R.I.P.ベティ・ライト(1953年12月21日〜2020年5月10日)
2020年5月11日 音楽 マイアミ・ソウルの女王、ベティ・ライト(2012年2月28日)がお亡くなりになった。彼女は癌で闘病していたという。以下は、初リーダー公演の際に行なったQ&A。CDジャーナル誌記事にまとめる前のものだ。
——日本に来るのは、何度目となるのでしょう?
「2度目よ。1991年のアメリカン・ミュージック・アワード(横浜アリーナで、アーティストの日替わりで8日間持たれた。ボビー・ブラウン、スティーヴ・ウィンウッド〜2003年7月27日〜他)に出演するグロリア・エステファンのサポートで来たことはあるけど、リーダーとしての公演は今回が初めてね」
——リジェンダリーな存在なのに、今回が初の来日自己公演だというのはびっくりです。
「あら、そう? でも、スター扱いは望んでいないわ。パリス・ヒルトンとかレディ・ガガと違って、私は普通よ。まあ、「クリーン・アップ・ウーマン」をはじめレコードもけっこう売ってきたし、そう見られるのはかまわないんだけど……。でも、10代のときからやっているので、気負いはないのよね」
——その17歳のときの大ヒット曲「クリーン・アップ・ウーマン」はいろんな人たちからサンプリングされていたりもしますが、それについてどう感じます?
「ほんと沢山サンプリングされているけど、当初はサンプリング使用にとっても憤慨していた。というのも、勝手に使われるだけで、いっさいお金が入ってこなかったから。でも、その後、その問題が整備されてお金が入ってくるようになったし、サンプリングにより私の聞き手も拡大もして、これはいいことだなと思った(笑い)」
——これまでのキャリアにおけるターニング・ポイントは?
「それは、私の息子が殺されたこと。2005年のクリスマスの日で、彼は21歳で生命を絶たれてしまった。それがあって以降、いろいろな部分において、私はシリアスに物事に取り組むようになったと思う。人生というのはまったく約束されていないもの、だからこそ物事をカジュアルに流さずに、もっと音楽にフォーカスして生きなきゃと思うようになった。特に、曲作りという部分には、それが強く言えるわね」
——では、そういう新たな所感は、新作『ベティ・ライト:ザ・ムーヴィ』(S−カーヴ、2011年)にも跳ねかえっています?
「ええ、楽曲の選別についてはすごく周到にやっていて、これまで以上にいい曲だけを私はレコーディングした。以前もそうではあったけど、その姿勢はより貫かれているわね。私はシンガーである前に、まずソング・ライターであると思っているのよ。で、それを大々的に聞き手に示せるようにと、私はいつも歌っている。まず、私の第一の愛は神に向かう。2番目は家族で、3番目はソング・ライティング。そして、4番目が歌唱、という順序なの」
——『ベティ・ライト:ザ・ムーヴィ』はザ・ルーツ(2002年12月29日、 2003年12月2日、2004年9月19日、2007年1月15日、2013年12月19日)との双頭名義のアルバムとなっていますが、どういう経緯で共演盤を出すことになったのでしょう?
「私がプロデュースしたジョス・ストーン(2004年11月20日、2007年4月5、6日)のアルバムで一部叩いてくれたクエストラヴと、(発売元である)S-カーヴ・レコードのスティーヴ・グリーンバーグが同じ飛行機に乗り合わせたのが、あのアルバムをレコーディングするきっかけなの。そのとき彼が私とレコードを作りたいと熱く語って、そのプロジェクトが実現したわけね。実は、ザ・ルーツとは2010年度のグラミー賞でも戦ったのよ。“ベスト・トラディッショナルR&Bパフォーマンス”部門に私は「ゴー!」という曲で、ザ・ルーツはジョン・レジェンド(2005年5月8日)と一緒に作った「ハング・オン・イン・ゼア」でノミネートされた。結果、彼らが賞を取ったわけだけど、<私は一人だけど、あなたたちは大人数だから、負けてあげるわ>と言ったのよね。<次は、おばあちゃんの私に勝たせてネ>とも付け加えたけど(笑い)。そんな感じで、私たちはとても仲良しなのよ」
——その新作には、なによりちゃんとマイアミ・ソウルのヴァイブがあって素晴らしいと思いました。ふくよかでもあり、あなたが築いてきた味の良さを再確認しました。
「マイアミ・ソウル色が強いのは、私が仲間と作ったデモ・テープに従って、ザ・ルーツが演奏しているからね。私はヒップホップは嫌いじゃないので、その要素は散りばめてはいる。でも、娘たち(2月の来日公演にもバック・コーラスとして2人同行した。娘は4人いる)も歌ったりするなど、フロリダ勢も参加しているので、マイアミならではのソウル・サウンドにはなったと思うわ」
——先に話が出たあジョス・ストーンのデビュー作『ソウル・セッションズ』(S-カーヴ、2003年)には70年代に活躍した地元のアーティストたちが入っていて、マイアミのソウル界って結束が強いんだなと思ってしまいます。
「リトル・ビーヴァー、ティミー・トーマス、ベニー・ラティモアら70年代のマイアミ・ソウル界を支えた人たちといまだ仕事ができるのはうれしいわね。そのジョス・ストーン作により、彼らにも再度注目が集まったのは本当にうれしかった」
——あなたは地元の才能豊かな担い手を掌握し、サウンドも作れ、もちろん曲も作れます。そういう統括する力が、アンジー・ストーン(2005年3月22日、2007年7月18日、2011年2月10日)やエリカ・バドゥ(2000年11月19日、2006年4月2日、2012年3月2日、2017年10月6日)らに助力を求められる理由なんだと思います。
「オリジナルなサウンドを持つ人物、皆そういう事実を認めて私のもとを訪れるんじゃないかしら。やはり、唯一の輝きを求めるんだと思うわ。リル・ウェイン、キーシャ・コール、ビヨンセ(2001年6月25日、2006年9月4日)までいろんな人から声がかかっている。グロリア(・エステファン)とは今も仲良しだし、エルトン・ジョンもそうね」
——今後はどんなことをしたいですか?
「レゲエをちゃんとやってみたいわね」
▶︎過去の、ベティ・ライト
https://43142.diarynote.jp/201203061824335340/
▶︎過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
▶過去の、ザ・ルーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
http://43142.diarynote.jp/201312200917503345/
▶︎過去の、ジョス・ストーン
https://43142.diarynote.jp/200411231721010000/
https://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
https://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
▶過去の、ジョン・レジェンド
http://43142.diarynote.jp/200505141714260000/
▶︎過去のアンジー・ストーン
https://43142.diarynote.jp/200503240458070000/
https://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
https://43142.diarynote.jp/201102121001091213/
▶過去の、エリカ・バドゥ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
http://43142.diarynote.jp/201203062004221304/
https://43142.diarynote.jp/201710071225329957/
▶過去の、ビヨンセ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm 2001年6月25日
http://43142.diarynote.jp/200609070212050000/
——日本に来るのは、何度目となるのでしょう?
「2度目よ。1991年のアメリカン・ミュージック・アワード(横浜アリーナで、アーティストの日替わりで8日間持たれた。ボビー・ブラウン、スティーヴ・ウィンウッド〜2003年7月27日〜他)に出演するグロリア・エステファンのサポートで来たことはあるけど、リーダーとしての公演は今回が初めてね」
——リジェンダリーな存在なのに、今回が初の来日自己公演だというのはびっくりです。
「あら、そう? でも、スター扱いは望んでいないわ。パリス・ヒルトンとかレディ・ガガと違って、私は普通よ。まあ、「クリーン・アップ・ウーマン」をはじめレコードもけっこう売ってきたし、そう見られるのはかまわないんだけど……。でも、10代のときからやっているので、気負いはないのよね」
——その17歳のときの大ヒット曲「クリーン・アップ・ウーマン」はいろんな人たちからサンプリングされていたりもしますが、それについてどう感じます?
「ほんと沢山サンプリングされているけど、当初はサンプリング使用にとっても憤慨していた。というのも、勝手に使われるだけで、いっさいお金が入ってこなかったから。でも、その後、その問題が整備されてお金が入ってくるようになったし、サンプリングにより私の聞き手も拡大もして、これはいいことだなと思った(笑い)」
——これまでのキャリアにおけるターニング・ポイントは?
「それは、私の息子が殺されたこと。2005年のクリスマスの日で、彼は21歳で生命を絶たれてしまった。それがあって以降、いろいろな部分において、私はシリアスに物事に取り組むようになったと思う。人生というのはまったく約束されていないもの、だからこそ物事をカジュアルに流さずに、もっと音楽にフォーカスして生きなきゃと思うようになった。特に、曲作りという部分には、それが強く言えるわね」
——では、そういう新たな所感は、新作『ベティ・ライト:ザ・ムーヴィ』(S−カーヴ、2011年)にも跳ねかえっています?
「ええ、楽曲の選別についてはすごく周到にやっていて、これまで以上にいい曲だけを私はレコーディングした。以前もそうではあったけど、その姿勢はより貫かれているわね。私はシンガーである前に、まずソング・ライターであると思っているのよ。で、それを大々的に聞き手に示せるようにと、私はいつも歌っている。まず、私の第一の愛は神に向かう。2番目は家族で、3番目はソング・ライティング。そして、4番目が歌唱、という順序なの」
——『ベティ・ライト:ザ・ムーヴィ』はザ・ルーツ(2002年12月29日、 2003年12月2日、2004年9月19日、2007年1月15日、2013年12月19日)との双頭名義のアルバムとなっていますが、どういう経緯で共演盤を出すことになったのでしょう?
「私がプロデュースしたジョス・ストーン(2004年11月20日、2007年4月5、6日)のアルバムで一部叩いてくれたクエストラヴと、(発売元である)S-カーヴ・レコードのスティーヴ・グリーンバーグが同じ飛行機に乗り合わせたのが、あのアルバムをレコーディングするきっかけなの。そのとき彼が私とレコードを作りたいと熱く語って、そのプロジェクトが実現したわけね。実は、ザ・ルーツとは2010年度のグラミー賞でも戦ったのよ。“ベスト・トラディッショナルR&Bパフォーマンス”部門に私は「ゴー!」という曲で、ザ・ルーツはジョン・レジェンド(2005年5月8日)と一緒に作った「ハング・オン・イン・ゼア」でノミネートされた。結果、彼らが賞を取ったわけだけど、<私は一人だけど、あなたたちは大人数だから、負けてあげるわ>と言ったのよね。<次は、おばあちゃんの私に勝たせてネ>とも付け加えたけど(笑い)。そんな感じで、私たちはとても仲良しなのよ」
——その新作には、なによりちゃんとマイアミ・ソウルのヴァイブがあって素晴らしいと思いました。ふくよかでもあり、あなたが築いてきた味の良さを再確認しました。
「マイアミ・ソウル色が強いのは、私が仲間と作ったデモ・テープに従って、ザ・ルーツが演奏しているからね。私はヒップホップは嫌いじゃないので、その要素は散りばめてはいる。でも、娘たち(2月の来日公演にもバック・コーラスとして2人同行した。娘は4人いる)も歌ったりするなど、フロリダ勢も参加しているので、マイアミならではのソウル・サウンドにはなったと思うわ」
——先に話が出たあジョス・ストーンのデビュー作『ソウル・セッションズ』(S-カーヴ、2003年)には70年代に活躍した地元のアーティストたちが入っていて、マイアミのソウル界って結束が強いんだなと思ってしまいます。
「リトル・ビーヴァー、ティミー・トーマス、ベニー・ラティモアら70年代のマイアミ・ソウル界を支えた人たちといまだ仕事ができるのはうれしいわね。そのジョス・ストーン作により、彼らにも再度注目が集まったのは本当にうれしかった」
——あなたは地元の才能豊かな担い手を掌握し、サウンドも作れ、もちろん曲も作れます。そういう統括する力が、アンジー・ストーン(2005年3月22日、2007年7月18日、2011年2月10日)やエリカ・バドゥ(2000年11月19日、2006年4月2日、2012年3月2日、2017年10月6日)らに助力を求められる理由なんだと思います。
「オリジナルなサウンドを持つ人物、皆そういう事実を認めて私のもとを訪れるんじゃないかしら。やはり、唯一の輝きを求めるんだと思うわ。リル・ウェイン、キーシャ・コール、ビヨンセ(2001年6月25日、2006年9月4日)までいろんな人から声がかかっている。グロリア(・エステファン)とは今も仲良しだし、エルトン・ジョンもそうね」
——今後はどんなことをしたいですか?
「レゲエをちゃんとやってみたいわね」
▶︎過去の、ベティ・ライト
https://43142.diarynote.jp/201203061824335340/
▶︎過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
▶過去の、ザ・ルーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
http://43142.diarynote.jp/201312200917503345/
▶︎過去の、ジョス・ストーン
https://43142.diarynote.jp/200411231721010000/
https://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
https://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
▶過去の、ジョン・レジェンド
http://43142.diarynote.jp/200505141714260000/
▶︎過去のアンジー・ストーン
https://43142.diarynote.jp/200503240458070000/
https://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
https://43142.diarynote.jp/201102121001091213/
▶過去の、エリカ・バドゥ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
http://43142.diarynote.jp/201203062004221304/
https://43142.diarynote.jp/201710071225329957/
▶過去の、ビヨンセ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm 2001年6月25日
http://43142.diarynote.jp/200609070212050000/
R.I.P.リトル・リチャード(1932年12月5日 〜 2020年5月9日)
2020年5月10日 音楽 米国ブラック・ミュージックの世界で、とんでもない飛躍を示した偉人がお亡くなりになった。オーティス・レディングのお墓があり、サザン・ロックのキャプリコーンがオフィスを置いたジョージア州メイコンの生まれ。享年87歳、骨の癌で亡くなったという。
基本、ピアノを叩き、歌った。そして、とにもかくにも、その音楽が不滅。彼がヒットを飛ばしたのはロサンゼルスのレイス・レーベルのスペシャルティ時代だったが、他の同社プロダクツ、いやそのころのR&B表現との鮮やかな断絶の様はあまりに見事すぎる。妙にスッコーンと抜けた肉感性や外に飛び出す力やポップネスは規格外と言うしかなく、今聞いてもハレの感覚を持ち、訴求力大。そのころの彼のヴォーカルを熱烈にコビーしていたのが、初期のポール・マッカートニー(2018年10月31日)だった。
そんな彼は早い時期から同性愛者であることを公言し、派手な衣装や化粧をしていたが、それは今でいうところの性同一性障害であったのか。あの時代に、しかもカラードである身でそれを遂行することがいかに大変なことであったことか。その人々に与える違和感は、初期のプリンス(2002年11月19日)のありかたを超えるものであったろう。
昨年、BSR誌の記事企画と連動して、ブルース・インターアクションズの共同設立者である高地明、bsr編集長の濱田廣也との3者で、<今聴いてほしいブルース/ソウル/ファンクのメッセージ・ソング>とう企画イヴェントを四谷のいーぐるでやったのだが、そこでぼくはリトル・リチャードの「Tutti Frutti」 (1955年) も胸を張って選曲した。←https://43142.diarynote.jp/201903201617547581/。ちょい、恩返しできたかな? なお、四谷いーぐるの支援物販のサイトは→https://jazzeagle.base.shop。
ナッシュヴィルに住んでいた2009年に人工股関節を置換する手術を受けもし、表立った活動は伝わらなくなった。一番長生きしたにも関わらず、ボー・ディッドリー(2004年4月12日)、ベリー、ロックンロール天才3人集のなか、彼だけ生の姿を見ることができなかったのは、返す返す残念でならない。でも、ことあるごとに、ぼくはあなたの壁をブチ破る精気とエナジー溢れる表現を聞き返しますよ。
▶︎メイコン、キャプリコーンに触れた記載
https://43142.diarynote.jp/201306281331578950/
▶︎過去の、ポール・マッカートニー
https://43142.diarynote.jp/201811011655349966/
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
▶︎過去の、ボー・ディッドリー
https://43142.diarynote.jp/200404120828130000/
▶︎過去の、チャック・ベリーの訃報に際し
https://43142.diarynote.jp/201703211232135720/
基本、ピアノを叩き、歌った。そして、とにもかくにも、その音楽が不滅。彼がヒットを飛ばしたのはロサンゼルスのレイス・レーベルのスペシャルティ時代だったが、他の同社プロダクツ、いやそのころのR&B表現との鮮やかな断絶の様はあまりに見事すぎる。妙にスッコーンと抜けた肉感性や外に飛び出す力やポップネスは規格外と言うしかなく、今聞いてもハレの感覚を持ち、訴求力大。そのころの彼のヴォーカルを熱烈にコビーしていたのが、初期のポール・マッカートニー(2018年10月31日)だった。
そんな彼は早い時期から同性愛者であることを公言し、派手な衣装や化粧をしていたが、それは今でいうところの性同一性障害であったのか。あの時代に、しかもカラードである身でそれを遂行することがいかに大変なことであったことか。その人々に与える違和感は、初期のプリンス(2002年11月19日)のありかたを超えるものであったろう。
昨年、BSR誌の記事企画と連動して、ブルース・インターアクションズの共同設立者である高地明、bsr編集長の濱田廣也との3者で、<今聴いてほしいブルース/ソウル/ファンクのメッセージ・ソング>とう企画イヴェントを四谷のいーぐるでやったのだが、そこでぼくはリトル・リチャードの「Tutti Frutti」 (1955年) も胸を張って選曲した。←https://43142.diarynote.jp/201903201617547581/。ちょい、恩返しできたかな? なお、四谷いーぐるの支援物販のサイトは→https://jazzeagle.base.shop。
ナッシュヴィルに住んでいた2009年に人工股関節を置換する手術を受けもし、表立った活動は伝わらなくなった。一番長生きしたにも関わらず、ボー・ディッドリー(2004年4月12日)、ベリー、ロックンロール天才3人集のなか、彼だけ生の姿を見ることができなかったのは、返す返す残念でならない。でも、ことあるごとに、ぼくはあなたの壁をブチ破る精気とエナジー溢れる表現を聞き返しますよ。
▶︎メイコン、キャプリコーンに触れた記載
https://43142.diarynote.jp/201306281331578950/
▶︎過去の、ポール・マッカートニー
https://43142.diarynote.jp/201811011655349966/
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
▶︎過去の、ボー・ディッドリー
https://43142.diarynote.jp/200404120828130000/
▶︎過去の、チャック・ベリーの訃報に際し
https://43142.diarynote.jp/201703211232135720/
うわー、スウィート・ピー・アトキンソンの訃報も届いた。住んでいたのはロサンゼルス、死因は心臓発作であった。ワズ(・ノット・ワズ)の一番の歌声を担ったソウル歌手。デトロイトのクライスラーの工場で働きながら歌っていたところ、1970年代末にドン・ワズ(2013年2月15日、2019年6月12日、2019年6月13日、2019年6月14日)からの知遇を得て、表舞台に。何気な、愛嬌ある洒落者でした。1982年には彼のプロデュースで、『Don’t Walk Away』(Island。弦アレンジはポール・ライザーがしていた)をリリース。また、バックグラウンド・ヴォーカルの需要も得て、ボブ・ディランやイギー・ポップ、エルトン・ジョン、ウェイン・クレイマー(2004年5月31日)、オフラ・ハザ他のレコーディングに参加。とくに、ボニー・レイット(2007年4月6日)やライル・ラヴェットらは彼のことを気に入り、何度もレコーディングに呼んでいた。
https://43142.diarynote.jp/201510251330372218/ の下の方に書いてあるように、彼はミンディ・エイベア(2009年9月20日、2019年9月27日)のフィーチャリング・シンガーとして2015年10月に来日しているが、都合が悪くて行けなかった。うーん、後悔するなあ。
救いといえば、義理堅いドン・ワズの力でブルーノートから2作目となるリーダー作『Get What You Deserve』(2017年)をリリースしていること。ケブ・モー(2007年9月19日)も制作に加わった同作には、張りのある歌声が剛性感のあるサウンドのもと残されている。
▶︎過去の、ドン・ワズ
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
https://43142.diarynote.jp/201906151230594715/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
▶過去の、ボニー・レイット
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
▶︎過去の、ミンディ・エイベア
https://43142.diarynote.jp/200909271554269289/
https://43142.diarynote.jp/201909271249038372/
▶︎過去の、ケブ・モー
https://43142.diarynote.jp/200709201052530000/
https://43142.diarynote.jp/201510251330372218/ の下の方に書いてあるように、彼はミンディ・エイベア(2009年9月20日、2019年9月27日)のフィーチャリング・シンガーとして2015年10月に来日しているが、都合が悪くて行けなかった。うーん、後悔するなあ。
救いといえば、義理堅いドン・ワズの力でブルーノートから2作目となるリーダー作『Get What You Deserve』(2017年)をリリースしていること。ケブ・モー(2007年9月19日)も制作に加わった同作には、張りのある歌声が剛性感のあるサウンドのもと残されている。
▶︎過去の、ドン・ワズ
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
https://43142.diarynote.jp/201906151230594715/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
▶過去の、ボニー・レイット
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
▶︎過去の、ミンディ・エイベア
https://43142.diarynote.jp/200909271554269289/
https://43142.diarynote.jp/201909271249038372/
▶︎過去の、ケブ・モー
https://43142.diarynote.jp/200709201052530000/
R.I.P.フローリアン・シュナイダー(1947年4月7日 - 2020年)
2020年5月7日 音楽 デゥッセルドルフ郊外の音大仲間であるファルフ・ヒュッターとともに1960年代末にクラフトワーク(2002年12月13日)を組んだフローリアン・シュナイダーが癌で亡くなった。誕生日を過ぎてちょいとのことなので、73歳だった。裕福な家庭の出であり(実際、そういう容貌でしたね)、ドイツのもう一つのヒップさを感じさせる人であったか。また、バウハウスとか、やはりドイツのアートな流れを感じさせもした? 彼は、2000年代後期にクラフトワークを脱退していた。
当初は鍵盤(ヒュッターが弾いた)はわりと控えめで、アナログ度も高いミュージック・コンクレート要素やアヴァンギャルド性やアンビエント傾向を抱えた表現(シュナイダーはフルートやヴァイオリンを弾いていた)をやっていたが、今ぼくが彼らを聞くなら、工事のパイロンをジャケ絵に出した初期2枚に示唆を受けるかな? 当時のフルートを聞いて、ぼくはユセフ・ラティーフのそれを思い出したことがある。あの頃から、彼は“鼓動”とも言うべき要件にも自覚的だった。
とはいえ、よりエレクトロ度数を高め、ヴォイスなども一部使い分かりやすさを出した『アウトバーン』(フォリップス、1974年)はリアル・タイムで聞いたので印象は強い。いろんな部分でイっていたあのアルバム、意外なところではジョー・ジャクソンの『ナイト&デイ』(A&M、1982年)にその尻尾を見つけることができる。同作収録の「ステッピン・アウト」のリフやビート感、およびNYのブロックを過ぎると雰囲気が変わることを表す曲群の全体の連続性などを聞くと、ぼくはそう感じてしまう。
やはり同作の印象は強かったんだろう、車好きだったためもあり、大学生のころドイツのアウトバーンを200キロでぶっ飛ばす、という願いを持っていたこともあったな。話はそれるが、スティーヴ・ウィンウッド(2003年7月27日)がマッスル・ショールズの奏者たちを雇って行なった欧州ツアーのライヴ・アルバムに『オン・ザ・ロード』(アイランド、1973年)がある。実はそれ、ドイツ楽旅をソースとするもので、ジャケット・カヴァーはアウトバーンを趣味良くグラフィック処理したものが使われた。ぼくはトラフィックのそれが、クラフトワークの『アウトバーン』のジャケット・カヴァーにぴったりだと常々思っている。
アフリカ・バンバータがぞっこんだった『トランス・ヨーロッパ・エクスプレス』(クリング・クラング、1977年)あたりから、聞くものや興味が増えちゃってぼくはあまり彼らを追うことはなくなってしまった。だが、影響を受けた担い手は山のよう&サンプリング需要もたっぷり。まさしく音楽に新しい局面を差し出した、偉大な個性派でした。
▶︎過去の、クラフトワーク 13日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
▶︎過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
▶︎過去の、マッスル・ショールズを扱う映画
https://43142.diarynote.jp/201406270933515875/
当初は鍵盤(ヒュッターが弾いた)はわりと控えめで、アナログ度も高いミュージック・コンクレート要素やアヴァンギャルド性やアンビエント傾向を抱えた表現(シュナイダーはフルートやヴァイオリンを弾いていた)をやっていたが、今ぼくが彼らを聞くなら、工事のパイロンをジャケ絵に出した初期2枚に示唆を受けるかな? 当時のフルートを聞いて、ぼくはユセフ・ラティーフのそれを思い出したことがある。あの頃から、彼は“鼓動”とも言うべき要件にも自覚的だった。
とはいえ、よりエレクトロ度数を高め、ヴォイスなども一部使い分かりやすさを出した『アウトバーン』(フォリップス、1974年)はリアル・タイムで聞いたので印象は強い。いろんな部分でイっていたあのアルバム、意外なところではジョー・ジャクソンの『ナイト&デイ』(A&M、1982年)にその尻尾を見つけることができる。同作収録の「ステッピン・アウト」のリフやビート感、およびNYのブロックを過ぎると雰囲気が変わることを表す曲群の全体の連続性などを聞くと、ぼくはそう感じてしまう。
やはり同作の印象は強かったんだろう、車好きだったためもあり、大学生のころドイツのアウトバーンを200キロでぶっ飛ばす、という願いを持っていたこともあったな。話はそれるが、スティーヴ・ウィンウッド(2003年7月27日)がマッスル・ショールズの奏者たちを雇って行なった欧州ツアーのライヴ・アルバムに『オン・ザ・ロード』(アイランド、1973年)がある。実はそれ、ドイツ楽旅をソースとするもので、ジャケット・カヴァーはアウトバーンを趣味良くグラフィック処理したものが使われた。ぼくはトラフィックのそれが、クラフトワークの『アウトバーン』のジャケット・カヴァーにぴったりだと常々思っている。
アフリカ・バンバータがぞっこんだった『トランス・ヨーロッパ・エクスプレス』(クリング・クラング、1977年)あたりから、聞くものや興味が増えちゃってぼくはあまり彼らを追うことはなくなってしまった。だが、影響を受けた担い手は山のよう&サンプリング需要もたっぷり。まさしく音楽に新しい局面を差し出した、偉大な個性派でした。
▶︎過去の、クラフトワーク 13日
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▶︎過去の、スティーヴ・ウィンウッド
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▶︎過去の、マッスル・ショールズを扱う映画
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1.42nd Street/ Eric Reed 『Pure Imagination』(Impulse!,1998年)
2.Washington Square Thoroughfare/ Marc Whitfield『7th Ave.Stroll』(Verve,1995)
3.Drop Me Off In Harlem/ 海野雅威『As Times Goes By』(Happinet,2010)
4.New York State Of Mind/ Marlena Shaw『Lookin’ For Love』(Village,2003)
5.Central Park West/ The Cats(Uri Caine and so on)『Philly Sound Much Respect』(M&I,2002)
6.7th Ave. South/ Dave Weckl『Heads Up』(GRP,1992)
7.New York Attitude/ Regina Carter『Rhythms Of The Heart』(Verve,1999)
8.Lullaby Of Birdland / Roberta Gambarini (Honors Ella, Sarah & Carmen/Dedications(55Records,2019)
9.Manhattan Reverie/ Richie Beirach Trio『Manhattan Reverie』(Venus,2006)
10.New York 19/ 渋谷毅『Afternoon』(OnOff,2002)
11.W.110th St./ Eddie Gomez 『Power Play』(Epic/Sony,1988)
2.Washington Square Thoroughfare/ Marc Whitfield『7th Ave.Stroll』(Verve,1995)
3.Drop Me Off In Harlem/ 海野雅威『As Times Goes By』(Happinet,2010)
4.New York State Of Mind/ Marlena Shaw『Lookin’ For Love』(Village,2003)
5.Central Park West/ The Cats(Uri Caine and so on)『Philly Sound Much Respect』(M&I,2002)
6.7th Ave. South/ Dave Weckl『Heads Up』(GRP,1992)
7.New York Attitude/ Regina Carter『Rhythms Of The Heart』(Verve,1999)
8.Lullaby Of Birdland / Roberta Gambarini (Honors Ella, Sarah & Carmen/Dedications(55Records,2019)
9.Manhattan Reverie/ Richie Beirach Trio『Manhattan Reverie』(Venus,2006)
10.New York 19/ 渋谷毅『Afternoon』(OnOff,2002)
11.W.110th St./ Eddie Gomez 『Power Play』(Epic/Sony,1988)
R.I.P.トニー・アレン(1940〜2020年4月30日)
2020年4月30日 音楽 生まれた日が公表されていない、偉大なナイジェリアのラゴス生まれのドラマーであるトニー・アレン(2003年9月26日、2019年1月23日)が急死した。元気に知人と電話で話していたのだが、その2時間後に病院に運ばれ、亡くなってしまったのだという。死因は発表されていないが、新型肺炎が死因ではないそうだ。
1960年代半ばにフェラ・クティと出会い、1979年まで彼のバンドに在籍し膨大な作品群に関与。1980年代中期以降はパリに居住するアレンはフェラのバンド時代在籍時からリーダー・アルバムをリリースし、今まで20作ほど自己名義盤を出し、また鷹揚に様々な人とも絡んでいる。そんなアレンの今のところの直近作は、南アのトランペッター/シンガーのヒュー・マセケラ(2005年7月20日)との連名作『Rejoice』(World Circuit,2020年)。アレンが出すアフロ・ビートとマセケラ流儀のおおらかなアフロ・ポップ感覚が折り合う好盤で、鍵盤のジョー・アーモン・ジョーンズ(2019年6月2日)やテナー・サックス奏者のスティーヴ・ウィリアムソンら英国人の名も参加者に見られる。だが、マセケラは2018年1月23日にヨハネスブルグで亡くなっているので、旧セッションを商品化したものだろう。
以下は、2019年1月24日に、イントキシケイト誌の記事のためにブルーノート東京の楽屋で行なったインタヴューである。「すんだことには興味がないんじゃ」と言いつつ、興味ある質問には笑顔で答えてくれたっけ。もちろん、元気でした。数少ないアフリカの英語公用語国であるナイジェリア出身ゆえ、取材は英語にてなされた。とはいえ、フランス語(スペイン語はもっと)がhを発音しないように、彼もそうする傾向にありました。
——あなたはいろいろなアルバムを出しています。アフロ・ビートを作った名ドラマーと言われるのと、優れたリーダーといわれるのいではどちらがうれしいですか?
「フェラ・クティと一緒にやっていて、そう言われているから、皆んなは僕をアフロ・ビートのドラマーと認知している。だが、僕自身はアフロ・ビートのドラマーとは思っていない。僕はいろんなスタイルをできるドラマーなんだよ」
——それで、あなたは今ブルーノートからジャズ色の強いアルバムを出していますが、アート・ブレイキーはあなたのフェイヴァリット・ドラマーなんですか(その初作『A Tribute to Art Blakey and the Jazz Messengers』は、アート・ブレイキーのブルーノートのデビュー時に倣い、10インチの4曲入りアナログでリリースされた)?
「アート・ブレイキーは、最初からぼくのアイドルなんだ。20歳からプロのドラマーとして活動を始めたんだが、17歳から聞いている」
——では、アフロ・ビートのドイラミングにはジャズの技術や素養も生かされているわけですね。
「そのとおり。その前にアフロ・ビートというものはなかったからね。それで、ダンス・クラブで演奏を始めたんだけど、それだとラジオでかかる音楽のいかなるビートを叩けなきゃいけなかった。クイックステップ、タンゴ、ルンバ、ブーガルー……いろんなことをできなくてはならなかった。ハイライフやフジとか西アフリカの音楽だけじゃなくね」
——そうしたなか、ターニング・ポイントは?
「音楽的なことかい? キャリアのなかでのターニング・ポイントはない。なぜなら、ずっと音楽をやってきたからね。音楽をやりたいと思ってこの世界に入り、一生懸命やってきただけだ。そりゃいいことも悪いこともあったよ。でも、ずっとまっすぐに音楽をやり続けてきたということだね」
——ナイジェリアから、1984年にまず英国に行きました。でも、すぐにパリに移り、住み続けていますよね。パリは音楽をしやすい街ですか。
「そうだね。ナイジェリアは英国の植民地だったから、最初はUKに向かったけど、そこで仕事をするのは楽じゃなかった。労働許可証とか必要とされたしね。EPは1枚作ったけど、いろんなことがうまくいかず、ここからすぐに出たいと思った。フランスでは契約を取れて、ミュージシャンたちもプロフェッショナルであった。英国は昼間は普通に働いているミュージシャンが多かったけど、フランスはそうではなかった。英国でバンドを持つのは大変だった」
——ブルーノートからアルバムを出すというのは、とうぜん喜びであるんでしょうか。
「もちろんさ。最初にアート・ブレキーを知ったレコードもブルーノートのものだったし、ブルーノートからレコードを出すというのは17歳のころからの夢だった。だから、喜びはある。ブルーノートは僕のやりたいようにやらせてくれるしね。アート・ブレイキーを聞いてきた僕はどんなスタイルでブルーノートでやったらいいかはよく知っているわけだからね。。今、トニー・ウィリアムズのトリビュート作をドン・ワズ(2013年2月15日、2019年6月12日、2019年6月13日、2019年6月14日)から依頼されて作っているよ」
——新作『ザ・ソース』(ブルーノート、2017年)にはデイモン・アルバーン(2003年5月31日)もピアノで入っています。過去ににも彼とはいろいろ絡んでいますし、仲がいいですね。
「彼とは2000年から友達なんだ。アルバムで歌ってと頼んだことがあり、一緒に曲も作っている。そこから友達になり、いろんなプロジェクトをやるようになった」
——新作『 The Seed』(Decca,2018)はジェフ・ミルズ(2017年11月7日、2017年11月10日、2018年11月6日)との連名作ですが、彼とはどういう感じで一緒に?
「彼のマネージャーと僕のマンージャーが話し合って、決めたプロジェクトだ。彼はいろんな機材を使って音を作る人だけど、なんか一緒にやろうとなった。彼は機材を使い、僕はドラム・セットだけど、2、3日かけて、その二つのものをうまく組み合わせたアルバムだね」
——フィランドのクリエイターであるジミ・テナーとも複数の協調アルバムを出していますが、やっぱりいろんな人と好奇心旺盛にコラヴォレートしたいという思いは持っていますよね。
「話があったら、そのプロジェクトに参加する。そして、僕はそのプロジェクトに適切なものを提供する。好きなことなので、僕の性格としてフレキシブルにことにあたるよね。僕はチャレンジするのが好きなんだ。だから、自分がやらないスタイルの音楽であっても、依頼があれば僕は参加するようにしている」
——ところで、(けっこう、いい感じで衣服をまとめているので)お洒落は好きですか?
「ああ、僕はクールだろ。僕って、何かとバランスを取るのが好き。その一方、何かを強要すると言うのが好きではない。それが人生の極意だね」
▶︎過去の、トニー・アレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm
https://43142.diarynote.jp/201901241310023413/
▶過去の、ヒュー・マセケラ
http://43142.diarynote.jp/200507220552110000/
▶︎過去の、ジョー・アーモン・ジョーンズ
https://43142.diarynote.jp/201906050930429178/
▶︎過去の、ドン・ワズ
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
https://43142.diarynote.jp/201906151230594715/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
▶︎過去の、トニー・ウィリアムズへのトリビュート公演
https://43142.diarynote.jp/200812281442184528/
▶過去の、デイモン・アルバーン/ブラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm
▶︎過去の、ジェフ・ミルズ
http://43142.diarynote.jp/201711080729053828/
https://43142.diarynote.jp/201711110810235717/
https://43142.diarynote.jp/201811071446015153/
1960年代半ばにフェラ・クティと出会い、1979年まで彼のバンドに在籍し膨大な作品群に関与。1980年代中期以降はパリに居住するアレンはフェラのバンド時代在籍時からリーダー・アルバムをリリースし、今まで20作ほど自己名義盤を出し、また鷹揚に様々な人とも絡んでいる。そんなアレンの今のところの直近作は、南アのトランペッター/シンガーのヒュー・マセケラ(2005年7月20日)との連名作『Rejoice』(World Circuit,2020年)。アレンが出すアフロ・ビートとマセケラ流儀のおおらかなアフロ・ポップ感覚が折り合う好盤で、鍵盤のジョー・アーモン・ジョーンズ(2019年6月2日)やテナー・サックス奏者のスティーヴ・ウィリアムソンら英国人の名も参加者に見られる。だが、マセケラは2018年1月23日にヨハネスブルグで亡くなっているので、旧セッションを商品化したものだろう。
以下は、2019年1月24日に、イントキシケイト誌の記事のためにブルーノート東京の楽屋で行なったインタヴューである。「すんだことには興味がないんじゃ」と言いつつ、興味ある質問には笑顔で答えてくれたっけ。もちろん、元気でした。数少ないアフリカの英語公用語国であるナイジェリア出身ゆえ、取材は英語にてなされた。とはいえ、フランス語(スペイン語はもっと)がhを発音しないように、彼もそうする傾向にありました。
——あなたはいろいろなアルバムを出しています。アフロ・ビートを作った名ドラマーと言われるのと、優れたリーダーといわれるのいではどちらがうれしいですか?
「フェラ・クティと一緒にやっていて、そう言われているから、皆んなは僕をアフロ・ビートのドラマーと認知している。だが、僕自身はアフロ・ビートのドラマーとは思っていない。僕はいろんなスタイルをできるドラマーなんだよ」
——それで、あなたは今ブルーノートからジャズ色の強いアルバムを出していますが、アート・ブレイキーはあなたのフェイヴァリット・ドラマーなんですか(その初作『A Tribute to Art Blakey and the Jazz Messengers』は、アート・ブレイキーのブルーノートのデビュー時に倣い、10インチの4曲入りアナログでリリースされた)?
「アート・ブレイキーは、最初からぼくのアイドルなんだ。20歳からプロのドラマーとして活動を始めたんだが、17歳から聞いている」
——では、アフロ・ビートのドイラミングにはジャズの技術や素養も生かされているわけですね。
「そのとおり。その前にアフロ・ビートというものはなかったからね。それで、ダンス・クラブで演奏を始めたんだけど、それだとラジオでかかる音楽のいかなるビートを叩けなきゃいけなかった。クイックステップ、タンゴ、ルンバ、ブーガルー……いろんなことをできなくてはならなかった。ハイライフやフジとか西アフリカの音楽だけじゃなくね」
——そうしたなか、ターニング・ポイントは?
「音楽的なことかい? キャリアのなかでのターニング・ポイントはない。なぜなら、ずっと音楽をやってきたからね。音楽をやりたいと思ってこの世界に入り、一生懸命やってきただけだ。そりゃいいことも悪いこともあったよ。でも、ずっとまっすぐに音楽をやり続けてきたということだね」
——ナイジェリアから、1984年にまず英国に行きました。でも、すぐにパリに移り、住み続けていますよね。パリは音楽をしやすい街ですか。
「そうだね。ナイジェリアは英国の植民地だったから、最初はUKに向かったけど、そこで仕事をするのは楽じゃなかった。労働許可証とか必要とされたしね。EPは1枚作ったけど、いろんなことがうまくいかず、ここからすぐに出たいと思った。フランスでは契約を取れて、ミュージシャンたちもプロフェッショナルであった。英国は昼間は普通に働いているミュージシャンが多かったけど、フランスはそうではなかった。英国でバンドを持つのは大変だった」
——ブルーノートからアルバムを出すというのは、とうぜん喜びであるんでしょうか。
「もちろんさ。最初にアート・ブレキーを知ったレコードもブルーノートのものだったし、ブルーノートからレコードを出すというのは17歳のころからの夢だった。だから、喜びはある。ブルーノートは僕のやりたいようにやらせてくれるしね。アート・ブレイキーを聞いてきた僕はどんなスタイルでブルーノートでやったらいいかはよく知っているわけだからね。。今、トニー・ウィリアムズのトリビュート作をドン・ワズ(2013年2月15日、2019年6月12日、2019年6月13日、2019年6月14日)から依頼されて作っているよ」
——新作『ザ・ソース』(ブルーノート、2017年)にはデイモン・アルバーン(2003年5月31日)もピアノで入っています。過去ににも彼とはいろいろ絡んでいますし、仲がいいですね。
「彼とは2000年から友達なんだ。アルバムで歌ってと頼んだことがあり、一緒に曲も作っている。そこから友達になり、いろんなプロジェクトをやるようになった」
——新作『 The Seed』(Decca,2018)はジェフ・ミルズ(2017年11月7日、2017年11月10日、2018年11月6日)との連名作ですが、彼とはどういう感じで一緒に?
「彼のマネージャーと僕のマンージャーが話し合って、決めたプロジェクトだ。彼はいろんな機材を使って音を作る人だけど、なんか一緒にやろうとなった。彼は機材を使い、僕はドラム・セットだけど、2、3日かけて、その二つのものをうまく組み合わせたアルバムだね」
——フィランドのクリエイターであるジミ・テナーとも複数の協調アルバムを出していますが、やっぱりいろんな人と好奇心旺盛にコラヴォレートしたいという思いは持っていますよね。
「話があったら、そのプロジェクトに参加する。そして、僕はそのプロジェクトに適切なものを提供する。好きなことなので、僕の性格としてフレキシブルにことにあたるよね。僕はチャレンジするのが好きなんだ。だから、自分がやらないスタイルの音楽であっても、依頼があれば僕は参加するようにしている」
——ところで、(けっこう、いい感じで衣服をまとめているので)お洒落は好きですか?
「ああ、僕はクールだろ。僕って、何かとバランスを取るのが好き。その一方、何かを強要すると言うのが好きではない。それが人生の極意だね」
▶︎過去の、トニー・アレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm
https://43142.diarynote.jp/201901241310023413/
▶過去の、ヒュー・マセケラ
http://43142.diarynote.jp/200507220552110000/
▶︎過去の、ジョー・アーモン・ジョーンズ
https://43142.diarynote.jp/201906050930429178/
▶︎過去の、ドン・ワズ
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
https://43142.diarynote.jp/201906151230594715/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
▶︎過去の、トニー・ウィリアムズへのトリビュート公演
https://43142.diarynote.jp/200812281442184528/
▶過去の、デイモン・アルバーン/ブラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm
▶︎過去の、ジェフ・ミルズ
http://43142.diarynote.jp/201711080729053828/
https://43142.diarynote.jp/201711110810235717/
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R.I.P.ハミルトン・ボハノン(1942年3月7日〜2020年4月24日)
2020年4月26日 音楽 米国ブラック・ミュージックの側面にしっかりと功績を残す、ものすごーく才豊かなクリエイターであるハミルトン・ボハノンの訃報が届いた。生まれた土地であるジョージア州ニューナンには彼の名前を冠した通りがあり、彼は同地で亡くなっている。アトランタにあったクラーク・カレッジで音楽と教育を学び、卒業後は教職についたこともあった。78歳、死因を報じている記事は、ぼくの知る限りない。彼の親は、理髪店をやっていた。
ジミ・ヘンドリックス(同じ年で、ジョージア州時代に一緒にバンドをやったという海外の記載が複数ある。ヘンドリックスが空軍除隊後、一時南部に住んだときのことだろうか?)、リトル・スティーヴィー・ワンダー(1964年に彼は、13歳だったワンダーのバック・バンドにドラマーとして加入。その流れで、モータウンとの関係を強めデトロイトに引っ越し、いろんな同社のアーティストの実演をサポートするバンドを仕切った。2005年11月3日、2010年8月8日、2012年3月5日)、マーヴィン・ゲイ(ドラマーに留まらぬ彼の才能を見抜き、彼の曲を複数取り上げている。『ワッツ・ゴーイン・オン』ではドラマーとしても参加)、カール・デイヴィス(彼はソロ・アーティストとして、シカゴ・ソウルの名士であるデイヴィスが仕切るダカールから、個性的なプロダクツを6作品出す。その後は、マーキュリーから彼は質の高いアルバム群を出した)など、彼の歩みに触れようとすると、ビッグ・ネームを書かなければいけない。
義理堅い敬虔なクリスチャンであったそうで、彼はモータウンがロサンジェルスに移った後も、デトロイトに留まることを選び、その人脈を活用する方向でリーダー活動を持った。それらをさして、ディスコ・ミュージックのオリジネイターという言い方もされる。だが、甘いマスクを持ちつつも過剰に浮つくところがない、インスト部にも多大な妙味を持たせた彼のプロダクツは結構ジャジーでもあり、北の高潔なアイザック・ヘイズなんて、その才をぼくは書き留めたくもなる。
実は、彼の表現をなにげに取り込んでいるのが、1970年代下半期のダンサブル路線を取った際のハービー・ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日、2014年9月7日、2015年9月6日、2016年9月3日、2018年9月1日)。ボハノンの初ソロ『Stop And Go』(Dakar,1973 年)のギター参加者は、ワー・ワー・ワトソン(2005年8月21日、2018年10月27日)とレイ・パーカーJr.(2005年3月8日、2011年5月17日、2012年9月8日、2018年3月28日、2020年1月16日 )のコンビ(ハンコックはその二人を後に重用)。ヴォーカルの使い方(ボハノンは歌わない人だった)からベース・ラインまで、ハンコックの『マン・チャイルド』(Columbia,1975年)らはボハノン表現の要点とけっこう重なる。もしかすると、マーキュリー時代のボハノンの表現は逆にハンコックから刺激を受けて作った部分もあったかもしれない。
1990年代をまわり彼は地元でゆったりした生活を求めたが、ヒップホップ時代になってジェイ・Z(2010年8月7日)やスヌープ・ドッグ(2006年4月2日)他様々な人たちが彼の音をサンプリング使用した。そんな彼は息子と音楽制作を行いもし、自らの初期の歩みを中心とする本も出したようだ。その死に際し、彼の作品群を聞き返し、潮の満ち引きのような気持ちのいい持続性も抱えた彼のグルーヴ・ミュージックのすごさを、ぼくは今再確認している。
▶過去の、スティーヴィー・ワンダー
http://43142.diarynote.jp/200511130015240000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
▶過去の、アイザック・ヘイズ
http://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
▶︎過去の、ワー・ワー・ワトソン
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
https://43142.diarynote.jp/?day=20181027 訃報
▶︎過去の、レイ・パーカーJr.
http://43142.diarynote.jp/200503120546520000/
http://43142.diarynote.jp/201105181052427410/
http://43142.diarynote.jp/201209191209186663/ ジョー・サンプル&ザ・クリオール・ジョー・バンド
https://43142.diarynote.jp/201803290839504415/
https://43142.diarynote.jp/202001181114377911/
▶過去の、ハービー・ハンコック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903/
https://43142.diarynote.jp/201809051532324111/
▶過去の、ジェイ・Z
http://43142.diarynote.jp/201008261617154352/
▶︎過去の、スヌープ・ドッグ
https://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
https://43142.diarynote.jp/201707141126579276/ 彼がちょい出た映画
ジミ・ヘンドリックス(同じ年で、ジョージア州時代に一緒にバンドをやったという海外の記載が複数ある。ヘンドリックスが空軍除隊後、一時南部に住んだときのことだろうか?)、リトル・スティーヴィー・ワンダー(1964年に彼は、13歳だったワンダーのバック・バンドにドラマーとして加入。その流れで、モータウンとの関係を強めデトロイトに引っ越し、いろんな同社のアーティストの実演をサポートするバンドを仕切った。2005年11月3日、2010年8月8日、2012年3月5日)、マーヴィン・ゲイ(ドラマーに留まらぬ彼の才能を見抜き、彼の曲を複数取り上げている。『ワッツ・ゴーイン・オン』ではドラマーとしても参加)、カール・デイヴィス(彼はソロ・アーティストとして、シカゴ・ソウルの名士であるデイヴィスが仕切るダカールから、個性的なプロダクツを6作品出す。その後は、マーキュリーから彼は質の高いアルバム群を出した)など、彼の歩みに触れようとすると、ビッグ・ネームを書かなければいけない。
義理堅い敬虔なクリスチャンであったそうで、彼はモータウンがロサンジェルスに移った後も、デトロイトに留まることを選び、その人脈を活用する方向でリーダー活動を持った。それらをさして、ディスコ・ミュージックのオリジネイターという言い方もされる。だが、甘いマスクを持ちつつも過剰に浮つくところがない、インスト部にも多大な妙味を持たせた彼のプロダクツは結構ジャジーでもあり、北の高潔なアイザック・ヘイズなんて、その才をぼくは書き留めたくもなる。
実は、彼の表現をなにげに取り込んでいるのが、1970年代下半期のダンサブル路線を取った際のハービー・ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日、2014年9月7日、2015年9月6日、2016年9月3日、2018年9月1日)。ボハノンの初ソロ『Stop And Go』(Dakar,1973 年)のギター参加者は、ワー・ワー・ワトソン(2005年8月21日、2018年10月27日)とレイ・パーカーJr.(2005年3月8日、2011年5月17日、2012年9月8日、2018年3月28日、2020年1月16日 )のコンビ(ハンコックはその二人を後に重用)。ヴォーカルの使い方(ボハノンは歌わない人だった)からベース・ラインまで、ハンコックの『マン・チャイルド』(Columbia,1975年)らはボハノン表現の要点とけっこう重なる。もしかすると、マーキュリー時代のボハノンの表現は逆にハンコックから刺激を受けて作った部分もあったかもしれない。
1990年代をまわり彼は地元でゆったりした生活を求めたが、ヒップホップ時代になってジェイ・Z(2010年8月7日)やスヌープ・ドッグ(2006年4月2日)他様々な人たちが彼の音をサンプリング使用した。そんな彼は息子と音楽制作を行いもし、自らの初期の歩みを中心とする本も出したようだ。その死に際し、彼の作品群を聞き返し、潮の満ち引きのような気持ちのいい持続性も抱えた彼のグルーヴ・ミュージックのすごさを、ぼくは今再確認している。
▶過去の、スティーヴィー・ワンダー
http://43142.diarynote.jp/200511130015240000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
▶過去の、アイザック・ヘイズ
http://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
▶︎過去の、ワー・ワー・ワトソン
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
https://43142.diarynote.jp/?day=20181027 訃報
▶︎過去の、レイ・パーカーJr.
http://43142.diarynote.jp/200503120546520000/
http://43142.diarynote.jp/201105181052427410/
http://43142.diarynote.jp/201209191209186663/ ジョー・サンプル&ザ・クリオール・ジョー・バンド
https://43142.diarynote.jp/201803290839504415/
https://43142.diarynote.jp/202001181114377911/
▶過去の、ハービー・ハンコック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903/
https://43142.diarynote.jp/201809051532324111/
▶過去の、ジェイ・Z
http://43142.diarynote.jp/201008261617154352/
▶︎過去の、スヌープ・ドッグ
https://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
https://43142.diarynote.jp/201707141126579276/ 彼がちょい出た映画
R.I.P.イアン・ウィットコム(1935年5月22日〜2020年4月19日)
2020年4月21日 音楽 Covid-19とは無関係ではあるようだが、洒脱才人のイアン・ウィットコムがロサンゼルスで亡くなった。ぼくは彼のことを、レトロ(それはエンターテインという言葉と同義といいたくなるか)な要素をうまく介する、外し傾向にある柔和ポップの名手として認知していた。彼のアルバムの隣には、ダン・ヒックス(2009年5月27日、2010年6月18日)の作品群が置いてある。今だと、アンドリュー・バード(2010年2月3日)は少し近いところがある? なんの経歴も知らず純粋に音を楽しんだだけなので、一切経歴を考えたことはなかったが、訃報記事を見て、恥ずかしながら彼が英国人であるのを初めて知った。
パブリック・スクールに通っているので、おぼっちゃまくん。祖父は映画会社を経営していたという。確かに、写真を見ると上品な顔をしている。大学はトリニティ・カレッジであったので、アヌーナ(2007年12月15日、2009年12月12日、2011年12月7日、2011年12月10日、2014年12月4日、2014年12月6日、2017年2月16日)のマイケル・マクグリンの先輩になりますね。なるほどなあ、彼の表現にはブリティッシュ・ビートぽいかけらが残されているときもあったし、なによりあの俯瞰する感覚は英国人ゆえのことであったかもしれない。
そのトリニティ・カレッジ時代の1965年に「ユー・ターン・ミー・オン(ターン・オン・ソング)」という歌が全米8位を獲得し、同年にはザ・ビーチ・ボーイズと一緒にハリウッド・ボウル公演をしたことがあったという。彼の曲には、ザ・ビーチ・ボーイズ(2014年3月28日)みたいな曲もあるよな。その後、アイルランド/英国と米国を行き来するになり、1970年代に入ると米国に住むようになったのかな。
ミュージシャン(リーダー作は25枚を超え、映画音楽にもいろいろ関わった)、俳優、物書き(音楽書籍だけにとどまらず、小説や美術書も書いているよう。ライナーノーツでグラミー賞をとったこともある)、ラジオのしゃべり手など、いろんなことを飄々とやっていた御仁。10年近く前に脳卒中で倒れ、入院したことはニュースになったと記憶する。妻のレジーナと飼っていた犬はトビーと名付けられていた。
▶︎過去の、ダン・ヒックス
https://43142.diarynote.jp/200906051613277417/
https://43142.diarynote.jp/201006200650338483/
▶︎過去の、アンドリュー・バード
https://43142.diarynote.jp/201002051635443280/
▶過去の、アヌーナ
http://43142.diarynote.jp/200712161423560000/
http://43142.diarynote.jp/201001051620426983/ マクグリンのインタヴュー付き
http://43142.diarynote.jp/201112171633334584/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111210
http://43142.diarynote.jp/201412151250144917/
http://43142.diarynote.jp/201412221527313725/
https://43142.diarynote.jp/201702211429132450/
▶︎過去の、マイク・ラヴ/ザ・ビーチ・ボーイズ
http://43142.diarynote.jp/201403291149242320/
パブリック・スクールに通っているので、おぼっちゃまくん。祖父は映画会社を経営していたという。確かに、写真を見ると上品な顔をしている。大学はトリニティ・カレッジであったので、アヌーナ(2007年12月15日、2009年12月12日、2011年12月7日、2011年12月10日、2014年12月4日、2014年12月6日、2017年2月16日)のマイケル・マクグリンの先輩になりますね。なるほどなあ、彼の表現にはブリティッシュ・ビートぽいかけらが残されているときもあったし、なによりあの俯瞰する感覚は英国人ゆえのことであったかもしれない。
そのトリニティ・カレッジ時代の1965年に「ユー・ターン・ミー・オン(ターン・オン・ソング)」という歌が全米8位を獲得し、同年にはザ・ビーチ・ボーイズと一緒にハリウッド・ボウル公演をしたことがあったという。彼の曲には、ザ・ビーチ・ボーイズ(2014年3月28日)みたいな曲もあるよな。その後、アイルランド/英国と米国を行き来するになり、1970年代に入ると米国に住むようになったのかな。
ミュージシャン(リーダー作は25枚を超え、映画音楽にもいろいろ関わった)、俳優、物書き(音楽書籍だけにとどまらず、小説や美術書も書いているよう。ライナーノーツでグラミー賞をとったこともある)、ラジオのしゃべり手など、いろんなことを飄々とやっていた御仁。10年近く前に脳卒中で倒れ、入院したことはニュースになったと記憶する。妻のレジーナと飼っていた犬はトビーと名付けられていた。
▶︎過去の、ダン・ヒックス
https://43142.diarynote.jp/200906051613277417/
https://43142.diarynote.jp/201006200650338483/
▶︎過去の、アンドリュー・バード
https://43142.diarynote.jp/201002051635443280/
▶過去の、アヌーナ
http://43142.diarynote.jp/200712161423560000/
http://43142.diarynote.jp/201001051620426983/ マクグリンのインタヴュー付き
http://43142.diarynote.jp/201112171633334584/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111210
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http://43142.diarynote.jp/201412221527313725/
https://43142.diarynote.jp/201702211429132450/
▶︎過去の、マイク・ラヴ/ザ・ビーチ・ボーイズ
http://43142.diarynote.jp/201403291149242320/
R.I.P. ジョゼッピ・ローガン(1935年5月22日〜2020年4月17日)、ヘンリー・グライムス(1935年11月3日〜同)、マシュー・セリグマン(1955年7月15日〜同)
2020年4月18日 音楽 1935年フィラデルフィア生まれのフリー・ジャズ界のアフリカ系名士2人が、ともに17日に亡くなった。ニューイングランド音楽院で学んでいるリード奏者のローガンとジュリアード音楽院に通ったダブル・ベース奏者であるグライムス、両者とも初リーダー作は1960年代中期にESPからリリースしている。二人の死因を報じているメディアはなく、ローガンは介護施設で息を引き取ったようだ。両者とも1970年前後に行方知れず〜ずっと引退状態となり、周りの助けでシーンに戻ってきたというキャリアを持っている。ローガンは晩年また不遇だった。1958年ニューポート・ジャズ祭の記録映画「真夏の夜のジャズ」においてセロニアス・モンク・トリオの一員として出ているグライムスは70歳近くからはヴァイオリンも弾くようになり、晩年は本を出し、記録映画も作られたよう。意外なところでは、マーク・リーボウ(2001年1月19日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年8月4日、2014年7月28日、2017年5月18日、2018年7月24日)と彼とチャド・テイラー(2005年7月2日)とのトリオ作『Live at the Village Vanguard』(PI、2014年)なんてのもありましたね。
また、英国ニュー・ウィエイヴ流れの名セッション・ベーシストのセリグマン(2012年2月18日)は、Covid-19に感染してロンドンの病院で逝去。トンプソン・ツインズ(これは、メンバーだったのかな?)からシニード・オコナーまで、参加作は山ほど。数年間は仙台に住んでいたハンサムでしなやかな御仁であり、ロンドンっ子である彼はフラムFCの応援者だった。
▶︎過去の、マーク・リーボウ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
http://43142.diarynote.jp/201408051026553769/
http://43142.diarynote.jp/201705191100017980/
https://43142.diarynote.jp/201807260047172162/
▶︎過去の、チャド・テイラー
https://43142.diarynote.jp/200507031045250000/
▶︎過去の、マシュー・セリグマン
https://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
▶︎過去の、トム・ベイリー/トンプソン・ツインズ
https://43142.diarynote.jp/201412031621332692/
また、英国ニュー・ウィエイヴ流れの名セッション・ベーシストのセリグマン(2012年2月18日)は、Covid-19に感染してロンドンの病院で逝去。トンプソン・ツインズ(これは、メンバーだったのかな?)からシニード・オコナーまで、参加作は山ほど。数年間は仙台に住んでいたハンサムでしなやかな御仁であり、ロンドンっ子である彼はフラムFCの応援者だった。
▶︎過去の、マーク・リーボウ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
http://43142.diarynote.jp/201408051026553769/
http://43142.diarynote.jp/201705191100017980/
https://43142.diarynote.jp/201807260047172162/
▶︎過去の、チャド・テイラー
https://43142.diarynote.jp/200507031045250000/
▶︎過去の、マシュー・セリグマン
https://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
▶︎過去の、トム・ベイリー/トンプソン・ツインズ
https://43142.diarynote.jp/201412031621332692/
R.I.P. リー・コニッツ(1927年10月13日〜2020年4月15日)
2020年4月15日 音楽 シカゴにユダヤ系移民の両親のもと生まれ、ニューヨークでCovid-19の診断後に死す。享年、92歳。最初はスウィング・ジャズを愛好しクラリネットをはじめ、最終的にはアルト・サックスに落ち着いた。コニッツと言えば、何はなくともレニー・トリスターノとの出会いを書き留めなくてはならず、彼流れのクール・ジャズ〜白人系飛躍の大きな体現者として様々な表現を送り出した。得難い、素晴らしく閃きと味のある名手、どうぞ安らかに……。あなたは、今後も多大な示唆を残す宿題をたくさん残しました。
▶︎過去の、リー・コニッツ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130907
https://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
▶︎過去の、リー・コニッツ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130907
https://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
R.I.P.ハル・ウィルナー(1956年4月5日〜2020年4月6日)
2020年4月7日 音楽 在ニューヨークの唯一無二の音楽プロデューサー/キュレイターである、ハル・ウィルナーが新型肺炎の合併症で、誕生日の翌日に夭折した。
アトランティックでジャズやソウルのプロデュースをいろいろと行い、その後自己レーベルの32ジャズ他を持ちつつフリーで活動したジョエル・ドーンのアシスタント(1970年代末のこと)を経て業界入り。一時はタクシーの運転手などもして、生計を立てたこともあったという。ウィルナーと言えば、なんと言ってもジャズからロックまで鬼のように幅広い個性派/実力派ミュージシャンを把握し扱うことで知られたが、その人脈は人気TV番組「サタデー・ナイト・ライヴ」の音楽作りに関わることで得たという。
ニーノ・ロータ、セロニアス・モンク、クルト・ワイル、ディズニー音楽、チャールズ・ミンガスなどをテーマに起き、様々なミュージシャンが自由に創造性を発揮したトラック(そこで畑違いのミュージシャンが一緒にやったりするのも魅力的だった)を出し合うコンピレーション群には本当に痺れました。もちろん、マリアンヌ・フェイスフルやティム・ロビンス(2011年8月10日)他、個人のアルバム制作にも関わったし、個性的なコンサート/イヴェント企画もいろいろ作ったいう。
そんな彼には、1990年代前半に一度インタヴューしたことがあった。三宅純(2012年6月30日、2016年11月10日、2016年11月16日、2018年11月25日)の『星ノ玉ノ緒』(1993年)のリリースに際し、ソニーがそのプロデューサーを務めたウィルナーをプロモーションで呼んだとき。そのA&Rは同社洋楽のMさんだったかな? 午後、インタヴューの場に行くと、ウィルナーは目がトローンとしていてヘロヘロ。聞けば、ちょうど来日中だったU2(2006年12月4日)のボーノから会おうよと連絡があり、朝まで飲んじゃって二日酔いなのだという。ぼくは、二日酔いには寛大だ。
ハル・ウィルナーとキップ・ハンラハン(2000年1月12日、2001年5月15日、2011年12月8日)のお二人こそは、ぼくにとって音楽制作の無限の作法と愉悦を伝える際たる存在だった。
▶︎過去の、ティム・ロビンス
https://43142.diarynote.jp/201108101642342395/
▶︎過去の、三宅純
http://43142.diarynote.jp/201207031354181031/
http://43142.diarynote.jp/201611111651363466/
https://43142.diarynote.jp/201611171021419374/
https://43142.diarynote.jp/201811261330313740/
▶過去の、U2
http://43142.diarynote.jp/200612070141170000/
▶過去の、キップ・ハンラハン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
アトランティックでジャズやソウルのプロデュースをいろいろと行い、その後自己レーベルの32ジャズ他を持ちつつフリーで活動したジョエル・ドーンのアシスタント(1970年代末のこと)を経て業界入り。一時はタクシーの運転手などもして、生計を立てたこともあったという。ウィルナーと言えば、なんと言ってもジャズからロックまで鬼のように幅広い個性派/実力派ミュージシャンを把握し扱うことで知られたが、その人脈は人気TV番組「サタデー・ナイト・ライヴ」の音楽作りに関わることで得たという。
ニーノ・ロータ、セロニアス・モンク、クルト・ワイル、ディズニー音楽、チャールズ・ミンガスなどをテーマに起き、様々なミュージシャンが自由に創造性を発揮したトラック(そこで畑違いのミュージシャンが一緒にやったりするのも魅力的だった)を出し合うコンピレーション群には本当に痺れました。もちろん、マリアンヌ・フェイスフルやティム・ロビンス(2011年8月10日)他、個人のアルバム制作にも関わったし、個性的なコンサート/イヴェント企画もいろいろ作ったいう。
そんな彼には、1990年代前半に一度インタヴューしたことがあった。三宅純(2012年6月30日、2016年11月10日、2016年11月16日、2018年11月25日)の『星ノ玉ノ緒』(1993年)のリリースに際し、ソニーがそのプロデューサーを務めたウィルナーをプロモーションで呼んだとき。そのA&Rは同社洋楽のMさんだったかな? 午後、インタヴューの場に行くと、ウィルナーは目がトローンとしていてヘロヘロ。聞けば、ちょうど来日中だったU2(2006年12月4日)のボーノから会おうよと連絡があり、朝まで飲んじゃって二日酔いなのだという。ぼくは、二日酔いには寛大だ。
ハル・ウィルナーとキップ・ハンラハン(2000年1月12日、2001年5月15日、2011年12月8日)のお二人こそは、ぼくにとって音楽制作の無限の作法と愉悦を伝える際たる存在だった。
▶︎過去の、ティム・ロビンス
https://43142.diarynote.jp/201108101642342395/
▶︎過去の、三宅純
http://43142.diarynote.jp/201207031354181031/
http://43142.diarynote.jp/201611111651363466/
https://43142.diarynote.jp/201611171021419374/
https://43142.diarynote.jp/201811261330313740/
▶過去の、U2
http://43142.diarynote.jp/200612070141170000/
▶過去の、キップ・ハンラハン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
尖ったものから柔和なやつまでいろんなことをやっていた、ニューヨーク生まれで同所を拠点としていたピアニスト/キーボーディストのオナージ・アラン・ガムスがお亡くなりになった。死因は発表されていない。
初期の大きな仕事は1970年代初頭、ピアニストに厳しいシンガーのベティ・カーターのグループ。大西順子(1999年10月9日、2007年9月7日、2010年9月30日、2010年12月22日、2011年2月25日、2011年8月6日、2015年9月6日、2018年2月8日、2019年2月17日)もバークリーを出たあとNYに移ったさい、雇われてとってももまれたと言っていた。
その後、ウディ・ショウやセシル・マクビー(1999年11月10日、2018年11月2日)ら硬派からロイ・エアーズ(2000年3月23日、2002年8月11日2004年3月10日2008年7月10日、2014年7月19日、2016年2月12日、2017年10月8日)やノーマン・コナーズなどの柔軟なソウル取り込み派まで、様々なレコーディングに関与。チェンジやジョー(2012年11月1日、2015年1月20日)など、ソウル系のレコーディングにも彼は関与した。そんなガムスをぼくが認知したのは、1980年代に入って彼がロナルド・シャノン・ジャクソンのザ・デコーディング・ソサエティに入ったから。彼は、10年近くそこに在籍したのではないか。
そして、少し彼に注意を向けたら、『Onaje』という瑞々しいピアノ・ソロ作を欧州の優良穏健ジャズ・レーベルであるスティープル・チェイスからリリースしていてびっくり。1990年代初頭にはMCA傘下のゼブラから2枚のリーダー作を出しているが、そちらはフュージョン/スムース・ジャズ系の内容。打ち込み度数が高い2枚目の『Dear to Dream』にはザ・ファミリー・スタンドのV.ジェフリー・スミスが補助プロデューサーとして入り、ジェフ・リー・ジョンソン(2004年10月28日、2012年9月9日。その訃報に触れているのは、2013年1月30日)もレコーディングに参加していた。
それ以降のアルバムはまた基本アコースティックなものになったはずだが、渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日、2017年10月8日、2017年12月16日、2018年5月28日、2018年9月2日、2018年10月6日、2018年12月15日、2019年8月6日、2019年11月12日、2019年12月15日)のレコーディング/ライヴに参加したこともあって、逆に 渡辺がゲストとして入ったアルバムもあったはず。
オナージ・アラン・ガムスには、1990年前後に1度インタヴューしたことがあった。もちろんザ・デコーディング・ソサエティに参加していたからだが、穏健な好人物だった。誰かのサポートでブルーノート東京に出たときに会ったんだけど、主役は誰だかはとんと思い出せない。
スタンリー・クラーク(2008年9月8日、2010年12月3日、2012年12月5日、2015年9月30日、2020年1月5日)は、Have Glorious Travelと追悼。H.G.T.……。
▶過去の、大西順子
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200709131138020000/
http://43142.diarynote.jp/201010030952428017/
http://43142.diarynote.jp/201012241100592422/
http://43142.diarynote.jp/201102261254532443/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110806
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
https://43142.diarynote.jp/201802091845433242/
https://43142.diarynote.jp/201902181354161728/
https://43142.diarynote.jp/201712201609098430/ カーター時代の大西の思い出を記した項
▶︎過去の、セシル・マクビー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
https://43142.diarynote.jp/201811031304537727/
▶過去の、ロイ・エアーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200403101442170000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080710
http://43142.diarynote.jp/201407221705302936/
http://43142.diarynote.jp/201602161249535545/
https://43142.diarynote.jp/201710121700178187/
▶過去の、ジョー
http://43142.diarynote.jp/201211151031072337/
https://43142.diarynote.jp/201501210901575140/
▶︎過去の、ロナルド・シャノン・ジャクソン
https://43142.diarynote.jp/201310210730403296/ R.I.P.
▶︎過去の、ジェフ・リー・ジョンソン
http://43142.diarynote.jp/?day=20041028
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/ エスペランサ
http://43142.diarynote.jp/201301311053069360/ R.I.P.
▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 6日
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000/
http://43142.diarynote.jp/200610080946310000/
http://43142.diarynote.jp/200712171350530000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200907310048137248/
http://43142.diarynote.jp/200909120646397236/
http://43142.diarynote.jp/201107111008176019/
http://43142.diarynote.jp/201207031353196616/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201304031026406106/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
http://43142.diarynote.jp/201310050701201281/
http://43142.diarynote.jp/201407091243129270/
http://43142.diarynote.jp/201410061850124929/
http://43142.diarynote.jp/201412281017371613/
http://43142.diarynote.jp/201512151504068292/
http://43142.diarynote.jp/201607100827363436/
http://43142.diarynote.jp/201609201032322395/
http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/
http://43142.diarynote.jp/201612171245154424/
http://43142.diarynote.jp/201710121700178187/
http://43142.diarynote.jp/201712181015052794/
http://43142.diarynote.jp/201805290906425481/
http://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
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https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
https://43142.diarynote.jp/201812201004266842/
https://43142.diarynote.jp/201908071557182844/
https://43142.diarynote.jp/201912161054076351/
▶︎過去の、スタンリー・クラーク
http://43142.diarynote.jp/?day=20080908
http://43142.diarynote.jp/201012051906481605/
http://43142.diarynote.jp/201212131141531884/
https://43142.diarynote.jp/201510021221454336/
https://43142.diarynote.jp/202001060957069830/
初期の大きな仕事は1970年代初頭、ピアニストに厳しいシンガーのベティ・カーターのグループ。大西順子(1999年10月9日、2007年9月7日、2010年9月30日、2010年12月22日、2011年2月25日、2011年8月6日、2015年9月6日、2018年2月8日、2019年2月17日)もバークリーを出たあとNYに移ったさい、雇われてとってももまれたと言っていた。
その後、ウディ・ショウやセシル・マクビー(1999年11月10日、2018年11月2日)ら硬派からロイ・エアーズ(2000年3月23日、2002年8月11日2004年3月10日2008年7月10日、2014年7月19日、2016年2月12日、2017年10月8日)やノーマン・コナーズなどの柔軟なソウル取り込み派まで、様々なレコーディングに関与。チェンジやジョー(2012年11月1日、2015年1月20日)など、ソウル系のレコーディングにも彼は関与した。そんなガムスをぼくが認知したのは、1980年代に入って彼がロナルド・シャノン・ジャクソンのザ・デコーディング・ソサエティに入ったから。彼は、10年近くそこに在籍したのではないか。
そして、少し彼に注意を向けたら、『Onaje』という瑞々しいピアノ・ソロ作を欧州の優良穏健ジャズ・レーベルであるスティープル・チェイスからリリースしていてびっくり。1990年代初頭にはMCA傘下のゼブラから2枚のリーダー作を出しているが、そちらはフュージョン/スムース・ジャズ系の内容。打ち込み度数が高い2枚目の『Dear to Dream』にはザ・ファミリー・スタンドのV.ジェフリー・スミスが補助プロデューサーとして入り、ジェフ・リー・ジョンソン(2004年10月28日、2012年9月9日。その訃報に触れているのは、2013年1月30日)もレコーディングに参加していた。
それ以降のアルバムはまた基本アコースティックなものになったはずだが、渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日、2017年10月8日、2017年12月16日、2018年5月28日、2018年9月2日、2018年10月6日、2018年12月15日、2019年8月6日、2019年11月12日、2019年12月15日)のレコーディング/ライヴに参加したこともあって、逆に 渡辺がゲストとして入ったアルバムもあったはず。
オナージ・アラン・ガムスには、1990年前後に1度インタヴューしたことがあった。もちろんザ・デコーディング・ソサエティに参加していたからだが、穏健な好人物だった。誰かのサポートでブルーノート東京に出たときに会ったんだけど、主役は誰だかはとんと思い出せない。
スタンリー・クラーク(2008年9月8日、2010年12月3日、2012年12月5日、2015年9月30日、2020年1月5日)は、Have Glorious Travelと追悼。H.G.T.……。
▶過去の、大西順子
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200709131138020000/
http://43142.diarynote.jp/201010030952428017/
http://43142.diarynote.jp/201012241100592422/
http://43142.diarynote.jp/201102261254532443/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110806
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
https://43142.diarynote.jp/201802091845433242/
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https://43142.diarynote.jp/201712201609098430/ カーター時代の大西の思い出を記した項
▶︎過去の、セシル・マクビー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
https://43142.diarynote.jp/201811031304537727/
▶過去の、ロイ・エアーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200403101442170000/
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▶過去の、ジョー
http://43142.diarynote.jp/201211151031072337/
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▶︎過去の、ロナルド・シャノン・ジャクソン
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▶︎過去の、ジェフ・リー・ジョンソン
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▶過去の、渡辺貞夫
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http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 6日
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http://43142.diarynote.jp/200610080946310000/
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http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200907310048137248/
http://43142.diarynote.jp/200909120646397236/
http://43142.diarynote.jp/201107111008176019/
http://43142.diarynote.jp/201207031353196616/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201304031026406106/
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http://43142.diarynote.jp/201310050701201281/
http://43142.diarynote.jp/201407091243129270/
http://43142.diarynote.jp/201410061850124929/
http://43142.diarynote.jp/201412281017371613/
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▶︎過去の、スタンリー・クラーク
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R.I.P.ビル・ウィザース(1938年7月4日 〜2020年3月30日)
2020年4月3日 音楽 秀でたソングライターでもあった、ビル・ウィザースがLAでお亡くなりになったとの報が。死因は心臓疾患の合併症とのこと、あちらの記事にはCOVID-19の文字は見当たらない。ブルースやファンク好きだったぼくが、アフリカン・アメリカンの都市生活者の気概を宿したそのフォーキィ調表現(途中から、よりメロウになる)をちゃんと聞くようになったのは物書きになってからだった。が、それも肌触りがいいのに規格外であった彼の真価ゆえ? 彼の名前をちゃんと意識したのは、「リーン・オン・ミー」を取り上げたクラブ・ヌーヴォー曲がヒットしてから? 近年日本では、ピーター・バラカンのライヴ・マジックで1973年名作『ライヴ・アット・カーネギー・ホール』(コロムビア)を披露する集団の実演があったり、カヴァー・アルバムを出したホセ・ジェイムズがその流れのショウを披露している。また、デビュー時からその影響を感じさせていたアンソニー・デイヴィッドも『Hello Like Before: The Songs of Bill Withers』(Shanachie、2018)を出したりと、近年またウィザース再評価が進んでいる感じもあった。当然のことながら、様々な人が追悼コメントを捧げている。意外なところでは、ECMからアルバムを出しているスザンヌ・アヴュール(2016年5月14日)も出しているのには少し驚いた。彼ならではのメロディと滋味は、世界中のいろんな人に届いていた……。
▶︎過去の、ビル・ウィザースの娘さん
https://43142.diarynote.jp/201310301217408539/ ブッカー・T・ジョーンズと来日したコリ・ウィザース
▶︎過去の、ウィザース絡みの、他者による来日公演
https://43142.diarynote.jp/201710240958114009/
https://43142.diarynote.jp/201811021046075049/
▶︎過去の、スザンヌ・アビュール
https://43142.diarynote.jp/201605240830291122/
▶︎過去の、ビル・ウィザースの娘さん
https://43142.diarynote.jp/201310301217408539/ ブッカー・T・ジョーンズと来日したコリ・ウィザース
▶︎過去の、ウィザース絡みの、他者による来日公演
https://43142.diarynote.jp/201710240958114009/
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▶︎過去の、スザンヌ・アビュール
https://43142.diarynote.jp/201605240830291122/
R.I.P.エリス・マルサリス(1934年11月14日〜2020年4月1日)、 アダム・シュレシンジャー(1967年10月31日〜同)、クリスティーナ(1959年1月2日〜同)
2020年4月1日 音楽ニューオーリンズのジャズ教育のゴッドファーザー的存在でもあった、滋味に富むピアニストであるエリスが新型肺炎で夭折した。ブランフォード、ウィントン、デルフィーヨ、ジェイソンの父親でもありますね。ぼくは息子はジャズ業界に関わっている4人かと思っていたが、他にエリス3世と五男のムボヤ・キンヤッタがいた。三男は詩や写真の道に進んだよう。ニューオーリンズに生まれ、ニューオーリンズに死す。父親のエリス・シニアはもともと社会活動の先駆的存在でビジネスの面でも成功した人であった。
▶︎過去の、エリス・マルサリス
https://43142.diarynote.jp/201209191209186663/
▶︎彼の教え子たち
+ブランフォード・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/201003101340038868/
http://43142.diarynote.jp/201010221631583852/
+ウィントン・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
https://43142.diarynote.jp/201905290952324516/
+ジェイソン・マルサリス
https://43142.diarynote.jp/200911041456131366/
+ドナルド・ハリソン
http://43142.diarynote.jp/201408260930269988/
http://43142.diarynote.jp/201508231007506736/
+テレンス・ブランチャード
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm 3日
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/200903271727246000/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
https://43142.diarynote.jp/201903050842467108/ 映画音楽
+ハリー・コニックJr.
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
+︎ニコラス・ペイトン
http://43142.diarynote.jp/201007261045442770/
ファウンテンズ・オブ・ウェインのベーシストであり、ティンテッド・ウィンドウズら複数のバンドにも関与していたアダム・シュレシンジャーがこのウィルス禍のおり、ニューヨークの病院でお亡くなりになった。秀でたソング・ライターでもあった彼は映画やTVなどにも音楽を提供しており、CBSも出資するCWテレヴィネットワークの4シーズン作られた(2015年秋に始まり、2019年春に終了した)ミュージカル・コメディ「Crazy Ex-Girlfriend」への音楽関与でエミー賞を受賞している。また、楽曲作りを担当した俳優/コメディアンのスティーヴン・コルバートのTV番組絡みの『A Colbert Christmas: The Greatest Gift of All!』(Comedy Central、2008年。エルヴィス・コルテロやウィリー・ネルソンラ、ジョン・レジェンドらも歌う)はグラミー賞の<ベスト・コメディ・アルバム>を受賞している。
▶︎過去の、アダム・シュレシンジャー
https://43142.diarynote.jp/201001201250553549/ ファヌンテインズ・オグ・ウェイン
https://43142.diarynote.jp/201001161303465627/ ティンテッド・ウィンドウズ
また、追ってZEレコードが送り出したシンガーのクリスティーナ(・モネ・ジルカ)の死の報も入ってきた。ディスコをニュー・ウェイヴ/NYスキゾ感覚を介して換骨奪胎したような表現はジョン・ケールからオーガスト・ダーネル、ドン・ワズまで制作に関与。のちに、カルト的な再評価も受けた。
▶︎過去の、エリス・マルサリス
https://43142.diarynote.jp/201209191209186663/
▶︎彼の教え子たち
+ブランフォード・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/201003101340038868/
http://43142.diarynote.jp/201010221631583852/
+ウィントン・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
https://43142.diarynote.jp/201905290952324516/
+ジェイソン・マルサリス
https://43142.diarynote.jp/200911041456131366/
+ドナルド・ハリソン
http://43142.diarynote.jp/201408260930269988/
http://43142.diarynote.jp/201508231007506736/
+テレンス・ブランチャード
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm 3日
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/200903271727246000/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
https://43142.diarynote.jp/201903050842467108/ 映画音楽
+ハリー・コニックJr.
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
+︎ニコラス・ペイトン
http://43142.diarynote.jp/201007261045442770/
ファウンテンズ・オブ・ウェインのベーシストであり、ティンテッド・ウィンドウズら複数のバンドにも関与していたアダム・シュレシンジャーがこのウィルス禍のおり、ニューヨークの病院でお亡くなりになった。秀でたソング・ライターでもあった彼は映画やTVなどにも音楽を提供しており、CBSも出資するCWテレヴィネットワークの4シーズン作られた(2015年秋に始まり、2019年春に終了した)ミュージカル・コメディ「Crazy Ex-Girlfriend」への音楽関与でエミー賞を受賞している。また、楽曲作りを担当した俳優/コメディアンのスティーヴン・コルバートのTV番組絡みの『A Colbert Christmas: The Greatest Gift of All!』(Comedy Central、2008年。エルヴィス・コルテロやウィリー・ネルソンラ、ジョン・レジェンドらも歌う)はグラミー賞の<ベスト・コメディ・アルバム>を受賞している。
▶︎過去の、アダム・シュレシンジャー
https://43142.diarynote.jp/201001201250553549/ ファヌンテインズ・オグ・ウェイン
https://43142.diarynote.jp/201001161303465627/ ティンテッド・ウィンドウズ
また、追ってZEレコードが送り出したシンガーのクリスティーナ(・モネ・ジルカ)の死の報も入ってきた。ディスコをニュー・ウェイヴ/NYスキゾ感覚を介して換骨奪胎したような表現はジョン・ケールからオーガスト・ダーネル、ドン・ワズまで制作に関与。のちに、カルト的な再評価も受けた。
R.I.P.ウォレス・ルーニー(1960年5月25日〜2020年3月31日)
2020年3月31日 音楽新型肺炎のため、ニュージャージー州パターソンの病院にて死去。まだ50代であった。おそらく、進歩的なピアニストである故ジェリ・アレン(2004年11月3日)とは別れていなかったと思うが。リンクを見てもらえば分かるかと思うが、ぼくは彼のことを評価していなかった。こういう場合はきっぱり書いているのが、少し辛い。だが、自分の責任において、自らの見解を示すのがぼくの仕事だ。どうぞ、天国で真っ先にデイヴィスさんと会ってください。
▶︎過去の、ウォレス・ルーニー
http://43142.diarynote.jp/200411071405440000/ ジュリ・アレンも同行。
http://43142.diarynote.jp/201303110415585115/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903
▶︎パターソンンを舞台にした、ジャームッシュの映画
https://43142.diarynote.jp/201707080859335054/
▶︎過去の、ウォレス・ルーニー
http://43142.diarynote.jp/200411071405440000/ ジュリ・アレンも同行。
http://43142.diarynote.jp/201303110415585115/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903
▶︎パターソンンを舞台にした、ジャームッシュの映画
https://43142.diarynote.jp/201707080859335054/
R.I.P.アラン・メリル(1951年2月19日〜2020年3月29日)
2020年3月29日 音楽https://43142.diarynote.jp/200507161353300000/
これから、新型肺炎禍のなか、こういう投稿をしないですむことを祈る。しかし、89歳の御母堂の気持ちを考えると、、、、。
これから、新型肺炎禍のなか、こういう投稿をしないですむことを祈る。しかし、89歳の御母堂の気持ちを考えると、、、、。
渋谷・ショーゲート試写室で、2017年カナダ映画を見る。もう、いろんな思いを得まくり。いやあ、これは驚いた。こんな素晴らしいドキュメンタリー映画があったとは。あらゆるジャンルの米国音楽愛好家は見る価値があるのではないか。5月に入ると、恵比寿の東京都写真美術館で公開される(延期→8月7日から、渋谷・シネクイント他で公開)。
表題は、1958年のリンク・レイのインスト曲の名前。ギターのフィード・バック音や爽快なパワー・コードを採用したその曲は5年は先を行った楽曲で、元祖ガレージといった感じでザ・フー(2008年11月17日)のピート・タウンゼントやMC5 のウェイン・クレイマー(2004年5月31日)をはじめ、この曲や彼の奏法を評価する人は少なくない。その曲名を知らなくても、曲が流ればああ聞いたことがあるという人もいるはず。グレイトフル・デッドも取り上げていたし、近年ではビル・フリゼールが『Guitar In The Space Age!』(オーケイ。2014年)でこの曲をカヴァーしていますね。というのはともかく、その扇情性は若者を非行に走らせるという理由で、当時アメリカでは歌詞がないにも関わらず放送禁止となったそう。その事実は、今となってはこの曲の革新性を指し示す輝かしいエピソードとなるが、その裏にはリンク・レイがネイティヴ・アメリカンであり、米国に彼らへの根深い差別があったことも重ねられる。
この映画の原題は、「Rumble:The Indians Who Rocked The World」。そう、米国音楽界で異彩を放ったネイティヴ・アメリカン血筋の音楽家たちの活動に焦点をあてた内容を持つ。リンク・レイという音楽家の歩みを追いながら問題提起/事実確認を促す映画であるのかと思ったが、リンク・レイはとっかかりのアーティストにすぎず、ネイティヴ・アメリカンの出自を持つ、新旧各ジャンルの著名人がいろいろ紹介される。カントリー・ブルース・マンのチャーリー・パットン、初期ジャズ・シンガーのミルドレッド・ベイリー、ジミ・ヘンドリックス(妹のジェニー・ヘンドリックスって、若く見えるんだなあ)、ニューオーリンズのトライヴ・ミュージック、スワンプ・ロッカーのジェシ・エドウィン・デイヴィス、フォーク・シンガーのバフィー・セイント・マリー、リアノン・ギデンズ(2016年3月15日)、ロビー・ロバートソン/ザ・バンド、スティーヴィ・サラス、オジー・オズボーン・バンドやモトリー・クルーのドラマーだったランディ・カスティロ、ブラック・アイド・ピーズ(2001年2月7日、2004年2月11日)のタブー、など。
証言者はジョージ・クリントン(2002年7月28日、2009年9月5日、2011年1月22日、2013年4月12日、2015年4月12日、2016年11月29日)やトニー・べネット(2013年9月4日)、マーティン・スコセッシら様々。そのやり口は通常のドキュメンタリー映画のそれだが、なぜかいい話してるなあと思わせるものが多い。というか、えーそうだったのという事実や話が出てきて〜場合によっては、ネイティヴ・アメリカン因子がその音楽性にどう活きているかということにも言及される〜、もう頷きっぱなし。まさかカナダ人のロビー・ロバートソンがそっちの血をひいているとは思わなかったし、ヘンドリックス(その出自は、ボヘミアン感覚とも繋がるファッションにも現れる。映画は、ウッドストック期においてインディアン調ファションが好まれていたことにも触れる)やジェシ・エド・デイヴィス(彼の1970年アトコ発のセルフ・タイトルのデビュー作はもろに出自を強調したものだった。彼を雇っていたタージ・マハール〜2000年10月12日、2007年4月6日〜のストーンズ〜2003年3月15日〜との話はめちゃ興味深い)らはネイティヴ・アメリカンの血筋であるのは知っていたが、ことさらその事実を掘り下げて深く考えたことはなかったし、先のロバートソンをはじめ、そのルーツをここで初めて知るアーティストも多かった。リンク・レイもまた同様で、彼は純ロック期になってからもいろいろリーダー作を出し続けており、その何作かを聞いたぼくは彼のことを味のあるシンガー・ソングライターだとばかり思っていた。
先に、フラワー・ムーヴメント期に一部ネイティヴ・アメリカンの風俗が認められていたことに触れたが、基本としては、先住民を迫害し端っこにおいやった白いアメリカの負の歴史をないものとするかのように、ネイティヴ・アメリカンは否定されてきたことも映画は語る。ニューオーリンズ・ミュージック大好きと言いながら、ニューオーリンズのマルディグラ・インディアンは、ネイティヴ・アメリカンの女性(男性は、奴隷の逆の流れでアフリカに送られもしたという)とアフリカから来た奴隷男性がくっつけられた先に生まれたというのは、恥ずかしながら、ぼくは初めて知った。なるほど、両者の羽の飾りは重なる。
とかなんとか、もう頷きまくり、啓発も多々される。実はこの映画のエグゼクティヴ・プロデューサーはネイティヴ・アメリカン筋にいる二人が勤めていて、うち一人はアパッチ族の血を引くスティーヴィー・サラス(2004年7月29日、2004年8月3日、2004年8月27日、2004年9月1日、2006年9月24日)。かつてよく取材したことがあり、彼は本当にチャラチャラしたパーティ大好きの人物。いつだったか、「俺のビーチ・ハウスで女友達が死体で発見されて、もー大変。俺が犯人じゃないというのはすぐに証明されたんだけど、スキャンダルを追うメディアの格好のエジキになっちゃったよー。でも、こんな俺でも成長しているところはあって、今ネイティヴ・アメリカンの歴史を見直し、その音楽を活かしたことをやろうともしている」なんて、だいぶ前に言っていたことがあった。映画ででしゃばるところともなく、本当にいい仕事をしたなあ!
監督はカナダ人のキャサリン・ベインブリッジと、アルフォンソ・マイオラナ。ベインブリッジはカナディアン・アボリジニに焦点を当てたドキュメンタリーを作っている。字幕は、レッド・ゼペリン(レッド・ツェッペリン)をはじめ、通常使われているカタカナ人名表記と違い、少し字幕を追うと困惑する場合もある。そしたら、その監修がピーター・バラカンで納得。
追記)
オーネット・コールマン(2006年3月27日)の『Skies of America』(Columbia,1972年)はロンドン交響楽団を起用し英国EMIスタジオで録音された、当人が作曲/編曲を担当した幽玄なオーケストラ作だ。それ、1998年に東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団を介して、日本でコールマンとともに再演されたこともあった。その着想は、当時ネイティヴ・アメリカンの保護地区に身を寄せていたムーンドッグをコールマンが尋ねた際に得ている。コールマンは、そのライナー・ノーツで、政治、人種、性別の問題をはじめ、アメリカの空ぐらい激しい変化を見せてきた国もないとしたうえで、「いつになったら、かつてはアメリカの空の恵みを受けていたネイティヴ・アメリカンに思いを向けるのか」と記している。
▶︎過去の、ザ・フー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm ジョン・エントウィッスル 2001年11月9日
https://43142.diarynote.jp/200810010211566772/ 映画
https://43142.diarynote.jp/200811201240456237/
▶︎過去の、ウェイン・クレイマー
https://43142.diarynote.jp/200406100011020000/
▶︎過去の、ジョージ・クリントン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm 触れていないが、フジ・ロック
http://43142.diarynote.jp/?day=20090905
http://43142.diarynote.jp/201102081256005311/
http://43142.diarynote.jp/201304150853287353/
http://43142.diarynote.jp/201504131109395934/
https://43142.diarynote.jp/201612011925201175/
https://43142.diarynote.jp/201905010724461038/
▶︎過去の、トニー・ベネット
https://43142.diarynote.jp/201309121653282289/
▶︎過去の、リアノン・ギデンズ
https://43142.diarynote.jp/?day=20160315
▶︎過去の、ブラック・アイド・ピーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
https://43142.diarynote.jp/200402112351230000/
▶︎ロビー・ロバートソン抜きの、ザ・バンド関連公演
https://43142.diarynote.jp/201204221307297965/ リヴォン・ヘルム訃報(最後のほう)
https://43142.diarynote.jp/201308110826574632/ ガース・ハドソン
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/ ザ・ウェイト・バンド
▶︎過去の、タージ・マハール
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
▶︎過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月13日(バック・バンド)。15日
https://43142.diarynote.jp/201904200941516964/ 展覧会
▶︎過去の、マルディグラ・インディアンのグループであるザ・ワイルド・マグノリアス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
https://43142.diarynote.jp/200702112125550000/
▶︎︎過去の、スティーヴィー・サラス
http://43142.diarynote.jp/200407290730290000/
http://43142.diarynote.jp/200408030059330000/
http://43142.diarynote.jp/200705181808030000/
https://43142.diarynote.jp/201704031701236564/
▶︎過去の、アボリジニ差別を介する、2012年豪州音楽映画(最後のほう)
https://43142.diarynote.jp/201803161514432320/
▶︎過去の、ピーター・バラカンの英語カタカナ表記に触れた項(最後のほう)
https://43142.diarynote.jp/201503241654351156/
▶︎過去の、オーネット・コールマン
http://43142.diarynote.jp/200603281335030000/
<今日の、残念。そして……>
横浜で予定されていた、アルゼンチンのトラッド系シンガー/ギタリストのミルタ・アルバレスの公演を見に行こうと思っていたのが、昨日の都知事の新型肺炎注意喚起の会見もあってか、急遽中止となった。オリンピック延期が決まった途端にここぞとばかりしゃしゃり出てきやがったが、10日は遅くない? まったく、ダメな為政者ばかり。ま、それで、大感激の映画をこの日見ることになったのだが。アルバレスは2月から地道に日本をツアーしているが、今はアルゼンチンに戻れなくなっているとも聞く。名古屋と茨城公演はまだあるよう。しかし、中止を聞いて、訪日アーティストの公演はかなりのあいだ見れなくなるのかあ、とも悲しみとともに思った。また、在仏のカメルーン出身マコッサ野郎のマヌ・ディバンゴの新型肺炎による死の報にもめげる。
愛のリアル・ジャズ・マン、チャールズ・ロイド(1938年3月15日生まれ)が、同じメンフィス生まれのアリサ・フラクリン(1942年3月25日生まれ)の誕生日に際し、彼女の至高のヴァイブレションこそが今の私たちの不安を和らげることができる、という内容のことをフェイスブックにポストしていて、癒しを覚えた。そういえば、ジェシ・エドウィン・デイヴィスはブライアン・ウィルソンもヴォーカル参加しているロイドの1970年盤『Warm Watres』(Kapp)に参加。同作のロイドのジャケット・カヴァーの写真は、ジミ・ヘンドリックスみたいに撮られている。ロイドはアフリカ、チェロキー・インディアン、モンゴル、アイルランドの血が混ざっていると言われる。
▶︎︎過去の、チャールス・ロイド
http://43142.diarynote.jp/200505141717440000/
http://43142.diarynote.jp/200804081928430000/
http://43142.diarynote.jp/201301151731112021/
http://43142.diarynote.jp/201701131141476377/
https://43142.diarynote.jp/201701141241544133/
https://43142.diarynote.jp/201909031830055314/
https://43142.diarynote.jp/201909071014576603/
表題は、1958年のリンク・レイのインスト曲の名前。ギターのフィード・バック音や爽快なパワー・コードを採用したその曲は5年は先を行った楽曲で、元祖ガレージといった感じでザ・フー(2008年11月17日)のピート・タウンゼントやMC5 のウェイン・クレイマー(2004年5月31日)をはじめ、この曲や彼の奏法を評価する人は少なくない。その曲名を知らなくても、曲が流ればああ聞いたことがあるという人もいるはず。グレイトフル・デッドも取り上げていたし、近年ではビル・フリゼールが『Guitar In The Space Age!』(オーケイ。2014年)でこの曲をカヴァーしていますね。というのはともかく、その扇情性は若者を非行に走らせるという理由で、当時アメリカでは歌詞がないにも関わらず放送禁止となったそう。その事実は、今となってはこの曲の革新性を指し示す輝かしいエピソードとなるが、その裏にはリンク・レイがネイティヴ・アメリカンであり、米国に彼らへの根深い差別があったことも重ねられる。
この映画の原題は、「Rumble:The Indians Who Rocked The World」。そう、米国音楽界で異彩を放ったネイティヴ・アメリカン血筋の音楽家たちの活動に焦点をあてた内容を持つ。リンク・レイという音楽家の歩みを追いながら問題提起/事実確認を促す映画であるのかと思ったが、リンク・レイはとっかかりのアーティストにすぎず、ネイティヴ・アメリカンの出自を持つ、新旧各ジャンルの著名人がいろいろ紹介される。カントリー・ブルース・マンのチャーリー・パットン、初期ジャズ・シンガーのミルドレッド・ベイリー、ジミ・ヘンドリックス(妹のジェニー・ヘンドリックスって、若く見えるんだなあ)、ニューオーリンズのトライヴ・ミュージック、スワンプ・ロッカーのジェシ・エドウィン・デイヴィス、フォーク・シンガーのバフィー・セイント・マリー、リアノン・ギデンズ(2016年3月15日)、ロビー・ロバートソン/ザ・バンド、スティーヴィ・サラス、オジー・オズボーン・バンドやモトリー・クルーのドラマーだったランディ・カスティロ、ブラック・アイド・ピーズ(2001年2月7日、2004年2月11日)のタブー、など。
証言者はジョージ・クリントン(2002年7月28日、2009年9月5日、2011年1月22日、2013年4月12日、2015年4月12日、2016年11月29日)やトニー・べネット(2013年9月4日)、マーティン・スコセッシら様々。そのやり口は通常のドキュメンタリー映画のそれだが、なぜかいい話してるなあと思わせるものが多い。というか、えーそうだったのという事実や話が出てきて〜場合によっては、ネイティヴ・アメリカン因子がその音楽性にどう活きているかということにも言及される〜、もう頷きっぱなし。まさかカナダ人のロビー・ロバートソンがそっちの血をひいているとは思わなかったし、ヘンドリックス(その出自は、ボヘミアン感覚とも繋がるファッションにも現れる。映画は、ウッドストック期においてインディアン調ファションが好まれていたことにも触れる)やジェシ・エド・デイヴィス(彼の1970年アトコ発のセルフ・タイトルのデビュー作はもろに出自を強調したものだった。彼を雇っていたタージ・マハール〜2000年10月12日、2007年4月6日〜のストーンズ〜2003年3月15日〜との話はめちゃ興味深い)らはネイティヴ・アメリカンの血筋であるのは知っていたが、ことさらその事実を掘り下げて深く考えたことはなかったし、先のロバートソンをはじめ、そのルーツをここで初めて知るアーティストも多かった。リンク・レイもまた同様で、彼は純ロック期になってからもいろいろリーダー作を出し続けており、その何作かを聞いたぼくは彼のことを味のあるシンガー・ソングライターだとばかり思っていた。
先に、フラワー・ムーヴメント期に一部ネイティヴ・アメリカンの風俗が認められていたことに触れたが、基本としては、先住民を迫害し端っこにおいやった白いアメリカの負の歴史をないものとするかのように、ネイティヴ・アメリカンは否定されてきたことも映画は語る。ニューオーリンズ・ミュージック大好きと言いながら、ニューオーリンズのマルディグラ・インディアンは、ネイティヴ・アメリカンの女性(男性は、奴隷の逆の流れでアフリカに送られもしたという)とアフリカから来た奴隷男性がくっつけられた先に生まれたというのは、恥ずかしながら、ぼくは初めて知った。なるほど、両者の羽の飾りは重なる。
とかなんとか、もう頷きまくり、啓発も多々される。実はこの映画のエグゼクティヴ・プロデューサーはネイティヴ・アメリカン筋にいる二人が勤めていて、うち一人はアパッチ族の血を引くスティーヴィー・サラス(2004年7月29日、2004年8月3日、2004年8月27日、2004年9月1日、2006年9月24日)。かつてよく取材したことがあり、彼は本当にチャラチャラしたパーティ大好きの人物。いつだったか、「俺のビーチ・ハウスで女友達が死体で発見されて、もー大変。俺が犯人じゃないというのはすぐに証明されたんだけど、スキャンダルを追うメディアの格好のエジキになっちゃったよー。でも、こんな俺でも成長しているところはあって、今ネイティヴ・アメリカンの歴史を見直し、その音楽を活かしたことをやろうともしている」なんて、だいぶ前に言っていたことがあった。映画ででしゃばるところともなく、本当にいい仕事をしたなあ!
監督はカナダ人のキャサリン・ベインブリッジと、アルフォンソ・マイオラナ。ベインブリッジはカナディアン・アボリジニに焦点を当てたドキュメンタリーを作っている。字幕は、レッド・ゼペリン(レッド・ツェッペリン)をはじめ、通常使われているカタカナ人名表記と違い、少し字幕を追うと困惑する場合もある。そしたら、その監修がピーター・バラカンで納得。
追記)
オーネット・コールマン(2006年3月27日)の『Skies of America』(Columbia,1972年)はロンドン交響楽団を起用し英国EMIスタジオで録音された、当人が作曲/編曲を担当した幽玄なオーケストラ作だ。それ、1998年に東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団を介して、日本でコールマンとともに再演されたこともあった。その着想は、当時ネイティヴ・アメリカンの保護地区に身を寄せていたムーンドッグをコールマンが尋ねた際に得ている。コールマンは、そのライナー・ノーツで、政治、人種、性別の問題をはじめ、アメリカの空ぐらい激しい変化を見せてきた国もないとしたうえで、「いつになったら、かつてはアメリカの空の恵みを受けていたネイティヴ・アメリカンに思いを向けるのか」と記している。
▶︎過去の、ザ・フー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm ジョン・エントウィッスル 2001年11月9日
https://43142.diarynote.jp/200810010211566772/ 映画
https://43142.diarynote.jp/200811201240456237/
▶︎過去の、ウェイン・クレイマー
https://43142.diarynote.jp/200406100011020000/
▶︎過去の、ジョージ・クリントン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm 触れていないが、フジ・ロック
http://43142.diarynote.jp/?day=20090905
http://43142.diarynote.jp/201102081256005311/
http://43142.diarynote.jp/201304150853287353/
http://43142.diarynote.jp/201504131109395934/
https://43142.diarynote.jp/201612011925201175/
https://43142.diarynote.jp/201905010724461038/
▶︎過去の、トニー・ベネット
https://43142.diarynote.jp/201309121653282289/
▶︎過去の、リアノン・ギデンズ
https://43142.diarynote.jp/?day=20160315
▶︎過去の、ブラック・アイド・ピーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
https://43142.diarynote.jp/200402112351230000/
▶︎ロビー・ロバートソン抜きの、ザ・バンド関連公演
https://43142.diarynote.jp/201204221307297965/ リヴォン・ヘルム訃報(最後のほう)
https://43142.diarynote.jp/201308110826574632/ ガース・ハドソン
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/ ザ・ウェイト・バンド
▶︎過去の、タージ・マハール
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
▶︎過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月13日(バック・バンド)。15日
https://43142.diarynote.jp/201904200941516964/ 展覧会
▶︎過去の、マルディグラ・インディアンのグループであるザ・ワイルド・マグノリアス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
https://43142.diarynote.jp/200702112125550000/
▶︎︎過去の、スティーヴィー・サラス
http://43142.diarynote.jp/200407290730290000/
http://43142.diarynote.jp/200408030059330000/
http://43142.diarynote.jp/200705181808030000/
https://43142.diarynote.jp/201704031701236564/
▶︎過去の、アボリジニ差別を介する、2012年豪州音楽映画(最後のほう)
https://43142.diarynote.jp/201803161514432320/
▶︎過去の、ピーター・バラカンの英語カタカナ表記に触れた項(最後のほう)
https://43142.diarynote.jp/201503241654351156/
▶︎過去の、オーネット・コールマン
http://43142.diarynote.jp/200603281335030000/
<今日の、残念。そして……>
横浜で予定されていた、アルゼンチンのトラッド系シンガー/ギタリストのミルタ・アルバレスの公演を見に行こうと思っていたのが、昨日の都知事の新型肺炎注意喚起の会見もあってか、急遽中止となった。オリンピック延期が決まった途端にここぞとばかりしゃしゃり出てきやがったが、10日は遅くない? まったく、ダメな為政者ばかり。ま、それで、大感激の映画をこの日見ることになったのだが。アルバレスは2月から地道に日本をツアーしているが、今はアルゼンチンに戻れなくなっているとも聞く。名古屋と茨城公演はまだあるよう。しかし、中止を聞いて、訪日アーティストの公演はかなりのあいだ見れなくなるのかあ、とも悲しみとともに思った。また、在仏のカメルーン出身マコッサ野郎のマヌ・ディバンゴの新型肺炎による死の報にもめげる。
愛のリアル・ジャズ・マン、チャールズ・ロイド(1938年3月15日生まれ)が、同じメンフィス生まれのアリサ・フラクリン(1942年3月25日生まれ)の誕生日に際し、彼女の至高のヴァイブレションこそが今の私たちの不安を和らげることができる、という内容のことをフェイスブックにポストしていて、癒しを覚えた。そういえば、ジェシ・エドウィン・デイヴィスはブライアン・ウィルソンもヴォーカル参加しているロイドの1970年盤『Warm Watres』(Kapp)に参加。同作のロイドのジャケット・カヴァーの写真は、ジミ・ヘンドリックスみたいに撮られている。ロイドはアフリカ、チェロキー・インディアン、モンゴル、アイルランドの血が混ざっていると言われる。
▶︎︎過去の、チャールス・ロイド
http://43142.diarynote.jp/200505141717440000/
http://43142.diarynote.jp/200804081928430000/
http://43142.diarynote.jp/201301151731112021/
http://43142.diarynote.jp/201701131141476377/
https://43142.diarynote.jp/201701141241544133/
https://43142.diarynote.jp/201909031830055314/
https://43142.diarynote.jp/201909071014576603/
1 Desafinado (Slightly Out of Yune) / Ella Fizgerald 『Verve’s Choice』(Verve,1962)
2 Sassy Samba / New York Voices 『Hearts of Fire 』(GRP,1991)
3 Samba De Borboleta / Bud Shank & Clare Fisher 『Bossa Nova Jazz Samba』 (Pacific Jazz,1962)
4 I’ve Got You Under My Skin / Mel Torme with Studio Rio『The Brazil Connection』 (Sony,1965 →2014 )
5 Sweepinng The Chimney / Romero Lubambo 『Rio de Janeiro Underground』(Aosis/JVC,2002)
6 Rio De Maio / Yoichi Murata with Ivan Lins 『Janeiro』(Flair,2010)
7 Insensatez (How Insensitive) / Wes Montgomery 『Tequila』(Verve,1966)
8 Water of March / Cassandra Wilson 『Belly of the Sun』(Blue Note,2002)
9 Tres-Marias (acustico) / Toyono 『黒髪のサンバ』(Victor Entertainment、2016)
10 Payapta Turdi / akiko 『Vida』(Verve,2007)
11 Frro Da Rosinha / Maria Joao & Mrio Laginha 『Chorinho Feliz』(Verve,2000)
2 Sassy Samba / New York Voices 『Hearts of Fire 』(GRP,1991)
3 Samba De Borboleta / Bud Shank & Clare Fisher 『Bossa Nova Jazz Samba』 (Pacific Jazz,1962)
4 I’ve Got You Under My Skin / Mel Torme with Studio Rio『The Brazil Connection』 (Sony,1965 →2014 )
5 Sweepinng The Chimney / Romero Lubambo 『Rio de Janeiro Underground』(Aosis/JVC,2002)
6 Rio De Maio / Yoichi Murata with Ivan Lins 『Janeiro』(Flair,2010)
7 Insensatez (How Insensitive) / Wes Montgomery 『Tequila』(Verve,1966)
8 Water of March / Cassandra Wilson 『Belly of the Sun』(Blue Note,2002)
9 Tres-Marias (acustico) / Toyono 『黒髪のサンバ』(Victor Entertainment、2016)
10 Payapta Turdi / akiko 『Vida』(Verve,2007)
11 Frro Da Rosinha / Maria Joao & Mrio Laginha 『Chorinho Feliz』(Verve,2000)
ルイーザ・ソブラル、Saigenji
2020年3月16日 音楽 おとといに続き、ポルトガル人ミュージシャンの来日公演を見る。代官山・晴れたら空に豆まいて。事情通に聞けば、シンガー・ソングライターのルイーザ・ソブラルは本国ではそうとうな人気者で武道館クラスでやっちゃうところ、ライヴ・ハウスで見ることができるのは超ラッキーだそう。彼女のリーダー作(5作でているのかな?)はすべてポルトガルのユニヴァーサルを介して出ており、今回公演に後援でポルトガル大使館がついているのも納得ですね。
エレクトリック・ギターを弾く男性奏者(1曲だけ、かなりジャズ的な抑えかたを見せた)とともにパフォーマンス。彼女もアコースティック・ギターやウクレレみたいな軽妙な音が出る小さな6弦の生ギター(と言っていいかな?)を弾きながら、澄んだ歌声を披露する。歌詞は、ポルトガル語と英語。MCは流暢な英語だったが、彼女はバークリー音大を出ていると聞いてそれには納得。だが、その弾き語り基調表現はいい意味で技巧的な感じはせず、まずは歌心を出すことを第一義に置くという姿勢を持ち、それはまったく正解と思う。そして、そこらへんが、外の見聞も持つ21世紀型のシンガー・ソングライターとして本国では高い評価を集めているのではないかと思えた。
面白いのは、ポル語と英語では与える感触が違うこと。ポルトガル語だとその語感もありフレッシュなエキゾ性を得るところ、英語の場合は米国ルーツ系シンガー・ソングライターというノリが濃厚に出る場合もあった。その際、彼女はマウス・トランペットを披露したりもする。実は、彼女の2016年作『Luísa』は天下のジョー・ヘンリー(2010年4月2日、2010年4月4日、2012年10月16日)制作盤で、そこにはパトリック・ウォーレン(2010年4月2日、2010年4月4日)、マーク・リーボウ(2001年1月19日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年8月4日、2014年7月28日、2017年5月18日、2018年7月24日)、デイヴィッド・ピルチ(2010年4月2日、4月4日、2013年5月10日)、ジェイ・ベラーローズ(2008年12月14日、2009年12月13日、2010年12月12日)らヘンリー側近の奏者がサポートしている。
彼女のセカンド作『There’s A Flower In My Bedroom』(Mercury 2013年)に収録された3.11を題材に置く「Japanese Rose」も披露。その端々から彼女がかなりのシンパシーを日本に持っているのが分かる。でなきゃ、こんなおりわざわざ日本にやってきたりしないよな。MCで、彼女は前夜に到着したと言っていた。
最後の曲には、Saigengiが呼び込まれ、彼とのデュエットを披露。演目は、沖縄のトラッド「てぃんさぐの花(ホウセンカの花)」。親の教えや思いは大きいものであり大切という内容の曲なようだが、メモを見ながらではあったもののしっかりとソプラルが歌っているのに驚く。実は事前に1曲やりたいということで、Saigenjiはブラジル曲をやろうかと思ったらしいが、日本の曲をやりたいというリクエストがあり、彼の第2の故郷である沖縄の曲をデーターで送り、彼女はしっかり練習してきたんだそう。
なんか、いろんな部分で、音楽に対する強い思いや真摯さが溢れるショウでじいーん。シルビア・ペレス・クルス(2018年5月11日、2019年10月10日)といい、ルイーザ・ソブラルといい、イベリア半島ばんざい(←我ながら、単純)。とっても、印象的な出し物でした。Saigenjiも、本当にナイス。日経の夕刊にライヴ評が出ます。
▶︎過去の、ジョー・ヘンリー
http://43142.diarynote.jp/201004080752097392/
http://43142.diarynote.jp/201004080754018553/
http://43142.diarynote.jp/201210201218283712/
▶︎過去のパトリック・ウォーレン
https://43142.diarynote.jp/201004080752097392/
https://43142.diarynote.jp/201004080754018553/
▶︎過去の、マーク・リーボウ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
http://43142.diarynote.jp/201408051026553769/
http://43142.diarynote.jp/201705191100017980/
https://43142.diarynote.jp/201807260047172162/
▶︎過去の、デイヴィッド・ピルチ
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201305131335092387/
▶︎過去の、ジェイ・ベラーローズ
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
▶︎過去の、Saigenji
http://43142.diarynote.jp/?day=20060627
http://43142.diarynote.jp/200711290932200000/
http://43142.diarynote.jp/200903161734533723/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090809
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196/
http://43142.diarynote.jp/201301151819527787/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130211
http://43142.diarynote.jp/?day=20130412
http://43142.diarynote.jp/?day=20140209
http://43142.diarynote.jp/201502140823232703/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160211
http://43142.diarynote.jp/201612030915436915/
http://43142.diarynote.jp/201702120725278375/
https://43142.diarynote.jp/201805091613022617/
https://43142.diarynote.jp/201907130803488810/
https://43142.diarynote.jp/202002120812258847/
▶︎︎過去の、シルビア・ペレス・クルス
https://43142.diarynote.jp/201805121754429711/
https://43142.diarynote.jp/201910131402485845/
<今日の、公演>
今日のライヴは本来、19時半からの開始。そして、まずSaigenjiがパフォーマンスした後に、ソブラルが出る予定であった。だが、ポルトガルの国境閉鎖が近づいており、急遽今日の成田発23時便でとんぼ帰りすることになったため、彼女が先発になった。開演時間も、18時45分からと早められた。その変更のため、彼女のライヴは映像配信もなされたよう。彼女たちが空港に急ぐため、楽屋から出てきたさいに、お客はスタンディング・オヴェイション。ちょいいい光景であったし、彼女もとてもうれしそう。こんなおり、日本に来てライヴをやって良かったと思えたのではないか。また、来てください! そして、その後に出演する順序が逆になったSaigenji(+南條レオ)が悠々とパフォーマンスした。
▶︎過去の、南条レオ
https://43142.diarynote.jp/201612030915436915/
https://43142.diarynote.jp/201612030915436915/
https://43142.diarynote.jp/201702120725278375/
https://43142.diarynote.jp/?day=20200211
追記:そういえば、ジョー・ヘンリーの昨年秋に出た新作『The Gospel According to Water』(Ear Music)は彼のギター弾き語りを基調に、大人の追加楽器音がわずかに入る、凛としていながら、慈しみも溢れ出る佳作だ。重くも、しなやか。そんな形容もしたくなるか。リズム楽器の入らない生ギターの弾き語り表現があまり得意ではないぼくが感じるのだから、素晴らしい聞き味を持つのは間違いない。なんでも、ヘンリーは2018年11月に前立腺癌と診断され、治療を受け、死を考えるかたわら、このアルバムを作ったのだという。彼のサイトには、ルシンダ・ウィリアムズ、エルヴィス・コステロ(2002年7月5日、2004年9月19日、2004年12月8日、2006年5月31日、2006年6月1日、2006年6月2日、2011年3月1日)、ジャクソン・ブラウン(2003年5月2日)、ボニー・レイット(2007年4月6日)、ジェイソン・イズベル(2020年1月13日)、ベン・ハーパー(2001年6月18日、2004年3月4日、2006年6月3日、2007年4月5日)、ジョーン・バエズらが1曲ごとに推薦コメントを出している。それは、ヘンリーが頼んだようだ。その文章とともに、各曲も完全な形で、彼のサイトで聞くことができる。
▶︎︎過去の、エルヴィス・コステロ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200410121003440000/
http://43142.diarynote.jp/200412111752390000/
http://43142.diarynote.jp/200606071933120000/
http://43142.diarynote.jp/200606071936190000/
http://43142.diarynote.jp/200606101341360000/
http://43142.diarynote.jp/201103040825532252/
▶︎過去の、ジャクソン・ブラウン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 5.02
▶︎過去の、ボニー・レイット
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
▶︎過去の、ジェイソン・イズベル
https://43142.diarynote.jp/202001141031439634/
▶︎過去の、ベン・ハーパー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm
https://43142.diarynote.jp/200403041444130000/
https://43142.diarynote.jp/200407290730290000/ フジ・ロック 触れてないが出演し、ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマのショウにもとびいり
https://43142.diarynote.jp/200606111735540000/
https://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
https://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
エレクトリック・ギターを弾く男性奏者(1曲だけ、かなりジャズ的な抑えかたを見せた)とともにパフォーマンス。彼女もアコースティック・ギターやウクレレみたいな軽妙な音が出る小さな6弦の生ギター(と言っていいかな?)を弾きながら、澄んだ歌声を披露する。歌詞は、ポルトガル語と英語。MCは流暢な英語だったが、彼女はバークリー音大を出ていると聞いてそれには納得。だが、その弾き語り基調表現はいい意味で技巧的な感じはせず、まずは歌心を出すことを第一義に置くという姿勢を持ち、それはまったく正解と思う。そして、そこらへんが、外の見聞も持つ21世紀型のシンガー・ソングライターとして本国では高い評価を集めているのではないかと思えた。
面白いのは、ポル語と英語では与える感触が違うこと。ポルトガル語だとその語感もありフレッシュなエキゾ性を得るところ、英語の場合は米国ルーツ系シンガー・ソングライターというノリが濃厚に出る場合もあった。その際、彼女はマウス・トランペットを披露したりもする。実は、彼女の2016年作『Luísa』は天下のジョー・ヘンリー(2010年4月2日、2010年4月4日、2012年10月16日)制作盤で、そこにはパトリック・ウォーレン(2010年4月2日、2010年4月4日)、マーク・リーボウ(2001年1月19日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年8月4日、2014年7月28日、2017年5月18日、2018年7月24日)、デイヴィッド・ピルチ(2010年4月2日、4月4日、2013年5月10日)、ジェイ・ベラーローズ(2008年12月14日、2009年12月13日、2010年12月12日)らヘンリー側近の奏者がサポートしている。
彼女のセカンド作『There’s A Flower In My Bedroom』(Mercury 2013年)に収録された3.11を題材に置く「Japanese Rose」も披露。その端々から彼女がかなりのシンパシーを日本に持っているのが分かる。でなきゃ、こんなおりわざわざ日本にやってきたりしないよな。MCで、彼女は前夜に到着したと言っていた。
最後の曲には、Saigengiが呼び込まれ、彼とのデュエットを披露。演目は、沖縄のトラッド「てぃんさぐの花(ホウセンカの花)」。親の教えや思いは大きいものであり大切という内容の曲なようだが、メモを見ながらではあったもののしっかりとソプラルが歌っているのに驚く。実は事前に1曲やりたいということで、Saigenjiはブラジル曲をやろうかと思ったらしいが、日本の曲をやりたいというリクエストがあり、彼の第2の故郷である沖縄の曲をデーターで送り、彼女はしっかり練習してきたんだそう。
なんか、いろんな部分で、音楽に対する強い思いや真摯さが溢れるショウでじいーん。シルビア・ペレス・クルス(2018年5月11日、2019年10月10日)といい、ルイーザ・ソブラルといい、イベリア半島ばんざい(←我ながら、単純)。とっても、印象的な出し物でした。Saigenjiも、本当にナイス。日経の夕刊にライヴ評が出ます。
▶︎過去の、ジョー・ヘンリー
http://43142.diarynote.jp/201004080752097392/
http://43142.diarynote.jp/201004080754018553/
http://43142.diarynote.jp/201210201218283712/
▶︎過去のパトリック・ウォーレン
https://43142.diarynote.jp/201004080752097392/
https://43142.diarynote.jp/201004080754018553/
▶︎過去の、マーク・リーボウ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
http://43142.diarynote.jp/201408051026553769/
http://43142.diarynote.jp/201705191100017980/
https://43142.diarynote.jp/201807260047172162/
▶︎過去の、デイヴィッド・ピルチ
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201305131335092387/
▶︎過去の、ジェイ・ベラーローズ
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http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
▶︎過去の、Saigenji
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http://43142.diarynote.jp/201301151819527787/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130211
http://43142.diarynote.jp/?day=20130412
http://43142.diarynote.jp/?day=20140209
http://43142.diarynote.jp/201502140823232703/
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http://43142.diarynote.jp/201612030915436915/
http://43142.diarynote.jp/201702120725278375/
https://43142.diarynote.jp/201805091613022617/
https://43142.diarynote.jp/201907130803488810/
https://43142.diarynote.jp/202002120812258847/
▶︎︎過去の、シルビア・ペレス・クルス
https://43142.diarynote.jp/201805121754429711/
https://43142.diarynote.jp/201910131402485845/
<今日の、公演>
今日のライヴは本来、19時半からの開始。そして、まずSaigenjiがパフォーマンスした後に、ソブラルが出る予定であった。だが、ポルトガルの国境閉鎖が近づいており、急遽今日の成田発23時便でとんぼ帰りすることになったため、彼女が先発になった。開演時間も、18時45分からと早められた。その変更のため、彼女のライヴは映像配信もなされたよう。彼女たちが空港に急ぐため、楽屋から出てきたさいに、お客はスタンディング・オヴェイション。ちょいいい光景であったし、彼女もとてもうれしそう。こんなおり、日本に来てライヴをやって良かったと思えたのではないか。また、来てください! そして、その後に出演する順序が逆になったSaigenji(+南條レオ)が悠々とパフォーマンスした。
▶︎過去の、南条レオ
https://43142.diarynote.jp/201612030915436915/
https://43142.diarynote.jp/201612030915436915/
https://43142.diarynote.jp/201702120725278375/
https://43142.diarynote.jp/?day=20200211
追記:そういえば、ジョー・ヘンリーの昨年秋に出た新作『The Gospel According to Water』(Ear Music)は彼のギター弾き語りを基調に、大人の追加楽器音がわずかに入る、凛としていながら、慈しみも溢れ出る佳作だ。重くも、しなやか。そんな形容もしたくなるか。リズム楽器の入らない生ギターの弾き語り表現があまり得意ではないぼくが感じるのだから、素晴らしい聞き味を持つのは間違いない。なんでも、ヘンリーは2018年11月に前立腺癌と診断され、治療を受け、死を考えるかたわら、このアルバムを作ったのだという。彼のサイトには、ルシンダ・ウィリアムズ、エルヴィス・コステロ(2002年7月5日、2004年9月19日、2004年12月8日、2006年5月31日、2006年6月1日、2006年6月2日、2011年3月1日)、ジャクソン・ブラウン(2003年5月2日)、ボニー・レイット(2007年4月6日)、ジェイソン・イズベル(2020年1月13日)、ベン・ハーパー(2001年6月18日、2004年3月4日、2006年6月3日、2007年4月5日)、ジョーン・バエズらが1曲ごとに推薦コメントを出している。それは、ヘンリーが頼んだようだ。その文章とともに、各曲も完全な形で、彼のサイトで聞くことができる。
▶︎︎過去の、エルヴィス・コステロ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200410121003440000/
http://43142.diarynote.jp/200412111752390000/
http://43142.diarynote.jp/200606071933120000/
http://43142.diarynote.jp/200606071936190000/
http://43142.diarynote.jp/200606101341360000/
http://43142.diarynote.jp/201103040825532252/
▶︎過去の、ジャクソン・ブラウン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 5.02
▶︎過去の、ボニー・レイット
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
▶︎過去の、ジェイソン・イズベル
https://43142.diarynote.jp/202001141031439634/
▶︎過去の、ベン・ハーパー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm
https://43142.diarynote.jp/200403041444130000/
https://43142.diarynote.jp/200407290730290000/ フジ・ロック 触れてないが出演し、ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマのショウにもとびいり
https://43142.diarynote.jp/200606111735540000/
https://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
https://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
ポルトガル人マルチ奏者/トラックメイカー/リミキサーのブルーノ・ミゲルが率いるエレクトロ・ポップ・ユニットであるPAPERCUTZ〜英語歌詞をつけているので、ペイパーカッツと英語読みにしておこう〜を、渋谷・LUSHで見る。ミゲルはアルバムごとにフィーチャーする女性シンガーを代えている。
プリセット音をコントロールし鍵盤もいじるミゲルの十全に作られたサウンドに乗り、女性歌手の響く歌声がメロディ性をまといながら溢れ出る。ミゲルはときにエレクトリック・ギターを手にする場合もあるとともに、曲によってはコーラスもつける。ライヴ前にちらり会ったミゲル君は物静かな好青年という感じだが、コーラスをつける際はかなり力をこめて歌っている感じもあり、それがミュージック・ラヴァーな風情をすうっと出す。
幽玄とも形容したくなる、じわじわ広がるエレクトロ・ポップを披露。先に触れたように英語で歌っているためもありポルトガル的というよりはユーロ・エレポップ+(少し、エスニックとかスピリチュアルと思わせる部分も少しある)という感想を得るが、その木漏れ日を感じさせる濃淡の出し方や流動感とポップネス/ビート感を巧み交錯させる手腕は確かで身体を揺らしながら見きった。
<今日の、もろもろ>
東京の桜の開花が告げられるとともに、降雪もあった日。このハコにも入り口と飲み物カウンターには除菌液が置いてある。よくありますねとカウンターの青年に話しかけると、出演者が持ってきて置いていってくれたりするんですよとのお返事。持ちつ持たれつ。この晩は全8ヶ所の日本ツアーの最終日、なんと中止になった場所はなく、すべてやったそう。彼らのアルバムは、日本盤が出ている。その2020年新作『キング・ルイナー』(キルク、MWCD-314)もまた同様に。そういう地道なインディの紹介活動が洋楽文化を支えているんだろうと痛感。あ、そちらのアーティスト表記は、ペーパーカッツとなっていますね。今日の公演、毎日新聞夕刊にそのうち出ます。
プリセット音をコントロールし鍵盤もいじるミゲルの十全に作られたサウンドに乗り、女性歌手の響く歌声がメロディ性をまといながら溢れ出る。ミゲルはときにエレクトリック・ギターを手にする場合もあるとともに、曲によってはコーラスもつける。ライヴ前にちらり会ったミゲル君は物静かな好青年という感じだが、コーラスをつける際はかなり力をこめて歌っている感じもあり、それがミュージック・ラヴァーな風情をすうっと出す。
幽玄とも形容したくなる、じわじわ広がるエレクトロ・ポップを披露。先に触れたように英語で歌っているためもありポルトガル的というよりはユーロ・エレポップ+(少し、エスニックとかスピリチュアルと思わせる部分も少しある)という感想を得るが、その木漏れ日を感じさせる濃淡の出し方や流動感とポップネス/ビート感を巧み交錯させる手腕は確かで身体を揺らしながら見きった。
<今日の、もろもろ>
東京の桜の開花が告げられるとともに、降雪もあった日。このハコにも入り口と飲み物カウンターには除菌液が置いてある。よくありますねとカウンターの青年に話しかけると、出演者が持ってきて置いていってくれたりするんですよとのお返事。持ちつ持たれつ。この晩は全8ヶ所の日本ツアーの最終日、なんと中止になった場所はなく、すべてやったそう。彼らのアルバムは、日本盤が出ている。その2020年新作『キング・ルイナー』(キルク、MWCD-314)もまた同様に。そういう地道なインディの紹介活動が洋楽文化を支えているんだろうと痛感。あ、そちらのアーティスト表記は、ペーパーカッツとなっていますね。今日の公演、毎日新聞夕刊にそのうち出ます。