ハリスは1973年NY州生まれのジャズ・ヴァイブラフォン奏者で、90年代後半以降ずっとブルーノートからアルバムを発表しつづけてきた(昨年出た新作は、コンコードから)俊英のヴァイブラフォン奏者。ブラックアウトと名付けたワーキング・バンドを率いてのものだが、すごいメンツがそろったバンドで、サックスとヴォコーダーのケイシー・ベンジャミン(2009年12月19日)、ピアノのサリヴァン・フォートナー(ハリスの演奏と被らないように地味にキーボードを弾いていたが、1曲でとったピアノ・ソロは非凡)、ウッド・ベースのベン・ウィリアムズ(2009年5月18日、2009年9月3日)、ドラムのテリオン・ガリー(2006年9月17日、2010年3月23日)という面々。それは新作『ウルバヌス』と同様の顔ぶれだが、実演はそれに寄りかからないものであったな。というか、1曲ごとに大きく表情が変わるものを涼しい顔してをやる。ベンジャミンの変テコなヴォーコーダーをフィーチャーした曲もやれば、比較的ストレート・アヘッドなこともやれば、ちょいフュージョンに流れた感じのものもあり、自作もやればスタンダードもやるし、スティングのサントラ曲もやるといった具合。散ったことを、あまりにやり過ぎ。が、共通しているのは、どんな曲調のものをやっても達者なステフォンのソロ(マレットは左右2本づつ使用。ヴァイブラフォンとマリンバを使い分ける)が入るところ。なるほど、若いころから看板はっているだけに、達者。ながら、その音圧のない音色ゆえ、聞き手は(少なくても、ぼくの場合は)確固たる焦点を結びにくいとも感じちゃう。まじ、優秀な弾き手とは思いつつ。そういう意味では、ヴァイブラフォンはクラリネットがそうであるように、ビートが強めの現代ジャズでは生きにくい楽器であると、ハリスのライヴを見てぼくはおおいに再確認したりもした。ながら、彼は安易にシンセ・ヴァイブラフォンに可能性を求めることはせず(大賛成!)、これは俺が選んだ楽器なんダという自負とともに、サウンドや曲調の工夫を凝らしつつ、現代ジャズ・ヴァイブラフォン表現の生き残りの方策を日々模索しているということなのだと思う。ハリスの感じは好青年ぽく、また過剰に尖ってはいないが、表層に表れるもの以上にその表現はストラグルを抱えているのだと思った。

 続いて、早稲田にある早稲田奉仕館スコットホールに行って、豪州と日本のハーフというイケ面のベンジャミン・スケッパーのソロ・パフォーマンスを見る。チェンバロの音を次々にサンプリング/ルーピングし重ねていき(その際、少し音色変換もされるか)、そこにさらにチェロ音も同様に重ねて最終的にはまとまった固まりを提示、というようなことをやる。妙味あり、メロディアス&スペクタクル。巧みで、完全にその行き方は出来上がっているよう。ある種の映画にはしっくり合いそうな音世界をあっという間に一人で作ってしまうわけで、予算のない映画やアート・パフォーマンスの出し物には吉ですね。