ニタイ・ハーシュコヴィッツ・トリオ
2018年7月12日 音楽 イスラエル人のジャズ素養/技量の高さを伝える代表的存在であるベース奏者のアヴィシャイ・コーエン(2006年5月17日、2014年1月21日、2015年5月14日、2017年10月18日)のバンドに参加し知名度を得た、やはりイスラエル人のピアノ奏者であるニタイ・ハーシュコヴィッツ(2014年1月21日、2015年5月14日)のリーダー公演を、丸の内・コットンクラブで見る。ファースト・ショウ。テルアヴィヴの“ブレインフィーダー”たる“ロウ・テイプス”からエレクトロが入ったアルバムも2016年に出している彼(すごい細くて、女性的な感じを与える)だが、今回のショウは完全アコースティック・ジャズ仕様を取る。
ダブル・ベースのオル・バレケット(2018年6月19日)とドラマーのアミール・ブレスラーもまたイスラエル人。ドレッド的髪型をしているバレケットはバンダ・マグダ(2016年1月19日、2017年12月11日)の『ティグレ』(グラウンドアップ、2017年)に入っており、基本レギュラー・グリップで叩いていたプレスラーはやはり“ロウ・テイプス”からアフロ・ビート曲(それほど、おもしろいものではない)のシングルを出している。といったように、彼らもまた純ジャズだけに対峙しているミュージシャンではない。だが、見事に3人は抑制美と詩情にあふれたピアノ・トリオ表現に邁進。オリジナルを中心にオーネット・コールマンやチャーリー・パーカー曲も改変しつつ取り上げたその総体は、変わらなくていいジャズ・ピアノ・トリオの様式/美学と今の若手ミュージシャンが持ち得るちょっとした空間感覚やタイム感をともに抱えるもになっているのだから唸るしかない。両刀、ばんざい。頼もしいとも、強くぼくは感じた。
▶過去の、ニタイ・ハーシュコヴィッツ
http://43142.diarynote.jp/201401221432209419/
http://43142.diarynote.jp/201505150911423384/
▶過去の、アヴィシャイ・コーエン(ベーシスト)
http://43142.diarynote.jp/200605190943240000/
http://43142.diarynote.jp/201401221432209419/
http://43142.diarynote.jp/201505150911423384/
http://43142.diarynote.jp/201710201214346567/
▶︎過去の、オル・バレケット
http://43142.diarynote.jp/201806201223491195/
<今日の、ワクワク>
ライヴ後におやぢな飲み屋に入ると灰皿は? と、従業員から問われる。店舗での喫煙に厳しくなり、もう少しでそういう問いかけもされなくなるのかあ。うれしいなあ。と感じつつ、タバコや葉巻を絵柄にしたアルバム・ジャケットはいろいろあるが、灰皿を出したジャケット・カヴァーは思い浮かばないゾと一瞬考える。→ウェス・モンゴメリーのCTI作『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』はそうか。コレクターではないが、ザ・ウェイラーズの英国盤『キャッチ・ザ・ファイアー』(ライターのジッポーをかたどる)とジェファーソン・エアプレインの米国盤『ロング・ジョン・シルヴァー』(葉巻のパッケージを模す)の特殊ジャケ作をぼくはしっかり持っている。1990年代海外に行った際、レコード屋で特殊ジャケ盤やピクチャー・レコードを嬉々として買いあさっていたことがあるんだよなあ。
ダブル・ベースのオル・バレケット(2018年6月19日)とドラマーのアミール・ブレスラーもまたイスラエル人。ドレッド的髪型をしているバレケットはバンダ・マグダ(2016年1月19日、2017年12月11日)の『ティグレ』(グラウンドアップ、2017年)に入っており、基本レギュラー・グリップで叩いていたプレスラーはやはり“ロウ・テイプス”からアフロ・ビート曲(それほど、おもしろいものではない)のシングルを出している。といったように、彼らもまた純ジャズだけに対峙しているミュージシャンではない。だが、見事に3人は抑制美と詩情にあふれたピアノ・トリオ表現に邁進。オリジナルを中心にオーネット・コールマンやチャーリー・パーカー曲も改変しつつ取り上げたその総体は、変わらなくていいジャズ・ピアノ・トリオの様式/美学と今の若手ミュージシャンが持ち得るちょっとした空間感覚やタイム感をともに抱えるもになっているのだから唸るしかない。両刀、ばんざい。頼もしいとも、強くぼくは感じた。
▶過去の、ニタイ・ハーシュコヴィッツ
http://43142.diarynote.jp/201401221432209419/
http://43142.diarynote.jp/201505150911423384/
▶過去の、アヴィシャイ・コーエン(ベーシスト)
http://43142.diarynote.jp/200605190943240000/
http://43142.diarynote.jp/201401221432209419/
http://43142.diarynote.jp/201505150911423384/
http://43142.diarynote.jp/201710201214346567/
▶︎過去の、オル・バレケット
http://43142.diarynote.jp/201806201223491195/
<今日の、ワクワク>
ライヴ後におやぢな飲み屋に入ると灰皿は? と、従業員から問われる。店舗での喫煙に厳しくなり、もう少しでそういう問いかけもされなくなるのかあ。うれしいなあ。と感じつつ、タバコや葉巻を絵柄にしたアルバム・ジャケットはいろいろあるが、灰皿を出したジャケット・カヴァーは思い浮かばないゾと一瞬考える。→ウェス・モンゴメリーのCTI作『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』はそうか。コレクターではないが、ザ・ウェイラーズの英国盤『キャッチ・ザ・ファイアー』(ライターのジッポーをかたどる)とジェファーソン・エアプレインの米国盤『ロング・ジョン・シルヴァー』(葉巻のパッケージを模す)の特殊ジャケ作をぼくはしっかり持っている。1990年代海外に行った際、レコード屋で特殊ジャケ盤やピクチャー・レコードを嬉々として買いあさっていたことがあるんだよなあ。
カナダのジャジー・シンガー(2007年1月15日)のミニ・ライヴを、御茶ノ水・cafe104.5で見る。カルテットを従えた明日からののべ4日間のブルーノート東京公演に先立つもので、くだけた質疑応答(なんかエスタブリッシュされたなかに心地をにじませていた)のあとに、同行ピアニストのアーロン・デイヴィスとともにデュオにてを歌を披露した。彼女の新作『ホリー』(ランパス・ルーム、2017年)はなんと西海岸ロック大家プロデューサーのラス・タイトルマン物件のNY録音作で、アレンジはラリー・ゴールディングス(1999年4月13日、2000年3月2日、2012年11月12日。2013年5月10日、2016年6月4日)がじっくりとあたっている。
その『ホリー』に倣う彼女の歌唱に久しぶりに触れて、いささか驚く。声がかなり太くなり、いい意味で安定している。また、大御所的な翳りのようなものも声の奥に抱えるようになっていて、これはどうしたことか。ときには、ミュージカル方面でも実績を積んでいるんですと言われたら納得してしまうようなマナーも彼女は得ていた。なんら隠し立てできないピアノとのデュオでそうしっかり思わせたのだから、へ〜えとなる。精進もしているのだろうが、シンガーとして良い歳の取り方、成長の仕方をしていると思わずにはいられなかった。そして、先にジャジー・シンガーと書いたが、これはくつろぎ目にある好ジャズ・シンガーという像をきっちり獲得しているとも思いました。
▶︎過去の、ホリー・コール
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
▶過去の、ラリー・ゴールディングス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live1.htm 1999年4月13日(カーラ・ブレイ)
http://www.myagent.ne.jp/%7Enewswave/live-2000-3.htm
http://43142.diarynote.jp/201211170928285333/
http://43142.diarynote.jp/201305131335092387/
http://43142.diarynote.jp/201606121224129353/
<今日の、軽い驚き>
青山骨董通りの路肩に、もろピンク色のクラウン・ハイブリッドが止まっていた。なんだこりゃと見れば、それは沖縄ナンバーをつけていてもっと驚く。多分、沖縄外で沖縄ナンバー車を見るのは初めてと思う。しかも、そのナンバー・プレートの数字はもっともシンプルなもの。その番号の自動車を見るのも、ぼくは初めてであると思った。
その『ホリー』に倣う彼女の歌唱に久しぶりに触れて、いささか驚く。声がかなり太くなり、いい意味で安定している。また、大御所的な翳りのようなものも声の奥に抱えるようになっていて、これはどうしたことか。ときには、ミュージカル方面でも実績を積んでいるんですと言われたら納得してしまうようなマナーも彼女は得ていた。なんら隠し立てできないピアノとのデュオでそうしっかり思わせたのだから、へ〜えとなる。精進もしているのだろうが、シンガーとして良い歳の取り方、成長の仕方をしていると思わずにはいられなかった。そして、先にジャジー・シンガーと書いたが、これはくつろぎ目にある好ジャズ・シンガーという像をきっちり獲得しているとも思いました。
▶︎過去の、ホリー・コール
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
▶過去の、ラリー・ゴールディングス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live1.htm 1999年4月13日(カーラ・ブレイ)
http://www.myagent.ne.jp/%7Enewswave/live-2000-3.htm
http://43142.diarynote.jp/201211170928285333/
http://43142.diarynote.jp/201305131335092387/
http://43142.diarynote.jp/201606121224129353/
<今日の、軽い驚き>
青山骨董通りの路肩に、もろピンク色のクラウン・ハイブリッドが止まっていた。なんだこりゃと見れば、それは沖縄ナンバーをつけていてもっと驚く。多分、沖縄外で沖縄ナンバー車を見るのは初めてと思う。しかも、そのナンバー・プレートの数字はもっともシンプルなもの。その番号の自動車を見るのも、ぼくは初めてであると思った。
マカヤ・マクレイヴン
2018年7月10日 音楽 在シカゴのクロスオーヴァー型ドラマー/クリエイターのマカヤ・マクレイヴン(2017年12月12日)のリーダー公演を、南青山・ブルーノート東京で見る。セカンド・ショウ。
サースティ・イアー他から作曲に凝ったリーダー作を出すグレッグ・ウォード(アルト・サックス)、響き系の演奏を聞かせるマット・ゴールド(ギター)、5弦フレッテッドを弾くジュニアス・ポール(電気ベース)という陣容なり。シカゴの音楽仲間のなかから、選んだ顔ぶれであるという。闊達でジャストなマクレイヴンのドラム(ヤマハを叩いていたが、設定はパっと見フツーながら、スネアの置き方とか変てこだった)を土台に、サイド・マンたちが音を連ねる。一発セッション風ながら、おっという構成〜変化を見せたり、スパっと終わる場合もあり、彼の大傑作現代ジャズ盤『イン・ザ・モーメント』(インターナショナル・アンセム、2015年)とまったく異なる編成ながら〜同作におけるヴァイブラフォン扱いはまさに慧眼の極みと言いたくなるものであったが、それはヴァイブを使いたかったというより、ヴァイブ奏者のジャスティン・トーマスが愛い奴だから彼を入れたそう〜、何気に整備されている単位でやっていると思わされるか。サックスとギターは小さな鍵盤や機材を前におき、それをいじるときもあった。彼らがちょい歌う場面もあったっけ?
先達トニー・ウィリアムズの曲やフリー・ジャズ・ドラマーとしてぶいぶい鳴らした父親のスティーブン・マクレイヴンの曲も披露。総じてリアルなジャズ色やヒップホップ色は出さないハード・ドライヴィングなフュージョンと、この編成による実演に接してぼくは言いたくなったか。彼の『イン・ザ・モーメント』にしろ『ハイリー・レア』(インターナショナル・アンセム、2017年)にしろ、ジェフ・パーカーの『ザ・ニュー・ブリード』(インターナショナル・アンセム、2016年)もそうだが、ポスト・プロダクションを経ての秀でた聞き口であったわけで、逆説的にマクレイヴンの編集能力の冴えをリアルに感じまくったのは疑いがない。古くはテオ・マセロやフランク・ザッパの才覚を受け継ぎ、今のノリ言うならヒップホップのエディット感覚の恩恵を存分に彼は受けている。けっこうライヴ音は録っているそうだが、この晩の演奏が彼のポスト・プロダクションを経ると、どういうものになるのかとも考えを巡らしもした。
▶︎過去の、マカヤ・マクレイヴン
http://43142.diarynote.jp/201712131709468312/
▶過去の、ジェフ・パーカー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm シカゴ・アンダーグラウンド・デュオ、サム・プレコップ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm ブロークバック、シカゴ・アンダーグラウンド、アイソトープ217
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm トータス
http://43142.diarynote.jp/?day=20040120 ロブ・マズレク、ジェフ・パーカー・トリオ、ブロークバック、シカゴ・アンダーグラウンド・カルテット
http://43142.diarynote.jp/200501170151560000/ トータス
http://43142.diarynote.jp/201111251250189885/ トータス
http://43142.diarynote.jp/201405081408031505/ トータス
http://43142.diarynote.jp/201705140938439184/ スコット・アメンデラ
http://43142.diarynote.jp/201705161314529397/ トータス
http://43142.diarynote.jp/201708161337599841/ ザ・ニュー・ブリード
<翌日の、マクレイヴン>
取材をしたが、好人物で、つぶらな瞳の持ち主だった。いま、改めてピアノから大きな編成のアレンジまでいろいんなことを学んでいて、全部一人でやったレコードも出したいそう。彼はパリ生まれで、母親がハンガリー人音楽家であるといった、普通のアメリカ人ではない複数の要件を抱えていることに自負を抱いている。その両親はパリで出会い、父親は今もパリ在住でドラマー活動をしているそう。彼は現行シカゴ・ジャズ界の中心人物といった感じがもあるが、実はもともとシカゴとは無縁で、同所に住んで12年経つ。どうしてシカゴに住むようになったのと問えば、奥さんがシカゴの大学で教えているからだそう。実は、昨年のベスト1ジャズ公演とぼくが絶賛しているマーキス・ヒル(2016年9月17日、2017年1月7日、2017年1月16日、2018年5月24日)のコットンクラブ公演に、彼は誘われていた。マーキス・ヒルの名を出したら、コットンクラブの名前を彼はすぐに出してきて、なんで知っているのと問うたら、だって行きたかったんだもんとニコリ。
▶︎過去の、マーキス・ヒル
http://43142.diarynote.jp/?day=20160917
http://43142.diarynote.jp/201701091247527188/
http://43142.diarynote.jp/201701171118107802/
http://43142.diarynote.jp/201805250930363191/
サースティ・イアー他から作曲に凝ったリーダー作を出すグレッグ・ウォード(アルト・サックス)、響き系の演奏を聞かせるマット・ゴールド(ギター)、5弦フレッテッドを弾くジュニアス・ポール(電気ベース)という陣容なり。シカゴの音楽仲間のなかから、選んだ顔ぶれであるという。闊達でジャストなマクレイヴンのドラム(ヤマハを叩いていたが、設定はパっと見フツーながら、スネアの置き方とか変てこだった)を土台に、サイド・マンたちが音を連ねる。一発セッション風ながら、おっという構成〜変化を見せたり、スパっと終わる場合もあり、彼の大傑作現代ジャズ盤『イン・ザ・モーメント』(インターナショナル・アンセム、2015年)とまったく異なる編成ながら〜同作におけるヴァイブラフォン扱いはまさに慧眼の極みと言いたくなるものであったが、それはヴァイブを使いたかったというより、ヴァイブ奏者のジャスティン・トーマスが愛い奴だから彼を入れたそう〜、何気に整備されている単位でやっていると思わされるか。サックスとギターは小さな鍵盤や機材を前におき、それをいじるときもあった。彼らがちょい歌う場面もあったっけ?
先達トニー・ウィリアムズの曲やフリー・ジャズ・ドラマーとしてぶいぶい鳴らした父親のスティーブン・マクレイヴンの曲も披露。総じてリアルなジャズ色やヒップホップ色は出さないハード・ドライヴィングなフュージョンと、この編成による実演に接してぼくは言いたくなったか。彼の『イン・ザ・モーメント』にしろ『ハイリー・レア』(インターナショナル・アンセム、2017年)にしろ、ジェフ・パーカーの『ザ・ニュー・ブリード』(インターナショナル・アンセム、2016年)もそうだが、ポスト・プロダクションを経ての秀でた聞き口であったわけで、逆説的にマクレイヴンの編集能力の冴えをリアルに感じまくったのは疑いがない。古くはテオ・マセロやフランク・ザッパの才覚を受け継ぎ、今のノリ言うならヒップホップのエディット感覚の恩恵を存分に彼は受けている。けっこうライヴ音は録っているそうだが、この晩の演奏が彼のポスト・プロダクションを経ると、どういうものになるのかとも考えを巡らしもした。
▶︎過去の、マカヤ・マクレイヴン
http://43142.diarynote.jp/201712131709468312/
▶過去の、ジェフ・パーカー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm シカゴ・アンダーグラウンド・デュオ、サム・プレコップ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm ブロークバック、シカゴ・アンダーグラウンド、アイソトープ217
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm トータス
http://43142.diarynote.jp/?day=20040120 ロブ・マズレク、ジェフ・パーカー・トリオ、ブロークバック、シカゴ・アンダーグラウンド・カルテット
http://43142.diarynote.jp/200501170151560000/ トータス
http://43142.diarynote.jp/201111251250189885/ トータス
http://43142.diarynote.jp/201405081408031505/ トータス
http://43142.diarynote.jp/201705140938439184/ スコット・アメンデラ
http://43142.diarynote.jp/201705161314529397/ トータス
http://43142.diarynote.jp/201708161337599841/ ザ・ニュー・ブリード
<翌日の、マクレイヴン>
取材をしたが、好人物で、つぶらな瞳の持ち主だった。いま、改めてピアノから大きな編成のアレンジまでいろいんなことを学んでいて、全部一人でやったレコードも出したいそう。彼はパリ生まれで、母親がハンガリー人音楽家であるといった、普通のアメリカ人ではない複数の要件を抱えていることに自負を抱いている。その両親はパリで出会い、父親は今もパリ在住でドラマー活動をしているそう。彼は現行シカゴ・ジャズ界の中心人物といった感じがもあるが、実はもともとシカゴとは無縁で、同所に住んで12年経つ。どうしてシカゴに住むようになったのと問えば、奥さんがシカゴの大学で教えているからだそう。実は、昨年のベスト1ジャズ公演とぼくが絶賛しているマーキス・ヒル(2016年9月17日、2017年1月7日、2017年1月16日、2018年5月24日)のコットンクラブ公演に、彼は誘われていた。マーキス・ヒルの名を出したら、コットンクラブの名前を彼はすぐに出してきて、なんで知っているのと問うたら、だって行きたかったんだもんとニコリ。
▶︎過去の、マーキス・ヒル
http://43142.diarynote.jp/?day=20160917
http://43142.diarynote.jp/201701091247527188/
http://43142.diarynote.jp/201701171118107802/
http://43142.diarynote.jp/201805250930363191/
アリス・フィービー・ルー
2018年7月9日 音楽 面白い人と注目したいと思っていたが、実演は想像以上。しっかり聞く者に働きかけ、いい表現者だという感想をしっかりと持たせる。1992年南アフリカ生まれ、ベルリン在住のロック系列にある女性シンガー・ソングライターの初来日公演を、代官山晴れたら空に豆まいてで見る。もう、会場激込み。そして、終演後のCD即売サイン会には長い列ができていたが、ショウに触れるとそれにも納得ですね。
基本エレクトリック・ギターを弾きながら歌う彼女を、ドラムを叩くかキーボードを弾く男性とベーシストでときにリズム音も担当した奏者が付く。初来日となる今回、弾き語りだけでもパフォーマンスは維持できるはず(YouTubeでは、そういう映像もある)だが、彼女は最小限のワーキング・バンドの選抜隊でやってきた。結果、いいバンドを持っていることを示唆。サックス奏者も含む今のバンド員は彼女と同じく皆ベルリン在住だが、イスラエル、豪州、イタリアなど多国籍の者たちで成り立っている。
ショウに触れ、まず声に存在感があると再認識。基本透明感を与える声の持ち主なんだが、質量感をしっかりと持ち、ときに繰り出す歌唱アクセント〜もしかすると、それはアフリカ出身であることを感じさせる?〜も繰り出す。表現力ある、いい歌い手だな。CDよりも線が太く、今を伸び伸びと生きようとする姿勢がしなやかに聞き手に向かう。曲趣にも、満ちる。子供のころ好きだったのはボブ・ディラン、ルー・リード、ジミ・ヘンドリックスといった親流れの大御所たちだったが、そうした愛好につながる本質を感じさせつつ、浮遊感ある今の誘いを持ち(曲によっては、エレクトロな質感を持つ味付けも持つ)、祈りや癒しを持つ曲もあり。今後、大注目の存在であることを、しかと確認しました。
<先週の、アリス>
金曜日に、インタヴューをした。なんか、当人とても喜んでいた。今年中にリリースされるだろう新作は、ジョアンナ・ニューサム(2010年2月8日、2016年1月27日)やデヴェンドラ・バンハート(2010年2月4日、2011年8月4日、2017年5月10日)を手がけているノア・ジョージソンをプロデューサーに立てて、自己バンドとともにカリフォルニアに飛びレコーディングされている。インディペンデントであることはとても重要で、音楽で得たお金をそれにつぎ込んだとのこと。かなり、ライヴ感のある内容であるという。ところで、彼女との取材場所になったのは、道玄坂を登った先にあるTurn Tableというビル。レストラン、バー、野菜などの売店、ドミトリーからスイート・ルームまでがある宿泊施設などを持つよう。へえ、家からの徒歩圏内でこんな建物があるんだと思ったら、徳島県のアンテナ・ショップ+であるそう。その隣には、NADESHIKO HOTELという和を強調したような施設があって、そちらは女性専用のカプセル・ホテルのよう。
▶過去の、ジョアンナ・ニューサム
http://43142.diarynote.jp/201002090914248826/
http://43142.diarynote.jp/201601301016081732/
▶︎過去の、デヴェンドラ・バンハート
http://43142.diarynote.jp/201002072245512219/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
http://43142.diarynote.jp/201705100944346055/
基本エレクトリック・ギターを弾きながら歌う彼女を、ドラムを叩くかキーボードを弾く男性とベーシストでときにリズム音も担当した奏者が付く。初来日となる今回、弾き語りだけでもパフォーマンスは維持できるはず(YouTubeでは、そういう映像もある)だが、彼女は最小限のワーキング・バンドの選抜隊でやってきた。結果、いいバンドを持っていることを示唆。サックス奏者も含む今のバンド員は彼女と同じく皆ベルリン在住だが、イスラエル、豪州、イタリアなど多国籍の者たちで成り立っている。
ショウに触れ、まず声に存在感があると再認識。基本透明感を与える声の持ち主なんだが、質量感をしっかりと持ち、ときに繰り出す歌唱アクセント〜もしかすると、それはアフリカ出身であることを感じさせる?〜も繰り出す。表現力ある、いい歌い手だな。CDよりも線が太く、今を伸び伸びと生きようとする姿勢がしなやかに聞き手に向かう。曲趣にも、満ちる。子供のころ好きだったのはボブ・ディラン、ルー・リード、ジミ・ヘンドリックスといった親流れの大御所たちだったが、そうした愛好につながる本質を感じさせつつ、浮遊感ある今の誘いを持ち(曲によっては、エレクトロな質感を持つ味付けも持つ)、祈りや癒しを持つ曲もあり。今後、大注目の存在であることを、しかと確認しました。
<先週の、アリス>
金曜日に、インタヴューをした。なんか、当人とても喜んでいた。今年中にリリースされるだろう新作は、ジョアンナ・ニューサム(2010年2月8日、2016年1月27日)やデヴェンドラ・バンハート(2010年2月4日、2011年8月4日、2017年5月10日)を手がけているノア・ジョージソンをプロデューサーに立てて、自己バンドとともにカリフォルニアに飛びレコーディングされている。インディペンデントであることはとても重要で、音楽で得たお金をそれにつぎ込んだとのこと。かなり、ライヴ感のある内容であるという。ところで、彼女との取材場所になったのは、道玄坂を登った先にあるTurn Tableというビル。レストラン、バー、野菜などの売店、ドミトリーからスイート・ルームまでがある宿泊施設などを持つよう。へえ、家からの徒歩圏内でこんな建物があるんだと思ったら、徳島県のアンテナ・ショップ+であるそう。その隣には、NADESHIKO HOTELという和を強調したような施設があって、そちらは女性専用のカプセル・ホテルのよう。
▶過去の、ジョアンナ・ニューサム
http://43142.diarynote.jp/201002090914248826/
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▶︎過去の、デヴェンドラ・バンハート
http://43142.diarynote.jp/201002072245512219/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
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ジャズ・ワールド・ビート
2018年7月7日 音楽 近年、7月上旬に都立大学・めぐろパーシモン・ホールで持たれている音楽イヴェントを見る。例により、小ホールでの昼の部と大ホールでの夜の部が開かれた。
昼の部)
+Tokyo Django Collectiveフィーチャリング北床宗太郎
河野文彦(ギター)、手島大輔(ギター)、阿部恭平(ベース)、北床宗太郎(ヴァイオリン)の4人が演奏。そのグループ名にあるように、ジャンゴ・ラインハルトを根に置くが、いろいろと洗練をまぶしていたのが印象的。日本人がのぞむマヌーシュ・スウィング基調表現として、その指針は間違っていないと思う。
+喜多直毅&黒田京子デュオ
ヴァイオリンの喜多直毅(2018年1月6日)とピアノの黒田京子(2018年1月6日)のデュオは、完全生音にて披露される。確かな技量のもと送り出される楽器音の多彩さ、訴求力にはうなる。素晴らしい。喜多はとくに、生音であるにも関わらず<ヴァイオリン・ヘンドリックス>という風情を持つ演奏にまで突入。音響がいいため、自らが求める音色を存分に獲得できた結果から、今年頭に見たデュオ・パフォーマンスよりアヴァンギャドな印象も得た。
▶︎過去の、喜多直毅
http://43142.diarynote.jp/201801071035098671/
▶︎過去の、黒田京子
http://43142.diarynote.jp/201801071035098671/
+仲野麻紀 with ヤン・ピタール
仏ブルターニュに拠点を起き、アフリカやアラブに出向いてもいる、日本人“ノマド型”リード奏者とウード奏者のヤン・ピタールのデュオ演奏はいろんな曲を披露した。エリック・サティ、エジプト、日本民謡、ケルトなど、いろんなものが素材となる。半数近くで中野は歌も歌い、またアルト・サックスだけでなくクラリネットも吹いた。一方、足下にエフェクターを置いていたピタールはウードのサンプリング・シークエンスに生ウード音を乗せる場合もあったし、エレクトリック・ギターを弾く曲もあった。自由な視点の置き方を介する奔放さあり。
+岩川光トリオ
ケーナ奏者でブエノスアイレスを拠点に置く岩川光(2014年2月9日)は、アコーディオンの佐藤芳明(2009年10月8日、2010年9月11日、2012年2月10日、2013年8月29日、2014年2月9日、2017年7月8日)、ピアノの林正樹(2013年9月6日、2015年9月27日、2015年12月17日、2016年7月16日、2018年5月13日)という二人の鍵盤奏者と実演する。林が弾く詩情ある調べを土台に置き、佐藤がコード音中心で奥行きや佇まいを加え、そこに岩川は6穴を駆使する自在の演奏をのせる。岩川は尺八みたいな大きさのケーナも吹いた。この単位でやるのは1年ぶりとのことだが、阿吽の呼吸を持ち、妙味もあり。
▶︎過去の、岩川光
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
▶過去の、佐藤芳明
http://43142.diarynote.jp/200910140952248669/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100911
http://43142.diarynote.jp/?day=20120210
http://43142.diarynote.jp/?day=20130829
http://43142.diarynote.jp/?day=20100911
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
http://43142.diarynote.jp/201707101243147840/
▶過去の、林正樹
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
http://43142.diarynote.jp/201607191312426603/
http://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
夜の部>
+RS5pb(類家心平5ピースバンド)
トランペットの類家心平(2011年5月5日、2011年7月31日、2014年6月13日、2014年9月25日、2014年12月28日、2015年5月20日、2017年6月21日、2017年9月2日、2018年1月19日、2018年5月13日)、ピアノとキーボードの中嶋錠二、ギターの田中"tak"拓也、ダブル・ベースの鉄井孝司、ドラムの吉岡大輔(2004年11月22日)という面々による。途中には、テナー・サックスを手にする菊地成孔(2001年9月22日、2002年1月5日、2002年11月30日、2004年7月6日、2004年8月12日、2005年6月9日、2006年1月21日、2007年11月7日、2009年7月19日、2010年3月26日、2011年4月22日、2011年5月5日、2011年7月31日、2013年3月26日、2013年7月27日、2014年2月20日、2014年4月3日、2014年9月7日、2016年10月28日、2017年9月2日、2018年5月13日)が加わる。縦ベースと狼藉系ギターが同居していることが示唆するように、尖り傾向にあるリフを基調とするヴァイタルなジャズ路線を標榜していた。
▶過去の、類家心平
http://43142.diarynote.jp/?day=20110505
http://43142.diarynote.jp/201108101624025366/
http://43142.diarynote.jp/201406160956273046/
http://43142.diarynote.jp/201409261635554506/
http://43142.diarynote.jp/201412301043067796/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
http://43142.diarynote.jp/201609201648546159/
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
http://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
http://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
▶︎過去の、吉岡大輔
http://43142.diarynote.jp/200411231724240000/
▶過去の、菊地成孔
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.ht
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200407062149440000/
http://43142.diarynote.jp/200408120238330000/
http://43142.diarynote.jp/200506120644360000/
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
http://43142.diarynote.jp/200711101236210000/
http://43142.diarynote.jp/200907221011377741/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100326
http://43142.diarynote.jp/?day=20110422
http://43142.diarynote.jp/?day=20110505
http://43142.diarynote.jp/?day=20110731
http://43142.diarynote.jp/201303290751204240/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130727
http://43142.diarynote.jp/201402210802184994/
http://43142.diarynote.jp/201404050818444425/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/)
http://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
+浜田真理子
松江在住のピアノ弾き語り系シンガー・ソングライターである浜田真理子(2018年1月6日)は、いろんな設定や選曲で、澄んだ歌声や歌心を披露した。最初と最後の曲は弾き語り、昼の部に出た喜多直毅(2018年1月6日)とのデュオ、さらに黒田京子(2018年1月6日)も入ってのトリオもあり(その際、浜田は中央に立ち歌に専念)、普段一緒にやっているというアコーディオンの檜山学とベースの加瀬達がサポートする曲もあり。その際は、サックス奏者も入る曲もあったっけ?
▶︎過去の、浜田真理子
http://43142.diarynote.jp/201801071035098671/
+チャボロ・シュミット・トリオ
天下無双のフランス人マヌーシュ・ギタリストのチャボロ・シュミット(2003年1月8日、2003年8月30日、2008年6月23日)の実演は、マヨ・ユベール(リズム・ギター)とクロディウス・デュポン(ベース)を従えたワーキンギ・トリオでなされる。シュミットは蝶ネクタイ、黒色スーツの正装なり。マヌーシュ・スウィングのギターはアコースティック・ギターの形ながらスティール弦が張られるが、今回そのごりごりした質感がなんか印象に残ったか。とともに、皆が一致団結して刻みを追求していくような様式に触れ、欧州の規範の外でサヴァイヴしていくための彼らのユニティの必然性の顕われを感じずにはいられなかった。
途中で、彼の近作にも入り深い歌唱を聞かせていた赤いドレスを着た女性シンガーのマリー・クリスティーヌ・ブランビーリャが2曲で歌う。また、ヴァイオリンの太田恵資(2001年3月24日、2003年5月22日、2004年10月10日、2005年2月19日、2016年9月27日)が入った曲もあるし、終盤はギターの渡辺香津美(2004年12月15日、2010年9月1日、2010年9月5日 、2010年11月20日、2012年3月20日、2016年6月4日、2016年9月4日、2017年9月2日、2018年4月6日)も加わる。さらに、太田恵資ももう一度。そのアンコールには、昼の部出演者や浜田真理子のサポート陣も出てきて、ソロを回した。
▶︎過去の、チャボロ・シュミット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm ジプシー・サマー
http://43142.diarynote.jp/200806241306330000/
▶過去の、渡辺香津美
http://43142.diarynote.jp/200412212102130000/
http://43142.diarynote.jp/201009030955539620/
http://43142.diarynote.jp/201009171511588216/
http://43142.diarynote.jp/?day=20101120
http://43142.diarynote.jp/201203260803216950/
http://43142.diarynote.jp/201606121224129353/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712
http://43142.diarynote.jp/201804071041255956/
▶︎過去の、太田恵資
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-3.htm シカラムータ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm ハシケン
http://43142.diarynote.jp/?day=20041010
http://43142.diarynote.jp/200502232040290000/
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
<今日の、昼下がり>
いよいよ佳境、W杯TV観戦で寝不足でーす。都立大学に行く前に原宿・Bookmarcに寄って、石田昌隆の「JAMAICA 1982」写真展をのぞく。会場は、親日家でブラジル人好きと言われるファッション・デザイナーのマーク・ジェイコブスが作った本屋さんらしい。同名の写真集(OVERHEAT/The Riddim刊)刊行に端を発するもので、その写真集に収められた写真の抜粋が地下スペースに展示されていた。会場では、そのプリントも販売。表題にあるように、1982年にジャマイカに行った際に撮った写真群をまとめたものだが、あのときあの場にいたからこその貴重さは山ほど。ミュージシャンの写真よりも日常を撮影したショットのほうが、ぼくは印象に残った。ぼくがジャマイカに行ったのはその約10年後だが、そのときとも街の様はけっこう違う。ぼくのジャマイカ行きは、この写真集の発行者であるECさんと一緒。←ゆえに、楽だった。当時NYにもアパートを借りていたカメラマンの仁礼博さんと最初に会ったのも、そのときだったな。
昼の部)
+Tokyo Django Collectiveフィーチャリング北床宗太郎
河野文彦(ギター)、手島大輔(ギター)、阿部恭平(ベース)、北床宗太郎(ヴァイオリン)の4人が演奏。そのグループ名にあるように、ジャンゴ・ラインハルトを根に置くが、いろいろと洗練をまぶしていたのが印象的。日本人がのぞむマヌーシュ・スウィング基調表現として、その指針は間違っていないと思う。
+喜多直毅&黒田京子デュオ
ヴァイオリンの喜多直毅(2018年1月6日)とピアノの黒田京子(2018年1月6日)のデュオは、完全生音にて披露される。確かな技量のもと送り出される楽器音の多彩さ、訴求力にはうなる。素晴らしい。喜多はとくに、生音であるにも関わらず<ヴァイオリン・ヘンドリックス>という風情を持つ演奏にまで突入。音響がいいため、自らが求める音色を存分に獲得できた結果から、今年頭に見たデュオ・パフォーマンスよりアヴァンギャドな印象も得た。
▶︎過去の、喜多直毅
http://43142.diarynote.jp/201801071035098671/
▶︎過去の、黒田京子
http://43142.diarynote.jp/201801071035098671/
+仲野麻紀 with ヤン・ピタール
仏ブルターニュに拠点を起き、アフリカやアラブに出向いてもいる、日本人“ノマド型”リード奏者とウード奏者のヤン・ピタールのデュオ演奏はいろんな曲を披露した。エリック・サティ、エジプト、日本民謡、ケルトなど、いろんなものが素材となる。半数近くで中野は歌も歌い、またアルト・サックスだけでなくクラリネットも吹いた。一方、足下にエフェクターを置いていたピタールはウードのサンプリング・シークエンスに生ウード音を乗せる場合もあったし、エレクトリック・ギターを弾く曲もあった。自由な視点の置き方を介する奔放さあり。
+岩川光トリオ
ケーナ奏者でブエノスアイレスを拠点に置く岩川光(2014年2月9日)は、アコーディオンの佐藤芳明(2009年10月8日、2010年9月11日、2012年2月10日、2013年8月29日、2014年2月9日、2017年7月8日)、ピアノの林正樹(2013年9月6日、2015年9月27日、2015年12月17日、2016年7月16日、2018年5月13日)という二人の鍵盤奏者と実演する。林が弾く詩情ある調べを土台に置き、佐藤がコード音中心で奥行きや佇まいを加え、そこに岩川は6穴を駆使する自在の演奏をのせる。岩川は尺八みたいな大きさのケーナも吹いた。この単位でやるのは1年ぶりとのことだが、阿吽の呼吸を持ち、妙味もあり。
▶︎過去の、岩川光
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
▶過去の、佐藤芳明
http://43142.diarynote.jp/200910140952248669/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100911
http://43142.diarynote.jp/?day=20120210
http://43142.diarynote.jp/?day=20130829
http://43142.diarynote.jp/?day=20100911
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
http://43142.diarynote.jp/201707101243147840/
▶過去の、林正樹
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
http://43142.diarynote.jp/201607191312426603/
http://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
夜の部>
+RS5pb(類家心平5ピースバンド)
トランペットの類家心平(2011年5月5日、2011年7月31日、2014年6月13日、2014年9月25日、2014年12月28日、2015年5月20日、2017年6月21日、2017年9月2日、2018年1月19日、2018年5月13日)、ピアノとキーボードの中嶋錠二、ギターの田中"tak"拓也、ダブル・ベースの鉄井孝司、ドラムの吉岡大輔(2004年11月22日)という面々による。途中には、テナー・サックスを手にする菊地成孔(2001年9月22日、2002年1月5日、2002年11月30日、2004年7月6日、2004年8月12日、2005年6月9日、2006年1月21日、2007年11月7日、2009年7月19日、2010年3月26日、2011年4月22日、2011年5月5日、2011年7月31日、2013年3月26日、2013年7月27日、2014年2月20日、2014年4月3日、2014年9月7日、2016年10月28日、2017年9月2日、2018年5月13日)が加わる。縦ベースと狼藉系ギターが同居していることが示唆するように、尖り傾向にあるリフを基調とするヴァイタルなジャズ路線を標榜していた。
▶過去の、類家心平
http://43142.diarynote.jp/?day=20110505
http://43142.diarynote.jp/201108101624025366/
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http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
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http://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
▶︎過去の、吉岡大輔
http://43142.diarynote.jp/200411231724240000/
▶過去の、菊地成孔
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.ht
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200407062149440000/
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http://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
+浜田真理子
松江在住のピアノ弾き語り系シンガー・ソングライターである浜田真理子(2018年1月6日)は、いろんな設定や選曲で、澄んだ歌声や歌心を披露した。最初と最後の曲は弾き語り、昼の部に出た喜多直毅(2018年1月6日)とのデュオ、さらに黒田京子(2018年1月6日)も入ってのトリオもあり(その際、浜田は中央に立ち歌に専念)、普段一緒にやっているというアコーディオンの檜山学とベースの加瀬達がサポートする曲もあり。その際は、サックス奏者も入る曲もあったっけ?
▶︎過去の、浜田真理子
http://43142.diarynote.jp/201801071035098671/
+チャボロ・シュミット・トリオ
天下無双のフランス人マヌーシュ・ギタリストのチャボロ・シュミット(2003年1月8日、2003年8月30日、2008年6月23日)の実演は、マヨ・ユベール(リズム・ギター)とクロディウス・デュポン(ベース)を従えたワーキンギ・トリオでなされる。シュミットは蝶ネクタイ、黒色スーツの正装なり。マヌーシュ・スウィングのギターはアコースティック・ギターの形ながらスティール弦が張られるが、今回そのごりごりした質感がなんか印象に残ったか。とともに、皆が一致団結して刻みを追求していくような様式に触れ、欧州の規範の外でサヴァイヴしていくための彼らのユニティの必然性の顕われを感じずにはいられなかった。
途中で、彼の近作にも入り深い歌唱を聞かせていた赤いドレスを着た女性シンガーのマリー・クリスティーヌ・ブランビーリャが2曲で歌う。また、ヴァイオリンの太田恵資(2001年3月24日、2003年5月22日、2004年10月10日、2005年2月19日、2016年9月27日)が入った曲もあるし、終盤はギターの渡辺香津美(2004年12月15日、2010年9月1日、2010年9月5日 、2010年11月20日、2012年3月20日、2016年6月4日、2016年9月4日、2017年9月2日、2018年4月6日)も加わる。さらに、太田恵資ももう一度。そのアンコールには、昼の部出演者や浜田真理子のサポート陣も出てきて、ソロを回した。
▶︎過去の、チャボロ・シュミット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm ジプシー・サマー
http://43142.diarynote.jp/200806241306330000/
▶過去の、渡辺香津美
http://43142.diarynote.jp/200412212102130000/
http://43142.diarynote.jp/201009030955539620/
http://43142.diarynote.jp/201009171511588216/
http://43142.diarynote.jp/?day=20101120
http://43142.diarynote.jp/201203260803216950/
http://43142.diarynote.jp/201606121224129353/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712
http://43142.diarynote.jp/201804071041255956/
▶︎過去の、太田恵資
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-3.htm シカラムータ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm ハシケン
http://43142.diarynote.jp/?day=20041010
http://43142.diarynote.jp/200502232040290000/
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
<今日の、昼下がり>
いよいよ佳境、W杯TV観戦で寝不足でーす。都立大学に行く前に原宿・Bookmarcに寄って、石田昌隆の「JAMAICA 1982」写真展をのぞく。会場は、親日家でブラジル人好きと言われるファッション・デザイナーのマーク・ジェイコブスが作った本屋さんらしい。同名の写真集(OVERHEAT/The Riddim刊)刊行に端を発するもので、その写真集に収められた写真の抜粋が地下スペースに展示されていた。会場では、そのプリントも販売。表題にあるように、1982年にジャマイカに行った際に撮った写真群をまとめたものだが、あのときあの場にいたからこその貴重さは山ほど。ミュージシャンの写真よりも日常を撮影したショットのほうが、ぼくは印象に残った。ぼくがジャマイカに行ったのはその約10年後だが、そのときとも街の様はけっこう違う。ぼくのジャマイカ行きは、この写真集の発行者であるECさんと一緒。←ゆえに、楽だった。当時NYにもアパートを借りていたカメラマンの仁礼博さんと最初に会ったのも、そのときだったな。
ペドロ・ミランダ with グルーポ・カデンシア
2018年7月4日 音楽 リオの前線サンバ歌手であるペドロ・ミランダ(2017年9月8日)を、青山・プラッサオンゼで見る。今回の来日ツアーのサポートを勤めたのは、パーカッションの宮澤摩周(2013年8月24日、2014年5月3日、2014年6月15日、2016年2月11日、2016年5月22日、2017年7月8日、2017年11月9日、2018年6月17日)、7弦ギターの尾花毅、カヴァーキーニョのダリオ・サクモト、クラリネットとアルト・サックスとフルートの土井徳浩(2015年4月24日、2015年10月15日、2016年7月11日、2017年10月27日)からなるグルーポ・カデンンシア。そして、そこにトロンボーンの和田充弘(2017年6月15日)も加わる。トロンボーンの特性を生かした、ほんわか流動的な彼のフレイジングは何気に耳を引いたな。2管のかみ合いは、ショーロを思い出させるところもあった。
東京公演は、3日組まれる。そして、中日となるこの日は通常のショウを1部で披露した後、休憩をおいた2部では、観客参加型のセッションが持たれる。一部で70分やり、2部は80分を超えた。
もうニコニコ、和気藹々。ミランダはパンデイロを叩きながら、悠々といい声で歌う。それだけで、ブラジルのイナセな大衆文化の正の部分が表れる? ブラジルのサンバの積み重ねにも思いは向かう?
MCでユーモラスに語っていたが、彼はシンガーとして以上にパンデイロ奏者としての音楽家キャリアが長いのだから、それは堂に入っている。話好きっぽい彼の話を、ブラジルに居住していたこともあり、今も行き来する宮沢が適時通訳する。まったくポル語を解さないぼくにはありがたかったが、場内はそれを必要としない人もけっこういたのではないか。だって、大好評を博したミランダの2016年作『Samba Original』(Independent/Tratore)にはカエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日、2016年10月9日)が入った曲もあったのだが、それをやる際にカエターノのヴォーカル部を歌うことをミランダが観客に求めたら、けっこう様になったコーラスになっていたもの。
2部は、ミランダを進行役とする、有名サンバ曲を介するセッション。管楽器、弦楽器、打楽器、そしてシンガーたちがいろいろ加わり、臨機応変にすすめられる。参加者以外の観客の手拍子やコーラスも生まれる。なんか、リオの裏路地を勝手に想起させる部分もあったし、ブラジルと日本ってこんなに近かったのかともぼくは思わずにはいられなかった。米国大学ジャズ教育の名門である北テキサス大学に留学しているトランペターの田中一徳(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年2月11日、2013年8月24日、2014年6月15日、2015年7月12日)も夏休みで帰国していて、そのセッションに加わっていた。
しかし、ブラジルがメキシコに勝ってよかった。ミランダはワールド・カップについて一言も発さなかったが、敗戦してたら、まったくその影が落ちないはずはない。それはここに来ている日本人を含めて。そういえば、オタヴァ・ヨ(2018年6月28日)のリーダーのアリェクセイ・ビェルキンに7月3日にインタヴューしたら、まったくサッカーやW杯には興味がなく、日本で(ロシアの好成績を受けて)おめでとうと言われてなんのこっちゃと思ったそう。とはいえ、足の故障でやめざるをえなかったが、彼は16歳までプロのバレーボールの選手として活躍。やるのは好きでも見るのは好きくないそうで、バレーボールも観戦はしないとのことであるが。ま、人それぞれ。この晩のライヴ評は、そのうち日経新聞の電子版に出ます。
▶︎過去の、ペドロ・ミランダ
http://43142.diarynote.jp/201709110843278416/
▶︎過去の、宮沢摩周
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160211
http://43142.diarynote.jp/201605240833401202/
http://43142.diarynote.jp/201711101104467609/
▶︎過去の、土井徳浩
http://43142.diarynote.jp/201504271015006453/
http://43142.diarynote.jp/201510181000334516/
http://43142.diarynote.jp/201607121045394372/
http://43142.diarynote.jp/201711020707155260/
http://43142.diarynote.jp/201806181751451387/
▶︎過去の、和田充弘
http://43142.diarynote.jp/201706190920527378/
▶︎過去の、カエターノ・ヴェローゾ
http://43142.diarynote.jp/200506021846130000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161009
▶︎過去の、田中一徳
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201105140858559432/
http://43142.diarynote.jp/201206120854205300/
http://43142.diarynote.jp/201211151028209850/
http://43142.diarynote.jp/201302181123344904/
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
http://43142.diarynote.jp/201507190815468497/
<今日の、R.I.P.>
ニューオーリンズの盲目のピアニスト/シンガーであるヘンリー・バトラー(2004年9月17日、2006年7月14日)が逝去した。1949年9月21日にNOLAで生まれ、2018年7月2日にNYで癌のため亡くなった。盲学校で音楽に触れ、音楽で複数の大学に通ったという経歴を彼は持つ。ハリケーンを経て、2009年以降はNYに居住していた。通算3度見ることができた彼のライヴはニューオーリンズという属性を抱えつつも、明らかに傾向の違いを感じさせるもので、今にして不思議なスケール感を持っていた御仁であったと思う。
▶︎過去の、ヘンリー・バトラー
http://43142.diarynote.jp/200410071540230000/
http://43142.diarynote.jp/200607150910170000/
また、シンガー、コンポーザー、マルチ・プレイヤー、プロデューサーなど多彩な才を示してきたリチャード・スウィフトも重篤な病気で6月中旬に入院し、お亡くなりになった。1977年3月16日(カリフォルニア州)生まれ、2018年7月3日(ワシントン州タコマ)で死去。ザ・シンズ(2007年11月13日、2017年11月28日)の一員として2007年日本公演に同行したこともあったし、ザ・ブラック・キーズのツアー・サポートもしていた。なんとなく捉えどころのない、ほんわかしたポップネスに満ちたリーダー作群は得がたい味を持っていた。本名はRicardo Sigilfredo Olivarez 、ラテン系だったのだろうか。
▶過去の、ザ・シンズ
http://43142.diarynote.jp/200711141503340000/
http://43142.diarynote.jp/201711291334192954/
東京公演は、3日組まれる。そして、中日となるこの日は通常のショウを1部で披露した後、休憩をおいた2部では、観客参加型のセッションが持たれる。一部で70分やり、2部は80分を超えた。
もうニコニコ、和気藹々。ミランダはパンデイロを叩きながら、悠々といい声で歌う。それだけで、ブラジルのイナセな大衆文化の正の部分が表れる? ブラジルのサンバの積み重ねにも思いは向かう?
MCでユーモラスに語っていたが、彼はシンガーとして以上にパンデイロ奏者としての音楽家キャリアが長いのだから、それは堂に入っている。話好きっぽい彼の話を、ブラジルに居住していたこともあり、今も行き来する宮沢が適時通訳する。まったくポル語を解さないぼくにはありがたかったが、場内はそれを必要としない人もけっこういたのではないか。だって、大好評を博したミランダの2016年作『Samba Original』(Independent/Tratore)にはカエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日、2016年10月9日)が入った曲もあったのだが、それをやる際にカエターノのヴォーカル部を歌うことをミランダが観客に求めたら、けっこう様になったコーラスになっていたもの。
2部は、ミランダを進行役とする、有名サンバ曲を介するセッション。管楽器、弦楽器、打楽器、そしてシンガーたちがいろいろ加わり、臨機応変にすすめられる。参加者以外の観客の手拍子やコーラスも生まれる。なんか、リオの裏路地を勝手に想起させる部分もあったし、ブラジルと日本ってこんなに近かったのかともぼくは思わずにはいられなかった。米国大学ジャズ教育の名門である北テキサス大学に留学しているトランペターの田中一徳(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年2月11日、2013年8月24日、2014年6月15日、2015年7月12日)も夏休みで帰国していて、そのセッションに加わっていた。
しかし、ブラジルがメキシコに勝ってよかった。ミランダはワールド・カップについて一言も発さなかったが、敗戦してたら、まったくその影が落ちないはずはない。それはここに来ている日本人を含めて。そういえば、オタヴァ・ヨ(2018年6月28日)のリーダーのアリェクセイ・ビェルキンに7月3日にインタヴューしたら、まったくサッカーやW杯には興味がなく、日本で(ロシアの好成績を受けて)おめでとうと言われてなんのこっちゃと思ったそう。とはいえ、足の故障でやめざるをえなかったが、彼は16歳までプロのバレーボールの選手として活躍。やるのは好きでも見るのは好きくないそうで、バレーボールも観戦はしないとのことであるが。ま、人それぞれ。この晩のライヴ評は、そのうち日経新聞の電子版に出ます。
▶︎過去の、ペドロ・ミランダ
http://43142.diarynote.jp/201709110843278416/
▶︎過去の、宮沢摩周
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160211
http://43142.diarynote.jp/201605240833401202/
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▶︎過去の、土井徳浩
http://43142.diarynote.jp/201504271015006453/
http://43142.diarynote.jp/201510181000334516/
http://43142.diarynote.jp/201607121045394372/
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http://43142.diarynote.jp/201806181751451387/
▶︎過去の、和田充弘
http://43142.diarynote.jp/201706190920527378/
▶︎過去の、カエターノ・ヴェローゾ
http://43142.diarynote.jp/200506021846130000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161009
▶︎過去の、田中一徳
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
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http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
http://43142.diarynote.jp/201507190815468497/
<今日の、R.I.P.>
ニューオーリンズの盲目のピアニスト/シンガーであるヘンリー・バトラー(2004年9月17日、2006年7月14日)が逝去した。1949年9月21日にNOLAで生まれ、2018年7月2日にNYで癌のため亡くなった。盲学校で音楽に触れ、音楽で複数の大学に通ったという経歴を彼は持つ。ハリケーンを経て、2009年以降はNYに居住していた。通算3度見ることができた彼のライヴはニューオーリンズという属性を抱えつつも、明らかに傾向の違いを感じさせるもので、今にして不思議なスケール感を持っていた御仁であったと思う。
▶︎過去の、ヘンリー・バトラー
http://43142.diarynote.jp/200410071540230000/
http://43142.diarynote.jp/200607150910170000/
また、シンガー、コンポーザー、マルチ・プレイヤー、プロデューサーなど多彩な才を示してきたリチャード・スウィフトも重篤な病気で6月中旬に入院し、お亡くなりになった。1977年3月16日(カリフォルニア州)生まれ、2018年7月3日(ワシントン州タコマ)で死去。ザ・シンズ(2007年11月13日、2017年11月28日)の一員として2007年日本公演に同行したこともあったし、ザ・ブラック・キーズのツアー・サポートもしていた。なんとなく捉えどころのない、ほんわかしたポップネスに満ちたリーダー作群は得がたい味を持っていた。本名はRicardo Sigilfredo Olivarez 、ラテン系だったのだろうか。
▶過去の、ザ・シンズ
http://43142.diarynote.jp/200711141503340000/
http://43142.diarynote.jp/201711291334192954/
オタヴァ・ヨ。パキート・デリベラ
2018年6月28日 音楽 ロシアのサンクトペテルブルクからやってきたトラッド系バンドを、青山・月見ル君想フで見る。ワールド・カップ自国開催中にわざわざ訪日とはなんと酔狂なと一瞬思ったが、ほとんどのミュージシャンはやはりそうするか。初来日となれば余計に。
グスリというロシアの多弦楽器とジャレイカという縦笛とバグ・パイプと歌(MCは英語で彼がした)、フィドル(すごいボディが厚い無骨なものを弾いていた)と歌とジャレイカ、フィドルと歌(紅一点)、エレクトリック・ギターと歌、エレクトリック・ベース、パーカッション(バス・ドラム、タラブッカ)という陣容からなる6人組、30代から50歳がらみぐらいか。まずは、もうその外見(なにげにロックぽい?)だけで引きつけるものあり。
で、音が送り出されると、もっと引きつけられる。のっけからズールー・ジャイヴ調のギターの調べが出てくるなど、参照する世界が広い。フィドル2本が活躍する曲はもろケルト調となったりするのをはじめ、ロシア外のいろんな手作り表現に発展のネタを求めているのが、”一聴瞭然“。楽しくも、技あり。ロシアのトラッド音楽の歌詞やメロディを柱に置きつつ、好奇心旺盛に四方八方に広がり、なんとも愉快な手作り世界を笑顔とともに送り出す様にはおおいに頷く。妙な臭みやユーモアも持つが、そんな彼らのノリ/楽器編成でレッド・ツェッペリンの「カシミール」をカヴァーしたら滅茶イケるはずとも、ぼくは思った。
2部の途中で、南青山・ブルーノート東京に移動。キューバ出身、在NY のアルト・サックス/クラリネット奏者(2013年10月26日、2014年10月5日)のショウを見る。サイドは、アルゼンチン出身のディエゴ・ウルコラ(トランペット、バルブ・トロンボーン)、アレックス・ブラウン(ピアノ)、ペルー出身のオスカル・スタグニャーロ(6弦エレクトリック・ベース)、マーク・ウォーカー(ドラム、カホンなど)というレギュラー・コンボの面々。今回のライヴはクラッシック曲を洒脱なジャズ流儀のもと開いた『 Meets the Classics』(Sunnyside、2014)の方向でなされると聞いていたが、ふたを開けてみれば、クラシック曲はベートーヴェンの曲一つだけだったのではないか。「エスタモス・アイ」や「黒いオルフェ」といったブラジル曲を2曲やったりと、ある種広義の中南米性を淡く出しているところはあったか。また、「ナイト・イン・チュニジア」なんていうベタなジャズ曲もやっていたのだが、どこかほっこりするようなメロウネスがあって、そこらあたりはこの出し物のポイントか。まあ、それはパキートの演奏にも通底することであるのだが。
ピアニスト以外いい年齢の奏者たちは、皆手だれ。デリベラは今月70歳になったそうだが、見た目はもっとおじいちゃんに見えた。最後の方、パーカッション奏者の木川保奈美がパンデイロで加わる。ステージの笑顔と照度が強まった。
<今日は、3回目の日本戦>
ブルーノート東京のショウ後、知人との会話を振り切り、すぐに別の知人宅へ。日本の予選リーグ成績は、1勝1敗1分け。で、ギリで決勝リーグへ。はい、土下座します。
グスリというロシアの多弦楽器とジャレイカという縦笛とバグ・パイプと歌(MCは英語で彼がした)、フィドル(すごいボディが厚い無骨なものを弾いていた)と歌とジャレイカ、フィドルと歌(紅一点)、エレクトリック・ギターと歌、エレクトリック・ベース、パーカッション(バス・ドラム、タラブッカ)という陣容からなる6人組、30代から50歳がらみぐらいか。まずは、もうその外見(なにげにロックぽい?)だけで引きつけるものあり。
で、音が送り出されると、もっと引きつけられる。のっけからズールー・ジャイヴ調のギターの調べが出てくるなど、参照する世界が広い。フィドル2本が活躍する曲はもろケルト調となったりするのをはじめ、ロシア外のいろんな手作り表現に発展のネタを求めているのが、”一聴瞭然“。楽しくも、技あり。ロシアのトラッド音楽の歌詞やメロディを柱に置きつつ、好奇心旺盛に四方八方に広がり、なんとも愉快な手作り世界を笑顔とともに送り出す様にはおおいに頷く。妙な臭みやユーモアも持つが、そんな彼らのノリ/楽器編成でレッド・ツェッペリンの「カシミール」をカヴァーしたら滅茶イケるはずとも、ぼくは思った。
2部の途中で、南青山・ブルーノート東京に移動。キューバ出身、在NY のアルト・サックス/クラリネット奏者(2013年10月26日、2014年10月5日)のショウを見る。サイドは、アルゼンチン出身のディエゴ・ウルコラ(トランペット、バルブ・トロンボーン)、アレックス・ブラウン(ピアノ)、ペルー出身のオスカル・スタグニャーロ(6弦エレクトリック・ベース)、マーク・ウォーカー(ドラム、カホンなど)というレギュラー・コンボの面々。今回のライヴはクラッシック曲を洒脱なジャズ流儀のもと開いた『 Meets the Classics』(Sunnyside、2014)の方向でなされると聞いていたが、ふたを開けてみれば、クラシック曲はベートーヴェンの曲一つだけだったのではないか。「エスタモス・アイ」や「黒いオルフェ」といったブラジル曲を2曲やったりと、ある種広義の中南米性を淡く出しているところはあったか。また、「ナイト・イン・チュニジア」なんていうベタなジャズ曲もやっていたのだが、どこかほっこりするようなメロウネスがあって、そこらあたりはこの出し物のポイントか。まあ、それはパキートの演奏にも通底することであるのだが。
ピアニスト以外いい年齢の奏者たちは、皆手だれ。デリベラは今月70歳になったそうだが、見た目はもっとおじいちゃんに見えた。最後の方、パーカッション奏者の木川保奈美がパンデイロで加わる。ステージの笑顔と照度が強まった。
<今日は、3回目の日本戦>
ブルーノート東京のショウ後、知人との会話を振り切り、すぐに別の知人宅へ。日本の予選リーグ成績は、1勝1敗1分け。で、ギリで決勝リーグへ。はい、土下座します。
ブールヴァール・デ・ゼール
2018年6月25日 音楽 代官山・晴れたら空に豆まいて で、フランスのスペイン寄りのオート・ピレネー県のタルブという所を本拠とするグループを見る。地元高校の校庭で2004年に結成された、ある種の自然体さ〜それはペーソスや雑草性と繋がる〜が魅力的な集団。現在は7人編成で活動しているが、ステージには4人が登場。彼らが14年活動を共にしているオリジナル・メンバーであるそうな。シンガー、アコースティック・ギター、キーボード、パッド・パーカッションという編成にて和気藹々と、哀愁に満ちた(基本、彼らの曲はマイナー・キー)、人懐こくもある、風通しのよい手作りポップを繰り出す。アルバムではその居住する場所を示唆するかのようにフラメンコ基調の曲もあったが、この日ぼくが聞いた範囲ではなし。4人はありゃというぐらいオーラを感じさせないが、それは日常と繋がった隣人のバンドというイメージを与えるだろう。頭の40分、見させていただいた。
<今日は、燦燦>^
“マーフィーの法則、絶賛継続ちう”。知人宅で日本vs.セネガル戦を見たりしたあと、起床。自分ち大好きだけど、家庭訪問はわりと好きかな。外を見るとまぶしい。我が家よりも高い階から見下ろすためもあるかもしれないが、明らかに照度が高い。9時代から30度を超えたそうな、今年初の真夏日。実は、ブールヴァール・デ・ゼールの面々は先週土曜日に野外のイヴェントに出演するはずだったが、それは雨天で中止になった。彼らも、この天候の変わり様にはびっくりだろうな。水曜日に面々にインタヴューすることになっているが、今ワールドカップのフランスは2戦2勝と結果オーライの成績。そのことも聞いてみよう。
<今日は、燦燦>^
“マーフィーの法則、絶賛継続ちう”。知人宅で日本vs.セネガル戦を見たりしたあと、起床。自分ち大好きだけど、家庭訪問はわりと好きかな。外を見るとまぶしい。我が家よりも高い階から見下ろすためもあるかもしれないが、明らかに照度が高い。9時代から30度を超えたそうな、今年初の真夏日。実は、ブールヴァール・デ・ゼールの面々は先週土曜日に野外のイヴェントに出演するはずだったが、それは雨天で中止になった。彼らも、この天候の変わり様にはびっくりだろうな。水曜日に面々にインタヴューすることになっているが、今ワールドカップのフランスは2戦2勝と結果オーライの成績。そのことも聞いてみよう。
スウェーデンのウプサラで兄弟妹として育ったナターシャ・ドゥッジャスカ(フィドル、ヴォーカル)、ガッピ・ドジェスキ(マンドーラ、歌)とダニエル・ドジェスキ(ダブル・ベース、歌)の3人に、ガッピのフィアンセでエストニア人のセデ・タタ―(フルート、歌)を加えた、スウェーデン人とエストニア人からなる男女二人づつのアコースティック・グループ。その公演を、青山・Heavenで見る。ただし、今回はナターシャが肺炎のため、かわりにフィンランド人のミルヴァ・タルヴァイネンが同行。普通にまざっていて、その事実を知っていなかったら、代役メンバーだとは気づかないか。
スウェーデンとエストニアの伝統音楽をベースと(歌う言語も、その二国の言葉のよう)しているらしいが、若いグループらしく(まだ、皆20代か)、鷹揚にいろんな興味を素直に取り入れていると感じる。アイリッシュ調のダンス・ナンバーもあれば、バルカン調と言いたくなる曲もあったし、4人のコーラス・ワークが冴える本編最後にやった曲はコード進行も良くできていて、なんかC.S.N.&Y.みたいと感じた。
素直なようでいて技をめぐらせているのは、面々の手にした楽器をみても分かる。ガッピは5コースのマンドーラを弾き、ダニエルは5弦のウッド・ベース(持ち運びが楽な小型ボディで、ネックを折ることができるタイプ)を使用し、セデはアルト・フルートも吹いた。
とにもかくにも、和気藹々。音楽的には清らかなところもあるのだが、かしこまったところはなにもない。MCは英語でしていたが、みんな人柄の良さみたいなのがにじみ出ていて、うわあ。フレンデルとは広義の家族みたいな意味をもつらしい。この晩が日本ツアーの初日で、この後5箇所を回る。彼らは今、カナダや欧州を回るツアー中だそうだ。
<今日の、トランク・ホテル>
その後、1年前に原宿と渋谷の間にできた、小洒落たデザイナーズ・ホテルに流れる。PCをひくと、けっこうな宿泊料をとっているんだなー。懇意にしている事務所がすぐ横で、かつてはデカい駐車場だった。 “Fete dela Musique” というDJイヴェントを一階でやっているというので出向いた。花金なのにそんなに混んでおらず、ゆったりいれてマル。野外のくつろぎスペースも広く、雨の降らないこの季節にはとても吉だった。
追記:知人の会社の忘年会、そこの広い部屋を借りてのものだったそう。なるほど、そういう使い方もされるのね。
スウェーデンとエストニアの伝統音楽をベースと(歌う言語も、その二国の言葉のよう)しているらしいが、若いグループらしく(まだ、皆20代か)、鷹揚にいろんな興味を素直に取り入れていると感じる。アイリッシュ調のダンス・ナンバーもあれば、バルカン調と言いたくなる曲もあったし、4人のコーラス・ワークが冴える本編最後にやった曲はコード進行も良くできていて、なんかC.S.N.&Y.みたいと感じた。
素直なようでいて技をめぐらせているのは、面々の手にした楽器をみても分かる。ガッピは5コースのマンドーラを弾き、ダニエルは5弦のウッド・ベース(持ち運びが楽な小型ボディで、ネックを折ることができるタイプ)を使用し、セデはアルト・フルートも吹いた。
とにもかくにも、和気藹々。音楽的には清らかなところもあるのだが、かしこまったところはなにもない。MCは英語でしていたが、みんな人柄の良さみたいなのがにじみ出ていて、うわあ。フレンデルとは広義の家族みたいな意味をもつらしい。この晩が日本ツアーの初日で、この後5箇所を回る。彼らは今、カナダや欧州を回るツアー中だそうだ。
<今日の、トランク・ホテル>
その後、1年前に原宿と渋谷の間にできた、小洒落たデザイナーズ・ホテルに流れる。PCをひくと、けっこうな宿泊料をとっているんだなー。懇意にしている事務所がすぐ横で、かつてはデカい駐車場だった。 “Fete dela Musique” というDJイヴェントを一階でやっているというので出向いた。花金なのにそんなに混んでおらず、ゆったりいれてマル。野外のくつろぎスペースも広く、雨の降らないこの季節にはとても吉だった。
追記:知人の会社の忘年会、そこの広い部屋を借りてのものだったそう。なるほど、そういう使い方もされるのね。
ETHNIC MINORITY
2018年6月21日 音楽 セカンド作『Beatin’』発表をフォロウする実演で、赤レンガ倉庫・モーションブルー・ヨコハマ。ファースト・ショウ。
アルト・サックスの横田寛之、電気ベースのサトウヒロ、ドラムの島野和樹が、エスニック・マイノリティの構成員。横田はコントラバス・クラリネットを冒頭でエフェクト込みで吹きそれをループさせるなんてこともし、またソプラノ・サックスも1曲で吹いた。サトウはウッド・ベースを弾いた曲もある。編成は小さいものの、搬入した楽器の量は多かったんだったんだろうな。
それほどは凝らないプリセット音を下敷きに、トリオ音を重ねる。1ホーンのジャズ・トリオ単位の音に、いかに電気/ダンス・スタッフを重ねるかと言うことにあたっているとも、それらは基本説明できるだろう。ぼくはオーネット・コールマン(2006年3月27日)らリアルカっとび派から得たネタを彼らなりの今様感性で押し出すグループという印象を持っていたが、初めて接した実演は、客に手拍子をうながしたり、MCが長かったり、烏合の衆的コーラスを3人でとるな曲もあるなど、もっと愛想よく受け手に大きく両手を広げたものだった。それは一時熱心にストリート・ライヴをやっていた横田たちが長年活動を維持していくうえで得たグループ姿勢であるのだろう。新作の1曲目に入っていると紹介されたものは、曲だけをとればスクエアがやっていると聞いても頷けるものだった。
最後の曲は、プリセット音抜きの3人で、サトウはエレクトリック・スタンダップ・ベースを演奏。そして、演奏したのはザ・ミーターズの「シシィ・ストラト」。大げさに言えば、“プライムタイム”・ヴァージョンてなノリで、彼らはその有名ファンク曲を演奏した。やっぱり、随所からツっぱった気概のようなものは見えたかな。
▶︎過去の、オーネット・コールマン
http://43142.diarynote.jp/200603281335030000/
▶︎過去の、ザ・ミーターズ派生ライヴ
http://43142.diarynote.jp/?day=20090725
http://43142.diarynote.jp/201301311053069360/
http://43142.diarynote.jp/201401181209502731/
http://43142.diarynote.jp/201410301514399746/
http://43142.diarynote.jp/201505111009314451/
<4年前の、ちょっといい話>
以下は、2014年にマーク・リーボウ(2001年1月19日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年8月4日、2014年7月28日、2017年5月18日)らと来日した際に、ジャマラディーン・タクーマ(2014年7月28日)に取ったインタヴューである。その抜粋は、ジャズ・ジャパン誌に出した。彼はその来日の際、渋谷で路上演奏していた横田を見て、一緒にレコーディングすることを申し出た。録音終了後、ジャマラディーンはちゃんとギャラも支払ったという。残念ながら、まだその際のブツは世に出ていないと思う。
▶過去の、マーク・リーボウ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
http://43142.diarynote.jp/201408051026553769/
http://43142.diarynote.jp/201705191100017980/
▶︎過去の、ジャマラディーン・タクーマ
http://43142.diarynote.jp/201408051026553769/
——今、髭をのばしているんですね。なんか、若いソニー・ロリンズといった感じです(笑い)。
「そっか、じゃあずっと伸ばそうかな」
——スタインバーガーのベースはやめちゃったんですね?
「家にはあるよ。やめたわけはないんだ、僕を語るような楽器でもあるしね。でも、もう古くなっているし、あまり外に持って出たくない」
——普段は、フェンダーの赤いやつを弾いているのですか?
「海外に自分の楽器を持って行くのは好きじゃなく、現地で(フェンダーの)ジャズ・ベースを用意してもらうことが多い。今回のツアーはちゃんと自分の楽器を持ってきたけどね」
——最初の楽器がベースなんでしたっけ? そして、その後ずっと弾いているんですか?
「ああ、そうだよ。他の楽器はやらない。だから、曲作りもベースでやっているよ」
——まさに、生まれついてのベーシストですね。(頷くのをの見て)では、生まれ変わってもベーシストになりますか。
「それはどうかなー。次はパラダイスの住人で、ゆっくり暮らしたいかも。好きな事をやりたいというのは、変わらないけどね」
——ぼくはあなたの活動を見て来て、かなりパラダイスの住人であると思えますけどね。
「いやあ、それは違うんじゃないかな。音楽はつまらないビジネス事が多すぎる。やっぱり、音楽業界はパラダイスではないよ。どっちかというと、地獄のほうに近いんじゃない、ハハハハ」
——あなたの人生において、オーネット・コールマンと出会ったことは一番大きな出来事であるのでしょうか?
「うんうんうん。僕はその頃、チャールズ・アーランドのグループにいた。タイム感が悪いという理由でクビになったんだけど、本当の所は奇抜なものを身につけていたのが気に入らなかったみたいだ。でも、クビになった1週間後に、マイルス・デイヴィスのグループにいたレジー・ルーカスとジェイムズ・エムトゥーメイから電話があり、オーネット・コールマンとやるかと打診された。すぐに、ハイと返事をしたよね。そこから、始まったわけだな」
——そのときは、まだ10代でしたよね。
「18歳だった。ちょうど、40年前だよねえ」
——それで、オーネットの新編成によるハーモロディック・ファンクのお披露目盤『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』の1976年録音セッションにも加わったわけですか。
「2週間ヨーロッパに行く予定が6ヶ月になって、あれはパリで録音したんだよねえ。昔は、スケージュールが鷹揚だったなあ」
——あなたお洒落な音楽家として知られますが、そのころから衣服には気を配っていたわけすね。
「もちろん! 昔からファッションには興味があった。フィラデルフィアにアポロ劇場みたいな会場があって、そこにはザ・テンプテーションズとかが出ていたんだが、彼らのショウを見て、感激するとともに、イケてる格好から秀でた音楽は生まれると思ったんだよ。で、僕はそれを実践してきているわけさ」
——あなたがローティーンの頃って、フィラデルフィア・ソウルが盛り上がってきた時期ですよね。
「そのとおり。それで、今日のショウでは、ザ・スタイリスティックス、ザ・インタルーダーズ、ギャンブル&ハフら、その手の曲をいろいろやるよ」
——たまたま、オーネットと繋がりが持ててジャズのほうで名前が知られるわけだけど、ギャンブル&ハフに可愛がられていたら、よりソウル側の道に進んだということはあります?
「なんとも言えないね。モータウンもそうだったが、ギャンブル&ハフのトラックは共通するリズム・セクションが引き受けていて、僕が入り込む余地はなかったと思う。まあ、しいて言えば、僕は曲作りとかで関われたかもしれないね」
——あなたは現場叩き上げの人で、音楽教育を受けたということはないんですよね。
「ちょいクラスは取ったことはあった。でも、独学で来ていると、言える。実は高校を出るときにバークリーから奨学金をもらえる話があったけど、僕はそれを蹴った。だって、学校で学ぶよりもツアーに出て、実践で学んだほうがいいと思っていたから。今、生徒に教えてもいるが、学校で覚える事にも有意義なものはあるけど、それは音楽の一部でしかなく、実際に現場に出なければ得られない事が沢山ある、と言っている」
——オーネットのグループに入って、あなたはすぐに彼の求めるハーモロディック表現に対応することができたのでしょうか。『ダンシグ・イン・ユア・ヘッド』を聞くと、もう人間基準法違反のベースを堂々と弾いていますが。
「けっこう早いうちから、電車の車両と車両が連結するみたいな感じでフィットすることができた。何も考えることなく自然に入って行けて、作為をめぐらすという必要性もなかったな。僕のやりことをそのままやったらハマったという感じで、だから12年間も彼の所にいたし、今もちゃんと付き合いがある」
——オーネットも参加した、あなたの2010年作『フォー・ザ・ラヴ・オブ・オーネット』はどういう内容にしようと思ったのでしょう?
「オーネットの音楽って、彼がバンドの前に立つというのではなく、バンドの中に入って全ての楽器が平等であるというやり方から生まれる。どの楽器も同じ重要性を持ち、音楽と向き合っていくわけだね。それが僕はすごく好きで、あのアルバムを作るときもそうあればと思ったし、オーネットにも自由にやってもらったんだ」
——あのアルバムは、あなたたちアメリカ人だけでなく、日本人、英国人、オーストリア人と、複数の国籍の奏者が入っていました。そんな妙なスケール感もあなたの音楽の魅力ですが、あなたは『Music World』(Gramavision、1986年)という各国の人と絡んだアルバムも作っていますし、いろんな国籍の人とやりたいという意図はあったんですよね?
「その通り。僕にとって音楽は平等なもので、どんな属性を持つ人とも分かち合えるものだし、国境を軽く超えてしまうものだ。だから、僕はいろんな国の人とやることを常に考えている。あの録音の際も、いろんな国の僕の知り合いを集めて一緒にやるチャンスだと思った。参加者はそれぞれの文化を持ち寄ってきたが、それが僕にとっては自然なことだった」
——そういえば、昨日は日本人とスタジオに入ってレコーディングしたようですが。
「(声量が倍になって)ワ〜ウ、そうなんだよ! 東京に着いた最初の夜、渋谷で食事をしたあと街頭をふらついたら、イカしたストリート演奏が聞こえてきたんだ。エレクトロニク・スタッフを下敷きにサックスを吹いていたんだけど、これがクールでさあ。それで、販売していたCDを買って、“僕はジャマラディーン・タクーマです”と、自己紹介した。エスニック・マイノリティというバンドをやっているというヨコタは、オーネット・コールマンのフレーズをティリリリ〜ィティリリリ〜イと吹きだしたりもした。僕は(フジ・ロック・フェスティヴァルや名古屋公演の後に)また東京に戻ってくるけど、そのとき一緒にレコーディングしようと、彼に申し出た。そして、昨日スタジオに入ったんだけど、それは“ジャマラディーッン・タクーマ・フィーチャリング・エスニック・マイノリティ”として絶対出すよ。彼らは本当に才能あるミュージシャンだった!」
——今もインストをやる場合は、オーネットのハーモロディック理論を用いていると考えていいのでしょうか?
「場合によるよね。曲によりいろんな影響をまぜてやっているから。昨日レコーディグした若い3人はそのオーネットの感覚を良く分っていて、パッと演奏してもすぐにフィーリングが合った」
——あなたはR&B調のアルバムを作ったり、ザ・ルーツと一緒のCDも作っていますが、やはりできるだけ幅広いことをやりたいと思っています?
「うん、いろんなことをジャンルにとらわれずにやっていきたいと思っている。今は音楽が多様化していてそういうことをやってもなんの問題もなくなってきているが、1980年代は、アルバムにいろんな要素が入りすぎていてレコード屋でどこに置いたらいいか分らないとか言われたよね。今は自分のレーベルから出せるから、なんの問題ない」
——でも、いろんな要素が入っていたからこそ、ぼくはグラマヴィジョンからアルバムを出し始めたときに、あなたこそが今後の米国黒人音楽をしょって立つと思ってやみませんでした。
「実は、僕もそう思っていた(笑い)。あの時代は、サンプリングのはしりみいたいなもの取り入れてもいたよね。そして、エスニック・マイノリティにもかつての僕が持っていたような可能性を感じているんだ」
——1984年に取材した時に、5人子供がいると言っていたと思うんだけど。
「10人、子供がいるよ」
——わあ。では、奥さんは何人(笑い)?
「その答えは社会問題になるかもしれないので、答えません(笑い)」
——子供たちで、音楽の道に進んだ人はいますか。
「いない。僕は音楽を押し付けることはなかったし、それにやっぱり音楽業界は大変だしね。女性だとどう見せるかということがまず求められたり、コネ社会だからごますりも必要となってくる。でも、僕はそんなルールに従わず、自分のやりことをやるし、演奏する相手が有名かどうかなんて関係ない」
——今後は、どんなふうに活動していきたいと考えています?
「まずは、エスニック・マイノリティをなんとかしたい。僕が18歳のときにオーネットに呼ばれたように、僕はヨコタがサックスを吹いているのを見て、彼とやる必然性を感じてしまった。かつてオーネットは出会った若いミュージシャンをどんどんバンドに入れていたけど、今になって、彼の気持ちが良くわかるんだ。だから、今後の展望としては、才ある若手をもっと育てること、さらにいろんなジャンルにいる人と一緒にやること、それから今持っている自分のレーベルの活動を充実させることを求めたいね。あと、僕は洋服が好きだから、それをもっと楽しみたい。今のミュージシャンは本当にファッションに気を遣わないので、若いミュージシャンに僕の服を与える事もやっている」
——服はどこで見つけたり、買ったりしているんですか。
「古着屋さん、どこに行ってもフリー・マケットには顔を出す。それから、ネットで探したたりもするよ」
▶過去の、ザ・ルーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
http://43142.diarynote.jp/201312200917503345/
アルト・サックスの横田寛之、電気ベースのサトウヒロ、ドラムの島野和樹が、エスニック・マイノリティの構成員。横田はコントラバス・クラリネットを冒頭でエフェクト込みで吹きそれをループさせるなんてこともし、またソプラノ・サックスも1曲で吹いた。サトウはウッド・ベースを弾いた曲もある。編成は小さいものの、搬入した楽器の量は多かったんだったんだろうな。
それほどは凝らないプリセット音を下敷きに、トリオ音を重ねる。1ホーンのジャズ・トリオ単位の音に、いかに電気/ダンス・スタッフを重ねるかと言うことにあたっているとも、それらは基本説明できるだろう。ぼくはオーネット・コールマン(2006年3月27日)らリアルカっとび派から得たネタを彼らなりの今様感性で押し出すグループという印象を持っていたが、初めて接した実演は、客に手拍子をうながしたり、MCが長かったり、烏合の衆的コーラスを3人でとるな曲もあるなど、もっと愛想よく受け手に大きく両手を広げたものだった。それは一時熱心にストリート・ライヴをやっていた横田たちが長年活動を維持していくうえで得たグループ姿勢であるのだろう。新作の1曲目に入っていると紹介されたものは、曲だけをとればスクエアがやっていると聞いても頷けるものだった。
最後の曲は、プリセット音抜きの3人で、サトウはエレクトリック・スタンダップ・ベースを演奏。そして、演奏したのはザ・ミーターズの「シシィ・ストラト」。大げさに言えば、“プライムタイム”・ヴァージョンてなノリで、彼らはその有名ファンク曲を演奏した。やっぱり、随所からツっぱった気概のようなものは見えたかな。
▶︎過去の、オーネット・コールマン
http://43142.diarynote.jp/200603281335030000/
▶︎過去の、ザ・ミーターズ派生ライヴ
http://43142.diarynote.jp/?day=20090725
http://43142.diarynote.jp/201301311053069360/
http://43142.diarynote.jp/201401181209502731/
http://43142.diarynote.jp/201410301514399746/
http://43142.diarynote.jp/201505111009314451/
<4年前の、ちょっといい話>
以下は、2014年にマーク・リーボウ(2001年1月19日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年8月4日、2014年7月28日、2017年5月18日)らと来日した際に、ジャマラディーン・タクーマ(2014年7月28日)に取ったインタヴューである。その抜粋は、ジャズ・ジャパン誌に出した。彼はその来日の際、渋谷で路上演奏していた横田を見て、一緒にレコーディングすることを申し出た。録音終了後、ジャマラディーンはちゃんとギャラも支払ったという。残念ながら、まだその際のブツは世に出ていないと思う。
▶過去の、マーク・リーボウ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
http://43142.diarynote.jp/201408051026553769/
http://43142.diarynote.jp/201705191100017980/
▶︎過去の、ジャマラディーン・タクーマ
http://43142.diarynote.jp/201408051026553769/
——今、髭をのばしているんですね。なんか、若いソニー・ロリンズといった感じです(笑い)。
「そっか、じゃあずっと伸ばそうかな」
——スタインバーガーのベースはやめちゃったんですね?
「家にはあるよ。やめたわけはないんだ、僕を語るような楽器でもあるしね。でも、もう古くなっているし、あまり外に持って出たくない」
——普段は、フェンダーの赤いやつを弾いているのですか?
「海外に自分の楽器を持って行くのは好きじゃなく、現地で(フェンダーの)ジャズ・ベースを用意してもらうことが多い。今回のツアーはちゃんと自分の楽器を持ってきたけどね」
——最初の楽器がベースなんでしたっけ? そして、その後ずっと弾いているんですか?
「ああ、そうだよ。他の楽器はやらない。だから、曲作りもベースでやっているよ」
——まさに、生まれついてのベーシストですね。(頷くのをの見て)では、生まれ変わってもベーシストになりますか。
「それはどうかなー。次はパラダイスの住人で、ゆっくり暮らしたいかも。好きな事をやりたいというのは、変わらないけどね」
——ぼくはあなたの活動を見て来て、かなりパラダイスの住人であると思えますけどね。
「いやあ、それは違うんじゃないかな。音楽はつまらないビジネス事が多すぎる。やっぱり、音楽業界はパラダイスではないよ。どっちかというと、地獄のほうに近いんじゃない、ハハハハ」
——あなたの人生において、オーネット・コールマンと出会ったことは一番大きな出来事であるのでしょうか?
「うんうんうん。僕はその頃、チャールズ・アーランドのグループにいた。タイム感が悪いという理由でクビになったんだけど、本当の所は奇抜なものを身につけていたのが気に入らなかったみたいだ。でも、クビになった1週間後に、マイルス・デイヴィスのグループにいたレジー・ルーカスとジェイムズ・エムトゥーメイから電話があり、オーネット・コールマンとやるかと打診された。すぐに、ハイと返事をしたよね。そこから、始まったわけだな」
——そのときは、まだ10代でしたよね。
「18歳だった。ちょうど、40年前だよねえ」
——それで、オーネットの新編成によるハーモロディック・ファンクのお披露目盤『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』の1976年録音セッションにも加わったわけですか。
「2週間ヨーロッパに行く予定が6ヶ月になって、あれはパリで録音したんだよねえ。昔は、スケージュールが鷹揚だったなあ」
——あなたお洒落な音楽家として知られますが、そのころから衣服には気を配っていたわけすね。
「もちろん! 昔からファッションには興味があった。フィラデルフィアにアポロ劇場みたいな会場があって、そこにはザ・テンプテーションズとかが出ていたんだが、彼らのショウを見て、感激するとともに、イケてる格好から秀でた音楽は生まれると思ったんだよ。で、僕はそれを実践してきているわけさ」
——あなたがローティーンの頃って、フィラデルフィア・ソウルが盛り上がってきた時期ですよね。
「そのとおり。それで、今日のショウでは、ザ・スタイリスティックス、ザ・インタルーダーズ、ギャンブル&ハフら、その手の曲をいろいろやるよ」
——たまたま、オーネットと繋がりが持ててジャズのほうで名前が知られるわけだけど、ギャンブル&ハフに可愛がられていたら、よりソウル側の道に進んだということはあります?
「なんとも言えないね。モータウンもそうだったが、ギャンブル&ハフのトラックは共通するリズム・セクションが引き受けていて、僕が入り込む余地はなかったと思う。まあ、しいて言えば、僕は曲作りとかで関われたかもしれないね」
——あなたは現場叩き上げの人で、音楽教育を受けたということはないんですよね。
「ちょいクラスは取ったことはあった。でも、独学で来ていると、言える。実は高校を出るときにバークリーから奨学金をもらえる話があったけど、僕はそれを蹴った。だって、学校で学ぶよりもツアーに出て、実践で学んだほうがいいと思っていたから。今、生徒に教えてもいるが、学校で覚える事にも有意義なものはあるけど、それは音楽の一部でしかなく、実際に現場に出なければ得られない事が沢山ある、と言っている」
——オーネットのグループに入って、あなたはすぐに彼の求めるハーモロディック表現に対応することができたのでしょうか。『ダンシグ・イン・ユア・ヘッド』を聞くと、もう人間基準法違反のベースを堂々と弾いていますが。
「けっこう早いうちから、電車の車両と車両が連結するみたいな感じでフィットすることができた。何も考えることなく自然に入って行けて、作為をめぐらすという必要性もなかったな。僕のやりことをそのままやったらハマったという感じで、だから12年間も彼の所にいたし、今もちゃんと付き合いがある」
——オーネットも参加した、あなたの2010年作『フォー・ザ・ラヴ・オブ・オーネット』はどういう内容にしようと思ったのでしょう?
「オーネットの音楽って、彼がバンドの前に立つというのではなく、バンドの中に入って全ての楽器が平等であるというやり方から生まれる。どの楽器も同じ重要性を持ち、音楽と向き合っていくわけだね。それが僕はすごく好きで、あのアルバムを作るときもそうあればと思ったし、オーネットにも自由にやってもらったんだ」
——あのアルバムは、あなたたちアメリカ人だけでなく、日本人、英国人、オーストリア人と、複数の国籍の奏者が入っていました。そんな妙なスケール感もあなたの音楽の魅力ですが、あなたは『Music World』(Gramavision、1986年)という各国の人と絡んだアルバムも作っていますし、いろんな国籍の人とやりたいという意図はあったんですよね?
「その通り。僕にとって音楽は平等なもので、どんな属性を持つ人とも分かち合えるものだし、国境を軽く超えてしまうものだ。だから、僕はいろんな国の人とやることを常に考えている。あの録音の際も、いろんな国の僕の知り合いを集めて一緒にやるチャンスだと思った。参加者はそれぞれの文化を持ち寄ってきたが、それが僕にとっては自然なことだった」
——そういえば、昨日は日本人とスタジオに入ってレコーディングしたようですが。
「(声量が倍になって)ワ〜ウ、そうなんだよ! 東京に着いた最初の夜、渋谷で食事をしたあと街頭をふらついたら、イカしたストリート演奏が聞こえてきたんだ。エレクトロニク・スタッフを下敷きにサックスを吹いていたんだけど、これがクールでさあ。それで、販売していたCDを買って、“僕はジャマラディーン・タクーマです”と、自己紹介した。エスニック・マイノリティというバンドをやっているというヨコタは、オーネット・コールマンのフレーズをティリリリ〜ィティリリリ〜イと吹きだしたりもした。僕は(フジ・ロック・フェスティヴァルや名古屋公演の後に)また東京に戻ってくるけど、そのとき一緒にレコーディングしようと、彼に申し出た。そして、昨日スタジオに入ったんだけど、それは“ジャマラディーッン・タクーマ・フィーチャリング・エスニック・マイノリティ”として絶対出すよ。彼らは本当に才能あるミュージシャンだった!」
——今もインストをやる場合は、オーネットのハーモロディック理論を用いていると考えていいのでしょうか?
「場合によるよね。曲によりいろんな影響をまぜてやっているから。昨日レコーディグした若い3人はそのオーネットの感覚を良く分っていて、パッと演奏してもすぐにフィーリングが合った」
——あなたはR&B調のアルバムを作ったり、ザ・ルーツと一緒のCDも作っていますが、やはりできるだけ幅広いことをやりたいと思っています?
「うん、いろんなことをジャンルにとらわれずにやっていきたいと思っている。今は音楽が多様化していてそういうことをやってもなんの問題もなくなってきているが、1980年代は、アルバムにいろんな要素が入りすぎていてレコード屋でどこに置いたらいいか分らないとか言われたよね。今は自分のレーベルから出せるから、なんの問題ない」
——でも、いろんな要素が入っていたからこそ、ぼくはグラマヴィジョンからアルバムを出し始めたときに、あなたこそが今後の米国黒人音楽をしょって立つと思ってやみませんでした。
「実は、僕もそう思っていた(笑い)。あの時代は、サンプリングのはしりみいたいなもの取り入れてもいたよね。そして、エスニック・マイノリティにもかつての僕が持っていたような可能性を感じているんだ」
——1984年に取材した時に、5人子供がいると言っていたと思うんだけど。
「10人、子供がいるよ」
——わあ。では、奥さんは何人(笑い)?
「その答えは社会問題になるかもしれないので、答えません(笑い)」
——子供たちで、音楽の道に進んだ人はいますか。
「いない。僕は音楽を押し付けることはなかったし、それにやっぱり音楽業界は大変だしね。女性だとどう見せるかということがまず求められたり、コネ社会だからごますりも必要となってくる。でも、僕はそんなルールに従わず、自分のやりことをやるし、演奏する相手が有名かどうかなんて関係ない」
——今後は、どんなふうに活動していきたいと考えています?
「まずは、エスニック・マイノリティをなんとかしたい。僕が18歳のときにオーネットに呼ばれたように、僕はヨコタがサックスを吹いているのを見て、彼とやる必然性を感じてしまった。かつてオーネットは出会った若いミュージシャンをどんどんバンドに入れていたけど、今になって、彼の気持ちが良くわかるんだ。だから、今後の展望としては、才ある若手をもっと育てること、さらにいろんなジャンルにいる人と一緒にやること、それから今持っている自分のレーベルの活動を充実させることを求めたいね。あと、僕は洋服が好きだから、それをもっと楽しみたい。今のミュージシャンは本当にファッションに気を遣わないので、若いミュージシャンに僕の服を与える事もやっている」
——服はどこで見つけたり、買ったりしているんですか。
「古着屋さん、どこに行ってもフリー・マケットには顔を出す。それから、ネットで探したたりもするよ」
▶過去の、ザ・ルーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
http://43142.diarynote.jp/201312200917503345/
アリ・ホーニグ・トリオ
2018年6月19日 音楽 1973年フィラデルフィア生まれのジャズ・ドラマーであるアリ・ホーニグ(2012年3月12日)のリーダー公演を、丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)で見る。前回見たときはイスラエル出身のシャイ・マエストロ(2012年3月12日、2016年1月4日、2016年6月11日、2016年6月11日、2017年9月3日、2017年9月6日)を連れてきていたが、今回はやはりイスラエル人ピアニストのエデン・ラディンを同行、さらにはベーシストもイスラエル出身の新鋭オル・バレケットを擁する。なお、すでに10作を超えるリーダー作を持っているホーニグの2015年録音の新作『NY Standard』(Fresh Sound New Talent、2018年)はテナーやギター入りカルテットによるものだが、そこで曲により起用していたピアニストはアルメニア人のティグラン・ハマシアン(2015年10月12日)とシャイ・マエストロとエディン・ラディンだった。
頭の2曲で、頭を垂れる。アコースティックなピアノ・トリオ表現ではあるのだが(ラディンは自己表現だと、電気音の効果も用いるが、ここでは粛々とアコースティック・ピアノ演奏にあたる)、リフの積み重ねかたがジャズ・ビヨンド。そして、それを支えるのは複数のテンポを交錯させるようなホーニングの才気に満ちたドラミング。なるほど、どんなグループか知らずに接しても、これに触れたならドラマーがリーダーであると思うのではないか。
しかし、ホーニグは不思議なドラマーであるとも再認識。叩くキットはといえば、スネア、タム、フロア・タム、キック・ドラム、ハイハット、シンバル2枚という、本当にシンプルなセッティングを採用する。なるほど、基本に忠実であらんとする人なのかと思えば、スティックの握りはレギュラーではなくマッチドで叩く。だが、その一方で音色にはかなり気を使い、ブラシやマレットも彼は用いる。アンコールで、3人はセロニアス・モンクの「モンクス・ドリーム」を披露したが、始める前にホーニングはスネアとタムのヘッド(面)のチューニングを変える。張りを強めているように感じたが、それを経て彼は「モンクス・ドリーム」のメロディをそれで出していた。また、その際はヘッドをけっこう触ったりもし、トーキング・ドラム奏法を介していた。
▶︎過去の、アリ・ホーニグ
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
▶︎過去の、シャイ・マエストロ
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
http://43142.diarynote.jp/201601050914043127/
http://43142.diarynote.jp/201606121230202174/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
http://43142.diarynote.jp/201709110842026988/
▶過去の、ティグラン・ハマシアン
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
<今日は、びっくり。ニコっ>
お祭り、享受。この時期、ライヴはファースト・ショウ限定となる。終了後、W杯日本vsコロンビアのTV観戦のため、知人宅に急行。そういえば、会場で会った米国人の妹の旦那さんはコロンビア人だと言っていたな。2ヶ月前にhttp://43142.diarynote.jp/201804110754439999/ と西野/協会ディスりをしたら、あらら勝っちゃった。やりい。彼が監督をした1996年アトランタ五輪の予選リーグ初戦の対ブラジル戦もそうだったが、ほんと西野は大ラッキーくん。だが、あの五輪予選リーグは2勝したにも関わらず、決勝リーグに得失点差で進めなかった。1勝1敗1分けでも決勝リーグに進める場合もあるというのに、そういう部分では大不幸くん。なんか次のセネガル・チームがとても溌剌としているし、安心できない。マーフィーの法則の継続を願う。
頭の2曲で、頭を垂れる。アコースティックなピアノ・トリオ表現ではあるのだが(ラディンは自己表現だと、電気音の効果も用いるが、ここでは粛々とアコースティック・ピアノ演奏にあたる)、リフの積み重ねかたがジャズ・ビヨンド。そして、それを支えるのは複数のテンポを交錯させるようなホーニングの才気に満ちたドラミング。なるほど、どんなグループか知らずに接しても、これに触れたならドラマーがリーダーであると思うのではないか。
しかし、ホーニグは不思議なドラマーであるとも再認識。叩くキットはといえば、スネア、タム、フロア・タム、キック・ドラム、ハイハット、シンバル2枚という、本当にシンプルなセッティングを採用する。なるほど、基本に忠実であらんとする人なのかと思えば、スティックの握りはレギュラーではなくマッチドで叩く。だが、その一方で音色にはかなり気を使い、ブラシやマレットも彼は用いる。アンコールで、3人はセロニアス・モンクの「モンクス・ドリーム」を披露したが、始める前にホーニングはスネアとタムのヘッド(面)のチューニングを変える。張りを強めているように感じたが、それを経て彼は「モンクス・ドリーム」のメロディをそれで出していた。また、その際はヘッドをけっこう触ったりもし、トーキング・ドラム奏法を介していた。
▶︎過去の、アリ・ホーニグ
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
▶︎過去の、シャイ・マエストロ
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
http://43142.diarynote.jp/201601050914043127/
http://43142.diarynote.jp/201606121230202174/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
http://43142.diarynote.jp/201709110842026988/
▶過去の、ティグラン・ハマシアン
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
<今日は、びっくり。ニコっ>
お祭り、享受。この時期、ライヴはファースト・ショウ限定となる。終了後、W杯日本vsコロンビアのTV観戦のため、知人宅に急行。そういえば、会場で会った米国人の妹の旦那さんはコロンビア人だと言っていたな。2ヶ月前にhttp://43142.diarynote.jp/201804110754439999/ と西野/協会ディスりをしたら、あらら勝っちゃった。やりい。彼が監督をした1996年アトランタ五輪の予選リーグ初戦の対ブラジル戦もそうだったが、ほんと西野は大ラッキーくん。だが、あの五輪予選リーグは2勝したにも関わらず、決勝リーグに得失点差で進めなかった。1勝1敗1分けでも決勝リーグに進める場合もあるというのに、そういう部分では大不幸くん。なんか次のセネガル・チームがとても溌剌としているし、安心できない。マーフィーの法則の継続を願う。
カンタス村田/村田匠(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年2月11日、2013年8月24日、2014年5月3日、2014年6月15日、2016年2月11日、2016年5月22日、2016年12月1日、2017年2月11日、2018年2月11日 )とサンバマシーンズ(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年2月11日、2013年8月24日、2014年6月15日、2015年7月12日)改め、カルナバケーション(2016年2月11日、2016年5月22日)のアルバム発売をフォローするライヴを汐留・BLUE MOODで見る。彼らは、『CARNIVAL』と『VACATION』、2枚のアルバムを同時発売した。
歌とギターと打楽器の村田匠、パーカッションの宮地良平、パーカッションの青栁智里、ギターとコーラスの浅見卓矢、ドラムの岡部量平、キーボードとコーラスの田中綾美,パーカッションの宮澤摩周,ベースの沼原ルイ、リードの林遼佑が現行メンバーで、そこにトロンボーンの原田彩香とトランペット/フリューゲル・ホーンの淡路泰平が加わる。全11人。つまり、普通のバンドに3打楽器と3管楽器が加わったカタチですね。あと、例により着飾ったサンバ・ダンサーも部分出てくる。
2枚のアルバムを出した(また、フジ・ロックにもサマー・ソニックにも登竜門ステージとはいえ出演したことがある)サンバマシーンズ時代の曲を封印し、改名して3年たつカルナバケーション曲を繰り出す。バンド名の変更後、彼らはより曲種を広げる傾向にあるわけで、その動きを意気揚々と示す。なかにはレトロなR&Bと演歌をデフォルメさせて交錯させたような曲も、今は持つ。しかし、それはなかなかに面白い味を持つもので、確かなブラジル音楽研鑽を経ている打楽器群の活躍の余地は減るかもしれないが、より日本歌謡に踏み込むのも聞き手の拡大を求めるならアリかもしれないとも思えた。
大学サークル流れの前身バンド結成からだと10年になるそうだが、いまだ青春という感じ音楽を送り出しているのはすばらいいな。バンド員同士も和気藹々という感じも見ていて、楽しい。村田のMCは好みではないが(男は、恥の感覚や韜晦を滲ませなきゃ。とまあ、基本MCきらいのぼくが書くのもナンだが)、村田の歌はやはりぼくは好き。なんかえも言われるものを感じるし、それが表情豊かなバンド・サウンドと重なった末の湧き上がる力のようなものは、破格の魅力を持つものと思う。
W杯期間中ゆえ、この晩もファースト・ショウのみで失礼する。昔サッカーのGKを熱心にやっていた村田なら許してくれるだろう。ステージには、しっかりワールドカップのトロフィーも置かれていましたね。しかし、今W杯はまだ序盤ながら、面白い試合が多い。
▶過去の、サンバマシーンズ/カルナバケーション関連
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201105140858559432/
http://43142.diarynote.jp/201206120854205300/
http://43142.diarynote.jp/201211151028209850/
http://43142.diarynote.jp/201302181123344904/
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160211
http://43142.diarynote.jp/201605240833401202/
▶過去の、村田匠
︎ http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201105140858559432/
http://43142.diarynote.jp/201206120854205300/
http://43142.diarynote.jp/201211151028209850/
http://43142.diarynote.jp/201302181123344904/
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160211
http://43142.diarynote.jp/201605240833401202/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161201
http://43142.diarynote.jp/201702120725278375/
http://43142.diarynote.jp/?day=20180211
<今日の、道すがら>
初めて行くハコ。すべてテーブル席で、料理をちゃんとサーヴするところだった。ぼくはワインのボトルだけで、食べ物は頼まなかったが。そこそこ広く、天井も低くはない会場であったかな。そこへの行きは前日のWカップ観戦場所の流れから日比谷線を使用し、築地駅で降りて てくてく歩いていく。まず、立派でデカい築地本願寺がどーんとあって、おおと目を奪われる。浄土真宗の寺のくせに、あのインドその他の様式がてんこ盛りになった無国籍風外観は多少の違和感も感じるがすごい。和のイメージからは完全に離れており、浄土真宗って心が広いだなとも思わせられる? だが、ぼくは20年前ぐらいに、あの中に葬式で入ったことがあったのだった。新卒で入った出版社の社長のそれでした。。。しばらく行くと、立派な国立がん研究センターがあり、そして朝日新聞社がばーんと現れる。大昔は有楽町駅前にその本社社屋はあったので(子供の頃、母親の知り合いが働いていて社屋にはいったことがある。地下にある輪転機施設がなぜか強く印象に残っている)、引越し当初に勤務者たちはさぞや都落ちした感覚を味わったことと思う。そばの駅の大江戸線の築地市場駅ができたのはだいぶたってからだよな。そして、向かい側には築地市場、そして場外店舗群が広がる。すこし、うきうき。考えてみれば、ぼくは築地市場にちゃんと入ったことがない。
歌とギターと打楽器の村田匠、パーカッションの宮地良平、パーカッションの青栁智里、ギターとコーラスの浅見卓矢、ドラムの岡部量平、キーボードとコーラスの田中綾美,パーカッションの宮澤摩周,ベースの沼原ルイ、リードの林遼佑が現行メンバーで、そこにトロンボーンの原田彩香とトランペット/フリューゲル・ホーンの淡路泰平が加わる。全11人。つまり、普通のバンドに3打楽器と3管楽器が加わったカタチですね。あと、例により着飾ったサンバ・ダンサーも部分出てくる。
2枚のアルバムを出した(また、フジ・ロックにもサマー・ソニックにも登竜門ステージとはいえ出演したことがある)サンバマシーンズ時代の曲を封印し、改名して3年たつカルナバケーション曲を繰り出す。バンド名の変更後、彼らはより曲種を広げる傾向にあるわけで、その動きを意気揚々と示す。なかにはレトロなR&Bと演歌をデフォルメさせて交錯させたような曲も、今は持つ。しかし、それはなかなかに面白い味を持つもので、確かなブラジル音楽研鑽を経ている打楽器群の活躍の余地は減るかもしれないが、より日本歌謡に踏み込むのも聞き手の拡大を求めるならアリかもしれないとも思えた。
大学サークル流れの前身バンド結成からだと10年になるそうだが、いまだ青春という感じ音楽を送り出しているのはすばらいいな。バンド員同士も和気藹々という感じも見ていて、楽しい。村田のMCは好みではないが(男は、恥の感覚や韜晦を滲ませなきゃ。とまあ、基本MCきらいのぼくが書くのもナンだが)、村田の歌はやはりぼくは好き。なんかえも言われるものを感じるし、それが表情豊かなバンド・サウンドと重なった末の湧き上がる力のようなものは、破格の魅力を持つものと思う。
W杯期間中ゆえ、この晩もファースト・ショウのみで失礼する。昔サッカーのGKを熱心にやっていた村田なら許してくれるだろう。ステージには、しっかりワールドカップのトロフィーも置かれていましたね。しかし、今W杯はまだ序盤ながら、面白い試合が多い。
▶過去の、サンバマシーンズ/カルナバケーション関連
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201105140858559432/
http://43142.diarynote.jp/201206120854205300/
http://43142.diarynote.jp/201211151028209850/
http://43142.diarynote.jp/201302181123344904/
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http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160211
http://43142.diarynote.jp/201605240833401202/
▶過去の、村田匠
︎ http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201105140858559432/
http://43142.diarynote.jp/201206120854205300/
http://43142.diarynote.jp/201211151028209850/
http://43142.diarynote.jp/201302181123344904/
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160211
http://43142.diarynote.jp/201605240833401202/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161201
http://43142.diarynote.jp/201702120725278375/
http://43142.diarynote.jp/?day=20180211
<今日の、道すがら>
初めて行くハコ。すべてテーブル席で、料理をちゃんとサーヴするところだった。ぼくはワインのボトルだけで、食べ物は頼まなかったが。そこそこ広く、天井も低くはない会場であったかな。そこへの行きは前日のWカップ観戦場所の流れから日比谷線を使用し、築地駅で降りて てくてく歩いていく。まず、立派でデカい築地本願寺がどーんとあって、おおと目を奪われる。浄土真宗の寺のくせに、あのインドその他の様式がてんこ盛りになった無国籍風外観は多少の違和感も感じるがすごい。和のイメージからは完全に離れており、浄土真宗って心が広いだなとも思わせられる? だが、ぼくは20年前ぐらいに、あの中に葬式で入ったことがあったのだった。新卒で入った出版社の社長のそれでした。。。しばらく行くと、立派な国立がん研究センターがあり、そして朝日新聞社がばーんと現れる。大昔は有楽町駅前にその本社社屋はあったので(子供の頃、母親の知り合いが働いていて社屋にはいったことがある。地下にある輪転機施設がなぜか強く印象に残っている)、引越し当初に勤務者たちはさぞや都落ちした感覚を味わったことと思う。そばの駅の大江戸線の築地市場駅ができたのはだいぶたってからだよな。そして、向かい側には築地市場、そして場外店舗群が広がる。すこし、うきうき。考えてみれば、ぼくは築地市場にちゃんと入ったことがない。
ダニー・コーチマーand Immediate Family
2018年6月16日 音楽 1960年代から米国西海岸ロックを支えた名ロック・ギタリスト(2006年12月22日、2017年7月30日)の2年ぶりのリーダー公演だが、今回はうわわあああという顔ぶれ。より名のある西海岸ロック名士たちとやってきた。今回はキーボードレスで、ギター奏者が3人。新作も出した彼らは、日本人歌手をいろいろ招くホール公演も行うということだが。六本木ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。
コーチマーに加え、ドラムのラス・カンケルとベースのリーランド・スクラー、ギターのワディ・ワクテル、ギターのスティーブ・ポステル(2017年7月30日)という布陣。ありゃ、それにクレイグ・ダーギ(鍵盤)がいれば、ザ・セクションになっちゃう。ダーギとコーチマーとスクラーとカンケルは1970年代にザ・セクションというインストゥメンタルのグループを組み、3枚アルバムを出していた。それ、サイケ・フュージョンと言っていいかな。
前面にならんだギター陣は、持ち回りでリード・ヴォーカルも取る。すべてヴォーカル曲で、ザ・セクション曲(彼らのアナログを面々にかざしているお客さんがいましたね)はなし。メンバーのオリジナル、そしてジェイムス・テイラー、グレン・フライ(2011年3月5日)、ジャクソン・ブラウン(2003年5月2日)らの曲などを演奏。そして、驚かされたのは、それら多くが竹を割った情感を持つ、どすこいなパワー・ロック傾向にあるものであったこと。!!! うれしい、なるほど、キーボードレス編成であるのにも納得。そこに、ジョー・ウォルッシュ(2011年3月5日)の「ロッキー・マウンテン・ウェイ」が入ってもなんら違和感はないと、ぼくは思った。
ワクテル(見た目、そんなに変わらないね)とポステルはスライド用のバーを指にはめる曲もあり。ジミ・ヘンドリックス映画(2015年2月27日)の音楽を作ったりもしているワクテルはもしかしてエフェクターをつないでいなかったかもしれない。スクラーは意外にも愛想のいい人で、カンケルはやはりとっても堅実な演奏っぷり。彼らの満たされた様を認めながら、実は一番幸せなロックの時間を歩んできた人たちなのかもしれないなとも思った。
▶︎過去の、ダニー・コーチチマー
http://43142.diarynote.jp/200612281419530000/
http://43142.diarynote.jp/201708081430263083/
▶過去の、ジャクソン・ブラウン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 5.02
▶過去の、グレン・フライ/ジョー・ウォルシュ
http://43142.diarynote.jp/201103091707591166/
▶︎過去の、ジミ・ヘンドリックスの映画
http://43142.diarynote.jp/201502280948374540/
<今日の、余計な気遣い>
乃木坂寄りのミッドタウンの角には、小さな別練の交番が設置されている。だが、いつも無人で警察官がいるのをとんと見たことがないし、ただいま巡回中とかいう案内板も出されていない。その有り様を見ると、ミッドタウン側が交番に入ってもらいたくて作ったものの、警察側からお断りされたんじゃないかと思える。たしかに近くの六本木交差点には規模が多めの交番があるし、もうちょい行けば古くも汚いビルでいつ建て替えになるのかなあと思ってしまう麻布警察署もある。ともあれ、そのミッドタウンの見捨てられた交番の外見を見ると、なんか寂しい気持ちになる。また、何かトラブルがあり間近に見えた交番に駆け込んだら誰もいずえ〜んという出来事が、これまであったりはしなかったのだろうか。
コーチマーに加え、ドラムのラス・カンケルとベースのリーランド・スクラー、ギターのワディ・ワクテル、ギターのスティーブ・ポステル(2017年7月30日)という布陣。ありゃ、それにクレイグ・ダーギ(鍵盤)がいれば、ザ・セクションになっちゃう。ダーギとコーチマーとスクラーとカンケルは1970年代にザ・セクションというインストゥメンタルのグループを組み、3枚アルバムを出していた。それ、サイケ・フュージョンと言っていいかな。
前面にならんだギター陣は、持ち回りでリード・ヴォーカルも取る。すべてヴォーカル曲で、ザ・セクション曲(彼らのアナログを面々にかざしているお客さんがいましたね)はなし。メンバーのオリジナル、そしてジェイムス・テイラー、グレン・フライ(2011年3月5日)、ジャクソン・ブラウン(2003年5月2日)らの曲などを演奏。そして、驚かされたのは、それら多くが竹を割った情感を持つ、どすこいなパワー・ロック傾向にあるものであったこと。!!! うれしい、なるほど、キーボードレス編成であるのにも納得。そこに、ジョー・ウォルッシュ(2011年3月5日)の「ロッキー・マウンテン・ウェイ」が入ってもなんら違和感はないと、ぼくは思った。
ワクテル(見た目、そんなに変わらないね)とポステルはスライド用のバーを指にはめる曲もあり。ジミ・ヘンドリックス映画(2015年2月27日)の音楽を作ったりもしているワクテルはもしかしてエフェクターをつないでいなかったかもしれない。スクラーは意外にも愛想のいい人で、カンケルはやはりとっても堅実な演奏っぷり。彼らの満たされた様を認めながら、実は一番幸せなロックの時間を歩んできた人たちなのかもしれないなとも思った。
▶︎過去の、ダニー・コーチチマー
http://43142.diarynote.jp/200612281419530000/
http://43142.diarynote.jp/201708081430263083/
▶過去の、ジャクソン・ブラウン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 5.02
▶過去の、グレン・フライ/ジョー・ウォルシュ
http://43142.diarynote.jp/201103091707591166/
▶︎過去の、ジミ・ヘンドリックスの映画
http://43142.diarynote.jp/201502280948374540/
<今日の、余計な気遣い>
乃木坂寄りのミッドタウンの角には、小さな別練の交番が設置されている。だが、いつも無人で警察官がいるのをとんと見たことがないし、ただいま巡回中とかいう案内板も出されていない。その有り様を見ると、ミッドタウン側が交番に入ってもらいたくて作ったものの、警察側からお断りされたんじゃないかと思える。たしかに近くの六本木交差点には規模が多めの交番があるし、もうちょい行けば古くも汚いビルでいつ建て替えになるのかなあと思ってしまう麻布警察署もある。ともあれ、そのミッドタウンの見捨てられた交番の外見を見ると、なんか寂しい気持ちになる。また、何かトラブルがあり間近に見えた交番に駆け込んだら誰もいずえ〜んという出来事が、これまであったりはしなかったのだろうか。
セネガル出身パリ在住のギタリストであるエルヴェ・サム(2016年6月11日)のリーダー公演を、代官山・晴れたら空に豆まいて で見る。設定されている楽器群を見ると、もっと大きなステージでやった方が合いそうとも思える? サポート者は皆セネガル出身であるのかな。パーカッションはジャンベ型の縦長の打楽器3つを主に用いる。これを海外から持ち込むのは大変そうで、レンタルで揃えたんだろうか。
サポートは、電気ベースとダブル・ベース併用のパセ・ジェシ(デトロイト在住)、ドラムのマコドゥ・ンディアイ(パリ在住)、パーカッションのアリオウネ・セック(セネガル在住)。彼らが皆すらりとし、格好もいけてて、格好いい。その見てくれを期待して行っても不満は持たないだろうなと思う。
サムはマヌーシュ・ジャズの担い手が持っているようなスティール弦が張ってあるアコースティック・タイプのギターを持ち、アンプリファイド経由でことをこなす。いい奴そーだなと言うのはともかく、十全に客とのコミュニケーションを取ろうとする彼(英語でやっていた)はときどき最前面に出て来てギターを弾いたりもし、ステージ・マナーもチャーミング。鈴を転がすようなアフリカ属性を感じさせる奏法から、コード弾き主体でソロを取ったり、もろジャズ流儀に入っていったりと、演奏も多彩。サポート陣もそれに多様性を加える。とくに、1970年代初頭のソウル・バンドにいそうな格好をしているドラマーの演奏はアフリカで培っただろうタイム感と西欧的なステディなビート感が多大な間を抱えて重なったような奏法を見せ、彼がちょい演奏しただけでも引き込まれる。この叩き口は、米国の渋いシンガー・ソングライターやアメリカーナ的持ち味を求める奏者たちから求められる味ではないだろうか。
そして、曲によっては民族衣装に身を包んだシンガーのアルファ・ディエンが加わり、よく通るでっかい歌声を加える。おお、彼がちょい歌うだけでも、西アフリカな感じはどばあって広がりますね。ほうと思ったのは、彼が出て来て歌いはじめると、客席にいた同胞と思しき二人が次々に、彼におひねりの紙幣(1000円札より、上のように思えた)を手渡したこと。かの地でも日本の大衆芸能のような、そうした風習があるのだろうか。また、演奏陣もときに歌声を重ねたりして、それもいい感じだ。
客席側の反応は熱い。各所に決めをもっていたり、異なる要素がえいやっと繋がれる様から、<アフロな、プログ・ビート・ミュージック>なんて説明も彼らの実演に触れながらしたい部分もあった。この後、面々は京都、大阪、岡山、名古屋と回る。
▶︎過去の、エリヴェ・サム
http://43142.diarynote.jp/201606121230202174/
<今日の、言いわけ>
W杯試合TV観戦のため、一部にて失礼する。この時期は音楽より、サッカー優先だす。ここんとこ、また涼しい。基本雨天だったが、来週も雨マークが多そう。気温もそんなに上がらなさそうで、それにはマル。
サポートは、電気ベースとダブル・ベース併用のパセ・ジェシ(デトロイト在住)、ドラムのマコドゥ・ンディアイ(パリ在住)、パーカッションのアリオウネ・セック(セネガル在住)。彼らが皆すらりとし、格好もいけてて、格好いい。その見てくれを期待して行っても不満は持たないだろうなと思う。
サムはマヌーシュ・ジャズの担い手が持っているようなスティール弦が張ってあるアコースティック・タイプのギターを持ち、アンプリファイド経由でことをこなす。いい奴そーだなと言うのはともかく、十全に客とのコミュニケーションを取ろうとする彼(英語でやっていた)はときどき最前面に出て来てギターを弾いたりもし、ステージ・マナーもチャーミング。鈴を転がすようなアフリカ属性を感じさせる奏法から、コード弾き主体でソロを取ったり、もろジャズ流儀に入っていったりと、演奏も多彩。サポート陣もそれに多様性を加える。とくに、1970年代初頭のソウル・バンドにいそうな格好をしているドラマーの演奏はアフリカで培っただろうタイム感と西欧的なステディなビート感が多大な間を抱えて重なったような奏法を見せ、彼がちょい演奏しただけでも引き込まれる。この叩き口は、米国の渋いシンガー・ソングライターやアメリカーナ的持ち味を求める奏者たちから求められる味ではないだろうか。
そして、曲によっては民族衣装に身を包んだシンガーのアルファ・ディエンが加わり、よく通るでっかい歌声を加える。おお、彼がちょい歌うだけでも、西アフリカな感じはどばあって広がりますね。ほうと思ったのは、彼が出て来て歌いはじめると、客席にいた同胞と思しき二人が次々に、彼におひねりの紙幣(1000円札より、上のように思えた)を手渡したこと。かの地でも日本の大衆芸能のような、そうした風習があるのだろうか。また、演奏陣もときに歌声を重ねたりして、それもいい感じだ。
客席側の反応は熱い。各所に決めをもっていたり、異なる要素がえいやっと繋がれる様から、<アフロな、プログ・ビート・ミュージック>なんて説明も彼らの実演に触れながらしたい部分もあった。この後、面々は京都、大阪、岡山、名古屋と回る。
▶︎過去の、エリヴェ・サム
http://43142.diarynote.jp/201606121230202174/
<今日の、言いわけ>
W杯試合TV観戦のため、一部にて失礼する。この時期は音楽より、サッカー優先だす。ここんとこ、また涼しい。基本雨天だったが、来週も雨マークが多そう。気温もそんなに上がらなさそうで、それにはマル。
まず、六本木・アスミック試写室で、2017年英/伊映画「バンクシーを盗んだ男」を見る。2007年にパレスチナのベツレヘムにある米国/イスラエルによる巨大な隔離壁(“アパルトヘイト・ウォール”という呼び方もあるようだ)に描かれたバンクシーの絵の行方を追ったドキュメンタリーだ。けっこう、みんな英語をしゃべっているナ。ある英国の団体が企画し、現代アートの担い手たちにいろいろ壁に描いてもらったのが発端。そのさい、バンクシーは6、7人のスタッフにて、毎日変装して作業をすすめたという証言も入れられている。
壁のバンクシー作品は勝手に切り取られ、売買に出される。そんな経緯をフォローし、パレスチナの住民感情なども介しつつ、ストリート・アートの価値や投機に対しての問いかけがなされていく映画。見ている途中で、バンクシー作品は一部の資産家たちが結託し高額売買し合うことで取引価格の高騰を招かせ、さらなる富を生んでいる、なんて説も出てきたら面白いのにと思ってしまった。ハハ。なんとナレーションは、真正ロッカーのイギー・ポップが担当。彼がしゃべることで、どこかバンクシーを取り巻く環境の奇妙さや不毛さを浮き彫りにする部分はある? 日本公開用のちらしにも、彼の名はけっこうデカくのせられていて、うれしい。
▶︎過去の、バンクシーを扱った映画(一番下部)
http://43142.diarynote.jp/201603170929502385/
続いて、京橋・テアトル試写室で、2017年タイ映画語「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」を見る。1981年生まれのナタウッド・プーンピリヤ(写真を見ると、イケ面ぽい)が監督し、タイで大ヒットするとともに近隣諸国でも高成績を収めたを作品のよう。お金持ち私立高校を舞台とするもので、受験戦争を背景に、カンニングを請け負う秀才と高額を払いそれを受ける高校生たちの人間群像が青春映画タッチで描かれる。試験会場で答えを教える手口の数々は、この映画の才気発露の肝となるものか。亜熱帯圏の作品かもと覚えたのは、映画のテンポや編集が、どこかゆっくりしているところ。それゆえ、長さは130分もある。最後のマジメな終わり方は、へえそうするんですかと、ぼくは思った。
最後は、丸の内・コットンクラブに回る。ジャズ・ベーシストのクリスチャン・マクブライド(2000年11月1日、2006年9月17日、2007年12月18日、2009年8月30日、2012年9月8日、2014年9月7日、2016年6月26日、20016年9月3日、2016年9月7日)の新カルテットのセカンド・ショウを見る。そしたら、過去見た中で一番、ハードで真摯なジャズを展開。やればできるぢゃんと、ぼくは喝采を送った。前日は新宿のブルックパーラーでフィリー・ソウルの曲をかけながら電気ベースを弾くというDJをマクブライドはやったらしいが、それに接していたら、余計にその落差(と、そこから生まれる米国黒人音楽の不可解な連続線の面白さ)に感激したろうな。
トランペットのジョシュ・エヴァンス(2017年12月22日)、テナー・サックスのマーカス・ストリックランド(2007年12月18日、2012年1月13日、2013年9月28日)、ドラムのナシート・ウェイツ(2007年1月16日、2007年1月17日、2015年1月20日、2018年1月24日)という実力者を擁しての、ピアノレス(!)のカルテット。当然、マクブライドはダブル・ベースだけを弾く。すでにこの顔ぶれで録音も済ませているらしいが、その編成だけで、マクブライドの覇気は露になりますね。
セロニアス・モンクやアコースティック期オーネット・コールマン(2006年3月27日)表現の綾などにも言及する意思を見せる、研ぎ澄まされた黒さと含みを抱えたリアル・ジャズを悠然と展開。到達点を皆んなで共有しつつ、自在にほつれ、流れる……。みんなイケた演奏を開くが、これは今のジャズ以外の何物でもないのだと思わせる決定的な要素が、ウェイツのドラミング。このカルテットを自動車に比喩するなら、ドラムは高出力のハイブリット・エンジンと言いたくなる感じで、いかに外見が古くても(いや、そちらも現代要素はいろいろ練りこまれている)、走りは今のもになると思えてしまったもの。マクブライド、ア・ゴー・ゴー!
▶過去の、クリスチャン・マクブライド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200609190457510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20071218
http://43142.diarynote.jp/200909120642135954/
http://43142.diarynote.jp/201209191209186663/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201606281735457440/
▶︎過去の、ジョシュ・エヴァンス
http://43142.diarynote.jp/201712221459383586/
▶︎過去の、マーカス・ストリックランド
http://43142.diarynote.jp/200712190953140000/
http://43142.diarynote.jp/201201141645353138/
http://43142.diarynote.jp/201310041548056608/
▶︎過去の、ナシート・ウェイツ
http://43142.diarynote.jp/200701201417260000/
http://43142.diarynote.jp/200701201418210000/
http://43142.diarynote.jp/201501210901575140/
http://43142.diarynote.jp/201801251404591913/
▶︎過去の、オーネット・コールマン
http://43142.diarynote.jp/200603281335030000/
<今日は、幕開け>
映画の試写会に行くというのは、少し余裕があるバロメーター。20日間ぐらい続いた“仕事 死のロード”(←少し、大げさ)がこの火曜で終わりをみたのは事実で、この日は気分転換ごっこもしたくなり、試写を二つはしごした。そして、コットンクラブの後、そこで会った悪い友人にそそのかされ、電車で動きたかったものの、3時近くまで飲んじゃう。ここらあたりからタクシーで帰る際、高速を勧められたことはなかった。だが、今回勧めに従い、霞が関から高速に乗ったら、確かに早かった。というのはおいといて、ワールドカップ初戦のロシアvs サウジアラビアの試合は所々お店のデカいヴィジョンに映されていたものを見る。ロシアがあんなに点をとっちゃうとは。あれで、世界の人はアジアの水準の低さをまた認識するのか。ああ、またワールドカップが始まってしまった。家でTV観戦できないぼくは、試合放映をもとめてジプシー生活を始めることとなる……。とはいえ、多忙にならざるを得ない懸案が待ってもいて、どのぐらい酔狂生活に没入できるか。前回大会のときは、こんなことも書いていた。http://43142.diarynote.jp/201406160956273046/ 。そこで記してあるストリーミング放映、それを多用すると、なっぜかうちのPCはどれも動作が悪くなるのと、やはりデカい画面がいいので、結局それほど頼らなかった。
壁のバンクシー作品は勝手に切り取られ、売買に出される。そんな経緯をフォローし、パレスチナの住民感情なども介しつつ、ストリート・アートの価値や投機に対しての問いかけがなされていく映画。見ている途中で、バンクシー作品は一部の資産家たちが結託し高額売買し合うことで取引価格の高騰を招かせ、さらなる富を生んでいる、なんて説も出てきたら面白いのにと思ってしまった。ハハ。なんとナレーションは、真正ロッカーのイギー・ポップが担当。彼がしゃべることで、どこかバンクシーを取り巻く環境の奇妙さや不毛さを浮き彫りにする部分はある? 日本公開用のちらしにも、彼の名はけっこうデカくのせられていて、うれしい。
▶︎過去の、バンクシーを扱った映画(一番下部)
http://43142.diarynote.jp/201603170929502385/
続いて、京橋・テアトル試写室で、2017年タイ映画語「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」を見る。1981年生まれのナタウッド・プーンピリヤ(写真を見ると、イケ面ぽい)が監督し、タイで大ヒットするとともに近隣諸国でも高成績を収めたを作品のよう。お金持ち私立高校を舞台とするもので、受験戦争を背景に、カンニングを請け負う秀才と高額を払いそれを受ける高校生たちの人間群像が青春映画タッチで描かれる。試験会場で答えを教える手口の数々は、この映画の才気発露の肝となるものか。亜熱帯圏の作品かもと覚えたのは、映画のテンポや編集が、どこかゆっくりしているところ。それゆえ、長さは130分もある。最後のマジメな終わり方は、へえそうするんですかと、ぼくは思った。
最後は、丸の内・コットンクラブに回る。ジャズ・ベーシストのクリスチャン・マクブライド(2000年11月1日、2006年9月17日、2007年12月18日、2009年8月30日、2012年9月8日、2014年9月7日、2016年6月26日、20016年9月3日、2016年9月7日)の新カルテットのセカンド・ショウを見る。そしたら、過去見た中で一番、ハードで真摯なジャズを展開。やればできるぢゃんと、ぼくは喝采を送った。前日は新宿のブルックパーラーでフィリー・ソウルの曲をかけながら電気ベースを弾くというDJをマクブライドはやったらしいが、それに接していたら、余計にその落差(と、そこから生まれる米国黒人音楽の不可解な連続線の面白さ)に感激したろうな。
トランペットのジョシュ・エヴァンス(2017年12月22日)、テナー・サックスのマーカス・ストリックランド(2007年12月18日、2012年1月13日、2013年9月28日)、ドラムのナシート・ウェイツ(2007年1月16日、2007年1月17日、2015年1月20日、2018年1月24日)という実力者を擁しての、ピアノレス(!)のカルテット。当然、マクブライドはダブル・ベースだけを弾く。すでにこの顔ぶれで録音も済ませているらしいが、その編成だけで、マクブライドの覇気は露になりますね。
セロニアス・モンクやアコースティック期オーネット・コールマン(2006年3月27日)表現の綾などにも言及する意思を見せる、研ぎ澄まされた黒さと含みを抱えたリアル・ジャズを悠然と展開。到達点を皆んなで共有しつつ、自在にほつれ、流れる……。みんなイケた演奏を開くが、これは今のジャズ以外の何物でもないのだと思わせる決定的な要素が、ウェイツのドラミング。このカルテットを自動車に比喩するなら、ドラムは高出力のハイブリット・エンジンと言いたくなる感じで、いかに外見が古くても(いや、そちらも現代要素はいろいろ練りこまれている)、走りは今のもになると思えてしまったもの。マクブライド、ア・ゴー・ゴー!
▶過去の、クリスチャン・マクブライド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200609190457510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20071218
http://43142.diarynote.jp/200909120642135954/
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▶︎過去の、ジョシュ・エヴァンス
http://43142.diarynote.jp/201712221459383586/
▶︎過去の、マーカス・ストリックランド
http://43142.diarynote.jp/200712190953140000/
http://43142.diarynote.jp/201201141645353138/
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▶︎過去の、ナシート・ウェイツ
http://43142.diarynote.jp/200701201417260000/
http://43142.diarynote.jp/200701201418210000/
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http://43142.diarynote.jp/201801251404591913/
▶︎過去の、オーネット・コールマン
http://43142.diarynote.jp/200603281335030000/
<今日は、幕開け>
映画の試写会に行くというのは、少し余裕があるバロメーター。20日間ぐらい続いた“仕事 死のロード”(←少し、大げさ)がこの火曜で終わりをみたのは事実で、この日は気分転換ごっこもしたくなり、試写を二つはしごした。そして、コットンクラブの後、そこで会った悪い友人にそそのかされ、電車で動きたかったものの、3時近くまで飲んじゃう。ここらあたりからタクシーで帰る際、高速を勧められたことはなかった。だが、今回勧めに従い、霞が関から高速に乗ったら、確かに早かった。というのはおいといて、ワールドカップ初戦のロシアvs サウジアラビアの試合は所々お店のデカいヴィジョンに映されていたものを見る。ロシアがあんなに点をとっちゃうとは。あれで、世界の人はアジアの水準の低さをまた認識するのか。ああ、またワールドカップが始まってしまった。家でTV観戦できないぼくは、試合放映をもとめてジプシー生活を始めることとなる……。とはいえ、多忙にならざるを得ない懸案が待ってもいて、どのぐらい酔狂生活に没入できるか。前回大会のときは、こんなことも書いていた。http://43142.diarynote.jp/201406160956273046/ 。そこで記してあるストリーミング放映、それを多用すると、なっぜかうちのPCはどれも動作が悪くなるのと、やはりデカい画面がいいので、結局それほど頼らなかった。
関口祐加監督のドキュメンタリー映画を、昼下がりに渋谷・映画美学校試写室で見る。29年間居住していたオーストラリアで映画監督をしていたものの(3作品を作ったよう)、母親がアルツハイマーになり、帰国。そして、母親ひろこさんとのやりとりを柱に据えたドキュメンタリーを撮るようになり、「毎日がアルツハイマー」(2012年)、「毎日がアルツハイマー2 関口監督イギリスへ行く編」(2014年)を発表。「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル」は、それらに続くに続く3作目となる。7月中旬から公開されるが、2本の旧作も6月下旬からまた単館上映される。監督は今59歳、ひろこさんは86歳のよう。二人は妹家族とともに、横浜に住んでいる。
テーマがテーマだけに、すんごく暗くなると思った。が、覚悟していたほどではあらず。それは、関口監督がかなりユーモラスな人であるのが随所から伝わる事。映画も、彼女のあっけらかんとしたナレーションで進められる。また、ひろこさんもぼくが想起するアルツハイマーの症状よりしっかりしていて、それも負の所感を弱める。とはいえ、今はまあ元気とはいえ抗がん剤治療を受けている母親を持つ身としては、やはり自らの身の処し方に考えはおよんでしまい、ヒリヒリした心持ちを抱えざるを得ないが。
映画は監督自身の股関節の手術/リハビリのシーンから始まり、いつまで介護を続けられるのかと、自らも老いの時代を迎えていることを自覚。そして、今作は誰もが避けることができない〜それはひろ子さんにとっても〜<死に方>についていろいろ考えて行く内容を持っている。監督は、その選択肢を探るために、豪州、松山、英国、スイスにも飛ぶ……。ところで、入院中に監督は、ジミ・ヘンドリックスとセックス・ピストルズのTシャツを日替わりで着ていた。あれは好んでという感じに見え、ロック・ファンであるとお見受けした。音楽はガイ・クロスという人が作っていて、鍵盤打楽器音中心のほのぼのした作風は映画にあっている。
夜は、代官山・晴れたら空に豆まいて に行く。最初にやっていたのは、縦笛(ネイ?)を吹く在日トルコ人と、弦楽器を弾く日本女性と太鼓を叩く日本男性の3人組。LだかRだかが頭につくグループ名を(スーパーデラックスでやった実演のDVDを会場で売っているとも)言っていたが、失念。ごめんなさい。しかし、ぼくにとってはなかなか謎の演奏。笛はサックスでいうところのサブ・トーンといった音を出していたが、ときにもっと高い澄んだ音を出したりもした。また、笛の男性がちょい歌ったヴォーカルは渋かった。それ、もっと聞きたかった。最後のほうくるくる回る日本人ダンサーが出てきたので、スーフィーをやっていたのか? そこらあたり、ぼくはうとい。会場は混んでいて、みんな熱心な聞き手っぽい。なんか、近年になくアウェー感を味わった。
メインの出演者は、トルコのタンブール(たぶん3コースの、弦楽器)奏者のムラット・アイデミルと、ギリシャのネイ(縦笛)奏者のクリストス・バルバスのデュオ公演。両者ともにその道の大家であるらしい。そして、公演表題となっている『The Mountain & The Tree』は、今年リリースされた二人のアルバム・タイトルのよう。タンブールにせよネイにせよ、形はかなり大ぶり。MCはバルバスが英語でし、彼が朗々とした声で歌った曲もあり。
こちらも自分が門外漢であることを痛感させる、ぼくの内に溜めている知識を超えたものを航海図に置くパフォーマンス。ネイのひょろひょろした音色の演奏にタンブールの単音演奏が付いて行くという、とってもシンプルな演奏なのだが、その抑揚や間は別の世界観や文化を感じさせる。用いる楽器は当然のこと音楽流儀もトラッド基調なのだろうけど、ギリシャとトルコがまずぼくの中ではあまり結びつかなく……。いやあ、生理的にとっても距離感を感じ、世界は広いなと思えた実演だった。そんなにインプロ度数が高いとは思えないが演奏は悠然と流れ、短めではない。アイデルがバルバスの顔を覗き、終わりを探る場面は何度もあった。
<今日の、道すがら>
程よい気候のため、家から歩いて試写会場に行く。途中、TSUTAYA O-イーストの前に公演を持つ人が結構いる。ええっ、キミたちあと何時間そこに立つの? DAY6という韓国のバンドの公演があるよう。そして、夜のライヴを見た後も、なんか電車乗るのもなんだかなあというキブンになり、歩いて帰宅。久しぶりに、立派なTSUTAYAの前を通る。中目黒にもこ洒落たTSUTAYAができたが、代官山店の規模は破格。ここに投下する各店舗であげた利益はどのぐらいなのかなーと、横を通るたびに思うぼく。関係ないが、途中の飲み物の自動販売機にマウンテン・デューが入っていた。わあ。昔、けっこう好きだったんだよなあ。てな感じで、けっこう歩いた1日であると思ったのだが、1万歩には少し届かなかった。
テーマがテーマだけに、すんごく暗くなると思った。が、覚悟していたほどではあらず。それは、関口監督がかなりユーモラスな人であるのが随所から伝わる事。映画も、彼女のあっけらかんとしたナレーションで進められる。また、ひろこさんもぼくが想起するアルツハイマーの症状よりしっかりしていて、それも負の所感を弱める。とはいえ、今はまあ元気とはいえ抗がん剤治療を受けている母親を持つ身としては、やはり自らの身の処し方に考えはおよんでしまい、ヒリヒリした心持ちを抱えざるを得ないが。
映画は監督自身の股関節の手術/リハビリのシーンから始まり、いつまで介護を続けられるのかと、自らも老いの時代を迎えていることを自覚。そして、今作は誰もが避けることができない〜それはひろ子さんにとっても〜<死に方>についていろいろ考えて行く内容を持っている。監督は、その選択肢を探るために、豪州、松山、英国、スイスにも飛ぶ……。ところで、入院中に監督は、ジミ・ヘンドリックスとセックス・ピストルズのTシャツを日替わりで着ていた。あれは好んでという感じに見え、ロック・ファンであるとお見受けした。音楽はガイ・クロスという人が作っていて、鍵盤打楽器音中心のほのぼのした作風は映画にあっている。
夜は、代官山・晴れたら空に豆まいて に行く。最初にやっていたのは、縦笛(ネイ?)を吹く在日トルコ人と、弦楽器を弾く日本女性と太鼓を叩く日本男性の3人組。LだかRだかが頭につくグループ名を(スーパーデラックスでやった実演のDVDを会場で売っているとも)言っていたが、失念。ごめんなさい。しかし、ぼくにとってはなかなか謎の演奏。笛はサックスでいうところのサブ・トーンといった音を出していたが、ときにもっと高い澄んだ音を出したりもした。また、笛の男性がちょい歌ったヴォーカルは渋かった。それ、もっと聞きたかった。最後のほうくるくる回る日本人ダンサーが出てきたので、スーフィーをやっていたのか? そこらあたり、ぼくはうとい。会場は混んでいて、みんな熱心な聞き手っぽい。なんか、近年になくアウェー感を味わった。
メインの出演者は、トルコのタンブール(たぶん3コースの、弦楽器)奏者のムラット・アイデミルと、ギリシャのネイ(縦笛)奏者のクリストス・バルバスのデュオ公演。両者ともにその道の大家であるらしい。そして、公演表題となっている『The Mountain & The Tree』は、今年リリースされた二人のアルバム・タイトルのよう。タンブールにせよネイにせよ、形はかなり大ぶり。MCはバルバスが英語でし、彼が朗々とした声で歌った曲もあり。
こちらも自分が門外漢であることを痛感させる、ぼくの内に溜めている知識を超えたものを航海図に置くパフォーマンス。ネイのひょろひょろした音色の演奏にタンブールの単音演奏が付いて行くという、とってもシンプルな演奏なのだが、その抑揚や間は別の世界観や文化を感じさせる。用いる楽器は当然のこと音楽流儀もトラッド基調なのだろうけど、ギリシャとトルコがまずぼくの中ではあまり結びつかなく……。いやあ、生理的にとっても距離感を感じ、世界は広いなと思えた実演だった。そんなにインプロ度数が高いとは思えないが演奏は悠然と流れ、短めではない。アイデルがバルバスの顔を覗き、終わりを探る場面は何度もあった。
<今日の、道すがら>
程よい気候のため、家から歩いて試写会場に行く。途中、TSUTAYA O-イーストの前に公演を持つ人が結構いる。ええっ、キミたちあと何時間そこに立つの? DAY6という韓国のバンドの公演があるよう。そして、夜のライヴを見た後も、なんか電車乗るのもなんだかなあというキブンになり、歩いて帰宅。久しぶりに、立派なTSUTAYAの前を通る。中目黒にもこ洒落たTSUTAYAができたが、代官山店の規模は破格。ここに投下する各店舗であげた利益はどのぐらいなのかなーと、横を通るたびに思うぼく。関係ないが、途中の飲み物の自動販売機にマウンテン・デューが入っていた。わあ。昔、けっこう好きだったんだよなあ。てな感じで、けっこう歩いた1日であると思ったのだが、1万歩には少し届かなかった。
コリーヌ・ベイリー・レイ。メイシオ・パーカー・ビッグ・バンド
2018年6月8日 音楽 まず六本木・ビルボードライブ東京に行き、UKシンガーのコリーヌ・ベイリー・レイ(2011年3月8日)のファースト・ショウを見る。エレクトリック・ギターとコーラスのジョン・マッカラムとキーボードとコーラスのステファン・ブラウンを従える。二人とも、白人。イケ面紳士然としたブラウンは右手で電気ピアノ、左手でシンセサイザーにてベース・ラインを弾く。また、1曲ではエレクトリック・ベースも手にした。彼がレイのパートナーというのは、本当?
ようはドラムレスの、簡素な設定でパフォーマンスをする。どうやら、こういう設定でライヴをするのは今回が初めてのこととなるらしい。ステージに登場した彼女は相変わらずスリムでかわいらしい。もともと喉力で勝負する人ではないので、最初のほうはサウンドの簡素さもあり少し寂しいと感じる部分があったが、徐々に声も輝きを増し、この素が出やすい設定もありだろうと感じてくる。
彼女は曲によってはギター、そして1曲ではカシシを振りながら歌う。なんにせよ、彼女を包むスレていない“いい人”光線が心地よく、きっといまだに彼女は育ったリーズで暮らしているんだろうなとも思わせる。そして、かつてのリンダ・ルイスがそうであったように、ソウルもロックも同地平に抱えた英国的な風通しの良さ〜それはキラキラした感覚を持つ〜がその個体の奥から顕れるわけで、にっこりしてしまうではないか。
▶︎過去の、コリーヌ・ベイリー・レイ
http://43142.diarynote.jp/?day=20110308
そして、南青山・ブルーノート東京に移動。アルト・サックス奏者/シンガー(1999年8月6~8日、1999年10月28日、2001年4月17日、2002年11月19日、2005年9月6日、2007年9月13日、2009年1月21日、2010年2月16日、2010年9月3日、2013年2月2日、2015年7月27日、2016年7月18日)のメイシオ・パーカーの特別仕立て公演を見る。
ザJBズ→P-ファンクという流れを経て、1980年代後期からピンで活動を始めた(それら関連者の中で、彼は一番安定した活動を続けているのではないか。そのことと、マネイジメントを英国の会社がやっていることと関係はアリか?)。また、プリンス(2002年11月19日)も事あるごとに、彼をツアーのフィーチャード・プレイヤーとして重用していましたね。
ビッグ・バンドを擁する公演。穏健そうな中年白人のスティーヴ・シグムンドを指揮者におき、サックス・セクションの本田雅人、近藤和彦、小池修、庵原良司。トランペット・セクションの佐久間勲、奥村晶、佐々木史郎、二井田ひとみ。トロンボーン・セクションの村田陽一、中川英二郎、半田信英、朝里勝久。電気ギターの今泉洋、キーボードの小倉泰治(ピアノ)、電気ベースの川村竜(ベース)、ドラムの岩瀬立飛(ドラムス)という、日本人奏者たちがつく。管楽器奏者たちはブルーノート東京オールスター・ジャズ・オーケストラの面々が主となるもの。他の公演では、そのリーダーのエリック・ミヤシロ(2010年5月11日、2011年3月10日、2011年3月28日、2011年4月21日、2011年8月6日 、2014年9月7日、2015年9月27日、2016年1月7日、2017年7月28日、2017年11月8日、2018年5月16日)が入る日もある。
メイシオ・パーカーの新作『It’s About Love』(Jazzline)は独ケルンのWHDビッグ・バンドを従えた新旧のソウル・カヴァー集だが、今回はレイ・チャールズ曲に特化したショウをしますというもの。指揮のスティーヴ・シグムンドは晩年のレイ・チャールズの大所帯バンドに入っていたトロンボーン奏者で、スコアは彼が用意したのだろうか。
ステージに出てきたパーカーは、レイ・チャールズを気取ったキンキラの正装で、彼と同じように濃いサングラスをかける。仕草もどこか彼のそれを踏襲しているとことはあったか。そして、彼はビッグ・バンド音に乗って歌い倒す。ここ15年ほどはアルト・サックス奏者として以上に歌うことに力を入れてきている彼だが、確かサックスのソロをとったのは2曲だけだった。彼は一度だけサングラスを外して歌ったが、それはレイ・チャールズ絡み外の曲だったのではないか。
終盤、ザ・レイレッツ(チャールズのコーラス隊は昔からそういう名称だった)と名乗る3人のおばちゃんコーラス隊(エレイン・ウッダード、カトリーナ・ハーパー、カレン・イヴァンス。チャールズと絡んだ人はいないはず)も加わった。どうせなら、視覚的効果もあるし、もっと早く登場してもいいはずだが、自分が目立ちたかったのか。メイシオ・パーカーの音楽体験原点にある大人(たいじん)とのつながりを求めた公演、当人の感慨をはじめ、いろんな歓びが会場には渦巻いていた。で↓
▶過去の、メイシオ・パーカー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200509130313320000/
http://43142.diarynote.jp/200709171112310000/
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
http://43142.diarynote.jp/201002171552164447/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
http://43142.diarynote.jp/201508050852067247/
http://43142.diarynote.jp/201607191314481207/
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
▶過去のエリック・ミヤシロ/ブルーノート東京・オールスターズ・ジャズ・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/?day=20100511
http://43142.diarynote.jp/?day=20110310
http://43142.diarynote.jp/201104041100266528/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110421
http://43142.diarynote.jp/201108101632022013/ ノー・ネーム・ホー^セズ
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/ ノー・ネーム・ホーセズ
http://43142.diarynote.jp/201501131019359012/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201601090750252990/
http://43142.diarynote.jp/201708081429085086/ B.B.STATION
http://43142.diarynote.jp/201711091333526195/ マシュー・ハーバートツ・ビッグ・バンド
http://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
http://43142.diarynote.jp/201805201310351671/
▶過去の、レイ・チャールズの映画
http://43142.diarynote.jp/200411170827380000/
<今日の、メイシオ公演>
混んでいた。あら、ステージすぐ前の席に知り合いチームがいる。うち、一人は著書多数の某有名ジャズ喫茶店主。途中から、立ち上がりイエ〜イな感じで踊っている。終了後、ノリノリでしたねと声をかけると、オレの青春なんだよっ。青春、バンザイ! そして、残っていたワインを飲みなよと、お酒に目のないぼくにすすめてくれる。優しいまーくん、これまたバンザイ!
「ホワット・アイ・セイ」の掛け合いに触れながら、大阪を舞台にしたリドリー・スコットの米国映画『ブラック・レイン』で、高倉健演じる松本刑事が酒場で同曲を歌うシーンを思い出した。その映画の主題歌は、グレッグ・オールマンが歌っていた。オールマンは1973年ソロ作『レイド・バック』(「キャプリコーン、」を大ヒットさせたご褒美(?)で菅セクションや3人の女性シンガーを擁する大きな設定でツアーに出た(その模様は、2枚組『ザ・グレッグ・オールマン・ツアー』として翌年商品化される)が、それはレイ・チャールズを気取りたかったからと言われる。みんな大偉人レイさんに対する業のようなものは深いです。
ようはドラムレスの、簡素な設定でパフォーマンスをする。どうやら、こういう設定でライヴをするのは今回が初めてのこととなるらしい。ステージに登場した彼女は相変わらずスリムでかわいらしい。もともと喉力で勝負する人ではないので、最初のほうはサウンドの簡素さもあり少し寂しいと感じる部分があったが、徐々に声も輝きを増し、この素が出やすい設定もありだろうと感じてくる。
彼女は曲によってはギター、そして1曲ではカシシを振りながら歌う。なんにせよ、彼女を包むスレていない“いい人”光線が心地よく、きっといまだに彼女は育ったリーズで暮らしているんだろうなとも思わせる。そして、かつてのリンダ・ルイスがそうであったように、ソウルもロックも同地平に抱えた英国的な風通しの良さ〜それはキラキラした感覚を持つ〜がその個体の奥から顕れるわけで、にっこりしてしまうではないか。
▶︎過去の、コリーヌ・ベイリー・レイ
http://43142.diarynote.jp/?day=20110308
そして、南青山・ブルーノート東京に移動。アルト・サックス奏者/シンガー(1999年8月6~8日、1999年10月28日、2001年4月17日、2002年11月19日、2005年9月6日、2007年9月13日、2009年1月21日、2010年2月16日、2010年9月3日、2013年2月2日、2015年7月27日、2016年7月18日)のメイシオ・パーカーの特別仕立て公演を見る。
ザJBズ→P-ファンクという流れを経て、1980年代後期からピンで活動を始めた(それら関連者の中で、彼は一番安定した活動を続けているのではないか。そのことと、マネイジメントを英国の会社がやっていることと関係はアリか?)。また、プリンス(2002年11月19日)も事あるごとに、彼をツアーのフィーチャード・プレイヤーとして重用していましたね。
ビッグ・バンドを擁する公演。穏健そうな中年白人のスティーヴ・シグムンドを指揮者におき、サックス・セクションの本田雅人、近藤和彦、小池修、庵原良司。トランペット・セクションの佐久間勲、奥村晶、佐々木史郎、二井田ひとみ。トロンボーン・セクションの村田陽一、中川英二郎、半田信英、朝里勝久。電気ギターの今泉洋、キーボードの小倉泰治(ピアノ)、電気ベースの川村竜(ベース)、ドラムの岩瀬立飛(ドラムス)という、日本人奏者たちがつく。管楽器奏者たちはブルーノート東京オールスター・ジャズ・オーケストラの面々が主となるもの。他の公演では、そのリーダーのエリック・ミヤシロ(2010年5月11日、2011年3月10日、2011年3月28日、2011年4月21日、2011年8月6日 、2014年9月7日、2015年9月27日、2016年1月7日、2017年7月28日、2017年11月8日、2018年5月16日)が入る日もある。
メイシオ・パーカーの新作『It’s About Love』(Jazzline)は独ケルンのWHDビッグ・バンドを従えた新旧のソウル・カヴァー集だが、今回はレイ・チャールズ曲に特化したショウをしますというもの。指揮のスティーヴ・シグムンドは晩年のレイ・チャールズの大所帯バンドに入っていたトロンボーン奏者で、スコアは彼が用意したのだろうか。
ステージに出てきたパーカーは、レイ・チャールズを気取ったキンキラの正装で、彼と同じように濃いサングラスをかける。仕草もどこか彼のそれを踏襲しているとことはあったか。そして、彼はビッグ・バンド音に乗って歌い倒す。ここ15年ほどはアルト・サックス奏者として以上に歌うことに力を入れてきている彼だが、確かサックスのソロをとったのは2曲だけだった。彼は一度だけサングラスを外して歌ったが、それはレイ・チャールズ絡み外の曲だったのではないか。
終盤、ザ・レイレッツ(チャールズのコーラス隊は昔からそういう名称だった)と名乗る3人のおばちゃんコーラス隊(エレイン・ウッダード、カトリーナ・ハーパー、カレン・イヴァンス。チャールズと絡んだ人はいないはず)も加わった。どうせなら、視覚的効果もあるし、もっと早く登場してもいいはずだが、自分が目立ちたかったのか。メイシオ・パーカーの音楽体験原点にある大人(たいじん)とのつながりを求めた公演、当人の感慨をはじめ、いろんな歓びが会場には渦巻いていた。で↓
▶過去の、メイシオ・パーカー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200509130313320000/
http://43142.diarynote.jp/200709171112310000/
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
http://43142.diarynote.jp/201002171552164447/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
http://43142.diarynote.jp/201508050852067247/
http://43142.diarynote.jp/201607191314481207/
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
▶過去のエリック・ミヤシロ/ブルーノート東京・オールスターズ・ジャズ・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/?day=20100511
http://43142.diarynote.jp/?day=20110310
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▶過去の、レイ・チャールズの映画
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<今日の、メイシオ公演>
混んでいた。あら、ステージすぐ前の席に知り合いチームがいる。うち、一人は著書多数の某有名ジャズ喫茶店主。途中から、立ち上がりイエ〜イな感じで踊っている。終了後、ノリノリでしたねと声をかけると、オレの青春なんだよっ。青春、バンザイ! そして、残っていたワインを飲みなよと、お酒に目のないぼくにすすめてくれる。優しいまーくん、これまたバンザイ!
「ホワット・アイ・セイ」の掛け合いに触れながら、大阪を舞台にしたリドリー・スコットの米国映画『ブラック・レイン』で、高倉健演じる松本刑事が酒場で同曲を歌うシーンを思い出した。その映画の主題歌は、グレッグ・オールマンが歌っていた。オールマンは1973年ソロ作『レイド・バック』(「キャプリコーン、」を大ヒットさせたご褒美(?)で菅セクションや3人の女性シンガーを擁する大きな設定でツアーに出た(その模様は、2枚組『ザ・グレッグ・オールマン・ツアー』として翌年商品化される)が、それはレイ・チャールズを気取りたかったからと言われる。みんな大偉人レイさんに対する業のようなものは深いです。
メンバーの4分の1であり、存在感を持つ楽器であるコントラバス・クラリネットを吹いていたヒュー・ロイドが抜けたnouon(2015年4月17日、2015年9月13日、2015年10月9日、2016年3月14日、2017年2月17日、2017年8月23日) だが、新たなメンバーとしてギター奏者の加藤一平(2013年9月22日、2015年6月15日、2018年3月15日他)が入った。すでに2度ほどnouonウィズ加藤一平としてライヴをやっているそうで、この日から正メンバーとなったという。話すととても物静かな人なんだが、もう全面的にバンド表現に干渉していて、プロだなあと思う。新宿・ピットイン、昼の部。前にここでやったときの方が埋まっていたような気もするが、十分と思える入り。日中ひまな人けっこういるんだなー。この日も、オノセイゲンがレコーディングしていた。
とにもかくにも、音楽性が大幅に変わった。それは加藤のエフェクター類を駆使する演奏が導く面も当然あるのだが、変化していきたい、新たなnouon表現を求めたいという従来メンバーの意思がもたらすものだろう。それで、加藤に白羽の矢を立てたと考えたほうが自然だ。
ほとんどが新曲だし、彼らの人気曲「アヴェレイジ」もまだ未整理な部分は感じたが、大きく改変。シンプルに言ってしまえば、音響系、ポスト・ロック側に位置する音に大きく動いていた。以前の<いろんな要素をタペストリー状に重ね合わせた、多大な含みを持つ変則編成によるしなやかオルタナ・ジャズ>もそりゃ我が道を行かんとする創造性や野心や審美眼に溢れたものであったが、新ラインアップによるこの4人組は大胆に焦点を絞り、モダン・ミュージック側に飛び込んだ! いやあ、短期間にこれだけ鮮やかに舵を取ったバンドをぼくはそうは知らない。低音担当楽器がいなくなったぶん。ケビン・マキュー(米国人である彼は自らの日本語表記について、”ヴ”でなく”ビ”を希望しているよう)は電気ピアノ音色のノード・エレクトロを扱うだけでけでなく、左手で新たに用意する鍵盤ベースを弾いたりもしていた。それも、何気に好変化の要素になっていたか。
ヴィニシウス・カントゥアリア(2015年9月10日)曲のカヴァーなどもやっていたが、生理的にキレキレ。かつてはまず進歩的なジャズ系の聞き手に紹介すべきところはあったが、今の音なら、ロック〜モダン・ミュージックの分脈で語られるインストゥメンタル・バンドであると実演にふれながら確信した。もちろん、メンバーたちの核にはジャズ素養もあるわけで、複雑な構成/アンサンブルから浮き上がるソロやメロウネスもぐんぐん聞き手をノックする。間違いなく、nouonは今日本でもっとも秀でた音響系ポスト・ロック・バンドだ! 7月1日に渋谷・公園通りクラシックスでライヴをやったあと、4人は新作用にスタジオに入るという。
▶過去の、nouon
http://43142.diarynote.jp/201504181000432127/
http://43142.diarynote.jp/201509231111454665/
http://43142.diarynote.jp/201510141817129055/
http://43142.diarynote.jp/201603151140427186/
http://43142.diarynote.jp/201702211431013289/
http://43142.diarynote.jp/201708240028435013/
▶︎過去の、加藤一平
http://43142.diarynote.jp/201309260930584072/
http://43142.diarynote.jp/201506161247423392/
http://43142.diarynote.jp/?day=20180315
▶︎過去の、ヴィニシウス・カントゥアリア
http://43142.diarynote.jp/201509231110566930/
<今日の、早朝>
5時前にうなされるように、起きる。なんかトラで、まじジャズをやるトリオに入ることになった夢をみた。わりとセッションぽいゆるいライヴのためで、事前打ち合わせでこんなんやるのはどうですかと提案した、少しひねりを入れたブルースと、ワルツの美メロ曲の旋律が、頭のなかで起きてもしばらく回っている。でも、ぼくが担当しようとしたのはコントラバスだったような気もするし、ピアノだった気もするし、記憶が曖昧だ。どっちにしろ、現実はどっちもちゃんと弾けねえ。うへっ。3年に一度ぐらい、ミュージシャンとしてステージに立つ(そして、喝采を浴びる)夢は見るが、それはロックで、ジャズを演奏しようとしたのは初めて。昨日見たオコンネルの実演の残像もあったのかな。とにかく、げんざい多忙につき、早起きは大歓迎であるのだが(実際、明々後日だそうと思っていた原稿をさくっと書いてしまった。無理な発注をしてきたM君、感謝しなさい)。3時間ちょいの睡眠時間につき、お酒片手のnouon観覧時は寝ちゃうかもなあーと思ったら、あまりに変化がおもしろすぎて、凛凛とがっつり見ちゃったよー。
とにもかくにも、音楽性が大幅に変わった。それは加藤のエフェクター類を駆使する演奏が導く面も当然あるのだが、変化していきたい、新たなnouon表現を求めたいという従来メンバーの意思がもたらすものだろう。それで、加藤に白羽の矢を立てたと考えたほうが自然だ。
ほとんどが新曲だし、彼らの人気曲「アヴェレイジ」もまだ未整理な部分は感じたが、大きく改変。シンプルに言ってしまえば、音響系、ポスト・ロック側に位置する音に大きく動いていた。以前の<いろんな要素をタペストリー状に重ね合わせた、多大な含みを持つ変則編成によるしなやかオルタナ・ジャズ>もそりゃ我が道を行かんとする創造性や野心や審美眼に溢れたものであったが、新ラインアップによるこの4人組は大胆に焦点を絞り、モダン・ミュージック側に飛び込んだ! いやあ、短期間にこれだけ鮮やかに舵を取ったバンドをぼくはそうは知らない。低音担当楽器がいなくなったぶん。ケビン・マキュー(米国人である彼は自らの日本語表記について、”ヴ”でなく”ビ”を希望しているよう)は電気ピアノ音色のノード・エレクトロを扱うだけでけでなく、左手で新たに用意する鍵盤ベースを弾いたりもしていた。それも、何気に好変化の要素になっていたか。
ヴィニシウス・カントゥアリア(2015年9月10日)曲のカヴァーなどもやっていたが、生理的にキレキレ。かつてはまず進歩的なジャズ系の聞き手に紹介すべきところはあったが、今の音なら、ロック〜モダン・ミュージックの分脈で語られるインストゥメンタル・バンドであると実演にふれながら確信した。もちろん、メンバーたちの核にはジャズ素養もあるわけで、複雑な構成/アンサンブルから浮き上がるソロやメロウネスもぐんぐん聞き手をノックする。間違いなく、nouonは今日本でもっとも秀でた音響系ポスト・ロック・バンドだ! 7月1日に渋谷・公園通りクラシックスでライヴをやったあと、4人は新作用にスタジオに入るという。
▶過去の、nouon
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http://43142.diarynote.jp/201509231111454665/
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▶︎過去の、加藤一平
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▶︎過去の、ヴィニシウス・カントゥアリア
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<今日の、早朝>
5時前にうなされるように、起きる。なんかトラで、まじジャズをやるトリオに入ることになった夢をみた。わりとセッションぽいゆるいライヴのためで、事前打ち合わせでこんなんやるのはどうですかと提案した、少しひねりを入れたブルースと、ワルツの美メロ曲の旋律が、頭のなかで起きてもしばらく回っている。でも、ぼくが担当しようとしたのはコントラバスだったような気もするし、ピアノだった気もするし、記憶が曖昧だ。どっちにしろ、現実はどっちもちゃんと弾けねえ。うへっ。3年に一度ぐらい、ミュージシャンとしてステージに立つ(そして、喝采を浴びる)夢は見るが、それはロックで、ジャズを演奏しようとしたのは初めて。昨日見たオコンネルの実演の残像もあったのかな。とにかく、げんざい多忙につき、早起きは大歓迎であるのだが(実際、明々後日だそうと思っていた原稿をさくっと書いてしまった。無理な発注をしてきたM君、感謝しなさい)。3時間ちょいの睡眠時間につき、お酒片手のnouon観覧時は寝ちゃうかもなあーと思ったら、あまりに変化がおもしろすぎて、凛凛とがっつり見ちゃったよー。
映画「判決、ふたつの希望」。ビル・オコンネル
2018年6月6日 音楽 京橋・テアトル試写室で、レバノン出身というジアド・ドゥエイリ監督による2017年レバノン/フランス映画を見る。脚本も共同執筆している米経験を持ちかつて「レザボア・ドッグ」や「パルプ・フィクション」などでクェンティン・タランティーノのアシスタント・カメラマンをした経歴を持つよう。この作品の舞台はレバノンで、使われる言葉はアラビア語だ。
ベイルートに住むレバノンのマロン派キリスト教徒であるレバノン人とスンニ派ムスリムのパレスチナ難民、おじさん同士の個人的な軋轢が、国を二分にするような(仲裁しようとする大統領が出てくる場面まである)裁判になって行く様とその背景を綴り、法廷シーンも多く出てくる映画だ。監督の両親は裁判官と弁護士であるという。
レバノンの歴史やそこに住む人たちの心持ちなどをひしと感じさせられ、生理的にヘヴィ。それは筋立てや役者の達者さもある。両者の弁護士の属性設定も練られた。だが、大枠では、晴れの方向に向かうヒューマン・ストーリーになっていて、120分近くをすうっと見切らせる。とても心に残るシーンもある。音楽は、フランス人のエリック・ヌヴーが担当。今様なエレクトロ音をつけていて、終盤は<晴れ>の感覚を持つそれが多用され、それは肯定的な感覚を導く。映画の英題(各クレジットはアラビア語と英語でなされていた)は「Tne Insult(侮辱)」、それを大きく変えた邦題にも、納得できよう。各映画祭でいろんな賞やノミネートを得た本作は、8月末より順次公開される。
その後は、丸の内・コットンクラブでラテン・ジャズ系にいるピアニストであるビル・オコンネル(2017年6月19日。1953年、NYC生まれ。大柄な彼、苗字からするとアイルランド系?)のセカンド・ショウを見る。5弦フレットレスのエレクトリック・ベースおよびダブル・ベースを弾くリンカーン・ゴーインズ(2012年5月11日、2012年6月21日、2017年6月19日)と、ドラマーのロビー・アミーン(2000年1月12日、2001年5月15日、2002年7月24日、2003年8月9日、2004年4月5日、2011年12月8日、2017年6月19日)というリズム隊がつく、トリオによるもの。その顔ぶれは、その名も『Jazz Latin』(Savant)という新作の主メンバーですね。
前回の感想と同様に、ジャズ要素の濃いピアノ・トリオによる広義のジャズ・ラテン表現を繰り広げる。左足でハイハットを刻むとともに、木魚のような音を出るものをその外に設置していて、アミーンは場面によってはそちらもキックしながらこんこんという音を出していた。またちょっとしたカウベル使いとか、ラテン属性の活用はやはり耳を引く。オープナーはしっとり目で演奏していて大人の叩き方をしているなあと頷いたら、2曲目から急に音がデカくなった。
▶︎︎過去の、ビル・オコンネル
http://43142.diarynote.jp/201706190940184750/
▶︎過去の、リンカーン・ゴーインズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20120511
http://43142.diarynote.jp/?day=20120621
http://43142.diarynote.jp/201706190940184750/
▶︎過去の、ロビー・アミーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm キップ・ハンラハン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm キップ・ハンラハン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm キップ・ハンラハン
http://43142.diarynote.jp/?day=20040405
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
http://43142.diarynote.jp/201706190940184750/
<今日の、時間のやりくり>
試写は珍しく、18時から。やはり送り手側の勤務時間内に合わせたいのだろう。試写会は明るい時間に持たれる場合が多い。その後、京橋から丸の内までは電車だと乗り換えないと行けないが、ちんたら歩いても10分ちょい。セカンド・ショウの開始は、21時から。映画の尺は2時間近くあったので、かなりつなぎはスムース。せっかちなためもあり、そういう効率のいいことに快さを感じるワタシ……。いや、家ではちんたら過ごしたいので、外に出るときは効率良くしたいのかもしれない。なんて書くと、あれだけお店でだらだら飲むのが好きなくせにとか、言われそう。確かに、人生に無為は必要と考えているところもあるナ。
ベイルートに住むレバノンのマロン派キリスト教徒であるレバノン人とスンニ派ムスリムのパレスチナ難民、おじさん同士の個人的な軋轢が、国を二分にするような(仲裁しようとする大統領が出てくる場面まである)裁判になって行く様とその背景を綴り、法廷シーンも多く出てくる映画だ。監督の両親は裁判官と弁護士であるという。
レバノンの歴史やそこに住む人たちの心持ちなどをひしと感じさせられ、生理的にヘヴィ。それは筋立てや役者の達者さもある。両者の弁護士の属性設定も練られた。だが、大枠では、晴れの方向に向かうヒューマン・ストーリーになっていて、120分近くをすうっと見切らせる。とても心に残るシーンもある。音楽は、フランス人のエリック・ヌヴーが担当。今様なエレクトロ音をつけていて、終盤は<晴れ>の感覚を持つそれが多用され、それは肯定的な感覚を導く。映画の英題(各クレジットはアラビア語と英語でなされていた)は「Tne Insult(侮辱)」、それを大きく変えた邦題にも、納得できよう。各映画祭でいろんな賞やノミネートを得た本作は、8月末より順次公開される。
その後は、丸の内・コットンクラブでラテン・ジャズ系にいるピアニストであるビル・オコンネル(2017年6月19日。1953年、NYC生まれ。大柄な彼、苗字からするとアイルランド系?)のセカンド・ショウを見る。5弦フレットレスのエレクトリック・ベースおよびダブル・ベースを弾くリンカーン・ゴーインズ(2012年5月11日、2012年6月21日、2017年6月19日)と、ドラマーのロビー・アミーン(2000年1月12日、2001年5月15日、2002年7月24日、2003年8月9日、2004年4月5日、2011年12月8日、2017年6月19日)というリズム隊がつく、トリオによるもの。その顔ぶれは、その名も『Jazz Latin』(Savant)という新作の主メンバーですね。
前回の感想と同様に、ジャズ要素の濃いピアノ・トリオによる広義のジャズ・ラテン表現を繰り広げる。左足でハイハットを刻むとともに、木魚のような音を出るものをその外に設置していて、アミーンは場面によってはそちらもキックしながらこんこんという音を出していた。またちょっとしたカウベル使いとか、ラテン属性の活用はやはり耳を引く。オープナーはしっとり目で演奏していて大人の叩き方をしているなあと頷いたら、2曲目から急に音がデカくなった。
▶︎︎過去の、ビル・オコンネル
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▶︎過去の、リンカーン・ゴーインズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20120511
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▶︎過去の、ロビー・アミーン
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http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
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<今日の、時間のやりくり>
試写は珍しく、18時から。やはり送り手側の勤務時間内に合わせたいのだろう。試写会は明るい時間に持たれる場合が多い。その後、京橋から丸の内までは電車だと乗り換えないと行けないが、ちんたら歩いても10分ちょい。セカンド・ショウの開始は、21時から。映画の尺は2時間近くあったので、かなりつなぎはスムース。せっかちなためもあり、そういう効率のいいことに快さを感じるワタシ……。いや、家ではちんたら過ごしたいので、外に出るときは効率良くしたいのかもしれない。なんて書くと、あれだけお店でだらだら飲むのが好きなくせにとか、言われそう。確かに、人生に無為は必要と考えているところもあるナ。
イリアーヌ・イリアス。MOON
2018年6月4日 音楽 ピアノのイリアーヌ・イリアス(2006年6月28日、2015年2月8日、2016年1月7日、2017年6月20日)、ダブル・ベースのマーク・ジョンソン(2006年6月28日、2015年2月8日、2016年1月7日、2017年6月20日)、ウルグアイ・ルーツのドラマーであるティアゴ・ミチェリン(2017年6月20日)のトリオを、南青山・ブルーノート東京(ファースト・ショウ)で見る。
グラミー賞のベスト・ラテン・ジャズ・アルバム賞をとったりしたをコンコード発の近2作は、ブラジル曲をピアノを弾きながら歌ったもの。そして、同レーベル発の新作『Music from Man of La Mancha』はミュージカル「ラ・マンチャの男」の楽曲を取り上げたヴォーカルなしの軽快なピアノ盤(実は、23年前のお蔵入りしていたブツが出された)で、ショウは主にその3作の行き方を並べるかたちで持たれた。やはり、まずはピアノ第一ながら、ここのところは歌うことにも喜びを見出してもいるようだ。
▶過去の、イリアーヌ・イリアス
http://43142.diarynote.jp/200607041956350000/
http://43142.diarynote.jp/201502090956393081/
http://43142.diarynote.jp/201601090750252990/
http://43142.diarynote.jp/201706211900006500/
▶過去の、マーク・ジョンソン
http://43142.diarynote.jp/200607041956350000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20150208
http://43142.diarynote.jp/201706211900006500/
▶︎過去の、ティアゴ・ミチェリン
http://43142.diarynote.jp/201706211900006500/
その後、渋谷 JZ Bratに回る。かつてウィンター・プレイ(2011年8月6日)というユニットで歌っていた韓国人女性シンガーのMOONのショウを見る。ギタリストの伊藤ゴロー(1999年6月3日、2014年8月3日、2018年1月7日)がプロデュースしたアルバム『Kiss Me』(ユニバーサル)のリリースをフォロウするもので、伊藤に加え、ピアノ/キーボードの佐藤 浩一 (2014年10月22日、2016年7月11日、2017年10月27日、2018年1月7日、2018年4月7日)、ダブル・ベースの鳥越啓介(2000年9月14日、2001年2月15日、2003年3月6日、2008年12月15日、2013年3月26日、2017年9月29日)、ドラムの守真人がサポート。アルバムと同様に、ポップ曲やジャズ曲カヴァーが中心に英詞で披露された。
何気に、彼女の声は低めで、そこからしなやかさを出す。そして、終盤にはアルバムでもデュエット参加していたTOKU(2000年2月25日、2001年9月6日、2004年3月10日、2006年2月16日、2008年8月19日、2011年3月16日、2012年6月19日、2013年9月22日、 2014年2月5日、2015年3月19日、2015年3月28日、2016年3月1日、2016年12月12日、2018年4月10日)が、ヴォーカルとフリューゲルホーンで加わった。
▶︎過去の、ウィンター・プレイ/MOON
http://43142.diarynote.jp/201108101632022013/
▶過去の、伊藤ゴロー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm エスピリト
http://43142.diarynote.jp/201408061110256933/
http://43142.diarynote.jp/201801081118162617/
▶︎過去の、佐藤浩一
http://43142.diarynote.jp/201410251055118180/
http://43142.diarynote.jp/201607121045394372/
http://43142.diarynote.jp/201711020707155260/
http://43142.diarynote.jp/201801081118162617/
http://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
▶︎過去の、鳥越啓介
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-9.htm phat (オーガニック・グルーヴ)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm phat (オーガニック・グルーヴ)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm phat
http://43142.diarynote.jp/200812281441122331/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130326
http://43142.diarynote.jp/201710011917499392/
▶過去の、TOKU
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-2.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-9.htm ロニー・プラキシコ
http://43142.diarynote.jp/200403101442170000/
http://43142.diarynote.jp/200602171950040000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080819
http://43142.diarynote.jp/201103171354125352/
http://43142.diarynote.jp/201206210944302024/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130922
http://43142.diarynote.jp/201503211741478728/
http://43142.diarynote.jp/?day=20150328
http://43142.diarynote.jp/?day=20160301
http://43142.diarynote.jp/201612171246253699/
http://43142.diarynote.jp/201804110754439999/
<今日の、いい人>
イリアーヌ・イリアスのショウの、ファーストとセカンドの間に楽屋でインタヴュー。相変わらず、ニコニコと優しい。よどみなく、取材は進む。エディ・ゴメス(2014年10月17日。2017年9月2日 )とジャック・ディジョネット(2001年4月30日、2003年8月23日、2007年5月8日、2014年5月22日、2015年9月5日)、マーク・ジョンソンとサトシ・タケイシ(2004年5月27日)の二つのリズム・セクション(その両方に、マノロ・バドレーナ〜2014年9月7日〜が入る)を起用した『Music from Man of La Mancha』は原作曲者のミッチ・リー(1928〜2014年)がブラジル人としての属性が入るイリアスの味を気に入り、あなたなりにやってみないかいと彼女に働きかけてレコーディングされた。まったく好きにやらせてくれたそうだが、プロデュース・クレジットはイリアスとリーになっているので、彼が資金を出したのかもしれない。
インタヴュー終了後に編集者がウェッブ事前告知用に写メを撮らせてもらっていいですかと彼女に問うと、快諾ながら、そういうのはマークが得意なので彼に撮らせるワと、旦那のマーク・ジョンソンをわざわざ呼ぶ。あなたも入るでしょと誘われ、一緒にパチリ。あのビル・エヴァンスの晩年のトリオで弾き、ECMレコードから米国人ベーシストとしてはトップ級に厚遇されている名老人にとても丁寧に撮影していただき恐縮至極。しかし、昔この欄で書いたが、ぼくは取材時に自分からはよほどのことがないかぎり、2ショット写真を求めない。でも、なんだかんだここのところはその機会が多くなっているのは、誘ってくるミュージシャンが増えているのだろう。
▶︎過去の、エディ・ゴメス
http://43142.diarynote.jp/201410220711345595/
http://43142.diarynote.jp/?day=20170902
▶過去の、ジャック・ディジョネット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
http://43142.diarynote.jp/201405231458349566/
http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
▶︎過去の、サトシ・タケイシ
http://43142.diarynote.jp/200406062249580000/ エリック・フリードランダー・カルテット
▶︎過去の、マノロ・バドレーナ
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/ アーマッド・ジャマル
グラミー賞のベスト・ラテン・ジャズ・アルバム賞をとったりしたをコンコード発の近2作は、ブラジル曲をピアノを弾きながら歌ったもの。そして、同レーベル発の新作『Music from Man of La Mancha』はミュージカル「ラ・マンチャの男」の楽曲を取り上げたヴォーカルなしの軽快なピアノ盤(実は、23年前のお蔵入りしていたブツが出された)で、ショウは主にその3作の行き方を並べるかたちで持たれた。やはり、まずはピアノ第一ながら、ここのところは歌うことにも喜びを見出してもいるようだ。
▶過去の、イリアーヌ・イリアス
http://43142.diarynote.jp/200607041956350000/
http://43142.diarynote.jp/201502090956393081/
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▶過去の、マーク・ジョンソン
http://43142.diarynote.jp/200607041956350000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20150208
http://43142.diarynote.jp/201706211900006500/
▶︎過去の、ティアゴ・ミチェリン
http://43142.diarynote.jp/201706211900006500/
その後、渋谷 JZ Bratに回る。かつてウィンター・プレイ(2011年8月6日)というユニットで歌っていた韓国人女性シンガーのMOONのショウを見る。ギタリストの伊藤ゴロー(1999年6月3日、2014年8月3日、2018年1月7日)がプロデュースしたアルバム『Kiss Me』(ユニバーサル)のリリースをフォロウするもので、伊藤に加え、ピアノ/キーボードの佐藤 浩一 (2014年10月22日、2016年7月11日、2017年10月27日、2018年1月7日、2018年4月7日)、ダブル・ベースの鳥越啓介(2000年9月14日、2001年2月15日、2003年3月6日、2008年12月15日、2013年3月26日、2017年9月29日)、ドラムの守真人がサポート。アルバムと同様に、ポップ曲やジャズ曲カヴァーが中心に英詞で披露された。
何気に、彼女の声は低めで、そこからしなやかさを出す。そして、終盤にはアルバムでもデュエット参加していたTOKU(2000年2月25日、2001年9月6日、2004年3月10日、2006年2月16日、2008年8月19日、2011年3月16日、2012年6月19日、2013年9月22日、 2014年2月5日、2015年3月19日、2015年3月28日、2016年3月1日、2016年12月12日、2018年4月10日)が、ヴォーカルとフリューゲルホーンで加わった。
▶︎過去の、ウィンター・プレイ/MOON
http://43142.diarynote.jp/201108101632022013/
▶過去の、伊藤ゴロー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm エスピリト
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▶︎過去の、佐藤浩一
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http://43142.diarynote.jp/201804081516393408/
▶︎過去の、鳥越啓介
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-9.htm phat (オーガニック・グルーヴ)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm phat (オーガニック・グルーヴ)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm phat
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▶過去の、TOKU
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-2.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-9.htm ロニー・プラキシコ
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<今日の、いい人>
イリアーヌ・イリアスのショウの、ファーストとセカンドの間に楽屋でインタヴュー。相変わらず、ニコニコと優しい。よどみなく、取材は進む。エディ・ゴメス(2014年10月17日。2017年9月2日 )とジャック・ディジョネット(2001年4月30日、2003年8月23日、2007年5月8日、2014年5月22日、2015年9月5日)、マーク・ジョンソンとサトシ・タケイシ(2004年5月27日)の二つのリズム・セクション(その両方に、マノロ・バドレーナ〜2014年9月7日〜が入る)を起用した『Music from Man of La Mancha』は原作曲者のミッチ・リー(1928〜2014年)がブラジル人としての属性が入るイリアスの味を気に入り、あなたなりにやってみないかいと彼女に働きかけてレコーディングされた。まったく好きにやらせてくれたそうだが、プロデュース・クレジットはイリアスとリーになっているので、彼が資金を出したのかもしれない。
インタヴュー終了後に編集者がウェッブ事前告知用に写メを撮らせてもらっていいですかと彼女に問うと、快諾ながら、そういうのはマークが得意なので彼に撮らせるワと、旦那のマーク・ジョンソンをわざわざ呼ぶ。あなたも入るでしょと誘われ、一緒にパチリ。あのビル・エヴァンスの晩年のトリオで弾き、ECMレコードから米国人ベーシストとしてはトップ級に厚遇されている名老人にとても丁寧に撮影していただき恐縮至極。しかし、昔この欄で書いたが、ぼくは取材時に自分からはよほどのことがないかぎり、2ショット写真を求めない。でも、なんだかんだここのところはその機会が多くなっているのは、誘ってくるミュージシャンが増えているのだろう。
▶︎過去の、エディ・ゴメス
http://43142.diarynote.jp/201410220711345595/
http://43142.diarynote.jp/?day=20170902
▶過去の、ジャック・ディジョネット
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▶︎過去の、サトシ・タケイシ
http://43142.diarynote.jp/200406062249580000/ エリック・フリードランダー・カルテット
▶︎過去の、マノロ・バドレーナ
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