プレスリーとディランだけは分ってはいけない。それを楽しめちゃうことは、旧世代の流儀に与すること。それは、ロックを聞き始めたころ、本能(?)で、ぼくが自分のなかに作ったいいかげんな掟だ。ちらっと耳にして、あんましいいと思わなかったりしたこともあったのだろうが、やはりガキのぼくに当時の二人の大御所はなんとも古くさく、格好悪く感じた。前者の場合はラスヴェガス時代の風体のあまりの気色悪さが、そう思わせたのは間違いない。ザ・バンドはわりとすぐに大好きになったが、その親分たるボブ・ディランの項目についてはきれいに抜いて、ぼくは聞いていた。あ、ザ・バンド作で一番聞いていないのが、一番ディランとつながりの強い1作目『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』となるな。ま、そういう理に合わないツっぱりって、思春期にあるガキが持ってもしかたがないとは思うが。

 40歳過ぎになると、ディランに関しては悪くないと思えてもきて(そんな物言いも、熱心なディランのファンにはムカつくことだろう。ともあれ、今でも基本ディランの原稿依頼は断っています)が、いまだプレスリーについてはその真価が分からない。いや、聞く機会を持とうともせず、分ろうとしていない。いまだに、なんか生理的に駄目。ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズ以前のポップ・ミュージックは基本アフリカ系アメリカ人だけ聞けばいいと思っているところがある(1日24時間。音楽を聞く時間は限られるので、しょうがねえ)のは、その偏向の理由になっているか? 蛇足だが、そんなぼくであるから、ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズ以前のロックを分っちゃいけない、ヒップホップ以前のブラック・ミュージックなんて……と、思う若い聞き手がいたとしても不思議はないと思っている。

 という感じなので、天下のプレスリー様に娘がいて、一時マイケル・ジャクソンと結婚したりしたのは情報としてはなんとなくおぼろげに頭のなかにあるが、現在40代半ば(ロウティーンのときに父をうしなったらしい)であり、シンガー活動をし、2000年代に入って以降3作品もリーダー作を出していることはちゃんとは認知していなかった。そんなぼくが彼女のショウを見に行こうかと思ったのは、今のところ一番新しいユニヴァーサル系列から出ている2012作『Storm & Grace』が米国No.1渋味ロック・プロデューサーのT・ボーン・バーネットの制作による、もろそれ流儀にある内容であったからだ(そこに収められている曲はすべて共作ながら、彼女のオリジナル曲だ)。てなわけで、“あの人の娘”という感じで彼女を見ることはあり得なかったはずなのだが……。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

 そしたら、会場入りしてびっくり。昔エルヴィス・プレスリーに胸をこがしましたという年配の方がいっぱいいるんだもの。出演者によって客層がおおいに散るのはいろいろとここに来て知っているつもりだが、それにしても普段とお客さんの感じが違う。そりゃ、あの人の娘であるという事実を遠回しに感じざるをえませんね。リサ・マリー・プレスリーを見て、あらやっぱりお父さんと目元が似ているわね的な会話が会場のあちこちでなされたのではないかと思った。

 閑話休題。ステージに出て来たロック姉ちゃんぽい彼女を見て、少し驚く。小柄で、スリム。ありゃ、アブリル・ラヴィーン(2002年8月8日)のお姉さんが出て来たあ、みたいにぼくは思ってしまった。昔ジャンキーだったというのも納得できる感じも持つが、けっこう遠目には綺麗で、年齢よりも若いと、ぼくは感じた。そんな彼女を支えるバンドは旦那であるギタリスト(永遠のギター小僧であらんとする様が少しイタいかも)、キーボード、電気アップライトを主に弾くベース、バンジョーやスティール・ギターやフィドルや生ギター、レギュラー・グリップで叩くドラマーという5人。そんな編成のもと、なるほどの渋味アメリカン・ロック路線を披露する。ちょっと喉に力をかけ濁りを作るようなプレスリー嬢の歌唱(産業ロックが似合いそうな歌い方とも、ぼくは言いたくなる)は一級品とは言えないかもしれないが、別に接してイヤじゃないし、なんか歌う事に対してきっちり気持ちが入っているとも感じる。

 どこか、今を抱えた、渋い、落ち着いてもいるロックンロール土壌のなかで、思うまま振る舞う彼女……。最後の方はもう少しストレートにロックっぽくなり(プレスリーはフロア・タムを二つ並べてどんどこ叩いたりも)、そちらのほうが声がより出ているような気もしたが、なんにせよ、悠々自適のロック行為という像は崩れない。ほとんど聞いていないぼくが指摘するのもナンだが、お父さんぽいところはあまりなし。いや、南部の語彙をうまく勢いたっぷりに自分化して当たりを取った父親が今も現役だったら、こいういう方面に走ったと彼女は示唆していた?……ということは、ないと思います。ともあれ、生活の心配もないだろうし、ロック馬鹿の伴侶も横にいて、ココロおきなく自分のロック道を歩んでいると思わせるのが、印象に残った。

▶過去の、ラヴィーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm

<今日の、駅前>
 ライヴに向かう前に渋谷にいて、東急プラザ側から駅に向かう横断歩道の信号が青になるのを待っていると、女の子を連れたお母さんに、声をかけられる。え、誰だっけ? 実家のほうの関係の人? あ、どうもと言いつつ、思い当たるフシに考えをめぐらした。結局、同じマンションの住人。さすが階が違うと知らない人も多いが、同じフロアの方でした。普段は閉じている社会性という扉を、このときばかりはあけました。

ティン・メン

2014年4月8日 音楽
 ティン・メンは在ニューオーリンズの、変テコながらフフフとなれる編成を持つ、トリオ。そんな2点にひかれ、横浜まで行ったが、これは良かったなあ。帰りの東横線、満たされていました。横浜・サムズアップ。

 ルーツ・ロック・バンドのロイヤル・フィンガー・ボウルにもかつていて、リーダー作も複数持つギターと歌のアレックス・マクマレー(東京ディズニー・シーに帯で演奏する滞在仕事を得たこともあったよう)。米国の一部の南部土着表現に欠かせないプリミティヴなリズム楽器であるウォッシュボードと歌のウォッシュボード・チャズ(彼は、アフリカ系)。そして、ニューオーリンズのブラス・バンド表現に欠かせないスーザフォンと歌を担当するマット・ペリーン。彼はニューオーリンズ・ナイトクロウラーズやボノラマ(2007年2月2日)といった同地のブラス系グループに関与していたことがあるらしい。一応、マクマレーがMCを担当していたが、仲良く力関係は三者対等という感じ。リード・ヴォーカルはマクマレーとチャズが半々ぐらいづつ取る。過去、リーダー作は3枚あるようで、2013年作はジョージ・ポーターJr.(2007年2月2日。2007年2月4日、2008年8月12日、2009年7月25日、2014年1月17日)がやっている。

 南部の土臭かったり、のほほんとしていたり、じんわりしたり、高揚を導くような曲/曲趣をあっさりと、だが、得難い混合性妙味とともに、次々に繰り出していく様にはウヒヒヒ。ゴスペルっぽいのからジャグ・バンド的なものまで……。南部の様々な財産が息づき、それをいい塩梅で紐解き直せる勘所を抑えたミュージシャンがいて……。こりゃ、趣味性の強い米国人好き者ならではの蓄積たっぷりの妙味や創意がありまくりと感じる。この場で得た感興を的確に書き留めるは難しいが、ちゃんと地に足がついた語彙を生っぽく、フレキシブルに使いこなす、音楽的にも人間的にもチャーミングな人たちがいた、というのは間違いない。

 ギターは何気にファジーな質感を持つ演奏がうまいと思わせ、スーザフォンはときに高い音も出すなど多彩。そしてウォッシュボードはハンド・メイドでベルや空き缶なども一緒に取り付け、それらを駆使したリズムを出す。近くで見れると、手のひらの上下だけでなく、各指の動きも巧みに用いるその演奏はなかなかに興味ひかれ、ああオレもウォッシュボードを作って、やってみたいと思わす。そうなるのは、おっちょこちょいのぼくだけではないだろう。アナログ、ばんざい!
 
 ウィットに富む3人は、有名ポップ曲カヴァーも、彼ら流儀で披露。スティーヴィー・ワンダーの「涙を届けて」は少しはずしたが、ザ・フーの「マイ・ジェネレーション」とレッド・ツェッペリンの「移民の歌」はイエイ以外の何ものでもなかった。とかなんとか、2部構成のショウだったが、各セットともに60分はやったはず。満足度、山ほど。とともに、接すると音楽ゴコロの洗濯ができたアと感じさせるグループでもあるはずで、定期的に来てほしいなとも、ぼくは思った。

▶過去の、ボノラマ
http://43142.diarynote.jp/200702090041480000/
▶過去の、ポーターJr.
http://43142.diarynote.jp/200702090041480000/
http://43142.diarynote.jp/200702121118370000/
http://43142.diarynote.jp/200808140129280000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090725
http://43142.diarynote.jp/?day=20140117


<今後の、3人>
 憧れの地(?)たる渋谷を連発していた彼ら(ヨコハマでは、それは受けにくい?)だが、昔ギャラクティックも「シブヤ」という曲を発表していたことがあったな。この後、名古屋、京都、横浜、鎌倉、東京と、彼らは回る。どんどん口コミが広がり、会場がぎゅうぎゅうになりますように。
http://buffalo-records.com/newstopics/info/TinMenTour.html
 昨年フジ・ロック・フェスティヴァルに出演した縁もあり、今回のヴェガ(2008年1月24日、2012年1月23日)の来日公演はスマッシュ扱いで、六本木・EXシアターでの公演(全椅子席仕様)となった。大きなホールでのライヴであることに加え、アーカイヴ的アコースティック傾向作は何作もだしていたものの、オリジナル作としては7年ぶりとなる新作を出したばかりゆえ、それをフォロウするためちゃんとバンドでやってくるのかと思ったら、前回と同様にジェリー・レナード(ギター)とのデュオで、彼女はパフォーマンスを行った。ただし、興味深い人も入っている同作のプロデュースは、そのレナードがやっている。彼の演奏一部で格好よくはみ出し、ヴェガから確か(確か)”ノイズ・マン”と紹介される。

 良質な新作からの曲はもちろんやるが、古い曲もいい塩梅で交える。なんにせよ、おおまかな感想は同様の設定による前回のクラブ公演と重なるものだが、会場の大きさの違いなんてどってことないワ、てな、ヴェガの悠々のショウの進め方には年輪を感じたかな。そして、通しては、相変わらずチャーミングな歌声を持ち、機微を抱えると書きたくなる楽曲もほんとうにいろいろと持っていると思わされる。デビュー時から気に入って、すぐにNYで対面取材も出来た人……というわけで、どこか気持ちとして、彼女は親しいキブンを持たせる人ではあるよなあ。その後、ずっと関わる機会はなかったが、ブルーノートからアルバムを出した2007年とその2年後には、電話インタヴューをする機会に恵まれたりもした。ほんの少し天然ぽいのが透けて見える、ちゃんとした受け答えをする人物……。深夜帰宅後、デビュー作を引っ張り出して回してみたら、けっこう語りっぽく歌っている曲も散見され、それには驚く。かつ、聞き味がすげえ、瑞々しいのにも驚く。でも、29年後の彼女だって、まだまだお金の取れる存在であるとも、ため息をつかせる1985年A&Mデビュー作をすんごく久しぶりに聞いて思った。

▶過去の、ヴェガ
http://43142.diarynote.jp/200801280000120000/
http://43142.diarynote.jp/201201271243541443/

<今日の、サーヴィス>
 終演後のサイン会、頑張ったみたい。それ、ヴェガが自ら申し出たようで、CD買う買わないに関わらず、対応したよう。もうすぐ、55歳。なんか、いい感じでこなれてきているんだろうな。ところで、夕方の首都高、気持ち悪いほどほどすいていた。後で流れたお店はなんか混んでいたが、オーダーがすいすい出て来て、へええ。
 見た目よりも年長に見え、弾き口も趣味良く老成していると言えなくもない、1959年生まれ米国人ピアニストと1951年生まれスウェーデン人ピアニストの、ともにトリオの公演をはしご。両者ともリーダーとしての来日回数はそれなりに持つはずで、今回はそれぞれ、管奏者を一人ゲストに加えた設定でライヴをする。

 まず、南青山・ブルーノート東京で、ローゼンタール(2005年7月10日、2009年6月7日)のショウ。縦ベースはNYで10年は活動している日本人の植田典子、ドラムは同じくNYに住む(のかな?)カナダ人のテリー・クラーク。で、少し驚いたのは、リズム隊が持つごっつさのようなもの。これが骨太で、勢いや立ちの感覚を持つ。これじゃ、ローゼンタールの演奏だってただ瀟洒に流れるはずもなく、けっこうパッションを抱えた、引っかかりのあるピアノ・トリオ演奏を聞き手にブツけてくる。イエイ。そして、それは途中から日野皓正(2005年6月5日、2006年11月3日、2011年3月28日、2011年7月25日、2011年9月2日 、2013年9月22日)が加わるとより顕著に。演目は、「ウィスパー・ノット」、「ラウンド・ミッドナイト」、「ストレート・ノー・チェイサー」などスタンダードをやるが、もう演奏者の創意と矜持が絡み合うそれらにはふふふ。日野はピックアップで拾った吹き音を無線で卓に流す(それ、毎度のことだろうが)が、もう少し自然な音にはできないか。少し、コントロールが弱くなっている部分もあるのかな?  とはいえ、狂おしい情感を随所にまぜるエモーショナルにして、ぼくには閃きにも満ちる吹き口はやはり彼らならではのものであり、格調高い4ビートで吹きまくる日野を聞きたくてこの日の実演を見に来たぼくは、やはり満足。彼の演奏には、ジャズとしてあまりに重要なものが口惜しいほどある。

 その後は、六本木・STB139で、ラーシュ・ヤンソンのショウ。とても整備されたトリオに、そのままメンバーのようにテナーのイングマールソンは加わっていた。スウェーデン人たちによるこちらは、先のローゼンタールたちと比較するには、やはり物腰が柔らかい。しっとり、すうっと流れる、その質感にはやはりスカンジナヴィア的と思わされたか。ときに曲はメロディアス、また噛み合いに繊細に留意している部分も散見されるが、一方でブルース曲もいくつか凝らずにやったりするのは面白い。ジャズの原点確認をしている、な〜んてね。初めて見るヤンソンは紳士然としつつかなりお茶目なところもあり、それが音楽をする歓びに結びついたりもしていて、その様が良いとも思わされた。

▶過去の、ローゼンタール
http://43142.diarynote.jp/?day=20050710
http://43142.diarynote.jp/200906091637138003/
▶過去の、日野
http://43142.diarynote.jp/200506120639310000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20061103
http://43142.diarynote.jp/?day=20110328
http://43142.diarynote.jp/201107310727152406/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110902
http://43142.diarynote.jp/201309260930584072/

<今日の、もろもろ>
 ローゼンタール・トリオのギグは、本来は大御所ジャズ・シンガーのヘレン・メリル(1930年、NY生まれ。2005年7月10日、2013年4月9日)名義の公演だったものの、彼女が肺炎で入院し来日が不可能になってしまい、そのままサポートの面々でのリーダー公演になったもの。そりゃ、吹っ切れて、元気なことをしたくなるか? 日野皓正はメリル公演にもゲストとして名が入れられていたが、そうなったことで彼がフィーチャーされる時間はより長くなったというわけですね。一方、STB139は5月下旬で閉店する(最終日公演は、日野皓正が中心となる出し物のよう)ようで、ぼくは今日がこのハコに来るのは最後となるのかも。15年の歴史を持つということだが、もう少し長く営業していたような気もぼくはしてしまう。ぼくがここで見た最初のアーティストはヴァニラ・ファッジ(1999年2月のことだから、“ライヴ三昧”を始める少し前。これは1999年4月から書いている)。当初、このハコには米国レトロ・ロック勢がいろいろブッキングされたという記憶がある。
▶過去の、メリル
http://43142.diarynote.jp/200507161353300000/
http://43142.diarynote.jp/201304101851422199/
 昨年から始まった帯イヴェント“JAZZ WEEK TOKYO”の中の一つの出し物で、UA(2004年7月6日、2004年8月12日、2007年1月27日、2009年5月30日)と菊地成孔(2001年9月22日、2002年11月30日、2004年7月6日、2004年8月12日、2005年6月9日、2006年1月21日、2007年11月7日、2009年7月19日、2010年3月26日、2011年4月22日、2011年5月5日、2011年7月31日、2013年3月26日、2013年7月27日、2014年2月20日)の2006年連名作『cure jazz』の改新版を披露しようとする公演。渋谷・オーチャードホール。

 近年、肉声遣いをより楽しむ菊地は2、3曲で歌も歌い、ソプラノ・サックスやテナー・サックス(主に、ソプラノ)を吹く。彼に加えて、演奏陣は、ピアノに専念の坪内昌恭(2004年8月12日、2006年10月19日、2011年5月5日、2014年2月20日)、ウッド・ベースの鈴木正人(2003年12月4日、2004年7月6日、2004年11月30日、2005年6月9日、2005年10月30日、2005年11月15日、2007年1月27日、2007年10月17日、2008年1月31日、2009年1月16日、2009年10月31日、2011年3月2日、2011年5月22日、2013年1月29日、2013年2月19日、2013年8月29日、2014年2月20日)、ドラムの藤井信雄(2001年9月21日、2004年8月12日、2011年7月31日他)、ときに出音に効果を加える卓扱いのパードン木村(2004年8月12日、2011年5月5日、他)。彼らは『cure jazz』まんまの顔ぶれで、この公演の前に現在UAが住む沖縄に出向き、ルハーサルを兼ねライヴもしてきているという。彼女は3年ぶりの東京とか。

 スタンダードや菊地のジャジー曲がもう一つの佇まいとともに演奏され、UAが彼女でしかない個ありまくりの歌唱を全面的にのせる。いや、その我が道を行く様、それが実があり、見事に聞く者の何かをノックする様にゃ脱帽。その歌唱はジャズの正道のそれではないが、凡百のジャズ・ヴォーカルと比較にならないほど輝き、情緒を持ち、聞き手に働きかけ、即興性にも富む。すごい。そして、彼女は譜面台を置かずに、きっちり自分のなかで響き呼応する歌詞やメロディを表出していたことも付記しておく。ちょっとした発言やダンスも含め、UA無敵……それを痛感しました。

▶過去の、UA
http://43142.diarynote.jp/200407062149440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20040812
http://43142.diarynote.jp/200702010112550000/
http://43142.diarynote.jp/200906061045286071/
▶過去の、菊地
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200407062149440000/
http://43142.diarynote.jp/200408120238330000/
http://43142.diarynote.jp/200506120644360000/
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
http://43142.diarynote.jp/200711101236210000/
http://43142.diarynote.jp/200907221011377741/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100326
http://43142.diarynote.jp/?day=20110422
http://43142.diarynote.jp/?day=20110505
http://43142.diarynote.jp/?day=20110731
http://43142.diarynote.jp/201303290751204240/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130727
http://43142.diarynote.jp/201402210802184994/
▶過去の、坪内
http://43142.diarynote.jp/200408120238330000/
http://43142.diarynote.jp/200610211633130000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110505
http://43142.diarynote.jp/201402210802184994/
▶過去の、鈴木
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm コンボ・ピアノ
http://43142.diarynote.jp/200407062149440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20041130
http://43142.diarynote.jp/?day=20050609
http://43142.diarynote.jp/?day=20051030
http://43142.diarynote.jp/200511221816310000/
http://43142.diarynote.jp/200702010112550000/
http://43142.diarynote.jp/200710181835010000/
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http://43142.diarynote.jp/?day=20090116
http://43142.diarynote.jp/?day=20091031
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http://43142.diarynote.jp/201302201720351212/
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201402210802184994/
▶過去の、藤井
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200408120238330000/
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▶過去の、木村
http://43142.diarynote.jp/?day=20110505
http://43142.diarynote.jp/?day=20040812


<今日の、実感>
 今日は朝からテンテコ舞い。昨日夕方、パソコンがヘソを曲げて、再起動しなくなっちゃう。で、起きてサポート・センターとやりとりしたら、預からないと直せないと言う。今、毎日締め切りがある時期で、1日でもPCがなかったら話にならないので、けっこうな雨のなか外出し、新たに買い求める。設定し直すのが一苦労と思ったら、“タイム・マシーン”のハード・ディスクを繋いだら一発でそれまでのPCと同じ状態で使えて(少し、溜めていた原稿もまま出て来て)しまい、うひゃー。素晴らしいぞ、この機能。余計な事をしいられたことに対するココロの乱れが、それで吹っ飛んでしまいましたといサ。とともに、ここのところ、3台連続で同じマック・ブック・プロを購入しているが、前々のものから前のものに変えたときは違和感/改悪を感じたのに、今回は使いやすくなっていると実感。なんかストレスなく原稿仕事が進み、スピード4割アップ? やはり、新しいものはいいと実感しつつ、なぜか予期せず、新学期が始まったアなどと思ったりもした、ワタクシであります。……最初、ポイントのつく量販店で買い求めようとしたら、3つの店とも在庫無しで、それなりに時間がかかることをつげられる。しょうがねえから、アップル・ストアで購入。消費税上がる前に、買う人相次いだのかな?

  まさか、この米国ジャム・バンド/がちんこサザン・ロック・バンドを日本で見れようとは……。と、思ったら、フジ・ロックに出たことあるんだってね。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。

 ザ・オールマン・ブラザース・バンドにも関与しているウォーレン・ヘインズ(ヴォーカル、ギター)に加え、キーボード、ベース(ピック弾き)、ドラムの4人組。だが、さすがあちらの人気バンド、ローディの数が多そう。

 1曲目のブルース曲は20分を超えていて、一体何曲披露するのかと思ったら、後は少し短めで、90分で8曲はやったか。あ、でもやっぱり1曲10分を超えるのか。アルバムではいろんなゲストが入っているブツもあったりし、もしかすると、臨機応変に異質な音楽要素を取り入れようとしているところもあるのかもと思ったら、まったくもってオールド・ウェイヴなアーシー・ロック路線で突っ走る。歌はひたすら朗々とデカく、まあ艶やかとも形容できなくもないギター・ソロを本当にこれ見よがしに延々と披露。なんの工夫もなく、本能と言うか、過去示された“どすこい”な語彙をこれでもかと、彼らは並べる。でも、だからこそ、米国のライヴのマーケットで確固とした位置も築いているというのも、なんとなく分る。余計なモノに色目を使うことのない、強さあり。アメリカは広いな、大雑把だな、保守的だな、大きいな。感想は、それにつきました。

<今日の、納税>
 帰りに、たまに寄るバーに行ったら、飲み物価格が100円上がっていて、おお。消費税値上げを率直に感じた。

チボ・マット

2014年3月31日 音楽
 お茶の水・cafe104.5で、在NYの現代ビート・ポップ・ユニットが30分ほどライヴをやった。ヴォーカルのハトリミホとキーボードの本田ゆか(2009年1月21日)に加え、バッファロー・ドーター(2002年1月13日、2003年11月8日、2006年6月22日)の大野由美子(2004年12月12日、2011年9月16日、2012年6月1日)とドラムのあらきゆうこ(2009年1月21日、2014年1月22日)がリズム隊としてつく。そして、さらには小山田圭吾(2009年1月21日、2009年10月31日、2011年8月7日、2012年8月12日、2013年8月7日、2013年8月11日)もギターで加わる。ま、ファミリー、ですね。彼女たちは2〜3月にかけて20カ所もの全米ツアーをしているが、あらきはそれにも参加したようだ。15年ぶりの新作『ホテル・ヴァレンタイン』をフォロウあする実演だが、うわー、これは肉感的で鮮やか。鼓舞される。この手の実演としてはほぼパーフェクトではないか。やっほー。

▶過去の、バッファロー・ドーター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200606270001320000/
▶過去の、本田
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
▶過去の、大野
http://43142.diarynote.jp/200412212058580000/
http://43142.diarynote.jp/201109171049342536/
http://43142.diarynote.jp/?month=201206
▶過去の、あらき
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
http://43142.diarynote.jp/201401251205076037/
▶過去の、小山田
http://43142.diarynote.jp/?day=20090121
http://43142.diarynote.jp/200911010931589797/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110807
http://43142.diarynote.jp/?day=20120812
http://43142.diarynote.jp/?day=20130807
http://43142.diarynote.jp/201308130851402454/

<先週の、チボ・マット>
 お二人には、先週金曜にインタヴューをしたが、ほんと仲がいいなあ。戦友みたいもん、とも言っておりました。米国での新作発売元はショーン・レノン(2009年1月21日)主宰のキメラ・ミュージック。セールス好調でバイトを雇ったりしたりとかてんてこ舞いなよう。同作にはウィルコ(2003年2月9日、2010年4月23日、2013年4月13日)のネルス・クライン(2010年1月9日)とグレン・コッツェ(2010年4月15日)も部分参加しているが、それはクラインが本田ユカの旦那さんなため。思わず、(旦那さんは)ギターいっぱい持っているんですかと、愚問をしてしまった。彼女たちはこの夏にサマーソニックに出るととともに、ブルーノート東京にも出演する。

▶過去の、レノン
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
http://43142.diarynote.jp/201105282358273180/ (インタヴュー、抜粋)
▶過去の、ウィルコ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-2.htm
http://43142.diarynote.jp/201004250658039897/
http://43142.diarynote.jp/201304150854159566/
▶過去の、クライン
http://43142.diarynote.jp/?day=20100109
▶過去の、コッチェ
http://43142.diarynote.jp/?day=20100415
 飯田橋・日仏学院で、ここが時々開いている野外フリー・コンサートがあった。昼間、フェフェのインタヴューで同所に行った(取材の同時刻、テニスコーツ&大友良英のライヴをやっていたよう)ら、すでににぎわっていて、ちょっとお祭り気分ナリ。その後、お堀端で知人たちがやっているお花見会に行って、十二分にうかれ、日が暮れて再び日仏学院に行く。なんか、気候良く、わりと一気に桜が咲いたような……。

 まず、ステージに出て来たのは、マイア・ヴィダル(2012年2月23日)。白のノースリーブのワンピース姿の彼女、とっても可愛いじゃねえか。近くで見ることができて、前回以上にそう感じる。1曲目はアコーディオンを弾きながら歌い、あとはプリセット音と鍵盤リアル音のミックスに合わせて歌うが、それらも前回以上に味が良い! わあ、進歩しているっ。ふんわり現代性も増していて、なんか柔和で若い、ファナ・モリーナ(2002年9月7日、2002年9月15日。2003年7月29日、2011年8月1日、2013年12月3日)という感想も出てきたのは、花見のときにモリーナの話を偶然したからか。歌詞は英語、MCは英語とフランス語と日本語。実は彼女が再来日しているのは今日知ったのだが、4月1日〜4日、ここのラ・ブラッスリーに出演するという。うーん、もう用事入れていて、他の日は見れないよ〜。

 そして、ナイジェリア系フランス人のフェフェ(2014年1月21日)が出てくる。実は今回、別のフランス人アーティストがブッキングされていたが、それが直前にキャンセルになり、彼が再来日することになった。前回来日後、ナイジェアに行ったりもして、少しアフリカ色を強くしたいと考える新作録音準備をしていて一瞬日本に行くのは無理だと思ったらしいが、そこは日本大好きな彼、OKしちゃったという。ま、結局、来て良かったアという気持ちになっているようだが。ともあれ、2ヶ月強しかたっていなくても、また見れてうれCという感想がテンコ盛りの実演。基本的なノリはそんなに変わるわけもないが、今回はDJ(もう30年もの付き合いとか)だけでなく、ギタリスト(優男白人くん。ブルースが好き、ジミ・ヘンドリックスが好きと、言っておりました)も伴っての実演。そりゃ、厚くなるぶん、存在感はより出るか。サポートの二人は一緒にコーラスをつける風情も、素敵なり。しかし、フェフェの日本語をもろに用いるMCは立派すぎます。

▶過去の、ヴィダル
http://43142.diarynote.jp/201203061821277995/
▶過去の、モリーナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20110801
http://43142.diarynote.jp/201312171240301597/
▶過去の、フェフェ
http://43142.diarynote.jp/201401221432209419/

<今日も、飲欲あり>
 再び、アフター花見会に戻りぐだぐだ。そして、その後移動し、朝までぐびぐび。朝の電車に乗るのは、酔っぱらっているのに(いや、酔っぱらっているから?)なんか気恥ずかしい。

 一昨年夏にブライアン・ウィルソン込みの編成で幕張の球場ほか大会場での来日公演が持たれた米国の大御所ポップ・ロック・バンドの、マイク・ラヴ(多くの曲でリード・ヴォーカルをとる)とブルース・ジョンストン(キーボードとコーラス担当だが音はあまり聞こえず、ほとんど盛り上げ役といった感じ)という2人を擁する編成でのクラブ公演。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。

 7人編成による。バンド音は無理なく、ジョン・カウシルというドラマー(彼も1曲、リード・ヴァーカルを取った)が安定しているので、安心して身をまかすことができる。コーラスも皆でソツなくこなし、往年の名曲を次から次へと繰り出す。過剰なファンでないぼくでも、これもあれも知っているという感じ。とかなんとか、いまだ曲群は生命力を持っていたし、それらはちゃんとある種のモードを持っていると痛感。そして、面々はそんな曲を披露できるのがうれしそうだった。曲の多くは3分ぐらいの尺であったような気もしたが、彼らは80分弱のショウで一体何曲披露したろうか。

 パフォーマンス中、サーフィンの映像や1960年代の米国の映像や、若い時分のザ・ビーチ・ボーイズの映像が終始流される。それは余計と思えた。完全に後ろ向きなヴェクトルを持つ公演ながら、その音楽だけでも勝負できるような気がしたからか。

<今日の、認知>
 家の近くに、けっこう立派な輸入雑貨屋があって、その入り口横にはいつも複数の乳母車が並んでいる。で、赤ちゃん連れのお母さんたちのたまり場になっているのかと、ぼくはずっと思っていた。だが、それは売り物(値札は付けられてないような)がただ並べられているだけなのダと、本日やっと認知。前の勘違いのほうが、コミュニティがあるという感じで、楽しかったかな。関係ないけど、今日やったR&Bカヴァー「ドゥ・ユー・ワナ・ダンス?」はザ・ビーチ・ボーイズのオリジナルだと、かつてぼくは勘違いしていました。ラモーンズの曲と思っている人もいるに違いない。

 六本木・シネマートで、コーエン兄弟の2013年映画の試写を見る。カンヌの映画祭の批評家特別賞をとるなどしている好評作のようだが、ふむふむこれは音楽映画と言ってもいい、音楽のいろんな用件やそれへの愛を通過した映画だな。もちろん、良く出来たライヴやレコーディングのシーンも出てくる。

 ボブ・ディラン以前のグリニッジ・ヴィレッジのフォーク・シーンの新しい波を体現していたフォーク歌手のデイブ・ヴァン・ロンク(1936〜2002年、リーダー作は山ほど)の回想録「The Mayor of Macdougal Street」(マンハッタンのダウンタウンの通り名を冠したそれは、ロンクの愛称でもあったという)を下敷きにしたもので、主となる舞台は1961年のNY。ディランも、ロンクにおおいに憧れたそうな。

 ロンクからインスピレーションを受けた主人公はなかなか芽のでない悩み多いフォーク歌手で、それをグアテマラ出身のオスカー・アイザックが演じる。彼はジュリアード音楽院出身とのことで、演奏シーンは彼がまんまギター弾き語りをしているとか。なんでも、コーエン兄弟は当初ミュージシャンを役者として起用したかったそう。だが、演技力の問題でそれはかなわず、ちゃんと役者を使うことになったらしい。近年ミュージシャンが役者をやって印象的な映画というと、グラン・ハンサード(2009年5月20日、2009年1月15日)が主演した「ONCE ダブリンの街角で」を思い出すが、うーぬ、誰かいい演技のできるミュージシャンはいなかったか。かつてのクリス・クリストファーソンとかライル・ラヴェットとか、またヒップホップ期以降になるとウィル・スミス(ザ・フレッシュ・プリンス)やアイス・Tとか、いろいろ俳優として成功もしている人もいるわけだが……。

 とはいえ、アイザックの弾き語りはまっとうでちゃんとした味あり。この映画の成功を引き金に彼がライヴをやると聞いても、ぼくは驚かない。ヴィンセント・ギャロ(2010年12月2日、2013年4月27日)やティム・ロビンス(2011年8月10日)のように、興行が成り立つかはやぶさかではないけれど。その主人公と浮気をして妊娠している女性シンガーと私生活/音楽ともにペアを組む真面目そうなミュージシャンの役を演じているのは、元イン・シンクのジャスティン・ティンバーレイクだ。彼、うまく演じていると思う。

 新たな展開を求めて、主人公がちょいシカゴに行った際、同地のライヴ・クラブのオーナーに自分を売り込むシーンが出てくるが、それはそのころ同地でライヴ・ハウスをやっていたアルバート・グロスマンがモデルとか。彼はピーター・ポール&マリーやボブ・ディランのマネージャーをやったことで知られるが、今度男二人と女一人のグループ(ピーター・ポール&マリーのことだろう)を組むのでそれに入らないかと、その男が主人公を誘うシーンもあり。そのグロスマンがNY/ウッドストックに引っ越してくるのは1964年と言われていて、1970年代に入ると彼はレコード会社のベアズヴィルを設立するわけだ。彼(1986年に、56歳でなくなっている)がいなかったら、ディランや、当初ベアズヴィル・スタジオのハウス・エンジニアをしていたトッド・ラングレン(2001年11月9日、2002年9月19日、2002年9月28日、2008年4月7日、2010年10月10日)らはまた別な人生を歩んでいたかもしれない。

 映画の最後に、ボブ・ディランとおぼしき青年のライヴ弾き語りシーンが用意されるが、それに使われる音楽は、ディランが未レコード化の初期曲を提供したものであるのだそう。この映画の音楽監督(サントラはワーナー・ブラザーズ発)は、「ビッグ・リボウスキ」や「オー・ブラザー!」などコーエン兄弟と太い関わりを持つT・ボーン・バーネット。でもって、マムフォード&サンズ(2013年7月30日)のマーカス・マムフォードもアシスタント音楽監督をしている。先に触れた妊娠している女性シンガーを演じる英国人女優のキャリー・マリガンはマムフォードの嫁でもある。

 とかなんとか、いろんな音楽面の襞を経た映画だが、1961年という時代の空気感やヴィレッジのフォーク・シーンが、コーエン兄弟らしい含みや身妙な諧謔のもと、すうっと表れ出る。今じじいにさしかかる年代の、米国ユース・カルチャーのなぜか雄弁な裏面史、なんちって。やはり、甘酸っぱい。見る人によっては、生理的に忘れていたもの、置いて来たものものを、もう一度を取り戻させる感覚を持たせるだろうし、若い世代にとっては未知の新しい何かを存分に感じさせるのではないか。

 あと、猫がけっこう重要な位置にいて、猫好きの人には勧められる? 主人公が街角や地下鉄で猫をかかえる姿に共感しちゃう人は少なくないのではないか。5月にロードショー公開。

▶過去の、スウェル・シーズン(グレン・ハンサード)
http://43142.diarynote.jp/200905221027321644/
http://43142.diarynote.jp/200901161818098587/
▶過去の、マムフォード
http://43142.diarynote.jp/201308021400578638/
▶過去の、ラングレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200804081929500000/
http://43142.diarynote.jp/201010111257003810/
▶過去の、ロビンス
http://43142.diarynote.jp/201108101642342395/
▶過去の、ギャロ
http://43142.diarynote.jp/?day=20101202
http://43142.diarynote.jp/201304291753401318/

<今日の、告知>
四谷の いーぐる というお店(普段は、立派なオーディオ・システムを持つジャズをかける老舗のお店)
http://www.jazz-eagle.com/information.html
で、レコードをかけておしゃべりをします。3回目になるのかな。
その内容は
<美は乱調にあり。ジェイムズ・ブラッド・ウルマーを巡る冒険>

 オーネット・コールマンのハーモロディック・ファンクの立役者であった、ジェイムズ・ブラッド・ウルマーを中心に、ジャズの鬼っ子楽器であるギターを武器にジャズのフィールドを闊歩した無頼漢たちを追う。本来、真性ブルース・マンであったはずのウルマー(やピート・コージー)をなぜコールマン(やマイルズ・デイヴィス)は必要としたのか。また、何故に枠に収まりきれない狼藉ギタリストたちは1970年代以降、オルタナティヴなジャズのフィールドから自己表現を問う事が少なくなかったのか。それを考察することは、ジャズの米国黒人音楽としての襞を、そして現代ポップ・ミュージックの悲劇を探ることに他ならない。

てな、かんじで、切れてたりコワれてたりするギタリストをいろいろかけつつ、米国ブラック・ミュージックの素敵を浮き上がらせたらと思います。
値段は、600円+飲み物代。と、そんなには高くありません。予約もいりませんので、フラっとおいでいただけたら。。。
二時間半強はやりまーす。
 とっても長いドキュメンタリー映画を、渋谷・映美学校試写室で見る。インターナショナルな高評価を受けるワン・ピン監督の新作で、4時間近い『収容病練』。全237分、途中で休憩が入れられる。6月から公開。

 成り立ちは、ものすごく、シンプル。中国の雲南省にある精神病院の、閉鎖された3階部(2〜6人病室がパティオを囲む口の字形の建物に配置されている。収容された患者はそのフロアは自由に動けるが、他の階には基本行けない)の人々の昼夜の様を映しているだけ。撮影は、2013年1月〜3月。それで4時間、音楽も入らない。その病院には本当にコワレている人から反政府的な態度を取った者まで様々な人が一緒くたに隔離収容されているそうで、中国の暗部を告発する方向性もあるのかと思ったら、そんなことはなし。かなり不潔な環境には見ていてげんなりしちゃうが、とにもかくにも、同病院にいるいろんな人たちの所作や発言を追うだけの映画ナリ。撮影者側は彼らに働きかけはせず、撮影される側もあまりカメラを気にせず、振る舞っている。人々の顔にボカシが入ることも、一切ない。まあ、健全でなく、生理的に重く、理不尽でもある映像がずっと続くわけだが、淡々とそれらが綴られる映像をすらすら見れてしまったのには驚いた。いろんな人がいて、いろんな事がある……。なんか、途中からは諧謔を覚えもした。とにかく、見る人によっていろんな解釈や思いを与えるだろう、破格な情報量を持つ映画であるのは間違いがない。

 その後は、南青山・ブルーノート東京(ファースト・ショウ)。1960年代後期にトニー・ウィリアムズやマイルス・デイヴィスのグループに入り広く知られるようになった英国人ギタリスト(2005年1月31日)のワーキング・バンドの公演を見る。

 ザ・フォース・ディメンションと名付けられるバンドの構成員は、キーボードやドラムのゲイリー・ハズバンド、電気ベースのエティエンヌ・ムバペ、ドラマーのランジット・バロットという面々。皆それぞれリーダー作を出している人たち。アラン・ホールズワースやジャック・ブルース(2008年12月16日)のバンドの一員としても知られたハズバンドは英国人、かつて故ジョー・ザヴィヌル(2003年10月8日)のバンドにいたこともあったというムバペ(サリフ・ケイタの昔の作品や、ロベルト・フォンセカの2013年作等にも名が見られる)はカメルーン人、パロットはインド人だ。

 と、書くと、構成員の属性が散っていて楽しそうと思わされるが、基本はマクラフリン流儀のジャズ・ロック〜ハード・フュージョン演奏に皆で飛び込み合う傾向のパフォーマンスを聞かせる。ハズバンドは3度ほどドラムの前に座り、がちんこな叩き口のもとソロやバロットとの掛け合いを聞かせ、一方バロットはソロの際に2度ほど“口(くち)タブラ”を少しぐだぐだな感じで披露する。早弾きはスケール練習みたいと思わせるマクラフリンはなかなか格好よく外見が見えるとともに、スーダラ且つユーモラスな人であるようにも(なんか、悩みなさそうとも思わせる)、今回のショウに接して、ぼくは思った。

▶過去の、ジョン・マクラフリン(シャクティ)
http://43142.diarynote.jp/200502041825460000/
▶過去の、ジャック・ブルース
http://43142.diarynote.jp/?day=20081216
▶過去の、ジョー・ザヴィヌル
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm

<今の、季節>
 かなり春めいてきている。だが、陽が暮れると寒かったりもし、ぼくは他者から少し暑苦しく見えるだろう格好で出がけがちで、ちょい肩身が狭い。ぼくって、寒がりだと思うとともに、春先って実は苦手な時期なのかも知れぬと初めて思った。先の日曜に味の素スタジアムで見た東京と川崎の夜試合も寒さを覚えたな。しかし、この近隣チーム同士の試合=“多摩川クラシコ”がそれなりの風情、熱を持っているのには少し驚く。過去に、燃える展開の試合もあったみたいだ。それゆえ、ホームなのに惨敗した東京の応援者たちが終盤振りまく負の情緒は濃かったなー。
 とはいえ、この晩はライヴ後に飲んで帰るときも、寒くないと感じた。今週末には花見予定もあり、いよいよ……。渋谷周辺では、卒業式帰り(謝恩会って、今でもあるのか?)の女子大学生が散見された。そういう時節でもあるのだな。
 在米キルギス人ピアニストである(1987年生まれ。生まれたときは、ソ連なのかな)エルダー・ジャンギロフ(2006年6月23日)と、世界を飛び回っているもののハバナ在住にはこだわりたいと語っているキューバ人ピアニスト(1975年生まれ)のロベルト・フォンセカ(2003年10月14日、2010年1月26日、2013年1月12日)の公演を、丸の内・コットンクラブと南青山・ブルーノート東京で見る。同じ社会主義国の生まれとはいえ寒い方と暖かい方、当然のことながら、それら演奏から受ける所感はかなり異なるよなあ。

 まず、ジェンギロフのパフォーマンス。マイク・ポープ(基本ダブル・ベースを弾くが、決めの多い曲とリフがはっきりした曲の2つでは6弦のエレクトリックを弾く)とルートヴィヒ・アフォンソ(ドラム。彼は2013年作など、ジャンギロフのリーダー録音にも参加)という30歳半ばぐらいの在NY奏者とのトリオで演奏する。そのルーツにあるだろう、バッハとブラームスとプロコイエフ曲を1枚づつピアノ・ソロで演奏した3枚組作品も昨年リリースしている彼だが、なるほどクラシック的指さばきと闊達なジャズ・ピアノ流儀を拮抗させようとする表現を披露。とともに、黒い揺れや情緒を介しないことで、ジャンギロフは自分のジャズを編み上げようとしている、とも指摘できるだろう。ほとんどクラシック音楽には親しんでいないので、あくまで想像になるが、凝った右手と左手の噛み合いもまたそこから来るのだと思う。けっこう、右側のサスティーンの足ペダルを多用、ながら音の感触が外に広がらないのも個性と言えるか。

 フォンセカのほうはベース(縦と電気)のヤンディ・マルティネス、パーカッションのジョエル・イエレスエロ、ドラムのラムセス・ロドリゲス、コラのシェリフ・ソマウノを従えてのもの。先のジャンギロフとの実演との比較から、音が弾み、陽性であると、その演奏冒頭から実感しちゃう。同行者の顔ぶれは少し異なるようだが、今回の編成自体は昨年来日時のそれからギター奏者が抜けたと説明できますね。ただし、コラ奏者は今回アタマ2曲と最後に加わっただけで、少し扱いがハンパ。それなら、同行させなくても良かったかも? 2013年作『YO』がキューバン語彙と西アフリカ語彙を交錯させんとするためにコラ奏者を入れたという事実があったが、今回は過剰にその近作に寄りかからぬ、直近のフォンセカを出したものであったとも言えるか。当人はときに歌を歌い、PC音も少し活用しつつ、外を見た、私の考える現代キューバン・ジャズ表現をきっちりと出していた。

▶過去の、ジャンギロフ
http://43142.diarynote.jp/200606270003110000/
▶過去の、フォンセカ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm
http://43142.diarynote.jp/201001291746252351/
http://43142.diarynote.jp/201301161544336447/

<今日の、数字>
 4月に消費税があがる前にお買い物をして節約を、みたいな広告を目にする。昨日の夕刊には、消費税値上がり前の駆け込み購買増加を見越してJRが定期販売期間の規格を広げるなんていう記事も出ていたナ。現状から3%上がるわけだから、1000円だと30円、10000円だと300円、10万円だと3000円あがる(←この計算、間違ってないよな?)。ということで、過剰にアワ喰って、買い物に走るモノでもないと、ぼくは 判断してしまう。一気に0%から8%だったら、感じ方は変わってくるだろうけど。だが、また翌年には2%足されて、消費税は10%になるわけで、俺って税金無駄使いの政府にうまく手なづけられている? でも、まあ、欲しいものを欲しいときに買うのが一番快適であると、ぼくは思ってしまう。オレ、流されやすいところもあるが、この件についてはマイペースだな。→とか書きつつ、3月下旬にデカい買い物しちゃったりして……。

 英国と日本の、黒人音楽愛に満ちた、新旧の担い手の公演をはしごする。ともに、会場は大盛況。

 まず、恵比寿・リキッドルームで元ドクター・フィールグッドのウィルコ・ジョンソン(2000年11月20日、2011年4月7日)のトリオ。彼は2013年アタマに末期の膵臓癌であることが公表されたものの、来日。そして、なんと今年もやってきた。

 驚きました。いろいろと外に出ないものがあると思われるが、とっても元気、溌剌。ギターは切れがあるし、甲高い歌声はよく通るし、動きもシャープ。少なくても、2011年春に見た際より、あらゆる観点で、力があり、エモーショナルだと、思えた。それは、ぼくのほうにこれが最後かもしれぬという思いがあるからかとも思えたが、途中から、いいや、今の彼はとんでもなく充実していると、結論を下す。遠目には、顔も輝きに満ちていたし、66歳という年齢よりも若く感じた。

 基本タイトなビートのもとブルージィに、曲によってはレゲエのアクセントも介して。しかし、ピックを用いない、そのギター奏法はやはりとてもアトラクティヴ。カッティングしているときと同じような右手の動きで単音ぽい音も出しちゃうのは、ジョンソンならではの名人芸。そんな彼は黒のテレキャターを持ち、そのピック・ガードは赤で、シールドも赤。格好は黒のシャツとパンツでまとめていたが、シャツのポケットに赤色のチーフを無造作にいれていたら、ぼくはもっとヤラれたろう。

▶過去のジョンソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-11.htm
http://43142.diarynote.jp/201104091624579670/

 そして、六本木・ビルボードライブ東京で、日本のロッキン・ソウル・バンドであるTHE BAWDIESの実演を見る。日本武道館公演もしている彼らの1夜かぎりの、「ROCKIN’ THIS JOINT TONIGHT」と表題された特別仕立てのショウ。最初の2曲はメンバー4人でやったものの、それ以降は年齢の離れた高校の後輩でもあるという、OKAMOTO’Sのハマ・オカモトがベース奏者として加わり、ベースを弾きながらリード・シンガーをするROYは歌に専念。また、曲によっては、いつもTHE BAWDIES の録音で弾いているというMABOが電気ピアノ/ピアノで加わる。

 R&B/ブルース曲主体カヴァー・アルバム『GOING BACK HOME』を出したばかりで、その収録曲(といっても、実演で披露して曲も少なくないのかもしれないが)を柱に自作曲を交えて披露。THE BAWDIESのオリジナル曲の歌詞も英語なので、一聴区別がつかないものもあったりするが、熱心なブラック・ミュージック愛好のすえ、そのまま英語で自作曲もやるようになったんだろうなというのはそれで良くわかる。とともに、ROYの歌声はかなり日本人離れしているが、ハウリン・ウルフ耽溺を通じて……という話には、そうかあと膝を打つ。その獰猛な歌声からワイルドなあんちゃんたちかと想像していたら、けっこう育ち良さそうなところもあって、なるほどそれは女性ファンがつきやすさにつながっているかもしれない。ともあれ、情熱と音楽愛は随所に、そこからは眩しさも生まれる。

 後半、東京スカパラダイスオーケストラ(2002年7月7日、2003年10月10日2009年5月30日、2009年9月5日)の4人のホーン奏者が出て来て、セクション音を付ける。おお、音的にも見てくれ的にもさらに華が加わる。そして、本編最後には新作にも関与していたソウル・バンドのThe Five Ravesのシンガーの青山ハルヒロが加わりサム&デイヴの「ソウル・マン」を一緒に歌う。それは熟達したソウル・マナーを存分に振りまいた“青山の曲”となっていた。ナイス・ガイっぽい彼ら、先輩を立てる体育会系でもあるのかな。

▶過去の、東京スカパラダイスオーケストラ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20090530
http://43142.diarynote.jp/200909120648439512/

<今日の、障害>
 なんか、自宅のドコモの電波状況が悪い。2回に一度は、電波が不十分というピロロピロロというアラームがなり、通話が切れはしないものの10秒ほど会話が不能となる。それ、近くの大橋ジャンクション/目黒天空庭園ができてからの障害なような気がしているのだが。
 63歳の日本人歌手と、20歳のカナダ人歌手の公演をはしごする。

 まず、八代亜紀(2012年11月9日)の公演は、上野・東京文化会館(小ホール)。その会場に示唆されるように、通常の演歌/歌謡曲公演ではなく、ヴェテランのジャズ・ピアニストでポピューラー畑の作・編曲家でもある前田憲男(2009年5月19日)が舵取りをする出し物。そして、私の愛する人=mon amourという表題が示すように、いろんな愛の歌を、普段とは異なる伴奏設定のもと披露する。50分弱のものが、休憩を挟んで2つ。モナムールというコンセプトにはかなり拘っているようで、各セットには3箇所、愛の形を痒く綴る事前録音されたナレーション(八代によるとともに、男性のそれもあった)がインサートされたりもする。ゆえに、本編は生の八代のMCはほぼ入らない。

 ステージ上には、八代に加え、ピアノを弾く前田、電気とガットを弾くギター(ジャズ・ギタリストの細野義彦)と2人のバックグラウンド・シンガー。その4人の男性陣は蝶ネクタイ+タキシードの正装。テナーとバリトンのコーラスは朝コータローと山崎イサオという、世間をなめたアーティスト表記を持ちながらも立派なご老人。彼らはダークダックスを25%に薄めたような品のいいコーラスを曲によっては入れるし、各ショウに1曲づつ、八代抜きで(ステージにはそのままいる)2人が歌う曲も入れられていた。1曲、2人がドゥーワップ調のコーラスを付けた曲もあったが、手拍子が起こったのはテンポの良いその曲だけ。という事実を見ても、ショウ/サウンドのあり方が少しは分るか。乱暴な言い方をすれば、オトナなMOR的指針を取る、とでもなるかもしれない。

 半分ぐらいは彼女の持ち歌であったようだが、他はテーマに合致する新旧の日本の曲であったり、日本語歌詞を持つシャンソンやカンツォーネなど海外オリジン曲を披露したみたい。2012年ジャズ傾向作『夜のアルバム』に入っていた米国スタンダードの「クライ・ミー・ア・リヴァー」は英語で歌った。

 どんなサウンドであろうと、どんな曲であろうと、八代の声や情緒は全開。で、感心したのは、譜面台のようなものは置いておらず、普段は歌っていない曲もあったろうがちゃんと空で、完全に危なげなく歌っていたこと。うーぬ、プロ。→この話題、一番下の欄外原稿に続く。

▶過去の八代
http://43142.diarynote.jp/201211170926496101/
▶過去の、前田憲男
http://43142.diarynote.jp/?day=20090519

 その後は、南青山・ブルーノート東京で、ミドルティーンでジャズ・シンガーとしてアルバム・デビューし、近年はクインシー・ジョーンズ(2013年8月1日)の覚えもめでたいカナダ人歌手(2009年8月3日、2013年8月1日)を見る。近く出るジョーンズ制作のサード作『リトル・シークレット』(デッカ)は大雑把に言えばエイミー・ワインハウス的レトロ・ソウル路線(彼女はワインハウスの大ファン)を取るもので、今回はその行き方とかつてのジャズ志向を両手に持とうとする実演を見せた。蛇足だが、彼女のセカンド作はフィル・ラモーンの制作で、柱となるのはジェシー・ハリス(2002年12月21日、2005年9月7日、2006年1月23日、2006年4月22日、2007年3月11日、2009年3月31日、2009年4月4日、2010年4月4日、2010年10月10日、2011年8月6日、2012年7月16日、2013年5月26日)とロン・セクスミス(1999年9月11日)とヤノフスキー三者共作による4曲だった。

 ピアノ、ギター、ベース(ウッドと電気)、ドラムという演奏陣がサポート。彼らはNYのミュージシャンを中心に、ベーシストはカナダ人。仕事で家を離れることは多いものの、彼女はモントリオールにいまだ住んでいて、米国に移る気はないよう。そんな彼女は天真爛漫なノリでショウを進めるが、少しだけやった日本語のMCがキュート。やはり、何かをもっているんだろうな。

 終盤、ギター1本の演奏のもと、エタ・ジェイムズが1968年に発表したソウル・スタンダード「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」を歌う。ロッド・スチュワート(2009年3月11日)の名唱でも知られ、映画「キャデラック・レコード」(2009年5月26日)でもジェイムズ役のビヨンセ・ノウルズ(2001年6月25日、2006年9月4日)がそこで歌っていた曲。へえ、こんな生理的に重い(と、ぼくは思う)曲も歌うんだア。なぜ、この曲を彼女が取り上げたかは知らないが、大人の歌手としてまっすぐに進んで行くワという覚悟のようなものがそこには表れていたかもしれない。

▶過去の、ヤノフスキ
http://43142.diarynote.jp/200908071505027543/
http://43142.diarynote.jp/201308091149599475/
▶過去の、ジョーンズ
http://43142.diarynote.jp/201308091149599475/
▶過去の、ハリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://43142.diarynote.jp/200509130315380000/
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http://43142.diarynote.jp/200604251252010000/
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http://43142.diarynote.jp/200904040640421651/
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http://43142.diarynote.jp/201207180824136323/
http://43142.diarynote.jp/201305280925006733/
▶過去の、セクスミス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
▶過去の、スチュワート
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▶過去の、キャデラック・レコード
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▶過去の、ビヨンセ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm
http://43142.diarynote.jp/200609070212050000/

<今日の、音楽観>
 そういえば、かつてピアニストの加古隆(パリ在住時代の1970年代後期にTOKというトリオ名でECMから出した作品は本当に素晴らしい)が自分のライヴのさい絶対に譜面を置かないことをさし、「だって、役者で台本を手に舞台に出る人がいますか」と、インタヴュー時に言っていたことがある。同意。実は、学生時代に自分がリーダーのバンドのさいオリジナル曲をやっていて、ステージ上で魔がさしたようによく知っているはずの自分の歌詞が一節すうっと頭から消えて絶句しかかったことがある。そんな青くなる経験から、歌詞をちゃんと歌うことが難儀であるのは知っているつもり。だけど、やはり中央に立つシンガーは基本フメン台を置いてはいけないと、ぼくは思う。もちろん、ヤノフスキも譜面(歌詞カード)台を前にしてはいなかった。
 1979年生まれのルクセンブルグ人ヴァイブラフォン奏者と1977年生まれのベルギー人ピアニスト(2010年11月11日)、2010年に独エンヤからデュオ・アルバムを出しているお二人の公演。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 クラシック教育もしっかり受けている両者だろうが、そのクールなやりとりの様は4ビート的というよりはパルシーと言いたくなる。そして、それこそはこの2人こその妙味であり、存在意義でもあると、書けるだろう。ヴァイブはときに控え目に電気エフェクトを噛ませ、ニーヴはペダルをとっても繊細に駆使する。響きにも存分に留意していた、とも指摘できるはず。そんな2つの鍵盤楽器の重なりは見事に意志の疎通がなされていて、きっちり丁々発止しつつも不毛に音がぶつかりあう部分がないのには大きく頷く。演奏曲は詩的なオリジナルを中心に、ウォルト・ディッカーソンやセロニアス・モンク曲なども。2人の自作をやる場合と他人曲をやる場合はけっこう手触りの違いあり。後者のときは、醒めたなかに彼らなりの黒さが出たりもするから。

 シューマッハはステージでエエ格好しいな仕草を取る人で、そこにユーロ性を覚えたかも。後で、ニーヴのマネイジャーを紹介されたが、スーツを来つつピアスを沢山つけた彼もかなり格好付けた色男で、それも欧州的な何かを感じさせ、なぜか好感を持った。

▶過去の、ニーヴ
http://43142.diarynote.jp/201011140051119042/

 キューバ出身のグローバル極まりないピアニスト(2001年8月24日、2002年7月22日2004年8月2日、2005年9月24日、2006年10月28日、2008年3月16日、2009年5月12日2010年8月3日、2013年9月17日)の2014年来日公演は、イタリア人トランペッターのパオロ・フレスとのデュオにて持たれた。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。自国とパリを行き来しているようなフレスさん、すでに40枚は超えようかというリーダー作を出している実力者で、ソーサのアルバムにも2007年作に入る他、2012年にはブラジル人チェリストのジャキス・モレレンバウム(2005年5月23日、2005年7月24日、2008年8月22日)をフィーチャーしたソーサとの双頭作も出している。そんな彼はECMとも関係を持っていて、ラルフ・タウナーらとの双頭リーダー作やア・フィレッタ(2010年8月25日、2010年9月4日)との共同作を同レーベルから出していたりもする。あと、ユリ・ケインとも一緒のアルバムを出していたりするな。

 ソーサとフレスはとても仲良さそう。で、その共演はかっとびの部分はナシにして、しっとり傾向で基本進む。ゆったり目の曲をやる場合が多かったためか(双頭リーダー作はオリジナルでしめられていた)、おおらかさやリリシズムが前に出る傾向の演奏を聞かせる。が、そうであっても、ソーサは時々野獣のような声も出すし、生理的にはダイナミックにして、横断的と言いたくなる動的感覚を持っていたのは間違いない。なお、今回のソーサの格好は赤主体のローブ系衣服、サンタクロースみたいだった。

 ソーサは時に左手は電気キーボードを弾き、また少しプリセット音もかます。少し電気効果を用いるという事では、トランペットやトランペットより大きなレトロな面構えの楽器(コルネットとも少し違うように思えた)手にするフレスも同じ。しかし、マイルス・デイヴィスを思わせる叙情的演奏から早いパッセージの連続演奏まで、いろなジャズ巨人の演奏や奏法ををモノにしてつつ、悠々マイルドに自分を出して行く様はかなりの実力者。米国人だったら、もっともっと著名になっている人だろう。

 そして、後半の2曲(と、アンコール曲)で、現在はNY居住者だそうなタップ・ダンサーの熊谷和徳(2010年9月3日、2012年5月14日)が加わり、起伏を与える。彼、ジャケット、シャツと脱いで行って、最後は黒色のTシャツで踊っていたのがおかしかった。

▶過去の、ソーサ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200408021925240000/
http://43142.diarynote.jp/200510030021170000/
http://43142.diarynote.jp/200611020835550000/
http://43142.diarynote.jp/200803201207150000/
http://43142.diarynote.jp/200905131200576485/
http://43142.diarynote.jp/201008251432447574/
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▶過去の、熊谷
http://43142.diarynote.jp/?day=20100903
http://43142.diarynote.jp/?day=20120514
▶過去の、モレレンバウム
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http://43142.diarynote.jp/200507281000160000/
http://43142.diarynote.jp/200808221741070000/
▶過去の、ア・フィレッタ
http://43142.diarynote.jp/201008270912512078/
http://43142.diarynote.jp/201009151537076176/


<今日の、初めて>
 本編最後の曲だったか、トランペッターが延々とノー・ブレスで吹き続けたのにはびっくり。循環奏法と言うものと思われるが、サックス奏者が稀に見せる奏法で(と、ぼくは思っていた)、トランペッターがするのには初めて触れる。正確な唇のあてとより大きな肺活量を必要とされるはずだが、フレスはなんなく安定した楽器音を提出。うひゃあ。

 結成30年の日本人バンドと、結成20年の米国人バンドを見る。けっこう、なるほどの組み合わせ? 渋谷・O-nest。

 まず、カーネーション(2003年10月3日、2004年12月12日、2006年4月14日、2009年12月23日、2011年3月26日、2012年6月1日、2012年12月8日)がパフォーマンスしたが、音がデカかった(特に、後半)。でも、歌声もそれぞれの楽器音もきっちり聞こえる。で、質量感と疾走感ありで、充実しているぢゃんと思わせられた。来週は彼らのトリビュート・アルバムをフォロウするいろんな担い手が出る公演が下北沢・ガーデンであるようだ。

 そして、オレゴン州ポートランドをベースにしているはずの、男女ユニットのクワージの実演。サム・クームズは電気キーボードか電気ギターを弾いて歌い、後から合流した(んだよな?)女性のジャネット・ワイスはどかすかとドラムを叩き、ときにコーラスを少し入れる。2人は数年前に来ているはずだが、ぼくが彼らを見るのは故エリオット・スミス(2000年1月24日)のサポートで来た1999年いらいかな。といっても、あまり覚えていないけど。ワイスは、スリーター・キニー(1999年6月28日)のメンバーとして来日したこともありましたね。

 ショウのアタマ半分はエレクトリック・ピアノとドラム、その後はギター(最初からギターをマイク・スタンドにこすりつけたりもした)とドラム、そしてまた最後は鍵盤とドラムという組み合わせで、外に広がる感覚を存分に持つロックを届ける。特に鍵盤を用いるときの手触りはびっくりするほどいい感じで、高揚したな。とてもポップでもある閃きある曲を臨機応変に(ジャジーではないが、それなりの即興性をはらむ。嵐の感覚を持つとも、ぼくは形容したくなるか)ぶち噛まして行く様にゃ、こりゃ彼らだけの魅力満載と頷く。キーボード使用の場合は初期のベン・フォールズ・ファイヴと近い部分も持つかもしれないが、クームズはフォールズ以上の才を持つと、ぼくは思った。なんと、アンダーレイテッドな人たちよ。

 とにかく、ロックとして必要なメロディ性や瑞々しさ(ぜんぜん、活動歴の澱が溜まっている感じがないのにも驚嘆)や野生がごろごろ。すげえ、クワージの実演は! 今年のロックのベスト10に入るライヴになるなと思って見始めたが、ショウが終わったときには2014年度ロック・ライヴのベスト3入り確定と思ってしまいました。

▶過去の、カーネーション
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200412212058580000/
http://43142.diarynote.jp/200604162050380000/
http://43142.diarynote.jp/201001051628013232/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110326
http://43142.diarynote.jp/201206021156313888/
http://43142.diarynote.jp/201212131649061802/
▶過去の、スミス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
▶過去の、スリーター・キニー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm

<今日の、時代劇>
 光通信TV放送のTBS系チャンネルで午前中に毎日、「水戸黄門」を放映していて、それが1969年制作のシーズン1のもののよう。わー。時代劇が苦手なので大昔からちゃんと見た事はないので、懐かしいとかは微塵にも思わないが、チラリとそれを見て感じたことが一つ。あくまで想像の範囲内での感想なのだが、画像の自然な深みのようなものは近年のものより秀でているのでないか。そして、それは当時まだ大昔の風景に似せることができる自然や建物が残っていたこととは関係があるだろう。また、その頃、映画流れの美学が活用されるとともに、カラーTV番組制作に燃える作り手の熱意も投影されていたろう。。。。とか、考えていたら、なんかあの頃のロック・アルバムの音が風情に満ちているのと重なるのかもなあと思ってしまった。“あの時代”だからこそ、出てくる正の何かは間違いなくあると、ぼくは思います。

 丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)での在NYギタリストのローゼンウィンケル(2009年3月1日、2010年3月12日、2013年11月20日)公演は、ピアニストのアーロン・パークス(2002年7月3日、2005年8月21日、2008年11月22日、2009年2月3日、2012年5月31日、2014年2月5日)、ウッド・ベースのオーランド・ル・フレミング(2012年3月12日)、ドラマーのコリン・ストラナハンを擁するカルテット編成にて。ストラナハンは左利き用のセッティングをしている。ジャズ仕様のそれだが、なぜかキック・ドラムを2つ置いていてありゃあ。ぼくが見聞きした限り、片方しか使わなかったはずだが。

 前半はストレート・アヘッドなジャズ・ギタリストとしての姿を前に出し、途中からオルタナ志向がより出て来くるような構成を持っていたような。この晩、ローゼンウィンケルの演奏に触れて認知したのは、もう少しエフェクターをかけない音色で勝負したほうがグっと来る(終盤、イントロ部でソロ演奏を少し披露したが、それには頷いたナ)と思えたことと、早いパッセージよりもゆったりしたフレイズを弾いているときのほうがぼくのセンサーを刺激したということ。中盤には、ガチンコな8ビートをドラマーが刻む曲があったが、メロディアスでもあるその際の演奏は強くぼくの記憶に残っている。その曲だけアーロン・パークスはエレクトリック・ピアノを弾いたが、彼のさりげない演奏は総じて趣味良し。彼のオリジナルも4人で演奏した。

 先月のパークスの同所でのリーダー公演より客の入りはよくなかったが、歓声はずっと熱い。そういえば、ぼくが入店する際、入場時にセカンド・ショウの良席を得るためにすでに並んでいる人も10人近くいたものなあ。やはり、彼は熱心なファンを持つと思わせられるとともに、ギタリストはそういうクレイズを得る傾向にあると再認識しました。

▶過去の、ローゼンウィンケル 
http://43142.diarynote.jp/200903031751323247/
http://43142.diarynote.jp/201003131221091991/
http://43142.diarynote.jp/201311230757159421/
▶過去の、パークス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/200811241224271906/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090203
http://43142.diarynote.jp/?day=20120531
http://43142.diarynote.jp/201402071150071550/
▶過去の、ル・フレミング
http://43142.diarynote.jp/?day=20120312

 その後は、六本木・ビルボードライブ東京に行って、クール&ザ・ギャングのポップ黄金期(1970年代後期から1980年代中期にかけて。一般的にはそうなるのだろうな)にフロントに立ったシンガーの公演を見る。ぼくのテイラー観やクール&ザ・ギャング観はテイラーを前に見たときに記してある(2006年11月27日)が、嫌いなはずのテイラーの実演に超ヤラれた様をそこに書き留めているよな。その後も彼は定期的に来日しているはずだが、ぼくはそれいらい彼のことを見る。やはり、高揚した。

 バンドは、音楽監督もしているキーボード(ヴォコーダーも用いる)、ギター、ベース、ドラム(彼のみアフリカ系)。プリセット音併用のもと音を送りだすが、その堂々とした押し出しの様に、見せる気満々のサウンドじゃあという印象を得る。別な言い方をすると、もっとデカいハコで映えるサウンド設定というか。その演奏が始まったとたん、主役の登場前から立ち上がる人も少なくない。

 そして、御大と3人のバックコーラスが出て来て、歌い、絡む。テイラーはちょうど還暦あたりだと思うが、そんなに老けておらず、歌声もOK。以前見たときほど酔狂なショウの設定ではないが、十分に彼らは見せる。それぞれ、4人は軽度の変更も含めると、4度ほど袖に下がり召替えをしましたね。披露される曲はクール&ザ・ギャングのポップ・ファンク曲だが、ちゃんと聞いたつもりはないのにどれも耳馴染み、かつなんの疑問もなくいい曲だなあと思える。人間の所感は移り変わるものよのお。1曲、とってもラガ化されたアレンジが施されていて、その際テイラーはトゥースティングもする。アレンジは少し変えられたりもしていた感じで、踊りを見せるところではMJの「スリラー」をインサートをしたりもしていた。

 起伏に富んだ、90分近くのショウ。最後に、メンバーがステージ前に横一線に立ち、中央に位置するテイラーは心のこもった謝辞を延々と続ける。善人顏だが、ほんと正の感情を彼は客に表出。メンバーが去った後も、彼は一人残り、サインに応じていた。

▶過去の、テイラー
http://43142.diarynote.jp/200611281428510000/

<今日の、外出>
 午前中にインタヴューが入っていたので、10時過ぎに家を出る。その後、一度家に帰ろうかと思ったが、なんとなく、そのままゆったり彷徨。好意的に思える人とばったり会う。あら。見聞が広がることも、2アイテム出会う。ほうというお店で食事もする。昼飲みもしちゃう。そして、時間はたち、2つ目のライヴを見て外に出ると、雨。あれれ、降るのは明日ではなかったか。その後、明けて2時ぐらいに飲み屋を出たときも雨は降っている。トホホだけど、なんかいっぱい遊んだと充実感を覚え、明日(すでに、今日だな)もちゃんと朝から仕事するゾと、なんか酔っぱらいつつやる気が出ていたような。ハハハ。

 ルー・クワール・デ・ラ・プラーノは、現在かなりインターナションルな規模で活動している仏マルセイユの男性コーラス・グループ。MCはリーダーが少しつたないながら、英語でやっていた。現在5人編成で、基本はアカペラ。だが、けっこう打楽器や手拍子などを介する曲が多い。アルバムでは、ブラス音が入る曲もある。

 銀座・王子ホール。ステージに出て来た面々は素っ気ない(ださい、とも言う)格好で、街の中〜青年団的風情あり。なんか、皆河岸とかで働いていそう? 彼らは横一線に並んだ椅子に座って歌ったり、立ったり、立ち位置を変えたり。といった感じで、シンプルながらも、いろんな見せ方をしようとする。

 そんな彼らのポイントは、地元に伝わるオック語を用いて歌声を重ね、そこに中央(パリ)とは線を引きたいマルセイユ居住者としての自負や地元文化謳歌/再興の意志をこめていること。というと、現代ポップ・ミュージックの大地に立って活動しているものの同様の姿勢を持つマルセイユ拠点のムッスー・テたち(2013年9月28日)のことを思い出してしまうが、彼らとの交遊ももちろんあるようだ。

 90分強、彼らが披露した15曲は同地に伝わるいろんな伝承曲やリーダーのマニュ・テロンのオリジナル曲。自作メロディの場合、古い詩に歌詞を付けたものも多いよう。その詩はプロテスト調や小咄ふうトホホな内容のものが主であるようだ。トラッドにしろオリジナルのメロディにせよ、いろんな工夫を介したコーラスのもと送られる肉声表現は曲調も覚えにくいし(曲が終わりなのかと思えば終わらなかったり、ときにすううと次の曲に続いたりもする)、なかなか説明に困るが、スリルとユーモアあり。とともに、そこは今を生きる集団ゆえ、他の欧州の地域音楽やアラブ音楽、さらにはブラジル音楽などの要素も入れていたりも。パンデイロやボーランみたいな打楽器を用いる場合、けっこうブラジル色を感じさせる曲があった。

 地方固有の言葉を用い、摩訶不思議にして驚愕しちゃう男性ポリフォニー・コーラスを聞かせるフランスのグループということでは、コルシカ島をベースとするア・フィレッタ(2010年8月25日、2010年9月4日)のことを思い出すが、ルー・クワール・デ・ラ・プラーノのほうがも少しちゃらくて、敷居が低い。静謐/圧倒度は、ア・フィレッタのほうが持つ。なんにせよ、いい意味で酔狂なことをしてるという感想はもわのわ沸き上がる。彼らには来週取材することになっているが、聞きたいことは山ほど……。

▶過去の、ムッスー・テ
http://43142.diarynote.jp/201310041548056608/
▶過去の、ア・フィレッタ
http://43142.diarynote.jp/201008270912512078/
http://43142.diarynote.jp/201009151537076176/

 その後、丸の内・コットンクラブで、ソングライターのマット・スローカム(ジョン・オーツ〜2005年3月21日、2011年2月28日、2012年4月5日〜みたいな風体の彼、ステージではギターを弾く)とシンガーのリー・ナッシュを核に置く、米国ナッシュヴィルのポップ・ロック・グループであるシックスペンス・ノン・ザ・リッチャーを見る。

 ところで、1990年代の中頃〜後期に、カントリー&ウェスタンの街であるテネシー州ナッシュヴィルが新たにソングライターの街として活況を呈していると話題になったことがあった。今はいるかどうかは知らないが、スティーヴ・ウィンウッド(2003年7月27日)も同地に引っ越して来ているという話も、ナッシュヴィルがカントリー&ウェスタンの街に留まらないことを印象づけたよな。そして、その新しいナッシュヴィルの音楽界を代表するプロデューサーとしてそのころ脚光を浴びたのが、ブラッド・ジョーンズ(NYの狼藉ジャズの敏腕ベーシスト〜2004年9月13日〜と同姓同名。もちろん、別人)だった。ベーシストやエンジニアリングをしていた彼はジル・ソヴュール、スワン・ダイヴ、スティーヴ・フォバート、マーシャル・クレンショウ、インペリアル・ドラッグとかを次々と手がけていた。当時、瑞々しいポップスを送り出していた在ナッシュヴィルのスワン・ダイヴのお二人にはインタヴューしたことがあったが、彼女たちは、ソングライターとして成功を求める人が多数ナッシュヴィルに集まり切磋琢磨し、街中にはそれを生で披露するカフェがいろいろある、みたいなことを言っていたっけ。現在ジャズ歌手としてエスタブリッシュされたヘイリー・ロレン(2012年2月13日)も作曲の勉強のためナッシュヴィル詣でをしたことがあるという経歴も、それを知れば全然不思議なことではない。あと、関係ないけど、ヤマハ楽器の米国オフィスはナッシュヴィルにあるようだ。

 長々とナッシュヴィルのことを書いてしまったが、シックスペンス・ノン・ザ・リッチャーはまさにそんな中西部にある“米国ソングライターの都”が育んだグループであると、感じてしまったナ。まず、その根底にあるのは、多くの人の心の琴線に触れるだろうメロディアス曲。万人向けのそれら(品行方正な内容が多いのだろう、本国ではクリスチャン・ミュージックというジャンルにも、彼女たちは入れられる)は、良く出来ている。で、そんなメロディをフロントに立つ女性シンガーが凛として広げるのだが、かなり喉力あり。ふむ、アメリカのライヴ・サーキットで、それは必要とされること。実演においては、ギター、ベース、ドラムという簡素な編成(この手の音楽性で、キーボードを入れないのは珍しい)で披露するのだが、このメロディとヴォーカルがあれば、怖いものナシというバンド方針を感じさせた?
 
 熱心に若い音楽を追うことをしなくなった層に吉となる、ポップ・ロック。なんか、ワスプを対象とする大人のお伽噺、という印象も、ぼくは得たか。ここには、米国の一局面を集約したようなメインストリーム表現、合衆国ならではの大衆ポップ・ミュージックの在り処がどーんとあると、感じてしまった。

▶過去の、オーツ
http://43142.diarynote.jp/200503240456350000/
http://43142.diarynote.jp/201103031015296753/
http://43142.diarynote.jp/201204091013123643/
▶過去の、ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
▶過去の、NYのジョーンズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20040913
▶過去の、ロレン
http://43142.diarynote.jp/201202141303117620/

<今日の、長方形>
 最寄り駅の地下ホームはずっとエアコンが入っておらず(それをバカにしていた友人がいました)、夏場はかなり暑かった。が、今日降りたら、なんとホームの随所にエアコンと思われるデカい長方形の金属物が設置されているのを認知。うれしい。と、思うとともに、これでまた今夏は電力が余分に使われるのかァと、少し顔をしかめる。基本、スーダラ快楽主義者なのに、なんで電力/エネルギー消費についてはストイックな考え方をぼくはするのだろう。やはり、原発事故による、心の痛みが大きいのか。

 六本木・EXシアター。出演者は、2005 年結成でアルバムを3枚出しているUK5人組のフォールズ(2008年7月28日、2011年2月15日)。この新ヴェニューは演劇みたいなのもよくやり、その際は椅子席会場として運営されるようだが、もちろんこの晩はスタンディング仕様にて。なるほど、けっこう入りそう(1000人とかは楽勝だろうな)で、フォールズはどんどん出世してるのだナと、実感できた。

 今回、彼らの外連味ないパフォーマンスを見て感じたのは、1980年代ニュー・ウェイヴ期のダンサブル傾向の好奇心旺盛バンド〜ニュー・ロマンティクスと言われた面々をそれに入れてもいいだろう〜のありかたを、今の感覚のもと実践している……。かつてのショウに感じたエッジィな部分は減じ、年齢的により幼くなった印象も受けたが、多くのファンには思わせなぶりな部分が減って、より歓迎かもしれぬ。彼らの来日公演、次はもっと大きなハコになるや否や?

▶過去の、フォールズ
http://43142.diarynote.jp/200807291559470000/
http://43142.diarynote.jp/201102190814304732/

 その後、南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)で、ブラジル出身のシンガー/ピアニスト(2009年8月18日、2011年10月6日)を見る。前回公演のときはトリオ単位にパーカッション奏者が加わり精気や弾みをおおいに与えていてうれしくなったが、今回はまたトリオにてパーフォーマンスする。少し、残念。
 
 大昔は凄腕インド人ドラマーのトリロク・グルトゥのグループにいたエレクトリック・ベースのマーク・ベルトー(2009年8月18日、2011年10月6日)と、まだ若そうなドラマーのユベール・コラウ(2011年10月6日)がサポート。ともに普段はフランスをベースとしているようで、するとマリアは少なくてもマネージメントはパリにおいているのか。彼女が昔ブラジルを出て最初に拠点を置いたのが、フランスだった。前回公演に同行した打楽器奏者のエヂモンド・カルネイロ(2011年10月6日)もセウ・ジョルジ(2005年9月1日)作に名前を見られもするが、他はアルチュール・アッシュ他のフランス人アーティストのアルバムにいろいろと関わっている奏者だった。

 3日間公演の最終セット。少しお疲れかなと思わせる部分もあったためか、これまで見たなかで一番じっくり、寛ぎジャジー度数高めにパフォーマンスしていると思えたような。すると、基本的な資質の高さが明解に露になる。なんにせよ、ブラジル的属性とジャズ流儀と我が道を行く自分が交錯したタレントであり、やはり何度触れてもいいなと思えた。

▶過去の、マリア
http://43142.diarynote.jp/200908221620058309/
http://43142.diarynote.jp/201110091258307349/

<今日の、もろもろ>
 なんの無茶も油断もしていないと思うのだが、昨日の夜から微熱が出ている(と、思う)。ベッドに入って、すぐに熱をはらんだ足がかっかとするので、そう自覚した。だが、明けて今日はなんか春が少しづつ近づいて来ているのかもと思わせる天気で、夕方に外に出たときも、なんとなくおだやか。思わず、家から渋谷まで歩いてしまう。陽もすこしづつ、長くなっているよなー。が、夜は風が出て来たせいもあって、かなりの寒さを感じた。
 渋谷からだとバス1本で会場前に降りることができる、テレビ朝日が作ったEXシアターには初めて入る。建物入り口上部にLED照明を使って出演者名が映し出されているが、それはなかなか目立つ。地階にある長方形のシンプルなハコで、使い勝手は良さそう。昔の渋谷オンエア・イーストをでっかくした感じ、とも少し思ったか。バルコニー席に座ってショウを見たが、椅子列の配置にあまり余裕は持たせておらず、一度奥に座ると出にくい。ぼくはお酒のお代わりするのを断念した。同業者はナイン・インチ・ネイルズ(2000年1月11日、2005年8月13日)に皆行っているのか、誰も合わなかった。あ、渋谷では米国ヴァーヴが送りだすスウェーデンのポップ・ロック・バンドのダーティ・ループスのショウケース・ライヴもあったので、そっち行った人もいたのかな。
 Jリーグよりも早く、ACLのグループ・リーグが始まる。なぜか、光通信TVチャンネルに日本テレビ系のジャイアンツ・チャンネルみたいなのが入るようになり、ちっ胸くそわりぃと思っていたのだが、何気にそこでACLの試合を放映するようでニンマリ。夜半に帰宅し、録画した北京国安とサンフレッチェ広島の試合を見る(予想どおり、途中で寝ちゃったが)。Jのチーム、今年こそは生き残ってほしいよなー。

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