映画「アジアの天使」
2021年4月5日 音楽 よくこんな脚本を書いたなー、なかなかによくできている映画だなー。感心しつつ、途中からはこの流れを最後にどう落とすのかと考えてしまい、ソワソワしてしまった。
石井裕也監督/脚本の新作は、オール韓国ロケの映画だ。日本と韓国の関係がよくないことを下敷きにおき、偶然出会ったそれぞれに傷を持つ日本人の3人(兄と弟と弟の子供。兄を演じるオダギリ・ジョーはグダグダな役が上手だな)と韓国人の3人(兄と姉と妹)が一緒に動いて徐々に気持ちを通わせていく様を描くものであり、ソウルから北東の海岸部にある江稜に向かう所々のやりとりが積み重なっていくロード・ムーヴィである。
映画に関わる95%の人が韓国人だそうで、閃きはないがよく映像/場面に寄り添う音楽もパク・イニョンという人が担当。共同プロデューサーは石井の前々作「生きちゃった」(2020年8月24日)に俳優として出演していた韓国人監督のパク・ジョンボムが買って出ている。新型コロナ・ウィルスに対する危惧が出ていた昨年2月に撮影が始まり、なんとか3月に撮影が終了したという。というのはともかく、いろいろと頷き、拍手します。文化庁の補助金を受けての映画のようだが、お上もたまにはいいことするんだな。128分、7月アタマから公開される。
▶︎過去の、「生きちゃった」
https://43142.diarynote.jp/202008241914218214/
<今日の、あれこれ>
雨天。一瞬、外に出るのをやめようかと思ったが、ゴールデン・ウィーク前は多少忙しくなりそうな感じもするので、予定通りに試写に出かける。当然、徒歩にて。それなりの雨足で濡れてもいい靴で出かけたのだが、何気に滑りやすいことに気づき、丁寧に歩いた。試写室入場時の非接触式での手首検温は、35,2度。おお、今までで一番低く出たか。映画の前半で、風邪はひいていないはずなのに、喘息かぁと感じで咳がゲホゲホ出てビビる。大昔から、たまにそういうときがあるんだよなあ。不快に思った人、いたろうなあ。久しぶりに寒さを感じる日で、帰宅後エアコンをつけた。
石井裕也監督/脚本の新作は、オール韓国ロケの映画だ。日本と韓国の関係がよくないことを下敷きにおき、偶然出会ったそれぞれに傷を持つ日本人の3人(兄と弟と弟の子供。兄を演じるオダギリ・ジョーはグダグダな役が上手だな)と韓国人の3人(兄と姉と妹)が一緒に動いて徐々に気持ちを通わせていく様を描くものであり、ソウルから北東の海岸部にある江稜に向かう所々のやりとりが積み重なっていくロード・ムーヴィである。
映画に関わる95%の人が韓国人だそうで、閃きはないがよく映像/場面に寄り添う音楽もパク・イニョンという人が担当。共同プロデューサーは石井の前々作「生きちゃった」(2020年8月24日)に俳優として出演していた韓国人監督のパク・ジョンボムが買って出ている。新型コロナ・ウィルスに対する危惧が出ていた昨年2月に撮影が始まり、なんとか3月に撮影が終了したという。というのはともかく、いろいろと頷き、拍手します。文化庁の補助金を受けての映画のようだが、お上もたまにはいいことするんだな。128分、7月アタマから公開される。
▶︎過去の、「生きちゃった」
https://43142.diarynote.jp/202008241914218214/
<今日の、あれこれ>
雨天。一瞬、外に出るのをやめようかと思ったが、ゴールデン・ウィーク前は多少忙しくなりそうな感じもするので、予定通りに試写に出かける。当然、徒歩にて。それなりの雨足で濡れてもいい靴で出かけたのだが、何気に滑りやすいことに気づき、丁寧に歩いた。試写室入場時の非接触式での手首検温は、35,2度。おお、今までで一番低く出たか。映画の前半で、風邪はひいていないはずなのに、喘息かぁと感じで咳がゲホゲホ出てビビる。大昔から、たまにそういうときがあるんだよなあ。不快に思った人、いたろうなあ。久しぶりに寒さを感じる日で、帰宅後エアコンをつけた。
映画「グリーンランド -地球最後の2日間」
2021年4月2日 音楽 六本木・六本木・アスミック試写室で、6月初旬より公開される米国/イギリス2020年映画「グリーンランド -地球最後の2日間」(原題:Greenland)を見る。こういう時期、ディザスターものを見ると必要以上にストレスを感じそうな気がしたものの、気分転換をしたくなりほいっと出かけちゃう。
パンデミックのなか繰り返しロックダウンがされている向こうで活発に映画館営業がされているとは思えないのが、もらった資料には大ヒット作と記されている。それは、配信系のあがりを加えてのものなのだろうか。主役と共同プロデュースにスコットランド出身のジェラルド・バトラー、監督はリック・ローマン・ウォーがやっている。
隕石で地球が壊滅的被害を受けてしまう最後の2日間の夫と妻と息子の米国人家族のサヴァイヴァルの模様を追う。家族愛を下に敷き、ジョージア州アトランタ、ジョージア州ハウストン郡のワーナー・ロビンスの空軍基地、ケンタッキー州レキシントン、ニューヨーク州北部、カナダのオンタリオ州オズグッド、そしてカナダの北極圏にあるグリーンランドの米国空軍スーリー基地へと移動するロード・ムーヴィーでもあり。まあ、日本の映画じゃ絶対できない大掛かりさでもって作られた映画であるのは間違いない。かなりFXも使っているのだろうが、それも違和感なく活きる。
一方で、御都合主義と思わせる部分も、ぼくはいろいろ感じてしまった。しかし、先に書いた土地はどれも実在するものであり、実は隕石の落ちる場所なども事実を精査しているという話もあり、制作側はけっこうリアリティにこだわった? 映画を見ていて、アメリカ/アメリカ人はメンドクセーと思わせられるのは、それゆえのこと? 妻役はブラジル出身のモリーナ・バッカリンが演じているが、そのいかにもアメリカンなKYで身勝手さを醸し出す芝居にはうなずく。見事なキャスティングだなー。
音楽は、ハッタリ度100%。担当者のデイヴィッド・バックリーは英国出身で米国の映画/TV/ゲームの世界で売れっ子らしい。もうこけおどしな音をこれでもかと認め、ほぼほぼPCで音楽は作られているんだろうなあと思ったら、生の弦奏者や歌唱者たちを雇っている? そうなら、すげえ贅沢というか、お金の無駄遣いをしているな。まあ、壮絶にお金かけてるなーとひれ伏させるのもハリウッドですね。
<今日の、行き帰り>
まず、渋谷まで歩く。六本木まで普段と別の行き方をしたくなり、渋谷から恵比寿へと山手線を一駅乗り、そこから日比谷線で六本木に向かう。日比谷線の新型車両はいい感じなのだが、後ろの車両に座ったら車掌室(逆だと、運転席)との仕切りの壁のガラス面積が大きいのにすこし驚く。とにかく、よく車掌の様がよく見える。そしたら、乗車している車掌さんは随時ゴルフの素振りの様を身体の前に両腕の拳をつけて、やっている。おお。そのあまりに天真爛漫な無防備の体に呆れ、映像撮られてチクられんなよーと、歳はそれほどいっていない彼にエールを送った。
試写の帰りは、近くの停留所から渋谷駅行きのバスに乗る。そんなに道は混んでいないとふんだのだが、やはり電車を乗り換えていくより時間はかかるなー。渋谷の二つ前、日本コカコーラ本社の前から乗る人が3人。一人は年配なので無料で乗車することができ、あとの二人はちゃんと交通費が落ちるということなんだろうな。
渋谷ですこし、買い物など。ついでに、かつてHMVが入ったところに入ったイケアに寄る。レジは最下層フロアに限定しているのか、ものすごい列になっている。ぜってえ、並びたくない。一応、ちょい上のほうものぞいたが、なんか品が安っぽい。魅力的だなと思えるものが、ほんとになさそう。イケアはぼくには無縁の店であるなど、短時間のうちに了解した。このビルの半地下にずうっとある中華料理屋とイタリアンは変わっていなかった。ビルのオウナーが経営しているのかな。昔、その中華でビール/紹興酒とともに食事し、そのままもうちょっと飲みたいねということで、ほんのすこし横に移動しワイン大会になったことがあった。誰と一緒だったのかなー。そういうマンガみたいなことをするのが、好きだった。帰りも家まで歩いたが、総計1万歩には届かず。残念っ。もっと、歩かなきゃ。歩かなきゃ。歩かなきゃ。と、3回続けて書き、自己暗示にかけようと試みる。
パンデミックのなか繰り返しロックダウンがされている向こうで活発に映画館営業がされているとは思えないのが、もらった資料には大ヒット作と記されている。それは、配信系のあがりを加えてのものなのだろうか。主役と共同プロデュースにスコットランド出身のジェラルド・バトラー、監督はリック・ローマン・ウォーがやっている。
隕石で地球が壊滅的被害を受けてしまう最後の2日間の夫と妻と息子の米国人家族のサヴァイヴァルの模様を追う。家族愛を下に敷き、ジョージア州アトランタ、ジョージア州ハウストン郡のワーナー・ロビンスの空軍基地、ケンタッキー州レキシントン、ニューヨーク州北部、カナダのオンタリオ州オズグッド、そしてカナダの北極圏にあるグリーンランドの米国空軍スーリー基地へと移動するロード・ムーヴィーでもあり。まあ、日本の映画じゃ絶対できない大掛かりさでもって作られた映画であるのは間違いない。かなりFXも使っているのだろうが、それも違和感なく活きる。
一方で、御都合主義と思わせる部分も、ぼくはいろいろ感じてしまった。しかし、先に書いた土地はどれも実在するものであり、実は隕石の落ちる場所なども事実を精査しているという話もあり、制作側はけっこうリアリティにこだわった? 映画を見ていて、アメリカ/アメリカ人はメンドクセーと思わせられるのは、それゆえのこと? 妻役はブラジル出身のモリーナ・バッカリンが演じているが、そのいかにもアメリカンなKYで身勝手さを醸し出す芝居にはうなずく。見事なキャスティングだなー。
音楽は、ハッタリ度100%。担当者のデイヴィッド・バックリーは英国出身で米国の映画/TV/ゲームの世界で売れっ子らしい。もうこけおどしな音をこれでもかと認め、ほぼほぼPCで音楽は作られているんだろうなあと思ったら、生の弦奏者や歌唱者たちを雇っている? そうなら、すげえ贅沢というか、お金の無駄遣いをしているな。まあ、壮絶にお金かけてるなーとひれ伏させるのもハリウッドですね。
<今日の、行き帰り>
まず、渋谷まで歩く。六本木まで普段と別の行き方をしたくなり、渋谷から恵比寿へと山手線を一駅乗り、そこから日比谷線で六本木に向かう。日比谷線の新型車両はいい感じなのだが、後ろの車両に座ったら車掌室(逆だと、運転席)との仕切りの壁のガラス面積が大きいのにすこし驚く。とにかく、よく車掌の様がよく見える。そしたら、乗車している車掌さんは随時ゴルフの素振りの様を身体の前に両腕の拳をつけて、やっている。おお。そのあまりに天真爛漫な無防備の体に呆れ、映像撮られてチクられんなよーと、歳はそれほどいっていない彼にエールを送った。
試写の帰りは、近くの停留所から渋谷駅行きのバスに乗る。そんなに道は混んでいないとふんだのだが、やはり電車を乗り換えていくより時間はかかるなー。渋谷の二つ前、日本コカコーラ本社の前から乗る人が3人。一人は年配なので無料で乗車することができ、あとの二人はちゃんと交通費が落ちるということなんだろうな。
渋谷ですこし、買い物など。ついでに、かつてHMVが入ったところに入ったイケアに寄る。レジは最下層フロアに限定しているのか、ものすごい列になっている。ぜってえ、並びたくない。一応、ちょい上のほうものぞいたが、なんか品が安っぽい。魅力的だなと思えるものが、ほんとになさそう。イケアはぼくには無縁の店であるなど、短時間のうちに了解した。このビルの半地下にずうっとある中華料理屋とイタリアンは変わっていなかった。ビルのオウナーが経営しているのかな。昔、その中華でビール/紹興酒とともに食事し、そのままもうちょっと飲みたいねということで、ほんのすこし横に移動しワイン大会になったことがあった。誰と一緒だったのかなー。そういうマンガみたいなことをするのが、好きだった。帰りも家まで歩いたが、総計1万歩には届かず。残念っ。もっと、歩かなきゃ。歩かなきゃ。歩かなきゃ。と、3回続けて書き、自己暗示にかけようと試みる。
照井利幸、細海魚、宮川剛
2021年3月30日 音楽 ギターとベースの照井利幸が中央に立ち、キーボードの細海魚とドラムの宮川剛(2007年8月11日,2009年6月12日、2009年9月26日、2010年2月23日、2014年7月23日、2015年1月10日、2018年1月6日)がサポートするライヴを、全部ではないが見る。代官山・晴れたら空に豆まいて。照井のユニット、Signalsのドラマーが宮川となった編成とも言える? 宮川はお得意のパンデイロを叩く場面もあった。
抑えた楽器音の重なりからストーリーが浮き上がるような、メロディ性も抱えたインストゥメンタルを紡ぐ。照井は基本エレクトリック・ギターを弾き、ときにエレクトリック・ベースに持ち替え、その演奏音を下に敷いてまたギターを弾いたりもした。抑えた感覚を持ちつつ、その総体は流れる感覚も抱える。どこか、詩的な印象も与えたか。
▶過去の、宮川剛
https://43142.diarynote.jp/200708161531410000
http://43142.diarynote.jp/200906160733018341/
http://43142.diarynote.jp/200909291504366263/
http://43142.diarynote.jp/201002280940361567/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140723
http://43142.diarynote.jp/201501131341317551/
http://43142.diarynote.jp/201611101703321633/
https://43142.diarynote.jp/201801071035098671/
<今日も、お日柄が良く>
桜はだいぶ散り、感染者数は⤴︎気味。暖かく、加湿器もここところは出番がない。もう、冷房使用期までエアコンのスウィッチを入れることはないのかな。とはいえ、寒さを感じるのが嫌で、どちらかというと重装備めで出かけているかな。もうすぐ、4月か。早くも、今年の3分の1が終了〜。
抑えた楽器音の重なりからストーリーが浮き上がるような、メロディ性も抱えたインストゥメンタルを紡ぐ。照井は基本エレクトリック・ギターを弾き、ときにエレクトリック・ベースに持ち替え、その演奏音を下に敷いてまたギターを弾いたりもした。抑えた感覚を持ちつつ、その総体は流れる感覚も抱える。どこか、詩的な印象も与えたか。
▶過去の、宮川剛
https://43142.diarynote.jp/200708161531410000
http://43142.diarynote.jp/200906160733018341/
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<今日も、お日柄が良く>
桜はだいぶ散り、感染者数は⤴︎気味。暖かく、加湿器もここところは出番がない。もう、冷房使用期までエアコンのスウィッチを入れることはないのかな。とはいえ、寒さを感じるのが嫌で、どちらかというと重装備めで出かけているかな。もうすぐ、4月か。早くも、今年の3分の1が終了〜。
代官山・晴れたら空に豆まいて。フリューゲルホーン奏者/シンガーのTOKU (2000年2月25日、2001年9月6日、2004年3月10日、2006年2月16日、2008年8月19日、2011年3月16日、2012年6月19日、2013年9月22日、 2014年2月5日、2015年3月19日、2015年3月28日、2016年3月1日、2016年12月12日、2020年1月17日、2021年2月10日)が主体となる、驚愕洒脱ジャズ・コーラス・ユニットであるランバート・ヘンドリック&ロスへ憧憬するショウを見る。今回は、昨年7月に亡くなったアーニー・ロスへのトリビュートを掲げてのものになる。
フロントに立つシンガーは、デイヴ・ランバート役のTOKU、アーニー・ロス役のMaya Hatch 、ジョン・ヘンドリックス役の伊藤大輔。男性陣はパートによっては、代わったりもするよう。そして、伴奏陣はピアノの石井彰(2005年6月5日、2006年11月3日、2011年7月25日)、ダブル・ベースの楠井五月(2013年9月22日)、ドラムの小田桐和寛(ds) というトリオだ。
もう、ヴォーカリズとスキャットと、機智あるコーラスが山ほど。不世出のジャズ・コーラス・トリオの流儀/レパートリーを借りて、面々の才気がおどり出る。いやあ、楽しい! やっている当人たちも本当に楽しそうにやっていたが、その奥にある苦労や鍛錬はそうとうなもののはず。聞けば、2013年から断続的に持たれているプロジェクトで、その事実にも納得する。だって、ここには長年の積み重ねがあってこその理想郷を出していたから。スキャットはまさしく臨機応変に、ヴォーカリーズの部分も、終盤の曲では自分で即興で歌詞をつけて歌うというようなこともしていた。
もちろん、新曲もありで、先月亡くなってしまったチック・コリアへのトリビュート曲「ユーアー・エヴリシング」(1973年盤『ライト・アズ・ア・フェザー』のオープナー。コリア曲だ)も披露する。うわあ、軽快なのに、びっくりするほど技ありの難しい曲だぁ。それを適切な演奏に乗って、3人は悠々とこなしていき、本当に感心せざるをえない。もうみんな、本当に立派だ。
男性陣は、かつて日本で活動していた米国人ドラマーのトミー・キャンベル(2010年9月30日)のバンドに入れ違いで入っていたことがあるそう。へえ、キャンベルさんってシンガー入りのコンボを率いていたのか。そして終盤に、唯我独尊(いい意味で)トロンボーン奏者/シンガーのレイ・アンダーソンの仕掛け満載のダダい曲にキャンベルが歌詞をつけてやっていたという曲も披露する。イエイ〜、胸がすく。そういえば、伊藤大輔は譜面台なしで歌っていた。プロだなあ。胸を軽く叩くなどもしていろんなトーンで歌っていた彼、ボビー・マクフェリン(2004年2月3日、2012年3月2日、2015年3月23日)は一番好きなほうのシンガーなのかな。
とってもセンスと技量の必要なことをやっているに、歓びに満ち、ジャズのある方面の真実を衝きつつ、エンターテインメントとして両手を広げていたパフォーマンスにはおおいに感心。シンガー陣が趣味良く百花繚乱する様はとっても華があり、ランバート・ヘンドリックス&ロスを知らない人にもアピールできるもののではないかとも感じた。とにかく、これはお金の取れるショウ! この晩のライヴ映像は4月12日まで配信されるというが、見る価値大アリと推す。
▶過去の、TOKU
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-2.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-9.htm ロニー・プラキシコ
http://43142.diarynote.jp/200403101442170000/
http://43142.diarynote.jp/200602171950040000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080819
http://43142.diarynote.jp/201103171354125352/
http://43142.diarynote.jp/201206210944302024/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130922
http://43142.diarynote.jp/201503211741478728/
http://43142.diarynote.jp/?day=20150328
http://43142.diarynote.jp/?day=20160301
http://43142.diarynote.jp/201612171246253699/
https://43142.diarynote.jp/201804110754439999/
https://43142.diarynote.jp/201908080956036775/
https://43142.diarynote.jp/202001181115253998/
https://43142.diarynote.jp/202102111149027062/
▶︎過去の、アーニー・ロスの訃報
https://43142.diarynote.jp/202007222108037523/
▶︎過去の、石井彰
http://43142.diarynote.jp/200506120639310000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20061103
https://43142.diarynote.jp/201107310727152406/
▶︎過去の、楠井五月
https://43142.diarynote.jp/201309260930584072/
▶︎過去の、チック・コリアの訃報
https://43142.diarynote.jp/202102131109583628/
▶︎過去の、トミー・キャンベル
https://43142.diarynote.jp/201010030952428017/
▶過去の、ボビー・マクフェリン
http://43142.diarynote.jp/200402051853580000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120302
http://43142.diarynote.jp/201503241654351156/
アナログ・シンセサイザーの名手たる、マルコム・セシルの訃報が届いた。一番クリエイティヴだった1970年代中期までのスティーヴィ・ワンダー(2005年11月3日、2010年8月8日、2012年3月5日)作関与が、一番有名か。ずっと闘病していたという。ロンドン生まれの英国人で、電子工学を学ぶとともに、コントラバス奏者としてBBCオーケストラに入ったこともあったという。1960年代前後はダブル・ベース奏者として、英国ジャズ・シーンで活動。テナー・サックス奏者のディック・モリッシー(彼が参加した1961年フォンタナ盤『It’s Morrissey, Man! 』は2000年代に入ってからユニバーサル・ミュージックから日本盤が出ている)、エムシー・ファイヴ(Emcee Five)他のアルバムに彼の名前を見つけることができる。
その後は南アや米国西海岸をへて(英国空軍にいたという話もある)、ニューヨークに居住。彼は同地の有名スタジオであるメディアサウンドにエンジニアの職を得て、モウグ・シンセサイザーとも出会っている。そんな彼はジム・ホールの『Where Would I Be』(Milestone,1972年)にもベース奏者として入り、またエンジニアとしてもクレジット。同作のドラマーは、アイアート・モレイラ(2000年7月10日)だった。
だが、そのころにはシンセサイザー音の創作がメインの活動となっており、ニューヨーク市長の父親を持つロバート・マーゴウレフとのシンセサイザーのユニットのT.O.N.T.O.ズ・エクスパンディング・ヘッド・バンドを結成し、2枚のアルバムを発表。1975年ごろまで、他者レコーディングにもマーゴレフとのコンビで彼は参加した。T.O.N.T.O.とは、The Original New Timbral Orchestraの略。それは自ら開発したポリフォニック・アナログ・シンセサイザーの名称でもあったらしい。
一方、それ以降ジャズ側にかする活動はまったくなく、ワンダー関与のシリータやミニー・リーパートン、ザ・アイズリー・ブラザーズ、クインシー・ジョーンズ、ビリー・プレストン、ギル・スコット・ヘロン(何作も関わり、プロデュース・クレジットも得ている)、ダイアナ・ロスらR&Bものと、リトル・フィート、エリック・カッツ、ランディ・ニューマン、ザ・ドゥービー・ブラザーズ、ジェイムズ・テイラーら西海岸ロックものの2系統で、彼はシンセサイザー・オペレイター/奏者としていろいろ参加している。そんな彼、1980年代中期以降はあまり新規のレコーディングに関与しなくなった。それは当人の意向か、それともシンセサイザーがどんどん発達して、スペシャリストでなくても欲しいシンセサイザー音を容易に得ることができるようになったからか。
彼の死は、ボブ・モウグ財団から発表された。
▶︎過去のマルコム・セシルに触れた項 (下のほう)
https://43142.diarynote.jp/201801071035098671/
▶過去の、スティーヴィー・ワンダー
http://43142.diarynote.jp/200511130015240000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
▶︎過去の、アイアート・モレイラ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm
<今日の、溜飲下がる>
ライヴを見ての帰宅後、なんか面白いのやっていないかとネットTVのモニター番組表を見たら、「ザ・シネマ」チャンネルで放映されるリーマン・ブラザース社の転落の内側をネタにした2011年米国映画「マージン・コール」が面白そうで、見ることにする。そしたら、番組冒頭で“ザ・シネマは免許が取り消されたため、4月で放送終了します>という文言が流される。おお、この映画チャンネルは東北新社によるものであったのか。同社勤務の現首相の息子〜バンドやってて、あぶれていたのを父親がねじ込んだと報道されているっけ? でも、飲むといいヤツもしれぬ。脱線するが、田中角栄のロック好きの息子(田中京。父親本も出している)は、大昔CBSソニーに勤務していたことがあったと聞く。母親が違うため、田中真紀子からは嫌われまくったよう。大威張りマキコ、ちっちぇえー〜らによる総務省職員接待批判の流れで放送事業容認要件を満たしていない東北新社の衛星放送事業認定が取り消しとのニュースが流れたが、それでかあ。大人になれないぼくはザマーミロと思った。不正や体制へのごますりにはバチが当たりますように。
フロントに立つシンガーは、デイヴ・ランバート役のTOKU、アーニー・ロス役のMaya Hatch 、ジョン・ヘンドリックス役の伊藤大輔。男性陣はパートによっては、代わったりもするよう。そして、伴奏陣はピアノの石井彰(2005年6月5日、2006年11月3日、2011年7月25日)、ダブル・ベースの楠井五月(2013年9月22日)、ドラムの小田桐和寛(ds) というトリオだ。
もう、ヴォーカリズとスキャットと、機智あるコーラスが山ほど。不世出のジャズ・コーラス・トリオの流儀/レパートリーを借りて、面々の才気がおどり出る。いやあ、楽しい! やっている当人たちも本当に楽しそうにやっていたが、その奥にある苦労や鍛錬はそうとうなもののはず。聞けば、2013年から断続的に持たれているプロジェクトで、その事実にも納得する。だって、ここには長年の積み重ねがあってこその理想郷を出していたから。スキャットはまさしく臨機応変に、ヴォーカリーズの部分も、終盤の曲では自分で即興で歌詞をつけて歌うというようなこともしていた。
もちろん、新曲もありで、先月亡くなってしまったチック・コリアへのトリビュート曲「ユーアー・エヴリシング」(1973年盤『ライト・アズ・ア・フェザー』のオープナー。コリア曲だ)も披露する。うわあ、軽快なのに、びっくりするほど技ありの難しい曲だぁ。それを適切な演奏に乗って、3人は悠々とこなしていき、本当に感心せざるをえない。もうみんな、本当に立派だ。
男性陣は、かつて日本で活動していた米国人ドラマーのトミー・キャンベル(2010年9月30日)のバンドに入れ違いで入っていたことがあるそう。へえ、キャンベルさんってシンガー入りのコンボを率いていたのか。そして終盤に、唯我独尊(いい意味で)トロンボーン奏者/シンガーのレイ・アンダーソンの仕掛け満載のダダい曲にキャンベルが歌詞をつけてやっていたという曲も披露する。イエイ〜、胸がすく。そういえば、伊藤大輔は譜面台なしで歌っていた。プロだなあ。胸を軽く叩くなどもしていろんなトーンで歌っていた彼、ボビー・マクフェリン(2004年2月3日、2012年3月2日、2015年3月23日)は一番好きなほうのシンガーなのかな。
とってもセンスと技量の必要なことをやっているに、歓びに満ち、ジャズのある方面の真実を衝きつつ、エンターテインメントとして両手を広げていたパフォーマンスにはおおいに感心。シンガー陣が趣味良く百花繚乱する様はとっても華があり、ランバート・ヘンドリックス&ロスを知らない人にもアピールできるもののではないかとも感じた。とにかく、これはお金の取れるショウ! この晩のライヴ映像は4月12日まで配信されるというが、見る価値大アリと推す。
▶過去の、TOKU
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-2.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-9.htm ロニー・プラキシコ
http://43142.diarynote.jp/200403101442170000/
http://43142.diarynote.jp/200602171950040000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080819
http://43142.diarynote.jp/201103171354125352/
http://43142.diarynote.jp/201206210944302024/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130922
http://43142.diarynote.jp/201503211741478728/
http://43142.diarynote.jp/?day=20150328
http://43142.diarynote.jp/?day=20160301
http://43142.diarynote.jp/201612171246253699/
https://43142.diarynote.jp/201804110754439999/
https://43142.diarynote.jp/201908080956036775/
https://43142.diarynote.jp/202001181115253998/
https://43142.diarynote.jp/202102111149027062/
▶︎過去の、アーニー・ロスの訃報
https://43142.diarynote.jp/202007222108037523/
▶︎過去の、石井彰
http://43142.diarynote.jp/200506120639310000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20061103
https://43142.diarynote.jp/201107310727152406/
▶︎過去の、楠井五月
https://43142.diarynote.jp/201309260930584072/
▶︎過去の、チック・コリアの訃報
https://43142.diarynote.jp/202102131109583628/
▶︎過去の、トミー・キャンベル
https://43142.diarynote.jp/201010030952428017/
▶過去の、ボビー・マクフェリン
http://43142.diarynote.jp/200402051853580000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120302
http://43142.diarynote.jp/201503241654351156/
アナログ・シンセサイザーの名手たる、マルコム・セシルの訃報が届いた。一番クリエイティヴだった1970年代中期までのスティーヴィ・ワンダー(2005年11月3日、2010年8月8日、2012年3月5日)作関与が、一番有名か。ずっと闘病していたという。ロンドン生まれの英国人で、電子工学を学ぶとともに、コントラバス奏者としてBBCオーケストラに入ったこともあったという。1960年代前後はダブル・ベース奏者として、英国ジャズ・シーンで活動。テナー・サックス奏者のディック・モリッシー(彼が参加した1961年フォンタナ盤『It’s Morrissey, Man! 』は2000年代に入ってからユニバーサル・ミュージックから日本盤が出ている)、エムシー・ファイヴ(Emcee Five)他のアルバムに彼の名前を見つけることができる。
その後は南アや米国西海岸をへて(英国空軍にいたという話もある)、ニューヨークに居住。彼は同地の有名スタジオであるメディアサウンドにエンジニアの職を得て、モウグ・シンセサイザーとも出会っている。そんな彼はジム・ホールの『Where Would I Be』(Milestone,1972年)にもベース奏者として入り、またエンジニアとしてもクレジット。同作のドラマーは、アイアート・モレイラ(2000年7月10日)だった。
だが、そのころにはシンセサイザー音の創作がメインの活動となっており、ニューヨーク市長の父親を持つロバート・マーゴウレフとのシンセサイザーのユニットのT.O.N.T.O.ズ・エクスパンディング・ヘッド・バンドを結成し、2枚のアルバムを発表。1975年ごろまで、他者レコーディングにもマーゴレフとのコンビで彼は参加した。T.O.N.T.O.とは、The Original New Timbral Orchestraの略。それは自ら開発したポリフォニック・アナログ・シンセサイザーの名称でもあったらしい。
一方、それ以降ジャズ側にかする活動はまったくなく、ワンダー関与のシリータやミニー・リーパートン、ザ・アイズリー・ブラザーズ、クインシー・ジョーンズ、ビリー・プレストン、ギル・スコット・ヘロン(何作も関わり、プロデュース・クレジットも得ている)、ダイアナ・ロスらR&Bものと、リトル・フィート、エリック・カッツ、ランディ・ニューマン、ザ・ドゥービー・ブラザーズ、ジェイムズ・テイラーら西海岸ロックものの2系統で、彼はシンセサイザー・オペレイター/奏者としていろいろ参加している。そんな彼、1980年代中期以降はあまり新規のレコーディングに関与しなくなった。それは当人の意向か、それともシンセサイザーがどんどん発達して、スペシャリストでなくても欲しいシンセサイザー音を容易に得ることができるようになったからか。
彼の死は、ボブ・モウグ財団から発表された。
▶︎過去のマルコム・セシルに触れた項 (下のほう)
https://43142.diarynote.jp/201801071035098671/
▶過去の、スティーヴィー・ワンダー
http://43142.diarynote.jp/200511130015240000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
▶︎過去の、アイアート・モレイラ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm
<今日の、溜飲下がる>
ライヴを見ての帰宅後、なんか面白いのやっていないかとネットTVのモニター番組表を見たら、「ザ・シネマ」チャンネルで放映されるリーマン・ブラザース社の転落の内側をネタにした2011年米国映画「マージン・コール」が面白そうで、見ることにする。そしたら、番組冒頭で“ザ・シネマは免許が取り消されたため、4月で放送終了します>という文言が流される。おお、この映画チャンネルは東北新社によるものであったのか。同社勤務の現首相の息子〜バンドやってて、あぶれていたのを父親がねじ込んだと報道されているっけ? でも、飲むといいヤツもしれぬ。脱線するが、田中角栄のロック好きの息子(田中京。父親本も出している)は、大昔CBSソニーに勤務していたことがあったと聞く。母親が違うため、田中真紀子からは嫌われまくったよう。大威張りマキコ、ちっちぇえー〜らによる総務省職員接待批判の流れで放送事業容認要件を満たしていない東北新社の衛星放送事業認定が取り消しとのニュースが流れたが、それでかあ。大人になれないぼくはザマーミロと思った。不正や体制へのごますりにはバチが当たりますように。
R.I.P.ドン・ヘフィントン(1950年12月20日〜2021年3月23日)
2021年3月25日 音楽 エミルー・ハリス、ボブ・ディラン、ピーター・ケイス、ニール・カサル、ヴィクトリア・ウィリアムス、ヴィック・チェスナット・ヴァン・ダイク・パークス、チャック・E・ワイス、ジャクソン・ブラウン、ランディ・ニューマン……。お、これはすごいリストだな。そんなアメリカの実力者たちのアルバム録音に関与したドラマー/パーカッショニストがドン・ヘフィントンだ。1980年代中期にはマリア・マッキーを中央に置くローン・ジャスティスのメンバーだったこともある。
なかなかのハンサムさん、というイメージもある。生粋のLAっこで、音楽家庭に育ち、ジャズの素養も持つらしい。あまりドラムを扱わないリーダー作が2枚あり、それらはカントリー要素も渋く消化した堂にいったアメリカーナ作品だ。白血病で入院中であったという。
<今日の、あれ>
桜の季節、どまんなか。人出、多し。こころ、痛む。母親訪問し、彼女がつけていた高校野球を見ちゃった。野球嫌いのぼくが見るのって何十年ぶり、だろ? 意外に興味深く見れてしまい、驚いた。
なかなかのハンサムさん、というイメージもある。生粋のLAっこで、音楽家庭に育ち、ジャズの素養も持つらしい。あまりドラムを扱わないリーダー作が2枚あり、それらはカントリー要素も渋く消化した堂にいったアメリカーナ作品だ。白血病で入院中であったという。
<今日の、あれ>
桜の季節、どまんなか。人出、多し。こころ、痛む。母親訪問し、彼女がつけていた高校野球を見ちゃった。野球嫌いのぼくが見るのって何十年ぶり、だろ? 意外に興味深く見れてしまい、驚いた。
R.I.P.濱田滋郎(1935年 - 2021年3月21日)
2021年3月24日 音楽 スペイン語圏の音楽や文化の評論家であった濱田滋郎さんが、86歳で入浴中にお亡くなりになった。フラメンコ紹介をはじめとする日本人の第一人者。そちらのほうにはあまり関わらないぼくではあったが、その名前は早くから存じ上げていた。そして、1990年代に一度スペイン人の取材に行ったら〜トマティート(2011年11月10日、2016年11月23日)だった? よく覚えていない〜、濱田先生が通訳におつきになっていて、とても恐縮した覚えがある。その後、2018年9月にスペイン大使館大使公邸で行われたカニサレス(2013年12月18日、2015年9月26日)のパーティ(https://43142.diarynote.jp/201809201046285698/ の下の方で触れている)の際、お一人でいらっしゃったので、声をかけさせてもらった。しなやかさと柔らかさを感じさせる佇まいが印象に残る人でした。彼の甥は、bsr誌の編集長をずっと勤めていますね。
▶︎過去の、トマティート
https://43142.diarynote.jp/201111141214381161/
https://43142.diarynote.jp/201201171011033219/ 彼が出てくるドキュメンタリー映画
https://43142.diarynote.jp/201611272021361705/
▶︎過去の、カニサレス
http://43142.diarynote.jp/201312191824334317/
http://43142.diarynote.jp/201509291629428595/
http://43142.diarynote.jp/201709261224016977/ 出演している映画
<今日の、うれしいこと>
朝起きて新聞を見ずに、コーヒー片手にフェイスブックを眺めていたら、友達かもという項になぜかトロンボーン奏者/シンガーのジョセフ・ボウイが出ている。お。昨日、調べていたフリー・ジャズのアルバム(フランク・ロウのフリーダム1975年盤『Fresh』)に彼が入っているのを確認し元気かなあと思ったばかりなので(もちろん、彼が率いるファンク・ジャズ・ロック・バンドのディーファンクは大好きであるので)、思わず友達申請してしまう。前にもここに書いているが、ぼくは自分でほぼほぼ投稿しない人なので、自ら友達願いを出すことはない。取材した人にする場合はあるものの、それも取材した方から来る方が多いな。もちろん、ぼくが何者かジョーさんには分からないだろうから、メッセンジャーで自己紹介を添えた。そしてら、許諾とともに絵文字を何気に使った返事が帰ってきた。ほう、けっこううれしいものなのだなー。そして、これからライナーノーツとか原稿を書く際に該当アーティストに直メッセージを出して材料の確認をするのはありかとも思った。稚拙な幼稚園英語の問いでも、答えてくれる人は多そうだ。
▶︎過去の、トマティート
https://43142.diarynote.jp/201111141214381161/
https://43142.diarynote.jp/201201171011033219/ 彼が出てくるドキュメンタリー映画
https://43142.diarynote.jp/201611272021361705/
▶︎過去の、カニサレス
http://43142.diarynote.jp/201312191824334317/
http://43142.diarynote.jp/201509291629428595/
http://43142.diarynote.jp/201709261224016977/ 出演している映画
<今日の、うれしいこと>
朝起きて新聞を見ずに、コーヒー片手にフェイスブックを眺めていたら、友達かもという項になぜかトロンボーン奏者/シンガーのジョセフ・ボウイが出ている。お。昨日、調べていたフリー・ジャズのアルバム(フランク・ロウのフリーダム1975年盤『Fresh』)に彼が入っているのを確認し元気かなあと思ったばかりなので(もちろん、彼が率いるファンク・ジャズ・ロック・バンドのディーファンクは大好きであるので)、思わず友達申請してしまう。前にもここに書いているが、ぼくは自分でほぼほぼ投稿しない人なので、自ら友達願いを出すことはない。取材した人にする場合はあるものの、それも取材した方から来る方が多いな。もちろん、ぼくが何者かジョーさんには分からないだろうから、メッセンジャーで自己紹介を添えた。そしてら、許諾とともに絵文字を何気に使った返事が帰ってきた。ほう、けっこううれしいものなのだなー。そして、これからライナーノーツとか原稿を書く際に該当アーティストに直メッセージを出して材料の確認をするのはありかとも思った。稚拙な幼稚園英語の問いでも、答えてくれる人は多そうだ。
映画「SLEEP マックス・リヒターからの招待状」
2021年3月19日 音楽 低周波音が中心となる、8時間もの睡眠のための音楽を作ってしまう。そして、実際に深夜から始まり朝までそれを実演する公演を持ち(思って以上に演奏する側はハードという発言あり)、場内には入場者分の指定席ならぬ、指定ベッドを並べる。さあ、お客さんは思うまま良きにふるまって……。そんな酔狂な出し物をやっっている人物の名前は、マックス・リヒターという。彼は1966年ドイツ生まれ、英国育ちの作曲家/ピアニスト/キーボード奏者だ。
ヒューマントラストシネマ渋谷で、ポスト・クラシカル/今様ニュー・エイジ・ミュージックの実力者であるマックス・リヒターを扱う2019年英ドキュメンタリー映画「Sleep マックス・リヒターからの招待状」を見る。原題は、「Max Richter‘s Sleep」。もともとその長尺の音源は2015年に独グラモフォンから発表され、70分の短縮版もリリースされている。
監督は南ア生まれで英国で活動する、ドキュメンタリー畑の映像クリエイターであるナタリー・ジョンズ。当初はリヒターの最大の理解者で、彼との間に生まれた3人の子供の母親でもあり自ら映像作品を作っているユリア・マール(ハンガリー出身であるという)が自分で映像を撮り貯めていたが、子育てとの両立が難しく、彼女がジョンズに映画作りを依頼をしたという。映画ではシドニーのオペラハウス、アントワープの聖母大聖堂、さらにパリ、ベルリン、ニューヨークでの公演映像も少し使われているようだが、それはマールが撮ったもので、その会場探しもマールがしている。
柱となるのは、ロサンゼルスのダウンタウンにある市庁舎前から3ブロック分縦長に広がるグランド・パークで行われた「Sleep」のショウ。なんと野外公演で、設置された(簡易)ベッドの数もけっこう多そう。当人も、映画の中で一番規模がデカいと言っている。ぼくの感覚では深夜にここら辺を歩く気にはなれないところだが、万全の警備体制のもと公演は行われたのか。それとも、だいぶ安全になったのか。ともあれ、市民憩いの場たるこの公園では普段からいろいろな催しがなされているようだ。昨年春までは。
5人の弦楽器奏者やヴォーカリーゼの女性シンガーを擁するステージの模様を映すとともに、客席側の様もいろいろとカメラは追う。ピアノを弾くリヒターの隣には、ラップトップが2台置かれてもいる。なるほど、この客席にいたとしたなら、オレは……とか考えさせられたりもし、公演の追体験はできるか。とはいえ、99分の映画はその野外公演を全面的に伝えるものではない。コンサート映像にリヒターとマールの話がよくインサートされるし、監督や関係者や観客の話もときに入る。また、映画の途中には風景を追った映像にステージ音を重ねた環境ヴィテオのごとき部分もある。また、夫婦の話は二人の出会いや、過去の苦労話(彼はたくさんの映画音楽も手掛けているが、それは収入を得るためで、それで稼いで自分の好きなことをやるという率直な発言もアリ)、マールが撮ったのだろう家族団欒の風景も入る。リヒターはアナログ・シンセサイザーのマニアで、家一軒分の値段というそれを操る場面もあり。少し間口を広げすぎかな。とにかく、リヒターとマールがお互いのことを臆面も讃えあっていて、ごちそうさま。この映画を、夫婦追随物語にするという指針もあったのだろうか。
試写の頭で、リヒター夫妻の試写会観客に向けての短い映像が流される。昨年の日本公演はCovid19蔓延によりキャンセルになったのか。なんか、とってもいい人そうで驚いた。ヒネたところがなく、とても無垢。そんな彼の2020年作『Voices』(Decca)は変則編成オーケストラと歌声の波といろんな人による世界人権宣言の朗読を合わせる曲もある。リヒターって何気に言葉好きだな。映画は、今月26日から公開される。
<今日の、だめだめ>
試写は、ちょうど20時に終わる。あぁどこか寄りたいと思ったが知っているお店はこの時間は閉店だ。しょうがねえ、まっすぐ帰宅じゃ。来週からは飲食は21時閉店になるのかな。寒くないし、歩いて家まで帰ろうかと思ったが、根性なしで駅に降りちゃう。でも、一駅乗ってからの、家までの5分の道のりは徒労を覚えトホホ。案の定、電車はけっこうな混み様。感染者300人代が続くなか、新たな対策を示すことなく来週からは規制緩和か。あ“〜あ。
ヒューマントラストシネマ渋谷で、ポスト・クラシカル/今様ニュー・エイジ・ミュージックの実力者であるマックス・リヒターを扱う2019年英ドキュメンタリー映画「Sleep マックス・リヒターからの招待状」を見る。原題は、「Max Richter‘s Sleep」。もともとその長尺の音源は2015年に独グラモフォンから発表され、70分の短縮版もリリースされている。
監督は南ア生まれで英国で活動する、ドキュメンタリー畑の映像クリエイターであるナタリー・ジョンズ。当初はリヒターの最大の理解者で、彼との間に生まれた3人の子供の母親でもあり自ら映像作品を作っているユリア・マール(ハンガリー出身であるという)が自分で映像を撮り貯めていたが、子育てとの両立が難しく、彼女がジョンズに映画作りを依頼をしたという。映画ではシドニーのオペラハウス、アントワープの聖母大聖堂、さらにパリ、ベルリン、ニューヨークでの公演映像も少し使われているようだが、それはマールが撮ったもので、その会場探しもマールがしている。
柱となるのは、ロサンゼルスのダウンタウンにある市庁舎前から3ブロック分縦長に広がるグランド・パークで行われた「Sleep」のショウ。なんと野外公演で、設置された(簡易)ベッドの数もけっこう多そう。当人も、映画の中で一番規模がデカいと言っている。ぼくの感覚では深夜にここら辺を歩く気にはなれないところだが、万全の警備体制のもと公演は行われたのか。それとも、だいぶ安全になったのか。ともあれ、市民憩いの場たるこの公園では普段からいろいろな催しがなされているようだ。昨年春までは。
5人の弦楽器奏者やヴォーカリーゼの女性シンガーを擁するステージの模様を映すとともに、客席側の様もいろいろとカメラは追う。ピアノを弾くリヒターの隣には、ラップトップが2台置かれてもいる。なるほど、この客席にいたとしたなら、オレは……とか考えさせられたりもし、公演の追体験はできるか。とはいえ、99分の映画はその野外公演を全面的に伝えるものではない。コンサート映像にリヒターとマールの話がよくインサートされるし、監督や関係者や観客の話もときに入る。また、映画の途中には風景を追った映像にステージ音を重ねた環境ヴィテオのごとき部分もある。また、夫婦の話は二人の出会いや、過去の苦労話(彼はたくさんの映画音楽も手掛けているが、それは収入を得るためで、それで稼いで自分の好きなことをやるという率直な発言もアリ)、マールが撮ったのだろう家族団欒の風景も入る。リヒターはアナログ・シンセサイザーのマニアで、家一軒分の値段というそれを操る場面もあり。少し間口を広げすぎかな。とにかく、リヒターとマールがお互いのことを臆面も讃えあっていて、ごちそうさま。この映画を、夫婦追随物語にするという指針もあったのだろうか。
試写の頭で、リヒター夫妻の試写会観客に向けての短い映像が流される。昨年の日本公演はCovid19蔓延によりキャンセルになったのか。なんか、とってもいい人そうで驚いた。ヒネたところがなく、とても無垢。そんな彼の2020年作『Voices』(Decca)は変則編成オーケストラと歌声の波といろんな人による世界人権宣言の朗読を合わせる曲もある。リヒターって何気に言葉好きだな。映画は、今月26日から公開される。
<今日の、だめだめ>
試写は、ちょうど20時に終わる。あぁどこか寄りたいと思ったが知っているお店はこの時間は閉店だ。しょうがねえ、まっすぐ帰宅じゃ。来週からは飲食は21時閉店になるのかな。寒くないし、歩いて家まで帰ろうかと思ったが、根性なしで駅に降りちゃう。でも、一駅乗ってからの、家までの5分の道のりは徒労を覚えトホホ。案の定、電車はけっこうな混み様。感染者300人代が続くなか、新たな対策を示すことなく来週からは規制緩和か。あ“〜あ。
R.I.P.ポール・ジャクソン(1947年3月28日〜2021年3月18日)
2021年3月18日 音楽 最高のシンコペーションとヘヴィ・グルーヴを持つベーシストのポール・ジャクソン(2002 年3月12日、2008年6月12日)が亡くなった。年末にベース・マガジンのファンク・ベース特集用の原稿を山ほど書いたが、以下はジャクソンに触れた部分の抜粋だ。
ジャズ側にいるファンクなベーシストというと、真っ先に思い出されるのがオークランド生まれのポール・ジャクソンだ。もう得難いグルーヴと重力を持つ彼の演奏は、まこと魅力的。少年期はコントラバスを習ったこともある彼はシーラ・Eの父親たちが組んだ大所帯ラテン・ファンク・ロック・バンドのアステカに参加し、1972年作『アステカ』ではダブル・ベースも部分弾いている。
1973年にはハービー・ハンコックのエレクトリック・ファンク・バンドであるザ・ヘッドハンターズに加わり、彼は広く知名度を得た。ドラマーのマイク・クラークとコンビを組む1974年『スラスト(突撃)』や日本での75年ライヴ盤『洪水』は彼の代表作だ。絶妙の噛み合いを誇るクラークとは複数の双頭作を出してもいる。また、ザ・ヘッドハンターズはハンコック抜きでも活動し、75年の『サヴァイヴァル・オブ・ザ・フィッテスト』は人気盤だ。なお、インターナショナルな活動をしているものの、彼はだいぶ前から日本在住のようだ。
ディープなヴォーカル曲も収めた『ブラック・オクトパス』(イーストワールド、1978年)ほか、リーダー作も数枚。正確には、1985年から彼は日本に住むようになったよう。そして、そこから海外に出張り、ヘッドハンターズ流れの公演、その他で弾いていた。市川在住だったこともあり、アフリカン・アメリカンの歴史や音楽を教える子供への教育プロジェクトに力をいれたこともあった。その後、芦屋在住であったという話も聞く。4弦の解放音やハーモニックス音を効果的に用いもする重た〜い本能の演奏は唯一無二。学生時代、彼をちょいちょいコピーしようとしたこともあったけど……。なお、追悼原稿をこの週末に書き、それはベース・マガジンのネットに掲載されます。
▶過去の、ポール・ジャクソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20080612
<今日の、満足>
なんちゃってアップル・ウォッチをゲットして使っているのだが、なかなか塩梅が良い。もともと身に着けるものが嫌いで、時計、ネックレス、リングなどはご法度の人生を歩んできた。だが、コレについてはとっても満足して、腕に巻いている。気分屋のぼくとしては表示画面を換えることができるのがいいし、血圧(低めに出るのが、精神衛生上よろしい)や睡眠時間の詳細が出るのもいいし、携帯に電話が入ったときプルプル振動するのも良い。これまで外出時に時間を確認するときは携帯を出して確認していたが、それをしないですむのはやはり楽だ。と、今のところなんの不満もない。問題は、ベルトをしている部分が汗ばむ時期になったとき。そうなると、つけるのをやめるや否や。
ジャズ側にいるファンクなベーシストというと、真っ先に思い出されるのがオークランド生まれのポール・ジャクソンだ。もう得難いグルーヴと重力を持つ彼の演奏は、まこと魅力的。少年期はコントラバスを習ったこともある彼はシーラ・Eの父親たちが組んだ大所帯ラテン・ファンク・ロック・バンドのアステカに参加し、1972年作『アステカ』ではダブル・ベースも部分弾いている。
1973年にはハービー・ハンコックのエレクトリック・ファンク・バンドであるザ・ヘッドハンターズに加わり、彼は広く知名度を得た。ドラマーのマイク・クラークとコンビを組む1974年『スラスト(突撃)』や日本での75年ライヴ盤『洪水』は彼の代表作だ。絶妙の噛み合いを誇るクラークとは複数の双頭作を出してもいる。また、ザ・ヘッドハンターズはハンコック抜きでも活動し、75年の『サヴァイヴァル・オブ・ザ・フィッテスト』は人気盤だ。なお、インターナショナルな活動をしているものの、彼はだいぶ前から日本在住のようだ。
ディープなヴォーカル曲も収めた『ブラック・オクトパス』(イーストワールド、1978年)ほか、リーダー作も数枚。正確には、1985年から彼は日本に住むようになったよう。そして、そこから海外に出張り、ヘッドハンターズ流れの公演、その他で弾いていた。市川在住だったこともあり、アフリカン・アメリカンの歴史や音楽を教える子供への教育プロジェクトに力をいれたこともあった。その後、芦屋在住であったという話も聞く。4弦の解放音やハーモニックス音を効果的に用いもする重た〜い本能の演奏は唯一無二。学生時代、彼をちょいちょいコピーしようとしたこともあったけど……。なお、追悼原稿をこの週末に書き、それはベース・マガジンのネットに掲載されます。
▶過去の、ポール・ジャクソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20080612
<今日の、満足>
なんちゃってアップル・ウォッチをゲットして使っているのだが、なかなか塩梅が良い。もともと身に着けるものが嫌いで、時計、ネックレス、リングなどはご法度の人生を歩んできた。だが、コレについてはとっても満足して、腕に巻いている。気分屋のぼくとしては表示画面を換えることができるのがいいし、血圧(低めに出るのが、精神衛生上よろしい)や睡眠時間の詳細が出るのもいいし、携帯に電話が入ったときプルプル振動するのも良い。これまで外出時に時間を確認するときは携帯を出して確認していたが、それをしないですむのはやはり楽だ。と、今のところなんの不満もない。問題は、ベルトをしている部分が汗ばむ時期になったとき。そうなると、つけるのをやめるや否や。
ロック賢人、デイヴィッド・バーン(2009年1月27日)のブロードウェイ・ミュージカルをスパイク・リーが撮った2020年米国映画「アメリカン・ユートピア」(原題:David Byene’s AMERICAN UTOPIA A Spike Lee Joint)の試写を、半蔵門・東宝東和試写室で見る。
バーンは2018年に、同名のリーダー作(Nonsuch)を発表。そして、彼は例によって、それをアートかつシアトリカルなパッケージ・ショウに昇華させて、ワールド・ツアーを行った。27ヶ国で実演は持たれたようだが、来たら見に行っているはずで、日本には来ていないよな? そのツアーは好評を受け、バーンはそれをブロードウェイの出し物へとブラッシュ・アップさせる。その舞台ヴァージョンにはバーンも自信を持つところであったのだろう、映像化したいと考え、スパイク・リーにその話を持ちかけて、こうした形になった。
なお、彼が2008〜09年に行ったツアーは、ハミルトン・カーティスの手により「Ride, Rise, Roar」というドキュメンタリー映画にまとめられた。同作品はyoutubeで全部見ることができる。→https://www.youtube.com/watch?v=vFa9u3Yb7qA
まあそんな才人デイヴィッド・バーンであるので溜め息連発の出し物であるのは当然なのでが、やはりよく作ったなあと思わずには入られず。ほぼ正方形型のステージ上には、何も置かれていない。3方は枝垂れのような銀色の超細長いフィルムが垂れ下がっていて、出演者はそれをすり抜け、ステージを出入りする。
ステージに登場するパーフォーマーは、バーンを含めて11人。ダンサー2人(ひとりはメロディカを吹いたりもし、ヴォーカル・キャプテンとのクレジットも得る)、キーボード、ギター、ベース、そしてパーカッション奏者が5人もいる。バーンは5〜6曲で、ギターも手にする。いろいろ動く面々はコーラスもつけヘッド・セットのマイクを使用し、電気楽器はすべてワイヤレスで音を飛ばしている。パーカションは基本生音なのだろうか? ラテン・バンドの分業のように5人の打楽器奏者は総体で一つの豊かなドラム音を作っているような感じもあり。その打楽器セクションのまとめ役はマウロ・フォレスコがしている。在ニューヨークのブラジル人バンドであるフォホー・イン・ザ・ダークのメンバーであり、彼はトム・ヨーク(2001年10月4日、2004年4月18日、2008年10月4日、2016年8月21日)やフリー(2002年7月28日、2002年11月2日、2007年6月5日)らとのアトムズ・フォー・ピースのメンバーでもあった名手だ。
共通するグレイのスーツを着る裸足の面々が動き、絡み、歌と演奏を送り出す。スタジオ録音作『アメリカン・ユートピア』のレコーディングに参加しているのはバーンとは長い付き合いのフォレスコのみだが、これらの秀でた音楽性と身体性を併せ持つ面々をよく揃えたなとは誰もが思うはず。振り付けは、アニー・B・パーソン。先に触れた映画「Ride, Rise, Roar」の振り付けも、彼女がやっている。
曲ごとにいろんなフォーメイションで動きつつ、生きた確かなサウンドを送り出しているが、本当に生音でやっているのかという問いはよくされるところのようで、バーンはわざわざMCでそのことに触れていた。実はブライアン・イーノとの作業を軸にトーマス・バートレットらいろんなミュージシャンが関わっている『アメリカン・ユートピア』自体の仕上がりをぼくはそれほど買っていない。音が無機的というか、なんか平板であるからだ。だが、ここでの音は実に有機的であり、エッジィさと豊穣さを両立させた奥行きも持つものとなっていて、賞賛しかない。
その共演者たちは男女混合で、アメリカ人だけでなく、ブラジル人やカナダ人やフランス人もいるなど、属性が散る。それは、意識的なものだろう。実は、『アメリカン・ユートピア』はスタジオ録音盤だけでなく、ブロードウェイ・オリジナルキャスト盤が2枚組でノンサッチから発売されており、それは本映画のサントラと位置づけることも可能だろう。ただし、その2枚組と本映画の参加者は少し異なっている。
構成員のなか一緒にバンドをやりたいと思わせるエレクトリック・ギターのアンジ-・スワンはテリ・リン・キャリントン(2004年9月7日、2005年8月21日、2008年12月1日、2009年6月15日、2010年9月4日、2014年9月16日)の女性グループであるザ・モザイク・プロジェクト(2010年9月4日)による『The Mosaic Project: Love and Soul』(Concord,2015年)に入っていたりもする。
110分弱の尺だが、一気に見せ切る。演奏曲は21曲。オリジナルの『アメリカン・ユートピア』収録曲は5つのみで、ショウは過去も含めた上でのバーンの現在像を起立させんとする。やはり、1980年代上半期のトーキング・ヘッズ曲は素晴らしく訴求力がある。とともに、それらの肉体化現代ヴァージョンは間違いなく、今の輝きとドキドキを持つ。そして、バーンの堂々としたヴォーカルが素晴らしい。全然息切れすることなく、全編をまっとう。本当に鍛錬しているし、あくなき音楽欲に満ち満ちていることが分かる。
そう、この映画を見て何より感心したのが、バーンの朽ちぬ創造性と実現力が澄んだ情緒とともに渦巻きまくっている様だ。それを、映画はこれでもかと写し取る。全然老けていない彼の眩しいことといったなら。もう降参、脱帽、賛美。まあ、比較するものでものでもないが、怠惰な我が身を振り返り、これはいかんと思う自分をしっかり確認した。
大監督としてエスタブリッシュされているスパイク・リーだが、なるほど本作を見ると、音楽やビートに敏感な映像の作り手であると実感できる。ときにステージ真上からの俯瞰映像も用いるが、それも効果的だ。1980年代中期にフィッシュボーン(2000年7月28日、2007年4月5日、2007年4月6日、2009年11月25日、2010年7月31日、2011年8月8日、2013年6月3日)のヴィデオ・クリップを彼が作ったことを思わず思い出した。
会場となるハドソン・シアターはタイムズ・スクエアと6番街の間に位置する、1903年に営業が始まった劇場だ。1970年代はピンク映画館に、1980年代にはザ・サヴォイというライヴ・ヴェニューになったりもしたようだが、2017年以降は英国企業のテコ入れのもとブロードウェイ劇場として営業している。バーンのショウはそこで2019年10月から2020年2月まで行われた。映画を見ると縦長の着席の会場(つまり、ステージの幅はそんなに広くない)で客席は3層あり、定員は970人という。なお、ボストンでも公開されたようで、リーはニューヨークに先立つそれを見て、映画化の話に乗ったという。
そして、この映画はあたまから観客の存在を意識させるものになっている。けっこう観客は席から立ち上がって見ていたようであり、歓声はめちゃ熱い。曲間のバーンのMCもけっこう入れられていて、オープニングは脳の模型を持ってのアカデミックな話から歌に入っていくが、途中で強調されるのは、大統領選イアーであることを受けての選挙人登録の勧めであり、BLM問題へのまっすぐな意見表出だ。メンバー紹介では移民がいなければ何もできないと語り、自分も帰化したスコットランド移民であると発言する。アングロサクソン系とは思っていたが、彼がアメリカ生まれでないのは、今回ぼくは初めて知った。赤ちゃんのころスコットランドからまずカナダに引っ越し、8歳からアメリカに住んだというバーンの内実は、やはり彼の音楽作りに広い視点を与えているだろう。
この映画のクライマックスで11人全員が声を重ねる「Hell You Talmout」は、唯一のカヴァーとなる。警察から不当に殺されたアフリカン・アメリカンたちの名前が連呼されるジャネール・モネイの2015年BLM曲で、実際のショウではアンコールとして披露されていたもののよう。
ともあれ、観客の存在を意識させる映像の仕立ては、コロナ禍に入ってから映画がまとめられたことも大きいのだろう。出演者が距離を気にせず顔を合わせ、重なりあい、ポーズを決め、また送り手と受け手のインターアクションの様も提示される。そこには、“コロナ前”の幸福がある。
ところで、いくつものカメラが回っていたろう豊富なカメラ映像に、別のカメラが映ることはない。そこらあたり、徹底的に統制が取られている。カメラマンの存在は観客にとって邪魔になったりもしたのではと考えられるが、事前に映像化されることが入場者に告げられていたのかもしれない。ダダイズムに言及した際、バーンは即興でちょいパフォーマンスし、こんなことやっていたら別の映画がもう1本作ることができちゃうとも言っているから。
字幕で歌詞の日本語訳が流される。必要ですね。ついでに、その冒頭で曲名も出して欲しかったと思う。字幕監修は、ピーター・バラカン。エンドロール部、ニューヨークの街頭を感じさせる設定映像はいいな。コロナ禍に入ってしまい、本作は米国での劇場公開はなくなってしまい、HBOのTV配給だけになったしまったよう。日本では5月上旬より公開、諸手をあげて推奨する。
▶︎過去の、デイヴィッド・バーン
https://43142.diarynote.jp/200901281359552953/
▶︎過去の、スパイク・リーの映画
https://43142.diarynote.jp/201903050842467108/
https://43142.diarynote.jp/202008311710329819/
▶︎過去の、フォホー・イン・ザ・ダークのメンバー
https://43142.diarynote.jp/201010111257003810/
▶過去の、レディオヘッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200404180058130000/
http://43142.diarynote.jp/200810061856366600/
https://43142.diarynote.jp/201608241301049887/
▶︎過去の、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm フジ・ロック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200706061354020000/
▶︎過去の、トーマス・バートレットについての記載
https://43142.diarynote.jp/201809121745334226/ 本編外
▶過去の、テリ・リン・キャリントン
http://43142.diarynote.jp/200409070203440000/
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200812141259213603/
http://43142.diarynote.jp/200906160735045241/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100904
https://43142.diarynote.jp/201409171722239857/
▶過去の、フィッシュボーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm フジ・ロック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/ 豪バイロン・ベイ
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/ 豪ベイロン・ベイ
http://43142.diarynote.jp/200911281704335025/ アンジェロ単独
http://43142.diarynote.jp/?day=20100731 フジ・ロック
http://43142.diarynote.jp/201108101638376353/
http://43142.diarynote.jp/201306060729285922/
その後に間をあけ、錦糸町・すみだトリフォニーホールでチャップリン映画をオーケストラの生伴奏のもと上映する帯でやっている催しに行く。今回は、1931年米国映画「街の灯(原題:City Lights)」。サイレント映画ながらすでに音声付き映画(トーキー)の技術が確立していた時期のもので、チャップリンは無声映画派ながら最初から音楽をつけることにした映画であり、その基本の音楽もチャプリンが作った。受けた感興は5年前のチャップリンの1936年映画『モダン・タイムス』の同様の仕立てによる出し物(2016年5月7日、https://43142.diarynote.jp/201605180734584558/)のときとまったく同じ。まずは、映画に引きこまれ、十全な音楽は無欠の脇役をまっとうする。
オーケストラは新日本フィルハーモニー交響楽団(2012年10月2日、2012年11月30日、2015年9月26日、2016年5月7日)、ステージ上にはけっこうな人数がいて、ピアニストもいた。指揮者は、ちろちろした長髪を後で結んでいる竹本泰蔵(2012年8月28日、2012年10月2日、2012年11月30日)。彼はマスクをしていたが、オーケストラ員でマスクをしている人は少なかった。このおり席を1席づつ空ける着席のためもあるだろうが、18時15分からの公演は平日にも関わらず満場。人々は娯楽を求めていると、思わずにはいられず。映像を見ていてあれれと思ったのは、チャップリンが運転する自動車が右ハンドルであったこと。当然米国で撮られていたはずだが、英国車を使用したのだろうか?
▶︎過去の、竹本泰蔵
https://43142.diarynote.jp/201209181228508895/
https://43142.diarynote.jp/201210060944303925/
https://43142.diarynote.jp/201212111331075592/
▶過去の、新日本フィルハーモニー交響楽団
http://43142.diarynote.jp/201210060944303925/
http://43142.diarynote.jp/201212111331075592/
http://43142.diarynote.jp/201509291629428595/
https://43142.diarynote.jp/201605180734584558/
<今日の、のんびり>
試写を見た後、次まで時間があったので、知人を呼び出す。春めいた日、外のテーブル席に座ってビールを飲む。気持ちいい、ささやかな幸せを感じた。ワイルドか草食かと言えば前者の彼だが、Pの際はいつでも座ってすると言う。びっくり。奥さんにしつけられたのかと思ったら、それは関係なく、外出時もわざわざ小の際に個室に入ると言う。外で便座に座るのってイヤじゃないと問うと、便座をちゃんと吹くという。人にはいろいろ、見かけによらない掟や癖がある。先日も女友達と電話で話したさいに想像つかないことをカミング・アウトをされたが、本当に人様々、面白すぎる。錦糸町に着いてから少し時間調整、駅近くの錦糸公園をちょい回ってから会場に入る。公園には人がいっぱいて、それぞれにくつろいでいるように見えた。今日の歩数は7500歩。右足にマメができた。運動不足すぎ、とほほ。
バーンは2018年に、同名のリーダー作(Nonsuch)を発表。そして、彼は例によって、それをアートかつシアトリカルなパッケージ・ショウに昇華させて、ワールド・ツアーを行った。27ヶ国で実演は持たれたようだが、来たら見に行っているはずで、日本には来ていないよな? そのツアーは好評を受け、バーンはそれをブロードウェイの出し物へとブラッシュ・アップさせる。その舞台ヴァージョンにはバーンも自信を持つところであったのだろう、映像化したいと考え、スパイク・リーにその話を持ちかけて、こうした形になった。
なお、彼が2008〜09年に行ったツアーは、ハミルトン・カーティスの手により「Ride, Rise, Roar」というドキュメンタリー映画にまとめられた。同作品はyoutubeで全部見ることができる。→https://www.youtube.com/watch?v=vFa9u3Yb7qA
まあそんな才人デイヴィッド・バーンであるので溜め息連発の出し物であるのは当然なのでが、やはりよく作ったなあと思わずには入られず。ほぼ正方形型のステージ上には、何も置かれていない。3方は枝垂れのような銀色の超細長いフィルムが垂れ下がっていて、出演者はそれをすり抜け、ステージを出入りする。
ステージに登場するパーフォーマーは、バーンを含めて11人。ダンサー2人(ひとりはメロディカを吹いたりもし、ヴォーカル・キャプテンとのクレジットも得る)、キーボード、ギター、ベース、そしてパーカッション奏者が5人もいる。バーンは5〜6曲で、ギターも手にする。いろいろ動く面々はコーラスもつけヘッド・セットのマイクを使用し、電気楽器はすべてワイヤレスで音を飛ばしている。パーカションは基本生音なのだろうか? ラテン・バンドの分業のように5人の打楽器奏者は総体で一つの豊かなドラム音を作っているような感じもあり。その打楽器セクションのまとめ役はマウロ・フォレスコがしている。在ニューヨークのブラジル人バンドであるフォホー・イン・ザ・ダークのメンバーであり、彼はトム・ヨーク(2001年10月4日、2004年4月18日、2008年10月4日、2016年8月21日)やフリー(2002年7月28日、2002年11月2日、2007年6月5日)らとのアトムズ・フォー・ピースのメンバーでもあった名手だ。
共通するグレイのスーツを着る裸足の面々が動き、絡み、歌と演奏を送り出す。スタジオ録音作『アメリカン・ユートピア』のレコーディングに参加しているのはバーンとは長い付き合いのフォレスコのみだが、これらの秀でた音楽性と身体性を併せ持つ面々をよく揃えたなとは誰もが思うはず。振り付けは、アニー・B・パーソン。先に触れた映画「Ride, Rise, Roar」の振り付けも、彼女がやっている。
曲ごとにいろんなフォーメイションで動きつつ、生きた確かなサウンドを送り出しているが、本当に生音でやっているのかという問いはよくされるところのようで、バーンはわざわざMCでそのことに触れていた。実はブライアン・イーノとの作業を軸にトーマス・バートレットらいろんなミュージシャンが関わっている『アメリカン・ユートピア』自体の仕上がりをぼくはそれほど買っていない。音が無機的というか、なんか平板であるからだ。だが、ここでの音は実に有機的であり、エッジィさと豊穣さを両立させた奥行きも持つものとなっていて、賞賛しかない。
その共演者たちは男女混合で、アメリカ人だけでなく、ブラジル人やカナダ人やフランス人もいるなど、属性が散る。それは、意識的なものだろう。実は、『アメリカン・ユートピア』はスタジオ録音盤だけでなく、ブロードウェイ・オリジナルキャスト盤が2枚組でノンサッチから発売されており、それは本映画のサントラと位置づけることも可能だろう。ただし、その2枚組と本映画の参加者は少し異なっている。
構成員のなか一緒にバンドをやりたいと思わせるエレクトリック・ギターのアンジ-・スワンはテリ・リン・キャリントン(2004年9月7日、2005年8月21日、2008年12月1日、2009年6月15日、2010年9月4日、2014年9月16日)の女性グループであるザ・モザイク・プロジェクト(2010年9月4日)による『The Mosaic Project: Love and Soul』(Concord,2015年)に入っていたりもする。
110分弱の尺だが、一気に見せ切る。演奏曲は21曲。オリジナルの『アメリカン・ユートピア』収録曲は5つのみで、ショウは過去も含めた上でのバーンの現在像を起立させんとする。やはり、1980年代上半期のトーキング・ヘッズ曲は素晴らしく訴求力がある。とともに、それらの肉体化現代ヴァージョンは間違いなく、今の輝きとドキドキを持つ。そして、バーンの堂々としたヴォーカルが素晴らしい。全然息切れすることなく、全編をまっとう。本当に鍛錬しているし、あくなき音楽欲に満ち満ちていることが分かる。
そう、この映画を見て何より感心したのが、バーンの朽ちぬ創造性と実現力が澄んだ情緒とともに渦巻きまくっている様だ。それを、映画はこれでもかと写し取る。全然老けていない彼の眩しいことといったなら。もう降参、脱帽、賛美。まあ、比較するものでものでもないが、怠惰な我が身を振り返り、これはいかんと思う自分をしっかり確認した。
大監督としてエスタブリッシュされているスパイク・リーだが、なるほど本作を見ると、音楽やビートに敏感な映像の作り手であると実感できる。ときにステージ真上からの俯瞰映像も用いるが、それも効果的だ。1980年代中期にフィッシュボーン(2000年7月28日、2007年4月5日、2007年4月6日、2009年11月25日、2010年7月31日、2011年8月8日、2013年6月3日)のヴィデオ・クリップを彼が作ったことを思わず思い出した。
会場となるハドソン・シアターはタイムズ・スクエアと6番街の間に位置する、1903年に営業が始まった劇場だ。1970年代はピンク映画館に、1980年代にはザ・サヴォイというライヴ・ヴェニューになったりもしたようだが、2017年以降は英国企業のテコ入れのもとブロードウェイ劇場として営業している。バーンのショウはそこで2019年10月から2020年2月まで行われた。映画を見ると縦長の着席の会場(つまり、ステージの幅はそんなに広くない)で客席は3層あり、定員は970人という。なお、ボストンでも公開されたようで、リーはニューヨークに先立つそれを見て、映画化の話に乗ったという。
そして、この映画はあたまから観客の存在を意識させるものになっている。けっこう観客は席から立ち上がって見ていたようであり、歓声はめちゃ熱い。曲間のバーンのMCもけっこう入れられていて、オープニングは脳の模型を持ってのアカデミックな話から歌に入っていくが、途中で強調されるのは、大統領選イアーであることを受けての選挙人登録の勧めであり、BLM問題へのまっすぐな意見表出だ。メンバー紹介では移民がいなければ何もできないと語り、自分も帰化したスコットランド移民であると発言する。アングロサクソン系とは思っていたが、彼がアメリカ生まれでないのは、今回ぼくは初めて知った。赤ちゃんのころスコットランドからまずカナダに引っ越し、8歳からアメリカに住んだというバーンの内実は、やはり彼の音楽作りに広い視点を与えているだろう。
この映画のクライマックスで11人全員が声を重ねる「Hell You Talmout」は、唯一のカヴァーとなる。警察から不当に殺されたアフリカン・アメリカンたちの名前が連呼されるジャネール・モネイの2015年BLM曲で、実際のショウではアンコールとして披露されていたもののよう。
ともあれ、観客の存在を意識させる映像の仕立ては、コロナ禍に入ってから映画がまとめられたことも大きいのだろう。出演者が距離を気にせず顔を合わせ、重なりあい、ポーズを決め、また送り手と受け手のインターアクションの様も提示される。そこには、“コロナ前”の幸福がある。
ところで、いくつものカメラが回っていたろう豊富なカメラ映像に、別のカメラが映ることはない。そこらあたり、徹底的に統制が取られている。カメラマンの存在は観客にとって邪魔になったりもしたのではと考えられるが、事前に映像化されることが入場者に告げられていたのかもしれない。ダダイズムに言及した際、バーンは即興でちょいパフォーマンスし、こんなことやっていたら別の映画がもう1本作ることができちゃうとも言っているから。
字幕で歌詞の日本語訳が流される。必要ですね。ついでに、その冒頭で曲名も出して欲しかったと思う。字幕監修は、ピーター・バラカン。エンドロール部、ニューヨークの街頭を感じさせる設定映像はいいな。コロナ禍に入ってしまい、本作は米国での劇場公開はなくなってしまい、HBOのTV配給だけになったしまったよう。日本では5月上旬より公開、諸手をあげて推奨する。
▶︎過去の、デイヴィッド・バーン
https://43142.diarynote.jp/200901281359552953/
▶︎過去の、スパイク・リーの映画
https://43142.diarynote.jp/201903050842467108/
https://43142.diarynote.jp/202008311710329819/
▶︎過去の、フォホー・イン・ザ・ダークのメンバー
https://43142.diarynote.jp/201010111257003810/
▶過去の、レディオヘッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200404180058130000/
http://43142.diarynote.jp/200810061856366600/
https://43142.diarynote.jp/201608241301049887/
▶︎過去の、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm フジ・ロック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200706061354020000/
▶︎過去の、トーマス・バートレットについての記載
https://43142.diarynote.jp/201809121745334226/ 本編外
▶過去の、テリ・リン・キャリントン
http://43142.diarynote.jp/200409070203440000/
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200812141259213603/
http://43142.diarynote.jp/200906160735045241/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100904
https://43142.diarynote.jp/201409171722239857/
▶過去の、フィッシュボーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm フジ・ロック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/ 豪バイロン・ベイ
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/ 豪ベイロン・ベイ
http://43142.diarynote.jp/200911281704335025/ アンジェロ単独
http://43142.diarynote.jp/?day=20100731 フジ・ロック
http://43142.diarynote.jp/201108101638376353/
http://43142.diarynote.jp/201306060729285922/
その後に間をあけ、錦糸町・すみだトリフォニーホールでチャップリン映画をオーケストラの生伴奏のもと上映する帯でやっている催しに行く。今回は、1931年米国映画「街の灯(原題:City Lights)」。サイレント映画ながらすでに音声付き映画(トーキー)の技術が確立していた時期のもので、チャップリンは無声映画派ながら最初から音楽をつけることにした映画であり、その基本の音楽もチャプリンが作った。受けた感興は5年前のチャップリンの1936年映画『モダン・タイムス』の同様の仕立てによる出し物(2016年5月7日、https://43142.diarynote.jp/201605180734584558/)のときとまったく同じ。まずは、映画に引きこまれ、十全な音楽は無欠の脇役をまっとうする。
オーケストラは新日本フィルハーモニー交響楽団(2012年10月2日、2012年11月30日、2015年9月26日、2016年5月7日)、ステージ上にはけっこうな人数がいて、ピアニストもいた。指揮者は、ちろちろした長髪を後で結んでいる竹本泰蔵(2012年8月28日、2012年10月2日、2012年11月30日)。彼はマスクをしていたが、オーケストラ員でマスクをしている人は少なかった。このおり席を1席づつ空ける着席のためもあるだろうが、18時15分からの公演は平日にも関わらず満場。人々は娯楽を求めていると、思わずにはいられず。映像を見ていてあれれと思ったのは、チャップリンが運転する自動車が右ハンドルであったこと。当然米国で撮られていたはずだが、英国車を使用したのだろうか?
▶︎過去の、竹本泰蔵
https://43142.diarynote.jp/201209181228508895/
https://43142.diarynote.jp/201210060944303925/
https://43142.diarynote.jp/201212111331075592/
▶過去の、新日本フィルハーモニー交響楽団
http://43142.diarynote.jp/201210060944303925/
http://43142.diarynote.jp/201212111331075592/
http://43142.diarynote.jp/201509291629428595/
https://43142.diarynote.jp/201605180734584558/
<今日の、のんびり>
試写を見た後、次まで時間があったので、知人を呼び出す。春めいた日、外のテーブル席に座ってビールを飲む。気持ちいい、ささやかな幸せを感じた。ワイルドか草食かと言えば前者の彼だが、Pの際はいつでも座ってすると言う。びっくり。奥さんにしつけられたのかと思ったら、それは関係なく、外出時もわざわざ小の際に個室に入ると言う。外で便座に座るのってイヤじゃないと問うと、便座をちゃんと吹くという。人にはいろいろ、見かけによらない掟や癖がある。先日も女友達と電話で話したさいに想像つかないことをカミング・アウトをされたが、本当に人様々、面白すぎる。錦糸町に着いてから少し時間調整、駅近くの錦糸公園をちょい回ってから会場に入る。公園には人がいっぱいて、それぞれにくつろいでいるように見えた。今日の歩数は7500歩。右足にマメができた。運動不足すぎ、とほほ。
映画「ハウス・イン・ザ・フィールズ」
2021年3月16日 音楽 アップリック渋谷で、モロッコ/カタール2017年映画の試写を見る。監督はモロッコ人の母親とイラク人の父親を持つ、タラ・ハディド。ロンドンに生まれ、米国の大学で映画を学び、1996年から映画を本作以前に5本発表。写真家としても、活動しているようだ。ちなみに、彼女の叔母は世界的な建築家であるバグダッド生まれのザハ・ハディッド(1950〜2016年)だそう。東京オリンピックの新国立競技場デザインのイザコザでも知られる彼女はお金持ちの家庭に生まれ、英国やスイスの寄宿舎学校に通っていますね。
映画は、イスラム教の北アフリカの国であるモロッコのアトラス山脈の自然のある高地の村に暮らす家族を扱うドキュメンタリーだ。西欧環境で育ったタラ・ハディドがいかにして、まあ辺境と言えなくもない土地とつながりを得たかは示されていないが、彼女はのべ7年現地に足を運び、生活をともにしたそう。その事実は、対象者の自然な振る舞いにも表れているだろう。
山間部で質素な暮らし(水〜綺麗だ〜は近所にくみにいくようだが、住居はしっかりしていて、電気は通っているようでTVや冷蔵庫などもある)をするアマジグ族の10代のとても仲がいい姉妹とその家族に焦点を合わせる。ぼくは周辺のコミュニティ全体を撮影し、山間部アマジグ族の今の生活を語るのかと思っていたので、その設定は予想外だった。
冬(かなり気候は厳しいよう。冬は寒くて学校に行けない、という発言もあり)、春、夏のパートに分けて、一応時系列で映画は進む。対象家族の境遇や日々の所作、会話、周りの自然の様などがゆったりと組み合わされる。メインとなる妹は将来弁護士になることを夢み、19歳の姉は学校を辞めて隣村の男性(一切、映画には登場しない)との結婚が決まり、結婚したらモロッコ一番の大都市カサブランカに引っ越すことになっている。結婚には不安を持っているが決まりだから仕方がない、と姉は言う。父親はかつての統治国であるフランスに出稼ぎに出ていたことがあり、弟はお金をかせぐために将来はカサブランカに出て結婚もし、都会と村を行き来したいと言う。
見ていた当初はストーリーを持つ家族を見つけ、その信頼を受けて撮りためた日々の映像を自然につないでいる作品なのかと思った。だが、途中からかなり技ありで、映像や会話や自然の音をなどを周到に交錯させるスタイルを取っているなと思い始める。母親と父親がお互いのことを口ずさむ歌を交換し合う場面があり、それはとてもいいシーンであるとも思えたのだが、もしかしてそれは別々に撮影したものをうまく繋いだものなのではないか。ときに妹のモノローグが使われる場面もある。そうした技を意識すると、ここはマテリアルがいかように応用されているのかとかと考えてしまい、ぼくは少し落ち着かなくなった。
終盤の姉の結婚式(の前夜?)の祝祭シーンは、きらびやかに着飾った村の人たちが大勢集まり歌う様を撮っていて、なかなかに圧巻だ。一部は木製の笛のような音が入れられるが、基本挿入音楽はなしで、撮影中に拾ったものだけで音群は構成される。始まりと終わりは、バチで弾く3弦の民族楽器を弾くおじさんのシーンが使われる。
まだ古い習慣も残る家族の暮らしや話からモロッコの都市部と田舎の生活の乖離や、変わりつつある女性の境遇や意識などが、浮かび上がるとも言えるか。なら、姉が住むようになるカサブランカの都市部の姿も最後にちらりインサートしたほうが、山間部の人々の暮らしが鮮やかに浮き上がるのではないかとも感じた。しかし、これはハディド監督の3部作の1作目で、続くものにはカサブランカを扱ったりもするようだ。
▶︎過去の、スペイン領モロッコ
https://43142.diarynote.jp/200811062252544168/
▶過去の、︎モロッコのアトラス山脈で撮影された映画
https://43142.diarynote.jp/201503181120014174/
<今日の、言葉>
用いられる言葉は、もちろんアマジグ語。この映画の原題は「TIGMI N IGREN」とことだが、それはアマジグ語をアルファベット表記に移したものだろう。だって、エンドロールにはアマジグ語のクレジットが流されるのだが、それは全然異なる文字キャラクターが使われていたから。○△□のような造形をアトラクティヴに組み合わせたその表記は可愛らしいというか、相当にポップ。そのあり方には驚く。ベルベル語の文字キャラクターを知ったときにも驚いたが、今っぽくもあるアマジグ語の表記はもうすごい! この映画は4月初旬から公開される。
映画は、イスラム教の北アフリカの国であるモロッコのアトラス山脈の自然のある高地の村に暮らす家族を扱うドキュメンタリーだ。西欧環境で育ったタラ・ハディドがいかにして、まあ辺境と言えなくもない土地とつながりを得たかは示されていないが、彼女はのべ7年現地に足を運び、生活をともにしたそう。その事実は、対象者の自然な振る舞いにも表れているだろう。
山間部で質素な暮らし(水〜綺麗だ〜は近所にくみにいくようだが、住居はしっかりしていて、電気は通っているようでTVや冷蔵庫などもある)をするアマジグ族の10代のとても仲がいい姉妹とその家族に焦点を合わせる。ぼくは周辺のコミュニティ全体を撮影し、山間部アマジグ族の今の生活を語るのかと思っていたので、その設定は予想外だった。
冬(かなり気候は厳しいよう。冬は寒くて学校に行けない、という発言もあり)、春、夏のパートに分けて、一応時系列で映画は進む。対象家族の境遇や日々の所作、会話、周りの自然の様などがゆったりと組み合わされる。メインとなる妹は将来弁護士になることを夢み、19歳の姉は学校を辞めて隣村の男性(一切、映画には登場しない)との結婚が決まり、結婚したらモロッコ一番の大都市カサブランカに引っ越すことになっている。結婚には不安を持っているが決まりだから仕方がない、と姉は言う。父親はかつての統治国であるフランスに出稼ぎに出ていたことがあり、弟はお金をかせぐために将来はカサブランカに出て結婚もし、都会と村を行き来したいと言う。
見ていた当初はストーリーを持つ家族を見つけ、その信頼を受けて撮りためた日々の映像を自然につないでいる作品なのかと思った。だが、途中からかなり技ありで、映像や会話や自然の音をなどを周到に交錯させるスタイルを取っているなと思い始める。母親と父親がお互いのことを口ずさむ歌を交換し合う場面があり、それはとてもいいシーンであるとも思えたのだが、もしかしてそれは別々に撮影したものをうまく繋いだものなのではないか。ときに妹のモノローグが使われる場面もある。そうした技を意識すると、ここはマテリアルがいかように応用されているのかとかと考えてしまい、ぼくは少し落ち着かなくなった。
終盤の姉の結婚式(の前夜?)の祝祭シーンは、きらびやかに着飾った村の人たちが大勢集まり歌う様を撮っていて、なかなかに圧巻だ。一部は木製の笛のような音が入れられるが、基本挿入音楽はなしで、撮影中に拾ったものだけで音群は構成される。始まりと終わりは、バチで弾く3弦の民族楽器を弾くおじさんのシーンが使われる。
まだ古い習慣も残る家族の暮らしや話からモロッコの都市部と田舎の生活の乖離や、変わりつつある女性の境遇や意識などが、浮かび上がるとも言えるか。なら、姉が住むようになるカサブランカの都市部の姿も最後にちらりインサートしたほうが、山間部の人々の暮らしが鮮やかに浮き上がるのではないかとも感じた。しかし、これはハディド監督の3部作の1作目で、続くものにはカサブランカを扱ったりもするようだ。
▶︎過去の、スペイン領モロッコ
https://43142.diarynote.jp/200811062252544168/
▶過去の、︎モロッコのアトラス山脈で撮影された映画
https://43142.diarynote.jp/201503181120014174/
<今日の、言葉>
用いられる言葉は、もちろんアマジグ語。この映画の原題は「TIGMI N IGREN」とことだが、それはアマジグ語をアルファベット表記に移したものだろう。だって、エンドロールにはアマジグ語のクレジットが流されるのだが、それは全然異なる文字キャラクターが使われていたから。○△□のような造形をアトラクティヴに組み合わせたその表記は可愛らしいというか、相当にポップ。そのあり方には驚く。ベルベル語の文字キャラクターを知ったときにも驚いたが、今っぽくもあるアマジグ語の表記はもうすごい! この映画は4月初旬から公開される。
かつては、フランスにあまり好感を持てなかった。大学一般教養課程での第2外国語としてフランス語を選択した際に、こんな厄介な言語ってと辟易したことが同国に対する印象を悪くした。困難なものにぶち当たり、よおしと臨まないあたり、ぼくは言語取得力/好奇心が高くないのだろう。しかし、そのフランス語の授業のテキストに、米国人ホーソーンの古典「緋文字」のフランス語訳本を指定されたのには驚いた。そんなの読めるわけないじゃん。読めても、ワケ分んないよなあ。そんな本を選んだ講師〜修士号取得の際の題材だったりして〜はいったい何を考えていたのか。あと1980年代中期に知り合ったフランス人がヤなやつだったことも、フランスに対する興味を減じさせたか。って、ちいせえなあ、オレ。あと、たまに耳に入るフランス産ロックがいまいちというのも積極的な姿勢を取らせなかったか。同国への出張のお誘いも、ぼくにはなぜかこなかったしなあ。
そんなこんなでおフランスとは何気に距離を置く感じもあったぼくが、ワールド・ミュージックの興隆後、かの国に近しい感情を持つようになった。そして、決定的だったのは、2016年にパリとブールジュ行き。それをめちゃ楽しんだことで、ぼくのフランスに対する目線は変わった。ああ、また行きたいなあ。南仏にも行きたいなあ。そのまま、地中海のほうを回りたいなあ。
そんなわけで、フランス人有名写真家であるロベール・ドアノー(1912〜1994年)の展覧会は過去何度も東京で開かれているはずであるが、今回初めて足を向けた。切り口が音楽でありことも親しみやすいし、昨今外出が減っていることも、それを促した。渋谷・Bunkamuraザ・ミュージアム。平日昼下がり、何気に人は入っていた。
展示される写真の点数は多く、いくつかの章立てのもと、ドアノーが撮ったミュージシャン、楽器絡みの写真が並ぶ。終戦した1945年から1950年代にかけて撮影された写真が多く、パリ祭を撮った2葉以外はすべてモノクローム。雰囲気ありで、雄弁。我々がイメージするところのパリの感じがもわもわ。同地のキャヴァレー文化の一端も紹介される。終戦後、開放感のもとジャズを愛したパリがジャズ・アーティストを優しく受け入れ、来仏の米国人アーティストの写真も紹介されている。マイルス・デイヴィスと写真が紹介されているジュリエット・グレコの1949年以降の関係はそういう機運あってこそのものだったのだ。もちろん、ジャンゴ・ラインハルト(全面に広がる街頭広告の前を歩く彼のポートレイトは格好いい)やマヌーシュの写真、さらにはクラシック/オペラ座関連の写真もあり。マリア・カラスの写真もあり。1980年代の写真はほぼ、ヴァージン/EMI系列が送り出したレ・リタ・ミツコの2人を撮った1988年のものではなかったか。ぼくがをマヌ・カチェを取材したことがあったカフェ・ド・フロールの写真もあり。あと、彼のイラストもほんの少し展示されていたがそれが上手だった。
ミュージアムの隣にある、カフェ・ドゥ・マゴはミュージアムのチケットを提示すると割引になるのか。春を感じさせるこの日、テラス席でくつろいだ。Bunkamuraができて以来ずっとあるこのパリの著名カフェ流れの店を利用するのは、20年ぶりぐらいか。前来たときはワインをじゃんじゃん頼んだような記憶があるが、この日はデザート・セットなり。
▶︎過去の、フランス滞在
https://43142.diarynote.jp/201604190912403018/
https://43142.diarynote.jp/201604271334589018/
https://43142.diarynote.jp/201605090445226913/
https://43142.diarynote.jp/201605111551557114/
https://43142.diarynote.jp/201605111552577552/
▶︎過去の、オペラ座を扱う映画
https://43142.diarynote.jp/201710201214346567/
▶︎過去の、マイルスとグレコの関係に触れる映画
https://43142.diarynote.jp/202008062131405684/
▶︎過去の、ジャンゴラインハルトを題材に置く映画
https://43142.diarynote.jp/201709130923483891/
▶︎過去の、マリア・カラスを扱うドキュメンタリー映画
https://43142.diarynote.jp/201901101218074224/
日本で一番有名なドラマー(2006年1月21日、2018年4月6日)がお亡くなりになった。視床出血により、1ヶ月前から入院していたという。ライヴが減っているこの時期だと、状況に変化があっても分かりにくい。その訃報に接し、絶句している同業者やファンは多いだろう。ファンキーな環境に育ったものの、クラシックのパーカッションが最初のスタートであり、とってもキャラクターと技術/許容力に富んでいた人。情をたんまり持つ、傑物ですね。インタヴューをすると、ホラかマコトか分からぬようなスケールの大きな話が溢れ出て、面白いったらありゃしない。それって、古いバンド・マンの美点を如実に感じさせるものだった。約10年前に取材した際、もう酒もお姉ちゃんも卒業してドラムに献身する、やぱりライヴがいい、なんてことも言っていた。その後、ビルボードライブ東京のクリス・デイヴの公演で会ったこともあった。「ちゃんと新しい人も、チェックするんですね」、「評判いいみたいだから、来ちゃったよ」。楽しんでいる様子だった。
▶︎過去の、村上“ポンタ”秀一
https://43142.diarynote.jp/201804071041255956/
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
<先週の、届きモノ。スイスにも行きてえ>
スイスから、チューリッヒを拠点とするカリ・トリオ(Kali Trio)のセカンド作『LOOM』が送られてきた。ニック・ベルチェ(2006年10月26日、2008年4月27日、2012年12月23日、2015年10月14日)のレーベル、ローニン・リズムからの2作目の作品となる。ピアノ、ギター、ドラムという編成のトリオ。ギタリストが1984年生まれで、他の2人は5歳ほど若い。自由な楽器扱いのもと、詩情と反復性のある音響ジャズをひたひたかましてくれる様には、現代ユーロ・ポスト・ジャズのどまんなかにあるとぶち上げたくなるか。かなり、できは良い。推奨できるし、スイスのジャズ・ビヨンドのシーンの水準も実感できる。聞けば、スイスは中立国としてちょっと他のEU諸国とは異なるスタンスを取っており、けっこう緩〜いコロナ対処をしいて、他国よりは自由な市民生活が送ることができているとか。とはいえ、昨秋の感染拡大以降、コンサートは開かれない状況にあるという。四半世紀の歴史を誇る同地のmoodsというジャズ・クラブはオーディオ・メイカーと組んでストリーミング・ライヴを毎日しているよう。ありゃ、ググったら日本語のサイトも出てきた。→https://www.moods.digital/ja/
しかし、このおり海外からの郵便物や案内メールが届くのはうれしい。後者なんて、その時の気分でああうぜえとか思う場合もなくはないのだが、困難なこの時期に音楽活動したり、発信している人を認めるのはうれしくも、ホっとできる。って、そんなの、Facebook見れば死ぬほど受け取れるぢゃん。と、言われそう。3日に1度チラ見するぐらいで(ここのところは、ほぼ毎日一瞥するようにはなったか)、後はインタヴュー取材する前に該当アーティストのそれ(とホームページ)を閲覧するぐらいしかしなかったからな。基本、SNS弱者だなー。
▶過去の、ニック・ベルチェ
http://43142.diarynote.jp/200611020835110000/
http://43142.diarynote.jp/200805031359390000/
http://43142.diarynote.jp/201212240918419016/
https://43142.diarynote.jp/201510180830142014/
そんなこんなでおフランスとは何気に距離を置く感じもあったぼくが、ワールド・ミュージックの興隆後、かの国に近しい感情を持つようになった。そして、決定的だったのは、2016年にパリとブールジュ行き。それをめちゃ楽しんだことで、ぼくのフランスに対する目線は変わった。ああ、また行きたいなあ。南仏にも行きたいなあ。そのまま、地中海のほうを回りたいなあ。
そんなわけで、フランス人有名写真家であるロベール・ドアノー(1912〜1994年)の展覧会は過去何度も東京で開かれているはずであるが、今回初めて足を向けた。切り口が音楽でありことも親しみやすいし、昨今外出が減っていることも、それを促した。渋谷・Bunkamuraザ・ミュージアム。平日昼下がり、何気に人は入っていた。
展示される写真の点数は多く、いくつかの章立てのもと、ドアノーが撮ったミュージシャン、楽器絡みの写真が並ぶ。終戦した1945年から1950年代にかけて撮影された写真が多く、パリ祭を撮った2葉以外はすべてモノクローム。雰囲気ありで、雄弁。我々がイメージするところのパリの感じがもわもわ。同地のキャヴァレー文化の一端も紹介される。終戦後、開放感のもとジャズを愛したパリがジャズ・アーティストを優しく受け入れ、来仏の米国人アーティストの写真も紹介されている。マイルス・デイヴィスと写真が紹介されているジュリエット・グレコの1949年以降の関係はそういう機運あってこそのものだったのだ。もちろん、ジャンゴ・ラインハルト(全面に広がる街頭広告の前を歩く彼のポートレイトは格好いい)やマヌーシュの写真、さらにはクラシック/オペラ座関連の写真もあり。マリア・カラスの写真もあり。1980年代の写真はほぼ、ヴァージン/EMI系列が送り出したレ・リタ・ミツコの2人を撮った1988年のものではなかったか。ぼくがをマヌ・カチェを取材したことがあったカフェ・ド・フロールの写真もあり。あと、彼のイラストもほんの少し展示されていたがそれが上手だった。
ミュージアムの隣にある、カフェ・ドゥ・マゴはミュージアムのチケットを提示すると割引になるのか。春を感じさせるこの日、テラス席でくつろいだ。Bunkamuraができて以来ずっとあるこのパリの著名カフェ流れの店を利用するのは、20年ぶりぐらいか。前来たときはワインをじゃんじゃん頼んだような記憶があるが、この日はデザート・セットなり。
▶︎過去の、フランス滞在
https://43142.diarynote.jp/201604190912403018/
https://43142.diarynote.jp/201604271334589018/
https://43142.diarynote.jp/201605090445226913/
https://43142.diarynote.jp/201605111551557114/
https://43142.diarynote.jp/201605111552577552/
▶︎過去の、オペラ座を扱う映画
https://43142.diarynote.jp/201710201214346567/
▶︎過去の、マイルスとグレコの関係に触れる映画
https://43142.diarynote.jp/202008062131405684/
▶︎過去の、ジャンゴラインハルトを題材に置く映画
https://43142.diarynote.jp/201709130923483891/
▶︎過去の、マリア・カラスを扱うドキュメンタリー映画
https://43142.diarynote.jp/201901101218074224/
日本で一番有名なドラマー(2006年1月21日、2018年4月6日)がお亡くなりになった。視床出血により、1ヶ月前から入院していたという。ライヴが減っているこの時期だと、状況に変化があっても分かりにくい。その訃報に接し、絶句している同業者やファンは多いだろう。ファンキーな環境に育ったものの、クラシックのパーカッションが最初のスタートであり、とってもキャラクターと技術/許容力に富んでいた人。情をたんまり持つ、傑物ですね。インタヴューをすると、ホラかマコトか分からぬようなスケールの大きな話が溢れ出て、面白いったらありゃしない。それって、古いバンド・マンの美点を如実に感じさせるものだった。約10年前に取材した際、もう酒もお姉ちゃんも卒業してドラムに献身する、やぱりライヴがいい、なんてことも言っていた。その後、ビルボードライブ東京のクリス・デイヴの公演で会ったこともあった。「ちゃんと新しい人も、チェックするんですね」、「評判いいみたいだから、来ちゃったよ」。楽しんでいる様子だった。
▶︎過去の、村上“ポンタ”秀一
https://43142.diarynote.jp/201804071041255956/
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
<先週の、届きモノ。スイスにも行きてえ>
スイスから、チューリッヒを拠点とするカリ・トリオ(Kali Trio)のセカンド作『LOOM』が送られてきた。ニック・ベルチェ(2006年10月26日、2008年4月27日、2012年12月23日、2015年10月14日)のレーベル、ローニン・リズムからの2作目の作品となる。ピアノ、ギター、ドラムという編成のトリオ。ギタリストが1984年生まれで、他の2人は5歳ほど若い。自由な楽器扱いのもと、詩情と反復性のある音響ジャズをひたひたかましてくれる様には、現代ユーロ・ポスト・ジャズのどまんなかにあるとぶち上げたくなるか。かなり、できは良い。推奨できるし、スイスのジャズ・ビヨンドのシーンの水準も実感できる。聞けば、スイスは中立国としてちょっと他のEU諸国とは異なるスタンスを取っており、けっこう緩〜いコロナ対処をしいて、他国よりは自由な市民生活が送ることができているとか。とはいえ、昨秋の感染拡大以降、コンサートは開かれない状況にあるという。四半世紀の歴史を誇る同地のmoodsというジャズ・クラブはオーディオ・メイカーと組んでストリーミング・ライヴを毎日しているよう。ありゃ、ググったら日本語のサイトも出てきた。→https://www.moods.digital/ja/
しかし、このおり海外からの郵便物や案内メールが届くのはうれしい。後者なんて、その時の気分でああうぜえとか思う場合もなくはないのだが、困難なこの時期に音楽活動したり、発信している人を認めるのはうれしくも、ホっとできる。って、そんなの、Facebook見れば死ぬほど受け取れるぢゃん。と、言われそう。3日に1度チラ見するぐらいで(ここのところは、ほぼ毎日一瞥するようにはなったか)、後はインタヴュー取材する前に該当アーティストのそれ(とホームページ)を閲覧するぐらいしかしなかったからな。基本、SNS弱者だなー。
▶過去の、ニック・ベルチェ
http://43142.diarynote.jp/200611020835110000/
http://43142.diarynote.jp/200805031359390000/
http://43142.diarynote.jp/201212240918419016/
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R.I.P. サリー・グロスマン(1939年8月8日〜2021年3月12日)
2021年3月14日 音楽 ボブ・ディランのアルバム・カヴァーって、何気にいい感じのものが多い。壁に飾ってもいいような……。ぼくは寡聞にして知らないが、それらってけっこうディラン本人の意向も入っているのだろうか? また、なるほどとうなずかされるのは、当人の顔のアップ目の写真を置くカヴァーが結構あること。それは、ディランがハンサムなミュージシャンという世評を得ていたことの証左となるだろう。それとも、ナルシストなのか?
サリー・アン・グロスマン(旧姓 ビューラー)はディランの5作目『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』(コロムビア、1995年)のジャケット・カヴァーで赤いドレスを着て背後にいる女性だ。めちゃいい女に写っている彼女はディランのマネイジャーを務めていたアルバート・グロスマン(1926~1986年)の奥さんで、2人は1964年に結婚した。写真に入ろうと誘ったのはディランだと言われ、彼の最初の奥さんはサリー・グロスマンの友人であったという。彼女は夫が亡くなったあと、彼のべアズヴィル・レコードを引き継いだ。ザ・バンドの『ジェリコ』(ピラミッド、1993年。カヴァーは“ビッグ・ピンク”の絵だ)には、プロジェクト・サポートというクレジットで彼女の名前が入っている。同作には「ムーヴ・トゥ・ジャパン」という日本賛歌曲が収められていたが、それはロビー・ロバートソン抜きの彼らが1983、87年に来日したことが引き金になっているか。そして、面々は1994年にまた日本にやってきた。そして、その際にはリヴォン・ヘルムとリック・ダンコにインタヴューができた!
『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』(のA面)はエレクトリック・ギターを擁するバンド音がつけられた最初のアルバムとなる。とはいえ、それまでのディラン作で1番セールスが好調なアルバムで、英国ではチャート1位(米国は6位)に輝いた。
▶︎過去の、アルバート・グロスマンを模した役が出てくる映画
https://43142.diarynote.jp/201403271200427855/
<今日の、追記>
『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』のジャケット・カヴァーはいろいろと置かれたブツに目を向けさせるさせたアルバムだ。カントリー・ブルースの偉人であるロバート・ジョンソン、シタール奏者のラヴィ・シャンカル、ディランに強い影響を与えたブルース調フォークの担い手であるエリック・フォン・シュミット、コメディアンのロバート・バックリー、ケネディ政権を引き継いだ当時の大統領のリンドン・ジョンソン他のアイテムが置かれている。また、ディランはネコを抱いており、一部では猫ジャケとしても知れらるか。その猫の名前は、ローリング・ストーン。このジャケットは、グラミーのベスト・アルバム・カヴァー賞にノミネートされたという。
ところで、ディランはブルースからのインスピレーションをもろに得る自己流表現を初期から竹を割ったようにやっていた。前から不思議に思っていたのだが、ストーンズとか聞いていてブルースを聞くようになったという話はよく聞くものの、ディラン好きでブルースにハマったという話はあまり聞かない。それは、ぼくの認識不足? でもそうだとすると、どこか風の感覚を軽くまとうフォーキィー曲のほうを高く買うファンがディランには多かったということなのだろうか? それだと、ディランの後のザ・バンドの面々を従えてのエレクトリック化したライヴ・コンサートにファンは拒絶しまくったというのも了解できる。
▶︎過去の、ザ・バンドとなる面々を率いたディランのライヴのファンからの多大な拒否の様を伝える映画
https://43142.diarynote.jp/202010311315187907/
サリー・アン・グロスマン(旧姓 ビューラー)はディランの5作目『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』(コロムビア、1995年)のジャケット・カヴァーで赤いドレスを着て背後にいる女性だ。めちゃいい女に写っている彼女はディランのマネイジャーを務めていたアルバート・グロスマン(1926~1986年)の奥さんで、2人は1964年に結婚した。写真に入ろうと誘ったのはディランだと言われ、彼の最初の奥さんはサリー・グロスマンの友人であったという。彼女は夫が亡くなったあと、彼のべアズヴィル・レコードを引き継いだ。ザ・バンドの『ジェリコ』(ピラミッド、1993年。カヴァーは“ビッグ・ピンク”の絵だ)には、プロジェクト・サポートというクレジットで彼女の名前が入っている。同作には「ムーヴ・トゥ・ジャパン」という日本賛歌曲が収められていたが、それはロビー・ロバートソン抜きの彼らが1983、87年に来日したことが引き金になっているか。そして、面々は1994年にまた日本にやってきた。そして、その際にはリヴォン・ヘルムとリック・ダンコにインタヴューができた!
『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』(のA面)はエレクトリック・ギターを擁するバンド音がつけられた最初のアルバムとなる。とはいえ、それまでのディラン作で1番セールスが好調なアルバムで、英国ではチャート1位(米国は6位)に輝いた。
▶︎過去の、アルバート・グロスマンを模した役が出てくる映画
https://43142.diarynote.jp/201403271200427855/
<今日の、追記>
『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』のジャケット・カヴァーはいろいろと置かれたブツに目を向けさせるさせたアルバムだ。カントリー・ブルースの偉人であるロバート・ジョンソン、シタール奏者のラヴィ・シャンカル、ディランに強い影響を与えたブルース調フォークの担い手であるエリック・フォン・シュミット、コメディアンのロバート・バックリー、ケネディ政権を引き継いだ当時の大統領のリンドン・ジョンソン他のアイテムが置かれている。また、ディランはネコを抱いており、一部では猫ジャケとしても知れらるか。その猫の名前は、ローリング・ストーン。このジャケットは、グラミーのベスト・アルバム・カヴァー賞にノミネートされたという。
ところで、ディランはブルースからのインスピレーションをもろに得る自己流表現を初期から竹を割ったようにやっていた。前から不思議に思っていたのだが、ストーンズとか聞いていてブルースを聞くようになったという話はよく聞くものの、ディラン好きでブルースにハマったという話はあまり聞かない。それは、ぼくの認識不足? でもそうだとすると、どこか風の感覚を軽くまとうフォーキィー曲のほうを高く買うファンがディランには多かったということなのだろうか? それだと、ディランの後のザ・バンドの面々を従えてのエレクトリック化したライヴ・コンサートにファンは拒絶しまくったというのも了解できる。
▶︎過去の、ザ・バンドとなる面々を率いたディランのライヴのファンからの多大な拒否の様を伝える映画
https://43142.diarynote.jp/202010311315187907/
ロジェ・トリゴウ(?〜2021年3月10日)
2021年3月12日 音楽 ベルギーのプログ・ロック/アヴァン・ロックのグループであるプレザンのギタリスト/リーダーだったロジェ・トリゴウが、ブリュッセルでお亡くなりになった。長い間、闘病していたそうだ。
プログ・ロックは基本苦手だ。ロックを聞きだしたころはかなり好きだった。けっこう、アルバムも買った。だが、高校生になりリトル・フィートやザ・バンドの存在を知ると、急に興味がしぼんだ。そんなわけなので、ベルギーのプレザンというグループも知らなかった。だが、1980年代中期に友達の家に行って聞かされたのが、プレザンだったのだ。ヘンリー・カウ一派はプログ・ロック外として例外的に追っていたが、その前身であるユニヴェル・ゼロはヘンリー・カウとも繋がっていると教えられた。また、ブリュッセルに本社を置くクレプスキュール・レーべルに当時興味を持っていたことも、彼らを聞いてみようかという気になったのだと思う。キング・クリムゾンを好きな人がやっているバンドなのかと、まず思った。
ぜんぜん彼らのことを聞いていないながら、個人的にそのアルバムでとっても印象に残っているのが、『C.O.D. Performance』(Lowlands,1993年)。件の友達が絶対気にいると思うとカセット・テープにダビングしたものを送ってきた。3曲入り、どうやら彼と息子のレジナルドの2人で作った作品のようで、いろんなギター流儀が投げ出されている。歌が入ったオープナーはなぜかザッパを思い出させるところもあったか。残りの2曲「アローン1」と「アローン2」はシンプルなアクセント音の上でギター音が投げ出されどんどん表情を変えていくインストゥメンタルなのだが、とくに「アローン1」は淡々とした爪引きから始まるのに、いつのまにかエディ・ヘイゼル/ファンカデリックの「マゴット・ブレイン」に突っ込んでいき〜ようはヘンドリックス暗黒に突入し〜、深く頷いた。しばらくして、これを勧めてくれた知人は病気で亡くなってしまった。
<今期も、ダメだった>
ぼくは鼻の粘膜が弱い。冬場の乾燥期になると、あれる。過去に同様の番外原稿で、こんなことを書いているよなあ→https://43142.diarynote.jp/201909260737052277/ 、だが、この冬は鼻の粘膜が平気だった。立派な加湿器を買ったこと、そしてあまり外出していないことが利に働いたと考えていた。だが、3月に入る頃から、やはりただれてきた。まず左、そして右も。残念!
プログ・ロックは基本苦手だ。ロックを聞きだしたころはかなり好きだった。けっこう、アルバムも買った。だが、高校生になりリトル・フィートやザ・バンドの存在を知ると、急に興味がしぼんだ。そんなわけなので、ベルギーのプレザンというグループも知らなかった。だが、1980年代中期に友達の家に行って聞かされたのが、プレザンだったのだ。ヘンリー・カウ一派はプログ・ロック外として例外的に追っていたが、その前身であるユニヴェル・ゼロはヘンリー・カウとも繋がっていると教えられた。また、ブリュッセルに本社を置くクレプスキュール・レーべルに当時興味を持っていたことも、彼らを聞いてみようかという気になったのだと思う。キング・クリムゾンを好きな人がやっているバンドなのかと、まず思った。
ぜんぜん彼らのことを聞いていないながら、個人的にそのアルバムでとっても印象に残っているのが、『C.O.D. Performance』(Lowlands,1993年)。件の友達が絶対気にいると思うとカセット・テープにダビングしたものを送ってきた。3曲入り、どうやら彼と息子のレジナルドの2人で作った作品のようで、いろんなギター流儀が投げ出されている。歌が入ったオープナーはなぜかザッパを思い出させるところもあったか。残りの2曲「アローン1」と「アローン2」はシンプルなアクセント音の上でギター音が投げ出されどんどん表情を変えていくインストゥメンタルなのだが、とくに「アローン1」は淡々とした爪引きから始まるのに、いつのまにかエディ・ヘイゼル/ファンカデリックの「マゴット・ブレイン」に突っ込んでいき〜ようはヘンドリックス暗黒に突入し〜、深く頷いた。しばらくして、これを勧めてくれた知人は病気で亡くなってしまった。
<今期も、ダメだった>
ぼくは鼻の粘膜が弱い。冬場の乾燥期になると、あれる。過去に同様の番外原稿で、こんなことを書いているよなあ→https://43142.diarynote.jp/201909260737052277/ 、だが、この冬は鼻の粘膜が平気だった。立派な加湿器を買ったこと、そしてあまり外出していないことが利に働いたと考えていた。だが、3月に入る頃から、やはりただれてきた。まず左、そして右も。残念!
<Hop Skip & Go!> 軽快快活、ワクワクする曲の巻。
1.Little Susie / Ray Bryant 『Little Susie』(Columbia,1960年)
2.I Want You / Horace Silver 『The Hardbop Grandpop』(Impulse!,1996)
3.Breezin’ / George Benson 『Breezin’』(Warner Bros.,1976)
4.Sarara / Flora Purim 『Carry On』(Warner Bros.,1979 )
5.The Golden Striker / The Modern Jazz Quartet『Plays One Never Knows (Original Film Score For “No Sun In Venice”)』(Atlantic,1958)
6.Memphis Underground / Herbie Mann『Memphis Underground』(Atlantic,1969)
7.Bibbidi-Bobbidi-boo(French Ver.) Stacy Kent『Jazz Loves Disney』(Verve,2016)
8.Cannonball / Soulive 『Doin’ Something』(Blue Note,2001)
9.Near The Clouds / 纐纈歩美『Rainbow Yales』(ポニーキャニオン,2012)
10.Rachd / Michel Petrucciani 『Playground』(Blue Note,1991)
1.Little Susie / Ray Bryant 『Little Susie』(Columbia,1960年)
2.I Want You / Horace Silver 『The Hardbop Grandpop』(Impulse!,1996)
3.Breezin’ / George Benson 『Breezin’』(Warner Bros.,1976)
4.Sarara / Flora Purim 『Carry On』(Warner Bros.,1979 )
5.The Golden Striker / The Modern Jazz Quartet『Plays One Never Knows (Original Film Score For “No Sun In Venice”)』(Atlantic,1958)
6.Memphis Underground / Herbie Mann『Memphis Underground』(Atlantic,1969)
7.Bibbidi-Bobbidi-boo(French Ver.) Stacy Kent『Jazz Loves Disney』(Verve,2016)
8.Cannonball / Soulive 『Doin’ Something』(Blue Note,2001)
9.Near The Clouds / 纐纈歩美『Rainbow Yales』(ポニーキャニオン,2012)
10.Rachd / Michel Petrucciani 『Playground』(Blue Note,1991)
映画「SNS-少女たちの10日間-」
2021年3月5日 音楽 本国では大きな反響を呼び、大ヒットしたというチェコ2020年映画「SNS-少女たちの10日間-(原題:Vsíti。英題:Caught in the Net)」を京橋テアトル試写室で見る。試写の回数が少ないためもあってか、けっこう混んでいた。4月23 日から、ロードショー公開される。
少女に見える3人の18歳超え女性を12歳と偽らせ、写真付きSNSアカウントを作成。それを見た年上の男性たちが群がり、彼女たちにネットで性的に非道する様を、何気に大掛かり(大きなスタジオに、3人の私物も持ってきてのリアルな子供部屋をそれぞれに作ってしまっている。その立派な部屋を見ると、チェコの住宅環境っていいんだなと思ってしまう。そのスタジオにはたくさんの人がいて、カウンセラーらもその場に随時待機させていたようだ)に、けっこうテンポよく追う。10日間で2500人弱の男性がスケベ心のもと連絡を取ってきて、その選抜者とは実際にカフェで会う様を収めてもいる。
ヴィート・クルサークとバーラ・ハルポヴァーという、たぶん30代の男女のチェコ人が監督をしていて、言葉はもちろんチェコ語だ。ヤな事実を客観的に並べるなか、ユーモアが出てくる場面もちょいあり。音楽はシンセサイザー系のものが適材適所で入り、それなりに効果的。チェコ人クリエイターが作っているのだろう。ぼくはポーランドやドイツと隣接するチェコのポップ・ミュージックに一切接していないことに気づいた(たぶん)。
冒頭は普通の西側の都市のように映るチェコ(プラハ?)の街角で携帯をいじる子供や少女たちの姿。こんなドキュメンタリー映画が作られるきっかけは、企画者としてのクレジットも出す男性監督の知人の娘が携帯で男性とやりとりをして裸の写真を送っていた〜娘の友達はみんなやっていて、自分もやらないといじめの対象になってしまう〜という事実に多大な危惧を覚えたからのよう。このフィルムをきっかけに警察が動きもしたようだ。また、画面で狼藉する男性の顔(や股間)には軽いぼかしが入るものの特定は可能で、この映画を訴えた男性も1人いたらしい。
少し悪趣味なところを感じなくもないが、それゆえに話題を呼ぶのも分かる。ぼくがこれを見て思ったのは、少女ではなく美少年による同様のものをやったとしたら……と、いうこと。おばさんだけでなく、そちらにも一部のおじさんたちは反応するのだろうか?
<今日の、うひゃあ>
家を出て、最初にすれ違った人から少し怪訝な反応を感じる。ん? ありゃ。マスクをするのを忘れてた。すぐに近所の薬局で購買したが、まさかという感じ。実は、知人から同様のミスを聞き、オレはそれはねえなあなぞと言っていた。ここのところ、注意心が緩くなってきているのだろうか?
少女に見える3人の18歳超え女性を12歳と偽らせ、写真付きSNSアカウントを作成。それを見た年上の男性たちが群がり、彼女たちにネットで性的に非道する様を、何気に大掛かり(大きなスタジオに、3人の私物も持ってきてのリアルな子供部屋をそれぞれに作ってしまっている。その立派な部屋を見ると、チェコの住宅環境っていいんだなと思ってしまう。そのスタジオにはたくさんの人がいて、カウンセラーらもその場に随時待機させていたようだ)に、けっこうテンポよく追う。10日間で2500人弱の男性がスケベ心のもと連絡を取ってきて、その選抜者とは実際にカフェで会う様を収めてもいる。
ヴィート・クルサークとバーラ・ハルポヴァーという、たぶん30代の男女のチェコ人が監督をしていて、言葉はもちろんチェコ語だ。ヤな事実を客観的に並べるなか、ユーモアが出てくる場面もちょいあり。音楽はシンセサイザー系のものが適材適所で入り、それなりに効果的。チェコ人クリエイターが作っているのだろう。ぼくはポーランドやドイツと隣接するチェコのポップ・ミュージックに一切接していないことに気づいた(たぶん)。
冒頭は普通の西側の都市のように映るチェコ(プラハ?)の街角で携帯をいじる子供や少女たちの姿。こんなドキュメンタリー映画が作られるきっかけは、企画者としてのクレジットも出す男性監督の知人の娘が携帯で男性とやりとりをして裸の写真を送っていた〜娘の友達はみんなやっていて、自分もやらないといじめの対象になってしまう〜という事実に多大な危惧を覚えたからのよう。このフィルムをきっかけに警察が動きもしたようだ。また、画面で狼藉する男性の顔(や股間)には軽いぼかしが入るものの特定は可能で、この映画を訴えた男性も1人いたらしい。
少し悪趣味なところを感じなくもないが、それゆえに話題を呼ぶのも分かる。ぼくがこれを見て思ったのは、少女ではなく美少年による同様のものをやったとしたら……と、いうこと。おばさんだけでなく、そちらにも一部のおじさんたちは反応するのだろうか?
<今日の、うひゃあ>
家を出て、最初にすれ違った人から少し怪訝な反応を感じる。ん? ありゃ。マスクをするのを忘れてた。すぐに近所の薬局で購買したが、まさかという感じ。実は、知人から同様のミスを聞き、オレはそれはねえなあなぞと言っていた。ここのところ、注意心が緩くなってきているのだろうか?
1980年代前半に、アート・ブレイキー(1919年10月11日〜1990年10月16日)&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのセカンド・ドラマーも務めたこともあったドラム名手がマサチューセッツ州ノースダートマスで、6年前から患っていた癌の合併症で亡くなった。ニュージャージー州のドラム家系に生まれ、3歳からパーカッションを叩くとともにトランペットも吹き、高校時代はファンク・バンドで演奏、大学もトランペット専攻で入ったという。
ブルーノートが若手を集めたアウト・オブ・ブルーで1985年にアルバム・デビュー、今様な4ビートの皮切りとなる人物と言えるかもしれない。1988年からは日本主導のサムシング・エルス(米国ではブルーノートから出された)から順次リーダー作を出すとともに、エヴィデンス.シロッコ・ジャズ、クリス・クロス、自己レーベルのオニクスなどから25枚ほどのリーダー作をリリース。また、デイヴィッド・マレイ(2003年8月9日、2004年6月6 日、2012年9月28日、2013年7月22日)、トム・ハレル((2015年6月23日)、ユリ・ケイン、チャールズ・ロイド(2005年5月11日、2008年4月6日、2013年1月6日、2017年1月12日、2017年1月13日、2019年9月2日、2019年9月3日)ら敏感なジャズ・アーティストからも起用された。なお、テコンドーのマスターで、バークリー音大で教えていた彼はボストンにその道場を持っていたという話もある。
▶過去の、デイヴィッド・マレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm(ハンラハンズ・コンジュア)
http://43142.diarynote.jp/200406062249580000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120928
http://43142.diarynote.jp/201307230845338219/
▶︎過去の、チャールス・ロイド
http://43142.diarynote.jp/200505141717440000/
http://43142.diarynote.jp/200804081928430000/
http://43142.diarynote.jp/201301151731112021/
http://43142.diarynote.jp/201701131141476377/
https://43142.diarynote.jp/201701141241544133/
https://43142.diarynote.jp/201909031830055314/
https://43142.diarynote.jp/201909071014576603/
▶︎過去の、トム・ハレル
http://43142.diarynote.jp/201506251047401015/
ザ・ウェイラーズのリーダーでもあった、大レゲエ・マンがジャマイカでお亡くなりになった。本名、ネヴィル・オライリー・リヴィングストン。ボブ・マーリーとはは幼少期からの付き合いで、彼の父親とマーリーの母親のもとに妹が生まれたりもし、2人はまさに義兄弟であり、ある時期までは最良の音楽仲間だった。世界的天下を取ろうとしていた1973年にウェイラーはザ・ウェイラーズを脱退し、ソロ・アーティストとして活動し出す。自らのレーベルであるソロモニクを設立。初期のアルバムはアイランドから出されたが、数多くのアルバム数を誇るその多くは同レーベルからリリースされた。何気にダンスホールではなくスクラッチ音を入れてのヒップホップとの親和性が高い曲をときに出すなどもし、例えば「Almighty Is A Rappa」とか「Teeni Wappaz」(ともに、2010作『Communication』に収録)などのラップ曲にぼくは惹かれたりもした。2018年(このとき、言語障害が残った)と2020年に彼は脳卒中で倒れ、入院中のアンドリュース記念病院で亡くなった。
▶︎過去の、バーニー・ウェイラーズが出てくる映画
https://43142.diarynote.jp/200806180854420000/
<今日の、無常じゃない>
鍵盤奏者のキャメロン・グレイヴス(2015年9月30日、2020年1月5日、2020年2月15日)の新作『Seven』(Artistry/Mack Avenue)を聞いて笑った。録音は2018年2月から2019年2月にかけてなされ、33分弱で11曲収録。わー。こんなに収録時間が短いアルバムは久しぶり。しかも、インストゥメンタルのアルバムだからなー。蛇足だけど、スタイリストとメイクアップとヘア担当者と衣服提供者の名前もジャケには堂々クレジット。録音参加者は昨年2月の来日公演とまったく同じで、プラスしてカマシ・ワシントン(2014年5月28日、2015年10月31日、2016年12月6日、2018年8月19日、2019年9月2日)が2曲に参加。その聞き味は、本人はメタル・ジャズと称しているようだが、来日公演のときと同じだ。あーしかし、昨年彼が来日したころには新型コロナ・ウィルスに怯えてコンサートに行っていたわけで、それがもう1年以上たつんだなー。かなしいなー。
▶︎過去の、キャメロン・グレイヴス
https://43142.diarynote.jp/201510021221454336/
https://43142.diarynote.jp/202001060957069830/
https://43142.diarynote.jp/202002161253276164/
▶︎過去の、カマシ・ワシントン
http://43142.diarynote.jp/?day=20140528
http://43142.diarynote.jp/201511040742444324/
http://43142.diarynote.jp/201612091513593556/
https://43142.diarynote.jp/201808211635045064/
https://43142.diarynote.jp/201909031830055314/
ブルーノートが若手を集めたアウト・オブ・ブルーで1985年にアルバム・デビュー、今様な4ビートの皮切りとなる人物と言えるかもしれない。1988年からは日本主導のサムシング・エルス(米国ではブルーノートから出された)から順次リーダー作を出すとともに、エヴィデンス.シロッコ・ジャズ、クリス・クロス、自己レーベルのオニクスなどから25枚ほどのリーダー作をリリース。また、デイヴィッド・マレイ(2003年8月9日、2004年6月6 日、2012年9月28日、2013年7月22日)、トム・ハレル((2015年6月23日)、ユリ・ケイン、チャールズ・ロイド(2005年5月11日、2008年4月6日、2013年1月6日、2017年1月12日、2017年1月13日、2019年9月2日、2019年9月3日)ら敏感なジャズ・アーティストからも起用された。なお、テコンドーのマスターで、バークリー音大で教えていた彼はボストンにその道場を持っていたという話もある。
▶過去の、デイヴィッド・マレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm(ハンラハンズ・コンジュア)
http://43142.diarynote.jp/200406062249580000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120928
http://43142.diarynote.jp/201307230845338219/
▶︎過去の、チャールス・ロイド
http://43142.diarynote.jp/200505141717440000/
http://43142.diarynote.jp/200804081928430000/
http://43142.diarynote.jp/201301151731112021/
http://43142.diarynote.jp/201701131141476377/
https://43142.diarynote.jp/201701141241544133/
https://43142.diarynote.jp/201909031830055314/
https://43142.diarynote.jp/201909071014576603/
▶︎過去の、トム・ハレル
http://43142.diarynote.jp/201506251047401015/
ザ・ウェイラーズのリーダーでもあった、大レゲエ・マンがジャマイカでお亡くなりになった。本名、ネヴィル・オライリー・リヴィングストン。ボブ・マーリーとはは幼少期からの付き合いで、彼の父親とマーリーの母親のもとに妹が生まれたりもし、2人はまさに義兄弟であり、ある時期までは最良の音楽仲間だった。世界的天下を取ろうとしていた1973年にウェイラーはザ・ウェイラーズを脱退し、ソロ・アーティストとして活動し出す。自らのレーベルであるソロモニクを設立。初期のアルバムはアイランドから出されたが、数多くのアルバム数を誇るその多くは同レーベルからリリースされた。何気にダンスホールではなくスクラッチ音を入れてのヒップホップとの親和性が高い曲をときに出すなどもし、例えば「Almighty Is A Rappa」とか「Teeni Wappaz」(ともに、2010作『Communication』に収録)などのラップ曲にぼくは惹かれたりもした。2018年(このとき、言語障害が残った)と2020年に彼は脳卒中で倒れ、入院中のアンドリュース記念病院で亡くなった。
▶︎過去の、バーニー・ウェイラーズが出てくる映画
https://43142.diarynote.jp/200806180854420000/
<今日の、無常じゃない>
鍵盤奏者のキャメロン・グレイヴス(2015年9月30日、2020年1月5日、2020年2月15日)の新作『Seven』(Artistry/Mack Avenue)を聞いて笑った。録音は2018年2月から2019年2月にかけてなされ、33分弱で11曲収録。わー。こんなに収録時間が短いアルバムは久しぶり。しかも、インストゥメンタルのアルバムだからなー。蛇足だけど、スタイリストとメイクアップとヘア担当者と衣服提供者の名前もジャケには堂々クレジット。録音参加者は昨年2月の来日公演とまったく同じで、プラスしてカマシ・ワシントン(2014年5月28日、2015年10月31日、2016年12月6日、2018年8月19日、2019年9月2日)が2曲に参加。その聞き味は、本人はメタル・ジャズと称しているようだが、来日公演のときと同じだ。あーしかし、昨年彼が来日したころには新型コロナ・ウィルスに怯えてコンサートに行っていたわけで、それがもう1年以上たつんだなー。かなしいなー。
▶︎過去の、キャメロン・グレイヴス
https://43142.diarynote.jp/201510021221454336/
https://43142.diarynote.jp/202001060957069830/
https://43142.diarynote.jp/202002161253276164/
▶︎過去の、カマシ・ワシントン
http://43142.diarynote.jp/?day=20140528
http://43142.diarynote.jp/201511040742444324/
http://43142.diarynote.jp/201612091513593556/
https://43142.diarynote.jp/201808211635045064/
https://43142.diarynote.jp/201909031830055314/
ギタリストの平井庸一の新作『THE HORNET』(フル・ハウス)リリースをフォロウするライヴを、新宿・ピットインで見る。
平井に加え、ヴォーカルの花咲政之輔、アルト・サックスの山田 光(2014年7月22日)、コントラバスの土村和史(チェロに近い音を出すという、5度チューニングを施す)とカイドーユタカ(2014年7月22日、2020年2月1日)、ドラムの井谷享志(2017年1月9日、2018年1月8日、2019年1月13日、2020年1月13日)というレコーディング参加の面々に加え、曲によってはキーボードやピアノの木村秀子が加わる。
『THE HORNET』のタイトル・トラックはオーネット・コールマンへの思慕を著した曲のようだが、そのオープナーの「ブリッジ・オン・ザ・ワールプール」はよりコールマン性が高いというか、少しハーモロディックが入っているかもと思わせる曲。そのコールマンは2ギター/2ドラムという編成でやっていたが、平井はだいぶ前から2コントラバスという形でやっているのは興味深い。どういう発想でそれに至ったかは知らないが、2人のコントラバス奏者はなるほどな感じで絡み、ときにはどちらかがアルコ弾きをする。
変拍子やポリリズムの感覚ありの、レイヤーの感覚にも留意したところもある、辛口でクールな現代ジャズを送り出す。素材は、すべて平井のオリジナル。その演奏や楽曲に触れると、彼は本当に古今東西のジャズに触れ、きっちりと自分の中で系統立てて消化し、自らの構築物として出しているのだなという所感を得る。面白いのはMCで、テリエ・リプダル、ティム・バーン(2000年8月6日)が作りそうな曲、ネルス・クライン(2010年1月9日、2010年4月23日、2013年4月13日、2014年8月14日、2015年6月2日、2017年5月13日)とヴィジェイ・アイヤー(2014年6月17日、2014年6月19日、2014年6月20日、2019年5月27日)が一緒にやったら思えるような曲とか、その曲の背景にあるものを隠すことなく説明していたこと。へえ〜、ここまで正直な人は珍しいかもしれない。やっぱり、ギター奏者としてはリプダルが一番好きなのかな? ECMからトップ級に厚遇されたギタリストであるリプダルはいろいろな形態のアルバムを作っているが、彼もまだまだ作品としては出していない表情もあるのだろう。
新曲と言ってやった曲は、キング・クリムゾンの「太陽と戦慄」をどこか想起させる。そういえば、サックス奏者やヴァイオリン奏者もいるUK新進7人組のブラック・カントリー・ニュー・ロードのデビュー作『フォー・ザ・ファースト・タイム』(ニンジャ・チューン)にも「太陽と戦慄」を思い出させる曲が入っていたな。ジャズやエスノ要素も持ち演奏部にも多大な力を注ぐ(パンク・ジャズ風のぶっこわれギターも入っている)彼らの同作はこのまま行けば、今年のロック・アルバムのベスト15ぐらいには入るかもしれない。
真摯なようで不埒というか、サバけていると思わせるのは、多くの曲のテーマ部に歌詞なしのヴォーカルを入れて、異化作用を得んとしているところ。花咲政之輔は野太い声を介し複雑なテーマを確かな音程で楽器的にかますとともに、エンディング部では自在に声をとばせていて感心。その存在は生真面目なジャズという印象を払拭し、ある種の諧謔や風穴を与えている。平井は当然として、花咲や山田光は自分の声や音にエフェクトをかける場合もあり、井谷も横に鍵盤を置いていて効果音的な音を入れる場面もあった。2ベース編成となるとドラマーはそれに対峙せんと力強く叩きそうなところ、井谷はけっこうパーカッション的な叩き方も繰り出す。そういう一筋縄でいかないところもマル。
まっすぐに自分のジャズを作り出そうとしている人間がいる。当たり前のことだが、その思いをおおいに得た。
▶︎過去の、山田光
https://43142.diarynote.jp/201407231341189225/
▶︎過去の、カイドーユタカ
https://43142.diarynote.jp/201407231341189225/
https://43142.diarynote.jp/202002020954394276/
▶︎過去の、井谷享志
http://43142.diarynote.jp/201701101136544400/
https://43142.diarynote.jp/201801100512178732/
https://43142.diarynote.jp/201901141236416025/
https://43142.diarynote.jp/202001141031439634/
▶︎過去の、ティム・バーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm
▶過去の、ネルス・クライン
http://43142.diarynote.jp/?day=20100109 田村/藤井郷子ファースト・ミーティング
http://43142.diarynote.jp/201004250658039897/ ウィルコ
http://43142.diarynote.jp/201304150854159566/ ウィルコ
http://43142.diarynote.jp/201408161131356136/ チボ・マット
http://43142.diarynote.jp/201506070750376864/ ネルス・クライン・シンガーズ
https://43142.diarynote.jp/201705140938439184/ スコット・アメンドラ
▶過去の、ヴィジェイ・アイヤー
http://43142.diarynote.jp/201406180853065508/
http://43142.diarynote.jp/201406201008164250/
http://43142.diarynote.jp/201406210910441716/
https://43142.diarynote.jp/201905290941114147/
<今日の、うれしい付録>
現在、ここの夜の部は18時の開演。そして、19時50分には終わるという触れ込みであったが、一部終了がすでに19時を回る。どうなるかと思ったら、1曲を端折り、ちゃんと50分ちょい前に終わった(笑い)。ハコの外に出ると、花咲政之輔たちが振る舞い酒をしている。こういう時期だからこその所作だろうが、喜んでいただく。こういうことをする連中が悪いわけはない。平井は花咲が率いる太陽肛門スパパーンのメンバーでもある。ぼくのなかで太陽肛門スパパーンはジャズも含む広義の洋楽要素を踏まえた上で赤裸々な人間性表出につながるお下劣な歌謡曲性を押し出す集団というイメージを持っていた〜どこかで、面影ラッキーホール(2009年1月25日)と重なる印象もあったか〜がちゃんと聞かなきゃと思う。彼らは近く4作目となる「円谷幸吉と人間」(太陽肛門工房/レフトサイド)が出るようだ。
▶︎過去の、面影ラッキーホール
https://43142.diarynote.jp/200901270025408952/
追記;木村秀子は、ギターのファビオ・ボッタッツォ 、ベース(縦主体)の土村和史、ドラムの嘉本信一郎と#11というカルテットを組み、『Sharp Eleven』(SE)というアルバムを出していて、そちらではピアノを弾いている。楽曲をメンバーがそれぞれ出し合っていて、ポスト・バップ調、ジャズ・ロック調、ドラムンベースやクラーヴェのリズムを用いたものまでいろんな曲が認められる。そこには、ジャズという普遍的な回路をいかに時代や環境に合わせて伸長させるかという試みが横たわっている。
平井に加え、ヴォーカルの花咲政之輔、アルト・サックスの山田 光(2014年7月22日)、コントラバスの土村和史(チェロに近い音を出すという、5度チューニングを施す)とカイドーユタカ(2014年7月22日、2020年2月1日)、ドラムの井谷享志(2017年1月9日、2018年1月8日、2019年1月13日、2020年1月13日)というレコーディング参加の面々に加え、曲によってはキーボードやピアノの木村秀子が加わる。
『THE HORNET』のタイトル・トラックはオーネット・コールマンへの思慕を著した曲のようだが、そのオープナーの「ブリッジ・オン・ザ・ワールプール」はよりコールマン性が高いというか、少しハーモロディックが入っているかもと思わせる曲。そのコールマンは2ギター/2ドラムという編成でやっていたが、平井はだいぶ前から2コントラバスという形でやっているのは興味深い。どういう発想でそれに至ったかは知らないが、2人のコントラバス奏者はなるほどな感じで絡み、ときにはどちらかがアルコ弾きをする。
変拍子やポリリズムの感覚ありの、レイヤーの感覚にも留意したところもある、辛口でクールな現代ジャズを送り出す。素材は、すべて平井のオリジナル。その演奏や楽曲に触れると、彼は本当に古今東西のジャズに触れ、きっちりと自分の中で系統立てて消化し、自らの構築物として出しているのだなという所感を得る。面白いのはMCで、テリエ・リプダル、ティム・バーン(2000年8月6日)が作りそうな曲、ネルス・クライン(2010年1月9日、2010年4月23日、2013年4月13日、2014年8月14日、2015年6月2日、2017年5月13日)とヴィジェイ・アイヤー(2014年6月17日、2014年6月19日、2014年6月20日、2019年5月27日)が一緒にやったら思えるような曲とか、その曲の背景にあるものを隠すことなく説明していたこと。へえ〜、ここまで正直な人は珍しいかもしれない。やっぱり、ギター奏者としてはリプダルが一番好きなのかな? ECMからトップ級に厚遇されたギタリストであるリプダルはいろいろな形態のアルバムを作っているが、彼もまだまだ作品としては出していない表情もあるのだろう。
新曲と言ってやった曲は、キング・クリムゾンの「太陽と戦慄」をどこか想起させる。そういえば、サックス奏者やヴァイオリン奏者もいるUK新進7人組のブラック・カントリー・ニュー・ロードのデビュー作『フォー・ザ・ファースト・タイム』(ニンジャ・チューン)にも「太陽と戦慄」を思い出させる曲が入っていたな。ジャズやエスノ要素も持ち演奏部にも多大な力を注ぐ(パンク・ジャズ風のぶっこわれギターも入っている)彼らの同作はこのまま行けば、今年のロック・アルバムのベスト15ぐらいには入るかもしれない。
真摯なようで不埒というか、サバけていると思わせるのは、多くの曲のテーマ部に歌詞なしのヴォーカルを入れて、異化作用を得んとしているところ。花咲政之輔は野太い声を介し複雑なテーマを確かな音程で楽器的にかますとともに、エンディング部では自在に声をとばせていて感心。その存在は生真面目なジャズという印象を払拭し、ある種の諧謔や風穴を与えている。平井は当然として、花咲や山田光は自分の声や音にエフェクトをかける場合もあり、井谷も横に鍵盤を置いていて効果音的な音を入れる場面もあった。2ベース編成となるとドラマーはそれに対峙せんと力強く叩きそうなところ、井谷はけっこうパーカッション的な叩き方も繰り出す。そういう一筋縄でいかないところもマル。
まっすぐに自分のジャズを作り出そうとしている人間がいる。当たり前のことだが、その思いをおおいに得た。
▶︎過去の、山田光
https://43142.diarynote.jp/201407231341189225/
▶︎過去の、カイドーユタカ
https://43142.diarynote.jp/201407231341189225/
https://43142.diarynote.jp/202002020954394276/
▶︎過去の、井谷享志
http://43142.diarynote.jp/201701101136544400/
https://43142.diarynote.jp/201801100512178732/
https://43142.diarynote.jp/201901141236416025/
https://43142.diarynote.jp/202001141031439634/
▶︎過去の、ティム・バーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm
▶過去の、ネルス・クライン
http://43142.diarynote.jp/?day=20100109 田村/藤井郷子ファースト・ミーティング
http://43142.diarynote.jp/201004250658039897/ ウィルコ
http://43142.diarynote.jp/201304150854159566/ ウィルコ
http://43142.diarynote.jp/201408161131356136/ チボ・マット
http://43142.diarynote.jp/201506070750376864/ ネルス・クライン・シンガーズ
https://43142.diarynote.jp/201705140938439184/ スコット・アメンドラ
▶過去の、ヴィジェイ・アイヤー
http://43142.diarynote.jp/201406180853065508/
http://43142.diarynote.jp/201406201008164250/
http://43142.diarynote.jp/201406210910441716/
https://43142.diarynote.jp/201905290941114147/
<今日の、うれしい付録>
現在、ここの夜の部は18時の開演。そして、19時50分には終わるという触れ込みであったが、一部終了がすでに19時を回る。どうなるかと思ったら、1曲を端折り、ちゃんと50分ちょい前に終わった(笑い)。ハコの外に出ると、花咲政之輔たちが振る舞い酒をしている。こういう時期だからこその所作だろうが、喜んでいただく。こういうことをする連中が悪いわけはない。平井は花咲が率いる太陽肛門スパパーンのメンバーでもある。ぼくのなかで太陽肛門スパパーンはジャズも含む広義の洋楽要素を踏まえた上で赤裸々な人間性表出につながるお下劣な歌謡曲性を押し出す集団というイメージを持っていた〜どこかで、面影ラッキーホール(2009年1月25日)と重なる印象もあったか〜がちゃんと聞かなきゃと思う。彼らは近く4作目となる「円谷幸吉と人間」(太陽肛門工房/レフトサイド)が出るようだ。
▶︎過去の、面影ラッキーホール
https://43142.diarynote.jp/200901270025408952/
追記;木村秀子は、ギターのファビオ・ボッタッツォ 、ベース(縦主体)の土村和史、ドラムの嘉本信一郎と#11というカルテットを組み、『Sharp Eleven』(SE)というアルバムを出していて、そちらではピアノを弾いている。楽曲をメンバーがそれぞれ出し合っていて、ポスト・バップ調、ジャズ・ロック調、ドラムンベースやクラーヴェのリズムを用いたものまでいろんな曲が認められる。そこには、ジャズという普遍的な回路をいかに時代や環境に合わせて伸長させるかという試みが横たわっている。
田中邦和(2010年7月1日、2010年12月16日、2012年10月16日、2012年12月11日、2015年12月17日、2016年7月16日、2017年7月8日、2020年9月29日)と吉田隆一(2004年8月20日、2004年10月10日、2006年7月3日、2012年12月11日、2014年7月22日、2015年2月8日、2015年4月14日、2015年6月21日、2016年9月27日,2017年1月9日、2017年9月13日 )、2人のサックス奏者のデュオ演奏を見る。かつて彼らは、東京中低域(2019年10月20日)で重なっていたことがあるそうだ。
場所は、目白・なるたけ という和の料理のお店。昼食タイムとライヴが繋げられた出し物だ。目白通りに面した2階一軒家ふうの一階部分の天井を取りリノヴェイションしたようなところで、何気に音の響きはよかったような。店の一角にはアップライト・ピアノも置かれていた。なんでも、1年半後には再開発のためこの場の店舗営業はなくなるようだが、企画者によればそれまで月一で“音楽と食”という出し物を、日曜にやって行く意向のよう。来月は、アルト・サックスの林栄一(2004年10月10日。2005年12月20日。2009年7月19日、2011年6月23日、2016年9月27日、2018年4月8日)が出演することが決まっている。バリトン・サックス2本の絡みを中心とするこの日は、「低音珍味」とタイトル付けされていた。
バリトン・サックス(やっぱり、大きい。持ち運びは大変だよなあ)の二重奏を中心に、田中は東欧産の木管楽器と笛を、吉田はコントラバス・フルートやおもちゃの3穴笛なども手にする。2人が吹くバリトンのボディの色は黒基調。田中は中国産の米国メイカー、吉田はフランスのものを使っているようだが、やはり音色は大きく違う。まあ、それは同じ楽器を吹いていても同じだろう。バリトン2本でやる場合、吉田が規定音/リフのようなものを出して始まる場合が多かったか。そこに田中が音を重ねるうち両者の立場が入れ替わったり、自由に吹きあったりといったように、その様相は変化する。そして、その奥には様々な見聞や余裕やユーモアが広がっていく。
2人は仲が良さそうで、会話も弾む。彼らによる漫画の話は、ぼくにはまったく理解できず。だが、さすがにサックスについての話はとても面白かった。また、ファンファーレ・チョカリーア(2004年8月28日、2005年10月15日、2008年10月13日)の面々が驚異の上下の舌の動きで高速タンギングをしているという話もなるほどと笑えた。ライヴ会場じゃない所の実演はサロン風なノリも出てきて、そういう話も活きる?
アンコールの際の中盤までは、バリトン・サックスの上部を抜いたもの(上からでも下から吹いてもちゃんと音がでるのだな)やリードだけを吹いて2人は丁々発止する。わあ、ちゃんと音楽のやりとりになっていて、胸ワクワク。そーゆーなんでもありなの大好き。
ところで、ぼくの前と隣に座った方はともにバリトン・サックスをやっているという。男性(中村治さん)は大学を卒業し勤めるようになっても続けており、20代の女性(本藤美咲さん)は昨日下北沢で吉田とデュオ公演をしたばかりであるという。今はバリトンに力を注いでいるそうだが、ラージ・アンサンブル創作にも意欲を持っているようだ。弟はトランペッター(本藤達朗さん)であるという。とにかく、このお2人との話もおおいに弾んで、とても楽しかった。
▶過去の、田中邦和
http://43142.diarynote.jp/201007081547031840/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121211
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
http://43142.diarynote.jp/?day=20160716
https://43142.diarynote.jp/201707101243147840/
https://43142.diarynote.jp/202009301104353283/
▶過去の、吉田隆一
http://43142.diarynote.jp/?day=20040820
http://43142.diarynote.jp/200410162220330000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060703
http://43142.diarynote.jp/?day=20121211
http://43142.diarynote.jp/201407231341189225/
http://43142.diarynote.jp/201502090956393081/
http://43142.diarynote.jp/201504151353356530/
http://43142.diarynote.jp/201506251045578258/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160927
http://43142.diarynote.jp/201701101136544400/
https://43142.diarynote.jp/201709141146381271/
▶︎過去の、東京中低域
https://43142.diarynote.jp/201910211144105406/
▶︎過去の、林栄一
http://43142.diarynote.jp/?day=20041010
http://43142.diarynote.jp/200512231956580000/
http://43142.diarynote.jp/200907221011377741/
http://43142.diarynote.jp/201107020946473690/
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
https://43142.diarynote.jp/201804090916338526/
▶︎過去の、ファンファーレ・チョカリアーア
https://43142.diarynote.jp/200408281712140000/
https://43142.diarynote.jp/200510172138380000/
https://43142.diarynote.jp/200810151708588667/
https://43142.diarynote.jp/201907071754237718/
<今日は、きょろきょろ>
田中御殿で知られた(と書いても、今はわからない人が多いんだろうナ)目白駅に降りるのは、約30年ぶり。そのときは、知人が学習院大学のとっくになくなっているらしいピラミッド校舎に出るので行った。Yちゃん、元気かなー。今回のお店は山手線の外側にあった。かなり、新鮮。もう上京したての人間のように、ゆっくりといろんなものを見ながら歩く。知らない所を歩くのは楽しい。
Jリーグが始まった。今年は、試合を見に行きたいなあ。そういえば。FCバルセロナのジェラール・ピケの奥さんは、コロンビア出身人気歌手のシャキーラ(2002年4月23日であったのか。彼女にはプロモーション来日した際に一度取材したが、小柄ながらポジティヴで輝きを持つ人だった。
▶︎過去の、シャキーラ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-4.htm
場所は、目白・なるたけ という和の料理のお店。昼食タイムとライヴが繋げられた出し物だ。目白通りに面した2階一軒家ふうの一階部分の天井を取りリノヴェイションしたようなところで、何気に音の響きはよかったような。店の一角にはアップライト・ピアノも置かれていた。なんでも、1年半後には再開発のためこの場の店舗営業はなくなるようだが、企画者によればそれまで月一で“音楽と食”という出し物を、日曜にやって行く意向のよう。来月は、アルト・サックスの林栄一(2004年10月10日。2005年12月20日。2009年7月19日、2011年6月23日、2016年9月27日、2018年4月8日)が出演することが決まっている。バリトン・サックス2本の絡みを中心とするこの日は、「低音珍味」とタイトル付けされていた。
バリトン・サックス(やっぱり、大きい。持ち運びは大変だよなあ)の二重奏を中心に、田中は東欧産の木管楽器と笛を、吉田はコントラバス・フルートやおもちゃの3穴笛なども手にする。2人が吹くバリトンのボディの色は黒基調。田中は中国産の米国メイカー、吉田はフランスのものを使っているようだが、やはり音色は大きく違う。まあ、それは同じ楽器を吹いていても同じだろう。バリトン2本でやる場合、吉田が規定音/リフのようなものを出して始まる場合が多かったか。そこに田中が音を重ねるうち両者の立場が入れ替わったり、自由に吹きあったりといったように、その様相は変化する。そして、その奥には様々な見聞や余裕やユーモアが広がっていく。
2人は仲が良さそうで、会話も弾む。彼らによる漫画の話は、ぼくにはまったく理解できず。だが、さすがにサックスについての話はとても面白かった。また、ファンファーレ・チョカリーア(2004年8月28日、2005年10月15日、2008年10月13日)の面々が驚異の上下の舌の動きで高速タンギングをしているという話もなるほどと笑えた。ライヴ会場じゃない所の実演はサロン風なノリも出てきて、そういう話も活きる?
アンコールの際の中盤までは、バリトン・サックスの上部を抜いたもの(上からでも下から吹いてもちゃんと音がでるのだな)やリードだけを吹いて2人は丁々発止する。わあ、ちゃんと音楽のやりとりになっていて、胸ワクワク。そーゆーなんでもありなの大好き。
ところで、ぼくの前と隣に座った方はともにバリトン・サックスをやっているという。男性(中村治さん)は大学を卒業し勤めるようになっても続けており、20代の女性(本藤美咲さん)は昨日下北沢で吉田とデュオ公演をしたばかりであるという。今はバリトンに力を注いでいるそうだが、ラージ・アンサンブル創作にも意欲を持っているようだ。弟はトランペッター(本藤達朗さん)であるという。とにかく、このお2人との話もおおいに弾んで、とても楽しかった。
▶過去の、田中邦和
http://43142.diarynote.jp/201007081547031840/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121211
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
http://43142.diarynote.jp/?day=20160716
https://43142.diarynote.jp/201707101243147840/
https://43142.diarynote.jp/202009301104353283/
▶過去の、吉田隆一
http://43142.diarynote.jp/?day=20040820
http://43142.diarynote.jp/200410162220330000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060703
http://43142.diarynote.jp/?day=20121211
http://43142.diarynote.jp/201407231341189225/
http://43142.diarynote.jp/201502090956393081/
http://43142.diarynote.jp/201504151353356530/
http://43142.diarynote.jp/201506251045578258/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160927
http://43142.diarynote.jp/201701101136544400/
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▶︎過去の、東京中低域
https://43142.diarynote.jp/201910211144105406/
▶︎過去の、林栄一
http://43142.diarynote.jp/?day=20041010
http://43142.diarynote.jp/200512231956580000/
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▶︎過去の、ファンファーレ・チョカリアーア
https://43142.diarynote.jp/200408281712140000/
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https://43142.diarynote.jp/201907071754237718/
<今日は、きょろきょろ>
田中御殿で知られた(と書いても、今はわからない人が多いんだろうナ)目白駅に降りるのは、約30年ぶり。そのときは、知人が学習院大学のとっくになくなっているらしいピラミッド校舎に出るので行った。Yちゃん、元気かなー。今回のお店は山手線の外側にあった。かなり、新鮮。もう上京したての人間のように、ゆっくりといろんなものを見ながら歩く。知らない所を歩くのは楽しい。
Jリーグが始まった。今年は、試合を見に行きたいなあ。そういえば。FCバルセロナのジェラール・ピケの奥さんは、コロンビア出身人気歌手のシャキーラ(2002年4月23日であったのか。彼女にはプロモーション来日した際に一度取材したが、小柄ながらポジティヴで輝きを持つ人だった。
▶︎過去の、シャキーラ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-4.htm
朝起きてPCを開くと、サンフランシスコのザ・シティ・ライツ書店/出版社の1953年(出版社は55年)創設者であるローレンス・ファーリンゲッティが101歳で亡くなったことが報じられている。おお、大往生じゃないか。そこから最初に出版された1冊がアレン・ギンズバーグの「Howl and Other Poems」。ぼくはビート詩人にハマったことがなくしのご言う知識も思い入れもないわけだが、詩人でもあったフェリンゲッティとこの進歩的な書店/出版社の存在がなかったら、シスコの文化性や自由闊達さはもう少し薄いものになっていたかもしれない。ダウンタウンの坂道にある同店には1990年代後期に一度、足を運んだことがある。いい感じの2階立てのお店だったな。このコロナ禍でずっと閉められている同書店を救おうという、オン・ラインの募金活動が行われたりもしたようだ。なお、サンフランシスコで開かれたザ・ワルツの解散公演を収めた映画「ラスト・ワルツ」にはファーリンゲッティの詩の朗読も入っているようだが、ぼくはぜんぜん覚えていない。
▶︎過去の、ザ・バンド関連の記載
https://43142.diarynote.jp/201204221307297965/ 下の方の<>内
https://43142.diarynote.jp/201308110826574632/ ハドソン夫妻
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/ ザ・ウェイト・バンド
https://43142.diarynote.jp/202010311315187907/ 映画「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」
<今日の、ロイド>
今は早起き期間ではあるもののもう少し寝ていたかったが、6時には起床。そして、朝8時半からチャールズ・ロイド(2005年5月11日、2008年4月6日、2013年1月6日、2017年1月12日、2017年1月13日、2019年9月2日、2019年9月3日)にズームでのインタヴューをした。通訳は丸山京子ちゃん、やりやすい。ロイドはギター(ビル・フリゼール〜2000年7月21日、2006年5月14日、2009年5月8日、2011年1月30日、2017年1月12日、2017年1月13日、2017年6月19日、2019年6月10日〜)とスティール・ギター(グレッグ・リース)を擁するピアノレス・カルテットであるザ・マーヴェルズの新作『トーン・ポエム』(ブルーノート)を来月に出す。前にも書いたことがあるが、ロイドはけっこうフェイスブック投稿をする人で、見れば取材時間の1時間前にファーリンゲッティ死去の件をそこにあげている。聞けば、彼とは友達で、ビート・ムーヴメントには思いもあるという。
画面の向こうの、サンタバーバラに住む82歳の彼は元気だった。ぼくのことを覚えていてくれて何よりというか、ぼくが取材者であることを喜んでくれてうれしい。冒頭、まさにコロナ禍にも適したロイド式挨拶(https://43142.diarynote.jp/201909071029545912/ 下部を参照のこと)の話で盛り上がる。彼はすでに妻のドロシー・ダーとともに2度のワクチン接種を受けているそう。写真家であるダーはずっと彼のジャケット・カヴァー写真を撮ったり、共同プロデューサーとしてクレジットされていたりする。彼はホームページを新しくしたばかりだが、それも奥さんがオペレートしたよう。ズームの画面に出る名義も、奥さんのものだった。同HPにはチャールズ・ロイド・カルテットによる秋の欧州ツアーのツアー予定が記されているが、この夏の予定もキャンセルされたし、一応入ってはいるものの……というような言い方を彼はしていた。
▶︎過去の、チャールス・ロイド
http://43142.diarynote.jp/200505141717440000/
http://43142.diarynote.jp/200804081928430000/
http://43142.diarynote.jp/201301151731112021/
http://43142.diarynote.jp/201701131141476377/
https://43142.diarynote.jp/201701141241544133/
https://43142.diarynote.jp/201909031830055314/
https://43142.diarynote.jp/201909071014576603/
▶過去の、ビル・フリゼール
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200605160543260000/
http://43142.diarynote.jp/200905101005501321/
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/
http://43142.diarynote.jp/201701131141476377/
http://43142.diarynote.jp/201701141241544133/
https://43142.diarynote.jp/201706190940184750/
▶︎過去の、ザ・バンド関連の記載
https://43142.diarynote.jp/201204221307297965/ 下の方の<>内
https://43142.diarynote.jp/201308110826574632/ ハドソン夫妻
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/ ザ・ウェイト・バンド
https://43142.diarynote.jp/202010311315187907/ 映画「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」
<今日の、ロイド>
今は早起き期間ではあるもののもう少し寝ていたかったが、6時には起床。そして、朝8時半からチャールズ・ロイド(2005年5月11日、2008年4月6日、2013年1月6日、2017年1月12日、2017年1月13日、2019年9月2日、2019年9月3日)にズームでのインタヴューをした。通訳は丸山京子ちゃん、やりやすい。ロイドはギター(ビル・フリゼール〜2000年7月21日、2006年5月14日、2009年5月8日、2011年1月30日、2017年1月12日、2017年1月13日、2017年6月19日、2019年6月10日〜)とスティール・ギター(グレッグ・リース)を擁するピアノレス・カルテットであるザ・マーヴェルズの新作『トーン・ポエム』(ブルーノート)を来月に出す。前にも書いたことがあるが、ロイドはけっこうフェイスブック投稿をする人で、見れば取材時間の1時間前にファーリンゲッティ死去の件をそこにあげている。聞けば、彼とは友達で、ビート・ムーヴメントには思いもあるという。
画面の向こうの、サンタバーバラに住む82歳の彼は元気だった。ぼくのことを覚えていてくれて何よりというか、ぼくが取材者であることを喜んでくれてうれしい。冒頭、まさにコロナ禍にも適したロイド式挨拶(https://43142.diarynote.jp/201909071029545912/ 下部を参照のこと)の話で盛り上がる。彼はすでに妻のドロシー・ダーとともに2度のワクチン接種を受けているそう。写真家であるダーはずっと彼のジャケット・カヴァー写真を撮ったり、共同プロデューサーとしてクレジットされていたりする。彼はホームページを新しくしたばかりだが、それも奥さんがオペレートしたよう。ズームの画面に出る名義も、奥さんのものだった。同HPにはチャールズ・ロイド・カルテットによる秋の欧州ツアーのツアー予定が記されているが、この夏の予定もキャンセルされたし、一応入ってはいるものの……というような言い方を彼はしていた。
▶︎過去の、チャールス・ロイド
http://43142.diarynote.jp/200505141717440000/
http://43142.diarynote.jp/200804081928430000/
http://43142.diarynote.jp/201301151731112021/
http://43142.diarynote.jp/201701131141476377/
https://43142.diarynote.jp/201701141241544133/
https://43142.diarynote.jp/201909031830055314/
https://43142.diarynote.jp/201909071014576603/
▶過去の、ビル・フリゼール
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200605160543260000/
http://43142.diarynote.jp/200905101005501321/
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/
http://43142.diarynote.jp/201701131141476377/
http://43142.diarynote.jp/201701141241544133/
https://43142.diarynote.jp/201706190940184750/
R.I.P.ジーン・テイラー(1952年7月2日〜 2021年2月20日)
2021年2月23日 音楽 3コード(ブルース)専門とも言いたくなるアーシー派白人ピアニスト/シンガーのジーン・テイラーが、テキサス州オースティンの自宅で亡くなった。カリフォルニア生まれで10歳ごろからブギウギ・ピアノを弾き、同半ばにはT・ボーン・ウォーカーやピー・ウィ・クレイトンら西海岸在住ブルーズ・マンと共演するようになった。若くて、使い勝手が良かったらしい。そんなテイラーは、見事に叩き上げ。髭を伸ばしタバコを吸う姿は10代ながら、かなり年長に見えたという。1970年代中期には著名ホワイト・ブルース・バンドのキャンド・ヒートに加わり、同後期にはカナダで活動。その一方、1980年代にはザ・ブラスターズ、さらにオースティンに住むようになった1990年代から2000年代にかけてはザ・ファビュラス・サンダーバーズに加入もした。
1980年代中期からリーダー作もリリース。ときにスワンピーで、ニューオーリンズぽいスタイルを見せる場合もあった。なんにせよ、ひっかかりのあるギターの音とめっぽう相性のいいピアノを弾く人物という印象をぼくは持つ。エイモス・ギャレットとダグ・サームという米国ルーツ系ロックの大家ギタリストたちとも親しく、その3頭名義による日本ツアーを1990年5月にし、それはライヴ盤にもなった。
<今日の、記憶はボロボロ>
その実況盤『ライヴ・イン・ジャパン』は東京3箇所や大阪や京都のギグをソースとしていたが、ぼくは九段会館で彼らのライヴを見たのではなかったか。渋谷クラブクアトロだけでなく青山CAYも録音場所のクレジットに入っていて、そのころすでにカイはあったのか。同ライヴ盤はポニーキャニオンの趣味的米国ロック・レーベル<ヴィレッジ・グリーン>から日本盤がリリースされた。そのころ、ポニーキャニオンはA&Mは持つし、グラマヴィジョンもライセンスして(その後にビデオアーツに移った)いるし、洋楽にも力を入れる同社はLA駐在員も必ず出していた。そのころ、同社はPCH(パシフィック・コースト・ハイウェイの略)というLA産のAOR系レーベルも持ったっけ? 1990年代中期にその駐在員をしていたのが、ヴィレッジ・グリーンを仕切っていた*さん。そのころ日本フォノグラムがE.W.&F. (2006年1月19日、2012年5月17 日)のモウリス・ホワイトの個人レーベル(これも名前失念)を出すことになったことがあって、ホワイトのスタジオに取材に行った際、なぜか*さんがプライム・リブの著名レストランであるロウリィズに連れて行ってくれたことがあった。あのころLA出張の場合泊まる頻度が高かった、サンセットのタワー・レコードの近くにあったホテルの名前も忘れた。あ”〜〜。酷すぎる。それと、フランス系のホテルでフロントにテイク・フリーのバケットが置いてあるホテル(それも、名前は忘れた)、そしてサンタモニカの海岸に面したシャッターズ・オン・ビーチ(だったかな?)は同地のお気に入りホテルだった。当時はLAに限らず、本当に海外取材が多かった。
▶過去の、E.W.&.F.
http://43142.diarynote.jp/200601271855390000/
http://43142.diarynote.jp/201205301252113538/
1980年代中期からリーダー作もリリース。ときにスワンピーで、ニューオーリンズぽいスタイルを見せる場合もあった。なんにせよ、ひっかかりのあるギターの音とめっぽう相性のいいピアノを弾く人物という印象をぼくは持つ。エイモス・ギャレットとダグ・サームという米国ルーツ系ロックの大家ギタリストたちとも親しく、その3頭名義による日本ツアーを1990年5月にし、それはライヴ盤にもなった。
<今日の、記憶はボロボロ>
その実況盤『ライヴ・イン・ジャパン』は東京3箇所や大阪や京都のギグをソースとしていたが、ぼくは九段会館で彼らのライヴを見たのではなかったか。渋谷クラブクアトロだけでなく青山CAYも録音場所のクレジットに入っていて、そのころすでにカイはあったのか。同ライヴ盤はポニーキャニオンの趣味的米国ロック・レーベル<ヴィレッジ・グリーン>から日本盤がリリースされた。そのころ、ポニーキャニオンはA&Mは持つし、グラマヴィジョンもライセンスして(その後にビデオアーツに移った)いるし、洋楽にも力を入れる同社はLA駐在員も必ず出していた。そのころ、同社はPCH(パシフィック・コースト・ハイウェイの略)というLA産のAOR系レーベルも持ったっけ? 1990年代中期にその駐在員をしていたのが、ヴィレッジ・グリーンを仕切っていた*さん。そのころ日本フォノグラムがE.W.&F. (2006年1月19日、2012年5月17 日)のモウリス・ホワイトの個人レーベル(これも名前失念)を出すことになったことがあって、ホワイトのスタジオに取材に行った際、なぜか*さんがプライム・リブの著名レストランであるロウリィズに連れて行ってくれたことがあった。あのころLA出張の場合泊まる頻度が高かった、サンセットのタワー・レコードの近くにあったホテルの名前も忘れた。あ”〜〜。酷すぎる。それと、フランス系のホテルでフロントにテイク・フリーのバケットが置いてあるホテル(それも、名前は忘れた)、そしてサンタモニカの海岸に面したシャッターズ・オン・ビーチ(だったかな?)は同地のお気に入りホテルだった。当時はLAに限らず、本当に海外取材が多かった。
▶過去の、E.W.&.F.
http://43142.diarynote.jp/200601271855390000/
http://43142.diarynote.jp/201205301252113538/