グリフ・リース

2015年3月2日 音楽
 英国ウェールズ起点ロック・バンドのスーパー・ファリー・アニマルズ(2001年10月19日、2005年10月18日、2008年8月10日)のフロント・マンであるグリフ・リースの公演は、渋谷・クラブクアトロにて。昨年出した自己作『アメリカン・インテリア』をベースにおく、ソロによるパフォーマンス。次の野暮用のため最後まで見ることはできなかったのだが、へーえ、こりゃ今まで接したことのない実演ではあったなー。それは、本人の我が道を行く様、解き放たれ具合を、明解に示すものであったか。

 なんでも、リースの先祖にあたる人に、ジョン・エヴァンスとウェールズ人がいたんだそう。他者との物差しがちょっと違っていた彼は20ちょいのとき独立したばかりの米国に苦労して渡り、ウェールズと米国の数奇な合衆国の旅をする。上陸した東部ボルチモアから中西部に行き、南下し、最後はフロリダへ。そんなエヴァンスにルーフは興味をひかれ、米国をツアーしつつ、彼のアメリカの旅をリサーチする。そして、その好奇心はアルバムだけでなく、書籍、ドキュメンタリー映画、アプリという4つのメディアに結実した。まあ、そういう流れは、スーパー・ファリー・アニマルズの結成時からウェールズ語で歌うなどしてきたリースらしいと思わせる。とともに、なんかその成り行きと結果の出し方は、在米アイリッシュ・トラッド・バンドのソーラス(2012年6月14日、2014年6月2日)が米国に移民した血筋の人を追った“シャムロック・シティ”プロジェクトを思い出させるではないか。
 
 冒頭、本人がステージにふらりとあがって来たと思ったら、「拍手」とか「もっと!」とか書かれたスケッチブックを掲げて観客を沸かせ、つかみを取る。で、すぐに引っ込み、平凡な風景が続く映像が10分ほど流される。あ、これが作ったフィルムの一部なの?

 そして、再び出て来たリースは、スライド(資料絵図や、狂言回し的役割を担うジョン・エヴァンス模した人形の写真〜彼は途中で、それをステージ上においた〜や、日本語字幕など)を自ら手元で扱いつつ背後スクリーンに映し、エヴァンスにまつわる雲をつかむような話を訥々と続ける。そして、その合間にという感じで、アコースティック・ギターの弾き語り表現も聞かせる。ときに、彼は効果音的断片を付けたり、メトロノーム音やプリセット音をやんわり併用するときもあった。

 まあ、本人のとぼけた佇まいが引き出す部分もあるが、不思議な味わいを持つ、<ユーモラスなレクチャー+音楽の夕べ>、なり。18世紀後期のアメリカって、まだ縦割りの西側約7分の4はスペイン領だったなんて、リースのこれに触れなかったら、死ぬまで知らなかったかも(それ、ホントだよな?)。

 純粋な音楽の部分の時間は、半分にも満たなかったか。でも、その音楽は十全に素晴らしかった。やっぱり、音楽家として、一級と思わせる。そして、その事実を導いた、彼のもやもやが示されていたんだもの、少なくても彼のファンならみんなニッコリ接することができたショウではなかったか。

▶過去の、スーパー・ファリー・アニマルズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200510230259030000/
http://43142.diarynote.jp/200808110417320000/
▶過去の、ソーラス
http://43142.diarynote.jp/201206181341313130/
http://43142.diarynote.jp/201406110834215934/

<今日の、悲しみ>
 あることを、当人から伝えられ、驚き、とっても悲しくなる。えええ、神よ、あなたは……という気持ち、100%。その際、ぼくはちゃんとココロある対応ができただろうか。でも、きっと、きっと。。。。。

 まず、半蔵門・東宝東和試写室で、唯一無二のソウル・マン/ファンカー(2000年8月5日)の生涯を題材とした映画を見る。米国ユニヴァーサル、2014年作品。5人いるプロデューサーのなかの一人はなんとザ・ローリング・ストーンズ(2003年3月15日)のミック・ジャガー。彼はエグゼクティヴ・ミュージック・プロデューサーとしてもクレジットされている。監督は、ミシシッピ州ジャクソン生まれで、「ヘルプ〜心がつなぐストーリー」(2012年)他のテイト・テイラー。

 それにしても、試写の間じゅう、ぼくはビートを取りまくり。ここまで、身体をゆらしまくりで映画を見たのはぼくの生涯、初めてか。やっぱりJBファンクは無敵。かつ、画面構成がテンポよく、また演奏シーンなんかも良く撮られているからだと思う。

 レイ・チャールズの生涯を描いた映画「レイ」(2004年11月15日)のように、役者が扮して、音楽愛たっぷりに、巨匠の人間性や人生や音楽を描かんとする映画。JB役はJBと同じサウス・カロライナ州生まれ(南部出であることに、テイラー監督はこだわったよう)のチャドウィック・ポーズマン。彼はハワード大学卒業後、英国にも演技留学するなどインテリな俳優のようだが、特殊メイクの冴えもあり、けっこう似ていて、不満はない。

 事実に基づくため、映画には、ボビー・バード、その妻のヴィッキー・アンダーソン、メイシオ・パーカー(1999年8月6~8日、1999年10月28日、2001年4月17日、2002年11月19日、2005年9月6日、2007年9月13日、2009年1月21日、2010年2月16日、2010年9月3日、2013年2月2日)、ピー・ウィ・エリス(2005年9月24日、2007年9月13日、2012年4月9日、2012年11月21日、2013年7月4日)らJBズ関連アーティストや、ストーンズの面々などに扮する役者も出てくる。リトル・リチャード(やはり、似ている)と正式デビュー前にライヴで一緒になり、成り上がりを語りあうなんていうシーンも出てくる。とくに、ボビー・バードはJB成功の立役者として描かれ、映画はある意味<JBとバードの物語>と言えそうな感じもある。

 それら実際の人物のキャストで不満を覚えるのは、メイシオ・パーカー役。似ていない、メイシオはあんなごついいワイルドなタイプではないぞ。とともに、彼がアルトではなく、テナー・サックスを持っていることにも気になった。昔は彼って、テナーを吹いていたことがあったんだっけ? 役者としてミュージシャンもキャストされていて、JBの奥さん役がネオ・ソウル系歌手のジル・スコット。彼女は一切歌わない。また、初期のメンバー役でアロー・ブラックも出ている。

 ユニヴァーサル映画というのは、何気に重要か。今、JBの多くのカタログはユニヴァーサル・ミュージックが持っているわけで、豊富な音源のなか、自在にいろんなものを掘り起こして、音楽は作られたよう。また、ちょいはっきりしないところはあるのだが、くわえて映画に出てくる人たちの演奏や歌も用いられていたりもするらしい。なるほど、ホーン・コンダクトというクレジットで西海岸スタジオ・シーン長老のジェリー・ヘイ(2013年8月1日)の名前が出ていたりもする。過去の黄金の音にせよ、新たに録った音にせよ、試写を見ていて思ったのは、音質がいいなあということ。立体的とも思わせるそれに、大げさに言えばぼくは悶絶。音を磨いているのではないか。とにかく、やっぱJB、もう一度ちゃんと彼の表現を聞き直さなくちゃ、そしてパブロフの犬状態にならなきゃという気持ちにもなりました。

 そんな部分にも表れているように、音楽の扱いもちゃんとしている。特に感心したのは、JBの根にまずゴスペルがあり、それが黄金のJB歌唱〜ファンクに息づいているということを説明臭くならずすんなりと描いていたり、JBはジャズ(当時はスウィング・ジャズ)にも興味を持ち、その嗜好も後に活かされていることが示唆されること。どうして、JBはホーン・セクションの扱いに長けていたのか、その疑問に対する答えも、ここにはある。

 2時間を超える映画だが、テンポ良く、内容豊かにひきつける。これは、素晴らしい音楽映画だっ。

 なお、ボビー・バードとヴィッキー・アンダーソンの間に生まれた娘が、在英米国人であるカーリーン・アンダーソン(1999年8月2日、2012年10月29日)。その二人の姪(つまり、カーリーンとは従姉妹となる)が、やはり在英だったジェリーサ・アンダーソン。1990年代、ぼくはジェリーサのアルバムを聞き、英国のカサンドラ・ウィルソン(1999年8月27日、1999年9月2日、2001年2月12日、2004年9月7日、2008年8月11日、2010年6月13日、2011年5月5日、2013年5月31日)的存在になりえる逸材と持ち上げまくっていた。また、ジェリーサの姉は、やはりロンドンで活動していた(D*ノート、インコグニートにも関わった)パメラ・アンダーソンだ。

▶過去の、JB
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm サマーソニック初日
▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
▶過去の、映画「レイ」
http://43142.diarynote.jp/200411170827380000/
▶過去の、パーカー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200509130313320000/
http://43142.diarynote.jp/200709171112310000/
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
http://43142.diarynote.jp/201002171552164447/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
▶過去の、ピー・ウィー・エリス
http://43142.diarynote.jp/?day=20050924
http://43142.diarynote.jp/200709171112310000/
http://43142.diarynote.jp/201204150858456025/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121121
http://43142.diarynote.jp/201307071319405650/
▶過去の、ジェリー・ヘイ
http://43142.diarynote.jp/201308091149599475/
▶過去の、カーリーン・アンダーソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://43142.diarynote.jp/201211151029291608
▶過去の、カサンドラ・ウィルソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm 
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200409070203440000/
http://43142.diarynote.jp/200808121357410000/
http://43142.diarynote.jp/201006181521416566/
http://43142.diarynote.jp/201105101010399933/
http://43142.diarynote.jp/201306060609052151/

 その後、丸の内・コットンクラブへと向かう。カサンドラ・ウィルソンやマーカス・ミラー公演で何度か同行来日している在NYのスイス人ハーモニカ奏者のグレゴア・マレ(2004年9月7日、2006 年9月3日、2007年12月13日、2009年3月18日、2011年5月5日、2013年5月31日)、初の個人名義による公演だ。

 同行者は、ピアノのジョン・ビーズリー(2011年12月8日、2014年5月28日)、ベースのジェイムス・ジナス(2012年1月13日、2012年3月3日 、2013年9月3日、2014年9月7日)、ドラムのジェフ・テイン・ワッツ(2007年12月18日、2010年10月21日、2012年1月13日)というそうそうたる米国人ジャズ・マンたち。分るようで分らない組み合わせだが、普段の付き合いから来たものだろう。

 その日本公演とジャワ・ジャズ(このあと、彼らはこのままインドネシアの大ジャズ・フェスティヴァルに出演する)用の特別編成によるライヴは、ジャズ的インプロ流儀とハーモニカという本来ジャズ向きではない楽器が導く情緒をいかに綱引きさせるかという要点を持っていた。マレはかなり延々と管楽器奏者のようにソロを取り(エフェクターは一切使わない)、ときにビーズリーにもソロの機会を与えるという感じ。ながら、その20穴ハーモニカ音の特性もあって、どこかジャズから離れて行くような情緒は常に流れていたわけで……。テンポの早目の曲の場合、おとなしそうなマレはソロを取る際、けっこうアクションが大きくなる。

 ビーズリーはエレクトリック・ピアノも弾く。ジナスは1曲以外すべてエレクトリック・ベースを弾いたが、もう少し縦を弾いてほしかった。基本8ビートを叩いていたワッツは……出音が大きすぎ。ほんとに、あんなバランスでいいのかな? マレのオリジナル主体であったため、リズム・セクションは譜面と首っ引きであった。

 アンコールは、ミルトン・ナシメント(2003年9月23日)作の「砂の岬」。ウェイン・ショーター(2001年8月3~5日、2002年8月25日、2004年2月9日、2014年4月14日)やエスペラサ・スポルディング(2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日、2011年2月17日、2012年3月7日、2012年9月9日)もかつてアルバムで取り上げていた童歌的風情も持つ柔和メロディアス曲。マレもE-1発の2012年セルフ・タイトルの、唯一のリーダー作で取り上げている。←そのときとはぜんぜん異なるアレンジでやっていて、この顔ぶれならではのパフォーマンスを心がけたのが、それでよく分りました。

▶過去の、グレゴア・マレ
http://43142.diarynote.jp/200409070203440000 カサンドラ・ウィルソン
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000 マーカス・ミラー
http://43142.diarynote.jp/200712161023010000/ マーカス・ミラー
http://43142.diarynote.jp/200903191858068821/ ガイア
http://43142.diarynote.jp/201105101010399933/ カサンドラ・ウィルソン
http://43142.diarynote.jp/201306060609052151/ カサンドラ・ウィルソン
▶過去の、ジョン・ビーズリー
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
http://43142.diarynote.jp/201405291806044863/
▶過去の、ジャイムス・ジナス
http://43142.diarynote.jp/201201141645353138/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/ ハービー・ハンコック
http://43142.diarynote.jp/201309051241384602/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/ ハービー・ハンコック
▶過去の、ジャフ・テイン・ワッツ
http://43142.diarynote.jp/200712190953140000/
http://43142.diarynote.jp/201010221631583852/
http://43142.diarynote.jp/201201141645353138/
▶過去の、ミルトン・ナシメント
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm
▶過去の、ウェイン・ショーター
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http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
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http://43142.diarynote.jp/201404161959228005/
▶過去の、エスペランサ・スポルディング
http://43142.diarynote.jp/200809071430380000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20081201
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http://43142.diarynote.jp/201102190814495504/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120307
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/

 その後は、六本木・ビルボードライブ東京で、オレゴン州ポートランドをベースとするブルー・アイド・ソウルの担い手であるシャロッド・ローソンのショウを見る。ずっとポートランドのローカル・ミュージシャンの座に甘んじていたが、自主制作したセルフ・タイトルのリーダー作(発表しているのは、その1枚だけ)がまず英国で脚光を浴び、ここのところ活動の場が広がっている。現在38歳のようだが、トっぽい感じもあって、スラリとした彼は若く見える。ルックスでも、それなりに売れる? ピアノを弾きながら歌う当人に加え、ギター、ベース(なにげにいい感じ)、ドラム(けっこう、カウベル多用)、2人の女性コーラスがサポートした。

 冒頭のちょっとしたリフの作り方やコーラスのアレンジなどで、わー才気走ってるとすぐに思う。アルバムを聞くとUKソウル担い手のオマー(2001年3月25日、2004年6月28日、2006年2月5日)の影響を感じさせたりもする(オマーっぽいシンセサイザーの使い方も散見される)が、難しいライン取りだらけの曲を次々に開いていく様に触れるとドナルド・フェイゲン(スティーリー・ダン)的と思ったりもしちゃう。オレだけの変なポイントを出したいという意志が出るところも、その所感に繋がるか。また、ファルセットを巧みに用いるヴォーカルがアルバムで聞くより、黒っぽくはなかったためもあるが。ソウル感覚を巧みに介した、個の立ったシンガー・ソングライターという説明が彼には適しているか。

 それから、想定外であったのは、アルバムでは電気キーボードも多用していたが、実演ではアコースティック・ピアノ1本で通したこと。ちゃんとピアノが会場にあるなら、それで行かずにどうするとなった? また、それと関係があるかもしれないが、彼はかなりピアノ・ソロを取った。それはジャズの経験があるとも思わせる(ポートランドのホテルのラウンジでジャズっぽいピアノを弾いていると聞いても、信じます)もので、ジャイルズ・ピーターソン(1999年5月21日、2002年11月7日、2004年1月16日、2008年9月18日、2012年9月13日、2013年11月1日)の覚えも目出たいという話にもおおいにも頷ける。そう、ローソンの表現は思った以上にジャジーな部分もあった。。あぁそういえば、昔オマーを大々的に送り出したのは、ジェイルズ・ピーターソン率いるトーキング・ラウドだった。

 1日かぎりのブッキングとはいえ、入りは良好。そして、お客の反応が熱烈であるのに少し驚く。そのため、アンコールに2度出てくるほどであり、最後にはけっこうスタンディング・オヴェイションになった。それを経験し、ローソンたちは生涯至福のときと感じたのではないか。約90分、彼らはパフォーマンスした。

▶過去の、オマー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200602081122350000/
http://43142.diarynote.jp/200406281801320000/
▶過去の、ジャイルズ・ピーターソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live2.htm 1999年5月21日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200401160000000000/
http://43142.diarynote.jp/200809191051472579/
http://43142.diarynote.jp/201209191239346073/
http://43142.diarynote.jp/201311021703148497/

<今日の、地下鉄>
 本日、午後は傘マークの天気の予報。家を出るときに、意外と空は明るいなあ、もしかしてあまり降雨はないかもと思ったが、傘を持って出る。そしたら、案の定、ずっと降らない。傘を持っている人もあまりいない。最後のライヴ会場を出るときには雨がそれなりに降っていて、胸を撫で下ろす? それにしても、日比谷線はどうして、あんなにトロいのか。前からそう思っていたが、日比谷から六本木の移動に今日乗って、改めて実感。大きなカーヴがおおいのかな。設計が古い銀座線もスピードは遅いはずだが、キブンをどこか逆撫でする走り方を日比谷線するよなあ。都内地下鉄で、車両が狭く地下ホームが深い大江戸線とともに一番乗りたくないラインだな。それにしても、銀座線の新車両は車内が明るい。化粧のあらが出そうでイヤ、と銀座線乗車を回避するOLがいると思えるほどに。
 銀座のソニー・ビルにあるソニーイメージングギャラリー銀座で、アレハンドロ・チャスキエルベルグというアルゼンチン人写真家の個展をさらりと見る。それには「OTSUCHI Future Memories〜大槌 未来の記憶〜」というタイトルが付けられており、写真は津波の被害にあった岩手県大槌町で撮影された。なんでも、彼は3度、のべ1ヶ月半にわたり同地に滞在、地元の人たちと交流を計りつつ、撮影したという。

 普通ではない被写体を、普通ではない技法を経て、再浮上させる。チャスキエルベルグのどこか衝動のようなものを抱えた写真群はそういう説明もできるか。彼は夜間に長時間露光にて、対象を撮影するという。写真はモノクロで撮影され、そのデジタル化したデーターはPCに取り込まれ、画面上で部分着色が施される。結果、モノクロとカラーの両方の効果や生っぽさと人工っぽさといったものが、そこには混在する。

 ふむふむ、彼のそうした手法って、かなり今の音楽の作り方と重なりはしまいか。ただし、音楽の場合はそのPC上で手を加えた表現を、さらに生の場でいかに開き直すか、いかにハプニング性/スポンテニアスさを加えるかということにのぞむ傾向にあるわけだ。たとえば、この前のファナ・モリーナ(2002年9月7日、9月15日。2003年7月29日、2011年8月1日、2013年12月3日、2015年2月6日)の公演のように。

 題材は重い。なかには、津波に飲み込まれた(おそらくボロボロになった)写真に手を加えた作品も何葉かあった。ときに、日本文化/流儀に不慣れであることが導くであろう、“ジャパネスク”な作品もある。だけど、日本に住んでいないからこそ、よそ者であるからこそ、被害の酷さや理不尽さを直截に感じ、また地元の人たちの情を受け取り、切り取れるという部分もあるのではないか。ぼくは、チャスキエルベルグの個性的な現代的写真を見ながら、そんなことも思った。とともに、今様な処理が施されることで、それらは新たな再生に向かっていることを示唆することにつながっているのではないか。 

▶過去の、ファナ・モリーナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20110801 コンゴトロニクスvs.ロッカーズ
http://43142.diarynote.jp/201312171240301597/
http://43142.diarynote.jp/201502071011467530/

<今日の、ランチ>
 スイス大使館が持った、グレゴア・マレ(2004年9月7日、2006 年9月3日、2007年12月13日、2009年3月18日、2011年5月5日、2013年5月31日、2015年3月3日)を囲んでの食事会に行く。想像通りシャイでつつましやかな御仁、ながら現ジャズ界のハーモニカの第一人者になったのはまさにスキルが導いたものであったろう。ほぼ次作は出来上がりつつあるようだが、参加者が豪華だったファースト作以上に録音参加者が豪華なよう。故ジミー・スコットやテイク6他、いろんな参加シンガーの名前も挙げていたな。彼はゴスペル・プロジェクトも持ちたがっている。そして、お開きになる前に、マレは2曲独奏。フリー・フォームっぽい曲とエリントの「キャラヴァン」、なり。
▶過去の、グレゴア・マレ
http://43142.diarynote.jp/200409070203440000 カサンドラ・ウィルソン
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000 マーカス・ミラー
http://43142.diarynote.jp/200712161023010000/ マーカス・ミラー
http://43142.diarynote.jp/200903191858068821/ ガイア
http://43142.diarynote.jp/201105101010399933/ カサンドラ・ウィルソン
http://43142.diarynote.jp/201503041619591535/
 この日はまず六本木・ビルボードライブ東京で、ニューオーリンズのザ・ダーティ・ダズン・ブラス・バンド(2002年7月30日、2004年7月27日、2004年9月17日、2007年5月15日 2004年9月17日)を見る。おお、前回に見たのはもう10年以上も前となるのか。

 スーザフォン(やはり、デカい)のカーク・ジョセフを筆頭に、ともにヴァーカルも取るトランペッターのグレゴリー・デイヴィスとエフレム“ET”タウンズ、テナー・サックスのケヴィン・ハリス(中盤まで、タンバリンに専念する)、若目の見かけを持つバリトン・サックスのロジャー・ルイス(なかなか、音が効いていた)、ギターのタケシ・シンムラ、ドラムのジュリアン・アディソンという面々なり。

 5人の管楽器奏者(トロンボーン奏者が入っていない編成は初めてのこと?)は基本オリジナル曲で勝負した近作『Twenty Dozen』(Savoy、2012)に名前が見られる。今回の同行ギタリストのシンムラはミア・ボーダーズやビッグ・サム(2002年7月30日、2007年2月2日)ズ・ファンキー・ネイションといったニューオーリンズのミュージシャンの実演サポートなんかにも関わっているので、ニューオーリンズ在住だろう。北海道出身と紹介されていた彼、これまでにダーティ・ダズンに入ったギター奏者のなかでは、ぼくが触れたかぎり一番違和感が少ない。タム類やシンバル類をたくさん並べたまだ20代だろうドラマーは本当にうれしそうにドカスカ叩く。

 近作は非ニューオーリンズ情緒を排そうとする指針も感じられたが、実演はセカンド・ライン系ビートのもと、ぐりぐりと行く。先に触れたようにテナー奏者は4曲目の途中までタンバリンに専念したので、それまでは四管にての表現。どの曲も煽り系ヴォーカルが入るため、その管楽器の数だとブラス・バンド表現というよりは、これは菅奏者の多い、伝統色も濃いファンキー・グループの公演だとしたほうがいいか。そしたら、4曲目のニューオーリンズ系スタンダードの長尺メドレーでは、トロンボーンとトランペットの日本人女性2人が加わる。管楽器のメンバーたち、彼女たちがステージに出てくると、本当にうれしそう。それで、テナー奏者も負けじとピカピカの楽器を袖に取りに戻り、そのまま手にし場内をソロして回った。

 全6曲、80分ほどの、娯楽感覚にも長けたショウ。最後の手数多いドラム・ソロにはびっくり。なんかハードなトーキング・ドラム奏者が10人並んでいるみたい(おおいに、誇張あり)なそれ、起爆力ありました。また、最後にETがトランペットとフリューゲルホーンを一緒に吹くのは、前回と同様……。

▶過去の、ザ・ダーティ・ダズン・ブラス・バンド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040727
http://43142.diarynote.jp/200410071540230000/
http://43142.diarynote.jp/200705181811530000/
▶過去の、ビッグ・サム
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200702090041480000/

 その後、南青山・ブルーノート東京で、人気キーボード奏者/アレンジャーのボブ・ジェイムス(2013年9月3日)のカルテットを見る。アコースティック・ピアノを弾く本人に加え、アフリカ系ギタリストのベリー・ヒューズ、父親はイラケレのベーシストであったというキューバ人ベース奏者のカリートス・デルプエルト、ちゃんと個人としてエスタブリッシュされているドラマーのクラレンス・ペン(2012年12月17日)という面々。

 ぼくの興味はまず、ベーシストのデルプエルトであったか。高校までキューバにいたあとバークリー音楽大学に進んだ彼はビリー・チャイルズ(2012年3月15日)の2014 年ソニー/マスターワークス盤(ローラ・ニーロへのトリビュート作。リッキー・リー・ジョーンズ〜2004年3月26日、2005年12月31日、2010年5月23日、2012年9月27日、2013年8月7日〜やアリソン・クラウス、ベッカ・スティーヴンス〜2015年1月29日〜、レデシ〜2002年6月12日、2007年11月12日、2009年1月25日、2010年1月8日2012年3月21日〜らが参加し、ストリングス音も豊穣)に部分参加したり、昨年はチック・コリア(2006年9月3日、2007年10月1日)ともツアーをやっている。今回の演奏については、判断保留。彼は1曲のみ、5弦の電気を演奏した。

 なるほど、なあ。これは、門外漢の聞き手にとって、理想的なジャズ・カルテット表現と言えるだろう。とくに、ロック・バンドをやっている若い人なんかには、なんとも刺激的な、ジャズへの招待状となるものではないか。ちょいトリッキーなところも持つジェイムスのソロは興味をひくだろうし(大昔はアヴァンギャルド・ジャズをやっていた片鱗がそこにはちょびっと顔を出す?)、手弾きとピック弾きを上手に併用するギタリストはジャズ・ギターの(時にファジーな)魅力をさらりと出すし、また各奏者間のインタープレイの様がバカみたいに分りやすいし、リズム隊はちゃんと立った感覚を有していて(ペンのアクセントの差し込み方、格好いいなー)、それも親しみやすさに繋がるだろうし……。といった塩梅で、いろんな要点が異常なくらいくっきりとアピールする。最初はブルージーなのをやったが、カルテット・ヒューマン曲やジェイムスのフュージョン時代のメロディアス曲もやるのも、取っ付きやすさに繋がるだろう。

 4人は流れる感覚やときに構成された感覚のもと、古くさくならないアコースティックかつスポンテニアスなジャズをしかとやりとおす。ジェイムズはピアノ音を拾い、テーマ部などで電気キーボード的な加工音を出す場合も。うーん、ツっぱって純ピアノ音で勝負してほしかったかなー。

▶過去の、ジェイムス/カルテット・ヒューマン
http://43142.diarynote.jp/201309051241384602/
▶過去の、クラレンス・ペン
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▶過去の、ビリー・チャイルズ
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▶リッキー・リー・ジョーンズ
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▶ベッカ・スティーヴンス
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▶レデシー
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▶過去の、チック・コリア
http://43142.diarynote.jp/?day=20060903
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<今日の、看板>
 表参道駅ホームにある一つの看板に、あれれえ。なんとカズとネイマールがツーショットで並んでいる西川布団のマットレスの広告があった。寝具の類って利益率が高いのか、景気いいんだな。なんかJリーグのいまいちな状況はいろいろと報じられる(たとえば、スポーツ・チャンネルは昼間野球のキャンプの実況中継やオープン戦中継をしつこいぐらい放映しているが、サッカーのそれは絶対にやっていないはず)が、やっぱり広告界において、世界とつながる感覚を野球以上に持つサッカーは重要なコンテンツなのか。夜半、流れた店で、件のカズとネイマールのマットレス広告のことを話に出すと、その映像もあることを教えられる。地上波うつらないと、ほんとTV-CFに関してはうとくなるなー。

 グラスゴー起点の、インストゥメンタル(中心)のロック・バンド(1999年11月22日、2001年4月26日、2004年10月4日、2006年11月11日)を、まず見る。EXシアター・ロッポンギ。この晩はスタンディングで、飲み物を外に買いに出づらいぐらいの混み様、なり。

 モグワイって、さすが人気あるんだなと再認知。スコットランドのバンドで一番対外的に集客力のある存在って誰なのかと少し考えるが、すぐにやめた。また、EXシアターって、なかなか大ぶりな会場なんだと、再認知もする。満場のスタンディング公演の場合、ここの地下3Fフロア階から退出するときは相当に難儀で、時間がかかる。設計ミス? 火事とかで避難する場合、惨事はまぬがれないと思った。

 6人の遠目にはむさい人たちが、外連味なく音をだす。シューゲイザー、プログ・ロック、壮大なエレ・ポップ、果てはケミカル・ブラザース(2000年1月8日、2002年7月27日、2005年2月13日)みたいなものまで、いろいろ。なんか、ヴォーカル曲比率は高まってもいたが、幅が広がっているナと思う。とともに、ステージ美術ももっと凝るようになった。八角形のフレームが光る電飾を3つステージ上にたらし、背後には目玉二つの変形地球儀みたいな美術が配される。それを見て、彼らってトリップ音楽需要が多いのかと思ったりもした。ライティングも前から見れば、かなり派手だ。

 近年参画しているお兄さんが、ヴァイオリンを奏でる曲も一つ。昔、グラスゴーのハープ奏者のカトリーナ・マッケイ(2005年2月1日、2008年11月9日、2009年12月6日、2009年12月12日、2013年12月7日)がフィフォラーズ・ビドで来日したときの会話を思いだす(←2008年11月9日参照)。生演奏ながら、基本エフェクターを通した音で成り立つバンド表現の場合、アナログ度数の高い楽器を置くとやはりそれだけで発展を導く。

 アンコール2曲目の静かな演奏から一転、超ラウドな音の壁といいたくなるパートに直転した際は、子供のようにすげえ〜とうなる。それにライティングも同軌していて、効果抜群。総演奏時間は100分欠けぐらいだったか。

 ところで、ショウが始まる直前に場内に流れていたのは、しなやかなブラジル人曲、メロウなフィリー・ソウル曲、臭みたっぷりのエチオ・ジャズ曲の三連発。おお、モグワイの音楽性とは結びつかないが、なんかいいかもと思えた。そしたら、終演後にすぐに流れたのはトトの曲。少し、ガクっ。それらは、誰が選んでいたのだろう。

▶過去の、モグワイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://43142.diarynote.jp/200410071545330000/
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▶過去の、ケミカル・ブラザース
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm フジ・ロック
http://43142.diarynote.jp/200502141659550000/
▶過去の、フィオラズ・ビド
http://43142.diarynote.jp/200811111146277497/
▶過去の、カトリオーナ・マッケイ
http://43142.diarynote.jp/200502041827080000/
http://43142.diarynote.jp/200811111146277497/
http://43142.diarynote.jp/200912091113106654/
http://43142.diarynote.jp/201312171612117786/

 次は、南青山・ブルーノート東京。EXシアター、ブルーノートともにビミョーな位置にあり(双方の会場ともより駅から10分は離れている)、モグワイ公演が予想よりも早く終わったので、タクるのをやめ思い切って徒歩で移動してみる。そしてら、15分でついちゃう。こりゃ、よほど天候が悪い以外、(そんなに、この二つの会場間を移動することはないと思うが)歩くのもアリと思う。実は、ビルボードライブ東京とブルーノート東京の間も青山墓地をつっきれば、丁度徒歩20分で移動できるんだよなあ。そこを歩くと、青山ってかつて街外れの墓地地区であったのがよく分る。桜が、綺麗だったりもするけど。

 そして、ダビ・ペーニャ・ドランテという、1968年セビーリャ生まれのスペイン人ピアニストを見る。ウッド・ベースと打楽器(カホーンとドラム系キットを組み合わせる)、さらに歌とダンサーというサポート陣容を見ても想像がつくように、一応フラメンコのピアニストと紹介されていた。ぼくは彼のことを認知していなかったが、ちゃんとしたホールでソロ公演をやったり、オーケストラと共演したりと、過去複数回来日しているよう。彼のおじいさんはフラメンコの名歌手、おじさんも歌手で、お父さんはギタリストであるという。

 最初、ピアノのちょっとした調べだけで指さばきが達者、コイツうまいじゃんと思う。奔放な弾き方ながら、クラシックのトレイニングも積んでいることも露にする。そんな彼、もしアメリカ生まれだったら、もっとジャズ界でエスタブリッシュされていると思わずにはいられず。ただし、なぜか、いつもより安っぽいピアノ音が出ているとも感じる。毎度と同じピアノなんだよな? でも、それは否定的な所感には結びつかない。いいじゃん、達者でも、がらっぱちな市井の表現という感じもして。ハハ。彼は時に、ピアノのボディに手を突っ込んで、弦を弾いたりもする。

 ベース奏者と打楽器奏者とのトリオで繰り出す曲は基本、オリジナル中心だったのか。フラメンコ的なビートの感覚は内在するが、かなりジャズ様式に則った、個を持つ演奏と思った。打楽器奏者は素手で叩くのとブラシを持つのを達者に併用。ベース奏者は浮いたフレーズの繰り出し方が抜群。弓弾きしたら、音程が甘くてアレレとなったが。三者の噛み合いはかなり良い。

 女性シンガーと男性ダンサーは、2曲づつしかフィーチャーされず。ジャズ・クラブのショウということなので、ジャズっぽく行く部分を長くしたのかもしれぬ。ダンサーはお腹ぽっこりしていたけど、色男風情を切れたっぷりに出す。場内からは、掛け声がごんごんあがる。

 やっぱりスペイン人、なんか面白いじゃねえかという感想をおおいに得ました。90分強、先のモグワイと同じぐらいのパフォーマンス時間。また、見たいな。

<今日の、え〜ん>
 J・リーグが開幕したのはいいのだが(浦和が湘南に負けなくて、少しがっかり)、その試合をいろいろ流していたJスポーツの各チャンネルでの放映がぬわんと今年はないことに気付く。そういやあ、今年はTBSがJリーグを流すというニュースを、ネットで見たっけ? 地上波が映らないぼくんちでは、もう安易にJの試合を見ることができない。あああああ、けっこうショックを受けています。また、今日は銀行通帳を落としたかと思った(銀行で記帳したあと、少しして手元にないことに気付き、落としたと思って、外から電話して止めた)。そしたら銀行から、機械に置き忘れていると警備から連絡ありましたと、3時間後に電話アリ。出てこなかっただけぢゃん? だから、ぼくは通帳を機械に通したことを忘れちゃい、後から通帳がないとなったのだと思う。どっちにしろ、ボーっとしていることに違いはないけど……。なんかな〜。週末には、とっても親身に友達の誕生日を祝ってあげたりし、善行をしているのにぃ。
追記> 翌週、J1の第2節の試合(鹿島x湘南)を1試合だけ放映していた。完全に放映しないようではないよう。

 いろんな意味でスーパーなジャズ・トランペッター(2005年6月5日、2006年11月3日、2011年3月28日、2011年7月25日、2011年9月2日 、2013年9月22日、2014年4月4日)が、熟達した米国人ジャズ・マンと重なる公演。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

 近年なにかと日本人奏者とやる頻度が高かった日野皓正が本場の第一線で活動する奏者たちの“土台”でどうふるまうか。また、経験豊富な米国人サイド・マンたちは“スーパー・マン”の奮闘にどう鼓舞されるのか。それを目の当たりにしたかった。

 4人が協調。ピアノのジョン・ビーズリー(2011年12月8日、2014年5月28日)、ベースのジェイムス・ジナス(2012年1月13日、2012年3月3日 、2013年9月3日、2014年9月7日)、ドラムのジェフ・テイン・ワッツ(2007年12月18日、2010年10月21日、2012年1月13日)。そして、ギタリストはブルーノートやコンコード・ジャズ他にリーダー作を残すジョン・ハート。ビーズリーとジナスとワッツは、先週のグレゴア・マレ(2004年9月7日、2006 年9月3日、2007年12月13日、2009年3月18日、2011年5月5日、2013年5月31日、2015年3月3日、2015年3月4日)の東京公演のサポートを務めた人たち。3人はマレとのジャワ・ジャズ(2012年3月2〜4日)出演のあと、また東京に立ち寄ってのギグだ。そういえば、日野はカンボジアから、昨日の朝に東京に着き、そのままこのリハーサルにのぞんだとMCで言っていた。

 1961年ヴァージニア州生まれのジョン・ハートはマイアミ大学卒(現在はマイアミに居住するよう)のかなりまじめそうな白人奏者。一般的にギタリストはオルガン奏者と重なる仕事も多いが、ジャック・マクダフとの活動歴は長く、また在米オルガン奏者の敦賀明子(2012年3月7日)の2014年作にも彼は参加している。そんな彼のトリオ録音の『Unit 1』(Wavetone)はジョン・スコフィールドの“ウーバー・ジャム”系の手触りもちょい持つアルバム。そいういえば、ジョン・スコフィールド(1999年5月11日、2001年1月11日、2002年1月24日、2004年3月11日、2006年3月1日、2007年5月10日、2008年10月8日、2009年9月5日、2012年10月10日、2013年10月21日)は1970年代下半期に日野のグループに入っていた。彼の初リーダー作レコーディングは、1977年に日野兄弟関与のもと東京で録ったんだよね。

 即席バンドだし、スタンダードもやるのかなと思えば、演奏したのはなんとグルーヴィな日野のオリジナル曲。素晴らしいっ。リフも爽快なオープナーは彼がネルソン・マンデラ釈放のニュースを見て書いたという「フリー・マンデラ」。その曲が収録された1991年作『フロム・ザ・ハート』(東芝EMI)には、ジョン・ハートが入っている。そして、以下ワザありメロディアス曲「スウィート・ラヴ・オブ・マイン」、私の考えるブルース・ビヨンド曲「ブルーストラック」、ニューオーリンズ要素のイケてる咀嚼曲「ヒューゴ」は、マイケル・カスクーナ制作の『ブルーストラック』(ブルーノート、1990年)の収録曲。スコフィールドは同作でも、弾いている。また、1曲は日野ぬきで、4人はセロニアス・モンクの「アスク・ミー・ナウ」を演奏した。各曲、ソロは構成を計ったうえで、きっちり回す。

 立った質感のもと、今を闊歩する感覚を持つ、質量感にも満ちたアコースティック・ジャズを展開。胸がすいた。やっぱり、日野はジャズ・マンとして破格なものを持つとしか言いようがないな。本能や閃きといい、蓄積といい、ワザといい……。もっと曲をやりたそうだった彼、セカンド・ショウはもっと長くなると言っていた。確かに、かつてセカンド・ショウで2時間やったことあったもんな。

 しかし、日野は自由人。自分がソロを取っていない時の落ち着きのないこと。タガが外れたようなとりとめもない彼のMCにワッツとジナスは顔を合わせて、笑いっぱなし。この晩はダブル・ベースだけを弾いたジナスは菊地雅章(1999年11月3日(2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24日、2012年6月25日、2012年10月26日)と日野の再邂逅作『トリプル・ヘリックス』(東芝EMI、1993年)で弾いているのか。

▶過去の、日野
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▶過去の、ジョン・ビーズリー
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▶過去の、ジャイムス・ジナス
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▶過去の、ジャフ・テイン・ワッツ
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▶過去の、グレゴア・マレ
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▶過去の、ジャワ・ジャズ
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▶過去の、ジョン・スコフィールド
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▶過去の、菊地雅章
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<今日の、銀行>
 昨日の本欄で書いた事故を受け、通帳を受け取りに、最寄りのみずほ銀行に行く。だいぶ待たされた(45分)というのはともかく、驚愕したことが一つ。待合席においてある雑誌が、すべて女性向けのものであること。当然、男性客も多いのに、これはどうしたことか。お客用の雑誌を用意させられる下っ端の女性(なんだと、思う。それで、女性向け雑誌ばかりが用意されるのだと推測する)の気配りのなさと、そのあまりな不都合をチェックできない上の人間の能力欠如ぶりに、絶望的な気持ちになる。そうした旧態依然な上っ面のココロのない顧客サーヴィスが続けられている様は異常と言わずして、なんと言う? よく潰れずに、のうのうと商売が続けられているものだ。って、ツブれられたら困るけど。

メリアナ

2015年3月13日 音楽
 メリアナは、ジャズ・ピアニストのブラッド・メルドー(2002年3月19日、2003年2月15日、2005年2月20日)と彼より10歳年下のドラマーであるマーク・ジュリアナが組んだ、デュオ編成のユニット。ジュリアナはイスラエル人ベーシストのアヴィシャイ・コーエン(2006年5月17日、2014年1月21日)のトリオに2000年代中期に参画して知名度を得た人物で、機材効果も介してビートの深淵を求めんとするたリーダー作も出している。このデュオは数年前からライヴが持たれて来たようであり、昨年にはメルドーが所属するノンサッチから『Taming The Dragon』というアルバムもリリースされた。

 当代きってのジャズ・ピアノの担い手であるメルドーは電気ピアノやシンセサイザーを多用し、ジュリアナは刺の感覚を抱えたドラミングで、間の手を入れる。自在に流れていく演奏は少しのモチーフありきで、あとはノリで鷹揚に流れて行く(メルドーの楽器選定を含め)。ゆえに1曲は長めで、2曲目(だったかな)はザ・ビートルズ「フール・オン・ザ・ヒル」を延々、けっこうピアノも用いて披露した。

 アナログ・シンセでベース・ラインを弾く場合もあり。一方、ジュリアナは電気効果を介するのかと思ったら、変な音のパッド音をほんの一部用いただけで、あとは音色/響きをいじる局面はなかった。

 クラブ・ミュージック視点からメリアナを見る人もいるようだが、メルドーおじさんの感性はクラブ・ミュージックというよりはプログ・ロックのほうに近いというのが、『Taming The Dragon』を聞いて、ぼくが感じていたこと。そして、実演を見た見解もそう。そして、2人にある音のやりとりの軸となるものというか、両者間を行き来する音楽観のようなものはくっきり見える。それぞれの演奏する姿(何を弾いたり、どう叩いているか。やはり、それ分ると理解は倍加する)目の当たりにできるというのは、たいそう面白い。これぞ、ライヴの美点であるよなー。

 『Taming The Dragon』を聞いて思い出したのが、キース・ジャレット(2001年4月30日、2007年5月8日)とジャック・ディジョネット(2001年4月30日、2003年8月23日、2007年5月8日、2014年5月22日)のECM発のデュオ名義作『Ruta and Daitya』(1972年)。同作を、若き日のジャレットのカっとんだエレクトロ・ジャズ盤と捉えているが、この晩の演奏を聞いて、あのエスノっぽい部分も抱えていたアルバムは当時台頭していたプログ・ロックを横目に見たところがあったのかと、ふと思ってしまった。

▶過去の、ブラッド・メルドー
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▶過去の、アヴィシャイ・コーエン
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▶過去の、キース・ジャレット
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http://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
▶過去の、ジャック・ディジョネット
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<今日の、記憶>
 過去にブルーノートに出演したさい、メルドーはくわえ煙草で演奏していた。ヨレた風体と合っていたので、けっこう記憶に残っている。そのころは、まだブルーノート東京も喫煙が許されていたのだっけ? 記憶は定かではないが、大昔喫煙しまくっている人が横にいて、コイツなんだかな〜と思った事あったよな。ま、そうこうしているうちに、いつの間にかクラブクアトロのようなスタンディングのライヴ会場も軒並み禁煙となった。めでたし、めでたし。でも、それゆえ、煙が苦手なぼくは(喫煙が認められる)クラブに行きたくねーとなっているわけだが。
あ、そーいえば、、『Taming The Dragon』のジャケット・カヴァーって、ギャラクティック(2000年8月13日、2000年12月7日、2001年10月13日、2002年7月28日、2004年2月5日、2007年12月11日、2010年3月29日)の2012年傑作『カーニヴァル・エレクトリコス』(トラフィック。米国はエピタフ)のそれとけっこう似ていないか。
▶過去の、ギャラクティック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm (バーク・フェス)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm 
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm (朝霧ジャム)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm  触れていないが、ギャラクティックで出演し、ジョージ・クリントンが飛び入り
http://43142.diarynote.jp/?day=20040205
http://43142.diarynote.jp/200712161021270000/
http://43142.diarynote.jp/201004080749482839/
 昼下がりから、非英語が用いられ、非現代を舞台にし、ともに馬が死ぬシーンがある、映画語法の質が高い映画を二つ見る。両方とも、明るい映画、エンターテインメント性に富んだ映画とは言いがたい。こんなのを地道にマジメに作っていてすごいなあ、酔狂だなあと一瞬思ったが、そんな音楽を山ほどぼくは日々聞いているじゃないかと合点し、それはどうってことない、健全な制作態度であるのだと思い直す。

 映画「涙するまで、生きる」は2014年のフランス映画。監督は、1968年フランス生まれのダヴィド・オールホッフェンで、原作はアルベール・カミュ(1913〜1960年)の短編「客」。舞台は1954年、フランスからの独立運動が高まる北アフリカのアルジェリア。元軍人の教師と、彼に裁判所まで連れていかれる殺人犯との高原の旅路を描いている。資料を見て、カミュがアルジェリア生まれ/育ちのフランス人であったのを初めて知る。ノーベル賞を受けているぐらいだからもちろんその名前は知っているが、彼の著作を呼んだことはないしな。寒々とした風景が延々と映し出されるが、モロッコ側のアトラス山脈で撮影されたという。

 なんかダークな、辛い映画。それは、もう一つ、別な環境、別な文化があることを伝える。頭のほうはなんとなく困憊気味で見ていたが、確かな映画制作手腕もあり、きっちり見させる。役者が話す言葉は、フランス語とアラビア語。主役のヴィゴ・モーテンセンはNY生まれの米国人だが、その二つの言語をちゃんと操っていて、いささか驚く。

 ところで、すこし臭いかもしれないが、売春宿がこんなにも生理的に綺麗に描かれている映画は初めてのような。いいシーン、だな。それから、最小限の場面でしか使われない音楽は“アコースティック”な映像と異なり、シンセサイザー系音が中心。エンド・ロールを見れば、ニック・ケイヴとマルチ奏者のウォーレン・エリスが作っている。スタイリッシュな豪州出身情念ロッカーとしてだけでなく、映像系音楽家としてもケイヴは活躍していることを認知はしていたが、彼が音楽を担当する映画は初めて見るような。あ、明後日に実演を見るカサンドラ・ウィルソン(1999年8月27日、1999年9月2日、2001年2月12日、2004年9月7日、2008年8月11日、2010年6月13日、2011年5月5日、2013年5月31日)とニック・ケイヴは現在同じアメリカの音楽事務所に入っていて、ウィルソンのビリー・ホリデイ・トリビュートの新作はケイヴの関連者が深く関わっている。

▶過去の、カサンドラ・ウィルソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm 
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200409070203440000/
http://43142.diarynote.jp/200808121357410000/
http://43142.diarynote.jp/201006181521416566/
http://43142.diarynote.jp/201105101010399933/
http://43142.diarynote.jp/201306060609052151/

 続いて、2013年ポーランド映画である「パプーシャの黒い瞳」を見る。さっきは京橋テアトル試写室で、今度は六本木・シネマート試写室。20分前に試写場についたら、すでに満員。最前列端にやっと空席を見つける。最終試写日とはいえ、評判高い映画なのか。監督・脚本はポーランド人夫婦である、クシシュトフ・クラウゼとヨアンナ・コス=クラウゼがしている。

 1910年に後のポーランドに生まれた、史上初のジプシー女性詩人の人生を1970年代初頭まで追った、モノクロの作品。なるほど、わざわざ非カラーで撮影した意味が分る、味ある設定、映像を持つ。映画は、自在にいろんな時期のエピソードが非時系列で並べられるが、その手法は先に見た傑作JB映画(2015年3月3日)と同じだ。

 こちらは、ポーランド語とボーランド語系ジプシーの言葉であるロマニ語が使われる。2時間10分強の映画でいろいろなシーンが埋め込まれているが、ポーランドでの20世紀のジプシーのありかた、非ジプシー社会からの受け止められ方、そして、それを通したジプシー文化/流儀の変容を、この映画はしっかりと描いている。

 パプーシャの旦那はハープ奏者で(実際は、ギター奏者であったよう)、演奏シーンもあり、それはなるほど我々が持つ東欧系ジプシー音楽のそれから大きく外れるものではない。アレっと思ったのは、エンド・ロール。ポーランド人の名前がずらり並べられるなか、キャスト、ヘア・スタイリスト、とか、役割や肩書きの表記はどれも英語が使われていたこと。また、冒頭の映画プロダクションや映画会社を知らせる短いロゴ付き映像が印象的。それは、先にポーランド大使館で見た同国の質の高いアニメーション映像(2014年9月10日)と繋がるもので、おおきく頷いた。

▶先の、映画「ジェームス・ブラウン 最高の魂を持つ男」
http://43142.diarynote.jp/201503041619591535/
▶先の、ポーランドのアニメ映像。
http://43142.diarynote.jp/201409111424501752/

 そして、最後は音楽のライヴを見る。4ADから1990年代にアルバムを出していたレッド・ハウス・ペインターを率いていたマーク・コズレック(1967年、オハイオ州生まれ)のユニット。彼はソロ名義やサン・キル・ムーン名義でもアルバムをいろいろ出しているが、今回は後者の名義での来日公演なり。

 基本、ぼくは絵に描いたようなシンガー・ソングライター/フォーク傾向にある担い手にあまり興味が持てない(そこにウェスト・コーストという項目〜この場合は主にLA〜が加わると、ぼくの腰はより退ける)。だから、この3月に来日したジャクソン・ブラウン(2003年5月2日。はは、ディスってます)やクロスビー・スティルス&ナッシュ(恐いもの知らずで、大昔にインタヴューしたことがあった。なんか、余裕でいい人たちだった記憶あり。3人の中ではスティーヴン・スティルスがダントツに好き。マナサス、好みでした。スティルスさん、長続きしなかったはずだが、ヴェロニク・サンソンというシャンソン歌手と結婚したこともあったよなー)のコンサートも、積極的に行きたいと思わなかった。だが、コズレックは(過去の来日公演を見たことがないためもあり)ぜひに見たいと思った。彼が歌うCDには、そういう傾向にある人たちのなか、ぼくにとっては例外的に引力を持つと感じられるから。グっと来る。ヌルくない。味もコクも情もある。って、なんか要領を得ないコドモがダダこねている文章を書いているな。

 渋谷・クラブクアトロ。なんと、キーボード奏者とドラマーをしたがえてのもの。最初おどろいたのは、コズレックが音楽とは合わない感じの鈍重そうなおっさんだったこと。軍隊あがりっぽいというか、後のほうから見ているぶんには、田舎の右派カトリック信者臭も感じた。また、CDだと漂う手触りも存分に持つ、繊細でもある歌唱を認めることができるのだが、生の場での彼の歌声はもっとのぺーとしていて、音程も甘く、雑。曲によってはかなり声を張り上げたりもして(一方では、けっこうラップぽいときもあり)、トゥ・マッチ。カッコつけてるところがゼロで、天然臭が出る、とも書けるが、こりゃずっこけた。

 驚いたといえば、頭の45分はギターを手にせず立って歌い(しかも中央ではなく、向かって右側に彼は位置する)、多くの曲においてはブラシを手にシンバルやスネアなどを叩きながら、歌う。なんか、妙というか、ある種の妙味は出てくるか。で、その大味さは想定外と思いつつも、やはり俺にとってはイヤじゃない米国人シンガー・ソングライター表現だと思え、気持ちも上気してくる。なんか、ある種の虚無感というか今的な手触りともに、白人ロック的スピリチュアリティがもわもわと送り出されていると感じてしまうのだ。

 その後の45分間は、ガット・ギターを弾きながら、ステージ横に座って歌う。わあ、ギターの音がきれいとすぐに思う。エフェクターもかけて、ときにはエレクトリック・ギターを弾いているような音でやる場合もあるが、それらは熟練を感じさせる。また、フラメンコっぽいというか一部はエスニックな味をほんのり出す場合もある。けっこう、ビーンビーンビーンと悠々とチューニングをしたりもして、自由人だなあと思わせる場面もいろいろ。が、ぼやきMCはなんと言っていいものか。そんな彼はギターを離し、再びブラシを手に立って歌ったりもする。すると、そのぬぼうと立つ姿が愛おしく思えて来たりも。なんか、突き抜けているなー。

▶過去の、ジャクソン・ブラウン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 5.02

<ちょい前の、家出>
 二泊三日で、プチ家出をした。ウヒヒヒ。海外出張がとんで、それを見越して仕事を断ったりしたせいもあって、時間的に余裕があったりもしたから。最初は誰かを一緒にまきこんだりしようかとも思ったが、ふ〜むと考え直し、ここは全面的よそ者スタンスで行こうかとなり、一人で思いっきり成り行きで流れた。やはり、普段と違うことをやるのはいいなあ。本当はもう少し暖かくなってからのほうが、ほんわか快適に家出を楽しむことができたとは思うが。当初は、携帯電話さえ持たずにそれをやろうと思ったが、コワくて(何が?)、それは出来ず。思いっきりの悪い男、だなあ。……戻ってきての東京の夜の街の光彩は、ぼくに優しかった。という、当たり前の結論を感じたことにも、ほのかなマル。
 2010年に解散した、UKロックらしい旨味をいろいろと持っていたスーパーグラス(2000年1月27日)のフロント・マンの単独公演。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。

 ギター、キーボード、ベース、ドラム(彼は、ライドのライヴで叩いていた人らしい)のサポートがついての実演。しっかりした演奏をする人たちであり、とくにギタリストと鍵盤奏者の風体はいかにもブリティッシュなのがうれしい。主役のクームズはスリムなまんまだし、声も出るし、劣化は感じず。って、彼はまだ30代なんだっけ?

 電気キーボード、アコースティック・ギター、エレクトリック・ギターなどを弾きながら、クームズは歌う。曲の途中でも楽器を持ち替えたりもし、とっても落ち着きのない人であるのがよく伝わる。とともに、いい人であることも端々から。披露した曲はソロになってからのものに特化したようだが、 UK ポップらしいひねりを含んだそれは輝きやフックをちゃんと持っていた。

▶過去の、スーパーグラス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm

<先日の、感想>
 そういえば、ビューク(2001年12月5日、2008年2月22日)の新譜。4年ぶり、8作目になるとか。パっと聞いたぶん、新味はあまりないけど、確固たる彼女らしい手応え、味には満ちるという感想を得る。基本、プログラム・ビートにストリング音が乗り、その上に彼女の声群が泳ぐという、とってもシンプルな成り立ちの内容を持つ。つまり、弦音はかなり効いているわけで、目立つ。とうぜん、その弦音アレンジは誰がやっているのかと、すぐに思いは飛ぶ。まあ、そんなことに思いは回らず、やっぱビュークってすげえという感想だけで音楽を楽しめちゃったほうが幸せなのかと、ふと思ったりもしたか。でも、音楽について文章を書くという生業をしていなくても、音楽大好きになっていたら、やはり裏方にまで目は向ける性分ではあるかな? そして、クレジットを見ると、何気に無骨な弦音はビューク自身による。プログラムの多くはアルカ(史上、もっともコンテンポラリー・ポップ表現の世界的前線に位置できたベネズエラ人か?)らに委ねてもいるわけで、決して自分が自分がというエゴから弦編曲をしているわけではなく……。やっぱり、音の出口に至るまでの、筋道に思いをいろいろとめぐらすのは面白い。
▶過去の、ビョーク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm 12.5
http://43142.diarynote.jp/200802230934310000/

 南青山・ブルーノート東京で、“女王” (1999年8月27日、1999年9月2日、2001年2月12日、2004年9月7日、2008年8月11日、2010年6月13日、2011年5月5日、2013年5月31日)を見る。今回の来日公演は2ショウではなく、1日1回のみパフォーマンス。しかも、新譜を出したばかり(この来日公演に合わせ、日本は米国よりも20日ほど先倒しでリリース)なのに、取材は受けないないなど、ホントにクイーンになっちゃっている……? その『カミング・フォース・バイ・デイ』は、ビリー・ホリデイ・トリビュート作品。マイルス・デイヴィス(『トラヴェリング・マイルス』)に続く、彼女にとって2作目のトリビュート盤。今年はホリデイ生誕100年というお題目があるにしても、マイルスよりは必然性が高いと、ぼくには思える。

 その帯の、最終日。その新作を全面的にフォロウする公演。なんと披露したのはすべて、新作でやっている曲。この晩はアンコール1曲を含め全11曲を歌ったが、アルバムに収録されていたのは12曲(日本盤はそこに、ボーナス曲が入る)だったので、ほぼ全曲披露したこととなる。やらなかった1曲は何? そう興味ひかれる人がいるかもしれないが、それは「ストレンジ・フルートゥ」なり。なんか、深読みできますね。と、思ったら、他の日はアンコールを4曲もやり(30分近かった、そう)、そこには「奇妙な果実」も入っていたようだ。ガクっ。

 アルバムのプロデューサーは いろんなロック・アルバムを手がけているエンジニア流れのニック・ローネイ。アルバムには旧知のジャズ流れの人とともに、ローネイが制作したことがあるニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズのリズム・セクションやヤー・ヤー・ヤーズ(2010年1月16日)のギタリストたちが関与。カサンドラとケイヴは同じマネージメントに所属、ローネイ起用はカサンドラのマネージャーの勧めであったという。

 2月20日から5月まで続く米国ツアーのなかにぽっこり入った、極東でのライヴ(このあとの香港での2公演以外は、公演会場はすべて米国都市)。ロック側プレイヤーの参加はなしに、周辺のジャズ・ビヨンド側奏者で主にまとめた陣容でショウを持った。

 ブライアン・ブレイドやアリッサ・グラハムの来日公演同行でお馴染みのピアノのジョン・カウハード(2003年9月27日、2008年9月4日、2009年7月16日、2011年5月12日、2012年5月22日、2014年2月12日)、ベース・クラリネットやテナー・サックスを中心にフルートやクラリネットも手にしたロビー・マーシャル、自ら歌う渋味リーダー作を何作も出しいるギターのゲヴィン・ブリートの3人は新作レコーディング参加者たち。ありゃ、3人とも非アフリカンじゃん。もしかして、『カミング・フォース・バイ・デイ』はカサンドラ以外は白人だけで録音されたのかもしれない。わりとハンサムなマーシャルはポップ系のセッション奏者だがかなりの腕利きで、感心。ぼくが知る限り、ウィルソンが純管楽器奏者を同行させたのは初めてか。ノラ・ジョーンズ(2002年5月30日、2002年9月14日、2007年3月21日、2010年1月20日)作なんかにも入っているブリートは『ニュー・ムーン・ドーター』や『トラヴェリン・マイルス』でカサンドラと絡んでいる。

 ヴァイオリンのチャールズ・バーナム(2004年9月13日、2013年5月31日)、ベースのロニー・プラキシコ(1999年9月2日、2001年2月12日、2001年9月6日、2008年8月11日、2010年6月13日、2011年5月5日、2013年5月31日)はカサンドラ作/ライヴ 参加でおなじみ。若い頃のレニー・ホワイト(2010年9月1日、2010年12月3日、2014年9月7日)と少し似ているドラマーのジョン・デイヴィスは、山中千尋(2005年8月21日、2009年6月7日、2010年3月14日、2011年8月6日、2013年3月3日)が一頃重用していた。この3人はアフリカ系だ。

 バーナムだけ、譜面を前に置いていた。アルバムでの弦アレンジはヴァン・ダイク・パークス(2013年1月29日)がやっていたが、その甘美な響きが効いた1938年曲「ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド」はシングル・カット出来そうなほど、アルバムでは親しみやすいメロウ・ソウル曲になっていた。でも、実演でのヴァイオリン1本の伴奏はアルバム・ヴァージョンを何度も聞いていると少し辛かった。しかし、バーンハムとブリートの絡みは相当に魅力的。2人で絡みながら、グイグイせめて行く局面なんかはもう並んだ2人に注視するのみだった。

 基本、伴奏も軽く漂う感覚を持つが、カサンドラの歌唱もまた軽く、力を込めず流れる。その腹6分目的な歌唱はライヴを見るたびに毎度指摘しているような気もするが、見るたびに説得力のある力の抜け具合に感心しちゃうのだから、しょうがない。けっこう胸の谷間を出すゆるめのワンピースを着た彼女は終始笑みを浮かべていて、それは今ホリデイの表現を自分なりに聞き手に出せるのがうれしくてしょうがない、冥利に尽きる、と、伏せることなく出しているようであり……。

 アンコールの「アイル・ビー・イン・シーイング・ユー」のとき、TOKU(2000年2月25日、2001年9月6日、2004年3月10日、2006年2月16日、2008年8月19日、2011年3月16日、2012年6月19日、2013年9月22日、 2014年2月5日)が呼ばれて、フリューゲル・ホーンで無理なく、いやかなりいい感じで重なった。カサンドラも終始、微笑む。

 ホリデイ←→カサンドラ、ホリデイの生きた時代や文化←→カサンドラが生きる今、20世紀上半期の先端ポップス←→21世紀のポップス……。様々な用件が交錯する、蜃気楼のような感覚も多分に持つ、ライヴ ・パフォーマンス。やはり、いまだウィルソンの活動を注視しなければならないと、痛感しきり。とともに、あの時代のジャズ歌手においては珍しくソング・ライターとしての才も部分的には出していたホリデイのことを一度ちゃんと追いたくなった。。。

▶過去の、カサンドラ・ウィルソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm 
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200409070203440000/
http://43142.diarynote.jp/200808121357410000/
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▶過去の、ヤー・ヤー・ヤーズ
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▶過去の、ジョン・カウハード
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http://43142.diarynote.jp/201105140859559227/
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
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▶過去の、ノラ・ジョーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-5.htm 5.30
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm 2.09
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http://43142.diarynote.jp/201001211346277187/
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▶過去の、チャールズ・バーンハム
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▶過去の、ロニー・プラキシコ
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▶過去の、山中千尋
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▶過去の、ヴァン・ダイク・パークス
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▶過去の、TOKU
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http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-9.htm ロニー・プラキシコ
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http://43142.diarynote.jp/?day=20130922

<今日の、昭和>
 午前中に取材を1本こなし、昼過ぎに知人と渋谷で会う。先方指定の、昼時でも混まないという場所は、東急プラザの渋谷店にある時間制のフリー・スペースのようなところ。へえ、こんな形態の商売もあるのね。PCも使えれば、子供用スペースもあり、無料の飲み物サーヴァーもある。何より、広々としているのがいい。これは使えるかもと思ったが、もうすぐクローズなのね。今度の日曜で、東急プラザは渋谷駅再開発の流れで、閉店とか。ま、そんな立ち寄ることはなかったが、紀伊国屋書店とかHISとかにはお世話になったし、ここの喫茶店(いつも、混んでいたよな?)で待ち合わせたことは何度もあるはずだ。あと、10年前ぐらいに知り合いが地階の蕎麦屋を飲み屋がわりに頻繁に使っていたことがあって、そのときは何度か、ここに足を踏み入れたかな。別に思い入れはない。だが、10代から時に入ったりはしていたわけで、少し寂しさは感じなくもないか。1970年代はお洒落なショッピング雑居ビルであったと思われ、そのまま店揃えは基本昭和のままで通して来た建物。次はどんな施設で、いつできあがるのか。ぼくが計画者だったら、JR渋谷駅と東急プラザの間にある広大なバス乗り場を含めてなんとかしようと思う。バスターミナルを地下にするにしろ、地上のままの置くにしろ、もう少し便利で、楽しくなるような、使い方があるような。ともあれ、自分のなかにある、なんとなくな昭和がまた消える……。
 ところで、3月17日のこと。ブログに書いた2本目の試写を見合たあと、スペースシャワーの事務所(bmr.jpのマルヤに会いにいった。今放送に出ることが多くてと、アイツなんか自慢しておったなー)のすぐ近くの路上で、仲良さそうな外国人夫妻とすれちがった。ん、男性のほう、サッカー日本代表チームの前監督のハビエル・アギーレにかなり似ているぢゃん。ぼくのイメージより白髪なのと、小柄であることに加え(それから、写真で知るより、恐そうじゃなかった)、まさか今日本にいるなんて思いもしなかったので、さらりとすれ違った。が、現在日本に滞在とのこと。わー、やっぱりあれは、本人であったのか。でも、完全にプライヴェイトのりであったし、本人だと分っていても声をかけたかどうか。ぼくは何気にアギーレに期待しているところはあったナ。だが、彼に代わるヴァヒド・ハリルホジッチのほうが断片的に入る情報だと、もっとデキる人のように思えてしかたがない。楽しみではあるなあ。






*追記。以下のは、ちょっと失礼な対応をされたので、自らボツらせた、この日のライヴの原稿デス。(そんなこと、初……)


 ビリー・ホリデイ・トリビュートとなる新作『カミング・フォース・バイ・デイ』を100%フォローする公演、それは蜃気楼のような、えも言われぬ詩情を携えていた。
 冒頭、新作レコーディング参加者(カウハード、マシューズ、ブリート)と旧知の奏者(バーンハム、プラキシコ)らが主となる演奏陣が出て来て、演奏を始める。間の感覚を抱えた楽器音群が響きあい、漂う。コレハ、何カガ違ウ……。ちょっとした演奏音だけでも、聞く者を引き寄せる、磁力のようなものが確実に存在する。
 そして、裸足のウィルソンがステージに上がり、例により、過度に力を抜いているのに、一方では確固とした質量感を持つ肉声を泳がせる。だいぶ前から、彼女はフェイクやスキャットを噛ますことを避けている。だが、揺らぎを持つサウンドのもと披露される抑えまくった歌唱は奔放な感覚を存分に抱えているのはどうしたことか。様式ではなく、哲学としてのジャズが、ここにある。そんな思いも、これは引き出されるというものではないか。
 演奏された曲は、11曲全て新作に収録されていたホリデイ絡みの楽曲。潔い。とうぜん、バンドのサウンドもまたアルバム録音セッションで獲得したものを、今回の編成で開き直そうとするものだ。
 それにしても、ウィルソンは柔和な笑顔を浮かべっ放し。毎度余裕たっぷりにパフォーマンスをする彼女だが、いつも以上の笑みの表出に、ぼくは唐突に菩薩という言葉を思い浮かべたりもした。それは、ホリデイの世界に対峙できる冥利の度合いを知らせるものではないか。そして、新作の持つ意味は、般若という側面もあったホリデイの表現を、今の視点やウィルソンの持ち味を介して菩薩の表現に転化させることであったのではないかと思えて来たりもしてしまった。少なくても、20世紀上半期前線のポップスという位置にあるビリー表現を、21世紀の奥行きある艶やかな大人ポップ・ミュージックに改変していたのは間違いない。
 誘われつつ、ココロ射抜かれる。今回、材料が統一されているためもあったろう、よりブレない軸を持つカタチでカサンドラの確固たる音楽スタンスはアピールされたし、ビリー・ホリデイの神通力のようなものも明晰に出されていたと、ぼくは痛感した。

 南青山・ブルーノート東京(ファースト・ショウ)。カサンドラ・ウィルソン(1999年8月27日、1999年9月2日、2001年2月12日、2004年9月7日、2008年8月11日、2010年6月13日、2011年5月5日、2013年5月31日、2015年3月19日)、ボビー・マクフェリン(2004年2月3日、2012年3月2日)という出演者の並び、こりゃ黄金だな。

 肉声の使い方も、向かい合う音楽ジャンルも、立脚するスタンスも、解き放たれまくっているヴォイス・パフォーマーのショウは、昨年出たブラック・スピリチュアル・ビヨンドを求めたアメリカーナな傑作アルバム『スピリチュオール』をフォロウするものであり、奏者もそれに準ずる陣容を持つものであった。が、けっこう自在に流れていく感じもあって(披露した曲も、収録曲に過剰にとらわれず)、もっと大きなマクフェリン像を見せていたと指摘できるか。あと、スピリチュアルというよりは、地に足付けたロック感覚が強かったと、ぼくは感じたかな。

 もう、冒頭のボビーの胸を叩きながら(今回、終始そうしていた。こんなに、胸たたき効果を求める人であったっけ?)の自在のソロ・パフォーマンスだけで、人間味に満ちた自由の音楽家であると、痛感させられる。もうちょっとした1、2分でそう唸らせるのだから、これはすごい。素敵すぎる。実のところ、喉力の味という部分においては、カサンドラ・ウィルソンを聞いた後だと、意外に突き抜けていないと思わせもするが、その総体の存在感や佇まいの部分にあっては比肩するものがないとすんなり思わせられちゃう。

 格好は例によって、シンプル極まりなく、Tシャツとジーンズ。普通だったら、ぼくはもう少し格好に気を遣ってほしいと思うわけだが、彼はクラシックの指揮者をやるときもニコニコとこの格好でしてしまうわけで、ユーモアも持つパンクな姿勢もそこからは表れるか。なんか、そうしたことも含めて、他人と異なる物差しを持つしなしやか逸材がいる!と思わされることしきり。彼は途中で、ピアノを弾きながら歌った曲もあった。

 同行サポート奏者のなかアルバムに関与していたのはそこでアレンジも担当していた、ピアノやキーボードやアコーディオンを担当するギル・ゴールドスタイン(2004年2月13日)のみ。だが、他のプレイヤーもちゃんと吟味した末の起用であるのだナと思わす音を出す。

 リゾネーター・ギターやフィドルやマンドリンなど土の感触を持つ楽器を自在に操るデイヴィッド・マンスフィールドはライ・クーダー、スティング、ベック作などにも参加しているポップ・レコーディング界での売れっ子奏者だし、テレキャスターを手にする必然性を感じさせる演奏をしたギタリストのアーマンド・ハーシュはコロムビア大学卒の20代半ばの新進ジャズ・ギタリスト。彼はジュリアン・レイジ(2005年8月21日、2009年6月24日、2011年7月20日)とも仲良しのようだが、今回の彼の引っかかりのあるアーシーなパーフォーマンスは出色。ソロ作が出たら、買いマス。 

 ダブル・ベースを弾くジェフ・カーニーはバーブラ・ステライサンドのバンドにずっと入っている人で、ドラムは売れっ子ルイス・ケイトー(2010年9月3日、2011年11月22日、2013年9月3日、2013年10月21日、2015年2月21日)。マーカス・ミラーで先月来日したばかりのケイトー(5月には、ジョン・スコフォールドのバンドでまた来日する)はブラインド・フェイスの有名曲カヴァー「キャント・フィンド・マイ・ウェイ・ホーム」(作曲は、スティーヴ・ウィンウッド〜2003年7月27日〜)ではアコースティック・ギターを足でアクセント音を出しながら弾く。なるほど、マーカス・ミラーが言うように、いろんな楽器が出来る人なんだな。

 そして、サイド・ヴォーカルで、マディソン・マクフェリン。『スピリチュオール』ではエスペランサ・スポルディング(2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日、2011年2月17日、2012年3月7日、2012年9月9日)がゲスト入りしていたが、マディソンはスポルディング役を担ったと言えるか。兄のテイラー・マクファーリン(2012年3月2日、2012年2月18日、2014年9月26日)に取材したとき、マディソンのことをすごい才能があると手放しでほめていたが、先の「キャント・フィンド・マイ・ウェイ・ホーム」やブルージーなスタンダード曲「ストーミー・ウェザー」ではフィーチャーされたりもした。彼女、レトロな髪型や格好をしていた。

 全ツアー最終日であるためか、途中でツアマネ女性が出て来て、メンバーに暖かく見守られ歌う局面もあり。マクフェリンはこの後単発的にソロ・パフォーマスンスとかを米国で持ったあと、6月からはかつて共演アルバムを作ったこともあったピアニストのチック・コリア(2006年9月3日、2007年10月1日)と欧州ツアーに出る。

▶過去の、カサンドラ・ウィルソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm 
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200409070203440000/
http://43142.diarynote.jp/200808121357410000/
http://43142.diarynote.jp/201006181521416566/
http://43142.diarynote.jp/201105101010399933/
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▶過去の、ボビー・マクフェリン
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▶過去のギル・ゴールトスタイン
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▶過去の、ジュルアン・レイジ
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http://43142.diarynote.jp/201107230819362417/
▶過去の、ルイス・ケイトー
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http://43142.diarynote.jp/201111251251201578/
http://43142.diarynote.jp/201309051241384602/
http://43142.diarynote.jp/201310210730403296/
http://43142.diarynote.jp/201502231815384234/
▶過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
▶過去の、テイラー・マクフェリン
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120302
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
▶過去の、エスペランサ・スポルディング
http://43142.diarynote.jp/200809071430380000/
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http://43142.diarynote.jp/?day=20120307
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
▶過去の、チック・コリア
http://43142.diarynote.jp/?day=20060903
http://43142.diarynote.jp/200710121726160000/

<今日の、迷い>
 単語のスペルにvが入る場合は、基本的にはウ濁点を、ぼくは用いる。でも、日本語としてウ濁点を使わない表記がとっても浸透している場合はどうしようかと、悩む場合もある。だって、テレビをテレヴィ(ジョン)と書いたら、なんかバカじゃん。テレヴィの場合、ぼくはTVと表記して逃げている。
 ときに、スペイン語の場合はどうしよう。スペイン語は発音のさいvであっても下唇を噛まないので、ウ濁点ではなくフ濁点を使うべきと識者から指摘を受けたことがあって、基本スペイン語圏のアーティストや曲名や地名については現在バビブベボを使っているような気もするが、けっこういい加減かな。また、スペイン語圏南米出身でも米国在住者の場合は、どーする? 事実、英語読みに鷹揚に従っている人もいるしなー。
 なんかいろいろやっかいなので、非日本語の固有名詞は原語表記にしちゃったほうがすっきりするという人もいるのは、理解はできる。確かに、読んだ人がそれをコピー/ペーストしてすぐに検索できるなど、利便性は高いだろうし。この前、ピーター・バラカンさんと話した際、彼も間違ったカタカナ表記をするならそのほうがいいと確か言っていたと記憶する。だけど、こなれた日本語の文章、見やすい文章を書きたいと思うと、英文字など外国語をいろいろ入れるのはなんかとっても抵抗があるんだよなー。英文字が入っている日本語歌詞が基本嫌いなのは、そういう考え方をしているからかもしれない? 
 それから、外国語を日本語に記す場合の悩みどころは。どこまで原語の発音に忠実になるべきかということ。先のピーターさんは、人名のカタナカナ表記は、発音に近いものであるべきと、する。だから、ジョン・リー・フカ(ジョン・リー・フッカー)とかマイクル・ムア(マイケル・ムーア)とか、これまでの日本語アーティスト表記になれていると違和感を覚えるカタカナ表記をなさっている。ボビー・マクフェリンもこれまでマクファーリンと表記されてきたが、彼によれば、絶対にマクフェリンにすべきと言う。その主旨に過剰さを感じるところもなくはないが、その考え方はよく分る。だって、日本人の名前が外で変な読み方で表記され、まかり通っていたら、そりゃ反発を持つはずであり、また正したくもなるだろうから。しかしながら、英語の場合はまだマシと言うとなんだが、例えばフランス語や北欧系の言語だったら、カタカナ表記以前に読みや発音の段階で???となり、ぼくはお手上げになってしまう……。
 それから、もう一つ悩むのは、“・”=中黒(ナカグロ)の扱い。これ、元の表記に従っていたら、ニューヨークではなくニュー・ヨークであり、ブルーノートではなくブルー・ノートとなる。でも、すでに日本語(の視覚)として登録されちゃっているそれらをスペルに従いナカグロを入れていたら、テレヴィではないけど、やはり違和感はあるよなー。ぼくはヒップホップと表記するが、それもスペルに倣うなら、ヒップ・ホップとなる。
 さらには、次にアイウエオで始まる単語が続くときのtheの日本語表記も、ぼくの中では揺れている。平たく言えば、ジにするか、ザにするか。発音に近くしようとするならジで、スペルに従うなら、ザ。ときに、英語のbetterはベラーに近い発音だが、皆ベターと表記するだろう。また、たとえばtune upは大半の人がチューナップではなく、ちゃんとチューン・アップと表記するだろう。それに倣えば、いつでもジではなくザと表記したほうが適切ではないかとも判断したくなる。
 文章を書くことを生業として、まる28年と半年。でも、迷いは、つきません。なんて書いていると、すごい吟味しながら文章書いているみたいになっちゃうが、思い立ったが吉日的に、ぼくは往々にしてちゃっちゃっと書いちゃっている。だって、時間をかけてこねくりまわすと、どんどん音楽からは遠ざかってしまうと思うから。ぼく、興味を引く文章、なるほどと頷ける文章、クスっとなれる文章を書きたいけど、“文学”しようとまったく思わないし。まあ、芸術という言葉が基本好きじゃないなように、ぼくは文学という言葉も嫌い。そんなこと喃喃と口にする奴にロクな文章書く奴いないと思っています。でも、表記に関して、ちゃんとブレない自分なりの“掟”は逃げずに、きっちり持たなきゃいけないな。プロ、として。
追記。ぼくが、英文字などを日本語にまぜる場合が一つあった。それは、日本盤発売されていないアルバムを表記する場合。それで外盤であると区別するやりかたは、ずっと昔から日本の音楽の文章作法にあるよな……。
 なんと、グリーンランドの音楽の担い手を二組見る。アイスランドだってかなり不明なところ(ビョーク〜2001年12月5日、2008年2月22日〜やシガー・ロス/ヨンシー〜2003年4月14日、2005年7月31日、2006年4月5日、2010年8月8日〜の登場で、だいぶ身近にはなったが)、グルーンランドというと、ほんと雲を掴むような印象しかないよなー。アイスランドより、もっと北? ぜんぜんデカいんだよな、とか、ほんと乱暴で曖昧な感想しか出てこない。

 代官山・デンマーク大使館。というわけで、自治はしているものの、グリーンランドがデンマークに属しているといのは、今回初めて知った。

 女性シンガー・ソングライターのニールセンはイヌイットの血筋にあるというが、彼女が普通に東京を歩いていても違和感はないと思われるルックスの持ち主。外を向いた人のようで、英国人ジョン・パリッシュの制作でアルバムを作ったりし、またジャイアント・サンドのメンバーでもある米国人のハウ・ゲルプ(2004年2月7日)と一緒にやったりもしているらしい。バンドはエレクトリック・ギターを横に置いてスティール・ギター的奏法(本人に確認をとったら、オープンDで弾いていたそう)見せる奏者を含む5人、なるほどアメリカーナ感覚を介しもしつつ、細やかで伸びやかな歌を聞かせてくれる。TVにも出ていて、本国ではけっこな人気を持つ人らしい。

 一方のナヌークは、コールドプレイ(2006年7月18日)とか英国ロックの影響がもろに大のロック・バンド。皆、髪の毛の色は黒。北欧というと金色系の印象もあるが、もっと北に行くと黒くなるのだろうか。端々から音楽に対する純真や情熱が素直に伝わってくるのは、彼らの利点。演奏始まる前に彼らと少し話したが、純朴さというか人懐こさに満ちた面々だった。彼らは3枚、アルバムを出していると言っていたな。そういえば、グリーンランドの人口は5〜6万人とか。その中の2バンドがいま東京にいるというのは、なかなかすごいんじゃないのか。

 あ、それから肝心なことだが、出演者二組はグリーンランド語も用いていたのかな。ワインをグビグビ飲んでしまい、そこらあたりの印象が希薄なり。でも、後の流れの飲みも楽しかったし、良しとしよう。

▶過去の、ビョーク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm 12.5
http://43142.diarynote.jp/200802230934310000/
▶シガー・ロス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 4.14
http://43142.diarynote.jp/?day=20050731
http://43142.diarynote.jp/200604071341360000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
▶過去の、ハウ・ゲルプ
http://43142.diarynote.jp/200402071822310000/ 
▶過去の、コールドプレイ
http://43142.diarynote.jp/200607191428180000/

<今日の、代官山>
 デンマークの皇太子夫妻もいらっしゃったが、ほんと美男美女ね。また、アイスランドの自治政府首相はステージに立って挨拶もしたが、青い普通のヤッケを着ていた彼は、ほんと実直そうな角刈りのおじさん。でも、その様に接し、悪い印象を持つ人はいないだろう。自治政府首相や皇太子はグリーンランドの文化や産業をアピールするために今回来日のよう。それにあわせる形で、ニーヴ・ニールセンとナヌークの来日も実現した。
 彼女たちのパフォーマンスが行われたのは、大使館入り口のすぐ奥に設営された、野外テント。その感じがもろにフジ・ロックのレッド・マーキーで、それを50分の1にした感じか。テントが同じメイカーのものだったりするのかも。会場には知っている人ともいろいろ会ったが、そういう感想は話にのぼる。この手の催しの場合、ドレス・コードはカジュアルとされる場合が普通だが、王室も参加したためか今回はビジネス・スーツと案内状に記されていた。久しぶりに、ネクタイをしめました。それもたまには悪くない、かな?

 1939年と1979年生まれの、共に初来日となる米国人R&B歌手のショウを、六本木・ビルボードライブ東京と南青山・ブルーノート東京で見る。

 はじめに見たのは、メンフィス生まれで、スタックスのスタッフ・ライターもつとめいろんな曲を書いているウィリアム・ベル(2007年7月18日)。名士、ですね。

 ステージに出て来た彼を見て、かなり若々しく見えて驚く。ちょい目は、50代と言っても通用する? それは、禿げてもおらず太ってもおらず、白のスーツをばしっといい感じで着こなしていたからか。←それ、裕福そうという感想を引き出すものでもあったか。ずっとサングラスをしていた彼、その顔の感じは禿げていない若い頃のモウリス・ホワイト(EW&F)という感じもあったな。なんにせよ、8年前にハリウッド・ボウルで見たときとかなり印象が違う。まあ、あの時は、米ツブみたいに見えたからなー。

 お店のHPに同行バンドの明細が載っておらず、どうなるかのと思っていたが、ちゃんとしたバンド(ギター2、キーボード、ベース、ドラム、バリトン、テナー、トランペット。皆、黒基調のわりとちゃんとしている格好をしているのが良し)を連れて来ていた。管奏者3人のうち2人は外国人であったが、彼らは日本で雇ったらしい。

 彼とブッカーT・ジョーンズ(2008年11月24日、2009年7月25日、2010年2月8日 、2011年9月12日、2012年5月11日、2013年10月29日)が共作したブルース曲「ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン」以外、ファーストとセカンド・ショウはすべて異なる曲をやったよう。そりゃ、書いた曲や縁の曲はたくさんあるだろうからな。それ、初来日を誇らしく思う、彼の気概が何気に出ていた?

 悠々。喉自体は一級品と言えないかもしれないが、マナーやちょっとしたところで、好ましいR&B流儀を無理なく出していく。で、本人の颯爽とした様もあり、なんかR&Bの積み重ねのうれしさを感じることができてしまう。それから、彼はクォーテイションが好きなようで、「スタンド・バイ・ミー」とかを途中で歌い込むときもあった。

 その後は、イリノイ州生まれの、曲も書く女性シンガーのショウ。ここ数年プリンス(2002年11月19日)のレコーディングやツアーに関わるようになった塩辛いテイストを持つ喉自慢歌手で、御大も関与した新作『The Unexpected』は2作目となる。

 キーボード、ギター、ベース、ドラム、女性バックグラウンド・シンガーを従えてのもの。やはり“どすこい”な感じで歌えると思うとともに、おぉロックっぽいと痛感。ロック好きのぼくのはずであるが、ロック色は過剰と思えた(もしくは、ぼくの好みではない、ロック色を持ったいた?)。彼女の2006年ファースト作『Embrace Me』はネオ・ソウル色も抱えていたので、プリンスと付き合いを持つようになって以降、意識的に取るようになったハード路線であるのだろうが。そうしたなか、南部ソウルのスタンダード「ラヴ・アンド・ハピネス」をやられると、グっときたりもしてしまう。それから、彼女って、何をやろうとある種の“芸能臭”が出てくるところがあって、これは好ましいポイント。エンターテイナーのリチャード・プライヤーの血筋だそうだが、その事実はその手触りにあらわれていた?

 途中でバンド員がソロを回す曲をやり、アンコールでもソロを回し(その際、TOKU〜2000年2月25日、2001年9月6日、2004年3月10日、2006年2月16日、2008年8月19日、2011年3月16日、2012年6月19日、2013年9月22日、 2014年2月5日、2015年3月19日〜が呼び込まれる。今回は一部カップを使いつつ、フリューゲルホーンではなくトランペットを吹いた。5月にソニーから新作が出るそう)て、時間を取ったせいもあるが、なんと2時間を少し超えてパフォーマンス。最終日最終セットで、開演時間が早い土曜日のショウという好条件が重なった故の長丁場でもあったろうが、そこにも初来日にかける気持ちと、過剰もまた美徳というR&B/ファンクの真実があらわれていたのではないか。最後にやったのは、ジミ・ヘンドリックスとやっていた時期にドラマーのバディ・マイルズが書いた「ゼム・チェンジズ」。

▶過去の、ウィリアム・ベル
http://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
▶過去の、ブッカー・T・ジョーンズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20090725
http://43142.diarynote.jp/200812110456078867/
http://43142.diarynote.jp/201002090914248826/
http://43142.diarynote.jp/201109151819433479/
http://43142.diarynote.jp/201310301217408539/
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm 2002年11月19日
▶過去の、TOKU
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-2.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-9.htm ロニー・プラキシコ
http://43142.diarynote.jp/200403101442170000/
http://43142.diarynote.jp/200602171950040000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080819
http://43142.diarynote.jp/201103171354125352/
http://43142.diarynote.jp/201206210944302024/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130922
http://43142.diarynote.jp/201503211741478728/

<今日の、メモ>
 この週末が、花見のベスト? 急にさいたな。五分咲きというが、もっと開いているような。後から、2015年の開花状況が分るように、書いておく。。。ところで、桜寿命60年問題というのがあるらしく、そろそろ桜の樹木の寿命が来るところが多く、対策がおくれているという。。。

ライ

2015年3月30日 音楽
 恵比寿・リキッドルーム。わあ、かなりの混み具合。デビュー作『ウーマン』のリリースとともに、今様洗練ソウルとして話題になったのは、2年近くも前のこと。その後、新作も出ていないのに、しっかりと彼らのことを忘れていない人がたくさんいることに、ちょっと感激した。

 カナダ人歌手とデンマーク人プロデューサーが組んだ在LAの現代ソウル・ユニット。そんな彼らは匿名的な部分も持っていたので、2013 年フジ・ロック出演時の好評はあったものの、どういうライヴをするのかは、個人的には未知数。そしたら、相当に質の高いパフォーマンスを繰り出して来て、驚いた。

 まず、マイク・ミロシュのファルセット多用の歌がいい感じで漂うソウルネルを出す。とともに、ギターレスのバンド(一部、ベーシストは生ギターも手にした)にチェロ奏者とヴァイオリン奏者が加わったサウンドも、ちゃんと機材経由のアルバム音を生の場で開き直していた。奏者のなかには、ブラッド・オレンジのライヴ・メンバーなんかも入っていたたらしい。チェロ奏者は時にトロンボーンを手にしてソロをとったりもしたが、一部では即興性も追求。

 そして、痛感させられたのは、彼らがきっちりとパッケージとしてのショウを遂行するのダという意志に満ちていたこと。間接照明中心のライティングや曲の流れ、アンコールをしない事まで、それらは端々まで美意識が貫かれていると思えた。ショウの開始前には、ブライアン・イーノの『ミュージック・フォー・エアポート』のような(そうだったのかな?)ピアノの調べ基調のアンビエント・ミュージックがかかり、ショウが終わってからも同じものがかかる。なんか、いい余韻を生んでいた。

 漂い、沸き上がる、官能的な現代ソウルを堪能。実演だとアルバムほどシャーデーぽさも感じさせなかったし、次作が楽しみ。今、彼らはツアー中にあるが、いつごろでるんだろう?

<今日の、桜>
 ライヴ後、知り合いと渋谷まで明治通りを歩いたのだが、歩道に埋められた樹木が桜であるのを初めて認知する。へえ〜。そして、渋谷の桜ヶ丘はやはり桜が多かった。ほお〜。そんなに飲む気はなかったんだが、合流した人が今日誕生日というので、おもてなし〜。