月9日)、ドラムの沼澤尚(1999年8月11日、2000年2月14日、2000年7月29日、2001年2月18日、2001年6月29日、2001年12月9日、2001年12月22日、2002年7月21日、2002年11月15日、2003年2月11日、2003年3月13日、2003年6月22日、2004年1月16日、2004年1月30日、2004年2月21日、2005年2月15日、2005年4月11日、2005年7月30日、2005年9月14日、2005年10月30日、2006年4月17日、2006年5月30日、2006年8月11日、2006年8月24日、2006年12月28日、2007年1月26日,2007年6月3日、2008年1月30日、2008年1月31日、2010年1月12日、2011年10月8日、2012年10月10日、2013年1月6、2013年1月7日、2014年9月2日、2015年10月3日、2016年9月27日、2016年11月18日、2017年7月14日、2017年9月22日、2019年5月21日、2020年7月9日)という面々。
かつての英語で歌う端正なジャズ・シンガーから一皮向けて、演目はスペイン語によるどこかでアルゼンチンの何かが入っているかもと思わす情に満ちた非ジャズのオリジナル・ソング。マイナー・キーの曲ばかりで、僕はもう少し明るい曲を所望したいと感じる部分もあった。ただし、そこはジャズ的発展を知っている奏者たちがサポートするがゆえの広がりの提供があり、それを得て彼女はかつてジャズ歌手をやっていたからこそのヴォーカリゼイションも忌憚なく発揮した。1曲。レゲエ調になったものもあった。
配信を考え、1曲が終わるとすぐに次の歌が始まり、MCはしない。何度も面々はやっているのだろう、演奏陣は譜面を置いていなかった。終盤、2曲にはフリューゲルホーンのTOKU (2000年2月25日、2001年9月6日、2004年3月10日、2006年2月16日、2008年8月19日、2011年3月16日、2012年6月19日、2013年9月22日、 2014年2月5日、2015年3月19日、2015年3月28日、2016年3月1日、2016年12月12日、2020年1月17日)が加わり、臨機応変なソロを入れる。その様をベルトラミは嬉しそうに踊りながら彼を見守る。やっぱり、彼女はジャズ好きなんだな。綺麗で器量好し、アルゼンチンのシャーデーみたいにならないだろうか。
一切MCを入れなかった彼女だが、パフォーマンスを終え、万感の思いとともに、日本滞在で得た大きさやお礼を述べる。今回の滞日はきっと彼女に多大なものを与えたはず。本国で録ったアルバムとは少し異なる日本盤CDを出る予定もあるとのこと、切にまた来てほしい。
▶︎過去の、ガブリエラ・ベルトラミノ
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▶過去の、小沼ようすけ
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http://43142.diarynote.jp/?day=20110725
http://43142.diarynote.jp/?day=20130701
http://43142.diarynote.jp/201402071150071550/
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▶︎過去の、カイ・ペティート
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▶︎過去の、沼澤尚
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm wマルコス・スザーノ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-2.htm ナッシン・バット・ザ・ファンク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm シアターブルック 7.29フジ・ロック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm スガシカオ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm ナッシン・バット・ザ・ファンク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm wマルコス・スザーノ 12/9
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm シアターブルック+マルコス・スザーノ12/22
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm W.パウリーニョ・モスカ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm サンパウロ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-2.htm ナッシン・バット・ザ・ファンク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm バーナード・ファウラー、ブロンディ・チャップリン、リサ・フィッシャー、ダリル・ジョーンズ、奥田民生、小原礼
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm シアターブルック
http://43142.diarynote.jp/200401160000000000/ w.勝井、怒怒、佐藤
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http://43142.diarynote.jp/200402211239510000/ アズ・ウィー・スピーク
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▶過去の、TOKU
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<今日の、尻すぼみ>
沼澤、TOKU、小沼とも歓談。みんなそれなりに、しなやかに。小沼のユニットに沼澤が入った昨年7月のブルーノート東京公演は、沼澤にとって3ヶ月ぶりにスティックを握ったライヴであったらしい。配信開始は20時だが、18時20分過ぎから1時間強のショウはスタート。場内で、1杯+ダブル1杯。終演後、流れたくてしょうがなかったが、ああこのおりお店が……。帰りの電車はそんなに混んでいなかった。
ジャズ世代でありニューヨックっこで、スタートはジャズの世界。1960年代初頭からプレスティッジ・レコードのブツを手がけ、ルディ・ヴァン・ゲルターとも懇意にした。また、1960年代中期にはキャミオ・パークウェイでクラーク・テリーやテディ・ウィルソン、メイナード・ファーガソンなどを手がけている。だが、1960年代のいつ頃か彼はナッシュヴィルに移り、同地の著名スタジオであるクオドラフォニック・サウンドの設立に関わるとともに、非ジャズ以外の担い手との仕事を彼はよりするようになる。
メイザーというとそのスタジオで録られたニール・ヤングの『ハーヴェスト』(リプリーズ、1972年)の共同プロデュースがまず語られ、その後もずっとヤングとは密な関係を保つが、最初に両者が会ったのは同地でのジョニー・キャッシュのパーティであったという。エリオットは1970年代に入るとサンフランシスコに引っ越すが、それがザ・バンドの『ザ・ラスト・ワルツ』や一部ウィンダム・ヒルものへの関与にもつながったのだろう。
1990年代に入るとレコーディングの現場から離れ、スタンフォード大学の嘱託でコンピューター音響の研究を行い、デジタル・レコーディング実践の先鞭をつけたことでも知られる。また、その流れで彼はソフトウェア会社のお偉方についたこともあった。でも、彼はライヴ・レコーディングが大好きだったという話もある。
▶過去の、ニール・ヤング
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アルゼンチン人シンガー・ソングライターのガブリエラ・ベルトラミノ(2020年9月18日)のライヴを見る。配信目的(https://www.moonromantic-channel.com/210210)のもので、青山・月見ル君想フ。昨年2月にホテルのジャズ・クラブで歌うために来日、そのまま日本に滞在することを当初強いられた彼女だが、ついに帰国することとなり、これは日本における最後のショウとなる。
サポートは、小沼ようすけ(2004年11月30日、2010年10月12日、2011年3月28日、2011年3月31日、2011年7月25日、2013年7月1日、2014年2月5日、2017年4月29日、2020年7月9日)、ギターを手にしながら多くはベース音を出し少しコーラスも入れるKai Petite(2020年7月9日)、ドラムの沼澤尚(1999年8月11日、2000年2月14日、2000年7月29日、2001年2月18日、2001年6月29日、2001年12月9日、2001年12月22日、2002年7月21日、2002年11月15日、2003年2月11日、2003年3月13日、2003年6月22日、2004年1月16日、2004年1月30日、2004年2月21日、2005年2月15日、2005年4月11日、2005年7月30日、2005年9月14日、2005年10月30日、2006年4月17日、2006年5月30日、2006年8月11日、2006年8月24日、2006年12月28日、2007年1月26日,2007年6月3日、2008年1月30日、2008年1月31日、2010年1月12日、2011年10月8日、2012年10月10日、2013年1月6、2013年1月7日、2014年9月2日、2015年10月3日、2016年9月27日、2016年11月18日、2017年7月14日、2017年9月22日、2019年5月21日、2020年7月9日)という面々。
かつての英語で歌う端正なジャズ・シンガーから一皮向けて、演目はスペイン語によるどこかでアルゼンチンの何かが入っているかもと思わす情に満ちた非ジャズのオリジナル・ソング。マイナー・キーの曲ばかりで、僕はもう少し明るい曲を所望したいと感じる部分もあった。ただし、そこはジャズ的発展を知っている奏者たちがサポートするがゆえの広がりの提供があり、それを得て彼女はかつてジャズ歌手をやっていたからこそのヴォーカリゼイションも忌憚なく発揮した。1曲。レゲエ調になったものもあった。
配信を考え、1曲が終わるとすぐに次の歌が始まり、MCはしない。何度も面々はやっているのだろう、演奏陣は譜面を置いていなかった。終盤、2曲にはフリューゲルホーンのTOKU (2000年2月25日、2001年9月6日、2004年3月10日、2006年2月16日、2008年8月19日、2011年3月16日、2012年6月19日、2013年9月22日、 2014年2月5日、2015年3月19日、2015年3月28日、2016年3月1日、2016年12月12日、2020年1月17日)が加わり、臨機応変なソロを入れる。その様をベルトラミは嬉しそうに踊りながら彼を見守る。やっぱり、彼女はジャズ好きなんだな。綺麗で器量好し、アルゼンチンのシャーデーみたいにならないだろうか。
一切MCを入れなかった彼女だが、パフォーマンスを終え、万感の思いとともに、日本滞在で得た大きさやお礼を述べる。今回の滞日はきっと彼女に多大なものを与えたはず。本国で録ったアルバムとは少し異なる日本盤CDを出る予定もあるとのこと、切にまた来てほしい。
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https://43142.diarynote.jp/202007101304204766/ 小沼ようすけトリオ+沼澤尚
▶過去の、TOKU
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-2.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-9.htm ロニー・プラキシコ
http://43142.diarynote.jp/200403101442170000/
http://43142.diarynote.jp/200602171950040000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080819
http://43142.diarynote.jp/201103171354125352/
http://43142.diarynote.jp/201206210944302024/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130922
http://43142.diarynote.jp/201503211741478728/
http://43142.diarynote.jp/?day=20150328
http://43142.diarynote.jp/?day=20160301
http://43142.diarynote.jp/201612171246253699/
https://43142.diarynote.jp/201804110754439999/
https://43142.diarynote.jp/201908080956036775/
https://43142.diarynote.jp/202001181115253998/
<今日の、尻すぼみ>
沼澤、TOKU、小沼とも歓談。みんなそれなりに、しなやかに。小沼のユニットに沼澤が入った昨年7月のブルーノート東京公演は、沼澤にとって3ヶ月ぶりにスティックを握ったライヴであったらしい。配信開始は20時だが、18時20分過ぎから1時間強のショウはスタート。場内で、1杯+ダブル1杯。終演後、流れたくてしょうがなかったが、ああこのおりお店が……。帰りの電車はそんなに混んでいなかった。
R.I.P.メアリー・ウィルソン(1944年3月6日〜2020年2月8日)
2021年2月9日 音楽 モータウン、いや米国を代表するガールズ・グループであるザ・スプリームスのオリジナル・メンバーであるメアリー・ウィルソンが、ラスヴェガスでお亡くなりになった。2日前にはYouTubeでユニヴァーサルから新作(旧録音曲を主ソースとするよう)が出ることもアナウンスし、突然死だったようだ。彼女はデトロイトではなく、ミシシッピ州グリーンヴィルの生まれ。そして、中西部に移り、高校に入ったころからザ・スプリームス(の前身)を組んだ。その後にモータウンとの契約を取り、1964年以降はインターナショナルに表舞台に立っている。
1977年に脱退して解散するまで、彼女はザ・スプリームスに在籍した。美貌というと、同い年の結成メンバーのダイアナ・ロスの方がまず頭に浮かぶが、かつての写真を見ると彼女もすごく可愛い。1960年代に12曲も全米1位曲を記録し〜ウィルソンがリード・ヴォーカルを取ったのは2曲と言われる〜、モータウンの興隆を支えた際たる存在。ああ、米国ポップ・ミュージックのあまりに甘美で幸せな記憶……。
解散後はザ・スプリームスの権利でモータウンともめたが和解し、1979年に同社からディスコ調のセルフ・タイトル作をリリース。また、1992年にはエルトン・ジョンとの作業で何より知られる英国人制作者のガス・ダッジョンのプロデュースで『Walk the Line』(CEO)を出した。実はシングルはいろいろあるもののアルバムはその2枚だけだが、ラスヴェガス的ショウ・シンガーとしてのキャリアは安定し、2000年代に入っても彼女はライヴDVDを出している。
1986年に1960年代のザ・スプリームスの内側を描いた自伝「Dreamgirl: My Life As a Supreme」(St. Martin’s Press)を上程し、これはその手のものとしては破格のセールスを記録したそう。その事実は、ザ・スプリームスという存在の大きさを示唆する。そんな彼女は1990、1999、2019年にもやはり共著で回顧録を出している。映画(2007年1月18日)にもなったモータウンとザ・スプリームズをモデルに置いたブロードェイ・ミュージカル「ドリーム・ガールズ」は、彼女の本が売れたことで作られた。
1974年に結婚(1981年に離婚した)し、子供たちや養女のもと大勢の孫と1人のひ孫がいるという。彼女は慈善活動など社会活動にも熱心だった。華と美貌のもとセレブ道を歩んだダイアナ・ロスとはまた別の、胸を張ったセレブ/文化人の道を歩んだ人だったのだと思う。
▶過去の、︎映画「ドリーム・ガールズ」
https://43142.diarynote.jp/200701211122480000/
▶︎過去の、モータウンのドキュメント映画
https://43142.diarynote.jp/202009301104353283/
<今日の、四方山話>
ウィルソンとダイアナ・ロスは同い年で、高校に入る頃から一緒に活動していた。以下の記述は、ナイル・ロジャース(2003年4月15日、2003年8月24日、2006年4月11日、2009年4月6日、2010年4月30日、2011年4月18日、2012年12月28日)から聞いた話だ。彼とバーナード・エドワーズのシック組はロスの『ダイアナ』(モータウン、1980年)をプロデュースした。そのレコーディング中に、ちょっと音程が狂っているよ、とナイルはロスに指摘したんだそう。そしたら、彼女は怒ってスタジオを出て行ってしまった。その後、彼女は姿を見せず。少したってから、「私は今、コートダジュールにいるのよ」と電話があったそう。「大変だったけど、まさに彼女の振る舞いはセレブリティだったね」。そんな彼女にまつわる話に以下のようないい話も。https://43142.diarynote.jp/201406231449024018/(下の方)
▶︎過去の、シック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 4月15日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm Mt.フジ・ジャズ・フェスティヴァル
http://43142.diarynote.jp/200604141318090000/
http://43142.diarynote.jp/200904120633434116/
http://43142.diarynote.jp/201005011117591329/
http://43142.diarynote.jp/201104220822068448/
http://43142.diarynote.jp/201301051329276221/
1977年に脱退して解散するまで、彼女はザ・スプリームスに在籍した。美貌というと、同い年の結成メンバーのダイアナ・ロスの方がまず頭に浮かぶが、かつての写真を見ると彼女もすごく可愛い。1960年代に12曲も全米1位曲を記録し〜ウィルソンがリード・ヴォーカルを取ったのは2曲と言われる〜、モータウンの興隆を支えた際たる存在。ああ、米国ポップ・ミュージックのあまりに甘美で幸せな記憶……。
解散後はザ・スプリームスの権利でモータウンともめたが和解し、1979年に同社からディスコ調のセルフ・タイトル作をリリース。また、1992年にはエルトン・ジョンとの作業で何より知られる英国人制作者のガス・ダッジョンのプロデュースで『Walk the Line』(CEO)を出した。実はシングルはいろいろあるもののアルバムはその2枚だけだが、ラスヴェガス的ショウ・シンガーとしてのキャリアは安定し、2000年代に入っても彼女はライヴDVDを出している。
1986年に1960年代のザ・スプリームスの内側を描いた自伝「Dreamgirl: My Life As a Supreme」(St. Martin’s Press)を上程し、これはその手のものとしては破格のセールスを記録したそう。その事実は、ザ・スプリームスという存在の大きさを示唆する。そんな彼女は1990、1999、2019年にもやはり共著で回顧録を出している。映画(2007年1月18日)にもなったモータウンとザ・スプリームズをモデルに置いたブロードェイ・ミュージカル「ドリーム・ガールズ」は、彼女の本が売れたことで作られた。
1974年に結婚(1981年に離婚した)し、子供たちや養女のもと大勢の孫と1人のひ孫がいるという。彼女は慈善活動など社会活動にも熱心だった。華と美貌のもとセレブ道を歩んだダイアナ・ロスとはまた別の、胸を張ったセレブ/文化人の道を歩んだ人だったのだと思う。
▶過去の、︎映画「ドリーム・ガールズ」
https://43142.diarynote.jp/200701211122480000/
▶︎過去の、モータウンのドキュメント映画
https://43142.diarynote.jp/202009301104353283/
<今日の、四方山話>
ウィルソンとダイアナ・ロスは同い年で、高校に入る頃から一緒に活動していた。以下の記述は、ナイル・ロジャース(2003年4月15日、2003年8月24日、2006年4月11日、2009年4月6日、2010年4月30日、2011年4月18日、2012年12月28日)から聞いた話だ。彼とバーナード・エドワーズのシック組はロスの『ダイアナ』(モータウン、1980年)をプロデュースした。そのレコーディング中に、ちょっと音程が狂っているよ、とナイルはロスに指摘したんだそう。そしたら、彼女は怒ってスタジオを出て行ってしまった。その後、彼女は姿を見せず。少したってから、「私は今、コートダジュールにいるのよ」と電話があったそう。「大変だったけど、まさに彼女の振る舞いはセレブリティだったね」。そんな彼女にまつわる話に以下のようないい話も。https://43142.diarynote.jp/201406231449024018/(下の方)
▶︎過去の、シック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 4月15日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm Mt.フジ・ジャズ・フェスティヴァル
http://43142.diarynote.jp/200604141318090000/
http://43142.diarynote.jp/200904120633434116/
http://43142.diarynote.jp/201005011117591329/
http://43142.diarynote.jp/201104220822068448/
http://43142.diarynote.jp/201301051329276221/
R.I.P.ジミー・ウェザリー(1943年3月17日〜2021年2月3日)
2021年2月7日 音楽 カントリー・ミュージックとソウル・ミュージック。米国白人固有(と言っていいだろう)の音楽と、黒人の音楽……。その両方を、バリアーなく愛好している人は少ないだろう。ぼくはといえば、ソウルは聞いても苦手感があってカントリーはほぼ聞いてきていない。例外の担い手もいないことはないが。とはいえ、ソウル・ミュージックを追うと、カントリーとソウル表現の微妙な関係を一部抱えてきたことは了解できる。そして、カントリー・ミュージックと真っ向から繋がろうとしたアルバムを出したレイ・チャールズやボビー・ウォマック(2013年5月12日)のようなソウル大家たちがいたことを頭の引き出しに入れている。
……ストーリー性のある曲はジャンルを超える、また名ソウル・シンガーは何を歌おうと味あるソウル・ミュージックになるということかもしれないが。ダン・ペン(2010年8月25日)とスプーナー・オールダムという南部ソウルのソングライターも、彼ら自身は白人でカントリー・ソングと重なるところもある表現者であることは否めない。ダン・ペンの昨年リリースされた26年ぶりのアルバム『Living on Mercy』(The Last Music)はナッシュヴィルとマッスル・ショールズで録音されていて、やはりその両方にまたがるような内容だった。どこか、渋いAORという感じもあったか。ブルーグラスとジャズの関係にもあらわれるように、ジャンルで無味乾燥に区切る聞き方は不毛だと認知しなくてはいけない。
前書きが長くなってが、ジミー・ウェザリーというメロディアスなカントリー畑のシンガー・ソングライターがお亡くなりになった。ミシシッピ州生まれ、学生時代はアメリカン・フットボールのクォーターバックをしたものの、彼は音楽の道に進んだ。なんと言っても、グラディス・ナイト&ザ・ピップスの大ヒット曲「ミドナイト・トレイン・トゥ・ジョージア」の作者として、彼はソウル史にずっしりと名を刻む人物だ。グラディス・ナイトたちは他にもウェザリーの曲を取り上げている。1970年代はRCAやブッダからリーダー作を出していて、聞いたことはないが、日本盤も出ていたと記憶する。アルバムを出していない期間も長かったが、21世紀に入ってからも複数のアルバムをリリース、彼はナッシュヴィル郊外で自然死した。
▶過去の、ボビー・ウォマック
http://43142.diarynote.jp/201305141107016872/
▶︎過去の、ダン・ペン
https://43142.diarynote.jp/201008270912512078/
<今日の、……>
ぼくの中ではかけがえのない音楽の素敵、理屈を超えた音楽の越境性や発展性を教えたピアニストの菊地雅章(1999年11月3日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24日、2012年6月25日、2012年10月26日)のソロ演奏によるアルバムが4月に出る。2013年12月にNYのスタジオで、菊地が求めたヴィンテージのスタンウェイを使い録音された。今まで最後の録音作となっていた『黒いオルフェ〜東京ソロ2012』(ECM、亡くなった翌年の2016年のリリース)が2012年10月26日の録音だから、その1年強後に残したものとなる。
2007年ごろから彼は曲に頼らない出たとこ勝負のフリー・フォーム演奏を志し、晩年2作のECM盤もそのスタンスで録音されたものであったが、今度の『Hanamichi-The Final Studio Recordings』(発売元はRedhookという新レーベル。日本はキング・インターナショナルで、そちらはスタジオで撮られた写真が掲載されたブックレットも添付されるという)と英題されたソロは、6曲中5曲が既成の曲を弾いていること。うち3曲はスタンダード(「マイ・フェイヴァリット・シングス」は2ヴァージョン収められている)と自作の旧曲「リトル・アビ」だ。
プロデュースは、有名韓国人指揮者を父に持つサン・チョン。アーロン・パークス(2002年7月3日、2005年8月21日、2008年11月22日、2009年2月3日、2012年5月31日、2014年2月5日、2019年10月23日)、シン・イェオン,トーマス・ストレーネン、ベン・モンダー(2005年7月3日、2017年6月7日)、アンドリュー・シリル、ソンジェ・ソン(2019年12月18日)らのECM発のアルバムをいろいろ手がけてきている彼だが、ちゃんと楽曲をモチーフに置いたのはソン・チョンの提案であったようだ。過去、彼が撮ったアーティスト写真もECM作には掲載されていたので、日本盤につくブックレット写真は彼が撮ったものかもしれない。
トレード・マークのうなり声はほぼ入らない形で、研ぎ澄まされた先にある無垢なヴォイスが訥々と舞う。万感の思いとともに傾聴するのみ……。
▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
http://43142.diarynote.jp/201207031322126509/
http://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
http://43142.diarynote.jp/201210271744294415/
http://43142.diarynote.jp/201507091044561526/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160611
▶過去の、アーロン・パークス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm テレンス・ブランチャード
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/200811241224271906/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090203
http://43142.diarynote.jp/?day=20120531
http://43142.diarynote.jp/201402071150071550/
https://43142.diarynote.jp/201910241554278796/
▶︎過去の、ベン・モンダー
http://43142.diarynote.jp/200507061225530000/
https://43142.diarynote.jp/201706081034584863/
▶︎過去の、ソンジェ・ソン
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
……ストーリー性のある曲はジャンルを超える、また名ソウル・シンガーは何を歌おうと味あるソウル・ミュージックになるということかもしれないが。ダン・ペン(2010年8月25日)とスプーナー・オールダムという南部ソウルのソングライターも、彼ら自身は白人でカントリー・ソングと重なるところもある表現者であることは否めない。ダン・ペンの昨年リリースされた26年ぶりのアルバム『Living on Mercy』(The Last Music)はナッシュヴィルとマッスル・ショールズで録音されていて、やはりその両方にまたがるような内容だった。どこか、渋いAORという感じもあったか。ブルーグラスとジャズの関係にもあらわれるように、ジャンルで無味乾燥に区切る聞き方は不毛だと認知しなくてはいけない。
前書きが長くなってが、ジミー・ウェザリーというメロディアスなカントリー畑のシンガー・ソングライターがお亡くなりになった。ミシシッピ州生まれ、学生時代はアメリカン・フットボールのクォーターバックをしたものの、彼は音楽の道に進んだ。なんと言っても、グラディス・ナイト&ザ・ピップスの大ヒット曲「ミドナイト・トレイン・トゥ・ジョージア」の作者として、彼はソウル史にずっしりと名を刻む人物だ。グラディス・ナイトたちは他にもウェザリーの曲を取り上げている。1970年代はRCAやブッダからリーダー作を出していて、聞いたことはないが、日本盤も出ていたと記憶する。アルバムを出していない期間も長かったが、21世紀に入ってからも複数のアルバムをリリース、彼はナッシュヴィル郊外で自然死した。
▶過去の、ボビー・ウォマック
http://43142.diarynote.jp/201305141107016872/
▶︎過去の、ダン・ペン
https://43142.diarynote.jp/201008270912512078/
<今日の、……>
ぼくの中ではかけがえのない音楽の素敵、理屈を超えた音楽の越境性や発展性を教えたピアニストの菊地雅章(1999年11月3日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24日、2012年6月25日、2012年10月26日)のソロ演奏によるアルバムが4月に出る。2013年12月にNYのスタジオで、菊地が求めたヴィンテージのスタンウェイを使い録音された。今まで最後の録音作となっていた『黒いオルフェ〜東京ソロ2012』(ECM、亡くなった翌年の2016年のリリース)が2012年10月26日の録音だから、その1年強後に残したものとなる。
2007年ごろから彼は曲に頼らない出たとこ勝負のフリー・フォーム演奏を志し、晩年2作のECM盤もそのスタンスで録音されたものであったが、今度の『Hanamichi-The Final Studio Recordings』(発売元はRedhookという新レーベル。日本はキング・インターナショナルで、そちらはスタジオで撮られた写真が掲載されたブックレットも添付されるという)と英題されたソロは、6曲中5曲が既成の曲を弾いていること。うち3曲はスタンダード(「マイ・フェイヴァリット・シングス」は2ヴァージョン収められている)と自作の旧曲「リトル・アビ」だ。
プロデュースは、有名韓国人指揮者を父に持つサン・チョン。アーロン・パークス(2002年7月3日、2005年8月21日、2008年11月22日、2009年2月3日、2012年5月31日、2014年2月5日、2019年10月23日)、シン・イェオン,トーマス・ストレーネン、ベン・モンダー(2005年7月3日、2017年6月7日)、アンドリュー・シリル、ソンジェ・ソン(2019年12月18日)らのECM発のアルバムをいろいろ手がけてきている彼だが、ちゃんと楽曲をモチーフに置いたのはソン・チョンの提案であったようだ。過去、彼が撮ったアーティスト写真もECM作には掲載されていたので、日本盤につくブックレット写真は彼が撮ったものかもしれない。
トレード・マークのうなり声はほぼ入らない形で、研ぎ澄まされた先にある無垢なヴォイスが訥々と舞う。万感の思いとともに傾聴するのみ……。
▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
http://43142.diarynote.jp/201207031322126509/
http://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
http://43142.diarynote.jp/201210271744294415/
http://43142.diarynote.jp/201507091044561526/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160611
▶過去の、アーロン・パークス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm テレンス・ブランチャード
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/200811241224271906/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090203
http://43142.diarynote.jp/?day=20120531
http://43142.diarynote.jp/201402071150071550/
https://43142.diarynote.jp/201910241554278796/
▶︎過去の、ベン・モンダー
http://43142.diarynote.jp/200507061225530000/
https://43142.diarynote.jp/201706081034584863/
▶︎過去の、ソンジェ・ソン
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
渋谷・Li-Poで、王様 を見る。ここで彼がやるのは、19回目になるのだとか。https://43142.diarynote.jp/201610141749551400/ ということがあったので、機会があれば一度彼のパフォーマンスに触れてみたかった。ステージ側と客席側の間には、大きい透明ビニールのシートが吊るされている。ぼくの入場時検温は35度代だった。
例のコスプレ姿にて、登場する。昨年に還暦を迎え、デビュー25周年になったのだとか。レコード大賞の部門賞を受け、テレビの「徹子の部屋」にも出たというから、一頃は本当にお茶の間に彼の存在は入り込んでいたのだろう。昼間はちゃんと仕事をし、日が暮れると遊びに出かけるという生活をしていたぼくはあまりTVを見ていなかったので、推測となるが。
エレクトリック・ギターを弾きながら歌う。その際、MDに入っているトラックを用いる。今使っているプレイヤーは10代目のものとか。懐かしい。今は廃れてしまったが、一時MDはかなり使われ、かつてぼくもインタヴュー時に使ったり、組んだコンピレーションのサンプルをMDでレコード会社のディレクターに渡したりしていた。インタヴューを収めたMDはトランク・ルームのどこかにあるはずだ。その後、取材の際にはICレコーダーを使うようになったが、それもだいぶたつ。
ツェッペリン、ストーンズ、キッス、ジミ・ヘンドリックス、ジャーニー、ディープ・パープル、グランド・ファンク・レイルロード、ヴァン・ヘイレンほか、オールド・スクールの著名バンドの有名曲を和訳+の日本語で披露していく。全部言葉が入ってくるわけではないが(それは、ぼくの特性ゆえ。本当に言葉が耳に入りにくい人間なのダ)、クククと笑える。日本語を聞いて、逆にうろ覚えの原曲歌詞の言葉を思い出すのも興味深い。キッスの「デトロイト・ロック・シティ」という歌はデトロイト賛歌の曲だと勝手に思っていたが、トラックに身を投げる自殺の曲であったのか。
彼は曲間にはたっぷり話す。取り上げたアーティストや曲についてのことを中心に語るのだが、ぼくはほぼ同じ世代の洋楽マニアなので100%分かるが、そうじゃない人には何気に難度が高いものかもしれない。
王様はギターが上手く、過去ロック・ギターを弾くことに喜びを覚えてきた人なのだなということをすぐに了解。大学のサークルなんかで、なんでも上手にコピーできちゃう人として一目置かれていたのではないか。そして、彼一流の知識や知性や諧謔の発露として、日本語化した歌を伴うこののやり方が出てきたのだなと思った。
レパートリーはすべてロック曲に特化する。ゆえに、すごいゾとぼくに再認識させたジェイムズ・ブラウンの「セックス・マシーン」はもちろんやらず、少し残念。聞けば、それをやったころは迷いが出ていた時期で、間口を広げたことでそれまでついていたハード・ロック系のファンが離れていってしまったそう。
<今日の、夢>
音楽フェスに行っている夢を見た。場所は温泉地のようでもある、わりと都市部。そのかなりの面積の中心部がすべて、フェス会場となっている。どうやってそこまで行ったかは記憶がないが、まず宿に入り〜ホテルというよりは旅館という感じではなかったか〜、荷物を置いた。すぐに何人もの知り合いと会い、やあやあやあ。アーティストもそこに顔を出したりもしている。その後、最初は誰かと一緒に会場に出たものの、すぐに1人で歩く。その後も知り合いたちと会い、少し一緒に行動するが、また1人となる。夢の中で、ああオレは個人主義なんだなと思った。会場は人人人、家族づれも多く、すごい動員だ。夏場なのだろうが暑くはなく、長袖のシャツと薄手のパンツという格好でちょうどいい。オレの格好、いけてなくはないよなと、やはり夢のなかで思う自分がいる。あちこちにステージはあるはずなのだが、演奏音は聞こえない。はっと目が覚めたら、夢で場内をいろいろ歩いていたので、疲労困憊。腰がダルい。ふーむ、ぼくはイヴェントや人との出会いを渇望しているのだろうか。
例のコスプレ姿にて、登場する。昨年に還暦を迎え、デビュー25周年になったのだとか。レコード大賞の部門賞を受け、テレビの「徹子の部屋」にも出たというから、一頃は本当にお茶の間に彼の存在は入り込んでいたのだろう。昼間はちゃんと仕事をし、日が暮れると遊びに出かけるという生活をしていたぼくはあまりTVを見ていなかったので、推測となるが。
エレクトリック・ギターを弾きながら歌う。その際、MDに入っているトラックを用いる。今使っているプレイヤーは10代目のものとか。懐かしい。今は廃れてしまったが、一時MDはかなり使われ、かつてぼくもインタヴュー時に使ったり、組んだコンピレーションのサンプルをMDでレコード会社のディレクターに渡したりしていた。インタヴューを収めたMDはトランク・ルームのどこかにあるはずだ。その後、取材の際にはICレコーダーを使うようになったが、それもだいぶたつ。
ツェッペリン、ストーンズ、キッス、ジミ・ヘンドリックス、ジャーニー、ディープ・パープル、グランド・ファンク・レイルロード、ヴァン・ヘイレンほか、オールド・スクールの著名バンドの有名曲を和訳+の日本語で披露していく。全部言葉が入ってくるわけではないが(それは、ぼくの特性ゆえ。本当に言葉が耳に入りにくい人間なのダ)、クククと笑える。日本語を聞いて、逆にうろ覚えの原曲歌詞の言葉を思い出すのも興味深い。キッスの「デトロイト・ロック・シティ」という歌はデトロイト賛歌の曲だと勝手に思っていたが、トラックに身を投げる自殺の曲であったのか。
彼は曲間にはたっぷり話す。取り上げたアーティストや曲についてのことを中心に語るのだが、ぼくはほぼ同じ世代の洋楽マニアなので100%分かるが、そうじゃない人には何気に難度が高いものかもしれない。
王様はギターが上手く、過去ロック・ギターを弾くことに喜びを覚えてきた人なのだなということをすぐに了解。大学のサークルなんかで、なんでも上手にコピーできちゃう人として一目置かれていたのではないか。そして、彼一流の知識や知性や諧謔の発露として、日本語化した歌を伴うこののやり方が出てきたのだなと思った。
レパートリーはすべてロック曲に特化する。ゆえに、すごいゾとぼくに再認識させたジェイムズ・ブラウンの「セックス・マシーン」はもちろんやらず、少し残念。聞けば、それをやったころは迷いが出ていた時期で、間口を広げたことでそれまでついていたハード・ロック系のファンが離れていってしまったそう。
<今日の、夢>
音楽フェスに行っている夢を見た。場所は温泉地のようでもある、わりと都市部。そのかなりの面積の中心部がすべて、フェス会場となっている。どうやってそこまで行ったかは記憶がないが、まず宿に入り〜ホテルというよりは旅館という感じではなかったか〜、荷物を置いた。すぐに何人もの知り合いと会い、やあやあやあ。アーティストもそこに顔を出したりもしている。その後、最初は誰かと一緒に会場に出たものの、すぐに1人で歩く。その後も知り合いたちと会い、少し一緒に行動するが、また1人となる。夢の中で、ああオレは個人主義なんだなと思った。会場は人人人、家族づれも多く、すごい動員だ。夏場なのだろうが暑くはなく、長袖のシャツと薄手のパンツという格好でちょうどいい。オレの格好、いけてなくはないよなと、やはり夢のなかで思う自分がいる。あちこちにステージはあるはずなのだが、演奏音は聞こえない。はっと目が覚めたら、夢で場内をいろいろ歩いていたので、疲労困憊。腰がダルい。ふーむ、ぼくはイヴェントや人との出会いを渇望しているのだろうか。
R.I.P.ダニー・レイ(1935年6月4日〜2020年1月29日)
2021年2月4日 音楽 ジェイムズ・ブラウン(2000年8月5日)のショウの名司会者をJBが2006年に亡くなるまでずっと続けた痩身の色男、ダニー・レイ(2014年9月7日、2014年12月30日)がお亡くなりになった。ジョージア州オーガスタの自宅で、自然死とのこと。2018年にもザ・JBズ流れの来日公演に同行予定であったが、それは病気でキャンセルになったことがあった(https://43142.diarynote.jp/201806040807198626/)。独特のノリを持つMCで観客を盛り上げ、そして御大を呼び込む。そして、クライマックスの“マント・ショウ”も司る。その見栄を最大限に演出。純粋な音楽の部分以外で米国ブラック・ミュージックの魅力を偉大たらしめる形而上を存分に提出した御仁。亡くなってもそれほど不思議ではない年齢であるが、なんかけっこう衝撃を受けている。
▶過去の、ダニー・レイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm サマーソニック初日
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/ 小曽根真ノー・ネーム・ホーセズvs.クリスチャン・マクブライド・ビッグ・バンド
http://43142.diarynote.jp/201412310727087161/
http://43142.diarynote.jp/201606281735457440/ レイも出てくるJBドキュメント映画
<ここのところの、日課>
ここ10日間、過去のライヴ三昧の原稿をNoteに転載している。今ブログに使っているダイアリーノートもいつまであるか分からない←ぼくとして使いやすいし、永年続いてほしい〜ので、バックアップ取って置かなきゃと前から思っていたこともあり、ホケン移行をすることにした。まずは、小野島大のサイトに寄稿していた(こちらもずっと残していただき、ありがたい)1999〜2003年のものから、1日に1月分を入れている。その際、読み直して誤植や間違いを正すべきなんだろうが、そこまで根性がない。それをやろうとすると、作業が滞りそう。キブンとしては、暇ではないので……。Noteって、掲載後の訂正ってきくのかしら。そのバックアップ作業、順調にすめば今年中には確実にすむはずだ。
▶過去の、ダニー・レイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm サマーソニック初日
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/ 小曽根真ノー・ネーム・ホーセズvs.クリスチャン・マクブライド・ビッグ・バンド
http://43142.diarynote.jp/201412310727087161/
http://43142.diarynote.jp/201606281735457440/ レイも出てくるJBドキュメント映画
<ここのところの、日課>
ここ10日間、過去のライヴ三昧の原稿をNoteに転載している。今ブログに使っているダイアリーノートもいつまであるか分からない←ぼくとして使いやすいし、永年続いてほしい〜ので、バックアップ取って置かなきゃと前から思っていたこともあり、ホケン移行をすることにした。まずは、小野島大のサイトに寄稿していた(こちらもずっと残していただき、ありがたい)1999〜2003年のものから、1日に1月分を入れている。その際、読み直して誤植や間違いを正すべきなんだろうが、そこまで根性がない。それをやろうとすると、作業が滞りそう。キブンとしては、暇ではないので……。Noteって、掲載後の訂正ってきくのかしら。そのバックアップ作業、順調にすめば今年中には確実にすむはずだ。
映画「ロード・オブ・カオス」
2021年2月2日 音楽 スキャンダラスなノルウェーの暗黒メタル・バンドを題材に置く、2018年イギリス/スウェーデン/ノルウェー映画(原題:Lords of Chaos )を見る。市ヶ谷・日本シネアーツ社試写室、3月下旬よりロードショウされる。
自損の性癖を持つ初期に在籍したスウェーデン人シンガーが猟銃自殺し、それを宣伝材料に使い、さらには後から入ったベーシストが共同創設者であるギタリストを刺殺してしまった、メイヘムという実在のバンドを扱う。その殺されてしまったギタリストの視点で語られる本(「ブラック・メタルの血塗られた歴史」という邦題で日本語訳書籍も出ているよう)をインスピレーションに置くもので、実際のミュージシャンたちを役者が演じている。
監督と脚本は、1965年生まれの長髪スウェーデン人であるジョナス・アーカランド。もともとメタル・バンドのドラマーをしていて、その後音楽PVを作るようになり、1998年にはマドンナ(2005年12月7日)の映像でグラミー賞を受賞。その後も、ポール・マッカートニー(2018年10月31日)やストーンズ(2003年3月15日)、レディ・ガガほか大物のPVを作っているようだ。その一方、2002年以降は映画を何作も撮っている。劇中音楽を担当しているのは、シガー・ロス(2003年4月14日、2005年7月31日、2006年4月5日、2010年8月8日)。アーカランドは彼らのPVも撮っている。
門外漢にはギャグとしか思えない偽悪の姿勢を取るブラック・メタルの不条理性を芯に起き、どこか純だったりもするどろどろした青春群像を描く。しかし、殺されるギタリストはお父さんの援助でレコード屋を開いたり、殺すほうのベーシスト(彼はお酒を飲めない)はお母さんからお金をかりてレコーディングをしたり。そんな不遇ではない普通の青年たちがどんどんあらぬ方に転がっていってしまう人生の奇想天外な綾のようなものが映画の主題としてあるのか。ただし、自殺したスウェーデン人歌手は本当に危なくもイっている青年として描かれていて、ギタリストが彼と出会わなかったら、メイヘムの悲劇はなかったのではないか。その世界で評判を呼ぶこともなかったかもしれないが。
そういう筋を追う、アーカランド監督の映像作りの手腕は高い。どんなストーリーであってもそれなりに見せる力量を持つと思わせる。また、ミュージシャン時代に得た機微が活かされている部分もあるだろう。血の出るシーンはリアルすぎ、それゆえの18禁作品であるのだろうか。
劇中の会話などは、英語。本来、バンド内会話は自国語でなされていたとは思うが、ぼくの知っている欧州人はすべからく英語を普通に話すし違和感はない。会話には、ファックやシットと言う単語がたくさん。柱となる役者はスウェーデン人シンガー役を除いてみんなアメリカ人。主役のギタリストを演じるのは、「ホーム・アローン」のマコーレ・カルキンの弟のロリー・カルキン。気の弱そうな兄ちゃんがひょんなことでイケイケな人間になる役にはかなり合う。主撮影地はブダペストのようだ。
ブラック・メタルというジャンルが確固としてヘヴィ・メタルにあることや、その初期にメイヘムという北の重要バンドがいたことは、この映画を知るまで知らなかった。でも、ウィキペディアにもちゃんと載っている。そのメイヘアは1983年結成ながら陣容については不安定で、度重なるメンバー変更やコア・メンバーの死で解散もしたが、暖簾分けのような感じで続けられ、日本にも何度か来ているよう。映画はまだアナログ・レコードの時代であり、携帯電話は出てこない。
基本気候のいい時期に撮影されているようで、北欧の寒さや日照の短さを伝える映像はない。だが、北欧でメタル(と、ここでは一言で語ってしまう)が盛んなのは同地のそうしたどうにもならない気候が導く閉塞した日常が導いているところもあるのではないか。とともに、あちらの悪ぶる青年のメタル志向は北欧型ヤンキー症候群であるのかもと思う。
メイヘムの書籍の映像権を日本人プロデューサーが持っており、当初は園子温が映画を監督する話もあったということが配布資料で示唆される。なるほど、事実は小説よりも奇なりの実在の事件をベースに置く彼の「冷たい熱帯魚」と重なる部分はある? アーカランドには、その日本人から話が持ちかけられたよう。
▶過去の、マドンナ
http://43142.diarynote.jp/200512091117210000/
▶︎過去の、ポール・マッカートニー
https://43142.diarynote.jp/201811011655349966/
▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月13日(バック・バンド)。15日
https://43142.diarynote.jp/201904200941516964/ ストーンズ展
▶過去の、シガー・ロス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 4.14
http://43142.diarynote.jp/?day=20050731
http://43142.diarynote.jp/200604071341360000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
<今日は、アースリート>
試写場の検温、36.1度。その後の施設は36.6度と36.5度。渋谷に向かう電車で、親子連れが前に座っている。お母さんのほうは、手にハンド・メイドらしき鬼のお面を持っている。黄色と黒色のツー・トーンのツノは2本ではなく1本。鬼ってそうだったっけ? これは幼稚園児(かな?)の娘さんが作ったものなのかな。そっか、節分か。ほのぼの。
その3時間後の帰宅時。もう、疲労困憊。タクシー乗る、一歩手前。ちょい飲んでいることや、運動不足だけでは説明がつかない? で、後ろに手を組んで歩行。ちょい歩きやすい。スピード・スケートの選手はそういうポーズをするよなあ……。年長者もしぞうな仕草だけど。
自損の性癖を持つ初期に在籍したスウェーデン人シンガーが猟銃自殺し、それを宣伝材料に使い、さらには後から入ったベーシストが共同創設者であるギタリストを刺殺してしまった、メイヘムという実在のバンドを扱う。その殺されてしまったギタリストの視点で語られる本(「ブラック・メタルの血塗られた歴史」という邦題で日本語訳書籍も出ているよう)をインスピレーションに置くもので、実際のミュージシャンたちを役者が演じている。
監督と脚本は、1965年生まれの長髪スウェーデン人であるジョナス・アーカランド。もともとメタル・バンドのドラマーをしていて、その後音楽PVを作るようになり、1998年にはマドンナ(2005年12月7日)の映像でグラミー賞を受賞。その後も、ポール・マッカートニー(2018年10月31日)やストーンズ(2003年3月15日)、レディ・ガガほか大物のPVを作っているようだ。その一方、2002年以降は映画を何作も撮っている。劇中音楽を担当しているのは、シガー・ロス(2003年4月14日、2005年7月31日、2006年4月5日、2010年8月8日)。アーカランドは彼らのPVも撮っている。
門外漢にはギャグとしか思えない偽悪の姿勢を取るブラック・メタルの不条理性を芯に起き、どこか純だったりもするどろどろした青春群像を描く。しかし、殺されるギタリストはお父さんの援助でレコード屋を開いたり、殺すほうのベーシスト(彼はお酒を飲めない)はお母さんからお金をかりてレコーディングをしたり。そんな不遇ではない普通の青年たちがどんどんあらぬ方に転がっていってしまう人生の奇想天外な綾のようなものが映画の主題としてあるのか。ただし、自殺したスウェーデン人歌手は本当に危なくもイっている青年として描かれていて、ギタリストが彼と出会わなかったら、メイヘムの悲劇はなかったのではないか。その世界で評判を呼ぶこともなかったかもしれないが。
そういう筋を追う、アーカランド監督の映像作りの手腕は高い。どんなストーリーであってもそれなりに見せる力量を持つと思わせる。また、ミュージシャン時代に得た機微が活かされている部分もあるだろう。血の出るシーンはリアルすぎ、それゆえの18禁作品であるのだろうか。
劇中の会話などは、英語。本来、バンド内会話は自国語でなされていたとは思うが、ぼくの知っている欧州人はすべからく英語を普通に話すし違和感はない。会話には、ファックやシットと言う単語がたくさん。柱となる役者はスウェーデン人シンガー役を除いてみんなアメリカ人。主役のギタリストを演じるのは、「ホーム・アローン」のマコーレ・カルキンの弟のロリー・カルキン。気の弱そうな兄ちゃんがひょんなことでイケイケな人間になる役にはかなり合う。主撮影地はブダペストのようだ。
ブラック・メタルというジャンルが確固としてヘヴィ・メタルにあることや、その初期にメイヘムという北の重要バンドがいたことは、この映画を知るまで知らなかった。でも、ウィキペディアにもちゃんと載っている。そのメイヘアは1983年結成ながら陣容については不安定で、度重なるメンバー変更やコア・メンバーの死で解散もしたが、暖簾分けのような感じで続けられ、日本にも何度か来ているよう。映画はまだアナログ・レコードの時代であり、携帯電話は出てこない。
基本気候のいい時期に撮影されているようで、北欧の寒さや日照の短さを伝える映像はない。だが、北欧でメタル(と、ここでは一言で語ってしまう)が盛んなのは同地のそうしたどうにもならない気候が導く閉塞した日常が導いているところもあるのではないか。とともに、あちらの悪ぶる青年のメタル志向は北欧型ヤンキー症候群であるのかもと思う。
メイヘムの書籍の映像権を日本人プロデューサーが持っており、当初は園子温が映画を監督する話もあったということが配布資料で示唆される。なるほど、事実は小説よりも奇なりの実在の事件をベースに置く彼の「冷たい熱帯魚」と重なる部分はある? アーカランドには、その日本人から話が持ちかけられたよう。
▶過去の、マドンナ
http://43142.diarynote.jp/200512091117210000/
▶︎過去の、ポール・マッカートニー
https://43142.diarynote.jp/201811011655349966/
▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月13日(バック・バンド)。15日
https://43142.diarynote.jp/201904200941516964/ ストーンズ展
▶過去の、シガー・ロス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 4.14
http://43142.diarynote.jp/?day=20050731
http://43142.diarynote.jp/200604071341360000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
<今日は、アースリート>
試写場の検温、36.1度。その後の施設は36.6度と36.5度。渋谷に向かう電車で、親子連れが前に座っている。お母さんのほうは、手にハンド・メイドらしき鬼のお面を持っている。黄色と黒色のツー・トーンのツノは2本ではなく1本。鬼ってそうだったっけ? これは幼稚園児(かな?)の娘さんが作ったものなのかな。そっか、節分か。ほのぼの。
その3時間後の帰宅時。もう、疲労困憊。タクシー乗る、一歩手前。ちょい飲んでいることや、運動不足だけでは説明がつかない? で、後ろに手を組んで歩行。ちょい歩きやすい。スピード・スケートの選手はそういうポーズをするよなあ……。年長者もしぞうな仕草だけど。
R.I.P.シシリー・タイソン(1924年12月18日年〜2021年1月28日)
2021年1月29日 音楽 96歳、女優のシシリー・タイソンが自然死なさった。あのマイルズ・デイヴィスの『ソーサラー』(コロムビア、1967年)のジャケット・カヴァーのモデルとなり、当時デイヴィスは二股(か、それ以上?)をかけていて、若いベティ・メイブリーと短いながら結婚。その後、再び関係が再燃し、だいたい1981年から88年にかけて、デイヴィスと彼女は結婚していた。音楽家としては普通の人になってしまってはいたが、一応ちゃんと御大が音楽活動をしていた時期に、横にいたことになるのだな。彼女はデイヴィスのコカイン好きを改めさせようと力を尽くしたとも言われる。
ぼくが知るタイソンはデイヴィスさんと重なる項目だけだが、改めて記事をあたると女優としてのキャリアもしっかり持つというか、スターだった。アンティル諸島出身の両親を持ち、高校卒業後は赤十字社で働いたという記載もある。17歳のときに娘を産み、18歳で結婚もした。ファッション・モデルとして芸能界に入りし、エボニー誌などを飾る。その後、役者としてTV、舞台、映画などに出るようになり、1970年代にアカデミー賞の女優助演賞ノミネートやエミー賞を受けるなどキャリアのピークを迎えたよう。
彼女はブラックスプロイテーション映画への出演を拒み、売春婦など黒人女性を蔑む役につくのも拒否したという。そんな彼女は、1973年設立のThe Black Filmmakers Hall of Fameに1977年に殿堂入りもしている。そんな彼女は歳をとっても活動、2013年には舞台でトニー賞を受賞。2016年にはthe Presidential Medal of Freedom賞をオバマ大統領から受け、また、2018年にはアフリカ系女性初のオスカー名誉賞も受賞した。2020年のネットフリックス映画にも出演、自叙伝「Just As I Am」は1月26日に出版されたそう。
<ここのところの、混濁>
1月だという意識はばっちりあったものの、なぜか今月は28日までだから、受けた仕事はその日程に合わせてちゃんと仕上げなきゃと、この数日間すこし気がせいていた。しかし、1月だもん当然31日まであるから、もうスケジュール的には安泰ぢゃんとなった。過剰に入っているわけではないが、少し締め切りがたて込むと、小心者なのでそうなってしまった? このおり、万が一で床に伏せても問題ないように、平常時以上に早めに原稿を仕上げているというところはあるものの。
この10ヶ月、ここには訃報ばかり書いている。ライヴに行けなくなっており、しょうがないのでミュージシャンたちの訃報はできる限り書きとめようとずうっとしているわけだが、さすが飽きた。というか、そればかりだと、悲しすぎる。
ぼくが知るタイソンはデイヴィスさんと重なる項目だけだが、改めて記事をあたると女優としてのキャリアもしっかり持つというか、スターだった。アンティル諸島出身の両親を持ち、高校卒業後は赤十字社で働いたという記載もある。17歳のときに娘を産み、18歳で結婚もした。ファッション・モデルとして芸能界に入りし、エボニー誌などを飾る。その後、役者としてTV、舞台、映画などに出るようになり、1970年代にアカデミー賞の女優助演賞ノミネートやエミー賞を受けるなどキャリアのピークを迎えたよう。
彼女はブラックスプロイテーション映画への出演を拒み、売春婦など黒人女性を蔑む役につくのも拒否したという。そんな彼女は、1973年設立のThe Black Filmmakers Hall of Fameに1977年に殿堂入りもしている。そんな彼女は歳をとっても活動、2013年には舞台でトニー賞を受賞。2016年にはthe Presidential Medal of Freedom賞をオバマ大統領から受け、また、2018年にはアフリカ系女性初のオスカー名誉賞も受賞した。2020年のネットフリックス映画にも出演、自叙伝「Just As I Am」は1月26日に出版されたそう。
<ここのところの、混濁>
1月だという意識はばっちりあったものの、なぜか今月は28日までだから、受けた仕事はその日程に合わせてちゃんと仕上げなきゃと、この数日間すこし気がせいていた。しかし、1月だもん当然31日まであるから、もうスケジュール的には安泰ぢゃんとなった。過剰に入っているわけではないが、少し締め切りがたて込むと、小心者なのでそうなってしまった? このおり、万が一で床に伏せても問題ないように、平常時以上に早めに原稿を仕上げているというところはあるものの。
この10ヶ月、ここには訃報ばかり書いている。ライヴに行けなくなっており、しょうがないのでミュージシャンたちの訃報はできる限り書きとめようとずうっとしているわけだが、さすが飽きた。というか、そればかりだと、悲しすぎる。
「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」展
2021年1月26日 音楽 清澄白河・東京現代美術館で開かれている、アート・ディレクター/デザイナーの石岡瑛子(1938年7月12日〜2012年1月21日)の様々なプロダクツをまとめる展覧会をお昼に見に行った。展示はだいたい年代順、平面から映像も含めた立体のプロダクツに仕事が移っていったことが分かった。会期終盤でもないし、平日かつこういう折ではあったものの、それなりの客入り。これが平時だったら、かなりの混みようであったのか。
音楽好き(というか、他のことには多々疎い)ぼくが彼女の名前を初めて見たのは、日本フォノグラムが1970年代半ばに設立、日本人のジャズの担い手と米国人ジャズ・アーティストを同じ目線で録音し、鋭意送り出したイースト・ウィンド・レーベルの一連のジャケット・カヴァー群のディレクション/デザインだった。なかには、妹の石岡玲子のイラストレーションを使ったアルバムもあったはずだ。芸大を出て資生堂に入り、1970年に彼女は独立したようだが、当時のCBSソニーはその頃からゲイリー・ピーコック(2007年5月8日)やウェザー・リポートの日本録音盤などのジャケのデザインに彼女を起用していた。後のロナルド・シャノン・ジャクソンのアンティルズ盤やアクシオム盤(ともに、親はアイランド・レコード)などもてがけていたな。パット・メセニー(1999年12月15日、2002年9月19日、2010年6月12日、2012年1月25日、2012年3月3日、2013年5月21日、2015年9月27日、2019年1月7日、2019年1月11日、2019年1月16日)のレイザー・ディスクの映像作品を彼女は監督したこともあったと記憶する。
基本、素晴らしく本質を掴んでの、人の興味を射抜く仕事をしてきたのだなと、おおいに頷く。数々のポスター、海苔やコーヒーの商品パッケージ・デザイン、装丁……。また、版下や校正や、仕事の手紙(達筆)、ラフのデザイン画などもいろいろ展示されている。すごい、オリジナリティと才能にあふれると思わずにはいられず。そして、その奥には行動力や好奇心が渦巻いていたことも。1970年代のブツは、パルコと角川書店のもが多く展示されている。本が好きじゃないし、カドカワはまがい物のような気がして一切注意を向けたことがなかったが、本当に同社のいろいろな仕事をしていたのだな。パルコもそうだが、角川書店は一時本当にぶいぶい言わせていたという記憶があるが、彼女をアート・ディレクターに起用しなかったら、その栄華もなかったのではないか。そう思わせる個性とパワーを彼女は持つ。
音楽方面では、グラミー賞のデザイン部門を取ったというマイルズ・デイヴィスの『TUTU』(ワーナー・ブラザーズ、1986年)とビューク(2001年12月5日、2008年2月22日)のPV「コクーン」(2002年)は大々的に一画を用い紹介される。デイヴィスの作品はアナログ時代が終わりに近づいてきた時期の仕事だが、これはレコード・ジャケットのサイズがなければいけないものだろう。と思ったら、そのコーナーでは、しょぼい卓上プレイヤーで『TUTU』のレコードをかけていた。
彼女が美術を担当した、三島由紀夫を題材とした1985年日米映画「Mishima: A Life In Four Chapters」(ポール・シュレイダー監督。フランシス・フォード・コッポラ/ジョージ・ルーカス制作総指揮)にも大きく場所が割かれる。これ、遺族の反対にあい、日本では未公開なのか。熱烈な三島ファンの知人がいて、昔あちらで出たVHSを見せてもらったことがあり、よく分からないながらシャープなアート施工がなされた映画という所感を持つが、あらそれにも彼女は絡んでいたのか。「日本公開が叶わなかったこの映画に関わったことで、彼女は日本の狭量さがいやになり、海外に拠点を移した」、というような説明書きもそこには出ていたか。
そして、その後の彼女は映画や舞台やオペラ、大きなイヴェントなどの衣装デザインを柱に活動していったことが示される。グレイス・ジョーンズの2009年ツアーの奇抜な衣装、シルク・ド・ソレイユのそれ、デサント流れのソルトレイク五輪のスイスやカナダの選手やコーチの服、北京オリンピックの閉会式の衣装、などなど。もし、彼女がもっと早くからファッション・デザイナーを志していたらと一瞬考えたが、いろいろな要求や要素を束ね、そこからから圧倒的なアイデアを形にするのに長けていたのかもしれない。
結構、ヴォリュームあり。ぼくは1977年以降に東京に住んでいるが、ある意味、自分の東京史とつながるような部分もあって、時間をかけて見た。そして、視覚〜働きかけの美学の粋に圧倒された。
▶︎過去の、ゲイリー・ピーコック
https://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
▶︎過去の、ロナルド・シャノン・ジャクソンの訃報
https://43142.diarynote.jp/201310210730403296/
▶過去の、パット・メセニー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/201006181520054406/
http://43142.diarynote.jp/201201271245417497/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201305260927026044/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
https://43142.diarynote.jp/201901121341307532/
https://43142.diarynote.jp/201901180819479701/
▶過去の、ビューク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://43142.diarynote.jp/200802230934310000/
<今日の、あるある>
帰り、最寄りの清澄白河駅の途中にある店で、深川めしを食す。初体験、いっぱいあさりが入っていた。小さめのお椀だと思ったら、けっこう量があったな。店で背後から、知人から声をかけられる。やはり、現代美術館の帰りだという。この後、ギンザ・グラフィック・ギャラリーで開かれている無料の「SURVIVE - EIKO ISHIOKA /石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか」展に一緒に行くことに。銀座着、そしたらこちらの方は前期と後期の狭間の期間で休館なり。残念。近くの7丁目のライオンに寄る。戦前の建物とのこと、天井が高い。その後、友人の意向に添い山野楽器の手間まで行きあんぱんを買う。それ、柔らかくなく(今日のものではないような)、まずかった。
音楽好き(というか、他のことには多々疎い)ぼくが彼女の名前を初めて見たのは、日本フォノグラムが1970年代半ばに設立、日本人のジャズの担い手と米国人ジャズ・アーティストを同じ目線で録音し、鋭意送り出したイースト・ウィンド・レーベルの一連のジャケット・カヴァー群のディレクション/デザインだった。なかには、妹の石岡玲子のイラストレーションを使ったアルバムもあったはずだ。芸大を出て資生堂に入り、1970年に彼女は独立したようだが、当時のCBSソニーはその頃からゲイリー・ピーコック(2007年5月8日)やウェザー・リポートの日本録音盤などのジャケのデザインに彼女を起用していた。後のロナルド・シャノン・ジャクソンのアンティルズ盤やアクシオム盤(ともに、親はアイランド・レコード)などもてがけていたな。パット・メセニー(1999年12月15日、2002年9月19日、2010年6月12日、2012年1月25日、2012年3月3日、2013年5月21日、2015年9月27日、2019年1月7日、2019年1月11日、2019年1月16日)のレイザー・ディスクの映像作品を彼女は監督したこともあったと記憶する。
基本、素晴らしく本質を掴んでの、人の興味を射抜く仕事をしてきたのだなと、おおいに頷く。数々のポスター、海苔やコーヒーの商品パッケージ・デザイン、装丁……。また、版下や校正や、仕事の手紙(達筆)、ラフのデザイン画などもいろいろ展示されている。すごい、オリジナリティと才能にあふれると思わずにはいられず。そして、その奥には行動力や好奇心が渦巻いていたことも。1970年代のブツは、パルコと角川書店のもが多く展示されている。本が好きじゃないし、カドカワはまがい物のような気がして一切注意を向けたことがなかったが、本当に同社のいろいろな仕事をしていたのだな。パルコもそうだが、角川書店は一時本当にぶいぶい言わせていたという記憶があるが、彼女をアート・ディレクターに起用しなかったら、その栄華もなかったのではないか。そう思わせる個性とパワーを彼女は持つ。
音楽方面では、グラミー賞のデザイン部門を取ったというマイルズ・デイヴィスの『TUTU』(ワーナー・ブラザーズ、1986年)とビューク(2001年12月5日、2008年2月22日)のPV「コクーン」(2002年)は大々的に一画を用い紹介される。デイヴィスの作品はアナログ時代が終わりに近づいてきた時期の仕事だが、これはレコード・ジャケットのサイズがなければいけないものだろう。と思ったら、そのコーナーでは、しょぼい卓上プレイヤーで『TUTU』のレコードをかけていた。
彼女が美術を担当した、三島由紀夫を題材とした1985年日米映画「Mishima: A Life In Four Chapters」(ポール・シュレイダー監督。フランシス・フォード・コッポラ/ジョージ・ルーカス制作総指揮)にも大きく場所が割かれる。これ、遺族の反対にあい、日本では未公開なのか。熱烈な三島ファンの知人がいて、昔あちらで出たVHSを見せてもらったことがあり、よく分からないながらシャープなアート施工がなされた映画という所感を持つが、あらそれにも彼女は絡んでいたのか。「日本公開が叶わなかったこの映画に関わったことで、彼女は日本の狭量さがいやになり、海外に拠点を移した」、というような説明書きもそこには出ていたか。
そして、その後の彼女は映画や舞台やオペラ、大きなイヴェントなどの衣装デザインを柱に活動していったことが示される。グレイス・ジョーンズの2009年ツアーの奇抜な衣装、シルク・ド・ソレイユのそれ、デサント流れのソルトレイク五輪のスイスやカナダの選手やコーチの服、北京オリンピックの閉会式の衣装、などなど。もし、彼女がもっと早くからファッション・デザイナーを志していたらと一瞬考えたが、いろいろな要求や要素を束ね、そこからから圧倒的なアイデアを形にするのに長けていたのかもしれない。
結構、ヴォリュームあり。ぼくは1977年以降に東京に住んでいるが、ある意味、自分の東京史とつながるような部分もあって、時間をかけて見た。そして、視覚〜働きかけの美学の粋に圧倒された。
▶︎過去の、ゲイリー・ピーコック
https://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
▶︎過去の、ロナルド・シャノン・ジャクソンの訃報
https://43142.diarynote.jp/201310210730403296/
▶過去の、パット・メセニー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/201006181520054406/
http://43142.diarynote.jp/201201271245417497/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201305260927026044/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
https://43142.diarynote.jp/201901121341307532/
https://43142.diarynote.jp/201901180819479701/
▶過去の、ビューク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://43142.diarynote.jp/200802230934310000/
<今日の、あるある>
帰り、最寄りの清澄白河駅の途中にある店で、深川めしを食す。初体験、いっぱいあさりが入っていた。小さめのお椀だと思ったら、けっこう量があったな。店で背後から、知人から声をかけられる。やはり、現代美術館の帰りだという。この後、ギンザ・グラフィック・ギャラリーで開かれている無料の「SURVIVE - EIKO ISHIOKA /石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか」展に一緒に行くことに。銀座着、そしたらこちらの方は前期と後期の狭間の期間で休館なり。残念。近くの7丁目のライオンに寄る。戦前の建物とのこと、天井が高い。その後、友人の意向に添い山野楽器の手間まで行きあんぱんを買う。それ、柔らかくなく(今日のものではないような)、まずかった。
R.I.P. ジョナス・グワングワ(1937年10月19日〜2021年1月23日)
2021年1月25日 音楽 ジャズ・トロンボーン奏者/シンガーであり、反アパルトヘイト活動家であった、ジョナス・グワングワがお亡くなりになった。南アフリカの大統領のシリエウ・ラマポーザ(1994年に就任したネルソン・マンデーラ以降、アフリカ民族会議所属の黒人が就いている)が発表したとのこと。南アフリカの黒人押し込め居住区ソウェトで生まれ育ち、アブドゥーラ・イブラヒム(2011年8月7日)やヒュー・マセケラ(2005年7 月20日)らとジャズを研鑽。そして、彼らと同様に1960年代に入ると(1970年という話もある)、国外に亡命した。1965年にはミリアム・マケバ、ヒュー・マセケラ、レッタ・ムブールらとカーネギーホールで<サウンド・オブ・アフリカ>という公演も行い、面々はその後も仲良くお互いのアルバムに参加しあいもした。
彼は他の同国の亡命音楽家と異なり、南アの隣国で英国連邦に属しながら人種融和路線を取っていたボツワナに住み気骨と活力ある活動を標榜したよう。亡命期、彼はアフリカ民族会議下にある文化的組織であるアマンドラのリーダーも務めた。アマンドラは様々な国で反アパルトヘイトをアピールする音楽公演を行っていたようだ。また、解放活動家のスティーヴ・ビコを題材においた英国映画「遠い夜明け」(1987年、デンゼル・ワシントン主役)の主題歌にも関与。南アに戻ったのは、1991年であったという。
根にあるアフリカとジャズを重ねる過程で、ポップ・ミュージック側につながるような華やジャズを超えたビート・ミュージックの親しみやすさを抱えたのは魔法のようであり、素晴らしいとしかいいようがない。そして、ソロを取れば、トロンボーン特有の暖かさや人間ぽさを存分に活かした演奏をした。彼はソリストとしてもなかなかの実力者であった。
▶︎過去の、アブドゥーラ・イブラヒム
https://43142.diarynote.jp/201108101635051749/
https://43142.diarynote.jp/202007062026356557/ インタヴュー
▶過去の、ヒュー・マセケラ
http://43142.diarynote.jp/200507220552110000/
<今日の、……>
寒く暗かった土日から、一転して晴天。昼さがり、買い物を兼ねて近所を散歩。そしたら、改めて徒歩圏内に歯科医院があちこちにあるなあと実感。確かにかつて、商売不振でヘコんでいる旦那にならばと親から引き継いだ医院を廃業させたと知人から聞いたことあったよなー。そして、米国グリーン・カードのくじに当たったこともあり、ハワイに移住。でも、離婚しちゃったNちゃん元気ですかあ。話は戻るが、徒歩圏のガラス張り外観の歯科医院の待合室にアンディ・ウォーホルの作品がいろいろ飾っているのを認知。思わず入店し、受付のお姉さんにこれはオリジナル・プリントですかとか聞こうと思ったが、万が一レプリカですと言われたら←ということはないと思うが、どう身を処せばいいのかという思いが頭をかずめ、やめた。
彼は他の同国の亡命音楽家と異なり、南アの隣国で英国連邦に属しながら人種融和路線を取っていたボツワナに住み気骨と活力ある活動を標榜したよう。亡命期、彼はアフリカ民族会議下にある文化的組織であるアマンドラのリーダーも務めた。アマンドラは様々な国で反アパルトヘイトをアピールする音楽公演を行っていたようだ。また、解放活動家のスティーヴ・ビコを題材においた英国映画「遠い夜明け」(1987年、デンゼル・ワシントン主役)の主題歌にも関与。南アに戻ったのは、1991年であったという。
根にあるアフリカとジャズを重ねる過程で、ポップ・ミュージック側につながるような華やジャズを超えたビート・ミュージックの親しみやすさを抱えたのは魔法のようであり、素晴らしいとしかいいようがない。そして、ソロを取れば、トロンボーン特有の暖かさや人間ぽさを存分に活かした演奏をした。彼はソリストとしてもなかなかの実力者であった。
▶︎過去の、アブドゥーラ・イブラヒム
https://43142.diarynote.jp/201108101635051749/
https://43142.diarynote.jp/202007062026356557/ インタヴュー
▶過去の、ヒュー・マセケラ
http://43142.diarynote.jp/200507220552110000/
<今日の、……>
寒く暗かった土日から、一転して晴天。昼さがり、買い物を兼ねて近所を散歩。そしたら、改めて徒歩圏内に歯科医院があちこちにあるなあと実感。確かにかつて、商売不振でヘコんでいる旦那にならばと親から引き継いだ医院を廃業させたと知人から聞いたことあったよなー。そして、米国グリーン・カードのくじに当たったこともあり、ハワイに移住。でも、離婚しちゃったNちゃん元気ですかあ。話は戻るが、徒歩圏のガラス張り外観の歯科医院の待合室にアンディ・ウォーホルの作品がいろいろ飾っているのを認知。思わず入店し、受付のお姉さんにこれはオリジナル・プリントですかとか聞こうと思ったが、万が一レプリカですと言われたら←ということはないと思うが、どう身を処せばいいのかという思いが頭をかずめ、やめた。
R.I.P. ボビー・ピュリファイ(1944年5月12日〜2020年1月22日)
2021年1月24日 音楽 サム・クック流れの優しい突き抜け感や弾力をもったソウル歌手のボビー・ピュリファイが亡くなった。軍港があり保養地としても知られるフロリダ州ペンサコーラ生まれで、亡くなったのも同地。Covid19の合併症が死因だという。ギタリストだったいとこのロバート・リー・ディッキー(1939〜2011年)とジェイムズ&ボビー・ピュリファイを組み、1966年に「イッル・ユア・パペット」という曲で大ヒットを飛ばす。それでグラミー賞にもノミネートされ、同じツイン・ヴォーカルということでサム&デイヴの好敵手という言われ方をされた。
サム&デイヴはメンフィスのスタックスであったが、マイアミ州拠点のこちらはニューヨークのベル・レコード(アリスタの前身)と契約。<ミュージック・フォー・ザ・ミリオンズ>などというキャッチを掲げていた同社はザ・パートリッジ・ファミリーとかデイヴィッド・キャシディとかベイシティ・ローラーズ(ベルUKの契約)とか、お茶の間系アイドルが在籍したという印象があるが、サブ・レーベルも持っていて、デル・シャノンやニューオーリンズのリー・ドーシーやソウルのクライド・マクファターやスカのプリンス・バスターらを送り出したエイミーやサザン・ロックのブラウンズヴィル・ステイションを出したビッグ・トゥリー他、サブ・レーベルも複数持っていた。彼らの「イッル・ユア・パペット」はダン・ペン(2010年8月25日)とスプーナー・オールダムの曲で、アラバマ州マッスル・ショールズのフェイム・スタジオで録られた。
ベルからは2枚のアルバムを出したあと、彼は70年前後に健康上の理由で引退。その後、1974年にアトランタ在住のスタックスとも関係を持っていたベン・ムーア(1941年生まれ)を新しい相手役とし、彼がジェイムス・プリファイを名乗ることで同じデュオ名のもと活動を再開。その新ジェイムズ&ボビー・ピュリファイは、1970年代中期にカサブランカとマーキュリーから2枚のアルバムをリリースした。
▶︎過去の、ダン・ペン
https://43142.diarynote.jp/201008270912512078/
▶︎過去の、マッスル・ショールズ+を扱った映画
https://43142.diarynote.jp/201406270933515875/ 2013年米国映画「黄金のメロディ マッスル・ショールズ」
https://43142.diarynote.jp/201707141126579276/ 2014年米国映画「約束の地、メンフィス〜テイク・ミー・トゥ・ザ・リバー」
<今日の、驚き>
ボビー・ピュリファイの名前をググったら、米国の性犯罪者ファイルみたいなサイトが出てきてびっくり。顔写真や身長などのデーターとともに、1989年のそっちのほうの前科を伝えている。生年月日が同じ、だ。ううむ。いろんな観点で困惑。。。
サム&デイヴはメンフィスのスタックスであったが、マイアミ州拠点のこちらはニューヨークのベル・レコード(アリスタの前身)と契約。<ミュージック・フォー・ザ・ミリオンズ>などというキャッチを掲げていた同社はザ・パートリッジ・ファミリーとかデイヴィッド・キャシディとかベイシティ・ローラーズ(ベルUKの契約)とか、お茶の間系アイドルが在籍したという印象があるが、サブ・レーベルも持っていて、デル・シャノンやニューオーリンズのリー・ドーシーやソウルのクライド・マクファターやスカのプリンス・バスターらを送り出したエイミーやサザン・ロックのブラウンズヴィル・ステイションを出したビッグ・トゥリー他、サブ・レーベルも複数持っていた。彼らの「イッル・ユア・パペット」はダン・ペン(2010年8月25日)とスプーナー・オールダムの曲で、アラバマ州マッスル・ショールズのフェイム・スタジオで録られた。
ベルからは2枚のアルバムを出したあと、彼は70年前後に健康上の理由で引退。その後、1974年にアトランタ在住のスタックスとも関係を持っていたベン・ムーア(1941年生まれ)を新しい相手役とし、彼がジェイムス・プリファイを名乗ることで同じデュオ名のもと活動を再開。その新ジェイムズ&ボビー・ピュリファイは、1970年代中期にカサブランカとマーキュリーから2枚のアルバムをリリースした。
▶︎過去の、ダン・ペン
https://43142.diarynote.jp/201008270912512078/
▶︎過去の、マッスル・ショールズ+を扱った映画
https://43142.diarynote.jp/201406270933515875/ 2013年米国映画「黄金のメロディ マッスル・ショールズ」
https://43142.diarynote.jp/201707141126579276/ 2014年米国映画「約束の地、メンフィス〜テイク・ミー・トゥ・ザ・リバー」
<今日の、驚き>
ボビー・ピュリファイの名前をググったら、米国の性犯罪者ファイルみたいなサイトが出てきてびっくり。顔写真や身長などのデーターとともに、1989年のそっちのほうの前科を伝えている。生年月日が同じ、だ。ううむ。いろんな観点で困惑。。。
初期ニューヨーク・ヒップホップ界のキーボード奏者/ラッパーであるデューク・ブーティーがうっ血性心不全で亡くなっていた。本名、エドワード・G・フレッチャー。彼はグランドマスター・フラッシュのヒップホップ金字塔曲「ザ・メッセージ」をメリー・メルと共作したことで何より語られるか。
もともとはシュガーヒル・ギャング(2017年12月30日)のハウス・ミュージシャン。彼の『Bust Me Out』(Mercury,1984年)はそのダグ・ウィンブッシュ(2000年4月9日、2001年7月27日)とスキップ・マクドナルドの力量を最大限に借りたアルバムだった。ヴァーノン・リードが参加もしていた同作はリアル・タイムで日本盤もリリースされた。ウィブッシュは英国ON-Uのハウス・バンドを経て、リヴィング・カラーに入る。2001年のモス・デフのフジ・ロック公演は生バンド使用で、リヴィング・カラーのリズム隊が担っていた。
その後、なんと彼は音楽をやめて資格を取り、1990年代に教鞭をとる道に進んだ。ニュージャージー州の高校や大学で教え、2007年にはジョージア州サバンナに移り、サバンナ州立大学で批判的思考とコミュニケーションの講師を務め、2019年に引退していたという。
▶︎過去の、シュガーヒルギャング
https://43142.diarynote.jp/201801011139253615/
▶︎過去の、ダグ・ウィンブッシュ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-4.htm ポーラ・コール・バンド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm 27日 フジ・ロックのモス・デフ
▶︎過去の、ヴァーノン・リード
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm 8/13
http://43142.diarynote.jp/?day=20081216
http://43142.diarynote.jp/201510290732352521/
また、英国ハウス・ミュージック界に大きな功績を残すDJ/クリエイターのフィル・アッシャーが、50歳で亡くなった。それほどクラブ・ミュージックを聞いてきていないぼくでも、<西ロンドン>とか<ブロークン・ビーツ>という言葉とも重なりもし、彼の関与するプロダクツは耳に入ってきた。生粋のロンドンっ子で、父親にならってレコード屋で働き、いろいろと音楽見聞を広げ……。という、キャリアは甘酸っぱい。彼はレコード・コレクターでもあったという。(ちょい復活しつつあるが)レコードがまだ存在感を放ち、配信が活発でなかったからこその、輝かしいと言うことも可能な歩みを持つ人。だが、そういう時代を過ぎてもダンス・フロアの音楽は存在する。……クラブ営業ができないコロナ禍にあって、その傾向は変わってきているのだろうか。レストレス・ソウルというユニットやプロダクションも持ち、ラジオ番組のホストやクラブの運営もしていた。イカした折衷感のなかに息づく肉感性やいなたさが好きでした。“彷徨うソウル”よ、永遠なれ。
<今日の、発想>
なんかオレのなかで、フィル・アッシャーの端正な彼の顔つきって、イスラエル人ジャズ・ピアニストのシャイ・マエストロ(2012年3月12日、2016年1月4日、2016年6月11日、2016年6月11日、2017年9月3日、2017年9月6日、2018年11月12日)とつながる。アッシャーって、ユダヤ系の苗字なんだっけ?
▶︎過去の、シャイ・マエストロ
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
http://43142.diarynote.jp/201601050914043127/
http://43142.diarynote.jp/201606121230202174/
https://43142.diarynote.jp/201702021523283237/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
https://43142.diarynote.jp/201709110842026988/
https://43142.diarynote.jp/201811141355524842/
もともとはシュガーヒル・ギャング(2017年12月30日)のハウス・ミュージシャン。彼の『Bust Me Out』(Mercury,1984年)はそのダグ・ウィンブッシュ(2000年4月9日、2001年7月27日)とスキップ・マクドナルドの力量を最大限に借りたアルバムだった。ヴァーノン・リードが参加もしていた同作はリアル・タイムで日本盤もリリースされた。ウィブッシュは英国ON-Uのハウス・バンドを経て、リヴィング・カラーに入る。2001年のモス・デフのフジ・ロック公演は生バンド使用で、リヴィング・カラーのリズム隊が担っていた。
その後、なんと彼は音楽をやめて資格を取り、1990年代に教鞭をとる道に進んだ。ニュージャージー州の高校や大学で教え、2007年にはジョージア州サバンナに移り、サバンナ州立大学で批判的思考とコミュニケーションの講師を務め、2019年に引退していたという。
▶︎過去の、シュガーヒルギャング
https://43142.diarynote.jp/201801011139253615/
▶︎過去の、ダグ・ウィンブッシュ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-4.htm ポーラ・コール・バンド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm 27日 フジ・ロックのモス・デフ
▶︎過去の、ヴァーノン・リード
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm 8/13
http://43142.diarynote.jp/?day=20081216
http://43142.diarynote.jp/201510290732352521/
また、英国ハウス・ミュージック界に大きな功績を残すDJ/クリエイターのフィル・アッシャーが、50歳で亡くなった。それほどクラブ・ミュージックを聞いてきていないぼくでも、<西ロンドン>とか<ブロークン・ビーツ>という言葉とも重なりもし、彼の関与するプロダクツは耳に入ってきた。生粋のロンドンっ子で、父親にならってレコード屋で働き、いろいろと音楽見聞を広げ……。という、キャリアは甘酸っぱい。彼はレコード・コレクターでもあったという。(ちょい復活しつつあるが)レコードがまだ存在感を放ち、配信が活発でなかったからこその、輝かしいと言うことも可能な歩みを持つ人。だが、そういう時代を過ぎてもダンス・フロアの音楽は存在する。……クラブ営業ができないコロナ禍にあって、その傾向は変わってきているのだろうか。レストレス・ソウルというユニットやプロダクションも持ち、ラジオ番組のホストやクラブの運営もしていた。イカした折衷感のなかに息づく肉感性やいなたさが好きでした。“彷徨うソウル”よ、永遠なれ。
<今日の、発想>
なんかオレのなかで、フィル・アッシャーの端正な彼の顔つきって、イスラエル人ジャズ・ピアニストのシャイ・マエストロ(2012年3月12日、2016年1月4日、2016年6月11日、2016年6月11日、2017年9月3日、2017年9月6日、2018年11月12日)とつながる。アッシャーって、ユダヤ系の苗字なんだっけ?
▶︎過去の、シャイ・マエストロ
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
http://43142.diarynote.jp/201601050914043127/
http://43142.diarynote.jp/201606121230202174/
https://43142.diarynote.jp/201702021523283237/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
https://43142.diarynote.jp/201709110842026988/
https://43142.diarynote.jp/201811141355524842/
R.I.P. ジュニア・マンス(1928年10月10日〜2021年1月17日)
2021年1月21日 音楽 ジャズ・ピアニストのジュニア・マンス(2009年6月7日)がNY で亡くなった。享年、92。イリノイ州エヴァンストンの生まれ。シカゴ圏となり、有名なノースウェスタン大学を擁する同市はリベラルで、民主党がやたら強いところとして知られているよう。5歳からピアノを弾き始め、早くから才能を発揮し、シカゴのルーズベルト大学にも通い(スティーヴ・コールマンやマーヴィン・スーウェル〜1999年8月27日、1999年9月2日、 2001年2月12日、2008年8月11日、2010年6月13日、2011年5月5日〜の先輩となる)、2年間兵役にもついた人。朝鮮戦争にも出兵したという。除隊後の彼をシカゴからニューヨークに出るように勧めたのは、チャーリー・パーカーだったらしい。
ミュージシャンズ・ミュージシャン。ディジー・ガレスピー、クリフォード・ブラウン、キャノンボール・アダリー、ダイナ・ワシントンらの伴奏者として知られ、1959年以降ヴァーヴ、ジャズランド、リヴァーサイド、キャピトル、アトランティック、その他から、様々なアルバムをリリース。とにもかくにも、ブルースをおさえつつも、とても趣味の良い、上品な弾き口を持つ名手だった。彼はアレサ・フランクリンのジャズ・アルバム『アレサ’69』(アトランティック、1969年)にも大々的に参加している。
また、ザ・ニュー・スクール大で教鞭をとった彼はジャズ教育者として知られる。ラリー・ゴールディングス(1999年4月13日、2000年3月2日、2012年11月12日。2013年5月10日、2016年6月4日)やブラッド・メルドー(2002年3月19日、2003年2月15日、2005年2月20日、2015年3月13日、2019年5月31日、2019年6月3日)やジャズメイア・ホーン(2019年12月6日)らは、彼の教え子となる。
▶︎過去の、ジュニア・マンス
https://43142.diarynote.jp/200906091637138003/
▶過去の、マーヴィン・スーウェル
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200808121357410000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100613
http://43142.diarynote.jp/201105101010399933/
▶過去の、ラリー・ゴールディングス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live1.htm 1999年4月13日(カーラ・ブレイ)
http://www.myagent.ne.jp/%7Enewswave/live-2000-3.htm
http://43142.diarynote.jp/201211170928285333/
http://43142.diarynote.jp/201305131335092387/
http://43142.diarynote.jp/201606121224129353/
▶過去の、ブラッド・メルドー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/%7Enewswave/live-2003-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200502232041270000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20150313 メリアナ
https://43142.diarynote.jp/201906050929394234/
https://43142.diarynote.jp/201906050931369228/
▶︎過去の、ジャズメイア・ホーン
https://43142.diarynote.jp/201912070741544808/
<今日の、追記>
マンスは2015年に脳卒中で倒れ、認知症に陥っていた。マネイジャーを務めていた妻のグロリア・クレイボーン・マンス(年齢は少し離れている。1番目の妻はフィラデルフィアに住んでいるよう)との晩年の日々が映し出される、ジリアン・ガンサーによる映画「Sunset and the Mockingbird」は今年中に公開になるという。https://www.sunsetandthemockingbird.com
ミュージシャンズ・ミュージシャン。ディジー・ガレスピー、クリフォード・ブラウン、キャノンボール・アダリー、ダイナ・ワシントンらの伴奏者として知られ、1959年以降ヴァーヴ、ジャズランド、リヴァーサイド、キャピトル、アトランティック、その他から、様々なアルバムをリリース。とにもかくにも、ブルースをおさえつつも、とても趣味の良い、上品な弾き口を持つ名手だった。彼はアレサ・フランクリンのジャズ・アルバム『アレサ’69』(アトランティック、1969年)にも大々的に参加している。
また、ザ・ニュー・スクール大で教鞭をとった彼はジャズ教育者として知られる。ラリー・ゴールディングス(1999年4月13日、2000年3月2日、2012年11月12日。2013年5月10日、2016年6月4日)やブラッド・メルドー(2002年3月19日、2003年2月15日、2005年2月20日、2015年3月13日、2019年5月31日、2019年6月3日)やジャズメイア・ホーン(2019年12月6日)らは、彼の教え子となる。
▶︎過去の、ジュニア・マンス
https://43142.diarynote.jp/200906091637138003/
▶過去の、マーヴィン・スーウェル
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200808121357410000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100613
http://43142.diarynote.jp/201105101010399933/
▶過去の、ラリー・ゴールディングス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live1.htm 1999年4月13日(カーラ・ブレイ)
http://www.myagent.ne.jp/%7Enewswave/live-2000-3.htm
http://43142.diarynote.jp/201211170928285333/
http://43142.diarynote.jp/201305131335092387/
http://43142.diarynote.jp/201606121224129353/
▶過去の、ブラッド・メルドー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/%7Enewswave/live-2003-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200502232041270000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20150313 メリアナ
https://43142.diarynote.jp/201906050929394234/
https://43142.diarynote.jp/201906050931369228/
▶︎過去の、ジャズメイア・ホーン
https://43142.diarynote.jp/201912070741544808/
<今日の、追記>
マンスは2015年に脳卒中で倒れ、認知症に陥っていた。マネイジャーを務めていた妻のグロリア・クレイボーン・マンス(年齢は少し離れている。1番目の妻はフィラデルフィアに住んでいるよう)との晩年の日々が映し出される、ジリアン・ガンサーによる映画「Sunset and the Mockingbird」は今年中に公開になるという。https://www.sunsetandthemockingbird.com
R.I.P.ペリー・ボトキンJr.(1933年4月16日〜2021年1月18日)
2021年1月20日 音楽 ギターやバンジョー奏者だったペリー・ボトキン・シニア(1907〜73年)はジャズ畑を歩み、ビング・クロスビーの音楽監督を17年務めたことでも知られる。また、ホーギー・カーマイケルの「香港ブルース」のギターは彼が弾いているそうだ。当然ジュニアは恵まれた環境で育ったと推測されるが、30代半ば近くになって西海岸のアレンジャー(オーケストレーションもでき、それでグラミー賞も受けている)/プロデューサーとして頭角を顕した。ハーパース・ビザール、ザ・エヴァリー・ブラザーズ、ホセ・フェリシアーノ(2014年11月11日)、ポール・ウィリアムズ、カーペンターズ、メラニー、カーリー・サイモン、ハリー・ニルソン……などなど。作曲家としても好評で、いろんな人に提供している。もちろん、映画やTV番組にもいろいろ絡んでいる。
1977年リーダー作『Ports』(A&M)は、ボトキンJr.の初となる単独リーダー作となるのかな。内容は平たく言ってしまえば、イージー・リスニング・ミュージック。自作曲にまじえ、ハーブ・アルパート、ミルトン・ナシメント(2003年9月23日)、エリック・サティの曲も取り上げている。ベーシストはアンソニー・ジャクソン(2004年1月27日、2010年10月26日、2011年9月3日、2012年12月9日、2016年11月16日、2014年9月7日 )とマックス・ベネットとウィルトン・フェルダー(2005年3月8日)の3人で、ドラムはハーヴィー・メイソン(2002年8月11日、2010年7月9日、2011年6月21日、2014年5月28日、2016年4月5日、2017年9月1日、2019年10月17日)とジム・ケルトナー。さらには、ウェスト・コースト・ジャズ界を代表するアルト・サックス/フルート奏者のバド・シャンクも参加していた。
そんな彼のレレレ〜というところは、1990年代に入ると一般音楽作りから離れて実験的でもあるエレクトロ・ミュージックの作り手となったこと。『Ports』でも自らシンセサイザーを弾く電子音楽傾向曲も収められていて、その転向もいろいろ積み重ねた結果のものであることが分かる。
ネットにはあまり彼の死亡記事が出ておらず、死因や亡くなった場所は分からなかった。
▶︎過去の、ホセ・フェリシアーノ
https://43142.diarynote.jp/201411120950032345/
▶過去の、ミルトン・ナシメント
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm
▶︎過去の、アンソニー・ジャクソン
https://43142.diarynote.jp/200402051855170000/
https://43142.diarynote.jp/201109121452527893/
https://43142.diarynote.jp/201212140959573710/
https://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
https://43142.diarynote.jp/201611171021419374/
▶︎過去の、ウィルトン・フェルダー
https://43142.diarynote.jp/200503120546520000/
▶過去の、ハーヴィー・メイソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-8.htm 8月11日、トム・スコット
http://43142.diarynote.jp/201007110625087085/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110621
http://43142.diarynote.jp/?day=20140528
http://43142.diarynote.jp/201604060850393487/
https://43142.diarynote.jp/201709071307037021/
https://43142.diarynote.jp/201910180828345862/
<今日の、久しぶり>
iTunesのプレイリストにCDから入れた曲が不明(少し前の商品で明細クレジットがなく、トラック2とだけ表示される)で、シャザムで調べる。収録アルバムまで分かり、やっぱり便利だな。でも、普段は使わないなあ。ほぼ1週間ぶりに外出。複数の用事をこなそうと思ったら、一つを見事に忘れる。いかんいかん。だけど、まいっか。このおり、外出し帰宅した後はすぐにシャワーを浴びるが、1ヶ月半伸ばしっぱなしにしていた髭をついでに剃る。やっぱ、だいぶ見かけが変わるナ。それについては、マル。地上波TV放送は映らないようにしているがネットで見れるみたいなので、深夜バイデンの就任式の中継を深夜にチラ見しようか。→→光ファイバーTVのプログラグラムにBBCチャンネルがあった(就任式を延々と放映していたよう)ので、そちらで見る。解説者がかなり反トランプ/共和党の態度をとっていたような。大統領付きのアメリカ海兵隊の楽団の様には音楽流れで、ちょい目を向ける。若く見える指揮者は軍服にたくさん飾りをつけていたが、階級が上なのだろうか。そういえば音大卒業後の道として、自衛隊の楽団入りがあると聞いたことがあるナ。
1977年リーダー作『Ports』(A&M)は、ボトキンJr.の初となる単独リーダー作となるのかな。内容は平たく言ってしまえば、イージー・リスニング・ミュージック。自作曲にまじえ、ハーブ・アルパート、ミルトン・ナシメント(2003年9月23日)、エリック・サティの曲も取り上げている。ベーシストはアンソニー・ジャクソン(2004年1月27日、2010年10月26日、2011年9月3日、2012年12月9日、2016年11月16日、2014年9月7日 )とマックス・ベネットとウィルトン・フェルダー(2005年3月8日)の3人で、ドラムはハーヴィー・メイソン(2002年8月11日、2010年7月9日、2011年6月21日、2014年5月28日、2016年4月5日、2017年9月1日、2019年10月17日)とジム・ケルトナー。さらには、ウェスト・コースト・ジャズ界を代表するアルト・サックス/フルート奏者のバド・シャンクも参加していた。
そんな彼のレレレ〜というところは、1990年代に入ると一般音楽作りから離れて実験的でもあるエレクトロ・ミュージックの作り手となったこと。『Ports』でも自らシンセサイザーを弾く電子音楽傾向曲も収められていて、その転向もいろいろ積み重ねた結果のものであることが分かる。
ネットにはあまり彼の死亡記事が出ておらず、死因や亡くなった場所は分からなかった。
▶︎過去の、ホセ・フェリシアーノ
https://43142.diarynote.jp/201411120950032345/
▶過去の、ミルトン・ナシメント
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm
▶︎過去の、アンソニー・ジャクソン
https://43142.diarynote.jp/200402051855170000/
https://43142.diarynote.jp/201109121452527893/
https://43142.diarynote.jp/201212140959573710/
https://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
https://43142.diarynote.jp/201611171021419374/
▶︎過去の、ウィルトン・フェルダー
https://43142.diarynote.jp/200503120546520000/
▶過去の、ハーヴィー・メイソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-8.htm 8月11日、トム・スコット
http://43142.diarynote.jp/201007110625087085/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110621
http://43142.diarynote.jp/?day=20140528
http://43142.diarynote.jp/201604060850393487/
https://43142.diarynote.jp/201709071307037021/
https://43142.diarynote.jp/201910180828345862/
<今日の、久しぶり>
iTunesのプレイリストにCDから入れた曲が不明(少し前の商品で明細クレジットがなく、トラック2とだけ表示される)で、シャザムで調べる。収録アルバムまで分かり、やっぱり便利だな。でも、普段は使わないなあ。ほぼ1週間ぶりに外出。複数の用事をこなそうと思ったら、一つを見事に忘れる。いかんいかん。だけど、まいっか。このおり、外出し帰宅した後はすぐにシャワーを浴びるが、1ヶ月半伸ばしっぱなしにしていた髭をついでに剃る。やっぱ、だいぶ見かけが変わるナ。それについては、マル。地上波TV放送は映らないようにしているがネットで見れるみたいなので、深夜バイデンの就任式の中継を深夜にチラ見しようか。→→光ファイバーTVのプログラグラムにBBCチャンネルがあった(就任式を延々と放映していたよう)ので、そちらで見る。解説者がかなり反トランプ/共和党の態度をとっていたような。大統領付きのアメリカ海兵隊の楽団の様には音楽流れで、ちょい目を向ける。若く見える指揮者は軍服にたくさん飾りをつけていたが、階級が上なのだろうか。そういえば音大卒業後の道として、自衛隊の楽団入りがあると聞いたことがあるナ。