青葉市子。リッキー・リー・ジョーンズ
2013年8月7日 音楽 確固とした個を持つ、日米の、新旧の女性シンガー・ソングライターの公演を、青山・CAYと六本木・ビルボードライブ東京(セカンド・ショウ)で見る。国籍も年齢も異なるし、重なる所感を得ることはないだろうと思っていたが、ライヴ・パフォーマンスにおける自分の衝動や思いを奔放に出そうとする様、自分の世界を抱えようとするがゆえのスポンテイニアスさの回路の持ち方は意外に距離感が近かも、とほんわか思う。青葉はかなり不思議ちゃんノリを出す人だが、かつてのジョーンズは小悪魔的な感触を与える人物であった。あ、今でも童女っぽい無邪気さは出しているか。
4作目となる新作『ラヂヲ』(コモンズ)は青葉市子と妖精たちというアーティスト名義で送り出されるFM特番がソースとなりもので、坂本龍一(2012年3月21日、他)、小山田圭吾(2012年8月12日、他)、細野晴臣(2013年1月29日)、U-zhaan(2013年6月19日)とのセッション作。発売日当日に持たれたこのギグには、小山田圭吾と細野晴臣が加わる。ぼくは2部の頭まで見たのだが、一部で生ギター弾き語りの青葉を小山田は全曲でサポート、電気ギターであいの手を入れる。まっとうな(シンガー・)ソングライターでありつつ、思うまま場で舞うのを楽しむように青葉は一期一会的な流れるパフォーマンスを志向、小山田はそれを楽しむかのようにいろんなギター音を繰り出す。なるほど、彼女は七尾旅人(2013年6月6日、他)が大好きらしいが、それも分る行き方ナリ。そして、その行間から、もう一つの含みや情緒やストーリー性がぽわーんと広がって行く。それはちょい、えも言われぬ何かを聞き手に与えるな。細野は一部最後の2曲で生ギターを持って加わり、チャプリンの「スマイル」を歌ったりもした。彼が出て来ただけで、場がまた別の手触りをもつのには頷く。
ジョーンズの実演は、前回も同行していたチェロ奏者のエド・ウィレットとのデュオによる。彼は完全に3歩下がった位置で、ピチカートや弓弾きで控え目にサポート。ながら、バッキング・ヴォーカルは朗々とした声質のもと堂々と付ける。協調する奏者が少ないぶん、彼女はより気ままにカっとばす。元歌に親しんでいる人が聞くとわーこんなに興味深い開き方をするのという思いが間違いなく生まれるだろうが、本日初めて聞く人だと曲調が分りづらいと感じるものもあったかもしれない。それぐらい、ジョーンズはワタクシ様で行っていたということですね。
基本アコースティック・ギターを爪弾きなが歌うが、中盤の数曲はグランド・ピアノを弾きながら歌う。1981年セカンド作オープナーの「ウィ・ビロング・トゥゲザー」はほんとすうっと心のなかに入ってくる歌。大昔、徹夜明け、朝日が差し込むなか聞くと途方もなくグっと来る曲だと、ぼくは認定していた。彼女、けっこう初期有名曲を屈託なく、披露してくれたな。
<今日の、R.I.P.>
ジョージ・デューク(1946年、北カリフォルニア生まれ)死去とのニュースが流れている。8月5日に慢性リンパ性白血病という病気で亡くなったようだが、病気であったのは公表されていなかったし、昨年暮れも来日公演をしていた(2012年12月5日)ので、突然の他界という印象を持ってしまう。彼の遺作となった2013年作『ドリーム・ウィーヴァー』(ヘッズ・アップ)はライナーノーツ担当盤なのだが、死をどこか念頭においたアルバムであったのかと、悲報を前に、今にして思う。これまでの歩みを括るようにいろんな人を呼び、なかには「ウィ・アー・ザ・ワールド」的ヴォーカル・リレー曲も収録されている。そして、スライ・ストーン版「ケ・セラ・セラ」のサバけた諦観情緒をもろに引き継ぐ慈愛曲もある。それが、『ドリーム・ウィーヴァー』のクロージング曲だ。また、一方では故ティーナ・マリー(2010年死去)のアウト・テイク曲を遺族の好意で持ってきて手を加えて入れてみたり、故ジェフ・リー・ジョンソン(2013年1月死去。2004年10月28日、2012年9月9日)にも華やかな場を与えていたり。そのなかには、アルバムの統一感を削ぐ、ジョンソンが作曲者クレジットにも入った15分強のファンク・ジャム曲もあった。そして、何より理想主義にも満ちた同作は二人三脚状態だった妻コリーンの昨年7月の死を受け、絶望の縁から立ち直り、万感の思いを込めて制作したアルバムであったのだ。彼は、この作品のことを、ここのところもっとも正直なアルバムだ、とコメントしたという。切ない。知己が多い人だけに、本国での同業者の間ではさぞや大騒ぎであると思う。インドネシアのフェスで呑気にしているのを見かけたとき(2012年3月2日)、声をかけとけば良かった。彼はそのフェス中深夜に宿泊していたホテルで、スティーヴィー・ワンダーともセッションをした。ミスター・デューク、天国には仲間がいっぱいいるさ!
4作目となる新作『ラヂヲ』(コモンズ)は青葉市子と妖精たちというアーティスト名義で送り出されるFM特番がソースとなりもので、坂本龍一(2012年3月21日、他)、小山田圭吾(2012年8月12日、他)、細野晴臣(2013年1月29日)、U-zhaan(2013年6月19日)とのセッション作。発売日当日に持たれたこのギグには、小山田圭吾と細野晴臣が加わる。ぼくは2部の頭まで見たのだが、一部で生ギター弾き語りの青葉を小山田は全曲でサポート、電気ギターであいの手を入れる。まっとうな(シンガー・)ソングライターでありつつ、思うまま場で舞うのを楽しむように青葉は一期一会的な流れるパフォーマンスを志向、小山田はそれを楽しむかのようにいろんなギター音を繰り出す。なるほど、彼女は七尾旅人(2013年6月6日、他)が大好きらしいが、それも分る行き方ナリ。そして、その行間から、もう一つの含みや情緒やストーリー性がぽわーんと広がって行く。それはちょい、えも言われぬ何かを聞き手に与えるな。細野は一部最後の2曲で生ギターを持って加わり、チャプリンの「スマイル」を歌ったりもした。彼が出て来ただけで、場がまた別の手触りをもつのには頷く。
ジョーンズの実演は、前回も同行していたチェロ奏者のエド・ウィレットとのデュオによる。彼は完全に3歩下がった位置で、ピチカートや弓弾きで控え目にサポート。ながら、バッキング・ヴォーカルは朗々とした声質のもと堂々と付ける。協調する奏者が少ないぶん、彼女はより気ままにカっとばす。元歌に親しんでいる人が聞くとわーこんなに興味深い開き方をするのという思いが間違いなく生まれるだろうが、本日初めて聞く人だと曲調が分りづらいと感じるものもあったかもしれない。それぐらい、ジョーンズはワタクシ様で行っていたということですね。
基本アコースティック・ギターを爪弾きなが歌うが、中盤の数曲はグランド・ピアノを弾きながら歌う。1981年セカンド作オープナーの「ウィ・ビロング・トゥゲザー」はほんとすうっと心のなかに入ってくる歌。大昔、徹夜明け、朝日が差し込むなか聞くと途方もなくグっと来る曲だと、ぼくは認定していた。彼女、けっこう初期有名曲を屈託なく、披露してくれたな。
<今日の、R.I.P.>
ジョージ・デューク(1946年、北カリフォルニア生まれ)死去とのニュースが流れている。8月5日に慢性リンパ性白血病という病気で亡くなったようだが、病気であったのは公表されていなかったし、昨年暮れも来日公演をしていた(2012年12月5日)ので、突然の他界という印象を持ってしまう。彼の遺作となった2013年作『ドリーム・ウィーヴァー』(ヘッズ・アップ)はライナーノーツ担当盤なのだが、死をどこか念頭においたアルバムであったのかと、悲報を前に、今にして思う。これまでの歩みを括るようにいろんな人を呼び、なかには「ウィ・アー・ザ・ワールド」的ヴォーカル・リレー曲も収録されている。そして、スライ・ストーン版「ケ・セラ・セラ」のサバけた諦観情緒をもろに引き継ぐ慈愛曲もある。それが、『ドリーム・ウィーヴァー』のクロージング曲だ。また、一方では故ティーナ・マリー(2010年死去)のアウト・テイク曲を遺族の好意で持ってきて手を加えて入れてみたり、故ジェフ・リー・ジョンソン(2013年1月死去。2004年10月28日、2012年9月9日)にも華やかな場を与えていたり。そのなかには、アルバムの統一感を削ぐ、ジョンソンが作曲者クレジットにも入った15分強のファンク・ジャム曲もあった。そして、何より理想主義にも満ちた同作は二人三脚状態だった妻コリーンの昨年7月の死を受け、絶望の縁から立ち直り、万感の思いを込めて制作したアルバムであったのだ。彼は、この作品のことを、ここのところもっとも正直なアルバムだ、とコメントしたという。切ない。知己が多い人だけに、本国での同業者の間ではさぞや大騒ぎであると思う。インドネシアのフェスで呑気にしているのを見かけたとき(2012年3月2日)、声をかけとけば良かった。彼はそのフェス中深夜に宿泊していたホテルで、スティーヴィー・ワンダーともセッションをした。ミスター・デューク、天国には仲間がいっぱいいるさ!