映画「ストリート・オーケストラ」。映画「Beats of Freedom」
2016年6月30日 音楽 音楽を扱った映画を、二つ見た。
まず、外苑前のGAGA試写室で、2015年ブラジル映画「ストリート・オーケストラ」を見る。劇作家アントニオ・エルミリオ・デ・モラエスの舞台「Acorda Brasil」を映画化したもので、監督は1968年バイーア生まれのセルジオ・マシャード。
場所はサンパウロ。扱う音楽はクラシック。十分な才を持ちながら、サンパウロ交響楽団のオーディションに落ちてしまったヴァイオリン奏者(アフリカ系の青年)が主人公。彼は家賃を得るためにファヴェーラの貧困や犯罪と隣り合わせの子供達を音楽で活性させようとするオーケストラの先生を務めるが……。実際にファヴェーラで持たれている音楽教育NGOにまつわる話が元になっているという。
少年少女(肌の色の濃い人たちが多い)の練習シーンもいろいろあり、一部サンパウロ交響楽団が映るシーンもあり、クラシック曲(ベタなものが多い)はいろいろ使われる。とはいえ、若者群像を扱うものゆえ、場面場面ではブラジリアン・ヒップホップが用いられもする。ギャングの親分役は、ラッパーのクリオーロだ。
起承転結、あり。最後、盛り上げようとするならいくらでもできたはずなのに、そうはせずあっさりとしたエンディングにしたのには好感を持つ
そして、今日もう一つ見たのは、2011年ポーランド映画の「Beats of Freedom」。こちらはポーランドのロックと社会/政治状況を扱ったドキュメンタリー映画で、監督はヴォイテク・スウォタとレシェク・グロインスキ。2012 年に、1日だけ渋谷で上映されたことがあったようだ。
両親がポーランド人であるという英国でロック・ライターをしている御仁がポーランドを訪ね、その歴史を追う。このドキュメンタリー映画はかような体裁が取られ、ザ・ローリング・ストーンズ(2003年3月15日)公演がワルシャワで持たれた1967年から、民主化された1989年までの同国のロック状況を扱う。
いろいろな映像を掘り起こし、様々な当事者の証言を取り、カウンター・カルチャーの最たる存在であるロックはポーランドにおいてどう機能したかを伝える。と、書いてしまえば大げさだが、ぼくたち日本人にとって近い国とは言い難いポーランドという国、彼の地のロックの側面がいろいろと分かる映画であるのは間違いない。
蛇足だが、ポーランドのトップ・ジャズ・マンのレシェック・モジジェル(2016年3月9日)は、インタヴューしたときに次のようなことを言っていた。「50年代にジャズが出て来た時は、資本主義の音楽だと批判されました。でも、その後ジャズは米国の資本主義下で苦しんでいる黒人の音楽だという解釈が出てきて、ジャズは社会主義の規範に合う音楽となりました。だから、ポーランドのミュージシャンは昔からジャズを演奏することができ、今日に至るまでジャズのコンサートには多数の客が押し寄せています」
場所は広尾・チェコ大使館内にある(おお、2007年5月10日以来だあ。ここ、結構広く、地下も深い)、チェコセンター東京。なぜ、ポーランド映画をチェコ関連施設でやのかと思えば……。チェコ、ポーランド、ハンガリー、スロバキア、中欧の旧共産主義国がヴィシェグラード4か国として協力関係を敷いていて、東京で仲良く持ち回りで映画イヴェントとか持ち合っているよう。
▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
▶︎過去の、レシェク・モジェル
http://43142.diarynote.jp/?day=20160309
<今日の、散歩>
二つ目の試写には小一時間は時間があいたので、ちょい広尾周辺をとぼとぼ散策。商店街は何気にのんびりしていていいが、歩道に立てられた街灯ポールから、チャラチャラと米国オールディーズ曲が流されていて閉口。とっても田舎くさいことやってんなあと思った。音楽の無駄遣いや無思慮な押し売り、(基本)反対。
まず、外苑前のGAGA試写室で、2015年ブラジル映画「ストリート・オーケストラ」を見る。劇作家アントニオ・エルミリオ・デ・モラエスの舞台「Acorda Brasil」を映画化したもので、監督は1968年バイーア生まれのセルジオ・マシャード。
場所はサンパウロ。扱う音楽はクラシック。十分な才を持ちながら、サンパウロ交響楽団のオーディションに落ちてしまったヴァイオリン奏者(アフリカ系の青年)が主人公。彼は家賃を得るためにファヴェーラの貧困や犯罪と隣り合わせの子供達を音楽で活性させようとするオーケストラの先生を務めるが……。実際にファヴェーラで持たれている音楽教育NGOにまつわる話が元になっているという。
少年少女(肌の色の濃い人たちが多い)の練習シーンもいろいろあり、一部サンパウロ交響楽団が映るシーンもあり、クラシック曲(ベタなものが多い)はいろいろ使われる。とはいえ、若者群像を扱うものゆえ、場面場面ではブラジリアン・ヒップホップが用いられもする。ギャングの親分役は、ラッパーのクリオーロだ。
起承転結、あり。最後、盛り上げようとするならいくらでもできたはずなのに、そうはせずあっさりとしたエンディングにしたのには好感を持つ
そして、今日もう一つ見たのは、2011年ポーランド映画の「Beats of Freedom」。こちらはポーランドのロックと社会/政治状況を扱ったドキュメンタリー映画で、監督はヴォイテク・スウォタとレシェク・グロインスキ。2012 年に、1日だけ渋谷で上映されたことがあったようだ。
両親がポーランド人であるという英国でロック・ライターをしている御仁がポーランドを訪ね、その歴史を追う。このドキュメンタリー映画はかような体裁が取られ、ザ・ローリング・ストーンズ(2003年3月15日)公演がワルシャワで持たれた1967年から、民主化された1989年までの同国のロック状況を扱う。
いろいろな映像を掘り起こし、様々な当事者の証言を取り、カウンター・カルチャーの最たる存在であるロックはポーランドにおいてどう機能したかを伝える。と、書いてしまえば大げさだが、ぼくたち日本人にとって近い国とは言い難いポーランドという国、彼の地のロックの側面がいろいろと分かる映画であるのは間違いない。
蛇足だが、ポーランドのトップ・ジャズ・マンのレシェック・モジジェル(2016年3月9日)は、インタヴューしたときに次のようなことを言っていた。「50年代にジャズが出て来た時は、資本主義の音楽だと批判されました。でも、その後ジャズは米国の資本主義下で苦しんでいる黒人の音楽だという解釈が出てきて、ジャズは社会主義の規範に合う音楽となりました。だから、ポーランドのミュージシャンは昔からジャズを演奏することができ、今日に至るまでジャズのコンサートには多数の客が押し寄せています」
場所は広尾・チェコ大使館内にある(おお、2007年5月10日以来だあ。ここ、結構広く、地下も深い)、チェコセンター東京。なぜ、ポーランド映画をチェコ関連施設でやのかと思えば……。チェコ、ポーランド、ハンガリー、スロバキア、中欧の旧共産主義国がヴィシェグラード4か国として協力関係を敷いていて、東京で仲良く持ち回りで映画イヴェントとか持ち合っているよう。
▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
▶︎過去の、レシェク・モジェル
http://43142.diarynote.jp/?day=20160309
<今日の、散歩>
二つ目の試写には小一時間は時間があいたので、ちょい広尾周辺をとぼとぼ散策。商店街は何気にのんびりしていていいが、歩道に立てられた街灯ポールから、チャラチャラと米国オールディーズ曲が流されていて閉口。とっても田舎くさいことやってんなあと思った。音楽の無駄遣いや無思慮な押し売り、(基本)反対。