昨年再活動なった菊地成孔(2011年5月5日、他)率いるハイパーで混沌も求めているファンク・ジャズ・バンド(1999年12月22日、他)の、恵比寿・リキッドルームでの実演。2日前にはフジ・ロックでやっているはずだが、満員。随時、熱い声援も沸く。

 全11人。残留メンバーは菊地を入れて4人で、あとは新しい顔ぶれ。SOIL~(2011年6月23日、他)の鍵盤奏者の丈青は目玉人事であろうと推測するが、この日は不参加で別なプレイヤーが演奏。かつては横のほうに位置していた菊地だったが、今はステージ中央に堂々立ち、サウンド全体を舵取りする。で、前よりも派手にCDJ、キーボード(マイルス風の音色設定)を操りもし、指揮の仕草もかなり大仰。それ、マイルス・デイヴィス流れのかつてのコンダクターぶりを自己パロディしているみたいに見えた。ともあれ、彼の合図で、アンサンブルやソロや曲調がすいすいスウィッチされたり、重ねられたりする。

 グルーヴィだったりクールだったり凸凹だったりするいろんな音楽語彙の重ね合わせは、そういう判り易い見せ方を伴うこともあり、とても明解。新生DCPRGはかつての表現の両手を広げた普及版を目指しているようにも、ぼくにはなんとなく思えた。エンポリオ・アルマーニならぬ、エンポリオ・デートコース?

 DCPRGの出発点にあったのは、菊地雅章(2004年11月2日、他)の『ススト』(←それ、プリンスの好調作に肩を並べる仕上がりを見せた日本人の唯一のアルバムだとぼくは思っている)表現。菊地雅章が病床にある今、実現する可能性は低いと言うしかないが、一度は“菊地×菊地”を見てみたいよなー。単音でロックぽくギンギン弾きまくるギターくんだが、ぼくの好みで言うなら、スリルに欠ける。ジェイムズ・ブラッド・ウルマーとかケルヴィン・ベルのようなタイプのギタリストを雇ってほしいところだが。アーサー・ブライスの突出パンク・ジャズ盤『イリュージョン』(コロムビア、80年)で弾いていたのはウルマーだが、それをフォロウする80年代初頭の2度の来日公演はケルヴィン・ベルが代役で同行。そして、ベルは菊地雅章のオルタナティヴなファンキー・ジャズ・バンドたるオール・ナイト・オール・ライト・オフ・ホワイト・ブギー・バンド(通称、AAOBB)の一員でもあった。また、ドレッド・ロックス頭の彼はザ・ケルイヴィネイターというブラック・ロック・バンドを組んでいたこともあった。

 9月には、今年6月にリキッドルームで収録された2枚組ライヴ・アルバムが、ユニヴァーサル・ミュージックからリリースされる。

<今日の懺悔>
 なんの準備もしていなかったが、知人の天使のような申し出もあり、フジ・ロックに行くぞうと一時は思った。ものの、天気予報がとても芳しくないのと、夏カゼの治癒状況や仕事の溜まり具合、その後の見たいライヴ予定の入り具合(なんで、今年はこんなに多い?)などから、行くのを迷いつつもやめる。そういうことすると、フジは行かなくなるんだよーと、別の知り合いから脅され(?)た。それゆえ、今日のライヴは見れたのだけど。