映画「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」
2020年10月30日 音楽 オルガンやリード楽器やアコーディオンを担当する1937年生まれのガース・ハドソン(2013年8月2日)。歌とドラムやマンドリンンのリヴォン・ヘルム(1940〜2012年)。ピアノと歌とドラムのリチャード・マニュエル(1943〜1986年)。歌とベースその他のリック・ダンコ(1943〜1999年)。ギターと作曲のロビー・ロバートソン(1943年〜)。この5人が、ザ・バンドのオリジナル・メンバー。そして、ヘルム以外はカナダ人だった。3人が鬼籍入り、浮世離れしているハドソンだけは存命だが、ロバートソンの話で映画は進められる。その語りは2017年に撮影されたようだが、かなり若めに映っていてなにより。彼が「Testimony」という回顧録やコンピレーションを出したのは、それより少し前だったっけ。
旧いロックに関してぼくは、まずザ・ビートルズとザ・ローリング・ストーンズ。そして、ザ・バンドとリトル・フィートという人。その次はトッド・ラングレンや10cc /ゴドリー&クリームとかのポップの魔法を出した担い手を出したくなる? そりゃ楽な姿勢で見たけど、冒頭の「アップ・オン・クリップル・クリーク」のスタジオ演奏映像から、生理的には背筋をピンと伸ばして見入りました。
まだ20代だというカナダ人のダニエル・ローアーが監督した2019年カナダ/アメリカ映画「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」(原題「Once Were Brothers: Robbie Robertson and the Band」)を、渋谷WHITE CINE QUINTOで見る。製作総指揮はマーティン・スコセッシとロン・ハワードという有名映画監督が務める。「Once Were Brothers」という曲は、映画公開に合わせて出したロバートソンの新作『Sinematic』(UMe /Universal,2019年)に収められている。
冒頭の3分の1ほどは、映画「ランブル」(2020年3月26日)ともリンクするロバートソンの生い立ちやロバートソンが中学中退のような感じで身を投じ、ロニー・ホウキンスやボブ・ディランのバック・バンドをザ・バンドのメンバーたちとしていた時代に割かれる。あの下積み時代に、ザ・バンドのブラザーフッドが築かれたといことが、そこで示される。
しかし、正式デビュー前のディランとのツアーは行く先々で本当に非難轟々の反応を観衆から受けまくりで、ザ・バンドのメンバーたちは精神的にたっぷり疲弊したよう。途中で、ヘルムはそれで音楽をやるのがイヤになりバンドを抜けてニューオーリンズの油田で働きだし、ロビー・ロバートソンはステージ恐怖症となり催眠術を受けてザ・バンドの初期ライヴをしたなんて、話も出てくる。フォーク時代のディランのファンって……。なんか、マイルズ・デイヴィスの電気路線転向後の当時のジャズ・リスナーの困惑と重なる部分があるかもしれないと思った。
ロバートソンの奥さんはやはりカナダ人で、1966年だかディランのサポートでパリに行ったときに偶然出会いナンパして、米国に呼び結婚したそう。証言者として、彼女もけっこう出てくる。今はセラピストをしているようだが、知的な感じの人ですね。そんな彼女にロバートソンはぞっこんで、妻と子供達を優先させるクリーンなロバートソンと、酒と薬に明け暮れる他のメンバーたちとのスタンスの乖離が友情が崩れる大きな理由になったことがあげられる。超越感のあるハドソンがどっち側の人間であったかは不明だ。
リヴォン・ヘルムやジョージ・ハリソン(1943〜2001年)の発言映像が出てきたりもし、けっこう昔の材料も用いられる。ロニー・ホウキンスはヤクザなじじいで本当にいい感じ、笑かす。まじにザ・バンドに入りたがったエリック・クラプトンが証言者と出てくるのは当然として、ぼくが魅力を覚えることができないブルース・スプリングスティーンがザ・バンドのファンであるのは初めて知った。彼の「ロック界最高のソングライター(ロバートソン)と最高のシンガーが3人(ヘルム、マニュエル、ダンコ)いた無敵のバンド」というようなコメントはまったく的を得ている。そこに、付け加えるなら、ギターを弾くロバートソン以外は楽器を持ち替えたりもし、最高の手作りロック・サウンド創出を行なった集団であったということか。作曲印税が入るロバートソンと、おれたちの集団アレンジや演奏があったことで曲は実を結ぶと考えたヘルムらとの考え方の相違があったことも映画は伝える。
あれ、そうだったのということはいくつも紹介されるが、グレイトフル・デッドとザ・オールマン・ブラザーズとザ・バンドの3組が出た1973年7月の野外コンサート〜60万人だか米国音楽史上一番観客を集めたフェスと言われる〜のワトキンスグレンのことにも触れて欲しかった。どんな感じのものだったんだろ?
一番そうだったのかあという情報は、アサイラム・レコードを作ったデイヴィッド・ゲフィン(彼も1943年生まれ。やはり、証言者として出てくる)がディランと関係を持ちたくて、ロバートソンにアプローチしたという件。それが功を奏し、ディランは1974年にザ・バンドと一緒に全米ツアーを行い、そのライヴ盤とザ・バンドがサポートするスタジオ録音作をアサイラムは1974年に出した。最初にロバートソンと会った際にゲフィンは「マリブはいいよ、引っ越しなよ」と誘い、ロバートソンはそれに従い西海岸に引っ越してしまい、「マリブは最高〜、満喫ぅ」との発言も出てくる。他のメンバーは東海岸のウドストックに住み続けたわけで、それも1976年の解散につながっているのは間違いない。また、引っ越ししなかったら、ハリウッドの住人であるスコセッシともロバートソンは知り合うことはなかったかもしれない。その後も、ゲフィンやDGCなど大きなレーベルやドリームワークスという映画の会社を司るデイヴィッド・ゲフィンだが、ちょい罪作りな人だな。
スコセッシが記録映像の監督をした、実質解散豪華公演「ザ・ラスト・ワルツ」の場面までが語られる。それ、映画を撮る都合で東海岸ではなくサンフランシスコでやることになったのか? 今、改めて考えると、場の必然性はないよな。そして、映画の最後には、各メンバーのかつての家族写真が出される。なんか、救われた気持ちになる。……とにもかくにも、不世出なバンド。思うところもいろいろあり、映画を見たあと、飲みに流れずにはいられなかった。
(追記、2021年3月22日:早朝ぽっかり目が覚め、なんとなくTVをつける。そしたら、映画チャンネルでちょうど『ラスト・ワルツ』が放映されていて、そのテーマ曲にあわせダンサーが踊っている頭の場面。そのまま、ゆったり見る。メンバー証言はロバートソンだけのものが目立つと、改めて思う。プロデューサー・クレジットに彼の名前が単独であり、この映画もロバートソン視点が大きい映画なのだなと気づかせられた。その際、サンフランシスコでラスト公演をやるのはザ・バンドが最初にライヴをやった場所だから、というような発言をしている。しっかし、豪華なゲスト陣たちだよな。裏の様子が知りたい、ともおおいに思った。https://43142.diarynote.jp/202102241815558190/ で触れているが、なるほどローレンス・ファーリンゲッティも詩の朗読をしている。彼が出てくるのは、映画ではクライマックスにさしかかるボブ・ディランが登場する前だった。
▶︎過去の、ザ・バンド関連の記載
https://43142.diarynote.jp/201204221307297965/ 下の方の<>内
https://43142.diarynote.jp/201308110826574632/ ハドソン夫妻
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/ ザ・ウェイト・バンド
▶︎過去の、ストーンズ関連
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月15日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月13日(バック・バンド)、15日
https://43142.diarynote.jp/201904200941516964/
▶︎過去の、リトル・フィート関連
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/
https://43142.diarynote.jp/?day=20191031 ポール・バレル訃報
▶過去の、トッド・ラングレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200804081929500000/
http://43142.diarynote.jp/201010111257003810/
▶過去の、10cc /ゴドリー&クリーム関連
http://43142.diarynote.jp/?day=20100523
http://43142.diarynote.jp/201208091454209002/
https://43142.diarynote.jp/201501251406119601/
▶︎過去の、映画「ランブル」
https://43142.diarynote.jp/202003271634082075/
▶︎過去の、エリック・クラプトン
http://43142.diarynote.jp/200611221236140000/
<今日の、渋谷>
さて、またハロウィーンのシーズンですね。警察官大集合という感じで、たくさんの警官を見かけた。ウィルス感染が気になるおり、今日はそれっぽい若者は見かけなかったが、ちょうど土曜と重なる明日が本番。どうなるでしょう。
ところで、映画館は渋谷パルコの8階にあった。新開店した渋谷パルコの中には初めて入る。好奇心が減衰していると考えるべきかとも一瞬思ったが、客のターゲットはぼくよりもずっと年下だろうし、そんなもんだよな。ところで、昨日の毎日新聞の夕刊1面に映画「鬼滅の刃」が大ヒットしているというでっかい記事が掲載されていた。そういうマンガがあるのは知っているものの、ちゃんと見たことはなく、その映画にもまったく興味がないぼく……。かなりすいていたザ・バンドの映画を見た後、オレってずれているのかと一瞬考えたが、多様性とはそういうものであり、大切にすべきこと。それが許容されなくなったら、そんなに恐ろしいことはない。
旧いロックに関してぼくは、まずザ・ビートルズとザ・ローリング・ストーンズ。そして、ザ・バンドとリトル・フィートという人。その次はトッド・ラングレンや10cc /ゴドリー&クリームとかのポップの魔法を出した担い手を出したくなる? そりゃ楽な姿勢で見たけど、冒頭の「アップ・オン・クリップル・クリーク」のスタジオ演奏映像から、生理的には背筋をピンと伸ばして見入りました。
まだ20代だというカナダ人のダニエル・ローアーが監督した2019年カナダ/アメリカ映画「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」(原題「Once Were Brothers: Robbie Robertson and the Band」)を、渋谷WHITE CINE QUINTOで見る。製作総指揮はマーティン・スコセッシとロン・ハワードという有名映画監督が務める。「Once Were Brothers」という曲は、映画公開に合わせて出したロバートソンの新作『Sinematic』(UMe /Universal,2019年)に収められている。
冒頭の3分の1ほどは、映画「ランブル」(2020年3月26日)ともリンクするロバートソンの生い立ちやロバートソンが中学中退のような感じで身を投じ、ロニー・ホウキンスやボブ・ディランのバック・バンドをザ・バンドのメンバーたちとしていた時代に割かれる。あの下積み時代に、ザ・バンドのブラザーフッドが築かれたといことが、そこで示される。
しかし、正式デビュー前のディランとのツアーは行く先々で本当に非難轟々の反応を観衆から受けまくりで、ザ・バンドのメンバーたちは精神的にたっぷり疲弊したよう。途中で、ヘルムはそれで音楽をやるのがイヤになりバンドを抜けてニューオーリンズの油田で働きだし、ロビー・ロバートソンはステージ恐怖症となり催眠術を受けてザ・バンドの初期ライヴをしたなんて、話も出てくる。フォーク時代のディランのファンって……。なんか、マイルズ・デイヴィスの電気路線転向後の当時のジャズ・リスナーの困惑と重なる部分があるかもしれないと思った。
ロバートソンの奥さんはやはりカナダ人で、1966年だかディランのサポートでパリに行ったときに偶然出会いナンパして、米国に呼び結婚したそう。証言者として、彼女もけっこう出てくる。今はセラピストをしているようだが、知的な感じの人ですね。そんな彼女にロバートソンはぞっこんで、妻と子供達を優先させるクリーンなロバートソンと、酒と薬に明け暮れる他のメンバーたちとのスタンスの乖離が友情が崩れる大きな理由になったことがあげられる。超越感のあるハドソンがどっち側の人間であったかは不明だ。
リヴォン・ヘルムやジョージ・ハリソン(1943〜2001年)の発言映像が出てきたりもし、けっこう昔の材料も用いられる。ロニー・ホウキンスはヤクザなじじいで本当にいい感じ、笑かす。まじにザ・バンドに入りたがったエリック・クラプトンが証言者と出てくるのは当然として、ぼくが魅力を覚えることができないブルース・スプリングスティーンがザ・バンドのファンであるのは初めて知った。彼の「ロック界最高のソングライター(ロバートソン)と最高のシンガーが3人(ヘルム、マニュエル、ダンコ)いた無敵のバンド」というようなコメントはまったく的を得ている。そこに、付け加えるなら、ギターを弾くロバートソン以外は楽器を持ち替えたりもし、最高の手作りロック・サウンド創出を行なった集団であったということか。作曲印税が入るロバートソンと、おれたちの集団アレンジや演奏があったことで曲は実を結ぶと考えたヘルムらとの考え方の相違があったことも映画は伝える。
あれ、そうだったのということはいくつも紹介されるが、グレイトフル・デッドとザ・オールマン・ブラザーズとザ・バンドの3組が出た1973年7月の野外コンサート〜60万人だか米国音楽史上一番観客を集めたフェスと言われる〜のワトキンスグレンのことにも触れて欲しかった。どんな感じのものだったんだろ?
一番そうだったのかあという情報は、アサイラム・レコードを作ったデイヴィッド・ゲフィン(彼も1943年生まれ。やはり、証言者として出てくる)がディランと関係を持ちたくて、ロバートソンにアプローチしたという件。それが功を奏し、ディランは1974年にザ・バンドと一緒に全米ツアーを行い、そのライヴ盤とザ・バンドがサポートするスタジオ録音作をアサイラムは1974年に出した。最初にロバートソンと会った際にゲフィンは「マリブはいいよ、引っ越しなよ」と誘い、ロバートソンはそれに従い西海岸に引っ越してしまい、「マリブは最高〜、満喫ぅ」との発言も出てくる。他のメンバーは東海岸のウドストックに住み続けたわけで、それも1976年の解散につながっているのは間違いない。また、引っ越ししなかったら、ハリウッドの住人であるスコセッシともロバートソンは知り合うことはなかったかもしれない。その後も、ゲフィンやDGCなど大きなレーベルやドリームワークスという映画の会社を司るデイヴィッド・ゲフィンだが、ちょい罪作りな人だな。
スコセッシが記録映像の監督をした、実質解散豪華公演「ザ・ラスト・ワルツ」の場面までが語られる。それ、映画を撮る都合で東海岸ではなくサンフランシスコでやることになったのか? 今、改めて考えると、場の必然性はないよな。そして、映画の最後には、各メンバーのかつての家族写真が出される。なんか、救われた気持ちになる。……とにもかくにも、不世出なバンド。思うところもいろいろあり、映画を見たあと、飲みに流れずにはいられなかった。
(追記、2021年3月22日:早朝ぽっかり目が覚め、なんとなくTVをつける。そしたら、映画チャンネルでちょうど『ラスト・ワルツ』が放映されていて、そのテーマ曲にあわせダンサーが踊っている頭の場面。そのまま、ゆったり見る。メンバー証言はロバートソンだけのものが目立つと、改めて思う。プロデューサー・クレジットに彼の名前が単独であり、この映画もロバートソン視点が大きい映画なのだなと気づかせられた。その際、サンフランシスコでラスト公演をやるのはザ・バンドが最初にライヴをやった場所だから、というような発言をしている。しっかし、豪華なゲスト陣たちだよな。裏の様子が知りたい、ともおおいに思った。https://43142.diarynote.jp/202102241815558190/ で触れているが、なるほどローレンス・ファーリンゲッティも詩の朗読をしている。彼が出てくるのは、映画ではクライマックスにさしかかるボブ・ディランが登場する前だった。
▶︎過去の、ザ・バンド関連の記載
https://43142.diarynote.jp/201204221307297965/ 下の方の<>内
https://43142.diarynote.jp/201308110826574632/ ハドソン夫妻
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/ ザ・ウェイト・バンド
▶︎過去の、ストーンズ関連
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月15日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月13日(バック・バンド)、15日
https://43142.diarynote.jp/201904200941516964/
▶︎過去の、リトル・フィート関連
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
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https://43142.diarynote.jp/?day=20191031 ポール・バレル訃報
▶過去の、トッド・ラングレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200804081929500000/
http://43142.diarynote.jp/201010111257003810/
▶過去の、10cc /ゴドリー&クリーム関連
http://43142.diarynote.jp/?day=20100523
http://43142.diarynote.jp/201208091454209002/
https://43142.diarynote.jp/201501251406119601/
▶︎過去の、映画「ランブル」
https://43142.diarynote.jp/202003271634082075/
▶︎過去の、エリック・クラプトン
http://43142.diarynote.jp/200611221236140000/
<今日の、渋谷>
さて、またハロウィーンのシーズンですね。警察官大集合という感じで、たくさんの警官を見かけた。ウィルス感染が気になるおり、今日はそれっぽい若者は見かけなかったが、ちょうど土曜と重なる明日が本番。どうなるでしょう。
ところで、映画館は渋谷パルコの8階にあった。新開店した渋谷パルコの中には初めて入る。好奇心が減衰していると考えるべきかとも一瞬思ったが、客のターゲットはぼくよりもずっと年下だろうし、そんなもんだよな。ところで、昨日の毎日新聞の夕刊1面に映画「鬼滅の刃」が大ヒットしているというでっかい記事が掲載されていた。そういうマンガがあるのは知っているものの、ちゃんと見たことはなく、その映画にもまったく興味がないぼく……。かなりすいていたザ・バンドの映画を見た後、オレってずれているのかと一瞬考えたが、多様性とはそういうものであり、大切にすべきこと。それが許容されなくなったら、そんなに恐ろしいことはない。
須川崇志 バンクシア・トリオ
2020年10月29日 音楽 今年早々にアルバム『Time Remembered』(Days of Delight)を出した須川崇志のリーダー・トリオのライヴを見る。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。
ベースの須川崇志(2010年3月14日、2011年7月25日、2016年6月27日、2017年6月21日、2018年1月19日、2018年4月7日、2019年3月29日、2019年12月14日、2019年12月20日) にくわえ、ピアノの林正樹(2013年9月6日、2015年9月27日、2015年12月17日、2016年7月16日、2018年5月13日 、2019年1月7日、2019年10月6日、2019年11月19日、2019年11月21日、2019年12月18日、2020年8月28日)、そしてドラムの石若駿(2014年9月26日、2016年6月27日、2016年7月21日、2016年9月4日、2017年6月21日、2017年7月12日、2019年1月21日、2019年3月16日)という3人による。
オープナーは、そのアルバム・タイトルにもなったビル・エヴァンス(ピアノ)曲を演奏する。あぁけっこうメロディアスに行くんだな、と感じる。須川は個人としてはけっこうフリー・フォームに流れるというイメージを持つがゆえに。それはともかく、そこからこの顔ぶれならではの窓を持つ演奏を開き、流れていく。途中まで、曲を続けて演奏。そして、なんと真ん中の3曲だかは、須川はエレクトリック・ベースを手にする。ぼくは、彼が電気ベースを手にする姿を初めて見た。
PC用の近くに焦点を合わせた眼鏡をかけたまま出てしまったため、それがフレッテッドかフレットレスかはよく分からず。音色で判断するにフレットレスだったのかな。彼は曲の頭に足元のエフェクターをいじり、電気的な異音を出しもする。この場合、石若はクラブ・ミュージック的な叩き口を持つドラミングにシフトし、そこにまた異化以下を加える林のグランド・ピアノ音(いつもより少しリヴァーヴをかいしていたかもしれぬ)がいい感じで、もう一つの現代ジャズを提示する。うわー、おもしれー。
15分だか20分のその電気ベースを弾くブロックを終えて、須川はやっとMCをする。そして、その後はまたダブル・ベースを弾くアコースティック路線に戻るが、先のエレクトリック・ベースを弾くセットを経た後だとまた新鮮で、興味深い。これは、一粒で2度美味しい。MCによると、この7月にこのトリオの新作をすでに録っているそう。そして、そのとき録っていない新しい自作曲も演奏する。曲は3人がオリジナルを出し合い、さらにはケニア人シンガー・ソングライターのアユブ・オガダや2000年以降ずっとウィンター&ウィンターからアルバムをリリースしているドイツ在住のヴェテラン・ピアニストである安田芙充央の曲を演奏もした。アルコ弾きは1曲で披露したかな。
▶︎過去の、須川崇志
http://43142.diarynote.jp/201003191715113498/
http://43142.diarynote.jp/201107310727152406/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160627
http://43142.diarynote.jp/201706220952582448/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
https://43142.diarynote.jp/201912161052582124/
https://43142.diarynote.jp/201912220907352341/
▶過去の、林正樹
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
http://43142.diarynote.jp/201607191312426603/
https://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
https://43142.diarynote.jp/201910070759405954/
https://43142.diarynote.jp/201911201705565775/
https://43142.diarynote.jp/201911230723444744/
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
https://43142.diarynote.jp/202008290914077509/
▶︎過去の、石若駿
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
http://43142.diarynote.jp/201607221000152412/
http://43142.diarynote.jp/201606281737237220/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
http://43142.diarynote.jp/?day=20170621
http://43142.diarynote.jp/201707130853185809/
https://43142.diarynote.jp/?day=20180404
https://43142.diarynote.jp/201901231045028294/
https://43142.diarynote.jp/201903171331065828/
<今日の、どうでもいいこと>
乾燥がいやで長年、加湿器は使っていた。電気ポットを平たくしたようなものをはじめ、いろんなタイプの加湿器を使ってきたよなー。だが、ここ数年は歳をとって面倒臭がりになっているのか、トランク・ルームから引き出さず、加湿器を使わないできた。あ、コードが見当たらなかったんだっけ? 雑になっており、別になしでも平気じゃんという思いがあった。しかし、この状況下では湿度は低くないほうがいいだろうと考え、ハイブリット型のものを購入。やはり、デザインをはじめ、新しいものはいいよねという思いを得る。でも、一度湿度を設定したら、そのまま使うのでリモコンはいらないよなあ。とともに、切タイマーがついているのにも?。寝ている間の湿度ケアこそ肝要であると思うので。
ベースの須川崇志(2010年3月14日、2011年7月25日、2016年6月27日、2017年6月21日、2018年1月19日、2018年4月7日、2019年3月29日、2019年12月14日、2019年12月20日) にくわえ、ピアノの林正樹(2013年9月6日、2015年9月27日、2015年12月17日、2016年7月16日、2018年5月13日 、2019年1月7日、2019年10月6日、2019年11月19日、2019年11月21日、2019年12月18日、2020年8月28日)、そしてドラムの石若駿(2014年9月26日、2016年6月27日、2016年7月21日、2016年9月4日、2017年6月21日、2017年7月12日、2019年1月21日、2019年3月16日)という3人による。
オープナーは、そのアルバム・タイトルにもなったビル・エヴァンス(ピアノ)曲を演奏する。あぁけっこうメロディアスに行くんだな、と感じる。須川は個人としてはけっこうフリー・フォームに流れるというイメージを持つがゆえに。それはともかく、そこからこの顔ぶれならではの窓を持つ演奏を開き、流れていく。途中まで、曲を続けて演奏。そして、なんと真ん中の3曲だかは、須川はエレクトリック・ベースを手にする。ぼくは、彼が電気ベースを手にする姿を初めて見た。
PC用の近くに焦点を合わせた眼鏡をかけたまま出てしまったため、それがフレッテッドかフレットレスかはよく分からず。音色で判断するにフレットレスだったのかな。彼は曲の頭に足元のエフェクターをいじり、電気的な異音を出しもする。この場合、石若はクラブ・ミュージック的な叩き口を持つドラミングにシフトし、そこにまた異化以下を加える林のグランド・ピアノ音(いつもより少しリヴァーヴをかいしていたかもしれぬ)がいい感じで、もう一つの現代ジャズを提示する。うわー、おもしれー。
15分だか20分のその電気ベースを弾くブロックを終えて、須川はやっとMCをする。そして、その後はまたダブル・ベースを弾くアコースティック路線に戻るが、先のエレクトリック・ベースを弾くセットを経た後だとまた新鮮で、興味深い。これは、一粒で2度美味しい。MCによると、この7月にこのトリオの新作をすでに録っているそう。そして、そのとき録っていない新しい自作曲も演奏する。曲は3人がオリジナルを出し合い、さらにはケニア人シンガー・ソングライターのアユブ・オガダや2000年以降ずっとウィンター&ウィンターからアルバムをリリースしているドイツ在住のヴェテラン・ピアニストである安田芙充央の曲を演奏もした。アルコ弾きは1曲で披露したかな。
▶︎過去の、須川崇志
http://43142.diarynote.jp/201003191715113498/
http://43142.diarynote.jp/201107310727152406/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160627
http://43142.diarynote.jp/201706220952582448/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
https://43142.diarynote.jp/201912161052582124/
https://43142.diarynote.jp/201912220907352341/
▶過去の、林正樹
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
http://43142.diarynote.jp/201607191312426603/
https://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
https://43142.diarynote.jp/201910070759405954/
https://43142.diarynote.jp/201911201705565775/
https://43142.diarynote.jp/201911230723444744/
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
https://43142.diarynote.jp/202008290914077509/
▶︎過去の、石若駿
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
http://43142.diarynote.jp/201607221000152412/
http://43142.diarynote.jp/201606281737237220/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
http://43142.diarynote.jp/?day=20170621
http://43142.diarynote.jp/201707130853185809/
https://43142.diarynote.jp/?day=20180404
https://43142.diarynote.jp/201901231045028294/
https://43142.diarynote.jp/201903171331065828/
<今日の、どうでもいいこと>
乾燥がいやで長年、加湿器は使っていた。電気ポットを平たくしたようなものをはじめ、いろんなタイプの加湿器を使ってきたよなー。だが、ここ数年は歳をとって面倒臭がりになっているのか、トランク・ルームから引き出さず、加湿器を使わないできた。あ、コードが見当たらなかったんだっけ? 雑になっており、別になしでも平気じゃんという思いがあった。しかし、この状況下では湿度は低くないほうがいいだろうと考え、ハイブリット型のものを購入。やはり、デザインをはじめ、新しいものはいいよねという思いを得る。でも、一度湿度を設定したら、そのまま使うのでリモコンはいらないよなあ。とともに、切タイマーがついているのにも?。寝ている間の湿度ケアこそ肝要であると思うので。
R.I.P.スペンサー・デイヴィス(1939年7月17日〜2020年10月19日)
2020年10月22日 音楽 1960年代のブルース/R&Bをベースとする英国ビート・ミュージックの代表的な担い手であったスペンサー・デイヴィスが、肺炎で入院中だったロサンゼルスの病院で亡くなった。1960年代中期、ギターや歌やハーモニカ担当の彼が率いるザ・スペンサー・デイヴィス・グループにはスティーヴ・ウィンウッド(2003年7月27日)が在籍したことで知られる。2000年代までグループ名や個人名でいろんな作品を出しているが、1970年代に入ると彼は生活費を得るためにアイランド・レコードに勤務したこともあった。アーティスト発掘に携わり、すでにその頃には米国在住だったという話もある。レゲエのサード・ワールド(2006年8月3日)は彼は契約したようだ。そんなデイヴィスは勉強家で、周りからプロフェッサーと一目置かれていたとも伝えられる。
▶︎過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
▶︎過去の、サード・ワールド
https://43142.diarynote.jp/200608041000150000/
<今日の、思い出>
スペンサー・デイヴィスはロングビーチの沖にあるリゾート地である、カタリナ島に住んでいたとも伝えられる。四半世紀ほど前に、一度カタリナ島に連れていってもらったことがあった。覚えているのは帰りの船がバカみたいに揺れたことと、その街並みが欧州的と感じさせたこと。カジノという場所もあったが、それはカジノではなかった。
▶︎過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
▶︎過去の、サード・ワールド
https://43142.diarynote.jp/200608041000150000/
<今日の、思い出>
スペンサー・デイヴィスはロングビーチの沖にあるリゾート地である、カタリナ島に住んでいたとも伝えられる。四半世紀ほど前に、一度カタリナ島に連れていってもらったことがあった。覚えているのは帰りの船がバカみたいに揺れたことと、その街並みが欧州的と感じさせたこと。カジノという場所もあったが、それはカジノではなかった。
R.I.P. 近藤 等則(1948年12月15日〜2020年10月17日)
2020年10月19日 音楽 とってもインターナショナルな活動もした、トランペッターの近藤等則 (2006年4月28日, 2007年1月8日、2015年6月29日、2019年2月18日)の急死の報が届いた。音楽的にも人間的にも破格、自由にしてスケール大。あんな傑物ミュージシャン、そうはいない。ショックを受けている。
▶︎過去の、近藤等則
https://43142.diarynote.jp/200604301346130000/
https://43142.diarynote.jp/200701131418140000/
https://43142.diarynote.jp/201507021227231770/
https://43142.diarynote.jp/201902201002506739/
<ここのとこの、涙>
先週の木曜昼間に発熱。以後、平熱36、5度(弱)のところ、最高37、1度という微熱が続いている。37、5度ぐらいになったり、嗅覚/味覚がなくなったりするとちゃんと対処しなきゃとなる。だが、なんか熱っぽいなあ、少し寒気がするなあ(この時期に、暖房エアコンを使うのは初めてのことではないか)、ちょいダルいなあ(でも、それはいつものこと?)という感じだけで終わっているので、自主完全引きこもりするのにとどめている。微熱状態継続というのは4月にもあったので、慌てていないというところはあるか。原稿仕事は一応できているしね。でも、行くことにしていたライヴは3つ、大事をとり行くのを諦めた。ぼくの予定では今日のお昼あたりから、平熱になる予定。週末には対面取材も入っているので、そうじゃないといろんな人に迷惑をかけることになる。
▶︎過去の、近藤等則
https://43142.diarynote.jp/200604301346130000/
https://43142.diarynote.jp/200701131418140000/
https://43142.diarynote.jp/201507021227231770/
https://43142.diarynote.jp/201902201002506739/
<ここのとこの、涙>
先週の木曜昼間に発熱。以後、平熱36、5度(弱)のところ、最高37、1度という微熱が続いている。37、5度ぐらいになったり、嗅覚/味覚がなくなったりするとちゃんと対処しなきゃとなる。だが、なんか熱っぽいなあ、少し寒気がするなあ(この時期に、暖房エアコンを使うのは初めてのことではないか)、ちょいダルいなあ(でも、それはいつものこと?)という感じだけで終わっているので、自主完全引きこもりするのにとどめている。微熱状態継続というのは4月にもあったので、慌てていないというところはあるか。原稿仕事は一応できているしね。でも、行くことにしていたライヴは3つ、大事をとり行くのを諦めた。ぼくの予定では今日のお昼あたりから、平熱になる予定。週末には対面取材も入っているので、そうじゃないといろんな人に迷惑をかけることになる。
1980年代以降、もっとも影響力と支持を誇ったロック・ギタリストと言えるだろうヴァン・ヘイレンのエドワード・ヴァン・ヘイレン(1955年1月16日〜2020年10月6日)がお亡くなりになった。2000年に舌癌であることが公表されたことがあり、その後も体調が万全ではないことがときに伝えられたりもしたが、ガンで闘病中であったという。
彼には、1998年にロサンゼルスの自宅でインタヴューしたことがある。ゲイリー・シェローンを新シンガーに置いた新作『ヴァン・ヘイレン3』(ワーナー・ブラザーズ)をリリースする際だった。場所は丘陵地にあり、広大な敷地ゆえに移動用のゴルフ・カートも置かれていた。やはり、とっても人懐こい笑顔の持ち主だった。一時代をほとばしりに満ちたギター演奏で築いた御仁。享年65、人々が感じるロスは相当に大きそう。
また、最初期にレゲエに臨み、大きな当たりを得たアフリカ系米国人シンガーであるジョニー・ナッシュ(1940年8月19日〜2020年10月6日)の訃報も届いた。生まれた土地であるテキサス州ヒューストンで、病気がちではあったものの自然死であると伝えられる。すでに1958年にはABCパラマウントからアルバム・デビューしていて、10代ながらそこには柔和な歌声を生かしたMOR/ポピュラー・シンガー路線が取られている。その後も、彼はそうした穏健路線を歩んでいて、作曲やアレンジやプロデュースもするようになり、1960年代中期にはマネージャーとともにジャマイカに住み、ジャマイカン・アーティストといろいろ付き合いをもったと言われる。また、長続きはしなかったもの1960年代後半には自らのレコード会社であるJADも本国で運営した。
そんな一筋縄ではいかない彼の有名作が、キャディットを経てCBSコロムビアに移籍してリリースしたレゲエ要素をしなやかに取り入れた『アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ』(1972年)。その爽やかなタイトル・トラックは英米で1位を獲得する大ヒットとなりレゲエの存在を伝えるとともに、レイ・チャールズ、ホットハウス・フラワーズやジミ・クリフ他が後にカヴァーしている。なお、同作にはナッシュの自作曲とともに「スティアー・イット・アップ」らボブ・マーリー作の3曲やマーリーとナッシュの共作曲「You Poured Sugar On Me」も収められている。その後も、彼は1980年代中期まではいろいろとアルバムを出した
少し雨が降り出した午後、六本木・ソニー・ミュージアムで、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ(2018年9月11日)のもろもろを紹介する「"DOUBLE FANTASY - John & Yoko" 」展のメディア内覧会に行く。昨年にジョン・レノンの故郷であるリヴァプールで持たれ、今度はオノ・ヨーコの生まれた東京でも、10月9日から(来年の1月11日まで)開かれる。場所は、ソニー・ミュージック六本木ミュージアム。東洋英和のそばですね。
綺麗な白い壁群にいろいろな展示がなされる。ジョンとヨーコが出会ったころから年度順に、いろんなアイテムを盛り込みながら、入場者は2人の歩みを追体験していくこととなる。かなり配置/回廊構成がたくみで、知っていることであってもなるほどと頷きながら見れるし、初めて接するアイテムも多い。前衛アーティストだったヨーコの1966年の出し物を再現したものから、各種メモ(ヨーコって日本語とり英語の方が字がきれいなような)や書類、ジブラルタルの結婚式(1969年共同名義の『ウェディング・アルバム』のジャケット写真もそれかな?)で着ていた衣服まで、いろんなものが解説とともに並ぶ。また、2人の映像も何箇所かで流されており、それも興味深い。NYのセントラル・パークにあるジョンのメモリアル場所である“ストロベリー・フィールズ”を再現したコーナーや、ショーンも含めた軽井沢での様を伝えるコーナーはもあって、それは日本独自の展示のよう。
2人の音楽に焦点を合わせるというよりは、唯一無二な関係性のもと様々な社会の壁や偏見に立ち向かった行動家としての2人に焦点を合わせているとも感じるが、それは正解の指針だろう。一方では、音楽アイテムの展示もあるし、会場を動いていくと、ときに流れてくるジョンの歌声やメロディには耳奪われて、えも言われぬ気持ちになる。音楽映像を流す“イマジン・シアター”という広めの場所も作られていた。
最後は、七夕の短冊のように、自ら書いた紙片を木の葉っぱに結びつける部屋がある。それをオノ・ヨーコは過去の展覧会でやっており(その過去の模様は大きな写真で紹介されている)、ここでもじきにものすごい短冊のツリーができあがるんじゃないか。先に、白い壁が基調となる展覧会であることを触れたが、クリスマス期のキブンにも合いそう。そこで、ジョンの「ハッピー・クリスマス」とか聞いたら、じいーんとなっちゃうんじゃないか。普遍的な男女の関係を伝える展覧会でもあるし、カップルにもおすすめかな。
出口前には、物販スペースが。もちろん、アイテム数は多し。両者のイラストのポスト・カード6枚セットは値段も手頃(1200円)。1971年に東京とニューヨークでなされた2人へのインタヴューの模様を透明レコードに彫った限定アナログも2種あり。
▶過去の、ヨーコ・オノ
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
https://43142.diarynote.jp/201809121745334226/ 新作
▶︎過去の、ジョンとヨーコを扱う映画
https://43142.diarynote.jp/201105282358273180/ ショーン・レノンの、両親を語るインタヴュー付き
▶︎過去の、ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm 15日
その後は、京橋テアトル試写室で、2019年タイ映画を見る。監督/脚本/プロデュースは、1984年生まれのナワポン・タムロンラタナリット。これが7作目で、日本でも注目を受けている監督らしい。脱捨離に向き合う女性の家族関係や人間関係を描くものだが、よくぞこのストーリーを作ったなと思った。最後にもう一つなんか出来事を作ったほうがぼくとしてはより好みになるとは思うが、感心する。キャスティングもうまい。そして、頷くのは確かな都会性も抱えるこの映画に、ぼくが知るところのタイの風景は全然写っていないこと。これは、あらゆる都市に置き換えても違和感はまったくないはずであり、この映画のストーリー権を取った映画が他国で作られると聞いてもぼくは驚かない。メロディアスなものからジャジーなもの、効果音的な電気音まで、いろんな音楽をつけているジャイテープ・ラールンジャイは日本の音楽専門学校を今年卒業し、そのまま日本に滞在して、これらを作ったという。
<今日は、インタヴューもした。対面は久しぶり>
試写会のあとは、大貫妙子(2005年9月14日、2009年1月16日、2016年9月27日 )にインタヴュー。場所は、銀座の音響ハウスのスタジオ1。広い録音ブースには、フルコンサートのグランド・ピアノも置いてあった。映画『音響ハウス Melody-Go-Round』(2020年9月4日)のプロモーション取材を彼女が受けてのもの。この日8つも取材が入っていたそうで、その7番目だったが、疲れた感じもなく接していただく。音響ハウスには30年ぶりぐらいに行った。たぶん改築がされていると思うが、映画で坂本龍一がエレベイター内を叩いた音を録り使ったということを語っていたが、ちょい感慨深い。このビルにはエレヴェイターは一つしかない。隣に映像アイテムを扱う映像館というビルもできていた。
そういえば、昨日はジェイミー・カラム(2004年1月28日、2006年6月13日、2014年1月30日)の、<Jamie Cullum Zoom Christmas Showcase-クリスマス・アルバム・オンライン試聴会&生演奏->というものに、ズームで参加。日本、豪州、アジアの時差の少ない地域をプレスを対象とするもの(60人ぐらいの人が入っていたな)で、近くクリスマス・アルバムを出すカラムがいろいろしゃべり、クリスマス・ソングを次々にピアノで弾き語りする。30分強。ナット・キング・コールやフランク・シナトラら先達の表現に言及しもしたが、新作はグッド・オールド・タイムな部分をリッチに押し出すものとなるか。そのアルバムは、オーケストレーションつきなようだ。
▶︎過去の、大貫妙子
http://43142.diarynote.jp/200509161722260000/
http://43142.diarynote.jp/200901171017206901/
https://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
▶︎過去の、『音響ハウス Melody-Go-Round』
https://43142.diarynote.jp/202009051915549699/
▶過去の、ジェイミー・カラム
http://43142.diarynote.jp/200402051857060000/
http://43142.diarynote.jp/200606182131580000/
https://43142.diarynote.jp/201401311458223738/
彼には、1998年にロサンゼルスの自宅でインタヴューしたことがある。ゲイリー・シェローンを新シンガーに置いた新作『ヴァン・ヘイレン3』(ワーナー・ブラザーズ)をリリースする際だった。場所は丘陵地にあり、広大な敷地ゆえに移動用のゴルフ・カートも置かれていた。やはり、とっても人懐こい笑顔の持ち主だった。一時代をほとばしりに満ちたギター演奏で築いた御仁。享年65、人々が感じるロスは相当に大きそう。
また、最初期にレゲエに臨み、大きな当たりを得たアフリカ系米国人シンガーであるジョニー・ナッシュ(1940年8月19日〜2020年10月6日)の訃報も届いた。生まれた土地であるテキサス州ヒューストンで、病気がちではあったものの自然死であると伝えられる。すでに1958年にはABCパラマウントからアルバム・デビューしていて、10代ながらそこには柔和な歌声を生かしたMOR/ポピュラー・シンガー路線が取られている。その後も、彼はそうした穏健路線を歩んでいて、作曲やアレンジやプロデュースもするようになり、1960年代中期にはマネージャーとともにジャマイカに住み、ジャマイカン・アーティストといろいろ付き合いをもったと言われる。また、長続きはしなかったもの1960年代後半には自らのレコード会社であるJADも本国で運営した。
そんな一筋縄ではいかない彼の有名作が、キャディットを経てCBSコロムビアに移籍してリリースしたレゲエ要素をしなやかに取り入れた『アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ』(1972年)。その爽やかなタイトル・トラックは英米で1位を獲得する大ヒットとなりレゲエの存在を伝えるとともに、レイ・チャールズ、ホットハウス・フラワーズやジミ・クリフ他が後にカヴァーしている。なお、同作にはナッシュの自作曲とともに「スティアー・イット・アップ」らボブ・マーリー作の3曲やマーリーとナッシュの共作曲「You Poured Sugar On Me」も収められている。その後も、彼は1980年代中期まではいろいろとアルバムを出した
少し雨が降り出した午後、六本木・ソニー・ミュージアムで、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ(2018年9月11日)のもろもろを紹介する「"DOUBLE FANTASY - John & Yoko" 」展のメディア内覧会に行く。昨年にジョン・レノンの故郷であるリヴァプールで持たれ、今度はオノ・ヨーコの生まれた東京でも、10月9日から(来年の1月11日まで)開かれる。場所は、ソニー・ミュージック六本木ミュージアム。東洋英和のそばですね。
綺麗な白い壁群にいろいろな展示がなされる。ジョンとヨーコが出会ったころから年度順に、いろんなアイテムを盛り込みながら、入場者は2人の歩みを追体験していくこととなる。かなり配置/回廊構成がたくみで、知っていることであってもなるほどと頷きながら見れるし、初めて接するアイテムも多い。前衛アーティストだったヨーコの1966年の出し物を再現したものから、各種メモ(ヨーコって日本語とり英語の方が字がきれいなような)や書類、ジブラルタルの結婚式(1969年共同名義の『ウェディング・アルバム』のジャケット写真もそれかな?)で着ていた衣服まで、いろんなものが解説とともに並ぶ。また、2人の映像も何箇所かで流されており、それも興味深い。NYのセントラル・パークにあるジョンのメモリアル場所である“ストロベリー・フィールズ”を再現したコーナーや、ショーンも含めた軽井沢での様を伝えるコーナーはもあって、それは日本独自の展示のよう。
2人の音楽に焦点を合わせるというよりは、唯一無二な関係性のもと様々な社会の壁や偏見に立ち向かった行動家としての2人に焦点を合わせているとも感じるが、それは正解の指針だろう。一方では、音楽アイテムの展示もあるし、会場を動いていくと、ときに流れてくるジョンの歌声やメロディには耳奪われて、えも言われぬ気持ちになる。音楽映像を流す“イマジン・シアター”という広めの場所も作られていた。
最後は、七夕の短冊のように、自ら書いた紙片を木の葉っぱに結びつける部屋がある。それをオノ・ヨーコは過去の展覧会でやっており(その過去の模様は大きな写真で紹介されている)、ここでもじきにものすごい短冊のツリーができあがるんじゃないか。先に、白い壁が基調となる展覧会であることを触れたが、クリスマス期のキブンにも合いそう。そこで、ジョンの「ハッピー・クリスマス」とか聞いたら、じいーんとなっちゃうんじゃないか。普遍的な男女の関係を伝える展覧会でもあるし、カップルにもおすすめかな。
出口前には、物販スペースが。もちろん、アイテム数は多し。両者のイラストのポスト・カード6枚セットは値段も手頃(1200円)。1971年に東京とニューヨークでなされた2人へのインタヴューの模様を透明レコードに彫った限定アナログも2種あり。
▶過去の、ヨーコ・オノ
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
https://43142.diarynote.jp/201809121745334226/ 新作
▶︎過去の、ジョンとヨーコを扱う映画
https://43142.diarynote.jp/201105282358273180/ ショーン・レノンの、両親を語るインタヴュー付き
▶︎過去の、ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm 15日
その後は、京橋テアトル試写室で、2019年タイ映画を見る。監督/脚本/プロデュースは、1984年生まれのナワポン・タムロンラタナリット。これが7作目で、日本でも注目を受けている監督らしい。脱捨離に向き合う女性の家族関係や人間関係を描くものだが、よくぞこのストーリーを作ったなと思った。最後にもう一つなんか出来事を作ったほうがぼくとしてはより好みになるとは思うが、感心する。キャスティングもうまい。そして、頷くのは確かな都会性も抱えるこの映画に、ぼくが知るところのタイの風景は全然写っていないこと。これは、あらゆる都市に置き換えても違和感はまったくないはずであり、この映画のストーリー権を取った映画が他国で作られると聞いてもぼくは驚かない。メロディアスなものからジャジーなもの、効果音的な電気音まで、いろんな音楽をつけているジャイテープ・ラールンジャイは日本の音楽専門学校を今年卒業し、そのまま日本に滞在して、これらを作ったという。
<今日は、インタヴューもした。対面は久しぶり>
試写会のあとは、大貫妙子(2005年9月14日、2009年1月16日、2016年9月27日 )にインタヴュー。場所は、銀座の音響ハウスのスタジオ1。広い録音ブースには、フルコンサートのグランド・ピアノも置いてあった。映画『音響ハウス Melody-Go-Round』(2020年9月4日)のプロモーション取材を彼女が受けてのもの。この日8つも取材が入っていたそうで、その7番目だったが、疲れた感じもなく接していただく。音響ハウスには30年ぶりぐらいに行った。たぶん改築がされていると思うが、映画で坂本龍一がエレベイター内を叩いた音を録り使ったということを語っていたが、ちょい感慨深い。このビルにはエレヴェイターは一つしかない。隣に映像アイテムを扱う映像館というビルもできていた。
そういえば、昨日はジェイミー・カラム(2004年1月28日、2006年6月13日、2014年1月30日)の、<Jamie Cullum Zoom Christmas Showcase-クリスマス・アルバム・オンライン試聴会&生演奏->というものに、ズームで参加。日本、豪州、アジアの時差の少ない地域をプレスを対象とするもの(60人ぐらいの人が入っていたな)で、近くクリスマス・アルバムを出すカラムがいろいろしゃべり、クリスマス・ソングを次々にピアノで弾き語りする。30分強。ナット・キング・コールやフランク・シナトラら先達の表現に言及しもしたが、新作はグッド・オールド・タイムな部分をリッチに押し出すものとなるか。そのアルバムは、オーケストレーションつきなようだ。
▶︎過去の、大貫妙子
http://43142.diarynote.jp/200509161722260000/
http://43142.diarynote.jp/200901171017206901/
https://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
▶︎過去の、『音響ハウス Melody-Go-Round』
https://43142.diarynote.jp/202009051915549699/
▶過去の、ジェイミー・カラム
http://43142.diarynote.jp/200402051857060000/
http://43142.diarynote.jp/200606182131580000/
https://43142.diarynote.jp/201401311458223738/
客席フロアにミュージシャンが位置する設定を持つ公演を、二つ続けてみる。
まず、南青山・ブルーノート東京で、渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日、2017年10月8日、2017年12月16日、2018年5月28日、2018年9月2日、2018年10月6日、2018年12月15日、2019年8月6日、2019年11月12日、2019年12月15日)のオーケストラを見る。ファースト・ショウ。アルト・サックスを悠々と吹く当人に含め、全17人。ステージ上を含めて密を避けるこの時期、大人数によるこれは大胆な企画と思ったら、なるほどこうした手があったか。
トランペット・セクションは、西村浩二(2019年4月26日、2019年4月27日、2019年4月28日、他)、奥村晶(2017年11月8日、2018年6月8日、2018年9月2日、2019年1月7日、他)、佐久間勲(2017年12月5日、2018年6月8日 、2018年9月2日、2019年1月7日、2020年8月2日、他)、松島啓之(2014年9月25日、2015年5月20日、2018年1月19日、2018年9月2日2019年3月29日、他)。トロンボーン・セクションは、アレンジも担当する村田陽一(2005年1月7日、2006年1月21日、2010年3月9日、2011年12月20日、2012年9月8日、2014年12月14日、2015年9月27日、2016年12月11日、2017年12月5日、2018年6月8日、2018年9月2日、2019年4月26日、2019年4月27日、2019年4月28日、他)と辻冬樹(2018年9月2日、他)と奥村晃(2018年9月2日、他)とベースの山城純子(2016年10月28日、2017年11月8日、2017年12月5日、2018年9月2日 、他)。サックス・セクションはアルトの吉田治(2017年7月28日、2018年9月2日、2019年1月7日、他)と近藤和彦((2011年3月28日、2011年8月6日 、2014年9月7日、2015年9月27日、2016年1月7日、2016年10月28日、2017年11月8日、2017年12月5日、2018年6月8日、2018年9月2日、2019年1月7日、2019年8月16日)、テナーの小池修(2010年5月11日、2011年2月10日、2011年3月10日、2011年3月28日、2013年2月22日、2015年9月27日、2016年1月7日、2017年7月28日、2017年11月8日、2017年11月17日、2017年12月5日、2018年6月8日、2018年9月2日、2019年1月7日、2019年7月25日、他)と竹野昌邦、バリトンの山本拓夫(2015年9月27日、2017年12月5日、2018年9月2日、他)。そして、リズム・セクションは、ピアノの小野塚晃(2016年12月11日、他)とベースの粟谷巧とドラムの竹村一哲(2016年9月27日、2018年9月2日、2019年10月6日、2019年12月20日)。粟谷と竹村の北海道出身コンビの2人が若目で、今様なルックスをしている。
普段は全員がステージ上に乗るところ、ステージ上には少しまばら気味に管楽器奏者たちだけが2列に並ぶ。前列はサックス奏者たちで、後列はトランペットとトロボーンの担当者が位置。そして、渡辺貞夫と3人のリズム・セクション、コンサート・マスターの村田陽一の5人は客席フロアに立つ(!)。下の客席フロアは左右と一番奥に一列づつお客が座るだけで、ほぼ客を入れない状態。ほとんどの客は一段高いフロアにからの観覧となっていた。これ、キャパは相当少なくなるはずであるが、それでも大人数による出し物をやりたかったという送り手側の強い思いを感じるか。ともあれ、照明がきれいなこともあり、贅沢感も猛烈に出て、これはなんともスペシャルな設定を持つ公演なのだという思いは高まる。
そして、比較的尺の短い設定のもと、大人数アンサンブルとソロが拮抗するビッグ・バンドの要点を伝えましょうというパフォーマンスがなされる。渡辺貞夫のオリジナルだけでなく、オリヴァー・ネルソンらの大所帯用曲も4曲だか披露。実はファーストとセカンドは別のセット・リストが組まれているそうだ。コンボでもほぼ毎回演奏される渡辺が311震災時に書いた「ウォーム・デイズ・アヘッド」は有機的なブラス陣の絡みやしっとりした中に芯を与えるリズム隊の演奏などもあり、これまでで一番魅力的なヴァージョンにぼくには聞こえた。
なんの曲だったか、終わりの部分で、渡辺はとってもフリーキーな吹き口をお茶目に繰り出す。87歳、ノっていたんだね。アンコールは小野塚とのデュオでしっぽりシメる。以上、4日間続けられるなかの、最初のショウ。
▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 6日
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000/
http://43142.diarynote.jp/200610080946310000/
http://43142.diarynote.jp/200712171350530000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200907310048137248/
http://43142.diarynote.jp/200909120646397236/
http://43142.diarynote.jp/201107111008176019/
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http://43142.diarynote.jp/201304031026406106/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
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http://43142.diarynote.jp/201407091243129270/
http://43142.diarynote.jp/201410061850124929/
http://43142.diarynote.jp/201412281017371613/
http://43142.diarynote.jp/201512151504068292/
http://43142.diarynote.jp/201607100827363436/
http://43142.diarynote.jp/201609201032322395/
http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/
http://43142.diarynote.jp/201612171245154424/
http://43142.diarynote.jp/201710121700178187/
http://43142.diarynote.jp/201712181015052794/
http://43142.diarynote.jp/201805290906425481/
http://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
http://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
http://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
https://43142.diarynote.jp/201812201004266842/
https://43142.diarynote.jp/201908071557182844/
https://43142.diarynote.jp/201912161054076351/
▶︎過去の、西村浩二
https://43142.diarynote.jp/201904271153238361/
https://43142.diarynote.jp/201904281151232549/
https://43142.diarynote.jp/201904291825347224/
▶︎過去の、奥村晶
https://43142.diarynote.jp/201711091333526195/
https://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
▶︎過去の、佐久間勲
https://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
https://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
https://43142.diarynote.jp/202008040925309617/
▶過去の、松島啓之
http://43142.diarynote.jp/201409261635554506/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
https://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
▶過去の、村田陽一
http://43142.diarynote.jp/200501170151560000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
http://43142.diarynote.jp/201003101342028780/
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http://43142.diarynote.jp/?day=20120908 ベン・E・キング
http://43142.diarynote.jp/?day=20141214
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https://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201904271153238361/
https://43142.diarynote.jp/201904281151232549/
https://43142.diarynote.jp/201904291825347224/
▶︎過去の、辻冬樹
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
▶︎過去の、奥村晃
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
▶︎過去の、山城純子
https://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
https://43142.diarynote.jp/201711091333526195/
https://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
▶︎過去の、吉田治
https://43142.diarynote.jp/201708081429085086/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
▶︎過去の、近藤和彦
http://43142.diarynote.jp/201104041100266528/
http://43142.diarynote.jp/201108101632022013/ ノー・ネーム・ホーセズ
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/ ノー・ネーム・ホーセズ
http://43142.diarynote.jp/201501131019359012/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201601090750252990/
https://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
http://43142.diarynote.jp/201711091333526195/ マシュー・ハーバーツ・ビッグ・バンド
https://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
https://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
▶︎過去の、小池修
http://43142.diarynote.jp/?day=20100511
https://43142.diarynote.jp/201102121001091213/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110310
http://43142.diarynote.jp/201104041100266528/
https://43142.diarynote.jp/201302281046506238/
http://43142.diarynote.jp/201501131019359012/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201601090750252990/
http://43142.diarynote.jp/201711091333526195/
https://43142.diarynote.jp/201711181233058487/
https://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
https://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
https://43142.diarynote.jp/201907261128521107/
https://43142.diarynote.jp/201908191116487861/
▶︎過去の、山本拓夫
https://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
https://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
▶︎過去の、小野塚
https://43142.diarynote.jp/201612171245154424/
▶︎過去の、竹村一哲
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201910070759405954/
https://43142.diarynote.jp/201912220907352341/
その後は、徒歩で15分のところにある、青山・月見ル君想フに向かう。出し物は、<2 PIANO 4 HANDS>。フル・コンサート型の長いものではないが、会場にグランド・ピアノを2台入れて2人のピアニストがピアノを弾き合います、という企画を持つ。こちらは顔ぶれ違いで5日間に渡って行われる帯公演の、初日となる。この晩の出演者は、元ヤセイ・コレクティヴで、ジェントル・フォレスト・ジャズ・バンドにも参画する別所和洋(2013年8月22日 、2017年7月8日、2019年7月6日)のソロ・プロジェクトである“パジャマで海なんかいかない”と井上惇志。別所はパジャマを着て、裸足。家で飾らずピアノを弾いている姿を見せますという思いがその変な活動名に繋がっているのか。
ピアノを2台、客席フロアに向き合うように起き、客はそれを取り囲む。
かなり、興味深かった。2人はジャズ界の中枢にいるという感じではなく、ポップ系のサポートを普段はしている奏者たちなはず。だが、ちゃんとジャズを通ってきているとともにジャズ愛を2人が持つことを伝える、インタープレイのある“今宵このとき”という連弾が披露されていく。まさに一緒にテーマを弾いたあとに主と従の立場で指を這わせるものを中心に、同じ曲ををそれぞれが弾き合ったり(別所の曲で、コードが難しく、弾くのをやめたと井上がMCで言っていたものもあり)とか、絡みは様々。というか、この2人仲がよく、鍵盤を一緒に弾くということ(もしくは、それを前提とする会話)を普段からしているのではないか。1時間のものを2セットでというオーダーであったようだが、彼らは一緒に延々と演奏できちゃうんだろうなーとも見ながら思った。
おしゃれな雫を持つテーマを持つ曲が続いたりし、それは今の奏者らしいと思ったが、じつはけっこうスタンダードをやったのか。井上がお気に入りのジェリー・マリガンの曲をソロで弾く局面もあたっが、それも今様なバラードに聞こえた。ミルト・ジャクソンの著名ブルース曲「バグス・グルーヴ」なんてのも取り上げたが、それは2人のブルージーに行ける部分を出すとともに、ストライドやブギ・ウギっぽい方向にも奏法で飛んで行った。
出演者が男性であるためか、客の女性比率は高い。ピアノをちゃんと入れて、普段はジャズ・プログラムをやらないハコが今の担い手たちによるジャズ・ピアノを披露させる。この晩の出演者は非ジャズ愛好者も視野に入れて、明快に即興の楽しさを提示していたのは間違いない。いい企画だな。いろいろなところから、ジャズやジャズ愛好者は育つ。グランド・ピアノはヤマハの同じものが置かれていたと思われるが、2人の出音は明らかに違い面白い。別所の音のほうが雑味ぽいテイストが出ており、井上のほうがキラキラした音を出す。弾き手に添うピアノという楽器の面白さもたいそう感じることができた。
▶︎過去の、ヤセイ・コレクティヴ
http://43142.diarynote.jp/201308251333326263/
https://43142.diarynote.jp/202001201340286359/
▶︎過去の、ジェントル・フォレスト・バンド
https://43142.diarynote.jp/201707101243147840/
https://43142.diarynote.jp/201907071754237718/
<今日は、久しぶりだった>
2月20日以来の、ライヴのはしごをした。ぼくにとって、ライヴをハシゴするのは良くあることであったので、やはり少しホッとできたところはありました。両店の入店時の検温体温は、36.51度と36.5度。一時期より少し高めだ。そういえば、3月下旬からの自主ロックダウン時、37度台の微熱が続いたことがあったっけ。小心者なので、少しびびった。ところで、休業中に月見ル君想フは少し改装、トイレは階下のステージ・フロアに移動。代わりにかつて下にあったサウンドの卓が上に移るとともに、なんと配信映像の充実のためにクレーン型カメラを新たに設置していた。
まず、南青山・ブルーノート東京で、渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日、2017年10月8日、2017年12月16日、2018年5月28日、2018年9月2日、2018年10月6日、2018年12月15日、2019年8月6日、2019年11月12日、2019年12月15日)のオーケストラを見る。ファースト・ショウ。アルト・サックスを悠々と吹く当人に含め、全17人。ステージ上を含めて密を避けるこの時期、大人数によるこれは大胆な企画と思ったら、なるほどこうした手があったか。
トランペット・セクションは、西村浩二(2019年4月26日、2019年4月27日、2019年4月28日、他)、奥村晶(2017年11月8日、2018年6月8日、2018年9月2日、2019年1月7日、他)、佐久間勲(2017年12月5日、2018年6月8日 、2018年9月2日、2019年1月7日、2020年8月2日、他)、松島啓之(2014年9月25日、2015年5月20日、2018年1月19日、2018年9月2日2019年3月29日、他)。トロンボーン・セクションは、アレンジも担当する村田陽一(2005年1月7日、2006年1月21日、2010年3月9日、2011年12月20日、2012年9月8日、2014年12月14日、2015年9月27日、2016年12月11日、2017年12月5日、2018年6月8日、2018年9月2日、2019年4月26日、2019年4月27日、2019年4月28日、他)と辻冬樹(2018年9月2日、他)と奥村晃(2018年9月2日、他)とベースの山城純子(2016年10月28日、2017年11月8日、2017年12月5日、2018年9月2日 、他)。サックス・セクションはアルトの吉田治(2017年7月28日、2018年9月2日、2019年1月7日、他)と近藤和彦((2011年3月28日、2011年8月6日 、2014年9月7日、2015年9月27日、2016年1月7日、2016年10月28日、2017年11月8日、2017年12月5日、2018年6月8日、2018年9月2日、2019年1月7日、2019年8月16日)、テナーの小池修(2010年5月11日、2011年2月10日、2011年3月10日、2011年3月28日、2013年2月22日、2015年9月27日、2016年1月7日、2017年7月28日、2017年11月8日、2017年11月17日、2017年12月5日、2018年6月8日、2018年9月2日、2019年1月7日、2019年7月25日、他)と竹野昌邦、バリトンの山本拓夫(2015年9月27日、2017年12月5日、2018年9月2日、他)。そして、リズム・セクションは、ピアノの小野塚晃(2016年12月11日、他)とベースの粟谷巧とドラムの竹村一哲(2016年9月27日、2018年9月2日、2019年10月6日、2019年12月20日)。粟谷と竹村の北海道出身コンビの2人が若目で、今様なルックスをしている。
普段は全員がステージ上に乗るところ、ステージ上には少しまばら気味に管楽器奏者たちだけが2列に並ぶ。前列はサックス奏者たちで、後列はトランペットとトロボーンの担当者が位置。そして、渡辺貞夫と3人のリズム・セクション、コンサート・マスターの村田陽一の5人は客席フロアに立つ(!)。下の客席フロアは左右と一番奥に一列づつお客が座るだけで、ほぼ客を入れない状態。ほとんどの客は一段高いフロアにからの観覧となっていた。これ、キャパは相当少なくなるはずであるが、それでも大人数による出し物をやりたかったという送り手側の強い思いを感じるか。ともあれ、照明がきれいなこともあり、贅沢感も猛烈に出て、これはなんともスペシャルな設定を持つ公演なのだという思いは高まる。
そして、比較的尺の短い設定のもと、大人数アンサンブルとソロが拮抗するビッグ・バンドの要点を伝えましょうというパフォーマンスがなされる。渡辺貞夫のオリジナルだけでなく、オリヴァー・ネルソンらの大所帯用曲も4曲だか披露。実はファーストとセカンドは別のセット・リストが組まれているそうだ。コンボでもほぼ毎回演奏される渡辺が311震災時に書いた「ウォーム・デイズ・アヘッド」は有機的なブラス陣の絡みやしっとりした中に芯を与えるリズム隊の演奏などもあり、これまでで一番魅力的なヴァージョンにぼくには聞こえた。
なんの曲だったか、終わりの部分で、渡辺はとってもフリーキーな吹き口をお茶目に繰り出す。87歳、ノっていたんだね。アンコールは小野塚とのデュオでしっぽりシメる。以上、4日間続けられるなかの、最初のショウ。
▶過去の、渡辺貞夫
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http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 6日
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▶︎過去の、西村浩二
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https://43142.diarynote.jp/201904281151232549/
https://43142.diarynote.jp/201904291825347224/
▶︎過去の、奥村晶
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https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
▶︎過去の、佐久間勲
https://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
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▶過去の、松島啓之
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▶過去の、村田陽一
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▶︎過去の、辻冬樹
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▶︎過去の、奥村晃
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▶︎過去の、山城純子
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▶︎過去の、吉田治
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▶︎過去の、近藤和彦
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http://43142.diarynote.jp/201108101632022013/ ノー・ネーム・ホーセズ
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/ ノー・ネーム・ホーセズ
http://43142.diarynote.jp/201501131019359012/
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http://43142.diarynote.jp/201711091333526195/ マシュー・ハーバーツ・ビッグ・バンド
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https://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
▶︎過去の、小池修
http://43142.diarynote.jp/?day=20100511
https://43142.diarynote.jp/201102121001091213/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110310
http://43142.diarynote.jp/201104041100266528/
https://43142.diarynote.jp/201302281046506238/
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http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
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https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
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https://43142.diarynote.jp/201908191116487861/
▶︎過去の、山本拓夫
https://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
https://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
▶︎過去の、小野塚
https://43142.diarynote.jp/201612171245154424/
▶︎過去の、竹村一哲
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201910070759405954/
https://43142.diarynote.jp/201912220907352341/
その後は、徒歩で15分のところにある、青山・月見ル君想フに向かう。出し物は、<2 PIANO 4 HANDS>。フル・コンサート型の長いものではないが、会場にグランド・ピアノを2台入れて2人のピアニストがピアノを弾き合います、という企画を持つ。こちらは顔ぶれ違いで5日間に渡って行われる帯公演の、初日となる。この晩の出演者は、元ヤセイ・コレクティヴで、ジェントル・フォレスト・ジャズ・バンドにも参画する別所和洋(2013年8月22日 、2017年7月8日、2019年7月6日)のソロ・プロジェクトである“パジャマで海なんかいかない”と井上惇志。別所はパジャマを着て、裸足。家で飾らずピアノを弾いている姿を見せますという思いがその変な活動名に繋がっているのか。
ピアノを2台、客席フロアに向き合うように起き、客はそれを取り囲む。
かなり、興味深かった。2人はジャズ界の中枢にいるという感じではなく、ポップ系のサポートを普段はしている奏者たちなはず。だが、ちゃんとジャズを通ってきているとともにジャズ愛を2人が持つことを伝える、インタープレイのある“今宵このとき”という連弾が披露されていく。まさに一緒にテーマを弾いたあとに主と従の立場で指を這わせるものを中心に、同じ曲ををそれぞれが弾き合ったり(別所の曲で、コードが難しく、弾くのをやめたと井上がMCで言っていたものもあり)とか、絡みは様々。というか、この2人仲がよく、鍵盤を一緒に弾くということ(もしくは、それを前提とする会話)を普段からしているのではないか。1時間のものを2セットでというオーダーであったようだが、彼らは一緒に延々と演奏できちゃうんだろうなーとも見ながら思った。
おしゃれな雫を持つテーマを持つ曲が続いたりし、それは今の奏者らしいと思ったが、じつはけっこうスタンダードをやったのか。井上がお気に入りのジェリー・マリガンの曲をソロで弾く局面もあたっが、それも今様なバラードに聞こえた。ミルト・ジャクソンの著名ブルース曲「バグス・グルーヴ」なんてのも取り上げたが、それは2人のブルージーに行ける部分を出すとともに、ストライドやブギ・ウギっぽい方向にも奏法で飛んで行った。
出演者が男性であるためか、客の女性比率は高い。ピアノをちゃんと入れて、普段はジャズ・プログラムをやらないハコが今の担い手たちによるジャズ・ピアノを披露させる。この晩の出演者は非ジャズ愛好者も視野に入れて、明快に即興の楽しさを提示していたのは間違いない。いい企画だな。いろいろなところから、ジャズやジャズ愛好者は育つ。グランド・ピアノはヤマハの同じものが置かれていたと思われるが、2人の出音は明らかに違い面白い。別所の音のほうが雑味ぽいテイストが出ており、井上のほうがキラキラした音を出す。弾き手に添うピアノという楽器の面白さもたいそう感じることができた。
▶︎過去の、ヤセイ・コレクティヴ
http://43142.diarynote.jp/201308251333326263/
https://43142.diarynote.jp/202001201340286359/
▶︎過去の、ジェントル・フォレスト・バンド
https://43142.diarynote.jp/201707101243147840/
https://43142.diarynote.jp/201907071754237718/
<今日は、久しぶりだった>
2月20日以来の、ライヴのはしごをした。ぼくにとって、ライヴをハシゴするのは良くあることであったので、やはり少しホッとできたところはありました。両店の入店時の検温体温は、36.51度と36.5度。一時期より少し高めだ。そういえば、3月下旬からの自主ロックダウン時、37度台の微熱が続いたことがあったっけ。小心者なので、少しびびった。ところで、休業中に月見ル君想フは少し改装、トイレは階下のステージ・フロアに移動。代わりにかつて下にあったサウンドの卓が上に移るとともに、なんと配信映像の充実のためにクレーン型カメラを新たに設置していた。
R.I.P.ロッコ・プレステア(1951年3月7日〜2020年9月29日)
2020年9月30日 音楽 タワー・オブ・パワー(1999年11月4日、2002年8月11日、2004年1月19日、2008年5月18日、2008年5月19日、2010年5月11日、2011年3月10日、2012年9月9日、2014年5月6日、2016年7月10日、2018年9月4日)の唯一無二のファンク・グルーヴを支えたエレクトリック・ベーシストのフランシス“ロッコ”プレステアの訃報が届いた。まさに、シンコペイションの偉才。彼は1977年から80年代に中期にかけてパワーズを抜けたり、2000年代に入ると健康を崩しやはりパンドを離れたこともあった。そして、2014年には肝臓移植手術を受け、その後また復帰したが、2018年以降はまたタワー・オブ・パワーを辞した。ラスヴェガスのホスピスで.家族に見守られ息を引き取ったという。
タワー・オブ・パワーのリーダーのエミリオ・キャスティロとは中学校のクラス・ネイトで、彼の進言でギターからベースに変えたと言われる。ジェイムズ・ジェマーソンを筆頭にグルーヴと決定的に繋がったベーシスト愛好とともに、決定的なムクムクグツグツした質感を持つファンク・ベース様式を朋友ドラマーのデイヴィッド・ガルバルディとのコンビで作り上げたスタイリスト。マーカス・ミラーもクリニック(2015年2月21日)で、彼に言及し、そのベース演奏を真似て弾いてみせたこともあった。
リーダー作もP-ヴァインから一作、『...Everybody On The Bus』を1998年にリリース。それは、タワー・オブ・パワー関係者とロサンゼルスのスタジオ奏者を併用しての、シンガーを立てた曲が目立ちもするメロウ・ソウル傾向作だった。
▶過去の、タワー・オブ・パワー
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http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200401190000000000/
http://43142.diarynote.jp/200805201629180000/
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http://43142.diarynote.jp/201607111518214717/
https://43142.diarynote.jp/201809071706397376/
▶︎過去のマーカス・ミラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
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http://43142.diarynote.jp/201502231815384234/ 件のクリニック
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http://43142.diarynote.jp/201701091247527188/
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https://43142.diarynote.jp/201805250930363191/
https://43142.diarynote.jp/201901041047462042/
<ずっと続く、厄介ごと>
ケータイのメイラーのメール未読数が1万近く。8月に紛失し、新しいのを再設定したら、新型コロナ禍以前のメールまでもがすべて新着として全部入ってきてしまった。3月までは遡って消したが、あとはもう面倒臭くなり、ほったらかし。前のように、新着ゼロの表記になることはあるのだろうか? 投げやりだな。
タワー・オブ・パワーのリーダーのエミリオ・キャスティロとは中学校のクラス・ネイトで、彼の進言でギターからベースに変えたと言われる。ジェイムズ・ジェマーソンを筆頭にグルーヴと決定的に繋がったベーシスト愛好とともに、決定的なムクムクグツグツした質感を持つファンク・ベース様式を朋友ドラマーのデイヴィッド・ガルバルディとのコンビで作り上げたスタイリスト。マーカス・ミラーもクリニック(2015年2月21日)で、彼に言及し、そのベース演奏を真似て弾いてみせたこともあった。
リーダー作もP-ヴァインから一作、『...Everybody On The Bus』を1998年にリリース。それは、タワー・オブ・パワー関係者とロサンゼルスのスタジオ奏者を併用しての、シンガーを立てた曲が目立ちもするメロウ・ソウル傾向作だった。
▶過去の、タワー・オブ・パワー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200401190000000000/
http://43142.diarynote.jp/200805201629180000/
http://43142.diarynote.jp/200805201631280000/
http://43142.diarynote.jp/201005121331016518/
http://43142.diarynote.jp/201103171348262145/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120909
http://43142.diarynote.jp/201405071616599721/
http://43142.diarynote.jp/201607111518214717/
https://43142.diarynote.jp/201809071706397376/
▶︎過去のマーカス・ミラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200712161023010000/
http://43142.diarynote.jp/200909181206531984/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201309051241384602/
http://43142.diarynote.jp/201502231815384234/ 件のクリニック
http://43142.diarynote.jp/?day=20160917
http://43142.diarynote.jp/201701091247527188/
https://43142.diarynote.jp/201805201310351671/
https://43142.diarynote.jp/201805250930363191/
https://43142.diarynote.jp/201901041047462042/
<ずっと続く、厄介ごと>
ケータイのメイラーのメール未読数が1万近く。8月に紛失し、新しいのを再設定したら、新型コロナ禍以前のメールまでもがすべて新着として全部入ってきてしまった。3月までは遡って消したが、あとはもう面倒臭くなり、ほったらかし。前のように、新着ゼロの表記になることはあるのだろうか? 投げやりだな。
映画「メイキング・オブ・モータウン」。鈴木大介オルトレ・コンフィーネ
2020年9月29日 音楽 ヒューマン・トラスト・シネマ渋谷で、モータウン・レコードを扱うドキュメンタリー映画を見る。ドキュメンタリー畑のベンジャミン・ターナーとTV-CFをいろいろ作って思いるゲイブ・ターナーの兄弟が監督した2019年米国映画だ。原題は、「Hitsville: The Making of Motown」。かつてのモータウンの愛称は、“ヒッツヴィルUSA”。お金は、現在モータウンを抱えるユニヴァーサル系列が出している。
本人全面協力による、ベリー・ゴーディJr.の成功一代記。今はモータウン博物館になっている、ミシガン州デトロイト西グランド通り2648番地の一軒家に作られた初代モータウン社屋(ゴーディJr.はその2階に住んでいたそう)を訪ねたゴーディJr.とスモーキー・ロビンソンの会話(2人のやり取りはロザンゼルスでも撮影されている)を軸に、映画産業への進出やセレブリティ生活を求めて1970年代前半にロサンゼルスに本社を移転させるころまでの彼の成功譚が綴られる。
しっかし、1929年生まれのゴーディJr.と1940年生まれでかつてモータウンの副社長を務めたこともあったはずのスモーキー・ロビンソン(2019年9月20日)は本当に元気。とくに撮影時、80歳代後半だったゴーディJr.の矍鑠な様と言ったなら。また、2人は本当に仲がよく、饒舌。本当によく喋る。いっぱい捨てた撮影テープがあるんだろうな。最後には、2人でモータウン社歌を一緒に歌うシーンも出てくる。そんなのあったんですね。ロビンソンは昨年秋に米国ツアーをしぼくも見に行ったが、この映画は本国では8月公開のようなので、それに合わせたという側面もあったのかな? ところで、スモーキー・ロビンソンはLA移転に大反対だったそうだ。
冒頭ではゴーディJr.のモータウン設立までのことが軽く語られるが、曲作りにも長けた音楽好きであり、まずはレコード屋を始めたもののツブして(それは洗練されたジャズを中心に置き、彼が好まなかった大衆人気を持つブルースを在庫に置かなかったことが敗因であると、本人は自己分析。→それにより、大衆性=ポップとは何かを悟ったそう)しまい、その後に務めたフォードの自動車生産ラインにおける分業体制の効率の良さをを学んだことが、モータウンの会社組織運営に応用されたことが示される。そして、それ以降、モータウンの歩みと主となるアーティストのことが語られる。
モータウンの分業体制の妙とリンクされ、映画は<タレント発掘>とか<アーティスト教育>とか<A&R>とか<ツアー>とか、いくつもの章立てがされて進められる。わりと時系列に紹介されもするので違和感はないし、見やすくはある。終盤は、ゴーディJr.自らが穏健なレーベルのイメージ維持のためにリリースに反対したと語るマーヴィン・ゲイの社会的メッセージ曲「ワッツ・ゴーイン・オン」とからめ、白い米国社会におけるモータウンということにも少し言及される。
とにかく、当時のフォルムや写真は、それだけで胸が高鳴ったり、目が点になったり。スティーヴィー・ワンダー(2005年11月3日、2010年8月8日、2012年3月5日)、ティト・ジャクソン(2010年7月15日、2015年12月5日、2016年8月21日、2019年2月1日)をはじめとする現行ザ・ジャクソンズ(2011年12月13日、2012年12月7日)のメンバー、ブライアン&エディ・ホーランド、マーサ・リーヴスらをはじめ、ドクター・ドレー(モータウンの成功にならい、彼もレコード会社を起こしたそう)やジョン・レジェンド(2005年5月8日)やニール・ヤング(彼はバッファロー・スプリングフィールドのブルース・パーマーやリック・ジェイムズらとマイナー・バーズというバンドを組んでモータウンと契約したことがあった。録音もしたものの、それは未発売。2001年7月28日)など、この映画のために撮り下ろされた関連アーティスト/スタッフたちの発言も随時組み込まれる。管理部門のスタッフには、それなりに白人スタッフがいたことも伝えられる。
映画アタマは、モーター・タウン=自動車産業に支えらた1960年ごろのデトロイトの街を紹介する映像が流されるが、それを見ると本当に華やかキラキラしていて思わずため息。華あるポップ・ミュージックは社会の栄華と繋がったものであるのだと、皮膚感覚で感じてしまう。また、いくつかの土地に飛び、様々な人たちが関与する映画の内容に触れると、新型コロナ流行前に完成した作品だとも痛感する。ドキュメンタリーにせよドラマものにせよ、いろいろ撮影が遅延しているものは今たくさんありそうで、これから新作の数が減ったり、切り口が狭められた内容のものが多くなったりするだろう。
▶︎過去の、スモーキー・ロビンソン
https://43142.diarynote.jp/201909260735539261/
▶過去の、スティーヴィー・ワンダー
http://43142.diarynote.jp/200511130015240000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
▶過去の、ザ・ジャクソンズ/ティト・ジャクソン
http://43142.diarynote.jp/201007161048008489/
http://43142.diarynote.jp/201112201157058751/
https://43142.diarynote.jp/201212131613509711/
http://43142.diarynote.jp/201512091352434769/
https://43142.diarynote.jp/201608241301049887/
https://43142.diarynote.jp/201902020805005099/
▶過去の、ニール・ヤング
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm フジ・ロック
▶過去の、ジョン・レジェンド
http://43142.diarynote.jp/200505141714260000/
▶︎過去の、モータウン絡みの映画
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20060411 ザ・ファンク・ブラザース公演
https://43142.diarynote.jp/200701211122480000/
その後は、渋谷・JZ Blatで、中川ヨウのプロデュースに公演を見る。クラシック・ギター奏者の鈴木大介(2009年10月8日)を主役に置くもの。彼は一般大学に通い、個人師事のもと技量を得て海外コンペティションで好成績を納め、その世界の前線に立つようになった人であるよう。それって、クラシックの世界では珍しいのではないだろうか。そっちには疎いので、よく分からないが。そんな鈴木が、広い視野を持つ働き盛りのジャズ系奏者とたちと協調し、普段は演奏しない曲を披露するという主題を持つ。選曲とアレンジは、彼がしているよう。
なんか飄々とした感じの鈴木をサポートするのは、テナー・サックスの田中邦和(2010年7月1日、2010年12月16日、2012年10月16日、2012年12月11日、2015年12月17日、2016年7月16日、2017年7月8日)、ピアノの林正樹(2013年9月6日、2015年9月27日、2015年12月17日、2016年7月16日、2018年5月13日 、2019年1月7日、2019年10月6日、2019年11月19日、2019年11月21日、2019年12月18日、2020年8月28日)、ダブル・ベースの鈴木正人2003年12月4日、2004年7月6日、2004年11月30日、2005年6月9日、2005年10月30日、2005年11月15日、2007年1月27日、2007年10月17日、2008年1月31日、2009年1月16日、2009年10月31日、2011年3月2日、2011年5月22日、2013年1月29日、2013年2月19日、2013年8月29日、2014年2月20日、2014年4月3日、2014年12月28日、2016年9月27日、2017年9月8日、2018年6月2日)、鈴木大介とは中学校で同級生であったというドラムの大槻"カルタ"英宣(2004年11月30日、2007年11月27日、2010年2月17日、2010年11月26日、2013年7月1日、2013年9月13日、2015年7月23日)という面々だ。
オープナーは、ニコロ・パガニーニの曲を独奏。彼は引きこもり期に、このイタリア人クラシック・ヴァイオリニスト/ギタリストの曲を演奏する映像を次々にあげていたよう。次の鈴木の自作曲は林と鈴木正人が入っての演奏だったが、なるほど曲調はクラシックともジャズとも言い難い。と、思ったら……。
なんと、フルのメンバーでやる3曲めから、鈴木はエレクトリック・ギター(テレキャスターの形だった)を手して、座らずに立って演奏する。足元をいじっている感じはなかったが少しエフェクターも通すなか、彼は一部分を除いてはすべてピック弾きでことをこなす。それ、普段の鈴木のパフォーマンスに接している人だとギョっとなるものではなかったか。もちろんソロを取る場合もあるが、リズム・ギター的演奏とともにアンサンブルを導き、随所でメンバーにソロを取らせていた。林の強弱に満ちた演奏はとくに耳を引いた。
演目はボサっぽい感じのギターの刻みで開かれた「8 1/2」をはじめフェリーニの映画音楽曲を中心に、ニノ・ロータの曲も1曲披露。それらが鈴木大介流の端正さやユーモアとともにさくっと編み込まれた形で送り出される。そこには、原曲をもう一つ別のところに持っていきたいという意思もにじませるか。考えてみれば、1曲演奏したオリジナル以外は皆イタリア人の楽曲を題材に置いていたわけで、このショウは鈴木が感じる年代もジャンルも超えたイタリア的感性を自らのフィルターを通してぽっかりと浮き上がらせるというテーマも抱えているような気がした。とにかく、せっかくの場であるので、通常とは違うものを見せたいという気持ちは大きかったのではないかな。
▶︎過去の、鈴木大介
https://43142.diarynote.jp/200910140952248669/
▶過去の、田中邦和
http://43142.diarynote.jp/201007081547031840/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121211
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
http://43142.diarynote.jp/?day=20160716
https://43142.diarynote.jp/201707101243147840/
▶過去の、林正樹
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
http://43142.diarynote.jp/201607191312426603/
https://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
https://43142.diarynote.jp/201910070759405954/
https://43142.diarynote.jp/201911201705565775/
https://43142.diarynote.jp/201911230723444744/
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
https://43142.diarynote.jp/202008290914077509/
▶︎過去の、鈴木正人
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm コンボ・ピアノ
http://43142.diarynote.jp/200407062149440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20041130
http://43142.diarynote.jp/?day=20050609
http://43142.diarynote.jp/?day=20051030
http://43142.diarynote.jp/200511221816310000/
http://43142.diarynote.jp/200702010112550000/
http://43142.diarynote.jp/200710181835010000/
http://43142.diarynote.jp/200802051630130000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090116
http://43142.diarynote.jp/?day=20091031
http://43142.diarynote.jp/?day=20110302
http://43142.diarynote.jp/201105230926029205/
http://43142.diarynote.jp/201301311032072367/
http://43142.diarynote.jp/201302201720351212/
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201402210802184994/
http://43142.diarynote.jp/201404050818444425/
http://43142.diarynote.jp/201412301043067796/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160927
http://43142.diarynote.jp/201709110843278416/
https://43142.diarynote.jp/201806051311346158/
▶過去の、大槻“カルタ”英宣
http://43142.diarynote.jp/?day=20041130
http://43142.diarynote.jp/200711290932200000/
http://43142.diarynote.jp/201002191112552825/
http://43142.diarynote.jp/201012051849242327/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130701
http://43142.diarynote.jp/201309161512043853/
https://43142.diarynote.jp/201507251003319800/
<今日の、おつとめ>
国税調査の回答をネットでする。5年おきにやるみたいなので、これをするのは5年ぶりとなるのか? 前回回答したのはもっと昔のような気がするが、まだ5年しかたっていないのか。という気に、今回はなった。前回はネット回答はなかったよな? 間違いなく、楽ですね。
本人全面協力による、ベリー・ゴーディJr.の成功一代記。今はモータウン博物館になっている、ミシガン州デトロイト西グランド通り2648番地の一軒家に作られた初代モータウン社屋(ゴーディJr.はその2階に住んでいたそう)を訪ねたゴーディJr.とスモーキー・ロビンソンの会話(2人のやり取りはロザンゼルスでも撮影されている)を軸に、映画産業への進出やセレブリティ生活を求めて1970年代前半にロサンゼルスに本社を移転させるころまでの彼の成功譚が綴られる。
しっかし、1929年生まれのゴーディJr.と1940年生まれでかつてモータウンの副社長を務めたこともあったはずのスモーキー・ロビンソン(2019年9月20日)は本当に元気。とくに撮影時、80歳代後半だったゴーディJr.の矍鑠な様と言ったなら。また、2人は本当に仲がよく、饒舌。本当によく喋る。いっぱい捨てた撮影テープがあるんだろうな。最後には、2人でモータウン社歌を一緒に歌うシーンも出てくる。そんなのあったんですね。ロビンソンは昨年秋に米国ツアーをしぼくも見に行ったが、この映画は本国では8月公開のようなので、それに合わせたという側面もあったのかな? ところで、スモーキー・ロビンソンはLA移転に大反対だったそうだ。
冒頭ではゴーディJr.のモータウン設立までのことが軽く語られるが、曲作りにも長けた音楽好きであり、まずはレコード屋を始めたもののツブして(それは洗練されたジャズを中心に置き、彼が好まなかった大衆人気を持つブルースを在庫に置かなかったことが敗因であると、本人は自己分析。→それにより、大衆性=ポップとは何かを悟ったそう)しまい、その後に務めたフォードの自動車生産ラインにおける分業体制の効率の良さをを学んだことが、モータウンの会社組織運営に応用されたことが示される。そして、それ以降、モータウンの歩みと主となるアーティストのことが語られる。
モータウンの分業体制の妙とリンクされ、映画は<タレント発掘>とか<アーティスト教育>とか<A&R>とか<ツアー>とか、いくつもの章立てがされて進められる。わりと時系列に紹介されもするので違和感はないし、見やすくはある。終盤は、ゴーディJr.自らが穏健なレーベルのイメージ維持のためにリリースに反対したと語るマーヴィン・ゲイの社会的メッセージ曲「ワッツ・ゴーイン・オン」とからめ、白い米国社会におけるモータウンということにも少し言及される。
とにかく、当時のフォルムや写真は、それだけで胸が高鳴ったり、目が点になったり。スティーヴィー・ワンダー(2005年11月3日、2010年8月8日、2012年3月5日)、ティト・ジャクソン(2010年7月15日、2015年12月5日、2016年8月21日、2019年2月1日)をはじめとする現行ザ・ジャクソンズ(2011年12月13日、2012年12月7日)のメンバー、ブライアン&エディ・ホーランド、マーサ・リーヴスらをはじめ、ドクター・ドレー(モータウンの成功にならい、彼もレコード会社を起こしたそう)やジョン・レジェンド(2005年5月8日)やニール・ヤング(彼はバッファロー・スプリングフィールドのブルース・パーマーやリック・ジェイムズらとマイナー・バーズというバンドを組んでモータウンと契約したことがあった。録音もしたものの、それは未発売。2001年7月28日)など、この映画のために撮り下ろされた関連アーティスト/スタッフたちの発言も随時組み込まれる。管理部門のスタッフには、それなりに白人スタッフがいたことも伝えられる。
映画アタマは、モーター・タウン=自動車産業に支えらた1960年ごろのデトロイトの街を紹介する映像が流されるが、それを見ると本当に華やかキラキラしていて思わずため息。華あるポップ・ミュージックは社会の栄華と繋がったものであるのだと、皮膚感覚で感じてしまう。また、いくつかの土地に飛び、様々な人たちが関与する映画の内容に触れると、新型コロナ流行前に完成した作品だとも痛感する。ドキュメンタリーにせよドラマものにせよ、いろいろ撮影が遅延しているものは今たくさんありそうで、これから新作の数が減ったり、切り口が狭められた内容のものが多くなったりするだろう。
▶︎過去の、スモーキー・ロビンソン
https://43142.diarynote.jp/201909260735539261/
▶過去の、スティーヴィー・ワンダー
http://43142.diarynote.jp/200511130015240000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
▶過去の、ザ・ジャクソンズ/ティト・ジャクソン
http://43142.diarynote.jp/201007161048008489/
http://43142.diarynote.jp/201112201157058751/
https://43142.diarynote.jp/201212131613509711/
http://43142.diarynote.jp/201512091352434769/
https://43142.diarynote.jp/201608241301049887/
https://43142.diarynote.jp/201902020805005099/
▶過去の、ニール・ヤング
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm フジ・ロック
▶過去の、ジョン・レジェンド
http://43142.diarynote.jp/200505141714260000/
▶︎過去の、モータウン絡みの映画
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20060411 ザ・ファンク・ブラザース公演
https://43142.diarynote.jp/200701211122480000/
その後は、渋谷・JZ Blatで、中川ヨウのプロデュースに公演を見る。クラシック・ギター奏者の鈴木大介(2009年10月8日)を主役に置くもの。彼は一般大学に通い、個人師事のもと技量を得て海外コンペティションで好成績を納め、その世界の前線に立つようになった人であるよう。それって、クラシックの世界では珍しいのではないだろうか。そっちには疎いので、よく分からないが。そんな鈴木が、広い視野を持つ働き盛りのジャズ系奏者とたちと協調し、普段は演奏しない曲を披露するという主題を持つ。選曲とアレンジは、彼がしているよう。
なんか飄々とした感じの鈴木をサポートするのは、テナー・サックスの田中邦和(2010年7月1日、2010年12月16日、2012年10月16日、2012年12月11日、2015年12月17日、2016年7月16日、2017年7月8日)、ピアノの林正樹(2013年9月6日、2015年9月27日、2015年12月17日、2016年7月16日、2018年5月13日 、2019年1月7日、2019年10月6日、2019年11月19日、2019年11月21日、2019年12月18日、2020年8月28日)、ダブル・ベースの鈴木正人2003年12月4日、2004年7月6日、2004年11月30日、2005年6月9日、2005年10月30日、2005年11月15日、2007年1月27日、2007年10月17日、2008年1月31日、2009年1月16日、2009年10月31日、2011年3月2日、2011年5月22日、2013年1月29日、2013年2月19日、2013年8月29日、2014年2月20日、2014年4月3日、2014年12月28日、2016年9月27日、2017年9月8日、2018年6月2日)、鈴木大介とは中学校で同級生であったというドラムの大槻"カルタ"英宣(2004年11月30日、2007年11月27日、2010年2月17日、2010年11月26日、2013年7月1日、2013年9月13日、2015年7月23日)という面々だ。
オープナーは、ニコロ・パガニーニの曲を独奏。彼は引きこもり期に、このイタリア人クラシック・ヴァイオリニスト/ギタリストの曲を演奏する映像を次々にあげていたよう。次の鈴木の自作曲は林と鈴木正人が入っての演奏だったが、なるほど曲調はクラシックともジャズとも言い難い。と、思ったら……。
なんと、フルのメンバーでやる3曲めから、鈴木はエレクトリック・ギター(テレキャスターの形だった)を手して、座らずに立って演奏する。足元をいじっている感じはなかったが少しエフェクターも通すなか、彼は一部分を除いてはすべてピック弾きでことをこなす。それ、普段の鈴木のパフォーマンスに接している人だとギョっとなるものではなかったか。もちろんソロを取る場合もあるが、リズム・ギター的演奏とともにアンサンブルを導き、随所でメンバーにソロを取らせていた。林の強弱に満ちた演奏はとくに耳を引いた。
演目はボサっぽい感じのギターの刻みで開かれた「8 1/2」をはじめフェリーニの映画音楽曲を中心に、ニノ・ロータの曲も1曲披露。それらが鈴木大介流の端正さやユーモアとともにさくっと編み込まれた形で送り出される。そこには、原曲をもう一つ別のところに持っていきたいという意思もにじませるか。考えてみれば、1曲演奏したオリジナル以外は皆イタリア人の楽曲を題材に置いていたわけで、このショウは鈴木が感じる年代もジャンルも超えたイタリア的感性を自らのフィルターを通してぽっかりと浮き上がらせるというテーマも抱えているような気がした。とにかく、せっかくの場であるので、通常とは違うものを見せたいという気持ちは大きかったのではないかな。
▶︎過去の、鈴木大介
https://43142.diarynote.jp/200910140952248669/
▶過去の、田中邦和
http://43142.diarynote.jp/201007081547031840/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121211
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
http://43142.diarynote.jp/?day=20160716
https://43142.diarynote.jp/201707101243147840/
▶過去の、林正樹
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
http://43142.diarynote.jp/201607191312426603/
https://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
https://43142.diarynote.jp/201910070759405954/
https://43142.diarynote.jp/201911201705565775/
https://43142.diarynote.jp/201911230723444744/
https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
https://43142.diarynote.jp/202008290914077509/
▶︎過去の、鈴木正人
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm コンボ・ピアノ
http://43142.diarynote.jp/200407062149440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20041130
http://43142.diarynote.jp/?day=20050609
http://43142.diarynote.jp/?day=20051030
http://43142.diarynote.jp/200511221816310000/
http://43142.diarynote.jp/200702010112550000/
http://43142.diarynote.jp/200710181835010000/
http://43142.diarynote.jp/200802051630130000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090116
http://43142.diarynote.jp/?day=20091031
http://43142.diarynote.jp/?day=20110302
http://43142.diarynote.jp/201105230926029205/
http://43142.diarynote.jp/201301311032072367/
http://43142.diarynote.jp/201302201720351212/
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201402210802184994/
http://43142.diarynote.jp/201404050818444425/
http://43142.diarynote.jp/201412301043067796/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160927
http://43142.diarynote.jp/201709110843278416/
https://43142.diarynote.jp/201806051311346158/
▶過去の、大槻“カルタ”英宣
http://43142.diarynote.jp/?day=20041130
http://43142.diarynote.jp/200711290932200000/
http://43142.diarynote.jp/201002191112552825/
http://43142.diarynote.jp/201012051849242327/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130701
http://43142.diarynote.jp/201309161512043853/
https://43142.diarynote.jp/201507251003319800/
<今日の、おつとめ>
国税調査の回答をネットでする。5年おきにやるみたいなので、これをするのは5年ぶりとなるのか? 前回回答したのはもっと昔のような気がするが、まだ5年しかたっていないのか。という気に、今回はなった。前回はネット回答はなかったよな? 間違いなく、楽ですね。
即興session series ~Randam Scapes vol.2.
2020年9月25日 音楽 代官山・晴れたら空に豆まいて で、同店のセッション企画を見る。出演者は、GoRo (Vibelatian)、パーカッションの大多和正樹( 2006年3月24日 、2015年6月24日)と Leo Komazawa(Percussion) 、上野雄次(花いけ)と事前に告知。そこに、さらに1人ヒューマン・ビートボックス/肉声担当の男性が加わった。頭の1時間強は、打楽器2と口を使う2人の思うまま重なり合い。その後は打楽器奏者のデュオを挟み、最後はまた全員でパフォーマンス。打楽器の2人は客席フロア両端に位置するように向かい合う。
GoRoはデュジュリドゥー、横笛、口琴などを担当。 けっこう出音の幅が広く、うまくエフェクターも使っていたのかな。大多和正樹は和主体の打楽器並べ。Leo Komazawa はアフリカ系のパーカッションを中心に並べ、最後のパートは彼のバラフォン演奏から始まった。打楽器の2人はともにロンドン在住とのことだが、一緒にやるのは10年ぶりぐらいらしい。出音の違いをお互い分かりつつ、破綻せずに鼓動を交換しあっていた。
そして、そこに“花いけ”とクレジットされている上野雄次が、客席フロアでパフォーマンス。花いけというのは花の生け花のことと推測され、音楽に合わせて生け花をするのかと思ったら、全然違っていた。まず、上野は会場中に赤い糸を張り巡らし(それ、最初赤い色のレーザー光線を操っているのかと思った。それだけで、パフォーマンスとなっていた)、中央の糸の交錯部分に花束や椅子やライト・スタンドを刺すとというか、くくりつける。それが終了しオブジェが完成すると張り巡らせた赤い糸を切ったり、透明のガムテープでオブジェを巻いたり。その傍若無人な様は子供が見たら大喜びしそうと思った。上野雄次は真面目な生け花をすることもし、人に教えてもいる(中国をはじめ海外にも行って)そうだ。
その総体は見事に、体験。自由もあり。かといって、いい意味での協調もあり、娯楽性も持つ。へえ〜。アンダーブラウンドなアートな催しからレイヴ・パーティまで、いろんな需要がありそうとも思った。
<今日の、そっか>
マスク、トイレット・ペイパーやティッシュ、手の洗浄液や消毒液など、この2、3月以降、薬局で品切れが続いたアイテムはいろいろ。そうした欠品はさすがにもうなくなりつつあるかと思ったら、今体温計が品薄であるのを知る。母のところによく行っている姉から、母用の体温計を購入できないかとの連絡。入手困難らしい。それを受けて、ぼくも近所のドラッグストアを回ったらなるほど売っていない。え〜。この3月に買った家にあるのを持っていってあげたほうがいいのかな。ぼくはと言えば、この4月は微熱が続いた。少し、ビビった。そういえば、今日の入店時検温数値は35度代。何度ですかと聞いたので教えてくれたが、さすがその体温はあり得ない感じなので、計測したほうも自らは***度ですとは伝えないよな。
GoRoはデュジュリドゥー、横笛、口琴などを担当。 けっこう出音の幅が広く、うまくエフェクターも使っていたのかな。大多和正樹は和主体の打楽器並べ。Leo Komazawa はアフリカ系のパーカッションを中心に並べ、最後のパートは彼のバラフォン演奏から始まった。打楽器の2人はともにロンドン在住とのことだが、一緒にやるのは10年ぶりぐらいらしい。出音の違いをお互い分かりつつ、破綻せずに鼓動を交換しあっていた。
そして、そこに“花いけ”とクレジットされている上野雄次が、客席フロアでパフォーマンス。花いけというのは花の生け花のことと推測され、音楽に合わせて生け花をするのかと思ったら、全然違っていた。まず、上野は会場中に赤い糸を張り巡らし(それ、最初赤い色のレーザー光線を操っているのかと思った。それだけで、パフォーマンスとなっていた)、中央の糸の交錯部分に花束や椅子やライト・スタンドを刺すとというか、くくりつける。それが終了しオブジェが完成すると張り巡らせた赤い糸を切ったり、透明のガムテープでオブジェを巻いたり。その傍若無人な様は子供が見たら大喜びしそうと思った。上野雄次は真面目な生け花をすることもし、人に教えてもいる(中国をはじめ海外にも行って)そうだ。
その総体は見事に、体験。自由もあり。かといって、いい意味での協調もあり、娯楽性も持つ。へえ〜。アンダーブラウンドなアートな催しからレイヴ・パーティまで、いろんな需要がありそうとも思った。
<今日の、そっか>
マスク、トイレット・ペイパーやティッシュ、手の洗浄液や消毒液など、この2、3月以降、薬局で品切れが続いたアイテムはいろいろ。そうした欠品はさすがにもうなくなりつつあるかと思ったら、今体温計が品薄であるのを知る。母のところによく行っている姉から、母用の体温計を購入できないかとの連絡。入手困難らしい。それを受けて、ぼくも近所のドラッグストアを回ったらなるほど売っていない。え〜。この3月に買った家にあるのを持っていってあげたほうがいいのかな。ぼくはと言えば、この4月は微熱が続いた。少し、ビビった。そういえば、今日の入店時検温数値は35度代。何度ですかと聞いたので教えてくれたが、さすがその体温はあり得ない感じなので、計測したほうも自らは***度ですとは伝えないよな。
R.I.P.パメラ・ハッチンソン(1958年〜2020年9月18日)
2020年9月21日 音楽 スタックスからデビューし、その後モウリス・ホワイトに認められ彼の制作でブレイクとした姉妹ヴォーカル・グループであるザ・エモーションズ(2006年10月30日、2009年4月15日)の、途中から入った末妹のパメラ・ハッチンソンがお亡くなりになった。ずっと、闘病中であったよう。好ヒット曲の「ベスト・オブ・マイ・ラヴ」を含む、E.W.&F.(2006年1月19日、2012年5月17 日)の中枢奏者たちのサポートによる『Rejoice』(コロムビア、77年)は彼女が入ってからのレコードだった。確か、参加していたギタリストのアル・マッケイ(2008年3月21日、2011年9月15日、2012年9月12日、2012年12月28日、2014年11月27日)もあのアルバムはいいよと言っていたと記憶する。
▶︎過去の、ザ・エモーションズ
https://43142.diarynote.jp/200611020837020000/
https://43142.diarynote.jp/200904211952514994/
▶過去の、E.W.&.F.
http://43142.diarynote.jp/200601271855390000/
http://43142.diarynote.jp/201205301252113538/
▶過去の、アル・マッケイ
http://43142.diarynote.jp/200804030045430000/
http://43142.diarynote.jp/201109171048385669/
http://43142.diarynote.jp/201209191235365909/
http://43142.diarynote.jp/201301051329276221/
http://43142.diarynote.jp/201412011305372891/
https://43142.diarynote.jp/201602290953239524/
<ここのところの、変化>
世は、4連休の最中。ぼくとしては、かなり涼しくなってきた〜ほとんど、エアコンを使わなくなった〜なというのが、うれしい。
▶︎過去の、ザ・エモーションズ
https://43142.diarynote.jp/200611020837020000/
https://43142.diarynote.jp/200904211952514994/
▶過去の、E.W.&.F.
http://43142.diarynote.jp/200601271855390000/
http://43142.diarynote.jp/201205301252113538/
▶過去の、アル・マッケイ
http://43142.diarynote.jp/200804030045430000/
http://43142.diarynote.jp/201109171048385669/
http://43142.diarynote.jp/201209191235365909/
http://43142.diarynote.jp/201301051329276221/
http://43142.diarynote.jp/201412011305372891/
https://43142.diarynote.jp/201602290953239524/
<ここのところの、変化>
世は、4連休の最中。ぼくとしては、かなり涼しくなってきた〜ほとんど、エアコンを使わなくなった〜なというのが、うれしい。
JAL国際線オーディオ25チャンネル<Jazz>。9〜10月の選曲。
2020年9月20日 音楽“Waltz A La Carte”。ワルツのジャズ曲を集めました。
1)It’s a Raggy Waltz / The Dave Brubeck Quartet 『Time Further Out』(Columbia,1961)
2)Waltz for Mary / John Williams 『Wellcome Back』(M&I,2000)
3)Waltz for Debby / Eliane Elias『Something For You』(Somethin’ Else,2007)
4)3 Views of a Secret / Jaco Pastprious『The Birthday Concert』(Warner Brothers,1995. recoerded 1981)
5)Little Waltz for M / 渡辺貞夫 『ヴォアジャンド』(ユニバーサル,1998)
6)Fascinatio / Nat King Cole (Capitol,1966)
7)Someday My Preice Will Come / The Great Jazz Trio『Someday My Prince Will Come』(Eighty-Eight’s,2003)
8)Carole’s Waltz / Denny Zeitlin『Shining Hour - Live At The Trident』(Columbia,1966)
9)Traveler’s Waltz / Robben Ford『Bringing It Back Home』(Provogue,2013)
10)Jammin’s the Waltz / Bobby Hackett And His Orchestra 『The Hackett Horn』(Epic,1972. . recoerded ??)
1)It’s a Raggy Waltz / The Dave Brubeck Quartet 『Time Further Out』(Columbia,1961)
2)Waltz for Mary / John Williams 『Wellcome Back』(M&I,2000)
3)Waltz for Debby / Eliane Elias『Something For You』(Somethin’ Else,2007)
4)3 Views of a Secret / Jaco Pastprious『The Birthday Concert』(Warner Brothers,1995. recoerded 1981)
5)Little Waltz for M / 渡辺貞夫 『ヴォアジャンド』(ユニバーサル,1998)
6)Fascinatio / Nat King Cole (Capitol,1966)
7)Someday My Preice Will Come / The Great Jazz Trio『Someday My Prince Will Come』(Eighty-Eight’s,2003)
8)Carole’s Waltz / Denny Zeitlin『Shining Hour - Live At The Trident』(Columbia,1966)
9)Traveler’s Waltz / Robben Ford『Bringing It Back Home』(Provogue,2013)
10)Jammin’s the Waltz / Bobby Hackett And His Orchestra 『The Hackett Horn』(Epic,1972. . recoerded ??)
R.I.P.ロイ・C(1939年8月3日〜2020年9月16日)
2020年9月19日 音楽 ソウル・シンガーのロイ・C(ロイ・チャールズ・ハモンド)が、お亡くなりになった。シンガーと書いてしまうと、語弊があるか。彼はたっぷりした声で歌う(ときにファルセットも使う)だけでなく、しっかり曲も書き、アレンジもこなす人であったから。1950年代後期から活動をしていたが、一般的に知られるのはマーキューリーと契約していた1970年代か。彼はジョージア州出身だが、サザン・ソウル的ながっちり感と当時の都会性をうまく秤にかけたような表現を送りだした。『Sex and Soul』(1973年)、さらに一作置いて『More Sex and More Soul』(1977年)という艶ジャケを持つアルバムを出したこともあった。もう少し後になると、少しレゲエぽいことをしたこともあったと記憶する。なんにせよ、諧謔に富む表現者であったのは間違いない。
あと、ロイ・Cというと、「Impeach the President 」という曲。ハニー・ドリッパーズというクイーンズのジャマイカ高校のグループとともに1973年に吹き込んだ、ウォーターゲート事件を題材にしたファンキー曲を発表したことがり、それはヒップホップ/R&B曲のサンプリングの最たる大ネタになっている。先にセクシャル路線のことに触れたが、彼は人種差別や時事ネタに触れる人でもあったよう(←この部分、未検証)。
ニューヨークの後は、サウスキャロライナ州のアレンデールに住み、音楽活動をするとともに、レコード店をしていたこともあったようだ。死因は発表されていない。
<今日の、顔の覆い>
今年の2月まで、マスクをすることはなかった。それは、なんとなく窮屈であると感じるとともに、眼鏡をかけているとマスクがすぐに曇るからだった。塩梅、よくないよね。だが、ずっとかけるようになると、曇りにくくなっているのは確か。それは、自然にそうならないような呼吸の仕方を学習しているからか? でも、また寒くなったら、メガネは曇るようになるのだろうか。
あと、ロイ・Cというと、「Impeach the President 」という曲。ハニー・ドリッパーズというクイーンズのジャマイカ高校のグループとともに1973年に吹き込んだ、ウォーターゲート事件を題材にしたファンキー曲を発表したことがり、それはヒップホップ/R&B曲のサンプリングの最たる大ネタになっている。先にセクシャル路線のことに触れたが、彼は人種差別や時事ネタに触れる人でもあったよう(←この部分、未検証)。
ニューヨークの後は、サウスキャロライナ州のアレンデールに住み、音楽活動をするとともに、レコード店をしていたこともあったようだ。死因は発表されていない。
<今日の、顔の覆い>
今年の2月まで、マスクをすることはなかった。それは、なんとなく窮屈であると感じるとともに、眼鏡をかけているとマスクがすぐに曇るからだった。塩梅、よくないよね。だが、ずっとかけるようになると、曇りにくくなっているのは確か。それは、自然にそうならないような呼吸の仕方を学習しているからか? でも、また寒くなったら、メガネは曇るようになるのだろうか。
笹久保伸(+ガブリエラ・ベルトラミノ、青木大輔)
2020年9月18日 音楽 秩父を活動拠点に置く偉才、笹久保伸(2013年8月29日、2014年5月24日、2014年12月12日、2017年2月4日、2018年6月3日、2019年11月24日)の公演を、代官山・晴れたら空に豆まいて で見る。
1部は、この初春にリリースした新作『PERSPECTIVISM』(CHICHIBU)収録曲を中心に披露するソロ演奏。そのオープナー、とっても迸り感が強くて唸る。その奥には、人前で演奏するのを持っていたという気持ちが透けて見えるとような。この後、彼は3カ所のツアーに出るという。1人で弾いているとは思えない、南米のフォークロアを基に情豊かに自在に広がるアコースティック・ギター演奏は本当に純度が高い。途中で、笹久保と仲のよい詩人の方に唐突に話を振り、即興で一緒にやる場面もあった。
2部には2人のゲストが入り、それぞれデュオでパフォーマンス。
まず、前半はアルゼンチン人シンガーのガブリエラ・ベルトラミノが出てくる。とても綺麗な人でうれしくなったが、彼女は米国を経て、この2月に東京にやってきて(ホテルで歌う仕事で来日したよう)、帰れなくなってしまいそのまま滞在しているという。5曲だったか、アルゼンチンの曲をはじめとするスペイン語の歌唱を堂々と聞かせる。喉力と表現力ある、いい歌い手。と思いつつ、いささか驚きもする。というのも、バンドキャンプで聞くことができる彼女の2013年作『Senses』はブエノスアイレス録音ながら、勘所を押さえた完全なアメリカ流儀のジャズ・ヴォーカル・アルバム。スタンダードを中心に彼女のオリジナルも3曲入っているが、そちらも英語で歌われるジャズ・チューンだ。それを聞くと、優秀なジャズ・シンガーであることが分かる。実際、今日のような歌は普段歌っていないそうで、見ていない感じだったが、歌詞カードも置いていた。
そのあとは、入れ替わって、サンポーニャの青木大輔とのデュオがなされる。2人は2歳違いらしいが、笹久保が13歳のころからよく知っていて、演奏し合う間柄であったそう。そのころ笹久保はギターだけでなく、笛などもやっていたそうな。群馬県人の青木はペルーから働きにきていた人からサンポーニャの手ほどきを受けたとのこと。サンポーニャというのは高地の楽器で風の音を出す楽器というような説明もされたが、とってもアグレッシヴな吹き方をする場合もあって、とっても表現の幅の広さを感じる演奏をする。アンコールは3人で、アルゼンチンの曲を披露した。その像、生理的にとっても聞き手を誘い、包む感じがあった。
▶過去の、笹久保伸
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201405271717357738/
http://43142.diarynote.jp/201412281015581474/
http://43142.diarynote.jp/201702081153548285/
http://43142.diarynote.jp/201710061415044353/
https://43142.diarynote.jp/201806051522321880/
https://43142.diarynote.jp/201911251210191459/
<今日の、久しぶり>
3月下旬にライヴが行われなくなる前に行った最後のハコが、晴れたら空に豆まいて だったんだよなあ。2020年3月16日、か。日経新聞夕刊にライヴ評を書きもしたが、ルイーザ・ソブラル+Saigenjiの、戒厳令(?)前という緊張感あるなかでの実演はやはり強く印象に残っている。その後、このヴェニューはクラウドファウンディングを開き、1300万円弱が集まったとのこと。出演者にせよお客にしろ、多くの人から愛される音楽バコの面目躍如だな。ライヴ・ハウスに光あれ、と思わずにはいられなかった。まだ、入場者数限定(配信あり)ではあるが。
ところで、英語も普通に話すベルトラミノ嬢は研究者だった父親が米国の大学に行ったため、子供のころ4年間アメリカ(ヴァージニア州って言っていたっけ?)に住んだことがるそう。2日前には小沼ようすけや沼澤尚ら(2020年7月9日)のJIROKICHIでの配信ライヴに加わり、その際は自分のオリジナルを歌ったとのこと。それらは英語ではなくスペイン語の曲だそうで、かつてのジャズ一辺倒の姿勢から変化が出ているのかもしれない。でも、本来出していた即興的な方向も出したのではないか。当面は東京にいるつもりのようで、また彼女の歌を聞いてみたいな。
▶︎直近の、小沼ようすけトリオ+沼澤尚
https://43142.diarynote.jp/202007101304204766/
1部は、この初春にリリースした新作『PERSPECTIVISM』(CHICHIBU)収録曲を中心に披露するソロ演奏。そのオープナー、とっても迸り感が強くて唸る。その奥には、人前で演奏するのを持っていたという気持ちが透けて見えるとような。この後、彼は3カ所のツアーに出るという。1人で弾いているとは思えない、南米のフォークロアを基に情豊かに自在に広がるアコースティック・ギター演奏は本当に純度が高い。途中で、笹久保と仲のよい詩人の方に唐突に話を振り、即興で一緒にやる場面もあった。
2部には2人のゲストが入り、それぞれデュオでパフォーマンス。
まず、前半はアルゼンチン人シンガーのガブリエラ・ベルトラミノが出てくる。とても綺麗な人でうれしくなったが、彼女は米国を経て、この2月に東京にやってきて(ホテルで歌う仕事で来日したよう)、帰れなくなってしまいそのまま滞在しているという。5曲だったか、アルゼンチンの曲をはじめとするスペイン語の歌唱を堂々と聞かせる。喉力と表現力ある、いい歌い手。と思いつつ、いささか驚きもする。というのも、バンドキャンプで聞くことができる彼女の2013年作『Senses』はブエノスアイレス録音ながら、勘所を押さえた完全なアメリカ流儀のジャズ・ヴォーカル・アルバム。スタンダードを中心に彼女のオリジナルも3曲入っているが、そちらも英語で歌われるジャズ・チューンだ。それを聞くと、優秀なジャズ・シンガーであることが分かる。実際、今日のような歌は普段歌っていないそうで、見ていない感じだったが、歌詞カードも置いていた。
そのあとは、入れ替わって、サンポーニャの青木大輔とのデュオがなされる。2人は2歳違いらしいが、笹久保が13歳のころからよく知っていて、演奏し合う間柄であったそう。そのころ笹久保はギターだけでなく、笛などもやっていたそうな。群馬県人の青木はペルーから働きにきていた人からサンポーニャの手ほどきを受けたとのこと。サンポーニャというのは高地の楽器で風の音を出す楽器というような説明もされたが、とってもアグレッシヴな吹き方をする場合もあって、とっても表現の幅の広さを感じる演奏をする。アンコールは3人で、アルゼンチンの曲を披露した。その像、生理的にとっても聞き手を誘い、包む感じがあった。
▶過去の、笹久保伸
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201405271717357738/
http://43142.diarynote.jp/201412281015581474/
http://43142.diarynote.jp/201702081153548285/
http://43142.diarynote.jp/201710061415044353/
https://43142.diarynote.jp/201806051522321880/
https://43142.diarynote.jp/201911251210191459/
<今日の、久しぶり>
3月下旬にライヴが行われなくなる前に行った最後のハコが、晴れたら空に豆まいて だったんだよなあ。2020年3月16日、か。日経新聞夕刊にライヴ評を書きもしたが、ルイーザ・ソブラル+Saigenjiの、戒厳令(?)前という緊張感あるなかでの実演はやはり強く印象に残っている。その後、このヴェニューはクラウドファウンディングを開き、1300万円弱が集まったとのこと。出演者にせよお客にしろ、多くの人から愛される音楽バコの面目躍如だな。ライヴ・ハウスに光あれ、と思わずにはいられなかった。まだ、入場者数限定(配信あり)ではあるが。
ところで、英語も普通に話すベルトラミノ嬢は研究者だった父親が米国の大学に行ったため、子供のころ4年間アメリカ(ヴァージニア州って言っていたっけ?)に住んだことがるそう。2日前には小沼ようすけや沼澤尚ら(2020年7月9日)のJIROKICHIでの配信ライヴに加わり、その際は自分のオリジナルを歌ったとのこと。それらは英語ではなくスペイン語の曲だそうで、かつてのジャズ一辺倒の姿勢から変化が出ているのかもしれない。でも、本来出していた即興的な方向も出したのではないか。当面は東京にいるつもりのようで、また彼女の歌を聞いてみたいな。
▶︎直近の、小沼ようすけトリオ+沼澤尚
https://43142.diarynote.jp/202007101304204766/
R.I.P.シド・マックレイ(〜2020年9月9日)
2020年9月14日 音楽 チョコレート・シティ=ワシントンD.C.のハード・コア・パンク・バンド、バッド・ブレインズ(2009年7月25日)のオリジナル・シンガーであるシド・マックレイの訃報が届いた。高校時代のダチで組まれた前身バンドは、1976〜77年の結成。当初彼らはジャズ・フュージョンのコピーをやっていたようだが、当時盛り上がりつつあったパンク・ムーヴメントに目を向けたマックレイの提案により大きく指針を変えた。1990年ごろブラック・ロックに熱を入れていたぼくはその流れでバッド・ブレインズのアルバムを買い漁った(そのころはヴァージン傘下のキャロラインからアルバムを出し、その後エピックからもCDを出した)が、初期作からヴォーカルを取っていたのはソロ・アルバムも数作出しているH.R.(彼の弟が、同バンドのアール・ハドソン)。バッド・ブレインズというとレゲエ色を持つことでも知られるが、それはH.R.に代わってかららしい。だが、マックレイの訃報はいろんな媒体で紹介されており、多くの人の記憶に残っているのが分かる。その歌声をまったく聞いたことがないぼくが彼の死を書きとめようと思ったのは、訃報記事に掲載されたそれなりに年をとってからの彼の写真が格好良かったため。バッド・ブレインズの2017年のギグで、7人の子供を得たマックレイは、最後に会ってから39年年ぶりに彼らと再会したという。
▶︎過去の、バッド・ブレインズ
https://43142.diarynote.jp/200908180045212538/
<今日は、がんばった。オレとしては>
書類仕事がまっく苦手なぼくではあったが、周囲のすすめに負けて、やっと持続化給付金の申請をした。毎年お世話になっている税理士に丸投げしちゃおうかと思ったが、必要書類をPDFで送ってくれたので、トライ。とはいえ、自分で悪戦苦闘するのはやなこった(←なら、もらわなくてもいいよ〜ん)ということで、経済産業省が出している最寄りの<申請サポートセンター>に行き、スキャン作業とかも〜うちのはレーザー・プリンター単体器なので、スキャナーなんぞも持っていないし〜全部やってもらうなど親切に対処していただき約30分で全手続き終了。その会場は当日ですぐに予約が取れたし、ぼく以外に会場を訪れた人はいなかった。何人もいたスタッフ(皆、若め)は手持ちぶさたそうであった。
▶︎過去の、バッド・ブレインズ
https://43142.diarynote.jp/200908180045212538/
<今日は、がんばった。オレとしては>
書類仕事がまっく苦手なぼくではあったが、周囲のすすめに負けて、やっと持続化給付金の申請をした。毎年お世話になっている税理士に丸投げしちゃおうかと思ったが、必要書類をPDFで送ってくれたので、トライ。とはいえ、自分で悪戦苦闘するのはやなこった(←なら、もらわなくてもいいよ〜ん)ということで、経済産業省が出している最寄りの<申請サポートセンター>に行き、スキャン作業とかも〜うちのはレーザー・プリンター単体器なので、スキャナーなんぞも持っていないし〜全部やってもらうなど親切に対処していただき約30分で全手続き終了。その会場は当日ですぐに予約が取れたし、ぼく以外に会場を訪れた人はいなかった。何人もいたスタッフ(皆、若め)は手持ちぶさたそうであった。
R.I.P.エドナ・ライト(1942〜2020年)
2020年9月13日 音楽 モータウンから離れた名制作チームであるホーランド/ドジャー/ホーランドが設立したホット・ワックスが送り出した女性3人組ヴォーカル・グループ、ハニー・コーンのリード・シンガーだったエドナ・ライトが亡くなった。9月12日にソーシャル・メディアで発表されたが、死因などは明らかになっていない。ハニー・コーンの活動期は、1960年代後半から数年間。他の2人は、キャロリン・ウィルスとシェリー・クラーク。クラークは、E.W.&F.(2006年1月19日、2012年5月17 日)のヴァーディン・ホワイトの奧さんになった。一方、ライトはインヴィクタスのキーボード奏者で曲作りもしていたグレッグ・ペリーと結婚した。そのペリーは1970年代中期にカサブランカとRCAから充実したリーダー作を出してもいる。
ハニー・コーンは、おきゃんにポップに弾けていた好グループであり、ゴールドワックス発の4作品は今も傾聴すべき味を持つ。なんか、ぼくは女性版ジャクソン5みたいな趣も感じた。また、そのファースト作のタイトル・トラック「テイク・ミー・ウィズ・ユー」はなんかアリサ・フランクリンの「リスペクト」を参照したような味もあった。
エドナの姉はポップ歌手の(フィル・スペクター絡みの活動ほか。彼女の2015年作は、スティーヴン・ヴァン・ザントのプロデュースだ)ダーレン・ラヴ(本名、ダーレン・ライト。1941年生まれ)、彼女たちの父親は牧師だった。ライトは1枚だけだが、リーダー・アルバム『Oops! Here I Go Again』(RCA)を1977年にリリース。ディスコ・ミュージックの華やかさを少し引き継ぐ方向性のもと、可愛らしいという形容もありなヴォーカルをのせていた。レイ・パーカーJr. (2005年3月8日、2011年5月17日、2012年9月8日、2018年3月28日、2020年1月16日)の妙技で始まるタイトル曲は、デ・ラ・ソウル1991年曲「パス・ザ・プラグス」のサンプリングによって知る人がいるかな。そのアルバム、もちろん音楽ディレクションはペリーがしていた。LAネイティヴの彼女はスタジオの仕事もよくやっていて、アル・クーパー『ニューヨーク・シティ(ユーアー・ア・ウーマン)』、ウェザー・リポート『ミステリアス・トラヴェラー』、U2(2006年12月4日)『ラトル・アンド・ハム』など、いろんなアルバムにその名が見られる。
▶過去の、E.W.&.F.関連
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm フィリップ・ベイリー
http://43142.diarynote.jp/200601271855390000/ E.W.&.F.
http://43142.diarynote.jp/200803051002560000/ モーリス・プレジャー
http://43142.diarynote.jp/200804030045430000/ アル・マッケイ
http://43142.diarynote.jp/200910021138591223/ ラリー・ダン シェルドン・レイノルズ
http://43142.diarynote.jp/201011140051119042/ フィリップ・ベイリー モーリス・プレジャー
http://43142.diarynote.jp/201109171048385669/ アル・マッケイ
http://43142.diarynote.jp/201207031311348277/ モーリス・プレジャー
http://43142.diarynote.jp/201209191235365909/ アル・マッケイ
http://43142.diarynote.jp/201301051329276221/ アル・マッケイ
http://43142.diarynote.jp/201205301252113538/ E.W.&.F.
http://43142.diarynote.jp/201412011305372891/ アル・マッケイ
https://43142.diarynote.jp/201602290953239524/ アル・マッケイ
▶︎過去の、レイ・パーカーJr.
http://43142.diarynote.jp/200503120546520000/
http://43142.diarynote.jp/201105181052427410/
http://43142.diarynote.jp/201209191209186663/ ジョー・サンプル&ザ・クリオール・ジョー・バンド
https://43142.diarynote.jp/201803290839504415/
https://43142.diarynote.jp/202001181114377911/
▶過去の、U2
http://43142.diarynote.jp/200612070141170000/
<今日の、再議>
日曜日だけ入る、スパムがこのところある。勤め人がちまちまやっていたりしてとか思うと、少し滑稽で、それに対する悪意が弱まる。
ハニー・コーンは、おきゃんにポップに弾けていた好グループであり、ゴールドワックス発の4作品は今も傾聴すべき味を持つ。なんか、ぼくは女性版ジャクソン5みたいな趣も感じた。また、そのファースト作のタイトル・トラック「テイク・ミー・ウィズ・ユー」はなんかアリサ・フランクリンの「リスペクト」を参照したような味もあった。
エドナの姉はポップ歌手の(フィル・スペクター絡みの活動ほか。彼女の2015年作は、スティーヴン・ヴァン・ザントのプロデュースだ)ダーレン・ラヴ(本名、ダーレン・ライト。1941年生まれ)、彼女たちの父親は牧師だった。ライトは1枚だけだが、リーダー・アルバム『Oops! Here I Go Again』(RCA)を1977年にリリース。ディスコ・ミュージックの華やかさを少し引き継ぐ方向性のもと、可愛らしいという形容もありなヴォーカルをのせていた。レイ・パーカーJr. (2005年3月8日、2011年5月17日、2012年9月8日、2018年3月28日、2020年1月16日)の妙技で始まるタイトル曲は、デ・ラ・ソウル1991年曲「パス・ザ・プラグス」のサンプリングによって知る人がいるかな。そのアルバム、もちろん音楽ディレクションはペリーがしていた。LAネイティヴの彼女はスタジオの仕事もよくやっていて、アル・クーパー『ニューヨーク・シティ(ユーアー・ア・ウーマン)』、ウェザー・リポート『ミステリアス・トラヴェラー』、U2(2006年12月4日)『ラトル・アンド・ハム』など、いろんなアルバムにその名が見られる。
▶過去の、E.W.&.F.関連
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm フィリップ・ベイリー
http://43142.diarynote.jp/200601271855390000/ E.W.&.F.
http://43142.diarynote.jp/200803051002560000/ モーリス・プレジャー
http://43142.diarynote.jp/200804030045430000/ アル・マッケイ
http://43142.diarynote.jp/200910021138591223/ ラリー・ダン シェルドン・レイノルズ
http://43142.diarynote.jp/201011140051119042/ フィリップ・ベイリー モーリス・プレジャー
http://43142.diarynote.jp/201109171048385669/ アル・マッケイ
http://43142.diarynote.jp/201207031311348277/ モーリス・プレジャー
http://43142.diarynote.jp/201209191235365909/ アル・マッケイ
http://43142.diarynote.jp/201301051329276221/ アル・マッケイ
http://43142.diarynote.jp/201205301252113538/ E.W.&.F.
http://43142.diarynote.jp/201412011305372891/ アル・マッケイ
https://43142.diarynote.jp/201602290953239524/ アル・マッケイ
▶︎過去の、レイ・パーカーJr.
http://43142.diarynote.jp/200503120546520000/
http://43142.diarynote.jp/201105181052427410/
http://43142.diarynote.jp/201209191209186663/ ジョー・サンプル&ザ・クリオール・ジョー・バンド
https://43142.diarynote.jp/201803290839504415/
https://43142.diarynote.jp/202001181114377911/
▶過去の、U2
http://43142.diarynote.jp/200612070141170000/
<今日の、再議>
日曜日だけ入る、スパムがこのところある。勤め人がちまちまやっていたりしてとか思うと、少し滑稽で、それに対する悪意が弱まる。
オハイオ・ファンクの実を示す、1975年オハイオ州デイトンで結成されたスレイヴのオリジナル・メンバーだったダニー・ウェブスターが61歳で亡くなったよう。若っ、ああバンド叩き上げ。ギターとヴォーカルを担当。スレイヴは1990年代中期まで活動したが、ずっとウェブスターは在籍した。残念ながら、彼に関するパーソナルな情報を出している記事はない。
スレイヴは1977年以降長年にわたりアトランティック傘下のコティリオンからアルバムを出し続け、最後のほうはその頃ヴェテラン再生レーベルとして評判を取っていたイチバンと契約した。ホーン隊も擁するスレイヴはまずベース音が目立ちそれがサウンドの屋台骨を担っていたという印象も持つが、そのベーシストのマーク・レスリーは2011年に51歳で、またもう一人いたギタリストのマーク・ヒックス(目立つギター音は彼が弾いていた)も同じく2011年に52歳で亡くなっている。全盛期に在籍したシンガーのスティーヴ・アーリントンが2015年に来日公演(2015年10月21日 )をし、それを見ることができたのは僥倖であった。
▶︎過去の、スティーヴ・アーリントン
https://43142.diarynote.jp/201510231147209287/
レゲエ・シンガーの中で一番サザン・ソウルに近づいていた偉才、トゥーツ・ヒバート(2004年9月17日)がキングストンの病院で亡くなくなった。この2週間、Covid-19の検査で陽性となり、集中治療を受けていたという報道もある。子だくさんだったが、遺族は病院や医療従事者に謝意を表明しているという。英国のプレスがいろいろ訃報を報じているのは、レゲエのアーティストらしい。あーん。僕にとってのトゥーツは、何はなくとも、コレ→
https://www.youtube.com/watch?v=Or2_x8hsGTs また、「54-46 Was My Number」も聞いて。
▶過去の、トゥーツ&ザ・メイタルズ
http://43142.diarynote.jp/200410071540230000/
▶︎過去の、彼が出てくる映画「ハーダー・ゼイ・カム」
https://43142.diarynote.jp/201405230833199357/
<今日の、うーんとうなる大作>
あーあ、今日も訃報を書いてしまった。
ところで。9月28日にアルテスパブリッシングから刊行されるカエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日、2016年10月9日)の自伝「熱帯の真実」(https://artespublishing.com/shop/books/86559-218-4/)のPDFを送っていただいた。国安真奈訳。うわあ、すごい量。全544ページとか。1997年にブラジルで刊行されたものにプラスして、20周年記念版(2017年)の長〜い序文を加えたものであるという。当然、まだ少ししか読んでいないが、なにゆえにカエターノはカエターノのであるのかという生理の万華鏡のようなものがあるのはすぐに了解できるし、これは挑戦(いや、実際そういう感じだ)のしがいがあるなとも思わずにはいられない。まあ、ザ・ビートルズに匹敵するようなものを創作している現存唯一の音楽家ですからね。これに合わせてプレイリストも組まれている。https://artespublishing.com/news/vt_playlist/
やっぱり、長生きするのって、すばらしいことだよな。
▶︎過去の、カエターノ・ヴェローゾ
http://43142.diarynote.jp/200506021846130000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161009
スレイヴは1977年以降長年にわたりアトランティック傘下のコティリオンからアルバムを出し続け、最後のほうはその頃ヴェテラン再生レーベルとして評判を取っていたイチバンと契約した。ホーン隊も擁するスレイヴはまずベース音が目立ちそれがサウンドの屋台骨を担っていたという印象も持つが、そのベーシストのマーク・レスリーは2011年に51歳で、またもう一人いたギタリストのマーク・ヒックス(目立つギター音は彼が弾いていた)も同じく2011年に52歳で亡くなっている。全盛期に在籍したシンガーのスティーヴ・アーリントンが2015年に来日公演(2015年10月21日 )をし、それを見ることができたのは僥倖であった。
▶︎過去の、スティーヴ・アーリントン
https://43142.diarynote.jp/201510231147209287/
レゲエ・シンガーの中で一番サザン・ソウルに近づいていた偉才、トゥーツ・ヒバート(2004年9月17日)がキングストンの病院で亡くなくなった。この2週間、Covid-19の検査で陽性となり、集中治療を受けていたという報道もある。子だくさんだったが、遺族は病院や医療従事者に謝意を表明しているという。英国のプレスがいろいろ訃報を報じているのは、レゲエのアーティストらしい。あーん。僕にとってのトゥーツは、何はなくとも、コレ→
https://www.youtube.com/watch?v=Or2_x8hsGTs また、「54-46 Was My Number」も聞いて。
▶過去の、トゥーツ&ザ・メイタルズ
http://43142.diarynote.jp/200410071540230000/
▶︎過去の、彼が出てくる映画「ハーダー・ゼイ・カム」
https://43142.diarynote.jp/201405230833199357/
<今日の、うーんとうなる大作>
あーあ、今日も訃報を書いてしまった。
ところで。9月28日にアルテスパブリッシングから刊行されるカエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日、2016年10月9日)の自伝「熱帯の真実」(https://artespublishing.com/shop/books/86559-218-4/)のPDFを送っていただいた。国安真奈訳。うわあ、すごい量。全544ページとか。1997年にブラジルで刊行されたものにプラスして、20周年記念版(2017年)の長〜い序文を加えたものであるという。当然、まだ少ししか読んでいないが、なにゆえにカエターノはカエターノのであるのかという生理の万華鏡のようなものがあるのはすぐに了解できるし、これは挑戦(いや、実際そういう感じだ)のしがいがあるなとも思わずにはいられない。まあ、ザ・ビートルズに匹敵するようなものを創作している現存唯一の音楽家ですからね。これに合わせてプレイリストも組まれている。https://artespublishing.com/news/vt_playlist/
やっぱり、長生きするのって、すばらしいことだよな。
▶︎過去の、カエターノ・ヴェローゾ
http://43142.diarynote.jp/200506021846130000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161009
クール&ザ・ギャング(2014年12月26日、2016年2月23日、2017年10月10日)の各種サックス/フルート奏者でソング・ライティングにも長けたロナルド・ベルが、お亡くなりになった。彼はイスラム教徒で、カーリス・バイヤンという名前でも知られる。アメリカ領ヴァージン諸島の自宅で、突然死したという。共作とはいえ「ジャングル・ブギー」、「サマー・マッドネス」、「セレブレーション」、「チェリッシュ」などなど、けっこう印税で悠々自適の生活をしていたのではないか。クール&ザ・ギャングには1980年代ごろまで絡み、子供は10人いたという。享年68は若い。クール&ザ・ギャンギのリーダーにしてベーシストである兄のロバート”クール”ベルらと前身バンドを立ち上げたときは、ローティーンだったんだな。
▶過去の、クール&ザ・ギャング/J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/200611281428510000/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201403051230433466/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201412291146465218/
http://43142.diarynote.jp/201508051544452721/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201602290953239524/
https://43142.diarynote.jp/201710121703595237/
夜、歌とギターの村田匠(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年2月11日、2013年8月24日、2014年5月3日、2014年6月15日、2016年2月11日、2016年5月22日、2016年12月1日、2017年2月11日、2018年2月11日、2018年6月17日、2019年2月11日)率いるグループの公演を見る。リーダーに加え、ギター、キーボード(2019年8月6日)、ドラム、菅アレンジもするアルト・サックスほかホーン3人、ベース、パーカッション3人、計11人の陣容で、ことにあたる。サンバ・ダンサーも一人、時々出てくる。
渋谷・デュオ・ミュージック・エクスチェンジ。彼らの単独ライヴは長い。各1時間以上のセットを休憩を挟んで2つがっつりやるものなあ。そして、アンコールも。この晩はこういう時勢ゆえ1ショウ構成だったが、ゆうに2時間は超えていた。というのも、村田は曲間ごとにMCするだけでなく、曲間に撮り下ろし映像を流したり、全員による小芝居を入れたり(まあ、よく考えるナとは思う)もするから。それは確かに他のバンドとの差別化をうながすことに繋がるが、オレたち如才ないでしょ、楽しいでしょというアピールのようなものがが鼻につかなくもなく、MCをはじめもう少し抑えればいいのにと思う。遊び心はすんごい大事と常々思っているが、ぼくは音楽に関してはキマジメなのか、そう感じてしまう。
とはいえ、ブラス音と打楽器音を効果的に用いる賑やかしのポップ表現には、華と純真のようなものがたっぷり。とともに、彼らだけに限らずここのところライヴを観ると感じるのだが、いい意味での音楽愛のようなものが浮き上がる。音楽活動がままならぬなか、<どうして自分は音楽をするのか>、<なぜ聞き手は音楽を欲するのか>、<どう音楽と受け手と向き合えばいいのか>ということに音楽家の諸氏は自問自答する傾向にあるだろう。それは、今後の活動にプラスにならないはずがない。
途中で、彼らと共作曲を作っているサンパウロ(リオから移ったらしい)のガブリエル・モウラ(2016年10月8日)とリモートで重なるパートが出てきてびっくり。時差はちょうど12時間、向こうは午前9時だそうだ。ステージ背後に映し出される同じトラックのもと歌ったりラップしたりするモウラの映像に合わせてカルナバケーションがパフォーマンスする曲が2曲(うち、アマゾンの熱帯雨林火災を題材とする曲は新曲だそう)披露され、またその間にはモウラへのインタヴューのコーナーがあり、そこで彼は求めに対して1曲ギター弾き語り(ほぼ、ギターの音は聞こえなかったけど)もした。うわあ、これはうれしい。とともに、しっかりこんなこと用意できるカルナバケーションもやはり素敵すぎると思わずにはいられず。しかし、このリモート共演、まったく違和感なし。お互いの信頼、太いなあ。いえ〜い。
▶過去の、サンバマシーンズ/カルナバケーション/カンタス村田関連
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201105140858559432/
http://43142.diarynote.jp/201206120854205300/
http://43142.diarynote.jp/201211151028209850/
http://43142.diarynote.jp/201302181123344904/
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160211
http://43142.diarynote.jp/201605240833401202/
https://43142.diarynote.jp/201806181751451387/
https://43142.diarynote.jp/201902141412599444/
https://43142.diarynote.jp/202002120812258847/
▶︎過去の、田中綾美
https://43142.diarynote.jp/201908071557182844/
▶︎過去の、ガブリエル・モウラ
https://43142.diarynote.jp/201610140945007657/
<今日の、会場>
入り口外にあるTVモニターでいかに消毒に気をつかっているかというアピール映像が流されている。そしたら、検温(安定の、36.0度なり)のあと、フェイス・シールドを手渡される。え、このヴェニューはこんなことをしているのと思えば、それはカルナバケーションのロゴ付きで、彼らのノヴェルティのよう。いろんなもの、作るなあ。
チケット売り切れが告げられていたようだが、場内の椅子配置はかなりまばら。これは、妙な安心感がある。また、この会場は路面に面する1階にあるが、ときにドアを開ける換気タイムがもうけられていた。←そのさい、ステージはMCタイムとなる。
▶過去の、クール&ザ・ギャング/J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/200611281428510000/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201403051230433466/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201412291146465218/
http://43142.diarynote.jp/201508051544452721/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201602290953239524/
https://43142.diarynote.jp/201710121703595237/
夜、歌とギターの村田匠(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年2月11日、2013年8月24日、2014年5月3日、2014年6月15日、2016年2月11日、2016年5月22日、2016年12月1日、2017年2月11日、2018年2月11日、2018年6月17日、2019年2月11日)率いるグループの公演を見る。リーダーに加え、ギター、キーボード(2019年8月6日)、ドラム、菅アレンジもするアルト・サックスほかホーン3人、ベース、パーカッション3人、計11人の陣容で、ことにあたる。サンバ・ダンサーも一人、時々出てくる。
渋谷・デュオ・ミュージック・エクスチェンジ。彼らの単独ライヴは長い。各1時間以上のセットを休憩を挟んで2つがっつりやるものなあ。そして、アンコールも。この晩はこういう時勢ゆえ1ショウ構成だったが、ゆうに2時間は超えていた。というのも、村田は曲間ごとにMCするだけでなく、曲間に撮り下ろし映像を流したり、全員による小芝居を入れたり(まあ、よく考えるナとは思う)もするから。それは確かに他のバンドとの差別化をうながすことに繋がるが、オレたち如才ないでしょ、楽しいでしょというアピールのようなものがが鼻につかなくもなく、MCをはじめもう少し抑えればいいのにと思う。遊び心はすんごい大事と常々思っているが、ぼくは音楽に関してはキマジメなのか、そう感じてしまう。
とはいえ、ブラス音と打楽器音を効果的に用いる賑やかしのポップ表現には、華と純真のようなものがたっぷり。とともに、彼らだけに限らずここのところライヴを観ると感じるのだが、いい意味での音楽愛のようなものが浮き上がる。音楽活動がままならぬなか、<どうして自分は音楽をするのか>、<なぜ聞き手は音楽を欲するのか>、<どう音楽と受け手と向き合えばいいのか>ということに音楽家の諸氏は自問自答する傾向にあるだろう。それは、今後の活動にプラスにならないはずがない。
途中で、彼らと共作曲を作っているサンパウロ(リオから移ったらしい)のガブリエル・モウラ(2016年10月8日)とリモートで重なるパートが出てきてびっくり。時差はちょうど12時間、向こうは午前9時だそうだ。ステージ背後に映し出される同じトラックのもと歌ったりラップしたりするモウラの映像に合わせてカルナバケーションがパフォーマンスする曲が2曲(うち、アマゾンの熱帯雨林火災を題材とする曲は新曲だそう)披露され、またその間にはモウラへのインタヴューのコーナーがあり、そこで彼は求めに対して1曲ギター弾き語り(ほぼ、ギターの音は聞こえなかったけど)もした。うわあ、これはうれしい。とともに、しっかりこんなこと用意できるカルナバケーションもやはり素敵すぎると思わずにはいられず。しかし、このリモート共演、まったく違和感なし。お互いの信頼、太いなあ。いえ〜い。
▶過去の、サンバマシーンズ/カルナバケーション/カンタス村田関連
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201105140858559432/
http://43142.diarynote.jp/201206120854205300/
http://43142.diarynote.jp/201211151028209850/
http://43142.diarynote.jp/201302181123344904/
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160211
http://43142.diarynote.jp/201605240833401202/
https://43142.diarynote.jp/201806181751451387/
https://43142.diarynote.jp/201902141412599444/
https://43142.diarynote.jp/202002120812258847/
▶︎過去の、田中綾美
https://43142.diarynote.jp/201908071557182844/
▶︎過去の、ガブリエル・モウラ
https://43142.diarynote.jp/201610140945007657/
<今日の、会場>
入り口外にあるTVモニターでいかに消毒に気をつかっているかというアピール映像が流されている。そしたら、検温(安定の、36.0度なり)のあと、フェイス・シールドを手渡される。え、このヴェニューはこんなことをしているのと思えば、それはカルナバケーションのロゴ付きで、彼らのノヴェルティのよう。いろんなもの、作るなあ。
チケット売り切れが告げられていたようだが、場内の椅子配置はかなりまばら。これは、妙な安心感がある。また、この会場は路面に面する1階にあるが、ときにドアを開ける換気タイムがもうけられていた。←そのさい、ステージはMCタイムとなる。
追っていたわけではないが、心の片隅にその存在がずっと残っていた人が亡くなった。アンディ・ベイの妹である、サローム・ベイ。といっても、シンガー/ピアニストのアンデイ・ベイ自体が日本ではそんなに知られていないか。1970年上半期あたりのアンディ・ベイはぼくの中では、ジャズ界のスティーヴィ・ワンダー(2005年11月3日、2010年8月8日、2012年3月5日)なる魅力を感じる人であった。と、言うと誇張になってしまうが、凛とした声のもとジャズ感覚とソウル感覚を颯爽しなやかに交錯できた彼は当時まさに旬のアーティストであったと思う。
アンディ・ベイ単独名義の『Experience And Judgment』(Atlantic,1974年)はソウル色のほうが強い好盤で、当時の洗練された黒人都市感覚を映し出していた。また、そんな彼はジャズ・ミュージシャンから人気で、マックス・ローチ、デューク・ピアソンやホレス・シルヴァーのブルーノート諸作、ゲイリー・バーツやスタンリー・クラーク(2008年9月8日、2010年12月3日、2012年12月5日、2015年9月30日、2020年1月5日)やファラオ・サンダース(2006年8月23日、2009年7月8日、2003年4月22日)盤などに次々シンガーとして呼ばれた。1980年代以降、リーダー作ももう少しジャズ・シンガー寄りのスタンスでエヴィデンス、サヴォイ・ジャズ、マイナー・ミュージク、ハイ・ノートなどからいろいろ出している。ま、得難い、言葉にするのが難しい風情を持つ人ですね。
かようなアンディ・ベイは1960年代に中期に二人の妹と一緒に、アンディ・ベイ&ザ・ベイ・シスターズというユニットを組み、そこにサロームも入っていた。プレスティッジから2枚はアルバムを出しているはずだが、ジャズを核に起きつつ黒人音楽総体を俯瞰するような感触を抱える行き方を取り、二人の姉妹はかなり存在感&訴求力のあるヴォーカルを聞かせていた。
そんな彼女は1965年ごろにはカナダのトロントに引っ越してしまう→それ、米国黒人ミュージシャンではあまり聞かない流れだ。でも、どうやら彼女は新天地で成功を収め、女優として活動もし、カナダ政府から名誉勲章も受けたりもしたという。カナダで最低でも5作品のリーダー・アルバムを出し、子宝には3人恵まれたが、60歳代からアルツハイマーの症状が出てしまったとのことだ。
▶︎過去の、ファラオ・サンダース
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 4月22日
https://43142.diarynote.jp/200608271341340000/
https://43142.diarynote.jp/200907131200224908/
▶過去の、スティーヴィー・ワンダー
http://43142.diarynote.jp/200511130015240000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
▶過去の、スタンリー・クラーク
http://43142.diarynote.jp/?day=20080908
http://43142.diarynote.jp/201012051906481605/
http://43142.diarynote.jp/201212131141531884/
https://43142.diarynote.jp/201510021221454336/
https://43142.diarynote.jp/202001060957069830/
夜は、ピアニストのハクエイ・キム(2010年11月26日、2011年2月19日、2011年4月10日、2011年8月6日、2013年9月13日)がずっと組んでいるトリオ、トライソニークのライヴを見る。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。
ベース奏者の杉本智和(2002年9月22日、2003年6月10日、2004年8月18日、2004年10月13日、2007年4月12日、2010年11月26日、2011年4月10日、2011年7月10日、2013年9月13日)とドラムのドラムの大槻“KALTA”英宣(2004年11月30日、2007年11月27日、2010年11月26日2011年4月10日、2013年7月1日、2013年9月13日、2015年7月23日)という顔ぶれに変化はなし。ステージに現れた3人は、キム以外はマスクをしている。客は女性が多かったはずだが、彼女たちはやはり彼のご尊顔をストレートに受け取りたい? 大槻は3曲目からはマスクをとった。
けっこう仕掛けがある曲をやっており、プログ・ロックならぬ、プログ・ジャズという言葉が浮かぶ。杉本は全曲でエレクトリック・ベースを弾いていて驚く(一部、かなりエフェクターも通した)。少なくても、トライソニークのファーストはダブル・ベースを弾いていたはずだが。ポール・ジャクソン(2002 年3月12日、2008年6月12日)がもともと大好きな彼、早いフレーズを弾かない場合は親指で弾いていた。一方、ハクエイ・キムは全編アコースティック・ピアノで通す。即興ピアノ・ソロ作や仏人パーカッション奏者とのフリー・フォーム気味のリーダー作が続いている彼だが、今回はもう少し明快なトリオ表現を聞かせましょうという意図はあったかもしれない。
なんにせよ、ずっと3人でやっている利点のようなものがあり、3者対等ぎみでなされているということも納得。本編ラスト2の曲は、少しイビツなリスム・セクションの絡みのもと、キムがひたひたと指を這わせるというもので、一番このトリオの意義を感じた。
▶︎過去の、ハクエイ・キム
http://43142.diarynote.jp/201012051849242327/
http://43142.diarynote.jp/201102190813437159/
http://43142.diarynote.jp/201104142208096884/
http://43142.diarynote.jp/201108101632022013/
http://43142.diarynote.jp/201309161512043853/
▶︎過去の、杉本智和
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm 菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm 菊地雅章
https://43142.diarynote.jp/200408180507220000/
https://43142.diarynote.jp/200410162306570000/
https://43142.diarynote.jp/200704151310110000/
https://43142.diarynote.jp/201012051849242327/
https://43142.diarynote.jp/201104142208096884/
https://43142.diarynote.jp/201107111327576732/
https://43142.diarynote.jp/201309161512043853/
▶︎ドラムの大槻“KALTA”英宣
https://43142.diarynote.jp/200412111738540000/
https://43142.diarynote.jp/200711290932200000/
https://43142.diarynote.jp/201002191112552825/
https://43142.diarynote.jp/201012051849242327/
https://43142.diarynote.jp/201104142208096884/
https://43142.diarynote.jp/201307031313063403/
https://43142.diarynote.jp/201309161512043853/
https://43142.diarynote.jp/201507251003319800/
<今日の、会場>
ぬ〜わんと。コットンクラブに行くのは、2020年1月23日いらい、7ヶ月半ぶりじゃあないか。驚く。見事に行き方を忘れた←まったくの、大嘘。だって、毎度の工程で行く道すがら2ヶ月半ぶりに行くみたいな気持ちだったものな。最寄り駅地下改札口の正面には小ぶりなスターバックスができていて、へえ。この時期、新規開店とはめでたい?
コットン・クラブのなかは、もちろん新型コロナ期対応あり。人が向き合って座るのを避けるために、これまでと違いお客がすべてステージに向かって座るようにテーブル配置がなされていた。ぼくは横の方から見ていたが、これはうれしいと皆んな感じるのではないか。なお、入店時には体温測定がなされるが、担当の女性は36度ですと教えてくれる。過去、いろんな入店時の検温の際に体温を教えてくれた人は皆無。だから、ぼくはそのつど何度でしたかと問うのだが、そうしなくても教えてくれたほうが人間の生理にあっているのではないか。それ、オレだけ?
ところで、今日川崎フロンターレかFC東京のホーム・ゲームに行っちゃおうかなーと一瞬考えたのだが、ともに売り切れ、平日の試合だったらOKかなと思ったが、人口の多い首都圏だと5000人限定だと売り切れになるよな。まあ、怪物アタッカーのオルンガで俄然脚光を浴びる柏レイソルの試合は半分強しか売れなかったようだが。野外での催しであるし、デカいスタジアムもあるし、一律1試合5000人限定という取り決めはそろそろ見直してもいいのではないか。試合終了後の退場規制はきっちりしますよという了承を取ったうえで。。。。この15日で、飲み屋店舗の時間規制がなくなるという話を聞いた。
アンディ・ベイ単独名義の『Experience And Judgment』(Atlantic,1974年)はソウル色のほうが強い好盤で、当時の洗練された黒人都市感覚を映し出していた。また、そんな彼はジャズ・ミュージシャンから人気で、マックス・ローチ、デューク・ピアソンやホレス・シルヴァーのブルーノート諸作、ゲイリー・バーツやスタンリー・クラーク(2008年9月8日、2010年12月3日、2012年12月5日、2015年9月30日、2020年1月5日)やファラオ・サンダース(2006年8月23日、2009年7月8日、2003年4月22日)盤などに次々シンガーとして呼ばれた。1980年代以降、リーダー作ももう少しジャズ・シンガー寄りのスタンスでエヴィデンス、サヴォイ・ジャズ、マイナー・ミュージク、ハイ・ノートなどからいろいろ出している。ま、得難い、言葉にするのが難しい風情を持つ人ですね。
かようなアンディ・ベイは1960年代に中期に二人の妹と一緒に、アンディ・ベイ&ザ・ベイ・シスターズというユニットを組み、そこにサロームも入っていた。プレスティッジから2枚はアルバムを出しているはずだが、ジャズを核に起きつつ黒人音楽総体を俯瞰するような感触を抱える行き方を取り、二人の姉妹はかなり存在感&訴求力のあるヴォーカルを聞かせていた。
そんな彼女は1965年ごろにはカナダのトロントに引っ越してしまう→それ、米国黒人ミュージシャンではあまり聞かない流れだ。でも、どうやら彼女は新天地で成功を収め、女優として活動もし、カナダ政府から名誉勲章も受けたりもしたという。カナダで最低でも5作品のリーダー・アルバムを出し、子宝には3人恵まれたが、60歳代からアルツハイマーの症状が出てしまったとのことだ。
▶︎過去の、ファラオ・サンダース
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 4月22日
https://43142.diarynote.jp/200608271341340000/
https://43142.diarynote.jp/200907131200224908/
▶過去の、スティーヴィー・ワンダー
http://43142.diarynote.jp/200511130015240000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
▶過去の、スタンリー・クラーク
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http://43142.diarynote.jp/201012051906481605/
http://43142.diarynote.jp/201212131141531884/
https://43142.diarynote.jp/201510021221454336/
https://43142.diarynote.jp/202001060957069830/
夜は、ピアニストのハクエイ・キム(2010年11月26日、2011年2月19日、2011年4月10日、2011年8月6日、2013年9月13日)がずっと組んでいるトリオ、トライソニークのライヴを見る。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。
ベース奏者の杉本智和(2002年9月22日、2003年6月10日、2004年8月18日、2004年10月13日、2007年4月12日、2010年11月26日、2011年4月10日、2011年7月10日、2013年9月13日)とドラムのドラムの大槻“KALTA”英宣(2004年11月30日、2007年11月27日、2010年11月26日2011年4月10日、2013年7月1日、2013年9月13日、2015年7月23日)という顔ぶれに変化はなし。ステージに現れた3人は、キム以外はマスクをしている。客は女性が多かったはずだが、彼女たちはやはり彼のご尊顔をストレートに受け取りたい? 大槻は3曲目からはマスクをとった。
けっこう仕掛けがある曲をやっており、プログ・ロックならぬ、プログ・ジャズという言葉が浮かぶ。杉本は全曲でエレクトリック・ベースを弾いていて驚く(一部、かなりエフェクターも通した)。少なくても、トライソニークのファーストはダブル・ベースを弾いていたはずだが。ポール・ジャクソン(2002 年3月12日、2008年6月12日)がもともと大好きな彼、早いフレーズを弾かない場合は親指で弾いていた。一方、ハクエイ・キムは全編アコースティック・ピアノで通す。即興ピアノ・ソロ作や仏人パーカッション奏者とのフリー・フォーム気味のリーダー作が続いている彼だが、今回はもう少し明快なトリオ表現を聞かせましょうという意図はあったかもしれない。
なんにせよ、ずっと3人でやっている利点のようなものがあり、3者対等ぎみでなされているということも納得。本編ラスト2の曲は、少しイビツなリスム・セクションの絡みのもと、キムがひたひたと指を這わせるというもので、一番このトリオの意義を感じた。
▶︎過去の、ハクエイ・キム
http://43142.diarynote.jp/201012051849242327/
http://43142.diarynote.jp/201102190813437159/
http://43142.diarynote.jp/201104142208096884/
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▶︎過去の、杉本智和
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm 菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm 菊地雅章
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https://43142.diarynote.jp/201309161512043853/
▶︎ドラムの大槻“KALTA”英宣
https://43142.diarynote.jp/200412111738540000/
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<今日の、会場>
ぬ〜わんと。コットンクラブに行くのは、2020年1月23日いらい、7ヶ月半ぶりじゃあないか。驚く。見事に行き方を忘れた←まったくの、大嘘。だって、毎度の工程で行く道すがら2ヶ月半ぶりに行くみたいな気持ちだったものな。最寄り駅地下改札口の正面には小ぶりなスターバックスができていて、へえ。この時期、新規開店とはめでたい?
コットン・クラブのなかは、もちろん新型コロナ期対応あり。人が向き合って座るのを避けるために、これまでと違いお客がすべてステージに向かって座るようにテーブル配置がなされていた。ぼくは横の方から見ていたが、これはうれしいと皆んな感じるのではないか。なお、入店時には体温測定がなされるが、担当の女性は36度ですと教えてくれる。過去、いろんな入店時の検温の際に体温を教えてくれた人は皆無。だから、ぼくはそのつど何度でしたかと問うのだが、そうしなくても教えてくれたほうが人間の生理にあっているのではないか。それ、オレだけ?
ところで、今日川崎フロンターレかFC東京のホーム・ゲームに行っちゃおうかなーと一瞬考えたのだが、ともに売り切れ、平日の試合だったらOKかなと思ったが、人口の多い首都圏だと5000人限定だと売り切れになるよな。まあ、怪物アタッカーのオルンガで俄然脚光を浴びる柏レイソルの試合は半分強しか売れなかったようだが。野外での催しであるし、デカいスタジアムもあるし、一律1試合5000人限定という取り決めはそろそろ見直してもいいのではないか。試合終了後の退場規制はきっちりしますよという了承を取ったうえで。。。。この15日で、飲み屋店舗の時間規制がなくなるという話を聞いた。
ザ・テンプテーションズのシンガーをしたこともあったブルース・ウィリアムソンが亡くなった。この8月に胆嚢手術を受け治癒したものの、COVID-19に感染し自宅のあるラスヴェガスで亡くなった。ロザンセルス育ちで、ゴスペル教会経験がベース。そして、ラスヴェガスのショウ・シンガーとして身を立てるようになった。ゴスペルのアルバムを準備中であったという。
2003年加入の元ザ・スピナーズのメンバーだったD.C.キャメロンの後釜として、2006年にザ・テンプテーションズに加入。ザ・テンプテーションズの名前の権利を持ち、グループを率いていたオリジナル・シンガーのオーティス・ウィリアムズはウィリアムソンがテンプス入りを熱望していたものの、巨体さと若さ(彼はテンプテーションズ初の1970年代生まれのシンガーとなった)ゆえに彼のグループ入りに当初あまり乗り気ではなかった。
2015年まで在籍し、オーティス・ウィリアムス仕切りの2枚のアルバムに関与した。なお、デニス・エドワーズやデイヴィッド・シーがいて、コットン・クラブやビルボード東京によく出演してきているザ・テンプテーションズ・レヴュー(2009年11月8日、2013年8月18日、2017年3月20日)は、オーティスのザ・テンプテーションズとはまた別となる。
▶︎過去の、ザ・テンプテーションズ・レヴュー
http://43142.diarynote.jp/200911101136006646/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
http://43142.diarynote.jp/201703211232135720/
▶過去の、タワー・オブ・パワー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200401190000000000/
http://43142.diarynote.jp/200805201629180000/
http://43142.diarynote.jp/200805201631280000/
http://43142.diarynote.jp/201005121331016518/
http://43142.diarynote.jp/201103171348262145/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120909
http://43142.diarynote.jp/201405071616599721/
http://43142.diarynote.jp/201607111518214717/
https://43142.diarynote.jp/201809071706397376/
<今日の、追記>
人は繋がる。なお、ブルース・ウィリアムソンの代わりにザ・テンプテーションズに入ったシンガーが、タワー・オブ・パワー(1999年11月4日、2002年8月11日、2004年1月19日、2008年5月18日、2008年5月19日、2010年5月11日、2011年3月10日、2012年9月9日、2014年5月6日、2016年7月10日、2018年9月4日)に1990年から2013年にかけて入ったいたラリー・ブラッグスだった。ふむ、ぼくがタワー・オブ・パワーのシンガーとして一番見ているのが、ブラッグスなんだよなあ。彼は2011年来日時に東日本大震災を経験している。
▶︎過去の、ラリー・ブラッグス
https://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
2003年加入の元ザ・スピナーズのメンバーだったD.C.キャメロンの後釜として、2006年にザ・テンプテーションズに加入。ザ・テンプテーションズの名前の権利を持ち、グループを率いていたオリジナル・シンガーのオーティス・ウィリアムズはウィリアムソンがテンプス入りを熱望していたものの、巨体さと若さ(彼はテンプテーションズ初の1970年代生まれのシンガーとなった)ゆえに彼のグループ入りに当初あまり乗り気ではなかった。
2015年まで在籍し、オーティス・ウィリアムス仕切りの2枚のアルバムに関与した。なお、デニス・エドワーズやデイヴィッド・シーがいて、コットン・クラブやビルボード東京によく出演してきているザ・テンプテーションズ・レヴュー(2009年11月8日、2013年8月18日、2017年3月20日)は、オーティスのザ・テンプテーションズとはまた別となる。
▶︎過去の、ザ・テンプテーションズ・レヴュー
http://43142.diarynote.jp/200911101136006646/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
http://43142.diarynote.jp/201703211232135720/
▶過去の、タワー・オブ・パワー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200401190000000000/
http://43142.diarynote.jp/200805201629180000/
http://43142.diarynote.jp/200805201631280000/
http://43142.diarynote.jp/201005121331016518/
http://43142.diarynote.jp/201103171348262145/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120909
http://43142.diarynote.jp/201405071616599721/
http://43142.diarynote.jp/201607111518214717/
https://43142.diarynote.jp/201809071706397376/
<今日の、追記>
人は繋がる。なお、ブルース・ウィリアムソンの代わりにザ・テンプテーションズに入ったシンガーが、タワー・オブ・パワー(1999年11月4日、2002年8月11日、2004年1月19日、2008年5月18日、2008年5月19日、2010年5月11日、2011年3月10日、2012年9月9日、2014年5月6日、2016年7月10日、2018年9月4日)に1990年から2013年にかけて入ったいたラリー・ブラッグスだった。ふむ、ぼくがタワー・オブ・パワーのシンガーとして一番見ているのが、ブラッグスなんだよなあ。彼は2011年来日時に東日本大震災を経験している。
▶︎過去の、ラリー・ブラッグス
https://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
R.I.P.ゲイリー・ピーコック(1935年5月12日〜2020年9月5日)
2020年9月5日 音楽 ザ・ジャズ・ベーシスト、ゲイリー・ピーコック(2007年5月8日)の訃報が届いた。享年、85。今のところ死因などは公になっていないが、イーサン・アイヴァーソン(2003年8月1〜2日、2004年5月13日、2005年8月29日、2008年2月20日、2011年3月9日、2013年11月20日、2014年10月31日、2019年8月21日、2019年8月24日)他がツイッターで言及している。
最初ピアノをやっていて、兵役時にベースにスウィッチした。1950年代はローリンダ・アルメイダやバド・シャンクやクレア・フィッシャーらウェスト・コーストもので弾いていたが、1962年にニューヨークに移るとポール・ブレイ(1999年6月1日)、アルバート・アイラー、トニー・ウィリアムズ、ギル・エヴァンスらフリー/先鋭的なブツで弾くようになった。
一応初リーダー作は、トリオ録音作ながらポール・ブレイ・ウィズ・ゲイリー・ピーコックの名義で出された『Paul Bley With Gary Peacock』(ECM、1970年)。それ、ドラムはポール・モーシャンかビリー・エルガートだった。菊地雅章(あれえ、これまで変換されず、みやび+あきら と1文字づつキーボードを打っていたが、今回一発変換された!)のテザート・ムーンをはじめ、ぼくとしてはピーコックというとモーシャンとのコンビがすぐに浮かぶ。ビル・エヴァンスの『Trio 64』(Verve,1964年)はそのリズム・セクションを擁する録音だった。
東洋思想もろもろに興味を持ったこともあり、1970〜72年は日本に在住。その時期、日本人奏者たちと録ったアルバムをいくつも残している。帰国後は、なによりキース・ジャレットとの活動で知られ、ピーコックの単独作『Tales of another』(ECM、1977年)は後のキース・ジャレット(2001年4月30日、2007年5月8日)のスタンダーズ・トリオ(ドラムはジャック・ディジョネット:2001年4月30日、2003年8月23日、2007年5月8日、2014年5月22日、2015年9月5日)でレコーディングされた。その後、ECMを中心にリーダー作をいろいろと発表。作曲にもこだわりを持つ人で、リーダー作は基本オリジナルで固める人だった。晩年の自己グループはマーク・コプランドとジョーイ・バロン(1999年9月24日、2011年1月30日、2017年3月2日、2019年5月17日)とのトリオ。残念ながら、それを見る機会には恵まれなかった。
1960年代前半に結婚していた最初の奥さんは、英国に渡り同ロック環境のなかで才能を開花させた、シンガー(とキーボードの)のアネット・ピーコック。ゲイリーとの後、彼女はポール・ブレイと結婚し、そして別れて1974年に大西洋を渡った。マンフレート・アイヒャーは何気なアネット好きで、彼女のアルバムをECMから出したこともあった。
▶︎過去の、ゲイリー・ピーコック
https://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
▶過去の、ザ・バッド・プラス/イーサン・アイヴァーソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200405101355540000/
http://43142.diarynote.jp/200509011126570000/
http://43142.diarynote.jp/200802212249200000/
http://43142.diarynote.jp/201103171347055826/
http://43142.diarynote.jp/201311230757159421/
http://43142.diarynote.jp/201411101736494912/
https://43142.diarynote.jp/201908221131088459/
https://43142.diarynote.jp/201908251757547410/
▶過去の、ポール・ブレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm
https://43142.diarynote.jp/201304180910514763/ 娘のヴァネッサ・ブレイ
https://43142.diarynote.jp/201804181343243905/ 娘のヴァネッサ・ブレイ
▶︎過去の、トニー・ウィリアムズ・ライフタイム・トリビュート
https://43142.diarynote.jp/200812281442184528/
▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
http://43142.diarynote.jp/201207031322126509/
http://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
http://43142.diarynote.jp/201210271744294415/
http://43142.diarynote.jp/201507091044561526/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160611
▶過去の、キース・ジャレット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
▶過去の、ジャック・ディジョネット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
http://43142.diarynote.jp/201405231458349566/
http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
▶︎過去の、ジョーイ・バロン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm マサダ
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/ ロン・カーター ビル・フリゼール
https://43142.diarynote.jp/201703081443314613/
https://43142.diarynote.jp/201905180802284680/
<今日の、自分にびっくり仰天>
かつて共に日本代表に入り、ディフェンダーとして海外で活動してきた酒井高徳(現在は神戸)と酒井宏樹(マルセイユ)は兄弟だとばっかり思っていた。ルックスはまるで違うが、世のなか何がある分からなく、そういうこともあるのだとなぜか思い込んでいた。うひゃ〜。じっさい日本人とドイツ人のミックスの高徳は同じサッカー選手の弟を二人持つが、それは別の人たちであったか。だいいち、弟と思っていた宏樹のほうが高徳より少し年上ぢゃん。シューン。ときどき、あららという思う違い(たとえば、言葉の読み。いくら打っても変換しないので、調べてみると読み方が異なることが発覚することが稀にある。悲)を認識する。日々是勉強。なんてはまったく思わないが、ありゃりゃという思いをいい年こいて得られるのは、○ということにしておこう。
最初ピアノをやっていて、兵役時にベースにスウィッチした。1950年代はローリンダ・アルメイダやバド・シャンクやクレア・フィッシャーらウェスト・コーストもので弾いていたが、1962年にニューヨークに移るとポール・ブレイ(1999年6月1日)、アルバート・アイラー、トニー・ウィリアムズ、ギル・エヴァンスらフリー/先鋭的なブツで弾くようになった。
一応初リーダー作は、トリオ録音作ながらポール・ブレイ・ウィズ・ゲイリー・ピーコックの名義で出された『Paul Bley With Gary Peacock』(ECM、1970年)。それ、ドラムはポール・モーシャンかビリー・エルガートだった。菊地雅章(あれえ、これまで変換されず、みやび+あきら と1文字づつキーボードを打っていたが、今回一発変換された!)のテザート・ムーンをはじめ、ぼくとしてはピーコックというとモーシャンとのコンビがすぐに浮かぶ。ビル・エヴァンスの『Trio 64』(Verve,1964年)はそのリズム・セクションを擁する録音だった。
東洋思想もろもろに興味を持ったこともあり、1970〜72年は日本に在住。その時期、日本人奏者たちと録ったアルバムをいくつも残している。帰国後は、なによりキース・ジャレットとの活動で知られ、ピーコックの単独作『Tales of another』(ECM、1977年)は後のキース・ジャレット(2001年4月30日、2007年5月8日)のスタンダーズ・トリオ(ドラムはジャック・ディジョネット:2001年4月30日、2003年8月23日、2007年5月8日、2014年5月22日、2015年9月5日)でレコーディングされた。その後、ECMを中心にリーダー作をいろいろと発表。作曲にもこだわりを持つ人で、リーダー作は基本オリジナルで固める人だった。晩年の自己グループはマーク・コプランドとジョーイ・バロン(1999年9月24日、2011年1月30日、2017年3月2日、2019年5月17日)とのトリオ。残念ながら、それを見る機会には恵まれなかった。
1960年代前半に結婚していた最初の奥さんは、英国に渡り同ロック環境のなかで才能を開花させた、シンガー(とキーボードの)のアネット・ピーコック。ゲイリーとの後、彼女はポール・ブレイと結婚し、そして別れて1974年に大西洋を渡った。マンフレート・アイヒャーは何気なアネット好きで、彼女のアルバムをECMから出したこともあった。
▶︎過去の、ゲイリー・ピーコック
https://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
▶過去の、ザ・バッド・プラス/イーサン・アイヴァーソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200405101355540000/
http://43142.diarynote.jp/200509011126570000/
http://43142.diarynote.jp/200802212249200000/
http://43142.diarynote.jp/201103171347055826/
http://43142.diarynote.jp/201311230757159421/
http://43142.diarynote.jp/201411101736494912/
https://43142.diarynote.jp/201908221131088459/
https://43142.diarynote.jp/201908251757547410/
▶過去の、ポール・ブレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm
https://43142.diarynote.jp/201304180910514763/ 娘のヴァネッサ・ブレイ
https://43142.diarynote.jp/201804181343243905/ 娘のヴァネッサ・ブレイ
▶︎過去の、トニー・ウィリアムズ・ライフタイム・トリビュート
https://43142.diarynote.jp/200812281442184528/
▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
http://43142.diarynote.jp/201207031322126509/
http://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
http://43142.diarynote.jp/201210271744294415/
http://43142.diarynote.jp/201507091044561526/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160611
▶過去の、キース・ジャレット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
▶過去の、ジャック・ディジョネット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
http://43142.diarynote.jp/201405231458349566/
http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
▶︎過去の、ジョーイ・バロン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm マサダ
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/ ロン・カーター ビル・フリゼール
https://43142.diarynote.jp/201703081443314613/
https://43142.diarynote.jp/201905180802284680/
<今日の、自分にびっくり仰天>
かつて共に日本代表に入り、ディフェンダーとして海外で活動してきた酒井高徳(現在は神戸)と酒井宏樹(マルセイユ)は兄弟だとばっかり思っていた。ルックスはまるで違うが、世のなか何がある分からなく、そういうこともあるのだとなぜか思い込んでいた。うひゃ〜。じっさい日本人とドイツ人のミックスの高徳は同じサッカー選手の弟を二人持つが、それは別の人たちであったか。だいいち、弟と思っていた宏樹のほうが高徳より少し年上ぢゃん。シューン。ときどき、あららという思う違い(たとえば、言葉の読み。いくら打っても変換しないので、調べてみると読み方が異なることが発覚することが稀にある。悲)を認識する。日々是勉強。なんてはまったく思わないが、ありゃりゃという思いをいい年こいて得られるのは、○ということにしておこう。