昼下がりから、非英語が用いられ、非現代を舞台にし、ともに馬が死ぬシーンがある、映画語法の質が高い映画を二つ見る。両方とも、明るい映画、エンターテインメント性に富んだ映画とは言いがたい。こんなのを地道にマジメに作っていてすごいなあ、酔狂だなあと一瞬思ったが、そんな音楽を山ほどぼくは日々聞いているじゃないかと合点し、それはどうってことない、健全な制作態度であるのだと思い直す。

 映画「涙するまで、生きる」は2014年のフランス映画。監督は、1968年フランス生まれのダヴィド・オールホッフェンで、原作はアルベール・カミュ(1913〜1960年)の短編「客」。舞台は1954年、フランスからの独立運動が高まる北アフリカのアルジェリア。元軍人の教師と、彼に裁判所まで連れていかれる殺人犯との高原の旅路を描いている。資料を見て、カミュがアルジェリア生まれ/育ちのフランス人であったのを初めて知る。ノーベル賞を受けているぐらいだからもちろんその名前は知っているが、彼の著作を呼んだことはないしな。寒々とした風景が延々と映し出されるが、モロッコ側のアトラス山脈で撮影されたという。

 なんかダークな、辛い映画。それは、もう一つ、別な環境、別な文化があることを伝える。頭のほうはなんとなく困憊気味で見ていたが、確かな映画制作手腕もあり、きっちり見させる。役者が話す言葉は、フランス語とアラビア語。主役のヴィゴ・モーテンセンはNY生まれの米国人だが、その二つの言語をちゃんと操っていて、いささか驚く。

 ところで、すこし臭いかもしれないが、売春宿がこんなにも生理的に綺麗に描かれている映画は初めてのような。いいシーン、だな。それから、最小限の場面でしか使われない音楽は“アコースティック”な映像と異なり、シンセサイザー系音が中心。エンド・ロールを見れば、ニック・ケイヴとマルチ奏者のウォーレン・エリスが作っている。スタイリッシュな豪州出身情念ロッカーとしてだけでなく、映像系音楽家としてもケイヴは活躍していることを認知はしていたが、彼が音楽を担当する映画は初めて見るような。あ、明後日に実演を見るカサンドラ・ウィルソン(1999年8月27日、1999年9月2日、2001年2月12日、2004年9月7日、2008年8月11日、2010年6月13日、2011年5月5日、2013年5月31日)とニック・ケイヴは現在同じアメリカの音楽事務所に入っていて、ウィルソンのビリー・ホリデイ・トリビュートの新作はケイヴの関連者が深く関わっている。

▶過去の、カサンドラ・ウィルソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm 
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200409070203440000/
http://43142.diarynote.jp/200808121357410000/
http://43142.diarynote.jp/201006181521416566/
http://43142.diarynote.jp/201105101010399933/
http://43142.diarynote.jp/201306060609052151/

 続いて、2013年ポーランド映画である「パプーシャの黒い瞳」を見る。さっきは京橋テアトル試写室で、今度は六本木・シネマート試写室。20分前に試写場についたら、すでに満員。最前列端にやっと空席を見つける。最終試写日とはいえ、評判高い映画なのか。監督・脚本はポーランド人夫婦である、クシシュトフ・クラウゼとヨアンナ・コス=クラウゼがしている。

 1910年に後のポーランドに生まれた、史上初のジプシー女性詩人の人生を1970年代初頭まで追った、モノクロの作品。なるほど、わざわざ非カラーで撮影した意味が分る、味ある設定、映像を持つ。映画は、自在にいろんな時期のエピソードが非時系列で並べられるが、その手法は先に見た傑作JB映画(2015年3月3日)と同じだ。

 こちらは、ポーランド語とボーランド語系ジプシーの言葉であるロマニ語が使われる。2時間10分強の映画でいろいろなシーンが埋め込まれているが、ポーランドでの20世紀のジプシーのありかた、非ジプシー社会からの受け止められ方、そして、それを通したジプシー文化/流儀の変容を、この映画はしっかりと描いている。

 パプーシャの旦那はハープ奏者で(実際は、ギター奏者であったよう)、演奏シーンもあり、それはなるほど我々が持つ東欧系ジプシー音楽のそれから大きく外れるものではない。アレっと思ったのは、エンド・ロール。ポーランド人の名前がずらり並べられるなか、キャスト、ヘア・スタイリスト、とか、役割や肩書きの表記はどれも英語が使われていたこと。また、冒頭の映画プロダクションや映画会社を知らせる短いロゴ付き映像が印象的。それは、先にポーランド大使館で見た同国の質の高いアニメーション映像(2014年9月10日)と繋がるもので、おおきく頷いた。

▶先の、映画「ジェームス・ブラウン 最高の魂を持つ男」
http://43142.diarynote.jp/201503041619591535/
▶先の、ポーランドのアニメ映像。
http://43142.diarynote.jp/201409111424501752/

 そして、最後は音楽のライヴを見る。4ADから1990年代にアルバムを出していたレッド・ハウス・ペインターを率いていたマーク・コズレック(1967年、オハイオ州生まれ)のユニット。彼はソロ名義やサン・キル・ムーン名義でもアルバムをいろいろ出しているが、今回は後者の名義での来日公演なり。

 基本、ぼくは絵に描いたようなシンガー・ソングライター/フォーク傾向にある担い手にあまり興味が持てない(そこにウェスト・コーストという項目〜この場合は主にLA〜が加わると、ぼくの腰はより退ける)。だから、この3月に来日したジャクソン・ブラウン(2003年5月2日。はは、ディスってます)やクロスビー・スティルス&ナッシュ(恐いもの知らずで、大昔にインタヴューしたことがあった。なんか、余裕でいい人たちだった記憶あり。3人の中ではスティーヴン・スティルスがダントツに好き。マナサス、好みでした。スティルスさん、長続きしなかったはずだが、ヴェロニク・サンソンというシャンソン歌手と結婚したこともあったよなー)のコンサートも、積極的に行きたいと思わなかった。だが、コズレックは(過去の来日公演を見たことがないためもあり)ぜひに見たいと思った。彼が歌うCDには、そういう傾向にある人たちのなか、ぼくにとっては例外的に引力を持つと感じられるから。グっと来る。ヌルくない。味もコクも情もある。って、なんか要領を得ないコドモがダダこねている文章を書いているな。

 渋谷・クラブクアトロ。なんと、キーボード奏者とドラマーをしたがえてのもの。最初おどろいたのは、コズレックが音楽とは合わない感じの鈍重そうなおっさんだったこと。軍隊あがりっぽいというか、後のほうから見ているぶんには、田舎の右派カトリック信者臭も感じた。また、CDだと漂う手触りも存分に持つ、繊細でもある歌唱を認めることができるのだが、生の場での彼の歌声はもっとのぺーとしていて、音程も甘く、雑。曲によってはかなり声を張り上げたりもして(一方では、けっこうラップぽいときもあり)、トゥ・マッチ。カッコつけてるところがゼロで、天然臭が出る、とも書けるが、こりゃずっこけた。

 驚いたといえば、頭の45分はギターを手にせず立って歌い(しかも中央ではなく、向かって右側に彼は位置する)、多くの曲においてはブラシを手にシンバルやスネアなどを叩きながら、歌う。なんか、妙というか、ある種の妙味は出てくるか。で、その大味さは想定外と思いつつも、やはり俺にとってはイヤじゃない米国人シンガー・ソングライター表現だと思え、気持ちも上気してくる。なんか、ある種の虚無感というか今的な手触りともに、白人ロック的スピリチュアリティがもわもわと送り出されていると感じてしまうのだ。

 その後の45分間は、ガット・ギターを弾きながら、ステージ横に座って歌う。わあ、ギターの音がきれいとすぐに思う。エフェクターもかけて、ときにはエレクトリック・ギターを弾いているような音でやる場合もあるが、それらは熟練を感じさせる。また、フラメンコっぽいというか一部はエスニックな味をほんのり出す場合もある。けっこう、ビーンビーンビーンと悠々とチューニングをしたりもして、自由人だなあと思わせる場面もいろいろ。が、ぼやきMCはなんと言っていいものか。そんな彼はギターを離し、再びブラシを手に立って歌ったりもする。すると、そのぬぼうと立つ姿が愛おしく思えて来たりも。なんか、突き抜けているなー。

▶過去の、ジャクソン・ブラウン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 5.02

<ちょい前の、家出>
 二泊三日で、プチ家出をした。ウヒヒヒ。海外出張がとんで、それを見越して仕事を断ったりしたせいもあって、時間的に余裕があったりもしたから。最初は誰かを一緒にまきこんだりしようかとも思ったが、ふ〜むと考え直し、ここは全面的よそ者スタンスで行こうかとなり、一人で思いっきり成り行きで流れた。やはり、普段と違うことをやるのはいいなあ。本当はもう少し暖かくなってからのほうが、ほんわか快適に家出を楽しむことができたとは思うが。当初は、携帯電話さえ持たずにそれをやろうと思ったが、コワくて(何が?)、それは出来ず。思いっきりの悪い男、だなあ。……戻ってきての東京の夜の街の光彩は、ぼくに優しかった。という、当たり前の結論を感じたことにも、ほのかなマル。