1975年に入社してメインテナンス部にずっと勤務していて、毎日同じ時間に出社するおじいさんの姿を追う冒頭の映像が何気によい。

 渋谷・映画美学校試写室で、1974年に設立された、銀座にある老舗の著名スタジオを主題に置いたドキュメンタリー映画を見る。監督の相原裕美は神宮前にあるビクター・スタジオでかつて働き、その後ビクター音楽産業の映像部門に移りPVを作ったりした末に今があるよう。写真家の鋤田正義を扱うドキュメンタリー「SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬」(2017年)に続く、相原にとって2作目の映画であるという。

 この映画のために作られた音響ハウス賛歌「Melody-Go-Round」(佐橋佳幸作曲、大貫妙子作詞)の同スタジオでのレコーディング風景とそれを取り仕切る佐橋(2013年8月11日)とエンジニアの飯尾芳史の対話が柱となり、いろんなミュージシャンやプロデューサー/エンジニアたちの撮り下ろし映像がインサートされる。

 本人が語る坂本龍一(2011年8月7日、2012年3月21日、2012年8月12日、2013年8月11日)の『音楽図鑑』(MIDI、1984年)をはじめ、同スタジオで録音されたアルバムが紹介される場合もあるが、それは例外。映画の最後にここで録られた有名アルバムをジャケット・カヴァー付きでリスティングして欲しかったが。そのかわりCM音楽作りの話やいい音とは何かといった、音響ハウスというテーマを超える話が出てきもし、それは映画の芯をぼやけさせるか。音響ハウスは平凡出版(現マガジン・ハウス)が作ったスタジオだが、なぜ出版社が音楽スタジオ業に乗り出したかなどの、根本にある話は語られない。

 と、音楽好きゆえになんかマイナスと感じる項目をいくつかあげてしまったものの、なにかにつけて興味深く見ることができた。キャリアたっぷりのミュージシャンたちは音響ハウスという場の意義を愛着とともに語り、それは人間が重なり合って作り出す音楽の素晴らしさを照らし出す。そして、ベッドルーム・ミュージックがのしている今だからこそのスタジオに対するロマンも浮き上がるし、「 Melody-Go-Round」が出来上がっていく様には高揚でき、音楽っていいネという気持ちも存分に得ることができる。11月中旬に公開される。

▶︎過去の、佐橋佳幸
https://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
▶過去の、坂本龍一
http://43142.diarynote.jp/?day=20110807
http://43142.diarynote.jp/?day=20120321
http://43142.diarynote.jp/?day=20120812
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811

<今日の、試写場>
 今日の予約制の試写は入場時に検温があり、座席も1枠を開けられていた。で、空席はなし。実は試写案内には、オン・ラインの視聴案内もつけられていたが、ぼくは当然のことながらリアル試写を選ぶ。家で小さめのPC画面で見ていると、飽きちゃうわけではないんだが、どこか集中できず作品受容率6割という塩梅になってしまうのだ。それは、音楽公演のストリーミングの場合も同じだ。
 映画に登場するミュージシャンたち、ぼくは洋楽中心にやってきているものの、なにげにインタヴューしたことがある人が少なくないのには驚いた。矢野顕子(2004年7月20日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年8月19日、2009年9月4日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年9月9日、2011年12月11日、2012年8月21日、2013年8月11日、2013年11月30日、2014年8月7日、2015年8月20日、2016年9月15日、2017年12月10日、2018年8月27日、2019年4月26日、2019年4月28日)、沖祐市(2002年7月7日、2003年10月10日2009年5月30日、2009年9月5日)、佐野元春、葉加瀬太郎、村田陽一(2005年1月7日、2006年1月21日、2010年3月9日、2011年12月20日、2012年9月8日、2014年12月14日、2015年9月27日、2016年12月11日、2017年12月5日、2018年6月8日、2018年9月2日、2019年4月26日、2019年4月27日、2019年4月28日)、本田雅人((2011年3月28日、2015年7月23日、2016年10月9日、2019年1月7日)、オノセイゲン(2000年3月12日、2009年1月17日、2011年8月4日、2012年6月7日、2013年1月30日、2014年4月20日、2014年7月28日、2014年9月23日、2014年10月8日、2014年10月11日、2015年4月17日、2015年9月13日、2015年9月24日、2015年10月9日、2016年3月14日、2016年5月22日、2016年7月26日、2017年5月7日、2018年6月7日、2018年11月12日、2019年9月27日)、鈴木慶一(2004年12月12日、2011年8月7日、2013年8月11日)、大貫妙子(2005年9月14日、2009年1月16日、2016年9月27日)、笹路正徳(2012年9月8日、2016年9月4日)……。
 みなさん銀座に出向くなか、オノは自分の神宮前にあるサイデラ・マスタリングで取材を受けている(笑い)。彼はマジ、音響ハウスたたき上げ。ミュージシャンを目指して上京したもののプロの方々の技術の高さにめげて、裏方の道に進むことを選択。そして、まだ10代だったうちに音響ハウスにもぐりこみ、すぐに頭角を表し、曲者ミュージシャンたちの信頼を得てしまった。でも、最初はトイレ掃除から始まり、清水靖晁や笹路らマライア組らと音実験にいそしみ音響ハウスに泊まりっ放しだったと言っていたことがある。それら実験が活きた彼のデビュー作『Seigen』(JVC、1984年)を出したころには、独立していたはずだ。

▶過去の、矢野顕子
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▶過去の、東京スカパラダイスオーケストラ/沖祐市
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▶過去の、村田陽一
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▶過去の、本田雅人
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▶過去の、オノセイゲン
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▶︎過去の、鈴木慶一
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▶︎過去の、大貫妙子
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▶︎過去の、笹路正徳
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 アフリカ系アメリカ人俳優、チャドウィック・ポーズマンの訃報には驚いた。多作家であるスパイク・リーの2020年作「ザ・ファイヴ・ブラッズ」(Netflix配給)にも出ていたので、びっくり。享年42。2016年に大腸ガンと診断され、化学療法を受けつつ活動を続けていたという。ぼくのなかでは、とっても格好いい黒人俳優。彼のことをちゃんと意識したのは、躍動すると書きたくなる2014年映画「ジェームス・ブラウン 最高の魂を持つ男」(2015年3月3日)のJB役を見てからだが、意思を持つ役柄を十全に演じることができる役者という認識を持つ。共同プロデューサーも務めた、マーカス・ミラー(1999年11月12日、2001年 6月14日、2003年8月19日、2005年8月21日、2007年12月13日、2009年9月15日、2010年9月3日、2013年9月3日、2015年2月21日、2016年9月17日、2017年1月7日、2018年5月16日、2018年5月24日、2019年1月3日)が音楽を担当した2017映画「Marshall(邦題:マーシャル 法廷を変えた男)」もいい感じだった。ぼくは多くの人の心に入り込み揺り動かすブラック・ミュージックがなければ残念なことにもっともっと米国黒人は虐げられる境遇にあるという見解を取っているが、彼の死はBML運動が活発化するなか大きな喪失であると思う。

▶︎過去の、スパイク・リーの映画
https://43142.diarynote.jp/201903050842467108/
▶︎過去の、映画「ジェームス・ブラウン 最高の魂を持つ男」
https://43142.diarynote.jp/201503041619591535/
▶︎過去のマーカス・ミラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm 
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
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http://43142.diarynote.jp/200909181206531984/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201309051241384602/
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http://43142.diarynote.jp/201701091247527188/
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<今日の、メール>
 オランダ大使館から、「ミヒャエル・ボレマンス マーク・マンダース|ダブル・サイレンス」展(金沢 21 世紀美術館レクチャーホール
、9月19日~2021年2月28日)の案内が届いた。添付の美術館発のプレス・リリースによれば、同18日にもたれるプレス・ガイダンスにはその両氏が登場し、インタヴューも受ける由が記されている。おお。ただし、<状況によりミヒャエル・ボレマンス氏、マーク・マンダース氏がプレスガイダンスに出席出来ない場合もございますので、予めご了承ください。>との記載も。つまり、これに合わせて両氏が来日する予定であるということなのだろう。まだガラガラで一部ではあるだろうが、国際便も発着するようになっており、今週出張予定の知人もいるな。……。……。……。

 ひたひた、たゆたふ。その言葉で終わりにしたいと思った?

 渋谷・JZ Bratで、ピアノの林正樹(2013年9月6日、2015年9月27日、2015年12月17日、2016年7月16日、2018年5月13日 、2019年1月7日、2019年10月6日、2019年11月19日、2019年11月21日、2019年12月18日)、ギターの藤本一馬(2011年8月22日、2012年6月17日 、2013年4月19日、2019年7月6日、2019年12月18日)、バンドネオンの北村聡(2010年10月16日、2012年6月17日、2012年11月21日、2013年3月23日、2017年6月27日)によるパフォーマンスを見る。中川ヨウがプロデュースする公演シリーズの出し物だ。ファースト・ショウ。

 その3者は2人単位で重なりはするらしいが、3人一緒となるとあまりないらしい。だが、理解し合える3人それぞれが曲を出し合い、それを素材に余白に留意するかのように歩み合う様はすごい妙味がある。各々の演奏回路の美点やツボをちゃんと知っているという感じで、腹8分目ぐらいで重なり流れていく。すると、得難いストーリーがこぼれ出す。藤本はエレクトリック・ギターとプラグするガット・ギターを弾いたが、ともにピックを使わずに弾いていた。

 もう一つの風情〜それはブラジルやアルゼンチンの音楽を無理なく享受できる時代だからこそ表れるとも指摘できるか〜を持つ曲がまずあり、そこにこの3人ゆえの得難い重なり/アンサンブルが開かれるのだが、随所にこう来るならこう弾くみたいなインタープレイ性は存在。鷹揚に流れていくようでありながら、ときにキメをパッと決めたりする際の聞き味にもしびれる。

 含みと潤いを持つ、佇まいの音楽。今のインストゥルメンタルを、堪能しました。

▶過去の、林正樹
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
http://43142.diarynote.jp/201607191312426603/
https://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
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https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
▶︎過去の、藤本一馬
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https://43142.diarynote.jp/201206210942136482/
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https://43142.diarynote.jp/201907071754237718/
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
▶︎過去の、北村聡
http://43142.diarynote.jp/?day=20101016
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http://43142.diarynote.jp/?day=20121121
http://43142.diarynote.jp/?day=20130323
https://43142.diarynote.jp/201706281510173316/

<今日の、新聞>
 資源ゴミの日に、くくって出すのは少し面倒っちい。だが、新聞を取るのをやめられないなと思うのは、不用意に床に水をこぼしたときに新聞を応急処置でかぶせたり、割れたグラスを新聞紙で包んだりするとき。な〜んてね。とともに、折り込み広告はなにげに楽しく、新聞を配達してもらう理由になる。ときにうちの新聞を配達してくれる販売店はやり手(?)なのか、野菜とかを届けるコピー印刷による自前の質素なチラシを入れてくる。自主ロックダウン期には、アルコール消毒スプレーのボトル販売のそれもあった。首相交代、明日朝刊一面は最大級の見出しがつけられるのか。

 東銀座・松竹試写室で、9月25日から公開が始まる、2019年英国映画を見る。元オアシス(2000年2月29日、2009年3月20日)のフロント・マンを扱うドキュメンタリー映画で、音楽畑の映像にいろいろ関わるチャーリー・ライトニングとダブリン出身のドキュメンタリー映画畑のギャヴィン・フィッツジェラルドが監督している。ここ10年プライヴェイトな付き合いを持つライトニングとの信頼関係を元に(リアム・ギャラガーの独白映像が随所で出てくる)、フィッツジェラルドが映画としての質を盛ったという成り立ちを持つか。

 メガ・バンドであるオアシスにおける<世界一影響力を持つ兄弟喧嘩>の話は有名だが、この映画は2009年8月のフランスのフェスの出演直前に喧嘩をして、ライヴが中止→兄のノエル・ギャラガーがオアシス脱退を発表し、同バンドが活動休止となったところから始まる。

 結局、ノエルを除くメンバーでビーディ・アイと名前を代えて活動するものの、2枚のアルバムを残して2014年に解散。その後、ソロとなり新規蒔き直しの道をリアムは進むわけだが、映画は<喪失からの再生>、<どん底からの、栄光>をテーマに置いている。外様な聞き手であるぼくはビーディ・アイもそれなりの成功を納めていたように感じるが、映画は黄金の喉を持つものの曲作りはそれほど得意でないリアムにとってもうノエルの曲を歌えなくなったという事実が<喪失>であり、<どん底>であるとしているようにも深読みできる。

 映画の表題は、リアムの2017年ソロ・アルバム『アズ・ユー・ワー』と連動してのものだろう。実は、この映画はもともとその『アズ・ユー・ワー』のメイキング映像としてレコード会社(ワーナー・ブラザーズUK)が企画したものが拡大した。ゆえに、その総体は、もう竹を割ったような“リアムのプロパガンダ”作品という性格のものになっている。否定的な視点は一切ない。だが、当のリアムの発言や行動が人でなしだったりトホホだったりするので、そこから映画の陰影のようなものは醸し出される。

 母親のペギーも、ギャラガー3人兄弟の長男ポールも、3人の子供たち(他にも、いるはずだが)も屈託なく出てきて、全面協力。実家の場面もあり。あと、失意から這い上がりソロ活動に邁進できたのは、今のパートナーでマネイジャーも務める、オアシスはあんまし聞いてなかったというデビー・グワイサーの存在が重要であったことも示され、彼女もいろいろ登場する。

 リアムは相変わらず女々しくノエルの悪口大会を映画で続けているが、周辺親族は出てきても、ノエルは一切出てこない。なんかノエルの欠席裁判みたいな感じもあり、それについてはすこし後味の悪さも感じる。『アズ・ユー・ワー』発表後はオアシス登り坂期もびっくりなほど彼は精力的に世界中でライヴをやったそうで、日本の映像(2018年のツアーか)もほんの少し入る。

▶︎過去の、オアシス
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https://43142.diarynote.jp/200903211331359083/

<最近の、リアム>
 欧州チャンピオンズ・リーグの対バイエルン戦での歴史的大敗の流れで、バルセロナの絶対的存在であるメッシの退団がこの10日間で既成事実になっている。リアム・ギャラガーは故郷のフットボール・クラブであるマンチェスター・シティのエンスージアストであるのは有名だが、そのシティがメッシの移籍先の筆頭にあがっていることを受けて、彼はメッシの移籍大歓迎の意を出している。追記)結局、契約の縛りで、メッシはバルセロナFC残留を発表した。
 鳴り物禁止のうちに〜ようは、心地よい試合観戦を妨げる応援団ノイズがないうちに〜、Jリーグの試合を見に行きたいが、無理かな。あー、バルセロナ→神戸のイエニスタもまだ生で見てないよーー。

 叩き上げの渋みと含蓄がたっぷりのシンガー・ソングライターであるスティーヴ・アールの息子(父親は離婚+再婚した女性を含め7度結婚しているが、3番目の妻との子供であるよう)で、父親と同じ道に進んだジャスティン・タウンズ・アールが亡くなっている。住んでいたナシュヴィルで死去。警察は薬物の過剰摂取とふんでいるという。

 そのミドル・ネームは、父スティーヴが憧れたシンガー・ソングライターのタウンズ・ヴァン・ザントから取られた。そのヴァン・ザントはずっと薬まみれの人であったが、端正っぽい顔つきながらタウンズ・アールも10代始めからクスリ漬けであったそう。ま、父親も薬禍で1990年代にMCAから三行半を突きつけられたこともありました。確かな歌声のもと心地よいひっかかりを持つ〜語り部風情を持つ、とも書けるか〜ギター弾き語り主体表現を聞かせて、アルバムを8枚リリース。娘のエマはまだ3、4歳のはずだ。

 また、1975年に故ジョニー・サンダースのザ・ハートブレイカーズに加入したギタリストであるウォルター・ルアーもお亡くなりになった。生粋のニューヨーカーであり、まさしくニューヨーク・パンクの渦中にリアルにいた人だ。複数のザ・ラモーンズのアルバムにも入ったことがある彼は1991年のサンダースの死後は、自分の名前で活動。気っ風のいい、心意気のギターとヴォーカルを聞かせた。昨年秋にも来日していて、それを見た知人はなんかとっても愛の人のように思えたとのこと。この7月に肝臓がんと肺がんだと診断され、そのまま悪化し病院で息を引き取ったという。

 そして、フランス在住(1974年に渡った)のフリー・ジャズのトランペッターである沖至〜この名前、なかなかイケてますね〜の訃報も流れている。ぼくは確か1990年代に一度彼のライヴを見たことがあるだけだが、ジャズの自由、いや自由の人だからこそのジャズ行為を清々しく体現した人であると思う。

<今日は、生まれた日>
 お祝いのメッセージをいただき、恐縮です。と、オレさまのぼくでも、殊勝にそう言いたくなりますね。夜には星を見上げて、みんな楽しく長生きできますようにとお祈り、しないかもしれないが、そういう気持ちです。

 文字通りの才人の訃報を見逃していた。本名、DeWayne Julius Rogers。ずっと彼の存在を忘れていたけど、1970年代上半期の彼のアルバムは本当に大好きだった。

 スライ・ストーンが天下をとった時代に表舞台に出てきた、マルチ型のソウル・マン。ゴスペル活動を経た末の、彼の20代半ばのデビュー作『D.J.Rogers』はなんとロック・レーベルのシェルター発であったことは、彼の抱えていたハイブリットな才覚を示唆はしまいか。なお、彼はシェルターの看板アーティストであるリオン・ラッセル(2005年11月24日)のバンドでピアノを弾いていたアフリカ系のパトリック・ヘンダーソン牧師と懇意にしていたという話もある。

 シェルター盤で彼はキーボードを弾きながら歌うだけでなく、ソング・ライティング、アレンジ、プロデュースも担当。そして、デイヴィッド・T・ウォーカー(2007年12月18日、2010年12月11日、2011年6月21日、2013年10月17日、2015年8月3日、2018年1月5日)やボビー・ワトソン(2012年6月21日)らがレコーディング参加していた同作は“スライ・ストーン以後”の聞き味にあふれていた! もう少し説明すると、1970年ごろのスライのファンキー&メロディアス曲の流れを汲む表現を志向、さらにファーストはなんとなくビリ-・プレストンの影響がにじむところもあった。って、もう言うことないじゃん!

 2作目以降はRCAに移籍。彼は正統な喉の持ち主ゆえ、より王道的、バラーディアー的な行き方をレコード会社は求めたかもしれない。3作目『On The Road Again』(1976年)あたりになるとベースのフレイズ以外にスライを想起させる部分はなくなる方向にあったが、それでもねっとりしたなかに風をいろいろ抱えていたのは間違いない。うーん、本当にほんとうにアンダーレイテッドだった御仁と言うしかない。

 通算5作目『Love Brought Me Back』(1978年)はコロムビア発で、その後の2作品はモーリス・ホワイト(EW&F:2006年1月19日、2012年5月17 日)とコロムビアのヴェンチャー・レーベルであるARCからのリリース。その2作は少しまた広がりとファンキー路線を見せた。その後、インディから1作品出しりした後は、先細り。彼はゴスペルの世界に戻りで活動していたようだ。彼の死因などの記事は今のところ、ぼくは発見できていない。だが、彼のリーダー作群はもう一度光を当てられるべきであると思う。

▶過去の、リオン・ラッセル
http://43142.diarynote.jp/200511281322500000/
▶過去の、デイヴィッド・T・ウォーカー
http://43142.diarynote.jp/200712190953140000/
http://43142.diarynote.jp/201012131713443911/
http://43142.diarynote.jp/201106270438075311/
http://43142.diarynote.jp/201310181020496675/
http://43142.diarynote.jp/201508091203108498/
https://43142.diarynote.jp/201801061716036258/
▶︎過去の、ボビー・ワトソン
https://43142.diarynote.jp/201207031311348277/
▶過去の、E.W.&.F.
http://43142.diarynote.jp/200601271855390000/
http://43142.diarynote.jp/201205301252113538/

 また、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(2002年7月28日、2002年11月2日、2007年6月5日)のギタリストだったジャック・シャーマンの訃報も届いた。オリジナルのギタリストのヒレル・スロバク(1962年4月13日〜1988年6月25日)の脱退〜復帰の間にペッパーズに加入し、1984年のセルフ・タイトルのファースト作のレコーディングのみに全面参加。ペッパーズはギタリストが曲のもととなるギター・リフを出すことを要求され、また曲作りはジャムることで完成を見たので、彼の名前はペッパーズのいくつもの曲に共作者としてクレジットされている。さらに、『マザーズ・ミルク』(ワーナー、1989年)にコーラスで入ってもいる。とはいえ、高校時代の仲間である他のメンバー(みんな1962年生まれだった)より年長だったこともあり、外様感があったことは否めない。ペッパーズの活動もあってか、その後、ボブ・ディラン、トニオ・K、ピーター・ケイスらのレコーディングに、彼は参加もした。訃報はペッパーズのツイッターで報告されたが、死因などは不明だ。

▶︎過去の、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm フジ・ロック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200706061354020000/

<今日の、え>
 ぼくの住んでいる@@*丁目が、東京23区凶悪犯罪地ベスト15タイに入っていてびっくり。歌舞伎町2丁目や道玄坂2丁目や六本木3丁目や銀座6丁目らが上位に入るなか、普通の住宅地だよー。あぶないと感じたことは一度もないし、変な話も聞いたこともない。オレ、今住んでいるところ気に入っていて、眺めもいいし緑も見えるし、安全であるとも思っていた。ふむうーーーー。

 渋谷映画美学校試写室で、石井裕也監督の「生きちゃった」を見る。30代の日本人映画監督のなかではかなり評価が高い人というイメージを持っていたが、これはスケジュールがポコっとあいたときに、1500万円(それは、かなり低予算となるらしい)で映画を作りませんかと香港と中国の映画組織から話がきて、エイヤっと作ってしまった作品らしい。脚本もプロデューサーも自ら兼任し、自主制作のノリで一切の忖度なしで、完成を見たという。

 先方の依頼は、原点回帰的な恋愛映画だったらOKというのもだったらしいが、それを汲みつつも、高校からの大親友同士の関係を描いていて、<バディもの>でもありますね。そこに、家族関係なども絡めているが、脚本は3日間で書いたようで、すごいな。手による影絵とか、英会話とか、ストーリーにおけるフックの埋め込み方が巧みだ。

 くわえて、俳優の選び方とか、ちょっとした映像の切り取りかたとか、全面的に感服できるわけではないが、確かな手腕に溢れる。力量あると、ぼくはうなずく。なお、ぼくの記憶が正しいのなら、劇中音楽は入らない。そして、それはまったく問題ない。一瞬やっと音楽が使われたかと思ったら、それは男性主人公たちが足を運んだレ・ロマネスク(2010年2月25日)のライヴの場面の彼らの曲だった。また、その二人はかつてフォーク・デュオを組みストリート・ライヴをやっていたことがあり、その場面がフラッシュ・バック的にインサートされるところの曲は、元GOING UNDER GROUNDのドラマーだった河野丈洋が書き、男性主人公二人が歌っている。最初に流される曲も同じ曲なのかな。エンド・ロールには2つの断片を繋いだインストゥメンタルが使われ、それも河野が作っているんだろう。

 途中で、サバけた人なら大笑いとなる主人公の両親と兄の3人によるシーンがある。こんなの、よく盛り込んだなー。入場時にもらった資料には、石井監督自身による長〜いプロダクション・ノーツも掲載。面白いそれは映画の浪漫にもあふれており、男前だな。映画は昨年9月に集中して撮影されたようで、英題は「All the Things We Never Said」。この10月から、ロードショー公開される。

▶︎過去の、レ・ロマネスク
https://43142.diarynote.jp/201002280942269300/

<今日の車窓じゃねえ、徒歩の目から>
 久しぶりにエアコンをかけずに寝た。昨日から少し涼しくなっている。なので、今日は試写室まで歩いていく。家から最初にまがるところ、歩道が広がっていて木もあり円形の休憩所のようになっているのだが、そこは夏でも冬でもお昼時だとおばさんたちで占領され、食事がてら和んでいる。近所のどこかに勤めている方々だと思うのだが(でも、病院と薬局ぐらいしかないよー)、驚かされるのは全員(いつも6人ぐらいはいる)タバコを見事に吸っていること。横を通るのが、ちょっとイヤ。まあ、みんな健康であるということなんだろう。少し前、わりと近い知人が入院をしいられ、ヘヴィ・スモーカーだったのにタバコをやめてしまった(でも、お酒はしっかり飲んでいた)。
 246の途中の、ハンバーガー屋さんの店内は密。はやっているなー。また、ラーメン屋は少し外で待つ人がいた。夏場は汗だくになるのが嫌でぼくはあまり食べないので、みんなすごいなーと思ったら、店前の建て看板には冷やしラーメン各種がいろいろ紹介されている。そういえば、ぼくは生まれてこのかた、冷麺を食べたことがない。焼肉屋でお腹にもう少しいれたいとき、米好きのぼくはクッパを頼んじゃう。盛岡に行けば食すると思うが、さあ果たして?
 試写場はクラブ/ラヴ・ホテル密集地のなかにあるが、クラブはまだ営業もできていないだろうし、やめた店もありそうだな。目についたラヴ・ホテルの入り口には例のレインボーをあしらった都発行の感染防止徹底宣言ステッカーが張られていた。まさか、22時以降入室禁止になるんじゃないよな? 別の店はサーヴィス・タイム/4500→2980円となっていた。ソーシャル・ディスタンシングを図る今、そっちのほうの需要も当然減っているんだろう。
 試写場内はけっこう入っていた。体温検査もなく、椅子も一席づつ開けるということもしていないよう。それは主催者によって変わるのかな? 空いている一番前の列の椅子に座る。始まる前、非マナー・モードでアイフォンがなりだす人、あり。ばつが悪いよな。そのデフォルトのちょいエスニックな感じもなくはないお茶目気味の呼び音、何気に耳にも残るが、誰が作ったんだろ? とは、ぼくはそれを使用するのがいやで、エコー調音に換えている。試写始まって10分ほどでいびきをかき出す人も一人。少しして聞こえななったが、なんかケイオス……。
 試写を見た後、ランチをやり始めた近くの友達のバーに寄ってみたら、夏休み。ガクっ。たまに行くと、夜でも休みだったりして、こことの相性はいいとは言えない。明日は半年ぶりに、対面でのインタヴューがある。リモートがいいですかと問われたので、「はい、楽なので意外に好きです」と返事していたら、先方(ヴェテランの重鎮)が機械に弱くリモートは不可ですみません、みたいな返答を受けた。問われたからそう返しただけで、なんかオレがわがまま言ったみたいじゃないか。

とりかぶつ

2020年8月22日 音楽
 阿佐ヶ谷・Yellow Vitionで、とりかぶつ という変テコな名前のユニットを見る。その内訳は、蜂谷真紀(2008年8月24日、2009年1月8日、2010年9月11日、2014年7月22日、2014年9月25日、2015年5月20日、2015年6月15日、2016年11月2日、2018年1月19日、2019年3月29日、2019年9月12日、2019年12月19日 )と武田理沙(2018年3月15日)のデュオだ。一発モノ、2セット。

 基本の設定は、蜂谷は歌や声を拾うマイクを二つ(一つは音声加工用)とコントローラーと少しの鳴り物とたまのピアニカを扱い、武田はキーボード2台(ハコのヤマハと、エフェクター込みで持参のコルグ)を弾く。もう分かり合っていることもあってか、双方顔色を探ることもなく、さらりと即興対話の流れに入っていく。鍵数が多いヤマハはエレピ音色+で行き、コルグのほうは随所で面白い音をだし美味しい効果を与える。ファースト・セットはその固定されたフォーメイションで行く。

 そして、より長い時間をやったセカンド・セットは……。もう、面白かった、創意と閃きとなりゆきで、いろいろと二人の位置が変わる。まず武田はハコ常設のドラムを叩き始め、初っぱな鳴り物で対抗していた蜂谷は定位置でヴォイス・パフォーマンスしていく。だが、そのうち、蜂谷は移動してファースト・セットで武田が弾いていたキーボード2台を扱い始める。結構前衛に流れない弾き方もし、シンガーとなる前はジャズ・ピアニスト志望であった事実を思い出させる。また、蜂谷はノー・マイクで詠唱を加えたりもし、それはエレピの音色の誘い風情もあって、なんかブラジルぽいとも思わせた。

 その後、武田はキーボードの定位置に戻り(一部で、菊地雅章〜1999年11月3日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24日、2012年6月25日、2012年10月26日〜の「サークル/ライン」のイントロみたいな音を出したときがあり、ぼくはあがった)、なんと蜂谷は急にやりたくなったそうでドラム・セットの前に座り、最初は手で叩き始める。それに終始するかと思えば、スティックでも叩く。ハイハットのオープン/クローズはやらないものの、なにげにまっとう。やっぱ、蓄積とセンスとリズム感だよなあ。といった具合で、思うまま持ち楽器を代え、音楽行為の自由を謳歌しまくる! 頷くしかない。そして、最後はまたファースト・セットの基本ポジションに、二人は戻った。意外性に満ち、とってもうししししとなれる実演であった。

 出演者、店主、お客さん(普段はメタルを聞いているという方がいた)との終わったあとの話もとても楽しかった。訪日ミュージシャンとのギグや海外公演(本当だったら、今ブラジル人と@@@@人〜国名忘れた〜と一緒に回っているはずであったよう)が多い蜂谷も少なからず活動のフェイズを変えることをしいられているようだが、ライヴはいつもより少ないといいつつ、月の半分はライヴを入れているようだ。この晩で蜂谷はドラムに目覚め(?)、話がロックの方で盛り上がったりしたこともあり、今後は<ロック⭐︎マキ>と<ツーバス⭐︎マキ>というプロジェクトが始まるかもしれない。と、無茶ぶりしておこう。

▶過去の、蜂谷真紀
http://43142.diarynote.jp/200808260821260000/
http://43142.diarynote.jp/200901091437341082/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100911
http://43142.diarynote.jp/201407231341189225/
http://43142.diarynote.jp/201409261635554506/
http://43142.diarynote.jp/201410310931316189/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161102
http://43142.diarynote.jp/201707111737453393/
https://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
https://43142.diarynote.jp/201909141634343903/
▶︎過去の、武田理沙
https://43142.diarynote.jp/201803161514432320/
▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
http://43142.diarynote.jp/201207031322126509/
http://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
http://43142.diarynote.jp/201210271744294415/
http://43142.diarynote.jp/201507091044561526/ インタヴュー
http://43142.diarynote.jp/?day=20160611 遺作について

<今日の、昼下がり>
 久しぶりに会う知人と食事をする。ウィークエンド、繁華街からは離れるところで会ったが、やはり店は空いていたな。話はつもり、いろんな方向に流れる。その前にも、これから一緒に仕事をする知人と久しぶりに長電話。なんか、プレシャス。あぁ前のようにはもう戻れないのか。ではなく、こうした状況下いかに視点をかえて生活するか、他者とのコミュニケーションをとるかという方向に、ぼくが完全にシフトしているのはなにより。なんか、ワクワクできている。

 渋谷・映画美学校試写室で、2020年日本映画『ジオラマボーイ・パノラマガール』を見る。岡崎京子の漫画を原作とし、瀬田なつきが監督する。10月から、ロードショー公開。

 1988年、廃刊間際の平凡パンチに連載された作品だそうだが〜すみません。ぼくは岡崎の漫画を見たことがない〜、高校生男女を主役に置く映画だ。そこには、東京という街の、もう一つの寓話的な青春模様を描こうとしてるか。

 舞台となるは、ウォーター・フロント側の集合住宅が並ぶ地域と下町の住宅地と、渋谷。昨年下半期に撮られたそうで、工事中の宮下公園や2020年東京オリンピックのロゴなども映される。つまりは、バブリー期に発表された漫画を今に置き換えているが、それが半端なような気がして、ぼくは少し戸惑った。

 主人公と親友の間で小沢健二の『ライフ』のアナログを貸し借り(小沢の曲は劇中にも使われる。『ライフ』は1994年のリリース。ベティ・ライト〜2012年2月28日〜の「クリーン・アップ・ウーマン」のパクリ曲「ラヴリー」が入っているアルバムだ)したり、主人公が部屋でアナログをかけたりするシーンには? 別に音楽マニアという設定でもないしね。また、パルコを前にハルコという主人公が、その前で「私はパルコを全部、ハルコにかえるのが夢」みたいな台詞を言う場面があるが、西武/パルコがまさにイケイケだったあの頃なら生きる話だが、はたして今は……。あと、男性の主人公のほうはもう少しスケボーを練習してほしかった。

 映像は、何気にアップ目を多様。音楽は最小限に使われ、ほんわかしたそれは相対性理論のドラマーの山口元輝(2017年10月7日)が作っている。最後の、東京の遠景映像のもと非主演者たちの会話が入るシーンはいいな。

▶︎過去の、ベティ・ライト
https://43142.diarynote.jp/201203061824335340/
https://43142.diarynote.jp/202005110748547114/ 訃報
▶︎過去の、山口元輝
https://43142.diarynote.jp/201710121659242506/

 その後、映画をもう1本。ヒューマントラストシネマ渋谷で、公開中の2018年米国映画「ディック・ロングはなぜ死んだのか?」を見る。

 原題は、「The Death of Dick Long」。かつてぼくがかなり共感を持った2016年アメリカ映画の「スイス・アーミー・マン」(2017年7月10日)を監督したザ・ダニエルズの2分の1、ダニエル・シャイナートが監督する映画だ。これは、見たくなる。音楽も「スイス・アーミー・マン」と同じくジョージア州アトランタのロック・バンドであるマンチェスター・オーケストラのアンディ・ハルとロバート・マクダウェルが担当。今回の音楽はわりとロック・バンドの楽器を使うものが使われる。また、ブレンダ・リーなどのアリ曲もうまく米国の地方のもやもやした風景描写するために使用されている。

 舞台は、米国の田舎都市。具体的なことは示されてないと思う。冒頭は主任公の30代の3人が組む、アマチュア・バンドの納屋だか牛舎だかでの練習風景。ちゃんと家庭を持っていたり、昼間は働いていたりするものの、DQNな面々であり、練習終了後に彼らは酒をあおり、?*+#%$!を楽しむことをしていた。だが、その晩はそのあまりに人に言えない行為で一人が瀕死の重症を負ってしまい、メンバーは怪我した仲間を病院の前に置き去りにする。そして、彼は死んでしまう。死因があまりにまずいのでそれをごまかそうとする二人とその周辺、犯人を追う二人の太っちょの女性警官らの動きを、ダークな色調のなか〜そこに妙な諧謔もはいっているか〜追っていく映画だ。

 あっけあかんとしてて荒唐無稽な「スイス・アーミー・マン」と比すなら、しごく現実的なストーリー運びがなされているとも書けるが、映画を引っ張る死因があんまりなもので、その作りにはなるほどと頷かされよう。妙な筋を真面目に追っていくそれは、なんだかんだ力あり。この監督の作品は、今後も見ていきたいと思った。

▶︎過去の、「スイス・アーミー・マン」
https://43142.diarynote.jp/201707111737453393/
 
<今日の、渋谷>
 炎天下のなか、出かける。バス停留所2つで220円は無駄だなあとは思うが、先日暑いなか歩いて携帯落としたりもしたので、逡巡はなし。1コめと2コ目の映画の間で食事をとりつつ、渋谷を横切る。その際、新しくなったパルコの横と宮下公園のガード下を通る。……いろいろと、感慨はわきますね。ヒューマントラストシネマ渋谷が入ったビル(映画館の階下には、ヤマハの音楽教室があった)からは要塞のように下からは見える新宮下公園上部がよく見えた。のんべえ横丁はその再開発に飲み込まれてしまったのだな。追記)いや、ちゃんとあるようだ。

 「去年(2019年)は自分の中でいろいろ起きまして、ターニング・ポイントだったのかなと思います。<NEO-SYMPHONIC JAZZ at 芸劇>というんですが、池袋にある東京芸術劇場の管弦楽団がジャズを演奏するコンサートのプロデューサーにつきました。それは、ライフワークとして続けていきたいですね。また、2017年の東京ジャズで出会ったデンマーク放送ビッグ・バンドの主任指揮者になった最初のシーズンでもありました」。

 これはこの2月にインタヴューした際の、作編曲家/指揮者の挾間美帆(2014年7月10日、2015年10月15日、2016年10月28日、2017年9月3日、2019年2月6日)の発言だ。そして、米国のジャズ側にいるミュージシャンが今もっとも協調しているオランダのメトロポール・オーケストラの常任客演指揮者にも、彼女はこの夏からついた。

 池袋・東京芸術劇場コンサートホール。プロデューサーを務める劇場打ちの公演で、クラシックのオーケストラ編成でジャズを送り出す<ネオ・シンフォニック・ジャズ>の第2弾となる。

 東京フィルハーモニー交響楽団(2008年7月3日。2015年9月5日)と、挾間美帆の自己ユニットである m_big bandの面々が一緒にステージに並ぶ。その総勢は、50人強だったか。m_big bandのほうは、サックス・セクションに土井徳浩(2015年4月24日、2015年10月15日、2016年7月11日、2017年10月27日、2018年7月4日、2019年11月16日)と辻野進輔と吉本章紘と鈴木圭(2016年10月28日、2017年7月28日、2017年11月8日)と竹村直哉(2019年2月6日)、トランペット・セクションに真砂陽地(2018年8月31日)と広瀬未来と川原真彩と石川広行(2017年6月15日)、トロンボーン・セクションには半田信英(2016年10月28日、2017年7月28日、2017年11月8日、2018年6月8日、2019年1月7日)と高井天音と高橋真太郎と佐藤敬一朗を擁し、さらにピアノの佐藤浩一(2014年10月22日、2016年7月11日、2017年10月27日、2018年1月7日、2018年4月7日、2018年6月4日、2019年1月5日、2019年10月30日)、ダブル・ベースの日本在住米国人であるパット・グリン、ドラムの高橋信之介(2018年2月8日、2019年1月3日、2019年1月7日)というリズム・セクション。彼らもノー・ネクタイながら、黒いジャケットを身につけていた。

 自分の曲に加え、ハービー・ハンコックやジョン・スコフィールドの曲も大きく開き直して、提出。また、メトロポール・オーケストラの先輩指揮者であるヴィンス・メンドーサが編曲したジム・ビアード(2009年5月18日)の曲も披露する。途中からは、渡辺香津美((2004年12月15日、2010年9月1日、2010年9月5日 、2010年11月20日、2012年3月20日、2016年6月4日、2016年9月4日、2017年9月2日、2018年4月6日)が加わり、エレクトリック・ギターを中央で弾く。その際、渡辺の旧曲も狭間の編曲にて送り出される。

 大は小を兼ねる。ではなく、大は大でしかできないという厳然たる事実をあっさりと差し出すような内容。彼女はインタヴューした際に、後ろ姿の見え方にも気を使うと言っていたが、鶴のような指揮姿は立派でした。

 アンコールで、アート・ブイレイキー(作曲はピアニストのボビー・ティモンズ)の大ジャズ・スタンダードの「モーニン」を演奏。そのアレンジは、編曲家としても確固たる位置を得るベーシストのジョン・クレイトン(2011年12月21日、2017年1月18日)と紹介された。おお、さすがクレイトン、うまいな。この日の公演は、日本経済新聞8月28日付け夕刊に書きます。

▶過去の、挾間美帆
http://43142.diarynote.jp/201407111305232157/
http://43142.diarynote.jp/201510181000334516/
http://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
https://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
https://43142.diarynote.jp/201902071836593799/
▶︎過去のに、メトロポール・オーケストラに触れた項目
https://43142.diarynote.jp/201603111218495183/
https://43142.diarynote.jp/201809081806048052/
https://43142.diarynote.jp/201810170924585002/
▶過去の、渡辺香津美
http://43142.diarynote.jp/200412212102130000/
http://43142.diarynote.jp/201009030955539620/
http://43142.diarynote.jp/201009171511588216/
http://43142.diarynote.jp/?day=20101120
http://43142.diarynote.jp/201203260803216950/
http://43142.diarynote.jp/201606121224129353/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
https://43142.diarynote.jp/201804071041255956/
▶︎過去の、東京フィルハーモニー交響楽団
https://43142.diarynote.jp/200807041128510000/
https://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
▶︎過去の、土井徳浩
http://43142.diarynote.jp/201504271015006453/
http://43142.diarynote.jp/201510181000334516/
http://43142.diarynote.jp/201607121045394372/
http://43142.diarynote.jp/201711020707155260/
http://43142.diarynote.jp/201806181751451387/
https://43142.diarynote.jp/201807050952089343/
https://43142.diarynote.jp/201911181002427435/
▶︎過去の、鈴木圭
https://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
https://43142.diarynote.jp/201708081429085086/
https://43142.diarynote.jp/201711091333526195/
▶︎過去の、竹村直哉
https://43142.diarynote.jp/201902071836593799/
▶︎過去の、真砂陽地
https://43142.diarynote.jp/201809031607547023/
▶︎過去の、石川広行
https://43142.diarynote.jp/201706190920527378/
▶︎過去の、半田信英
https://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
https://43142.diarynote.jp/201708081429085086/
https://43142.diarynote.jp/201711091333526195/
https://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
▶︎過去の、佐藤浩一
http://43142.diarynote.jp/201410251055118180/
http://43142.diarynote.jp/201607121045394372/
http://43142.diarynote.jp/201711020707155260/
http://43142.diarynote.jp/201801081118162617/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201806060708363548/
https://43142.diarynote.jp/201910311450514339/
▶︎過去の、高橋信之介
https://43142.diarynote.jp/?day=20180208
https://43142.diarynote.jp/?month=201901
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
▶︎過去の、ジム・ビアード
https://43142.diarynote.jp/200905191118258984/
▶︎過去の、ジョン・クレイトン
http://43142.diarynote.jp/201112261518003058/
https://43142.diarynote.jp/201701191854055570/

<今日も、暑かった>
 会場は、すべて一席づつあけでの着席なり。つまりは、定員は通常時の半分となるわけですね。基本観客のあり方は電車の中と同様で静か、するとこのホケンをかけての座らせ方は贅沢なであるとも感じようか。駅に入るときと違い、体温チェックがあり、手洗浄用のスプレーもおいてあるわけだし。
 この出し物は、コロナ禍で流れたものが、仕切り直しのもと実現にごぎつけたよう。来日時と帰米時の2週間待機という障壁を飲んでの、挾間の来日であると、人づてに聞いた。1曲目オリジナルの「RUN」を披露し、「こんなおりに、皆さんおいでくださって」というMCをしたさい、挾間は感極まり泣いてしまったのには驚いた。それだけ実現させるために労を執ったのだろうし、本当にこうした状況下で観客の前でやることにグっときてしまったようだ。ニューヨークでの4ヶ月ロック・ダウン環境を強いられた挾間にとって、これは半年ぶりの人前での活動であったとのこと。

 名テナー/ソプラノ・サックス奏者のスティーヴ・グロスマンの訃報が届いている。ところが、彼の名前を引いても、その訃報を封じる記事が少ししか出てこない。彼ほどの実績を持つ人なら、絶対いろいろ出てきていいはずなのに。謎。ゆえに死因もよく分からないし、亡くなった日が15日となっているものもある。実は、まだ半分ぐらいは訃報はガセではないかと、ぼくは思っている。まだ60代、早熟な人ではあった。

 グロスマンというと、マイルズ・デイヴィス、日野皓正、エルヴィン・ジョーンズの3巨頭の名前が浮かぶ。1970年代上半期の、彼らのグループに入った演奏がまず思い出されるな。適切なカタルシスを表現できた吹き手ででもありました。1973年、エルヴィン・ジョーンズ流れでジーン・パーラのPMレーベルから『Some Shapes To Come』でリーダー作デビュー。以後、フランスのアウル、アトランティック、イタリアのレッド、日本のDIW、フランスのドレフィス・ジャズ他からアルバムをリリース。彼は菊地雅章とも親交を持っていた。

追記) その後、少し彼の死の報を伝えるものが出てきた。亡くなったのは、やはり8月13日。ニューヨーク州グレンコーブ市のグレンコーブ病院に持病で入院していて、心停止したという。なんとなく欧州在住というイメージを持っていたが、5年ほど前にイタリアのボローニャから本国に戻ったよう。nprの記事によると、彼のお父さんはRCAのセールス・マンをしたあと、スピーカーで知られるオーディオ・メイカーのKLHの社長に就いたとのこと。また、デビュー作を出したころは、そこに参加もしている鍵盤奏者のヤン・ハマーとアパートをシェアしていたそうな。ジャズ王道にある楽器作法を、非4ビートのサウンドに乗せるようになった時代の、その第一世代の奏者であると、彼を規定することもできるだろう。

<今日の、掘り起こし>
 以下は、日野皓正にの発言である。2019年12月のインタヴューより。
 「デイヴ・リーブマンのバンドでセヴンス・アヴェニュー・サウスに出たとき、デイヴが明日マイルスの(入院している)病院に行くけど、彼に言うことあるかと聞いてきた。そのころ、俺は唇があれてマウス・ピースについて苦慮していたんだ。そしたら、彼の答えは「下の唇を使え」。その時は、それがなんのことか分からなかった。その後、デイヴとビールを抱えてマイルスの家に行ったら(1970年代後期の隠匿期だろう)、部屋が真っ暗でテレビの光しかない。すると、彼は近所に住む彼女に懐中電灯を持ってこさせ、それで俺の唇照らし見るんだ。そして、「ヒノ、お前は大丈夫だ」と言う。また、その時マイルスは自分のセッションのテープを聞いていたんだけど、俺にちょっと演奏しろと言い、自分のトランペットを吹かせるわけ。なんかね、彼は俺のことを息子だと思っていたの。黒人ミュージシャンには、落語のように弟子から弟子に自分のスタイルを教え伝えるシステムがあるんだ。(90年前後に日野グループに入っていたドラマーの)マーク・カーヴィンなんか、フィリー・ジョーとかマックス・ローチが来ると、そういう関係で「親父、元気?」って話しかける。アート・ブレイキーなんかも俺に「マイ・サン、日野。カム・イン」とか言って、ステージに誘ってくれた。往々にしてそんな感じなんだけど、まさかマイルスとも親子関係になっているのは知らなくて、だって神様だと思っていたからね。本当に光栄だよね。彼が亡くなってしばらくしてから、下の唇を使えというのはこれなんだと分かったんだ」
 エルヴィンの1970年代初頭のグループに一緒に在籍するなど、ぼくのなかではデイヴ・リーブマンはグロスマンと立ち位置が重なるテナー・サックス奏者だった。グロスマンと重なることはなかったが、リーブマンもマイルズ・デイヴィスの電化期録音に関与していた。
 渋谷・ユーロスペースで、2019年米国ドキュメンタリー映画「マイルス・デイヴィス クールの誕生」(原題、Miles Davis Birth of the Cool)の試写を見る。1951年生まれアフリカ系のドキュメンタリー映像監督であるスタンリー・ネルソンJr.による、ジャズ界最大の存在を描く作品だ。9月初旬以降、全国順次ロードショーされる。

 彼が育ったイースト・セントルイス時代から、時系列でデイヴィスの歩みを追う。とうぜん、全編で御大の演奏が流れる。115分の長さを持つが、1時間15分を過ぎないと、1960年代半ばのクインテット期の話に入らない。当然、彼がどんどんダイナミックな動きを見せる時代になってからの描写は少し駆け足ぎみとなる。監督はジョン・コルトレーンがサイド・マンにいたころまでのデイヴィス表現、ジャズ王道を担っていた時代の彼の音楽が好きなのかもしれない。ヒップホップ・ビートを採用した遺作『ドゥー・バップ』は無視、言及されない。ともあれ、デイヴィスの伝記の類を読んだことがないぼくにとっては、あらそうなの、へえ〜の連続ではありました。デイビスというとあの関取声だが、それは昔からで、喉の手術に起因するものであるのか。彼がジョンとヨーコ(2009年1月21日)と一緒にいる写真も出てきたが、それよく知られる写真なのかな? ぼくは初めて見た。

 デイヴィスのクスリ問題(映画では、ジュリエット・グレコとも恋仲になり満喫できた1949年の初のフランス行きのあと、差別のひどい米国の状況に絶望してヘロインに走ったみたいな説明もされる)やオンナ関係もきっちり語られる。付き合いを持った女性たちも次々登場。彼がいいオンナと付き合っていたということも痛感できる。デイヴィスがスターになった理由は音楽の素晴らしさととともに、ルックスが良かったからだとぼくは常々思っているが、やっぱり彼は格好いいとも再確認。いや、モノクロ写真が提示される1960年代前半までのスーツを身にまとうジャズ・アーティストたちはみんな格好いいな。ある意味、ジャズの担い手の誉も伝える映像と指摘することも可能か。

 証言者は多々。クインシー・ジョーンズ(2013年8月1日)、ハービー・ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日、2014年9月7日、2015年9月6日、2016年9月3日、2018年9月1日)、カルロス・サンタナ(2013年3月12日)、ウェイン・ショーター(2001年8月3~5日、2002年8月25日、2004年2月9日、2014年9月7日、2015年9月6日、2019年6月12日)、ロン・カーター(2001年6月7日、2004年1月14日、2010年5月6日、2011年1月30日、2012年3月3日、2012年12月11日、2014年1月19日、2014年9月7日)、ジミー・コブ、ジミー・ヒース、マーカス・ミラー(1999年11月12日、2001年 6月14日、2003年8月19日、2005年8月21日、2007年12月13日、2009年9月15日、2010年9月3日、2013年9月3日、2015年2月21日、2016年9月17日、2017年1月7日、2018年5月16日、2018年5月24日、2019年1月3日)、レニー・ホワイト(2010年9月1日、2010年12月3日、2014年9月7日、2017年11月30日、2017年11月30日)、ジェームズ・エムトゥーメイ、マイク・スターン(2009年3月23日、2009年6月18日、2010年6月6日、2012年6月13日、2015年6月5日、2016年6月4日、2019年4月26日)、など。デイヴィスの実の娘や息子も出てくる。

▶︎過去の、マイルズ・デイヴィスを題材とする映画
https://43142.diarynote.jp/201701051022179600/
▶過去の、ヨーコ・オノ
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
▶︎過去の、クインシー・ジョーンズ
http://43142.diarynote.jp/201308091149599475/
▶過去の、ハービー・ハンコック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903/
https://43142.diarynote.jp/201809051532324111/
▶過去の、カルロス・サンタナ
http://43142.diarynote.jp/201303211531189619/
▶過去の、ウェイン・ショーター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200402091738240000/
http://43142.diarynote.jp/201404161959228005/
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
https://43142.diarynote.jp/201906151230594715/
▶過去の、ロン・カーター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm
http://43142.diarynote.jp/200401140000000000/
http://43142.diarynote.jp/201005071023536171/
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201212141028575543/ 
http://43142.diarynote.jp/201401221302405299/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201611161214257431/
https://43142.diarynote.jp/201712011129041106/
▶︎過去の、ジミー・コブR.I.P.
https://43142.diarynote.jp/202005252018424269/
▶︎過去のマーカス・ミラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm 
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200712161023010000/
http://43142.diarynote.jp/200909181206531984/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201309051241384602/
http://43142.diarynote.jp/201502231815384234/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160917
http://43142.diarynote.jp/201701091247527188/
https://43142.diarynote.jp/201805201310351671/
https://43142.diarynote.jp/201805250930363191/
https://43142.diarynote.jp/201901041047462042/
▶過去の、レニー・ホワイト
http://43142.diarynote.jp/201009030955539620/
http://43142.diarynote.jp/?day=20101203
https://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
▶過去の、マイク・スターン
http://43142.diarynote.jp/200903260425159549/
http://43142.diarynote.jp/200906190812191379/
http://43142.diarynote.jp/201006071818281946/
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196
http://43142.diarynote.jp/201506070920231979/
https://43142.diarynote.jp/201606121224129353/
https://43142.diarynote.jp/201904271153238361/
https://43142.diarynote.jp/201904281151232549/

<今日は、あ“〜>
 8月6日というと、しんみりした気持ちになる。試写を見たあと、近くの広島県呉出身のヤツがやっている店に行く。彼に聞いたら、義務教育の9年間は週ーで、原爆関連の授業があったそうだ。
 広島平和記念資料館には数年前に行った。建物の半分が改築だかなんだかで閉まっていたが、それでも記念公園のありかたとかとも重なり、多大な感慨を得た。併設の喫茶室みたいなところで一息ついていたら、この島のなかに家があって被爆した(その後、大学は東京に行ったと言っていた)という語り部おじいさんが話しかけてきて、いろいろ話した。その人は今も元気で、観光客に話しかけているだろうか。昨日の夕刊で紹介されていた、被曝した両親のもと広島市で生まれ、現在はアメリカで臨床精神医として働く美甘(みかも)章子さんの著作を原作とする米国映画「8:15」を見てみたい。今、広島では公開されているようだ。
 その店の帰り、徒歩で帰宅したのだが、家の近くで携帯を落としているのに気づく。携帯を持ち出したのは1990年代前半だと思うが、ずさんな性格ながら、携帯紛失は初めて。当面、ぼくの携帯は不通です。連絡はPCメールやマッセンジャーや固定電話までよろしくねー。しかし、電話帳のバックアップとかとってない。もし新規に替えた場合は、広く連絡先を教えてもらわなくはならなくなる。うひー。



 米国人ジャーナリスト(そのスタートは、ニューヨーク・ポスト誌の記者)、小説家、コラムニストであるピート・ハミルが亡くなった。転倒のため右腰を骨折して入院し、そのまま合併症でお亡くなりになったようだ。

 ブルックリン生まれの生粋のニューヨーカーで、ニューヨーク、ひいては合衆国の機微を人間的な目で拾い上げて、支持を受けた。あれ、オレのなかで、ボブ・グリーンの著作とごっちゃになっているところがあるかな。音楽だったらまずあり得ないが、ぼくの文学知識や興味なぞ浅くてそんなものです。

 彼というと、日本のCBSソニーが1980年代中期に発売した、『ニューヨーク・シティ・ストーリー』という商品を少し思い出す。ジャズ曲コンピーレーションのアナログ・レコードとブックレットが一緒になったもので、そこには後期ビ・バップからハード・バップに至る時期のジャズ・アーティスト(なにげにビリー・ホリデイやリー・ワイリーなどヴォーカルものも多かったはず)が収録されており、彼はジャズの愛好家であったのかな。また、1970年にも彼の名前が冠された『Pete Hamill Narrated By Rosko ‎ Murder At Kent State University』(Flying Duchman。当然、プロデューサーはボブ・シール)というアルバムがあり、ロン・カーター(2001年6月7日、2004年1月14日、2010年5月6日、2011年1月30日、2012年3月3日、2012年12月11日、2014年1月19日、2014年9月7日、2017年11月30日)やジェイムズ・スポルディングらの散文的な演奏のもと、高名なラジオ・アナウンサーであるウィリアム・ロスコー・マーサー (1927〜2000年。おそらく、アフリカ系)がハミルの言葉をナレーションしていた。

 彼の奥様は作家/ジャーナリストの青木 冨貴子さん。件のソニー盤が出てしばらくして、その報が流れたような記憶がある。

▶過去の、ロン・カーター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm
http://43142.diarynote.jp/200401140000000000/
http://43142.diarynote.jp/201005071023536171/
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201212141028575543/ 
http://43142.diarynote.jp/201401221302405299/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201611161214257431/
https://43142.diarynote.jp/201712011129041106/

<今日の、比較>
 うちは世田谷区の端っこにあり、区民サーヴィス受け付け窓口や選挙の投票所などは目黒区のそれの方が近い。その近い立派な図書館の登録カードはぼくも発行してもらい、持っている。基本最寄り駅に行くのも、一番近いスーパーに行くのも、渋谷まで歩くにしても、目黒区を通らないといけない。日々歩く距離は世田谷区より、目黒区のほうが間違いなく多い。そんなわけなので(?)、区民報のようなものは両区のものが新聞折り込みに入る。その情報供給の質については、世田谷区のほうが少しましかな。いや、いつも一瞥しかしていないが。目黒区在住の知人よりも、例の給付金10万円振り込みは早かった。あと、お世話にはなりたくないが、PCR検査を独自に充実さますという世田谷案件の区長の発表を知り、世田谷区民でいいねと言ってきた知人が2人、、、、。数年後、この記載を見て、忘れてたけどそんなこともあったねーと思えることを祈る。

  この一時は南/北米にめちゃ進出し人気を得た日本人サルサ・バンドを見るのは、約30年前のこととなる。ニューヨークに行ったとき偶然合って、ぼくはNYマディソン・スクエア・ガーデンでやっていたサルサ・フェスティヴァルを見に行き、デ・ラ・ルスはオスカール・デ・レオンやルーベン・ブラデスら人気者たちに混じって出ていたんだよな。受けていました。その後、取材は一度したことがあるが、それは文春から出ていたエンタメ雑誌「サンタクロース」だったかしら。そこのはサッカー・チームを組んでいて、ぼくも入っていた。

 オリジナル・メンバーは、中央にたつシンガーのNORAだけなはず。他の構成員は、コーラスとヴォーカルのJIN、ティンバレス(キック・ドラムも置いていた)の鈴木ヨシロー、コンガの伊波淑、ボンゴの佐藤由、キーボードの斎藤タカヤ、ベースの澁谷和利、トランペットの佐久間勲(2017年12月5日、2018年6月8日 、2018年9月2日、2019年1月7日)と五反田靖、トランボーンの前田大輔と相川等。演奏陣もけっこうコーラスを入れ、それはいい感じだった。打楽器陣やマウス・ピース系で固めた管楽器陣の重なりのまとまりに触れ、メンバーは入れ替わってもバンドの歴史がプラスに働いているのどろうと思う。それ以上に、面々のラテン・ミュージックに対する愛着が正に働いているのだろうけど。

 菅セクションは1曲でトランペットの2人が少し掛け合いを見せた以外、ソロは取らない。でも、曲趣を盛り上げる4人の音はまったくいい感じで、これが正解なのだと思わせる。トロンボーン奏者の1人(相川)がアレンジと何度も紹介されていた。秀でた編曲家でもある村田陽一(2005年1月7日、2006年1月21日、2010年3月9日、2011年12月20日、2012年9月8日、2014年12月14日、2015年9月27日、2016年12月11日、2017年12月5日、2018年6月8日、2018年9月2日、2019年4月26日、2019年4月27日、2019年4月28日)は、トロンボーンは暇なので他の音を聞くようになりアレンジ力が生まれてくるみたいなことを大昔に言っていたことがある。彼、じゃがたら だけじゃなく、デ・ラ・ルースにも絡んでいたことあったっけ。

 エンターテインメント性と躍動に富むステージ。サーヴィス満点のNORAのMCや物腰についてはぼくは過剰と感じるが、休止の期間はあるものの、36年間もこの名前でグループが続いている源にもそれはなっているだろう。スペイン語曲を中心に、日本語(オリジナルだけでなく、松任谷由美が書き下ろしたという曲もやる)や英語曲(ウィットニー・ヒューストン曲)まで、演目は様々。国外のラティーノではないく、きっちり日本人を魅了するサルサ・バンドとして私たちは突き進むという意思が横溢するパフォーマンスだった。

▶︎過去の、佐久間勲
https://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
https://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
▶過去の、村田陽一
http://43142.diarynote.jp/200501170151560000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
http://43142.diarynote.jp/201003101342028780/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111220
http://43142.diarynote.jp/?day=20120908 ベン・E・キング
http://43142.diarynote.jp/?day=20141214
http://43142.diarynote.jp/?day=20150927
http://43142.diarynote.jp/201612171245154424/
https://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
https://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201904271153238361/
https://43142.diarynote.jp/201904281151232549/
https://43142.diarynote.jp/201904291825347224/

<今日は、思惑がはずれた……>
 ついに一昨日だか昨日だか、梅雨明け。昨日から、まこと晴天。湿度がそれほどないのか、エアコンを入れようかとはまだ思わない。日曜の昼下がり(といっても、16時)、運動不足もありまだ陽が差すなか、会場まで歩く。最短ルートと思われる道を行き、片道40分。さすが、汗ばむ。入店時の体温測定で、体温が上がっていないか少し心配になる。36,51℃とモニターに表示された。ビールがすげえうまいだろうなあと思ったら、まずパイントを10分ちょいで飲んじゃう。金曜のアナログを回したパーティでもぐいぐい飲んだが、その際はビールを飲んでいなかったので、久しぶりのビール? やっぱり、うまい。帰りも徒歩にて戻り、それなりにヘロヘロ。2万歩近く歩いたんじゃないかと期待したら、1,1万歩でガクっ。携帯の万歩計、正しいのか? この日の模様はミュージック・マガジン9月号売り号で書く。←ライヴ評目的で、ライヴを見るのは、日経新聞夕刊に書いた3月16日のルイーザ・ソブラル公演以来となるのかあ。

 享年、47。フォラデルフィアンたちで組まれたザ・ルーツ(2002年12月29日、 2003年12月2日、2004年9月19日、2007年1月15日、2013年12月19日)のオリジナル・メンバーだったマリク・Bがお亡くなりになった。フロントを担ったブラックソウトとともにペンシルヴァニア州の古い公立大学であるミラーズヴィル大学に通い、ザ・ルーツの初期の4作品に参加。どっちかというとブラックソウトのほうが目立っていたためもあってか、ごんごん彼らが人気を獲得するなか脱退。だが、後のザ・ルーツ作にも複数ゲスト入りもしているので、険悪な関係ではなかったろう。脱退は1999年とされるので、ぼくはその雄姿を見たことはないはず。
 
 その後のリーダー作は、『Street Assault』(F.D.M.E、2005)とニュージャージーのトラック・メイカー/プロデューサーであるミスター・グリーンとの連名での『Unpredictable』(Enemy Soil、2015)。そして、マリク・Bが最後に参加したアルバムは(たぶん)、先駆的ラップ・グループとも言えるザ・ラスト・ポエッツの『Transcending Toxic Times』(Ropeadope、1999年)。落ち着き気味の「ヤング・ラヴ」という曲で、彼は噛みしめるようなそれを披露している。同作は、かつてザ・ルーツとの共演作も出したこともあるフィラデルフィアの怪傑ベーシストであるジャマラディーン・タクーマが共同プロデュースしていた。

▶過去の、ザ・ルーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
http://43142.diarynote.jp/201312200917503345/
▶︎過去の、ジャマラディーン・タクーマ
http://43142.diarynote.jp/201408051026553769/

<今日の、雲行き>
 温暖化も影響しているのか、自然災害は多発。東京は大雨は皆無だったものの、曇りや雨天の日は続いていて、梅雨も明けていない。野菜の値段があがっても、なんかずっとそういう感じがぼくのなかにあるのであまり驚かないな。そんなわけなので、ここのところは、エアコンをかけないどころか、窓をしめて就寝している。昨日は雨マークが出ていたが、雨は降らず(たぶん。終日、家にいたもので)。一瞬、ヴェルディ東京のホームゲームを見に行こうかと思った。昔は嫌いなチームだったけど(今は気にもしないのでよく分からない)けど、近場でこれしかやっていないし(行くとしたら、サッカー専用スタジアムではないダメ会場ではあるものの意外に近い味の素スタジアムがいいし)、今見ておかないと、また試合自体が無観客になったりリーグが中断するおそれもあるとか思わなくもなく……。でも、夕方に身体が重くなり、これは自重せよとのサインと思い、やめにした。あれれ今、<東京都、全域の飲食店で営業時間短縮要請へ 感染急増>と題した日経の速報メールが届いた。3日からのよう。

 B・ジェファーソンはザ・スピナーズの「マイティ・ラヴ」をはじめとするフィリー・ソウルの名曲を1970年代に作った都会的かつ洗練されたソングライター。当初はミュージシャンだったが、紆余曲折ありトム・ベルに認められ、作曲家稼業に入り、見事に同ソウルの興隆に寄与した。ありし日の華やかな米国の襞を書き留めた御仁……。後のサンプリング需要もあった。享年77歳、死因はがんであったという。

 また、プライマル・スクリーム(2000年2月11日、2002年11月16日、2005年7月31日、2009年1月28日、2011年8月12日、2013年11月6日)、ア・サーテイン・レイシオ、ニュー・オーダー、エレクトロニク、イアン・ブラウン(2005年8月13日)など、マンチェスター発のロックに、ソウルフルな歌で助力したUKブラックの女性シンガーであるデニス・ジョンソンが56歳でお亡くなりになった。とくに、1990から94年にかけて関与したプライマル・スクリームは、彼女をフィーチャーしたシングル「ドント・ファイト・イット、フィール・イット」がヒットしたこともあり、その歌声は数多くの人に届いていたのではないだろうか。シングルは2枚出しており、この9月には初アルバムをリリースする予定であったという。

▶過去の、プライマル・スクリーム
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-2.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20050731
http://43142.diarynote.jp/200901290803429732/ これ以降、ガャドガン加入
http://43142.diarynote.jp/201108131129381378/
http://43142.diarynote.jp/201311071343585896/
▶︎過去の、イアン・ブラウン
https://43142.diarynote.jp/200508152007550000/

<今日の、トホっ>
 3月下旬以降、ライヴ予定がなくなった→要は、このブログをあまり書かなくなるなと思った際、ミュージシャンの死についてはちゃんと書き留めようと決めた。その死因が新型コロナ・ウィルスによるものであるなら、この時期の悲しい状況をちゃんと残すことができるとも考えたから。それゆえ、ライヴにばんばん行っていた時期と違い、少し距離を感じるミュージシャンであっても基本その死に触れるようにしてきた。
 だが、弘田三枝子さんについては、書きようがない。まじ、ちゃんと聞いたことが一度もないんだもの。ぼくがポップ・ミュージックを聞くことにハマったのはちょうど中学校に入ったとき。そのとき、ラジオを買ってもらい、姉が買ってもらったものの放置状態だったLL用のオープン・リールのテープ・レコーダーでラジオから流れる英語の曲(ときには、チャートに登るフランス語やイタリア語の曲もあった)を全部録音するようになったのだ。当時のNHKのFM放送は15時からの番組だったか、毎日新譜のアルバムを代々すべてかけていた。それは、ほんとありがたかった。
 楽器を扱うのは好きだったけど、小学校のころは特段音楽に興味がなかった。TVの音楽番組も見た記憶があまりない。なんか、自分の周りの、窮屈と感じるニホンニホンした環境もろもろに嫌悪感を覚えて、歌謡曲は大げさに言えばその象徴のように感じてしまっていたんだろうな。だから、グループ・サウンズもぼくは聞いたことがない。上の兄弟が聞いていて、その流れで音楽好きになったという話はよくあるが、年子の姉は勉強しかなく、その後も洋楽の“よ”にも触れずにまっとうなインターナショナルな大人になった。
 話は戻るが、それが中学校に入り、唐突に洋楽ロックにハマりこれっきゃないと確信してしまったのは、今振り返ると多少驚きではある。音楽自体が格好いいとシビれちゃったのは当然として、地方に住む一少年に非日本な、海外のイケてるもやもやをロックがたっぷり与えてくれたからこそ耽溺したんだろうな。ぼくは、親とか、自分のいるところとかがいやでしょうがなかった。洋楽こそが、ちっぽけな日本の地方に住む自分と広い外の世界を繋ぐぶっといチャンネルだったのだ。
 子供のころから親に東京に連れて行ってもらったりはしていたが、高校生になると1人で東京にたまに行き、外盤屋を回ったり、少しだがコンサートに行ったりもするようなる。すると、余裕ができもするのか少しは日本の同時代の音楽にも興味を持つようになるが、それは洋楽の耳で聞くことができるブツだけだった。最初に買った日本人のレコードは、サディスティック・ミカ・バンドのファースト(初回に封入されていたシングルもまだある)。シングルはファニー・カンパニーの「スウィート・ホーム・オーサカ」。さらには、矢野顕子のデビュー作『ジャパニーズ・ガール』は大好きだった。生ギターを持つ音楽は嫌いで、男だったらエレキ・ギターを手にバンドでがつんと行かんかいと思っていたぼくは、日本のフォークもその一切を切り捨てていた。ゆえに、ミカ・バンドのファースト作の曲の半分はフォークぽくていまいちと感じた(その中で一番好きだったのは、ファンキーな「怪傑シルバーチャイルド」)。
 自分が知らないところに素敵な音楽があったら悔しいと、本当に貪欲に音楽を追い求めてきたが、日本の担い手の幅はなかなか広がらなかった。昔のハイカラな、本来だったら聞きどころがありそうなものにもそんなに触れてないよなあ。まだ、民謡や演歌の方が垣根は低い。そこには、僕が少年期に抱えたドメスティック日本に対する嫌悪がいまだぼくのなかにくすぶっているのかもしれないが、やっぱ基本的に歌謡曲はいまだにダメ。歌謡曲バーなんか15分といれない。楽しめない。その件については、オレってほんとにイケズなヤツと思うしかない。なんか、同時代のものとして存在したドメスティックなものに対する拒否感は自分でも驚くべきものがあるよなあ。
 そんなぼくが変わる日は、もうこないのかなあ。もとい、このブログに訃報に関する原稿が並び続ける状況もずっと続くんだろうなーー。

 英国人ギタリスト/シンガーの、ピーター・グリーンの死が公表された。20歳になるとき入ったジョン・メイオール・ブルース・ブレイカーズが、大舞台の端緒。その前任者は、エリック・クラプトン(2006年11月20日)。1年在籍し、ホワイト・ブルース・バンドとしてスタートしたフリートウッド・マックを結成。1970年まで在籍し、同年にはリーダー作も出した。その後は、ドラッグとメンタルの問題で活動は見え隠れするが、1980年代前半に連発したアルバム群はブルース愛好を下敷きにする、ちょい渋黄昏おやじの技ありロック作で聞くに値する。

 ブルース・ビヨンドのいろんな曲のフォームを作り出せた人物。ゆえに、秀でたソング・ライターであり、サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」(1969年)をはじめ、彼の楽曲を取り上げている人はいろいろ。スライド・バーを使ったり、ジャジーな弾き口を見せるときも初期にあったなど、懐も深かった。ブルースにやられ、有意義な音楽的彷徨を示した才人であったと思う。

▶︎過去の、エリック・クラプトン
http://43142.diarynote.jp/200611221236140000/

<今日の、ELP>
 もうすっかりクルマに対する欲求がなくなってきてきているので、どうでもいいことなんですが。。。近年の乗用車の様を見て、おおいに違和感を感じることがひとつ。それは、フロント・グリルのデカさ、イカつさ。それ、“ドヤ顔”と呼ばれたりもするそうだが、相手を威嚇するような、ケンカ腰になっているような、そうした一連の自動車の“顔”を見るにつけてイヤでしょうがない。もう、ぼくの美意識においては零点。いや、マイナス。とはいえ、そうした傾向のものを望む人がしっかりいて実際売れるから、メイカーも発売するのだろうけど。近年、あおり運転がとっても問題になっているが、ドヤ顏グルマの流行もそれと関係あるのではないのか。
 今日、マンションの前のあまり車が通らないが狭くはない通りの歩道ラインの上を歩いていたら、不必要と思わざるを得ないクラクションを鳴らされ、その不条理さに呆然とするとともに怒りが沸いた。鳴らしたバカが運転していたのは、過剰ではないがやはりデカめのグリルを持つ、アウディのA6じゃった。で、そんな経緯から、こんなことを書くにいたった。これが下品極まりないトヨタのアルファードだったりしたなら、もっと血圧上がったはず。
 そして、こんなことも思う。いっそのこと、ハンス・リューディ・ギーガー流儀のデザインをパクったような超グロテスクなグリル・デザインを持つ乗用車が出てこないだろうか、と。嘲笑し、小馬鹿にしてやるぞ。ギーガーの作品に最初に触れたのは、リアル・タイムで買ったエマーソン・レイク&パーマーの『ブレイン・サラドゥ・サージェリー』(マンティコア、1973年)のジャケット・カヴァーだったが、プログ・ロックを不毛と思うようになった大学の頃、ユニオンで売っちゃった。で、かわりに、ブラック・セイントかメルス発のアルバムを買ったんじゃないかなー。それとも、スワンピーなロック・アルバムだったかな?

 上野・東京文化会館で、ジャズ・ピアニストの小曽根真(2011年3月28日、2011年8月6日、2012年8月24日、2012年9月8日、2013年8月1日、2013年10月26日、2014年9月7日、2015年9月5日、2016年9月3日、2017年9月12日、2018年3月29日)と新日本フィルハーモニー交響楽団(2012年10月2日、2012年11月30日、2015年9月26日、2016年5月7日)の共演コンサートを見る。指揮は、1994年生まれの太田弦。本来指揮は米国人のアラン・ギルバートが務め、オケは彼やこの会場と近い東京都交響楽団(2013年10月26日)でなされる予定であったみたい。

 最初は、モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K488。3楽章で、30分。純正クラシックな演奏だろう。もちろん、ぼくは初めて聞く曲だ。すぐに、楽器音の重なりが優美と思う。管楽器奏者は少なめ、小曽根もクラシックのピアニストをまっとうする。

 休憩を挟んで披露されたのは、2003年秋の山形県国民文化祭のために井上ひさしに頼まれ小曽根が作ったピアノ協奏曲「もがみ」。それが彼にとって初めて書いたオーケストラの譜面だそう。今回は米国人編曲家のガース・サンダーランドによりスコアの改定がなされ、その初演とか。曲名のもがみは最上川のこと。最初の彼の出だしのピアノ演奏はとっても川のゆらゆらしている様を表すような演奏で頷く。こちらは、夏、冬、春をそれぞれ表す3楽章でなり、40分。

 モーツァルト曲と異なり、オーケストラの陣容が大きくなる。コントラバス奏者や菅楽器奏者の数がおおいに増え、打楽器奏者も4人後方に位置する。袖にはハモンド・オルガン(とレスリー・スピーカー)も置かれ、それは本来組み込まれる合唱団の代役音を小曽根じゃない人が弾く。そんな設定に現れているように、いろいろ強弱に満ちたドラマティックな演目と言えようか。アブストラクトというか、うねうなくねっているような部分も少なくなく、楽譜から目を話したら、どこだっけっとなっちゃのではないかとも、ぼくは思った。ブックレットには井上から「最上川舟唄」を素材として使ってほしいとの依頼があり、それに応じたとある。だが、この晩の演奏に触れる限り、そういう和の部分はぼくは感じなかった。

 それから、1部のアンコールでやった、クラリネット演奏をフィーチャーした小曲がとってもメロディアス&柔和な情緒を持つ曲でかなり良かった。そこでは、少しジャジーな指さばきを小曽根はした。

▶︎過去の、小曽根真
http://43142.diarynote.jp/?day=20110328
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http://43142.diarynote.jp/?day=20120908
http://43142.diarynote.jp/?day=20130801
http://43142.diarynote.jp/201310280755386500/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903
http://43142.diarynote.jp/201709130923483891/
https://43142.diarynote.jp/201803301412566401/
▶過去の、新日本フィルハーモニー交響楽団
http://43142.diarynote.jp/201210060944303925/
http://43142.diarynote.jp/201212111331075592/
http://43142.diarynote.jp/201509291629428595/
https://43142.diarynote.jp/201605180734584558/
▶︎過去の、東京都交響楽団
https://43142.diarynote.jp/201310280755386500/

<今日の、ダウンタウン>
 世間における4連休のなかの、3日目。行きは、いつものように銀座線を使わず余計に10分かかるJRで向かう。地上換気がされるし、車内が空いてそうだから。そして、上野駅公園口を出るとすぐに会場があり、これは便利。地下鉄だと駅で降りて地下通路を延々歩き、地上に出てからも坂道を登るので、10分は楽にリカヴァリーできると思った。品川駅と高輪ゲートウェイ駅先までの間、向かって左側にエンプティな土地がごわーんと続いていて、あららら。このすごい資産価値がありそうとも思わせるが、何を作るのか?
 会場は満場だったが、きっちり1席づつ開けて座るようになっている。また、舞台前の4列(だったかな?)も空けられている。オーケストラ員の方々は黒い服を着ているが、マスク着用。ただし、管楽器奏者は楽器を口で吹かなきゃいけないので、当然マスクなし。小曽根と指揮者はマスクをしない。握手の代わりに、小曽根は指揮者やコンサート・マスターと肘を重ね合っていた。彼の演目終了後のMCによれば、「もがみ」は今年の3月に山形でやる予定だったところ、1回リハーサルをやったあとストップがかかったそう。そして、今回も先週から陽性者の数が増えているため、いつ中止の連絡が入るか気が気ではなかったとのこと。こうして今日、披露できるのが本当にうれしそうだった。
 彼は不思議な上着を着ており、休憩時に色違いのものに着替えていた。それ、前から見るといい生地で仕立てた普通のシャツのように見えるが、後ろは丈がどわーんと長く燕尾服のような見かけを持つというものだった。
 終演後、少し探索。アメ横(マスク40枚入りの箱を1000円で売っていた)の著名居酒屋の大統領のへんの飲み屋群、すごい密になっていておののく。ぼくはあんまり客引きを受けない人なのだが、ほんの少し歩いただけで、ケバブ屋と服屋の外国人から声をかけられる。客商売なんだからマスクぐらいはして、話しかけてよ。なんか、ケイオス……。
 知人ととっても密じゃない焼肉屋(こういう時分、外食するとしたら、火が通るものを出す店を選びがち)でゆったり食事し、帰りは銀座線の少し先の駅から乗車。歩いて帰ろうと思った……わけはなく、酔い覚ましをかねた運動ですね。けっこう、今日は歩いたんじゃないか。松坂屋の前を初めて通り、パルコがあること知った。パルコ上野店ではなく、パルコ屋と名乗っているよう。

 恵比寿でセイリン・シューズというアナログをかけるバーをやっていた、波岡淑朗さんがお亡くなりになった。年長の彼と知り合ったのは、まだ編集者をやっていたころの1980年代中期か。基本マニアックなロック愛好家という印象とともに、彼に原稿を頼んだことがあったよなー。いや、ソウルものも何気に詳しかったはず。昔、南青山のレコ屋“パイドパイパーハウス”に務めており、同僚後輩だった五十嵐正と一緒に引き抜かれて、ダイエー資本で別の外盤屋(渋谷公園通りにあった)を立ち上げたこともあった。それ、まだレコードに大きな商品力があったことを示す話ですね。
 
 “セイリン・シューズ”とは、リトル・フィート(2000年12月8日、2012年5月22日、2019年8月31日)初期のフォーキー・サイケな人気曲の名前。年長でいかつい風貌を持っていたが、なんか人懐こいとろころもあったためか、いつの間にか波ちゃんと呼ぶようになった。前職流れで、日本人ミュージシャンとの付き合いもいろいろ持ってもいた。旧ブログのどこかで書いているはずだが、彼のお店に行ったら、鈴木慶一(2004年12月12日、2011年8月7日、2013年8月11日)と山下達郎がいたこともあった。ここのところはガンで闘病中、最後に会ったのは去年の秋(だったよな?)、渋谷のバーで。彼が山下達郎のライヴを見た後に、店に入ってきた。そのころ入院中だったが、外出許可を取って見に出たと言っていたっけ。それなりに、元気そうではあったんだが。お疲れ様でした。

▶︎近年の、波ちゃんの店やに波ちゃんに触れたもの
https://43142.diarynote.jp/201710201214346567/
https://43142.diarynote.jp/201710240957109863/
▶︎過去の、リトル・フィートとか
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/
▶︎過去の、鈴木慶一
http://43142.diarynote.jp/200412212058580000/
http://43142.diarynote.jp/201108101635051749/
http://43142.diarynote.jp/201308130851402454/

 洒脱ジャズ・ヴォーカル女性部門1位に輝きそうな、アーニー・ロスが90歳間近で、肺気腫/心疾患のためニューヨークでお亡くなりになった。ロンドン生まれで、4歳から米国に居住。ガキんちょの頃から才能を発揮し、13歳のときに映画でジュディ・ガーランドの妹役をしたりもし、彼女は女優としていろいろ映画にも出ている。

 アルバムは1950年代初頭から出し、また1957年から62年にかけては、デイヴ・ランバートとジョン・へンドリックスとのユニットで一世を風靡。そんな彼女は、器楽ソロのラインに歌詞をのせて歌うヴォーカーリーズの名人でもあった。彼女がリード奏者のワーデル・ブレイの演奏ラインに歌詞をのっけた「トゥイステッド」はジョニ・ミッチェルが『コート・アンド・スパーク』(アサイラム、1974年)で取り上げた。ロスの訃報に際し、ミッチェルのサイトは「ランバート・ヘンドリックス&ロスは私にとってのビートルズだった」という彼女のインタヴュー発言を紹介している。その奔放な歌い口と同様に男や薬にも自由だった人とも伝えられ、ロンドンにクラブを持ったりしたことがあった。

<今日の、戻らぬ距離>
 名古屋のブルーノート(東京とは別の経営による)や日比谷のビルボードカフェ&ダイニングの閉店が発表されている。両店ともぼくは行く機会がなかったが、残念だ。ライヴがある日常ははまだまだ遠い。日産スタジアムでの、横浜ダービーに行きたかったな。でも、この現況では横浜は遠い。でも……。

 西海岸のシンガー・ソングライターであり、マルチ・プレイヤーであり、アレンジやエンジニアリングもこなす才人〜西のトッド・ラングレン(2001年11月9日、2002年9月19日、2002年9月28日、2008年4月7日、2010年10月10日)と言う海外の知人がいたっけ〜の訃報が届いた。睡眠中に亡くなったとのこと。1960年代半ばにはガレージ・バンドのパレスガードにドラマーとして加わったりしていたが、まだ70歳であったのか。

 1967年にはローズ主体のグループ、ザ・メリー・ゴー・ラウンド(ラングレンに置き換えるならナッズと言える?)でA&Mからセルフ・タイトル作をリリース。そこに入った「タイム・ウィル・ショウ・ザ・ワイザー」はフェアポート・コンヴェンションが1968年作でディラン曲やジョニ・ミッチェル曲とともに取り上げた。その後、ローズは個人名のもとポッパーとして活動をはじめ、やはりA&Mから1970年にデビュー作を出している。だが、全部1人でまかなう彼の表現がアピールされたのは、1970年から73年にかけて3作品を出したABC/ダンヒル時代。弦音や管音が入った曲もあるが、クレジットを見ると1から10までローズ1人でやっている。

 だが、それ以後は表舞台から離れてしまい、彼は裏方家業に入る。それは3年で6枚リリースという契約をローズが守れず、ダンヒル側から訴えられ気分がだだ下がりになったからでもあった。だが、2016年にジェイソン・フォークナー(2009年11月16日)やロジャー・ジョセフ・マニングJr.ら旧ジェリーフィッシュ組がサウンド作りで助力した『Rainbow Ends』(Omnivore Recordings)で唐突に復活。そこには、エイミー・マン(2005年10月3日、2009年8月25日)、ジョン・ブライオン(2007年7月19日)、スザンナ・ホフス(2010年4月3日。彼女がいたバングルスも彼の曲を取り上げていた)、ネルス・クライン(2010年1月9日、2010年4月23日、2013年4月13日、2014年8月14日、2015年6月2日、2017年5月13日)のらの名前も見られた。

 実は、そんなにローズにはまったことはないが、彼の名前を見ると甘酸っぱい気持ちになる。なんかしょっちゅう海外取材に行っていたとき、取材相手のスタッフと意気投合し、ダンヒル盤をもらったんだよなー↑先のラングレンの例えはそいつによる。あのころ、弾けてたなー。

▶過去の、トッド・ラングレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200804081929500000/
http://43142.diarynote.jp/201010111257003810/
▶︎過去の、ジェイソン・フォークナー
https://43142.diarynote.jp/200911171258036933/
▶︎過去の、エイミー・マン
https://43142.diarynote.jp/200510041102370000/
https://43142.diarynote.jp/200909091018074627/
▶︎過去の、ジョン・ブライオン
https://43142.diarynote.jp/200707232252110000/
▶︎過去の、スザンナ・ホフス
https://43142.diarynote.jp/201004080753113236/
▶過去の、ネルス・クライン
http://43142.diarynote.jp/?day=20100109 田村/藤井郷子ファースト・ミーティング
http://43142.diarynote.jp/201004250658039897/ ウィルコ
http://43142.diarynote.jp/201304150854159566/ ウィルコ
http://43142.diarynote.jp/201408161131356136/ チボ・マット
http://43142.diarynote.jp/201506070750376864/ ネルス・クライン・シンガーズ
https://43142.diarynote.jp/201705140938439184/ スコット・アメンドラ

<今日の、初めて>
 セミの鳴き声がちょい聞こえたときがあったよ。

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