ここのところ毎年、有楽町周辺で9月上旬に開かれている音楽フェス。主要のステージは3つもうけられ、東京国際フォーラムのホールAを会場とする<the HALL>、国際フォーラムの中庭に作られた野外ステージの<the PLAZA>、そしてコットンクラブを会場とする<the CLUB>。うち、<the PLAZA>は無料で、昔から東京ジャズは只のステージにイケてる担い手が出ることで定評を持つ。以下、見た人を箇条書きで記す。

■シモン・ダルメ<the PLAZA>
 ピアノを弾きながら歌う、1981年生まれのフランス人シンガー・ソングライター。どこかザ・ビーチ・ボーイズの幻影も追っているところも持ち、風情ある淡さも持つ人物。最初聞いたとき、初期のプラッシュ(2002年6月23日)もぼくは少し思い出したかな。前半のほうしか見れなかったのが、残念。
■マット・ダスク・ウィズ 八代亜紀<the HALL>
 洒脱エンターテインメント系カナダ人ジャズ歌手(2013年6月26日)、ピアノ・トリオ+二管を擁しての、秀でたマナー全開のパフォーマンス。途中に八代亜紀(2012年11月9日)が出て来て、数曲歌う。
■ダニ&デボラ・グルジェル・クアルテート<the PLAZA>
 注目の在サンパウロのシンガーが、ピアニストの母親と組んでいるカルテット。流儀はジャズ、メロディや情緒はブラジル、てな、乱暴な説明ができるか。ダニ・グルジェルはスキャットも多用。これも前半部だけ見た。
■デレブ・ザ・アンバサダー<the CLUB>
 エチオピア出身歌手を中央に置く、豪州バンド。リーダーシップも取るフロント・マンが本物、いい感じ。
■大江千里サタデイ・ナイト・オーケストラ<the HALL>
 在NY作曲家/ピアニストが率いる、12人編成(指揮者も含む)のグループ。なんと、1928年生まれの大御所ジャズ・シンガーのシーラ・ジョーダンがゲストで少し歌う。わー、彼女ばかり見ちゃったよー。
■リー・コニッツ・カルテット<the HALL>
 1927年生まれ、長年あっち側を飄々と切り取ってきたアルト・サックス奏者。1ホーンのカルテットにてパフォーマンス。比較的常識的な設定が取られていたが、それでもあの人が吹くと清新な綾が表われる。ベース奏者は菊地雅章の2012年トリオ公演(2012年6月24日、25日)で来日したトーマス・モーガンだった。
■ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ<the HALL>
 全12人で登場の、著名企画キューバン・ラテン集団(2001年2月9日)。途中から、オマーラ・ポルトゥオンド(2012年5月1日)が出て来て、一気に場を輝かさせる。彼女は1930年生まれ、いやはや夜のホール公演は枯れぬ老人力が3ステージ続けてアピールされたことになるのだな。
■ニュー・クール・コレクティヴ<the PLAZA>
 オランダの雑食系ジャジー・ファンキー・バンド(2009年9月6日)。いっぱい、人が集まっていた。結構、時間を押してもやっていたが、あの辺なら夜中まで音を出しても問題ないんじゃないか。

<今夏の、落とし物>
 また、暑くなっている。ひええ〜。汗をかいても平気なように、ばくはハンド・タオルを必ず携帯する。夏場外出時の、必需品じゃ。それにしても、今年はたくさん外でハンド・タオルを落としたな。15枚ぐらいは平気で。今日も汗をぬぐおうとしたら、手にしていた上着のポケットに入れていた(通常、バッグのたぐいを持たないもので……)ハンド・タオルがない。また、落としちまったよー。現在家にあるハンド・タオルの在庫数(?)を見るに、自分の不注意さとボケ進行を実感せざるを得ない。

 まず、南青山・ブルーノート東京(ファースト・ショウ)で、グレゴリー・ポーターを見る。今年2度目の、ブルーノート東京公演となる。通算3作目となる新作『リキッド・スピリット』はブルーノート・レーベルに移籍してのアルバム。とはいえ、同様にブルーノート契約アーティストとなったホセ・ジェイムズ(2013年2月15日、他)と異なり、彼の場合はフランスのユニヴァーサル・ミュージックが引っ張った末に、ブルーノートの紋章がつくようになったようだが。だが、そのためもあってか、制作者やバンドを含め旧来の体制で新作は作られ、“変わらなくてもいいもの”を追求した、等身大アルバムになっている。で、新作からの曲を含めたショウもまったくもって、前回(2013年3月6日)感じた魅力をそのまま引き継ぐものなり。胸いっぱい、心弾む。そして、次に来たときもまた見たいと思わせる。

 ある曲のピアノ・ソロのときエルトン・ジョンの「ベニー・アンド・ザ・ジェッツ」(1974年全米総合1位、R&Bチャート15位。米国黒人に受けた最初の英国人の曲とも言われる。なるほど、エルトン・ジョンはこの曲でTV「ソウル・トレイン」に出たりもした)を引用したり、ポーターがスキャットを噛ましている際に「フリーダム・ジャズ・ダンス」を歌い込むときもあり。

 その後、”QUIET DAWN”SESSION♯01と名付けられた出し物を、代官山・山羊に、聞く に見に行く。ギターの藤本一馬(2013年4月19日、他)、ピアノの林正樹、コントラバスの沢田穣治(2012年5月16日、他)、ドラムの田中徳崇という単位で演奏。今の新感覚南米音楽共感も持つ、もう一つの間や広がりを意識する日本人奏者たちが集う、と書けるか。そして、セカンド・ショウには、アントニオ・ロウレイロ(2013年8月29日)が入り、電気キーボードを弾くとともに、ドラムも1曲で叩く。彼、レギュラー・グリップで叩いていた。

 同業者の注目も高かったようで、プロの奏者を散見。あんな人やこんな人も。会場は少し手が入れられたようで、ステージはかつて個室みたいになっていたところにあった。

<今日の、ぎょっ>
 日中、暑かった。在豪エチオピアン歌謡バンドのデレブ・ザ・アンバサダーを昼下がりインタヴューしにいったのだが、場所を間違える。P-ヴァインの新オフィスに行ったら誰もいない。なんと、引っ越しはこの土日で、新しいところは月曜からとか。移転告知はがきやメールが複数届いていて、もう引っ越し済みなのかと思ったYOH。同じ渋谷であり、前の取材が押していて、なんら問題はなかったが、さすが急いで移動したら汗を吹いたっ。月曜まで土日関係なしにインタヴューの予定が毎日入っている。朝まで飲んじゃうことは避けなければ。

 同業先輩の北中正和がずっとコーディネイトしておられる、レクチャーと演奏を組み合わせて広義のワルード・ミュージックを紹介する音楽イヴェント、ジャズ編の巻。前半は相倉久人(2009年7月19日)が話し、後半は佐藤允彦(2013年4月9日)がソロでピアノを弾く。代々木上原・けやきホール。JASRAC主催、無料とはいえ、立派なホールが満員。わー、熱心な音楽愛好家がいっぱい、と思ってしまった。

 相倉さんはもう話がはずみ、途中から立ってお話。接していて、楽しい。音楽もかけるはずが、話に熱がはいり、大分そちらははしょった。佐藤允彦は病気療養中の山下洋輔(2013年7月27日、他)の代役出演、実はヘレン・メリル(2013年4月9日、他)のサポートをしたときの彼の演奏/物腰がなかなかに素敵で、また見てみたいと思っていた。しかし,弁も楽器使いも、立つなあ。で、トルコの曲とか、非ジャズ要素を題材とする曲を次々に1時間ほど演奏する。ショパンだかクラシックの曲をカリプソ調でやりますと言った曲は、ソニー・ロリンズ(2005年11月13日)の「セント・トーマス」を想起させたりも。また、落語好きの彼は、落語家が出てくるときの音楽(偉い人には、それぞれのものがあるよう)をモチーフに2曲弾いたが、それらは「ずいずいずっころばし」をジャズ化したような感じのものだった。

<今日の記憶>
 大昔、ぼくは佐藤允彦のことを、“ワープの達人”というような書き方をしたことがあった。1989年の彼のリーダー作、エピック発『ルナ・クルーズ』の宣材用原稿。現物がないのでどんな書き方をしたか分らないが、間違ってはいないじゃんと思う。フリーになって10年強は完全にロック、そしてジャズをのぞく黒人音楽を中心に書いていたぼくにとって、それはかなり初期のジャズ系原稿となるのだろうかとかもと、ふと思ったりもした。

 この土曜日に東京ジャズに出演する、米国大御所歌手の記者会見があるというので、昼間に有楽町まで出かける。

 場所は、外国特派員協会の会見場。時の人がよくそこに出来て質疑応答をしている、深青色の布が壇上背後に張ってある、お馴染みの場。有楽町駅に近いビルの20階にある、けっこう年期の入った施設。思っていたより質素とも感じたか。ま、同所にはバーとかいろいろあるらしいが。ぼくは通常、来日ミュージシャンの記者会見には行かない。ま、近年ほとんどないのも事実だが。だけど、今回は彼のフェス出演時とまったく同じ時間にグレゴリー・ポーター(2013年3月6日)の取材をしなければいけなく、御大を見ることは不可能。現在87歳だという彼を一目見ておきたく、この会場にも一度ぐらいは足を運んでもいいだろうと思って、行った。

 開始時間ほぼ定刻に表れた彼はかなり元気そう。今回見れなくても、またライヴを見ることができる機会があるかもと思えた。イタリア系らしくかなり小柄で、でかい顔は血色が良い。その様に触れるだけで、ある種のムードやテンポが振りまかれるという感じ。それには、頷く。壇上横に座った外国人との対話が半分ぐらい(ルイ・アームストロングやビリー・ホリデイなど、昔の話もいろいろなされる)で、あとは来場者との質疑応答。内容自体はまあ想像の範囲内のもの、米国人記者の福島原発事故の対応不備と東京五輪誘致を絡めた質問にも、暖簾に腕押し的に悠々と答えを返して行く。尽きるところ、わしゃ人間愛に満ちた人間でのう、という主旨であったか。一番意外性があって場内がザワっと来たのは、ピカソ的存在と評価しているというレディ・ガガと来年共演作を出すと発言したときだったか。初めて聞く情報だと思ったが、東京ジャズのパンフレットにはそのことも載せられていたようだ。

 別にどってことなかったけど、やっぱちゃんとライヴを見れないのは残念と思わせた、生トニーさん。←実際、やはり素晴らしかったという声、多数。ここの通路には、記者会見に応じた人の写真が額入りで張ってある。あら、ロベルト・バッジョも今年に入って、ここでしゃべっているのね。

<今日の、衣装>
 ベネットはグレイのジャケット(ポケット・チーフなし)に、黒のパンツ。白のシャツに濃いめの柄のネクタイ。だったかな? わりと、地味な出で立ち。髪はわりとフサフサしているように見えた。
 そのあと、渋谷の文化村のギャラリーでやっている、<50Years of ROCK ビートルズvsローリング・ストーンズ>と名付けられたザ・ビートルスとザ・ローリング・ストーンズ関連アイテムを並べた展示会を見る。最終日。ザ・ビートルズ絡みのものが、多い。一点、一千万円を超えるものが一つ。キース・リチャーズのジージャンが飾ってあったが、あまりに小さいので驚く。キュレイターを務める保科さんが、皆メンバーは小柄で、彼も170センチに満たないらしいですと教えてくれる。ストーンズのなかでちゃんとインタヴューしたことがあるのはチャーリー・ワッツ(2001年10月31日、2003年3月15日)だけだが、キースも側で見たことが一度あった。1989年に、ツアー中のシンシナティのホテル前でのことだった。

 毎年来ているようだが、ちょっと間を置いて接するマーカス・ミラー(2010年9月3日、他)の公演はおもしろかった。編成は、エレクトリック・ベースを弾く彼に加え、アルトとトランペット、鍵盤とギター(彼のみ、白人)、ドラム。初来日という鍵盤奏者のブレット・ウィリアムズはなんかおっさんに遠目には見えたが、まだ21歳とか。アルト・サックスのアレックス・ハンも当初バンドに入ったときは音楽大学に通う学生だった←もしや、いまやワーキング・グループの最古参? 

 とくに中盤までは、うひょーって、感じ。もう、グツグツと弾き倒して楽曲の骨格を作るべース音に、ざくざく楔を入れる感覚をとても持つドラマーのルイス・ケイトーががちんこで重なり、その隙間を埋めるようにいい感じでエレクトリック・ピアノ音が入る……。それ、ハードなロバート・グラスパー(2013年1月25日、他)的表現と言いたくなる風情があって、ぼくはびっくり。要は,ヒップホップがのした時代ならではの跳ねとほつれをおおいに有する。おお、マーカス、変化しているじゃんとも思えたし、ミラーのバンドで何度も来ているケイトーがあんなに颯爽とした叩き口を持つドラマーだとは思いもしなかった。昨年、欧州ツアー中にミラー軍団が交通事故にあったさい、ケイトーだけは怪我を負ったというニュースも流れたが、問題なく回復しているようだ。

 おしむらくは、管の2人にソロを向けるところ。2人とも下手じゃないが、重みのないソロをとるし、ぼくは不要と思う。そのソロ回しに顕われる、旧態依然としたフュージョン様式はぼくが新たにミラー表現に感じた現在的なギザギザの存在をスポイルしちゃう。もともと、彼はベースがサウンド総体の骨格を形作るという奇形というしかない音楽をやっているんだもの(ベースは本来、そういう楽器ではありません)、バランスとか完成度なんか無視して、個人技を前に出して暴走する行き方のほうがずっとぼくはピンと来るし、好ましい刺(それは、ケイトーの鮮やかな叩き口がおおいに貢献する)が露になって格好いいと思う。あーあ、トリオ編成でやれば、数段いいのにとぼくは思った。ミラーさん、もっとクルクルパーになって!

 本編最後は、マイルズ・デイヴィスに提供し、後にセルフ・カヴァーもしているお馴染みの「ツツ」。さすがもう封印しちゃえばいいのにと、思わずにはいられず。ただ、ジョージ・デューク(2013年8月7日、参照)追悼でやった彼の「スウィート・ベイビー」はにっこり聞けた。ミラーさん、義理堅いな。デイヴィスの『ツツ』はA&Rのトミー・リピューマが、プロデュースをデュークとミラーにふったアルバムだった。リード・ヴォーカルはケイトーが叩きながらとり、コーラス部はミラーも歌う。そういえば、ミラーの初期2作のリーダー盤は自ら歌うブラック・ポップ傾向作だった。アンコールの1曲目はピアノを弾くウィリアムズとのデュオで、ミラーはべース・クラリネットを弾く。曲はガーシュインの「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ」。

 そして、南青山・ブルーノート東京に移動。アルト・サックスのデイヴィッド・サンボーン(2012年3月3日、他)、ピアノのボブ・ジェイムズ、アコースティック・ベースのジェイムズ・ジナス(2012年1月13日、2012年3月3日 )、ドラムのスティーヴ・ガッド(2012年11月26日、他)からなる4人組を見る。

 1986年にジェイムズとサンボーンは双頭名義作『ダブル・ヴィジョン』を発表し、グラミー賞も獲得。ではあったものの、それをフォロウするライヴを一回たりともすることもなく,続編も作らず、2人は宿題をやり残している気持ちを持っていた。そんな両者が懸案であった再双頭作を作る段階で、今回はフル・アコースティックにて固定少人数メンバーで行くしかないでしょとなり、そして出来たユニットがクァルテット・ヒューマンだ。そこで彼らが求めたのは、作編曲とソロが自在に解け合う方向〜それはある種のモダニズムを抱えると評したくなる〜。そして、その一部は、同じ編成のデイヴ・ブルーベック・カルテット憧憬/追悼を込めた指針が取られた。スタジオにはいっているときに、彼らはブルーベック死去の報を聞いている。

 トータルな意匠にもどこか気を配っている感じもある、もう一つの現代ジャズ。楽曲はアンコール曲をのぞき、今年録られた『クァルテット・ヒューマン』からのもの。かなり、演じている本人たちもうれしそう。これ、期間限定のものという思いが送り手にはあるのか。ある曲のソロでサンボーンは、「マイ・フェイヴァリット・シングス」を引用していた。ところで、電気楽器を用いフュージョン傾向にあった『ダブル・ヴィジョン』でエレクトリック・ベースを弾いていたのはマーカス・ミラー。そして、この晩、4人はアコースティックな新アレンジで『ダブル・ヴィジョン』に入っていた曲を2つ演奏したが、それはともにミラーの作。本人のリーダー公演とは別で、ミラーの作曲能力を再認知するとは思わなかった。ミラーは、80年代はサンボーンと近い奏者でもあったんだよなー。彼は、オマエの曲2つもやったゾとか、報告を受けているかもしれない。

<今日の、ラグビー放映>
 昼さがり、原稿仕事の合間に息抜きに,スポーツ・チャンネルをふとつけると、この土曜日にあったラグビーの日本のトップ・リーグの試合をやっている。すると在京チームの選手によく知る音楽家の弟さんがいるのに気付く。背番号6、すげえ自己滅私のポジションで奮闘していたナ。彼、お兄さんのライヴ(2013年8月24日、他)でも姿を見かける。顔は似ているが、体つきはあっと驚くほど違う。日常の鍛錬が血を凌駕することもある? 兄弟でまったく違うことができるのは、いいこと。って、サトー家も年子の姉はぜんぜん違う道を歩んでいるけど。
 1949年ローマ生まれの、イタリア人ジャズ・ピアニストの公演は、ラリー・グラナディア(2012年1月25日、他)とジェフ・バラードという、ブラッド・メルドー(2005年2月20日、他)のリズム隊を引っ張ってきてのもの。大胆、だなー。近年は、ベースだとジョン・パチィトゥッチ(2012年6月13日、他)やスコット・コーリー(2012年3月15日)やマーク・ジョンソン(2006年6月28日)、ドラマーだとジョーイ・バロン(2011年1月30日、他)やアントニオ・サンチェス(2013年5月21日、他)やポール・モーシャンといった米国有名人を起用したアルバムをいろいろ出している御仁ゆえ、それほど驚くにはあたらないのかもしれないが。その三者によるアルバムはあるのかな?

 ピエラヌンツィは伊ソウルノートから日本のレコード会社まで、いろんなところからたくさんのアルバムを出しているものの、ぼくにはちょっと分りづらい音楽家だ。クラシック教育を底に置くのだろう、腕の立つ、奇麗なピアノを弾く(リズムがジャストで、ぼくはどこか味気なさを感じるという意味も含む)人物であるのは間違いないながら、瀟洒な感じからフリーぽいものまで、はてはラテン・カルテットを名乗るものまで、いろんなことをしていたりする。そんななか、ビル・エヴァンス流れの魅力を指摘する聞き手もいるが、それもぼくにはよく分らない。エヴァンスは奇麗な表層を持ちつつ裏でペロリと舌を露骨に出している。だから、奇麗な曲を弾いていても、ソロのパートではフレイズや情緒がぶっこわれているところ、ワケの分らぬところがきっちりある。それゆえ、一般性を持つピアニストのコンピ盤を組もうとして彼を入れると、確実に他曲からは浮いてしまう。←これ、実体験から来る所感。とかなんとか、澄ました顔をしつつエヴァンスは不埒というか、やはり度を超したグルーヴィなジャズ的感性を有しているわけで、その巨人と比すと、ピエラのとっつぁんは真面目で丹精すぎる部分もあるとぼくは感じる。

 1曲,完全にインプロものをやって、それがぼくには一番おもしろかった。欧州人と米国人の噛み合いの妙味も一番でていたかもしれないし、熟達米国人リスム・セクションとのお手合わせをピエラヌンツィは心置きなく楽しんでいるように思えた。客から一番拍手が起きたのは、スタンダードをやったとき。それには、柔和さと張りつめたところを併せ持つ、彼の美的センスがよく表れていた。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 ところで、あれれと感じたのは、グラナディアの楽器の音色。なんか汚い、とぼくは思ってしまった。音量もピアノの音と比すと大きく、あれでいいのだろうか。そういうやあ、グラナディアが平然とベースを弾いている、ジョン・ゾーンのレーベルからいろいろリーダー作を出してもいる変人ピアニストのジェイミー・サフトが中心となった、チル・アウトなピアノ・レゲエ・ダブ・トリオであるニュー・ジオン・トリオの2011年作『ファイト・アゲインスト・バビロン』が今ごろ日本盤で出る。そこでの彼の演奏にも感心したが、今日のファースト・ショウのグラナディアは大げさに言えば、ぼくの知らないグラナディアだった。

<今日の、余談>
 そのあと、鎌倉のレーベル/イヴェンターをやっている米国出身のダグラスがニューオーリンズものをDJしますという、渋谷百軒店にある店に顔を出す。普段はブルースのライヴをやっている店で、ぼくも知り合いが出たときに行ったときがあるが、面白いお店。なんでも、世界的な日本人大人気ピアニストのお気に入り店でもあるそうで、彼女が来店したときに偶然パフォーマンスしていた出演者を彼女は気に入ってしまい、後日そこのでのライヴ盤を立ち会い録音して、ポケット・マネーでCDを作ってしまったんだとか。そういえば、ピアノがおいてある代官山のライヴ・ハウスに昼間突然入って来て、ピアノを弾かせてくださいと申し出て、弾いていったという話を聞いたこともある。自由だなー。でも、それはなにより演奏に表れているし、ピュアな音楽家らしい所作というものだろう。

 今や、好奇心おう盛な音楽ファンにとって、東京晩夏の定番イヴェントになるつつある“スキヤキ・トーキョー”の最終日。渋谷・www。3日目となるこの晩は、アルゼンチンとブラジルの我が道を行く美味しい感覚派の一挙一動を受け取れる、お得な1日と言えるか。

 まず、アルゼンチンのマリアナ・バラフ(2010年8月24日)。前回公演の項でも書いているが、もう彼女には誰もかなわない、と思わずにはいられないよなー。澄んだ自分をまっすぐに出す正々堂々のパフォーマンスに圧倒されつつ、感じ入ることしきり。タマが違う、才が凄い。

 基本ソロにて、太鼓を叩きながら歌う。チャランゴだかを手にして歌ったものも1曲。また、ペダルをつかって、歌声に効果をかけながら進めた曲も1曲。そんなにアルゼンチン音楽に触れていなくても、しっかりと同国の音楽の豊かな伝統を山ほど受け継いでいるのが分るとともに、そこに規格外の個を投影し、大きく飛躍していることも痛感させるのだから、ほんとうに凄い。途中2曲には、ギタリストの笹久保伸が出て来て共演、それも味わい深し。バラフ曲とともに、先達アタウアルバ・ユパンキの曲もやったよう←栗本斉さん、情報。

 そして、今のブラジルのミナスの不思議や味わい深さや新しさを存分に体現するアントニオ・ロウレイロが登場。1曲目はピアノの弾き語り、ピアノもかなりいけることがすぐに分る。喋る声と異なり、歌声は大きめでなかなか通る。そこから、彼の歌にこめる気持ちの大きさは感じずにはいられないな。

 そんな彼はえっアレレという感じの不思議なコード感覚を持つ、べらぼうに瑞々しいのに素人耳には相当に難しい伸縮性たっぷりの漂う曲をやるのだが、2曲目以降はベース(縦/電気)の鈴木正人(2013年2月19日、他)とドラムの芳垣安洋(2013年2月19日、他)がつく。本人たちドキドキだったところもあるもかもしれないが、2人は無理なくサポート。さらに途中からは、アコーディオンの佐藤芳明(2012年2月10日、他)も加わったが、これまたうまく調和する。音楽の素敵が悠々と溢れ出ていた、1時間半(は、やったよな?)、ふう。ロウレイロさん、実演能力も存分にあり過ぎだな。アンコールにはバラフと一緒にパフォーマンス。バラフ曲をやったようだが、それも素敵すぎた。

<今日の、流れ>
 “ミナスのキース・ジャレット”とか下品なキャッチがついてもいいから、ロウレイロにはピアノ・アルバムも作ってほしいところ。そういえば、この日の会場には録音用マイクが立てられていたが。……会場でおおいにできあがり、その後2軒を回るが、ともにスキヤキ帰りの人たちと会う。2軒目は出演者も一人おりました。
 まず、錦糸町に行って、河内音頭に触れる。ぼくが学生のころ、東京でも一時脚光を浴びたことがあって、関西出身の友達に、帰省したついでに河内音頭のレコードを買ってきてもらったことがあった。そして、1983年初夏に東急百貨店渋谷本店屋上のビアホール(昔は、ビアホールがあったのだ。西武百貨店渋谷店A館屋上にも昔はあったっけ?)で河内音頭の担い手が出る催し(仙波清彦〜2012年4月21日、他〜の はにわオールスターズも出た)があって、ほうと唸った。この錦糸町の催しも32回と謳われているので、そのころから持たれているのだナ。ぼくが生の河内音頭に触れるのは、それ以来。それが突然行こうと思ったのは、関西出身の知人が、あれはいい、一人でも行きますと、かなり好意的に言っていたからだ。

 錦糸町を通る高速道路小松川線の下で、現在は催される出し物。その高速道路は川の上に建設されており、川にフタをして公園にしたところが会場となっていた。少し横にはラヴ・ホテルも散見。駅の北側には すみだトリフォーニーホールがあるので毎年降りているが、南側に降りるのは初めてではないか。少し早めに着くようにして、周辺探索。おもしろくてしょうがない。

 細長い会場の奥に、背後にスポンサーを記した提灯を沢山つり下げているステージを設置。ステージでのパフォーマンスを享受する人たちのためのスペースを間において、トラック状の細長いスペースが設けられ、それが踊り用の場。そして、その両端にずらりと屋台が出ている。それらは、音楽フェスに出店しているものとは異なり、祭キブンを高める。パフォーマーは1曲15分ぐらい(だったかな?)で終わり、巧みな司会者の誘導で次のパフォーマーに。この催しは明日もあるが、今日の出演者とは総入れ替えらしい。けっこうな人数で、関西の夏の稼ぎ時シーズンを終え、面々は東京に来ているのだろう。

 音頭担当者に加え、三味線、ギター、太鼓、複数のお囃子がつく。ある女性が歌ったときは、ギタリストを除いて全員女性。ふむ、女性進出比率の高い分野なのか。やはり、へ〜であり、ほ〜。いちいち、目新しく、というか興味深く、頷く。もともと盆踊りとか民謡とかいう日本の古くからの文化にあまり触れてきていないうえに、居住したことがない“西”たるギザギザも入り込んでいるわけだし、ぼくとしては外国のトラッドに触れるのと同じような感興を覚えてしまう。ところで、ぼくは、彼(女)らの歌う言葉がほとんど聞き取れなかった。ぼくは音楽に乗る言葉を感知するのが苦手な人間であると再認識。少し、悲しい。

 1時間半ほど見て、渋谷に移動。そしたら、高木正勝(2004年4月27日)の画像付きパフォーマンスの最後のほう。www内、かなり混んでいる。そして、2番目に出て来たのは、フランスで活動するユーカンダンツ。エチオピア人歌手に、フランス人演奏者(ギター、テナー、ベース音兼任のキーボード、ドラム)がついたバンド。で、コブシのある歌やメロディ/抑揚はもろに、脳みそとろけそうなアチオピアン歌謡の味をたっぷり持つのだが、バンド音はロックその他の硬質な語彙を活かしたもので、その重なりあいの妙がポイント。もう少し後の東京ジャズでやってくるデレブ・ザ・アンバサダーはエチオピア人歌手をフロントに置く豪州のバンドだが、フェラ・クティ流れのアフロ・ビートをやるバンドがいろいろ出たように、今はエチオピア歌謡とつながったいろんな所の担い手が増えてきているのかもしれなない。

<今日は、ダメダメ>
 河内音頭の会場で踊ったりしたわけではないのだが、渋谷に戻った頃には、酔いと疲労でヘロヘロ。休憩時間に会場に来ていた、翌日出演者のアントニオ・ロウレイロを紹介されたのだが、途中から自分でもびっくりするほど英単語が出てこなくて軽くショックを受ける。ともあれ、音楽が与えるイメージ通りの人で、育ち、良さそうな感じだな。今はリオ在住とか。今日6時間リハをやったそうで、一緒にやる日本人奏者との噛み合いもうまくいったようだ。
 富山県南砺市で行われているワールド・ミュージック系フェス<スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド>の東京版、今年で3年目となる。渋谷・www。

 まず、モザンビーク人のマチュメ・ザンゴ(機材音、打楽器)、歌と親指ピアノのサカキ・マンゴー(2008/09/12、2011年10月2日、2012年1月28日)、オーストリア人のヴェルナー・プンティガム(トロンボーン、ホラ貝)、という3人によるセッション。先の南砺市での演奏に続いて、2度目のパフォーマンスだそう。ザンゴが電気音や生音によるビート音を出し、そこに2人も加わり広がって行く、単一コードによるパフォーマンス。凄い大雑把な書き方をすれば。音を出していないときも多いプティンガムは、小さなホラ貝を手にもする。NYの傑物ジャズ・トロンボーン奏者のスティーヴ・ターレをはじめ、トロンボーンとホラ貝をペアで持ち楽器とする人は散見されますね。

 その後に、ジンバブエからやってきたオリヴァー・ムトゥクジ&ザ・ブラック・スピリッツが登場。ムトゥクジは目茶スーパー・スターであるというが、ギター(アンプリファイドされるガット・ギターを使用)をリズミックに爪弾きながら歌う彼はとっても気安い雰囲気を持っていた。で、椅子に座ってギターを持つその宣伝用写真はもろにブルース・マンのようだが、立ってパフォーマンスする様は初老ソウル・マンという感じ。電気ベース、ドラム、パーカッション、2人の女性コーラスが一緒にステージに立つ。ビートはけっこう南アを想起させ、そこにじんわり来る旋律や肉声を、彼は悠々とのせてくれた。MCに触れてジンバブエは英語圏なのだなと、納得。でも、歌は現地語でも歌っていたと思う。

<今日の、ほのかな危惧>
 (神田)神保町のことをJinbo-cyoではなくJimbo-choと英字の場合は表記する建物やお店もあるのだそうだ。そ、そりゃ、いかん。神保町に行く機会はほぼないのだが、そのあたりに縁があったとしたら、オレそわそわしちゃう。Jimbo-cyo→Gimbo-cho→Gumbo-cyoという感じで思いは飛んでしまい……。ココロは、カーニヴァル状態に?!

 いま渋谷の片隅で、マット・ビアンコ(2001年2月5日)の再評価がなされている。なんて書くと、大げさだなあ。ブラジル音楽を流すお店の店主がひねり&息抜きの楽曲という感じで、彼らの曲をかけて、店にいた何人かの客に大好評。その後、その店に行くたびに何気にかかったりもし、ぼくもマット・ビアンコってやっぱ技ありでいいじゃんとなっていて、ちょうど12年ぶりに彼らの公演に出かけた。

 南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。あまりに見事に、フル・ハウス。すげーな。オリジナル・メンバーのマーク・ライリー(歌)とマーク・フィッシャー(鍵盤)を中心に、英国セッション系奏者で固めるというのは、旧来どおり。ギターはUKジャズ/アシッド・ジャズが話題になった流れで、米国GRPから1994年にリーダー作をだしたこともある、インコグニートとも近いトニー・レミー。テナーやフルートをソツなく演奏するギウレアム・プレヴィンスはフェイル・コリンズほか英国のポップ・セッションで名が見られる。そして、若い、髪型が派手な2人の黒人女性を2人やとっているのがうれしい。

 「イエー・イエー」ではじまるショウは彼らの耳馴染み曲と新作曲をうまく噛み合わせて。コンサヴァな感じをより強めていたが、もう場内の発情度はかなり高めでした。

 そして、渋谷・クロコダイルで、ブラジル音楽要素と華のあるポップ・ミュージック要素をおいしく掛け合わせる賑やかし大所帯ビート・バンドのカンタス村田とサンバマシーンズ(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、他)を途中から見る。山あり谷ありの進行具合は堂にいり、サンバの女性ダンサーは2人登場。新曲もどんどん増えているようだが、それらはより大胆な広がりを抱えているか。なんかエンターテインメントとして、音楽として、とっても健全。と、書くと語弊があるかもしれないが、とても正のヴェクトルを抱えていると、技と熱意と歓びに満ちたショウを見て感じずにはいられない。

<今日の、朝>
 派手な飲み方もしてないし、朝がた寝たわけでもないのに、なかなか起きられず。だ〜らだらと惰眠をむさぼる。普段、あまりしないことが出来たのは、良しとするべきなのだろう。

 「アイ・フィール・フォー・ユー」という楽曲は、プリンス(2002年11月19日)が1979年発表のセカンド作『プリンス』に入れていた曲だ。その8曲目に収められていたシンセ・ポップ曲で(って、当時の彼の楽曲は皆そう形容できるが)シングル・カットはされていない。そして、その曲を5年後に鋭意カヴァーしてみせたのが、チャカ・カーン(2012年1月10日、他)。ラップのグランドマスター・メリ・メルとハーモニカのスティーヴィー・ワンダー(2012年3月5日、他)を一緒に起用したカーンのヴァージョンはアルバム名にも冠されて、まっさきにシングル・カットされ(同作からは3曲、切られた)、総合3位チャート/R&Bチャート1位と大ヒットした。プロデュースはアリフ・マーディン、ここでの歯切れある当時のメインストリーム先端にあるデジタル音色の響きは翌年、やはりマーディン制作のスクリッティ・ポリッティの『キューピッド&サイケ85』で完全に花開くこととなる。

 レビー・ジャクソンやザ・ポインター・シスターズなど、この曲をカヴァーしたアーティストもいなくはないものの、カーン・ヴァージョンが印象的すぎるためか、有名曲のわりにはこの胸高鳴るような気分を持つ曲はその後それほど取り上げられていない(はず)。

 ところが、ここに来て、なんとも見目麗しい新たな「フィール・フォー・ユー」が発表されて、ぼくはちょっと驚いている。アンジェラ・ガルッポというカナダのモントリーオールに住むジャズ(とポップの両刀で、来ているよう)歌手のヴァージョンがそう。ゆっくりジャジーに崩されたそれはなんとも巧みで曲の持つ綾のようなものを広げ、また彼女の清楚な歌い口はそのラヴ・ソングにある純な思慕の情に鮮やかに焦点を当てるものとなり……。こんなに味わい深くていいの? 

 そんな彼女の、生の「アイ・フィール・フォー・ユー」は馬鹿みたいにグっと来た。よくもまあ、こんな秀逸しっとりアレンジを編み出し、それと合致する歌声/節回しを載せたものだ。赤のワンピースを来た当のガルッポ嬢はびっくりするほど、性格が良さそうな人。それは、MCやちょっとした態度の端々から伝わる。でもって、ジャケ写よりもずっとキュート、足首も奇麗。ときに音程が少し不安定になるときもあり、純ジャズ・シンガーとしてきっちり見れば個性ある歌い手としての要件を満たすものではないがが、そうであっても、気持ちと品のあるショウに触れたという満足感をぼくは得た。アルバムはスタンダード(「ティー・フォー・トゥ」や「スワンダフル」他)を中心に、ザ・ビートルズやウィルコ(2013年4月13日、他)などのポップ曲も取り上げる。ショウでは、ロジャー/ハマースタインの著名曲「マイ・フェイヴァリット・シングス」も複数のテンポが混在する凝ったアレンジで披露していた。

 なんか、もっといろんな音楽を感じたい……。この晩の「フィール・フォー・ユー」を聞きながら、そんなこともふと思った。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。書き遅れたが、ピアノ・トリオがサポートした。

<今日の、もわあ〜>
 とにもかくにも、バカみたいに蒸し暑い日。今日は、ライヴを見る前に、2つのインタヴューをこなしたのだが、一つ目のそれの場となる建物に入ったとたん、豪雨。後から来た女性編集者は気の毒なぐらいびしょびしょ。極悪な罰ゲームを受けた、という感じィ? しかし、間違いなく、今日の湿度の高さは東南アジアのそれを超えていたはずで、ちょうど来日している外国人は這々の体ではなかったか。10月まで気温が高めという長期予報も、出されている。いやはや、ニッポン……。

 まず、丸の内・コットンクラブで、フランス人とドミニカ人のミックスである在NYの女性シンガーのショウケースのライヴを見る。父親がなかなかの変人、いやボヘミアン気質を持つ人のようで、彼女は過去親について、米国、ナイジェリア、東南アジア他いろんなところで暮らしてきている。なんでも、いろんな所に住みたい父親は現地についてから、仕事を探したとか。多感な時期は、パリ郊外のロマのコミューンがあるところで暮らし、そこでマヌーシュ・スウィングを直に体験し、彼女はそのコミュニティで歌うようになり、歌手になりたいとも思うようにもなった。そのころ、ジャンゴ・ラインハルトの孫のダヴィッド・ラインハルト(2010年9月5日、他)も顔見知りであった。

 彼女はワーキング・バンドの2人のギタリストを伴い(現在のバンドはギタリストが3人いて、もう一人のギターはブラジル人であるとも、MCで言っていた)、日本人の縦ベーシストとドラマーが加わる形でパフォーマンス。彼女の10月に出る新作『グッド・デイ』はマヌーシュ・スウィング要素を巧みに介した闊達なジャジー・ポップ作だが、実演ではスキャットもいろいろかまし、よりジャズっぽい。まだ20代だと思うが、過去に5作もアルバムを出していて、それらはストレートなジャズ・ヴォーカル盤であるようだ。

 ショウの途中、自分の声をループしいくつも重ねる、リチャード・ボナ(2012年5月14日、他)的ソロ・パフォーマンスもソツなく披露。好印象な、おきゃんなおねえさん。彼女、マイケル・ジャクソンが大好きだった時代もあるようだし、ジャジーでありつつ、いろんなことを今後出してくれるのではないか。同行したほうの一人の優男ギタリストが彼氏で、オフではベタベタしているらしい。外国人はそういうところ、遠慮ないからなー。←でも、別れるときはほんとあっさりそうしちゃう。

 その後、青山・CAYに。会場に入ると、日本人4人組のヤセイ・コレクティヴが演奏中。少しTVゲームを想起させるような鍵盤音(ギターもそういう音をだしているのかな)が中央にあるビート・インストをずずずと演奏中。場内はスタンディング、けっこう混んでいる。ギター奏者も座って演奏していて、立って演奏するのはベーシストだけ。あまり、パフォーマンスの様は見えない。2曲聞くことができた。

 そして、ネイト・ウッド(ドラム)他がいる、米国ジャズ・バンドのニーボディが出てくる。キーボード、トランペット、テナー・サックス、電気ベース、ドラムという5人組。過去、自主制作ものからデイヴ・ダグラス(1999年9月24日)のグリーンリーフやドイツのウィンター&ウィンターからなど、いろいろとアルバムを出している在NYのジャズの広がりを体現するグループだ。

 頭の方、ストロングな立ったビートのもとテナーが炸裂演奏する様にふれ、一瞬オーディアン・ポープの音みたいだと思う。けっこう、ジャズっぽいとも思った。だが、テナーとトランペットでぐいぐいと行く様もあり、総体的には、<打算と甘さのない、切れた現代版ザ・ブレッカー・ブラザーズ>という所感を得る。シャープかつ歪んだ=ヒップホップ以降の感性を持つビートのもと、ガチな楽器音が自在にのる。もう、聞きながらぐいぐい身体をゆらしちゃったナ。

<今日の、組み合わせ>
 CAYのライヴは、2つのバンドともにレコード発売記念という名目を持つ。ヤセイ・コレクティヴは2作目『Conditioner』を発表。彼ら9月以降、同作をフォロウする20カ所に渡るツアーを行うようだ。一方の、ニーボディの新作『The Line』はなんとコンコードと契約してのもの。おお。次は単独でコットンクラブに出演しても不思議はないかもしれぬ。この顔合わせはヤセイ・コレクティヴがニーボディを個人的に呼んで実現したもののようで、素晴らしい。会場でひょっこりエミ・マイヤーと会う。ネイト・ウッドらと知り合いで、偶然街角で会って、誘われて、来たのだそう。

 この節分にぐうぜん見て、<今年最大の出会い>とぼくを驚嘆させた、ギタリストの さいようりょうじ(2013年2月3日)のパフォーマンスを見に行く。ピアニストのヤマザキタケルとのデュオ、青山・月見ル君想フ。5組出るイヴェントのなかの1組目としての出演で、2人で5曲をパフォーマンス。頭と終わりが穏健ソウル曲カヴァー(1曲目はザ・スタイリスティックスの「ユー・メイク・ミー・フィール・ブランド・ニュー」だった)をインストで披露し、あとの3曲ではヴォーカルもさいとうは堂々取る。

 2曲目は、自作で自らの育った環境を歌ったろう「川崎」というフォーク調の曲で、この際はほとんどギターを弾かない。あと、ぼくの知らない日本語の曲とジェイムズ・テイラーの「ドント・レット・ミー・ビー・ロンリー・トゥナイト」も歌う。後者に触れて、ものすごくメロディアスなスタンダードを<さいとう崩し>のもとぶっこわれギター演奏込みで取り上げると面白そう、と思う。

 やはり、すんごいギタリスト。今回聞いて、その飛躍のヴァリエーションは何気に狭いところもあるかもと感じもしたが、やはり超怒級のイマジネーションと歌心と起爆力を持っていて、ぼくはとっても生理的に発汗。その楽器に向かう姿勢の強さの鮮やかな発露に接し、ジャズ・ピアニストの板橋文夫(2009年1月22日、他)と一緒にやったらすこぶる感銘を受けるのではないかと、感じたもした。両者は常人離れした重なる回路を抱えているところがあるのではないのか。うぬ、やっぱり今なら、ぼくはビル・フリゼール(2011年1月30日、他)よりもさいとうりょうじを取る。ドンっ。

 この日、ピアノで相手役をしたヤマザキはバークリー音楽大学に行っていた関係もあるのだろう、デイヴィッド・フュージンスキ(2012年2月10日)の変てこ迷宮作『デイヴィッド・フュージンスキズ・プラネット・ミクロジャム』(Rarenoise、2012年)にジャック・ディジョネット(2007年5月8日、他)なんからとともに、キーボード奏者として名を連ねている。

<今日の、新作>
 アイヴァン・ネヴィル率いるニューオーリンズの力づくファンク・バンド、ダンプスタファンク(2012年7月30日)の新作『Dirty Word』(Louisiana Red Hot)を朝起きて、大音量でかける。快感。やはり力づくではあるが、きちんと練ってあたっただろうスタジオ録音作だ。なんか、グレッグ・エリコ(スライ&ザ・ファミリー・ストーン)制作のベティ・デイヴィス(マイルズ・デイヴィスの元嫁)の1973年ハード・ファンク曲みたいなのも入っている。イエイっと、聞きながら終始かけ声あげっぱなし。知らない人に見られたら、けっこうまずいシチュエーションだな。新作と言えば、トゥール(2007年2月9日)のドラマーのダニー・キャリーが中心となったハイパーなインストゥルメンタル・バンドのヴォルト!の第一作はファンタジー/コンコード発だ。なんか、聞いた事のあるバンド名だと思って買っちゃったのだが、LAに住む知人が、今年の晩冬に知り合いがいる彼らのライヴを日本でできないかなあとメールしてきたことがあったのだ。そこには、ギャラも書いてあったなー。
 まず、ブルーノート東京(ファースト・ショウ)で、現代ジャズの最たる担い手であるトランペッター/バンド・リーダー(2002年7月3日。2005年8月21日、2009年3月26日、2010年10月21日)の、ワーキング・グループによる公演を見る。ブライス・ウィンストン(テナー・サックス。唯一の白人)、ファビアン・アルマザン(ピアノ)、ジョシュア・クランブリー(ベース)、ケンドリック・スコット(ドラムス)。皆、ブランチャードの新作『マグネティック』(ブルーノート)に参加していた人たち。ジュリアード出でまだ21歳のクランブリー以外は、その過去作にもいろいろと参加。特に、ウィンストンとスコットはかなり付き合いが長い。

 本来そこに、やはりブランチャードのコンボ歴の長いギタリストのリオネル・ルエケ(2012年3月3日、他)が入る予定だったが、それはキャンセルとなり、かわりにラヴィ・コルトレーン(テナーとソプラノ。もちろん。ジョン・コルトレーンの息子ですね)が同行。彼も『マグネティック』にゲスト入りしている。だが、アンコール曲(スタンダードの「朝日のようにさわやかに」。他の演奏曲はブランチャードかアルマザンのオリジナルだったはず)以外に、その両テナー・サックス奏者は一緒にステージにあがることはなく、主にコルトレーンがステージに立った。その際、ウィンストンは完全にステージから去っていて生理的にかわいそうな感じがしたが、オレの表現にテナー2本はいらないというブランチャードの堅い意志は伝わったな。

 サポートの奏者で一番耳を引いたのは、スコット(2013年2月2日、他)。4ビートじゃないけど、ちゃんとジャズとなるオルタナティヴな抑揚を叩き出していて、マル。今年の彼の自己グループ表現での叩き口より、ずっとぼくは興味をひかれた。彼はこの9月上旬にギター付き自己グループでコットンクラブに出演するが、楽しみだ。アルマザンは中盤以降、どんどんソロのパートを与えられ(部分的にピアノ・ソロとなる局面もあった)、ブランチャードの信任が厚いことがよく分る。彼はほんの一部、コルトレーンのソロのとき、電気キーボードを押さえたりもする。

 ルエケが不参加になった時点で、サウンドが少し穏健フツーになることは多分に想像され、事実そういう部分もあったかもしれない。だが、そのぶん、ブランチャードのトランペット・ソロにはより耳を傾けたりもしたわけで、なるほど素晴らしい演奏能力の持ち主であると再認識。ただし、新作でも一部そうだったが、トランペット音にエフェクトをかける場合があるのは、個人的には痛し痒し。それ、トータルなサウンドを俯瞰しての方策であることが分っても……。

 その後は、六本木・ビルボードライブ東京で、ザ・テンプテーションズ・レヴュー(2009年11月8日)を見る。デニス・エドワーズやデイヴィッド・シーらフロントに立つ5人のシンガーは同じ人たち(今回の衣装は鮮やかな緑色基調)、また、ホーンを除く5人編のバンドもキーボード奏者の一人をのぞいては前回見たときと同様。アフリカ系トロンボーン奏者が括り役を勤めていたホーン・セクションの3人は日本で調達されたよう。2人のトランペッターは日本人、サックス奏者はHPを見たら、なんとスティーヴ・サックス(2013年7月10日)となっている。

 かなり満足できちゃうショウを見ての所感は、前回かいたことと大筋で重なる。けっこう興行はなされているのだろう、質を落とさず、この時代に聞けてうれしいっと実感できるソウル・ショウを堂々、サーヴィス満点に展開。ここにある、“お宝”ができるだけ今後も残りますように。


<昨日の、なーんも言えねえ>
 土曜にJ1の東京vs.横浜の試合を、飛田給・味の素スタジアムに見に行った。スタジアムは風が吹き抜けて、けっこう快適。ほのかにではあるが、秋も感じる。マリノスも昔から憎からず思って来たチームだが、一応都民として試合に接する。体温の低い観戦者であり、かつ全体主義を嫌う者としては、やはり、両チームの応援の鳴りモノ音や声がうるさすぎる。自分本位な書き方をすれば、迷惑だ。有名選手がいろいろいるわりにはFC東京、なんかパっとしないよなあ。どこか鬱憤を抱えて見ていたが、試合の最後の中村俊輔( 2002年7月21日)の驚愕玉さばきの末のゴールには感嘆。あれれあれれれ、という感じで、なんか彼の周りだけ時間が止まっているようだった。げ。今後、これを超える印象的なパフォーマンスを彼は出せるかと思えたほど。マリノスの前半のゴールもとっても美しい1、2を経てのゴールであったし、花火大会ではなくサッカーをとって良かった、と思えた。
 ところで電車賃、家から国立球技場までは5駅で380円(家から徒歩5分の駅を使用)。味の素スタジアムまでは、17駅で230円(家から徒歩10分の別の私鉄線を使う)。とうぜん、乗車時間もぜんぜん違う。世のなか、いろいろだよなー。もう一つ、サッカーねた。テンプスのエディ・ケンドリックスやデイヴィッド・シーが生まれたアラバマ州バーミングハムは1996年アトランタ・オリンピック時のサッカーの会場となった。日本の代表チームもブラジル戦で奇跡的勝利(@マイアミ)をあげたあと、バーミングハムで試合をしたのだった。今はそうか知らないが(たぶん、現在も居住しているんじゃないかなー)、そのとき、テンプス加入前のシーはバーミングハムに住んでいた。バーミングハムと記したのは、エドワーズがシーの出身地を紹介するときに、バーミンガムよりもバーミングハムに近い発音していたような気がしたためだ。少なくても、グ は聞こえた。
 夢の島・都営陸上球技場で毎夏持たれる、野外フェス。大ステージと小ステージでライヴは交互に持たれ、各出演者に与えられる演奏時間はトリを除いて15〜30分。しかも、一つが終わるとすぐに横で次の出演者の実演が始まるわけで、とってもドライというか、サクっと見るぶんにはストレスがかからないフェスティヴァルと言える。今年は、約8時間の間に切れ目なしに全18組が出たようだ。でもって、今年はなぜかおそ松くんがフェスのキャラクターになっていて、ステージの背後には絵が掲げられている。会場入りすると、矢野顕子(2012年8月21日)と清水ミチコが仲良くパフォーマン中。この前後、矢野顕子はトリオでブルーノート東京に出ているが、この日はこちらに単独で出演なり。
 
 ヒカシューはプログ・ロック仕様バンド音のもと、巻上公一(2004年11月6日)が思うまま肉声をのせる。何気に、客を自らの世界に引き込んでいた。スチャダラパー(2005年8月13日)が出てくると客が立ち、観客の平均年齢が高いと言われるこのフェスだが、結成20年超の彼らもこの世代の担い手となるのか。一昨年のこのフェスで見て2011年最大の発見とぼくをうならせたsalyu×salyu(2011年8月7日)はまた接せてうれしいっ。なかには、デイヴィッド・ボウイの「フェイム」をどこかに置くようなファンキーな曲もあり。小山田圭吾(2013年8月7日、他)らがサポートした。そして、GREAT3はステージから離れたところで世話ばなしをしながら聞いたが、こぼれる音だけで、しっかりやとたいことや歌心が分って感心。それには知人も同様の感想を発する

 奥田民生(2010年10月26日、他)は一人、ギター(電気と生、両方を持つ)の弾き語り。力はぬけているんだが、歌声の聞こえ方がすごい。こりゃ、ロックだとも思わせられた。続く、スーパー・バター・ドックのキーボード奏者だった池田貴史のレキシは初めて聞いたのだが、一発でいいじゃんと発汗。とにかく、4人編成のバンドがいい奏者たちぞろい。池田はヴォーカルや煽りを担当、そのMCとかの諧謔のあり方はなじめない部分もぼくはあるのだが、たいしたキャラ。その5人で、ソウル/ディスコをワザありで咀嚼した末、バカバカしくも、イケてて鮮やかなファンキー・エンターテインメント表現に結実させちゃう。やるなあ。歴史や伝統を大切にということで(?)、みんな紋付柄のT-シャツを着ていたナ。ときに池田が弾く、スペイシーなシンセ演奏(その音色はコモドアーズの「タイムマシーン」のそれを思い出させる)も素敵。彼らはラスト2の出演者、疲れていたはずだが、ノリノリで見ちゃった。MCで時間がオーヴァーするとステージ前に置かれた赤色灯が点滅すると言い、ヴィジョン映像でもその様が映されたりもしたが、そうなのか。

 このフェス、最後の出演者は例年YMO(2012年8月12日、他)が務めていたが、今回は The おそ松くんズ なる、スペシャル・バンドが出て来た。そしてそのショウはスネークマンショーの小林克也と伊武雅刀が進行役として準備され、ヴィジョン映像に2人は登場する。一気に世界は、1980年代頭のアルファ・レコード、だな
(ぼくは、彼らのラジオ放送は聞いたことがない)。落ちもしない話やしょうもない口調を介し、最初は一人一人バンド員を呼び込み、その後も曲ごとにフィーチャーされる人をきっちり紹介。誰が演奏し、誰が歌っているのかがきっちり分り、これは有り難い設定と思った。

 ハウス・バンドは、ドラムの高橋幸宏(2009年10月31日、他)、キーボードのDr.kyOn、ギターの佐橋佳幸と小山田圭吾(このなかの最年少)、ベースの小原礼(2003年3月13日)、ユーフォニウムやフリューゲルホーンのゴンドウトモヒコ。そして、前にでたのは、小坂忠(2001年12月16日)、鈴木茂、矢野顕子、奥田民生(彼はサディスティック・ミカ・バンドの「ダンス・ハ・スンダ」を歌う。おお、そうかここのリズム隊はミカ・バンドのオリジナルのそれじゃあないか。と、ここまでの4曲はとても身を乗り出す感、アリ)、高橋幸宏、鈴木慶一(2011年8月7日、他)、大貫妙子(2010年9月15日、他)……。そして、最後には細野晴臣(2013年8月7日、他)と坂本龍一が出て来て、坂本曲とYMO曲を人力バンド〜新アレンジにて披露する。アンコールは細野作曲のスネークマンショー曲である「咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3」。

 感心したのは、ハウス・バンド音のまっとうさ。ちゃんとアレンジされ、リハをやっている。いいバンド音を送り出していたな。皆で華やかに和気あいあい、というレヴェルを良しせず、ちゃんともう一歩上のところで、日本のロック史を彩って来た実力者たちの積み上げて来たものがふんわか出されていたと思う。


<今日は、真夏>
 今週はまたどんどん暑くなってきていて、ここ2、3日は今年1番の暑さで、日中は40度近くなっているんだっけ? 会場入りする前に、午前中から渋谷で人と会い、ご飯を食べたりした(食欲おちないなー)のだが、暑さのせいだろう、人の出が少ない。渋谷の街頭ではウチワを配っていたりもし、こりゃ会場で重宝しそうともらったら、入場時にシートとともにうちわも配っている。苦笑い。なんにせよ、気温自体が高いので、扇いでもぜんぜん涼しくなく、気休めにもならない。
 開演2時間後の時間帯に、新木場駅が最寄り駅の会場に。当初は炎天ギラギラであったが、少しすると、どんどん曇り空に。そして、西のほうはけっこう黒い空になり、これは絶対に雨が降ると確信をもたせ……。事実、落雷音は時々聞こえ、ときに雨粒を感じるときもあった。が、結局空模様は持つ。世田谷のほうはすごい降雨があったりもしたそうだ、ラッキー。会場横の林の先にある、緩擂鉢状円形の草地は<多目的コロシアム>と名付けられているようだが、まるでUFOの着陸目的で作られたみたいなカタチと、ぼくは思った。そして、羽田に降りる空路になっているのだろう、その斜め上空を飛行機が次々に飛んで行く。飛行機を見るのも、楽しいなあ。
 米国ジャズ・ビヨンド表現の才人であるピアニスト/シンガーのベン・シドラン(2010年7月28日、他)のバンドに、彼に傑作アルバム『クール・キャット・ブルース』(ゴー・ジャズ、1991年)を制作/リリースしてもらった英国元祖モッドたるヴォーカル/オルガンのジョージィ・フェイム(2009年9月2日、他)が加わるという実演を見る。その顔合わせ、日本ではこれが3度目となるのかな。主役の2人に加え、シドラン公演ではお馴染みのボブ・マラック(テナー・サックス)、ビリー・ピーターソン(ウッド・べース)、リオ・シドラン(ドラム)の4人がステージに上がる。サウンドは完全にジャズ調だが、すべてヴォーカル付きの曲をやる。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。

 3曲目からフェイムが出て来て、本編はずっとステージ上に。ヴォーカルを取る曲は、シドランよりフェイムのほうが少し多い。また、フェイムがオルガンを弾かず、マイクの前に立って歌う比率は以前より高くなっているか。で、特に歌に専念する場合に顕著なのだが、大きな曲を張り上げて、フェイムは生理的に熱唱。スキャットもいろいろかます。多くは「ジャンピング・アット・シンフォニー・シッド」を皮切りにジャズ曲。もちろん、マット・ビアンコ(2001年2月5日)のカヴァーでも知られる洒脱ポップ曲「イエー・イエー」も笑顔で披露。って、この曲もジャズ派生だな。

 ジャズや米国ブラック・ミュージック愛や影響を柱とする、ヴェテラン趣味人の余裕や滋味やイナセがすんなり渦巻くパフォーマンス。あ、それから、バンド音がきっちり整備されていて、いささか驚く。余韻も残しつつも、カチっとした曲の終わり方には感心。プロの大人たちですじゃ。フフフ。

<今日の、軽い驚き>
 なんと、営団地下鉄の初乗り料金が160円もすることに、今日気付いた。パスモ使っていると、いちいち料金を気にせず、よく使う私鉄線と同じ120円あたりが、初乗りの運賃だと思っていた。めでたいな、オレ。なんか都営地下鉄は170円であることは知っていたんだけど。………コットンクラブに行くために永田町駅構内を移動したら、ごーんと食べ物屋街が出来ていてあれえ。今日からオープンしたらしい。
 確固とした個を持つ、日米の、新旧の女性シンガー・ソングライターの公演を、青山・CAYと六本木・ビルボードライブ東京(セカンド・ショウ)で見る。国籍も年齢も異なるし、重なる所感を得ることはないだろうと思っていたが、ライヴ・パフォーマンスにおける自分の衝動や思いを奔放に出そうとする様、自分の世界を抱えようとするがゆえのスポンテイニアスさの回路の持ち方は意外に距離感が近かも、とほんわか思う。青葉はかなり不思議ちゃんノリを出す人だが、かつてのジョーンズは小悪魔的な感触を与える人物であった。あ、今でも童女っぽい無邪気さは出しているか。

 4作目となる新作『ラヂヲ』(コモンズ)は青葉市子と妖精たちというアーティスト名義で送り出されるFM特番がソースとなりもので、坂本龍一(2012年3月21日、他)、小山田圭吾(2012年8月12日、他)、細野晴臣(2013年1月29日)、U-zhaan(2013年6月19日)とのセッション作。発売日当日に持たれたこのギグには、小山田圭吾と細野晴臣が加わる。ぼくは2部の頭まで見たのだが、一部で生ギター弾き語りの青葉を小山田は全曲でサポート、電気ギターであいの手を入れる。まっとうな(シンガー・)ソングライターでありつつ、思うまま場で舞うのを楽しむように青葉は一期一会的な流れるパフォーマンスを志向、小山田はそれを楽しむかのようにいろんなギター音を繰り出す。なるほど、彼女は七尾旅人(2013年6月6日、他)が大好きらしいが、それも分る行き方ナリ。そして、その行間から、もう一つの含みや情緒やストーリー性がぽわーんと広がって行く。それはちょい、えも言われぬ何かを聞き手に与えるな。細野は一部最後の2曲で生ギターを持って加わり、チャプリンの「スマイル」を歌ったりもした。彼が出て来ただけで、場がまた別の手触りをもつのには頷く。

 ジョーンズの実演は、前回も同行していたチェロ奏者のエド・ウィレットとのデュオによる。彼は完全に3歩下がった位置で、ピチカートや弓弾きで控え目にサポート。ながら、バッキング・ヴォーカルは朗々とした声質のもと堂々と付ける。協調する奏者が少ないぶん、彼女はより気ままにカっとばす。元歌に親しんでいる人が聞くとわーこんなに興味深い開き方をするのという思いが間違いなく生まれるだろうが、本日初めて聞く人だと曲調が分りづらいと感じるものもあったかもしれない。それぐらい、ジョーンズはワタクシ様で行っていたということですね。

 基本アコースティック・ギターを爪弾きなが歌うが、中盤の数曲はグランド・ピアノを弾きながら歌う。1981年セカンド作オープナーの「ウィ・ビロング・トゥゲザー」はほんとすうっと心のなかに入ってくる歌。大昔、徹夜明け、朝日が差し込むなか聞くと途方もなくグっと来る曲だと、ぼくは認定していた。彼女、けっこう初期有名曲を屈託なく、披露してくれたな。

<今日の、R.I.P.>
 ジョージ・デューク(1946年、北カリフォルニア生まれ)死去とのニュースが流れている。8月5日に慢性リンパ性白血病という病気で亡くなったようだが、病気であったのは公表されていなかったし、昨年暮れも来日公演をしていた(2012年12月5日)ので、突然の他界という印象を持ってしまう。彼の遺作となった2013年作『ドリーム・ウィーヴァー』(ヘッズ・アップ)はライナーノーツ担当盤なのだが、死をどこか念頭においたアルバムであったのかと、悲報を前に、今にして思う。これまでの歩みを括るようにいろんな人を呼び、なかには「ウィ・アー・ザ・ワールド」的ヴォーカル・リレー曲も収録されている。そして、スライ・ストーン版「ケ・セラ・セラ」のサバけた諦観情緒をもろに引き継ぐ慈愛曲もある。それが、『ドリーム・ウィーヴァー』のクロージング曲だ。また、一方では故ティーナ・マリー(2010年死去)のアウト・テイク曲を遺族の好意で持ってきて手を加えて入れてみたり、故ジェフ・リー・ジョンソン(2013年1月死去。2004年10月28日、2012年9月9日)にも華やかな場を与えていたり。そのなかには、アルバムの統一感を削ぐ、ジョンソンが作曲者クレジットにも入った15分強のファンク・ジャム曲もあった。そして、何より理想主義にも満ちた同作は二人三脚状態だった妻コリーンの昨年7月の死を受け、絶望の縁から立ち直り、万感の思いを込めて制作したアルバムであったのだ。彼は、この作品のことを、ここのところもっとも正直なアルバムだ、とコメントしたという。切ない。知己が多い人だけに、本国での同業者の間ではさぞや大騒ぎであると思う。インドネシアのフェスで呑気にしているのを見かけたとき(2012年3月2日)、声をかけとけば良かった。彼はそのフェス中深夜に宿泊していたホテルで、スティーヴィー・ワンダーともセッションをした。ミスター・デューク、天国には仲間がいっぱいいるさ!
 うれしー。いまだ大好きな、いや齢を重ねるごとにより好きになっている、ザ・バンドのキーボードの魔術師の公演を見ることができようとは。今日は朝からソワソワしちゃったナ。というのは嘘だが、なんかそう書きたくなっちゃう。

 シスター・モード・ハドソンというのは彼の奥さんで、ハドソン夫妻は連名で2005年にアルバムを出しており、それはピアノを弾く夫と歌う女房のワビサビに満ちた実況デュオ作(取り上げる曲はガース・ハドソン曲、ザ・バンドやボブ・ディラン曲、トラッドやスタンダード)であったが、この来日公演はちゃんとしたバンド編成にて行う。そう、実演内容はぼくが予想していたよりもずっと、フツーにロックっぽかった。

 ハドソン夫妻を、ギターとベース兼任、ベースとサックスとキーボード兼任、ドラム、パーカッションという4人がサポート。冒頭、ドラムと打楽器のデュオ演奏が続けられ(それ、たいしたものではないんだけど)、へえ。メンバーが楽器の持ち替えしたり、複数のリズム楽器を用いるあたりは、ザ・バンドの流れの編成を取るとも言えるだろうか。ハドソンはピアノ、キーボード、オルガンなどをコの字型に配置し、ザ・バンド曲「ザ・ウィールズ・オン・ファイアー」の頭の方ではアコーディオンのソロ演奏もした。一応、ピアニカも置いていたっけ? ザ・バンド時代、ガース・ハドソンは他のメンバーと異なり歌うこともなければ、曲も提供しなかった。

 2000年代初頭にリリースされた初ソロ作『The Sea to the North』においてけっこう各種サックスを吹いていたが、今回のライヴにおいて彼は鍵盤演奏に専念。今はあまり吹かなくなっているのかな? そちらも、ちょっち聞きたかった。ともあれ、その鍵盤音はかつての四方八方に広がる鮮やかさや得体の知れなさ〜それはぼくに進歩的な所感を与えた〜は確実に減じているものの、やはり身を焦がして悔いなしと思わせる変テコな流れや引っかかりがあって、身を乗り出させる。そんな彼、30代前半のころから50代みたいな風体を持っていたわけで、立派な白い髭の彼はそんなに過剰に老けたという感じは受けず。ただ、演奏以外の部分では動きがゆっくり、要領が悪そうな所があるゾと思わせもするが、でもそれもらしいかな。

 「ドント・ドゥ・イット」、「チェスト・フィーヴァー」や「イット・メイクス・ノー・デファレンス」らザ・バンド有名曲もやる。その際、ベース/サックス兼任者がリード・ヴォーカルを取るときもあった。それから、再結成後の『ジェリコ』(ピラミッド、1993年)に入っていた「ムーヴ・トゥ・ジャパン」(リヴォン・ヘルムやジョン・サイモンなど、録音関与者5人の共作。もちろん、ハドソンは作曲未関与)も軽快にカマす。キリン・ビール、ソニー、ホンダ、黒澤明、東京、横浜、沖縄、札幌という言葉が織り込まれる、日本憧憬ソング。ふふふ。

 けっこうハドソンが鍵盤のソロを披露してからちゃんと曲が始まるものも多かったのだが、そのソロ演奏が終わるたびに、奥さんやバンド・メンバーたちもうれしそうに拍手する。ハハハ、なんだかな。車椅子に座って歌う奥さんはまっすぐに通る声の持ち主で、ときにブラック・ミュージック愛好を伝える声の張り上げ方を見せたりもした。彼女は横にPCをおいていたが、それは歌詞確認のため? 興が乗るとストンプするように、右手に持つ杖で床をこんごんっと彼女はつつく。

 大学のころ、ぼくは音楽の趣味を同じくする友人と、ガース・ハドソンのことを<こまわり君>と呼んでいた。頭/顔の形が「がきデカ」という漫画の主人公に似ていることで、そうしたんだよナ。また、ロビー・ロバートソンは初期の分厚い眼鏡をかけた写真の顔つきが日本の著名コメディアンの仮装した雰囲気に似ているということで、<加トちゃん>と、親しみを込めて呼んでいたときもあった。改めて文字にして書くとトホホだが、そういうの、どの人にもあるんじゃなか。ザ・バンドの5人のメンバーのうち、一番年長者のハドソンと年下のロバートソンの2人だけが存命であるのか。なんてことも、悠々のガース・ハドソンを見ながら、ふと思った。

<今日は、早退>
 この日は、ハドソンの76歳の誕生日。残念ながら、開演時間がめずらしくおして(その間、スタッフがキーボード機器をいろいろいじっていた)始まったこともあり、最後まで見ることができずに退出。その後、そのまま知人と落ち合い、長野県に、圧倒的な緑に包まれに行く。いっぱい、息抜き〜。なんでも、セカンド・ショウは、ダニエル・ラノワ(同じカナダ人だァ)と佐野元春が最後に出て来たそう。

 じぇじぇじぇ。という流行り言葉は、こういう場合に用いるのか。ビッグ・Qの特別製公演は2部構成を持ち、休憩をいれてなんと4時間の尺。面々がステージを降りた(最後は出演者全員による「ウィー・アー・ザ・ワールド」)ときは23時10分だった。有楽町・東京国際フォーラムのホールA、この公共施設って、こんなに遅くまで使えるんだァ。ここで2日公演するうちの2日目で、満員。彼の来日公演としては32年ぶりのこととなる。

 一部(90分)は亀田誠治仕切りの、日本人たちによるクインシー・トリビュート。14人のハウス・バンド(ドラマーがいいなと、思った。それは第2部のジョン・ロビンソンを聞くと余計に)に、いろんなジャンルの人たちがいれかわり、立ち代わり。1部にフィーチャーされたのは、沖仁(2011年1月21日)、上妻宏光(2007年12月10日、他)、Miyavi、綾香、K、Juju、小野リサ(2011年7月10日)、小曽根真(2012年9月8日、他)、BoA、三浦大知、VERBAL、ゴスペラーズといった面々。で、クインシー絡みの楽曲を主に披露するのだが、シンガー曲だとマイケル・ジャクソン絡み曲の比率は高い。

 小曽根真(前日公演後、ジョーンズと午前2時半までお話をした。とMCで言っていた)は自分のビッグ・バンド、ノー・ネーム・ホーセズでの出演で、自分の曲をやる。彼にも、亀田が声をかけたらしい。いろんな部分で、その掌握の様、亀田誠治はすごいな。クインシーはステージ袖でそれらを全部見ており、ステージで彼に挨拶したり、帰り際にハグしたりする人もいる。彼のお眼鏡にかかった人はいたろうか。

 2部(2時間)はクインシー・ジョーンズ仕切りのインターナショナル編。グレッグ・フィリンゲインズ他の米国敏腕奏者たちのバンド(打楽器で参加のパウリーニョ・ダ・コスタとは、ジョイス公演があったコットンクラブですれ違った)に、ジェリー・ヘイがまとめる日本人によるホーン・セクションが加わり、ハウス・バンドとなる。冒頭の2曲はビッグ・バンド調で「エア・メイル・ルペシャル」と「キラー・ジョー」のジャズ有名曲を披露。
 
 以下、キュバー出身のアルフレッド・ロドリゲスのトリオ(2011年11月25日)、2001年生まれの米国人ピアニストのエミリー・ベア、1997年生まれスロヴァキア人ギタリストのアンドレアス・ヴァラディ、1994年カナダ生まれ歌手のニッキ・ヤノフスキー(2009年8月3日)、盲目の青年ピアニストのジャスティン・コフリン、アジア5カ国の女性歌手からなるLAベースのユニットのプラッシュ、ナイジェリア出身のR&B歌手のパーカー・イグヒルらが出て来て、演奏や歌を披露する。こちらのほう、随時クインシーはステージ上にニコニコいて、ときに指揮したり、MCをしたりもする。

 そして、「愛のコリーダ」からの後半1時間は、パティ・オースティン(2008年2月5日)、ジェイムス・イングラム、サイーダ・ギャレット(彼女はジャクソン曲をいろいろ歌う)というお馴染みの3人の歌手をフィーチャーする、山場パート。さすがに客が湧くし、華々しい。1曲は松田聖子も出て来て、パティ・オースティンとデュエットした。そして、本編最後の曲はジャズ有名曲「マンテカ」をインストでぶち噛ます。

 それにしても、出演者は1部と2部すべてあわせると100人近いのではないか。よく滞りなくショウが進んだと思う。80歳になったジョーンズはさすが歳をとったなあという感想を与えるが、彼が好奇心旺盛に、妙な先入観なしに、いろいろな事項に両手を広げてあたっていることがたっぷり伝わる出し物だったのは間違いがない。特に2部前半の世界各国の若手が出てくるパートに触れると、御大は若い子たちとやりとりを持つことが本当に好きであるのを痛感させられる。そういえば、1990年代後半にプロモーション来日したことがあって取材をしたが、その際は、まだハタチ前後であったろうR&B歌手のタミアを同行させていたよなあ。マイケル・ジャクソンをプロデュースしたとき、ジャクソンはすでにエスタブリッシュされていたけど、スタンスとしてはやはり同様であったのか、なんてことも思ってしまった。

 なお、この後、彼は第2部の出し物を広島でも披露したはず。

 順は逆になるが、昼間は外苑前・ブラジル大使館で、2本の映画を見る。昨日と同じように、秋に持たれるブラジル映画祭上映作品だ。

 映画「ゴンザーガ〜父から子へ〜」(ブレノ・シルヴェイラ監督)はブラジルの北東部の土着表現=バイアォンの王様と言われた、故ルイス・ゴンザーガ生誕100年にあわせて(なのかな)2012年に本国で公開された映画だ。ゴンザーガの息子のゴンザギーニャ(1945〜1991年)も人気シンガー・ソングタイターとなったが、父親/継母とそりが合わずに離れ、地力でミュージシャンとして大成したという経歴を息子は持つ。映画はずっと疎遠だった父と子が徐々に気持ちをかよわす課程を軸に、ゴンザーガの歩み/人間を浮かび上がらせる。役者たちはけっこう似ているし、とても達者。アーティストに対するリスペクトもある、よく出来た音楽映画と言える。一部は、仲直り後に親子共演したショウの模様など現実の映像も用い、リアリティをさりげなく持ち込んだりもしている。

 そして、映画「ウィルソン・シモナル〜スウィング! ダンス!! ブラジル!!!〜」は、1960年代にブラジルで大スターだった、少し数奇な歩みを持つ黒人歌手のドキュメンタリー。彼は人気絶頂のなか、1972年に軍事政権の諜報機関に協力した(とされた)ことで芸能界から抹殺され、1990年代には名誉回復したものの失意のためにお酒に溺れたことで体をやみ、62歳になった2000年に肝硬変で亡くなった。

 愛嬌にもあふれた彼がもっていたテレビ番組、シェル石油のTV-CF、怒濤の客の反応に驚くしかないコンサート映像など、大スターだけあって、映像マテリアルはいろいろ残されているよう。その映画タイトルに示唆されるように、彼はアメリカのジャズやポピュラー・ヴォーカル、ソウルやロックなどをブラジル情緒とクロスさせるとともに、米国のエンターテインメント流儀を最大級に取り入れることで、人気を得た人であるのが明快に伝わる。ダンスも出来るし、なんか1960年代ブラジルのマイケル・ジャクソンというノリもあった? とともに、この映画を見ると、ブラジル人って本当にアメリカ音楽が大好きなんだなとも、思い知らされる。映画には米国の大ジャズ歌手であるサラ・ヴォーンと共演する実演映像も出てくるが、英語で歌う彼に触れると、本当に耳がいい人なのだろうなというのが直裁に伝わって来た。

 一方、芸能界から総スカンを喰ったあたりの描写は説明不足。彼はプレスからも鬼のように叩かれたというが、そんなに当時のマスコミや音楽界はリベラルであったのか。軍事政権は検閲も行っていたとも聞くし。とともに、それほどブラジル人は一本気であり、全体主義的なところがあるの?

 彼の息子は、溌剌ソウル派のウィルソン・シモーニーニャ(2006年11月25日。そうなのダ、ゲストとはいえ、ブルーノート東京で見ることができたんだよなー)と弟のクラブ電脳派のマックス・ヂ・カストロで、もちろん彼らも思い出話を提供する。2人とも聞き所たっぷりの音楽をトラマ他から出していて、それに触れると逆引き的にシモナルの才の大きさも分るか。それから、シモナルと親しかったバイアグラの大好きなかつての大サッカー選手のペレのインタヴュー映像も出てくる。シモナルが名声をタテにサッカーのブラジル代表チームに帯同したあたりのエピソードは本当にブラジル人ぽい。ふふ。

 それにしても、ブラジル人音楽家って、二世が多いな。それに比すと、サッカー選手のほうはそうではもない。それって、運動能力のほうが遺伝しにくいことの証左になるのだろうか?

<今日の、ほう>
 昼間は蝉がうるさい。が、夜の帰宅時には、蝉の音とともに、もう秋虫(と、思ふ!)の鳴き声が聞こえるよー。

 まず、外苑前・ブラジル大使館で、この10月に全国6都市で持たれる「ブラジル映画祭2013」で上映される映画(8作品)のなかの1つの試写を見る。表題にあるサントスとは、ブラジルの名門サッカー・チームであるサントスFCのこと。2012年制作の、サンパウロ郊外の海岸部にホーム・スタジアムを持つこのチームを扱うドキュメンタリー映画だ。サントスはペレが在籍した1962、63年以来の南米1位クラブに2011年になった(コパ・リベルタドーレスで優勝)ので、それを祝って作られたのだろうか。いまだ世界サッカー史上最高の選手にあげられるかもしれないペレは生涯サントスに籍を置いた選手だった。だいぶ昔とはいえ、国外移籍だけでなく、国内移籍もなかったというのはすごいな。

 いろんな試合映像(やっぱ、興味深すぎ)や応援映像、ペレからネイマール(今シーズンから、FCバルセロナに移籍)までの歴代の名選手やクラブ関係者や同チームを応援する識者らのコメント映像などを用いつつ、サントスFCというチームの流れや個性や、ブラジルのサッカー界の襞なんかを明快に提示。ぼくは、ほうそうなんだァーの連続でした。

 その後は、六本木のビルボードライブ東京で、大プロデューサーにして渋味ロッカーでもある、ダニエル・ラノワ(2012年1月16日)の実演を見る。ファースト・ショウ。

 トリオにてパフォーマンス。ドラマーがブライアン・ブレイド(2012年5月22日、他)からザ・アヴェット・ブラザーズの2012年新作にザ・レッド・ホット・チリ・ペッパーズのチャド・スミス他とともに参加していたスティーヴ・ニスター(レギュラー・グリップで叩く)に代わっていたが、ベーシストは前回と同じく終始コーラスをかますジム・ウィルソン。大ざっぱに言えば、前回と同様の内容と言えるのかもしれないが、もっと堂々とした感じはあったか。とともに、メリハリがよりつき、主にギター演奏が導くのだろうが、局面局面でいろいろと現代的な刺の感覚を与えるようになったのは間違いない。そして、それがぼくには美味しくてしょうがなかった。

 前回と同様に、ペダル・スティールを弾くインストゥメンタルも1曲。その演奏の様を見て、彼の親指多様の右手のギターの弾き方はスティール・ギターの弾き方流れのものという指摘もできるのかと思った。最後は、弾き語り。彼はすべて1本のギターで実演をこなしていた。

<今日の、困惑>
 なんか、ワードのデーターの表記に総文字数が出なくなってしまった。字詰め×桁数の表示は出るものの、文字数がパっと分らないのはすこぶる不便。どーしてなんだー。

< 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 >