報告です。ぼくのブログ<佐藤英輔のライヴ三昧>、このhttps://43142.diarynote.jp閉鎖につき、4月以降はhttps://eisukesato.exblog.jp に移ります。また、noteのほうにも月ごとにはなりますが、ホケンで移行中です。
 音楽評論家の大伴良則さんの訃報が伝わる。雑誌原稿やライナーノーツをいろいろお書きになっていたが、音楽の趣味も微妙に離れるし、学生時代はその名を格別意識したことはなかった。だが、編集者になり、彼と関わるようになると、ぼくにとって大伴さんはお気に入りの筆者になった。通り一遍の題材であっても、彼はちゃんとポイントある文章で出してくれた。しかも、締め切りを破ることがなかった。彼の文章には、含み笑いのストーリーテリングの妙があった。少なくても、ぼくが受け取った原稿は。こういう人がプロと言うんだろうなとも、ぼくは思った。長くはない期間の編集者をやめて以降、彼はあまりライヴに行く方ではなかったので、会うこともなくなった。大伴さんはラジオの構成もいろいろおやりになっていて、そこで重なる同業者もいたが、ぼくはラジオの構成はしなかったので、そちらで繋がることもなかった。静的ニコニコといった感じの人ながら、喋ると小さめな声でおっとり饒舌であるという印象をぼくは持っている。それは、彼の豊かな興味や知識ゆえではなかったか。腹部大動脈破裂で死去、享年73。

 それから、フー・ファイターズ(2002年9月12日)のドラマーのテイラー・ホウキンズがその南米ツアー中に、滞在していたコロンビアのボゴタで亡くなってしまった。楽旅中に死去というのは、なんかもう一つの悲しみを覚えさせる。テキサス州フォートワース生まれで、1976年にカリフォルニア州ラグナ・ビーチに引っ越し、同地で育つ。アラニス・モリセット(1999年4月24日、2002年3月22日)をはじめいろんなバンドで叩いていた彼は1997年以降にフー・ファイターズに加入し、以後ずっと在籍してきた。一方で、歌にも覚えある彼は他のプロジェクトにも手を染め、テイラー・ホウキンズ&ザ・コートテイル&ライダーズとして2006年にファースト作を出した際は、同年の富士スピート・ウェイで開かれたフェスティヴァルに彼はそれで参加した。そのバンドのギタリストはジャズ・ドラマーのネイト・ウッド(2013年8月22日、2015年9月30日、2016年10月29日、2019年6月5日 )だった。ラグナ・ビーチ高校で同級生だったウッドもショックを受けているだろう。ウッドは1作目でバンドを離れたが、2010年と2019年にもテイラー・ホウキンズ&ザ・コートテイル&ライダーズとしてアルバムをリリース。その2作目にはクイーンのメンバーたちやエリオット・イーストン(2014年10月23日)らがゲスト入りするなど、彼は同業者からもとても好かれる存在だった。また、2017年自己名義EPには「トウキョウ・ノー・ノー」という曲を収めたこともあった。←その歌詞は、なんかよくわからん。

 死因は不明。ながら、薬物摂取をほのめかす記事もある。彼は2001年にロンドンで、ヘロインで死にかけたことがあった。2005年に結婚し3人の子を授かるなど、家庭は円満だったようだ。彼はNHCという参加者のキャップを並べた名前でジェーンズ・アディクションのデイヴ・ナヴァロ(元チリ・ペッパーズですね)とクリス・チェイニーとともにレコーディングしており、そのEPはこれからリリースされることになっている。

▶︎過去の、フー・ファイターズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
▶過去の、アラニス・モリセット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
▶︎過去の、ネイト・ウッド
http://43142.diarynote.jp/201308251333326263/
http://43142.diarynote.jp/201510021221454336/
http://43142.diarynote.jp/201610311234024646/
https://43142.diarynote.jp/201906061147569700/
▶︎過去の、エリオット・イーストン
https://43142.diarynote.jp/201410251056112035/

<今日の、思い出し>
 あ、大伴良則さんとはロンドンで一緒になったことがあった。かつて我々の仕事はレコード会社からの依頼を受けての海外取材が少なくなく、それで複数のライターが一緒に派遣されることもあったが、1987年初頭にぼくがフリーになってからの最初の出張仕事となるそれは、大伴さんとだった。まだロンドンにメインのオフィスがあったゾンバ・プロダクション=ジャイヴでジョナサン・バトラーの取材だった。フリーになったぼくと一緒の仕事をすることを、彼はとても喜んでくれた。そのためかどうかは知らぬが、そういう場合一人づつ別にやるのが常だが、大伴さんの提案で二人で長い時間インタヴューをした。あのとき、同じゾンバ・プロダクション所属のルビー・ターナーのコンサートをロイヤル・アルバート・ホール(この欄に複数触れたことがあるが、そのとき一緒に出たのがザ・コミュナーズとテレンス・トレント・ダービーだった)であり、それも見ることができた。そういう+アルファが海外取材の美味しいところですね。大伴さんは別の用事があったのか、それは一人で見に行ったナ。帰りとかも別で、ガトウィック〜乗り換えスキポール〜アンカレッジという流れの便だった。そのアンカレッジでは大伴さんと似たような位置で仕事をなさっている大森庸雄さんが偶然同じ便に乗っていて、そんなに面識はなかったが少しお話をした。洋楽系ライターが海外取材の機会に恵まれていた時代、それらの経験は血となり肉となっている。

 池袋・東京芸術劇場が企画する、ピアニストが二人向き合う“VS”というリサイタル・シリーズの3回目の出し物を見る。

 広いステージ中央には、スタンウェイのフルコンが2台。登壇するのは、塩谷哲(2006年2月16日、2006年6月15日、2008年8月19日)と 大林武司(2014年5月25日、2015年9月5日、2016年2月16日、2016年9月4日、2016年12月16日、2018年2月21日、2018年11月1日、2018年12月5日)。

 約20歳年齢の離れた二人は、白いだぼだぼのシャツ、黒いパンツ、白いスニーカーという同じ出で立ちでステージに登場する。ただし、シャツのカットは違っていた。ともあれ、それで二人の距離の近さは出る。この二人について位置が近いと感じたことはなかったが、バークリー音大に行く前に大林は塩谷にサインをもらったりしていたらしい。実際、ピアノを隔てて塩谷とアイコンタクトを交わす大林の表情には思慕と喜びがおおいに宿る。一方の塩谷はそれに対し、うんうんと暖かくもナイス・ガイぽく受け止めると言う感じ。あれ、塩谷ってあんなにチリチリした髪型をしていたっけ? 大林は広島県の出身なのか。ソイルの丈青と同じなんだな。

 実際の演奏は、意外なくらい、二人の演奏が似ていた。音色もまた。と、書くとちょっと語弊があるかもしれないが、本当に両人は無理なく調和する。演目はそれぞれのオリジナルを中心に(お互いに新曲も1つづつ出した)、スタンダードの「オール・ザ・シングス・ユー・アー」(二人でしっとり変えられていて、ぼくは原曲を想起しなかった)をはじめ、スティングやチック・コリアやスティーヴィー・ワンダーの曲なども取り上げる。ジェントルな二人のやりとりが一番映えたと思えたのは、「オーヴァー・ザ・レインボウ」かな。おお、そんなハーモニーの取り方をする? とかいったようなインスパイアに富むやりとりが手に取るように分かった。

 2部制。2部のほうでは、お互いのオリジナルをそろぞれがソロで弾くという場面もあり。本当にお互いを認め合っているんだなという感想が、倍化されますね。その際から、2人は弾くピアノを交換した。

▶︎過去の、塩谷哲
https://43142.diarynote.jp/200602171950040000/
https://43142.diarynote.jp/200606182137100000/
https://43142.diarynote.jp/200808221745590000/
▶過去の大林武司
http://43142.diarynote.jp/?day=20140525
http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160216
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
http://43142.diarynote.jp/201612181010384754/
http://43142.diarynote.jp/201702201427067352/
http://43142.diarynote.jp/201802221538438234/
https://43142.diarynote.jp/201811021046075049/
https://43142.diarynote.jp/201812081039071230/

<今日の、変化>
 火曜、水曜、木曜日と寒い日が続いたので、ヘタレのぼくは家にこもった。そして金曜の今日、寒い日のあと開花するなどともいわれるが、なるほど桜が咲いている。朝起きカーテンを開け、それを認める。ほほ。ほのかな僥倖。3〜5部咲き、かな。そのち、ベランダに桜の花びらが舞い込むのか。なんか、それにも風情を感じてしまうよなあ。

 20世紀の最後の四半世紀のR&B/アーバン・シーンを支えた重要キーボード奏者である、ジョン・バーンズがお亡くなりになった。ビッグ・ネームたちへのアルバムに山ほど関与し、みずからのサイト(https://johnbarnesmusic.com)を持っているにも関わらず、生年月日は不明だ。彼が関与したプロダクツのプレイリストも載っているそこには彼が亡くなったことは出ておらず、バーンズが貢献した最たる人物であるマイケル・ジャクソンの1998年から運営されている“Michael Jackson World Network ”というサイトで、この20日に二人の写真3葉とともに彼の逝去は報じられた。

 生まれも育ちもロサンゼルスのワッツ地区で、4人兄弟の長男だ。6歳で手にしたクラリネットを端緒に、ベース、トロンボーン、ドラムなどを弾くようになったが、ちゃんとピアノを向かい合ったのは高校を出てからだった。彼はカリフォルニア州立大学ドミンゲスヒルズ校で音楽理論と作曲を学んでいるという。

 そんな彼のキャリアのスタートは、ロサンゼルスに引っ越してきたモータウン。バーンズはスタッフとして関わるようになり、ザ・ミラクルズやザ・4トップスのアルバムに鍵盤奏者やプロクマーとして名前が入るようになった。そして、マーヴィン・ゲイ表現の1976年作『I Want You』や同リオン・ウェアの『ミュージカル・メッセージ』にもキーボードで関与。そのころから彼の名は広がり、レーベルを超えてジョニー・ブリストル、タヴァレス、ワー・ワー・ワトソン、ザ・マンハッタン・トランスファー、リオ・セイヤー、ミニー・リパートン、エロイーズ・ロウズ、グロリア・ゲイナー、フィフス・ディメンション、ベニー・ゴルソン、ビル・サマーズ、シャラマー、シェリル・リン、グラディス・ナイト、ジェフリー・オズボーン、ジョニー・ギル、フリオ・イグレシアスらのアルバムに鍵盤、プログラム、編曲などで関与するようになる。

 そして、バーンズの技量に惚れ込んだ最たる大物が、マイケル・ジャクソンだった。両者はザ・ジャクソンズの『ヴィクトリー』(エピック、1984年)録音で出会ったのち、ジャクソンのブレインとしていろいろとMJ表現に関わっていき、1985年の『ウィー・アー・ザ・ワールド』ではサウンド・プロダクション作りの屋台骨を担い、それはジャクソンの『BAD』(エピック、1987年)も同様だった。以降、彼の諸アルバムやツアー用の音楽作りをするとともに、ジャーメイン・ジャクソン、ジャネット・ジャクソン、ケニー・ロギンス、ライオネル・リッチー、ハープ・アルパート、ロバータ・フラック、エディ・マーフィー、セリーヌ・ディオン、ロバータ・フラック、ガトー・バルビエリ、エディ・マーフィー、ラルフ・トレスヴァント、ダイアナ・ロス、シー・シー・ペニストン、レナード・コーエン、アレキサンダー・オニール、レジーナ・ベル、ジェラルド・アルストン他のレコーディングに、1990年代半ばにかけて参加している。

 大雑把な抜粋だが、そうそうたるリスト。ポップ・ミュージックの中にプロクラミング音や鍵盤ベース音が無理なく入るようになった時代を映し出す西海岸のクリエイターと言えるだろうか。彼は家族を大切にし、ツアーに出ることは避けたとも伝えられるが、昨年から体調を崩していたようだ、

<今日の、うわー>
 ちょい映像の探し物をしたら、こんなのに偶然出会った。日野皓正と菊地雅章のデュオによるしっとり静謐な「アイ・フォール・イン・ラヴ」。1994年、NY市庁舎での12分のライヴ映像だ。
https://www.youtube.com/watch?v=JNjaXZkKcw0

LEO -NEW GRID-

2022年3月18日 音楽
 気鋭の箏奏者であるLEOのライヴを見る。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。アメリカン・スクール→東京藝術大学と進んだ彼には今回の公演に祭してzoomで取材をしたが、そのとき語っていた(http://www.bluenote.co.jp/jp/news/features/11878/)ことを具現する実演であったな。その際もそうであったが、端正なルックスを持つ彼の話はとてもいい人な感じをにじませつつポライトで本当に嫌味なし。それにも感心した。

 ステージ上には3つの箏が置かれる。それらを曲によって弾き分ける。冒頭3曲はオリジナルを続けたが、作風に広がりがあるためかけっこう即興的にも聞こえる。オープナーはけっこうエフェクターを介したもので、ときにキリキリしたと書きたくなる現代的な音質を出していて、おお。その音を使いたくなる今のクリエイターがいそうとも感じた。そういえば、彼は藤倉大(2021年10月2日)とのアルバムも出している。2曲めも単独演奏で、3曲めはヴァイオリンのビルマン聡平(2021年12月9日)とのデュオで演奏する。やはり、箏という楽器だけで、もう一つの佇まいを持つ表現となる。

 それ以降は、さらにチェロの伊藤ハルトシ(2017年10月10日、2019年10月30日)とピアノのロー磨秀の4人でショウは進められた。そして、こちらではLEOが最大級に共感を持つティグラン・ハマシアン(2015年10月12日)と坂本龍一(2011年8月7日、2012年3月21日、2012年8月12日、2013年8月11日)の楽曲も取り上げる。それらを聞いてすぐに感じてしまうのはアレンジがかなり巧み、ということ。それぞれの楽器の特性を知り尽くした先にスリリングな重なりを用意し、それらは広がりや生理的な偶発性を感じさせるものになっていたから。その仕掛けに富んだ編曲をしたのは、藝大卒業後に映画からゲームの音楽まで多彩な活動をしている篠田大介の手によるという。沢田穣治(2002年3月24日、2010年4月19日、2011年7月24日、2012年5月15日、2012年5月16日、2013年9月6日、2014年8月27日、2017年4月29日、2017年7月8日)は同じ事務所のようだ。4人は篠田の曲も1つ演奏した。

 また、アルゼンチン人のクラシックの清新大作曲家で、アルトラ・ピアソラとの接点も持つアルベルト・ヒナステラ(1916〜83年)の曲も一つ。ヒナステラの曲はエマーソン・レイク&パーマーが『ブレイン・サラダ・サージェリー』(マンティコア、1973年)で取り上げられたことがあり、なんとなく昔から知っているな。そちらのアレンジもなかなかに凝っていた。

 そうした演奏群に接していて、クラシック教育を受けつつそこから外野に出ようとしている彼ら(4人中、3人はミックスとなるのか)は腕がたつということを痛感する。ピアニストのロー磨秀はお付きの人を横に立たせ、クラシックのそれのように曲の流れととともに譜面をめくらせる場合もあったが、ソロの際の指さばきは個性的であったし、なにより彼はシンガー・ソングライターとしてメロディアスな歌もの作を出していたりもする。そういう面々の様に接すると、スクエアなものとしてぼくは基本距離を置いてきたが、クラシック界隈でも時代の動きとともにもろもろ動いているんだろうなと感じることしきり。まあ、考えてみれば今の働き盛りジャズ・ミュージシャンもそういう流れの人たちであるとも言えるし、ポップ・ミュージックの担い手も音大出の人はげんざいいろいろいるわけで、そこで得た知識がおおいに武器となることで現代性を獲得しているわけだ。

 箏という日本の古典音楽にある楽器の形而上を、様々な音楽要素を俯瞰したうえで、みずみずしく浮き上がらせる。映画『パベル』(昔、日本盤のライナー・ノーツを書いたなあ)で使われた坂本龍一の曲のメロディ部を箏で弾くだけでもなんとも言えない情緒が出てくるし、そこから創意とともに弦音の様々な束を浮き上がらせる作法の面白さは奏法が見ることができるライヴならではのもの。両手で爪弾く場合はハープのそれを想起させる場合もあるし、多彩な奏法から得る思いはいろいろ。バイリンガルな彼は海外に出たら、かなり需要を得るのではないかとも思わずにはいられない。それから、プリミティヴな楽器であることを肯定しつつ自在に飛び立つ箏音に触れて思ったのは音程がかなり明瞭であったこと。そこらへん、他の箏演奏にあまり触れていないのでなんとも判断がつかない。

▶︎過去の、藤倉大
https://43142.diarynote.jp/202110090906583013/
▶︎過去の、ビルマン聡平
https://43142.diarynote.jp/202112101719481557/
▶︎過去の、伊藤ハルトシ
https://43142.diarynote.jp/201710121703595237/
https://43142.diarynote.jp/201910311450514339/
▶過去の、ティグラン・ハマシアン
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
▶過去の、坂本龍一
http://43142.diarynote.jp/?day=20110807
http://43142.diarynote.jp/?day=20120321
http://43142.diarynote.jp/?day=20120812
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
▶過去の、沢田穣治
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/201004211621084144/
http://43142.diarynote.jp/201107310726159855/
http://43142.diarynote.jp/201205301229093694/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120516
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140827
http://43142.diarynote.jp/201704300807298823/
https://43142.diarynote.jp/201707101243147840/

<今日は、ぶるぶる>
 いやー、寒い1日だった。そして、雨天。ライヴの開演時間にちょうど間に合うように家を出たら、あっと驚く雨量で、風もある。そっちのほうが難儀で、寒さは一気に散った。でも、会場は混んでいたなあ。さすが女性客比率は高かったか。まだ互い違いに着席させるなど緊急時入場者配置が取られているが、来週からは禁止令がなくなる。とはいえ、昨年のオリンピック時の感染者数よりはまだ多いわけで、それは持続されるのだろうか。開演時間もまたどうなるのか? 今週は地方に行ったのだけど〜飛行機は混んでいた〜、感染対策に留意しつつ普通に飲み屋が夜にやっているのは素晴らしいと思えた。

 絶世の名曲というのがある。たとえば、1972年の「ホワイ・キャント・ウィ・リヴ・トゥギャザー」という曲はまさしく、その筆頭に挙げられるものだ。曲趣や歌われる内容。そして、その総体が与えるぞくぞく感やエキゾ性〜それはマイアミ産であることを示唆する?〜というか超然とした感覚……。奇跡の1曲と言ってもいいのではないか。

 そんな「ホワイ・キャント・ウィ・リヴ・トゥギャザー」を作り、演奏し、歌っているのが、マイアミに拠点を置いたオルガン奏者/シンガーであるティミー・トーマスだ。インディアナ州生まれで、メンフィスなどを経由したあとにマイアミにたどり着き、同地で彼が1972年に発表した初(おそらく)シングルが、この反人種差別や反戦を歌ったこの曲だった。シンプルなリズム・ボックス音を下敷きにオルガンで上乗せ音を作り、そこに歌を載せる。そのオルガンのアクセントにもぞくぞくさせられる同曲はTK傘下のレーベルやポリドールから送り出され、R&Bチャート1位、ポップ・チャート3位の大ヒットを記録した。曲趣を高めるシンプルさは、実のところデモ・テープだったものがこれでいいじゃんとなり発売されたと言われる。

 その後、彼はベティ・ライト(2012年2月28日)やクラレンス・リード/ブロウフライなどのサポートをはじめ同地TKレコードのハウス・ミュージシャンとして活動するとともに、ソロ・アクトとしても5作以上のリーダー作を出している。それらはあまり話題にもならなかった(ときに「ホワイ・キャント・ウィ・リヴ・トゥギャザー」要素を散りばめたりも彼はしている)が、ちゃんと歌えるソウル・マンであったのは疑いがない。

 シャーデー、ジミー・スミス(2001年1月31日)、ラッキー・ピーターソン(2016年4月10日)、カイル・イーストウッド(2006年11月3日、2010年10月19日)、スティーヴ・ウィンウッド(2003年7月27日)他がカヴァーし、MCハマーやドレイクらサンプリング使用ももちろんいろいろ。近年では、同じオルガン奏者のドクター・ロニー・スミス(2015年7月2日、2018年7月28日)が遺作『ブリーズ』(ブルーノート、2021年)で、ヴォーカルにイギー・ポップを迎えて取り上げた。

 彼についてはそれほど詳しいバイオグラフィーは出ていないが、興味深いのは1990年代初頭にベイビーフェイス(2001年10月25日、2014年9月6日)らが設立したラフェイス・レコードのA&Rについていたという記載が複数認められること。なるほど、1993年のラフェイス発のコンピレーション・クリスマス盤に彼の名前がプロデューサーとして出ていたりする。死因は不明、でもあの曲は音楽の魔法を伝えるために今後もトーマスの名前とともに生き続ける。

▶︎過去の、ベティ・ライト
https://43142.diarynote.jp/201203061824335340/
https://43142.diarynote.jp/202005110748547114/ 訃報(インタヴュー付き)
▶︎過去の、ジミー・スミス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-1.htm
▶︎過去の、ラッキー・ピーターソン
https://43142.diarynote.jp/201604190912403018/
https://43142.diarynote.jp/202005181643344196/ 訃報
▶過去の、カイル・イーストウッド
http://43142.diarynote.jp/?day=20061103
http://43142.diarynote.jp/201010211706204508/
▶︎過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
▶︎過去の、ドクター・ロニー・スミス
http://43142.diarynote.jp/201507030846173120/
http://43142.diarynote.jp/201807290828583298/
https://43142.diarynote.jp/202109300828178950/ 訃報
▶過去の、ベイビーフェイス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
https://43142.diarynote.jp/201409100929108025/

<今日の、ふとした疑い>
 鼻水がすごいなあ。それは春先に限ったことではないのだが、花粉症かなあとほんの少し思わなくもない。そーいうのかからないと、自信を持ってきたのになあ。検査って、かんたんなのかなあ。弱気になってんのかなあ。

 うわあ。サイコー。風のない春日、陽光注ぐバック・スタンド側からピッチに向かい、その満ち満ちる開放感に感動がこみ上げる。これは素晴らしい、リフレッシュ手段だとも思った。そして、どうして巣ごもり期(2020年は新鮮で楽しむことができたが、2021年は少し煮詰まった……)にもスタジアムに足を運ばなかったのかと後悔する。居心地がいいのは1席あけのチケット販売と、通常なら耳障りでしょうがないゴール裏エンスーの応援音がないからでもあるが。とはいえ、大太鼓は叩いていいようで、それには本当に耳を塞ぎたくなった。ヘタとかいう前に、本当にうるさい。それが聞こえると、試合に没頭できない。

 飛田給・味の素スタジアム。お、スタジアムの横にアリーナが二つあったが、そんな記憶がない。やはり、本当に行くのが楽。そして、横酷と言われる横浜の日産スタジアムと比べると同じ陸上トラック付きながら、まだ横側から見るぶんにはピッチとの距離は許せる範囲にあるものなあ。今後天候次第では、嫌いなヴェルディのホーム・ゲームでも見に行っちゃおうかな。

 味の素スタジアムに行ったのは、昨年J2の新潟を率いて評判を取ったスペイン人のアルベルが、ぼくにはいい印象のない長谷川にかわり東京の監督についたというのは大きい。アルベル、お茶目そうに見えるしな。その長谷川を新たに取った名古屋(GMの山口)には???しかないが。勿体ないな、名古屋と神戸は監督選びをちゃんとすればもっと良い成績を収められるはずなのに。

 やはりアルベルにしてとりあえず正解というのは、開幕戦からのスタメン選手の起用に出ている。この3月に高校を卒業するはずの松木を当然のように入れて、一方では日本代表に選び続けられている長友を外す。それ、日本人監督だと、なかなかできないはず。地上波の映らない家に住むぼくはこの正月の高校選手権を見ていないので、松木がどんな選手かも知らなかったが、ユース・チーム出身でもない彼が普通に核となる選手のように振舞っていてへ〜え。すごいな。体ができていて、運動量が多い。足が早いとは感じなかったが、黄色い靴を履いた彼はとくに前半は本当に目についた。長友はイタリア時代は大好きな選手だったが、現在は絶対に日本代表レヴェルではないわけで、それでも考える力がない代表の森保監督(←多くのサッカー・ファンのストレスの種以外の何物でもない)はそれでも長友を選出するんだろうな。あ、でも後半出てきた彼、思っていたほど悪くはなかった。でも、代表でもっと左サイドの適した選手はいると思う。

 とはいえ、東京の出来はよくなかった。基本ラインが高めなような気もしたが、アルベルの目指すサッカーは見えなかった。決定力はなかったが、広島のほうがずっといいサッカーをしていた。こちらは、初来日となるドイツ人のスキッペが率いている。ものの、このチームに合流して1週間しか経っていないようだが。結果は2-1で敗れたが、すべてのスタッツで広島が上回っていたのは間違いない。まあ、松木がいろんなところに顔をだすことに現れているように、攻守一体となった集合度の高いサッカーを目指そうとアルベルはしているのかもしれないが、少なくても今日は見ていて楽しいサッカー(そういうサッカーを目指すとか、アルベルは言っていなかったっけ)かといえば、そうではなかった。

追記:昨年4月上旬に、やはり味スタに行っており、ブログも書いている。だが、そのときのことはナイト・げームで寒すぎて、すっかり忘れていた。

<今日の、明と暗>
 ほんとうに、スタジアムに出向いてよかった。ビールもうまいっ。やっほー。試合前に東京ガス/FC東京の“キング”である旧在籍選手であるFWのアマラオが今年から東京のアンバサダーにつき、その挨拶がなされる。50代半ばだが元気そう、日本語も流暢だった。そうか、この日が東京にとって今期初のホーム・ゲームになるのか。東京は先月チーム内クラスターが大々的に起こり大変だった。そういえば、東京の方のゴール裏には派手な花火の仕掛けがあり、数カ所からババーンとでかい火花を出すときも。おお、アリーナのコンサートみたい。これ、欧州はともかく日本では陸上トラックの余白がないとできない仕掛けだろう。場内、家族づれも多く、いい雰囲気だったな。太鼓の音、いがい。
 ところで、今回ネットでチケットを購入するため、その手のやつに登録し、好きなチームという問いに一応自分ちの近くの3チームにチェックを入れたら、J1チケット販売の本体と3チームから続々メールが入ってきていて非常に困惑。チェックを入れるんじゃなかった。メルマガが嫌がらせのように届きますよと明示して欲しかった。

 デンヴァー在住のコルネット奏者であるロン・マイルズ(2005年6月9日)がお亡くなりなった。びっくり、まだ58歳。8日午前中に自宅で亡くなったという。報道によれば、血液障害の真性多血症という稀な病気を患っていたという。

 インディアナ州インディアナポリス生まれ。彼は11歳のときにデンヴァーに移ったが、それは喘息だった彼を両親が慮ったためであったという。大学では当初は電気工学を学んだものの、最終的にマンハッタン音楽院で修士号を得ている。1987年に初アルバムをリリース。当初はニューヨークに住んでいたが、そのうちデンヴァーに戻り、いろいろ活動。ぼくはずっと彼はニューヨーク在住だと思っていた。彼はデンヴァーにあるメトリポリタン州立大学でジャズ課程の責任者も担ってもいて、同地のジャズ界の元締めでもあった。

 以下のQ&Aは2020年9月に、ブルーノート移籍作を出した際に彼に問うたリモートによるインタヴューの内容だ。intoxicato誌用にそれはなされ、訳は丸山京子さんによる。


Q:新作『レインボウ・サイン』はブルーノートからのリリースとなります。ブルーノートとディールを持った経緯を教えてください。
M: アルバムを作り終えた数週間後、ビル・フリゼールが「これをドン・ウォズ(2013年2月15日、2019年6月12日、2019年6月13日、2019年6月14日)に聴かせていいかな」と言うんで、「もちろん」と答えた。そしたらドンから「リリースしたい」と連絡が入ったんだ。そんなこと予想してなかったので、誰より僕が驚いていたよ。だって何しろ長いアルバムだろ? 2枚組のアナログ・アルバムだ。ところがドンは「音楽をとにかく気に入ったから」と協力してくれたんだよ。こちらから働きかけたわけではなく、気付いたこうなってたんだ。

Q:当然ながら、ブルーノートのこれまでのレコードは聴いてこられていますよね?
M:もちろんさ、いつも聴いてきたよ。つい昨日もエリック・ドルフィーの『Out To Lunch』(1964年)を聴いたところさ。

Q:25年前から、あなたはリーダー・アルバムにギタリストを入れています。そして、1997年作『Woman’s Day』(Gramavision)以降、ずっとビル・フリゼールをレコーディングに起用しています。また、あなたはブランドン・ロス(2004年9月7日、2005年6月8日、2005年6月9日、2006年9月2日、2011年5月5日、2011年12月8日、2011年12月14日)、チャーリー・ハンター(1999年6月22日、2002年1月24日、2006年4月17日、2009年1月16日、2015年2月18日)、メアリー・ハルヴォーソン(2014年7月28日)、オーティス・テイラーなど様々なギタリストとレコーディングもしています。あなたはギター奏者、しかもかなりオリジナルなギタリストがお好きであるように思えますが?
M: 今、君が名前を挙げたのは全員が本当にユニークで独自のスタイルを持つプレイヤーで、たまに「同じ楽器を弾いているのかな?」って思いたくなるくらいだ。基本、そういう風にはっきりとした自分の音楽的個性を持つ連中に惹かれるのだと思う。さらにはギターという楽器の特性もあり、特に今挙げたギタリスト達のプレイはハーモニーという意味で“示唆に富む”ことが出来るんだ。例えばピアノだったら、コードの8音を弾いて完璧に音を埋めてしまうのに対し、2音しか弾かない…というように。もう一つは、僕がブルースを好んでいるからかな。彼らは皆、なんらかのブルースの感性を持っているプレイヤーだと思うよ。

Q:トランペットも吹かれると思いますが、なぜコルネットを吹いているのでしょう? 
M:コルネットの方がトランペットより温かみのある音色なんだ。人は皆、コルネットを吹いてたんだよ、1927年にルイ・アームストロングがトランペットに持ち替えるまでは! そこでコルネットは終わっちゃったんだ。でも、僕はなぜかコルネット奏者に惹かれてきた。キング・オリヴァーとか、ルビー・ブラフなんかも聴いたよ。彼らの温かな音色が好きだった。それにギターとの相性もいい。音そのもの(timbre)が好きなんだろうな。

Q:フリューゲル・ホーンも試したことはありますか?
R: あるよ。でもフリューゲル・ホーンは限定的というか、いつも温かい一定の音で吹くしかなくなってしまう。それに比べ、コルネットだと突き破るような、高い金切り声も出せる。音色に幅があるというのかな。少なくとも僕にはそう感じる。

Q: これまでの活動の中でターニング・ポイントと思えることをいくつか選んでくれませんか? 
R: 最近のことからあげるね。まず頭に浮かぶのは『I Am A Man』 (Yellowbird, 2017年)でこのバンドが出来たことだ。ビルとはデュオ・アルバム『Heaven』(Sterling Circle, 2002年)も作っていたので「デュオに誰を加えたらいいだろう?」って考え始めたのが最初だ。そこで「じゃあ、ブライアンを加えよう」ということになり、オーケストラルな曲がさらに書けて行ったので「他に誰を加えよう」「じゃあジェイソンとトムだ」となったんだ。このメンツが揃ったのは『I Am A Man』が初めてで、それまで一緒にやったことはなかった。でも、作る過程で繋がっていったんだ。僕にとっては夢のようなバンドだよ。もう一つ思い出すのはジンジャー・ベイカー(2012年11月21日)だ。去年、彼は惜しくも亡くなったが、彼とやれたことはとても重要な意味があった。彼がコロラドに越してきて知り合うまで、実はクリームのこととかあまり知らなかったんだ。だって僕はトランペット吹きで、ギタリストじゃないからね(笑)でも素晴らしい音楽性の持ち主だった。彼のバンドに加わることが出来たのは、僕の人生のターニング・ポイントの一つだね。

Q: 先ほどおっしゃられたように今作は、前作『I Am The Man』と同じメンバーで録音されています。ジェイソン・モラン(2007年1月16日、2007年1月17日、2008年4月6日、2013年1月6日、2015年1月20日、2015年1月21日、2017年4月11日)、ビル・フリゼール(2000年7月21日、2006年5月14日、2009年5月8日、2011年1月30日、2017年1月12日、2017年1月13日、2017年6月19日、2019年6月10日)、トーマス・モーガン(2012年6月24日、25日、2013年9月7日、2017年3月2日、2017年6月19日、2019年5月17日、2019年6月10日 )、ブライアン・ブレイド(2000年12月6日、2001年8月3日、2002年8月25日、2004年2月9日、2008年9月4日、2009年7月20日、2011年5月12日、2012年1月16日、2012年3月15日 、2012年5月22日、2014年2月12日、2014年4月14日、2015年5月27日、2016年5月18日、2017年12月16日、2018年5月22日、2020年1月5日 )の4人とやる、最大の利点は?
R: 彼らは全員、素晴らしいsong player(楽曲を演奏するプレイヤー)なんだ。それぞれの楽器で歌を歌う、素晴らしいシンガーとでも言うのかな。もう一つ彼らが優れているのは、音楽はこうあるべきというアジェンダを予め用意してレコーディングに臨むのではなく、スポンテニアスに音楽を生まれさせてくれる点だ。そして音楽を“ちゃんと聴いて”演奏する。そこにミステリーが存在することにも、演奏しないことにも、抵抗がない。彼らは演奏することと同じくらい、演奏しないことにも前向きだ。そんな彼らに対し、僕がすべき仕事はなるべく多くのsongを書くことだ。たとえほんのスケッチだけで臨んでも、彼らならマジックを生み出せるだろう。でも彼らを愛しているから、スケッチだけで現れるようなことをしたくないんだ。それが必要なことなのだとしたら話は別だが、僕としてはなるべく完璧な形でのsongを彼らに準備したい。彼らの才能へのリスペクトからね。

Q: それが『I Am The Man』であなたが学んだことですか? もっと曲を準備してレコーディングに臨むべきだったと。
R: 前回もそれはしているんだ。もっと書くというのは音符をいっぱい書くという意味ではない。音はたとえ少なかったとしても、自分の中で時間をかけて曲を発展させていった末の少ない音ということさ。ただし、今回の利点は、前回よりはバンドのサウンドを分かっていた点だ。前回は一度も一緒にやったことがなかったからね。分かってたつもりでも実際は違った。前回やらなくて今回やったことの例をあえて挙げるなら、たとえばトーマスにはもっとメロディラインを用意したというのはある。でもすごくささいな違いだけどね。

Q:『I Am A Man』を経て、今作はどんな内容にしようとしたのでしょう?  
R: どのアルバムでもそうだけど、曲を書き始める時というのは、僕は音楽で表現したいなんらかの感情を抱えているんだ。それが何を生み出すのかは、書き終わるまで分からないものだったりもする。『I Am A Man』の時はBlack Lives Matter、アメリカにおける人種問題や差別を再評価することが、僕の頭の中を占めていた。もちろん政治的な音楽というのは昔から書いていたよ。「Say It Loud」もそうだったし、「Howard Beach」はNYハワード・ビーチで殺害された黒人男性のことを書いた曲だ。そんな風に僕にとって政治は僕らが逃れようのないものだ。コミュニティの一員であるには美しい部分だけでなく、醜い部分も全部引き受けなければならない。常に自分の心に誠実に。そしてその時、社会で起きていることを伝える媒体でなければならないのだと思う。その気持ちを持ちつつも、今回の僕には死を間近に迎えた父親がいて、それが大きな部分だった。だから前作以上にパーソナルなアルバムになったと言って良いだろうね。

Q: だからでしょうか。新作はよりストーリーテリングしている曲が多いと感じました。曲がもう一歩深いところで繰り広げられていると思わずにはいられなかったのですが。
R:そうだね。アルバム中、一番最初の書いた曲がアルバム1曲目の「Like Those Who Dream」だった。一種のブルースというか。僕の曲はどれもそうなんだけど、最初は一定のルールの中でスタートする。だけど曲が進むに連れ、ルールは全部破られてしまう。曲が行きたいように行ってしまうからさ。その一方で「Binder」のような音楽の歴史をただ語るような、トラディショナルな曲もある。あのメンツといるとーー中でもジェイソンーー彼といると、すべての音楽の歴史を感じるんだ。ジェイムス・P・ジョンソンに遡るくらいにね。これまで僕にはラグタイムの曲なんて書けなかった。ところがジェイソンと会って初めて一緒にやった時、なぜか「わかった!」と書けたんだよ。そういう曲もあるが、それ以外は父の死に至る旅のいろいろな過程で書けた曲だ。それまで息子として父に育てられてきた自分が、今度は父の面倒を見ている。それはとても大変な旅なんだ。こちらは助けたいと思うのに、父はお前の助けなんていらないと頑固に言い張る。そんな父をなんとか宥めたりしながらの毎日だった。父は一人っ子で母親を早くに亡くしていたんでね。でも子供達全員が集まり、父も最後には僕らの愛を十分に感じてくれていたと思うよ。それが何より良かった。

Q:お父さんは音楽をされていたのですか?
R:楽器は演奏しなかったが、子供の頃からマックス・ローチの『Drums Unlimited』(Atlantic,1966年)、カーティス・メイフィールドの『Superfly』(Curtom、1972年)、マイルス『Kind of Blue』(Columbia,1959年)がレコード・プレイヤーにあったのを見て知っていた。だから音楽の趣味は間違いなく良かったね。

Q:レコーディングはどのようにすすめられたのですか? 前回のようにまた、あなたの自宅でリハをしてスタジオに移ったのでしょうか?
R:いや、今回はデンバーではなく、NYでレコーディングしたんだ。というのもビルがニューヨークに引っ越し、NY以外に住んでるのは僕とブライアンだけだったんで、「じゃあ僕らが行こう」ということになった。前日に1日リハーサルをして、レコーディングは2日。皆に聞かせるつもりでデモも一応用意していたが、結局一度もカバンから取り出さなかった! 書いた譜面以上の情報で、彼らに影響を与えたくなかったんだ。実際、彼らは僕が想像すらしてなかったようなものを作り出してくれた。それが出来るメンバーなんだよ、全員が素晴らしいアーティストたちだからね。

Q:たとえば、お父さんに関する曲のバック・ストーリーというか、それすら話さなかったんですか?
R:一切話さなかったよ。ただ、「A Kind Word」をやっている時、「feather haired printsみたいな感じがほしい」と説明したんだ。「I Wanna Be Your Lover」のヴィデオに出てくるプリンス(2002年11月19日)ってわかる? あの羽根みたいなフワフワの髪がイメージだったんだ。みんな顔を見合わせて「なんとなくわかる気がする」と言ってやりだしたら、それは僕の思い描いてた通りだった! 僕から説明するのはそれがせいぜいなんだ(笑)だいたい抽象的なことばかりだよ。

Q:『レインボー・サイン』を聴いて、これは2020年の屈指のジャズ・アルバムであると大きくうなづきました。現代ジャズとして必要となる要件はどんなことだと思いますか?
R: オーセンティックな人間として僕らに作れるのは、自分たちの時代の音楽だけなんだ。どれほど1950年代のマイルス・デイヴィスが好きでも、デューク・エリントンが好きでも、今その世界には生きていない。生きているのは今だ。もちろん彼らから影響は受けるよ。でも結局、影響下で僕が語るのは自分が何者かというストーリーだ。もしくは自分の周りの人たち、コミュニティのストーリー。僕に曲を書かせているのは僕というより、コミュニティなんだと思うくらいさ。僕という個人は集団の中の一人だ。家の周りを歩く時に目にしたもの、想像したもの、耳にした誰かの会話から思いつくアイディア。それを続ける限りは、どうしたって書く曲はコンテンポラリーになる。古いものになると恐れる必要はなくなる。むしろ今の時代の音楽を書かない人は、選んでそうしてるんだと思う。意識してそうしない限りは、どうしたって今の音楽になるものだからね。

Q: ちなみにお洒落は好きですか? いつもスーツでクールに装っていますよね。
R:ありがとう、でも僕はスーツは2〜3着くらいしか持っていない。ユニフォームみたいなもので、あまり服のこととか考えたくないんだ。一つ日本のことで思い出したが、初めて日本を訪れたのはマーサー・エリントン・バンドとしてで、その時に見た日本の学生服に感動して買って帰ったんだ。数年間はどのステージでも着ていたし今も持ってるよ。ファッションでこだわったのはそれくらい。あとは「なんとなくいいんじゃないか」という程度で選んでる。でも娘に言っておくよ。娘はファッションが大好きだから、そう言われたと言っても、きっと信じてもらえないだろうな(笑)

Q:あなたが住むデンヴァーでは、Covid-19はどんな状況ですか?
R:幸いデンヴァーはそれほどひどくないんだ。大学で僕は教えているんだけど、授業はまだすべてオンラインで、レストランは開いているところもある。クラブはまだ閉鎖中だ。デンヴァーではマスクをつけている人も多い。ただコロラド州自体は広いので、現職大統領支持層がいるところもあって、そういう地域では「あえて」マスクをしない人とかもいるようだ。でも幸い、全体としてはデンヴァーはまだ良い方だ。

Q:デンヴァーから東京(成田)への直行便もあるので、ひと段落したら、ぜひ来日してください。
R:直行便があるのかい? 日本でライヴが出来るようになる日がくるといいと本当に思うよ。

Q:何か日本のファンにメッセージがあればお願いします。
R:日本盤にはボーナス・トラック「Always」がついている。これはアルバムで一番最後に書けた曲で、自分ではすごく気に入っていたので、アメリカ盤から外すことのがとても残念だった。なので、日本のみんなに聴いてもらえるのは嬉しいよ。さっき、父の面倒を見ながら、自分が父のケアテイカーのようになっていたと言ったけど、そんな時も「常に(Always)」やはり父は最後の最後まで父だった。僕が父になることはない。僕は息子だった。そういうことを歌った曲なんだ。ぜひ楽しんでもらいたいし、日本に行ってみんなと直に会える日が来るのを心待ちにしているよ。

▶︎過去の、ドン・ワズ
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
https://43142.diarynote.jp/201906151230594715/
https://43142.diarynote.jp/201906151236029148/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
▶過去の、ブランドン・ロス
http://43142.diarynote.jp/?day=20040907
http://43142.diarynote.jp/200506120643190000/
http://43142.diarynote.jp/200506120644360000/
http://43142.diarynote.jp/200609031313220000/
http://43142.diarynote.jp/?month=201105
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
http://43142.diarynote.jp/201112201158055043/
▶過去の、メアリー・ハルヴォーソン
https://43142.diarynote.jp/201408051026553769/
▶︎過去の、チャーリー・ハンター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200604181149370000/
http://43142.diarynote.jp/200901171017206901/
http://43142.diarynote.jp/201502230940316504/
▶過去の、ジンジャー・ベイカー
https://43142.diarynote.jp/201211231437358985/
▶過去の、ビル・フリゼール
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200605160543260000/
http://43142.diarynote.jp/200905101005501321/
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/
http://43142.diarynote.jp/201701131141476377/
http://43142.diarynote.jp/201701141241544133/
https://43142.diarynote.jp/201706190940184750/
▶過去の、ジェイソン・モラン
http://43142.diarynote.jp/200701201417260000/
http://43142.diarynote.jp/200701201418210000/
http://43142.diarynote.jp/200804081928430000/
http://43142.diarynote.jp/201301151731112021/
http://43142.diarynote.jp/201501210901575140/
http://43142.diarynote.jp/201501220923108418/
https://43142.diarynote.jp/201704131639031673/
▶︎過去の、トーマス・モーガン
http://43142.diarynote.jp/201207031323242844/ 菊地雅章
http://43142.diarynote.jp/201210271744294415/ 菊地雅章
http://43142.diarynote.jp/?day=20130907 リー・コニッツ
https://43142.diarynote.jp/201703081443314613/
https://43142.diarynote.jp/?day=20170619
https://43142.diarynote.jp/?day=20190517
https://43142.diarynote.jp/201906110953249486/
▶過去の、ブライアン・ブレイド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200402091738240000/
http://43142.diarynote.jp/200809071429250000/
http://43142.diarynote.jp/200908061810483865/
http://43142.diarynote.jp/201105140859559227/
http://43142.diarynote.jp/201201171011033219/
http://43142.diarynote.jp/201203161146266803/
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140212
http://43142.diarynote.jp/201404161959228005/
http://43142.diarynote.jp/201505281537538677/
http://43142.diarynote.jp/201605240831421865/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160803
http://43142.diarynote.jp/201712181015052794/
https://43142.diarynote.jp/201805230726481296/
https://43142.diarynote.jp/202001060957069830/
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm

<今日の、追記>
 『I Am A Man』と『レインボウ・サイン』はギター入り現代ジャズ、最良のサンプルだと、ぼくは思っている。しかし、父親の死について語っていた彼がまさか。彼は妻の間に一男一女をもうけ、母親も存命であるようだ。このインタヴューをするまで、彼がジンジャー・ベイカーと一緒にやっていたのは知らなかった。また、彼がデンヴァーに住んでいたことも……。Ginger Baker And The DJQ2O With Special Guest James Carter(2013年2月26日)名義による1999年アトランティック盤『Coward Of The County』はジンジャーとマイルズの共同制作で、マイルズは6つ楽曲も提供している。マイルズの曲はベイカーの『Why?』(Motéma Music、2014年)のオープナーにも採用された。そちらには、ピー・ウィー・エリス(2005年9月24日、2007年9月13日、2008年4月1日、2012年4月9日、2012年11月21日、2013年7月4日、2016年2月3日)が入っていますね。そんなマイルズさん、ジョー・ヘンリー(2010年4月2日、2010年4月4日、2012年10月16日)やブルース・コバーン(2018年9月30日)といった叡智のシンガー・ソングライター作に入ったこともあった。

▶過去の、ジェイムズ・カーター
https://43142.diarynote.jp/201302281048405875/
▶︎過去の、ピー・ウィー・エリス
http://43142.diarynote.jp/?day=20050924 オマール・ソーサ
http://43142.diarynote.jp/200709171112310000/ メイシオ/ウェズリー/エリス
http://43142.diarynote.jp/200804030050390000/ RAD
http://43142.diarynote.jp/201204150858456025/ エリス
http://43142.diarynote.jp/?day=20121121 ジンジャー・ベイカー
http://43142.diarynote.jp/201307071319405650/ ザ・エリスズ・ファンク・アセンブリー
http://43142.diarynote.jp/201602040957261258/ ザ・エリスズ・ファンク・アセンブリー
https://43142.diarynote.jp/202109261134269675/ 訃報
▶︎過去の、ジョー・ヘンリー
http://43142.diarynote.jp/201004080752097392/
http://43142.diarynote.jp/201004080754018553/
http://43142.diarynote.jp/201210201218283712/
▶︎過去の、ブルース・コバーン
https://43142.diarynote.jp/201810031028426328/

 ジャズはイケてるもの、突き抜けたもの。そんなことを音楽や風体で、語りまくっていた重鎮ベーシストがお亡くなりになった。享年、89。渡辺貞夫と同い年であったのか。新型コロナ感染からの肺炎で入院していたという。あれれ、このブログ内検索をかましても彼の名前がヒットしない。ので、ぼくが彼のライヴを見たのは21世紀に入る前となるのか。だが、フットワークの軽い御仁で、派手な服を身につけてライヴを見にきている氏のことを見かけてはいた。スカートを履いていたりもしましたね。まさに、傑物。そんな彼は優秀な(ゆえに、本道からは距離を取られがちな)若手ミュージシャンを次々に自分のグループに拾い上げていたという印象も強く持つ。いや、日本の今のジャズへの功績はものすごいものがあると思う。

 夜は、渋谷・WWW Xでモノンクル(2014年2月20日、2016年8月10日、2018年5月13日、2020年1月19日、2021年11月6日)を見る。

 ヴォーカルの吉田沙良とエレクトリック・ベースの角田隆太、二人のメンバーに、ギタリストとドラマーがサポートで入ってのもの。基本プリセット音併用だが、これだけ違和感なくやられると、その作法は現代ポップ・ミュージックのデフォルトですと言われている気になる? 現代的なジャズやR&Bの感覚を巧みに取り入れた曲/コード感やサウンド音色/ビート感も、また同様。ここには、今のあるべき一つのポップスの姿があるとも思えてしまう。涼しい感じで難しいラインを歌う吉田もまた、広い知識を持つ現代ポップ・シンガーとしての矜持があふれまくるか。それが奔放で豊かゆえ、実際の曲の尺よりもぼくは長く感じると思った。新曲も4〜5曲披露し、アンコールの1曲めは完全なメンバー二人によるデュオで披露された。この日のライヴ評は、再来週の日経新聞夕刊に掲載されます。

▶︎過去の、ものんくる/吉田沙良
https://43142.diarynote.jp/201402210802184994/
http://43142.diarynote.jp/201608111103309626/
https://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
https://43142.diarynote.jp/202001201340286359/
https://43142.diarynote.jp/202107310742529881/
https://43142.diarynote.jp/202111071551287545/

<今日の、場>
 会場のWWW Xは満場。彼女たちにとって今年初のライヴになるそう。そして、これ以降のライヴはまだ決まっていないと言っていた。だからこそ、より気持ちを込めていた部分はあったのかもしれない。これまでのなか、一番曲を披露するライヴであるとも言っていたか。しかし、スタンディングの会場でライヴを観るのって、一体いつ以来となるか。ほぼ、2年ぶりぐらいなのかな。
 そして、コルネット奏者のロン・マイルズの訃報も届いているが、これは明日、2020年にやったインタヴューつきできっちり出します。

 うわー。スタジオで演奏していたスパークス・バンドやそこにいた監督や娘が屋外に出て、そこに主要キャストも加わりサンタモニカの通りを歌いながら闊歩するオープニングが格好いい。ツカミはOK、それだけでウキッ。これから始まる映画は、ロック・ユニットのスパークス が作った物語なのだよと、示しているようでもあり。

 スパークスがもともと自らのアルバム用に作ったロック・オペラ作『アネット』を発表前に付き合いのあったレオス・カラックス(彼は少年のころからスパークス 好きで、自身の2012年作『ホーリー・モーターズ』にスパークス の1975年曲「ハウ・アー・ユー・ゲッティング・ホーム?」を使ったことがあった)に聞かせたところ、これは映画になると彼は最終的に判断。その結果の、2021仏/独/ベルギー/日本映画だ。カラックスにとって9年ぶりの映画となり、原題も『Annette』。その試写会を渋谷・ユーロスペースで見た。4月上旬より、公開となる。

 スパークス が生まれ育ったLAが舞台(とはいえ、大半はベルギーやドイツで撮影されたそう)で、すべて英語による作品だ。台詞も少し入るが、多くはスパークス が作った歌唱(役者たちが歌う)音楽とともに進む。幾度となくオペラのシーンであっても、4人のソウルっぽい女性コーラス隊が出てくるのはなにか意図があるのだろうか。スタンダップ・コメディアンとオペラ・スターの間に娘が生まれ(その名前が、アネット)、そこからストーリーが動く奇想天外な数年間が様々なアイデアや思慮や語法を介して綴られていく。娘の設定はわおっ。よくぞ。ストーリー自体は荒唐無稽だが、様々な意識のおいしい飛躍や映画/音楽愛が次々に見る者に入りこみ、この後どーなるの、どんなふうに描かれるのという感じで、2時間20分の作品に接した。しかし、主役のアダム・ドライヴァーはジム・ジャームッシュやスパイク・リーらの映画であの細長い顔を見ており、辣腕映画監督から評価が高いなあ。

 親が相手となる夫や妻を殺しちゃう、親と子の歪んだ関係、才ある子供の存在など、ザ・フーのロック・オペラ作/ケン・ラッセル監督による『トミー』とビミョーに符合する筋流れを認めることができるか? 

▶︎過去の、スパークス
https://43142.diarynote.jp/200905070932235357/
https://43142.diarynote.jp/200905070933513731/
▶︎過去の、カラックスの映画
https://43142.diarynote.jp/200806180854420000/
▶︎過去の、アダム・ドライヴァーが出た映画
https://43142.diarynote.jp/201707080859335054/ ジャームッシュ
https://43142.diarynote.jp/201903050842467108/ スパイク・リー
https://43142.diarynote.jp/202003120731162119/ ジャームッシュ

<今日の、サウンドラック>
 昨年のカンヌ国際映画祭監督賞作品を受けているという本映画のサウンドトラックは、ソニー傘下レーベルから出ている。映画に沿ってそれらがずらりと曲が並ぶアルバムのクレジットを見ると、作詞においてはロンとラッセルのメイル兄弟とともに、レオス・カラックスの名前も併記されていた。撮影をしながら、それに沿い変えていった部分もあるのだろう。サウンドはロック調というよりはオーケストレイションが十全に施されたもので、それはクラシック育ちの作編曲家であるフランス人のクレメン・デュコルが担当し、音楽監督しても名前が入っている。彼は才気あふれまくる歌手であるカミーユ(2008年10月13日)とも絡んだことがあるというか、パートナーという間柄で2人子供がいるという話もある。ともあれ、そのサントラを映画を見た後に聞いたら、音楽のほうだけのほうが興味深く聞くことができた。スパークス が作った幻のオリジナル『アネット』も聞いてみたいなあ。
 それにしても同じ時期に、質の高い自らが題材となるドキュメンタリー映画と、自前のロック・オペッラが壮大なミュージカル映画になったスパークスのお二人、映画好きでもあるしさぞや冥利につきることだろう。その栄誉は卓説した資質が導くものに他ならないが、変であることを正道とばかり貫くことの貴さを教えてあまりある。あと、それら映画に関わった監督が英国人とフランス人であるというのは彼らの抱えた味を指し示すか。ハリウッドのお膝元で生まれ、基本居住し続けているスパークス の美味しい異端性を語っていると言えるだろう。なお、この公開時に合わせて、カラックス旧作品上映もなされるよう。
▶︎過去の、カミーユ
https://43142.diarynote.jp/200810061855487134/
▶︎過去の、スパークスの 映画
https://43142.diarynote.jp/202203041552087125/

橋本一子

2022年3月6日 音楽
 渋谷・Jzブラットにおける、ワンマン2日間公演の2日目だ。

 この日は、橋本が担当した手塚眞の2020年日/独/英映画の『ばるぼら』の名前を冠する出し物。ちなみに、前日は2021年自己作『View』の名を出していた。この日の出演者は<ばるぼらクインテット>と名づけられ、ピアノとヴォーカルの橋本一子(2001年5月3日、2006年10月25日、2009年11年19日、2010年9月14日、2012年9月5日、2013年2月22日、2018年3月8日、2021年8月14日)、トランペットの類家心平(2011年5月5日、2011年7月31日、2014年6月13日、2014年9月25日、2014年12月28日、2015年5月20日、2017年6月21日、2017年9月2日、2018年1月19日、2018年5月13日、2018年7月7日、2019年3月29日、2020年1月19日、2021年4月6日、2022年3月4日)、テナー・サックス(ほんの一部テーマ部でバスクラも)の小田島亨(2009年11月19日)、ダブル・ベースの井野信義(2004年8月20日、2004年10月10日、2005年8月19日、2006年10月25日、2010年9月14日、2021年4月6日)、ドラムの藤本敦夫(2001年5月3日、2006年10月25日、2009年11年19日、2010年9月14日、2012年9月5日、2013年2月22日、2018年3月8日、2021年8月14日)の5人で表現にあたる。

 1部はすべて映画用に提出した曲を披露したよう。手塚監督からは真摯なジャズ曲を要求されもしたようで、そういう意味では<橋本が考える、背筋を伸ばしたジャズ・カルテット>表現が往々にして繰り出されていたと指摘できるか。オープナーのフロントの二管アンサブルが効いた曲は、そうした志向に対する橋本のパロディ的茶目っ気が出たような曲とも感じた。終盤の1曲はフリーな行き方を取る。だが、一方では生の反復調サウンドのもと藤本がラップする楽しい曲もあり。映画曲だと、そういうのもあるよな。

 2部はサントラに頼らない曲を披露したが、やはり二管を擁する橋本一子クインテットのショウというべきものを提出する。柔と剛で言うなら後者? 橋本と井野と藤本はUb-Xというワーキング・トリオを組んでいたが、そこで抱えていたジャズ度数の高いフォーマットにトランペットとテナーを組み込んだ表現を出していたとも言えるはず。Ub-Xでやっていたマイルズ・デイヴィス曲「ブルー・イン・グリーン」やエディ・ハリス曲「フリーダム・ジャズ・ダンス」らも5人で雄弁に届ける。この顔ぶれのために橋本が新たに書いた曲も披露された。

 ヴォーカルを出す場面は少なく、2管を擁するジャズ造形の妙と、管とピアノの創意あるソロを聞かせるショウ。当人も、久しぶりにたくさんピアノを弾いたという趣旨の発言をしていたか。いろいろとジャズ精神や態度を宿すからこそビヨンドな領域に踏み出している橋本だが、それゆえにマジなソロはもっともっと長くやってェと今回思わせられたりもしたな。そして、アンコールは橋本眞由己(2009年11月19日、2010年9月14日、2013年2月22日、2021年8月14日、2021年10月24日)をコーラスに加えての、微笑みの「マシュケナダ」。芯を持つからこそのハイブリッドさはやはり、現在リアルなジャズをやろうとポップ・ミュージックをやろうと必要とされる要件であると思う。

▶︎過去の、橋本一子
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm
http://43142.diarynote.jp/200611020833520000/
http://43142.diarynote.jp/200911241550342013/
http://43142.diarynote.jp/201009231547465891/
http://43142.diarynote.jp/201209181238434594/
http://43142.diarynote.jp/201302281046506238/
https://43142.diarynote.jp/201803091807511062/
https://43142.diarynote.jp/202108151200495168/
▶過去の、類家心平
http://43142.diarynote.jp/?day=20110505
http://43142.diarynote.jp/201108101624025366/
http://43142.diarynote.jp/201406160956273046/
http://43142.diarynote.jp/201409261635554506/
http://43142.diarynote.jp/201412301043067796/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
http://43142.diarynote.jp/201609201648546159/
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
http://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
https://43142.diarynote.jp/201807080932266789/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
https://43142.diarynote.jp/?day=20200119
https://43142.diarynote.jp/202104071750586426/
https://43142.diarynote.jp/202203051135106798/
▶︎過去の、小田島亨
https://43142.diarynote.jp/200911241550342013/
▶︎過去の、井野信義
https://43142.diarynote.jp/200408202133070000/
https://43142.diarynote.jp/200508230543370000/
https://43142.diarynote.jp/200611020833520000/
https://43142.diarynote.jp/201009231547465891/
https://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
https://43142.diarynote.jp/202104071750586426/
▶︎過去の、藤本敦夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm
http://43142.diarynote.jp/200611020833520000/
http://43142.diarynote.jp/200911241550342013/
http://43142.diarynote.jp/201009231547465891/
http://43142.diarynote.jp/201209181238434594/
▶︎過去の、橋本眞由己
https://43142.diarynote.jp/200911241550342013/
https://43142.diarynote.jp/201009231547465891/
https://43142.diarynote.jp/201302281046506238/
https://43142.diarynote.jp/202108151200495168/
https://43142.diarynote.jp/202110250930086270/

<今日の、罪滅ぼし>
 会場でけっこうライヴ遭遇率の高い、ジャズ界ではよく知られるプロデューサーのMさんと会う。今後はどんなものを見に行くのと尋ねられ、当面ライヴはないかもしれないけど、明後日はスパークス(2009年4月23、24日)が原案/音楽を担当するレオス・カラックスの映画試写会に行きますよと答える。そしたら、すぐにスパークス の話に乗ってきて、彼らの酔狂な音楽性やアイランド時代のジャケット・カヴァーの話を返してきてびっくり。慧眼と好奇心あるジャズを根に置く活動をいろいろ示している氏だが、それを支える一端に触れたような気になった。あ、彼のレーベルからは橋本のアルバムが出ていたこともあるナ。ここんとこなんかタクシーばかり乗っている気になっていたので、この日は行きも帰りも徒歩でこなす。なんか、怠惰な自分をリカヴァリーできたような気がした。って、アイフォンの万歩系は6000歩にしかならなかったけど。風もあり、帰り道は寒かったなー。
▶︎過去の、スパークス
https://43142.diarynote.jp/200905070932235357/
https://43142.diarynote.jp/200905070933513731/
https://43142.diarynote.jp/202203041552087125/

 バンド編成でやる担い手のドラムレスのアコースティック・セットや、フォーキーな担い手が出演するゆったり系野外イヴェントと言っていいのかな。公演表題にあるように、会場は日比谷野音。出演者は5組、最初の登場者二人は20分、その後の出演者は40分という持ち時間が与えられている。

 16時半に会場入りすると、しばらくして新進の碧海祐人が出てきて淡々とギターの弾き語りを3曲する。アルバムを聞くと聞きどころあるフォークトロニカな仕上がりで、今回一番見たいと感じた人だった。すんごく乱暴に書いちゃうと七尾旅人(2011年1月8日、2011年4月16日、2013年6月6日、2013年11月20日、2020年11月19日)以降のシンガー・ソングライターだなという感想を得るが、コード使いが巧み。歌声は高音でそこにファルセットをも用いる歌い方も個性ありか。いろんな含みを抱える人だが、MCはまっすぐ快活で好印象。3曲目となる最後の曲では、彼の前に登場したやはりもう一つを感じさせるシンガー・ソングライターの さらさ が出てきて歌う。彼女、ピンクの半袖の繋ぎをきていた。それを見て、震える厚着のぼく……。

▶︎過去の、七尾旅人
https://43142.diarynote.jp/201101111201402329/
https://43142.diarynote.jp/201104171543279700/
https://43142.diarynote.jp/201306111556299464/
https://43142.diarynote.jp/201311230757159421/
https://43142.diarynote.jp/202011201047548918/

 次は、今月末にやはりここで単独ライヴをするという女男ユニットのGLIM SPANKY。初めて見るものの既視感を持つのは、かつてフジ・ロックのパンフレットに彼女たちの紹介を書いたことがあったからか。レトロ・ロック100%下敷きの日本語のロックを聞かせる。この日はメンバー二人に、サポートのハーモニーのヴォーカルもつけるキーボード奏者がつく。メンバーの亀本寛貴はエレクトリック・ギターとアコースティック・ギターを半々づつ演奏。前者では1曲(オープン・チューニングによる?)スライド・バーを用いる演奏もあった。かようにブルージーでもあった往年ロックの語彙を無防備と思えるほどにあっけらかんとサウンドに入れる二人だが、そこは妙に立った日本語のオリジナル曲があり、ちょいハスキーな歌質を持つ松尾レミのヴォーカルは存在感がめっぽうあった。

 さらに、女男デュオのLOVE PSYCHEDELICO(2006年4月22日)の二人がサポートの奏者なしで、完全アコースティックでライヴを行う。すぐにカラっとした質感に、耳が向く。それは先のGLIM SPANKYが情念と言いたくような臭みを抱える曲をやっていたこととも関係あるか。余裕に満ちる。さすがに20年選手、二人の生ギター音の絡みも軽快でコンビネーションよし、ストレスなく接することができる。彼女たちは英語曲をやっているという認識があったが、ときどきちょい日本語もどきと聞こえる部分もあったりして。どうなんだろう。ボブ・ディランの1963年超有名曲「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」の素直なカヴァーも披露する。詩の内容はもう素晴らしいが、メロディについては個人的に魅力を覚えることが出来ない曲だな。昨年に小坂忠(2001年12月16日、2013年8月11日、2015年10月25日、2015年11月19日、2019年10月14日)とやったときがこの曲をやるきっかけになったと、説明していた。

▶︎過去の、LOVE PSYCHEDELICO
https://43142.diarynote.jp/200604251252010000/
▶過去の、小坂忠
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
http://43142.diarynote.jp/201510290731105395/
https://43142.diarynote.jp/201511200934467321/
https://43142.diarynote.jp/201910150806553324/

<今日の、サタデイ・イン・ザ・パーク>
 朝7時から午後2時半にかけて、6時間強は真剣に机に向かい、のべ6000字ほど打つ。ふう。画面の文字が霞んできたし、もう生理的にふらふら。妙な達成感とともに、日比谷野音に向かう。本当にしばらくぶり。そこに家から向かうのは表参道で千代田線に乗り換えるのが吉というのは覚えていたものの、何駅で降りればいいのか忘れていて慌てる。会場は木の広めの椅子ベンチになっていて(前もそう?)、またトイレが綺麗になっていて、やたら照明が明るい。本日は、おそらく今年一番気温の高い日か。主催者側、胸をなでおろしたのではないか。僕が会場入りした際はまだ違和感なく明るく、18時になっても現在は真っ暗にはならないことを認知する。月は細めの、シャープな三日月だった。この日は多少風のある日で、一時期風が舞い、周辺の木々がざわざわと大きく揺らいたときがあった。そして、GLIM SPANKYあたりから、寒さを覚える。まず腰の辺に感じ、徐々に上半身全体に寒さが広がる。お酒飲んでも和らがないよー。なぜ16時開演ではなく、13時とか14時開演とかにしなかったのだろう。この時期、まだ夕方以降の野外は、少なくてもぼくにとっては厳しい。そして、LOVE PSYCHEDELICOのあとにもう1組出ることになっていたが、彼女たちの終盤で申し訳ないが会場を後にする。風邪をひきたくねえ、根性なしのぼくにとってはギリの頃合いだった。帰りの最寄りの霞ヶ関駅で電車を待っていると、逆側に北千住行きのロマンスカーが止まる。おお。それなりに人が降りたな。ここから、他の地下鉄線に乗り換える人たちなんだろうか。箱根は行楽客でそれなりの人出であったのかなあ。そういえば、ここ1週間で海外に出かけている知人が少なくても3人いる。そろそろそっちのほう、いいほうに向かっているのだろうか。

 いろーんなことを音楽家の自由のあくなき行使としてやり続けている、大友良英(2002年3月17日、2003年6月28日、2004年2月6日、2004年10月10日、2004年11月7日、2005年4月26日、2006年1月21日、2006年4月18日、2007年4月21日、2009年5月31日、2011年6月8日、2012年3月21日、2013年7月13日、2016年9月4日、2016年10月27日、2019年11月12日、2021年10月2日、2022年1月10日)の、新たなアクションと言っていいのかな。彼が興味惹かれる奏者たちに声をかけ、一応楽曲は用意したうえで、最大級に偶発性をかかえた集団演奏の現場を差し出す。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。

 登壇者は、ギターの大友良英、トランペットの類家心平(2011年5月5日、2011年7月31日、2014年6月13日、2014年9月25日、2014年12月28日、2015年5月20日、2017年6月21日、2017年9月2日、2018年1月19日、2018年5月13日、2018年7月7日、2019年3月29日、2020年1月19日、2021年4月6日)、トロンボーンの今込治(トロンボーン)、バリトン・サックスの本藤美咲(2022年1月5日)、ピアノの永武幹子、ドラムの林頼我(2019年3月16日)、ダブル・ベースの鈴木正人(2003年12月4日、2004年7月6日、2004年11月30日、2005年6月9日、2005年10月30日、2005年11月15日、2007年1月27日、2007年10月17日、2008年1月31日、2009年1月16日、2009年10月31日、2011年3月2日、2011年5月22日、2013年1月29日、2013年2月19日、2013年8月29日、2014年2月20日、2014年4月3日、2014年12月28日、2016年9月27日、2017年9月8日、2018年6月2日、2020年9月29日)、ドラムの山本達久(2010年6月7日、2010年9月11日、2012 年1月10日、2013年4月21日、2013年5月24日、2016年11月16日)、マリンバと打楽器の上原なな江、バリトン・サックスと横笛の吉田隆一(2004年8月20日、2004年10月10日、2006年7月3日、2012年12月11日、2014年7月22日、2015年2月8日、2015年4月14日、2015年6月21日、2016年9月27日、2017年1月9日、2017年9月13日、2021年2月28日、2021年4月6日) 、アルト・サックスの松丸契(2021年4月6日、2021年9月23日、2022年1月6日)、アルト・サックスの吉田野乃子、ギターの細井徳太郎(2021年11月6日、2022年1月5日)という面々。名前の順序は一応半円を描くように位置するミュージシャンの着席順。人数が多いので普段よりステージが客席側に出張り、奥行きが広く取られていた。各奏者の前にはいろいろ譜面あり。

 約20分、30分、20分の尺を持つ塊を三つ披露する。1曲目と2曲目は曲を決めずにやろうかと大友が言って始められたか。また、ちゃんと用意した曲をやる(に入る)場合は、その譜面をみんなに見せて回るというようなことも、彼はメンバーに言った。1曲目はまず吉田隆一が前に出てきて、<アンサンブルズ東京>調のハンド・サインを出しながら奏者を導いていき、続いて指揮は他の参加者たちにも引き継がれた。その場の行きがかりと確かなインプロヴィゼイションと全体音留意能力が入り混じる風通しのいいその集団演奏が最後にたどり着いたのは、エリック・ドルフィーの「ストレイト・アップ・アンド・ダウン」だった。

 他の曲も、大友や参加者がハンド・サインを出していく場面が散見された。皆デ音ヲ紡イデイク……。3曲目だかアンコールに、「もう用意していた曲はなくなってきている」というようなは発言を大友が言ったので、偶発性を存分に抱えながらも楽曲という雛壇を置くことで、演奏総体の映えや奏者間のギズギスしない関係性や全体方向取りの明快性を得ようとしていたのではないか。アンコール曲は全面的に大友が指揮し、一番曲の骨格がはっきりし、グルーヴィでもあった。塵も積もれば山となる。さて、これからローレンス・ブッチ・モリスの大所帯表現やジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月21日)のコブラがあって、大友のSmall Stone Ensembleが今あると言えそうなこの集団アンサンブル表現はどのような姿を差し出していくのだろうか。

▶︎過去の、大友良英
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/200402061359140000/
http://43142.diarynote.jp/200410162220330000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20041107
http://43142.diarynote.jp/200504301042210000/
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
http://43142.diarynote.jp/200604210538510000/
http://43142.diarynote.jp/200704251227010000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090531
http://43142.diarynote.jp/201106141341111340/
http://43142.diarynote.jp/201203260805006088/
http://43142.diarynote.jp/201307160735048974/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
https://43142.diarynote.jp/201610310943306583/
https://43142.diarynote.jp/201911131405562579/
https://43142.diarynote.jp/202110090906583013/
https://43142.diarynote.jp/202201110945425690/
▶過去の、類家心平
http://43142.diarynote.jp/?day=20110505
http://43142.diarynote.jp/201108101624025366/
http://43142.diarynote.jp/201406160956273046/
http://43142.diarynote.jp/201409261635554506/
http://43142.diarynote.jp/201412301043067796/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
http://43142.diarynote.jp/201609201648546159/
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
http://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
https://43142.diarynote.jp/201807080932266789/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
https://43142.diarynote.jp/?day=20200119
https://43142.diarynote.jp/202104071750586426/
▶︎過去の、松丸契
https://43142.diarynote.jp/202104071750586426/
https://43142.diarynote.jp/202109241712255724/
https://43142.diarynote.jp/202201071732032283/
▶過去の、吉田隆一
http://43142.diarynote.jp/?day=20040820
http://43142.diarynote.jp/200410162220330000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060703
http://43142.diarynote.jp/?day=20121211
http://43142.diarynote.jp/201407231341189225/
http://43142.diarynote.jp/201502090956393081/
http://43142.diarynote.jp/201504151353356530/
http://43142.diarynote.jp/201506251045578258/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160927
http://43142.diarynote.jp/201701101136544400/
https://43142.diarynote.jp/201709141146381271/
https://43142.diarynote.jp/202103011157184014/
https://43142.diarynote.jp/202104071750586426/
▶︎過去の、本藤美咲
https://43142.diarynote.jp/202201061039048139/
▶︎過去の、細井徳太郎
https://43142.diarynote.jp/202111071551287545/
https://43142.diarynote.jp/202201061039048139/
▶︎過去の、鈴木正人
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm コンボ・ピアノ
http://43142.diarynote.jp/200407062149440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20041130
http://43142.diarynote.jp/?day=20050609
http://43142.diarynote.jp/?day=20051030
http://43142.diarynote.jp/200511221816310000/
http://43142.diarynote.jp/200702010112550000/
http://43142.diarynote.jp/200710181835010000/
http://43142.diarynote.jp/200802051630130000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090116
http://43142.diarynote.jp/?day=20091031
http://43142.diarynote.jp/?day=20110302
http://43142.diarynote.jp/201105230926029205/
http://43142.diarynote.jp/201301311032072367/
http://43142.diarynote.jp/201302201720351212/
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201402210802184994/
http://43142.diarynote.jp/201404050818444425/
http://43142.diarynote.jp/201412301043067796/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160927
http://43142.diarynote.jp/201709110843278416/
https://43142.diarynote.jp/201806051311346158/
https://43142.diarynote.jp/202009301104353283/
▶︎過去の、山本達久
http://43142.diarynote.jp/201009231546089571/
http://43142.diarynote.jp/201304230829016302/
http://43142.diarynote.jp/201305280923275394/
https://43142.diarynote.jp/201611171021419374/
▶︎過去の、林頼我
https://43142.diarynote.jp/201903171331065828/
▶︎過去の、ジョン・ゾーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
▶︎過去の、アンサンブルズ東京
https://43142.diarynote.jp/201609201052518160/


<今日も、ヘタレ>
 パンデミック状況を鑑みて、確か一度中止になった出し物だ。今回の方が新型コロナの患者数はより多いはずだが、ちゃんと開かれてよかった。初お披露目ということで、いい意味で修正/ヴァージョン・アップがなされる2回目のほうがいいかと思い、ぼくはセカンド・ショウを選択した。開演前にラスト・オーダーとなったもののちゃんとお酒が頼めたのはよかった。その前に知人と会ったりした後に来たのだが、ライヴ後はもうヘロり気味。来週頭にかけて依頼を受けている原稿が並び、明日もちゃんと7時には起きてPCに向かおうと思っているので、体力温存とばかり思わずタクシーに乗ってしまう。道はまあ空いていた。この晩の原稿はジャズ・ジャパン誌に書きます。

 半蔵門・東宝東和試写室で、2021年イギリス/アメリカ映画『スパークス・ブラザーズ』(原題:The Sparks Brothers)を見る。キーボードを弾く兄のロン・メイルとヴォーカル担当の弟のラッセル・メイル。あくなき個性を抱え続けてきている、不世出の酔狂ポップ兄弟ユニットであるスパークス(2009年4月23、24日)を題材に置くドキュメンタリー映画だ。監督は一般映画で才能ある活動をしている(『ラストナイト・イン・ソーホー』、『ベイビー・ドライバー』、他)1974年生まれ英国人のエドガー・ライト。スパークスがデビューした際にはまだ生まれていない彼だが、スパークスの大ファンであるのがよく分かり、 UCLAでは映画関連を学んだりもした映画好きのメイル兄弟もライト監督の思いをくみ、彼の求めに全面的に応えていることが分かる仕上がりだ。

 とにかく、映画としての流儀がきちっとし、技法や志が高い。トッド・ラングレン(2001年11月9日、2002年9月19日、2002年9月28日、2008年4月7日、2010年10月10日)やマフ・ウィンウッド(スティーヴ・ウィンウッド〜2003年7月27日〜の兄)やトニ・ヴィスコンティ(2015年7月7日)ら初期のプロデューサーから、ベック(2001年8月18日、2003年4月1日、2009年3月24日)やレッド・ホット・チリ・ペッパーズ(2002年7月28日、2002年11月2日、2007年6月5日)のフリーやフランツ・フェルディナンド(2009年11月9日)のアレックス・カプラノスら、証言者はいろいろ。彼らは統一されたトーンのモノクロ映像のもと出てきてふむとうなずかされるし、いろいろな素材も巧みに埋め込まれる。最後の終わり方も素敵すぎるわけで、こんなに質の高い音楽ドキュメンタリー映画が出てきちゃうと、そのハードルが上げられ、今後の作り手は大変になるのではないかとも思えた。←ちょい、盛りすぎ?

 ベアズヴィル、ワーナー・ブラザーズ、アイランド、コロムビア、ヴァージン、MCA、ライノ、アトランティック、BMG/ロジック、ロードランナーと、21世紀に入る前に彼らが在籍したレーベルを羅列するだけでも、ある種のロック産業史を語ることができる? さすが、ヴェテラン。彼らの『Exotic Creatures of the Deep』(Lil’ Beethoven、2008年)はインペリアル発の日本盤のライナーノーツを、ぼくは書いたな。こういうのを見ると、愉悦を覚えちゃう。

 ともあれ、何より本当に仲が良さそうに自分語りをする二人が円満で、とってもいい感じで、それが見る者をなんとも肯定的な気持ちにさせるだろう。異端な道を歩んできた彼らであるが、ある意味すごい真っ当な心地の持ち主ゆえに続けてこれたという感想もこの映画は導くか。

▶︎過去の、スパークス
https://43142.diarynote.jp/200905070932235357/
https://43142.diarynote.jp/200905070933513731/
▶過去の、トッド・ラングレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200804081929500000/
http://43142.diarynote.jp/201010111257003810/
▶︎過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
▶︎過去の、トニー・ヴィスコンティ
https://43142.diarynote.jp/201507090944439091/
▶︎過去の、ベック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm
https://43142.diarynote.jp/200903260428284843/
▶︎過去の、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm フジ・ロック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200706061354020000/
▶︎過去の、フランツ・フェルディナンド
https://43142.diarynote.jp/200911111423072471/

<今日の、追記>
 4月8日から公開される、この映画の尺はたっぷり2時間20分。歳を取るにつれて集中力が減じてしまい、2時間以上の映画はなんかなあと思っているぼくも、興味深い兄弟の歩みや要点を追うこれについてはグっと見切る。見ているとき、音楽とともにけっこう身体が揺れた。ぼくの後ろに席がなかったのは幸い、迷惑かけたくないからな。この試写会は事前予約制で、きっちり1席づつ開けて座らせるなど(もちろん、入場時の検温もあり)、丁寧。ここんとこ行った試写会としては、それは例外となる。このスパークスが原案/音楽を担当するレオス・カラックスの映画『アネット』も近く公開されるが、その試写会は来週行く予定。楽しみだ。

 昨年のベース・マガジン誌のリズム・セクションの特集で、日本で活動するベーシストの場合、今イケてるのが縦だったら須川崇志(2010年3月14日、2011年7月25日、2016年6月27日、2017年6月21日、2018年1月19日、2018年4月7日、2019年3月29日、2019年12月14日、2019年12月20日、2020年10月29日、2021年4月6日、2021年4月19日、2021年7月30日、2021年9月19日、2021年9月23日)で、電気だったらマーティ・ホロベック(2019年3月16日、2021年4月11日、2021年7月3日、2021年11月5日)だと書いたことがある。

 豪州出身のホロベックに、ギターの井上銘(2016年6月27日、2017年6月21日、2019年1月21日、2020年1月19日、2021年6月24日、2021年8月14日、2021年11月13日)と石若駿(2014年9月26日、2016年6月27日、2016年7月21日、2016年9月4日、2017年6月21日、2017年7月12日、2019年1月21日、2019年3月16日、2020年10月29日、2021年4月11日、2021年4月19日、2021年7月9日、2021年11月5日、2021年11月6日)がつくトリオでの公演だ。これは今後出る彼の2作目『Trio2』 (アポロ・サウンズ)と同じ顔ぶれによる。ちなみに、前作『Trio1』(同、2020年)はピアノ・トリオでの録音だった。蛇足だが、別メンバーによる”トリオ3”も録音済みでリリース準備中のようだ。

 その多くでダブル・ベースを演奏し、他の二人も彼の作る骨格に伸び伸びと乗る。一言でいえば、“今の風”に留意しつつ辛口。もう少し明快な曲をやってよと思わなくはないが、彼のジャズ愛はまっすぐに伝わる。いや、本当に雄弁なジャズ・ベーシストとして、どう自分の今の表現を作ることができるかにあたっていたと思う。後半になると、彼はやっとエレクトリック・ベースを手にする。やっぱり、ぼくはこっちのほうが好き。ごめんね、マーティさん。こちらの演奏のほうが、他に替えがないベース奏者であるように思える部分がぼくにはあるんだよなあ。メロディ取りと溜めの得難い重なり、そしてそこからサウンド総体を伸張させる力をぼくは感じ、おおきく頷いてしまう。電気を弾く場合、彼は3曲中2曲でピック弾きをしていなかったか。ぼくは彼のエレクトリック・ベースの演奏に、どこか故リック・ダンコ(cf.ザ・バンド)を思い出す。ダンコは電気のフレットレスをピック弾きする人だったか?

 MCは日本語でする。なんか、とってもナイス・ガイっぽいなと思った。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

▶︎過去の、マーティ・ホロベック
https://43142.diarynote.jp/201903171331065828/
https://43142.diarynote.jp/202104121207459452/
https://43142.diarynote.jp/202107041453546495/
https://43142.diarynote.jp/202111061132061463/
▶︎過去の、井上銘
http://43142.diarynote.jp/201606281737237220/
https://43142.diarynote.jp/201706220952582448/
https://43142.diarynote.jp/201901231045028294/
https://43142.diarynote.jp/202001201340286359/
https://43142.diarynote.jp/202106251409441425/
https://43142.diarynote.jp/202108131719111936/
https://43142.diarynote.jp/202111161721505125/
▶︎過去の、石若駿
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
http://43142.diarynote.jp/201607221000152412/
http://43142.diarynote.jp/201606281737237220/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
http://43142.diarynote.jp/?day=20170621
http://43142.diarynote.jp/201707130853185809/
https://43142.diarynote.jp/?day=20180404
https://43142.diarynote.jp/201901231045028294/
https://43142.diarynote.jp/201903171331065828/
https://43142.diarynote.jp/202010300958115053/
https://43142.diarynote.jp/202104121207459452/
https://43142.diarynote.jp/202104211350032210/
https://43142.diarynote.jp/202107100947566078/
https://43142.diarynote.jp/202111061132061463/
https://43142.diarynote.jp/202111071551287545/
▶︎過去の、須川崇志
http://43142.diarynote.jp/201003191715113498/
http://43142.diarynote.jp/201107310727152406/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160627
http://43142.diarynote.jp/201706220952582448/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
https://43142.diarynote.jp/201912161052582124/
https://43142.diarynote.jp/201912220907352341/
https://43142.diarynote.jp/202010300958115053/
https://43142.diarynote.jp/202104071750586426/
https://43142.diarynote.jp/202104211350032210/
https://43142.diarynote.jp/202107100947566078/
https://43142.diarynote.jp/202107310742529881/
https://43142.diarynote.jp/202109200901226322/
https://43142.diarynote.jp/202109241712255724/
▶︎過去の、ザ・バンド関連の記載
https://43142.diarynote.jp/201204221307297965/ 下の方の<>内
https://43142.diarynote.jp/201308110826574632/ ハドソン夫妻
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/ ザ・ウェイト・バンド
https://43142.diarynote.jp/202010311315187907/ 映画「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」

<今日の、肩透かし>
 天気予報が夕方から雨になっている。傘を持って出なきゃと思っていた。だが、16時すぎに家を出る際になっても、晴天。さすがに、手ぶらで出かける。途中の地下鉄車中のヴィジョンの天気予報表示も、依然として降雨印が付いていた。だが、やはり降雨はなし。

 オン・ライン試写で、5月20日から公開される音楽ドキュメンタリー映画『a-ha: THE MOVIE』を見る。2021年ノルウェー/ドイツ映画で、原題も同じだ。1980年代に天下を取ったノルウェーの3人組ポップ・グループの歩みを伝える。監督をしているのは脚本も書いているトマス・ロブサームと、女性のアスラーグ・ホルム。ともに、ドキュメンタリー映像畑にいるノルウェー人のようだ。最初、ちょっとした文字につける色がカラフルでいいな、また映像をイラスト化したものの使い方も面白いと思った。だが、後者の作法は、彼らの大出世曲「テイク・ミー・オン」のヴィデオ・クリップのやり口を応用しているのか。a-haはMTVの恩恵をたっぷりと受けた存在であった。

 ロック・ビジネスの光と影をかなり伝える映画と言える。彼らは世界的な成功を求めて高校卒業後にロンドンに渡り、見事に成功を手にしたものの、口当たりの良い音楽作風とは裏腹にけっこう音楽制作には意固地さを持ち、そこを端緒に3人の仲はかなり良くなく、そのため2度ほど解散し、また楽屋や移動は別にしつつライヴ活動をする今に至っている。直近のアリーナ公演はドイツにおけるもののようだが、いまだ人気があることも映画は伝える。

 おっさんになった3人へのそれぞれのインタヴュー(ノルウェー語の場合もあれば、英語のときもある)を軸に、話は進む。マネージャーとかが語る話は出てきても、同業者から発せられた取材映像が一切出てこないのには意地悪ながら腑に落ちた。ビッグ・ヒットは持つものの、彼らの音楽的フォロワー、同業のa-ha信奉者がいないことをそれは示しているような……。ナレーションではU2(2006年12月4日)は曲作りで影響を受け、コールドプレイ(2006年7月18日)やカニエ・ウェスト(2007年3月31日)は彼らのファンとは伝えられるが、だったら当事者の発言も引っ張り出してほしかった。

 多くの人はそんなにわだかまりを持ち合っているなら、お金はすでに得ているはずだし、それぞれに個の基盤も持っているようであるし(現在心臓に傷害を抱えているメンバーの一人が制作している版画はいい感じ。ギタリストの取材映像の後ろには山ほどのギターが置いてあった)、ゆったりそれぞれの道を歩めばいいじゃないかと思ってしまうが、そうもいかないとところが一度栄光を見てしまった人間の業であり、ロックンロール・ビジネスのブラック・ホールであるのだろうか。少し流れを整理して欲しかったという感想もぼくは得たが、そういう面ではしっかりと3人の内側に入り込み、彼らをすべて美化することなく実像を出した作品であると言えるのだろう。ただ、a-haはノルウェーでもっとも世界で成功した存在であるわけで、ノルウェー人がインターナショナルな場を目指すことの誉れや苦難についてはほぼ描かれていない。個人的には、そこが一番知りたかったんだけどなあ。

 彼らが出てきたときのことはリアル・タイムで知っており、それだからこそ、ぼくは彼らの楽曲/サウンドに一度も耳奪われたことはない。この映画はその評価を覆すということはなかったが、ロッカーの年の取り方という部分も含めて、アーハァと頷きながら見ることができた。「テイク・ミー・オン」はテクノ・ポップ流儀を受けたリメイク版が大ヒットしたこと、リード・シンガーの歌声はかなり魅力的でそれがセールスにつながったこと、最初の解散の前に作った『メモリアル・ビーチ』(ワーナー・ブラザーズ、1993年)はデイヴィッド・Z制作のプリンス(2002年11月19日)のペイズリー・パーク・スタジオの録音であったことなど、初めて知ることも多々。1987年の007 映画『リヴィング・デイ・ライツ』の主題歌をペット・ショップ・ボーイズの代役とはいえ提供する栄誉を得たというのは、当時のa-haの人気の高さを語ってあまりある。

▶過去の、U2
http://43142.diarynote.jp/200612070141170000/
▶過去の、コールドプレイ
http://43142.diarynote.jp/200607191428180000/
▶︎過去の、カニエ・ウェスト
https://43142.diarynote.jp/200704011614290000/
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm

 ザ・バンドにいたガース・ハドソン(2013年8月2日)の奥さんでもあるシンガーのモウド・ハドソン(2013年8月2日)訃報が届いた。ロック史に偉大な足跡を刻む旦那とはいつごろ知り合ったかは不明だが、彼女はロサンゼルス育ちで、同地で出会っているよう。彼女は結構大げさな歌い方もし、その奥にスピリチュアルな影を宿しもし、来日公演の際もシスター・モウド・ハドソンと表記されていたので、彼女は修道女であるのかもしれない。

 ロバートソン抜きのザ・バンドの『Hi On The Hogg』(Pyramid,1996年)以降、旦那やリック・ダンコのアルバムに参加し、また2005年にはピアノ(一部アコーディオンも)を弾くハドソンと彼女のデュオ実況作『Live at the Wolf』(Other Peoples Music)が発表されている。現在は老人ホームに入っていると伝えられるハソドンだが、はて……。

▶︎過去の、ガース&モウド・ハドソン
https://43142.diarynote.jp/201308110826574632/
▶︎過去の、ザ・バンド関連の記載
https://43142.diarynote.jp/201204221307297965/ 下の方の<>内
https://43142.diarynote.jp/201308110826574632/ ハドソン夫妻
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/ ザ・ウェイト・バンド
https://43142.diarynote.jp/202010311315187907/ 映画「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」

<今日は、晴耕雨読?>
 昨日(いうか、今日になるけど)、なぜか渋谷からの電車を逃す。この時期、終電が早くなっているのか。基本あまり夜遊びしていないので、それは認知していなかった。通常だったら、まいっかとお店巡りをするところだが、知っているとこは営業してねえ。悲しい世の中のよお。寒くはないので歩いて帰宅してもよかったのだが、タクシーがたくさん止まっているので乗ってしまう。個人タクシーをわざと選ぶ。法人タクシーより高価な車両が使われているのが常であるから。帰宅後、すぐには寝なかった。なのに、日の出前に起きてしまう。夢のなかで珍しく本を読んでいて、なぜかその流れを知っていて、ああそうだこの書評を書くのを忘れていたァというところで目が覚めた。←そんな原稿の依頼は受けていない。その後、二度寝を試みようという気は起きず。気温が低くなく、寒さを過剰に感じなかったというのはあるか。もぞもぞ、朝刊をめくりつつ、お茶をぐびぐび。そして、軽食をとる。ああ、だりぃ。それを認知すると機嫌も良くなくなってきて、目先の仕事をするのやめて安息日(?)にしようと判断した。最初はちょい行ってみたいと思っていたところに出かけようかとも考えたが、寝不足ゆえ免疫力が落ちているかなと思いそれは却下。この1週間すべて外出する予定が入っているので、堂々昼寝しちゃい昼夜逆転することだけは避けたく、そこで正座して写経を始める。→→もちろん大嘘、お参りに行くと良くないことが起こると思っている罰当たりさをぼくは誇る。往々にしてクズいであろう宗教法人を潤わせて、なんの得があるというのだ。午前中はお料理タイム、このおり冷蔵庫の在庫は充実しているな。あ、昨日の分のブログ原稿はちゃちゃと書いた(この原稿、ですね)。それと、すでに仕上がっていた明日締め切りの原稿を軽く見直して、送稿もしたな。午後になると、試写会には行こうと思っていた上記の映画をオン・ライン試写にてだらりと見る。今日のPCで見る映像には横流し防止のためだろうか、画面中央にうっすらと数字が入れられていた。原稿を書く際だと気になるところを一度映像を止めて再確認できるオン・ライン試写は便利ではあるのだが、集中力の持続とか画面の大きさとかで、ぼくは劇場試写を受けるのを好む。実際何度も画像を止めて、もぐもぐしたり、メールをチェックしたり、コーヒー入れたり、友達に電話したりとかで画像を止め、倍の時間をかけて見終えたはずだ。一度も外出せず(郵便物のチェックもせず)就寝は、20時前か。いい子になった気分でZZZ。さあ、ぼくは翌日、何時に起きたでしょう?

Zero・0ne Vol.11

2022年2月28日 音楽
 うわー、とっても面白かった。代官山・晴れたら空に豆まいて。けっこう、人も入っていたな。

 密林東京 (Akiko Suzuki) と萩原 亮大と辻本知範という花生けの3人、そしてトランペットも吹くTAKUYA NAKAMURA(2007年4月12日、2012年6月25日、2016年11月18日、2020年1月10日、2021年9月21日)とDJ KENSEI とSTEEEZO “EEE”というエレクトロ音を出す3人が、即興的にタッグする出し物を見た。

 まず会場入りして、ステージ上にある大小様々な木々、花々の量に圧倒される。搬入するの大変だったろうなー、とは当然思いますね。そして、そうなんですかあと大きく頷いたのは花生けの3人はその作業をバック・トゥ・バックというか、一人づつ連鎖するように行っていったこと。最初にやる人が基本フォーマットを定めるというところはありそうだが、順序はじゃんけんで決めたようだ。前の人の所作を受け継ぐ部分とあっさりと前の人の結果を取り除いたりもする。3人それぞれの作業は、草木を使ってオブジェを作るという説明もできるだろうか。

 そして、そん連鎖をより面白味のあるものにしたのは、一人の持ち時間を6分に定めたこと。その残り時間は壁に大きく映し出され、作業の進み具合を見ている者もどうなるのかとドキドキできる。3人×6分の枠を複数。最後はステージから場がフロアに移り、花生けがなされた。

 そして、音出し担当の3人はゆるりと重なり、イケてるアブストラクトなサウンドを送り出す。どのぐらい相談しているのか分からないがうまく3人は協調していたし、花生けパフォーマンスにも合わせていた。そして、その総体は生理的に贅沢な、もう一つの空間を作り出していたはずだ。

▶︎過去の、中村卓也
https://43142.diarynote.jp/200704151310110000/
https://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
https://43142.diarynote.jp/201611211530147646/
https://43142.diarynote.jp/202001111407501067/
https://43142.diarynote.jp/202109221645277921/

<今日の、春よ来い>
 春めいていた、2月最後の1日。昼間出たとき、薄着の人も散見され、相変わらず真冬装備のぼくはイケてないなーと思うような思わないような。毎年4月にかけて、そういう逡巡をぼくは味わうこととなる。でも、寒がりだからしょうがない。そういえば、今年はダウン・ジャケットを外出の際は結構着た。軽く、楽だよな。実はなんとなく見かけが好きではなく、過去ぼくはダウン・ジャケットを所有したことがなかった。あんなの、着たくねー。だが、知人たちのを見て暖かそうだなと思い、ポチってしまい、この冬はそうなってしまったわけ。他のコート、本当に着ていない。どこかで、従来とは異なる変化を得ようとしているところがあるのかな。
 そんな昼下がり、なぜかザ・バンドの『ステージ・フライト』(キャピトル、1970年)に針を落とす。録音担当のトッド・ラングレン(2001年11月9日、2002年9月19日、2002年9月28日、2008年4月7日、2010年10月10日)による音質は薄っぺらくて嫌いだが、ザ・バンド作品の中では一番好きか。リチャード・マニュエルの歌声のためにあるような「スリーピング」、やはり大好きだ。この曲、ワルツ・タイムなんだよな。春のまどろみ情緒にワルツは合う?
▶︎過去の、ザ・バンド関連の記載
https://43142.diarynote.jp/201204221307297965/ 下の方の<>内
https://43142.diarynote.jp/201308110826574632/ ハドソン夫妻
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/ ザ・ウェイト・バンド
https://43142.diarynote.jp/202010311315187907/ ドキュメンタリー映画
▶過去の、トッド・ラングレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200804081929500000/
http://43142.diarynote.jp/201010111257003810/


レムボート

2022年2月27日 音楽
 ピアノの栗林すみれ(2021年11月27日、2021年12月25日 )、ギターの藤本一馬 (2011年8月22日、2012年6月17日 、2013年4月19日、2019年7月6日、2019年12月18日、2021年11月26日、2021年11月27日)、ダブル・ベースの西嶋徹(2012年11月21日、2017年6月27日、2018年12月10日、2019年12月18日、2021年11月27日)、ドラムの福盛進也 (2018年1月7日、2018年4月7日、2019年1月5日、2019年6月14日、2019年12月18日、2021年11月25日、2021年11月26日、2021年11月27日、2021年12月25日 )からなる4ピースのグループであるレムボート(2021年11月27日)のライヴを、渋谷・公園通りクラシックスで見る。

 まさしくジャズ・カルテットらしくない、メロディ感覚と間を抱えたジャズ・カルテット。楽曲は、4人がそれぞれに思いを籠めたものを対等に出しあう。それらがこの4人ならではのメンバーシップ/相互理解を介して、得難い抑制美とストーリーテリングとなり表れては消える。ジャズ回路という名の敏感なアンテナを張り巡らせた先にある、なだらかにして情景的な対話の数々。迷宮に入る場合もちょいあるが、アンサブル感覚の妙で角は取られる。人を威圧するのではなく優しさや慈しみで包み込むような流動音のなかに、ハっとさせる清新な瞬間は多々。それはメンバーたちも感じるところなのだろう、それを認知しお互いに微笑み合ったりもする。ふふふ。そういえば、4人は向かい合うように位置して、演奏した。

 福盛が主宰するレーベル“nagalu”発の、レムボートのデビュー作『星を漕ぐもの』(2021年)に収録された10曲をすべて演奏する。1部では藤本はすべて生ギターを弾いたので、アルバムの曲配置とは少し違う順番での披露なり。終演後に、『星を漕ぐもの』が売れていたなー。“nagalu”は2枚組、モノラル、特殊パッケージの作品を出すことを是としているが、余白が多いデザイン・パッケージを持つので、そこにメンバーにサインを求める人が相次いでいた。

▶︎過去の、栗林すみれ
https://43142.diarynote.jp/202111280904312385/
https://43142.diarynote.jp/202112261053209499/
▶︎過去の、藤本一馬
https://43142.diarynote.jp/201109100857091783/
https://43142.diarynote.jp/201206210942136482/
https://43142.diarynote.jp/201304211111189539/
https://43142.diarynote.jp/201907071754237718/
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
https://43142.diarynote.jp/202008290914077509/
https://43142.diarynote.jp/202111270737509911/
https://43142.diarynote.jp/202111280904312385/
▶︎過去の、西嶋徹
http://43142.diarynote.jp/?day=20121121
https://43142.diarynote.jp/201706281510173316/
https://43142.diarynote.jp/201812111218404525/
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
https://43142.diarynote.jp/202111280904312385/
▶︎過去の、福盛 進也
http://43142.diarynote.jp/201801081118162617/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
https://43142.diarynote.jp/202111261008298329/
https://43142.diarynote.jp/202111270737509911/
https://43142.diarynote.jp/202111280904312385/
https://43142.diarynote.jp/202112261053209499/

<今日の、変化もろもろ>
 公演は15時半からだった。家を出たら、すくに息切れ気味。悲しいなー。ありゃ、PC用の眼鏡をかけたまま外出してしまった。150メートル歩いたところで気づくが、時間的には余裕があったものの、そのまま電車に乗る。わりと暖かめだったので会場に徒歩で向かってもよかったはずだが、そういう発想はなぜかこの日はなかったなー。渋谷駅におりたら、駅直結の地下2階のヴィレッジ・ヴァンガードの前がすごい人だかり。そして、地上に上がったら側のイケアもすごい人がたくさん。日曜だしなあ。ロフトの横の西武の建物の1階にあった細長い本屋は雑貨屋(?)に変わっていた。
 ところで、ブラッド・メルドー(2002年3月19日、2003年2月15日、2005年2月20日、2015年3月13日、2019年5月31日、2019年6月3日)の新作『ジェイコブズ・ラダー』(ノンサッチ、2022年)は彼のプログ・ロック憧憬〜そーゆー人でもあったのだな〜をもとにする、非ジャズ路線を取る変調作だ。ほぼ肉声はいろいろ使われ、音色、ビート、構成はわわという感じでこねくり回される。ジャズ・ビヨンドの作法として、かなりおもしろい。旧約聖書のヤコブの椅子(ジェイコブズ・ラダー)をある種モチーフとしているようで、ピート・シーガーが改作したこともある同名の黒人霊歌やラッシュの同名曲も収められている。ラッシュは他にも2曲取り上げられ、オリジナルに交え、さらにジェントル・ジャイアント、ペリフェリー、イエスらプログ・ロック系バンド曲のカヴァーもそこには納められる。プログラム・ビートで大活躍のジョン・デイヴィス(2017年1月16日 )、クリス・シーリー(2016年8月4日、2019年7月10日)、ベッカ・スティーヴンス(2015年1月29日、2017年7月21日)、マーク・ジュリアナ(2006年5月17日、2015年3月13日、2016年1月4日、2017年2月2日、2017年9月20日、2018年5月16日、2019年7月24日)、女房のフルーリン他が参加。あら、付き合いを持つジャズも知る西海岸の才人ビート・ポッパーであるルイス・コール(2018年5月27日、2018年12月12日)にも声をかけてほしかった。
 以下は、メルドーに2019年にメール・インタヴューした際、彼がルイス・コールの『タイム』(ブレインフィーダー、2018年)に録音参加している事実を問うた際の返事だ。
 「ルイス・コールの作品に参加したきっかけなんですが、初めはジャック・コンテというルイスと演奏経験がある人物がルイスに私のことを紹介したんです。そこから私たち3人は世にリリースされていないいくつかの曲を録音したんです。ジャックはその時パンプルマウスというプロジェクトを手掛けていて、今はパンテオンというクラウドファンデングの創立者として忙しくしています。ルイスはとてもクリエイティブで私は、彼の音の大ファンなんです。私は彼が書いた曲が好きなんです」
▶過去の、ブラッド・メルドー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/%7Enewswave/live-2003-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200502232041270000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20150313 メリアナ
https://43142.diarynote.jp/201906050929394234/
https://43142.diarynote.jp/201906050931369228/
▶︎過去の、ジョン・デイヴィス
https://43142.diarynote.jp/201701171118107802/
▶︎過去の、クリス・シーリーパンチ・ブラザース
http://43142.diarynote.jp/201608100931466329/
https://43142.diarynote.jp/201907110708425985/
▶︎過去の、ベッカ・スティーヴンス・バンド
http://43142.diarynote.jp/201501301446383781/
http://43142.diarynote.jp/201707231016025846/
▶過去の、マーク・ジュリアナ
http://43142.diarynote.jp/200605190943240000/
http://43142.diarynote.jp/201503150906115048/
http://43142.diarynote.jp/?month=201601
http://43142.diarynote.jp/201702081152242280/
http://43142.diarynote.jp/201709240954004876/
https://43142.diarynote.jp/201805201310351671/
https://43142.diarynote.jp/201907250901144536/
▶︎過去の、ルイス・コール
https://43142.diarynote.jp/201805280520127056/
https://43142.diarynote.jp/201812130841251209/

 中野サンプラザで、スガシカオ(2001年2月18日、2012年9月9日)のライヴを見る。公演表題にあるように、デビュー・アルバムを出して四半世紀になることを祝うライヴだ。2007年まで維持されたという。かつてのバンド名による構成員を集めてのものとなる。そういえば、開演前にはスガ自身のプロダクツが場内に流される。その生理的な自画自賛ぶりについては珍しいナと思ったが、25周年を祝うという名目があるならなるほどネと思わされた。

 キーボードの森俊之(2001年2月18日、2001年6月29日、2002年11月15日、2003年2月11日、2004年2月21日、2005年9月14日、2006年4月17日、2008年1月31日、2011年10月8日、2012年10月10日、2013年1月6日、2016年9月27日、2017年7月14日、2017年9月22日)、ドラムの沼澤尚(1999年8月11日、2000年2月14日、2000年7月29日、2001年2月18日、2001年6月29日、2001年12月9日、2001年12月22日、2002年7月21日、2002年11月15日、2003年2月11日、2003年3月13日、2003年6月22日、2004年1月16日、2004年1月30日、2004年2月21日、2005年2月15日、2005年4月11日、2005年7月30日、2005年9月14日、2005年10月30日、2006年4月17日、2006年5月30日、2006年8月11日、2006年8月24日、2006年12月28日、2007年1月26日,2007年6月3日、2008年1月30日、2008年1月31日、2010年1月12日、2011年10月8日、2012年10月10日、2013年1月6、2013年1月7日、2014年9月2日、2015年10月3日、2016年9月27日、2016年11月18日、2017年7月14日、2017年9月22日、2019年5月21日、2020年7月9日)、ギターの間宮工(g)、ベース松原秀樹、コーラスの大滝裕子と斉藤久美。間宮と松原と大滝と斉藤も、スガの001年2月18日の公演には出ているのかな? さすが、譜面台を前にする人はいなかった。

 全20曲、2時間のショウ。そんなにMCのパートはなく、<黒人音楽、日本人としての最良の咀嚼>の一つの日本語のポップ・ミュージックを十全に送り出す。スガの歌声は本来ブラック・ミュージック応用の表現には適したものではないはずだが〜この日、ちゃんと声が出ていた〜、そこから受けたもやもやを無理なく、個性的な詞作とともに、もう一つの日本のイケない都会的情景に昇華させる錬金術的手腕を堪能しつつ、やはり感心。この日の公演評は、3月9日日経新聞の夕刊に出ます。

▶︎過去の、スガシカオ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm 2001年2月18日
https://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
▶︎過去の、森俊之
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm スガシカオ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm ナッシン・バット・ザ・ファンク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm サンパウロ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-2.htm ナッシン・バット・ザ・ファンク
http://43142.diarynote.jp/200402051858240000/ サンパウロ
http://43142.diarynote.jp/200402211239510000/ アズ・ウィー・スピーク
http://43142.diarynote.jp/200509161722260000/ 大貫
http://43142.diarynote.jp/?day=20060417 ビッグ・ホーンズ・ビー
http://43142.diarynote.jp/200802051630130000/ TOYONO
http://43142.diarynote.jp/201006031536173725/ サンパウロ
http://43142.diarynote.jp/201110091300039780/ ナッシン・バット・ザ・ファンク
http://43142.diarynote.jp/201301151731112021/ ナッシン・バット・ザ・ファンク
http://43142.diarynote.jp/?day=20160927 大貫妙子
http://43142.diarynote.jp/201707151654245284/ After School Hangout
http://43142.diarynote.jp/201709240955007593/ ナッシン・バット・ザ・ファンク
▶︎過去の、沼澤尚
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm wマルコス・スザーノ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-2.htm ナッシン・バット・ザ・ファンク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm シアターブルック 7.29フジ・ロック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm スガシカオ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm ナッシン・バット・ザ・ファンク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm wマルコス・スザーノ 12/9
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm シアターブルック+マルコス・スザーノ12/22
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm W.パウリーニョ・モスカ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm サンパウロ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-2.htm ナッシン・バット・ザ・ファンク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm  バーナード・ファウラー、ブロンディ・チャップリン、リサ・フィッシャー、ダリル・ジョーンズ、奥田民生、小原礼
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm シアターブルック
http://43142.diarynote.jp/200401160000000000/ w.勝井、怒怒、佐藤
http://43142.diarynote.jp/200402051858240000/ サンパウロ
http://43142.diarynote.jp/200402211239510000/ アズ・ウィー・スピーク
http://43142.diarynote.jp/?day=20050215 wマルコス・スザーノ
http://43142.diarynote.jp/200504151004040000/ w勝井
http://43142.diarynote.jp/?day=20050730 ザ・ブルース・パワー
http://43142.diarynote.jp/200509161722260000/ 大貫妙子
http://43142.diarynote.jp/200511130013450000/ wマルコス・スザーノ
http://43142.diarynote.jp/?day=20060417 ビッグ・ホーンズ・ビー
http://43142.diarynote.jp/200606071931300000/ w.勝井
http://43142.diarynote.jp/?day=20060811 wマルコス・スザーノ
http://43142.diarynote.jp/200608271342350000/ wマルコス・スザーノ
http://43142.diarynote.jp/200612291257400000/ wマルコス・スザーノ
http://43142.diarynote.jp/?day=20070126 OKI DUB AINU BAND
http://43142.diarynote.jp/200706061351450000/ ナスノ、不破、他
http://43142.diarynote.jp/200802051634040000/ w.勝井
http://43142.diarynote.jp/200802051630130000/ TOYONO
http://43142.diarynote.jp/201001131101085950/ blues.the-butcher-590213
http://43142.diarynote.jp/201110091300039780/ ナッシン・バット・ザ・ファンク
http://43142.diarynote.jp/201210111837516874/ OKI DUB AINU BAND
http://43142.diarynote.jp/201301151731112021/ ナッシン・バット・ザ・ファンク
http://43142.diarynote.jp/201301151819527787/ w.マルコス・スザーノ
http://43142.diarynote.jp/?day=20140902 blues.the-butcher-590213
http://43142.diarynote.jp/201510051403147675/ シアターブルック
http://43142.diarynote.jp/?day=20160927 大貫妙子
http://43142.diarynote.jp/?day=20161118 OKI AINU DUB BAND
http://43142.diarynote.jp/201707151654245284/ After School Hangout
https://43142.diarynote.jp/201709240955007593/ ナッシン・バット・ザ・ファンク
https://43142.diarynote.jp/201905220902467859/ シアターブルック
https://43142.diarynote.jp/202007101304204766/ 小沼ようすけトリオ+沼澤尚

<今日の、暗黒>
 戦争が始まり、、、。嗚呼。個人的には、もう一つ問題が勃発。なんと、このブログ原稿を18年託してきたDiary Noteが3月いっぱいで停止するという。うーーーん。

 新宿のBEAMS JAPANにあるB GALLERYで開かれている、山本佳代子の 写真展 『⚾︎満塁⚾︎』を覗く。2021年冬に、山本はアーティスト・イン・レジデンスで旭川に2ヶ月近く滞在。“あの土地、あのとき”に撮られた写真が100葉ほど展示されている。写真の多くは飾らぬ人々のポートレートであり、もう一つの場を確実に切り取る。旭川在住のOKI(2004年8月27日。2006年8月11日、2006年9月24日、2007年1月26日、2012年10月10日、2014年12月10日、2016年11月18日、2018年5月9日、2018年5月21日)のライヴの写真もあった。<都会育ちの彼女は環境の異なる場所で暮らし、何を見つけたのか>という内容はとても分かりやすく、見る者にいろいろ語りかけてくる。当人在廊していたが、どうしてこの写真展タイトルになったのかを聞くの忘れた。かの地から受けたものは山ほどという気持ちから来ている? 3月6日まで。

▶過去の、OKI
http://43142.diarynote.jp/?day=20040827
http://43142.diarynote.jp/200608141732470000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060924
http://43142.diarynote.jp/200702010111560000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121010
http://43142.diarynote.jp/201412241025308207/
http://43142.diarynote.jp/201611211530147646/
http://43142.diarynote.jp/201805101438514929/
http://43142.diarynote.jp/201805220051333200/

 その後は近くにある新宿ピットインで、ダブル・ベース奏者である鈴木良雄の新グループのThe Blendを見る。あれ、彼の自宅でインタヴューしたこともあるのに、ぼくは過去彼のライヴを見たことがないのかな? 彼にくわえ、テナー・サックスの峰厚介(2011年6月23日)、トランペットの中村恵介(2015年7月23日、2016年10月9日、2016年10月28日、2022年1月6日)、ピアノのハクエイ・キム(2010年11月26日、2011年2月19日、2011年4月10日、2011年8月6日、2013年9月13日、2020年9月9日)、ドラムの本田珠也 (2000年5月9日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年10月13日、2007年12月4日、2011年5月5日、2012年7月16日、2013年7月27日、2015年5月20日、2018年1月19日、2018年4月7日、2019年7月16日、2021年4月6日、2021年4月14日)という面々なり。中村とハクエイはチンさん(鈴木の愛称)のGeneration Gapというグループの構成員で、そこに旧知の峰(彼とチンさんは1970年代前半に菊地雅章〜1999年11月3日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24日、2012年6月25日、2012年10月26日〜のグループに在籍した)と本田が加わる。本田のことは子供のころから知っているそうだが、一緒にレコーディングするのは今回が初めになるそう。

 そう、今回はライヴ・レコーディングをかねる。鈴木はその由を伝えるMCを冒頭でするが、さすの軽妙さと余裕ありでほっこり。蓄積しているもの、大きいと思わせられる。彼も峰もぼくの持っていたイメージより少し痩せた? ともあれ、ご老人お二人なかなか格好いいなー。ライヴ・アルバムになったショウというのには過去何度か接しているはずだが、いつ以来かなー。

 やる曲は名ソングライターでもある鈴木の曲が中心。1曲、10〜15分ぐらいの尺があったか。驚かされたのは、曲によってはかなり左側に行くのが認められたこと。おお、矍鑠。枯れることなく、新しい課題に向かおうとしているとそれは思わせよう。アルバム・タイトルにもなるという「ファイヴ・ダンス」という曲はもともと5拍子の曲だったがどんどん変化した曲だそうで、この5人でやるのにはぴったりのタイトルであるとなったらしいが、その聞き味や展開には口あんぐり。もう自在の構成や絡みのもとどんどん変化していく様にシビれながら、この譜面は一体どうなっているのかと思わずにはいられなかった。5人の確かな力量を土台に、自在にクリエイティヴィティが舞っていたなー。

 最後2曲めは、彼が1970年代中期の渡米中に入っていたアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」、そしてブルース曲。それらは、娯楽性とまっとうな黒さを抱える。しかし、高校のころはギタリストを目指し、大学のジャズ研ではピアノを弾き、当初ピアニストとしてプロになったものの遊びのベース演奏を聞いた渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日、2017年10月8日、2017年12月16日、2018年5月28日、2018年9月2日、2018年10月6日、2018年12月15日、2019年8月6日、2019年11月12日、2019年12月15日、2020年10月5日、2021年6月23日、2021年12月12日)にベーシストになることを勧められ、ベーシストに転向。って、ほんと道のり面白すぎ。彼はヴァイオリンの鈴木メソッドの家系にあるが、やはり木の楽器との相性は良かったのかな。

▶︎過去の、峰厚介
https://43142.diarynote.jp/200901241915537583/
https://43142.diarynote.jp/201107020946473690/
▶過去の、中村勇介
http://43142.diarynote.jp/201507251003319800/
https://43142.diarynote.jp/201610141746599845/
https://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
https://43142.diarynote.jp/202201071732032283/
▶︎過去の、ハクエイ・キム
http://43142.diarynote.jp/201012051849242327/
http://43142.diarynote.jp/201102190813437159/
http://43142.diarynote.jp/201104142208096884/
http://43142.diarynote.jp/201108101632022013/
http://43142.diarynote.jp/201309161512043853/
https://43142.diarynote.jp/202009100827229764/
▶過去の、本田珠也
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm 菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm 菊地雅章
http://43142.diarynote.jp/200410162306570000/
http://43142.diarynote.jp/200712151621260000/
http://43142.diarynote.jp/201105101010399933/
http://43142.diarynote.jp/201207180824136323/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201907180809371988/
https://43142.diarynote.jp/202104071750586426/
https://43142.diarynote.jp/202104151741019185/
▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
http://43142.diarynote.jp/201207031322126509/
http://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
http://43142.diarynote.jp/201210271744294415/
http://43142.diarynote.jp/201507091044561526/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160611
▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm  6日
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000/
http://43142.diarynote.jp/200610080946310000/
http://43142.diarynote.jp/200712171350530000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200907310048137248/
http://43142.diarynote.jp/200909120646397236/
http://43142.diarynote.jp/201107111008176019/
http://43142.diarynote.jp/201207031353196616/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201304031026406106/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
http://43142.diarynote.jp/201310050701201281/
http://43142.diarynote.jp/201407091243129270/
http://43142.diarynote.jp/201410061850124929/
http://43142.diarynote.jp/201412281017371613/
http://43142.diarynote.jp/201512151504068292/
http://43142.diarynote.jp/201607100827363436/
http://43142.diarynote.jp/201609201032322395/
http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/
http://43142.diarynote.jp/201612171245154424/
http://43142.diarynote.jp/201710121700178187/
http://43142.diarynote.jp/201712181015052794/
http://43142.diarynote.jp/201805290906425481/
http://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
http://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
http://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
https://43142.diarynote.jp/201812201004266842/
https://43142.diarynote.jp/201908071557182844/
https://43142.diarynote.jp/201912161054076351/
https://43142.diarynote.jp/202010060748585515/
https://43142.diarynote.jp/202112131810155222/

 それから、秀でた訴求力を持つヴォーカルを聞かせたミュージシャンの訃報を二つ書く。

 サーの称号も受ける、プロコル・ハルムを率いたシンガー/鍵盤奏者のゲイリー・ブルッカーが2月19日に自宅で亡くなった。ガンで闘病していたという。
 
 ムード音楽ぽくもある流麗なオルガン音が曲趣を規定する「ア・ホワイター・シェイド・オブ・ペイル」が1967年に大ヒット。バッハの有名曲を下敷きに置くという同曲はカヴァーやオン・エアー率、TVコマーシャル使用頻度なども高く、セールス以上に印税には恵まれただろう。1977年にプロコル・ハルムは解散し、1979年にはピート・シンフィールドと作曲チームを組んだ曲を中心とするソロ作『No More Fear of Flying』(Chrysalis)をリリース。それは、ジョージ・マーティンが制作/編曲をしていた。プロコル・ハルムは1991 年に再結成されるが、彼はソロ名義作を数作出している。彼はとても同業者から愛されていたようで、自己活動の一方、ポール・マッカートニー(2018年10月31日)、エリック・クラプトン(2006年11月20日)、ジョージ・ハリソン、リンゴ・スター、ケイト・ブッシュ、ビル・ワイマンらの作品に鍵盤奏者やシンガーとして関与した。

▶︎過去の、ポール・マッカートニー
https://43142.diarynote.jp/201811011655349966/
▶︎過去の、エリック・クラプトン
http://43142.diarynote.jp/200611221236140000/

 また、1980年代中期からスクリーミング・トゥリーズ、クイーン・オブ・ザ・ストーン・エイジ、ザ・ガッター・ツインズなどで歌ったマーク・ラニーガンも亡くなった。彼はアメリカ生まれだが、その苗字が示すようにケルト系。2020年にはアイルランドに居を移し、その自宅で亡くなったという。彼は昨年COVID-19に感染し、生死の様をさまよったとも伝えられる。

 ワシントン州エレンズバーグの生まれ。なんか姿勢が吹っ切れているというか、ネジが外れている風情を持つバンドやサウンドで、喉力をしかと発揮した人物だ。オルタナティヴ・ロック期の最たる実力派シンガーという言い方も可能だろう。少年のころから薬や酒に耽溺し、そのままバンド活動をしてきた。彼はカート・コヴェインの親友だったことでも知られ、彼のリハブ施設代金をコートニー・ラヴが出したこともあった。

 1990年以降はサブ・ポップ他からリーダー・アルバムを発表。その数は10作を超え、他にライヴ・アルバムもけっこうリリースされている。また、UKエレクロニカのユニットであるソウルセイヴァーズやベル&セバスチャン(2011年3月4日)にいたイソベル・キャンベルと何度も絡んだりといったように、なにげに広がりある活動をしなやかに続けた人だった。そんな彼の遺作となるかもしれない『Straight Songs Of Sorrow 』(Heavenly、2020年)はまだまだ自分を持て余す風情と達観した感覚を併せ持った大人のロック・アルバムだ。ラニーガンは2017年以降、自分の歌詞を説明する本やにした回顧録など、数冊本も出しているようだ。

▶︎過去の、ベル&セバスチャン
https://43142.diarynote.jp/201103091608158507/

<今日の、夕方以降>
 用事をすませて、18時すぎにBEAMS JAPANの建物にたどり着こうとするが、迷う。去年行った際〜https://43142.diarynote.jp/202106240847332337/〜も少しそうだったよなー。今回は携帯の地図案内に導いてもらおうとしたのだが、周辺をぐるぐる。悲しい。写真展の主である山本佳代子はかつてレコード会社に勤務し、その後写真家に転身した。それは、10年前とか。ジャマラディーン・タクーマ(2014年7月28日)を取材する際に、彼女に声をかけて撮影してもらったんだよなー。
 ピットイン入りした際は喉の渇きを感じ、迷わずビールを飲む。最中にトイレに何度も行くのは避けたいので、ライヴ会場でビールはパイント一杯か缶ビール1本にしているような。だが、冬にも関わらず、この晩はビールうめえっとなってしまい立て続けに4缶飲んじゃう。なのに、ぜんぜんトイレに行きたくならなかったのは不思議。そういうこともある。かつて、知人と二人で居酒屋でビール大瓶を何本飲めるかというチャレンジをしたことがあった、15本以上飲んだような。若いっていいよなー。その後、会場で会った知り合いに誘われ、飲み屋に行く。新宿3丁目は開いている飲食店はたくさんあった。家飲み欲求がゼロのぼくとしては久しぶりの飲み。楽しゅうございました。
▶︎過去の、ジャマラディーン・タクーマ
http://43142.diarynote.jp/201408051026553769/

1 2 3 4 5 6 7 >