カーネーション

2012年6月1日 音楽
 <HMV GET BACK SESSION>という、ローソン系レコード小売りチェーン店主導のライヴ企画があるのは、今回はじめて知った。とはいえ、これで2回目のようだが。それ、昔の名盤をがっつり再演しますよ、という趣旨を掲げたライヴ・シリーズのよう。で、この日みたのは、カーネーション(2011年3月26 日、他)の、1992年作『天国と地獄』の巻。リリース20周年を期にまとめられた特別版をフォロウするショウでもあるようだ。

 設定がしっかり。直枝政広(歌、ギター)と大田譲(ベース)のメンバー2人に加え、ドラムは張替智広。そこに、『天国と地獄』のころメンバーだった鳥羽修(ギター)、そしてキーボードの渡辺シュンスケ(2012年4月2日。自分のライヴのときは1台しか置かないくせに、この日はローランドとクラヴィアのキーボード2台を前に演奏)が入った基本となるバンドに、ロベルト小山(サックス、タンバリン)や大野由美子(モウグ・シンセサイザー。2011年9月16日、他)や美尾洋乃(ヴァイオリン)がときに加わる。女性陣が入ると、コーラスが充実する。MCで20年ぶりにやりますと言っていた曲もあったが、そのサウンドはまとまり充実していて、なんの不満もない。年月を経ての成熟というと臭くなるが、充実した今もちゃんと浮かび上がっていた。ギタリストもいるため、ときに直枝はギターを持たずに歌ったりするときも。なんか、新鮮? 彼、声は朗々ほんとうに良く出ていました。

 しかし、後ろ向き企画とはいえ、本当に気持ちよく和めたり、発汗できたりする。アリ、なんだろうな、こういう過去の秀でたプロダクツに光をあてんとする実演。送り手側にとっても、自分のやってきたことを再確認したり、自信を得たり、新たな刺激の種にもなるんじゃないか。でもって、ちゃんと能力もってなきゃ、再演されてもしらけちゃうわけで、これはアーティストにとって”踏み絵”的な企画でもあるとも言えるのではないだろうか。

 渋谷・WWW、混んでいた。次の用事もひかえていたので、キリよく本編(約90分)が終わった段階で失礼する。アンコールでは、この充実した顔ぶれで、今のカーネーション曲をごんごんやったのかなあ。


<今日の、ドラマ>
 サトー家ではいま地上派のTV放送がうつらないし、ほぼ毎日夜遊びしているので、日本のTVドラマを見ていない。だが、毎月3本無料で映画やTV番組を見ることができるという光通信チャンネルのサーヴィスを活用し、フジテレビの「家族のうた」というドラマを昼間にちゃんと見ちゃった。昔のドラマを臆面もなくパクったという批判を受けつつ放映を強行したらあまりの低視聴率で打ち切りになった、という報道に興味をひかれたから。意地悪だな、オレ。とともに、あれだけロックロックロックと連呼しているゴールデン・タイム枠ドラマも希有なのではないかという知人の発言が気になったから。で、感想は……見たのは3話だけだが、打ち切りになるほど酷いドラマとは、ぼくには思えない。
 批判を受けて後からだいぶ設定を変えたのかもしれないが、真似されたと言われる「パパはニュースキャスター」ともそんなに近いとは感じなかったし。だって、あっちは<持っている者の喜劇>なのに対し、こっちは<持たざる者の人情話>だもの。知り合いが指摘していたように、浪速節ホーム・ドラマにもかかわらず、確かに“ロック、ロックンロール”という言葉が数多く使われ、その精神的スタンスを柱に置くようなストーリー運びが取られている。キース・リチャーズはァとかいう台詞も出てくるし、往年のロック曲が流されたり、その手の写真やレコードも小物として用いられる。お、映画「ブルースブラザーズ」的? 確かに、ロックにつながる項目はびっくりするぐらい出てくる。しょぼい境遇の元スター・ロッカーという設定にある主人公のオダギリジョーも薄汚くも、怪演。だけど、それについて、ぼくは否定的な気持ちは持たなかった。ましてや、放映打ち切りさもありなん、なんては。
 ただ、そうなっちゃった理由はなんとく頭のなかに浮かぶ。多くの人は、先に書いたロック関連のいろんなネタがウゼえ、クセえ、訳ワカんねえと感じてしまい、それが低視聴率に結びついたのではないか。<いまだ日本では、ロックはお茶の間には受け入れられない>、そんなことを認知して、ぼくは少しヘコみました。とほほ。→→主人公が、一時は売れたけど今は駄目なダンサーとか、ラッパーだったらどうだったのだろう? 

 ひれ伏す人も少なくないだろうジャズ・ギター大御所ジム・ホール(2005年1月18日)の公演は南青山ブルーノート東京(ファースト・ショウ)。いまやECMアーティストでもあるかつてのNYボーダーレス音楽界の主任ドラマーだったドラムのジョーイ・バロン(2011年1月30日、他)、そしてベースのスコット・コリー(2012年3月15日)とともに出て来た1930年生まれの御大は杖をつき、腰は相当に曲がっている。とうぜん、歩くスピードも遅い。

 「オール・ザ・シングス・ユー・アー」や「ボディ&ソウル」などスタンダードやブルース曲が素材。弾きだすとやはり名手、閃きを介するこれぞなジャズ・ギター流儀/美学がなにげにアグレッシヴに送り出される。どこか歳とともに、ぎこちない部分も逆に出て来ているとも思うが、それも我が道を行く感覚や味をかもしだす。そんな彼につくリズム隊が上質、味わい深し。この会話の持つ三位一体もジャズなのだと、深く頷かされる。なんか、魔法の絨毯に乗っているような気持ちになれるもんね。フフ。

 最後は、朋友ソニー・ロリンズ(2005年11月13日)の陽性曲「セイント・トーマス」。そのとき、ホールはぐわりとエフェクターかけた音色にかえる。それ、スティール・パンの音色を想起させる? もともとカリブの血をひき、表題もヴァージン諸島にある島の名前だから、カリブ繋がり音色も理にはかなうか。ま、お茶目なじいちゃん濃度は増します。アンコールなし(まあ、あの歩き方で何度もステージにのぼらせるのは酷ではある)で約80分のパフォーマンス。

 ホールというと、繊細な演奏も頭に浮かぶが、昔からどこかに大胆不敵なオレ様なところを持っていて、今はある意味、そうした部分が分かりやすく出ている。彼は1日だけ、丸の内・コットンクラブで一人だけによるソロ・パフォーマンスをやった(ソールド・アウトだったよう)が、どうだったのだろう。もっと、やんちゃでわがままな面が出たりしたのだろうか。

 その後は、下北沢・ガーデンに行って、エミ・マイヤー(2011年6月5日、他)のツアー最終日を、セカンド・セットから見る。この日は、彼女の髪型がヤンキーのようになっていた。ここのところずっと一緒にやっているリズム・セクションに加え、一緒に曲作り作業をしている相対性理論のギタリストが加わってのパフォーマンス。伴奏陣の数が増えたぶん、鍵盤(今回のツアーは生ピアノではなく、電気キーボードを用いたよう)を弾かずに、マイクを持って歌う曲比率は高くなったか。ジョン・レノンの「イマジン」やルイ・アームストロングの「ホワット・ザ・ワンダフル・ワールド」もカヴァーも披露した。

<今日の、月>
 部分月食の晩(らしい)。一番欠けるのは、20時4分ごろということで、ブルーノートからガーデンに移動する間に、お月サマを見ようと思っていたら、すっかり忘れてしまった。ま、そんなもんサ、ぼくの人生。
 ドラマーのジョニー吉長(2008年10月5日)さんがお亡くなりになった。高校のころ、かつて結婚していた金子マリをフロントにおくバックスバニーのファンキーなライヴ曲をエア・チェックして何度も繰り返し聞いた記憶がある。彼とは90年代アタマごろだったか、一度きっちりお会いした事があった。彼の自伝を書いてみませんかと某出版社の編集者(それ以前、仕事をしたことがない方。なんで、ぼくに声をかけてきたのかな)に言われ、彼と話したのだ。混血であったことで、子供のころはいじめを受けたとも言っていた。当時、いじめ問題が社会問題化していて、編集者はいじめの問題と絡めたものにできたら、と言っていたように記憶する。当然その頃は、現在やはりミュージシャンとして活躍する息子さんたちはもちろんまだ世に出ていなかった。結局、本の話はなくなったが、あのときの物静かな吉永さんは格好良く、誠実だった。

加藤訓子

2012年6月7日 音楽
 ナッシュビルと横浜を拠点とするずっとクラシック畑を歩んで来た打楽器奏者のソロ・パフォーマンスを、横浜の日本大通り・像の鼻テラスで見る。赤レンガ倉庫と大桟橋のちょうど間のすぐ海の側にある建物(昼間は観光客のレストハウスなよう。ライヴが終わったあとも場内売店は開いていて、ちゃんとビールを売ってくれた。素晴らしいっ)、音響はどうかしらないが、眺めはいい。

 加藤は創造性と自我をたっぷりつぎ込んだソロ活動にげんざい邁進していて、ハイ・エンドのオーディオ機器で良く知られるグラスゴーのリンのオーディオ・ソフト部門と契約。そこから出されたステォーヴ・ライヒ曲集『Kuniko Plays Reich』は昨年のリン・レコードのベスト作品に選ばれたのだという。そのライヒのカウンターポイント(対位法)曲をパーカッションのヴァージョンに彼女がアレンジし一人で多重録音した『Kuniko Plays Reich』はライヒ当人お墨付きのもと世に出ており(添付原稿も提供)、昨年から各国でその実演版が披露されていて、2週間前にはNYでも同様なものをやっているようだ。

 マリンバ、ヴァイブラフォン、グリッケンシュピール、小さな金属の皿みたいなのが20個ぐらいならんだやつ、そしてスティール・パンが3つ。さらに、その楽器群のまわりをエクリプスの変形スピーカー10体が囲む。その前奏と中奏ではソロによる生演奏が披露されたが、ライヒ曲(「エレクトリック・カウンターポイント」、「シックス・マリンバズ・カウンターポイント」、「ヴァーモント・カウンターポイント」、「ニューヨーク・カウンターポイント」)演奏に関してはPC音を下敷きに、生演奏を重ねるというスタイルで事は進められる。もともとライヒのカウンターポイント曲は公演でステレオPAを用いることが明記されているようだが、ここではCDにおけるアンサンブルをよりリアルに再現するために10チャンネルにプリセット音を振ってサラウンド環境を求めている。

 いろんな部分で挑戦し、枠を超えようとするパフォーマンス。信頼できる協調者がいるなら皆でせえのでやったほうがいいとは感じるが、せえのでやるのが当然のクラシックの世界においてはこういうことも多大な挑戦となるのだろうな。しかし、ミニマル・ミュージックの場合、バックのトラック音がどんどん厚く(音数が増えて)いくと、生演奏を巧みにサンプリングしているような感覚を与えるのはとてもおもしろい。それから、ちょいパット・メセニーのオーケストリオン(2010年6月12日)を思い出させる局面も。そういえば、「エレクトリック・カウンターポイント」は最初ライヒがパット・メセニー(2012年3月3〜4日、他)のために作った曲だったんだっけか。アンコールは中南米的(わあ、大ざっぱな言い方)属性を持つトラックが流され、彼女は両手に持ったマラカスを身体を動かしながらずっとふる。ビューク(2008 年2月22日、他)が彼女をツアーに起用するというニュースを聞いても大きく頷くと、終演後に思った。

<今日の、新知識>
 行き帰りは、『Kuniko Plays Reich』の録音やサラウンド・マスタリングを部分担当したオノセイゲン(2000年3月15日、2009年1月17日、2011年8月4日)と一緒。相変わらず、海外にはよく行っているようだな。少し前にはカナダのマギル大学(音楽の課程は有名で、カナダのミュージシャンでここを出た人は少なくない)でジョージ・マッセンバーグらとしゃべってきたそう。もともとリンの丸基調の少し幾何学的社紋はお洒落で、大学生のころそのレコード・プレイヤーには憧れたことはあったが、なんでも同社は現在、高品質デジタル音楽配信に熱心で、CDは発売しているものの、CDプレイヤーの製造はやめてしまったのだそう。とか、いろいろセイゲンから教えてもらう。

 イエス!は1974年ボストン生まれのピアニストのアーロン・ゴールドバーグ(2011年7月4日)を中心とする、NYベースのピアノ・トリオ。彼はかなり前にジョシュア・レッドマン(2012年5月31日、他)のコンボ入りしたこともあったが、それは両者ともハーヴァード大学卒という項目つながり、なんても言われる。かつてそのゴールドバーグとともにOAMトリオというコンボを組んでいたりもしたイスラエル出身ベーシストのオマー・アヴィタルはゴールドバーグ以上に自己リーダー作の多い人物。そして、もう一人ドラマーのアリ・ジャクソン・Jr.はアフリカ系だ。そのジャクソンJr.の2008年リーダー作を聞くとルジアナ州ニューオーリンズ(NOLA)出身なのかと思わせられたりする曲もあり←たぶん、そうなんじゃないか。だから、NOLA出身のマルサリスは自分のリンカーン・センター・オーケストラに、ジャクソンJr.を雇ったりもしたのだと思う。同作では一部で注目のNOLA出身のジョナサン・パティステ(2010年6月13日)がピアノを弾き、ベースもマルサリス系列にいるカルロス・エンリケス、さらにはレジナルド・ヴィール(2010年9月30日、他)が起用されている。
 
 と、それなりのキャリアを持つ奏者たちのトリオだが、最初のほうは、そりゃ質は持つが、オリジナルをやりつつも基本オーソドックスなことをやるなあ、オレにはあまり関係ないピアノ・トリオかなあと少し醒めて接していた。が、途中、すんごい詩的で間を持つしっとり美曲をやったあたりから、どんどんワーキング・トリオとしての輝き、この3人ならではのコンビネーションが導く色合いを増していったような。それに続くは、セロニアス・モンクの「エピストロフィー」。これ、基本メンバーが出し合うオリジナル主体のイエス!の2012年新作にも収められていた曲だが、それとも少し違う感じのひねりを介していてもいて、いいじゃんと高揚した。本編最後の曲は諧謔も感じさせるヒネたアクセントを持つ曲。そして、アンコールはジョン・コルトレーンの「ジャイアント・ステップ」を揚々とかます。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。なお、お客さんがかなり温かい反応を見せ、当人たちもやりやすかったんじゃないだろうか。

 そして、青山・プラッサオンゼに移動して、カンタス村田とサンバマシーンズ(2011年5月8日、他)の選抜簡素版編成たるミニサンバマをセカンド・セットの途中から見る。ギター、複数の打楽器奏者やサックス奏者やダンサーを抜いてのもの、なり。この縮小版で関西ツアーもやったりもしているよう。このユニットだけでやる曲もあるなど、少人数(とはいえ、6人いるが)たる小回りの効き具合を前に出し、構成員の素顔を明快に出そうとしているところもあるのかな。

<今日の、プリウス>
 家の近くのけっこう大きめの時間貸し駐車場は、いつ見てもプリウスが多い。←それ、どうやら営業車も少なくないよう。この日は全体の3割ほど。いくら燃費がいいとはいえ、そんなに高比率で同一車種が並ぶというのは異常ではないか。いや、気持ち悪い。ましてや、空力はいいのかもしれないが、まるっきりワクワクするデザインを与えられていないわけだし。で、あのデザインだとメタリック系のくすんだ色しか似合わないのかもしれないが、色が大層しょぼい。これだけ世に氾濫している今、もっと車体色を増やすのはトヨタの義務だと思う。地球にはほんの少し優しいのかもしれないが、プリウスは今、道路や駐車場の風景を滅法つまらないものにしている。まあ、げんざい年間2000キロ強しか走らないぼくには、ハイブリッド車なんて無縁きわまりないものだから、余計にチっと感じるのかもしれないが。おれ、いま月一ぐらいでしか、給油しないもん。そんな大ベストセラー車のプリウスは現在タクシー車両にも採用されているが、この晩はじめて、プリウス・タクシーに乗った。通常のタクシーより上部スペースが狭く、少し窮屈に感じる。シートは固め、それは長い時間乗るにはいいかもしれない。運転手さんが言うには、これまでの3倍燃費がいい。ホントか。
 15時半から、映画「モンサントの不自然な食べもの」の試写を渋谷・アップリンク・ファクトリーで見る。ずっと米国ミズーリー州に本社を置くモンサント社のあまりにも極悪非道な商業活動(それは、米国の暗部をも直裁に照らす)を真正面から告発せんとする、2008年フランス/カナダ/ドイツ映画だ。

 そうなのかー。日本の電力会社もびっくりの人の道を外れた金儲けを延々続け、しかも同社はそれを南米や中国やインドなど今世界規模で行っているのだから開いた口が塞がらない。1901年設立で今は各国に現地法人を置く多国籍企業であるモンサントはもともととPCBとかヴェトナム戦争で使われた枯葉剤なんかを作っていた化学薬品の会社で、今は大豆やトウモロコシなどの遺伝子組み換えの種(それは特許が認められるゆえ、毎年種をうえるごとにお金が入ってくる。さらには、遺伝子組み換えの乳牛なども生み出している)とそれに合う除草剤など、バイオ化学の分野にすすみ巨大な富を得ている。遺伝組み替え食物の組織は自然のものと比すとエラーが出ているにもかかわらず、同じと嘘をつき、お金の力で為政者側を手なづけ……。いやはや、危ない話のテンコ盛り。

 感心したのは、作品構成。フランス人女性監督(ジャーナリストでもある、マリー・モニク・ロバン)が調べるインターネットの検索サイト画面とともに、映画は進行する。今や多くの人は何か分からないことがあるとすぐにPC検索に向かうわけで、それはコンテンポラリーなスピード感/筋の運びにつながる(とはいえ、題材がヘヴィなので軽快には見ることはできないが)し、自分で物事を調べていくような気持ちになる人もいるだろう。そして、PC情報の吟味から一歩前に出て、ロバンは様々な文献や映像にあたり、さらにはいろんな国の関連する人たちに取材を試み、それらをつないで大きな問題提起に結んでいる。

 目から鱗、ぼろぼろぼろ。TPPに加入すると、それらモンサントのあぶない食べ物が容易に流通してしまう(一応、日本モンサント株式会社というのがあるようだ)……。9月1日からアップリンクほかで公開。とともに、TPP加入反対の運動とつながる形での上映もなされるようだ。隣に座っている年配の方は暗い中、熱心にメモをとっていたな。
 
 その後、六本木・ビルボードライブ東京で、現代ブラック・ポップとジャズを行きする鍵盤奏者のロバート・グラスパー(2010年12月16日、他)のレギュラー・カルテットを見る。セカンド・ショウ。ケイシー・ベンジャミン(ヴォコーダー・ヴォーカル、効果音、アルト・サックス)、デリック・ホッジ(電気ベース)のおなじみの2人に、今回のドラマーはマーク・コレンバーグ。

 グラスパーの新作『ブラック・レディオ』はいろんなシンガーを擁する、ジャズも知っている私の現代ブラック・ポップと言うべき仕上がりになっていたが、もちろん4人でことにあたる実演は基本、毎度のロバート・グラスパー・エキスペリメントのパフォーマンス。ハービー・ハンコックのヘッドハンターズの「バタフライ」のカヴァーなどともに、同作に収められていたニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」もやったが。この曲、ケイリスやザ・バッド・プラスも取り上げているな。

 それにしても。ケイシー・ベンジャミンがフィーチャーされる時間はより長くなっていて、彼らのことを知らない人が見たら、グラスパーではなく、ショルダー・キーボードをさげヴォーコーダーを駆使するベンジャミンがリーダーだと思うのではないか。エフェクターをかけたアルト・サックスのソロを吹いた1曲以外、彼はすべてほにゃほにゃした機械経由肉声をたっぷりトリオ演奏に投げ出していた。グラスパーは少なくてもぼくが見た最後のときよりは鍵盤(ピアノ、電気ピアノ、シンセサイザー)を弾く生理的度数はあがった。だが、初来日時のようにジャズ流儀でごんごん弾く(彼が一番コピーしたジャズ・ピアニストはなぜかチック・コリア)というよりはかなりおさえた感じでリフ+αを重ね、そこから微妙な変化や発展の尻尾をみつけ、緩やかに動いて行こうとする感覚が強い。少なくてもこのプロジェクトにおいて、彼のピアノやキーボードのソロに対する考え方は大きく変わっていると思わざるを得ない。次回来たときには、取材を申し込んでみよう。

 先に触れたように、今回のドラマーは過去同行していた名手クリス・デイヴではない。ディアンジェロの復活ツアーに彼を取られてしまったので、いたしかたないだろう。なんでも、コンビを組むベーシストはフォーリィ(2011年1月23日、他)という話もある。うあー、すげえ。さすがはディアンジェロ。で、新任のコレンバーグだが、パっと触れたぶんにはさすがデイヴと比べるのは少しかわいそうかも。彼はテリオン・ガリー(2010年3月23日、他)やジーン・レイク(2009年3月18日、他)らのようにスネアを二つ並べ、さらに電気パッド(それで、ハンド・クラップを出したりしていた)も置いていた。エリン・ボーディ公演(2009年3月26日)のとき、彼は同行しているのではという人もいましたが。演奏時間はアンコールなしで1時間40分強。過去のグラスパー公演のなかで一番長かった。

<今日の、渋谷>
 この日は雨で、外にいると肌寒い。映画とライヴのあいだに、サッカーのワールドカップのアジア最終予選の対豪州のアウェー戦を馴染みの店で見る。ブラジルW杯の予選をちゃんとTVで見るのは初めてだァ。渋谷は夕方になると、青い衣服を来た人が散見されるようになり、TV放映をしているお店の客引きが出たりもし、スポーツ・バーのところには列ができていた。テレ朝の中継、やっぱサッカー観/知識においても日本語能力においても人間性においても問題あるとしか思えない松木の解説うぜえっ。大嫌い。でも、一緒に見ていた他の人はそれを喜んでいた。彼がクビにならない理由が分かったような。この前のヨルダン戦で6-0で勝ったときは予選にも関わらず、試合終了後の渋谷駅前スクランブル交差点は、南アのW杯の日本勝利のとき同様にすごい騒ぎだったらしい。その模様、10年後には当然の風景であるのか。それとも、あんなこともあったねーとなるのか。

 このマイルス・デイヴィス・バンドに80年代初頭に抜擢され知名度を得た現代ジャズ/フュージョンのギタリスト(2010年6月6日、他)は1953年生まれだから、来年は還暦だ。でも、頭髪もふさふさ長髪だし、この手の担い手のなかでは本当に老けていない筆頭のアーティストとなるのだと思う。とともに、若さを保てているのはその快活にして純な振る舞いができる御仁だから、なんてライヴ・パフォーマンスを見ていると思わずにはいられないかな。やはり、彼はそうした部分で、あまりに他のミュージシャンとは物腰が違いすぎる。が、それはあってしかるべきであるし、だから触れる価値もある。

 例によって、キーボードレスで、電気トランペット奏者のランディ・ブレッカーを含むカルテット編成。今回のベースは過去ウェイン・ショーターのカルテットに何度も同行しているジョン・パティトゥッチ(2004年2月9日、他)で、彼はここでは6弦のエレクトリック・ベースに専念。毎度のデイヴ・ウェックル(ドラム)とは80年代後期のGRP レーベルの最たるリズム・セクションだったっけか。基本はエフェクターが効いたギター音が気持ち良さそうに泳ぐがちんこフュージョン、曲はけっこうエスニックな色彩を持つものも少なくないのだなと思わせられたか。スターンはテーマ部のときに一緒にハミングしたりも、それは過去もそうだったっけ? その図も、“永遠のギター小僧”には似合います。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

 続いて、南青山・月見ル君想フ。地に足つけつつ私の考えるグローバル・ミュージックを求める行動派歌手(2010年10月16日、他)のグループの実演を見る。当人に加えて、鬼怒無月(ギター。2012年2月10日、他)、佐野篤(電気ベース、他。2006年3月24日)、ヤヒロトモヒロ(打楽器。10月26日、他)という面々からなる。南米各国やアフリカのアンゴラやカーボ・ヴェルデの曲、それには美空ひばりの持ち曲なども取り上げつつ、生気とぬくもりを持つ歌を生理的にどこか飛躍する感覚ととに聞き手に届ける。彼女たちの前にソロでパフォーマンスしたSaigenji(2009年8月9日、他)もフルート、パーカッション、ギター、詠唱で部分加わったりも。彼のギター・アルバム、誰か作ったりしないかな。

<おとといの、ホテル>
 おととい、2010年秋に新しく開業したザ・キャピトルホテル東急(←ザ・リッツ・カールトンに向こうを張ったのか、新築後は定冠詞がつくようになった)にあるインタヴューで行った。旧キャピトル東急はよく来日アーティストが投宿ししょっちゅう行っていたこともあるが、新しくなってからは初めてとなる。なんでも、新体験はうれしい。喫茶室の名前は前と同じように、オリガミだった。取材の場所はスイート・ルーム、チェックチェック。ツインで置かれたベッドが小さく感じた。従業員の接客は異常に丁寧なような、雑なよりはもちろんいい。旧ホテルはザ・ビートルズが1966 年来日時に宿泊したホテルとしても知られる(彼らが泊まったときは、東急も関与していたヒルトン・ホテルだった)が、彼らが記者会見した間の屏風の一部が宴会場フロアに残されているらしい。

 渋谷・クラブクアトロ。まず、ギターその他の桜井芳樹(2005年2月19日、他)がリーダーとなるロンサム・ストリングス(2007年6月29日)&中村まりがパフォーマンス。ベーシストの松永孝義(2005年10月21日、他)が体調不良で欠席、ベースレスでことにあたる。でも太い弦が4本減っても、歌を担当する中村まりもアコースティック・ギターを持つし、バンジョー(原さとし)やスティール・ギター(田村玄一。リトルテンポ〜2011年9月16日、他〜のときとはやはり感じが違う)もあるし、文字通りストリングがいっぱい、だな。そういえば、(1曲ごとの)各楽器のチューニングが長いのでライヴ向きのバンドじゃないですといった、桜井による謙譲MCもあり。なんにせよ、遠い米国土着音楽の襞や記憶をすうっと立ち上がらせるような弦楽器による渋味サウンドに、中村の一言でいえば訴求力をたんと持つなめらかな歌が無理なく乗る。日本人がやるからこその、俯瞰の感覚もある。実は、中村の歌には初めて触れるが、ほうこんなん。いろいろと好評は聞いていたが、自然体のいい歌い手だな。

 そして、ソーラスのステージ。こちらは、アイルランド系米国人(現在、女性シンガーとギタリストはアイルランド生まれなよう)がアイルランド伝統音楽の襞を探訪/構築しようとしていると言えるか。いろんな楽器(バンジョー、マンドリン、フルート。ホイッスル、他)を弾くリーダーのシェイマス・イーガン、生ギター(1曲リード・ヴォーカルも取った)、フィドル、女性アコーディオン(名古屋公演で興がのり、ステップを踏んだら足を痛めてしまい、ギブスのようなものを片足につけていた)、ヴォーカル・ナンバーのときに出てくる女性歌手(部分的にフォドルも演奏)という陣容。インタヴューしたら年間200回もライヴをやっていると言っていた(そりゃ、メンバー・チェンジも多くなるは……)が、なるほどこれはきっちり米国でもまれたバンドであると頷く。もう、目鼻立ちがパッチリ。ベースレス編成ながら、生ギターの低音弦の音だけピック・アップしてベース音として増幅したり、イーガンの左足によるストンプ音を拾って、ビートやスピード感を強調したいときはそれをPAからドバっと出したり。また、皆でコーラスもちゃんとつけるし、という具合で、いろんな部分で起伏や変化にとみ、さすがは派手なポップ・ミュージックが叛乱する米国で15年以上も渋い活動をきっちり維持してきているブループだと痛感させられた。彼らは見事に、異国の地で花咲く輪郭のはっきりしたアイリッシュ・ミュージックをきっちり出していた。また、今回はそこに部分的にカナダのザ・ステップ・クルー(2011年12月10日、他)の女性ダンサー2人も加わり、よりメリハリがつけられる。

 アンコールは両者一緒にパフォーマンス。あちらの人たちと一緒にやると中村の味の良さがまた実感できる。すごいっ。ソーラスの面々も絶賛というのも伺える。充実した、いいライヴ・ショウだった。

 ソーラスは今、“シャムロック・シティ”というプロジェクトに心血を注いでいる。それは、<アイリッシュ移民としての、ルーツ探しの物語>の創作、と言えるか。なんでも、移住したときからフィラデルフィアに住むイーガン家のひい叔父にあたるマイケル・コンウェイという人物の移民人生を主題とするもの。で、そこでキーとなるのが、モンタナ州のビュートという町。コンウェイは当初フィラデルフィアに上陸した(1910年。タイタニック号が出航した1年前で、彼は19歳だった)ものの、職を求めてはるばる銅の採掘でにぎわっていた炭坑町のビュートに向かう。当時、電球や電話の発明で銅が必要とされ、その採掘地であったビュートは黄金の町として栄え、そこでは差別の対象となったアイルランド人が雇われやすかった。50年代いこう町はすっかり廃れてしまっているが、当時ビュートはミネアポリスからシアトルにかけての地域で最大の町であったそうだ。

 ビュートで炭坑夫として働くようになったコンウェイはアマチュアのボクサーでもあった。そして、彼は試合をしたが、賭けに関与していた保安官にわざと負けることを強要されたにも関わらず勝ってしまい、1916年に保安官に撲殺されてしまう。イーガンは小さい頃からその話を聞かされていたものの、ひい叔父の人生に向き合おうと思ったのは2003年になってからだった。同年にライヴのためにビュートに行ったら、一気に祖先やビュートに対する様々な想いが沸き上がってしまった。その寂れた場には、工業化/近代生活の礎になった人たちの音楽が横にある活気ある日常も鮮やかに透けて見えた! そして、ひい叔父や彼が住んだ炭坑町の数奇なストーリーはけっして葬られるべきものではなく、リーマン・ショック以後のアメリカにも何かを訴えるものではないかと、彼の考えはいたる。ちなみに、ビュートは当時労働運動が群をぬいて盛んな地区として米国史には刻まれているようだ。

 その後、彼は堰を切ったようにそれをテーマとするオリジナル曲を作り(この晩もいくつかパフォーマンスした)、映像があったほうが力はますと考え、自ら監督として映画作りに着手してまった。現在は最後の編集段階に入っており、ソーラスの次作『シャムロック・シティ』は音盤と映像の2本立てでのリリースとなる。かつ、イーガンは同プロジェクトの小説も準備している。


<今日の、東急本店>
 ライヴ会場に行く前に、<アート・オブ・ブリティッシュ・ロック>という、無料の展覧会を渋谷のブンカムラ・ギャラリーで見る。かなり観覧者がいて、盛況。表題どおり、英国ロック関連の絵画、版画、写真などを展示。想像した以上に、置かれた点数は多かった。扱われるアーティストはザ・ビートルズからブラーまでいろいろ。アンディ・ウォホールやリチャード・アヴェドンの作品もあり、ジョン・エントウィスルやグレアム・コクソンなどミュージシャン自身によるものも。また、ほとんどの作品は販売もしていて、20万円弱のものが多かったか(番高いのは400万円代)。他にもポスト・カードやポスターなども売られている。コンサート前や隣上階のでっかい本屋に行くついでにのぞいても損はないだろう。ネット時代にこういう出し物は強いのかも、などとも思った。6月21日(木)まで。

 無料の野外音楽イヴェント“音楽の日2012”をやっている飯田橋の日仏学院に、夕方行く。雨が上がり、陽が指していてよかった。中庭にくつろいだ人がいっぱい、飲み物や食べ物の販売もなされている。そして、野外ステージが二つ。着いたときは、アコーディオン、ヴァイオリン、ベース、ギターからなる表現という名前のアコースティックな日本人4人組が最後の曲をやっている。生理的に傍若無人な感じが歌にあって、それをなんら悪びれることなく広げていて、少し感心。

 そして、少し大きな方のステージにフランス人シンガー・ソングライター(歌と生ギター)のベン・マスエが、サポートの電気ギタリストを伴って登場。ポイントはヒップホップ世代であることを伝える歌い方や、風通しの良さを持っていること。ときにジャック・ジョンソン(2007年4月5、6日、他)を思い出させるような曲もあった。それから、ナイス・ガイなんだろうなーと思わせるところがびんびんにあって、それも美点に違いない。お昼過ぎからやっているはずのこのイヴェント、この後にも2組出演したはずだが、渋谷に向かう。

 そして、サラヴァ東京。ギターの藤本一馬(2011年8月22日)とバンドネオンの北村聡(2010年10月16日)のデュオを少し見る。会場の雰囲気と合い、しっとり。意図ある楽器音が場内に融けていく。そして、わりと近くのバー・イッシーに。リジェンダリーな実験ロック・バンドであるヘンリー・カウの3人(げんざい、皆60代半ばのよう)に、英国在住の現代音楽/即興音楽家のユミ・ハラ・コークウェルが加わった即興バンドであるアルトー・ビーツのライヴなり。この晩は、日本ツアーの最終日。ぼくはヘンリー・カウ以上に、歌/ポップ度数の高い、その発展グループのアート・ベアーズが好きだった。

 まず、1部は1/4のジョン・グリーヴスの、悠々キーボード弾き語り。即興性と天を見上げる風情も持つ透明度のある歌心がとても美味しい次元で折り合うようなパフォーマンス。いいもん聞かさせてもらいましたと、頭を垂れるしかない。一部、フランス語曲も。
 
 そして、2部はアルトー・ビーツ4人によるパフォーマンス。こちらではグり
ーヴスは電気ベースを弾き、ドラムのクリス・カトラー(ドラム)、フルートやシンセサイザーや歌などのジェフ・レイ、電気キーボードや歌のユミ・ハラ・コークウェル(ピアノ)とともに、発展の窓を見ながら音や声を重ね合う。
 
 ぼくの位置からは容易には全体の様を見渡すことはできなかったのだが、なんか演奏している姿も格好良かったような。基本は即興、ながらどこかにロックという円に留まる何かもあると感じられ、それが格好いい。1時間やって、そのままアンコール。そこで、ウィーン在住の内橋和久(ギター、装置。2011年5月22日、他)が加わる。4人は前日に即興を題材とするワークショップをやり、その参加者たちと観客の前でも即興演奏したのだという。見事に開かれたその姿勢、すごいな。

<今日の、情報>
 内橋和久が、ConTRaDisc/コントラディスクという新レーベル(発売元はボンバ)を立ち上げた。コンテンポラリーとトラディッショナルの内なる融合を求めるものだそうで、7月に出る第一弾は、インドネシアのセンヤワとの邂逅作。なんでも、近年アジアの音楽シーンに対する興味がわいており各国にいろいろ仕事で出向くようにしていて、その一環で出会ったのだという。センヤワは歌手と竹に弦を張ったような自作楽器や笛を吹く奏者からなり、アルバムは完全即興で録られているようだ。

 まず、”グルーヴ・マスター”のトリオのライヴを、六本木・ビルボードライブ東京で見る(ファースト・ショウ)。まあ、40年前と比べれば“立ち”は減じているだろうが、スネアの音とか気持ちいい。仲良しの、オルガンのルューベン・ウィルソン(2006年7月26日)とギターのグラント・グリーンJr.(2003年4月18日、2006年7月26日、他)とのパフォーマンス。ブルース曲やソウル曲を、ビートの効いたオルガン・ジャズ・スタイルで披露。ロバータ・フラックの「フィール・ライク・メイキン・ラヴ」やザ・テンプテーションズの「ジャスト・マイ・イマジネーソン」などでは、グリーンJr.がヴォーカルも取る。アンコールはブルース・スタンダードの「スウィート・ホーム・シカゴ」。それシャッフル・ビートでやったのだが、やたら目鼻立ちの効いた音をパーディが繰り出していてニンマリ。

 続いて、南青山・ブルーノート東京。シンガー/フュリューゲルホーン奏者のTOKU(2011年3月16日、他)が辣腕ドラマーのテリオン・ガリー(2010年3月23日、他)らアトランタのミュージシャンたちを呼んでのもの。クルスチャン・マクブライドやダイアン・リーヴスらのサポートでおなじみのガリーが実はアトランタ在住であったとは知らなかった。TOKUは今回も参加のピアノ/キーボードの宮本貴奈と知り合い彼女が居住していたアトランタに行くようになり(現在、宮本は結婚し英国に在住)、同地のミュージシャン/音楽環境を気に入り近2作を同所で録音している。で、その2011年新作は『シングス&プレイズ・スティーヴィ・ワンダー』というトリビュート作で、今回はそれをフォロウし、ワンダー曲をやった。いい曲をジャジーなアレンジのもとしっとり、ときにホットに送り出す。メンバーをまとめつつ中央に立つTOKUの所作に触れつつ、いい歌手だなとも再確認。怖い顔したガリーが一生懸命コーラスを取っているのも楽し、ミュージシャン側の歓びが手にとるように分かった。

<今日の台風>
 梅雨入りはしているが、じめじめをまだ感じていないのに、台風上陸(4号らしい)というのはびっくり。実際、公共交通が止まるのを危惧して早々に帰宅した勤め人もいたそう。でも、両会場とも盛況だったんだけどね。確かに、18時すぎに六本木に向かうときから、雨は強め。ビルボードライブの実演終了後はより雨は強くなっていた。が、タクシーはすぐに拾えた。で、ブルーノートでの90分強のライヴのあと外に出ると、雨より風がすごい。なんと、一発で傘が壊れる! タクシーも捕まらないし、近くの知人がやっているバーに逃げ込もうとしたら、しまっている。しょうがねえと表参道駅まで行ったら、渋谷までは動いているが、田園都市線や東横線はとまっているという。強風で、多摩川の橋が渡れないらしい。ならばと、完全飲みモードにかえる。翌日、見事にハング・オーヴァー……。

 大昔に同名のフュージョン・バンドが日本にあったが、こちらは米国の西海岸系敏腕奏者があつまったユニット。ぼくは元EW&Fのモーリス・プレジャー(鍵盤。2008年3月5日、2010年11月11日、他)や元ルーファス(2011年6月22日、他)のボビー・ワトソン(ベース。いろんな弾き方をしていたなあ)を見たくて行ったが、リーダーシップは人気セッション・ギタリストのマイケル・トンプソンが一番握っていたのかな。彼、フランス人サッカー監督のブルーノ・メツみたいな感じの人だった。

 他に、時に朗々とヴォーカルもとるアルト・サックス奏者兼キーボード奏者、そしてドラマーとあまり目立たない打楽器奏者という布陣。本来、このネイティヴ・サンは元ルーファスで売れっ子セッション・マン/制作者となったドラマーのジョン・ロビンソンを中心に組まれたという話もあるが、今回の来日公演に彼は同行していない。
 
 プレジャーは少しトランペットも手にし、アルト・サックスとともにアンサンブルをとる場合も。ぼくは、ジャジーなソウル・インストみたいなのを期待していったのだが、思った以上にスムース・ジャズ度&太平楽ロック度があって、それには腰がひける。終盤にやった、ハービー・ハンコック(2012年3月3日、他)の「処女航海」のアレンジは生理的に下品と感じた。ただ、皆うまいし、これは自らの愉しみのためのパフォーマンスなのだよとうれしそうにやっている様は、良かった。

 丸の内・コットンクラブから、南青山・ブルーノート東京に移動。こちらは、現在イエロージャケッツ(2009年3月23日)のメンバーでもあるテナー・サックス奏者が率いるビッグ・バンドで、総勢18人。ミンツァーは1980年代前半にジャコ・パストリアス・ビッグ・バンドにも関与し、ドラマーはそのときの同僚でもあったピーター・アースキン。ピアノはイエロージャケッツの同僚のラッセル・フェランテ、ベースはこの前来て間もないリンカーン・ゴーインズ(2012年5月11日)だ。ゴーインズは電気ベースを主に弾いていた。

 MCによれば、管奏者のほうにはヴァンガード・オーケストラ(2011年12月14日)のメンバーも少しいるようだ。ドラマーのピーター・アースキンは、遠目には地底レコードの吉田さんみたいに見えた。そして、2曲(だったか?)にはブルーノートやコンコードからリーダー作をいろいろだしている米国人ジャズ歌手のカート・エリングが加わって、厚いサウンドと競演する。贅沢な設定、なり。彼の歌の節回しを聞くとTOKU(2012年6月19日、他)が彼にとても影響を受けているのが分る。とはいえ、声質はTOKUのほうが個性的で魅力的となるかな。エリングさん、自分の出番でないときも、ちゃんとフロア後方からバンドの演奏を見守っていた。真摯な人なのだな。

 1984年か85年のころ、ミンツァーのビッグ・バンドのアルバムがCBSソニーからリリースされたりもしたので、基本はビッグ・バンドありきでちょこちょこいろんな仕事をこなして来た人物なんだと思う。そんな彼に率いられたバンドは良好、ビッグ・バンドっていいなと素直に思わされる。基本をおさえたうえで、現代的な部分も持とうとし、例えばそれはブラジル的要素をビッグ・バンド表現に抱えようとしていたところに顕われる。バーデン・パウエルの「ビリンバウ」を取り上げたり(一方では、パット・メセニー曲も採用する)、バンドにブラジル人若手ギタリストのシコ・ピニェイロを入れている事実にもそれは出ていたろう。ちゃんとゲスト・シンガーが呼んでいるにも関わらず、ピニェイロは歌うパートもしっかり与えられた。

<今日の、こんにちわ>
 家の近所、駅に向かう途中で、兄妹だろう小さな子供2人が仲良く遊んでいる。横を通ると、お兄さんのほうが笑顔で、「こんにちは」。そして、妹も兄にならい「こんにちは」。ちょっと不意打ちをつかれた気持ちをえつつ、なんとかぼくも「こんにちは」と初めて会うだろう2人に挨拶をかえす。おそらく、親にちゃんと挨拶をしなさいと言われているのだろうな。でも、今日日は知らない人とは話しちゃ駄目と言う親も少なくないようにも思えるが。。。。。。。残念ながら、ぼくは基本あいさつが苦手なガキだった。けっこう人見知りするのと、大人に話しかけるのって、相手の領域にずけずけ入っていくような気がして腰がひけた。あと、そのころから、面倒くさがりだった? 挨拶しないよりはしたほうが、場が丸く収まるのは間違いがないけれど。

 ヒップホップ要素がメインストリームR&Bに入り込んだ1980年代後期(ニュー・ジャック・スウィング、なんて呼称もありました)に世に出た、美貌でも売った女性シンガーがキャリン・ホワイト。ジェフ・ローバー(2012 年3月3日)やベイビーフェイスらが制作した1988年デビュー・アルバム1作で人気者になり、飛躍作たる1999年セカンド・アルバムはジミー・ジャム&テリー・ルイスのプロデュース。そして、テリー・ルイスと結婚し、もう1作アルバムをだして引退。彼女は2児の母にもなるが離婚&再婚し、2012年に出た通算4作目は18年ぶりのアルバムとなる。

 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。入りは上々。2キーボード、ギター、ベース(新作の主任プロデューサーでもあるデレク・アレン)、ドラム、男女コーラス(男性はラップもする)という布陣。なんでも、サンフランシスコでお披露目のライヴを1度したあと、日本で大々的にパフォーマンスするという。というのはともかく、ステージに出て来たホワイトは体躯もスマートだし、そんなに老けてない。歌いだしたら歌は少し不安定、ビートものよりスロウもののほうがいいと感じる。というか、過去の曲よりも、大人なしっとり路線を追求した今の曲のほうが歌えていた。

 アンコール曲は“エヴリシング・イズ・ゴナ・ビー・オールライト”という1コードの連呼パート(ボブ・マーリーの曲とは別)がアカペラとなり、そのまま演奏から離れたバンド員も前に出て並ぶという設定。それ、何気にいい感じだった。

<今日の、黄金>
 “黄金の、フライデイ”と知人が言っている。毎週金曜に首相官邸前でやっている、大飯原発再稼働反対/脱原発意思表明の集会のもりあがりについて。6月9日にちょい行ったときと、人の集まり方がぜんぜん違う。どんどん草の根的に市民が集まり、大きな動きになっているのを実感。変化につながるかもと、希望を持ちたくなる。ライヴを見る予定があり、30分ほどしか場に入れないぼくが言うのもなんだが。

菊地雅章

2012年6月24日 音楽
 リアル・ジャズ・ピアニスト中のリアル・ジャズ・ピアニスト。来年でNYに居住することになって40年となる日本人ピアニスト(2004年11月3日、他)のことをそう言うのになんの逡巡もございません。リアルなジャズ感覚を持つゆえ、彼は電気キーボード使用のグルーヴ・バンド路線にも手を染めたりもしたわけだ。って、なんか禅問答みたいな書き方になるけど。

 トーマス・モーガン(ウッド・ベース)とトッド・ニューフェルド(ガット・ギター)とのトリオによる。エレクトリック・バンド編成の際は複数のギタリストを起用していたが、純ジャズ路線においてギタリストを起用するのは初めてではないか。まあ、長年の同士、ポール・モーシャン(ドラム)が亡くなってしまったので、気分をかえてというところもあったのかもしれないが。

 今年ECMからリリースされた新作『サンライズ』(モーガンとモーシャンとのトリオによる)は完全インプロヴィゼーションによる演奏が10 曲収められていたが、この日も基本はそう。ただし、「ブルー・モンク」や「オルフェ」をモチーフとするものもあり。とにかく、菊地をトライアングルの頂点に起きつつ、三者が研ぎすまされまくりで反応し合う。その結果、あまりにも刺激的で味もある音の揺ら揺らやほつれが連鎖していき、生理的に美しい響きが会場内に満ちる。ああ、えも言われぬ。

 大病だったことも伝えられたプーさん(菊地雅章の長年の愛称)だが思っていたよりは元気そう、まだまだ彼が発する美や刺激を享受できるはずと確信。自分のなかにある無限の音を拾い上げる際に出る必然性あるうなり声もちゃんと出ていたしね。そういえば、ギタリストのニューフェルドもプーさんに負けず劣らず声が出る。どんな演奏するのかと思いきや、けっこう菊地とモーガンのデュオ演奏の部分もあったけど、これがデレク・ベイリーとかを思い出させる流儀を持つ。なるほど、ギターを入れたかったのではなく、ニューフェルドという個体と出会ったからギター奏者をプーさんはバンドに入れてみたのだろうなと、思わせる弾き口を彼は持っていた。MCによれば、このトリオにフリー・ジャズの大ドラマーであるアンドリュー・シリルを入れたカルテットも、菊地は画策しているよう。

<今日の、認知>
 この日、昼間は車で動いていて、その流れでブルーノートには車で行く。ゆえに、この晩はハーブ茶飲みながらの、アルコール非摂取でのライヴ拝見。基本ライヴを見るさい飲まなきゃいられないが、こういう研ぎすまされた実演は酒なしでもアリと思えたのは確か。会場向かいの大きなコイン・パーキングは20分で300円(前はもっと高い料金をとっていた)。前後、ゆっくりしていれば、2000円ぐらいにはなるか。なら、タクシーで往復しても変わらない、となる。なるほど、頭に入れておこう。

 ナーヴは、1990年代前半に好事家から熱い注視を受けたNYの混沌ファンク・ロック・バンドのスクリーミング・ヘッドレス・トーソズでドラマーをずっと勤めていたジョジョ・メイヤー(1963年、スイス生まれ)がいる人力ドラムン・ベースのバンド。他に、キーボードや装置の中村卓也(2007年4月12日)と電気ベースのジョン・デイヴィスを擁する。南青山・月見ル君想フ。

 ほう、さすがメイヤーのドラミングは耳を惹く。面白〜い。スネアは二つ使用、奇麗なレギュラー・グリップでザクザク叩いていく様はジャズ出身であることを認識させるか。で、キーボード奏者が優秀で単なるドラミング見本市に陥ることなく、イケてる広角型クラブ・ミュージック生演奏にまで高める。例えばどこかフュージョンぽさも持っていた同編成のザ・ヌマ・トリオ(2007年10月10月)とは抱えているキャパシティが違うと思わずにはいられず。“ストップ&ゴー”と言いたくなるような仕掛けもいろいろなされているが、それもバシっと決まって気持ちいい。ファースト・ショウを見て、ブルーノート東京へ。

 昨晩につづき、菊地雅章トリオのパフォーマンスを堪能。曲が決まってないのだから、そりゃ毎晩演奏は違う。今日のほうが少しテンポが早いものが多く、ギタリストがこの晩のほう演奏に入る時間は長かった。最後にピアノ・ソロで小曲をやったのは、両晩ともに同じ。この晩は、その際「ネイチャー・ボーイ」を弾いた。ソロ・ピアノも聞きてー。ECM盤『サンライズ』より、ぼくは今回の実演のほうが好きかな。ま、芸のない言い方になるが、昨日/今日とまさに至福の体験でありました。

 会場には、NY在住のフルート奏者のYUKARI(2011月2月12日。この7月21日から日本を回る)も。なんでも、サイドの2人とは4、5年前から付き合いがあって、とくにモーガンとは親しかったそう。やはり彼、けっこう今は忙しくなっているとか。

<翌日の、プーさん>
 明けて、午後にインタヴュー。いろんな話がきけた。へえ、そうなんですかあ、の連続。話の量は普通におこせば10000字近いだろう。ジャズ・ジャパン誌用に取ったが、まだ文字数をもらっていないものの、分量の関係で捨てる話は多くなりそうだ。ともあれプーさん、すぐ側で見てもやはりけっこう元気そう。その所感を告げると、シャレにならない大病だったんだと言う。寝ていて脊髄も3カ所損傷した、なんても言っていた。彼の父親は画家で、それゆえ東京芸大付属高時代は音楽のほうのクラスにいた(同級生が、渋谷毅;2011年6月23日、他)にも関わらず、大学は絵画の課程に来ないかと芸大の先生から誘いがあったそう。音楽をやりたいと断ったら、結局音楽のほうには進めなくなってしまったのだとか。もちろん渋谷毅は中退したものの、上に進んでいる。本人の意思で大学には行かず高校卒業後現場に出たのかと思っていたのだが、実は大学進学希望だったのだそう。ま、高校では教室でたき火をしたりして、けっこう問題学生だったようだが。そんな血筋を持つわけで、プーさんは自分では描かないものの絵画好き。で、数年前にシャガールの絵にはまり(!! シャガールとは、けっこう意外)、それで表現観がおおきく変わり、それでまた自己表現に対して大きなモティヴェイションを得ている。ECM発の『サンライズ』(2009年9月録音、発売は2012年)はそんな自己内の変化を経てのアルバムだそう。
 さあ、今週はインタヴュー週間。プーさんはペンギン・カフェのアーサー・ジェフスに続く本日2本目の取材で、今週はあと4本ほどインタヴュー予定が控えている。締め切り以外なんもない週もあるが、入るときは入る。でも、均一しているよりは、そっちのほうがなんかいいなー。

ジューサ

2012年6月27日 音楽
 このキューバ生まれの個性派シンガー/ギタリスト/ベーシストの前回の実演(2011年10月3日)は昨年のベスト10に入るだろう名演だったが、今回はベスト30ぐらいに入るとしておこうか。昨年公演と近い設定のもので、それだとお初の際のほうが印象が強くなるのは仕方がない。

 昨年はギター、ベース、ドラマーを従えてのものだったが、今回はギタリストなしのトリオ編成にて。そのリズム隊は2人とも(現在、ジューサが居住する)アルゼンチン人で、昨年公演にも同行しているという。ジューサはけっこうジャジーなギターのおさえ方をするんだな。今回、声が少し枯れていたのは残念。なんか、昨日から痛めてしまったらしい。もちろん、それでも気や奥行きは持つ。彼女、一部は4弦電気ベースを持ち、ツイン・ベース+ドラムという編成でやったときも。また、ジューサのギターをベーシストが弾き、ベーシストが弾いていた6弦ベースをジューサが演奏し歌ったときもあったが、エフェクター遣いの差もあるのだろうが、同じ楽器を弾いてもジューサの音のほうがぜんぜん無骨で太いのには笑った。

<このところの、気候>
 少し蒸し暑さを感じる場合も稀にあるが、そんなに暑くない日々が続く。今日もライヴ後、外に出たら涼しさを感じる。6月は雨もほんとうに少なくて、暑くもなく、過ごしやすかった。って、昨年も同様に感じていたら、急に暑くなったんだっけ? 2008年から続けているエコであらんとするエアコンなしの生活、今年はどうしよう? 目下の懸案はそれ。知り合いから夜に音楽を聞く時、(エアコンを使わず)窓を開けっ放しでも平気なんですかと問われたが、夜はほとんど外出しているのでその心配はない。立ち寄った店で聞く以外、音楽ソフトを聞く機会は夜はほぼない。もちろん、昼間はそこそこの音量で聞きまくっている→外来者によるチャイムの音がなっても分らない場合があるのは、実は長年の悩みデス。

 カンピロンゴとは妙な名字だが、サンフランシスコ生まれの米国人(年齢は50絡みか)で、ノラ・ジョーンズ(2010年1月20日、他)のカントリー・ポップ・プロジェクトであるリトル・ウィリーズのギタリストでもある人。で、その一般的な知名度以上にいろんな同業者からリスペクトされているという話もある(その最たるのが、ジョーンズのサイド・プロジェクト参加を請われたことか)が、異議なし! と言いたくなる実演であったな。下北沢、ラ・カーニャ。彼はこの土曜のウォッチング・ザ・スカイというフェスにジェジー・ハリス・バンド他とともに出演する。
,
 ウッド・ベース奏者とドラマー(オランダ出身とか。ときに、ブラシを用いたりも)を率いてのもので、皆スーツ崩しの出で立ちで登場、それには、ニューヨーカーぽいと思わせられたか。で、カンピロンゴはずっとテレキャスターを弾く。早弾きなどはしないが思った以上にトリッキーでもあった彼の演奏風情は悠々、”ひっかかりを持ちまくるギター音がいっぱい”なショウであったな。糸巻きを自在に回したりボディをそらしたりしながら音程を代え、ブリッジ側で弾いて金属的な音をだしたり、ピッキング・ミュート音も多様するなど、いろんな弾き方で、フレイズ的にも音色的にも変幻自在。かといって、そんなにエフェクターは使っていないはずで、こりゃすごい。かつ、アコースティック・ギターに持ち替えた2曲(それだと、レオ・コッケぽくなる)以外は同じギター1本でこなし、いかにもチューニングが狂いそう(かつ、ギターにも負担がかかりそう。そのためか、新しいギターを使っていたな)な弾き方をするにも関わらず、チューニングもしない。ジェフ・ベック(2009年2月6日)もまったくそうだが、それだけとってもヴァーチュオーゾと思わされる。1曲ごとにギターを換えるミュージシャンもいるが、やはりそれは基本イモな行為だとぼくは思わざるをえません。

 すべて、インストにてなされた。基本尖ったカントリー傾向のものから、まさにビル・フリゼール(2010年1月30日)的な行き方を持つものまで、なんでもあり。「ムーン・リヴァー」などスタンダード曲の新解釈演奏もするし、ブルース・コード曲も嫌いじゃなさそうだし、1曲はジェフ・ベックのファンも喜びそうな感じの曲だった。リズム隊は訥々傾向にありつつ、器用に、過不足なく主役に寄り添う。会場では彼がリリースしたアルバム6枚を販売していたのだが、その価格は1000円。安い、偉い。

 そして、下北沢・キューに。態度も歌の度量もデカい女性歌手(2001年5月29日)と鬼怒無月(2012年6月13日、他)とのデュオ。オリジナルから有名曲カヴァーまで、鬼怒はすべてアコースティック・ギターを弾く。さらに、杉原てつ(歌、ハーモニカ)が加わり、笑いと気安さを添える。

<今日の、東京ゲートブリッジ>
 この2月に開通した東京湾の埋め立て地をつなぐ東京ゲートブリッジをやっと渡った。大田区京浜島のほうから入り、江東区へ抜ける。そしたら、東京ゲートブリッジって、どことなくサンフランシスコとオークランドを結ぶベイ・ブリッジの吊り橋(の方の写真は、タワー・オブ・パワーの『バック・トゥ・オークランド』のジャケット写真にも使われていますね)じゃない方のオークランド側にかかる橋と似ているかもと感じる。米国西海岸のそれを渡ったのはかなり前のことなので、あんまし自信がないけれど。話は飛ぶが、ベイ・ブリッジというと、横浜のベイブリッジが開通したときのことを思い出す。東京湾にかかる初のデカい橋で、たいそう話題になり、ぼくも早々に渡りに行った記憶がある。80年代後半のことか。交通量が少なくなる夜半になると、橋の車道の外側にずらりと車が停車、管理するほうはそれを黙認していたんだろーな。そのとき、俺は何に乗っていたっけ。1990年代アタマまではいろんな車に乗りたくて、中古車を1〜2年おきに代えていたんだよなー。いすゞの車も乗ったことがあったけど、あのころまでいすゞの乗用車には都会的なイメージがあった。

 まず、コメディアン出身のボブキャット・ゴールドスウェイト(1961年生まれ)監督による2011年米国映画を渋谷・映画美学校試写室で見る。

 事前に抱いたイメージと異なったな。夢も希望もないしがない中年男が内的にパンクな女子高校生とともに、アメリカを旅しながら気に入らない連中を次々に銃殺していく。そんなストーリー情報から、モラルなんぞあっちへホイのドライな不道徳映画かと、ぼくは思ったのだ。他愛がないからこそ、スカっとする味も出る……。ところが、基本の筋はまったくそのとおりなのだが、その表題にも示唆されるように、もっとジトっとした味を持つ、いろいろとヤバいアメリカ現況を憂う方向性を抱える、何気にマジメな問いかけを持つ映画だった。

 いろいろ考えさせられて、娯楽映画というには、なにかとヘヴィ。台詞にロック・ミュージシャンの名前がいくつも出て来たりもするが、一番意味ある感じで出され、曲も複数使われるのは1970年代前半のトリックスター的大人気ロッカーだったアリス・クーパー(特殊ジャケットの王者でもありましたね)。そして、今の米国の駄目さの象徴として大きく扱われるのが“アメリカン・アイドル”(映画中では“アメリカン・スーパースター”という番組名になる)。それ、“アメリカン・アイドル”嫌いとしては溜飲がさがる。7月下旬より公開。

 そして、国会議事堂周辺によってから、南青山・ブルーノート東京で、日本人人気アルト・サックス奏者(2011年7月4日、他)の公演を見る。ここ数年は若いNYの黒人ミュージシャンをいろいろと呼んでいる(そのなかの一人、コンコードからヒップホップ世代であることを出すリーダー作をリリースしたベン・ウィリアムズはいまやパット・メセニー・バンドの一員だァ)渡辺貞夫だが、今回もまったくそう。クリス・クロスからリーダー・アルバムを数作リリースし、この5月末のトム・ハレル公演にも同行していたはずのダニー・グリセット(ピアノ)は渡辺貞夫の米国ツアーに参加したのが縁とか。バシっと格好も決まった彼は格好いい。ベーシストのヴィセンテ・アーチャー(2010年7月24日、他)はエキスペリエンス名義でやる前のロバート・グラスパー公演(2007年10月3日、2009年4月13日)に同行していた人物で、ドラマーのオベド・カルヴェール(2012年3月20日、他)はデイヴィッド・キコウスキ(2012年1月13日)やリチャード・ボナ(2012年5月14 日、他)からミュージック・ソウルチャイルド(2009年9月26日)やジョーなどのアーバン系までいろんなアルバムに名が見られる人物。彼、4ビートはレギュラー・グリップを用い、ブラジリアン調やアフリカン調曲はマッチド・グリップで叩く。オリジナル曲とともに、旧友チャーリー・マリアーノ(2005年12月18日)の曲も2つ演奏。

<今日の、憂慮>
 もう10年強歯科医院に行っていない。虫歯はたぶんないわけではないだろうが、行きつけ(というほどは、行っていないが)のすぐ近くの歯医者さんがいつの間にかなくなってしまい、新しい医院を開拓するのが面倒でまいっかとなっている。その隣組の歯医者、当初は若い女性を2人ぐらい雇っていたが、それがいつのまにか医師本人だけでやるようになり、入り口横に停まっていたレンジ・ローヴァーは国産車に代わった。巷で言われるように、歯科医院経営は厳しいのだろうなと思っていたら、ある日突然そこが更地になっていた。うーん。ぼく、変死体で発見されたら、歯形確認ができるカルテもなく、身元確認はできないかも。池尻大橋周辺の歯科医院で評判のいいところ、誰か知りません? ところで、ぼくは親知らずを抜いた事がない。痛みを感じたこともなく、そのままあるはずだ。

 昼下がり、“ウォッチング・ザ・スカイ”と名付けられた野外フェスティヴァル(今年2度目。もう、5回目を数える)に顔を出す。上野恩賜公演野外ステージ、千代田線の湯島で降りるとけっこう近い。まだ時間も早く、ただでさえ緩いはずのイヴェントがも〜ゆるゆる。子供連れも、ちらほら。北里彰久のユニットであるアルフレッドビーチ・サンダル、そしてナカムラヒロシのi-dep(リラックス・セット・ウィズ・ダー・ライヴ・バンド)、二つの日本人アクトに触れる。

 前者はギターを弾きながら歌う北里をギターとウッド・ベースが隙間を留意しまくる感じでサポート。ちょっと変なコード使いを持つ、オルタナティヴな弛緩しまくった曲作りが生命線と思わせる、ぽっかり漂い流れるギター弾き語り主体表現が披露される。室内会場のほうが持ち味が伝わりやすいだろうが、個性を感じた。一方、電気キーボードを弾くナカムラに、歌手、ギター、ドラムという編成の後者はとっても満たされた情緒を持つ、ときにソウルぽくもあるメロウなポップスを披露。あまり上手ではないMCによればサポートの3人は普段ジャズをやっているとか。確かに痩身なシンガーの牧野竜太郎の一生懸命なジャズ・ヴォーカル作は数年前に雑誌レヴューしたことがあって、けっこうほめたことがある。

 その後、新宿文化センター(初めて行ったが、普通のコンサート・ホール)に行き、不世出のドイツ人舞踏家(1940〜2009年)を追悼する出し物を見る。満員。なんでも、生前ここで彼女が公演をやったことがあったため、この会場が選ばれたようだ。

 1部は、彼女の1985年の公演「カフェ・ミュラー」の映像を流し、2部は同舞踏団に音楽を提供していた三宅純が仕切る音楽公演という構成。アートなもの(と、言われるもの)から遠ざかろうとする(それを、ありがたがる人の様が痒くてたまらないもので……)志向を持つぼくはピナ・バウシュの名前は知っていても、ちゃんと彼女のプロダクツに触れたことはなかったが、へーえ。閉店したカフェというちゃんと舞台設定された空間を用い、とってもストーリー性に満ちた人間の動きを綴っていた。肉体性やスキルを直裁に追求するという感じではなく、ちゃんとそれを導く機微/道理を求めている。他の出し物は知らないが。

 2部は、現在パリと東京を行ったり来たりしている三宅にプラスして、弦楽四重奏団を含む全9人のバンドによるパフォーマンス。三宅はピアノや電気ピアノを弾き、ときにトランペットを吹く。そして、三宅とはパリで知り合った米国人歌手のリサ・パピーノやポリフォニーの女性3人コーラス・グループであるブルガリア・コズミック・ヴォイセズ合唱団が曲によっては入って、刺と流麗さを併せ持つサウンドに肉声を載せる。その歌の担当者たちはともにおおいに味と存在感あり。後者は3人の民族衣装をまとったシンガーの前に女性指揮者が立ち、その指揮のもと歌は流れ出す。サウンドはプリセット音をおおいに併用。エンジニアはZAKが担当していた。一言でいえば、賢者の現代サウンド絵巻、なり。

<今日の、へーえ>
 会場間の移動は、大江戸線で1本。地下鉄網がはりめぐらされていると、なるほど便利だ。新宿文化センターの前にはイーストサイドという再開発地区がドーンとある(大江戸線東新宿駅や副都心線新宿三丁目駅ができてこその一角か。とはいえ、ともに徒歩10分弱かかるが)のだが、そこに立てられた高層ビルの造形/素材使いはなかなかに目を引く。うひょう。一瞬大地震がきたときのことを案じつつ、無条件にそれには感心。ちゃんと、意思が設計/デザインに投影されていると思った。何気に、建築ブツが好きなワタシ。でも多感な時期にはまったく興味なく、そっちのほうに進みたいなんては毛頭思わなかったなー。トホホなぐらい、音楽好きだったもので……。