恵比寿ガーデンプレイスのザ・ガーデンホールとザ・ガーデンルームでの、ピーター・バラカン主宰のライヴ・マジックの2日目、この日はちゃんと頭から見る。まず、トップ・バッターがなぜかオマール・ソーサ(2001年8月24日、2002年7月22日2004年8月2日、2005年9月24日、2006年10月28日、2008年3月16日、2009年5月12日2010年8月3日、2013年9月17日、2014年3月10日、2016年7月15日、2016年7月16日)。彼に加え、コラと歌のセクー・ケイタと打楽器のグスタヴォ・オヴァレス。音とリズムの連鎖のワンダーランド的表現にして、見せ方もうまく、客をおおいに沸かせた。

▶過去の、ソーサ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200408021925240000/
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 <ミャーク・ソング・ブック>という出し物は、宮古の民謡歌手である與那城美和と福岡県在住の1984年生まれジャズ・コントラバス奏者である松永誠剛(リチャード・ボナを知り、サックスからベースにスウィッチしたという彼は、面白い経歴を持つようだ)のデュオ。宮古の歌をやっていたのだと思うが、ジャズ流儀のベースをバックにスピリチュアルな歌を聞かせる與那城は超然。二人だけの音ながら、もう重厚。そして、静謐。後で彼女には知人に紹介されて少し話す機会を得たが、今の民謡歌手は抱える世界が広いと思わずにはいられない。そして、その裏でやっていた女性ファンク・バンドのBIG BANG BOOMも後半の方を見る。アコースティック・セットを名乗るもので、メンバーの5分の3である山口美代子(カホン )と 田中歩(キーボード)と前田サラ(アルト・サックス)の3人でパフォーマンス。前田(2015年12月14日)は前にリーダー・ライヴを見たことがあるが。その時より好印象。音は軽めだが、あの時よりもファンキーで歌えていた。ずっと前から、一度見て見たかったが、この日の演奏を聞いて、やっぱしちゃんとバンドを見たいと思わせられた。

▶︎過去の、前田サラ
http://43142.diarynote.jp/201512151505033565/

 クォーター・トゥ・アフリカはイスラエルの7人組。エレクリック・ウードや2菅(トランペットとサックス)やリズム・セクションらによる音はアラブ音階とアフロ・ジャズ・ファンクを重ねたようなことをやっていたと書けるか。菅の奏者が導くのか、何気にフュージョンぽいと思わせる部分もあった。

 続いてザ・ルームの方で見たのは、アイルランドの4人組トラッド・グループのウィ・バンジョー・スリー(2015年12月5日、2015年12月10日、2017年10月16日)が導く、一般奏者の参加を募ったセッション。セッション参加者(メンバーを含め、20人強いたかな)が中心に車座に座り、それを観客が円形で囲む。セッション自体(曲はウィ・バンジョー3が提示するトラッドやブルース・コード曲で、ソロ回す)はどうっていうことはなかったが、会場自体の雰囲気がなかなかに素晴らしい。これは、ライヴ・マジックとして大アリではなかったか。会場が和み、笑みが浮かんでいた。

▶過去の、ウィ・バンジョー・スリー
http://43142.diarynote.jp/201512091352434769/
http://43142.diarynote.jp/201512151502461490/
http://43142.diarynote.jp/201710181340402896/

 ザ・ニュー・ステューは米国のルーツ系やジャム系辣腕パフォーマーたちが集った7人組で、今いる自分たちの礎になった昔のアルバムを新たに演奏し直すことを目的にした集団とか。現在はビル・ウィザースの1973年名作『ライヴ・アット・カーネギー・ホール』(コロムビア)をやる企画でやっているようだが、おおこれは歌も各楽器音もぶっとくかつ精気あり。それらすべてが正しい、と思わせる。ゆえに過剰な満腹感を抱く人もいるかもしれぬ。って、それはワタシです。

 濱口祐自(2014年4月11日、2015年10月25日)はライヴ・マジックの一番の常連出演者と言えるだろう。昨日もソロでやるとともに、ザ・フラワーポット・メンの最後にちらりと加わっていた。軽いサウンド・チェックの時から拍手が軽く湧き、ステージ前には客が張り付いていた。

 この晩のトリはウィ・バンジョー・スリーだが、先日の渋谷の単独公演(2017年10月16日)を見ているので、一足先に会場を出て、南青山・ブルーノート東京に向かう。こちらの出演者は、チューチョ・バルデス(2009年9月14日、2010年3月25日、2012年5月1日、2013年2月28日、2013年11月27日)とゴンサル・ルバルカバ(2005年3月16日、2007年11月21日、2010年8月22日、2014年1月10日、2014年1月12日、2015年4月7日、2017年9月3日)という、キューバ人ピアニストが向き合うデュオ。おお、今日はキューバ人ピアニスト(オマール・ソーサ)で始まり、キューバ人ピアニストで締めくくったわけだな。

 余裕のかみ具合。わりと先輩のバルデスの方が弾き始め、曲の基調を出し、わきあいあいと創意を重ね合う行き方のものが多かったか。2曲目からキューバンな味がすうっと浮き上がり、両者のくつろいだ闊達さも増しましたような。今のピアノ技量ははるかにルバルカバの方が上であるとぼくは思っていたが、何気にバルデスが負けずにキラキラしたフレイズを終始出していたのには少し驚く。まあ、どこかでルバルバカは先輩を立てんとしているところはあったかも知れぬが。キューバ属性の味わい深さとピアノという楽器の奥深さを明晰に浮き彫りにする実演であったな。アンコールは、エリントン・ナンバーの「キャラヴァン」だった。

▶過去の、チューチョ・バルデス
http://43142.diarynote.jp/200909181205563624/
http://43142.diarynote.jp/201003271334102896/
http://43142.diarynote.jp/201205080621274204/
http://43142.diarynote.jp/201303070813066769/
http://43142.diarynote.jp/201311281342196399/
▶過去の、ゴンサロ・ルバルカバ
http://43142.diarynote.jp/200503240453290000/
http://43142.diarynote.jp/200711290930350000/
http://43142.diarynote.jp/201008261620103318/
http://43142.diarynote.jp/201401161534392423/
http://43142.diarynote.jp/201401171004104264/
http://43142.diarynote.jp/201504081451142675/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/

<今日の、天気>
 衆議院の選挙日でもあった(しかし、ぼくの周りは期日前投票をしている者が多いなあ)今日は、台風が来ているために朝から強い雨。だが、ライヴ・マジックの会場はその影響を感じさせないもので、壮年は元気だなーとふと思った。他方、ブルーノートは当然立派なピアノが2台並んでいたわけだが、ピアノ・デュオの公演は本日から。この雨の中、場内にデカいピアノを搬入したのか? やっぱ、濡れないはずがないだろう? なんか、そんなことを考えたらソワソワしてしまい、小心者なのを認知? いや、楽器愛が強かったということにしておこう。そのライヴ終了後、長居しないで帰れるようにと、表参道駅構内のカフェで知人と少しワインを飲んだが、そこには普段と変わらないようにお客さんたちがいて和やかに談笑している。皆、あまり台風のことは気にならないのか? 少し、不思議な気持ちになった。

ライヴ・マジック

2017年10月21日 音楽
 ピーター・バラカンがキュレイトする秋の土日に持たれる音楽フェス、今年で4年目となる。恵比寿ガーデンプレイスのザ・ガーデンホールとザ・ガーデンルーム。

 15時すぎに会場入りすると、民謡クルセイダーズ(2017年9月15日)がやっている。前回見たときと同じく、全くもって好印象(リーダーと思われるギタリストのMCを除く)。ピアニカ前田がゲスト入りする曲もあって、そのときは民謡要素が入らぬトロピカル調曲もやる。「会津磐梯山」のときはエリントンの「キャラヴァン」(だったっけ? その後、ぐびぐび飲んで忘れちゃった。とにかく、ジャズ有名曲)を二人の管を前に出す感じでインサート。しかし、ラテン流儀に乗っ取ったドラムレスの3人の打楽器奏者でボトムを支えつつ、日本民謡を介して広い今様ワールド・ビート表現へと飛翔する様は楽しくも鮮やか。あと何気にキーボード音が効いていていて、優秀な奏者であると思った。早く、海外に飛び出してください。

▶︎過去の、民謡クルセイダーズ
http://43142.diarynote.jp/201709160841239914/

 サマーソニックに出演歴ありというシンガーポールの4人組のザ・スティーヴ・マックウィーンズ、小原礼(2003年3月13日、2004年5月9日、2013年8月11日、2015年11月19日)と屋敷豪太(1999年7月31日、2006年4月2日、2015年11月19日, 2017年8月8日)によるポップ・ユニットのThe Renaissance(2015年11月19日)、湘南の外国人3人組(米国、ウェールズ、アイルランド出身という)ザ・フラワーポット・メンなども部分的に見た。順に、お洒落ぽいシティ・ソウル調表現ながら、女性ヴォーカルをはじめ不思議な癖あり。ヴェテランのギタリスト&シンガーである西慎嗣がフィーチャーされ、前に接したときと違いストレートとてもロックぽかった。ラウンジで見た外国人トリオはフォドル、アコースティック・ギター、ハンジョー(あれ、マンドリンだったっけ?)などを用いアイリッシュぽいのとかをアコースティックにやった。

▶過去の、小原礼
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月13日
http://43142.diarynote.jp/200405071410000000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
http://43142.diarynote.jp/201511200934467321/
▶過去の、屋敷豪太
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/julylive.htm 7月31日、シンプリー・レッド
http://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
http://43142.diarynote.jp/201511200934467321/
http://43142.diarynote.jp/201708141221583726/
▶︎過去の、The Renaissance
http://43142.diarynote.jp/201511200934467321/

 そして、この日のトリはソウライヴ(2000年8月12日、2001年3月1、同2日、2002年3月26日、2003年3月31日、2004年4月1日、2007年10月9日、2009年7月8日、2010年5月28日、2012年5月25日)。おお、この結成20年近くも経つオルガン・トリオを見るのは5年ぶりとなるのか。オルガン奏者のニール・エヴァンスは今年レタス(2003年11月18日、2003年11月22日、2017年3月22日 )で来日しているものの。この木曜日に彼らには1999年以来、インタヴューする予定。演奏に触れながら、いろいろ聞きたいことが頭の中で回った。彼らの2010年作はザ・ビートルズ曲集だったが、そこからの曲を延々やったりしたのは、フェスゆえ? 
 追記:ザ・ビートルズ曲をやったのは、フェス側の求めに応じてのものだそう。取材のとき、エリック・クラズノーがあれ、名前なんだっけとすぐにぼくを認めてくれたのには驚いた。なお、この夏のサザン・ロックの若大将であるマーカス・キングにインタヴューした際(http://43142.diarynote.jp/201708081443281390/の項の下部参照)、彼はエリック・クラズノーの次作のプロデュースをやってもらうと言っていたが、すでにその作業に入っているそう。

▶︎過去の、ソウライヴ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200404010730030000/
http://43142.diarynote.jp/200710131957390000/
http://43142.diarynote.jp/200907131200224908/
http://43142.diarynote.jp/201006031539099988/
http://43142.diarynote.jp/201205301358544511/
▶︎過去の、レタス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20170322

<今日の、和み>
 “おやじ、おばんの文化祭”なんて書いたことがあるが、今年もいろんな(懐かしい)知り合いと会ったなあ。そして、いろんな人と歓談し、楽しく飲んだ(お酒販売、もっと充実させてほしい! たとえばワインだったら複数業者を入れて、食べ物販売のように競争させてはもらえまいか)。また、終わった後に久しぶりに会ったとてもダンディな先輩と恵比寿のバーに流れたりもした。翌日も同様でいろんな邂逅あり、<普段途切れている、かつての音楽を介した仲間と何の気なしに会える場>、ライヴ・マジックはそういうところでもあるなあと、思った。あれ、この人と彼は面識あったのかあ〜とか、そんな発見もある。

アンティバラス

2017年10月20日 音楽
 在NYの大所帯アフロ・ビートのバンド(2004年9月19日、2005年1月21日、2015年4月26日)を南青山・ブルーノートで見る。ファースト・ショウ。新作『ホエア・ザ・ゴッズ・アー・イン・ピース』(Daptone)を出したばかりのタイムリーな来日であったが、12人いるなか、管の二人以外は顔ぶれに変化がないのには驚く。彼らは黒田卓也(2012年2月18日、2012年9月13日、2013年2月15日、2014年5月25日、2015年1月30日、2015年2月15日、2016年9月17日、2016年12月16日、2017年7月12日)の新作『ジグザガー』(コンコード、2016年)に1曲参加(フェラ・クティ曲のカヴァー「シンク・トゥワイス」)していたが、黒田は同じニューヨーク拠点のアフロ・ビート・バンドのアコヤ・アフロビートに参加していた。

 陣容に大きな変化はないながら、そのパフォーマンスの内容には大きく驚いた。少なくても前回はインストゥメンタル中心でショウを勧めたはずだが、今回はずっと在籍するナイジェリア人の両親を持つ英国生れのアマヨがヴォーカリストとしてもう前面に出まくり。彼のナイジェリアン・イングリッシュが映える映える。イエイ。また、バリ・サックス奏者も1曲ラテンが入った彼らの2006曲「シェ・シェ・コレ」で堂々のリード・ヴォーカルを聞かせた。あまり余計なソロ披露もなしに、バンド全体でずんずん突き進む様にはもうにっこり。アマヨとバンド員とのコール&レスポンスも効いていた。

 また、打楽器も過去叩いていたアマヨが今回はステージ中央に置いてあったヴァイブラフォンを歌わないときに叩いていたのにはびっくり。マレットは左右一本づつ持ちでの演奏であったが、そこそこ様になるとともにバンド演奏に確かに風を吹き込んでいて(それ、かつてのヴァイブ入りの渋さ知らズを想起させたか)、大アリ。アマヨは鍵盤打楽器を習っていたことがあったのか。どうして、今までは用いなかったのか?

 とかなんとか、今まで見た彼らの実演のなかで一番グっときた。この晩のライヴ評はミュージック・マガジン誌から依頼されているのだが、そう思えるライヴだととっても書くのが楽だよなあ。

▶過去の、アンティバラス
http://43142.diarynote.jp/200410121003440000/
http://43142.diarynote.jp/200501222327330000/
http://43142.diarynote.jp/201504281048148918/
▶過去の、黒田卓也
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/201209191239346073/
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201405271755563079/
http://43142.diarynote.jp/201501310942048841/
http://43142.diarynote.jp/201502170939564537/
http://43142.diarynote.jp/201609201835285184/
http://43142.diarynote.jp/201612181010384754/
http://43142.diarynote.jp/201707130853185809/

<今日は、どんより>
 雨天&気温低めなせいもあってか(今日、初めて毛糸着ちゃった)、気分が塞いでいるのを自覚。とほ。すでに日曜夜の選挙の結果を受けての厭世的キブンの先取りではないだろうけど。ブルーノート東京のあと、ちらりとプラッサオンゼに寄ったら、DEN(2011年3月26日 )が仕切るパゴージ会を参加者たちが車座になってやっている。おお、ブラジルの裏路地の飲み屋に入ったキブン? なんか、ホッとできた。って、過去も似たようなことを書いておるなあ。偶然、これをやっている日に気分転換でちょい寄りしたんだけど……。
▶︎過去の、DEN
http://43142.diarynote.jp/201103271555032719/

 パリに新旧二つの会場を持つオペラやバレエの世界的殿堂(国立のよう)の運営者たち、その華やかさの内側を映し出さんとするフランスのドキュメンタリー映画を、外苑前・GAGA試写室で見る。そりゃ、興味深くないはずがない。監督のジャン・ステファンヌ・ブロンはオペラなどに興味を持ったことがなく、パンク以後のロックの愛好者であったという。

 2015年から翌年にかけて、秋の同時多発テロを挟んで撮られており、伝統を背負いつつ、新しい時代に対応せんと関係者が模索したり、色々な難題に対処する様を、結構近いカメラ目線で抑える。当初、ここの総裁は撮影の申し出を断ったそう。面々の会話はフランス語と英語が主。ロシアの田舎出身の若いオペラ・スター候補生の動向をストーリーに絡ませて行くあたり、お上手ですね。12月から公開される。

 その後は、南青山・ブルーノート東京で、イスラエル人ジャズ・ベース奏者のアヴィシャイ・コーエン(2006年5月17日、2014年1月21日、2015年5月14日)を見る。セカンド・ショウ。ピアノのオムリ・モールとドラムのノーム・ダヴィド(少し変則のセッティングのものをマッチドとレギュラーの両方で叩く)、過去と同様にトリオ編成ながら、リズム隊は新参となる人たち。彼のソニーに移籍しての新作『1970』(彼が、1970年生まれであるとは? もう少し年長であると思っていた)はいろんな人が入っているが、その録音とは関係のない奏者を率いての実演となる。今回の同行者は1983年生まれと1971年生まれ、ともにエルサレム生まれのイスラエル人だ。

 おお、こんなにソロを取っていたっけと思ってしまうほど、各曲で悠々とコーエンはソロをとる。いい音、いいライン、そりゃベーシストとしてピンで張れるようになるよなあ。とともに、ほとんどの曲は無理なくイスラエルの影を感じさせる色調を持ち、過去もこんな出自色の強い曲ばかりやっていたかとも思ったが、それはとても健全な音楽性表出であるとひしと感じさせますね。

 新作では、あらららというちゃんとしたヴォーカル曲もあって、それは長年の希望の反映であるよう。そしたらアンコールの1曲目は一人で出てきて、ザ・ビートルズの、いかにもマッカートニー・メロディという感じを持つ1966年曲「フォー・ノー・ワン」をピアノ弾き語りで歌った。

▶過去の、アヴィシャイ・コーエン(ベーシスト)
http://43142.diarynote.jp/200605190943240000/
http://43142.diarynote.jp/201401221432209419/
http://43142.diarynote.jp/201505150911423384/

<今日の、おお>
 ライヴ後流れた店に、恵比寿でロック・バーをやっている波ちゃんが深夜やってくる(との、本人連絡がお店に入る)。会うのは、15年ぶりぐらい? ま、ぼくも彼がやっているセイリン・シューズに全然お邪魔していないということだが。ぐうぜん彼の誕生日ということで、急いでお店の人たちとプチおめでとうの準備。こういうの、ほんと楽しいなあ。一度病気になったと聞いたことがあったけど、それなりに元気そう(⌒▽⌒)。彼と会えてうれしかったが、向こうも喜んでいる感じがあって何より。
 2年前に来日して大好評を博したアイルランドの清新トラッド4人組、ウィ・バンジョー・スリー(2015年12月5日、2015年12月10日)の再来日公演を渋谷・クラブクアトロで見る。伝統音楽の流儀を背骨に置きつつの、技の確かさや豊かな音楽性や上質のエンターテインメント感覚などが交錯する持ち味は前回見たときと同様。もうちょい、広がり幅があって良かった? ただ、今回は4人の持ち楽器が。バンジョー、マンドリン、ギター、フィドル(少しボウランも叩いた)と、固定されていたこと。もともとバンジョーを弾ける奏者が3人いることから来たグループ名であると推測するが、それは出音の明瞭さに繋がっているか。ともあれ、4つの弦楽器が変幻自在に絡む、ウィットと歓びに満ちた表現であるのは疑いがない。軽やかなヴォーカル群も働きかける力あり。

▶過去の、ウィ・バーンジョー・スリー
http://43142.diarynote.jp/201512091352434769/
http://43142.diarynote.jp/201512151502461490/

 その後は、サンパウロ出身の小野リサ(2011年7月10日、2013年8月1日、2013年10月16日。渡辺貞夫は一番最初にブラジルに行ったとき、彼女のお父さんに世話になった)のライヴを見る。南青山・ブルーノート東京。取り上げた曲はトム・ジョビン他のブラジルの諸曲であったはずだが、何より印象に残ったのは、どこにあったとてつもない抑制美のようなもの。おお、とぼくは唸った。その静かな訴求力、そうとうなもんがあった。

 東京生まれであるインドネシアの血が入るピアノのフェビアン・レザ・パネ(2005年9月14日、2011年7月10日、2013年10月16日)以外は、ブラジルからやってきた人たちか。ウッド・ベースのジェファーソン・レスコウィッチ、ドラムのラファエル・バラータ、パーカッションのアルマンド・マルサルという面々。マルサルは1990年前後の数年間パット・メセニ(1999年12月15日、2002年9月19日、2010年6月12日、2012年1月25日、2012年3月3、2013年5月21日、2015年9月27日、2016年9月3日)・グループに入っていた奏者ですね。また、途中からはデビッド・シルヴァ(ヴォーカル、ギター)が入り、一緒に歌う。彼が入るとギター2つの音は多いと感じてか(さすが、抑制を標榜する?)、小野はあまりギターを手にしなかった。シルヴァはなかなかに快活な雰囲気を振りまく人で、効果的に変化を加えていた。・

▶︎過去の、小野リサ
http://43142.diarynote.jp/201308091149599475/
http://43142.diarynote.jp/201310170907435066/
▶︎過去の、フェビアン・レザ・パネ
http://43142.diarynote.jp/200509161722260000/
http://43142.diarynote.jp/201107111327576732/
http://43142.diarynote.jp/?day=20131016
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
▶過去の、パット・メセニー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/201006181520054406/
http://43142.diarynote.jp/201201271245417497/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201305260927026044/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903

<今日の、移動>
 会場間の移動は雨も降っているし、タクシーを使う。そしたら、道が空いており、楽勝で開演に間に合う。ここのところ、あまり渋滞に合わないのは偶然かな。しかし、昔はブルーノート東京と行ってもどこですかと言われることもあったけど、いつのまにかそういうことはなくなった。

冴木杏奈

2017年10月14日 音楽
 9月下旬から持たれている、<30周年記念コンサートツアー2017 ~躍進~>ツアーの楽日。渋谷・Bunkamuraオーチャードホール。贅沢に10人もの外国人奏者を呼んでいて、昨日の項で触れているクリスティアン・ファイアド・エルナンデスもその中の一人だ。

 1部はルイス・グレビッチ&トロエスマスがサポートし、彼らは全員ブエノスアイレス在住のミュージシャン。アレンジや曲提供も行い、彼女のブエノスアイレス録音にもいろいろと協力しているようなキーボードのルイス・グレビッチをリーダーとし、バンドネオンのダニエル・ゴメス、生と電気の両方を弾くギターのアフルティン・バルボ、電気ベースのオマール・ゴメス、ドラムのエルナンデスという面々。カノウプスを叩いていたエルナンデスは初めて冴木のツアー参加とのこと(知り合いの紹介なんだと、言っていた)だが、他の奏者は彼女の日本ツアーにも複数回付き合っているという。

 一方、セカンド・セットは、パリ在住のアルゼンチン人ギタリストのアレハンドロ・シュワルツが率いるクインテットでこちらはパリとNYに住むミュージシャンが集まっているよう。フランス人バンドネオン奏者のジョン・バティスト・アンリ、アルゼンチン人ピアニストのティエゴ・オビア、ウクライナ人ヴァイオリン奏者のミハイル・クチュク、コロンビア人コントラバス奏者のマウリシオ・エンリケという布陣でこちらも冴木の内外の公演を過去手伝っているようだ。こちらの方が、タンゴ色の強い演奏をしたかな。エルナンデスとクチェクはそれぞれ、他セットのときも少し出てきて手伝っていた。

 名前はなんとなく知ってはいたが、彼女がタンゴを歌うシンガーであるというのは、今回まで知らなかった。また、アルゼンチンのフォルクローレの大歌手であるメルセデス・ソウザとは一緒にレコードを作ったり、彼女のパリ公演にゲストに呼ばれたりと仲良くしていたようで、彼女の曲も歌った。

 多くの曲は日本語歌詞によるもの。指先の伸ばし方にまで気を使った大仰にしてシアトリカルな動きや格好(全部で、5回衣装がえをした)、受け手の反応の様などから、宝塚など見たこともないがなんとなく宝塚出身なのかと思ったら、彼女は全然関係のないところから出てきて今の華々しい位置を獲得しているよう。へ〜え。昔、11PMに司会で出ていたことがあるとMCで、彼女は言った。また、1997年にはあのオルケスタ・デル・ソルのリード・シンガーをやっていたこともあったらしい。

 歌は上手い。音程や声量も確かで、ある種のスタイリッシュさを振りまく。歌謡界/ザ・芸能界的MCは長い。だが、MC嫌いのぼくが過剰に嫌悪感を感じなかったのは、八代亜紀(2012年11月9日、2014年3月13日、2016年10月9日、2017年9月29日)のそれで免疫がついていたからであるのと、やはり初めて接するアナザー・ワールドの担い手で興味が持てたからだろう。後ろのヴィジョンには過去の公演の様も映し出され、何度もレコーディングをしているアルゼンチンはもちろん、他の海外大都市でもいろいろ公演を持っていて驚く。普通のポップ・ミュージックの世界であれだけ、外での活動実績を持っている人がどれだけいるのか。

 しかし、デビュー30周年(それに合わせて、当然今回の来日メンバーたちと海外レコーディングをした2枚組アルバムを出したよう)ということで相当な年齢になっていると思われるが、容姿や体型はキープ。歌やその他の部分で、かなり鍛錬を積んでいるのは間違いない。その表現は “ジャパニーズ・ウェイ”を通ってのものだが、これでだけ突き抜けていると、海外の人だってなんだかすごいと思わせられちゃう? なんか、純真とか音楽愛もうまく出せちゃう感じもあるし、歌唱力はしっかりあるし。アンコールでは、サポート奏者全員が出てきて、伴奏をした。

▶︎過去の、八代亜紀
http://43142.diarynote.jp/201211170926496101/
http://43142.diarynote.jp/201403151023031434/
http://43142.diarynote.jp/201610141746599845/
http://43142.diarynote.jp/201710011917499392/

<今日の、追記>
 実は、あまりに違う世界にいる人な感じがして、エルナンデスにはぼくから彼女のショウを見てみたいとは言えなかった。だが、彼の方から見てみないと誘ってきたので、快諾した次第。すんげえアウェイな感じだったらどうしようと危惧するところはあった。やはり、送り手と受け手の共通認識でがっちりスモール・ワールドが出来上がっていそうな公演は恐い(とはいえ、それはたとえば門外漢がジャズ・クラブに唐突に行っても同じだろうけど)。実際、そういう側面は強かったが、想像したほどではなかったし、好奇心の方が勝った。文字数の数の多い(写真の数もちろん多い)パンフレットを見たら、参加ミュージシャンを紹介するページをきっちり割いていて驚く。エルナンデスがウルグアイの音楽学校でクラシック・パーカッションをちゃんと習っているなんて、ぼくはそれを見て初めて知った。ライヴ中のミュージシャン紹介の場面でも、後ろのヴィジョンには名前と写真が映し出される。ちゃんとサポート奏者を大切にしているというのが分かるのは気分がいい。ところで、海外公演のさい、彼女は何語で歌うのだろう。

 オレ、オペラをちゃんと見たことないんだよな? これを見ながら、そう思った。10を超えるスペイン語系映画を紹介する<ラテン・ビート映画祭>のなかの一つの上映。先に見た「J:ビヨンド・フラメンコ」(2017年9月25日)もそのラインナップに入っている。新宿・バルト9。

 1996年ペルーの日本大使館大使公邸で起こった反政府団体による長期占拠事件からインスパイアされた米国人作家アン・バチェットが書いた2001年好評同名小説を原作に置く。場所は同じリマながらペルー副大統領の豪邸となり、日本語しかできない日本企業の社長の誕生会を祝う国際的なパーティという設定に変えての、いろいろと動く人模様を描いた小説をオペラ化したものを、まんま練ったカメラ・ワークにより映像化した2015年米国映画だ。監督はケヴィン・ニューベリー。オペラを撮った作品なので、上映時間は3時間となる。

 いかにもオペラな音楽を作ったのは、ペルー生まれでフィンランドや米国で音楽を学んでいて新作のクラシック作曲家としては結構な評価を受けているというジミー・ロペス、そしてキューバ生まれで9歳から米国で暮らしているピューリッツアー賞受賞作家のニロ・クルス。

 それで、映画を見ながら目が回る。繰り返すがストーリーに沿う音楽はとっても立派なオーケーストラ音と歌唱群が織りなす、実にゴージャズ極まりないもの。そして、驚くのは、歌手たちが歌う歌詞が英語、スペイン語、日本語といろいろ使っていること。アアヤクーチョでは子供達が〜みたいな歌詞も出てくるが、一部はケチュア語も用いられているという。そして、総体は実に酔狂、複雑怪奇なプログ・オーケストラ・ポップであるなあという印象も得てしまう。よくぞこんなに大掛かりなお戯れを生真面目に作ったなあとも感嘆させられもするわけで、オペラは娯楽の粋極まりないものであったのだろうな(いや、ぼくが縁がないわけで、今もであるのか?)いうことも実感できる。なお、同じ原作で渡辺謙も出る米国映画が作られることになっているはずだ。

▶︎過去の、「J:ビヨンド・フラメンコ」
http://43142.diarynote.jp/201709261224016977/

<今日の、スペイン語ネイティヴ・スピーカー>
 現在来日中のアルゼンチン人ドラマーのクリティアン・ファイアド・エルナンデス(2011年10月3日、2012年6月27日)に、連絡を受けて会う。キューバ人のジューサ(2005年11月4日、2011年10月3日、2012年6月27日、2013年7月16日、2014年10月28日)の公演に同行したときに知人に紹介され、以降メールのやり取りを折々で持っているのだった。前にも、この欄に書いたことがあるけど、彼は女性シンガー/ギタリストをフロントにおくバルベ・トリオ(ValbeTrio )という風をまとうロック・バンドを組んでいて、そのCD群や友達のピアニストのそれ(各弦楽器やクラやフルートらが入るインストは何気に”クワイエット”系?)など4種CDをくれた。多いものは5枚もあったので、興味のある方はご一報を。ところで、彼は今回なんのために来日したのか? それは明日書きます。
▶︎過去の、クリスティアン・ファイアド・エルナンデス
http://43142.diarynote.jp/201110091257135964/
http://43142.diarynote.jp/201207031324148473/
▶過去の、ジューサ
http://43142.diarynote.jp/200511130412510000/
http://43142.diarynote.jp/201110091257135964/
http://43142.diarynote.jp/201207031324148473/
http://43142.diarynote.jp/201307210746577102/
http://43142.diarynote.jp/201410301514399746/

 元麻布・アルゼンチン共和国大使館で持たれた「チャマメとマテ茶〜アルゼンチン北東部リトラル地方の音楽と味覚〜」というパーティに、まず行く。へえ、大使はいかにもエリートぽい感じで、イケ面だな。アルゼンチン北東部で育まれてきたトラッドと飲み物を一緒に紹介しましょうという出し物。東京タワーが見える公邸のでかいルーフ・トップには噴水もあり、眺め良し。お茶やスウィーツ(ドルチェ・デ・レチェを初めて味わった)だけでなく、ワインやエンパナーダやその場で焼いて作っていたチョリパンなどもいただく。

 コリエンテス州出身のシンガーであるジセーラ・メンデス・リベイロとミシオネス州アポストレス市(マテ茶の首都とか)のアコーディオン奏者のセルヒオ・タツノスキ、パーカッションのゴンサロ・アギーレとギターのマルティン・サンドバルがパフォーマンス。2回に分けて、思った以上の曲数を4人は笑顔で演奏。途中で衣装をかえていたリベイラさんは若い時は綺麗だったんだろうなと思わせ、今も性格はすごい良さそう(それは、謙虚な感じの全員がそうだけど)と思わせる。その音楽性をうまく書き留められないが、素朴でエキゾ。数年前にチャマメ演奏でオコーディオンの技量を磨き、現在はパリで活動するラウル・バルボサをインタヴュー(スペイン語でインタヴューを受けるのかと思ったら、彼はフランス語で受けた。なに、引っ越したらすぐに覚えちゃったよ、とのこと。ラティーナ誌でやった)しといてなんだが。とにかく、やっている風情込みでこれは生理的に高潔でプレシャスな音楽をやっていると思わせるものはあるわけで、まだまだオレは音楽に触れなさすぎだし、聞くべきものは気が遠くなるほどあると痛感。

 その後は、六本木・ビルボードライヴ東京で、NYの混血&雑食シンガー・ソングタイター/ロックンローラーであるガーランド・ジェフリーズ(1944年、ブルックリン生まれ)を見る。1990年前後だったか渋谷クアトロで見た記憶があるが、それ以来の来日となるのだろうか?

 キーボードのチャーリー・ロス、ギターのジャスティン・JJ・ジョーダン、ベースのブライアン・スタンリー、ドラムのトム・キュリアーノという面々がサポートし、なんとジェフリーズはギターは持たずヴォーカルだけを取る。だいぶ太ったが頭髪はあり、声はよく出ていて、セカンド・ショウであったのにも関わらずヘロっちゃうこともなかった。で、非に打ち所のないオールド・スクールなバンドと一体となって、彼は自らの熱意を客に送り出す。もう、その様(2回ほど、客席に降りて歌った)は本当に正しいロックンローラーであったと言うしかない。とともに、彼は事あるごとにニューヨーカーであることを強調していた。

 彼はレゲエ・ビートを積極的に取り上げた人物であったが(1970年代のA&M作品で、そのレゲエ・ビートを叩いたのがスティーヴ・ガッドだった)、「ゴースト・ライター」をはじめ3割ほどはレゲエ・ビートの曲をやったか。また、ジョン・リー・フッカー賞賛曲や、ザ・ビートルズやボブ・ディランのカヴァーもぶっとく披露した。

 心意気、山ほど。なんだかんだ、彼は2時間近くやった。最後は、一人ステージに残り、短いアカペラ曲でショウを閉めた。ああ、とってもいい夜だった。

<今日の、演者>
 秋晴れ、気温が高めの日が続く。この日に触れた2組は、フェス流れの人たちだ。アルゼンチン勢は福島県川俣町で40年以上続いているそうなコスキン・エン・ハポンというトラッド音楽ファスに出演し、ジェフリーズ御一行は静岡県の朝霧ジャムに出た。豪州や欧州など、結構ツアーが続くようなことを、ジェフリーズは言っていたな。

 目黒・ブルースアレイで、ファースト・セットだけではあったが、「INTERSTELLAR」というデビュー作を出したteaという女性シンガーを見る。インドの中央部にある高原都市で学術/ITの街として知られるプネの出身で、バークリー音楽大学で作曲を学び、昨年から日本で活動をしている女性シンガーだ。

 ベースの時枝弘、キーボードの柴田敏孝、ギターの伊藤ハルトシ、ドラムの大津惇に加え、曲によってはアイミー・ブラックシーガーとスウィンキーという二人の外国人女性コーラスがつく。また、トランペットの市原ひかりとサックスの藤田淳之介が加わる場合もあり。自作とカヴァーの両方をジャジー・ソウル・サウンドを介して歌うが、リアン・ラ・ハヴァス(2013年9月20日)の曲を歌ったにはびっくり。そういえば、アルバムにはシャーデーを想起させる曲もあったりて、UK的な何かが入ったソウルネスが彼女には合っていると思える? まあ、インドも英連邦に属する国であるしな。

 彼女はスキンヘッドで、まずその印象的な外見でつかみはOKとなるか。そして、それとつながるスケール感こそが、彼女の生命線であると思う。

▶︎過去の、リアン・ラ・ハヴァス
http://43142.diarynote.jp/201309220902394351/

 その後は、南青山・ブルーノート東京で、NYの大御所セルフ・コンテインド・グループ(もうこういう言い方はしなくなったか)であるクール&ザ・ギャング(2014年12月26日、2016年2月23日)を見る。お、お揃いのコスチュームが派手で、今までで一番見栄えのするステージであったか。オリジナルのリーダーにして、ベーシストであるロバート”クール”ベルが、これほど前に出てきたのも初めてのような。シンガー3人、シンガー陣と一緒にフリもつける菅奏者3人(トロンボーン。テナー・サックス、トランペット)がフロントに立ち、彼らをギター、キーボード(アルト・サックスも吹く)、ドラム、パーカッション奏者たちが支える。ブルーノートのHPにはバンド員名の記載はなかったが、なんの問題もなし。ぼくが彼らを見た中では一番音が太いような気もした。客も多くは1曲目から立ち上がっていた。好調な彼らはこの後、中国に行き、ハワイに寄ったあと、米国〜欧州〜米国といろいろ回る。

▶過去の、クール&ザ・ギャング/J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/200611281428510000/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201403051230433466/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201412291146465218/
http://43142.diarynote.jp/201508051544452721/  J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201602290953239524/

<今日の、やっぱりわしゃあディライトじゃけん>
 クール&ザ・ギャングのショウだが、難を指摘するなら、1970年代中盤までのどファンクでストロングなクール&ザ・ギャングを披露するパートを前半で早々とやってしまったこと。やはり、ぼくにとっちゃクール&ザ・ギャングはあの頃しかないんだよお。ハイ・セールス期はもっとポップになった1980年代かもしれないが、米国黒人音楽史にきっちり痕を残す輝かしい音楽性を出したのは間違いなくディライトからアルバムを出していたあのころ。次の来日時には、なんとか”ディライト・イアーズ・セレブレーション”とか掲げて、1970年代曲に特化したショウを1日くらいしないかな。でなきゃ、「ハリウッド・スウィンギン」以外の彼らのファンク名曲は『ワイルド&ピースフル』(1973年)に集中しているので、同作を再現する出し物でも大歓迎なんだが……。

 【雨あがりの夜空に 2017】というサブ・タイトルがつけられたショウで、日比谷野外大音楽堂でがっつり持たれる。晴天、気持ちいい〜、観客席は満員だあ〜。MCで「オレと山下達郎のライヴは長いんだ」みたいなことを言っていたが、実際3時間ごえ。17時開演、アンコールでRCの「雨あがりの夜空に」が終わったのが19時59分。おお、野音のタイム・リミットは20時なのかあ、これはプロだなあと思っていたら、それからまた出てきてリーディングをやったり、ザ・ビートルズの「ロング・アンド・ワインディング・ロード」を日本語詞で公演の趣旨とつながるように歌ったり。しかし、音程はシャープではないものの歌声はよく出ていて(かつ、やはり歌詞はちゃんと耳に入ってくる)、この長丁場をシンガーとしてもまっとうしたのは大きく頷く。MCの喋りは、歌以上に忌野清志郎とつながるものがあったような。やはり、同志だったんだろう。彼は、MCで彼との思い出もいくつか語った。

 CHABO BANDと名付けられたバンドは、ベースの早川岳晴、ドラムは河村"カースケ"智康、キーボードのDr.kyOn。そして、そこにアルト・サックスと梅津和時とテナーの片山広明が入る。実は昨年、CHABOには麗蘭の新作リリース時にインタヴューをし、若々しい外見とブルース/R&B好きとつながるナイス・ガイぶりにポッとなったのだが、ある種の日本のロック〜ブラック・ミュージックの受容の様、R&Rというスピリットの有効性というようなものが、ここには大きく横たわっていたのではないか。11月2日の毎日新聞夕刊にライヴ評が出ます。

<今日の、会場>
 なんか。いい会場だなーと、思うことしきり。ここに来るのは、ずぶ濡れになった渡辺貞夫と山下洋輔の2013 年ジョイント・ライヴ(http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/)以来か。それに先立ち、日比谷野音に集まった両氏(会場内で撮影するため)にここの楽屋で話をきいたんだよなあ。以下は、その抜粋。毎日新聞とジャズ・ジャパン誌に書き分けた。文中にあるダブル・レインボウがかかった2009年山下40周年公演は、http://43142.diarynote.jp/200907221011377741/。また、文中にある山下NYトリオ(http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm  、11月10日)は、この11月に日本ツアーを行う。

——ところで、日比谷野音というと、どんな思い出をお持ちでしょうか。
渡辺「最初出たのは何だったかなあ? ずいぶん昔だから、90周年だもんねえ」
山下「その90年のなかのいつ頃からかは分らないけど、とにかくジャズ・フェスティヴァルをやろうという企画がありましたよね」
渡辺「あれも、大変だったよね。2年か、3年やったでしょ。お金持ち逃げされちゃって、俺らが一人30万円だか払わされたんだよね。ポスター代とか」
山下「わー、それは、僕は知らなかったなあ」
渡辺「まず、ジャズ協会だかを始めるという話がっ……」
山下「ああ、ありましたよねえ」
渡辺「僕と八代和男さんとで、僕はその前にミュージシャン・ユニオンというのを(米国から)帰ってきて立ち上げたんだけど、皆乗り気じゃなくて、それは終わっていた。その後、沢田俊吾さんとかと、毎月ピットインでミーティングを始めた。それで、その打ち上げを毎年やったんですよ。70年代始めぐらいじゃないかな」
山下「そうですよね。僕は、フリー・ジャズ・トリオで、それに出ていましたから。1969年以降であるのは間違いないです」
——そのころって、それほど大きな会場もなかったろうし、何か大きな事をやろうとすると、まず野音だ、みたいな感じはあったんでしょうか?
渡辺「大きな事ねえ。どうなんでしょうねえ」
山下「夏に、野外であんなことをやれたとうのは、少なくても僕らにとっては初めての経験でしたね」
渡辺「結構、お客さんは来てくれたんだよね」
山下「満員でしたよねえ」
渡辺「立ち見も出ていた。いろんな形でやったと思います」
山下「僕らは普段、たとえばピットインで沢山入ったとしても、何十人か、下手をすれば数人を前にライヴをしていた時期だったから、出て行ったら何千人という観客がいるわけでしょう、これは興奮しましたよね。そういう事で、日比谷野音というのはビシっと記憶に残りましたね」
——個人でお出になることはなかったんですよね?
渡辺「僕にとって一番の野音の思い出というと……。(ネルソン・)マンデラさんが来日して、ここで南アフリカ支援の集まりがあったんです(1990年)。釈放されてすぐだったんじゃなかったかな。それで、声をかけられて「コシシケレリ・アフリカ」の譜面をもらって、後に国歌になるその曲を暗譜して、マンデラさんと2人やったんです。僕が吹いてマンデラさんが歌って、支援者が何百人か客席にいて、それが一番の思い出ですね。そのときの、マンデラさんと僕の写真というのは、大切にとってあって、アフリカに行く時は持って行くんです(笑い)」
——そういえば、ソイル&ピンプ・セッションズが南アに行ったときには、貞夫さんの名前をかけられまくったそうです。
山下「それはそうだろう(笑い)」
渡辺「アフリカでは、けっこう有名なんだよね(笑い)。マンデラさんはにこやかにしていらっしゃって、その後、90年代にうちのバンドとアフリカ・ツアーをやって、訪問地にケニアと南アがあって、そのときは大統領になってました。そのとき、マンデラさんはソウェトの貧しい地区の中に新居を建築中で、それでプールまでできていたな。ついでに寄ったら彼はいなかったけど、そんな思い出があります」
——一方、山下さんにとっての野音というと。
山下「先ほど言った、ジャズ・フェスですね。いきなり出て行ったら、何千人の人がいて、それは初めての経験。ドイツ・ツアーとかの前だったんですよ。それで、こっちはヤメローと言っていて、別な方では洋輔イケーとか言っている。そういう時代だったんですね(笑い)。面白かったなあ。それと、日比谷というと、えーっとねえ、他にも何かあるような気もするんだけど、最近ではそのトリオ40周年ですね。それで、歴代トリオのメンバーを全員集めても、9人ぐらいにしかならない。こういうのは、珍しいと思っている。皆、とっかえひっかえ変えるでしょう? 」
渡辺「(笑い)ああ、それは僕だ。」
山下「だから、いっぱい集めようと思ったって、できない。最低でも4、5年は同じ顔ぶれだから」
——そうですね、NYトリオも長いですもんね。
山下「NYトリオは25年ですもんね。変えちゃうのが、イヤなんですね。だから、一緒にずっとやるので、そういう事ができた」
——それで、その際、空には二重の虹も出て、40周年を祝福しましたものね。
山下「そうそう、虹が出たんですよ。ダブル・レインボウが出まして。それが、DVDのジャケットにもなったんです。初代中村から始まって、それで坂田、そして(小山)彰太……、全員を集めたわけです。それで、それぞれの代表曲ができるんです。」
——山下さんも、昔はちょっと貞夫さんのグループにお入りになったことがあるんですよね。
山下「そうなんですよ。もう、うれしくて。まだ、国立音大生の頃でしたから。今、国立音大生で貞夫さんの所に呼ばれたのが2人もいるんです。兼松と小田切(ドラム)。兼松もうまいピアノで、FMの番組で使われた。当時、僕は遅れて遅れて入学して、5年生のときにようやく呼んでいただいた。その時、回りは皆ショックを受けて、貞夫さんの所に音大生が呼ばれたぞ、と。今、貞夫さんは招聘教授で……」
渡辺「去年からやっているんだよね」
山下「それをやっていていいことは、才能ある若手とで出会える事」
渡辺「それは、本当に楽しみだよね」
山下「そしたら、生徒の中から2人をばっと選んで、それが間違いない」
——洋輔さんは、どんな感じで入ったんでしょう。
渡辺「(渡辺)文雄と一緒だったんだよな。それで、これは楽しみだなと思った」
山下「多分、文雄ちゃんがいいように言ってくれたんだと思う」
渡辺「いやいやいや。帰ってきてすぐ(渡辺グループでピアノを弾いていたの)は、前田憲男さんだった。それで、若いサイドメンがほしくて、声をかけたんだと思う。今と同じなんだけどね」
山下「貞夫さんは、1965年にバークリーに帰ってきて、その数日後にサックスを持って、我々若者がやっていたジャズ・ギャラリーに来て、毎日サックスを吹きまくった。すごいでしょう。それで、それがNY流というか」
渡辺「まあ、あの当時は試行錯誤の時代だった。系統立てて教えてくれるところもなかったし。だいたい、僕たちはGIの後を追いかけて、なんかを得ようとしたり。たぶん、こんなもんだろうというところで、アメリカに行ったんです」
山下「いや、こんなふうじゃないんですよ。そのときは、ばりばりにチャーリ・パーカーを吹いていた。だから、行ったとたんにたちまち一番になって、バンド・リーダーになって、アルバムを録ったりした」
渡辺「そういうのは、載せないで(笑い)」
山下「つまり、日本人がああやって想像でやっていたことが間違っていなかった、ということを、貞夫さんが証明してくれた。それが凄いんですよ。そしてそれを系統立てて、これはこういうふうに記号で言うんだよということを、教えてくれた。英語のノートを何冊も作って持って帰ってこられて、それを僕たちに教えてくれたんです」
渡辺「曲集には記号は書いてあったけど、俺らが音楽理論を勉強しようとすると、下総皖一の和声とか、(諸井 )三郎さんの対位法とか見てもなんか違う」
山下「ジャズの音楽理論というのは、それとは全然違う。それが、日本には全然なかった。ところが、バークリーだけが早いうちに、すごく分りやすくそれをやってしまっていた」
——そうして、貞夫さんのまいた種が育って、この野音でもいろいろ花開いたと思います。
山下「そう、まさしく、先駆者なんですよ」
渡辺「ここではいろんなステージにあがったと思うんだけど、洋輔が40周年でやったのは珍しいと思うけど、一つのブループというよりは、なんかジャズ・フェスという感じで、いろんなグループがお祭りみたいな感じで演奏するという感じ。だから、日比谷の思い出としては、明確に俺のなかでまとまらない」
山下「皆で、楽屋でわあわあやっていましたもんね。それはオール・スターですからね。みんな貞夫さんに寄って行く」
——それで、今回、お二人は俗な言い方をすると対バンで出演しますが。
山下「うちの事務所の情報だと、すごい売れ行きがいいんだって」
渡辺「フライヤーを見ると、山下洋輔と渡辺貞夫の共演と書いてあるから。ただ、洋輔の所にもホーン・プレイヤーが参加しているし」
山下「エレナと成孔が我々のほうにいます。貞夫さんの方は?」
渡辺「こっちは、僕だけ。だから、フロントは3人いるんだよな。うちのバンドにはギターもいるし、」
山下「珠也は、重なっているんだよね」
渡辺「うちのレギュラーグループは小野塚が他の仕事なので、その日は塩谷」
山下「ああ、ソルトはもちろんいいですよ。でも、どうして、他の仕事が入っているとはいえ、コレを断るかな(笑い)」
渡辺「いや、今の若い奴はみんな忙しいの(笑い)」
山下「忙しいと言っても、日比谷で、貞夫さんだよ!」
——山下さんは、特別編成と言ってもいいんですよね。
山下「珠也とは最近よくやっていて、いいんだ」
渡辺「珠也は腕を上げたよね」
山下「上げましたよね。それで、ベースが紅介。そして、エレナちゃん。貞夫さんが自分の楽器を贈ったという逸材(笑い)」
渡辺「いやいやいや。貸してあげたの」
山下「僕も彼女を見て、貞夫さんと同じように、これは凄いっと思っちゃった」
渡辺「彼女が13歳のときに知り、いいなと思って。それで、札幌に行くたびに、アンコールのときに呼ぶようになって。今、バークリー・スクールで頑張っていると思います」
山下「彼女はサマー・クスクールなんかにも通っていて、すべて奨学金でしょ?」
渡辺「プレジデントというやつで、旅費、学費、寄宿舎もただ。何からなにまで面倒見てくれて、6000人のなかから3人選ばれたらしい。甘えちゃいけないよと言っています」
山下「そういう奴が、僕の方には登場します。それと、成孔。成孔は成孔でまた、変な存在でありまして」
渡辺「聞いた事ないので、彼の演奏は楽しみなんだよね。NHKでマイルスのことを語っているのは見た」
山下「面白いです。弁もたつ、筆もたつ。自分のバンドでは指揮をしたり、CDJをばーっとやったり、普通のジャズとは違うんですね」
——それで、ご一緒にもやるんですよね。
渡辺「これは、やらなきゃしょうがないよね(笑い)」
山下「よろしくお願いします。どうやりましょうか? デュオでします?」
渡辺「ステージで皆一緒にやればいいじゃん。お前と2人でやってもおもしろくないよ(笑い)」
——2年前の正月に軽井沢で一緒にやっていますよね。
渡辺「そんなことがあった。洋輔グループに参加してもらったよね。スタンダードをやったと思いますけど。」
山下「そうですね。じゃあ、考えてください。三管でいいんですか」
渡辺「え、もっと増やしたいの?」
山下「いやいや。では、双方がやって、一緒にアンコールでしょうね。全員いるという感じですか。」
渡辺「それがいいんじゃない」
——こうやって。お話をきいていると、お二人って波長が合うんですね。
山下「そりゃ、もちろん! それは、そもそも僕が憧れているからで。貞夫さんのお人柄がこうだから」
渡辺「いやいや、やっぱりそこはミュージシャン同士だから。これが学者とお話とかだったら、困っちゃうけど(笑い)」
 シンガー/シンセシザー・ヴァイブラフォン奏者のロイ・エアーズ(2000年3月23日、2002年8月11日2004年3月10日2008年7月10日、2014年7月19日、2016年2月12日)の1年半ぶりの公演は、六本木・ビルボードライブ東京。キーボードのエヴァレット・フリーマン 、エレクトリック・ベースのトレヴァー・アレン 、ドラムのクリストファー・デ・カーマイン というバンド員は前回来日時と総とっかえ。また、今回はサイド・シンガーを連れてきていない。例によって、エアーズはヴォーカルを取る。だけど、これまでになく、サイド・マンっちにもソロを回し、近年のライヴのなかでは一番ソウル・フュージョン濃度が高かったか。そして、スタンダードの「サマータイム」はインストゥメンタルで演奏した。

▶過去の、ロイ・エアーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200403101442170000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080710
http://43142.diarynote.jp/201407221705302936/
http://43142.diarynote.jp/201602161249535545/

 その後は、丸の内・コットンクラブで、渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日)が、ブラジル人たちとやるショウを見る。1時間強のセットを15分の休憩を挟んで二つ入れ替えなしで持つ。ご老人は元気だ。

 ヴォーカルのモニカ・サルマーゾ 、ピアノのエリオ・アルヴェス 、ガット・ギターのパウロ・アラガォン 、デニ&デボラ・カルテートで同じみのダブル・ベースのシヂエル・ヴィエイラ (痩せた!)。ドラムのエドゥ・ヒベイロ を擁する。それで、サンパウロの自然体シンガーであるサルマーゾをフィーチャーするライヴと聞いていたが驚いた。3分の2ほどで、彼女は歌ったのではないか。まさに、“フィーチャリング”。彼女は渡辺貞夫が提案した曲や自分の持ち歌、さらには日本語の曲も歌ったりもし、本当に密に連絡を取り合い、準備していたことが分かる。このメンバーは彼女が選んだという話もきいたが、それにも大きくうなずけるな。そして、貞夫さんもうれしそう。その総体は、ブラジリン・フュージョンではなく、ブラジルに住むサルマーゾとブラジル音楽が大好きな渡辺貞夫の音楽性と思いが最大公約数で重なった内容だった。

▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000/
http://43142.diarynote.jp/200610080946310000/
http://43142.diarynote.jp/200712171350530000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200907310048137248/
http://43142.diarynote.jp/200909120646397236/
http://43142.diarynote.jp/201107111008176019/
http://43142.diarynote.jp/201207031353196616/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201304031026406106/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
http://43142.diarynote.jp/201310050701201281/
http://43142.diarynote.jp/201407091243129270/
http://43142.diarynote.jp/201410061850124929/
http://43142.diarynote.jp/201412281017371613/
http://43142.diarynote.jp/201512151504068292/
http://43142.diarynote.jp/201607100827363436/
http://43142.diarynote.jp/201609201032322395/
http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/
http://43142.diarynote.jp/201612171245154424/

<今日の、そうだった……>
 アフリカ・バンバータもカエターノ・ヴェローゾも、最初に日本に呼んだのは、渡辺貞夫だったんだよな。ショウを見ながら、そんなことを思い出した。

 錦糸町・すみだトリフォニー・ホールで、ペンギン・カフェ(2014年9月27日、2017年7月8日)を見る。ピアノを主に弾くアーサー・ジェフスとなんでも屋のグレン・ベリーに加え、ダブル・ベースとドラム(セットを置いていたが、手で叩く曲も少なくないなど、パーカッション的な近い方をする)、さらにストリング・カルテット(うち、女性が2人)という8人で、反復基調のたおやかなインストゥメンタルを繰り広げる。やはり独自の洒脱道を飄々と行き、聞く者をリラックスさせつつ、耳を鋭敏にさせる。

 2部構成。2部の頭の2曲には相対性理論のやくしまるえつこ、永井聖一、山口元輝が加わる。1曲目は彼女たち手動でペンギン・カフェが完全にバック・バンドになっていた。

▶︎過去の。ペンギン・カフェ
http://43142.diarynote.jp/201409291720019557/
http://43142.diarynote.jp/201707101243147840/

 その後は、南青山・ブルーノート東京で、1年強ぶりに再来日したジョン・ケイル(2016年8月7日)の実演を見る。キーボードを押さえながら歌う本人に加え、ギターのダスティン・ボイヤー、電気ベースのジョーイ・マランバ、ドラムのディーントーニ・パークスという陣容。

 うわわー。びっくり。バンドは同じ顔ぶれながら、進化し、大きく前に踏み出していた。ぶっちゃけて言うと、ケイルとパークスの二人のプロジェクトとなっていた。そのぶん、ギタリストとベーシストの占める割合は減じており、この二人だけでライヴをやっても問題はないのではないかとさえ思える部分も多々あり。とともに、先鋭派パークスの関与する裁量が大きくなったことで、“進行形のケイル表現”という感じはより前に出る。しかし、どこで両者は知り合ったのか? ケイルはずっと米国住まいなのかな。

 なんと今回のパークスのキットにはシンバルが置いていない(バスドラ、スネア、ハイハット、タムは普通に設置)。その代わり彼はキットに組み込むように置かれたPCと首っぴきという感じで、PC音に手弾きの音をちょいちょい足していくのだ。そして、その総体は現代の立ちやエッジを有し、ケイルの過去曲を今に持ってきてしまう! ケイルがギターを手にした最後だけ、一切PC音を使わないバンド音で曲をまっとうした。背後のスクリーンには映像が投射されていたが、パークスの顔にもそれは写っており、彼は眩しくなかったのだろうか。

▶︎過去の、ジョン・ケイル
http://43142.diarynote.jp/201608111100555412/

<今日の、がっかり>
 錦糸町に向かう半蔵門線の車内の広告に目が留まる。<すみだガラス市>。今日と明日との日程と記され、場所もこれから行くすみだトリフォニー・ホールに近い。やりぃ。時間的に余裕を持って家を出てきているし、どんなものか知らないが、これは覗くことができるではないか。そして、ニコニコと会場に行ってみたら、テントが皆しまっている。ようは、もう終わっている。あれれェ。後で調べたら、クローズは午後4時。真冬でもないのに、いくらなんでも閉まるの早すぎない?

エリカ・バドゥ

2017年10月6日 音楽
 エリカはエリカ、まさにディーヴァだった! もうそれだけで、文章を止めたいぐらい。六本木・ビルボードライブ東京。20時から(15分遅れで始まった)1日1回の公演で、ほぼ90分の尺だった。しかし、こんな距離でエリカ・バドゥ(2000年11月19日、2006年4月2日。2012年3月2日)のショウが見れるなんてという感激はデカい。前回ぼくが見たのはジャカルタのフェスであったが、あのアリーナ公演の規模を知っていると、これはほんと夢のよう。

 イントロが流れるなか出てきた彼女はぽっくりっぽい底の高い靴を履いていてゆっくり出てきた。なんか花魁のような風情ぢゃんと、ぼくは思った。その格好は理解不能、ヤンキーぽいという形容もありか。髪の毛は長いのが爆発していて、迫力満点。ショウが進むごとに帽子や上着などをとり(彼女はジーンズのサロペットを身につけていたのだな)、どんどん彼女の地が出てくるという演出はソウル・ショウにおいては珍しいものではないが、効果的。殿上人的なスターがどんどん素顔を露わにしているという思いを得ることができ、ナイス。

 そして、バドゥは小鳥の鳴き声が流れるなかハローハローと詠唱し始めたと思ったら、”Hello, it’s me. I’ve thought about us for a long, long time”と歌い出す。おお、トッド・ラングレンの超有名曲「ハロー・イッツ・ミー」の一節じゃないか。びっくりだあ。中央に立つ彼女の周りにはPC、コントラーラー、鳴り物、ターンテーブルの形をしたパーカッション・パッドなどが置いてあったが、用いたのはパーカッション・パッドだけだったか。前半は彼女がそれと戯れるように鼓動音を出し、それに呼応するようにバンドが音をつけていって曲が始まるというようなことが数度あった。

 2曲目が早くもバラードであり、クリック音だけを下敷きにコーラス陣と一緒にドゥーワップとゴスペルが重なったようなことをやったり、基本ピアノを一本で歌う曲があったり。そんな局面があったことが示唆するように、今回はそのヴォーカルのスキル、訴求力を前に出していたと指摘できるのではないか。前回ぼくが見た際とは異なり今回は自ら歌にエフェクトをかけることもあまりなく、もっと質実剛健でまっすぐ。もちろん、伴奏陣はとても整備されていて、いいバンド。バドゥはバンドをぐいぐい引っ張り、生のサウンドと拮抗するのだが、今回はより歌の力を前に出しているようにぼくには思われた。

 バンドは、キーボードのRCウィリアムズJr.,ザ・ソウル・クエリアンズ全盛期の流儀で作った『ママズ・ガン』(モータウン。2000年)からの付き合いを持つベースのブレイロン・レイシー(メンバーの中では一番の実績を持つ人で、現代ゴスペルのカーク・フランクリン〜2009年9月18、2009年9月18日〜のバンドにもいた)、ドラムのマイケル・ミッチェルA.K.A,ブラック・ダイナマイト(2015年9月30日)、打楽器のフランク・モカ(2016年1月25日、2016年10月11日)、DJのラシャド・リンゴ・スミスという演奏陣に、ラ・ケンドラ・ジョンソンとテロン・オースティンとデュランド・バーナーという3人の男女シンガーが加わる。なんか、キーボード奏者の奥にもう一人見えたような気もするが。

 そうした陣容のバンドを掌握し、その頂点に当人が立つという実演の総体(普段はこのハコにはないと思われるレーザー光線のような照明もステージ上に設置されていて、それは効果的だった)は、これは今の時代のR&Bを真っ向から受けているという大きな手応えを山ほど与える。新譜はもう7年も出していないのに、現役感はたっぷり。これこそは今の前線にある大衆音楽のメインストリームなのだという凄みのようなものも横溢していて、そりゃ降参してしまう。

 以前はもっとツっぱりシアトリカルにショウを進めていた記憶があるが、彼女は機嫌良さそうに最前列の人と握手をしたり、最終曲では聞き手と同じレヴェルに立ってコール&レスポンスを楽しむなど、ライヴをすることを健やかに享受している感じがよかった。それ、彼女にとっては破格に小さい会場であるということがプラスに働いていたのか否か? 

▶過去の、エリカ・バドゥ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
http://43142.diarynote.jp/201203062004221304/
▶過去の、カーク・フランクリン
http://43142.diarynote.jp/200909251530436151/
http://43142.diarynote.jp/201702081152242280/
▶︎過去の、フランク・モカ
http://43142.diarynote.jp/201601260728484520/ クリス・デイヴ
http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/ クリス・デイヴ
▶︎過去の、マイケル・ミッチェル
http://43142.diarynote.jp/201510021221454336/ スタンリー・クラーク

<今日の、カズオ>
 なんとノーベル文学賞は、英国人カズオ・イシグロに決まった。実は在英ジャズ歌手のステイシー・ケント(2012年3月12日、2014年4月22日)と懇意にしているようで、過去「ポストカード・ラヴァーズ」とか「ザ・サマー・ウィ・クロスト・ユーロップ・イン・ザ・レイン」とか「ウォルター・オー・ウォルター」とか「ザ・チェンジング・ライツ」など、彼はケントの夫でサックス奏者のジム・トムリンソン(2012年3月12日、2014年4月22日)との共作のもといろいろ彼女に歌詞を提供している。そして、ケントのもうすぐ出る新作『アイ・ノウ・アイ・ドリーム』に収録されている8分の6拍子曲「Bullet Train(新幹線)」という曲の歌詞もイシグロによる。それ新幹線の車内アナウンスも冒頭にインサートされる日本ソング(”東京から名古屋へ”と一節も歌詞にはあるが、「名古屋、名古屋です。この新幹線は東京行きです」という逆向きの車内案内女性声を録った断片が入れらてれているのはご愛嬌)だが、すげえタイムリー。発売元のソニー、今大騒ぎじゃね? きっと書店には彼のコーナーができるんだろうけど、この新作や既発作も一緒に並ぶのかな? しかし、イシグロさん、ちゃんと作家になる前にはロック・ミュージシャンを志したとも言われる。村上春樹とはお互いを認めあっているようだが、この二人の大作家はともに普通の人以上に音楽好きという共通点を持っているのか。ちなみに、その『アイ・ノウ・アイ・ドリーム』、映画音楽のオーケストレーションの方面でロンドンで活躍する新進トミー・ローレンス(2008年にザ・ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックのジャズ・コースをサックス専攻で卒業している)のひんやりと広がる管弦楽アレンジがとても気持ちいい。以下は、彼のサウンドクラウド。こちらを聞くと、保守的な豊饒さををしこたま出せる人物という印象を与えるか。https://soundcloud.com/tommy-laurence
▶過去の、ステイシー・ケントとジム・トムリンソン
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
http://43142.diarynote.jp/201404260858553785/

笹久保伸

2017年10月5日 音楽
 原点回帰的なソロ・ギター作「ギター」(アオラ)を9月にリリースした異能というしかないギタリストの笹久保伸(2013年8月29日、2014年5月24日、2014年12月12日、2017年2月4日)の一人実演を、代官山・晴れたら空に豆まいてで見る。新作収録曲を中心に、過去作に入った曲なども演奏。1時間ほどのものを、まっすぐに2セットやった。各セットで1曲づつ、ヴォーカルも取る曲も披露。セカンドは、ビクトル・ハラの曲だった。

 各曲チューニングがバラバラななか、そして引っかかりがありまくる奏法のもと、様々な風景や情緒がこれでもかと浮き上がる。もう多大な研鑽と、度を越したアートなセンスと、興味深すぎる人間性が交錯した末の結晶というべきものは、ギター音楽のブラックホールをこれでもかと聞き手に味あわせる。身体を揺らしつつ、息を飲む瞬間はいろいろ。近く、日経新聞電子版に、この晩のことを書いたものが出ます。

▶過去の、笹久保伸
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201405271717357738/
http://43142.diarynote.jp/201412281015581474/
http://43142.diarynote.jp/201702081153548285/

<今日の、そうなのか>
 笹久保は現在、33歳なのか。あまりに超越していることをやっているので、年齢のことを考えたことがなかった。って、仙人みたいにしてはいけませんね。今年の夏には西日本をツアーしたそうだが、その際は在勝浦のブルース・ギタリストである濱口祐自(2014年4月11日、2015年10月25日)と一緒に行動したりもしたという。聞けば、濱口は笹久保の父親と同じ大学の同級生(学科も同じと言っていたっけ?)であるとのこと。へえええ、という話でした。また。彼は俳句もやるんだそう。しかし、この晩は顔見知りの同業系知人の数が多かった。
▶過去の、濱口祐自
http://43142.diarynote.jp/201404141032338019/
http://43142.diarynote.jp/201510290731105395/
追記)以下のリンクは、秩父の<「神の山」武甲山と向き合うアーティスト>という秩父に住む笹久保の姿を追った日経新聞の映像だ。彼のスタンスがよく分かります。
http://www.nikkei.com/video/5591457357001/?playlist=4654649186001
 ものすごーく久しぶりに、ゆりかもめに乗る。もし、台場のほうに来るとしても、JRのりんかい線を使っていたからな。そしたら、モノレールの中はアジアからの観光客だらけ。でも、車窓からの風景を見て、これは観光にとても適していると思わずにはいられず。

 台場では、二つのソニー系エンターテインメント施設に行く。まず、ユナイテッドシネマ アクアシティお台場で、映画「関ヶ原」を見る。かつてトリビュート・トゥ・ラヴ・ジェネレーションというワールド・ビート系も多々出たソニー運営のライヴ・レストランがあり、そこには一時良く行っていたけど、それがあったビルはここだったのかな。なんか、懐かしい。10を超える映画館を持つシネコンの方には、さすが観光客はいない。開演5分前に中に入ったら、ぼくだけ。ビビった。

 ところで、ぼくは戦国もの、もとい歴史に疎い人間で、それと繋がり、その手の映画にはとんと興味が持てない。そういえば高校のとき、いかに自分は歴史に興味が持てないかを新任の社会史教諭にこんこんと説いたら、試験の点数を大幅に上回ったいい点を通知表でいただいたことがあった。いい先生だったナ(そんなぼくなので、とうぜん、受験は地理や政経で受けた)。ゆえに、“関ヶ原”と聞いてもぜんぜんピンとこない。なのに、ぼくが見に行ったのは、知人がずっぽり絡んだ映画であったからだ。

 そしたら、ある程度、その前後の史実を知っている前提で作っているのか、まるでストーリーが分からない。もう、冒頭の河原のシーンから????の連続。出て来る武士の名前は一応多くは知っているもののどういう人かは全然知識がないので、登場人物の会話も30パーセントほどしか理解できなかった。なかなかにオレは成人として備わっているべき知識を持っていない人間のなのかと思ったかな。映像は丁寧に撮られていて、よく撮影場所を見つけたり、セットを作ったりしたな。音楽はハマり、壮大。あと、前半でいなくなり猿には似ていなかったが、豊臣秀吉役の人が一番演技が上手いと思った。

▶︎過去の、トリビュート・トゥ・ラヴ・ジェネレーションのベスト・アクト(おそらく)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-4.htm カルリーニョス・ブラウン

 その後は、近くのZeppダイバーシティ東京に行く。徒歩10分弱、ぐらいの距離か。広い通路を会場に向かい渡りながら、昔メキシコ人のマーゴス・エレーラ(2004年9月25日)をこういう大きな野外通路で見たなと思い出す。そして、スコットランドのグラスゴーのロックを代表するベル・アンド・セバスチャン(2011年3月4日)を見た。この8月は延々米国ツアーをやったらしいが、スプーン(2008年2月6日)と一緒だったハルウッド・ボウル公演(本当に、ここでやったならすごい、デカいですよ〜)を見た知人からのお誕生日おめでとうメールに、今の彼らならキミも気にいるはずとか、書いてあったんだよな。そしたら、なるほど一度上がった(目標を達成し、活動を止めた)バンドならではの、いい意味での成熟や和気藹々具合があって、手触りが良い。なんか、そのこなれ具合に、グラスゴー版ビーチ・ボーイズ(2014年3月28日)というような所感を持ってしまったかも。どこか、黄昏たところも持つのも、その感想につながっている?

 多い時で、サポートの奏者を含め9人がステージに上がる。トランペットやチェロが入る曲もある。MCによれば、渋谷から最寄りの東京テレポートまで電車で来たそう(りんかい線で一本で来れますね)。そしたら、その後の曲では列車から東京テレポート駅に降り、会場に向かう映像が背後に映し出された。ステージ後方に映し出される映像はそれぞれに気が利いていて、それも楽しい。しッかりと自分たちの立ち位置、見てくれる人たちのもろもろを捉えているという風情〜そして、それはグラスゴウという風土も伝えると思わせられるものであったか〜、マルでした。

▶︎過去の、ベル・アンド・セバスチャン
http://43142.diarynote.jp/201103091608158507/
▶︎過去の、マーゴス・エレーラ
http://43142.diarynote.jp/200409280745560000/
▶︎過去の、スプーン
http://43142.diarynote.jp/200802100026420000/
▶︎過去の、ハリウッド・ボウルでの公演
http://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
▶︎過去の、マイク・ラヴ/ザ・ビーチ・ボーイズ 
http://43142.diarynote.jp/201403291149242320/

 この日は、もう一つ。ジャズ・ピアニストのピーター・マーティン(2008年9月22日、2010年3月23日、2014年9月16日、2016年2月18日、2017年5月29日)を、丸の内・コットンクラブで見る。前回と同じく、ベースのルーベン・ロジャース(2005年5月11日、2008年9月22日、2009年4月21日、2011年11月15日、2013年1月6日、2014年5月15日、2016年2月18日。ヴァージン・アイランド出身と紹介されていた)とドラムのグレゴリー・ハッチンソン(2008年9月29日、2009年4月21日、2010年9月5日、2016年2月18日)が付く。肌の色が濃いリズム・セションの二人の格好は、おしゃれだった。

 軽妙にして、立っているところはほどほど立っているピアノ・トリオ。今回は、サイドの二人の妙味がより分かりやすく出されたところはあったか。ときにハッチンソンのドラム音は、デカぁとも思った。アンコールはなんと、クリフォード・ブラウンの「チェロキー」。エリントン曲もやったが、スタンダードをやるとマーティンが持つ快活な発展性のようなものがよくわかる。この後、3人はこのまま10月いっぱいまで続く欧州ツアーに入る。

▶過去の、ピーター・マーティン
http://43142.diarynote.jp/200809240100515549/
http://43142.diarynote.jp/201003261236189984/
http://43142.diarynote.jp/201111210320292366/
http://43142.diarynote.jp/201409171722239857/
http://43142.diarynote.jp/201602191120219620/
http://43142.diarynote.jp/201705301638029304/
▶過去の、ルーベン・ロジャース
http://43142.diarynote.jp/200505141717440000/
http://43142.diarynote.jp/200809240100515549/
http://43142.diarynote.jp/200904221307055009/
http://43142.diarynote.jp/201301151731112021/
http://43142.diarynote.jp/201405171309186867/
http://43142.diarynote.jp/201602191120219620/
▶グレゴリー・ハッチンソン
http://43142.diarynote.jp/200809240100515549/ 
http://43142.diarynote.jp/200904221307055009/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100905 ジョシュア・レッドマン
http://43142.diarynote.jp/201602191120219620/ 

<今日の、ムライの馬鹿>
 うわあ行きの際、2度も電車乗り過ごしちゃったよー。それは、今一緒に飲んだりすると一番長時間に渡ってしまう村井康司のせい。彼の新著「あなたの聴き方を変えるジャズ史」(シンコー・ミュージック刊)を外出車内でちまちま読んでいるんだけど、私としたことがなんか本に入り込んじゃう。なんか、つらつらと読むだけでなく、その通りと膝を打ったり、うわあこの書き方は俺にはできないなぞとか同時進行的に考えたりしちゃい、降りるべき駅をミスしちゃう。<アメリカの大衆音楽全体を時代との関わりの中で俯瞰>(著者後書きより)しようとしているのだが、まこと豊富な例証とともに、20世紀最良のアメリカン・ミュージックであるジャズとその周辺をものすごーく広い見地から歴史を追いつつ、彼は軽妙な筆致とともにその本質を解き明かしていく。まあ、その元になった雑誌連載も知っていたけど、けっこう書き改めていると思われるし、こうやって一つにまとめると、村井さんよく書いたね〜となる。ロックやソウルにまず引かれ、そしてジャズという即興音楽の存在にヤラれ、一方ではワールド・ミュージックにも興味を持てた世代(それは、洋楽に山ほどの幻想が持てた世代とも言えるだろうか)ならではの、好奇心旺盛な見方を介してのジャズの動向と、その奥にあるものを真っ当に書き記した書籍であると言うしかない。価格は2160円とCD1枚分の価格ながら、350頁を超える本書はけっこう厚く重い。そして、中身は言わずもがな。乗り越しとともに、か弱いぼくは肩が脱臼しないか心配でしょうがなかった。
 2016年フランス/セネガル/ベルギー/ドイツ/レバノン映画を、京橋テアトル試写室で見る。監督(脚本と編集も)はギニアビサウとセネガルをルーツに持つ、1972年生まれのフランス人であるアラン・ゴミス。この映画は、彼にとって長編4作目となるそう。彼はコンゴ民主共和国のカサイ・オールスターズ(2007年10月25日、2011年8月1日)の音楽を聞き、一気に映画の像が結び、同国を舞台にする映画を撮ることにした。それまで彼はキンシャサに行ったことはなく、同地は心引かれるとともに、怖さを覚えさせる街であったという。

 <さりげなくも、さりげある>。ぼくは淡々としているのに妙に強い印象を与える音楽にそんな形容をつけたことがあるが、それにならうなら、<さりげあるのに、さりげない>映画とでも、これはなるだろうか。
 
 主人公のフェリシテは飲み屋で毎日演奏するバンド(それ、カサイ・オールスターズの選抜群が演じているのかな?)の喉自慢のシンガー。シングル・マザーの彼女には息子がいるが交通事故にあってしまい、手術費が必要となり、彼女は奔走する。そして、彼女に言いよっていたスケベだけど心優しい冷蔵庫修理工が絡み、話は動いていく。キンシャサの環境や人間模様を介する流れはかなりハード、見ていて心辛くもなる。だが、その大枠は普遍的なラヴ・ストーリーを描いてもいき、なんか最終的にはホっとさせ、静的平穏な心持ちを与える。それが、<さりげない>のだ。

 かようなストーリーなのでキンシャサの日常はいろいろ描かれるし(主人公は貧しくても、携帯は持っている)、カサイ・オールスターズ(2007年10月25日、2011年8月1日)の音楽もよく出てくる。また、カサイの音楽やキンシャサの日常と対をなし、あたかも“俗と聖”の存在を描くかのように、映画では現代音楽のアルボ・ペルトの曲が数カ所でインサートされる。それを演奏するのはやはりキンシャサをベースとする貧困救済目的のアマュアのキンバンギスト交響楽団(cf.映画「ストリート・オーケストラ」http://43142.diarynote.jp/201607071205498487/)で、一部はその演奏や歌唱をしている映像も出てきて、それらの対比は一筋縄ではいかない含みを映画に与える。ある意味、ゴミスは詩的な映画の作り手でもありますね。

 それから、珍しいと思えたのは、エンド・ロールが音楽なしで無音であること。そんな映画に、ぼくは初めて接するような気がした。

▶︎過去の、カサイ・オールスターズ
http://43142.diarynote.jp/200711121022550000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110801
▶︎過去の、キンシャサを舞台とする映画
http://43142.diarynote.jp/?day=20071024 『Jupiter’s Dance』
http://43142.diarynote.jp/?day=20100630「ベンダ・ビリリ!~もう一つのキンシャサの奇跡」
▶︎過去の、スタッフ・ベンダ・ビリリ関連
http://43142.diarynote.jp/201010050803424611/
http://43142.diarynote.jp/201010191405067654/
http://43142.diarynote.jp/201408301137223996/

<今日の、街角>
 巷の雑貨売り場にはハロウィーン関連アイテムがいろいろ置かれ、書店とかには来年の書き込み型カレンダーが山ほど展示されているよー。もう、秋深まり、年末に向かっている気持ちにならないはずがない。また、ノーベル賞発表間近というニュースも同様に。そんなちょい落ち着かない気持ちを整えてくれるのは、ウルグアイ出身の才人であるホルヘ・ドレクスレルの新作『Salvavidas de Hielo』。これは、<さりげなくも、さりげあり>。と、書いていいかな。

 ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック。後にヴァーヴやパブロなどのジャズ・レーベルも興す米国人ジャズ名士となるノーマン・グランツが1940年代から持った(1950年代にかけてが全盛期だろうけど、1980年代にも持たれたことはあった)、何人ものジャズ奏者や歌手を擁したパッケージ興行の名称だ。LAのザ・フィルハーモニック・オーディトリアムで最初開催されたことで、その名称を持つ。Jazz At The Philharmonicの略称である、”J.A.T.P.”と書いた方が通りはいいか。ともあれ、その名前でいろいろライヴ・アルバムが出ていますね。また、それで日本にもやってきて、ジャズ啓蒙大使みたいな役割を果たしたこともあった。その1回目は1953年に銀座の日劇で持たれ(のちに、パブロから実況盤が出ている)、その際は羽田から銀座までオープンカーによるパレードが持たれたそうな。そういう歴史を経ての、日本での温かいジャズ受容でもあるわけですね。そんなジャズの歴史に燦然と名を残す名称を用いた出し物は、日本のユニバーサル・ミュージックと関係を持つ3人の女性の担い手がそれぞれのバンドとともに出るという内容のもの。場所は日本橋・三越劇場。三越デパートで一番古い日本橋本店の6Fにある500シーターほどのホールだが、ほうこれはなかなか歴史を感じさせる内装なり。もう、リッチであらんとするハッタリを目一杯出してみましたというそれは風雅とは思わないが、一見の価値はあり。あ、そういうのを今っぽく展開すると、目黒・ホテル雅叙園みたいな感じになるのかも? ともあれ、こういう古い会場でやるというので、J.A.T.P.という由緒正しい名称を担ぎ出すという発想は主催者側にあったのか。この劇場での他の出し物の告知を見ると、今日の内容がいかに例外かがよく分かった。今日がここに来る最後となる公算は大きそう。

 まず、ピアニストの桑原あい(2013年9月8日、2016年12月7日、2017年7月8日)は、ダブル・ベースの鳥越啓介(2000年9月14日、2001年2月15日、2003年3月6日、2008年12月15日、2013年3月26日)とドラムの千住宗臣(2007年4月20日、2009年10月31日、2010年9月11日、2011年5月22日、2012年3月21日、2013年1月10日、2014年7月8日)からなるトリオにて登場。オープナーはエリントンのどう猛曲「マネー・ジャングル」で、あとはオリジナル曲だったはずだが、それらはキレキレ。おお、桑原はこんな演奏もできるのかあと頷かせる勢いと凄みを与えたな。保守的な層が大半と思われる観客にとってそれは耳に優しくないパフォーマンスだったはずだが(MCは優しいものだった)、あっち側にも踏み込まんとする演奏を颯爽と披露する様に大きく頷く。鳥越のベース音はブーストをかけすぎと思えた。ずっと電気ベーシストと活動してきた桑原だけに、それは彼女の指示によるものかももしれないが。また、こんなジャズな演奏をする千住には初めて接する。

▶︎過去の、桑原あい
http://43142.diarynote.jp/?day=20130908
http://43142.diarynote.jp/201612100926461885/
http://43142.diarynote.jp/201707101243147840/
▶︎過去の、鳥越啓介
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-9.htm phat (オーガニック・グルーヴ)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm phat (オーガニック・グルーヴ)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm phat
http://43142.diarynote.jp/200812281441122331/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130326
▶過去の、千住宗臣
http://43142.diarynote.jp/200704251225580000/
http://43142.diarynote.jp/200911010931589797/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100911
http://43142.diarynote.jp/201105230926029205/
http://43142.diarynote.jp/201203260805006088/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130110
http://43142.diarynote.jp/201407091243129270/

 次に出てきたのは、ヴァイオリン奏者の寺井尚子(2011年3月28日、2016年9月3日)。ピアノ(アレンジも担当するヴェテランの北島直樹。寺井は彼に全幅の信頼を置いているのがよく分かるが、ぼくは彼のええかっこしいの演奏がダメだった)、ダブル・ベース(1700年代の楽器であると紹介されていた)、ドラム(平成生まれとか)を率いてパフォーマンス。スタンダードとタンゴ調の曲の2系統でことを進める。その総体はぼくの耳には穏健志向すぎる。だが、昨年の東京ジャズの際に感心したように、寺井の演奏は雄弁であると思った。そういえば、彼女となぜか勝井祐二(2000年7月29日、2000年9月14日、2002年9月7日、2002年9月14日、2003年3月6日、2003年7月29日、2004年1月16日、2004年5月28日、2004年5月31日、2004年6月2日、2004年6月3日、2004年11月19日、2005年2月15日、2005年2月19日。2005年4月11日。2005年10月30日、2006年5月30日、2006年7月7日、2006年8月27日,2006年12月3日,2006年12月28日、2007年6月29日、2008年1月30日、2008年2月18日、2012年12月23日、2013年1月7日、2013年2月11日、2013年6月6日、2014年7月8日、2014年12月26日他)がヴァイオリン対談をしている記事を結構前に見たことがあったが、媒体はなんだったっけ?

▶︎過去の、寺井尚子
http://43142.diarynote.jp/201104041100266528/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903
▶過去の、勝井/ROVO
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200401160000000000/
http://43142.diarynote.jp/200406080043380000/
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http://43142.diarynote.jp/?day=20050215
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http://43142.diarynote.jp/200607100307170000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060827
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http://43142.diarynote.jp/200612291257400000/
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http://43142.diarynote.jp/?day=20121223
http://43142.diarynote.jp/201301151819527787/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130211
http://43142.diarynote.jp/201306111556299464/
http://43142.diarynote.jp/201407091243129270/
http://43142.diarynote.jp/201412291146465218/

 3番目は、八代亜紀(2012年11月9日、2014年3月13日、2016年10月9日)。ヴァイヴ奏者ながらここでピアノを弾く香取良彦(2012年11月9日、2015年9月27日、2015年10月15日)がバンド・リーダーとなり、そこにギター、縦ベース、ドラムが入った陣容にて歌う。披露したのは、ジャズ・スタンダードと、普段の持ち歌(となるのかな?)をジャズ化したものの。歌謡ショウ的な語りとともに、私のムード・ジャージー歌謡とも言うべきものを悠々と披露した。彼女とマイケル・ジャクソンは同じ8月29日の生まれ。かつて八代にインタヴューした際、彼女はその事実をうれしそうにちゃんと認知していた。それ、MJはまだ存命だったときだなあ。

 アンコールは、ヘレン・メリル(2005年7月10日、2013年4月9日)他の名唱で知られるコール・ポーターの著名曲「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」を、桑原と寺井を招いてかなり早いテンポのもと歌った。

▶︎過去の、八代亜紀
http://43142.diarynote.jp/201211170926496101/
http://43142.diarynote.jp/201403151023031434/
http://43142.diarynote.jp/201610141746599845/
▶過去の、香取良彦
http://43142.diarynote.jp/201211170926496101/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201510181000334516/
▶︎過去の、寺井尚子
http://43142.diarynote.jp/201104041100266528/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903
▶過去の、勝井/ROVO
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200401160000000000/
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http://43142.diarynote.jp/200802212248350000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121223
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http://43142.diarynote.jp/?day=20130211
http://43142.diarynote.jp/201306111556299464/
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http://43142.diarynote.jp/201412291146465218/
▶︎過去の、ヘレン・メリル
http://43142.diarynote.jp/200507161353300000/
http://43142.diarynote.jp/201304101851422199/

 そして、丸の内・コットンクラブに移動して、毎年やって来るようになったブラジル人のジャズ・グループ(2013年9月7日、2014年9月27日、2015年9月22日、2016年11月7日)を見る。今回は陣容に一部の変化がありで、ベースのシジェル・ヴィエイラから、やはりコントラバスと電気ベースを弾き分けるフォ・マロスティカに代わる。ピアノのデボラとヴォーカルのダニの母娘とダニの旦那のチアゴ・ハベーロ(ドラム)はもちろん不動だ。あ、ジョイス・モレーノ(2004年7月15日、2005年7月13日、2007年7月24日、2008年9月7日、2009年9月29日、2010年7月29日、2011年8月3日、2012年8月15日、2013年7月30日、2014年7月15日、2015年8月3日、2017年9月8日)とビアンカ・ジスモンチ(2014年6月29日、2016年10月12日)も夫はドラマー。やっぱり、ブラジルでは太鼓のうまい奴はモテる? って、論を導き出すにはサンプルが少なすぎるか。ちなみに、今回不参加のヴィエイラは1週間後にある渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日)のツアーに参加することになっている。

 そして、今回はその4人に二人のギタリストが加わる。もろなジャズ流儀の弾き方で無理なく多くの曲に入ったコンハード・ゴイスはダニ・グルジェルのソロ諸作で弾き、また故郷サンパウロ録音のイリアーヌ・イリアス(2006年6月28日、2015年2月8日、2016年1月7日、2017年6月20日)の新作『ダンス・オブ・タイム』(コンコード、2017年)にも参加している。中盤で加わり、2曲バンドと一緒に魅力的なギター弾き語りを披露したト・ブランヂリオーニ は妙味ありのBPM系シンガー・ソングライター。その2008年のデビュー作ではデボラが関与していたが、ダニとは高校時代から15年もの付き合いとか。もう少し彼をフィーチャーする曲を聞きたかった。

 総体はそんなに変化はないが、ダニのヴォーカルは今までで一番安定していると感じた。しかし、そのスキャットを駆使して舞い上がっていくような歌唱法は一番誰の影響が強いのだろうか。また、彼女たちは同クアルテート化した英語有名曲を毎度披露するが。今回はマイケル・ジャクソン曲だけだった。

▶過去の、ダニ&デボラ・グルジェル・クアルテート
http://43142.diarynote.jp/201309161507226186/
http://43142.diarynote.jp/201409291720019557/
http://43142.diarynote.jp/201509231115245724/
http://43142.diarynote.jp/201611101703321633/
▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000/
http://43142.diarynote.jp/200610080946310000/
http://43142.diarynote.jp/200712171350530000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200907310048137248/
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http://43142.diarynote.jp/201107111008176019/
http://43142.diarynote.jp/201207031353196616/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201304031026406106/
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http://43142.diarynote.jp/201607100827363436/
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http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/
http://43142.diarynote.jp/201612171245154424/
▶過去の、ジョイス・モレーノ
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http://43142.diarynote.jp/200507161357340000/
http://43142.diarynote.jp/200708051737070000/
http://43142.diarynote.jp/200809081534510000/
http://43142.diarynote.jp/200910021138591223/
http://43142.diarynote.jp/201008111723131487/
http://43142.diarynote.jp/201108101628235325/
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http://43142.diarynote.jp/201308021400578638/
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http://43142.diarynote.jp/201709110843278416/
▶︎過去の、ビアンカ・ヂスモンチ
http://43142.diarynote.jp/201407030943343160/
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▶過去の、イリアーヌ・イリアス
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http://43142.diarynote.jp/201502090956393081/
http://43142.diarynote.jp/201601090750252990/
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<今日の、真中>
 秋晴れの、一日。早めに日本橋に行き、周辺を探索する。日本橋はいくつもの街道の起点となった、かつては横に魚河岸もあったという、江戸〜東京の中心地。重要文化財にも指定されている日本橋店が三越のフラッグシップ店であるのも、それを物語るものだろう。とはいつつ、ぼくが東京メトロ三越前駅(そういえば、百貨店の名前が駅名についているのは、少なくても東京ではここだけか。とうぜん近くには、日本橋駅もある)からまず向かったのは、マンダリン・オリエンタル東京。ホテル・マニア(?)としては、日本トップ級とも言われるこのホテルを一度のぞいてみたかった。ただ、ロビーなどはかなり上階にあって、関係ない奴は来るな臭を出していると知人が言っていたので、ミーティングをぶち込んで、そこに入っている一つで遅めのランチをとった。ミシュランの星とっているのか。獲得をありがたがりはしないぼくが、その手の店に入るのはいつ以来だろう。なるほどね、ちゃんとしているワ。味も堪能した。海外を中心にいろんな場数を踏んでいるぼくも、当初気後れを感じるところはありました。客室内はどんな感じなのか。一度ぐらいは泊まってみたい。
 最初のライヴは17時半開演と、ハンパな開始時間。ゴージャスなノリを味わった後は、日本橋の方に散歩。片側にCOREDO○○という三井系の飲食・物販ビルが立ち並んでいる。マンダリン・ホテルも三井のタワー・ビルディングに入っているし、ここらあたりは三井の街であるのか。
 当の日本橋は思っていたよりも川幅が広く立派。できて100年以上たつそうで、妙な装飾オブジェがつけられていたりもする。その発想は、三越劇場のそれと同じ? なるほど、ちょい観光地ぽい感じがある。片側には観光案内所もあった。橋、もとい川の上には、オリンピック開催に合わせて作られた首都高速道路が走り、道路の高さが低く作られていて、思っていた以上に閉塞感を与える。もう少し、上を走らせることは考えなかったのか? コドモのころに親と来たことがあったような気もするが、景観や雰囲気の損なわれ具合は想像以上。よほどテンパっていたか、イケイケどんどんでオリンピックの名のもとやりたい放題だったのか。東京きってのモニュメンタル景勝地を滅茶苦茶にしちゃってはまずいという意見は、さすがに出たでしょ?
 そして、そんな東京の歴史を感じさせる場所に立ち、これからの東京や日本はどうなって行くのかと思いは向かずにいられなかった。今のドラスティックな政治状況の変化を前にすると、そうなってしまう。しかし、ほんとびっくりだ。
 5年前まで政権を得ていた党がいくらダメダメでもまさか、できたばかりの小政党に身売りしちゃうとは誰が考えようか? 不埒な人間なのでえ〜ってな話も受け入れちゃう方とは思うが、ありゃ信じられん。次の選挙を見て当選確率を強いものとしたい人たちは党はそのままに結託して出ればいいだけの話で、前野誠司もエグいよなあ、彼の意向に党の総会で一任となってしまったという話も信じられない。民主党時代から“第二自民党”とか言っていたぼくであり、ここのところは選挙で入れてはいないものの、社会党の流れをくむ民進党には多少なりの思いはある。
 今後、どうなるかは分からないが、当面の動向としてはっきりしているのは、保守対革新の二大政党制なぞとは夢の夢であり、非リベラル右寄り保守の二つの政党が日本を牛耳るようになるということ。小池百合子の脱原発だって、どこまで本気か分からない。今回のカゲキな動きは、今や戦後一番薄汚い宰相という評価を強いものとしている安倍晋三の私利私欲衆議院解散がなかったら、起こらなかったはず。そして、二人の女性政治家がその鍵の人物になったというのは、時代なのか。山尾志桜里のスキャンダルで民進党がボロボロになったことが安倍の今ならばという暴挙を後押ししただろうし、小池の希望の党の党首就任はもう少し後になったはずだし、前原は情けなく民進党を率いただろう。
 しかし、山尾については、40歳を過ぎても年下の男とチャラチャラして素敵という同性の声は上がったりしていないのか。そっちの方面で、希望の星ではないの? 品川プリンスという庶民的なホテルではなく、マンダリン・オリエンタルを密会場所に使った方が、相手の男だってお金はそれなりに持っているんだろうし、スマートであったと思いますが。
 三越劇場のライヴが終わった後、東京駅近くのコットンクラブには歩いて向かう。乗り換えなけらばならない地下鉄を使うよりその方が早いとの、メトロ駅員の進言に従った。なるほど、15分ほどで“三菱村”と言われる丸の内に着いた。

 昨年6月にモントリーオール・ジャズ祭で、上原ひろみ(2004年11月25日、2005年7月31日、2006年9月3日、2009年9月4日、2010年12月3日、2011年9月3日、2011年9月9日、2011年12月11日、2012年7月25日、2012年12月9日、2014年9月6日、2014年9月7日、2016年9月4日、2016年9月15日、2016年11月16日、2017年5月7日)とコロンビア人ハープ奏者のエドマール・カスタネーダ(2014年1月12日)は前後して同じステージに出演。上原が彼の演奏を見初めて、その3週間後にはブルーノート・ニューヨークに帯出演した上原のショウで共演し、今年はずっと一緒にツアーしているお二人のショーケース・ライヴ。銀座・王子ホール。

 物理的に地に足をつけた、横に置くか縦に置くかの違いはあるものの、似たような形をした楽器を忌憚なく会話させる。上原の出たばかりの新作はこの6月下旬にデュオ・ツアーの一環にあったモントリオール・ジャズ・フェスティヴァルで録られたライヴ・アルバムだが、そこに溢れる音楽のする喜び、それを共有できる僥倖を“ネイキッド”な形で収められていたそれを、また新たな輝きを介して届ける。カスタネーダが書いた「ジャコ」という比較的グルーヴを抱えた曲で、上原はプリペアド・ピアノにてソロをとった。エドマールの演奏音から感化されてそうしたんだろうけど、そんな奏法を取った彼女には初めて接する。

 とにもかくにも、本当に二人は仲が良さそう。ジャズ・ジャパン誌のディスク・レヴューでぼくはカスタネーダのことを“ハープ版上原”と記したが、本当に二人の様は兄妹みたいだ。出会いからツアー/レコーディングのことまでを語ったインタヴューは http://www.cdjournal.com/main/cdjpush/uehara-hiromi/1000001339 で読めます。二人は、この11月にちゃんと日本ツアーを行う。

▶過去の、上原ひろみ
http://43142.diarynote.jp/200411292356580000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050731
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000/
http://43142.diarynote.jp/200909120647256771/
http://43142.diarynote.jp/?day=20101203
http://43142.diarynote.jp/201109121452527893/
http://43142.diarynote.jp/201109151818437240/
http://43142.diarynote.jp/201112191449196187/
http://43142.diarynote.jp/201207310933428147/
http://43142.diarynote.jp/201212140959573710/
http://43142.diarynote.jp/201409100929108025/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201609201052518160/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160915
http://43142.diarynote.jp/201611171021419374/
▶︎過去の、エドマール・カスタネーダ
http://43142.diarynote.jp/201401171004104264/

 その後は、南青山・ブルーノート東京で、テキサス州フォートワース出身トランペッター/フリューゲルホーン奏者であるロイ・ハーグローヴ(2003年2月18日、2003年9月21日、2004年12月2日、2007年9月10日、2008年9月16日、2009年6月24日、2011年2月22日、2012年3月23日、2013年2月26日、2014年2月19日、2016年1月27日、2017年3月2日)のジャズ道を極める傍、長年のソウル/ファンク愛好の様を素直に出さんとするフュージョン・バンドであるR.H.ファクター(2013年2月26日 )を見る。

 ロイ・ハーグローヴに加え、ヴォーカルの(中央に出てきて歌う際以外も、キーボードの前に座りそれを弾いた)ルネー・ヌーヴィル(2013年2月26日)、キーボードのボビー・スパークス(2007年12月13日、2012年12月5日、2016年1月25日、2016年10月11日、2017年4月18日)、同じくキーボードのブライアン・ハーグローヴ(兄弟と、ロイ・ハーグローブから紹介された)、アルト・サックスのブルース・ウィリアムズ、テナー・サックスのキース・アンダーソ、ギターのトッド・パースノウ(彼のみ、白人。若いときのディッキー・ベッツ〜2013年6月27日〜みたいな風貌だった)、ベルギー在住のベーシストのレジー・ワシントン(2003年9月21日、2010年10月12日、2016年6月11日、2017年4月29日)、ジェイソン "JT" トーマス(2010年6月17日、2017年4月18日)という面々。皆、腕はたつ。不毛な比較だが、一昨日のテラス・マーティン公演の陣容と比較するなら、やはりLAよりNYの方がプレイヤーの層は厚いとも思わされる。

 当初はインスト主体(ハーグローヴは一部、トランペットに電気エフェクトもかけた)でグツグツ進み、その後ヌーヴィル(実は男性陣は皆1970センチ以下の身長と思われ、ヒールがあったとはいえ、彼女の背が一番高かった。しかし、彼女がかつて在籍した前米1位曲も持つ3人組の女性ヴォーカル・グループのジャネイのもう一人のシンガーであったジーン・ベイラー〜2007年12月13日〜もジャズ側とつががる形で現役だし、いい人材が揃っていたのだな)のキーボード・ピアノ弾き語りから、彼女の歌をフィーチャーするパートに入る。その際、ロイ・ハーヴローヴは彼女がいたキーボードの前に座りコードを抑えもしたのだが、その一方で彼はフリューゲルホーンを手に取る。おおお。ソウル/ファンク側においるハーヴローグ最大の功績はディアンジェロ(2015年8月18日)の2000年作『ヴードゥ』においてベールのごときメロウな菅音作りを担ったことにあるのだが、あの同作を見事に引き立てたホーン音はフューゲルホーンの音主体で作られたのか! そう思わせるものがあって、ぼくはほのかに感動。Dの2014年発の次作『ブラック・メサイア』も結局、『ヴードゥ』の先進性や黒さは超えられなかったわけで(でも、いい作品と思います)、今でもあの突出的名盤『ヴィードゥ』のカラオケをちゃんと再現したらこの手のライヴではピカ1無敵だよなと、ぼくは思ってしまった。

 ヌーヴィルさんフィーチャー部の後は、ロイさんもやっぱし歌うのが好きなんですねえという、怒涛の娯楽パートに突入。「ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ」(何気に、メンバーたちは効果的にハモっていた)と「ギヴ・アップ・ザ・ファンク」のP-ファンク(2002年7月28日、2009年9月5日、2011年1月22日、2013年4月12日、2015年4月12日、2016年11月29日)曲2連発にはアガった。

 視野の広い、呑気な(新しい視点は加味されていない)カヴァー・バンドと言えなくもなく、過剰に評価するものでもないが、質はあったし、楽しかった。満足感をたっぷり得ました。

▶過去の、ロイ・ハーグローヴ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-2.htm 18日、ディレクションズ・イン・ミュージック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm 21日
http://43142.diarynote.jp/200412111742300000/
http://43142.diarynote.jp/200709171108570000/
http://43142.diarynote.jp/200809171409066704/
http://43142.diarynote.jp/200906300951327850/
http://43142.diarynote.jp/201102240921561671/
http://43142.diarynote.jp/201203260806527228/
http://43142.diarynote.jp/201302281048405875/ R.H.ファクター
http://43142.diarynote.jp/201402201343247604/
http://43142.diarynote.jp/201601301016081732/
http://43142.diarynote.jp/201703081443314613/
▶︎過去のルネ・ヌーヴィル
http://43142.diarynote.jp/201302281048405875/
▶過去の、ボビー・スパークス
http://43142.diarynote.jp/?day=20071213
http://43142.diarynote.jp/?day=20121205
http://43142.diarynote.jp/201601260728484520/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161011
http://43142.diarynote.jp/201704200801169451/
▶︎過去の、ディッキー・ベッツ
http://43142.diarynote.jp/201306281331578950/
▶︎過去の、レジー・ワシントン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm R.H.ファクター
http://43142.diarynote.jp/201010191156412288/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160611
http://43142.diarynote.jp/?day=20170429
▶︎過去の、ジェイソン”J.T.”トーマス
http://43142.diarynote.jp/201006181524353169/
http://43142.diarynote.jp/?day=20170418
▶︎過去の、ディアンジェロ
http://43142.diarynote.jp/201508200741137207/
▶︎過去の、ジーン・ベイラー
http://43142.diarynote.jp/?day=20071213

<今日の、名曲と注目作>
 昨年のハーフローヴ・クインテット公演でも披露していたハービ・ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日、2014年9月7日、2015年9月6日、2016年9月3日)のヘッド・ハンターズの「アクチュアル・プルーフ」もわりと素直に彼はやった。この1974年曲はハンコック1973年曲「バタフライ」と並ぶ魅力的なモワモワを含む美曲だが、ロバート・グラスパー(2007年10月3日、2009年4月13日、2009年12月19日2010年12月16日、2012年6月12日、2013年1月25日、2014年8月20日、2015年6月8日、2016年12月20日、2017年6月5日)、クリス・デイヴ(2009年4月13日、2009年12月19日 、2010年12月16日、2012年9月21日、2013年9月28日、2015年8月18日、2016年1月25日、2016年10月11日)、マルチン・ボスレフスキ・トリオ(2015年9月24日、ハーヴィー・メイソン(2002年8月11日、2010年7月9日、2011年6月21日、2014年5月28日、2016年4月5日、2017年9月1日)などが来日公演で披露していて、本当に人気ですね。
 話は飛ぶが、在NYのトランペッターのキーヨン・ハロルド(2014年1月10日、2016年1月25日、2016年12月31日)の8年ぶりとなる新作『ミュジシャン』(オーケイ/ソニー)のジャズからR&Bやヒップホップまでが渾然一体となった内容がグっとくる。そこには、ジェイムス・ポイザー(cf.ザ・ソウル・クェリアンズ)もグラスパーもクリス・デイヴも入っている。
▶過去の、ハービー・ハンコック
http://43142.diarynote.jp/200405101355540000/
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903
▶過去の、ロバート・グラスパー
http://43142.diarynote.jp/200710121727100000/
http://43142.diarynote.jp/200904150840164356/
http://43142.diarynote.jp/201001051625155901/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/201206141342549869/
http://43142.diarynote.jp/201301270742196778/
http://43142.diarynote.jp/201408210931581467/
http://43142.diarynote.jp/201506070919133558/
http://43142.diarynote.jp/201506091124003170/
http://43142.diarynote.jp/201612211059578863/
http://43142.diarynote.jp/201706061756141899/
▶過去の、クリス・デイヴ
http://43142.diarynote.jp/200904150840164356/
http://43142.diarynote.jp/201001051625155901/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120921
http://43142.diarynote.jp/?day=20130928
http://43142.diarynote.jp/201601260728484520/
http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/
▶マルチン・︎ボシレフスキ・トリオ
http://43142.diarynote.jp/201509250943244179/
▶過去の、ハーヴィー・メイソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-8.htm 8月11日、トム・スコット
http://43142.diarynote.jp/201007110625087085/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110621
http://43142.diarynote.jp/?day=20140528
http://43142.diarynote.jp/201604060850393487/
http://43142.diarynote.jp/201709071307037021/
▶過去の、キーヨン・ハロルド
http://43142.diarynote.jp/201401161534392423/
http://43142.diarynote.jp/201601260728484520/

 ギターとフルートと歌のアレシャンドリ・アンドレスとグランド・ピアノとキーボードと歌を披露するハファエル・マルチニ(彼の方が、少し年長なか感じがあったか)、今の伯剌西爾ミナスの瀟洒な魅惑を伝える二人の公演。渋谷・WWW。これが、日本ツアーの最終公演であるという。

 アンドレ・メマーリ(2013年11月30日)やアントニオ・ロウレイロ(2013年8月29日、2013年9月6日、2017年4月15日)らも関与したアンドレスの『マカシェイラ・フィールズ』(もう、5年ほどたつかな?)を聞いた際は本当にびっくり。清新な南米ポップ・ミュージックの扉を開けてしまったという感慨は、当時耳にする機会が増えたアルゼンチンの広角型ポップに対する親近感とあいまって相当なものがあった。そして、そういう思いにとらわれた聞き手は少なくなかったのだろう、場内にはインティメイト&ワクワクという感じの気分に満ちていた。

 ポップス、クラシック、ジャズを等間隔に見たような、またインストとヴォーカル表現が抱える妙の間を行き来するような、いろんな重なり方のデュオのパフォーマンスが粛々と進められる。その様、ゆったりと湧き出る泉のよう。めくるめく弦音や菅音のサウンド込みでアンドレスの表現に親しんできたがゆえに二人だけの音であると一抹の歯がゆさは感じてしまうが、でも情と潤いのある質の高いやりとりがそこにはあった。

 リズムにしろアンサンブルにしろ、滅茶凝ったことをやっているに、聴感はなめらか、優美きわまりないのは驚異的。それ、二人の技量の高さと表現の精査の度合いを示すものだろう。完全に耳がオトナになりきれていない意地悪でもあるぼくは全面的にキレイ綺麗すぎなそれに接し、どこかで彼らの野卑だったり汚かったりする負の部分も生の場においては出してくれたら面白いのにと、心の片隅で思ってはしまったけど。でも、そんなことを越えたところに開花している洗練を評価するべきなのは間違いない。

▶︎過去の、アンドレ・メマーリ
http://43142.diarynote.jp/201312051627467488/
▶過去の、アントニオ・ロウレイロ
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/201704170805443358/

<今日の、ヒソヒソ話>
 会場入りすると、同業先輩でミュージシャンで作家(「ヘッドフォン・ガール」)でもあるT橋K太郎さんがいる。あれ、顎ヒゲを生やしているじゃないか。30年強の付き合いで、そんな彼は初めてだ。
「あれ、健T郎さん、ヒゲ伸ばしているの?」
「60過ぎると衰えることばかりだけど、ヒゲだけが別なの。頭は薄くなってきても、ヒゲは今も濃くなっている」
 ようは、唯一の成長部分を愛でようとしているらしい。
 そういえば、やはり長年ヒゲを伸ばすことがなかった、ミュージシャンであり同業先輩でもあり、やはり作家(「ロメオ塾」、他)でもあるN川G郎さん(1週間前のヴィアネの公演で久しぶりに会ったな)もここ1年ほど(?)はヒゲを伸ばしている。まさか、同じ理由ではあるまい。
 五Rさんは25年ほど前にほんの一時期、濃いとは言えないヒゲを伸ばしたことがあった。それは、大学を出て間もないオーストラリア人の可愛いNちゃんに、「男らしい人が好き」と言われて、男らしさをアピールするためだった。あの人は意外に単純、いや純粋なところがある。その少し後、ぼくが出張でロンドンに行った際、メン・アット・ワークを老舗のロニー・スコッツで見る機会(英エピックの業界向け企画だった)があって行ったら、そこにNちゃんがいた。やあ。終演後、「私、ロンドン・ブリッジを見に行きたいな」と、彼女はぼくにのたまう。その晩、二人でテムズ川に行ったりとかしたのは、純粋なG郎さんには言っていない。

 今のソウル感覚の何かを得るには適であるだろう、LAからやってきた出演者を2組見る。両者は、ケンドリック・ラマー作に参加して再脚光を浴びた女性ラッパーのラプソディの好作『Laila’s Wisdom』(Rapsody,2017)に関与していますね。とくに、マーティンの方はたっぷりと。

 最初に、西海岸の洗練ソウル・ユニット(2016年7月22日)を見る。リード・ヴォーカルを取りときにテナー・サックスやフルートを吹くアンバー・ナヴラン、キーボードとアルト・サックスのマックス・ブリク、キーボードとトランペットのアンドリス・マットソンの白人3人はもちろん、サポートで入る在LAのアフリカ系カナダ人ドラマーであるイーファ・エトローマJr.も昨年来日時と同じ。4人は日本の後は、欧州ツアーに回る。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 まず、照明が綺麗だなと思う。もう、それだけで、おおプロとして前進しているなあという気になっちゃう。って、それについて本人たちはあまり預かり知らぬ所で、ハコのスタッフの力量かもしれないが。でも、それは育ちの良さそうな彼女たちのどこか思慮深い振る舞いを一歩前に出す一助になっていたと思う。

 だが、実際の彼女たちのパフォーマンス自体ももうひとつ線が太くなり、はっきりとした像を結ぶようになっていたのは間違いない。そして、ああ今旬とも言えるソウル流儀にあるしなやかアダルト・ポップを受けているという気持ちになれるのだ。彼女たち、エリカ・バドゥ(2000年11月19日、2006年4月2日。2012年3月2日)の曲もやった?  また、アンコール曲はドラマーなしの3人でやったが、それはスタンダード・ソング的な普遍性を抱えていた。おもしろいことに、男性陣は同じキーボードを使用。その方がツアー中とか、何かと楽なのかもしれない。機種をチェックしようと思っていたら、退出時には忘れちゃった。

▶︎過去の、ムーンチャイルド
http://43142.diarynote.jp/201607251308054775/
▶過去の、エリカ・バドゥ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120302

 その後は、プロデューサー/サウンド・クリエイターとして売れっ子のテラス・マーティン(2016年6月2日、2016年9月3日)の昨年に続く公演を見る。おお、前回のリーダー公演より編成が大きくなってるじゃないか! 六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。

 アルト・サックスとキーボードとヴォコーダーのテラス・マーティン、キーボードのキーファー・ジョン・シャックルフォード(彼のみ、非アフリカ系) 、ギターのマーロン・ウィリアムズ、ベースはブランドン・オーウェンズ(2016年6月2日) 、ドラムはトレヴァー・ローレンス(2012年3月3日、2016年9月3日)という面々の演奏を軸にショウは進み、そこに二人の女性シンガーや、終盤の方はテナー・サックス奏者や男性ラッパーも加わる。また、最後には日本人アルト・サックス奏者のユッコ・ミラーも出て行きた。

 ほ〜お、初来日でもあった昨年6月のリーダー公演とは押し出しが違う。本人自身がもっと自信満々で、やりやいようにことに当たっているのがよくわかる。そのマーティンのアルト・サックス演奏もヴォコーダー扱いもいいじゃんとぼくは感じた。ここで披露するサウンドの基本にあるのはソウル・フュージョンだが、その陳腐な開示に留まらず、米国黒人音楽の総体を俯瞰している、マーティンは笑顔とともに同胞が作り出してきた財産を愛でている、と感じさせるのがよろしい。実はその演奏時間は軽く90分を超えていた(当初、75分の予定であったという)が、もう彼はごんごんショウを司っていたよなあ。話も長いのをじゃんじゃんし、(ゴスペルの直接的咀嚼はないものの。そして、言っていることはとても他愛ないものながら)その様はプリーチャーのようでもあった。とか、感じさせるところにもまた、彼のショウはアフリカン・アメリカン音楽/文化の肝をちゃんと掴んでいたということなのだろう。

▶過去の、︎テラス・マーティン
http://43142.diarynote.jp/201606121215168031/
http://43142.diarynote.jp/201609201032322395/
▶︎過去の、ブランドン・オーウェンズ
http://43142.diarynote.jp/201606121215168031/
▶︎過去の、トレヴァー・ローレンス
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/ ハービー・ハンコック
http://43142.diarynote.jp/201609201032322395/ ハービー・ハンコック

<今日は、快適>
 ライヴとライヴの間に時間が思いのほかあったので、マーティン公演の前にミッドタウンのテラスで白ワインをハムやチーズをつまみつつがぶ飲み。気持ちい〜い。これを快適にできるのも、そろそろ最後かな。夏服と冬服の入れ替えは、まだまだ当分先のような気もするが。
 ところで、昨年から喧伝され(一緒に来日公演も東京ジャズでやった)、テラス・マーティン制作のハービー・ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日、2014年9月7日、2015年9月6日、2016年9月3日)の新作はどうなったのか? 
▶過去の、ハービー・ハンコック
http://43142.diarynote.jp/200405101355540000/
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
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