石塚隆充

2011年1月21日 音楽
 目黒・ブルースアレイ。会場に入ると満員で、立ち見の人もいっぱい。しかも、多くは女性。かなりインパクトを受ける場内光景でした。

 主役の石塚隆充はかつてはスペインのアンダルシア地方に居住していた、フラメンコの歌手。精悍な男っぽいルックスを持つ痩身の男性(73年生まれ)で、女性客が多いのは理解できる。二人のギタリストのうち一人は、スペインでのフラメンコ・ギターのコンテストで優勝する場面を含めたドキュメンタリーが昨年TVで放映され、かなり知名度を得ただろう沖仁。彼らはスペインでもつるんでいて、けっこう一緒に活動しているよう。

 男っぽい、地に足をつけた、情ある歌……。セカンド・ショウから見たが、沖とのデュオから、徐々に伴奏者が増えていって、最終的には、ピアノ、ヴァイオリン、打楽器、電気ベース、ギター2、手拍子/コーラス2という布陣でパフォーマンス。ラテン系の奏者(香月さやか、大儀見元〜2006年8月24日、他〜)がいたり、ブラジルものが得意なベーシスト(コモブチキイチロウ)がいたり。そんな部分に表れているように、本場仕込みのオーセンティックなフラメンコを聞かせるのかと思ったら、当然そいういう曲もあるが、そこから一歩前に出て、より大きく両手を広げたような行き方を見せもする。

 歌う曲の多くは本場のフラメンコ曲なんだろうけど、ときに日本語で歌ったり(歌詞の内容が良くつかめる)、フラメンコの芯を鮮やかにポップ側にもってきた日本語のオリジナルまでやったり。といった具合で、日本人としてのフラメンコをやろうとする姿勢も出ていて、おおきく頷く。本場できっちり活動したからこそ、そして今は日本を拠点に置くからからこその、自負や意義のうれしい発露をぼくは覚えた。そして、そこからは石塚自身の創造性や現代性がくっきり表れる。純フラメンコ奏者から離れたミュージシャンを雇い間口の広いサウンドを採用しているのも、そりゃ当然で正解だろう。一部の終わりにはストーンズの「アンジー」をスペイン語で披露したりもしたそう。それ、彼のアルバムにも入っている。

 MCは訥々、シャイそうな感じ100%。なのに、歌いだすと堂々としていて、言葉や気持ちがきっちりオーディエンスに向かう。酔狂ながらも自分がひかれた道を進むという覚悟の先にある、意欲と息吹を感じる、進行形のフラメンコの歌表現でした。


<今日のこだわり>
 きく。音楽の場合、<聞く>ではなく、<聴く>と表記する人が多いようだが、ぼくは、意識的にいつも<聞く>と書いている。理由は、<聴く>とすると、なんかスピーカーの前に鎮座して、もろまじで音楽を享受しているような感じになるような気がするから。それに、<鑑賞>という硬いイメージも付くような感じがしてイヤ。ぼくはもっと、くつろいで楽に聞いているし、ポップ・ミュージックの場合は<聞く>のほうが相応しいような気がしちゃう。ゆえに、<聞く>とぼくは表記する。それを<聴く>に直す媒体/編集者も少なくないが、それを何しとんじゃいと、ただす気もないですけど。まあ、その程度のコダワリ、書く際の儀式のようなものです。同様に、<僕>ではなく<ぼく>と、ワタシは表記する。“僕”だとちょい硬いような気がするからそうしているが、そっちのほうがこだわりは強い。万が一、漢字に直されていたら、抗議します。