INO Hidefumi。里アンナ×佐々木俊之
2021年5月26日 音楽 一つ目の会場は六本木・ビルボードライブ東京、15時からのファースト・ショウを見る。ヴォーカルとエレクトリック・ピアノ(フェンダー・ローズ)の猪野秀史のほか、鳴り物とバックグラウンド・ヴォーカルとメロトロンの小森宏子、ベースの伊賀航、ドラムとコーラスをたまに入れる北山ゆう子による。
いつだったか、ぬぼーとした歌が入る彼の曲を聴いて、どこか細野晴臣(2009年10月12日、2010年4月15日、2010年11月21日、2011年8月7日ち2012年8月12日、2012年9月5日、2013年1月29日、2013年8月7日、2013年8月11日、2014年10月25日、2017年11月13日)を思い浮かべたことがあったが、今回やはり落ち着いてはいるものの、その歌声を聞いて御大を思い浮かべるところはなかった。しかし、フェンダー・ローズの音色を介する大人のいいシンガー・ソングライターであるという思いをしっかり得る。淡々としたそれはどこかエヴァーグリーンな落ち着いた誘いも与えてくれるのだが、一方でどこか今様な手触りも持つ部分もある。とくに、伊賀が鍵盤ベースを弾く場合はそういう味を強めた。
大昔のアナログ時代の夢のハイテック楽器(?)たるメロトロンがステージ上に置いてあるのを見るのは初めてに近いか。音が入ったテープ群を音源にすることで、ストリングス他いろんな音色を出すことを可能にした1960年代に発明された鍵盤楽器と言っていいのかな。ステージにあったのは銀色のボディを持つ2オクターヴ分ぐらいしかないような小さなものできっと後期型なのだろうが、Mellotronという商標名がボディに印刷されるとともに、それとは別に“M ”という文字が煌々と赤く輝いている。いろいろ権利が移り、今も作っているという話も聞いたことがあるような気もするが、その小さなメロトロンは見た目は古くない。音の方はいえば、柔らかさがあるような気もしたが、シンセサイザーでも代用できるでしょと言う感じのものではあった。あ、ギターみたいな音を加えるときもあったな。
だが、そのメロトロンの威力(?)を感じた曲が一つ。それはなんと、10cc(2010年5月23日、2015年1月23日)の有名美曲「アイム・ノット・イン・ラヴ」のカヴァーだった。ピアノのフレイズもテンポも代えているのだが、印象的な中間部はわりと原曲に近くなり、そこでメロトロン音が活きる(ような気がした)。とにかく嬉しいカヴァー。思わず、帰宅して、その曲が入っていた『オリジナル・サウンドトラック』(マーキュリー、1975年)を聞き返してしまった。こんど、アナログを回すときに息抜き曲として使うおうかな。
途中で、ゲストの高野寛(2006年6月27日、2007年8月11日、2014年11月27日)が出てきて、2曲歌う。新型コロナ禍ゆえの配信で共演したことが縁となっているようだ。また、アンコールの最後の曲でも高野は出てくる。そして、一緒にやったのは、ザ・ピートルズの曲中、もっともスタンダード・ソング的な風雅さに満ち満ちた子守歌「グッド・ナイト」。これもだいぶアレンジを変えていたが、INOはリリースされたばかりの『In Dreams』(Innocent)のクローザーにこの曲を置いている。ザ・ビートルズは『ホウイト・アルバム』(アップル、1968年)の最後にこの浮世離れした曲を置いた。
▶過去の、細野晴臣
http://43142.diarynote.jp/200910141731349364/
http://43142.diarynote.jp/201004180836405961/
http://43142.diarynote.jp/201011250550109951/
http://43142.diarynote.jp/201208201258419318/
http://43142.diarynote.jp/201209181238434594/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130129
http://43142.diarynote.jp/?day=20130807
http://43142.diarynote.jp/201108101635051749/
http://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
http://43142.diarynote.jp/201410301511243448/
http://43142.diarynote.jp/201711141337544172/
▶過去の、10cc
https://43142.diarynote.jp/201006031536173725/
https://43142.diarynote.jp/201501251406119601/
▶過去の、10ccにいたロル・クリーム
http://43142.diarynote.jp/201208091454209002/
▶過去の、高野寛
http://43142.diarynote.jp/200607041834300000/
http://43142.diarynote.jp/200708161531410000 GANGA ZUMBA
https://43142.diarynote.jp/201412011305372891/
その後、南青山・ZIMAGINEに行き、三線と竪琴を弾きながら歌う里アンナ(2015年6月3日、2015年10月24日、2018年11月21日)とドラムの佐々木俊之のデュオ・ユニットの実演を見る。里が生まれ育った奄美の島唄をそのオリジナルな持ち味を損なわずに今に持ってこようとするこのユニットは、すでに2作のアルバムを出している。
1曲めは、里は無伴奏で歌う。うわ、地声デカく、通り過ぎ。その後、演奏部にも留意するデュオ・パフォーマンスを二人は繰り広げるのだが、この晩は比較的臨機応変に、インプロヴィゼーショナルな行き方を取ったと言う。里は大きさの異なる竪琴(弦数は20弦ちかいか?)を用いるがチューニングは変えてある。一方、なんら奄美のフォークロアのワープをなんら違和感なく助ける佐々木はスネアを二つ起き、小さなシンバルも二つセッティング。それは、いつもの設定ではなく、今回はそうしてみたとのこと。二人で共演を重ねていき、その都度その都度、表現は育っているのだと思う。日経新聞電子版にライヴ評を書くので、このへんにしておく。
▶里アンナ
http://43142.diarynote.jp/201506070801066234/
https://43142.diarynote.jp/201510251330372218/
https://43142.diarynote.jp/201811220902106520/
<今日の、いろいろ>
ビルボードライブ東京に行くのは、まじ久しぶり。お店のあるミッドタウンが(ぼくの触れた限り)店舗枠が空いたりもしておらず、営業がなされていることに安堵を覚える。しかし緊急事態宣言のおり、ファースト・ショウが15時開演というのは、ぼくはまるっきり構わないが、テレワークの勤め人を見込んでのものなのだろうか? もうすぐ退社する広報の佐藤くん、お世話になりました。
次のライヴまで時間があったので、西麻布にオフィスを置く知人がやっているインディ・レコード会社に寄る。テレワークなぞは一切していない、というので。メールでやりとりはあったが、会うのは久しぶり。よもやま話に花が咲く。彼から、知人がコロナになったことを教えられる。文化的にはラディカルだが、人間的には真面目で穏健な人とぼくは思っていたので、驚いた。入院もしたそう。感染源を特定はできないものの、しいてあげるなら地元の飲み屋かと言っているとか。
その後、また歩いて、南青山のZIMAGINEというお初の店にいったのが、おお。ブルーノート東京に何度か行ったことがある人なら認知している人がけっこういると思うのだが、そこのセカンド・ショウが終わった時間でも営業をしている女性靴の安売り路面販売店(どうやら、今は閉店したよう)と同じ白いビルの地下にそのヴェニューはあった。ステージには小さいグランド・ピアノやフェンダー・ローズも置いてあった。
そこそこ歩いたつもりだったが、1万歩はいかず。ちぇ。スーパームーンも見えんかった。外で携帯見ないようにしているためもあるが、今月0.4ギガしか使っていない。
いつだったか、ぬぼーとした歌が入る彼の曲を聴いて、どこか細野晴臣(2009年10月12日、2010年4月15日、2010年11月21日、2011年8月7日ち2012年8月12日、2012年9月5日、2013年1月29日、2013年8月7日、2013年8月11日、2014年10月25日、2017年11月13日)を思い浮かべたことがあったが、今回やはり落ち着いてはいるものの、その歌声を聞いて御大を思い浮かべるところはなかった。しかし、フェンダー・ローズの音色を介する大人のいいシンガー・ソングライターであるという思いをしっかり得る。淡々としたそれはどこかエヴァーグリーンな落ち着いた誘いも与えてくれるのだが、一方でどこか今様な手触りも持つ部分もある。とくに、伊賀が鍵盤ベースを弾く場合はそういう味を強めた。
大昔のアナログ時代の夢のハイテック楽器(?)たるメロトロンがステージ上に置いてあるのを見るのは初めてに近いか。音が入ったテープ群を音源にすることで、ストリングス他いろんな音色を出すことを可能にした1960年代に発明された鍵盤楽器と言っていいのかな。ステージにあったのは銀色のボディを持つ2オクターヴ分ぐらいしかないような小さなものできっと後期型なのだろうが、Mellotronという商標名がボディに印刷されるとともに、それとは別に“M ”という文字が煌々と赤く輝いている。いろいろ権利が移り、今も作っているという話も聞いたことがあるような気もするが、その小さなメロトロンは見た目は古くない。音の方はいえば、柔らかさがあるような気もしたが、シンセサイザーでも代用できるでしょと言う感じのものではあった。あ、ギターみたいな音を加えるときもあったな。
だが、そのメロトロンの威力(?)を感じた曲が一つ。それはなんと、10cc(2010年5月23日、2015年1月23日)の有名美曲「アイム・ノット・イン・ラヴ」のカヴァーだった。ピアノのフレイズもテンポも代えているのだが、印象的な中間部はわりと原曲に近くなり、そこでメロトロン音が活きる(ような気がした)。とにかく嬉しいカヴァー。思わず、帰宅して、その曲が入っていた『オリジナル・サウンドトラック』(マーキュリー、1975年)を聞き返してしまった。こんど、アナログを回すときに息抜き曲として使うおうかな。
途中で、ゲストの高野寛(2006年6月27日、2007年8月11日、2014年11月27日)が出てきて、2曲歌う。新型コロナ禍ゆえの配信で共演したことが縁となっているようだ。また、アンコールの最後の曲でも高野は出てくる。そして、一緒にやったのは、ザ・ピートルズの曲中、もっともスタンダード・ソング的な風雅さに満ち満ちた子守歌「グッド・ナイト」。これもだいぶアレンジを変えていたが、INOはリリースされたばかりの『In Dreams』(Innocent)のクローザーにこの曲を置いている。ザ・ビートルズは『ホウイト・アルバム』(アップル、1968年)の最後にこの浮世離れした曲を置いた。
▶過去の、細野晴臣
http://43142.diarynote.jp/200910141731349364/
http://43142.diarynote.jp/201004180836405961/
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http://43142.diarynote.jp/201208201258419318/
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http://43142.diarynote.jp/?day=20130129
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http://43142.diarynote.jp/201410301511243448/
http://43142.diarynote.jp/201711141337544172/
▶過去の、10cc
https://43142.diarynote.jp/201006031536173725/
https://43142.diarynote.jp/201501251406119601/
▶過去の、10ccにいたロル・クリーム
http://43142.diarynote.jp/201208091454209002/
▶過去の、高野寛
http://43142.diarynote.jp/200607041834300000/
http://43142.diarynote.jp/200708161531410000 GANGA ZUMBA
https://43142.diarynote.jp/201412011305372891/
その後、南青山・ZIMAGINEに行き、三線と竪琴を弾きながら歌う里アンナ(2015年6月3日、2015年10月24日、2018年11月21日)とドラムの佐々木俊之のデュオ・ユニットの実演を見る。里が生まれ育った奄美の島唄をそのオリジナルな持ち味を損なわずに今に持ってこようとするこのユニットは、すでに2作のアルバムを出している。
1曲めは、里は無伴奏で歌う。うわ、地声デカく、通り過ぎ。その後、演奏部にも留意するデュオ・パフォーマンスを二人は繰り広げるのだが、この晩は比較的臨機応変に、インプロヴィゼーショナルな行き方を取ったと言う。里は大きさの異なる竪琴(弦数は20弦ちかいか?)を用いるがチューニングは変えてある。一方、なんら奄美のフォークロアのワープをなんら違和感なく助ける佐々木はスネアを二つ起き、小さなシンバルも二つセッティング。それは、いつもの設定ではなく、今回はそうしてみたとのこと。二人で共演を重ねていき、その都度その都度、表現は育っているのだと思う。日経新聞電子版にライヴ評を書くので、このへんにしておく。
▶里アンナ
http://43142.diarynote.jp/201506070801066234/
https://43142.diarynote.jp/201510251330372218/
https://43142.diarynote.jp/201811220902106520/
<今日の、いろいろ>
ビルボードライブ東京に行くのは、まじ久しぶり。お店のあるミッドタウンが(ぼくの触れた限り)店舗枠が空いたりもしておらず、営業がなされていることに安堵を覚える。しかし緊急事態宣言のおり、ファースト・ショウが15時開演というのは、ぼくはまるっきり構わないが、テレワークの勤め人を見込んでのものなのだろうか? もうすぐ退社する広報の佐藤くん、お世話になりました。
次のライヴまで時間があったので、西麻布にオフィスを置く知人がやっているインディ・レコード会社に寄る。テレワークなぞは一切していない、というので。メールでやりとりはあったが、会うのは久しぶり。よもやま話に花が咲く。彼から、知人がコロナになったことを教えられる。文化的にはラディカルだが、人間的には真面目で穏健な人とぼくは思っていたので、驚いた。入院もしたそう。感染源を特定はできないものの、しいてあげるなら地元の飲み屋かと言っているとか。
その後、また歩いて、南青山のZIMAGINEというお初の店にいったのが、おお。ブルーノート東京に何度か行ったことがある人なら認知している人がけっこういると思うのだが、そこのセカンド・ショウが終わった時間でも営業をしている女性靴の安売り路面販売店(どうやら、今は閉店したよう)と同じ白いビルの地下にそのヴェニューはあった。ステージには小さいグランド・ピアノやフェンダー・ローズも置いてあった。
そこそこ歩いたつもりだったが、1万歩はいかず。ちぇ。スーパームーンも見えんかった。外で携帯見ないようにしているためもあるが、今月0.4ギガしか使っていない。
<日本の伝統音楽祭>と表題された公演で、2組の女性出演者を擁する。王子・北トピア、つつじホール。
まず出てきたのは、津軽三味線を基に置く、女性三味線奏者二人による輝&輝。Kikiと読むらしい。似ているものの違う柄の着物を着ており、お二人は兵庫県と愛知県の出身で東京で活動している、と言っていたか。MCでは、言葉の最後が“まーす”と音引きが入る場合が多い。お年頃? ま、ぼくも簡便なメールではよくそうしているナ。お茶目さや柔らかさを出すために。10年ものキャリアを持つと言っていたが、20代に見える。そして、その世代性を全面に出したユニットと言えるだろう。
全インストゥルメンタル、けっこうオリジナルをやったりもしている。二人の三味線の出音の違いに、留意している感じもあり。ユニゾンで弾いたり、アンサンブルを奏でたり、それこそサイド・ギターとリード・ギターという関係のように演奏してみたり。ギター・デュオの形を三味線デュオに置き換えた、という説明もできなくはないだろう。民謡曲の場合は、掛け声を入れたりもした。
休憩を置いて、松田美緒(2005年7月11日、2010年4月19日、2010年10月16日、2012年6月13日、2014年2月9日、2014年6月16日、2015年11月18日、2018年9月21日)が出てくる。ギタリストの渥美幸裕とのデュオにてのもの。ポルトガル語圏の音楽的誘いをしなやかに自分化することで異彩を放ってきた彼女だが、2014年発表の移民などにより日本の種が国外で芽を出した楽曲を探求するCDブック『クレオール・ニッポン うたの記憶を旅する』(アルテス、2014年)以降は<旅する日本の歌>にも目を向ける活動も行なっていて、世界的フリー・ジャズ・ドラマーでもあり、ずっと地に足をつけた日本人としての生きた音楽を標榜する土取利行とのブラジル移民の歌を探求するプロジェクトを持ったり、大分県の民謡化される前の伝承曲を探した『おおいたのうた』(エンカント、2019年)をリリースなど、彼女はより自らの属性を見直す活動にも鋭意着手している。10年前だったらこんな表題の公演に出るなんて思わなかった、みたいなことを、彼女は冒頭のNCで言ったりもしましたね。
そして、松田は日本語で歌い出す。おお、無敵。一発で、そう思ってしまった。我々のどこかに眠っている歌心や情緒を見つけて、それを彼女の才気を介して、今のものとして会場に満ち渡らせる。その所作の堂々さ、味わい深さと言ったなら。ポルトガルと関係のあった長崎に眠る2曲と、大分県の同様に埋もれつつある民謡を2曲づつ、など。気と実のある質量感と確かな着眼点が溢れる。今まで接した彼女のライヴのなかで一番、その喉力をぼくは感じた。とともに、ホールに似合う人でもあると思った。女性に用いる言葉ではないかもしれないが、やはり正真正銘の“大人”ですね。
2014年作に収録された人気曲という、日本に統治されていた時代のミクロネシア諸島のパラオで日本人の男性と恋に落ちた現地の女性によって作られ、1950年代に小笠原の父島に伝えられたという「レモングラス」はイントロだけ聞くと、そのままザ・ビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ア・ダイモンド」を歌いたくなる? また、日本魚船の遠洋漁業の中継地となり、日本人との私生児も珍しくない(byセザリオ・エヴォラ。島民は日本人に悪い感情は持っていないそう)カーボ・ヴェルデの“最高だよ”という日本語が入ったアフリカでは有名であるという軽快曲も披露した。その曲、エヴォラも歌っている。
ところで、2014作にせよ2019年作にせよ、ピアノの伴奏が主となるものであったが、この日はアコースティック・ギターが十全に寄り添う。ガット・ギターぽい形ながら、スティール弦が張られていたのではないか。高尚ぽくも倍音が綺麗で、かといって場合によってはパーカッシヴだったり棘っぽい弾き方をする彼、いい奏者だな。ピアノ伴奏の場合はどこか唱歌っぽいスクエアさが出てしまう場合があったが、それも皆無でとてもいい組み合わせではないかと思った。
アンコールの2曲めは、先発の輝&輝も出てきて、一緒にやった。
▶過去の、松田美緒
http://43142.diarynote.jp/200507161355250000/
http://43142.diarynote.jp/201004211621084144/
http://43142.diarynote.jp/201010191403189326/
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140209
http://43142.diarynote.jp/?day=20140616
https://43142.diarynote.jp/201809221638262424/
<今日の、あれれ>
気持ちのいい日。梅雨前の快適さを味わう。やだなー、今年は梅雨入りが早く、長引く、なんてことも言われているナ。でも、家にいることが多いはずで、まいっかと考えるのがヘルシーかな。昼上がりに目黒で知人とランチ、そこからだと、地下鉄一本で王子まで行ける。もしかして、お酒飲めるかとドリンク・メニューを見たら、擬似ビール、擬似赤ワインなどのアイテムが並ぶ。真面目なお店だった。視界に入る、ワイン・セラーがなやましい。しょうがねえ、初めてノンアルコール・ビールを飲んだ。感想は言わずもがな。
目黒から南北線に乗るのは、サッカーの日韓ワールドカップの埼玉スタジアムでの準決勝を見に行っていらい。そういうことは忘れないんだな。行きの車中のことも、いまだ頭に浮かぶ。前回は都電を使って向かった王子の北トピアはほぼ2年ぶり。だが、場内のことはすでにしっかり忘れていて、つつじホールに行くはずが、当初間違って、さくらホールの方に入ってしまった。あらあ。ホワイエに子供たちとその親が山ほどいる。好奇心からステージを一瞥したら、綺麗な照明とともに中央にオブジェが置かれていたが、あれはなんの催しであったのか。それって、開演前だったのか、開演後であったのか。てへへと、横にあるつつじホールに入り直す。万が一のために、座ったシート番号と連絡先の記入シートの提出を退出時に求められました。
まず出てきたのは、津軽三味線を基に置く、女性三味線奏者二人による輝&輝。Kikiと読むらしい。似ているものの違う柄の着物を着ており、お二人は兵庫県と愛知県の出身で東京で活動している、と言っていたか。MCでは、言葉の最後が“まーす”と音引きが入る場合が多い。お年頃? ま、ぼくも簡便なメールではよくそうしているナ。お茶目さや柔らかさを出すために。10年ものキャリアを持つと言っていたが、20代に見える。そして、その世代性を全面に出したユニットと言えるだろう。
全インストゥルメンタル、けっこうオリジナルをやったりもしている。二人の三味線の出音の違いに、留意している感じもあり。ユニゾンで弾いたり、アンサンブルを奏でたり、それこそサイド・ギターとリード・ギターという関係のように演奏してみたり。ギター・デュオの形を三味線デュオに置き換えた、という説明もできなくはないだろう。民謡曲の場合は、掛け声を入れたりもした。
休憩を置いて、松田美緒(2005年7月11日、2010年4月19日、2010年10月16日、2012年6月13日、2014年2月9日、2014年6月16日、2015年11月18日、2018年9月21日)が出てくる。ギタリストの渥美幸裕とのデュオにてのもの。ポルトガル語圏の音楽的誘いをしなやかに自分化することで異彩を放ってきた彼女だが、2014年発表の移民などにより日本の種が国外で芽を出した楽曲を探求するCDブック『クレオール・ニッポン うたの記憶を旅する』(アルテス、2014年)以降は<旅する日本の歌>にも目を向ける活動も行なっていて、世界的フリー・ジャズ・ドラマーでもあり、ずっと地に足をつけた日本人としての生きた音楽を標榜する土取利行とのブラジル移民の歌を探求するプロジェクトを持ったり、大分県の民謡化される前の伝承曲を探した『おおいたのうた』(エンカント、2019年)をリリースなど、彼女はより自らの属性を見直す活動にも鋭意着手している。10年前だったらこんな表題の公演に出るなんて思わなかった、みたいなことを、彼女は冒頭のNCで言ったりもしましたね。
そして、松田は日本語で歌い出す。おお、無敵。一発で、そう思ってしまった。我々のどこかに眠っている歌心や情緒を見つけて、それを彼女の才気を介して、今のものとして会場に満ち渡らせる。その所作の堂々さ、味わい深さと言ったなら。ポルトガルと関係のあった長崎に眠る2曲と、大分県の同様に埋もれつつある民謡を2曲づつ、など。気と実のある質量感と確かな着眼点が溢れる。今まで接した彼女のライヴのなかで一番、その喉力をぼくは感じた。とともに、ホールに似合う人でもあると思った。女性に用いる言葉ではないかもしれないが、やはり正真正銘の“大人”ですね。
2014年作に収録された人気曲という、日本に統治されていた時代のミクロネシア諸島のパラオで日本人の男性と恋に落ちた現地の女性によって作られ、1950年代に小笠原の父島に伝えられたという「レモングラス」はイントロだけ聞くと、そのままザ・ビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ア・ダイモンド」を歌いたくなる? また、日本魚船の遠洋漁業の中継地となり、日本人との私生児も珍しくない(byセザリオ・エヴォラ。島民は日本人に悪い感情は持っていないそう)カーボ・ヴェルデの“最高だよ”という日本語が入ったアフリカでは有名であるという軽快曲も披露した。その曲、エヴォラも歌っている。
ところで、2014作にせよ2019年作にせよ、ピアノの伴奏が主となるものであったが、この日はアコースティック・ギターが十全に寄り添う。ガット・ギターぽい形ながら、スティール弦が張られていたのではないか。高尚ぽくも倍音が綺麗で、かといって場合によってはパーカッシヴだったり棘っぽい弾き方をする彼、いい奏者だな。ピアノ伴奏の場合はどこか唱歌っぽいスクエアさが出てしまう場合があったが、それも皆無でとてもいい組み合わせではないかと思った。
アンコールの2曲めは、先発の輝&輝も出てきて、一緒にやった。
▶過去の、松田美緒
http://43142.diarynote.jp/200507161355250000/
http://43142.diarynote.jp/201004211621084144/
http://43142.diarynote.jp/201010191403189326/
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140209
http://43142.diarynote.jp/?day=20140616
https://43142.diarynote.jp/201809221638262424/
<今日の、あれれ>
気持ちのいい日。梅雨前の快適さを味わう。やだなー、今年は梅雨入りが早く、長引く、なんてことも言われているナ。でも、家にいることが多いはずで、まいっかと考えるのがヘルシーかな。昼上がりに目黒で知人とランチ、そこからだと、地下鉄一本で王子まで行ける。もしかして、お酒飲めるかとドリンク・メニューを見たら、擬似ビール、擬似赤ワインなどのアイテムが並ぶ。真面目なお店だった。視界に入る、ワイン・セラーがなやましい。しょうがねえ、初めてノンアルコール・ビールを飲んだ。感想は言わずもがな。
目黒から南北線に乗るのは、サッカーの日韓ワールドカップの埼玉スタジアムでの準決勝を見に行っていらい。そういうことは忘れないんだな。行きの車中のことも、いまだ頭に浮かぶ。前回は都電を使って向かった王子の北トピアはほぼ2年ぶり。だが、場内のことはすでにしっかり忘れていて、つつじホールに行くはずが、当初間違って、さくらホールの方に入ってしまった。あらあ。ホワイエに子供たちとその親が山ほどいる。好奇心からステージを一瞥したら、綺麗な照明とともに中央にオブジェが置かれていたが、あれはなんの催しであったのか。それって、開演前だったのか、開演後であったのか。てへへと、横にあるつつじホールに入り直す。万が一のために、座ったシート番号と連絡先の記入シートの提出を退出時に求められました。
R.I.P.ロジャー・ホウキンス(1945年10月16日〜2021年5月20日)
2021年5月21日 音楽 南部ソウル/土着ロックのレコーディングを多数になった、アラバマ州シェフィールドの名ユニットの質実剛健ドラマーであるロジャー・ホウキンスが亡くなった。
ホーキンスはインディアナ州ミシャウォカで生まれ、子供の頃から打楽器に親しみ、ミドルティーンにしてドラマー稼業に入ったという。そして、回り回ってアラバマ州に辿りついた際も、まだ10代だった。1960年代中期にはリック・ホールが設立した同州マッスル・ショールズにあるフェイム・スタジオのハウス・ドラマーとなり、様々なソウル歌手のレコーディングをサポートするようになる。フェイムでの初レコーディング曲はパーシー・スレッジの有名曲「男が女を愛するとき」だったそうで、アリサ・フランクリンからエタ・ジャイムス、ウィルソン・ピケット、ザ・ステイプル・シンガーズ/メイヴィス・ステイプルズまで、いろいろな人たちに自然な重力とアクセントを与えた。
その後、リック・ホールと喧嘩してフェイム・スタジオ潰しを画策したアトランティック・レコードのジェリー・ウェクスラーの資金提供により、ホウキンス、ベースのデイヴィッド・フッド、鍵盤のバリー・ベケット、ギターのジミー・ジョンソンらはフェイムから独立し、1969年に同州シェフィールドにマッスル・シュールズ・サウンド・スタジオを設立する。シェールの『3614ジャクソン・ハイウェイ』(アトコ)は同スタジオで録られ、同スタジオの住所を表題に持ってきた。1970年代入ると、ザ・スワンパーズと呼ばれたマッスル・ショールズの腕利きミュージシャンたちは土着的好サウンドを創出するユニットとしてロック側のミュージシャンたちからもいろいろと起用されるようにもなる。ポール・サイモン、ボブ・シーガー、リオン・ラッセル、ロッド・スチュワート、トニー・ジョー・ホワイト、キャット・スティーヴンス、ジュリアン・レノン、他。
ああ、一度ホウキンスの生のドラミングに接したかった。彼は、レギュラー・グリップで叩く人だった。ブラス・バンドのスネアを担当したこともあったのかな。スネアを身体の左側にかけて歩きながら叩くため左手はリストを横に回転させるようにスナップする。それが、レギューラー・グリップにつながる。ぼくも小学生のとき鼓笛隊でスネアをやったことがあるので、それについてはすごく分かる。デイヴィッド・フッドが突然に英国のザ・ウォーターボーイズ(マイク・スコット)のサポートで来日した(2015年4月6日)ことがあったが、こういう訃報に接すると奇跡のような。そういえば、ホウキンスとフッドとバリー・ベケットが参加した、トラフィックの欧州ツアーのライヴ盤『オン・ザ・ロード』(アイランド、1973年。オリジナルは、アナログ2枚組。10分を超える曲がばんばん入り、20分や17分の曲もあった)というアルバムがある。それはザ・スワンパーズが初めて国外に出たときのもので、素の彼らの非ソウル系の演奏を知るには適と、ぼくは思っている。っていうか、高校のころ、その荒くもある長尺演奏を聞き、なんかヤラれたあと思った好印象がずっとぼくのなかで生きている。そんな彼らの様を効果的に伝える、実際に出てきて演奏もするドキュメンタリー映画が「黄金のメロディ マッスル・ショールズ」(2014年6月26日)だ。
ホウキンスはここ数年、慢性閉塞性肺疾患をはじめ複数の病をかかえており、シェフィールドで息を引き取った。
▶︎過去の、映画「黄金のメロディ マッスル・ショールズ」
▶︎ https://43142.diarynote.jp/201406270933515875/
<今日の、追記>
先に触れたシェールの1969年作は、ウェクスラー、トム・ダウド、アリフ・マーディンというアトランティックきっての3プロデューサーがついてのもの。1969年4月に録られたそれは同スタジオの1号レコーディング作らしいが、セールスは芳しくなく、それは当面の同スタジオの経営難につながったとも指摘される。ときに、エリック・クラプトンはマイアミのクライテリア・スタジオ録音のアルバムに『461オーシャン・ブールヴァード』(RSO、1974年)と名付けた。それは、レコーディング期に住んだ家の住所で、同作のプロデューサーはフリーランスになったトム・ダウド。ダウドは当時クライテリア・スタジオに出資していたんだっけ?
ところで、新旧の好音楽映画を集め上映する<ピーター・バラカンズ・ミュージック・フィルム・フェスティヴァル>がこの7月2日(金)から15日(木)かけて、角川シネマ有楽町で催される。ビリー・ホリデイを扱うドキュメンタリー「Billy」や写真家ユージン・スミスがセロニアス・モンク他1950年代後期のNYのジャズ・シーンの音声込みの記録をまとめた「The Jazz Loft According to W. Eugene Smith 」のような日本未公開作品から、評判を取った「AMY エイミー」(2016年6月15日)や「ノーザン・ソウル」(2019年1月11日)や「ランブル 音楽界を揺るがしたインディアンたち 」(2020年3月26日 )まで、14作品が上映される。わあ、ザ・ファニア・オールスターズのぼくの誕生日と同日に持たれたザ・チータにおけるライヴを撮った「アワ・ラテン・シング」もあるゾ。うーん、映画「黄金のメロディ マッスル・ショールズ」もそこに急遽入れてくれないかな。←とうぜん、当初から候補作にはなったようだが、使用料の部分で断念せざるを得なかったよう。
▶︎過去の、映画「エイミー」
https://43142.diarynote.jp/201606161722265703/
▶︎過去の、映画「ノーザン・ソウル」
https://43142.diarynote.jp/201901121341307532/
▶︎過去の、映画「ランブル」
https://43142.diarynote.jp/202003271634082075/
ホーキンスはインディアナ州ミシャウォカで生まれ、子供の頃から打楽器に親しみ、ミドルティーンにしてドラマー稼業に入ったという。そして、回り回ってアラバマ州に辿りついた際も、まだ10代だった。1960年代中期にはリック・ホールが設立した同州マッスル・ショールズにあるフェイム・スタジオのハウス・ドラマーとなり、様々なソウル歌手のレコーディングをサポートするようになる。フェイムでの初レコーディング曲はパーシー・スレッジの有名曲「男が女を愛するとき」だったそうで、アリサ・フランクリンからエタ・ジャイムス、ウィルソン・ピケット、ザ・ステイプル・シンガーズ/メイヴィス・ステイプルズまで、いろいろな人たちに自然な重力とアクセントを与えた。
その後、リック・ホールと喧嘩してフェイム・スタジオ潰しを画策したアトランティック・レコードのジェリー・ウェクスラーの資金提供により、ホウキンス、ベースのデイヴィッド・フッド、鍵盤のバリー・ベケット、ギターのジミー・ジョンソンらはフェイムから独立し、1969年に同州シェフィールドにマッスル・シュールズ・サウンド・スタジオを設立する。シェールの『3614ジャクソン・ハイウェイ』(アトコ)は同スタジオで録られ、同スタジオの住所を表題に持ってきた。1970年代入ると、ザ・スワンパーズと呼ばれたマッスル・ショールズの腕利きミュージシャンたちは土着的好サウンドを創出するユニットとしてロック側のミュージシャンたちからもいろいろと起用されるようにもなる。ポール・サイモン、ボブ・シーガー、リオン・ラッセル、ロッド・スチュワート、トニー・ジョー・ホワイト、キャット・スティーヴンス、ジュリアン・レノン、他。
ああ、一度ホウキンスの生のドラミングに接したかった。彼は、レギュラー・グリップで叩く人だった。ブラス・バンドのスネアを担当したこともあったのかな。スネアを身体の左側にかけて歩きながら叩くため左手はリストを横に回転させるようにスナップする。それが、レギューラー・グリップにつながる。ぼくも小学生のとき鼓笛隊でスネアをやったことがあるので、それについてはすごく分かる。デイヴィッド・フッドが突然に英国のザ・ウォーターボーイズ(マイク・スコット)のサポートで来日した(2015年4月6日)ことがあったが、こういう訃報に接すると奇跡のような。そういえば、ホウキンスとフッドとバリー・ベケットが参加した、トラフィックの欧州ツアーのライヴ盤『オン・ザ・ロード』(アイランド、1973年。オリジナルは、アナログ2枚組。10分を超える曲がばんばん入り、20分や17分の曲もあった)というアルバムがある。それはザ・スワンパーズが初めて国外に出たときのもので、素の彼らの非ソウル系の演奏を知るには適と、ぼくは思っている。っていうか、高校のころ、その荒くもある長尺演奏を聞き、なんかヤラれたあと思った好印象がずっとぼくのなかで生きている。そんな彼らの様を効果的に伝える、実際に出てきて演奏もするドキュメンタリー映画が「黄金のメロディ マッスル・ショールズ」(2014年6月26日)だ。
ホウキンスはここ数年、慢性閉塞性肺疾患をはじめ複数の病をかかえており、シェフィールドで息を引き取った。
▶︎過去の、映画「黄金のメロディ マッスル・ショールズ」
▶︎ https://43142.diarynote.jp/201406270933515875/
<今日の、追記>
先に触れたシェールの1969年作は、ウェクスラー、トム・ダウド、アリフ・マーディンというアトランティックきっての3プロデューサーがついてのもの。1969年4月に録られたそれは同スタジオの1号レコーディング作らしいが、セールスは芳しくなく、それは当面の同スタジオの経営難につながったとも指摘される。ときに、エリック・クラプトンはマイアミのクライテリア・スタジオ録音のアルバムに『461オーシャン・ブールヴァード』(RSO、1974年)と名付けた。それは、レコーディング期に住んだ家の住所で、同作のプロデューサーはフリーランスになったトム・ダウド。ダウドは当時クライテリア・スタジオに出資していたんだっけ?
ところで、新旧の好音楽映画を集め上映する<ピーター・バラカンズ・ミュージック・フィルム・フェスティヴァル>がこの7月2日(金)から15日(木)かけて、角川シネマ有楽町で催される。ビリー・ホリデイを扱うドキュメンタリー「Billy」や写真家ユージン・スミスがセロニアス・モンク他1950年代後期のNYのジャズ・シーンの音声込みの記録をまとめた「The Jazz Loft According to W. Eugene Smith 」のような日本未公開作品から、評判を取った「AMY エイミー」(2016年6月15日)や「ノーザン・ソウル」(2019年1月11日)や「ランブル 音楽界を揺るがしたインディアンたち 」(2020年3月26日 )まで、14作品が上映される。わあ、ザ・ファニア・オールスターズのぼくの誕生日と同日に持たれたザ・チータにおけるライヴを撮った「アワ・ラテン・シング」もあるゾ。うーん、映画「黄金のメロディ マッスル・ショールズ」もそこに急遽入れてくれないかな。←とうぜん、当初から候補作にはなったようだが、使用料の部分で断念せざるを得なかったよう。
▶︎過去の、映画「エイミー」
https://43142.diarynote.jp/201606161722265703/
▶︎過去の、映画「ノーザン・ソウル」
https://43142.diarynote.jp/201901121341307532/
▶︎過去の、映画「ランブル」
https://43142.diarynote.jp/202003271634082075/
R.I.P.フランコ・バッティアート(1945年3月23日〜2021年5月18日)
2021年5月19日 音楽 天才と思わされたことがあった、イタリア人音楽家がお亡くなりになった。ぼくはプログ・ロック好きではないので、イタリアのロックにほとんど触れてきていない。例外となる大好物の音楽家は、ズッケロ(2017年5月29日)とジョヴァノッティ(2002年6月1日)の二人だけ。本当だったら、彼の名前も挙げているところなのだが……。
その1970年代、もうオールマイティで、何をやよろうと高い音楽性と訴求力を持つことを、バッティアートはやっていた。その得体の知れないスケールの大きな創造性のあり方に、ぼくはフランク・ザッパを例にあげたいと思ったか。
管弦楽を使ったもの、素直な歌心が現れるフォーキーなもの、またエレクトロ傾向にあったり、ピアノ主体のミニマルものまで、変幻自在。鮮やかな閃きや佇まいを持ち、メロディアスな方向も彼は抱えた。日本に入ってきているものは多くないし、価格も安くもなく、他の聞きたい人もたくさんいて、ぼくはほどほどにこの才人の表現に触れていた。
それが一気にバッティアートの作品群に触れ、汚い言葉を使わせてもらうなら、その変節を目の当たりにし、彼に対する興味が一気に失せたのは1990年ごろのこと。ローマに初めて行き、立派なレコード屋に入り、彼のアルバムをいろいろ買い漁った。いや、多すぎて、すべては購入しなかった。そのとき驚いたのは、イタリアのミュージシャンに限らず、U2とかの英米のスターたちもエサ箱に全然知らないアルバム(ライヴ盤が多かったのかな?)が置かれていたこと。それって、同国のマフィアがらみでフツーな感じで流通していると聞いたこともあるが……、真相は知らん。
というのはともかく、帰国してバッティアートのアルバム群を聞いてびっくり。ちょうど1980年からガラリと音楽性が変わり、ただのポップス作を出す人に彼は変身していたのだ。当初はニュー・ウェイヴ・ポップへのイタリアからの返答みたいな意味合いもあったかも知れないが、あまりに中庸すぎる。メロディも歌もサウンドも……。それらのアルバム、捨ててはいないけどどこにいったのかな。
死を受けてそのウィキペディアを引いてみたら、本国では多大な人気を得たとある。それは、1980年以降の傾向になってからではないだろうか。また、彼は映画を作ったり、画家でもあったという。ローマやミラノに住んだこともあったようだが、シチリアに生まれ、同島の自宅で死す。神経変性疾患で、享年76。
▶︎過去の、ズッケロ
https://43142.diarynote.jp/201705301638029304/
▶︎過去の、ジョヴァノッティ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-6.htm
<ちょうど1週間前の、水曜日>
基本外出を避ける方向にあり、帰宅した際は手洗いやうがいとともに、即シャワーを浴びずにはいられない神経質なぼく。ケータイや財布もすぐに消毒液で拭く。というのはともかく、可燃ゴミを出すために、21時半ごろマンションのゴミ置場まで出る。普通散歩は昼間にするのだが、なぜかその日は夜なのについでに少し散歩してみたら、おおう。薬局跡のそれなりの面積を持つビル1階にバーができていて、営業をしている。かなり、人が入っているようで、入るには少し憚られる感じ。また、歩道橋から見えるガラスばりの洋風のお店も店内客がワイン飲酒していて、楽しそう。夜でも飲めるお店もあるとは聞いていた(少し前には某ミュージシャンの誘いで、奥渋谷のバーに行ったな)が、自宅5分圏内をちょい歩いただけで飲み営業店をすぐに発見できるとは思わなかった。極め付きは、暗渠の大通りからの入り口にそれなりのスペースがありベンチがいくつも設置されているのだが、そこも外飲みの方々で埋まっていた。←そこは、ぼくも友人が最寄駅に来た際に外飲みで使ったことがあったが、休日なので人はあまりいず、平日にあんなに混んでいるとは思わなんだ。ぼくはファンキー・タウンに住んでいるのだと、初めて認知したわけだが、今日は雨天なので外飲み者たちはいないんだろうな。
その1970年代、もうオールマイティで、何をやよろうと高い音楽性と訴求力を持つことを、バッティアートはやっていた。その得体の知れないスケールの大きな創造性のあり方に、ぼくはフランク・ザッパを例にあげたいと思ったか。
管弦楽を使ったもの、素直な歌心が現れるフォーキーなもの、またエレクトロ傾向にあったり、ピアノ主体のミニマルものまで、変幻自在。鮮やかな閃きや佇まいを持ち、メロディアスな方向も彼は抱えた。日本に入ってきているものは多くないし、価格も安くもなく、他の聞きたい人もたくさんいて、ぼくはほどほどにこの才人の表現に触れていた。
それが一気にバッティアートの作品群に触れ、汚い言葉を使わせてもらうなら、その変節を目の当たりにし、彼に対する興味が一気に失せたのは1990年ごろのこと。ローマに初めて行き、立派なレコード屋に入り、彼のアルバムをいろいろ買い漁った。いや、多すぎて、すべては購入しなかった。そのとき驚いたのは、イタリアのミュージシャンに限らず、U2とかの英米のスターたちもエサ箱に全然知らないアルバム(ライヴ盤が多かったのかな?)が置かれていたこと。それって、同国のマフィアがらみでフツーな感じで流通していると聞いたこともあるが……、真相は知らん。
というのはともかく、帰国してバッティアートのアルバム群を聞いてびっくり。ちょうど1980年からガラリと音楽性が変わり、ただのポップス作を出す人に彼は変身していたのだ。当初はニュー・ウェイヴ・ポップへのイタリアからの返答みたいな意味合いもあったかも知れないが、あまりに中庸すぎる。メロディも歌もサウンドも……。それらのアルバム、捨ててはいないけどどこにいったのかな。
死を受けてそのウィキペディアを引いてみたら、本国では多大な人気を得たとある。それは、1980年以降の傾向になってからではないだろうか。また、彼は映画を作ったり、画家でもあったという。ローマやミラノに住んだこともあったようだが、シチリアに生まれ、同島の自宅で死す。神経変性疾患で、享年76。
▶︎過去の、ズッケロ
https://43142.diarynote.jp/201705301638029304/
▶︎過去の、ジョヴァノッティ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-6.htm
<ちょうど1週間前の、水曜日>
基本外出を避ける方向にあり、帰宅した際は手洗いやうがいとともに、即シャワーを浴びずにはいられない神経質なぼく。ケータイや財布もすぐに消毒液で拭く。というのはともかく、可燃ゴミを出すために、21時半ごろマンションのゴミ置場まで出る。普通散歩は昼間にするのだが、なぜかその日は夜なのについでに少し散歩してみたら、おおう。薬局跡のそれなりの面積を持つビル1階にバーができていて、営業をしている。かなり、人が入っているようで、入るには少し憚られる感じ。また、歩道橋から見えるガラスばりの洋風のお店も店内客がワイン飲酒していて、楽しそう。夜でも飲めるお店もあるとは聞いていた(少し前には某ミュージシャンの誘いで、奥渋谷のバーに行ったな)が、自宅5分圏内をちょい歩いただけで飲み営業店をすぐに発見できるとは思わなかった。極め付きは、暗渠の大通りからの入り口にそれなりのスペースがありベンチがいくつも設置されているのだが、そこも外飲みの方々で埋まっていた。←そこは、ぼくも友人が最寄駅に来た際に外飲みで使ったことがあったが、休日なので人はあまりいず、平日にあんなに混んでいるとは思わなんだ。ぼくはファンキー・タウンに住んでいるのだと、初めて認知したわけだが、今日は雨天なので外飲み者たちはいないんだろうな。
R.I.P.パーヴィス・ステイプルズ(1935年11月18日〜2021年5月6日)
2021年5月13日 音楽 ゴスペル・コーラス・グループからソウル・ミュージックのフィールドに移っていき、無理のないゴスペル力を度量大きくアピールした、名門ファミリー・グループのオリジナル・メンバーがお亡くなりになった。
南部ミシシッピ州ドリューの生まれながら、生まれて間もなく職を求めた家族とともにイリノイ州シカゴに移住。家長のローバック“ポップス”ステイプルズ(1915年12月28日〜2000年12月19日)を中心に、1940年代後期に子供たちが集ったゴスペル・ブループであるザ・ステイプル・シンガーズは結成された。娘のクレオサ (1934年4月11日〜2013年2月21日)、パーヴィス、妹のメイヴィス (1939年7月10日〜 )が当初のメンバーだった。
教会が活動の場だった彼らは1953年以降レコードを出すようになり、地元のヴィージェイ、リヴァーサイド、エピックなどと契約。1960年代に入ると、時流もあり、ザ・ステイプル・シンガーズは非ゴスペル要素を巧みに入れるようになるが、それはパーヴィスの意図が大きく反映されたという。より親しみやすさを抱えるようになった彼らは、それと当時に社会的なメッセージを掲げる方向に出たとことは強調されていい。
1968年には南部の名門ソウル・レーベルのスタックスと契約。アルバムが大々的にチャートに入るようになったのは、その時期からとなる。だが、パーヴィスは徴兵され、1970年にグループから離れてしまう。彼の代わりには妹のイボンヌ(1937年10月23日〜2018年4月10日)が加入。パーヴィスは除隊後もグループには戻らず、ソロの活動したりもする。また、シカゴでクラブを持ったり、後続のゴスペル派生コーラス・グループであるザ・エモーションズ(2006年10月30日)の売り出しに関わったようだ。
イリノイ州ドルトンの自宅で死去。享年85。死因は不明だが、6人の子供、7人の孫、7人のひ孫に恵まれたという。葬儀は、シカゴで17日に行われる。
▶︎過去の、ザ・ステイプル・シンガーズが出てくる映画に言及した項
https://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
▶︎過去の、ザ・エモーションズ
https://43142.diarynote.jp/200611020837020000/
<ステイプル家族、ばんざい>
ザ・ステイプル・シンガーズはスタックスが潰れたあと、カーティス・メイフィールドのカートムに迎えられたこともあった。シカゴという南部黒人労働力の最大の受け皿となった中西部都市シカゴのうれしい形而上を直裁に伝えたファミリー・グループの構成員のなか、存命なのはメイヴィスだけ。1969年のセルフ・タイトルのアルバム以降、グループ活動とソロ活動の両方で活動してきている喉自慢の彼女だが、2010年代以降よりヴァーサタイルな姿を見せるようになってもいて本当に感動させられる。新作となる2019年作は、ベン・ハーパー(2001年6月18日、2004年3月4日、2006年6月3日、2007年4月5日)の制作。かつてはプリンス(2002年11月19日)に乞われ、彼のペイズリー・パークから1989年と93年にアルバムを出したこともあった。なお、ポップス・ステイプルズはアーシーなギターのとんでもない名手。ゴスペルやブルースやソウルの感覚が渾然一体となったギター演奏を聞きたいのなら、ザ・ステイプル・シンガーズを聞けばいい。
▶︎過去の、ベン・ハーパー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm
https://43142.diarynote.jp/200403041444130000/
https://43142.diarynote.jp/200407290730290000/ フジ・ロック 触れてないが出演し、ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマのショウにもとびいり
https://43142.diarynote.jp/200606111735540000/
https://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
https://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
南部ミシシッピ州ドリューの生まれながら、生まれて間もなく職を求めた家族とともにイリノイ州シカゴに移住。家長のローバック“ポップス”ステイプルズ(1915年12月28日〜2000年12月19日)を中心に、1940年代後期に子供たちが集ったゴスペル・ブループであるザ・ステイプル・シンガーズは結成された。娘のクレオサ (1934年4月11日〜2013年2月21日)、パーヴィス、妹のメイヴィス (1939年7月10日〜 )が当初のメンバーだった。
教会が活動の場だった彼らは1953年以降レコードを出すようになり、地元のヴィージェイ、リヴァーサイド、エピックなどと契約。1960年代に入ると、時流もあり、ザ・ステイプル・シンガーズは非ゴスペル要素を巧みに入れるようになるが、それはパーヴィスの意図が大きく反映されたという。より親しみやすさを抱えるようになった彼らは、それと当時に社会的なメッセージを掲げる方向に出たとことは強調されていい。
1968年には南部の名門ソウル・レーベルのスタックスと契約。アルバムが大々的にチャートに入るようになったのは、その時期からとなる。だが、パーヴィスは徴兵され、1970年にグループから離れてしまう。彼の代わりには妹のイボンヌ(1937年10月23日〜2018年4月10日)が加入。パーヴィスは除隊後もグループには戻らず、ソロの活動したりもする。また、シカゴでクラブを持ったり、後続のゴスペル派生コーラス・グループであるザ・エモーションズ(2006年10月30日)の売り出しに関わったようだ。
イリノイ州ドルトンの自宅で死去。享年85。死因は不明だが、6人の子供、7人の孫、7人のひ孫に恵まれたという。葬儀は、シカゴで17日に行われる。
▶︎過去の、ザ・ステイプル・シンガーズが出てくる映画に言及した項
https://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
▶︎過去の、ザ・エモーションズ
https://43142.diarynote.jp/200611020837020000/
<ステイプル家族、ばんざい>
ザ・ステイプル・シンガーズはスタックスが潰れたあと、カーティス・メイフィールドのカートムに迎えられたこともあった。シカゴという南部黒人労働力の最大の受け皿となった中西部都市シカゴのうれしい形而上を直裁に伝えたファミリー・グループの構成員のなか、存命なのはメイヴィスだけ。1969年のセルフ・タイトルのアルバム以降、グループ活動とソロ活動の両方で活動してきている喉自慢の彼女だが、2010年代以降よりヴァーサタイルな姿を見せるようになってもいて本当に感動させられる。新作となる2019年作は、ベン・ハーパー(2001年6月18日、2004年3月4日、2006年6月3日、2007年4月5日)の制作。かつてはプリンス(2002年11月19日)に乞われ、彼のペイズリー・パークから1989年と93年にアルバムを出したこともあった。なお、ポップス・ステイプルズはアーシーなギターのとんでもない名手。ゴスペルやブルースやソウルの感覚が渾然一体となったギター演奏を聞きたいのなら、ザ・ステイプル・シンガーズを聞けばいい。
▶︎過去の、ベン・ハーパー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm
https://43142.diarynote.jp/200403041444130000/
https://43142.diarynote.jp/200407290730290000/ フジ・ロック 触れてないが出演し、ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマのショウにもとびいり
https://43142.diarynote.jp/200606111735540000/
https://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
https://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
先輩の吉成伸幸さんのベン・シドラン著のトミー・リピューマ本の訳書刊行にあたり、トーク・イヴェントを渋谷・Li-Poで行います。こういうおりですが、かなり余裕のある設定にて挙行します。5月22日(土)15時から、お酒抜きでオトナにじっくりと。吉成さんのことがとっても分かるようなものになれば、との目論見です。自粛疲れの一助にもなれば、幸いです。もし、よろしければ。
http://li-po.jp/?p=6779
大まかですが、
1部確かな英語力や音楽観を下敷きにする、吉成伸幸の仕事と流儀を追う
1)サンフランシスコの学生時代
2)シンコー・ミュージック(出版社)時代
3)大洋音楽(音楽出版社)時代
4)ポリスター(レコード会社)時代
5)その後の、お仕事
6)長きにわたるベン・シトランとの友情。ベン・シドランという知性溢れる音楽家/研究家/著作家について。
2部「トミー・リピューマのバラード」を訳者が語る
1)(協同翻訳者のアンジェロさんも登壇)同様に渡米経験を持つキャリアと、吉成さんとの付き合いも尋ねる
2)それぞれの、翻訳観を聞く。過去の訳書についても語る。
3) シドランはどのように、この本の執筆に着手し、その訳書に至ったのか。
4)この本の原書の美点について。訳で留意したこと。苦労したことなど。シドランの文体についても語る。
共訳となっているが、文章は一貫。二人の中で実際にどういうように分担したり、翻訳作業はすすめられたのか?
5)出来上がってみての、現在の心持ちなり。
6)訳者二人が、改めてトミー・リピューマの人生を考える。また、彼の歩みを介し、米国ポップ・ミュージック黄金期の形而上を考察。
という方向で、行くか行かないか、、、。
http://li-po.jp/?p=6779
大まかですが、
1部確かな英語力や音楽観を下敷きにする、吉成伸幸の仕事と流儀を追う
1)サンフランシスコの学生時代
2)シンコー・ミュージック(出版社)時代
3)大洋音楽(音楽出版社)時代
4)ポリスター(レコード会社)時代
5)その後の、お仕事
6)長きにわたるベン・シトランとの友情。ベン・シドランという知性溢れる音楽家/研究家/著作家について。
2部「トミー・リピューマのバラード」を訳者が語る
1)(協同翻訳者のアンジェロさんも登壇)同様に渡米経験を持つキャリアと、吉成さんとの付き合いも尋ねる
2)それぞれの、翻訳観を聞く。過去の訳書についても語る。
3) シドランはどのように、この本の執筆に着手し、その訳書に至ったのか。
4)この本の原書の美点について。訳で留意したこと。苦労したことなど。シドランの文体についても語る。
共訳となっているが、文章は一貫。二人の中で実際にどういうように分担したり、翻訳作業はすすめられたのか?
5)出来上がってみての、現在の心持ちなり。
6)訳者二人が、改めてトミー・リピューマの人生を考える。また、彼の歩みを介し、米国ポップ・ミュージック黄金期の形而上を考察。
という方向で、行くか行かないか、、、。
カーティス・フラー(1934年12月15日〜2021年5月8日)
2021年5月10日 音楽 デュボアというミドル・ネームを持ち、両親はジャマイカ系。ミシガン州デトロイト生まれ、孤児院で育ったという。軍隊(その時代、アダリー兄弟と演奏したという)除隊後、まずはユセフ・ラティーフのグループで演奏し、1957年にニューヨークに移っている。ハード・バップ全盛期に出てきたトロンボーン奏者であるフラーであり、それなりに齢を重ねてからは人格者と言いたくなるような風貌を持っていた。
どこか湿り気をかかえた彼のトロンボーン音は哀愁を含んだ曲調に合うとともに、サックス奏者やトランペッターとの2管の重なりにオールマイティな強みを発揮。そんな彼のプレスティッジ発の1957年デビュー作は、その名も『ニュー・トロンボーン』。そのアート・ディレクションはブルーノートのそれで知られる、マイルス・リードが担当。そういうば、そのカヴァーは少しブルーノートっぽいところがあるか。
その後、ブルーノート、サヴォイ、エピック、インパルス!他からリーダー作を30枚ほどリリース。また、ソニー・クラーク、ジョン・コルトレーン、リー・モーガン、ベニー・ゴルソンら様々な奏者からその味を好まれ、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズに1961年から約5年入るとともに、1960年年代後期からはカウント・ベイシー楽団に在籍。1988年にニューヨーク州に住む高校生を対象とする州立サマー・スクール・オブ・アーツがジャズ・プログラムを設けられてからは、そこで教えることもした。
死去した土地や死因は不明。2018年最終作は、2012年ニューオーリンズでの録音であり、そのころまでは演奏活動をしていたと推測される。今聞くと、雅なんて言葉も用いたくなる吹き手でした。
<今日の、夕刊>
記事によれば、新型コロナ感染者の後遺症はいろいろあるそうだが、うち倦怠感(もう、起床時からそう)、息切れ(体力なしで、外に出たときそうなるナ)、不眠(寝つきが悪い)、気分の落ち込み(為政者に対する苛立ちがそれを増幅させる)などは、怠惰なぼくに当てはまるよなー。発熱や味覚障害の二つがそこに加わったら、覚悟を決めろということか。気が緩んで来ているとはいえ、人一倍気を遣っているつもりだけど。1月にやった健康診断の血液数値は、びっくりするほど優秀と言わたよなーー。明日は5度ほど気温が低いという。ちゃんと布団をかけて寝よう。
どこか湿り気をかかえた彼のトロンボーン音は哀愁を含んだ曲調に合うとともに、サックス奏者やトランペッターとの2管の重なりにオールマイティな強みを発揮。そんな彼のプレスティッジ発の1957年デビュー作は、その名も『ニュー・トロンボーン』。そのアート・ディレクションはブルーノートのそれで知られる、マイルス・リードが担当。そういうば、そのカヴァーは少しブルーノートっぽいところがあるか。
その後、ブルーノート、サヴォイ、エピック、インパルス!他からリーダー作を30枚ほどリリース。また、ソニー・クラーク、ジョン・コルトレーン、リー・モーガン、ベニー・ゴルソンら様々な奏者からその味を好まれ、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズに1961年から約5年入るとともに、1960年年代後期からはカウント・ベイシー楽団に在籍。1988年にニューヨーク州に住む高校生を対象とする州立サマー・スクール・オブ・アーツがジャズ・プログラムを設けられてからは、そこで教えることもした。
死去した土地や死因は不明。2018年最終作は、2012年ニューオーリンズでの録音であり、そのころまでは演奏活動をしていたと推測される。今聞くと、雅なんて言葉も用いたくなる吹き手でした。
<今日の、夕刊>
記事によれば、新型コロナ感染者の後遺症はいろいろあるそうだが、うち倦怠感(もう、起床時からそう)、息切れ(体力なしで、外に出たときそうなるナ)、不眠(寝つきが悪い)、気分の落ち込み(為政者に対する苛立ちがそれを増幅させる)などは、怠惰なぼくに当てはまるよなー。発熱や味覚障害の二つがそこに加わったら、覚悟を決めろということか。気が緩んで来ているとはいえ、人一倍気を遣っているつもりだけど。1月にやった健康診断の血液数値は、びっくりするほど優秀と言わたよなーー。明日は5度ほど気温が低いという。ちゃんと布団をかけて寝よう。
ロイド・プライス(1933年3月9日〜2021年5月3日)
2021年5月9日 音楽 ニューオーリンズ・ソウルの系譜に入るヒット歌手の訃報が届いた。ニューオーリンズ近郊に生まれ、同地の名作編曲家/制作者であるデイヴ・バーソロミュー(1918年12月24日〜2019年6月23日。うわあ、長生きしたんだなー)に認められ「ロウディ・ミス・クロウディ」をレコーディングし、大ヒットさせたのときはまだ10代だった。その自作曲を歌うとってもハリのあるプライスの歌声とスーダラしたサウンドのマリアージュはまさに同地の美点をいまだ喧伝すると書きたくなるか。兵役を経て、他にも「スタッガ・リー」や「アム・ゴナ・ゲット・マリード」らをヒットさせた彼は1962年に自己レーベルの“ダブル・L”を設立。ウィルソン・ピケットはそこから巣立っている。その後も、彼は複数のレーベルを持った。
そして、シンガーとしての活動からは離れることに繋がったが、彼の興味深いキャリアはここからが真骨頂となる。1960年代後期にはニューヨークのブロードウェイにクラブを持つなどした彼は興行の道にも進み、懇意にしたのがボクシングのそれで知られるドン・キングだった。キングというと1974年10月にザイール(現コンゴ民主共和国)のキンシャサで行われたモハメド・アリとジョージ・フォアマンの世界戦のプロモーターとしても知られるが、その実現にプライスもまた尽力、その頃彼はアフリカに住んでいたという。そのキンシャサでの試合を盛り上げるために同地で9月に企画されたJBやB.B.キングやビル・ウィザース、ミリアム・マケバやOKジャズ、ザ・ファニア・オールスターズらが出演した3日間の音楽フェス“ザイール74”(その模様は、2008年にドキュメンタリー映画「ソウルパワー」としてまとめられた)も持たれたが、それにもプライスは関わったろう。
そんなプライスはブロンクスとスタッテン島に二つの住宅建設会社を持つとともに、“グローバル・アイコン・ブランド”という缶詰からクッキーまでを扱う食品会社もかかえた。2009年には、「Lawdy Miss Clawdy: The True King of the 50’s: the Lloyd Price Story」をロイド・プライス出版から出してもいるようだ。かように実業家として成功をおさめていた彼はニューヨーク州のウェストチェスター(デイヴィッド・サンボーンは同地の豪邸に住んでいる)にずっと住み、亡くなったのも自宅か病院かは分からないが、ウェストチェスター群だった。死因は、糖尿病による合併症であるという。
<今日の、自己暗示>
飲食店で飲めないのは流石にきつい。えーん。15年は基本やめていた家飲み、復活させちゃおーかな……。4日前には、インタヴューがてら黄色いシートの空いている特急に乗って秩父に行く。あら、東京と違い、お店で飲めるぢゃん。世界的な評価を受けるモルト・ウィスキーの酒造があり、レアなそれを扱うバーが複数あるというのは初めて知った。遊びの予定を入れるのをやめたゴールデンウィーク期間中、母親訪問をした以外は唯一の公共交通機関乗車なり。いい気分転換になりました。さーあ、心機一転し、すいすいとGO!
そして、シンガーとしての活動からは離れることに繋がったが、彼の興味深いキャリアはここからが真骨頂となる。1960年代後期にはニューヨークのブロードウェイにクラブを持つなどした彼は興行の道にも進み、懇意にしたのがボクシングのそれで知られるドン・キングだった。キングというと1974年10月にザイール(現コンゴ民主共和国)のキンシャサで行われたモハメド・アリとジョージ・フォアマンの世界戦のプロモーターとしても知られるが、その実現にプライスもまた尽力、その頃彼はアフリカに住んでいたという。そのキンシャサでの試合を盛り上げるために同地で9月に企画されたJBやB.B.キングやビル・ウィザース、ミリアム・マケバやOKジャズ、ザ・ファニア・オールスターズらが出演した3日間の音楽フェス“ザイール74”(その模様は、2008年にドキュメンタリー映画「ソウルパワー」としてまとめられた)も持たれたが、それにもプライスは関わったろう。
そんなプライスはブロンクスとスタッテン島に二つの住宅建設会社を持つとともに、“グローバル・アイコン・ブランド”という缶詰からクッキーまでを扱う食品会社もかかえた。2009年には、「Lawdy Miss Clawdy: The True King of the 50’s: the Lloyd Price Story」をロイド・プライス出版から出してもいるようだ。かように実業家として成功をおさめていた彼はニューヨーク州のウェストチェスター(デイヴィッド・サンボーンは同地の豪邸に住んでいる)にずっと住み、亡くなったのも自宅か病院かは分からないが、ウェストチェスター群だった。死因は、糖尿病による合併症であるという。
<今日の、自己暗示>
飲食店で飲めないのは流石にきつい。えーん。15年は基本やめていた家飲み、復活させちゃおーかな……。4日前には、インタヴューがてら黄色いシートの空いている特急に乗って秩父に行く。あら、東京と違い、お店で飲めるぢゃん。世界的な評価を受けるモルト・ウィスキーの酒造があり、レアなそれを扱うバーが複数あるというのは初めて知った。遊びの予定を入れるのをやめたゴールデンウィーク期間中、母親訪問をした以外は唯一の公共交通機関乗車なり。いい気分転換になりました。さーあ、心機一転し、すいすいとGO!
長年テキサス州オースティンで活動したギタリストのデニー・フリーマンの訃報が届いた。死の数週間前に、腹部癌と診断されていたという。マイアミ州オーランド生まれで、テキサス州ダラスやロサンゼルスに住んだ後、20代半ばからオースティンに拠点を置いた。そんな彼のキャリアでもっとも語られるのが、やはり同地に住むジミー・ヴォーンやスティーヴィー・レイ・ヴォーンと付き合いを持ったことか。そんな事実に顕れているように、ブルース・コード主体のアーシーなロック伴奏に長けた人物で、彼はスライド・バーも用いた。また、キーボードやハーモニカを扱う場合もあった。ジェイムズ・コットン(2004年8月10日)やスヌーキー・プライヤーら純ブルース・マンのアルバムではピアノを弾いている。
1980年代からインストゥメンタルのリーダー作を何作も出してもいて、『Diggin’ On Dylan』(V8、2012年)はボブ・ディラン曲集でなかなかの味わい。彼は2006年から何年かボブ・ディランのバンドに入り、レコーディングもしていた。一方、やはり2000年代にはタージ・マハール(2000年10月12日、2007年4月6日)、ダン・ヒックス(2009年5月27日、2010年6月18日)、ドイル・ブラムホール(父親のほう)らのアルバムにも入っており、それは彼の業界評価を物語るものだろう。
▶︎過去の、ジェイムズ・コットン
https://43142.diarynote.jp/200408100058160000/
▶︎過去の、タージ・マハール
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
▶︎過去の、ダン・ヒックス
https://43142.diarynote.jp/200906051613277417/
https://43142.diarynote.jp/201006200650338483/
また、米国きってのレコード・エンジニアと言っても過言ではないアル・シュミットもお亡くなりになった。享年91、死因は明らかにされていない。ジェントルな風貌を持っていた彼には、5人の子供、8人の孫、5人のひ孫がいたという。
海軍除隊後、19歳でニューヨークのエイペックス・レコーディング・スタジオに勤務。そこでエンジニアをしていたのが、後にアトランティックに入りR&Bものを録り、同退社後に人気ロック・プロデューサーとなったトム・ダウド。シュミットはダウドの補助についた。同スタジオが潰れるまで2年間そこで作法を学び、その後複数のスタジオを経て、1958年にLAのレイディオ・レコーダーに入社。さらには、1963年にはRCAスタジオに移り、ヘンリー・マンシーニ、ジ・アストロノーツ、ローズマリー・クルーニー、サム・クック(『アット・ザ・コパ』、プロデュース・クレジットも得た)らの様々な人のレコーディングに関与。そのころには、大きな編成を録る術を会得しており、映画音楽の録音にも冴えを見せていた。
業界で名を売っていたシュミットは1966年に独立、ちょうどロック・ムーヴメントがのしてきたころで、彼はジェファーソン・エアプレインを皮切りに、1970年代中期にかけてジャクソン・ブラウンやニール・ヤング他のレコードに関与し、アルバムによってはプロデューサー・クレジットも得ている。シュミットというと、まず西海岸のロック系作品を思い浮かべる人は少なくないか。また、その頃からフィル・アップチャーチ、アル・ジャロウ、ジョージ・ベンソン、スタッフ、ドクター・ジョン、ベン・シドラン、ダイアアナ・クラールといったトミー・リミューマ物件に関わっており、彼はリピューマを業界でもっとも近しい人間としてあげている。彼とのその頃の仕事も、制作クレジットを得ることが多かった。リピューマが扱ったYMOの米国向けミックスもシュミットの仕事だ。
スティーリー・ダンのサイコ作『エイジャ』(ABC、1977年)も技術関与した作品だが、ロジャー・ニコルズ、エリオット・シャイナー、ビル・シニーらもまたエンジニアとして名前を連ねる。そして、1980年代に入るとエンジニアだけのクレジット作が増えるが、仕事量は変わらず。ジャズ/フュージョン系のアルバムが少し増えた感じもあったか。フランク・シナトラの『デュエッツ』(キャピトル、1993年)、クインシー・ジョーンズの『Qズ・ジューク・ジョイント』(クエスト、1995年)、レイ・チャールスの『ジニアス・ラヴズ・カンパニー』(コンコード・ジャズ、2004年)といったスター満載企画盤に絡んでいるのは偶然だろうか。
当然のことながら、ヘンリー・マンシーニの1962年サントラ作から、2012年と2013年のポール・マッカートニー作までグラミー受賞作は20部門ほど。また、2015年には、ハリウッド商工会議所の働きかけに議会のメンバーとロサンゼルス市長が賛同し、8月13日をアル・シュミットの日と定めたよう。そのような偉業を受けた人、エンジニアとしては彼だけのようだ。
<今日の、苦手な作業>
苦手のもの〜たくさんあるんだけど〜の一つが、原稿書きとは関係のない、書類仕事。原稿を書くのは苦にならないが、そっちの作業はストレスを覚える。大昔、会社員していたころ、面倒臭くて交通費の請求さえ経理にしなかったのだから、これは相当なものだろう。そういうのを避けるためにフリーランスになったという側面もあるか。確かに、フリーランスの物書きはその手の作業は少ないと思う。ぼくの場合税金の申告は税理士に丸投げ出しているし、あるとすれば原稿料の請求書を書くことぐらいか。今日2つ請求書をレコード会社に郵送したのだが、それについては時代に逆行して、ここ15年ほど請求書を書くのを求める会社が増えているように思える。印鑑を押すのさえも面倒くせえ。かつてはシャチハタの簡易ハンコを使っていたが、それを嫌がるところがあって、今は手元にある実印をきっちり押して提出している。しかし、それなりに立派なその実印は大学生時代に作ったものだ。車をもらえることになり、その名義変更登録のため実印が必要となり、3万円だかでちゃんと印鑑屋で作ったんだよなー。ケースともども、全然朽ちていない。しかし、ペーパーレスが言われる昨今、ぼくはいつまで押印した請求書を切手を貼って送るのだろう?
1980年代からインストゥメンタルのリーダー作を何作も出してもいて、『Diggin’ On Dylan』(V8、2012年)はボブ・ディラン曲集でなかなかの味わい。彼は2006年から何年かボブ・ディランのバンドに入り、レコーディングもしていた。一方、やはり2000年代にはタージ・マハール(2000年10月12日、2007年4月6日)、ダン・ヒックス(2009年5月27日、2010年6月18日)、ドイル・ブラムホール(父親のほう)らのアルバムにも入っており、それは彼の業界評価を物語るものだろう。
▶︎過去の、ジェイムズ・コットン
https://43142.diarynote.jp/200408100058160000/
▶︎過去の、タージ・マハール
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
▶︎過去の、ダン・ヒックス
https://43142.diarynote.jp/200906051613277417/
https://43142.diarynote.jp/201006200650338483/
また、米国きってのレコード・エンジニアと言っても過言ではないアル・シュミットもお亡くなりになった。享年91、死因は明らかにされていない。ジェントルな風貌を持っていた彼には、5人の子供、8人の孫、5人のひ孫がいたという。
海軍除隊後、19歳でニューヨークのエイペックス・レコーディング・スタジオに勤務。そこでエンジニアをしていたのが、後にアトランティックに入りR&Bものを録り、同退社後に人気ロック・プロデューサーとなったトム・ダウド。シュミットはダウドの補助についた。同スタジオが潰れるまで2年間そこで作法を学び、その後複数のスタジオを経て、1958年にLAのレイディオ・レコーダーに入社。さらには、1963年にはRCAスタジオに移り、ヘンリー・マンシーニ、ジ・アストロノーツ、ローズマリー・クルーニー、サム・クック(『アット・ザ・コパ』、プロデュース・クレジットも得た)らの様々な人のレコーディングに関与。そのころには、大きな編成を録る術を会得しており、映画音楽の録音にも冴えを見せていた。
業界で名を売っていたシュミットは1966年に独立、ちょうどロック・ムーヴメントがのしてきたころで、彼はジェファーソン・エアプレインを皮切りに、1970年代中期にかけてジャクソン・ブラウンやニール・ヤング他のレコードに関与し、アルバムによってはプロデューサー・クレジットも得ている。シュミットというと、まず西海岸のロック系作品を思い浮かべる人は少なくないか。また、その頃からフィル・アップチャーチ、アル・ジャロウ、ジョージ・ベンソン、スタッフ、ドクター・ジョン、ベン・シドラン、ダイアアナ・クラールといったトミー・リミューマ物件に関わっており、彼はリピューマを業界でもっとも近しい人間としてあげている。彼とのその頃の仕事も、制作クレジットを得ることが多かった。リピューマが扱ったYMOの米国向けミックスもシュミットの仕事だ。
スティーリー・ダンのサイコ作『エイジャ』(ABC、1977年)も技術関与した作品だが、ロジャー・ニコルズ、エリオット・シャイナー、ビル・シニーらもまたエンジニアとして名前を連ねる。そして、1980年代に入るとエンジニアだけのクレジット作が増えるが、仕事量は変わらず。ジャズ/フュージョン系のアルバムが少し増えた感じもあったか。フランク・シナトラの『デュエッツ』(キャピトル、1993年)、クインシー・ジョーンズの『Qズ・ジューク・ジョイント』(クエスト、1995年)、レイ・チャールスの『ジニアス・ラヴズ・カンパニー』(コンコード・ジャズ、2004年)といったスター満載企画盤に絡んでいるのは偶然だろうか。
当然のことながら、ヘンリー・マンシーニの1962年サントラ作から、2012年と2013年のポール・マッカートニー作までグラミー受賞作は20部門ほど。また、2015年には、ハリウッド商工会議所の働きかけに議会のメンバーとロサンゼルス市長が賛同し、8月13日をアル・シュミットの日と定めたよう。そのような偉業を受けた人、エンジニアとしては彼だけのようだ。
<今日の、苦手な作業>
苦手のもの〜たくさんあるんだけど〜の一つが、原稿書きとは関係のない、書類仕事。原稿を書くのは苦にならないが、そっちの作業はストレスを覚える。大昔、会社員していたころ、面倒臭くて交通費の請求さえ経理にしなかったのだから、これは相当なものだろう。そういうのを避けるためにフリーランスになったという側面もあるか。確かに、フリーランスの物書きはその手の作業は少ないと思う。ぼくの場合税金の申告は税理士に丸投げ出しているし、あるとすれば原稿料の請求書を書くことぐらいか。今日2つ請求書をレコード会社に郵送したのだが、それについては時代に逆行して、ここ15年ほど請求書を書くのを求める会社が増えているように思える。印鑑を押すのさえも面倒くせえ。かつてはシャチハタの簡易ハンコを使っていたが、それを嫌がるところがあって、今は手元にある実印をきっちり押して提出している。しかし、それなりに立派なその実印は大学生時代に作ったものだ。車をもらえることになり、その名義変更登録のため実印が必要となり、3万円だかでちゃんと印鑑屋で作ったんだよなー。ケースともども、全然朽ちていない。しかし、ペーパーレスが言われる昨今、ぼくはいつまで押印した請求書を切手を貼って送るのだろう?
勝井祐二× U-zhaan× 秋田ゴールドマン+みどりん。和久井沙良×松下マサナオ
2021年4月25日 音楽 昼下がりに、下北沢・440に。今日から緊急事態宣言入り、街の人出はな〜かなか。
エレクトリック・ヴァイオリンの勝井祐二(2000年7月29日、2000年9月14日、2002年9月7日、2002年9月14日、2003年3月6日、2003年7月29日、2004年1月16日、2004年5月28日、2004年5月31日、2004年6月2日、2004年6月3日、2004年11月19日、2005年2月15日、2005年2月19日。2005年4月11日。2005年10月30日、2006年5月30日、2006年7月7日、2006年8月27日,2006年12月3日,2006年12月28日、2007年6月29日、2008年1月30日、2008年2月18日、2012年12月23日、2013年1月7日、2013年2月11日、2013年6月6日、2014年7月8日、2014年12月26日、2017年11月12日、2018年10月21日、他)とU-zhaan(2013年6月19日、2013年8月7日、2014年7月8日、2018年10月21日)はここでよくやっており(次は、坂田明ら迎えての5月5日)、これもその一環となる。ダブル・ベースの秋田ゴールドマン(2005年7月29日、2007年5月6日、2009年6月12日、2011年1月30日、2011年6月23日、2012年3月3日。2012年9月9日、2015年9月27日、2018年6月2日、2019年7月22日、2019年11月26日)を迎えてのセッションが予定されていたが、無観客映像配信ライヴとなり、ならばもっと派手に行こうかとなり、急遽その3人にドラムのみどりん (2005年7月29日、2007年5月6日、2009年6月12日、2010年6月11日、2011年1月30日、2011年5月21日、2011年6月23日、2012年3月3日。2012年9月9日、2012年9月13日、2013年11月1日、2014年7月23日、2015年9月27日、2017年2月12日) を加えてのギグとなった。
曲の開始は勝井によってもたらされる場合が多かったか。5弦のヴァイオリンのもと(使わなかったが、ちゃんとサブのヴァイオリンも置いていた。周到ですね)、足元にはたくさんのエフェクターを並べる。けっこう久しぶりに彼の演奏に接して、エフェクター使いがまたまた巧みになっているなあと痛感。ずっと接していて、<祐二・ヘンドリックス>でも<デリック・勝井>でもいいのだが、機材を駆使しての彼のソロ演奏を作品化してほしいと思った。本当に経験の積み重ねと発想の自由があり、その着想の着地点を見てみたいと思ったから。
U-zhaanはタブラを5つ並べ、足元にも3つ起き、時に入れ替える。小さなマイクを複数設置して音を拾ったりと、こちらも長年の積み重ねを得ての方策が取られている。彼はアルト・ホルン(だったかな。かつて、吹奏楽をやっていたこともあったそう)やパンデイロみたいな叩き方をする小さなインドの打楽器を手にするときもあった。
実は、曲間の4人の話が面白かった。楽屋における、構えない会話というか。同じような髪型をしているU-zhaanとみどりんは同じ美容室にお世話になっていて、実はソイルの面々も皆そこに通っているとか、お互いを本名で呼び合うU-zhaanとみどりんは若い頃一緒にバンドをやっていて、そのJ・ポップのバンドはちゃんとメジャー・デビューを果たしたという。U-zhaanはそのときギターをしていて、デビュー前にクビになってしまったのだそう。そういえば、勝井も高校時代はバンドでベースを弾いていた。
そのU-zhaanとみどりんの話のときに、ダブの話がちょい出て、その後にやった曲の前半でリズム隊が入る際に秋田がみどりんに耳打ちする。そして二人は、レゲエ・ダブふうのビートを加える。いいナ。こういう臨機応変さ。有機的な4人であった。
▶過去の、勝井/ROVO
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-9.htm
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http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200401160000000000/
http://43142.diarynote.jp/200406080043380000/
http://43142.diarynote.jp/200406100011020000/
http://43142.diarynote.jp/200406111859060000/
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https://43142.diarynote.jp/201810221139492314/
▶過去の、U-zhaan
http://43142.diarynote.jp/201306241437513041/
http://43142.diarynote.jp/201308110827534904/
http://43142.diarynote.jp/201407091243129270/
https://43142.diarynote.jp/201810221139492314/
▶過去の、秋田ゴールドマン/SOIL & “PIMP” SESSIONS
http://43142.diarynote.jp/200508042335560000/
http://43142.diarynote.jp/200705181805330000/
http://43142.diarynote.jp/200906160733018341/
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/
http://43142.diarynote.jp/201107020946473690/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
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https://43142.diarynote.jp/201806051311346158/
https://43142.diarynote.jp/201907230915151851/
https://43142.diarynote.jp/201911270846588562/
▶過去の、みどりん/SOIL & “PIMP” SESSIONS
http://43142.diarynote.jp/200508042335560000/ Soil
http://43142.diarynote.jp/200705181805330000/ Soil
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J.A.M
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http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/ Soil
http://43142.diarynote.jp/201105230925539578/ ハナレグミ
http://43142.diarynote.jp/201107020946473690/ Soil
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/ Soil
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/ Soil
http://43142.diarynote.jp/201209191239346073/ J.A.M
http://43142.diarynote.jp/201311021703148497/ HEX
http://43142.diarynote.jp/?day=20140723 J.A.M
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/ Soil
https://43142.diarynote.jp/201702141642011828/ × 池澤龍作
その後、行きつけの飲み屋が重なるみどりんと流れ、そのまま誘われて、下北沢・rpmに行く。初めて行くハコ。出演者はキーボードの和久井沙良とドラムの松下マサナオ(2013年8月22日、2017年6月21日、2017年7月8日、2020年1月19日)。一緒にツアーをして、その最終日らしい。お互いが音を聞き、やさしく反応し合い、重なる。音楽の純な楽しみが、そこにあった。
▶︎過去の、松下マサナオ/Yasei Collective
http://43142.diarynote.jp/201308251333326263/
https://43142.diarynote.jp/?day=20170621
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https://43142.diarynote.jp/202001201340286359/
<今日の、あ〜あ>
音楽を享受する歓びを覚えた1日だったが、明日からまたいろいろと……。公演中止の報もいろいろ入ってきているし。去年はまだポジティヴな心持ちを持てたんだけど、さすがにちょっとなー。といいつつ、先週の木曜はものすごーく新しいこと、自分としてはこれまでなかった歓びの扉を開いた。それ、音楽関連においてデス。まあ、なすがままに。本能と自分のラッキーさを信じているが、少しグレ気味でゴールデン・ウィークに入ってしまうのかなあ。
エレクトリック・ヴァイオリンの勝井祐二(2000年7月29日、2000年9月14日、2002年9月7日、2002年9月14日、2003年3月6日、2003年7月29日、2004年1月16日、2004年5月28日、2004年5月31日、2004年6月2日、2004年6月3日、2004年11月19日、2005年2月15日、2005年2月19日。2005年4月11日。2005年10月30日、2006年5月30日、2006年7月7日、2006年8月27日,2006年12月3日,2006年12月28日、2007年6月29日、2008年1月30日、2008年2月18日、2012年12月23日、2013年1月7日、2013年2月11日、2013年6月6日、2014年7月8日、2014年12月26日、2017年11月12日、2018年10月21日、他)とU-zhaan(2013年6月19日、2013年8月7日、2014年7月8日、2018年10月21日)はここでよくやっており(次は、坂田明ら迎えての5月5日)、これもその一環となる。ダブル・ベースの秋田ゴールドマン(2005年7月29日、2007年5月6日、2009年6月12日、2011年1月30日、2011年6月23日、2012年3月3日。2012年9月9日、2015年9月27日、2018年6月2日、2019年7月22日、2019年11月26日)を迎えてのセッションが予定されていたが、無観客映像配信ライヴとなり、ならばもっと派手に行こうかとなり、急遽その3人にドラムのみどりん (2005年7月29日、2007年5月6日、2009年6月12日、2010年6月11日、2011年1月30日、2011年5月21日、2011年6月23日、2012年3月3日。2012年9月9日、2012年9月13日、2013年11月1日、2014年7月23日、2015年9月27日、2017年2月12日) を加えてのギグとなった。
曲の開始は勝井によってもたらされる場合が多かったか。5弦のヴァイオリンのもと(使わなかったが、ちゃんとサブのヴァイオリンも置いていた。周到ですね)、足元にはたくさんのエフェクターを並べる。けっこう久しぶりに彼の演奏に接して、エフェクター使いがまたまた巧みになっているなあと痛感。ずっと接していて、<祐二・ヘンドリックス>でも<デリック・勝井>でもいいのだが、機材を駆使しての彼のソロ演奏を作品化してほしいと思った。本当に経験の積み重ねと発想の自由があり、その着想の着地点を見てみたいと思ったから。
U-zhaanはタブラを5つ並べ、足元にも3つ起き、時に入れ替える。小さなマイクを複数設置して音を拾ったりと、こちらも長年の積み重ねを得ての方策が取られている。彼はアルト・ホルン(だったかな。かつて、吹奏楽をやっていたこともあったそう)やパンデイロみたいな叩き方をする小さなインドの打楽器を手にするときもあった。
実は、曲間の4人の話が面白かった。楽屋における、構えない会話というか。同じような髪型をしているU-zhaanとみどりんは同じ美容室にお世話になっていて、実はソイルの面々も皆そこに通っているとか、お互いを本名で呼び合うU-zhaanとみどりんは若い頃一緒にバンドをやっていて、そのJ・ポップのバンドはちゃんとメジャー・デビューを果たしたという。U-zhaanはそのときギターをしていて、デビュー前にクビになってしまったのだそう。そういえば、勝井も高校時代はバンドでベースを弾いていた。
そのU-zhaanとみどりんの話のときに、ダブの話がちょい出て、その後にやった曲の前半でリズム隊が入る際に秋田がみどりんに耳打ちする。そして二人は、レゲエ・ダブふうのビートを加える。いいナ。こういう臨機応変さ。有機的な4人であった。
▶過去の、勝井/ROVO
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200401160000000000/
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▶過去の、U-zhaan
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▶過去の、秋田ゴールドマン/SOIL & “PIMP” SESSIONS
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▶過去の、みどりん/SOIL & “PIMP” SESSIONS
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その後、行きつけの飲み屋が重なるみどりんと流れ、そのまま誘われて、下北沢・rpmに行く。初めて行くハコ。出演者はキーボードの和久井沙良とドラムの松下マサナオ(2013年8月22日、2017年6月21日、2017年7月8日、2020年1月19日)。一緒にツアーをして、その最終日らしい。お互いが音を聞き、やさしく反応し合い、重なる。音楽の純な楽しみが、そこにあった。
▶︎過去の、松下マサナオ/Yasei Collective
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<今日の、あ〜あ>
音楽を享受する歓びを覚えた1日だったが、明日からまたいろいろと……。公演中止の報もいろいろ入ってきているし。去年はまだポジティヴな心持ちを持てたんだけど、さすがにちょっとなー。といいつつ、先週の木曜はものすごーく新しいこと、自分としてはこれまでなかった歓びの扉を開いた。それ、音楽関連においてデス。まあ、なすがままに。本能と自分のラッキーさを信じているが、少しグレ気味でゴールデン・ウィークに入ってしまうのかなあ。
R.I.P.ショック・G(1963年8月25日〜2021年4月22日)
2021年4月23日 音楽 デジタル・アンダーグラウンドの中央に立った、別名ハンプティ・ハンプ(眼鏡と付け鼻がトレードマーク)こと本名グレゴリー・ジェイコブズがフロリダ州タンパのホテルでお亡くなりになった。デジタル・アンダーグラウンドはオークランドから出たチームであり西海岸ヒップホップ隆盛期の中心的な存在でもあったが、ショック・Gの生まれはニューヨーク州のブルックリン。多感な時期に育ったのはタンパで、その後彼は西海岸に移り成功を見た。死因は検視が必要とされているようだが、彼は馴染みのある場所で亡くなったことになる。
音楽的にも諧謔に満ちた態度の部分においてもP-ファンクねたを用い、なにかと親しみやすい存在だった。彼らは1990年ごろだったか、デビュー・アルバム『セックス・パケッツ』(トミー・ボーイ)が話題になったときに来日し(舎弟の2パックも同行したはず。ショック・Dは2パック、育ての親でもある)、そのときインタヴューしたと記憶するが、詳細は忘れちゃったなー。当時、ぼくはP-ファンク関連者を次々にインタヴューするぞと意気込んでおり、その延長戦という気持ちで臨んでいたかもしれない。あの〜、セックス・パケッツ(宇宙ロケット乗務員の性欲解消のためにNASAが開発した道具という触れ込みだったか?)って本当にあるんですかとかいう質問で始めたかもしれない(笑い)。
とはいえ、デビュー作にして出世作『セックス・パケッツ』はなにげにジャズねたもあったアルバムだった。彼が弾くちょいジャジーな生ピアノ音とスクラッチを組み合わせた「ザ・ニュー・ジャズ」、ハービー・ハンコックの「カメレオン」のリフを応用した「アンダーウォーター・ライムズ」、肌の色にもセックスにも自由な理想の架空の音楽フェスを綴った「ガット・フェスト’89」の冒頭にはフェス出演者として、DUのほかにザ・フー、ザ・クラッシュ、EMPD、ハービー・ハンコック、チック・コリア、マイルス・デイヴィスの名前が挙げられていた。そういえば、ベン・シドランのサントラ『Hoop Dreams 』(GRP,1994年)に彼は1曲関与している。また、ダン・エイクロイド(cf.ザ・ブルース・ブラザース)の初映画監督作品(チャビー・チェイスやデミ・ムーアらも出演したが、大コケした)「Nothing But Trouble」の法廷シーンで彼らはラップしている。
デジタル・アンダーグラウンドの最終作『"..Cuz A D.U. Party Don’t Stop!" 』(Jake)はライヴ盤で、2008年のリリース。ソロ名義作は、『Fear of a Mixed Planet』(33rd Street、2004年)を出している。
<世にも奇妙な、2日間>
サッカー好きじゃない人はなんのこっちゃとなるだろうが、レアル・マドリードの親分を中心とする”スーパー・リーグ”構想ぶちあげにはおおっとなった。スペイン、英国、イタリアの12の人気チームが結託し、従来の欧州クラブNo.1を決めるUEFAチャンピオンズ・リーグに代わるスーパー・リーグなるものを独占的に創設し、質の高い試合を提供する……。裏にいるのは、資金を調達する米国金融会社ののJPモルガン。そこには人気チームをこき使う&お金の使い方が不明瞭なUEFA(欧州サッカー連盟)に対する反発があり、この手の話はだいぶ前からあったものの、あっけらかんとここにきて発表したのにはびっくり。思わず、ネットでいろいろ記事を引いてしまいましたよ。結局のところ、サッカー愛好者のことなど考えずにお金儲けに走るそれは、欧州各国の積み重ねを持つリーグ崩壊に結びつく、という論調に集約されるよう。また、入れ替えなしで創設チームはリーグ参加が保証されることにも強い異議が集まったようだ。コロナ禍で赤字まみれでなんとかお金を得たいビッグ・チームの経営陣、正義じゃなかろうとお金が増えて戻るならそれを拠出する米国ファンド、もともとあがりを不透明に好き勝手していたサッカー連盟、悪の三つ巴話なり。……何かの宣伝文句を借りれば、<みんな悪人。お金が生まれるところにはすべからく小汚い奴がいる>という状況が、こんなにくっきりと露わになることも珍しいのではないだろうか。ドイツとフランスのトップ・チームが不参加だった理由は探せなかったが、とくに英国からはスーパー・リーグ構想発表とともに、それこそ首相から市井の愛好家まで鬼のように反対の声を上げ、あっさりプレミア6チームが参加を撤回し、イタリアの3チームもいやいやっぽくも降りて、たった2日間で見事にスーパー・リーグ構想は頓挫したわけだ。黒いぼくはアメリカの言いなりになってスーパー・リーグが実現し、欧州サッカー界〜=サッカー界ということになるか〜が一度目苦茶になっちゃえばという一握りの悪意もなくはなかったが、とりあえず、サッカーを取り巻く人々の良識が垣間見ることができたのは良かった。英アーセナルが流した、「スーパー・リーグへの招待が来た際、保証がないと知りつつ、将来を守るために取り残されたくありませんでした。間違えた判断をおわびします」といった率直なごめんなさい文言には笑った。実は、スポティファイ共同設立者である38歳のスウェーデン人がそのアーセナルのオーナーに今なりたがっているという。ちなみに、現在のアーセナルはスポーツ関連会社を持つ米国人が持っている。そのスポティファイ君の資産は45億ユーロを優に超えるそう。おいおい、そんなにお金を得ているなら、楽曲を提供するアーティストへの分配金をもっと上げなさいっ。それを、ぼくはここで言いたかった。
音楽的にも諧謔に満ちた態度の部分においてもP-ファンクねたを用い、なにかと親しみやすい存在だった。彼らは1990年ごろだったか、デビュー・アルバム『セックス・パケッツ』(トミー・ボーイ)が話題になったときに来日し(舎弟の2パックも同行したはず。ショック・Dは2パック、育ての親でもある)、そのときインタヴューしたと記憶するが、詳細は忘れちゃったなー。当時、ぼくはP-ファンク関連者を次々にインタヴューするぞと意気込んでおり、その延長戦という気持ちで臨んでいたかもしれない。あの〜、セックス・パケッツ(宇宙ロケット乗務員の性欲解消のためにNASAが開発した道具という触れ込みだったか?)って本当にあるんですかとかいう質問で始めたかもしれない(笑い)。
とはいえ、デビュー作にして出世作『セックス・パケッツ』はなにげにジャズねたもあったアルバムだった。彼が弾くちょいジャジーな生ピアノ音とスクラッチを組み合わせた「ザ・ニュー・ジャズ」、ハービー・ハンコックの「カメレオン」のリフを応用した「アンダーウォーター・ライムズ」、肌の色にもセックスにも自由な理想の架空の音楽フェスを綴った「ガット・フェスト’89」の冒頭にはフェス出演者として、DUのほかにザ・フー、ザ・クラッシュ、EMPD、ハービー・ハンコック、チック・コリア、マイルス・デイヴィスの名前が挙げられていた。そういえば、ベン・シドランのサントラ『Hoop Dreams 』(GRP,1994年)に彼は1曲関与している。また、ダン・エイクロイド(cf.ザ・ブルース・ブラザース)の初映画監督作品(チャビー・チェイスやデミ・ムーアらも出演したが、大コケした)「Nothing But Trouble」の法廷シーンで彼らはラップしている。
デジタル・アンダーグラウンドの最終作『"..Cuz A D.U. Party Don’t Stop!" 』(Jake)はライヴ盤で、2008年のリリース。ソロ名義作は、『Fear of a Mixed Planet』(33rd Street、2004年)を出している。
<世にも奇妙な、2日間>
サッカー好きじゃない人はなんのこっちゃとなるだろうが、レアル・マドリードの親分を中心とする”スーパー・リーグ”構想ぶちあげにはおおっとなった。スペイン、英国、イタリアの12の人気チームが結託し、従来の欧州クラブNo.1を決めるUEFAチャンピオンズ・リーグに代わるスーパー・リーグなるものを独占的に創設し、質の高い試合を提供する……。裏にいるのは、資金を調達する米国金融会社ののJPモルガン。そこには人気チームをこき使う&お金の使い方が不明瞭なUEFA(欧州サッカー連盟)に対する反発があり、この手の話はだいぶ前からあったものの、あっけらかんとここにきて発表したのにはびっくり。思わず、ネットでいろいろ記事を引いてしまいましたよ。結局のところ、サッカー愛好者のことなど考えずにお金儲けに走るそれは、欧州各国の積み重ねを持つリーグ崩壊に結びつく、という論調に集約されるよう。また、入れ替えなしで創設チームはリーグ参加が保証されることにも強い異議が集まったようだ。コロナ禍で赤字まみれでなんとかお金を得たいビッグ・チームの経営陣、正義じゃなかろうとお金が増えて戻るならそれを拠出する米国ファンド、もともとあがりを不透明に好き勝手していたサッカー連盟、悪の三つ巴話なり。……何かの宣伝文句を借りれば、<みんな悪人。お金が生まれるところにはすべからく小汚い奴がいる>という状況が、こんなにくっきりと露わになることも珍しいのではないだろうか。ドイツとフランスのトップ・チームが不参加だった理由は探せなかったが、とくに英国からはスーパー・リーグ構想発表とともに、それこそ首相から市井の愛好家まで鬼のように反対の声を上げ、あっさりプレミア6チームが参加を撤回し、イタリアの3チームもいやいやっぽくも降りて、たった2日間で見事にスーパー・リーグ構想は頓挫したわけだ。黒いぼくはアメリカの言いなりになってスーパー・リーグが実現し、欧州サッカー界〜=サッカー界ということになるか〜が一度目苦茶になっちゃえばという一握りの悪意もなくはなかったが、とりあえず、サッカーを取り巻く人々の良識が垣間見ることができたのは良かった。英アーセナルが流した、「スーパー・リーグへの招待が来た際、保証がないと知りつつ、将来を守るために取り残されたくありませんでした。間違えた判断をおわびします」といった率直なごめんなさい文言には笑った。実は、スポティファイ共同設立者である38歳のスウェーデン人がそのアーセナルのオーナーに今なりたがっているという。ちなみに、現在のアーセナルはスポーツ関連会社を持つ米国人が持っている。そのスポティファイ君の資産は45億ユーロを優に超えるそう。おいおい、そんなにお金を得ているなら、楽曲を提供するアーティストへの分配金をもっと上げなさいっ。それを、ぼくはここで言いたかった。
須川崇志 バンクシア・トリオ featuring 角銅真実
2021年4月19日 音楽 丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。半年ぶりに見るベーシストの須川崇志(2010年3月14日、2011年7月25日、2016年6月27日、2017年6月21日、2018年1月19日、2018年4月7日、2019年3月29日、2019年12月14日、2019年12月20日、2020年10月29日、2021年4月6日)のワーキング・トリオだが、音楽は生き物と実感した。嬉しいかぎり。前回とは違うだけでなく、バンクシア・トリオ名義の2作目となる今年早々に出た『Ancient Blue』とも異なる手触りを持つものでもあり。
須川に加え、ピアノの林正樹(2013年9月6日、2015年9月27日、2015年12月17日、2016年7月16日、2018年5月13日 、2019年1月7日、2019年10月6日、2019年11月19日、2019年11月21日、2019年12月18日、2020年8月28日、2020年10月29日、2020年11月14日)と、石若駿(2014年9月26日、2016年6月27日、2016年7月21日、2016年9月4日、2017年6月21日、2017年7月12日、2019年1月21日、2019年3月16日、2020年10月29日、2021年4月11日)。さらに、その単位にヴァイブラフォンとマリンバとアナログな音装置と歌で角銅真実(2019年3月16日、2019年11月26日)が入る。
あららと思わせられたのは、角銅が最初から最後までステージにいて、1曲以外はすべて表現に関わったこと。彼女は主にヴァイブラフォンとマリンバを演奏したが、なるほどトリオ音にいろんな手触りや局面を与える。どのような経緯でその<+1>表現をすることになったかは知らないが、太い演奏哲学と身軽な実演志向は花丸だな。
コントラバスだけでなく、チェロの弓弾きを前に出す曲もあり。でも、その曲の途中にはエレクトリック・ベースに持ち替えたりし、そういう定石外しっぽいところもよろしい。なんにせよ、研ぎ澄まされた音楽観を照らし出す、うれしくも説明に困る楽曲を綺麗な放物線や尻尾を持つ楽器音でヴィヴィットに紡いでいく。演目は林の曲や、石若のソングブック曲も演奏する。須川がこの数日前に書いたという反復系曲は、マリンバの角胴とヴァイブラフォンの石若のデュオで披露された。
▶︎過去の、須川崇志
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http://43142.diarynote.jp/?day=20160627
http://43142.diarynote.jp/201706220952582448/
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https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
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https://43142.diarynote.jp/201912161052582124/
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https://43142.diarynote.jp/202104071750586426/
▶過去の、林正樹
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
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https://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
https://43142.diarynote.jp/201910070759405954/
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https://43142.diarynote.jp/201912191314476679/
https://43142.diarynote.jp/202008290914077509/
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https://43142.diarynote.jp/202011150954203089/
▶︎過去の、石若駿
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
http://43142.diarynote.jp/201607221000152412/
http://43142.diarynote.jp/201606281737237220/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
http://43142.diarynote.jp/?day=20170621
http://43142.diarynote.jp/201707130853185809/
https://43142.diarynote.jp/?day=20180404
https://43142.diarynote.jp/201901231045028294/
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https://43142.diarynote.jp/202010300958115053/
https://43142.diarynote.jp/202104121207459452/
▶︎過去の、角銅真実
https://43142.diarynote.jp/?day=20190316
https://43142.diarynote.jp/201911270846588562/
<今日の、いろいろ>
そうえば、須川がトライアングルの一角をしめる、藤井郷子(1999年8月16日、2000年6月2日、2000年10月1日、2002年8月5日、2003年1月21日、2003年4月7日、2004年7月27日、2005年2月10日、2005年11月28日、2005年12月11日、2006年7月3日、2008年8月24日、2008年12月17日、2010年1月9日、2010年6月7日、2010年8月6日、2012年7月1日、2016年1月28日、2017年1月9日、2017年9月13日、2018年1月8日、2019年1月13日、2019年1月13日、2019年6月29日)の東京トリオ(2019年12月20日)の初作『ムーン・オン・ザ・レイク』(リブラ)が5月発売ながら、手元に届く。2019年12月の同トリオの新鮮な噛み合いに触れてぼくは大絶賛したが、2020年9月15日に新宿ピットインで録られた本作はまたそのときとは異なった味とともに感興を与える。須川のアルコ弾きが印象的な部分もあるそれは、乱暴に行ってしまえばより静謐。それは3者の関係がより綿密になったことや、コロナ期における録音であることも関係しているか。4月リリースの田村夏樹と藤井郷子の『化身』(リブラ)は通算8作目となる二人のデュオ作だそうだが、何かと心に入り込む生きた楽器の音の粒と連鎖があって、何度も聞いている。通年、半分以上は海外に行っている田村/藤井夫妻だが、昨年の一時期は自宅からデュオ・パフォーマンスの映像をいろいろ配信していたっけか。『化身』も自宅の音楽室で録音したものをニューヨークでマスタリングしている。現況、マイナスなことが多いが、でもそうしたなか、新たな心気きっかけを見つけ、動こうとしている音楽家はそれこそあちこちにいることだけは気に留めておきたい。
須川に加え、ピアノの林正樹(2013年9月6日、2015年9月27日、2015年12月17日、2016年7月16日、2018年5月13日 、2019年1月7日、2019年10月6日、2019年11月19日、2019年11月21日、2019年12月18日、2020年8月28日、2020年10月29日、2020年11月14日)と、石若駿(2014年9月26日、2016年6月27日、2016年7月21日、2016年9月4日、2017年6月21日、2017年7月12日、2019年1月21日、2019年3月16日、2020年10月29日、2021年4月11日)。さらに、その単位にヴァイブラフォンとマリンバとアナログな音装置と歌で角銅真実(2019年3月16日、2019年11月26日)が入る。
あららと思わせられたのは、角銅が最初から最後までステージにいて、1曲以外はすべて表現に関わったこと。彼女は主にヴァイブラフォンとマリンバを演奏したが、なるほどトリオ音にいろんな手触りや局面を与える。どのような経緯でその<+1>表現をすることになったかは知らないが、太い演奏哲学と身軽な実演志向は花丸だな。
コントラバスだけでなく、チェロの弓弾きを前に出す曲もあり。でも、その曲の途中にはエレクトリック・ベースに持ち替えたりし、そういう定石外しっぽいところもよろしい。なんにせよ、研ぎ澄まされた音楽観を照らし出す、うれしくも説明に困る楽曲を綺麗な放物線や尻尾を持つ楽器音でヴィヴィットに紡いでいく。演目は林の曲や、石若のソングブック曲も演奏する。須川がこの数日前に書いたという反復系曲は、マリンバの角胴とヴァイブラフォンの石若のデュオで披露された。
▶︎過去の、須川崇志
http://43142.diarynote.jp/201003191715113498/
http://43142.diarynote.jp/201107310727152406/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160627
http://43142.diarynote.jp/201706220952582448/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
https://43142.diarynote.jp/201912161052582124/
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▶過去の、林正樹
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http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
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▶︎過去の、石若駿
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▶︎過去の、角銅真実
https://43142.diarynote.jp/?day=20190316
https://43142.diarynote.jp/201911270846588562/
<今日の、いろいろ>
そうえば、須川がトライアングルの一角をしめる、藤井郷子(1999年8月16日、2000年6月2日、2000年10月1日、2002年8月5日、2003年1月21日、2003年4月7日、2004年7月27日、2005年2月10日、2005年11月28日、2005年12月11日、2006年7月3日、2008年8月24日、2008年12月17日、2010年1月9日、2010年6月7日、2010年8月6日、2012年7月1日、2016年1月28日、2017年1月9日、2017年9月13日、2018年1月8日、2019年1月13日、2019年1月13日、2019年6月29日)の東京トリオ(2019年12月20日)の初作『ムーン・オン・ザ・レイク』(リブラ)が5月発売ながら、手元に届く。2019年12月の同トリオの新鮮な噛み合いに触れてぼくは大絶賛したが、2020年9月15日に新宿ピットインで録られた本作はまたそのときとは異なった味とともに感興を与える。須川のアルコ弾きが印象的な部分もあるそれは、乱暴に行ってしまえばより静謐。それは3者の関係がより綿密になったことや、コロナ期における録音であることも関係しているか。4月リリースの田村夏樹と藤井郷子の『化身』(リブラ)は通算8作目となる二人のデュオ作だそうだが、何かと心に入り込む生きた楽器の音の粒と連鎖があって、何度も聞いている。通年、半分以上は海外に行っている田村/藤井夫妻だが、昨年の一時期は自宅からデュオ・パフォーマンスの映像をいろいろ配信していたっけか。『化身』も自宅の音楽室で録音したものをニューヨークでマスタリングしている。現況、マイナスなことが多いが、でもそうしたなか、新たな心気きっかけを見つけ、動こうとしている音楽家はそれこそあちこちにいることだけは気に留めておきたい。
R.I.P.ラスティ・ヤング(1946年2月23日〜2021年4月14日)
2021年4月16日 音楽 著名カントリー・ロック・バンドであるポコの中心人物であるラスティ・ヤングが、ミズーリ州デイヴィスヴィルの自宅で心臓発作で亡くなった。奥様は当然のこと、子や孫にも恵まれ、データーだけだと幸せな家庭環境のもと音楽生活をまっとうした人のように思える。
いろんなスティール・ギター類、各種ギター、バンジョー、マンドリンなど、今で言うアメリカーナな弦楽器のスペシャリストだ。カリフォルニア州ロングビーチで生まれ、コロラド州デンヴァーで育つ。6歳からラップ・スティールを弾き出し、高校に入るとギターやペダル・スティールなどを習った。1967年からロサンゼルスに住み、知人がバッファロー・スプリングフィールドのロード・マネイジャーになったこともあり、その最終作『ラスト・タイム・アラウンド』(アトコ、1968年)の1曲にペダル・スティールでレコーディング参加した。そして、そのメンバーだったジム・メッシーナやリッチー・フューレイ、その後イーグルズを結成するランディ・マイズナー(その後任はティモシー・B・シュミットで、彼はイーグルズでもマイズナーの後に加入)らと、同年にポコを結成した。
他のメンバーが別のことをするためにポコを去ったが、彼はポコの休止期間を除いてずっと在籍した。再結成後の1990年だかには来日公演(中野サンプラザ)もあり、ロギンス&メッシーナやイーグルズの曲もすんなりやっていたと記憶する。そのころ、ヤングはフォー・ウィール・ドライヴ→スカイ・キングズというバンドを組んだりもした。2013年に一度引退を発表したものの、すぐに撤回。ゆるやかにポコの活動は維持され、パンデミック期に入る2020年3月までショウをしていたという。リーダー作はおそらく『Waitin’ for the Sun』(Blue Élan,2017年)1作だけか。口先だけで歌う歌は魅力薄だが、楽曲やサウンドは1級。心優しくも得難いアメリカの襞がいろいろと入った好作として推せる。
<今日の、諦観>
ぼくは乱暴者なので、これまでPCキーボードのキーは購入して1年たたずにひびが入ったり、脱着してしまったりしするのが常だった。でも、ぼくは思うままワイルドにキーを打って原稿を書きたいのでそれも致し方ないと思ってきた。だが、2年前に購入した今使っているマックブック・エアーはこれまでキーが壊れそうな気配がなく、おおマックも少しはリファインされている部分もあるのだなと思っていた。その自覚のため、ぼくはより乱暴にキーを打つようになった。しかし、ついに本日、エンター・キーにヒビが入った。打ちずれえ。ご愁傷様〜〜〜。世の中、そんなに甘かあない。アップルが優良企業であるはずもない。ららら〜ららら〜ららら〜。
いろんなスティール・ギター類、各種ギター、バンジョー、マンドリンなど、今で言うアメリカーナな弦楽器のスペシャリストだ。カリフォルニア州ロングビーチで生まれ、コロラド州デンヴァーで育つ。6歳からラップ・スティールを弾き出し、高校に入るとギターやペダル・スティールなどを習った。1967年からロサンゼルスに住み、知人がバッファロー・スプリングフィールドのロード・マネイジャーになったこともあり、その最終作『ラスト・タイム・アラウンド』(アトコ、1968年)の1曲にペダル・スティールでレコーディング参加した。そして、そのメンバーだったジム・メッシーナやリッチー・フューレイ、その後イーグルズを結成するランディ・マイズナー(その後任はティモシー・B・シュミットで、彼はイーグルズでもマイズナーの後に加入)らと、同年にポコを結成した。
他のメンバーが別のことをするためにポコを去ったが、彼はポコの休止期間を除いてずっと在籍した。再結成後の1990年だかには来日公演(中野サンプラザ)もあり、ロギンス&メッシーナやイーグルズの曲もすんなりやっていたと記憶する。そのころ、ヤングはフォー・ウィール・ドライヴ→スカイ・キングズというバンドを組んだりもした。2013年に一度引退を発表したものの、すぐに撤回。ゆるやかにポコの活動は維持され、パンデミック期に入る2020年3月までショウをしていたという。リーダー作はおそらく『Waitin’ for the Sun』(Blue Élan,2017年)1作だけか。口先だけで歌う歌は魅力薄だが、楽曲やサウンドは1級。心優しくも得難いアメリカの襞がいろいろと入った好作として推せる。
<今日の、諦観>
ぼくは乱暴者なので、これまでPCキーボードのキーは購入して1年たたずにひびが入ったり、脱着してしまったりしするのが常だった。でも、ぼくは思うままワイルドにキーを打って原稿を書きたいのでそれも致し方ないと思ってきた。だが、2年前に購入した今使っているマックブック・エアーはこれまでキーが壊れそうな気配がなく、おおマックも少しはリファインされている部分もあるのだなと思っていた。その自覚のため、ぼくはより乱暴にキーを打つようになった。しかし、ついに本日、エンター・キーにヒビが入った。打ちずれえ。ご愁傷様〜〜〜。世の中、そんなに甘かあない。アップルが優良企業であるはずもない。ららら〜ららら〜ららら〜。
解放地帯(蜂谷真紀+加藤崇之+本田珠也)
2021年4月14日 音楽 入谷・なってるハウス。蜂谷真紀(2008年8月24日、2009年1月8日、2010年9月11日、2014年7月22日、2014年9月25日、2015年5月20日、2015年6月15日、2016年11月2日、2018年1月19日、2018年3月28日、2019年3月29日、2019年9月12日、2019年12月19日 )と武田理沙(2018年3月15日、2020年8月22日)と加藤崇之((2005年11月28日、2005年12月11日、2012年11月24日、2017年1月9日、2019年8月29日)、そして 本田珠也 (2000年5月9日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年10月13日、2007年12月4日、2011年5月5日、2012年7月16日、2013年7月27日、2015年5月20日、2018年1月19日、2018年4月7日、2019年7月16日、2021年4月6日)による、ブチかまし系インプロ・トリオを見る。
切れ目なく、1時間弱の流れを、キブンのおもむくまま切れ目なく、1発にて。男性陣はそれぞれに蜂谷とはたくさんお手合わせしているので、手慣れたもの。←という、言い方はこの手のパフォーマンスにとっては褒め言葉にならないのかもしれないが、持ちあえている土台を踏まえて、それぞれが先を見て重なる。それゆえの大人な退きの部分もあって、ぼくが期待する全面的な”馬鹿丸出しハードコア”ではなかったが。
加藤はエレクトリック・ギターのエフェクターを前に置くとともに、その両側にいろいろと缶や鍋など鳴り物となるブツを置いている。聞けば、そっちも好きで、1度ギターを弾かない鳴りモノだけのギグをやったら、満員になったとのこと。手にするのは、ギブソンのSG。なんでも、持っているソリッドのエレクトリック・ギターはSGだけ(1本しか使わなかったが、彼はSGを2本持ってきていた)だそうで、それは若い時分のザ・フー(2008年11月17日)愛好からきているとのこと。そんな彼のこの日のギター演奏にそうなんかーと思ったのは、狼藉しようと何をしようと音楽的なこと。飛んだ音を出していても音階はとても明晰で、その場しのぎの曖昧さがない。終演後、思わず絶対音階を持っているんですかと聞いてしまう。ないそうだが、○△□○(ぼくの知らない言葉)は持っているとのこと。
▶過去の、蜂谷真紀
http://43142.diarynote.jp/200808260821260000/
http://43142.diarynote.jp/200901091437341082/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100911
http://43142.diarynote.jp/201407231341189225/
http://43142.diarynote.jp/201409261635554506/
http://43142.diarynote.jp/201410310931316189/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161102
http://43142.diarynote.jp/201707111737453393/
https://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201803281101075372/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
https://43142.diarynote.jp/201909141634343903/
https://43142.diarynote.jp/202008231525422463/
▶︎過去の、加藤崇之
http://43142.diarynote.jp/amp/200512020244540000/
http://43142.diarynote.jp/200512140951100000/
http://43142.diarynote.jp/201211261639115632
http://43142.diarynote.jp/?day=20170109
https://43142.diarynote.jp/201908310944135574/
▶過去の、本田珠也
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm 菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm 菊地雅章
http://43142.diarynote.jp/200410162306570000/
http://43142.diarynote.jp/200712151621260000/
http://43142.diarynote.jp/201105101010399933/
http://43142.diarynote.jp/201207180824136323/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201907180809371988/
https://43142.diarynote.jp/202104071750586426/
▶︎過去の、ザ・フー関連
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm ジョン・エントウィッスル 2001年11月9日
https://43142.diarynote.jp/200810010211566772/ 映画
https://43142.diarynote.jp/200811201240456237/
<今日の、えーん>
降雨日。なのかどうかは知らないが、会場に向かうとき、派手にメガネが曇る。で、地下鉄に乗る際の下り階段でもうひやひや。足元が見えないので、マジに踏み外しそうになり、キュー。やばい、シャレにならない。こういう場合はメガネを外し、ぼやけていても裸眼にて行動することが肝要であると認知。使える場合は、エスカレイターかエレヴェイター使用をこころがけるべき。忘れないように、ここに書き留めておく。
日比谷線のプリセットの車内放送で、(駅停車時に)一度車外に出て車両移動するのはおやめくださいという趣旨のお願いが流される。どうしてなのかな? それをやられると、停車時間が長くなるのが危惧されるということだろうか。ときに、電気ポットの取扱説明書にもお湯を入れるな(水を入れろ)と書いてある。温度感知センサーが狂うからかとも推測するが、それもどうして? ちゃんと禁止する理由まで伝えてくれないのは非常に不親切というか、人間の生理を無視したダメ企業流儀にあるものと思う。
切れ目なく、1時間弱の流れを、キブンのおもむくまま切れ目なく、1発にて。男性陣はそれぞれに蜂谷とはたくさんお手合わせしているので、手慣れたもの。←という、言い方はこの手のパフォーマンスにとっては褒め言葉にならないのかもしれないが、持ちあえている土台を踏まえて、それぞれが先を見て重なる。それゆえの大人な退きの部分もあって、ぼくが期待する全面的な”馬鹿丸出しハードコア”ではなかったが。
加藤はエレクトリック・ギターのエフェクターを前に置くとともに、その両側にいろいろと缶や鍋など鳴り物となるブツを置いている。聞けば、そっちも好きで、1度ギターを弾かない鳴りモノだけのギグをやったら、満員になったとのこと。手にするのは、ギブソンのSG。なんでも、持っているソリッドのエレクトリック・ギターはSGだけ(1本しか使わなかったが、彼はSGを2本持ってきていた)だそうで、それは若い時分のザ・フー(2008年11月17日)愛好からきているとのこと。そんな彼のこの日のギター演奏にそうなんかーと思ったのは、狼藉しようと何をしようと音楽的なこと。飛んだ音を出していても音階はとても明晰で、その場しのぎの曖昧さがない。終演後、思わず絶対音階を持っているんですかと聞いてしまう。ないそうだが、○△□○(ぼくの知らない言葉)は持っているとのこと。
▶過去の、蜂谷真紀
http://43142.diarynote.jp/200808260821260000/
http://43142.diarynote.jp/200901091437341082/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100911
http://43142.diarynote.jp/201407231341189225/
http://43142.diarynote.jp/201409261635554506/
http://43142.diarynote.jp/201410310931316189/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161102
http://43142.diarynote.jp/201707111737453393/
https://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201803281101075372/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
https://43142.diarynote.jp/201909141634343903/
https://43142.diarynote.jp/202008231525422463/
▶︎過去の、加藤崇之
http://43142.diarynote.jp/amp/200512020244540000/
http://43142.diarynote.jp/200512140951100000/
http://43142.diarynote.jp/201211261639115632
http://43142.diarynote.jp/?day=20170109
https://43142.diarynote.jp/201908310944135574/
▶過去の、本田珠也
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm 菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm 菊地雅章
http://43142.diarynote.jp/200410162306570000/
http://43142.diarynote.jp/200712151621260000/
http://43142.diarynote.jp/201105101010399933/
http://43142.diarynote.jp/201207180824136323/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201907180809371988/
https://43142.diarynote.jp/202104071750586426/
▶︎過去の、ザ・フー関連
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm ジョン・エントウィッスル 2001年11月9日
https://43142.diarynote.jp/200810010211566772/ 映画
https://43142.diarynote.jp/200811201240456237/
<今日の、えーん>
降雨日。なのかどうかは知らないが、会場に向かうとき、派手にメガネが曇る。で、地下鉄に乗る際の下り階段でもうひやひや。足元が見えないので、マジに踏み外しそうになり、キュー。やばい、シャレにならない。こういう場合はメガネを外し、ぼやけていても裸眼にて行動することが肝要であると認知。使える場合は、エスカレイターかエレヴェイター使用をこころがけるべき。忘れないように、ここに書き留めておく。
日比谷線のプリセットの車内放送で、(駅停車時に)一度車外に出て車両移動するのはおやめくださいという趣旨のお願いが流される。どうしてなのかな? それをやられると、停車時間が長くなるのが危惧されるということだろうか。ときに、電気ポットの取扱説明書にもお湯を入れるな(水を入れろ)と書いてある。温度感知センサーが狂うからかとも推測するが、それもどうして? ちゃんと禁止する理由まで伝えてくれないのは非常に不親切というか、人間の生理を無視したダメ企業流儀にあるものと思う。
映画「東京自転車節」
2021年4月13日 音楽 試写状には簡単なデーターとともに宣伝用文章も載せられているが、近年のなかでは一番、それを見て面白そうな映画と思えたか?
1993年生まれの青柳拓監督による2021年映画「東京自転車節」はまさしく、コロナ禍に入って以降の映画だ。甲府の地元で代行運転のアルバイトをしていた監督が3月下旬以降仕事がなくなり、奨学金返済も待ったなしで大ピンチ。映画単科大学時代の知人が東京でウーバーイーツの配達員をしているのを受けて4月下旬に上京、新宿を拠点とするウーバーイーツの道に入る。それは映像化もアリというお目論見もあったようだ。
ドキュメンタリーで、アイフォンなどを用いたユーチューバー仕様にて映像は撮られる。だが、画質に不満を覚えることはなかった。緊急事態宣言が出された東京の風景や人々をウーバーイーツの配達譚とともに、瑞々しく描く。ものかと、当初は思った。甲府から自転車に乗って元気に上京したり、中盤までクスッとできる妙なユーモアが映像に出てきたりもして、そういう部分もあるのだけど。
約2ヶ月のマテリアルをまとめる。おれ、ウーバーイーツにはなんか抵抗を感じており、ときどきディスカウント券が投函されていても利用したいと思ったことはなかった。その内側を伝えもするこれを見て、やはり思うところもあり使いたいとは思わない。一言でいえば、人間性軽視であり〜その流れを受け、映画仲間とケン・ローチ監督の話にもなる〜、過酷。ゆえに主人公が壊れていくところも映し出されたりもし、映画にダークな色調が正直に出てきてしまい、途中から少し息苦しさを覚えたりもした。また、監督の思考が青いことも映画に没入することを妨げたか。ぼくの半分以下の年齢だから、それも致し方ないのだが。真面目な好青年と思う。また、東京の街角で面白いおじいさんやおばあさんとも出会っていて、それは彼の大きな才能だ。
この7月より、トードショー公開される。ぼくの期待していたものとはちょい違ったが、この期間にいろいろな思いを持つ人なら、見て損はない映画と判断する。渋谷・映画美学校でのこの日は初回の試写で、上映前に監督が挨拶。誠実そうな人だった。なお、「炭坑節」のメロディに歌詞を置き換えたような映画と同名の民謡調曲がオープニングとクロージング、さらには劇中にも流される。
▶︎過去の、ケン・ローチの映画
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live2.htm
https://43142.diarynote.jp/201910241554278796/
▶︎過去の、ケンの息子のトム・ローチの映画
https://43142.diarynote.jp/201201171011033219/
<今日の、どよ〜ん>
朝刊に、イスラエルの状況を伝える記事が出ていた。半数強の国民が2回ワクチン接種を終了していてるそうで、1月中旬には1日1万人を超えた新規感染者が現在は100人を切るほどになっているという。イスラエルは集団免疫を得た、という話も出てきているという。また、米国では2割が接種を終えたが、やはり死亡者数は急減しているという。一応、ご利益あらかたのよう。接種を終えた証明書を取らないと海外渡航がしづらくなりそうな気配も今後あるので、ぼくは受けたい←ぼくの周りには複数、副作用の心配もあり効果もはっきりしないので受けるものかという人がいる。
その場しのぎのハンパなことしかできない、私利私欲だけで生きる為政者を憂う。多くの日本人が望んでいない五輪を強行しようとするなら、ワクチン接種は最低限の事項ではないか。どうして感染者が増えるかと言えば、非感染者が自覚のないキャリアと接触するからに他ならない。だったら、検査体制をもっと綿密にすすめ、陽性者の外出を抑えることが肝要ではないか。予防接種が進まないのなら。ロックダウンもどきをするより、それが一番だとぼくは思う。ところで、昨日から厳しい行動制限が解除されみんな笑顔〜というメールが、ロンドンの知り合いからあった。
1993年生まれの青柳拓監督による2021年映画「東京自転車節」はまさしく、コロナ禍に入って以降の映画だ。甲府の地元で代行運転のアルバイトをしていた監督が3月下旬以降仕事がなくなり、奨学金返済も待ったなしで大ピンチ。映画単科大学時代の知人が東京でウーバーイーツの配達員をしているのを受けて4月下旬に上京、新宿を拠点とするウーバーイーツの道に入る。それは映像化もアリというお目論見もあったようだ。
ドキュメンタリーで、アイフォンなどを用いたユーチューバー仕様にて映像は撮られる。だが、画質に不満を覚えることはなかった。緊急事態宣言が出された東京の風景や人々をウーバーイーツの配達譚とともに、瑞々しく描く。ものかと、当初は思った。甲府から自転車に乗って元気に上京したり、中盤までクスッとできる妙なユーモアが映像に出てきたりもして、そういう部分もあるのだけど。
約2ヶ月のマテリアルをまとめる。おれ、ウーバーイーツにはなんか抵抗を感じており、ときどきディスカウント券が投函されていても利用したいと思ったことはなかった。その内側を伝えもするこれを見て、やはり思うところもあり使いたいとは思わない。一言でいえば、人間性軽視であり〜その流れを受け、映画仲間とケン・ローチ監督の話にもなる〜、過酷。ゆえに主人公が壊れていくところも映し出されたりもし、映画にダークな色調が正直に出てきてしまい、途中から少し息苦しさを覚えたりもした。また、監督の思考が青いことも映画に没入することを妨げたか。ぼくの半分以下の年齢だから、それも致し方ないのだが。真面目な好青年と思う。また、東京の街角で面白いおじいさんやおばあさんとも出会っていて、それは彼の大きな才能だ。
この7月より、トードショー公開される。ぼくの期待していたものとはちょい違ったが、この期間にいろいろな思いを持つ人なら、見て損はない映画と判断する。渋谷・映画美学校でのこの日は初回の試写で、上映前に監督が挨拶。誠実そうな人だった。なお、「炭坑節」のメロディに歌詞を置き換えたような映画と同名の民謡調曲がオープニングとクロージング、さらには劇中にも流される。
▶︎過去の、ケン・ローチの映画
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live2.htm
https://43142.diarynote.jp/201910241554278796/
▶︎過去の、ケンの息子のトム・ローチの映画
https://43142.diarynote.jp/201201171011033219/
<今日の、どよ〜ん>
朝刊に、イスラエルの状況を伝える記事が出ていた。半数強の国民が2回ワクチン接種を終了していてるそうで、1月中旬には1日1万人を超えた新規感染者が現在は100人を切るほどになっているという。イスラエルは集団免疫を得た、という話も出てきているという。また、米国では2割が接種を終えたが、やはり死亡者数は急減しているという。一応、ご利益あらかたのよう。接種を終えた証明書を取らないと海外渡航がしづらくなりそうな気配も今後あるので、ぼくは受けたい←ぼくの周りには複数、副作用の心配もあり効果もはっきりしないので受けるものかという人がいる。
その場しのぎのハンパなことしかできない、私利私欲だけで生きる為政者を憂う。多くの日本人が望んでいない五輪を強行しようとするなら、ワクチン接種は最低限の事項ではないか。どうして感染者が増えるかと言えば、非感染者が自覚のないキャリアと接触するからに他ならない。だったら、検査体制をもっと綿密にすすめ、陽性者の外出を抑えることが肝要ではないか。予防接種が進まないのなら。ロックダウンもどきをするより、それが一番だとぼくは思う。ところで、昨日から厳しい行動制限が解除されみんな笑顔〜というメールが、ロンドンの知り合いからあった。
ANSWER TO REMEMBER
2021年4月11日 音楽 ブルーノート東京、セカンド・ショウ。ソーシャル・ディスタンシング考慮のため間引き着席がなされているとはいえ、満席。客は若めの人が多い。出演者もまた、同様だ。
石若駿(2014年9月26日、2016年6月27日、2016年7月21日、2016年9月4日、2017年6月21日、2017年7月12日、2019年1月21日、2019年3月16日、2020年10月29日)がその引き出しをいろいろ開けたジャズ・ビヨンド作『ANSWER TO REMEMBER 』(ソニー)を出して、もう1年半が経つのか。ここでの実演予定が2度飛び(一度は無観客配信したよう)、やっと人前での実演披露となるようだ。冒頭から石若はハイ、かなり高揚してショウに望んでいるのが分かり、彼の歓びが感じられた。
ドラムを叩きならショウを進行する石若に加え、アルト・サックスとギターのMELRAW、アルト・サックスの中島朱葉、テナー・サックスのトモキ、トランペットの佐瀬悠輔(2017年9月24日)と黒田卓也(2012年2月18日、2012年9月13日、2013年2月15日、2014年5月25日、2015年1月30日、2015年2月15日、2016年9月17日、2016年12月16日、2017年7月12日、2018年2月21日、2018年4月4日 、2018年9月21日、2019年1月21日)、ピアノとキーボードの海堀弘太と若井優也、キーボードのトニー・サッグス、電気べースとダブル・ベースのマーティ・ホロベック(2019年3月16日)、電気ベースの新井という面々がステージで演奏する。ずっとステージにいた石若とホロベックと海掘以外は、いろいろ出たり入ったり。各人は適材適所でソロのパートを与えられる。特に佐瀬はいい奏者だなと、ぼくは感じた。また、ホロベックもいろんな弾き方で曲に添う。
また、半数は肉声入りの曲で、歌のermhoi、ラップのJuaとKID FRESINO( 2020年1月19日)も入る。たしか先に触れたアルバムには入っていなかった女性シンガーのermhoiはしなやかにスキャットを宙に回せる実力者でへえ。彼女は3曲でフィーチャーされた。自己作ではヒップホップ超えの現代ビート・ミュージックを作っているKID FRESINOはラッパーとして十全にパフォーマンスした。
おもしろかった。ジャズ、ヒップホップ、R&B、フュージョン……いろいろな定点を俯瞰し、行き来し、交錯させる。ポイントは、山ほど。でも、同世代有志を掌握し、ジャズ素養を下に置いたハイブリッドな音楽をやっていこうという意思は通底する。それにしても、この情報量の多い出し物をよく80分にまとめたな。石若は、本当にすばらいいキュレイター。もとい、優秀な作曲者であり(新曲も複数やった)、好ドラマー(随時、すべて彼のドラミングが下敷きになっていたが、ソロのパートはなかった)だなあというのを改めて実感した。偉いえらい偉い。
▶︎過去の、石若駿
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
http://43142.diarynote.jp/201607221000152412/
http://43142.diarynote.jp/201606281737237220/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
http://43142.diarynote.jp/?day=20170621
http://43142.diarynote.jp/201707130853185809/
https://43142.diarynote.jp/?day=20180404
https://43142.diarynote.jp/201901231045028294/
https://43142.diarynote.jp/201903171331065828/
https://43142.diarynote.jp/202010300958115053/
▶︎過去の、佐瀬悠輔
https://43142.diarynote.jp/201709261222472364/
▶過去の、黒田卓也
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/201209191239346073/
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201405271755563079/
http://43142.diarynote.jp/201501310942048841/
http://43142.diarynote.jp/201502170939564537/
http://43142.diarynote.jp/201609201835285184/
http://43142.diarynote.jp/201612181010384754/
http://43142.diarynote.jp/201707130853185809/
http://43142.diarynote.jp/201802221538438234/
http://43142.diarynote.jp/201804051207119119/
https://43142.diarynote.jp/201809221638262424/
https://43142.diarynote.jp/201901231045028294/
▶︎過去の、マーティ・ホロベック
https://43142.diarynote.jp/201903171331065828/
▶︎過去の、KID FRESINO
https://43142.diarynote.jp/202001201340286359/
<今日の、変化>
この1週間で3度のブルーノート東京行きじゃ。ジャズ・ジャパン誌とか日経新聞とか、ライヴ評が絡んでいる。これ以前に同所に行ったのはだいぶ前、……思い出せない。とにかく久しぶりであるのは、表参道駅からブルーノートに向かう道すがら、いろんな変化を認めて実感した。あちこちに空いた店舗が見てとれ、おしゃれなビルの一階店舗がファミリー・マートに変わっていたり。そして、港区の児童センターみたいな建物がしっかりできていた。時は流れているなあ。それ、近隣住民がエゴで建設反対運動をし、一時すごく注目されたところ。ブルーノート入場時のモニター・ヴィジョン体温計測は、3回とも36,5度少し下。ほかのところの手首に光を当てる検温だと、35度半ばぐらいの数値しか出ないので、なんか新鮮でうれしくもある? 明日から、まん延防止等重点措置(って、一体なんなの?)のため多くの店舗の閉店はまた20時になるのか。
石若駿(2014年9月26日、2016年6月27日、2016年7月21日、2016年9月4日、2017年6月21日、2017年7月12日、2019年1月21日、2019年3月16日、2020年10月29日)がその引き出しをいろいろ開けたジャズ・ビヨンド作『ANSWER TO REMEMBER 』(ソニー)を出して、もう1年半が経つのか。ここでの実演予定が2度飛び(一度は無観客配信したよう)、やっと人前での実演披露となるようだ。冒頭から石若はハイ、かなり高揚してショウに望んでいるのが分かり、彼の歓びが感じられた。
ドラムを叩きならショウを進行する石若に加え、アルト・サックスとギターのMELRAW、アルト・サックスの中島朱葉、テナー・サックスのトモキ、トランペットの佐瀬悠輔(2017年9月24日)と黒田卓也(2012年2月18日、2012年9月13日、2013年2月15日、2014年5月25日、2015年1月30日、2015年2月15日、2016年9月17日、2016年12月16日、2017年7月12日、2018年2月21日、2018年4月4日 、2018年9月21日、2019年1月21日)、ピアノとキーボードの海堀弘太と若井優也、キーボードのトニー・サッグス、電気べースとダブル・ベースのマーティ・ホロベック(2019年3月16日)、電気ベースの新井という面々がステージで演奏する。ずっとステージにいた石若とホロベックと海掘以外は、いろいろ出たり入ったり。各人は適材適所でソロのパートを与えられる。特に佐瀬はいい奏者だなと、ぼくは感じた。また、ホロベックもいろんな弾き方で曲に添う。
また、半数は肉声入りの曲で、歌のermhoi、ラップのJuaとKID FRESINO( 2020年1月19日)も入る。たしか先に触れたアルバムには入っていなかった女性シンガーのermhoiはしなやかにスキャットを宙に回せる実力者でへえ。彼女は3曲でフィーチャーされた。自己作ではヒップホップ超えの現代ビート・ミュージックを作っているKID FRESINOはラッパーとして十全にパフォーマンスした。
おもしろかった。ジャズ、ヒップホップ、R&B、フュージョン……いろいろな定点を俯瞰し、行き来し、交錯させる。ポイントは、山ほど。でも、同世代有志を掌握し、ジャズ素養を下に置いたハイブリッドな音楽をやっていこうという意思は通底する。それにしても、この情報量の多い出し物をよく80分にまとめたな。石若は、本当にすばらいいキュレイター。もとい、優秀な作曲者であり(新曲も複数やった)、好ドラマー(随時、すべて彼のドラミングが下敷きになっていたが、ソロのパートはなかった)だなあというのを改めて実感した。偉いえらい偉い。
▶︎過去の、石若駿
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
http://43142.diarynote.jp/201607221000152412/
http://43142.diarynote.jp/201606281737237220/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
http://43142.diarynote.jp/?day=20170621
http://43142.diarynote.jp/201707130853185809/
https://43142.diarynote.jp/?day=20180404
https://43142.diarynote.jp/201901231045028294/
https://43142.diarynote.jp/201903171331065828/
https://43142.diarynote.jp/202010300958115053/
▶︎過去の、佐瀬悠輔
https://43142.diarynote.jp/201709261222472364/
▶過去の、黒田卓也
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/201209191239346073/
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201405271755563079/
http://43142.diarynote.jp/201501310942048841/
http://43142.diarynote.jp/201502170939564537/
http://43142.diarynote.jp/201609201835285184/
http://43142.diarynote.jp/201612181010384754/
http://43142.diarynote.jp/201707130853185809/
http://43142.diarynote.jp/201802221538438234/
http://43142.diarynote.jp/201804051207119119/
https://43142.diarynote.jp/201809221638262424/
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▶︎過去の、マーティ・ホロベック
https://43142.diarynote.jp/201903171331065828/
▶︎過去の、KID FRESINO
https://43142.diarynote.jp/202001201340286359/
<今日の、変化>
この1週間で3度のブルーノート東京行きじゃ。ジャズ・ジャパン誌とか日経新聞とか、ライヴ評が絡んでいる。これ以前に同所に行ったのはだいぶ前、……思い出せない。とにかく久しぶりであるのは、表参道駅からブルーノートに向かう道すがら、いろんな変化を認めて実感した。あちこちに空いた店舗が見てとれ、おしゃれなビルの一階店舗がファミリー・マートに変わっていたり。そして、港区の児童センターみたいな建物がしっかりできていた。時は流れているなあ。それ、近隣住民がエゴで建設反対運動をし、一時すごく注目されたところ。ブルーノート入場時のモニター・ヴィジョン体温計測は、3回とも36,5度少し下。ほかのところの手首に光を当てる検温だと、35度半ばぐらいの数値しか出ないので、なんか新鮮でうれしくもある? 明日から、まん延防止等重点措置(って、一体なんなの?)のため多くの店舗の閉店はまた20時になるのか。
R.I.P. DMX(1970年12月18日〜 2021年4月9日)
2021年4月10日 音楽 大物ラッパーのDMX(ダーク・マスター・Xの略)が亡くなった。本名アール・シモンズ、ニューヨーク州マウント・ヴァーノンの生まれ。薬物過剰摂取でニューヨーク州の人気住宅地ホワイト・プレーンズの病院に運ばれ、生命維持装置が外されたという。14歳からドラッグをやりつつけ、薬禍話には事欠かなかった人。大昔のジャズ・マンやロッカーみたい? また、各種犯罪でいろいろパクられて、娑婆と刑務所を行き来してきた人でもある。今回、バイオをチェックしたら、少年期からかなり辛い環境で育つことを強いられており驚いた。
その過酷な育ちの裏返しかどうかは分からぬが、竹を割ったようなガチンコなラップを聞かせた。トラックも小細工を排するぶっといものを用意し、力強いフロウを披露。パっと聞くぶんには、ガラっぱちな声質が魅力の、イケてるラッパーであったのは間違いない。ビョーキ的な暗さがなく、人間が肉声を出しているという風情が、ぼくは好きだった。残念ながら、リリックをちゃんと分析したことはないものの。母親は熱心なエホバの証人信者であったようで、彼には敬虔なクリスチャンという側面があったとも伝えられる。つぶらな瞳を持つ男前のヤツだったとも思うが、女好きで、子供や私生児は多数のよう。全米ナンバー1アルバムを複数枚持ち、グラミーの最優秀ラップ・アルバム賞も受賞している。1990年代後半に契約したデフ・ジャムを代表する一人でありました。
<今日の、わ>
かなり過去の方から、連絡あり。でも、ほっこり。こういうことは、コロナ禍でなくてはないものだろう。こういう状況、人との結びつきとか、掘り返したりするな。
その過酷な育ちの裏返しかどうかは分からぬが、竹を割ったようなガチンコなラップを聞かせた。トラックも小細工を排するぶっといものを用意し、力強いフロウを披露。パっと聞くぶんには、ガラっぱちな声質が魅力の、イケてるラッパーであったのは間違いない。ビョーキ的な暗さがなく、人間が肉声を出しているという風情が、ぼくは好きだった。残念ながら、リリックをちゃんと分析したことはないものの。母親は熱心なエホバの証人信者であったようで、彼には敬虔なクリスチャンという側面があったとも伝えられる。つぶらな瞳を持つ男前のヤツだったとも思うが、女好きで、子供や私生児は多数のよう。全米ナンバー1アルバムを複数枚持ち、グラミーの最優秀ラップ・アルバム賞も受賞している。1990年代後半に契約したデフ・ジャムを代表する一人でありました。
<今日の、わ>
かなり過去の方から、連絡あり。でも、ほっこり。こういうことは、コロナ禍でなくてはないものだろう。こういう状況、人との結びつきとか、掘り返したりするな。
ピアノの大西順子(1999年10月9日、2007年9月7日、2010年9月30日、2010年12月22日、2011年2月25日、2011年8月6日、2015年9月6日、2018年2月8日、2019年2月17日、2018年2月8日)とダブル・ベースの井上陽介(2006年1月21日、2008年8月19日、2009年4月1日、2010年12月22日、2012年8月24日)とドラムの吉良創太とパーカッションの大儀見元(2005年6月9日、2006年2月16日、2006年7月10日、2006年8月24日、2011年1月21日、2013年3月26日、2014年9月7日、2018年5月13日、2020年11月18日)という顔ぶれの新カルテットを、南青山・ブルーノート東京で見る。ファースト・ショウ。ポイントは打楽器奏者入りの編成であること。少し前は管楽器奏者たちを使いこなす路線を取っていた彼女だが、次のタームに移ったということか。
オープナーは、10年強前のトリオ作のタイトル・トラックでもあったオリジナルの「Musical Moments 楽興の時」。過剰にハネないその演奏を聞いて、ピアノ・トリオに打楽器がもたらす奥行きやエキゾな襞を介さんとするものかと感じる。途中からは、もっと大儀見の音が大きくなり、弾む感じが増した。
また、一方で「オールモスト・ライク・ミー」(2017年作『GLAMOROUS LIFE』で取り上げた、1964年プログ・ブラック・ジャズ曲)や故ジェリ・アレン(2004年11月3日、2005年5月11日)の1984年曲「プリントメイカーズ」というかなり構成に凝った(だまし絵的という形容もあるか)曲も取り上げており、パーカッション音の存在は楽曲がもたらすとりとめのなさに芯を与えていた。なんにせよ、ラテン・ジャズをやりたくての方策ではなく、もう一つのアクセントや陰影を獲得するために打楽器を入れているのだとぼくは了解。そして、パーカッション入りのジャズも悪くないよなー、それに留意して過去のジャズ表現を振り返ってみようかと思ったりもした。MCで、大西は大儀見のことを欠かせない起爆剤的な人材であると紹介していた。
本編5曲。そして、アンコール。であるのだが、アンコールの曲にはいささか驚かされる。なんと、大儀見元がパーカッションを叩かずまっすぐに歌う、ザ・ビートルズ曲「フール・オン・ザ・ヒル」のカヴァー。井上もベースを弾きながらコーラスをつけ、オリジナルのリコーダーが入る間奏部でその二人は口笛を吹いた。原曲感を大切にしたそれ、まあ芸がないと言えばないのだが、ものすごくいい。身体に入ってくる。こういうことをやる人は信用できると、大きく頷いた
▶過去の、大西順子
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200709131138020000/
http://43142.diarynote.jp/201010030952428017/
http://43142.diarynote.jp/201012241100592422/
http://43142.diarynote.jp/201102261254532443/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110806
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
https://43142.diarynote.jp/201802091845433242/
https://43142.diarynote.jp/201902181354161728/
https://43142.diarynote.jp/201712201609098430/ カーター時代の大西の思い出を記した項
▶︎過去の、井上陽介
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/ 三好“3吉”巧郎
http://43142.diarynote.jp/200808221745590000/ 塩谷哲
http://43142.diarynote.jp/200904061348147316/ ヒラリー・コール
http://43142.diarynote.jp/201012241100592422/ 大西
http://43142.diarynote.jp/201209181226141636/ 塩谷
https://43142.diarynote.jp/201802091845433242/
▶︎過去の、大儀見元
http://43142.diarynote.jp/200506120644360000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060216
http://43142.diarynote.jp/200607110800410000/
http://43142.diarynote.jp/200608271342350000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110121
http://43142.diarynote.jp/201303290751204240/
https://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
https://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
https://43142.diarynote.jp/202011191142195242/
▶︎過去の、ジェリ・アレン
http://43142.diarynote.jp/200411071405440000/
https://43142.diarynote.jp/200505141717440000/
<今日の、プロフェッショナル>
大西のブルーノート公演は昨日と今日の2日間。1日2ショウなので、4回のショウを持ったわけだが、それらで彼女はすべて異なる曲を弾いたという。なんかやる気満々というか、ジャズ演奏家の矜持をしかと感じさせる方策を取ったというしかない。あと、こういうおり、ライヴの回数が減り、ライヴの場のありがたみを再確認してのものであり、こんなときにライヴに来てくれる人をいつも以上に歓待したいという気持ちがあるようでもあり。まあ、正確なところは分からぬが、そう感じさせる実演が悪いはずがない。”バカの姿を借りた賢人”に、幸あれ。このクインテットで新作を撮る方向にあるようだ。
オープナーは、10年強前のトリオ作のタイトル・トラックでもあったオリジナルの「Musical Moments 楽興の時」。過剰にハネないその演奏を聞いて、ピアノ・トリオに打楽器がもたらす奥行きやエキゾな襞を介さんとするものかと感じる。途中からは、もっと大儀見の音が大きくなり、弾む感じが増した。
また、一方で「オールモスト・ライク・ミー」(2017年作『GLAMOROUS LIFE』で取り上げた、1964年プログ・ブラック・ジャズ曲)や故ジェリ・アレン(2004年11月3日、2005年5月11日)の1984年曲「プリントメイカーズ」というかなり構成に凝った(だまし絵的という形容もあるか)曲も取り上げており、パーカッション音の存在は楽曲がもたらすとりとめのなさに芯を与えていた。なんにせよ、ラテン・ジャズをやりたくての方策ではなく、もう一つのアクセントや陰影を獲得するために打楽器を入れているのだとぼくは了解。そして、パーカッション入りのジャズも悪くないよなー、それに留意して過去のジャズ表現を振り返ってみようかと思ったりもした。MCで、大西は大儀見のことを欠かせない起爆剤的な人材であると紹介していた。
本編5曲。そして、アンコール。であるのだが、アンコールの曲にはいささか驚かされる。なんと、大儀見元がパーカッションを叩かずまっすぐに歌う、ザ・ビートルズ曲「フール・オン・ザ・ヒル」のカヴァー。井上もベースを弾きながらコーラスをつけ、オリジナルのリコーダーが入る間奏部でその二人は口笛を吹いた。原曲感を大切にしたそれ、まあ芸がないと言えばないのだが、ものすごくいい。身体に入ってくる。こういうことをやる人は信用できると、大きく頷いた
▶過去の、大西順子
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200709131138020000/
http://43142.diarynote.jp/201010030952428017/
http://43142.diarynote.jp/201012241100592422/
http://43142.diarynote.jp/201102261254532443/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110806
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
https://43142.diarynote.jp/201802091845433242/
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https://43142.diarynote.jp/201712201609098430/ カーター時代の大西の思い出を記した項
▶︎過去の、井上陽介
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/ 三好“3吉”巧郎
http://43142.diarynote.jp/200808221745590000/ 塩谷哲
http://43142.diarynote.jp/200904061348147316/ ヒラリー・コール
http://43142.diarynote.jp/201012241100592422/ 大西
http://43142.diarynote.jp/201209181226141636/ 塩谷
https://43142.diarynote.jp/201802091845433242/
▶︎過去の、大儀見元
http://43142.diarynote.jp/200506120644360000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060216
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http://43142.diarynote.jp/200608271342350000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110121
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https://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
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▶︎過去の、ジェリ・アレン
http://43142.diarynote.jp/200411071405440000/
https://43142.diarynote.jp/200505141717440000/
<今日の、プロフェッショナル>
大西のブルーノート公演は昨日と今日の2日間。1日2ショウなので、4回のショウを持ったわけだが、それらで彼女はすべて異なる曲を弾いたという。なんかやる気満々というか、ジャズ演奏家の矜持をしかと感じさせる方策を取ったというしかない。あと、こういうおり、ライヴの回数が減り、ライヴの場のありがたみを再確認してのものであり、こんなときにライヴに来てくれる人をいつも以上に歓待したいという気持ちがあるようでもあり。まあ、正確なところは分からぬが、そう感じさせる実演が悪いはずがない。”バカの姿を借りた賢人”に、幸あれ。このクインテットで新作を撮る方向にあるようだ。
米国西海岸のロングビーチ発のラテン・ファンク・グループのウォー(2009年8月9日)のオリジナル・メンバーである、ベーシストのモリス・B.B.・ディッカーソンの訃報が届いている。
享年71、自宅のあるロングビーチの病院で亡くなったという。彼は1979年までウォーに在籍したので、その黄金期にしっかりと関わったわけだ。しいて言うなら、ぼくは1971〜73年にリリースされた彼らのアルバム群が大好きだ。ディッカーソンは無骨さと弾力を兼ね備えた低音を担当するだけなく、「サン・オー・サン」や「ワールド・イズ・ザ・ゲットー」などで歌う主任シンガーの一人でもあった。楽曲作者にはメンバー全員の名前がクレジットされていましたね。1990年代は、他のウォーを脱退したメンバーたちとロウ・ライダー・バンドというグループ名のもと活動したこともあったという。とにかく、高校に入るころ、ぼくはEW&Fやクール&ザ・ギャングよりも(当時、その3グループが一つに括られ、日本では紹介されてもいた)彼らを気に入っていた。20歳ちょいにして名バンドの名奏者となった彼であるが、べースを手にしたのは12歳であったという。
なお、彼の死亡記事にあたると、一つ興味深い記載にあたった(Guitar World Net)。エリック・バートンとの名義で「スピルト・ザ・ワイン」を1970年春ヒットさせたあと、ウォーは広くツアーに出て、その一環で9月18日にロンドンのロニースコッツでジミ・ヘンドリックス(1942年11月27日 〜1970年9月18日)とステージをシェアしたのだという。ヘンドリックスは彼らのセットに30分加わったという。それ、ヘンドリックス生前最後のライヴとして知らるそうな。
▶︎過去の、ロニー・ジョーダン/ウォー
http://43142.diarynote.jp/200711101235120000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090809
https://43142.diarynote.jp/201705161314529397/
夕方、飛田給・味の素スタジアムにJリーグの東京FC vs.札幌コンサドーレの試合を見に行った。余裕のある、席チケット売りをしているな。声出し応援禁止になってからの試合をやっと見ることができた。な〜るほど、選手の声がよく聞こえる。もともとゴール裏のサポーター応援の声や太鼓がうるさくてかなわんと感じるぼくには、この様式のサッカー観戦は適じゃ。
前半途中でホームの東京にレッド・カードが出る。だが、東京が先に点を取る。試合開始して、しばらくは札幌の試合になりそうという感じだったのになー。そして、後半にはペナルティ・エリアちょい外の攻防で、札幌のディフェンダーにイエローカードが出された。だが、すくに主審はVAR(Video Assistant Referee)判定を宣言して、映像を見直した後レッド・カードに変更、イーヴンの人数になった。現場での初VAR判定を体験する。確かに試合はざっくり止まるが、判定を待っている間、ドキドキ(ともちょっと違うのだが)できる。ドラマはある。後から、危うい判定を修正できるという意味では、ぼくは使ったほうがいいと思った。そのほうが、試合も荒れない。2点東京が先に点を取り、最後に札幌が1点返す。コロナ禍の試合になって、Jリーグは選手交代が3人から5人に変更されたが、これも一応賛成かな。どちらかというと、札幌に暖かい目をぼくは向けていたかも? FC東京の体制、劇的に変わらないかな。すみません、寒いためもあり、冷静に、偉そうに試合を見てました。
▶︎過去の、FC東京の試合
https://43142.diarynote.jp/200907181554404571/
https://43142.diarynote.jp/200909271552434083/
https://43142.diarynote.jp/201203260803216950/
https://43142.diarynote.jp/201404200755013398/
<今日の、震え候>
先週末から、寒い。あったかくなったなー、そうだ髪の毛を切ろうと、髪をカットしたばかり(このところで、こんなに両耳が出ているのは珍しいか。金色もよりブライトだし、人と会ったときの反応が楽しい)。なので、余計に寒さを感じる。マフラー、手放せないよー。
なのに、サッカーの夜の試合を見に行ってしまった。昨年夏からサッカーの試合に行きたいと思いつつ実現しておらず、今の大阪みたいになったら(東京都の人口比で考えるとその感染者数はすごい)外に出るのがはばかられる。これでゴールデン・ウィークのころには、どうなるのだろう。
味の素スタジアムは陸上トラック付きの駄目スタジアムだし、ここ数年FC東京を応援したいという気持ちも減じている(監督の長谷川健太にも共感を抱きにくい)のにも関わらず東京の試合を見に行くのは、都下のスタジアムとはいえ望外に時間がかからないからだ。この日も18時すぎに家を出て、19時開始に間に合った。余裕はないけど。実はこの日曜に40年ぶりに西が丘サッカー場(味の素フィールド西が丘)に行き、JFLの試合(いわきFCを一度見てみたかった)を見に行こうとしていたのだが、ホームの東京武蔵野ユナイテッドFCの選手にコロナ感染者が出たために、中止になってしまった。どこか不完全燃焼な感じがあったとはいえ、前売りを買っていなかったら行っていなかったかな。
で、やっぱり寒かった。後悔を覚えなかったと言えば、ウソになるか。だが、一方でスタジアム前に着いたときに安堵&高揚感を覚えたのも確かだった。
▶︎過去の、JFLの試合
https://43142.diarynote.jp/200406201212300000/
享年71、自宅のあるロングビーチの病院で亡くなったという。彼は1979年までウォーに在籍したので、その黄金期にしっかりと関わったわけだ。しいて言うなら、ぼくは1971〜73年にリリースされた彼らのアルバム群が大好きだ。ディッカーソンは無骨さと弾力を兼ね備えた低音を担当するだけなく、「サン・オー・サン」や「ワールド・イズ・ザ・ゲットー」などで歌う主任シンガーの一人でもあった。楽曲作者にはメンバー全員の名前がクレジットされていましたね。1990年代は、他のウォーを脱退したメンバーたちとロウ・ライダー・バンドというグループ名のもと活動したこともあったという。とにかく、高校に入るころ、ぼくはEW&Fやクール&ザ・ギャングよりも(当時、その3グループが一つに括られ、日本では紹介されてもいた)彼らを気に入っていた。20歳ちょいにして名バンドの名奏者となった彼であるが、べースを手にしたのは12歳であったという。
なお、彼の死亡記事にあたると、一つ興味深い記載にあたった(Guitar World Net)。エリック・バートンとの名義で「スピルト・ザ・ワイン」を1970年春ヒットさせたあと、ウォーは広くツアーに出て、その一環で9月18日にロンドンのロニースコッツでジミ・ヘンドリックス(1942年11月27日 〜1970年9月18日)とステージをシェアしたのだという。ヘンドリックスは彼らのセットに30分加わったという。それ、ヘンドリックス生前最後のライヴとして知らるそうな。
▶︎過去の、ロニー・ジョーダン/ウォー
http://43142.diarynote.jp/200711101235120000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090809
https://43142.diarynote.jp/201705161314529397/
夕方、飛田給・味の素スタジアムにJリーグの東京FC vs.札幌コンサドーレの試合を見に行った。余裕のある、席チケット売りをしているな。声出し応援禁止になってからの試合をやっと見ることができた。な〜るほど、選手の声がよく聞こえる。もともとゴール裏のサポーター応援の声や太鼓がうるさくてかなわんと感じるぼくには、この様式のサッカー観戦は適じゃ。
前半途中でホームの東京にレッド・カードが出る。だが、東京が先に点を取る。試合開始して、しばらくは札幌の試合になりそうという感じだったのになー。そして、後半にはペナルティ・エリアちょい外の攻防で、札幌のディフェンダーにイエローカードが出された。だが、すくに主審はVAR(Video Assistant Referee)判定を宣言して、映像を見直した後レッド・カードに変更、イーヴンの人数になった。現場での初VAR判定を体験する。確かに試合はざっくり止まるが、判定を待っている間、ドキドキ(ともちょっと違うのだが)できる。ドラマはある。後から、危うい判定を修正できるという意味では、ぼくは使ったほうがいいと思った。そのほうが、試合も荒れない。2点東京が先に点を取り、最後に札幌が1点返す。コロナ禍の試合になって、Jリーグは選手交代が3人から5人に変更されたが、これも一応賛成かな。どちらかというと、札幌に暖かい目をぼくは向けていたかも? FC東京の体制、劇的に変わらないかな。すみません、寒いためもあり、冷静に、偉そうに試合を見てました。
▶︎過去の、FC東京の試合
https://43142.diarynote.jp/200907181554404571/
https://43142.diarynote.jp/200909271552434083/
https://43142.diarynote.jp/201203260803216950/
https://43142.diarynote.jp/201404200755013398/
<今日の、震え候>
先週末から、寒い。あったかくなったなー、そうだ髪の毛を切ろうと、髪をカットしたばかり(このところで、こんなに両耳が出ているのは珍しいか。金色もよりブライトだし、人と会ったときの反応が楽しい)。なので、余計に寒さを感じる。マフラー、手放せないよー。
なのに、サッカーの夜の試合を見に行ってしまった。昨年夏からサッカーの試合に行きたいと思いつつ実現しておらず、今の大阪みたいになったら(東京都の人口比で考えるとその感染者数はすごい)外に出るのがはばかられる。これでゴールデン・ウィークのころには、どうなるのだろう。
味の素スタジアムは陸上トラック付きの駄目スタジアムだし、ここ数年FC東京を応援したいという気持ちも減じている(監督の長谷川健太にも共感を抱きにくい)のにも関わらず東京の試合を見に行くのは、都下のスタジアムとはいえ望外に時間がかからないからだ。この日も18時すぎに家を出て、19時開始に間に合った。余裕はないけど。実はこの日曜に40年ぶりに西が丘サッカー場(味の素フィールド西が丘)に行き、JFLの試合(いわきFCを一度見てみたかった)を見に行こうとしていたのだが、ホームの東京武蔵野ユナイテッドFCの選手にコロナ感染者が出たために、中止になってしまった。どこか不完全燃焼な感じがあったとはいえ、前売りを買っていなかったら行っていなかったかな。
で、やっぱり寒かった。後悔を覚えなかったと言えば、ウソになるか。だが、一方でスタジアム前に着いたときに安堵&高揚感を覚えたのも確かだった。
▶︎過去の、JFLの試合
https://43142.diarynote.jp/200406201212300000/
インパルス・レコード創立60周年記念ライヴ・シリーズ vol.1 「Re:アセンション」。「Distance Between Zero& 0ne Vol.11」(平間磨理夫×杵屋喜之彦)
2021年4月6日 音楽 2箇所をはしご。うひぃ、実演を享受できる誉れを感じた。
まずは、南青山・ブルーノート東京。ファースト・ショウ。表題にあるように、ボブ・シールという見識高いプロデューサーが舵取りした米国の意義高いジャズ・レーベルの設立60周年にかけてのオールスター・セッションを見る。今年1月上旬に予定されていたものが感染者増加で中止となり、改めて今日持たれた。ネタとなるのは、ジョン・コルトレーンの『アセンション』(1965年)。インパルス!と言えばまずはジョン・コルトレーンであり、また戦う硬派なイメージを持つ同レーベルにおいてコルトレーンがフリー・ジャズ指針を取った同作は鮮烈な枠超え作品であるので、『アセンション』を俎上に置くというのには同意ですね。
場内に入ると、うわあ。いわゆる、メインのフロアいっぱい楕円状に、奏者が向かい合うように楽器が置いてある。客は一段高いほうだけに座る(通常のステージは空白。そこにも、客を座らせてもよかったのではないか)。なんと、贅沢な客席配置なことよ。その設定だけでも、これはスペシャルな出し物なのだという気分は高まる⤴︎。
演奏者は11人。ドラムの本田珠也 (2000年5月9日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年10月13日、2007年12月4日、2011年5月5日、2012年7月16日、2013年7月27日、2015年5月20日、2018年1月19日、2018年4月7日、2019年7月16日)、ダブル・ベースの井野信義(2004年8月20日、2004年10月10日、2005年8月19日、2006年10月25日、2010年9月14日)と須川崇志(2010年3月14日、2011年7月25日、2016年6月27日、2017年6月21日、2018年1月19日、2018年4月7日、2019年3月29日、2019年12月14日、2019年12月20日、2020年10月29日)、ピアノのスガダイロー(2009年1月8日、2009年7月3日、2013年2月19日、2016年2月28日、2016年7月16日、2017年4月11日、2017年7月8日、2019年5月30日、2019年6月14日、2019年7月8日、2019年12月14日)、アルト・サックスの梅津和時(2001年9月2日、2001年9月21日、2004年10月10日、2005年7月29日、2006年1月21日、2008年11月14日、2009年2月8日、2009年6月5日、2010年3月20日、2011年4月1日、2012年2月10日、2012年11月21日、2012年12月8日、2013年11月20日、2014年9月16日、2015年10月26日、2017年10月9日)と松丸契、テナー・サックスの竹内直と菊地成孔(2001年9月22日、2002年1月5日、2002年3月17日、2002年11月30日、2003年6月28日、2004年2月6日、2004年7月6日、2004年8月12日、2004年10月10日、2005年6月9日、2006年1月21日、2007年11月7日、2009年7月19日、2010年3月26日、2011年4月22日、2011年5月5日、2011年7月31日、2013年3月26日、2013年7月27日、2014年2月20日、2014年4月3日、2014年9月7日、2016年10月28日、2017年9月2日、2018年5月13日、2018年7月7日、2020年11月14日、2020年11月18日)、バリトン・サックスの吉田隆一(2004年8月20日、2004年10月10日、2006年7月3日、2012年12月11日、2014年7月22日、2015年2月8日、2015年4月14日、2015年6月21日、2016年9月27日,2017年1月9日、2017年9月13日、2021年2月28日 )、トランペットの松島啓之(2014年9月25日、2015年5月20日、2018年1月19日、2018年9月2日2019年3月29日、2020年10月5日、他)と類家心平(2011年5月5日、2011年7月31日、2014年6月13日、2014年9月25日、2014年12月28日、2015年5月20日、2017年6月21日、2017年9月2日、2018年1月19日、2018年5月13日、2018年7月7日、2019年3月29日、2020年1月19日)という面々だ。
本田珠也がキュレイターを務めたようで、なるほど彼がメンバーである鉢谷真紀(2008年8月24日、2009年1月8日、2010年9月11日、2014年7月22日、2014年9月25日、2015年5月20日、2015年6月15日、2016年11月2日、2018年1月19日、2019年3月29日、2019年9月12日、2019年12月19日 )のグループである【次なるジャズ問答】の演奏陣4人は皆ここに入っている。
ちなみに、オリジナルのほうは、テナー・サックスのジョン・コルトレーンとファラオ・サンダース(2006年8月23日、2009年7月8日、2003年4月22日)とアーチー・シェップ、トランペットのフレディ・ハバード とデューイ・ジョンソン、アルト・サッックスの-ジョン・チカイとマリオン・ブラウン、ピアノのマッコイ・タイナー(2003年7月9日、2008年9月10日、2011年1月12日)、ダブル・ベースのジミー・ギャリソンとアート・デイヴィス 、ドラムのエルビン・ジョーンズという顔ぶれだった。
その『アセンション』は集団即興と各人のアヴァンなソロを組み合わせる内容を持っていたが、ここでもそれに則って、各人のソロが約4分づつ回される。集団即興パートのキュー出しは竹内直がしていて、彼が管楽器奏者のまとめ役をしていたと思われる。なんにせよ、覇気と個人技が舞う。各奏者たちも、自分のジャズ観やジャズへの思いを再確認するようなところがあったのではないか。こんなおり(だからこそ、スケジュールを合わせやすかったようだ)、そうした個をむき出した演奏をリアルに体感でき、本当にうれしい気持ちを得る。ふむ、考えてみれば、ブルーノート東京創業以来、一番フリーなソロが鳴り響いた晩ではなかったか。
40分ほどの「アセンション」の後、切れることなく竹内+リズム隊のカルテットで「クレセント」、さらに切れ目なしに全員でソロを回す「インプレッションズ」を演奏。余は、満足じゃ。
▶過去の、本田珠也
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm 菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm 菊地雅章
http://43142.diarynote.jp/200410162306570000/
http://43142.diarynote.jp/200712151621260000/
http://43142.diarynote.jp/201105101010399933/
http://43142.diarynote.jp/201207180824136323/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201907180809371988/
▶︎過去の、井野信義
https://43142.diarynote.jp/200408202133070000/
https://43142.diarynote.jp/200508230543370000/
https://43142.diarynote.jp/200611020833520000/
https://43142.diarynote.jp/201009231547465891/
https://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
▶︎過去の、須川崇志
http://43142.diarynote.jp/201003191715113498/
http://43142.diarynote.jp/201107310727152406/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160627
http://43142.diarynote.jp/201706220952582448/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
https://43142.diarynote.jp/201912161052582124/
https://43142.diarynote.jp/201912220907352341/
https://43142.diarynote.jp/202010300958115053/
▶過去の、スガダイロー
http://43142.diarynote.jp/200901091437341082/
http://43142.diarynote.jp/200907131158382767/
http://43142.diarynote.jp/201302201720351212/
http://43142.diarynote.jp/201603011023174338/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160716
http://43142.diarynote.jp/201704131639031673/
https://43142.diarynote.jp/201707101243147840/
https://43142.diarynote.jp/201905310800294940/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/ 取材
https://43142.diarynote.jp/201907091307078386/
https://43142.diarynote.jp/201912161052582124/
▶過去の、梅津和時
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-9.htm タラフ+コチャニ(2日)、エスマ(21日)
http://43142.diarynote.jp/200410162220330000/
http://43142.diarynote.jp/200508042335560000/
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
http://43142.diarynote.jp/200902102121513506/
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http://43142.diarynote.jp/201104041101543361/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120210
http://43142.diarynote.jp/201211231437358985/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121208
http://43142.diarynote.jp/201311230757159421/
http://43142.diarynote.jp/201409171722239857/
https://43142.diarynote.jp/201510290732352521/
https://43142.diarynote.jp/201710121702369819/
▶過去の、菊地成孔
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.ht
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
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http://43142.diarynote.jp/?day=20100326
http://43142.diarynote.jp/?day=20110422
http://43142.diarynote.jp/?day=20110505
http://43142.diarynote.jp/?day=20110731
http://43142.diarynote.jp/201303290751204240/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130727
http://43142.diarynote.jp/201402210802184994/
http://43142.diarynote.jp/201404050818444425/
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http://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/)
http://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
https://43142.diarynote.jp/201807080932266789/
https://43142.diarynote.jp/202011150954203089/
https://43142.diarynote.jp/202011191142195242/
▶過去の、吉田隆一
http://43142.diarynote.jp/?day=20040820
http://43142.diarynote.jp/200410162220330000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060703
http://43142.diarynote.jp/?day=20121211
http://43142.diarynote.jp/201407231341189225/
http://43142.diarynote.jp/201502090956393081/
http://43142.diarynote.jp/201504151353356530/
http://43142.diarynote.jp/201506251045578258/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160927
http://43142.diarynote.jp/201701101136544400/
https://43142.diarynote.jp/201709141146381271/
https://43142.diarynote.jp/202103011157184014/
▶過去の、松島啓之
http://43142.diarynote.jp/201409261635554506/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
https://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
https://43142.diarynote.jp/202010060748585515/
▶過去の、類家心平
http://43142.diarynote.jp/?day=20110505
http://43142.diarynote.jp/201108101624025366/
http://43142.diarynote.jp/201406160956273046/
http://43142.diarynote.jp/201409261635554506/
http://43142.diarynote.jp/201412301043067796/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
http://43142.diarynote.jp/201609201648546159/
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
http://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
https://43142.diarynote.jp/201807080932266789/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
https://43142.diarynote.jp/?day=20200119
▶過去の、蜂谷真紀
http://43142.diarynote.jp/200808260821260000/
http://43142.diarynote.jp/200901091437341082/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100911
http://43142.diarynote.jp/201407231341189225/
http://43142.diarynote.jp/201409261635554506/
http://43142.diarynote.jp/201410310931316189/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/ 【次なるジャズ問答】
http://43142.diarynote.jp/?day=20161102
http://43142.diarynote.jp/201707111737453393/
https://43142.diarynote.jp/201801200930278094/ 【次なるジャズ問答】
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/ 【次なるジャズ問答】
https://43142.diarynote.jp/201909141634343903/
https://43142.diarynote.jp/202008231525422463/
▶︎過去の、ファラオ・サンダース
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 4月22日
https://43142.diarynote.jp/200608271341340000/
https://43142.diarynote.jp/200907131200224908/
▶︎過去の、フレディ・ハバード
https://43142.diarynote.jp/200901091437341082/ 訃報
▶過去の、マッコイ・タイナー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200809111754413101/
http://43142.diarynote.jp/201101131336421886/
https://43142.diarynote.jp/202003120731162119/ 訃報
そして、間をおいて、代官山・晴れたら空に豆まいて に行き、映像収録のための無観客イヴェントを覗かせていただく。平たく言えば、平間磨理夫による「花いけ」と杵屋喜之彦による「生演奏」のセッション。なのだが、ぼくの想像を超えるものが開かれていて、もうぐいぐい引き込まれてしまった。しかし、杵屋喜之彦という音楽家のキャパの大きさにはいささか驚いた。
枡屋は最初のほうは三味線を弾き、勘所を持つ歌声で歌う。門外漢にも、説得力あり。それは長唄という表現なのだと思うが、それに触れ、きっちりその道を極めつつ、しなやかに広がりを得るようになった人なのだと、アタマのほうは思った。ところが、そのうちギターを弾いたり(もっと小さい弦楽器も手にした)、横に置いてあるデヴァイスや鳴り物で響く音と間(ま)も送り出す。総体として基本は和なんだけど、なんかコンテンポラリーかつアンビエントな音の波のようなものを彼は出した。わあ。ぼくはその様に触れて、枡屋はロック他の愛好/演奏経験もきっちりあり、その先にちゃんとした和の先生について作法を身につけた人なのだと、結論を下した。いやあ、和のトラッドと西側コンテンポラリー要素をしなやかに行き来しているような、そのパフォーマンスにはただただ感心した。
そして、その臨機応変な演奏に合わせて、平間は花器を選び、ステージ後ろに山のようにある花木をから枝を選び、フロア中央で生けていく。枝を切ったときの香りがなんかいい。その作品自体は奇をてらわぬ、真っ当な造形であったのではないか。とにかく、このまま海外に持って行ったら大受けだろうなあと思ってしまうことしきり。平間のお友達の華道家の方もいらっしゃっていて、ともにそれほど年は取っていない。ぼくは音楽(洋楽)バカみたいな部分もあるので、それ以外の道を歩む人と接すると刺激を受ける。枡屋は湯川寅彦の名でより邦楽から離れたこともやっているようだ。
<今日の、夢想少し>
ブルーノート東京の公演、“Vol.1”となっていたがすると、続編もあるのか。そして、ぼくだったら何がいいかなあと考える。アーチー・シェップの『アッティカ・ブルース』(1972年)はどうだ? でも、もっと人数を必要とするし、リハーサルにも時間がかかるだろうしなあ。では、アルバート・アイラーの『ニュー・グラス』(1969年)はどうだろう。もし、大人数もので行くならオリヴァー・ネルソンやギル・エヴァンスものはどうか?
まずは、南青山・ブルーノート東京。ファースト・ショウ。表題にあるように、ボブ・シールという見識高いプロデューサーが舵取りした米国の意義高いジャズ・レーベルの設立60周年にかけてのオールスター・セッションを見る。今年1月上旬に予定されていたものが感染者増加で中止となり、改めて今日持たれた。ネタとなるのは、ジョン・コルトレーンの『アセンション』(1965年)。インパルス!と言えばまずはジョン・コルトレーンであり、また戦う硬派なイメージを持つ同レーベルにおいてコルトレーンがフリー・ジャズ指針を取った同作は鮮烈な枠超え作品であるので、『アセンション』を俎上に置くというのには同意ですね。
場内に入ると、うわあ。いわゆる、メインのフロアいっぱい楕円状に、奏者が向かい合うように楽器が置いてある。客は一段高いほうだけに座る(通常のステージは空白。そこにも、客を座らせてもよかったのではないか)。なんと、贅沢な客席配置なことよ。その設定だけでも、これはスペシャルな出し物なのだという気分は高まる⤴︎。
演奏者は11人。ドラムの本田珠也 (2000年5月9日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年10月13日、2007年12月4日、2011年5月5日、2012年7月16日、2013年7月27日、2015年5月20日、2018年1月19日、2018年4月7日、2019年7月16日)、ダブル・ベースの井野信義(2004年8月20日、2004年10月10日、2005年8月19日、2006年10月25日、2010年9月14日)と須川崇志(2010年3月14日、2011年7月25日、2016年6月27日、2017年6月21日、2018年1月19日、2018年4月7日、2019年3月29日、2019年12月14日、2019年12月20日、2020年10月29日)、ピアノのスガダイロー(2009年1月8日、2009年7月3日、2013年2月19日、2016年2月28日、2016年7月16日、2017年4月11日、2017年7月8日、2019年5月30日、2019年6月14日、2019年7月8日、2019年12月14日)、アルト・サックスの梅津和時(2001年9月2日、2001年9月21日、2004年10月10日、2005年7月29日、2006年1月21日、2008年11月14日、2009年2月8日、2009年6月5日、2010年3月20日、2011年4月1日、2012年2月10日、2012年11月21日、2012年12月8日、2013年11月20日、2014年9月16日、2015年10月26日、2017年10月9日)と松丸契、テナー・サックスの竹内直と菊地成孔(2001年9月22日、2002年1月5日、2002年3月17日、2002年11月30日、2003年6月28日、2004年2月6日、2004年7月6日、2004年8月12日、2004年10月10日、2005年6月9日、2006年1月21日、2007年11月7日、2009年7月19日、2010年3月26日、2011年4月22日、2011年5月5日、2011年7月31日、2013年3月26日、2013年7月27日、2014年2月20日、2014年4月3日、2014年9月7日、2016年10月28日、2017年9月2日、2018年5月13日、2018年7月7日、2020年11月14日、2020年11月18日)、バリトン・サックスの吉田隆一(2004年8月20日、2004年10月10日、2006年7月3日、2012年12月11日、2014年7月22日、2015年2月8日、2015年4月14日、2015年6月21日、2016年9月27日,2017年1月9日、2017年9月13日、2021年2月28日 )、トランペットの松島啓之(2014年9月25日、2015年5月20日、2018年1月19日、2018年9月2日2019年3月29日、2020年10月5日、他)と類家心平(2011年5月5日、2011年7月31日、2014年6月13日、2014年9月25日、2014年12月28日、2015年5月20日、2017年6月21日、2017年9月2日、2018年1月19日、2018年5月13日、2018年7月7日、2019年3月29日、2020年1月19日)という面々だ。
本田珠也がキュレイターを務めたようで、なるほど彼がメンバーである鉢谷真紀(2008年8月24日、2009年1月8日、2010年9月11日、2014年7月22日、2014年9月25日、2015年5月20日、2015年6月15日、2016年11月2日、2018年1月19日、2019年3月29日、2019年9月12日、2019年12月19日 )のグループである【次なるジャズ問答】の演奏陣4人は皆ここに入っている。
ちなみに、オリジナルのほうは、テナー・サックスのジョン・コルトレーンとファラオ・サンダース(2006年8月23日、2009年7月8日、2003年4月22日)とアーチー・シェップ、トランペットのフレディ・ハバード とデューイ・ジョンソン、アルト・サッックスの-ジョン・チカイとマリオン・ブラウン、ピアノのマッコイ・タイナー(2003年7月9日、2008年9月10日、2011年1月12日)、ダブル・ベースのジミー・ギャリソンとアート・デイヴィス 、ドラムのエルビン・ジョーンズという顔ぶれだった。
その『アセンション』は集団即興と各人のアヴァンなソロを組み合わせる内容を持っていたが、ここでもそれに則って、各人のソロが約4分づつ回される。集団即興パートのキュー出しは竹内直がしていて、彼が管楽器奏者のまとめ役をしていたと思われる。なんにせよ、覇気と個人技が舞う。各奏者たちも、自分のジャズ観やジャズへの思いを再確認するようなところがあったのではないか。こんなおり(だからこそ、スケジュールを合わせやすかったようだ)、そうした個をむき出した演奏をリアルに体感でき、本当にうれしい気持ちを得る。ふむ、考えてみれば、ブルーノート東京創業以来、一番フリーなソロが鳴り響いた晩ではなかったか。
40分ほどの「アセンション」の後、切れることなく竹内+リズム隊のカルテットで「クレセント」、さらに切れ目なしに全員でソロを回す「インプレッションズ」を演奏。余は、満足じゃ。
▶過去の、本田珠也
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm 菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm 菊地雅章
http://43142.diarynote.jp/200410162306570000/
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https://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
https://43142.diarynote.jp/201907180809371988/
▶︎過去の、井野信義
https://43142.diarynote.jp/200408202133070000/
https://43142.diarynote.jp/200508230543370000/
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https://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
▶︎過去の、須川崇志
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http://43142.diarynote.jp/201107310727152406/
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▶過去の、スガダイロー
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https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/ 取材
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https://43142.diarynote.jp/201912161052582124/
▶過去の、梅津和時
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-9.htm タラフ+コチャニ(2日)、エスマ(21日)
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▶過去の、菊地成孔
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▶過去の、吉田隆一
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http://43142.diarynote.jp/200410162220330000/
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http://43142.diarynote.jp/201502090956393081/
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http://43142.diarynote.jp/201701101136544400/
https://43142.diarynote.jp/201709141146381271/
https://43142.diarynote.jp/202103011157184014/
▶過去の、松島啓之
http://43142.diarynote.jp/201409261635554506/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
https://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
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https://43142.diarynote.jp/202010060748585515/
▶過去の、類家心平
http://43142.diarynote.jp/?day=20110505
http://43142.diarynote.jp/201108101624025366/
http://43142.diarynote.jp/201406160956273046/
http://43142.diarynote.jp/201409261635554506/
http://43142.diarynote.jp/201412301043067796/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
http://43142.diarynote.jp/201609201648546159/
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
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https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
https://43142.diarynote.jp/?day=20200119
▶過去の、蜂谷真紀
http://43142.diarynote.jp/200808260821260000/
http://43142.diarynote.jp/200901091437341082/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100911
http://43142.diarynote.jp/201407231341189225/
http://43142.diarynote.jp/201409261635554506/
http://43142.diarynote.jp/201410310931316189/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/ 【次なるジャズ問答】
http://43142.diarynote.jp/?day=20161102
http://43142.diarynote.jp/201707111737453393/
https://43142.diarynote.jp/201801200930278094/ 【次なるジャズ問答】
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/ 【次なるジャズ問答】
https://43142.diarynote.jp/201909141634343903/
https://43142.diarynote.jp/202008231525422463/
▶︎過去の、ファラオ・サンダース
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 4月22日
https://43142.diarynote.jp/200608271341340000/
https://43142.diarynote.jp/200907131200224908/
▶︎過去の、フレディ・ハバード
https://43142.diarynote.jp/200901091437341082/ 訃報
▶過去の、マッコイ・タイナー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200809111754413101/
http://43142.diarynote.jp/201101131336421886/
https://43142.diarynote.jp/202003120731162119/ 訃報
そして、間をおいて、代官山・晴れたら空に豆まいて に行き、映像収録のための無観客イヴェントを覗かせていただく。平たく言えば、平間磨理夫による「花いけ」と杵屋喜之彦による「生演奏」のセッション。なのだが、ぼくの想像を超えるものが開かれていて、もうぐいぐい引き込まれてしまった。しかし、杵屋喜之彦という音楽家のキャパの大きさにはいささか驚いた。
枡屋は最初のほうは三味線を弾き、勘所を持つ歌声で歌う。門外漢にも、説得力あり。それは長唄という表現なのだと思うが、それに触れ、きっちりその道を極めつつ、しなやかに広がりを得るようになった人なのだと、アタマのほうは思った。ところが、そのうちギターを弾いたり(もっと小さい弦楽器も手にした)、横に置いてあるデヴァイスや鳴り物で響く音と間(ま)も送り出す。総体として基本は和なんだけど、なんかコンテンポラリーかつアンビエントな音の波のようなものを彼は出した。わあ。ぼくはその様に触れて、枡屋はロック他の愛好/演奏経験もきっちりあり、その先にちゃんとした和の先生について作法を身につけた人なのだと、結論を下した。いやあ、和のトラッドと西側コンテンポラリー要素をしなやかに行き来しているような、そのパフォーマンスにはただただ感心した。
そして、その臨機応変な演奏に合わせて、平間は花器を選び、ステージ後ろに山のようにある花木をから枝を選び、フロア中央で生けていく。枝を切ったときの香りがなんかいい。その作品自体は奇をてらわぬ、真っ当な造形であったのではないか。とにかく、このまま海外に持って行ったら大受けだろうなあと思ってしまうことしきり。平間のお友達の華道家の方もいらっしゃっていて、ともにそれほど年は取っていない。ぼくは音楽(洋楽)バカみたいな部分もあるので、それ以外の道を歩む人と接すると刺激を受ける。枡屋は湯川寅彦の名でより邦楽から離れたこともやっているようだ。
<今日の、夢想少し>
ブルーノート東京の公演、“Vol.1”となっていたがすると、続編もあるのか。そして、ぼくだったら何がいいかなあと考える。アーチー・シェップの『アッティカ・ブルース』(1972年)はどうだ? でも、もっと人数を必要とするし、リハーサルにも時間がかかるだろうしなあ。では、アルバート・アイラーの『ニュー・グラス』(1969年)はどうだろう。もし、大人数もので行くならオリヴァー・ネルソンやギル・エヴァンスものはどうか?