銀座のソニー・ビルにあるソニーイメージングギャラリー銀座で、アレハンドロ・チャスキエルベルグというアルゼンチン人写真家の個展をさらりと見る。それには「OTSUCHI Future Memories〜大槌 未来の記憶〜」というタイトルが付けられており、写真は津波の被害にあった岩手県大槌町で撮影された。なんでも、彼は3度、のべ1ヶ月半にわたり同地に滞在、地元の人たちと交流を計りつつ、撮影したという。
普通ではない被写体を、普通ではない技法を経て、再浮上させる。チャスキエルベルグのどこか衝動のようなものを抱えた写真群はそういう説明もできるか。彼は夜間に長時間露光にて、対象を撮影するという。写真はモノクロで撮影され、そのデジタル化したデーターはPCに取り込まれ、画面上で部分着色が施される。結果、モノクロとカラーの両方の効果や生っぽさと人工っぽさといったものが、そこには混在する。
ふむふむ、彼のそうした手法って、かなり今の音楽の作り方と重なりはしまいか。ただし、音楽の場合はそのPC上で手を加えた表現を、さらに生の場でいかに開き直すか、いかにハプニング性/スポンテニアスさを加えるかということにのぞむ傾向にあるわけだ。たとえば、この前のファナ・モリーナ(2002年9月7日、9月15日。2003年7月29日、2011年8月1日、2013年12月3日、2015年2月6日)の公演のように。
題材は重い。なかには、津波に飲み込まれた(おそらくボロボロになった)写真に手を加えた作品も何葉かあった。ときに、日本文化/流儀に不慣れであることが導くであろう、“ジャパネスク”な作品もある。だけど、日本に住んでいないからこそ、よそ者であるからこそ、被害の酷さや理不尽さを直截に感じ、また地元の人たちの情を受け取り、切り取れるという部分もあるのではないか。ぼくは、チャスキエルベルグの個性的な現代的写真を見ながら、そんなことも思った。とともに、今様な処理が施されることで、それらは新たな再生に向かっていることを示唆することにつながっているのではないか。
▶過去の、ファナ・モリーナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20110801 コンゴトロニクスvs.ロッカーズ
http://43142.diarynote.jp/201312171240301597/
http://43142.diarynote.jp/201502071011467530/
<今日の、ランチ>
スイス大使館が持った、グレゴア・マレ(2004年9月7日、2006 年9月3日、2007年12月13日、2009年3月18日、2011年5月5日、2013年5月31日、2015年3月3日)を囲んでの食事会に行く。想像通りシャイでつつましやかな御仁、ながら現ジャズ界のハーモニカの第一人者になったのはまさにスキルが導いたものであったろう。ほぼ次作は出来上がりつつあるようだが、参加者が豪華だったファースト作以上に録音参加者が豪華なよう。故ジミー・スコットやテイク6他、いろんな参加シンガーの名前も挙げていたな。彼はゴスペル・プロジェクトも持ちたがっている。そして、お開きになる前に、マレは2曲独奏。フリー・フォームっぽい曲とエリントの「キャラヴァン」、なり。
▶過去の、グレゴア・マレ
http://43142.diarynote.jp/200409070203440000 カサンドラ・ウィルソン
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000 マーカス・ミラー
http://43142.diarynote.jp/200712161023010000/ マーカス・ミラー
http://43142.diarynote.jp/200903191858068821/ ガイア
http://43142.diarynote.jp/201105101010399933/ カサンドラ・ウィルソン
http://43142.diarynote.jp/201503041619591535/
普通ではない被写体を、普通ではない技法を経て、再浮上させる。チャスキエルベルグのどこか衝動のようなものを抱えた写真群はそういう説明もできるか。彼は夜間に長時間露光にて、対象を撮影するという。写真はモノクロで撮影され、そのデジタル化したデーターはPCに取り込まれ、画面上で部分着色が施される。結果、モノクロとカラーの両方の効果や生っぽさと人工っぽさといったものが、そこには混在する。
ふむふむ、彼のそうした手法って、かなり今の音楽の作り方と重なりはしまいか。ただし、音楽の場合はそのPC上で手を加えた表現を、さらに生の場でいかに開き直すか、いかにハプニング性/スポンテニアスさを加えるかということにのぞむ傾向にあるわけだ。たとえば、この前のファナ・モリーナ(2002年9月7日、9月15日。2003年7月29日、2011年8月1日、2013年12月3日、2015年2月6日)の公演のように。
題材は重い。なかには、津波に飲み込まれた(おそらくボロボロになった)写真に手を加えた作品も何葉かあった。ときに、日本文化/流儀に不慣れであることが導くであろう、“ジャパネスク”な作品もある。だけど、日本に住んでいないからこそ、よそ者であるからこそ、被害の酷さや理不尽さを直截に感じ、また地元の人たちの情を受け取り、切り取れるという部分もあるのではないか。ぼくは、チャスキエルベルグの個性的な現代的写真を見ながら、そんなことも思った。とともに、今様な処理が施されることで、それらは新たな再生に向かっていることを示唆することにつながっているのではないか。
▶過去の、ファナ・モリーナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
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http://43142.diarynote.jp/?day=20110801 コンゴトロニクスvs.ロッカーズ
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<今日の、ランチ>
スイス大使館が持った、グレゴア・マレ(2004年9月7日、2006 年9月3日、2007年12月13日、2009年3月18日、2011年5月5日、2013年5月31日、2015年3月3日)を囲んでの食事会に行く。想像通りシャイでつつましやかな御仁、ながら現ジャズ界のハーモニカの第一人者になったのはまさにスキルが導いたものであったろう。ほぼ次作は出来上がりつつあるようだが、参加者が豪華だったファースト作以上に録音参加者が豪華なよう。故ジミー・スコットやテイク6他、いろんな参加シンガーの名前も挙げていたな。彼はゴスペル・プロジェクトも持ちたがっている。そして、お開きになる前に、マレは2曲独奏。フリー・フォームっぽい曲とエリントの「キャラヴァン」、なり。
▶過去の、グレゴア・マレ
http://43142.diarynote.jp/200409070203440000 カサンドラ・ウィルソン
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000 マーカス・ミラー
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