渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日)の今回の公演はなんとピアノレスで、ギターを擁するカルテットによるもの。これは珍しい。というか、ぼくはそういう編成での渡辺貞夫の実演を見た記憶はない。MCによれば、御大がギターのギラッド・ヘクセルマンのアルバムを聞いて気に入ってしまったという至極まっとうな理由から、この編成になったようだ。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
そのイスラエル出身のギラッド・ヘクセルマン(2012年3月12日)に加え、ベン・ウィリアムズ(2009年5月18日、2009年9月3日、2010年5月30日、2012年3月3日、2012年5月28日、2013年4月1日、2013年5月21日、2015年1月22日、2015年12月12日)、ユリシス・オーエンズJr.(2015年9月5日)という昨年同時期の渡辺貞夫のライヴに参加したリズム・セクションが加わる。
今回の貞夫さんはギタリスト付きという新鮮な編成ゆえに颯爽とし、何より当のヘクセルマンが思惑通りの腕の立ち具合でご機嫌になっているというのを伝え聞いたりしていたため、最初からヘクセルマンの弾き口に興味は向かった。そしたら、なるほどこれはいい奏者だとすぐに実感。大枠としては今の響き系ジャズ・ギタリストに入るわけだが、これがその清新さの奥にある歌心のありかにちと驚く。1週間前に見た(同じくサイド・マンとして入っていた)カート・ローゼンウィンケルよりはるかに僕はドキドキできた。
そのギター音の選び方、分散のさせ方が個性的でスタイリッシュ。もう、音を追うと面白くてしょうがない。上質なギター奏者のギター演奏というより、彼の場合は秀でた絵描きが滅茶上手なギターを弾いているとも、ぼくは飛躍して説明したくなる。しかし、リーダー作を何作も出しているわりには(彼、ずっとドラマーはマーカス・ギルモア〜2007年11月21日、2010年7月24日、2010年8月22日、2014年5月15日、2014年6月19日、2014年6月20日、2015年4月7日〜を雇っている。近2作は仏ジャズ・ヴィレッジ発)、サイド・マン参加はそれほど多くなく(一番有名なのは、エスペランサ〜2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日、2011年2月17日、2012年3月7日、2012年9月9日、2015年9月5日、2016年5月31日〜の『ラジオ・ミュージック・ソサエティ』だ)、性格に難ありなのかと思ったら、なかなかに好青年ぽくありゃりゃ。
と、今回の渡辺貞夫公演の価値の半分は彼が握っていたと言っても過言ではない出し物。渡辺貞夫のブロウに関しては、ぼくが見たショウについては少し不調かなと感じた。それは、音色とソロの発展性の部分において、そういう所感を持った。ともあれ、ヘクセルマンが入ったものだったら、今本人も封印している「マイ・ディア・ライフ」も聞いてみたい(どんな素敵な感じになるだろうか?)。あと、ヘクセルマンの弾くレディオヘッド(2001年10月4日、2004年4月18日、2008年10月4日)曲集を聞きたい、とも唐突に思った。
▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
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http://43142.diarynote.jp/200907310048137248/
http://43142.diarynote.jp/200909120646397236/
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http://43142.diarynote.jp/201412281017371613/
http://43142.diarynote.jp/201512151504068292/
▶︎過去の、ギラッド・ヘクセルマン
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
▶過去の、ベン・ウィリアムズ
http://43142.diarynote.jp/200905191118258984/
http://43142.diarynote.jp/200909120646397236/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100530
http://43142.diarynote.jp/?day=20120303
http://43142.diarynote.jp/201205301445023004/
http://43142.diarynote.jp/201304031026406106/
http://43142.diarynote.jp/201305260927026044/
http://43142.diarynote.jp/201501230914317086/
▶︎過去の、ユリシス・オーエンスJr.
http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
▶過去の、マーカス・ギルモア
http://43142.diarynote.jp/200711290930350000/
http://43142.diarynote.jp/201007261045442770/
http://43142.diarynote.jp/201008261620103318/
http://43142.diarynote.jp/201405171309186867/
http://43142.diarynote.jp/201406201008164250/
http://43142.diarynote.jp/201406210910441716/
http://43142.diarynote.jp/201504081451142675/
▶過去の、エスペランサ・スポルディング
http://43142.diarynote.jp/200809071430380000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20081201
http://43142.diarynote.jp/?day=20100904
http://43142.diarynote.jp/201102190814495504/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120307
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
http://43142.diarynote.jp/201606101027587993/
▶過去の、レディオヘッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200404180058130000/
http://43142.diarynote.jp/200810061856366600/
<今日の、短冊>
ブルーノート東京の 受け付け界の中央に、七夕の笹飾りが置かれている。そして、そこには出演者たちが短冊にコメントを書いたものが多数吊るされている。英語だと変、妙な趣もあるか。
そのイスラエル出身のギラッド・ヘクセルマン(2012年3月12日)に加え、ベン・ウィリアムズ(2009年5月18日、2009年9月3日、2010年5月30日、2012年3月3日、2012年5月28日、2013年4月1日、2013年5月21日、2015年1月22日、2015年12月12日)、ユリシス・オーエンズJr.(2015年9月5日)という昨年同時期の渡辺貞夫のライヴに参加したリズム・セクションが加わる。
今回の貞夫さんはギタリスト付きという新鮮な編成ゆえに颯爽とし、何より当のヘクセルマンが思惑通りの腕の立ち具合でご機嫌になっているというのを伝え聞いたりしていたため、最初からヘクセルマンの弾き口に興味は向かった。そしたら、なるほどこれはいい奏者だとすぐに実感。大枠としては今の響き系ジャズ・ギタリストに入るわけだが、これがその清新さの奥にある歌心のありかにちと驚く。1週間前に見た(同じくサイド・マンとして入っていた)カート・ローゼンウィンケルよりはるかに僕はドキドキできた。
そのギター音の選び方、分散のさせ方が個性的でスタイリッシュ。もう、音を追うと面白くてしょうがない。上質なギター奏者のギター演奏というより、彼の場合は秀でた絵描きが滅茶上手なギターを弾いているとも、ぼくは飛躍して説明したくなる。しかし、リーダー作を何作も出しているわりには(彼、ずっとドラマーはマーカス・ギルモア〜2007年11月21日、2010年7月24日、2010年8月22日、2014年5月15日、2014年6月19日、2014年6月20日、2015年4月7日〜を雇っている。近2作は仏ジャズ・ヴィレッジ発)、サイド・マン参加はそれほど多くなく(一番有名なのは、エスペランサ〜2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日、2011年2月17日、2012年3月7日、2012年9月9日、2015年9月5日、2016年5月31日〜の『ラジオ・ミュージック・ソサエティ』だ)、性格に難ありなのかと思ったら、なかなかに好青年ぽくありゃりゃ。
と、今回の渡辺貞夫公演の価値の半分は彼が握っていたと言っても過言ではない出し物。渡辺貞夫のブロウに関しては、ぼくが見たショウについては少し不調かなと感じた。それは、音色とソロの発展性の部分において、そういう所感を持った。ともあれ、ヘクセルマンが入ったものだったら、今本人も封印している「マイ・ディア・ライフ」も聞いてみたい(どんな素敵な感じになるだろうか?)。あと、ヘクセルマンの弾くレディオヘッド(2001年10月4日、2004年4月18日、2008年10月4日)曲集を聞きたい、とも唐突に思った。
▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
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▶︎過去の、ギラッド・ヘクセルマン
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▶過去の、ベン・ウィリアムズ
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▶︎過去の、ユリシス・オーエンスJr.
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▶過去の、マーカス・ギルモア
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▶過去の、エスペランサ・スポルディング
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http://43142.diarynote.jp/201606101027587993/
▶過去の、レディオヘッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
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http://43142.diarynote.jp/200810061856366600/
<今日の、短冊>
ブルーノート東京の 受け付け界の中央に、七夕の笹飾りが置かれている。そして、そこには出演者たちが短冊にコメントを書いたものが多数吊るされている。英語だと変、妙な趣もあるか。
ファビアン・アルマザン・トリオ。エディ・リーダー
2016年7月6日 音楽 アルザマンは1984年キューバ生まれ、フロリダ州マイアミ育ちのジャズ・ピアニスト(2013年8月18日)。2010年代に入った頃から、NY現代ジャズの最たる主たるテレンス・ブランチャード(2005年8月21日、2009年3月26日、2013年8月18日)のグループに起用され、注視される存在となった。
これまで出したアルバムは、2枚。ともにリズム・セクションはマレーシア出身の女性コントラバス奏者のリンダー・オーとプエルトリコ人ドラマーのヘンリー・コール(2011年11月25日、2014年4月16日)を起用するとともに、両盤ともにストリングス・カルテットを起用。特に、2作目のアーティストシェア経由の2014年ブルーノート盤『Rhizome』は全面的に弦カルテットの波を前に出した魅惑の一作で、彼が映画音楽に進んでいるのも納得できる仕上がりとなっている。
今回、予算的にもストリングス・カルテットを連れてくるのは無理だろうが、リズム・セクションも過去のアルバムでは関わりのなかった人たちを同行させる。で、それが現NYジャズ界からトム・ヨーク((2001年10月4日、2004年4月18日、2008年10月4日)的味を持つシンガーとして引っ張りだこのベーシストのアラン・ハンプトン(2014年8月7日)とタブラ演奏取り込み派として知られるドラマーのダン・ワイス(持ってきていたらしいが、この晩はタブラを用いず)。また妙な人選をしてきたなーという感じではあったが、結果的にはこの編成は成功とは言えず。あまり、有機的なインタープレイがなかった。
だが、それ以上にアルザマンの演奏にそれほど閃きが存在しなかったのはいささか謎。時々クラシック調の調べを入れたというのはともかく(基本そういうこと、ぼくは嫌い)、ぼくの彼に対する評価の高さを逆説的にライヴに接しながら、ぶりぶり感じてしまったなー。1曲、少しくだけてキューバ曲もやり、アンコールは少し純度が高くなるピアノ・ソロを披露した。ぼくは次回の来日ももちろん見たいと思う。いかにもケンカが弱そうなアルマザン君、ぼくを驚かしてくれることを期待する。
なお、アルマザンのワーキング・バンドのリンダ・オーは現在、パット・メセニー1999年12月15日、2002年9月19日、2010年6月12日、2012年1月25日、2012年3月3日、2013年5月21日、2015年9月27日)のグループに入ってしまっている。だから、来ることができないのかと思えば、今メセニーはなぜかロン・カーター(2001年6月7日、2004年1月14日、2010年5月6日、2011年1月30日、2012年3月3日、2012年12月11日、2014年1月19日、2014年9月7日)とデュオでツアー中。そして、そのデュオが東京ジャズではクリスチャン・マクブライト(2000年11月1日、2006年9月17日、2007年12月18日、2009年8月30日、2012年9月8日、2014年9月7日)とのものになり、それを終えると、リンダ・オーたちを擁するグループで来年にかけてツアーに出る。
▶︎過去の、ファビアン・アルマザン
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
▶過去の、テレンス・ブランチャード
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
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http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
▶︎過去の、アラン・ハンプトン
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▶過去の、トム・ヨーク/レディオヘッド
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▶︎過去の、ヘンリー・コール
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▶過去の、パット・メセニー
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▶過去の、ロン・カーター
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▶過去の、クリスチャン・マクブライド
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その後は、元フェアグランド・アトラクション(今、このヒット・バンドの名を出すことがどのぐらい有効なのだろうか。とはいえ、ファンの多くはその頃から聞いている人であるとも思えるが)で名を成したスコティッシュ歌手であるエディ・リーダーを(2002年3月20日、2009年9月10日、2013年3月29日)見る。六本木・ビルボードライブ東京。ギター、ピアノ、アコーディオン、ギター2、ウッド・ベース、ドラムというバンドがつく。ギターの1人は1曲自ら歌うば面を与えられたブー・ヒューワディーン(1999年6月8日、他)であり、もう1人の方(ウクレレもけっこう弾く)は旦那のトラッシュキャン・シナトラズ(2009年7月25日)のジョン・ダグラスだ。
イングランドでもアイルランドでもない、スコットランドの大人のアコースティック・ポップ・ロック表現を臨機応変にいろいろと届ける。やはり、彼女の歌は秀でた味を持つよな。そして、気心の知れたミュージシャンたちに囲まれて、リーダーさん、生理的に弾けていた。もともとそういう奔放さが前に出るステージ運びを見せていたが、今回はより天真爛漫というか、自分の襞を無防備に出すというか。それ、初めて見る人だと楽屋落ち的な身内感を覚えて違和感を感じるかもしれないが、ファンだとそれに接しないと彼女のショウを見た気にならないという気持ちになるか。また、そうしたフレンドリーなはっちゃけ具合は日本人奏者を屈託なくステージに呼び込むことでも示される。ぼくが見たショウではウクレレを持った青年が出た。その際のバンドの面々の態度もファミリアないい人たちな所がおおいに出る。
彼女の体裁を繕わない生理としてのイケイケは、ジャズで言うところのクォテーションのようなものを鼻歌キブン思うまましちゃうあたりにも現れる。ある曲のエンディングでは日本の童謡の「うさぎ」やサッチモの「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」もちょい歌ったり。また、歌が上手だったけどシャイだっとお母さんの真似ということで、「ムーン・リヴァー」を歌った。
▶︎過去の、エディ・リーダー
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▶︎過去の、ブー・ヒューワディーン
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▶︎過去の、トラッシュキャン・シナトラズ
http://43142.diarynote.jp/200908180045212538/
<今日の、飲み物>
レッドブルは効きますよ。と、言う人と、なぜかこの2週ほどの間に3人(20〜50代)も会った。オロナミンCみたいなものとしか思えず(実際、タイの飲料を元に、オロナミンCも研究したという話を聞いたことがあるような)、ぼくは気休め飲み物でしかないと思っていた。が、その3人の方々は、他の栄養ドリンクとは全然効き目が違うと、まるでメイカーの宣伝員のようなことを真顔でのたまう。そのうち、もう一度試してみようか。しかし、スポーツ関連をはじめいろんなことにお金を出していて、利益率はとっても高いんだろうな。というのはともかく、同社は世界的に一番有名なオーストリアの企業ということになるだろう。
これまで出したアルバムは、2枚。ともにリズム・セクションはマレーシア出身の女性コントラバス奏者のリンダー・オーとプエルトリコ人ドラマーのヘンリー・コール(2011年11月25日、2014年4月16日)を起用するとともに、両盤ともにストリングス・カルテットを起用。特に、2作目のアーティストシェア経由の2014年ブルーノート盤『Rhizome』は全面的に弦カルテットの波を前に出した魅惑の一作で、彼が映画音楽に進んでいるのも納得できる仕上がりとなっている。
今回、予算的にもストリングス・カルテットを連れてくるのは無理だろうが、リズム・セクションも過去のアルバムでは関わりのなかった人たちを同行させる。で、それが現NYジャズ界からトム・ヨーク((2001年10月4日、2004年4月18日、2008年10月4日)的味を持つシンガーとして引っ張りだこのベーシストのアラン・ハンプトン(2014年8月7日)とタブラ演奏取り込み派として知られるドラマーのダン・ワイス(持ってきていたらしいが、この晩はタブラを用いず)。また妙な人選をしてきたなーという感じではあったが、結果的にはこの編成は成功とは言えず。あまり、有機的なインタープレイがなかった。
だが、それ以上にアルザマンの演奏にそれほど閃きが存在しなかったのはいささか謎。時々クラシック調の調べを入れたというのはともかく(基本そういうこと、ぼくは嫌い)、ぼくの彼に対する評価の高さを逆説的にライヴに接しながら、ぶりぶり感じてしまったなー。1曲、少しくだけてキューバ曲もやり、アンコールは少し純度が高くなるピアノ・ソロを披露した。ぼくは次回の来日ももちろん見たいと思う。いかにもケンカが弱そうなアルマザン君、ぼくを驚かしてくれることを期待する。
なお、アルマザンのワーキング・バンドのリンダ・オーは現在、パット・メセニー1999年12月15日、2002年9月19日、2010年6月12日、2012年1月25日、2012年3月3日、2013年5月21日、2015年9月27日)のグループに入ってしまっている。だから、来ることができないのかと思えば、今メセニーはなぜかロン・カーター(2001年6月7日、2004年1月14日、2010年5月6日、2011年1月30日、2012年3月3日、2012年12月11日、2014年1月19日、2014年9月7日)とデュオでツアー中。そして、そのデュオが東京ジャズではクリスチャン・マクブライト(2000年11月1日、2006年9月17日、2007年12月18日、2009年8月30日、2012年9月8日、2014年9月7日)とのものになり、それを終えると、リンダ・オーたちを擁するグループで来年にかけてツアーに出る。
▶︎過去の、ファビアン・アルマザン
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
▶過去の、テレンス・ブランチャード
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/200903271727246000/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
▶︎過去の、アラン・ハンプトン
http://43142.diarynote.jp/201408091058201133/
▶過去の、トム・ヨーク/レディオヘッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200404180058130000/
http://43142.diarynote.jp/200810061856366600/
▶︎過去の、ヘンリー・コール
http://43142.diarynote.jp/201111281001329390/
http://43142.diarynote.jp/201404191143506158/
▶過去の、パット・メセニー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/201006181520054406/
http://43142.diarynote.jp/201201271245417497/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201305260927026044/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
▶過去の、ロン・カーター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm
http://43142.diarynote.jp/200401140000000000/
http://43142.diarynote.jp/201005071023536171/
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201212141028575543/
http://43142.diarynote.jp/201401221302405299/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
▶過去の、クリスチャン・マクブライド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200609190457510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20071218
http://43142.diarynote.jp/200909120642135954/
http://43142.diarynote.jp/201209191209186663/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
その後は、元フェアグランド・アトラクション(今、このヒット・バンドの名を出すことがどのぐらい有効なのだろうか。とはいえ、ファンの多くはその頃から聞いている人であるとも思えるが)で名を成したスコティッシュ歌手であるエディ・リーダーを(2002年3月20日、2009年9月10日、2013年3月29日)見る。六本木・ビルボードライブ東京。ギター、ピアノ、アコーディオン、ギター2、ウッド・ベース、ドラムというバンドがつく。ギターの1人は1曲自ら歌うば面を与えられたブー・ヒューワディーン(1999年6月8日、他)であり、もう1人の方(ウクレレもけっこう弾く)は旦那のトラッシュキャン・シナトラズ(2009年7月25日)のジョン・ダグラスだ。
イングランドでもアイルランドでもない、スコットランドの大人のアコースティック・ポップ・ロック表現を臨機応変にいろいろと届ける。やはり、彼女の歌は秀でた味を持つよな。そして、気心の知れたミュージシャンたちに囲まれて、リーダーさん、生理的に弾けていた。もともとそういう奔放さが前に出るステージ運びを見せていたが、今回はより天真爛漫というか、自分の襞を無防備に出すというか。それ、初めて見る人だと楽屋落ち的な身内感を覚えて違和感を感じるかもしれないが、ファンだとそれに接しないと彼女のショウを見た気にならないという気持ちになるか。また、そうしたフレンドリーなはっちゃけ具合は日本人奏者を屈託なくステージに呼び込むことでも示される。ぼくが見たショウではウクレレを持った青年が出た。その際のバンドの面々の態度もファミリアないい人たちな所がおおいに出る。
彼女の体裁を繕わない生理としてのイケイケは、ジャズで言うところのクォテーションのようなものを鼻歌キブン思うまましちゃうあたりにも現れる。ある曲のエンディングでは日本の童謡の「うさぎ」やサッチモの「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」もちょい歌ったり。また、歌が上手だったけどシャイだっとお母さんの真似ということで、「ムーン・リヴァー」を歌った。
▶︎過去の、エディ・リーダー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200909120650273142/
http://43142.diarynote.jp/201303300751524201/
▶︎過去の、ブー・ヒューワディーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm
▶︎過去の、トラッシュキャン・シナトラズ
http://43142.diarynote.jp/200908180045212538/
<今日の、飲み物>
レッドブルは効きますよ。と、言う人と、なぜかこの2週ほどの間に3人(20〜50代)も会った。オロナミンCみたいなものとしか思えず(実際、タイの飲料を元に、オロナミンCも研究したという話を聞いたことがあるような)、ぼくは気休め飲み物でしかないと思っていた。が、その3人の方々は、他の栄養ドリンクとは全然効き目が違うと、まるでメイカーの宣伝員のようなことを真顔でのたまう。そのうち、もう一度試してみようか。しかし、スポーツ関連をはじめいろんなことにお金を出していて、利益率はとっても高いんだろうな。というのはともかく、同社は世界的に一番有名なオーストリアの企業ということになるだろう。
アトランティック発1994年のセルフ・タイトルのデビュー作から全米1位曲とグラミー賞獲得曲「アイ・スウェア」を得てスターダムに乗ったLA拠点のR&Bコーラス・グループの公演は、丸の内・コットンクラブにて。ファースト・ショウ。アンプラグドという触れ込みで、サポートはカルヴィン・パーセルというアフリカ系の青年ピアニストが伴奏をつけた。
甘ったれた歌声が印象的なジェイミー・ジョーンズ(2016年2月16日)、本核的な喉を持つデリアス・ケネディ、ベース・ヴォーカル担当のアルフレッド・ネヴァレス、トニー・ボロウィアクの4人組。リード・ヴォーカルを取るジョーンズとケネディ以外の2人は肌が黒くなく驚く。彼らもオリジナル・メンバーなはずで、当初からそういう開かれた編成のグループであったのか。
ソツのないサラッとしたピアノ演奏を受けて、ソウル・コーラスの妙味や魅力を無理なく開く。アンプラグドという設定は正解だったのではないか。2016年新曲というのもやった。そして、途中ではスティーヴィ・ワンダー名曲をずらり並べたメドレーを披露。うわああ、反則と言いたくなるぐらいいいじゃないか。ワンダーの楽曲の素晴らしさもごんごん受け取る。このメドレー時にはネヴァレスとボロゥイアクにもリードのパートが与えられ、パーセルはこの部分のみ、電気キーボードを弾いた。
また、最後はプリンス追悼を込めて、彼の「パープル・レイン」。これも、相当良かった。いやいや、なかなか良い出し物だったんではないでしょうか?
▶︎過去の、ジェイミー・ジョーンズ
http://43142.diarynote.jp/201602181207326029/
<過去の、淡い記憶>
彼らのパフォーマンスに接し、変なことを思い出した。オレ、自分の歌声が入っているCD を持っているゾと……。25年ぐらい前だったか、ソニーの洋楽が宣伝を兼ねて、業界の方々にアカペラ・コーラスのグループを組んで歌いませんか? その会に出た人々のパフォーマンスはCDにします、みたいな企画を出し、ぼくは知人の誘いに乗って参加したのだった。いや、個人で歌った人もいて、我々はアカペラ・コーラスを選択したのか。詳細はとんと覚えていない。それ、マイケル・ボルトンのアルバム発表に際しての企画だったかな? 歌ったのは、ビー・ジーズの曲だったけか? 皆んなで一度自由が丘のスタジオに入って、練習したよな。当日の催しには、はつのだ⭐︎ひろがゲストで来ていたと思う。昔、レコード会社はこういう他愛もないイヴェントを企画したり、販促物をいろいろ作っていた。いちばんデカい販促物としてはトランポリンズというグループ(北欧の人たちだったっけ)がリリースされた時、ぼくは円形のトランポリンをもらったことがある。
甘ったれた歌声が印象的なジェイミー・ジョーンズ(2016年2月16日)、本核的な喉を持つデリアス・ケネディ、ベース・ヴォーカル担当のアルフレッド・ネヴァレス、トニー・ボロウィアクの4人組。リード・ヴォーカルを取るジョーンズとケネディ以外の2人は肌が黒くなく驚く。彼らもオリジナル・メンバーなはずで、当初からそういう開かれた編成のグループであったのか。
ソツのないサラッとしたピアノ演奏を受けて、ソウル・コーラスの妙味や魅力を無理なく開く。アンプラグドという設定は正解だったのではないか。2016年新曲というのもやった。そして、途中ではスティーヴィ・ワンダー名曲をずらり並べたメドレーを披露。うわああ、反則と言いたくなるぐらいいいじゃないか。ワンダーの楽曲の素晴らしさもごんごん受け取る。このメドレー時にはネヴァレスとボロゥイアクにもリードのパートが与えられ、パーセルはこの部分のみ、電気キーボードを弾いた。
また、最後はプリンス追悼を込めて、彼の「パープル・レイン」。これも、相当良かった。いやいや、なかなか良い出し物だったんではないでしょうか?
▶︎過去の、ジェイミー・ジョーンズ
http://43142.diarynote.jp/201602181207326029/
<過去の、淡い記憶>
彼らのパフォーマンスに接し、変なことを思い出した。オレ、自分の歌声が入っているCD を持っているゾと……。25年ぐらい前だったか、ソニーの洋楽が宣伝を兼ねて、業界の方々にアカペラ・コーラスのグループを組んで歌いませんか? その会に出た人々のパフォーマンスはCDにします、みたいな企画を出し、ぼくは知人の誘いに乗って参加したのだった。いや、個人で歌った人もいて、我々はアカペラ・コーラスを選択したのか。詳細はとんと覚えていない。それ、マイケル・ボルトンのアルバム発表に際しての企画だったかな? 歌ったのは、ビー・ジーズの曲だったけか? 皆んなで一度自由が丘のスタジオに入って、練習したよな。当日の催しには、はつのだ⭐︎ひろがゲストで来ていたと思う。昔、レコード会社はこういう他愛もないイヴェントを企画したり、販促物をいろいろ作っていた。いちばんデカい販促物としてはトランポリンズというグループ(北欧の人たちだったっけ)がリリースされた時、ぼくは円形のトランポリンをもらったことがある。
映画「This Was Tomorrow」
2016年7月8日 音楽 麹町のベルギー大使館で、ベルギーのアントワープで毎夏持たれているDJミュージックの大フェスティヴァル“トゥモロウランド”の魅力を伝える2015年ベルギー映画を見る。3日間で18万もの人を集めるというからフジ・ロックの規模を超えているわけだが(開催日はいつもフジと重なる)、同フェスの大きな売りは大がかかりでスペクタクル性を持つステージ美術設定。DJが出演者であるので、バンドが出るより経費を節減できるぶん。そっちにお金を回していると思えるが。
驚いたのは、冒頭の20分ほどはブラジルや米国で開かれた海外版トゥモロウランドの模様を紹介していること。そちらも、やはり同様のステージ設定や規模を持ちドキドキさせるな。あと、もう一つそうなのかと思ったのは、ぼくは当初から大資本が投下されて軌道にのったフェスなのかと思っていたら、最初は田舎の小さなフェスからスタートしたという事実。ある意味、すげえ夢があるなー。それから、映画ではとっても平和志向のフェスであることも強調される。よくできている作品で、これはトゥモロウランドに幻想を持てますね。http://43142.diarynote.jp/?day=20120727 の項で、トゥモロウランドに行きってえと書いているワタシですが。不満があるとすれば、あのステージ美術の裏側を教えてくれないことか。
<今日の、情報>
この7月からRakten FMというネット・ラジオ+が始まって、同局はトゥモロウランドとメディア・パートナーを結んでいて、同フェス絡みの番組を二つ持つ。また、本祭をリアルタイム衛星放送上映+ダブヴィジョンら生DJ出演イヴェントである<Tomorrowland Presents UNITE>もこの23日深夜にアゲハで持たれる。なんでも、ベルギーと日本は友好150周年とか。
驚いたのは、冒頭の20分ほどはブラジルや米国で開かれた海外版トゥモロウランドの模様を紹介していること。そちらも、やはり同様のステージ設定や規模を持ちドキドキさせるな。あと、もう一つそうなのかと思ったのは、ぼくは当初から大資本が投下されて軌道にのったフェスなのかと思っていたら、最初は田舎の小さなフェスからスタートしたという事実。ある意味、すげえ夢があるなー。それから、映画ではとっても平和志向のフェスであることも強調される。よくできている作品で、これはトゥモロウランドに幻想を持てますね。http://43142.diarynote.jp/?day=20120727 の項で、トゥモロウランドに行きってえと書いているワタシですが。不満があるとすれば、あのステージ美術の裏側を教えてくれないことか。
<今日の、情報>
この7月からRakten FMというネット・ラジオ+が始まって、同局はトゥモロウランドとメディア・パートナーを結んでいて、同フェス絡みの番組を二つ持つ。また、本祭をリアルタイム衛星放送上映+ダブヴィジョンら生DJ出演イヴェントである<Tomorrowland Presents UNITE>もこの23日深夜にアゲハで持たれる。なんでも、ベルギーと日本は友好150周年とか。
タワー・オブ・パワー
2016年7月10日 音楽 面々が出てくる際に、彼らの曲がかけられる。すると、それだけで、けっこうな人が立ち上がった。そして、1曲目が始まった際には一段下の中央スペースの人々は総立ち。いやはや、支持力に衰えなし。いや、この日の様はより熱い支持を集めているところはあるのではないかと思わせる。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
オークランド/サンフランシスコ派生のファンク回路を最大級に持つファンク・バンド(1999年11月4日、2002年8月11日、2004年1月19日、2008年5月18日、2008年5月19日、2010年5月11日、2011年3月10日、2012年9月9日、2014年5月6日)の公演は、テナー2、バリトン、トランペット2の五管に、ギター、オルガン、ベース、ドラム、そしてシンガーという布陣にて。今回オリジナル・メンバーは4人、菅セクションは5年以上不動の顔ぶれでやっている。
そして、今回のトピックはまずシンガーが変わったこと。ここ2年ぐらいは、トロンボーンも吹くレイ・グリーンがシンガーを務め、これはいい人を入れたとぼくは思っていたが、マーカス・スコットというやはりアフリカ系青年に代わった。少し残念だが、タワー・オブ・パワーはシンガーの交代を楽しむバンドでもあると考えた方がいいのだろう。で、このメンフォス出身というスコット君、役不足とは思わせないパフォーマンスを披露。過去のシンガーと同様に甲高い系の歌声の持ち主なんだが、彼の場合は客への働きかけなどの部分においても長けている。
現在のリズム・セクションはロッコ・プレステア(ベース)とデイヴィッド・ガルバリディ(ドラム)という黄金のオリジナル勢だが、衰えを感じさせず。これがうれしいし、やはり菅の絡みは彼ららしい妙味に溢れるし、ぼくの見たショウは曲もかったるいのをやらなかったし(ショウによってやる曲は変えるみたい)、やっぱりタワー・オブ・パワーありがたや〜と思わせる実演であったのは間違いない。いや、成熟と活力がみなぎり、今のタワー・オブ・パワーは充実している!
▶過去の、タワー・オブ・パワー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200401190000000000/
http://43142.diarynote.jp/200805201629180000/
http://43142.diarynote.jp/200805201631280000/
http://43142.diarynote.jp/201005121331016518/
http://43142.diarynote.jp/201103171348262145/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120909
http://43142.diarynote.jp/201405071616599721/
<今日の、雲行き>
日曜なので、ファースト・ショウは17時から。ライヴが終わって外に出ると、当然まだ明るい。なんか、サマータイム実施の欧州にいるみたいと一瞬思う。そしたら、深夜EURO2016決勝の放映をリアル・タイムで見てしまった。やっぱり、グループ・リーグをトホホな感じで抜けたチームは決勝トーナメントで強いという、ぼくの持論(←そういうこと思っている人は結構いると思うけど)を強くする結果であったな。地上波放送やWOWOWが映らない家に住んでいる身としては、今回EUROをTV観戦(深夜に友人んちかお店に行かなきゃいけない)する予定はなかった。だが、参院選の結果が明らかになるにつれ暗澹となり、そりゃサッカーに逃げたくもなっちゃう。
オークランド/サンフランシスコ派生のファンク回路を最大級に持つファンク・バンド(1999年11月4日、2002年8月11日、2004年1月19日、2008年5月18日、2008年5月19日、2010年5月11日、2011年3月10日、2012年9月9日、2014年5月6日)の公演は、テナー2、バリトン、トランペット2の五管に、ギター、オルガン、ベース、ドラム、そしてシンガーという布陣にて。今回オリジナル・メンバーは4人、菅セクションは5年以上不動の顔ぶれでやっている。
そして、今回のトピックはまずシンガーが変わったこと。ここ2年ぐらいは、トロンボーンも吹くレイ・グリーンがシンガーを務め、これはいい人を入れたとぼくは思っていたが、マーカス・スコットというやはりアフリカ系青年に代わった。少し残念だが、タワー・オブ・パワーはシンガーの交代を楽しむバンドでもあると考えた方がいいのだろう。で、このメンフォス出身というスコット君、役不足とは思わせないパフォーマンスを披露。過去のシンガーと同様に甲高い系の歌声の持ち主なんだが、彼の場合は客への働きかけなどの部分においても長けている。
現在のリズム・セクションはロッコ・プレステア(ベース)とデイヴィッド・ガルバリディ(ドラム)という黄金のオリジナル勢だが、衰えを感じさせず。これがうれしいし、やはり菅の絡みは彼ららしい妙味に溢れるし、ぼくの見たショウは曲もかったるいのをやらなかったし(ショウによってやる曲は変えるみたい)、やっぱりタワー・オブ・パワーありがたや〜と思わせる実演であったのは間違いない。いや、成熟と活力がみなぎり、今のタワー・オブ・パワーは充実している!
▶過去の、タワー・オブ・パワー
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http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
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<今日の、雲行き>
日曜なので、ファースト・ショウは17時から。ライヴが終わって外に出ると、当然まだ明るい。なんか、サマータイム実施の欧州にいるみたいと一瞬思う。そしたら、深夜EURO2016決勝の放映をリアル・タイムで見てしまった。やっぱり、グループ・リーグをトホホな感じで抜けたチームは決勝トーナメントで強いという、ぼくの持論(←そういうこと思っている人は結構いると思うけど)を強くする結果であったな。地上波放送やWOWOWが映らない家に住んでいる身としては、今回EUROをTV観戦(深夜に友人んちかお店に行かなきゃいけない)する予定はなかった。だが、参院選の結果が明らかになるにつれ暗澹となり、そりゃサッカーに逃げたくもなっちゃう。
まだ半分しか過ぎていないが、今年の日本人ジャズ・マンのアルバムでこりゃ出色だと思わせたのが、ピアニストの佐藤浩一(2014年10月22日)の『Melancholy of a Journey』(Song X Jazz)だ。チェロやクラリネット(一部は、バスクラ)を含む変則編成(かつてのチコ・ハミルトンのそれから薫陶を受けているよう)のもと流動性の高い絵画的風景を綴る様はまこと清新。一部はブラジルやアルゼンチンのジャジーな担い手の音楽の手触りとも重なる部分がある。そして、この晩は同作リリースをフォロウする公演。新宿・ピットイン。
クラリネットの土井徳浩(2015年4月24日)、エレクトリック・ギターの市野元彦(2014年10月22日)、チェロの伊藤ハルトシ、コントラバスの千葉広樹(2014年10月22日)、ドラムの則武諒。『Melancholy of a Journey』とまったく同じ奏者によるパフォーマンス。ゆったり、ひたひたと楽器音が交錯し、流れていく。ときに、市野の主導でやんわり刺が入れられる場合もある。佐藤のピアノは腹八分目というか、弾きすぎず、場を整えていくような演奏を示し、それだけで王道とは異なるジャズを求めていることが分かる。そして、その指針は構成員たちにも通底。かなり作曲に力が入れられた集団表現と言うこともでき、皆んな前には譜面を置いていた。
アルバム収録曲は当然のこと、未発表曲や新曲もいろいろ披露。佐藤はこのユニットに二管を加えたグループで、この11月中旬に持たれるかわさきジャズ(旧名、モントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン・イン・かわさき)に出演するという。また、彼はレニー・トリスターノをやるトリオ(Cool Jazz Project)も持ち、8月16日に新宿ピットインの昼の部に出演する。
▶︎過去の、佐藤浩一
http://43142.diarynote.jp/201410251055118180/
▶︎過去の、土井徳浩
http://43142.diarynote.jp/201504271015006453/
▶︎過去の、市野元彦
http://43142.diarynote.jp/201410251055118180/
▶︎千葉広樹
http://43142.diarynote.jp/201410251055118180/
<今日の、帰り道>
20時から始まり、休憩を挟んで、2ショウ。ピットインのライヴは終わると、だいたい23時近くにはなる。ライヴ終了後、副都心線の新宿三丁目駅(これができて、ピットインにはたいそう行きやすくなったナ)までの道すがら、半オープンな立ち飲み屋的店舗がいろいろ並んでいることを再確認。ここのところ、夜はけっこう涼しいし、お客さん皆んな楽しそうだな。寄り道したくなる。が、夜半に重要な電話をしなくてはいけなかったので、直帰。今期初めてビーサンを履いてお出かけした夜……。
クラリネットの土井徳浩(2015年4月24日)、エレクトリック・ギターの市野元彦(2014年10月22日)、チェロの伊藤ハルトシ、コントラバスの千葉広樹(2014年10月22日)、ドラムの則武諒。『Melancholy of a Journey』とまったく同じ奏者によるパフォーマンス。ゆったり、ひたひたと楽器音が交錯し、流れていく。ときに、市野の主導でやんわり刺が入れられる場合もある。佐藤のピアノは腹八分目というか、弾きすぎず、場を整えていくような演奏を示し、それだけで王道とは異なるジャズを求めていることが分かる。そして、その指針は構成員たちにも通底。かなり作曲に力が入れられた集団表現と言うこともでき、皆んな前には譜面を置いていた。
アルバム収録曲は当然のこと、未発表曲や新曲もいろいろ披露。佐藤はこのユニットに二管を加えたグループで、この11月中旬に持たれるかわさきジャズ(旧名、モントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン・イン・かわさき)に出演するという。また、彼はレニー・トリスターノをやるトリオ(Cool Jazz Project)も持ち、8月16日に新宿ピットインの昼の部に出演する。
▶︎過去の、佐藤浩一
http://43142.diarynote.jp/201410251055118180/
▶︎過去の、土井徳浩
http://43142.diarynote.jp/201504271015006453/
▶︎過去の、市野元彦
http://43142.diarynote.jp/201410251055118180/
▶︎千葉広樹
http://43142.diarynote.jp/201410251055118180/
<今日の、帰り道>
20時から始まり、休憩を挟んで、2ショウ。ピットインのライヴは終わると、だいたい23時近くにはなる。ライヴ終了後、副都心線の新宿三丁目駅(これができて、ピットインにはたいそう行きやすくなったナ)までの道すがら、半オープンな立ち飲み屋的店舗がいろいろ並んでいることを再確認。ここのところ、夜はけっこう涼しいし、お客さん皆んな楽しそうだな。寄り道したくなる。が、夜半に重要な電話をしなくてはいけなかったので、直帰。今期初めてビーサンを履いてお出かけした夜……。
キャバレー・ヴォルテール@スーパー・デラックス
2016年7月12日 音楽 ダダと聞くと、おバカで、反規範/道徳的な所作を、ぼくは思い浮かべる。そんなダダイズム発祥の地となった、スイスのチューリッヒのなんでもあり酒場の“キャヴァレー・ヴォルテール”が開店したのが、1916年2月であるという。つまり、今年はダダイズムが世に出て100周年となるのだそう。それを機に六本木・スーパー・デラックスで7月11日〜18日の間に、キャヴァレー・ヴォルテールにトリビュートする場が持たれ、様々な出し物がなされる。初日である今日はスイス大使館によるオープニング・パーティが持たれた。
巻上公一(2004年11月6日、2013年8月11日、2015年9月28日)が出てきて、ソロの肉声パフォーマンスをする。なんか、今回のそれはけっこう坂田明(2006年8月8日、2008年9月25日、2009年7月19日、010年4月15日、2011年4月1日、2012年10月3日、2013年1月12日、2014年9月7日、2016年1月28日)の所作(特に、源氏物語)に被るなと思った。なんか、飄々とココロの狼藉を出している様は清々しいな。
その後には、スイスのサムソナイト・オーケストラが演奏。って、ジュリアン • イスラリエンのソロ・プロジェクトだが。自作の装置(バッグに一式組み込んだ機材と共に、足元にもエフェクターを並べていた)を素朴に扱い、生理的にトホホで、可愛らしくもある音を出す。彼はなんと昨年東京ジャズに出演したアフロ・ビート・バンドのインペリアル・タイガー・オーケストラ(2015年9月4日)のドラマーだったことがあった。音だけだとザ・レジデンツをちょい思い出させるところがあり、なるほどダダでありますね。
▶︎過去の、巻上公一
http://43142.diarynote.jp/200411071407550000/
http://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
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▶過去の、坂田明
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
http://43142.diarynote.jp/200809270215092074/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090719
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▶︎過去の、インペリアル・タイガー・オーケストラ
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<今日の、発覚>
ある音楽雑誌のアンケート/コメント依頼を受けたのだが、改めて依頼書を読み返してみたら、<大変恐縮ですが、お礼は掲載誌のみとさせていただきます>と文末に書いてあって、ありゃあ。わ、ちゃんと読んでいなかった。もし、原稿料が出ないことを認知していたら、この仕事は受けなかったYOH。イエスと返事した手前、ちゃんと送りましたが…。
プロとして文章を書くことを生業としているんだから、原稿料の出ない仕事は基本受けない。そりゃ、受けた仕事の中には原稿料単価の低いものもある。だが、それは事前の提示を受け、納得して書く。ぼくが受けている原稿仕事のなか、ずっと関係を持っているシンコーミュージックはおそらく一番原稿料の単価が低い相手先と考えられるが、編集者それぞれにマインドがあるので笑顔で引き受けている。……あ、今思い出した。シンコー・ミュージック編集者経由で受けた、2年前(2014年6月)にロックジェット誌へ<ジョンとヨーコのラヴ&ピース>というお題目で書いたものの原稿料は未払いだ。ものすごいタイトな締め切りの中、6000字強の原稿をきっちり送ったのに。その担当編集者は梨の礫なので、間に入ったシンコー編集者にどうなのよと聞いたら、先方はお金がなくて今は払えないそうですが、余裕ができたら払うそうですとの返事が返ってきたのだが、まだ入金はない。一応、そのとき書いた原稿を貼り付けておこう。
2010年に、ショーン・レノンにインタヴューしたことがある。ヨーコ・オノのライヴ・パフォーマンスには複数回接したことがある(今年のフジ・ロックにも、ヨーコはショーンとプラスティック・オノ・バンド名義でやってきますね。チボ・マットの本田ユカの旦那さんでもある、フリー・インプロヴィゼーション界の辣腕ギタリストにしてウィルコのメンバーでもあるルネス・クラインも同行)が、ジョン・レノンを生で見た事は皆無。目の前にいるいかにもおぼっちゃん然としたショーンを見て、彼がジョンとヨーコの息子さんかと、ぼくは内心ちょい震えた。おっとり&飄々としているとはいえ、やはりジョンの残り香というか、彼の血を引いているんだなと思わせるところを、いろいろと感じることができ……。
たとえば、佇まいのちょっとした感じとか、喋る声とか。緊張はしなかったが、ぼくはかなりうきうきしながら彼に質問していったのを覚えている。ショーンに話しかけてくる人の大半は父親のファンとして接してくるそうだが、「父のことについては毎回ちがった答えを言う。声をかけてくる人の感じによって、返事を変えるんだ。僕はいろんな反応をして、楽しんでいるよ」、とのこと。そこらへんの、悠々のあまのじゃくなところも父親譲り? 彼は父親のことを“ダッド”と呼んでいた。
ジョンが亡くなったとき、ショーンは5歳。父との関わりで、一番印象に残っているのは以下のようなことだという。
「記憶とは不思議なもので、断片的にいろいろ覚えている。音とか、匂いとか……父さんが着ていた浴衣の匂いとか、タバコ臭とか。そういうものが、フラッシュバックするように僕のなかにはあります。声のトーンだとか、そのときに感じた気持ちとかが、断片的にしっかり残っている」
だが、多くの人が想像するほど、セレブな環境には育っていないとも、彼は明言する。
「もし父がずっと生きていたら、おそらくそういう環境になったかもしれない。でも、母との二人の環境においては、彼女は一匹狼的なので、ザ・ビートルズの人たちが来て、ジャムをするといった環境ではなかったよ。だから、僕は音楽を独学したと思っている。まあ、アンディ・ウォーホルとかデイヴィッド・ボウイなんかはよく知っていたけど」
ショーンと接していると、彼はやはり半分は日本人なんだと思わせるところも多々感じることができた。それは当人も認めるところで、「僕は半分、日本人。そのことは、強く意識している。自分の心もそうだし、お腹(食べ物の好み)もそう。自分が子供のときは玄米とお味噌汁みたいな感じで、ご飯の記憶は日本食ばかり。だから、日本に来るのは、特別な国に来たという気持ちを持つ。子供のころ、ホテルオークラにしばく住んでいた事もあるし、軽井沢にも滞在したこともあったし。そのときのことは、いい思い出として残っている」
取材の途中から、彼はペンをはわせはじめ、ときに僕の顔をじっと覗き込みだす。??? インタヴューを受けつつ、なんと彼はぼくの似顔絵を描きはじめた。仕上がった絵は、父親のものより少し緻密な感じもあるだろうか。絵の傍らにしてくれたサインにAD2010と律儀に年号も記してくれた彼は、「ちょうどいい ほん」(講談社)という絵本を出してもいる。
「父さんとはよく一緒に絵を描いた。それで、ゲームみたいなことをしたよね。父さんが滅茶苦茶に描いた絵を、ぼくがそのあと引き受けて完成させたり。かと思えば、ぼくが最初に描いた絵を父が仕上げたり。そういうゲームを、朝から晩までやっていた」
一方、ヨーコとはいまだいい関係を持っていることについて、彼はこうコメントした。
「僕は、やはりラッキーだと思う。二人とも音楽やアートをやっている。そういうところで繋がることが出来るから。音楽やアートというコネクションがなかったら、やっぱり仲良くなれないと思うよ」
そんなショーンも、来年には、ジョンが逝去した年齢になる。
ジョンとヨーコの強い結びつきを語る材料はいくつもあるだろうし、着目するポイントも人それぞれにあるだろう。ぼくの場合、それはまず二人のリーダー・アルバムのジャケット・カヴァーとなる。
二人の全裸の写真が用いられた『未完成作品第一番 トゥー・ヴァージンズ』(1968年)。ベッドと床に寛いで横たわる2ショット写真を持つ『未完成作品第一番 ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ』(1969年)。白の衣服に身をつつんだ二人の写真を掲げた『ウェディング・アルバム』(1969年)。といった、結婚前後の3部作。
共通する絵柄をそれぞれのリーダー・アルバムに用いた、『ジョンの魂』(1970年)と『ヨーコの心 ヨーコ・オノ・プラスティック・オノ・バンド』(1970年)。そして、『イマジン』(1971年)と『フライ』(1971年)。
さらには、向き合って唇を合わせたり、頬を寄せたりする二人の写真をジャケ絵に用いた両者の連名による『ダブル・ファンタジー』(1980年)と、ジョン死後のリリースとなる『ミルク・アンド・ハニー』(1984年)。この両盤の絵柄(篠山紀信の撮影による)は『ダブル・ファンタジー』をリリースするさい、ジョン・レノン一人だけの絵柄のジャケットにしたいとの申し出がレコード会社側なされて、ジョンが激怒。意地でも、二人仲睦まじい写真を用いようとなったという。
そうした一連のアルバム・ジャケットの有り様を見ても、ジョンとヨーコの結びつきの強さ、二人でいることの覚悟のようなものが、分りはしまいか。個人的には、1970年と1971年に出された対となる2作品の存在を最初に知ったときには驚いた。アレレ、コンナコトシテイイノ? ロックにまつわる行動は何をやってもいいんだと痛感させられるとともに、前例に捕われない発想のしなやかさの見事な発露が、そこにはあると思った。
もちろん、夫婦が仲良く並んだ写真をジャケットに持つアルバムを出した人たちは世に何組もいる。有名なところでは、リオン・ラッセルとマリー・ラッセル(1976年作『Wedding Album』、1977年作『Make Love to the Music』)やグレッグ・オールマンとシェール夫妻(1977年作『Two the Hard Way』)あたりは良く知られるだろう。それらはともに見事な“色ぼけ”アルバムと多くの人に記憶されていると思うが、それに比し、ジョンとヨーコの諸作品はそれほど色ボケと感じさせないのは何故か。受ける側の先入観が働いているのかもしれないが、只の恋愛を超えた、広いスケールや、強い二人の意志や、同士的な二人の高め合いの様が見えるからではないのか。やはりジョンとヨーコの間には、崇高さや高潔さが超然とある。やはり、二人はスーパーなカップルであったのだと思う。
前衛芸術家の道を凛として進まんとするヨーコの1966年秋のロンドンでの個展に、ジョンが足を運んだのが、ともに既婚者であった二人のなれそめであったと言われる。アートは常識や先入観などを一切削いだものであり、自在の発想や行動こそが最たる美徳といった意志を掲げたヨーコの出典物にジョンは降参。ポップ・ミュージックという枠組のなかで数多かつ最大級の冒険を繰り返して来たザ・ビートルズを支えたジョンにとっても、ヨーコの持つ態度はあまりにフレッシュであり、オルタナティヴであり、センセーショナルなものに感じられたのは想像に難くない。そして、その後、二人は行動をともにし、日々切磋琢磨し、彼らが考える自由を社会に向かっておしだすようになる。
そんな二人の回路がザ・ビートルズ表現に持ち込まれた最たるものが、ザ・ビートルズ最長の曲でもある「レヴォールション9」だろう。ポールとリンゴは参加していないそのミュージック・コンクレートふう楽曲はまさに異色にして、よくぞアルバムに収録したと思わずにはいられない前衛曲だ。様々な曲調や方向性を収めた『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』(1968年)こそが彼らのベスト作とする人も少なくない(ぼくは、まさにそう感じています)と思うが、そういう者にとって、この曲は同作の極北の位置にある、掛け替えのない楽曲として存在しているのではないか。
すでにロック界のスーパー・スターでやりたい放題をつくせたとはいえリバプールの労働者階級の出身であったジョンは、東洋のいいとこの子女であるヨーコの前衛アートに対する造詣や天衣無縫な振る舞いに感化されまくったはず。そして、それがジョンの持ち前の創造性や我が道を行かんとする人間力の高さに火をつけた。ジョンがヨーコと出会って以降、ジョンはより世に背を向ける(いや、世を引っ張る、と書いたほうが適切か)ような、自覚的でもある行動をいろいろと見せるようになるし、それはより開かれた音楽家像を仁王立ちさせもした。もともと間違いなくリベラルであり、芯の通った人間ではあったが、ジョンはヨーコとの恋愛を通して、男女を超えるような普遍的な人間愛を求めるようにもなったし、前衛的にして過激なヨーコにつられて、より理想的なスタンスを貫くようになった。
ちんちん出した写真をジャケットに掲げたり、ベッドインなるパフォーマンスをプレス陣を前にして行う。そして、そこに出す音楽はポップ・ミュージックの枠組を大きく超えてもいる。ヨーコと出会っていなかったら、ジョンはそういうことはしていなかったのではないか。そして、だからこそ、ロック・スター然とした太平楽な活動を求めたいファンはその狼藉行動の元凶にヨーコを見て、おおいにバッシングしたのだと思う。ぼくは、そのころの二人にはリアル・タイムで接していない。だが、その様は今振り返っても、保守社会に対する理想主義に燃えた闘士そのもの。そして、それが単に破壊や否定ではなく、ポジティヴな慈愛と平和のメッセージにつながっていたのが、ジョンとヨーコたる所以でもあった。
ところで、ヨーコに関して、一つ。彼女のヴォーカルとういうと金切り声による器楽的歌唱法が思い出されるが、それをフリー・ジャズの先駆者であるオーネット・コールマンは高く評価していたと言われる。オーネットはまさにジャズ界においてトップ級の革新を行った人物であり、フリー・ジャズにおけるジョン・レノンと言っても語弊はない巨匠だ。彼は『ヨーコの心 ヨーコ・オノ・プラスティック・オノ・バンド』のレコーディングにデイヴィッド・アイゼンゾン、チャーリー・ヘイデン、エド・ブラックウェルといった舎弟たちと参加もした。そういえば、オーネットは金切り声前衛系の女性ヴォーカリストをライヴで鷹揚に起用していたりもする(今のところ直近となる2006年3月の日本公演でも、彼はわざわざヨーコと通じるようなアヴァン系日本人女性シンガーをステージにあげていた)わけで、その信憑性は高いと思われる。
それから、最新のヨーコにまつわる情報も一つ書いておきたい。ジギー・マーリー(ボブ・マーリーとリタ・マーリーの息子ですね。1968年生まれ。ジギーという呼び名は、デイヴィッド・ボウイ好きから来たと言われる。彼の代表作の一つが1972年作『ジギー・スターダスト』)の2014年新作『Fly Rasta』(Tuff Gong/V2)にはあまりに見事なヨーコ大讃歌曲「You’re My Yoko」という曲が収められている。その軽快なレゲエ調曲には、ほんとびっくり。!マークを50個ぐらい、連ねたくなっちゃう。それに触れていると、ここにきて、ヨーコ再評価の気運が持ち上がるかもと思えてきたりもする。
蛇足だが、先に触れたインタヴュー時にショーンは、彼女がフロントに立つプラスティック・オノ・バンドをマイルス・デイヴィスの『オン・ザ・コーナー』(1972年)や『ライヴ・イヴル』(1971年)の方向に持っていけたらと、語っていた。
ところで、ぼくがジョンっていいよなあと感じてしまうのは、どうしようもなく立派な姿を見せるとともに、その一方では、ある種ダメ男でもあったからだ。それが、ぼくを安心させる。ホっとさせる。
私見だが、ジョンは甘えん坊だったと思う。ヨーコはボックス・セット『ジョン・レノン・アンソロジー』(キャピトル、1998年)添付のブックレットの前書きで、出会ったころジョンはまだ20代で彼女は8つ年上だったが、王様のように堂々としていて、ジョンを年下と感じたことはなかった、と記している。逆もまた真なりだろうが、ジョンがヨーコに依存していた部分が少なからずあったと、ぼくは感じてしまう。ヨーコは菩薩やミューズのような存在であり、ときに母親のような役割を担うときもあったのではないか。『マインド・ゲームズ』(1973 年)のジャケット・カヴァーはそのことを示唆していまいか。家政婦のメイ・パンに手を出しヨーコから三行半をつきつけられ、LAに逃げて故ニルソンたちと馬鹿まるだし乱交三昧したのはヨーコへの強い依存の裏返しではなかったか。そしてヨーコの許しが出て(間を取り持ったエルトン・ジョン、グレイト・ジョブ!)NYに戻ったあと、彼は心の平成を得たようにも、ぼくには思える。そして、ショーンが生まれたこともあり、ジョンはハウス・ハズバンド三昧の日々に入る。その後、音楽活動に復帰し、ショーンと離れてスタジオ作業をする際、彼はコンソールの前にショーンの写真を張ったという。
そんな“愛の人”たるジョンのすごいところは、どうしてもスノッブとも言える側面も出てしまう、吹っ切れたアート活動をヨーコと一緒に標榜しつつ、その一方で大衆との接点を持ち続けていたこと。ザ・ビートルズの一員としての名声や影響力を効果的に用いたという指摘も可能だろう。彼は、前衛的な理想主義を、もっと大衆に身近な問題や興味とつなげ、大きな動きにしようとした。それこそは、ジョンの天賦の何かと言うしかないだろう。
また、彼が生まれついてのロッカーであったと思わせるのは、「レヴォールション9」のようなカっとび曲を送り出したり、先に書いた1960年代後期3部作のような現代音楽/実験音楽のほうに片足をツッこんだアルバムを発表しつつ、一方では広がった社会観や愛の感覚をもとに「アクロス・ザ・ユニヴァース」やソロ後の「イマジン」のような本当に普遍的なメッセージ曲を発表していること。それは、まさに彼の天性のポップ・ミュージックの作り手としての才であり、言葉は悪いかもしれないがヨーコという触媒を得た“キング”の面目躍如な楽曲であるというしかない。
ザ・ビートルズ時代の曲「ジョンとヨーコのバラード」以降、特にソロ活動に向かうようになると、ジョンとヨーコの間のもろもろを題材とする曲はいろいろと出されている。たとえば、『イマジン』の最後に収められた「オー・ヨーコ」。<真夜中、君の名を呼ぶ。オー・ヨーコ。僕の愛で、君を満たしてあげる>なんて素直な物言いが並ぶその曲なんて、最高のラヴ・ソングではないか。そう、こんな歌がかけなきゃ、革命もへったくれもないのである。
そして、それらの楽曲は天性の質感〜訴求力を持つヴォーカル(それは、魔法のようなグルーヴを抱えたものであるのはより認識されるべき)で歌われるのだから、もう降参するしかない。
ジョンとヨーコの、<ラヴ&ピース>。それは“アートや行動の無限の可能性”や“基本にある二人の人間関係の素敵”が結実したものであった。
もう一つ、その少し前に書いた原稿で、もう一つ未払いなやつを思い出した。ずさんなので別に支払い状況をマメにチェックしているわけではないし、すぐに書いた原稿のことも忘れてしまう傾向にあるのだが、これはゴールデン・ウィーク中に遊びの用事を削って書いた原稿なので、一応覚えている。ユニバーサル・ミュージックからの依頼の原稿で、一度担当A&Rに未払いじゃないのと指摘したら(その時、発売延期になったと聞いたか)、適当にはぐらかされて、そのままになってしまった。書いたのはコンコード発のレイ・チャールズのベスト盤のラーナーノーツで、以下が世間に出なかった原稿ナリ。
リジェンダリーという域に入りそうな、スター・ミュージシャンの条件って、なんだろう。たとえば……。
ライヴ・ショウでステージに登場したとたん、見る物は胸がいっぱいになってしまい、思わずスタンディング・オヴェーションしてしまう。
大ヒット曲を連発し、グラミー賞の常連でもある。
社会貢献を目的とした、自己財団を持っている。
自伝が出版されている。とともに、当人を題材とする映画も制作されている。
はたまた、クリスマス・アルバムを出している。そして、いろいろとベスト・アルバムが組まれている。
それから、切手の絵柄になっている。という、事項もそれに加えることができるだろうか。
実はこのレイ・チャールズのベスト盤『フォーエヴァー』はそのジャケット・カヴァーに顕われているように、アメリカ合衆国郵便公社が2013年9月にレイ・チャールズの切手を発行したことに合わせて組まれたベスト盤だ。
蛇足だが、同公社はここのところ、リディア・メンドーサ、ジョニー・キャッシュ、ジミ・ヘンドリックスといった鬼籍入りした大ミュージシャンを絵柄に採用した切手を発行している。
そのキャリアの長さ、プロダククツ群の深さや多彩さ、功績の大きさゆえ、レイ・チャールズのベスト盤はこれまで本当にたくさん組まれている。そうしたなか、この“一番新しい”ベスト・アルバムは、当然のことながら既発のものとは一線を画した選曲がなされている。
それが顕著に出ているのは、1950〜1960年代、つまりアトランティックやABC時代の楽曲は2曲しか収められていないこと。「メス・アラウンド」も「ホワッド・アイ・セイ」も「ジョージア・オン・マイ・マインド」も「愛さずにはいられない」も、ここには入っていない。ようは、彼が国民的な歌手としてより君臨するようになった1970年代以降のレイ・チャールズの姿を本作は主にまとめることで、彼が生涯にわたって持ち続けたしなやかな広がり、慈愛の情あふれるソウルネスといったものを、提示しようとしている。チャールズはキャリアを積むごとに自作曲を発表しなくなり、他者の楽曲を介することで逆にワン・アンド・オンリーたる個性が明解に出る、より万人向きとも言えるプロダクツを世に問うようになった。そして、ここに収められた曲群はスタンダード・ソングからポップ・チューンまで、全て非オリジナルだ。なお、この選曲は<ザ・レイ・チャールズ・ファンデーション>を運営する、原盤CDの解説も書いているヴァレリー・アーヴィンがしている。
■楽曲紹介
1 ア・ソング・フォー・ユー
1970年代に一世を風靡したシンガー/ピアニストのリオン・ラッセルの1970年発表曲。カーペンターズ、ダニー・ハサウェイ、ウィリー・ネルソン他、数多の担い手が取り上げるポップ・スタンダードだ。チャールズは1993年作『マイ・ワールド』(ワーナー・ブラザーズ)でこの曲を原曲のテイストを尊重する形でカヴァーし、シングル・カットもされた。R&Bチャート57位のセールスに留まったものの、本曲は1993年度の最優秀男性R&Bパフォーマンス賞を受賞している。
2 アイム・ゴナ・ムーヴ・トゥ・ザ・アウトスカーツ・オブ・タウン
1961年作『ジニアス+ソウル=ジャズ』(ABC)に収められたブルース基調の重厚ジャジー曲で、R&Bチャート25位(総合は84位)。カウント・ベイシーのオーケストラを借りて録音しており、プロデュースは後にCTIを設立するクリード・テイラーが担当。チャールズが影響を受けたルイ・ジョーダンも歌っていた曲で、後にザ・オールマン・ブラザーズやロッド・スチュアートらロック勢もこの剛毅な有名曲をカヴァーしている。
3 リング・オブ・ファイア
1970年作『ラヴ・カントリー・スタイル』(タンジェリン)に収録されていた曲で、ロック・アーティストからの信任も厚いカントリー界のビッグ・ネームであるジョニー・キャッシュの最大のヒット曲(1963年全米総合チャート1位)だ。チャールズはすちゃらかした原曲を大胆グルーヴィに処理している。1980年代に入ると、チャールズとキャッシュはお互いのレコーディングに参加し合った。
4 カム・レイン・オア・カム・シャイン
ジョニー・マーサーとハロルド・アーレンが作った1946年初出のスタンダード曲で、ビリー・ホリデイからジェイムズ・ブラウンまで取り上げる。通算6作目となる1959年作『ザ・ジニアス・オブ・レイ・チャールズ』(アトランティック)のクローザーだった曲だ。
5 ゼイ・キャント・テイク・ザット・アウェイ・フロム・ミー
ジョージとアイラ、ガーシュン兄弟が書いた彼らの代表曲の一つで、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャース主演の1937年映画「シャル・ウィー・ダンス?」のために書かれた。以後、このひねりの利いたラヴ・ソングは洒脱シンガーから多大な人気を博している。重厚なビッグ・バンド・サウンドがおごられたこのテイクは、今回初めて陽の目を見た。
6 ティル・ゼア・ワズ・ユー
自らのレーベル“タンジェリン”(1966〜72年)を“クロスオーヴァー”(1974〜75年)と改名しての最初のアルバム『カム・ライヴ・ウィズ・ミー』に収録されていた曲で、メレディス・ウィルソンが1957年ミュージカル「ザ・ミュージック・マン」(5年後に、映画化もされた)のために書いた。ソニー・ロリンズやザ・ビートルスらのカヴァーは特に有名か。ムーディな編曲とエレクトリック・ピアノの組み合わせは、チャールズ表現ならではのもの。
7 イズント・イット・ワンダフル
チャールズの死後にリリースされた『レア・ジニアス』(コンコード)に収録。1970年代から1990年代にかけての未発表/デモ曲を厳選し、そこに新たな音も一部加えるという指針を同作は取っていた。これは未発表であったのが謎に思える、寛ぎとグルーヴィさを併せ持つ好テイスト曲だ。
8 ナン・オブ・アス・アー・フリー
1990年上半期型の同時代サウンドのもと、唯一無二のチャールズの持ち味を解き放つ『マイ・ワールド』から。バリー・マンやブレンダ・ラッセルら好シンガー・ソングライターによる、ヒューマンなメッセージが込められた曲だ。この後、レイナード・スキナードやザ・ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマらがこの生理的にアーシーな曲を取り上げている。
9 イマジン
ロック界でトップ級に有名な曲であり、秀でたメッセージ・ソングでもあるジョン・レノンの1971年曲。2002年にライノ経由で組まれた、1960~1997年に録音した愛国心高揚楽曲を集めた編集作『レイ・チャールズ・シングス・フォー・アメリカ』(ライノ/wea)から。同作は、2001年9.11後の米国気運のもとに組まれたと言われている。
10 イフ・アイ・クッド
大御所米国人プロデューサーの一人であるリチャード・ペリー(カーリー・サイモン、リンゴ・スター、ロッド・スチュアート他を手がける)がプロデュースした『マイ・ワールド』収録の曲。モータウン畑のソングライターであるロナルド・ミラーらが共作していて、バーブラ・ストライサンド、セリーヌ・ディオン、ナンシー・ウィルソンらMOR系歌手にも取り上げられる曲だ。
11 ソー・ヘルプ・メー・ゴッド
『マイ・ワールド』からの4つ目となる曲で、チャカ・カーンほか様々な人気シンガーに曲を提供している辣腕ソングライターであるジャソ・J・フリードマンらが書いた、ゴスペル調曲だ。
12 アメリカ・ザ・ビューティフル
レイ・チャールズというと、この曲を思い出す人もいるか。アメリカ合衆国の第二の国歌たる、古くからの公有歌だ。1972 年にタンジェリンから出された『ア・メッセージ・フロム・ザ・ピープル』に収められている。
最後になったが、簡単に彼のキャリアを記しておく。
レイ・チャールズ・ロビンソンは、1930年9月23日にジョージア州で生まれた。母子家庭のもとフロリダ州で育つが、7歳で完全に失明。母親が亡くなってしまった15歳からピアニスト/シンガーとして身を立てるようになり、17歳になると大志を持って西海岸に向かった。3歳年下のクインシー・ジョーンズと出会い、彼に刺激を与えたのもそのころだ。22歳でアトランティック・レコードと契約し、ゴスペルとブルースが重なったと説明できるR&Bを鋭意創出。1955年に「アイ・ガッド・ア・ウーマン」で初めてR&Bチャート1位を獲得し、彼はスターへの道を歩んで行く。
そして、1959年末には、よりいい条件(+表現の自由の保証)を提示したABCと契約し、R&B、ジャズ、ポピュラー、カントリーといった音楽の枠を超えた“レイ・チャールズ表現”を思うまま標榜。結果、まさにアメリカを代表する音楽家としての位置を得ることとなる。
リリースしたアルバムは、約60枚。チャールズ最後のオリジナル・レコーディング作となってしまったノラ・ジョーンズやヴァン・モリソンらとの豪華デュエット曲を収めた『ジニアス・ラヴァーズ・カンパニー』(コンコード)、そしてテイラー・ハックフォードが監督した傑作自伝映画『Ray/レイ』がリリースされたのは2004年の夏と秋。残念ながら、チャールズはその高評を知る前に、同年6月10日に肝臓癌で亡くなった。
米国黒人音楽の素敵、創造性、訴求力を誰よりも示した、文字どおりのジニアス。そんな彼は黒人差別とも戦う一方、手を握るときれいな女性がすくに分ったというユーモラスな逸話も残している。(2014年5月 佐藤英輔)
巻上公一(2004年11月6日、2013年8月11日、2015年9月28日)が出てきて、ソロの肉声パフォーマンスをする。なんか、今回のそれはけっこう坂田明(2006年8月8日、2008年9月25日、2009年7月19日、010年4月15日、2011年4月1日、2012年10月3日、2013年1月12日、2014年9月7日、2016年1月28日)の所作(特に、源氏物語)に被るなと思った。なんか、飄々とココロの狼藉を出している様は清々しいな。
その後には、スイスのサムソナイト・オーケストラが演奏。って、ジュリアン • イスラリエンのソロ・プロジェクトだが。自作の装置(バッグに一式組み込んだ機材と共に、足元にもエフェクターを並べていた)を素朴に扱い、生理的にトホホで、可愛らしくもある音を出す。彼はなんと昨年東京ジャズに出演したアフロ・ビート・バンドのインペリアル・タイガー・オーケストラ(2015年9月4日)のドラマーだったことがあった。音だけだとザ・レジデンツをちょい思い出させるところがあり、なるほどダダでありますね。
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▶︎過去の、インペリアル・タイガー・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/?day=20150904
<今日の、発覚>
ある音楽雑誌のアンケート/コメント依頼を受けたのだが、改めて依頼書を読み返してみたら、<大変恐縮ですが、お礼は掲載誌のみとさせていただきます>と文末に書いてあって、ありゃあ。わ、ちゃんと読んでいなかった。もし、原稿料が出ないことを認知していたら、この仕事は受けなかったYOH。イエスと返事した手前、ちゃんと送りましたが…。
プロとして文章を書くことを生業としているんだから、原稿料の出ない仕事は基本受けない。そりゃ、受けた仕事の中には原稿料単価の低いものもある。だが、それは事前の提示を受け、納得して書く。ぼくが受けている原稿仕事のなか、ずっと関係を持っているシンコーミュージックはおそらく一番原稿料の単価が低い相手先と考えられるが、編集者それぞれにマインドがあるので笑顔で引き受けている。……あ、今思い出した。シンコー・ミュージック編集者経由で受けた、2年前(2014年6月)にロックジェット誌へ<ジョンとヨーコのラヴ&ピース>というお題目で書いたものの原稿料は未払いだ。ものすごいタイトな締め切りの中、6000字強の原稿をきっちり送ったのに。その担当編集者は梨の礫なので、間に入ったシンコー編集者にどうなのよと聞いたら、先方はお金がなくて今は払えないそうですが、余裕ができたら払うそうですとの返事が返ってきたのだが、まだ入金はない。一応、そのとき書いた原稿を貼り付けておこう。
2010年に、ショーン・レノンにインタヴューしたことがある。ヨーコ・オノのライヴ・パフォーマンスには複数回接したことがある(今年のフジ・ロックにも、ヨーコはショーンとプラスティック・オノ・バンド名義でやってきますね。チボ・マットの本田ユカの旦那さんでもある、フリー・インプロヴィゼーション界の辣腕ギタリストにしてウィルコのメンバーでもあるルネス・クラインも同行)が、ジョン・レノンを生で見た事は皆無。目の前にいるいかにもおぼっちゃん然としたショーンを見て、彼がジョンとヨーコの息子さんかと、ぼくは内心ちょい震えた。おっとり&飄々としているとはいえ、やはりジョンの残り香というか、彼の血を引いているんだなと思わせるところを、いろいろと感じることができ……。
たとえば、佇まいのちょっとした感じとか、喋る声とか。緊張はしなかったが、ぼくはかなりうきうきしながら彼に質問していったのを覚えている。ショーンに話しかけてくる人の大半は父親のファンとして接してくるそうだが、「父のことについては毎回ちがった答えを言う。声をかけてくる人の感じによって、返事を変えるんだ。僕はいろんな反応をして、楽しんでいるよ」、とのこと。そこらへんの、悠々のあまのじゃくなところも父親譲り? 彼は父親のことを“ダッド”と呼んでいた。
ジョンが亡くなったとき、ショーンは5歳。父との関わりで、一番印象に残っているのは以下のようなことだという。
「記憶とは不思議なもので、断片的にいろいろ覚えている。音とか、匂いとか……父さんが着ていた浴衣の匂いとか、タバコ臭とか。そういうものが、フラッシュバックするように僕のなかにはあります。声のトーンだとか、そのときに感じた気持ちとかが、断片的にしっかり残っている」
だが、多くの人が想像するほど、セレブな環境には育っていないとも、彼は明言する。
「もし父がずっと生きていたら、おそらくそういう環境になったかもしれない。でも、母との二人の環境においては、彼女は一匹狼的なので、ザ・ビートルズの人たちが来て、ジャムをするといった環境ではなかったよ。だから、僕は音楽を独学したと思っている。まあ、アンディ・ウォーホルとかデイヴィッド・ボウイなんかはよく知っていたけど」
ショーンと接していると、彼はやはり半分は日本人なんだと思わせるところも多々感じることができた。それは当人も認めるところで、「僕は半分、日本人。そのことは、強く意識している。自分の心もそうだし、お腹(食べ物の好み)もそう。自分が子供のときは玄米とお味噌汁みたいな感じで、ご飯の記憶は日本食ばかり。だから、日本に来るのは、特別な国に来たという気持ちを持つ。子供のころ、ホテルオークラにしばく住んでいた事もあるし、軽井沢にも滞在したこともあったし。そのときのことは、いい思い出として残っている」
取材の途中から、彼はペンをはわせはじめ、ときに僕の顔をじっと覗き込みだす。??? インタヴューを受けつつ、なんと彼はぼくの似顔絵を描きはじめた。仕上がった絵は、父親のものより少し緻密な感じもあるだろうか。絵の傍らにしてくれたサインにAD2010と律儀に年号も記してくれた彼は、「ちょうどいい ほん」(講談社)という絵本を出してもいる。
「父さんとはよく一緒に絵を描いた。それで、ゲームみたいなことをしたよね。父さんが滅茶苦茶に描いた絵を、ぼくがそのあと引き受けて完成させたり。かと思えば、ぼくが最初に描いた絵を父が仕上げたり。そういうゲームを、朝から晩までやっていた」
一方、ヨーコとはいまだいい関係を持っていることについて、彼はこうコメントした。
「僕は、やはりラッキーだと思う。二人とも音楽やアートをやっている。そういうところで繋がることが出来るから。音楽やアートというコネクションがなかったら、やっぱり仲良くなれないと思うよ」
そんなショーンも、来年には、ジョンが逝去した年齢になる。
ジョンとヨーコの強い結びつきを語る材料はいくつもあるだろうし、着目するポイントも人それぞれにあるだろう。ぼくの場合、それはまず二人のリーダー・アルバムのジャケット・カヴァーとなる。
二人の全裸の写真が用いられた『未完成作品第一番 トゥー・ヴァージンズ』(1968年)。ベッドと床に寛いで横たわる2ショット写真を持つ『未完成作品第一番 ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ』(1969年)。白の衣服に身をつつんだ二人の写真を掲げた『ウェディング・アルバム』(1969年)。といった、結婚前後の3部作。
共通する絵柄をそれぞれのリーダー・アルバムに用いた、『ジョンの魂』(1970年)と『ヨーコの心 ヨーコ・オノ・プラスティック・オノ・バンド』(1970年)。そして、『イマジン』(1971年)と『フライ』(1971年)。
さらには、向き合って唇を合わせたり、頬を寄せたりする二人の写真をジャケ絵に用いた両者の連名による『ダブル・ファンタジー』(1980年)と、ジョン死後のリリースとなる『ミルク・アンド・ハニー』(1984年)。この両盤の絵柄(篠山紀信の撮影による)は『ダブル・ファンタジー』をリリースするさい、ジョン・レノン一人だけの絵柄のジャケットにしたいとの申し出がレコード会社側なされて、ジョンが激怒。意地でも、二人仲睦まじい写真を用いようとなったという。
そうした一連のアルバム・ジャケットの有り様を見ても、ジョンとヨーコの結びつきの強さ、二人でいることの覚悟のようなものが、分りはしまいか。個人的には、1970年と1971年に出された対となる2作品の存在を最初に知ったときには驚いた。アレレ、コンナコトシテイイノ? ロックにまつわる行動は何をやってもいいんだと痛感させられるとともに、前例に捕われない発想のしなやかさの見事な発露が、そこにはあると思った。
もちろん、夫婦が仲良く並んだ写真をジャケットに持つアルバムを出した人たちは世に何組もいる。有名なところでは、リオン・ラッセルとマリー・ラッセル(1976年作『Wedding Album』、1977年作『Make Love to the Music』)やグレッグ・オールマンとシェール夫妻(1977年作『Two the Hard Way』)あたりは良く知られるだろう。それらはともに見事な“色ぼけ”アルバムと多くの人に記憶されていると思うが、それに比し、ジョンとヨーコの諸作品はそれほど色ボケと感じさせないのは何故か。受ける側の先入観が働いているのかもしれないが、只の恋愛を超えた、広いスケールや、強い二人の意志や、同士的な二人の高め合いの様が見えるからではないのか。やはりジョンとヨーコの間には、崇高さや高潔さが超然とある。やはり、二人はスーパーなカップルであったのだと思う。
前衛芸術家の道を凛として進まんとするヨーコの1966年秋のロンドンでの個展に、ジョンが足を運んだのが、ともに既婚者であった二人のなれそめであったと言われる。アートは常識や先入観などを一切削いだものであり、自在の発想や行動こそが最たる美徳といった意志を掲げたヨーコの出典物にジョンは降参。ポップ・ミュージックという枠組のなかで数多かつ最大級の冒険を繰り返して来たザ・ビートルズを支えたジョンにとっても、ヨーコの持つ態度はあまりにフレッシュであり、オルタナティヴであり、センセーショナルなものに感じられたのは想像に難くない。そして、その後、二人は行動をともにし、日々切磋琢磨し、彼らが考える自由を社会に向かっておしだすようになる。
そんな二人の回路がザ・ビートルズ表現に持ち込まれた最たるものが、ザ・ビートルズ最長の曲でもある「レヴォールション9」だろう。ポールとリンゴは参加していないそのミュージック・コンクレートふう楽曲はまさに異色にして、よくぞアルバムに収録したと思わずにはいられない前衛曲だ。様々な曲調や方向性を収めた『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』(1968年)こそが彼らのベスト作とする人も少なくない(ぼくは、まさにそう感じています)と思うが、そういう者にとって、この曲は同作の極北の位置にある、掛け替えのない楽曲として存在しているのではないか。
すでにロック界のスーパー・スターでやりたい放題をつくせたとはいえリバプールの労働者階級の出身であったジョンは、東洋のいいとこの子女であるヨーコの前衛アートに対する造詣や天衣無縫な振る舞いに感化されまくったはず。そして、それがジョンの持ち前の創造性や我が道を行かんとする人間力の高さに火をつけた。ジョンがヨーコと出会って以降、ジョンはより世に背を向ける(いや、世を引っ張る、と書いたほうが適切か)ような、自覚的でもある行動をいろいろと見せるようになるし、それはより開かれた音楽家像を仁王立ちさせもした。もともと間違いなくリベラルであり、芯の通った人間ではあったが、ジョンはヨーコとの恋愛を通して、男女を超えるような普遍的な人間愛を求めるようにもなったし、前衛的にして過激なヨーコにつられて、より理想的なスタンスを貫くようになった。
ちんちん出した写真をジャケットに掲げたり、ベッドインなるパフォーマンスをプレス陣を前にして行う。そして、そこに出す音楽はポップ・ミュージックの枠組を大きく超えてもいる。ヨーコと出会っていなかったら、ジョンはそういうことはしていなかったのではないか。そして、だからこそ、ロック・スター然とした太平楽な活動を求めたいファンはその狼藉行動の元凶にヨーコを見て、おおいにバッシングしたのだと思う。ぼくは、そのころの二人にはリアル・タイムで接していない。だが、その様は今振り返っても、保守社会に対する理想主義に燃えた闘士そのもの。そして、それが単に破壊や否定ではなく、ポジティヴな慈愛と平和のメッセージにつながっていたのが、ジョンとヨーコたる所以でもあった。
ところで、ヨーコに関して、一つ。彼女のヴォーカルとういうと金切り声による器楽的歌唱法が思い出されるが、それをフリー・ジャズの先駆者であるオーネット・コールマンは高く評価していたと言われる。オーネットはまさにジャズ界においてトップ級の革新を行った人物であり、フリー・ジャズにおけるジョン・レノンと言っても語弊はない巨匠だ。彼は『ヨーコの心 ヨーコ・オノ・プラスティック・オノ・バンド』のレコーディングにデイヴィッド・アイゼンゾン、チャーリー・ヘイデン、エド・ブラックウェルといった舎弟たちと参加もした。そういえば、オーネットは金切り声前衛系の女性ヴォーカリストをライヴで鷹揚に起用していたりもする(今のところ直近となる2006年3月の日本公演でも、彼はわざわざヨーコと通じるようなアヴァン系日本人女性シンガーをステージにあげていた)わけで、その信憑性は高いと思われる。
それから、最新のヨーコにまつわる情報も一つ書いておきたい。ジギー・マーリー(ボブ・マーリーとリタ・マーリーの息子ですね。1968年生まれ。ジギーという呼び名は、デイヴィッド・ボウイ好きから来たと言われる。彼の代表作の一つが1972年作『ジギー・スターダスト』)の2014年新作『Fly Rasta』(Tuff Gong/V2)にはあまりに見事なヨーコ大讃歌曲「You’re My Yoko」という曲が収められている。その軽快なレゲエ調曲には、ほんとびっくり。!マークを50個ぐらい、連ねたくなっちゃう。それに触れていると、ここにきて、ヨーコ再評価の気運が持ち上がるかもと思えてきたりもする。
蛇足だが、先に触れたインタヴュー時にショーンは、彼女がフロントに立つプラスティック・オノ・バンドをマイルス・デイヴィスの『オン・ザ・コーナー』(1972年)や『ライヴ・イヴル』(1971年)の方向に持っていけたらと、語っていた。
ところで、ぼくがジョンっていいよなあと感じてしまうのは、どうしようもなく立派な姿を見せるとともに、その一方では、ある種ダメ男でもあったからだ。それが、ぼくを安心させる。ホっとさせる。
私見だが、ジョンは甘えん坊だったと思う。ヨーコはボックス・セット『ジョン・レノン・アンソロジー』(キャピトル、1998年)添付のブックレットの前書きで、出会ったころジョンはまだ20代で彼女は8つ年上だったが、王様のように堂々としていて、ジョンを年下と感じたことはなかった、と記している。逆もまた真なりだろうが、ジョンがヨーコに依存していた部分が少なからずあったと、ぼくは感じてしまう。ヨーコは菩薩やミューズのような存在であり、ときに母親のような役割を担うときもあったのではないか。『マインド・ゲームズ』(1973 年)のジャケット・カヴァーはそのことを示唆していまいか。家政婦のメイ・パンに手を出しヨーコから三行半をつきつけられ、LAに逃げて故ニルソンたちと馬鹿まるだし乱交三昧したのはヨーコへの強い依存の裏返しではなかったか。そしてヨーコの許しが出て(間を取り持ったエルトン・ジョン、グレイト・ジョブ!)NYに戻ったあと、彼は心の平成を得たようにも、ぼくには思える。そして、ショーンが生まれたこともあり、ジョンはハウス・ハズバンド三昧の日々に入る。その後、音楽活動に復帰し、ショーンと離れてスタジオ作業をする際、彼はコンソールの前にショーンの写真を張ったという。
そんな“愛の人”たるジョンのすごいところは、どうしてもスノッブとも言える側面も出てしまう、吹っ切れたアート活動をヨーコと一緒に標榜しつつ、その一方で大衆との接点を持ち続けていたこと。ザ・ビートルズの一員としての名声や影響力を効果的に用いたという指摘も可能だろう。彼は、前衛的な理想主義を、もっと大衆に身近な問題や興味とつなげ、大きな動きにしようとした。それこそは、ジョンの天賦の何かと言うしかないだろう。
また、彼が生まれついてのロッカーであったと思わせるのは、「レヴォールション9」のようなカっとび曲を送り出したり、先に書いた1960年代後期3部作のような現代音楽/実験音楽のほうに片足をツッこんだアルバムを発表しつつ、一方では広がった社会観や愛の感覚をもとに「アクロス・ザ・ユニヴァース」やソロ後の「イマジン」のような本当に普遍的なメッセージ曲を発表していること。それは、まさに彼の天性のポップ・ミュージックの作り手としての才であり、言葉は悪いかもしれないがヨーコという触媒を得た“キング”の面目躍如な楽曲であるというしかない。
ザ・ビートルズ時代の曲「ジョンとヨーコのバラード」以降、特にソロ活動に向かうようになると、ジョンとヨーコの間のもろもろを題材とする曲はいろいろと出されている。たとえば、『イマジン』の最後に収められた「オー・ヨーコ」。<真夜中、君の名を呼ぶ。オー・ヨーコ。僕の愛で、君を満たしてあげる>なんて素直な物言いが並ぶその曲なんて、最高のラヴ・ソングではないか。そう、こんな歌がかけなきゃ、革命もへったくれもないのである。
そして、それらの楽曲は天性の質感〜訴求力を持つヴォーカル(それは、魔法のようなグルーヴを抱えたものであるのはより認識されるべき)で歌われるのだから、もう降参するしかない。
ジョンとヨーコの、<ラヴ&ピース>。それは“アートや行動の無限の可能性”や“基本にある二人の人間関係の素敵”が結実したものであった。
もう一つ、その少し前に書いた原稿で、もう一つ未払いなやつを思い出した。ずさんなので別に支払い状況をマメにチェックしているわけではないし、すぐに書いた原稿のことも忘れてしまう傾向にあるのだが、これはゴールデン・ウィーク中に遊びの用事を削って書いた原稿なので、一応覚えている。ユニバーサル・ミュージックからの依頼の原稿で、一度担当A&Rに未払いじゃないのと指摘したら(その時、発売延期になったと聞いたか)、適当にはぐらかされて、そのままになってしまった。書いたのはコンコード発のレイ・チャールズのベスト盤のラーナーノーツで、以下が世間に出なかった原稿ナリ。
リジェンダリーという域に入りそうな、スター・ミュージシャンの条件って、なんだろう。たとえば……。
ライヴ・ショウでステージに登場したとたん、見る物は胸がいっぱいになってしまい、思わずスタンディング・オヴェーションしてしまう。
大ヒット曲を連発し、グラミー賞の常連でもある。
社会貢献を目的とした、自己財団を持っている。
自伝が出版されている。とともに、当人を題材とする映画も制作されている。
はたまた、クリスマス・アルバムを出している。そして、いろいろとベスト・アルバムが組まれている。
それから、切手の絵柄になっている。という、事項もそれに加えることができるだろうか。
実はこのレイ・チャールズのベスト盤『フォーエヴァー』はそのジャケット・カヴァーに顕われているように、アメリカ合衆国郵便公社が2013年9月にレイ・チャールズの切手を発行したことに合わせて組まれたベスト盤だ。
蛇足だが、同公社はここのところ、リディア・メンドーサ、ジョニー・キャッシュ、ジミ・ヘンドリックスといった鬼籍入りした大ミュージシャンを絵柄に採用した切手を発行している。
そのキャリアの長さ、プロダククツ群の深さや多彩さ、功績の大きさゆえ、レイ・チャールズのベスト盤はこれまで本当にたくさん組まれている。そうしたなか、この“一番新しい”ベスト・アルバムは、当然のことながら既発のものとは一線を画した選曲がなされている。
それが顕著に出ているのは、1950〜1960年代、つまりアトランティックやABC時代の楽曲は2曲しか収められていないこと。「メス・アラウンド」も「ホワッド・アイ・セイ」も「ジョージア・オン・マイ・マインド」も「愛さずにはいられない」も、ここには入っていない。ようは、彼が国民的な歌手としてより君臨するようになった1970年代以降のレイ・チャールズの姿を本作は主にまとめることで、彼が生涯にわたって持ち続けたしなやかな広がり、慈愛の情あふれるソウルネスといったものを、提示しようとしている。チャールズはキャリアを積むごとに自作曲を発表しなくなり、他者の楽曲を介することで逆にワン・アンド・オンリーたる個性が明解に出る、より万人向きとも言えるプロダクツを世に問うようになった。そして、ここに収められた曲群はスタンダード・ソングからポップ・チューンまで、全て非オリジナルだ。なお、この選曲は<ザ・レイ・チャールズ・ファンデーション>を運営する、原盤CDの解説も書いているヴァレリー・アーヴィンがしている。
■楽曲紹介
1 ア・ソング・フォー・ユー
1970年代に一世を風靡したシンガー/ピアニストのリオン・ラッセルの1970年発表曲。カーペンターズ、ダニー・ハサウェイ、ウィリー・ネルソン他、数多の担い手が取り上げるポップ・スタンダードだ。チャールズは1993年作『マイ・ワールド』(ワーナー・ブラザーズ)でこの曲を原曲のテイストを尊重する形でカヴァーし、シングル・カットもされた。R&Bチャート57位のセールスに留まったものの、本曲は1993年度の最優秀男性R&Bパフォーマンス賞を受賞している。
2 アイム・ゴナ・ムーヴ・トゥ・ザ・アウトスカーツ・オブ・タウン
1961年作『ジニアス+ソウル=ジャズ』(ABC)に収められたブルース基調の重厚ジャジー曲で、R&Bチャート25位(総合は84位)。カウント・ベイシーのオーケストラを借りて録音しており、プロデュースは後にCTIを設立するクリード・テイラーが担当。チャールズが影響を受けたルイ・ジョーダンも歌っていた曲で、後にザ・オールマン・ブラザーズやロッド・スチュアートらロック勢もこの剛毅な有名曲をカヴァーしている。
3 リング・オブ・ファイア
1970年作『ラヴ・カントリー・スタイル』(タンジェリン)に収録されていた曲で、ロック・アーティストからの信任も厚いカントリー界のビッグ・ネームであるジョニー・キャッシュの最大のヒット曲(1963年全米総合チャート1位)だ。チャールズはすちゃらかした原曲を大胆グルーヴィに処理している。1980年代に入ると、チャールズとキャッシュはお互いのレコーディングに参加し合った。
4 カム・レイン・オア・カム・シャイン
ジョニー・マーサーとハロルド・アーレンが作った1946年初出のスタンダード曲で、ビリー・ホリデイからジェイムズ・ブラウンまで取り上げる。通算6作目となる1959年作『ザ・ジニアス・オブ・レイ・チャールズ』(アトランティック)のクローザーだった曲だ。
5 ゼイ・キャント・テイク・ザット・アウェイ・フロム・ミー
ジョージとアイラ、ガーシュン兄弟が書いた彼らの代表曲の一つで、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャース主演の1937年映画「シャル・ウィー・ダンス?」のために書かれた。以後、このひねりの利いたラヴ・ソングは洒脱シンガーから多大な人気を博している。重厚なビッグ・バンド・サウンドがおごられたこのテイクは、今回初めて陽の目を見た。
6 ティル・ゼア・ワズ・ユー
自らのレーベル“タンジェリン”(1966〜72年)を“クロスオーヴァー”(1974〜75年)と改名しての最初のアルバム『カム・ライヴ・ウィズ・ミー』に収録されていた曲で、メレディス・ウィルソンが1957年ミュージカル「ザ・ミュージック・マン」(5年後に、映画化もされた)のために書いた。ソニー・ロリンズやザ・ビートルスらのカヴァーは特に有名か。ムーディな編曲とエレクトリック・ピアノの組み合わせは、チャールズ表現ならではのもの。
7 イズント・イット・ワンダフル
チャールズの死後にリリースされた『レア・ジニアス』(コンコード)に収録。1970年代から1990年代にかけての未発表/デモ曲を厳選し、そこに新たな音も一部加えるという指針を同作は取っていた。これは未発表であったのが謎に思える、寛ぎとグルーヴィさを併せ持つ好テイスト曲だ。
8 ナン・オブ・アス・アー・フリー
1990年上半期型の同時代サウンドのもと、唯一無二のチャールズの持ち味を解き放つ『マイ・ワールド』から。バリー・マンやブレンダ・ラッセルら好シンガー・ソングライターによる、ヒューマンなメッセージが込められた曲だ。この後、レイナード・スキナードやザ・ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマらがこの生理的にアーシーな曲を取り上げている。
9 イマジン
ロック界でトップ級に有名な曲であり、秀でたメッセージ・ソングでもあるジョン・レノンの1971年曲。2002年にライノ経由で組まれた、1960~1997年に録音した愛国心高揚楽曲を集めた編集作『レイ・チャールズ・シングス・フォー・アメリカ』(ライノ/wea)から。同作は、2001年9.11後の米国気運のもとに組まれたと言われている。
10 イフ・アイ・クッド
大御所米国人プロデューサーの一人であるリチャード・ペリー(カーリー・サイモン、リンゴ・スター、ロッド・スチュアート他を手がける)がプロデュースした『マイ・ワールド』収録の曲。モータウン畑のソングライターであるロナルド・ミラーらが共作していて、バーブラ・ストライサンド、セリーヌ・ディオン、ナンシー・ウィルソンらMOR系歌手にも取り上げられる曲だ。
11 ソー・ヘルプ・メー・ゴッド
『マイ・ワールド』からの4つ目となる曲で、チャカ・カーンほか様々な人気シンガーに曲を提供している辣腕ソングライターであるジャソ・J・フリードマンらが書いた、ゴスペル調曲だ。
12 アメリカ・ザ・ビューティフル
レイ・チャールズというと、この曲を思い出す人もいるか。アメリカ合衆国の第二の国歌たる、古くからの公有歌だ。1972 年にタンジェリンから出された『ア・メッセージ・フロム・ザ・ピープル』に収められている。
最後になったが、簡単に彼のキャリアを記しておく。
レイ・チャールズ・ロビンソンは、1930年9月23日にジョージア州で生まれた。母子家庭のもとフロリダ州で育つが、7歳で完全に失明。母親が亡くなってしまった15歳からピアニスト/シンガーとして身を立てるようになり、17歳になると大志を持って西海岸に向かった。3歳年下のクインシー・ジョーンズと出会い、彼に刺激を与えたのもそのころだ。22歳でアトランティック・レコードと契約し、ゴスペルとブルースが重なったと説明できるR&Bを鋭意創出。1955年に「アイ・ガッド・ア・ウーマン」で初めてR&Bチャート1位を獲得し、彼はスターへの道を歩んで行く。
そして、1959年末には、よりいい条件(+表現の自由の保証)を提示したABCと契約し、R&B、ジャズ、ポピュラー、カントリーといった音楽の枠を超えた“レイ・チャールズ表現”を思うまま標榜。結果、まさにアメリカを代表する音楽家としての位置を得ることとなる。
リリースしたアルバムは、約60枚。チャールズ最後のオリジナル・レコーディング作となってしまったノラ・ジョーンズやヴァン・モリソンらとの豪華デュエット曲を収めた『ジニアス・ラヴァーズ・カンパニー』(コンコード)、そしてテイラー・ハックフォードが監督した傑作自伝映画『Ray/レイ』がリリースされたのは2004年の夏と秋。残念ながら、チャールズはその高評を知る前に、同年6月10日に肝臓癌で亡くなった。
米国黒人音楽の素敵、創造性、訴求力を誰よりも示した、文字どおりのジニアス。そんな彼は黒人差別とも戦う一方、手を握るときれいな女性がすくに分ったというユーモラスな逸話も残している。(2014年5月 佐藤英輔)
オマール・ソーサ+熊谷和徳
2016年7月15日 音楽 八ヶ岳高原ロッジ・八ヶ岳高原音楽堂。けっこう広い木製の六角形(と言っていいのかな)の、普段はクラシックを主にやっている会場で、オマール・ソーサ(2001年8月24日、2002年7月22日2004年8月2日、2005年9月24日、2006年10月28日、2008年3月16日、2009年5月12日2010年8月3日、2013年9月17日、2014年3月10日)と熊谷和徳(2010年9月3日、2012年5月14日、2014年3月10日)のデュオ公演を見る。
ソーサは鳴り物を、左足の足首に鳴り物をつけていて、ストンプするとシャカシャカという音が出る。アタマ15分ほど一緒にやり、その後やはり15分ほどそれぞれ一人でやり、その後はまた一緒に、という構成で70分。ソーサについては何度も見ていて、また取材もしたこともあったりして、その真価や素の魅力を知っているつもりだが、熊谷についてはいろいろと思いを新たにするところあり。二人が一緒にやる場合、基本の流れはソーサの演奏に乗り、熊谷がアクセント/干渉音を入れていくという感じなのだが、熊谷の音読みの鋭さはすごいと思った。エンディングもちゃんと重なるしな。
▶過去の、ソーサ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200408021925240000/
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▶過去の、熊谷和徳
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<今日の、観取>
タップ・ダンスはすごいと思わされるところと、少し……と思うところと、両方を感じた。まず、マイナスの面は“楽器”としてその音を聞くなら、やはり表現の幅は狭い。足よりも器用な手を使う方がいろいろと多様性やグルーヴは出るのは間違いがない。ざっくり言ってしまうと、いくら名人でも音だけだと音楽的には不十分な”楽器”となってしまう。でも、視覚を伴うと、その”不自由”なことをする素敵は何倍にも広がる。やはり、肉体を駆使して地と繋がりながら人間発の鼓動/パルスを繰り出して行く様は生理的に刺激的。こりゃ、とんでもなくすごい行為なのだと思わずにはいられない。この日、熊谷は爪立ちやムーンウォーク的な所作を見せる。と、思わせるところがあった。翌日に本人に聞いてみたら、やはりMJは大好きなのだとか。彼、膝のところだけ、パンツに汗が滲みていた。タップは膝もたいそう駆使する所作なのか。いろいろ、発見するところはありました。
ソーサは鳴り物を、左足の足首に鳴り物をつけていて、ストンプするとシャカシャカという音が出る。アタマ15分ほど一緒にやり、その後やはり15分ほどそれぞれ一人でやり、その後はまた一緒に、という構成で70分。ソーサについては何度も見ていて、また取材もしたこともあったりして、その真価や素の魅力を知っているつもりだが、熊谷についてはいろいろと思いを新たにするところあり。二人が一緒にやる場合、基本の流れはソーサの演奏に乗り、熊谷がアクセント/干渉音を入れていくという感じなのだが、熊谷の音読みの鋭さはすごいと思った。エンディングもちゃんと重なるしな。
▶過去の、ソーサ
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http://43142.diarynote.jp/200905131200576485/
http://43142.diarynote.jp/201008251432447574/
http://43142.diarynote.jp/201309201840164499/
http://43142.diarynote.jp/201403131302032810/
▶過去の、熊谷和徳
http://43142.diarynote.jp/?day=20100903
http://43142.diarynote.jp/?day=20120514
http://43142.diarynote.jp/201403131302032810/
<今日の、観取>
タップ・ダンスはすごいと思わされるところと、少し……と思うところと、両方を感じた。まず、マイナスの面は“楽器”としてその音を聞くなら、やはり表現の幅は狭い。足よりも器用な手を使う方がいろいろと多様性やグルーヴは出るのは間違いがない。ざっくり言ってしまうと、いくら名人でも音だけだと音楽的には不十分な”楽器”となってしまう。でも、視覚を伴うと、その”不自由”なことをする素敵は何倍にも広がる。やはり、肉体を駆使して地と繋がりながら人間発の鼓動/パルスを繰り出して行く様は生理的に刺激的。こりゃ、とんでもなくすごい行為なのだと思わずにはいられない。この日、熊谷は爪立ちやムーンウォーク的な所作を見せる。と、思わせるところがあった。翌日に本人に聞いてみたら、やはりMJは大好きなのだとか。彼、膝のところだけ、パンツに汗が滲みていた。タップは膝もたいそう駆使する所作なのか。いろいろ、発見するところはありました。
ジャズ・ワールド・ビート
2016年7月16日 音楽 都立大学・めぐろパーシモンの小ホール(午後〜)と大ホール(夕方〜)で持たれた催し。前者が4つ、後者が3つ。通すと、全部で7つの単位が出た。以下。登場順に記す。
@間を奏でる
ピアノの林正樹、アイリッシュ・ハープの堀米綾、ヴァイオリンとヴォーカルの磯部舞子、エレクトリック・ベースの織原良次、パーカッションの小林武文からなる、アコースティックなインスト系のグループ。分かりやすいメロディ性にも留意し、情景的なアンサンブルを描こうとしていると感じた。
@スガダイロー
ピアニストのスガダイロー(2009年1月8日、2009年7月3日、2013年2月19日、2016年2月28日)は、ソロ・パーフォマンスにて実演。前半は比較的元気に麻雀牌かき回しスタイルを見せ、後半はセロニアス・モンクの「ミステリオーソ」(だったっけな?)と昔の著名唱歌(曲名失念)を交互に繰り出す場面もあった。
▶過去の、スガダイロー
http://43142.diarynote.jp/200901091437341082/
http://43142.diarynote.jp/200907131158382767/
http://43142.diarynote.jp/201302201720351212/
http://43142.diarynote.jp/201603011023174338/
@ダブル・トーラス
ピアニストの林正樹(2013年9月6日、2015年9月27日、2015年12月17日)とテナー・サックス奏者の田中邦和(2010年7月1日、2010年12月16日、2012年10月16日、2012年12月11日、2015年12月17日)、二人のユニット。ジャズその他の素養や流儀を、時にウィットに富みつつに二人の対話のもと広げる、と書けるようなパフォーマンスを展開。
▶過去の、林正樹
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
▶過去の、田中邦和
http://43142.diarynote.jp/201007081547031840/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121211
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
@小沼ようすけ
小沼ようすけ(2004年11月30日、2010年10月12日、2011年3月28日、2011年3月31日、2011年7月25日、2013年7月1日、2014年2月5日)はエレクトリック・ギターとアコースティック・ギターを、ソロにて悠々と披露する。
▶過去の、小沼ようすけ
http://43142.diarynote.jp/200412111738540000/
http://43142.diarynote.jp/201010191156412288/
http://43142.diarynote.jp/201104041100266528/
http://43142.diarynote.jp/201104041101072561/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110725
http://43142.diarynote.jp/?day=20130701
http://43142.diarynote.jp/201402071150071550/
@エミ・マイヤー+ダブル・トーラス
主にスタンダードを、ピアノとテナー・サックスの二人をバックに歌う。とはいえ、1曲目はエミ・マイヤー(2009年1月29日、2009年6月22日、2009年7月26日、2010年2月25日、2010年5月31日、2011年5月21日、2011年6月5日、2012年6月4日、2012年10月16日、2013年7月4日、2015年12月17日)一人のピアノ弾き語り曲。昔は弾き語りしていたわけで、味が悪いはずがない。とともに、キャンディス・スプリングス(2016年5月25日)のそれにも引けをとらないわけで、米国ブルーノートが彼女と契約しても不思議はないとぼくは思った。途中で畠山美由紀が出てきて、「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」を一緒に歌った。
▶過去の、エミ・マイヤー
http://43142.diarynote.jp/200901310844354188/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090622
http://43142.diarynote.jp/200907131157415716/
http://43142.diarynote.jp/201002280942269300/
http://43142.diarynote.jp/201006071814527618/
http://43142.diarynote.jp/201105230925539578/
http://43142.diarynote.jp/201106131248013805/
http://43142.diarynote.jp/201206110916017268/
http://43142.diarynote.jp/201210201218283712/
http://43142.diarynote.jp/201307071319405650/
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506/
▶︎過去の、ダブル・トーラス
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506/
▶︎過去の、キャンディス・スプリングス
http://43142.diarynote.jp/201605260923093422/
@畠山美由紀
畠山美由紀(2007年3月11日、2009年3月31日、2009年4月4日、2012年7月16日、2014年8月27 日、2014年11月27日)をサポートしたのは、ギターの小池龍平(2011年10月8日)、エレクトリック・ベースの織原良次、ピアノの村上ゆき。1曲目のジョニ・ミッチェルのミンガス曲カヴァーのカヴァーの味の良さにはびっくり。また、「サマータイム」の弾まないレゲエ・ビート・ヴァージョンも味わい深い。それに比すと日本語曲はぼくの耳には過剰な印象を残さなかったものの、その振り幅はすごいし、アーティストの自我や創意があると思わせられた。
▶過去の、畠山美由紀
http://43142.diarynote.jp/200703130418360000/
http://43142.diarynote.jp/200904040640421651/
http://43142.diarynote.jp/200904120632543345/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120716
http://43142.diarynote.jp/201408301136411048/
http://43142.diarynote.jp/201412011305372891/
▶︎過去の、小池龍平
http://43142.diarynote.jp/201110091300039780/
@オマール・ソーサ+熊谷和徳
キューバ生まれ、現スペイン在住となるコスモポリタンなピアニスト(2001年8月24日、2002年7月22日2004年8月2日、2005年9月24日、2006年10月28日、2008年3月16日、2009年5月12日2010年8月3日、2013年9月17日、2014年3月10日、2016年7月15日)と現在はNYに住む日本人タップ・ダンサーのデュオには、笑っちゃった。だって、前日のそれと大きく違うんだもの。気分屋にして発展野郎のサーサは当然のこと(今日の方が、奔放でラテンぽかった)、それは熊谷和徳(2010年9月3日、2012年5月14日、2014年3月10日、2016年7月15日)も同様。例えば、ソロの部分、昨日はフレッド・アステアほか何人もの有名タップ・ダンサーの作法を実演とともに解説するものをやったが、今回は時にヒューマン・ビート・ボックスもどきを交えつつフリー・フォームで延々とやった。
そして、本編が終わった後は、ダブル・トーラスと小沼ようすけも加わっての、ラテン調ビートのもと怒涛のセッション。その際、ソーサの開けっぴろげな性格〜ミュージック・ラヴァーが露わになり、愉快なことこの上ない。
▶過去の、ソーサ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200408021925240000/
http://43142.diarynote.jp/200510030021170000/
http://43142.diarynote.jp/200611020835550000/
http://43142.diarynote.jp/200803201207150000/
http://43142.diarynote.jp/200905131200576485/
http://43142.diarynote.jp/201008251432447574/
http://43142.diarynote.jp/201309201840164499/
http://43142.diarynote.jp/201403131302032810/
http://43142.diarynote.jp/201607191309581526/
▶過去の、熊谷和徳
http://43142.diarynote.jp/?day=20100903
http://43142.diarynote.jp/?day=20120514
http://43142.diarynote.jp/201403131302032810/
http://43142.diarynote.jp/201607191309581526/
<今日の、流れ>
会場内で会った知人たちと、都立大学で2軒、それから渋谷で2軒流れる。うち、二人はぼくより年長。若い人は飲まないと言われるが、やはり年寄りの方がお酒は好きか?
@間を奏でる
ピアノの林正樹、アイリッシュ・ハープの堀米綾、ヴァイオリンとヴォーカルの磯部舞子、エレクトリック・ベースの織原良次、パーカッションの小林武文からなる、アコースティックなインスト系のグループ。分かりやすいメロディ性にも留意し、情景的なアンサンブルを描こうとしていると感じた。
@スガダイロー
ピアニストのスガダイロー(2009年1月8日、2009年7月3日、2013年2月19日、2016年2月28日)は、ソロ・パーフォマンスにて実演。前半は比較的元気に麻雀牌かき回しスタイルを見せ、後半はセロニアス・モンクの「ミステリオーソ」(だったっけな?)と昔の著名唱歌(曲名失念)を交互に繰り出す場面もあった。
▶過去の、スガダイロー
http://43142.diarynote.jp/200901091437341082/
http://43142.diarynote.jp/200907131158382767/
http://43142.diarynote.jp/201302201720351212/
http://43142.diarynote.jp/201603011023174338/
@ダブル・トーラス
ピアニストの林正樹(2013年9月6日、2015年9月27日、2015年12月17日)とテナー・サックス奏者の田中邦和(2010年7月1日、2010年12月16日、2012年10月16日、2012年12月11日、2015年12月17日)、二人のユニット。ジャズその他の素養や流儀を、時にウィットに富みつつに二人の対話のもと広げる、と書けるようなパフォーマンスを展開。
▶過去の、林正樹
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
▶過去の、田中邦和
http://43142.diarynote.jp/201007081547031840/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121211
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
@小沼ようすけ
小沼ようすけ(2004年11月30日、2010年10月12日、2011年3月28日、2011年3月31日、2011年7月25日、2013年7月1日、2014年2月5日)はエレクトリック・ギターとアコースティック・ギターを、ソロにて悠々と披露する。
▶過去の、小沼ようすけ
http://43142.diarynote.jp/200412111738540000/
http://43142.diarynote.jp/201010191156412288/
http://43142.diarynote.jp/201104041100266528/
http://43142.diarynote.jp/201104041101072561/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110725
http://43142.diarynote.jp/?day=20130701
http://43142.diarynote.jp/201402071150071550/
@エミ・マイヤー+ダブル・トーラス
主にスタンダードを、ピアノとテナー・サックスの二人をバックに歌う。とはいえ、1曲目はエミ・マイヤー(2009年1月29日、2009年6月22日、2009年7月26日、2010年2月25日、2010年5月31日、2011年5月21日、2011年6月5日、2012年6月4日、2012年10月16日、2013年7月4日、2015年12月17日)一人のピアノ弾き語り曲。昔は弾き語りしていたわけで、味が悪いはずがない。とともに、キャンディス・スプリングス(2016年5月25日)のそれにも引けをとらないわけで、米国ブルーノートが彼女と契約しても不思議はないとぼくは思った。途中で畠山美由紀が出てきて、「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」を一緒に歌った。
▶過去の、エミ・マイヤー
http://43142.diarynote.jp/200901310844354188/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090622
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http://43142.diarynote.jp/201210201218283712/
http://43142.diarynote.jp/201307071319405650/
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506/
▶︎過去の、ダブル・トーラス
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506/
▶︎過去の、キャンディス・スプリングス
http://43142.diarynote.jp/201605260923093422/
@畠山美由紀
畠山美由紀(2007年3月11日、2009年3月31日、2009年4月4日、2012年7月16日、2014年8月27 日、2014年11月27日)をサポートしたのは、ギターの小池龍平(2011年10月8日)、エレクトリック・ベースの織原良次、ピアノの村上ゆき。1曲目のジョニ・ミッチェルのミンガス曲カヴァーのカヴァーの味の良さにはびっくり。また、「サマータイム」の弾まないレゲエ・ビート・ヴァージョンも味わい深い。それに比すと日本語曲はぼくの耳には過剰な印象を残さなかったものの、その振り幅はすごいし、アーティストの自我や創意があると思わせられた。
▶過去の、畠山美由紀
http://43142.diarynote.jp/200703130418360000/
http://43142.diarynote.jp/200904040640421651/
http://43142.diarynote.jp/200904120632543345/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120716
http://43142.diarynote.jp/201408301136411048/
http://43142.diarynote.jp/201412011305372891/
▶︎過去の、小池龍平
http://43142.diarynote.jp/201110091300039780/
@オマール・ソーサ+熊谷和徳
キューバ生まれ、現スペイン在住となるコスモポリタンなピアニスト(2001年8月24日、2002年7月22日2004年8月2日、2005年9月24日、2006年10月28日、2008年3月16日、2009年5月12日2010年8月3日、2013年9月17日、2014年3月10日、2016年7月15日)と現在はNYに住む日本人タップ・ダンサーのデュオには、笑っちゃった。だって、前日のそれと大きく違うんだもの。気分屋にして発展野郎のサーサは当然のこと(今日の方が、奔放でラテンぽかった)、それは熊谷和徳(2010年9月3日、2012年5月14日、2014年3月10日、2016年7月15日)も同様。例えば、ソロの部分、昨日はフレッド・アステアほか何人もの有名タップ・ダンサーの作法を実演とともに解説するものをやったが、今回は時にヒューマン・ビート・ボックスもどきを交えつつフリー・フォームで延々とやった。
そして、本編が終わった後は、ダブル・トーラスと小沼ようすけも加わっての、ラテン調ビートのもと怒涛のセッション。その際、ソーサの開けっぴろげな性格〜ミュージック・ラヴァーが露わになり、愉快なことこの上ない。
▶過去の、ソーサ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200408021925240000/
http://43142.diarynote.jp/200510030021170000/
http://43142.diarynote.jp/200611020835550000/
http://43142.diarynote.jp/200803201207150000/
http://43142.diarynote.jp/200905131200576485/
http://43142.diarynote.jp/201008251432447574/
http://43142.diarynote.jp/201309201840164499/
http://43142.diarynote.jp/201403131302032810/
http://43142.diarynote.jp/201607191309581526/
▶過去の、熊谷和徳
http://43142.diarynote.jp/?day=20100903
http://43142.diarynote.jp/?day=20120514
http://43142.diarynote.jp/201403131302032810/
http://43142.diarynote.jp/201607191309581526/
<今日の、流れ>
会場内で会った知人たちと、都立大学で2軒、それから渋谷で2軒流れる。うち、二人はぼくより年長。若い人は飲まないと言われるが、やはり年寄りの方がお酒は好きか?
昨日、今日と、代々木公園でブラジル・フェスティヴァルが開催されていて、サクッとブラジル人ソウル派歌手(2009年6月3日)を見る。キーボード、ギター、ベース、ドラム、パーカッションという6人編成のバンドを率いてのパフォーマンス。腕がたつ彼らもブラジルからやってきたと推測される。ハレの場という雰囲気を持つ格好の彼女が出てきたん途端、場が華やぐのはさすが。で、1曲目のソウル度数の高い曲から、アピール度は山ほど。が、前回来日時と比すなら、サンバ/ブラジル度は今回の方が高いと思わせられたわけで、これはウキキとならないはずがないじゃないか!
▶︎過去の、パオラ・リマ
http://43142.diarynote.jp/200906071507302585/
<今日の、会場>
かなりスケジュールが遅れているという連絡を受け、日が暮れてから会場に向かったが、もう場内に着くころには汗びっしょり。まだまだ、猛暑には程遠い気温ではあるはずだが。トリのリマさん、1時間半ほどおしての登場だったよう。でも、しっかりパフォーマンスもしたが、夜の騒音とかの問題は平気だったのだろうか? 外国人の多いフェスで、カイピリーニャを買おうとしていた時、オニーサン日本人?と、純日本人ではない女性から話しかけられた。なんか、別な場所にいるキブンになった。
▶︎過去の、パオラ・リマ
http://43142.diarynote.jp/200906071507302585/
<今日の、会場>
かなりスケジュールが遅れているという連絡を受け、日が暮れてから会場に向かったが、もう場内に着くころには汗びっしょり。まだまだ、猛暑には程遠い気温ではあるはずだが。トリのリマさん、1時間半ほどおしての登場だったよう。でも、しっかりパフォーマンスもしたが、夜の騒音とかの問題は平気だったのだろうか? 外国人の多いフェスで、カイピリーニャを買おうとしていた時、オニーサン日本人?と、純日本人ではない女性から話しかけられた。なんか、別な場所にいるキブンになった。
ザ・JBズ(只今公開中のドキュメンタリー映画「ミスター・ダイナマイト ファンクの帝王ジェームス・ブラウン」にも証言者として弟のメルヴィン・パーカーとともに出てきます。http://43142.diarynote.jp/201606281735457440/)→P- ファンクと黄金のファンク街道を歩み、1980年代後半から大々的にリーダーとして大車輪している、アルト・サックス奏者/シンガー(1999年8月6~8日、1999年10月28日、2001年4月17日、2002年11月19日、2005年9月6日、2007年9月13日、2009年1月21日、2010年2月16日、2010年9月3日、2013年2月2日、2015年7月27日)の2年ぶりの来日公演はビルボードライブ東京。セカンド・ショウ。
メンバーが登場する際、プリンスの「1999」が流される。メイシオはプリンスお気に入りのサックス奏者だったわけで、それは奇異なこととは思えず。具体的な故人についてのコメントなどはなかったが、湿っぽくならないそれでぼくはOKと思えた。
メイシオ・バンドはなかなかに結束が固く、結構固定した顔ぶれでツアーを行なっているが、今回バンドには少し変更あり。まず、バンドはニッキー・グラスピーという女性ドラマーからピーター・マクリーンという御仁にチェンジ。実はマクリーンは、P-Vineが送り出したボストンのファンク・インスト・バンドであるボストン・ホーンズ(2006年11月13日。その渋谷・クラブクアトロ公演はライヴ盤にもなっている)で叩いていた人のよう。新しくはないが、王道のファンク・ドラミングをバッチリできる人であり、バンドはいろんなポケットを持つ演奏を開いていて、にっこり。それから、今回の補助シンガーはかつてアルバムやツアーに入っていた息子のコリー・パーカーと親類だそうなダーリン・パーカーが務める。
ジェイムズ・ブラウンから受けたファンク回路を好奇心旺盛に広げる(その段階で、スライ他のファンク様式やジャズ要素も入り込む)パフォーマンスの内容は過去と同様だが、力はあるし、やはり引きつける。特に、今回長いソロのパートも与えられた長年バンドに在籍するロドニー・スキート・カーティス(ベース)とブルーノ・スペイド(ギター)の力量は賞賛されてしかるべきものと再認識。また、痩せたメイシオはアルト演奏も歌唱も衰えなし。特に、アルトの音色は出色だと思った。
▶過去の、メイシオ・パーカー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200509130313320000/
http://43142.diarynote.jp/200709171112310000/
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
http://43142.diarynote.jp/201002171552164447/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
http://43142.diarynote.jp/201508050852067247/
<今日の、本気>
それにしても、メイシオ・パーカーはまことプロ。時々にやりとする場合もあるが、基本は本当に厳しい顔をしてバンド・リーダーの責務を果たそうとしている。彼のちょっとしたディレクションでバンド・サウンドやメンバーたちのステージでの立ち位置やアクションが変わる様はとても面白い。ずっとツアー(しかも、同様の構成員のもと)を重ねているのにもかかわらず、けっこうピリピリしたノリでショウを遂行している様はすごい。そういえば、メイシオが契約する英国のメネイジメントの女性マネイジャーもずっと同じ人だが、彼女のMCは下手くそだなあ。
メンバーが登場する際、プリンスの「1999」が流される。メイシオはプリンスお気に入りのサックス奏者だったわけで、それは奇異なこととは思えず。具体的な故人についてのコメントなどはなかったが、湿っぽくならないそれでぼくはOKと思えた。
メイシオ・バンドはなかなかに結束が固く、結構固定した顔ぶれでツアーを行なっているが、今回バンドには少し変更あり。まず、バンドはニッキー・グラスピーという女性ドラマーからピーター・マクリーンという御仁にチェンジ。実はマクリーンは、P-Vineが送り出したボストンのファンク・インスト・バンドであるボストン・ホーンズ(2006年11月13日。その渋谷・クラブクアトロ公演はライヴ盤にもなっている)で叩いていた人のよう。新しくはないが、王道のファンク・ドラミングをバッチリできる人であり、バンドはいろんなポケットを持つ演奏を開いていて、にっこり。それから、今回の補助シンガーはかつてアルバムやツアーに入っていた息子のコリー・パーカーと親類だそうなダーリン・パーカーが務める。
ジェイムズ・ブラウンから受けたファンク回路を好奇心旺盛に広げる(その段階で、スライ他のファンク様式やジャズ要素も入り込む)パフォーマンスの内容は過去と同様だが、力はあるし、やはり引きつける。特に、今回長いソロのパートも与えられた長年バンドに在籍するロドニー・スキート・カーティス(ベース)とブルーノ・スペイド(ギター)の力量は賞賛されてしかるべきものと再認識。また、痩せたメイシオはアルト演奏も歌唱も衰えなし。特に、アルトの音色は出色だと思った。
▶過去の、メイシオ・パーカー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
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http://43142.diarynote.jp/201508050852067247/
<今日の、本気>
それにしても、メイシオ・パーカーはまことプロ。時々にやりとする場合もあるが、基本は本当に厳しい顔をしてバンド・リーダーの責務を果たそうとしている。彼のちょっとしたディレクションでバンド・サウンドやメンバーたちのステージでの立ち位置やアクションが変わる様はとても面白い。ずっとツアー(しかも、同様の構成員のもと)を重ねているのにもかかわらず、けっこうピリピリしたノリでショウを遂行している様はすごい。そういえば、メイシオが契約する英国のメネイジメントの女性マネイジャーもずっと同じ人だが、彼女のMCは下手くそだなあ。
1940年八重山の小浜島生まれ、10代から沖縄で歌っているジャズ・シンガーの与世山澄子(2005年9月11日、2007年11月7日)を代官山・晴れたら空に豆まいて で見る。サポートはピアノの南博(2001年10月29日、2005年6月9日、2005年9月11日、2006年10月25日、2007年4月12日、2007年10月17日、2010年3月26日、2011年3月2日、2013年2月17日、2016年3月22日)、アルト・サックスの津上研太(2001年9月22日、2002年3月17日、2003年6月28日、2004年2月6日、2004年10月10日、2006年1月21日、2006年10月25日、2013年2月17日)、ベースの金澤英明(2004年7月27日) が務めた。
歌うと、声がスパっと大きい。と、すぐに思わされる。うぬ、原付や軽自動車ではなく大きな排気量のエンジンを積んでいる、これはフリーウェイを走る資格を持っていると了解できるではないか。また、前に見た時から全然老けていないなあとも思わされる。
歌うのは、スタンダード。「ナイト・アンドデイ」で、彼女が先行するピアノとベース音になかなか入れなかったのは謎。ものすごい回数を歌ってきたはずではあるが、ちょっとした奏者の音選びが彼女の流儀から離れるものであったのか。伴奏や合いの手については奏者の方も少しの我を出すもので、全面的に歌い手に優しいものではなく、それでも彼女は悠々と歌っていた。
彼女は歌う前に、イントロのように歌の内容につながることを日本語で語る場合もある。ザ・ビートルズの「イエスタデイ」やエディット・ピアフの「愛の讃歌」(←英語詞なので、ブレンダ・リーの、と書いたほうがいいのか)などもしっとり歌う。スタンダードの原歌詞はそれほど知らないが、ザ・ビートルズだったらけっこう頭に入っているものもあるので、彼女の英語歌唱が真っ当なものであることも、それでちゃんと分かる。まあ、米国領(1945〜72年)であった時には、米国軍人を相手に歌っていたわけで当然だろうが。
やはり、米国と他文化の交錯、ジャズの根本にある強い訴求力のようなものを感じずにはいられない。積み上げてきたもの多し。それを悠々と広げる貴さのようなものも、山ほど。そのショウに接して、ありがたいものに触れていると思わずにはいられなかった。
▶︎過去の、与世山澄子
http://43142.diarynote.jp/200509130319290000/
http://43142.diarynote.jp/200711101236210000/
▶過去の、南博
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200506120644360000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050911
http://43142.diarynote.jp/?day=20061025
http://43142.diarynote.jp/200704151310110000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20071107
http://43142.diarynote.jp/201003280551094942/
http://43142.diarynote.jp/201103040841482385/
http://43142.diarynote.jp/201302191656063458/
http://43142.diarynote.jp/201603250948035159/
▶︎過去の、津上
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-9.htm DCPRG
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm ONJQ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm ONJQ+OE
http://43142.diarynote.jp/200402061359140000/ ONJQ
http://43142.diarynote.jp/200410162220330000/ ONJE
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/ ONJO
http://43142.diarynote.jp/200611020833520000/ BOZO
http://43142.diarynote.jp/201302191656063458/ 南+津上
http://43142.diarynote.jp/201107020946473690/ STO
▶︎過去の、金沢英明
http://43142.diarynote.jp/200407271618520000/
<今日の、お客>
休憩に入ると、トントンと肩を叩かれる。お、ロック系の先輩ライターのSさんではないか。趣味で来ているという。他にも、ロック系イヴェンターの方にも会ったりもした。皆んな、与世山澄子のショウにストーリーを得にやってきていた。な〜んて。
歌うと、声がスパっと大きい。と、すぐに思わされる。うぬ、原付や軽自動車ではなく大きな排気量のエンジンを積んでいる、これはフリーウェイを走る資格を持っていると了解できるではないか。また、前に見た時から全然老けていないなあとも思わされる。
歌うのは、スタンダード。「ナイト・アンドデイ」で、彼女が先行するピアノとベース音になかなか入れなかったのは謎。ものすごい回数を歌ってきたはずではあるが、ちょっとした奏者の音選びが彼女の流儀から離れるものであったのか。伴奏や合いの手については奏者の方も少しの我を出すもので、全面的に歌い手に優しいものではなく、それでも彼女は悠々と歌っていた。
彼女は歌う前に、イントロのように歌の内容につながることを日本語で語る場合もある。ザ・ビートルズの「イエスタデイ」やエディット・ピアフの「愛の讃歌」(←英語詞なので、ブレンダ・リーの、と書いたほうがいいのか)などもしっとり歌う。スタンダードの原歌詞はそれほど知らないが、ザ・ビートルズだったらけっこう頭に入っているものもあるので、彼女の英語歌唱が真っ当なものであることも、それでちゃんと分かる。まあ、米国領(1945〜72年)であった時には、米国軍人を相手に歌っていたわけで当然だろうが。
やはり、米国と他文化の交錯、ジャズの根本にある強い訴求力のようなものを感じずにはいられない。積み上げてきたもの多し。それを悠々と広げる貴さのようなものも、山ほど。そのショウに接して、ありがたいものに触れていると思わずにはいられなかった。
▶︎過去の、与世山澄子
http://43142.diarynote.jp/200509130319290000/
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▶過去の、南博
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▶︎過去の、津上
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http://43142.diarynote.jp/201302191656063458/ 南+津上
http://43142.diarynote.jp/201107020946473690/ STO
▶︎過去の、金沢英明
http://43142.diarynote.jp/200407271618520000/
<今日の、お客>
休憩に入ると、トントンと肩を叩かれる。お、ロック系の先輩ライターのSさんではないか。趣味で来ているという。他にも、ロック系イヴェンターの方にも会ったりもした。皆んな、与世山澄子のショウにストーリーを得にやってきていた。な〜んて。
ミシェル・ライス・ジャパン・カルテット
2016年7月21日 音楽 ルクセンブルグ人ジャズ・ピアニストであるミシェル・ライス(レイスとも日本語表記されているが、4月に本国でインタヴューした際〜http://43142.diarynote.jp/201604271333586112/〜、本人に確認を取ったところライスだねとなったので、ここではそう表記する)の公演は、南青山・ボディ&ソウル。
バークリー音楽大学とニュー・イングランド音楽院に通った彼は本国人とのトリオ(一人はNY在住)、ドイツ人とのカルテットなどいろいろプロジェクトを持っていて、これはバークリー音大時代の付き合いを元に置く日本人とのライヴ・プロジェクト。前回もこの顔ぶれでツアーをやっているそうだが、すんごく難しい曲をやっていて、驚く。どこか、何かにつけて騙し絵的な仕掛が施されていて(それは、明るくはない所感を導く)、うわあ。その一方で、きっちり即興も織り込まれている。
テナー・サックスの西口明宏と縦ベースの須川崇志(2010年3月14日、2011年7月25日、2016年6月27日)がバークリー音大仲間で、そこに俊英ドラマーの石若駿(2014年9月26日、2016年6月27日)が入るという編成。テナーとドラムは生音、ピアノには3本のマイクで音を拾っていたか。皆んな確かな信頼〜共感関係のもと、音を出し合っている。石若はときにトニー・ウィリアムスみたいだった。
セカンド・ショウではもろにフリー・ジャズ方向に針が吹っ切れるときがあって、イエイ。それ、爽快にして、面々のキャパの大きさを知らせるもので、いいじゃあないか! そのままそっち方向に行くのかと思ったら、次の曲は構成されたタンゴ調の曲でありゃ。この晩はツアーの二日目、ライスたちのツアーは24日まで、前橋、東京、横浜と続く。
▶︎過去の、須川崇志
http://43142.diarynote.jp/201003191715113498/
http://43142.diarynote.jp/201107310727152406/
http://43142.diarynote.jp/201606281737237220/
▶︎過去の、石若駿
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
http://43142.diarynote.jp/201606281737237220/
<今日の、ギャフン>
近所の歯医者に行って(口の中を女性に覗き込まれるのは、なんか恥ずかしい)、そのまま不在者投票をしようかと思ったら、まだ始まっていなかった。近くにあった100円ショップで、意外なものを買っちゃったYOH。
バークリー音楽大学とニュー・イングランド音楽院に通った彼は本国人とのトリオ(一人はNY在住)、ドイツ人とのカルテットなどいろいろプロジェクトを持っていて、これはバークリー音大時代の付き合いを元に置く日本人とのライヴ・プロジェクト。前回もこの顔ぶれでツアーをやっているそうだが、すんごく難しい曲をやっていて、驚く。どこか、何かにつけて騙し絵的な仕掛が施されていて(それは、明るくはない所感を導く)、うわあ。その一方で、きっちり即興も織り込まれている。
テナー・サックスの西口明宏と縦ベースの須川崇志(2010年3月14日、2011年7月25日、2016年6月27日)がバークリー音大仲間で、そこに俊英ドラマーの石若駿(2014年9月26日、2016年6月27日)が入るという編成。テナーとドラムは生音、ピアノには3本のマイクで音を拾っていたか。皆んな確かな信頼〜共感関係のもと、音を出し合っている。石若はときにトニー・ウィリアムスみたいだった。
セカンド・ショウではもろにフリー・ジャズ方向に針が吹っ切れるときがあって、イエイ。それ、爽快にして、面々のキャパの大きさを知らせるもので、いいじゃあないか! そのままそっち方向に行くのかと思ったら、次の曲は構成されたタンゴ調の曲でありゃ。この晩はツアーの二日目、ライスたちのツアーは24日まで、前橋、東京、横浜と続く。
▶︎過去の、須川崇志
http://43142.diarynote.jp/201003191715113498/
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▶︎過去の、石若駿
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
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<今日の、ギャフン>
近所の歯医者に行って(口の中を女性に覗き込まれるのは、なんか恥ずかしい)、そのまま不在者投票をしようかと思ったら、まだ始まっていなかった。近くにあった100円ショップで、意外なものを買っちゃったYOH。
おお、大きくない若い女性が(アルトと異なり音色も物理的な大きさも男性的な楽器である)テナー・サックスを抱える(彼女は一部、フルートも手にした)。それは、けっこう意外性のある図ではあるなあ。ムーンチャイルドはキーボードを弾く二人の男性陣とヴォーカルの女性の白人3人組で、そこにアフリカ系のドラマーがサポートで入る。そして、男性たちもときにアルト・サックス(一部、クラリネット)やトランペットを手にし、ジャジーなセクション音や簡素なソロを入れて彩を添えるのだ。
そんなムーンチャイルドはウェスト・コーストの大学でジャズを専攻していた若者たちで組まれたユニットで、発表したアルバムは2作。自主発売の1作目はヒップホップ色もあったが、英トゥルー・ソウツ発の新作はメロウな現代ソウルという像に焦点を絞った仕上がりになっている。
そのコード使いは、ジャズ的。ヴォーカルのラインの取り方もジャズを知っていなければできない歌い方(ようは、一緒に口づさみにくい)。で、ぼくがそれに触れてすぐに思い出したのは、『ラジオ・ミュージック・ソサエティ』のエスペランサ。他にも清新R&Bユニットであるキング(バークリー音大卒もいる)やハイエイタス・カイヨーテを思い出す人がいてもおかしくない。まあ、一言で片付ければ、ハイ・センスとなりますね。
実演は残念ながら、アルバムを超えるものではない。やはり、基本キーボード2台(うち、一台はベース音を担う)だけのメロディ楽器では単調になりがち。というか、アルバムは音色や響きに留意していたが、ライヴではそれが一本調子。専任エンジニアを連れてきていたら、少し違ったかかもしれないが。アルバムと異なり、ヴォーカルにもエフェクトは一切入らなかった。掛け持ちなので大変かもしれないが、ライヴにおいてはもう少し多くブラス音を用いたほうが変化も出るだろう.
だが、ジャズの要素が今の瑞々しいソウル/ポップ表現にいかに使えるかということはとても示す。こういうひねりの効いたメロウなアダルト・ミュージックがあってもいいというか、それこそがなんか今様ぢゃんと思わせるのが、ムーンチャイドであったのだ。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。今週28日、毎日新聞夕刊にもライヴ評が出ます。
<今日の、駅前>
有楽町で、都知事候補の鳥越俊太郎が街頭演説をしていた。すごい人だかり。ライヴの時間が迫っていたので、ちらりと接しただけだったが、なんか元気そうに延々と喋っていた。横には、マック赤坂の街宣車も止まっていたが、彼のこともシャレで一瞥したかった。
そんなムーンチャイルドはウェスト・コーストの大学でジャズを専攻していた若者たちで組まれたユニットで、発表したアルバムは2作。自主発売の1作目はヒップホップ色もあったが、英トゥルー・ソウツ発の新作はメロウな現代ソウルという像に焦点を絞った仕上がりになっている。
そのコード使いは、ジャズ的。ヴォーカルのラインの取り方もジャズを知っていなければできない歌い方(ようは、一緒に口づさみにくい)。で、ぼくがそれに触れてすぐに思い出したのは、『ラジオ・ミュージック・ソサエティ』のエスペランサ。他にも清新R&Bユニットであるキング(バークリー音大卒もいる)やハイエイタス・カイヨーテを思い出す人がいてもおかしくない。まあ、一言で片付ければ、ハイ・センスとなりますね。
実演は残念ながら、アルバムを超えるものではない。やはり、基本キーボード2台(うち、一台はベース音を担う)だけのメロディ楽器では単調になりがち。というか、アルバムは音色や響きに留意していたが、ライヴではそれが一本調子。専任エンジニアを連れてきていたら、少し違ったかかもしれないが。アルバムと異なり、ヴォーカルにもエフェクトは一切入らなかった。掛け持ちなので大変かもしれないが、ライヴにおいてはもう少し多くブラス音を用いたほうが変化も出るだろう.
だが、ジャズの要素が今の瑞々しいソウル/ポップ表現にいかに使えるかということはとても示す。こういうひねりの効いたメロウなアダルト・ミュージックがあってもいいというか、それこそがなんか今様ぢゃんと思わせるのが、ムーンチャイドであったのだ。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。今週28日、毎日新聞夕刊にもライヴ評が出ます。
<今日の、駅前>
有楽町で、都知事候補の鳥越俊太郎が街頭演説をしていた。すごい人だかり。ライヴの時間が迫っていたので、ちらりと接しただけだったが、なんか元気そうに延々と喋っていた。横には、マック赤坂の街宣車も止まっていたが、彼のこともシャレで一瞥したかった。
タリブ・クウェリ。Quatro Cores
2016年7月25日 音楽 きっちり立ち位置を持つ1975年生まれニューヨーカーの実演は、生バンドを伴ってのもの。クエストラヴ(2002年12月29日、 2003年12月2日、 2004年9月19日、2007年1月15日、2013年12月19日)なんかとも懇意にする御仁ゆえその設定に驚きはしないが、キーボード、ギター(セミアコ型のギターを使用。普段はジャズをやっているのか?)、ベース(フレットレスだったっけ? あまり印象に残っていない)、ドラムという、DJを入れない完全バンド編成でやったのには少し驚く。サポート陣は皆20代か、ギタリストとベーシストは白人だ。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
ざっくりしたバンド音の元、颯爽と肉声を送り出す。古い人間と思われようが、やはりバンドはいいなとも思わされる。まあ、これが生バンドによるヒップホップだらけの状況だったら、DJ音使用のそれに逆にクール!とか言いそうだが。やはり、周辺との兼ね合いは所感に大きく左右する。ザ・ビートルズのお涙頂戴的スロウ曲「エリナー・リグビー」はヒップホップ化せずに歌モノとしてやった。オーディエンスにも一緒に歌うことを求めたが、あちらでは大合唱曲となるのだろうか? 何にせよ、らしいヴァイブは流れていた。やはり、ヒップホップという様式を肯定しつつ、真摯に自分の表現を求めているよな。
▶︎過去の、クエストラヴ/ザ・ルーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
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その後は、青山・プラッサオンゼで、クアトロ・コーリスを見る。4トロンボーンというフロント陣の元、ブラジル音楽をやるインストゥメンタルの集団で、自主制作したデビュー作『Quatro Cores』リリースをフォロウするもの。ステージでもトロンボーン奏者が前面に並び、その図は少しビッグ・バンド的。もともと、ブラジル音楽をやるビッグ・バンドを母体とするグループであるという。
山下定英、佐野聡(2008年1月31日、2015年1月9日、2015年9月27日、2015年11月11日)、池田雅明、堂本雅樹の4人のトロンボーン奏者に加え、ギターの小畑和彦、キーボードの加藤実という編成。前半最後からパーカッションで石川智(2012年11月10日)も入る。リーダーの山下は曲によってはバルブ・トロンボーン(トロンボーンに、トランペットのピストンがついた楽器)、堂本は全曲ベース・トロンボーンを吹く。堂本は大儀見元(2005年6月9日、2006年2月16日、2006年7月10日、2006年8月24日、2011年1月21日、2013年3月26日)率いるサルサ・スウィンゴサ(2006年7月10日)のメンバーでもあるという。それから、佐野はハーモニカやフルートも吹き、それは何気に効く。
トロンボーン4本の柔らかいアンサンブルが気持ちいい。これはその編成を取る意義があると思えるし、ブラジル音楽とジャズが交錯するところにある不確定なお宝をやんわり届けているとも思わせられる。いい空気が流れていた。
▶︎過去の、佐野聡
http://43142.diarynote.jp/200802051630130000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20150109
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201511120722274234/
▶︎過去の、石川智
http://43142.diarynote.jp/?day=20121110
▶︎過去の、大儀見元
http://43142.diarynote.jp/200506120644360000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060216
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http://43142.diarynote.jp/200608271342350000/
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http://43142.diarynote.jp/201303290751204240/
▶︎過去の、サルサ・スウィンゴサ
http://43142.diarynote.jp/200607110800410000/
<今日の、CD>
Quatro Coresのセルフ・タイトル作も、満ち満ちた情緒が流れる。メンバーのオリジナルに加え、ゼキーニャ・ジ・アブレウやアントニオ・カルロス・ジョビンらブラジル人曲、さらにはトゥーツ・シールマンスの「ブルーセット」なども、そこで取り上げる。柔和な揺れや光や広がりが様々な設定の中、息づいていますね。
ざっくりしたバンド音の元、颯爽と肉声を送り出す。古い人間と思われようが、やはりバンドはいいなとも思わされる。まあ、これが生バンドによるヒップホップだらけの状況だったら、DJ音使用のそれに逆にクール!とか言いそうだが。やはり、周辺との兼ね合いは所感に大きく左右する。ザ・ビートルズのお涙頂戴的スロウ曲「エリナー・リグビー」はヒップホップ化せずに歌モノとしてやった。オーディエンスにも一緒に歌うことを求めたが、あちらでは大合唱曲となるのだろうか? 何にせよ、らしいヴァイブは流れていた。やはり、ヒップホップという様式を肯定しつつ、真摯に自分の表現を求めているよな。
▶︎過去の、クエストラヴ/ザ・ルーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
http://43142.diarynote.jp/201312200917503345/
その後は、青山・プラッサオンゼで、クアトロ・コーリスを見る。4トロンボーンというフロント陣の元、ブラジル音楽をやるインストゥメンタルの集団で、自主制作したデビュー作『Quatro Cores』リリースをフォロウするもの。ステージでもトロンボーン奏者が前面に並び、その図は少しビッグ・バンド的。もともと、ブラジル音楽をやるビッグ・バンドを母体とするグループであるという。
山下定英、佐野聡(2008年1月31日、2015年1月9日、2015年9月27日、2015年11月11日)、池田雅明、堂本雅樹の4人のトロンボーン奏者に加え、ギターの小畑和彦、キーボードの加藤実という編成。前半最後からパーカッションで石川智(2012年11月10日)も入る。リーダーの山下は曲によってはバルブ・トロンボーン(トロンボーンに、トランペットのピストンがついた楽器)、堂本は全曲ベース・トロンボーンを吹く。堂本は大儀見元(2005年6月9日、2006年2月16日、2006年7月10日、2006年8月24日、2011年1月21日、2013年3月26日)率いるサルサ・スウィンゴサ(2006年7月10日)のメンバーでもあるという。それから、佐野はハーモニカやフルートも吹き、それは何気に効く。
トロンボーン4本の柔らかいアンサンブルが気持ちいい。これはその編成を取る意義があると思えるし、ブラジル音楽とジャズが交錯するところにある不確定なお宝をやんわり届けているとも思わせられる。いい空気が流れていた。
▶︎過去の、佐野聡
http://43142.diarynote.jp/200802051630130000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20150109
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201511120722274234/
▶︎過去の、石川智
http://43142.diarynote.jp/?day=20121110
▶︎過去の、大儀見元
http://43142.diarynote.jp/200506120644360000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060216
http://43142.diarynote.jp/200607110800410000/
http://43142.diarynote.jp/200608271342350000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110121
http://43142.diarynote.jp/201303290751204240/
▶︎過去の、サルサ・スウィンゴサ
http://43142.diarynote.jp/200607110800410000/
<今日の、CD>
Quatro Coresのセルフ・タイトル作も、満ち満ちた情緒が流れる。メンバーのオリジナルに加え、ゼキーニャ・ジ・アブレウやアントニオ・カルロス・ジョビンらブラジル人曲、さらにはトゥーツ・シールマンスの「ブルーセット」なども、そこで取り上げる。柔和な揺れや光や広がりが様々な設定の中、息づいていますね。
オノ セイゲン×パール・アレキサンダー
2016年7月26日 音楽 御茶ノ水・Café 104.5。オノ セイゲンの1984年デビュー作『Seigen』(ビクター)、オノセイゲンとパール・エレキサンダー連名による最新作『Memories of Primitive Man』(ソニー)をフォロウする催しで、二人が演奏。オノ セイゲンが新たに作ったトラックを下敷きにし、オノ(2000年3月12日、2009年1月17日、2011年8月4日、2012年6月7日、2013年1月30日、2014年4月20日、2014年7月28日、2014年9月23日、2014年10月8日、2014年10月11日、2015年4月17日、2015年9月13日、2015年9月24日、2015年10月9日、2016年3月14日、2016年5月22日)はエレクトリック・ギターを、アレキサンダー(2014年10月11日、2015年5月6日、2016年5月22日)はコントラバスの音を思うまま重ね、何気に奇想天外で、雄弁なサウンド・タペストリーを描く。
▶過去の、オノセイゲン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200901181343426080/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
http://43142.diarynote.jp/201206110945571082/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130130
http://43142.diarynote.jp/201404251643448230/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140728
http://43142.diarynote.jp/201409261635077130/
http://43142.diarynote.jp/201410210814495715/
http://43142.diarynote.jp/201509250943244179/
http://43142.diarynote.jp/201603151140427186/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160522
▶過去の、パール・アレキサンダー
http://43142.diarynote.jp/201410210814495715/
http://43142.diarynote.jp/201505071132034325/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160522
<今日の、感謝>
25分ものライヴに続き、オノセイゲンの過去のプロダクツや現在の活動を括るトーク・ショウが1時間半強持たれる。相手役は、不肖ワタクシが務めた。形になるぐらい人が入ればいいなあと思っていたが、これがフル・ハウスでほんの少し驚く。まあ、軽い気持ちで来ていただけるようにと、1ドリンク付き1500円というリーズナブルな価格にしたわけだが。事前の軽いうちあわせのもと、オノが選曲/編集(実は長めの曲を短くまとめたりもした)、未発表のものを含め、音楽はハイレゾにて流し、その音質も好評だったよう。セイゲンとはすでに30年以上の付き合いとなる。普段のようにセイゲン、エイスケと呼び合いながら、普段着な感じでトークを進めさせてもらった。来てくれた方々、ありがとうございました。
▶過去の、オノセイゲン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200901181343426080/
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http://43142.diarynote.jp/201509250943244179/
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▶過去の、パール・アレキサンダー
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<今日の、感謝>
25分ものライヴに続き、オノセイゲンの過去のプロダクツや現在の活動を括るトーク・ショウが1時間半強持たれる。相手役は、不肖ワタクシが務めた。形になるぐらい人が入ればいいなあと思っていたが、これがフル・ハウスでほんの少し驚く。まあ、軽い気持ちで来ていただけるようにと、1ドリンク付き1500円というリーズナブルな価格にしたわけだが。事前の軽いうちあわせのもと、オノが選曲/編集(実は長めの曲を短くまとめたりもした)、未発表のものを含め、音楽はハイレゾにて流し、その音質も好評だったよう。セイゲンとはすでに30年以上の付き合いとなる。普段のようにセイゲン、エイスケと呼び合いながら、普段着な感じでトークを進めさせてもらった。来てくれた方々、ありがとうございました。
フェリックス・キャヴァリエズ・ラスカルズ
2016年7月28日 音楽 ブルー・アイド・ソウルの第一人者的な名バンドであるザ・(ヤング・)ラスカルズのフロント・マンだったフェリックス・キャヴァリエ(2010年9月10日)の今回の来日公演は、その名グループの名前を冠してのもの。ヴォーカルとオルガンを担当する本人に加え、50絡みのギター、キーボード、ベース、ドラムがサポート。当然、キャヴァリエ(1942年生まれ。とても元気でした)の歌とオルガン裁きは触れることができて良かったと思わせる味と力を持つものだが、サポート陣も演奏力は確か。バックの彼らが皆、コーラスをちゃんととるのも良かった。
とうぜん、曲は代表曲がすらり。あ、今年はザ・ヤング・ラスカルズ結成50周年にあたり、今回の出し物はそれを祝うという名目があったよう。そして、どの曲にもPV調(けっこうちゃんとしたものから、簡素なものまでいろいろ)の映像が背後やモニターに流される。そこには曲名や歌詞の一部が入れられることもあって、知らない曲でもだいたい曲名が分かったりする。けっこう、このパッケージで回っているんだろうな。キング牧師らの姿を出した「ピープル・ガット・トゥ・ビー・フリー」の映像は少し臭いかもしれないが、彼らのソウル・ミュージック愛好はリベラルな心持ちから発していると語るようなところがあって、なんか良かった。それから。キャヴァリエさんは他人の曲をクォーテイションするのがとても好き。スライ(2008年8月31日、2008年9月2日、2010年1月20日)曲は2つ用いたし、ウィルソン・ピケット曲やオーティス・レディング曲やザ・テンプテーションズ(2009年11月8日、2013年8月18日)曲はまんま歌った。あ、ファレル・ウィリアムス(2006年4月2日)の「ハッピー」もやりました。
▶︎過去の、フェリックス・キャヴァリエ
http://43142.diarynote.jp/201009171756396188/
▶過去の、スライ・ストーン
http://43142.diarynote.jp/200809011923060000/
http://43142.diarynote.jp/200809071428140000/
http://43142.diarynote.jp/201001211346277187/
http://43142.diarynote.jp/201505201630381899/ 映画
▶︎過去の、ザ・テンプテーションズ関連
http://43142.diarynote.jp/200911101136006646/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
▶︎過去の、ファレル・ウィリアムズ
http://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
<ここのところの、反応>
先週、髪をけっこう短くした。夏だし、ね。耳を出したのは、久しぶりなような。ゆえに、知人の反応がとても楽しい。相手が女性の場合は、今と前、どっちが好きと問い返したりもしちゃう。整っているためか、短い方と言う人が多い。が、なかには長い方が良かったという方や、如才なくどっちも♡と答える方もいらっしゃる。
とうぜん、曲は代表曲がすらり。あ、今年はザ・ヤング・ラスカルズ結成50周年にあたり、今回の出し物はそれを祝うという名目があったよう。そして、どの曲にもPV調(けっこうちゃんとしたものから、簡素なものまでいろいろ)の映像が背後やモニターに流される。そこには曲名や歌詞の一部が入れられることもあって、知らない曲でもだいたい曲名が分かったりする。けっこう、このパッケージで回っているんだろうな。キング牧師らの姿を出した「ピープル・ガット・トゥ・ビー・フリー」の映像は少し臭いかもしれないが、彼らのソウル・ミュージック愛好はリベラルな心持ちから発していると語るようなところがあって、なんか良かった。それから。キャヴァリエさんは他人の曲をクォーテイションするのがとても好き。スライ(2008年8月31日、2008年9月2日、2010年1月20日)曲は2つ用いたし、ウィルソン・ピケット曲やオーティス・レディング曲やザ・テンプテーションズ(2009年11月8日、2013年8月18日)曲はまんま歌った。あ、ファレル・ウィリアムス(2006年4月2日)の「ハッピー」もやりました。
▶︎過去の、フェリックス・キャヴァリエ
http://43142.diarynote.jp/201009171756396188/
▶過去の、スライ・ストーン
http://43142.diarynote.jp/200809011923060000/
http://43142.diarynote.jp/200809071428140000/
http://43142.diarynote.jp/201001211346277187/
http://43142.diarynote.jp/201505201630381899/ 映画
▶︎過去の、ザ・テンプテーションズ関連
http://43142.diarynote.jp/200911101136006646/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
▶︎過去の、ファレル・ウィリアムズ
http://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
<ここのところの、反応>
先週、髪をけっこう短くした。夏だし、ね。耳を出したのは、久しぶりなような。ゆえに、知人の反応がとても楽しい。相手が女性の場合は、今と前、どっちが好きと問い返したりもしちゃう。整っているためか、短い方と言う人が多い。が、なかには長い方が良かったという方や、如才なくどっちも♡と答える方もいらっしゃる。
映画「スーパーメンチ 時代をプロデュースした男!」
2016年7月29日 音楽 とっても、おもしろかった。なんか、示唆も受けた。これは、お勧めします。
シェップ・ゴードンという人物を扱ったもので、監督をしているのは「ウェインズ・ワールド」や「オースティン・パワーズ」などで知られるカナダ出身のコメディアン/脚本家のマイク・マイヤーズ。2013年米国映画で、現在は音楽だけでなくITや映画を大々的に扱っているテキサス州の“サウス・バイ・サウス・ウェスト”でまず披露された作品であるという。渋谷・ショーゲート試写室、9月下旬からロードショー公開される。
寡聞にして、かなり音楽界に大きな足跡を残しているシェップ・ゴードン(1946年、NYクイーンズ生まれ)のことは知らなかった。だが、アリス・クーパーのマネージャーにつき、ありったけの偽悪主義で突っ走らせ、彼をスターダムに上げて(1970年代上半期、クーパーの黄金期のアルバム群は目を惹く特殊仕様がなされていたが、それを画策したのはゴードンだ)以降、アン・マレーやブロンディ他も扱い音楽界での絶対的な力を保持。実は個人的に好きなのはスウィート・ソウルであったそうで、ゴードンはテディ・ペンダグラスやルーサー・ヴァンドロスのマネージャーも務めた。彼が面倒を見ることで、ペンダーグラスたちはチリトン・サーキット(黒人ショービズの世界。アーティストは不遇な扱いを受ける傾向にあった)から脱し白人ロッカー並みの待遇を得るようになったという。
が、彼がスーパーなメンチ(偉人)と言われるのは、音楽の世界にとどまらず、音楽ビジネスの率直さでもって他の分野にも進出し、多大な実績を得たことだろう。映画プロデューサーとしても成功を収め(1970年代後期にはアイランド・レコードのクリス・ブラックウェルと一緒に映画会社を立ち上げいろんな作品も送り出した)、また食べ物には全く興味がなかったが(「パスタはケチャップがかけてあればいいと思っていた」というような発言もあり)、レストラン業運営でも多大な成功を収め、一流のシェフたちと交流を持ちカリスマ・シェフ・ブームを作り上げた御仁でもあるという。
本人が存命であり、彼と親しいマイヤーズが監督しただけに、シェップ本人の撮り下ろし映像が多種使われるし、アララな写真や映像もいろいろ。証言者はマイケル・ダグラス、シルヴェスター・スタローン、アーノルド・シュワルツネイガー、アリス・クーパー、アン・マレー、サミー・ヘイガー、ウィリー・ネルソン、スティーヴン・タイラー、アリス・クーパーらを手がけたプロデューサーのボブ・エズリン他で、それらの材料を効果的につなぐというのは人物ドキュメンタリーの常道だが、編集がとってもテンポ良く、お茶目。マイヤーズ、才能あるナ。ま、それは取りも直さず、シェップの人間性や内に抱えるテンポから来たものかもしないが。
シェップのドラッグ&セックスもおおらかに語られる。が、本来はうだつのあがらないけっこう真面目な学生で、社会学だかを専攻した東海岸の大学を出た後はLA郊外の少年施設に職を得たもののガキどもからボコられ、施設をやめちゃう。それが、1968年のこと。そして、退職後にたまたまハリウッドのモーテルに泊まったらそこにはジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリックスが投宿していて(ジャニスが『パール』録音中に亡くなったのはそのモーテルであったという)一緒にヤクを決め、その流れでまだ無名だったアリス・クーパーのマネージャーをすることになったのが、すべての発端。てな感じの”事実は小説よりも奇なり”な事実は次々と出てくるわけで、そりゃ面白くないはずがない。
その成功を導いたのは、本人の真面目なんだか不埒なんだかよくわからない豊かな発想や好奇心の持ち方や人間関係の取り方であったろうが、人間の人生なんかどうなるか分からない、やっぱ好き勝手にGOでしょと語りかけるところが本映画の心地よいところであるか。あと、それほどゴードンが成金っぽい振る舞いをしていないところは精神衛生上よろしい。そういえば、コメディアンのグルーチョ・マルクスの場合は無料でマネージメントをしたという。
が、一方では人生に迷いもあったのだろう、ユタヤ系である彼は仏教にはまってダライ・ラマとけっこうな親交を持ったり、ハーフ・リタイヤしてマウイ島の豪邸で外来友人もてなしの日々を送っていたり(アリス・クーパーのマネージャーだけは今も務めているよう。ま、クーパー自体、活発な活動をしてはいない)、かつて仲良しだった女性の3人の子供達の経済的な面倒をみたり。結局、シャロン・ストーンをはじめ綺麗な女性たちとはあまり長続きせず、望んだ子宝にも恵まれなかったという事実も語られ、成功とはなんなのか、幸せとはなんなのかということも照らし出すような部分もこの映画にはある。で、人生なんてそんなもの、やっぱり好きに行くっきゃないよね〜と思わされるのだ。
<今日の、災難>
18時からの試写会のあと、恵比寿に行く。駅前で毎年、盆踊りをやっているというので。駅に降りたら、ターミナルにどっかんと櫓が作られ、提灯が無数に下げられている。浴衣姿の人もたくさん。外国人を連れて行くにはとっても手軽なアトラクションだあ、とすぐに思う。飲み物や食べ物は地元のお店が運営しているのだろう、フェス価格よりはだいぶ安い。お酒類は350円、焼鳥は一本100円、かき氷も100円で販売していたようだ。まあ、側にお店やコンビニはたくさんあるわけだしね。流れる音楽はあれれ、ぼくがイメージする盆踊り曲よりテンポが速く、和ではあるがそれほど民謡(?)ぽくはないものがかかったりもしていた。それ、知人が言うには、恵比寿盆踊りのオリジナル・ソングなのだとか。「東京音頭」などもかけられていたが、それにしても流れる音楽の音質が度を越してひどい。無理に音量を上げ音が潰れまくっていて、ぼくはすぐに気分が悪くなった。こんなにまで酷い音を聞くのは、これが人生最後であってほしいと願わずにはいられず。まるで、拷問盆踊り大会、ナリ。知人が言うには過去はそれほどひどくなく、こんなのは初めてと言っていたが。早々に、飲み屋に流れました。あ、それを狙っての、あの音か? それともべらぼうな人出を裁くため、早く観覧者が入れ替わるようにあのしょうもない音を流しているとか。
シェップ・ゴードンという人物を扱ったもので、監督をしているのは「ウェインズ・ワールド」や「オースティン・パワーズ」などで知られるカナダ出身のコメディアン/脚本家のマイク・マイヤーズ。2013年米国映画で、現在は音楽だけでなくITや映画を大々的に扱っているテキサス州の“サウス・バイ・サウス・ウェスト”でまず披露された作品であるという。渋谷・ショーゲート試写室、9月下旬からロードショー公開される。
寡聞にして、かなり音楽界に大きな足跡を残しているシェップ・ゴードン(1946年、NYクイーンズ生まれ)のことは知らなかった。だが、アリス・クーパーのマネージャーにつき、ありったけの偽悪主義で突っ走らせ、彼をスターダムに上げて(1970年代上半期、クーパーの黄金期のアルバム群は目を惹く特殊仕様がなされていたが、それを画策したのはゴードンだ)以降、アン・マレーやブロンディ他も扱い音楽界での絶対的な力を保持。実は個人的に好きなのはスウィート・ソウルであったそうで、ゴードンはテディ・ペンダグラスやルーサー・ヴァンドロスのマネージャーも務めた。彼が面倒を見ることで、ペンダーグラスたちはチリトン・サーキット(黒人ショービズの世界。アーティストは不遇な扱いを受ける傾向にあった)から脱し白人ロッカー並みの待遇を得るようになったという。
が、彼がスーパーなメンチ(偉人)と言われるのは、音楽の世界にとどまらず、音楽ビジネスの率直さでもって他の分野にも進出し、多大な実績を得たことだろう。映画プロデューサーとしても成功を収め(1970年代後期にはアイランド・レコードのクリス・ブラックウェルと一緒に映画会社を立ち上げいろんな作品も送り出した)、また食べ物には全く興味がなかったが(「パスタはケチャップがかけてあればいいと思っていた」というような発言もあり)、レストラン業運営でも多大な成功を収め、一流のシェフたちと交流を持ちカリスマ・シェフ・ブームを作り上げた御仁でもあるという。
本人が存命であり、彼と親しいマイヤーズが監督しただけに、シェップ本人の撮り下ろし映像が多種使われるし、アララな写真や映像もいろいろ。証言者はマイケル・ダグラス、シルヴェスター・スタローン、アーノルド・シュワルツネイガー、アリス・クーパー、アン・マレー、サミー・ヘイガー、ウィリー・ネルソン、スティーヴン・タイラー、アリス・クーパーらを手がけたプロデューサーのボブ・エズリン他で、それらの材料を効果的につなぐというのは人物ドキュメンタリーの常道だが、編集がとってもテンポ良く、お茶目。マイヤーズ、才能あるナ。ま、それは取りも直さず、シェップの人間性や内に抱えるテンポから来たものかもしないが。
シェップのドラッグ&セックスもおおらかに語られる。が、本来はうだつのあがらないけっこう真面目な学生で、社会学だかを専攻した東海岸の大学を出た後はLA郊外の少年施設に職を得たもののガキどもからボコられ、施設をやめちゃう。それが、1968年のこと。そして、退職後にたまたまハリウッドのモーテルに泊まったらそこにはジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリックスが投宿していて(ジャニスが『パール』録音中に亡くなったのはそのモーテルであったという)一緒にヤクを決め、その流れでまだ無名だったアリス・クーパーのマネージャーをすることになったのが、すべての発端。てな感じの”事実は小説よりも奇なり”な事実は次々と出てくるわけで、そりゃ面白くないはずがない。
その成功を導いたのは、本人の真面目なんだか不埒なんだかよくわからない豊かな発想や好奇心の持ち方や人間関係の取り方であったろうが、人間の人生なんかどうなるか分からない、やっぱ好き勝手にGOでしょと語りかけるところが本映画の心地よいところであるか。あと、それほどゴードンが成金っぽい振る舞いをしていないところは精神衛生上よろしい。そういえば、コメディアンのグルーチョ・マルクスの場合は無料でマネージメントをしたという。
が、一方では人生に迷いもあったのだろう、ユタヤ系である彼は仏教にはまってダライ・ラマとけっこうな親交を持ったり、ハーフ・リタイヤしてマウイ島の豪邸で外来友人もてなしの日々を送っていたり(アリス・クーパーのマネージャーだけは今も務めているよう。ま、クーパー自体、活発な活動をしてはいない)、かつて仲良しだった女性の3人の子供達の経済的な面倒をみたり。結局、シャロン・ストーンをはじめ綺麗な女性たちとはあまり長続きせず、望んだ子宝にも恵まれなかったという事実も語られ、成功とはなんなのか、幸せとはなんなのかということも照らし出すような部分もこの映画にはある。で、人生なんてそんなもの、やっぱり好きに行くっきゃないよね〜と思わされるのだ。
<今日の、災難>
18時からの試写会のあと、恵比寿に行く。駅前で毎年、盆踊りをやっているというので。駅に降りたら、ターミナルにどっかんと櫓が作られ、提灯が無数に下げられている。浴衣姿の人もたくさん。外国人を連れて行くにはとっても手軽なアトラクションだあ、とすぐに思う。飲み物や食べ物は地元のお店が運営しているのだろう、フェス価格よりはだいぶ安い。お酒類は350円、焼鳥は一本100円、かき氷も100円で販売していたようだ。まあ、側にお店やコンビニはたくさんあるわけだしね。流れる音楽はあれれ、ぼくがイメージする盆踊り曲よりテンポが速く、和ではあるがそれほど民謡(?)ぽくはないものがかかったりもしていた。それ、知人が言うには、恵比寿盆踊りのオリジナル・ソングなのだとか。「東京音頭」などもかけられていたが、それにしても流れる音楽の音質が度を越してひどい。無理に音量を上げ音が潰れまくっていて、ぼくはすぐに気分が悪くなった。こんなにまで酷い音を聞くのは、これが人生最後であってほしいと願わずにはいられず。まるで、拷問盆踊り大会、ナリ。知人が言うには過去はそれほどひどくなく、こんなのは初めてと言っていたが。早々に、飲み屋に流れました。あ、それを狙っての、あの音か? それともべらぼうな人出を裁くため、早く観覧者が入れ替わるようにあのしょうもない音を流しているとか。
リチャード・ボナ & マンデカン・クバーノ
2016年7月31日 音楽 一時かなりラテンぽいサウンドを採用していたリチャード・ボナ(2000年12月6日、2002年1月9日、2002年9月19日、2002年12月14日、2004年12月15日、2006年2月16日、2008年10月19日、2010年2月5日、2010年6月6日、2011年1月25日、2012年5月14日、2012年12月15日、2013年12月2日、2015年1月9日、2015年1月11日)の今回のショウは、NYのサルサ系列にいる奏者たち(たぶん)を従えてのもの。ピアノのオスマニー・バレデス、パーカッションのルイス・キンテーロとロベルト・キンテーロ、ドラムのルドウィッグ・アルフォンソ、トランペットのデニス・エルナンデス、トロンボーンのレイ・アレハンドロという面々が、歌とエレクトリック・ベースの御大をサポートする。彼ら、本当にラテンの勘所を抱えていた。
その顔ぶれで9月に出る新作『Heritage』を録音し、今年に入って彼らはライヴ・ギグを行っていたりもし、息の合い方は余裕。サイド・マンも譜面無しで、一緒にボナ流ラテンを作り出していく。曲はボナ曲をラテン色濃くしたものを中心に、ラテン有名曲「ビロンゴ」のようなものまで。そのスペイン語曲であっても、ボナは自らのカメルーン現地語で歌っているように聞こえた。ようは、どっちつかずになりそうなところ、ボナの弾みや柔和さや懐の深さを介して、なんとも活きたもう一つのラテン基調表現として浮かび上げる。そして、その奥からは、音楽をする喜びや音楽の属性を超える融和の素敵などが浮かび上がってくるのだから、これは高揚してしまう。
終盤には他のメンバーがひけた中、一人で例のループによるヴォイス多重表現も聞かせる。そして、アンコールはキューバのカーニヴァル曲「ラス・ハルディネーラス」を始め、ラテン・メドレーでしめた。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
なお、協調作『Heritage』は10年強所属したユニヴァーサルから、クインシー・ジョーンズ(2013年8月1日)のレーベル“クエスト”に移籍してのものとなる。
▶過去の、リチャード・ボナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200412212102130000/
http://43142.diarynote.jp/200602171950040000/
http://43142.diarynote.jp/200810211839169096/
http://43142.diarynote.jp/201002072246423695/
http://43142.diarynote.jp/201006071818281946/
http://43142.diarynote.jp/201102081256565179/
http://43142.diarynote.jp/201205221056242128/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201312171132096072/
http://43142.diarynote.jp/201501131019359012/
http://43142.diarynote.jp/201501131648401181/
▶︎過去の、クインシー・ジョーンズ
http://43142.diarynote.jp/201308091149599475/
<今日の、奥行き>
ちょい一泊で東京を離れ、久しぶりに新幹線にも乗った。なんか、改めて高速鉄道のシステムってすごいなと思った。駅レンタカーという存在も便利(車を借りると、列車チケットが割引になるのもありがたい)。だが、今回はレンタカーがまだ新しいにもかかわらず明けての出発時にエンジンがかからないというトラブルに見舞われ、系列店から代わりの車をホテルまで持ってきてもらったり。そしたら、やってきたのはまだ下ろし立ての新車だった。お詫びで、ガソリン満タンで返さなくてもいいと言われた。そういえば、前日ホテルにチェックインした際には、喫煙の部屋があてがわれてびっくり。予約時に禁煙としたはずで、新たな部屋はだいぶ上階となった。なんか、アンラッキーなんだかラッキーなんだかよく分からない2日間。そして、帰京し、ポジティヴィティあふれる弾むライヴを受けて、いろんなこと満載のラッキーな週末であったのだと思うことにした。そのあと、2件流れた飲み屋もいろいろな意味で情報量はあったかもしれぬ……。
その顔ぶれで9月に出る新作『Heritage』を録音し、今年に入って彼らはライヴ・ギグを行っていたりもし、息の合い方は余裕。サイド・マンも譜面無しで、一緒にボナ流ラテンを作り出していく。曲はボナ曲をラテン色濃くしたものを中心に、ラテン有名曲「ビロンゴ」のようなものまで。そのスペイン語曲であっても、ボナは自らのカメルーン現地語で歌っているように聞こえた。ようは、どっちつかずになりそうなところ、ボナの弾みや柔和さや懐の深さを介して、なんとも活きたもう一つのラテン基調表現として浮かび上げる。そして、その奥からは、音楽をする喜びや音楽の属性を超える融和の素敵などが浮かび上がってくるのだから、これは高揚してしまう。
終盤には他のメンバーがひけた中、一人で例のループによるヴォイス多重表現も聞かせる。そして、アンコールはキューバのカーニヴァル曲「ラス・ハルディネーラス」を始め、ラテン・メドレーでしめた。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
なお、協調作『Heritage』は10年強所属したユニヴァーサルから、クインシー・ジョーンズ(2013年8月1日)のレーベル“クエスト”に移籍してのものとなる。
▶過去の、リチャード・ボナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200412212102130000/
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▶︎過去の、クインシー・ジョーンズ
http://43142.diarynote.jp/201308091149599475/
<今日の、奥行き>
ちょい一泊で東京を離れ、久しぶりに新幹線にも乗った。なんか、改めて高速鉄道のシステムってすごいなと思った。駅レンタカーという存在も便利(車を借りると、列車チケットが割引になるのもありがたい)。だが、今回はレンタカーがまだ新しいにもかかわらず明けての出発時にエンジンがかからないというトラブルに見舞われ、系列店から代わりの車をホテルまで持ってきてもらったり。そしたら、やってきたのはまだ下ろし立ての新車だった。お詫びで、ガソリン満タンで返さなくてもいいと言われた。そういえば、前日ホテルにチェックインした際には、喫煙の部屋があてがわれてびっくり。予約時に禁煙としたはずで、新たな部屋はだいぶ上階となった。なんか、アンラッキーなんだかラッキーなんだかよく分からない2日間。そして、帰京し、ポジティヴィティあふれる弾むライヴを受けて、いろんなこと満載のラッキーな週末であったのだと思うことにした。そのあと、2件流れた飲み屋もいろいろな意味で情報量はあったかもしれぬ……。