丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。ひょろりと痩せたブラウン(2001年 6月14日、2003年8月19日、2005年8月21日、2008年12月7日)はNYの敏腕セッション・ギタリストで、ここで録音されたリーダー・ライヴの実況盤も持つ御仁。いろんな演奏が出来る人だが、根暗&幸薄そうな顔(もっと快活な感じだったら、もっと人気者になっていたかもなー)をしていながら、ファンキーなことをやらせても、彼は滅茶うまい。きち んと理論と理論が邪魔となるロック/ファンクのファジーな醍醐味をうまく自分のなかで繋げている人物と言うこともできようか。そんな彼の今回の来日公演は、欧州生まれのエレクトリック・ヴァイブラフォン奏者を従えてのもので、さあどうなる?

 そのヴァイブラフォン奏者は、ポーランド人(1965年生まれ)のバーナード・メイセル。ぼくには親しみのない名前だが、パット・メセニー(1999年12月15日、2002年9月19日、2010年6月12日、2012年1月25日、2012年3月3日、2012年3月4日、2013年5月21日)とポーランド人歌手であるアナ・マリア・ヨペックの2002年ノンサッチ発の双頭リーダー作に、彼は参加している。5弦電気ベーシストのアーネスト・ティッブスはLAの音楽シーンで活動しているセッション・マン。サイモン・フィリップス(2011年9月3日、2011年9月27日、2012年7月25日、2012年12月9日)のリーダー・グループ“プロトコールⅡ”のメンバーでもあり、彼はそれで今年すでに来日しているようだ。

 そして、ドラマーはぬわんとマーヴィン・スミッティ・スミス。1980年代初頭からNYのジャズ界で活躍する引く手あまたの辣腕ジャズ・ドラマーで、テレンス・ブランチャード(2002年7月3日、2005年8月21日、2009年3月26日、2010年10月21日、2013年8月18日)、ブランフォード・マルサリス(2001年10月24日、2010年3月8日、2010年10月21日)、スティーヴ・コールマン、ボビー・ワトソン、デイヴ・ホランド、ソニー・ロリンズ(2005年11月13日)、デイヴィッド・マレイ(2003年8月9日、2004年6月6 日、2012年9月28日、2013年7月22)他、いろいろな有名奏者のアルバムに参加。とともに、1990年前後に、コンコード・ジャズ(現コンコードの旧名称。かつてはジャズ専門のインディであったことが分りますね)から純ジャズのリーダー・アルバムを3枚リリースしている。

 まず、ほうと頷いたのは、スミスの演奏。もともとパワー・ドラマーという評価はあったと思う(それゆえ、ジャズ界でがつんと頭角を顕したはず)が、こんなにくっきりと立った非4ビート叩く人とは思わなかった。1音1音に、存在感があり。綺麗な左手のスナップは彼がちゃんとジャズをやっていたことを伝えもし、なんか格好いい。早いパッセージを叩くとどこかビリー・コブハムを思い出させるところもあるが、そういうやあブラウンはコブハム・バンドにいたことがあったか。古くは、トミー・ボーリンやジョン・スコフィールド(1999年5月11日、2001年1月11日、2002年1月24日、2004年3月11日、2006年3月1日、2007年5月10日、2008年10月8日、2009年9月5日、2012年10月10日、2013年10月21日) もコブハムのバンドにいたが、なるほど、そういう流れで見ると、ブラウンの微妙な立ち位置が少し整理されるかもしれない。

 電気ヴァイブラフォンのメイセルはなるほど、腕が立ちそう。だが、その音色はいまいちブラウンのギター音と重なりがちで、本領発揮、見所多発とは言いがたい。曲や場面によって音色を変えるというようなこともしなかった(と思う)彼だが、もったいない。もう少し押し出し方を変えれば、鍵盤でなくヴァイブをこのバンドに入れる旨味をもっとアピールできたはずだし、彼自身“出来る奴”であることをより鮮やかに出せたはずだ。

 ディーンの奔放な演奏を中央に行く、自在に流れていく感覚も抱えたバンド・サウンドの各奏者の噛み合い方はなかなか。この単位で、過去にも実演をやっているのは明らかだ。

▶過去の、ブラウン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm マーカス・ミラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm マーカス・ミラー
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/ マーカス・ミラー
http://43142.diarynote.jp/200812150312308154/
▶過去の、メセニー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/201006181520054406
http://43142.diarynote.jp/201201271245417497/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
http://43142.diarynote.jp/201305260927026044/
▶過去の、フィリップス
http://43142.diarynote.jp/?day=20110903
http://43142.diarynote.jp/?day=20110927
http://43142.diarynote.jp/201207310933428147/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121209
▶過去の、ブランチャード
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://43142.diarynote.jp/?page=74&date=2010-12-10
http://43142.diarynote.jp/200903271727246000/
http://43142.diarynote.jp/201010221631583852/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
▶過去の、ブランフォード・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/201003101340038868/
http://43142.diarynote.jp/201010221631583852/
▶過去の、ロリンズ
http://43142.diarynote.jp/200511130413390000/
▶過去の、マレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm(ハンラハンズ・コンジュア)
http://43142.diarynote.jp/200406062249580000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120928
http://43142.diarynote.jp/201307230845338219/
▶過去の、スコフィールド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live2.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200403111821250000/
http://43142.diarynote.jp/200603011148430000/
http://43142.diarynote.jp/200705181809270000/
http://43142.diarynote.jp/200810111558046727/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090905
http://43142.diarynote.jp/201210111837516874/
http://43142.diarynote.jp/201310210730403296/

<今日の、いろいろ>
 まず、運転免許証の更新をする。違反していた(ぜんぜん、覚えていない。今回は違反なしで更新できるかと思っていた……)ので、最寄りの警察署ではなく、生理的には遠いが地下鉄1本で行ける神田の運転免許センターに出向いて、更新をする。
 そして、その後は、“藤”がつく人間が集まっての、他愛ない遊びの相談。四谷の<いーぐる>と渋谷の<Li-Po>、オトナの趣味人客多しの両店をマッシュ・アップ(?)してしまおう、との主旨。具体的には、それぞれの店主である後藤雅洋さんと伊藤美恵子さんを取り替えっこ、お互いの店で一日店長&ちーママをしちゃう、というもの(従来の店主も、横で小間使い役をします)。“Li-Poの後藤さん”であり“いーぐるの伊藤さん”であり、“渋谷のいーぐる”であり“四谷のLi-Po”であり……。とか書いていくと何だか良く分らないが、まっさらな(?)な環境でそれぞれの店主がやりたい放題やっちゃいマス。
 渋谷における後藤さんは普段いーぐるでかからない(かけられない)、でも実はこっそり気に入っている音楽をこれでもかとかけ、Li-Poという手頃な空間において接客し、音楽を語る。一方、四谷の伊藤さんはいーぐるに立つメリットを最大級に活用、同店の盤やオーディオを使い倒し<私の大好きなジャズ>をここに開陳。おおっ。あ、もしかすると、そっちにはLi-Poのアルバイト女性がサーヴィス担当として立つかもしれません。とともに、両店で人気のチリ・ビーンズ(いーくる)とカレー(Li-Po)も、出張先でお出しします。実は後藤さんと伊藤さんは、ともに天秤座。だからどうしたって、感じですが、両店を天秤にかけた、両店主の気配りを排したそれは、“Li-Poの後藤”が9月28日(日曜日。15時〜21時)、“いーぐるの伊藤”が9月29日(月曜日。18時〜24時)。わ、ガチの連日営業かい!? 両日来店の方には、何かいいことがあるかも。
▶いーぐる
http://www.jazz-eagle.com/index.html 
▶Li-Po
http://li-po.jp

エド・シーラン

2014年8月8日 音楽
 19時きっかりに場内は暗転し、オン・タイムでもったいぶることなく、Tシャツ&短パンの格好の当人が出てくる。新木場・スタジオコースト。その広いステージに、出演者は生ギターを抱えた彼が一人だけ。そして、この英国人はいろんな角度からエド・シーランという人間や、その音楽を、外連味なく出す。完全ソロで、本編80分。だが、アンコールは30分やって、ちょうど1時間50分の長さを、彼は一人で見せきった。

 見ている途中から、ここには音楽の力や自分のストーリー(基本、彼の歌詞は言葉数が多い)を信じるまっすぐなミュージシャンがいる……ということを、痛感せずにはいられず。まだ、23歳。その音楽を介しての先にある何かを信じる様のまぶしくも、頼もしいこと。過去発表した2枚のアルバムはともに新人としては破格の成功を収め、とくに今年出た新作『X』(アサイラム。ファレル・ウィリアムスの共作/制作曲も入っている。こわいものなし、だなあ)は英米ともに1位を獲得するなどこれ以上望むべくもないセールスを記録しているのだから、そりゃ自分や音楽の力を信じるなというほうが、無理ではあるのだが。

 基本は、生ギター弾き語り基調のシンガー・ソングライター。それは無理なく、確かな歌心を持つ。その様に触れながら、彼の大人気は、同じ英国のマムフォード&ザ・サンズ(2013年7月30日)のそれと繋がるものかと、思った。曲により、場内がシング・アロング状態になるのも同様。うぬ、マムフォーズ同様、シーランも来年あたまのグラミー賞を取りそう?

 だが、彼の実演はそれだけでなく、半数の曲(時間的には3/5?)では、サンプリング/ループ・サウンドを用いた一人パフォーマンスを披露する。ギター音やギターのボディを叩くビート音や歌(一部ヒューマン・ビート・ヴォックスも)をその場でどんどん重ねたループ音環境のもと、彼は自分の言葉やメロディや息遣いを開放。それ、バンドを雇って披露しても問題はないだろうが、シーランは一人でやることに意義を感じているのだろう、頑にDIYを貫く。そう、すべては自分の力量や責任のもと遂行したいという気持ちも、また彼のショウにおける美点。それは、彼の強さやしなやかな好奇心を浮かび上がらせもする。

 そして、そうした複合的な行き方によって明解に露になるのは、王道のフォーキー曲からR&B/ヒップホップの影響を持つものまで、曲調が何気に広いこと。さすが彼はお手軽にいろんな音楽を享受できちゃうYouTube世代であると、ぼくはおおいに頷く。彼は時にラップも噛ます。また、語り口調ヴォーカルを聞かせた曲もあったが、それもまたボブ・ディランから来たというよりはヒップホップからのヴァリエーションだろうと思わすところがある。また、ヒップホップが自然に横にある世代であることは、曲調にも表れている。実のところ彼の楽曲はリフを重ねたものが多く、意外にコードの動きに技は使わない。が、ヒップホップと親和性を持つ、そうした繰り返し基調の曲構成を持つからこそ、彼はライヴで自らループ音を無理なく作ることが出来もするのだ。なお、機材を駆使する場合、彼はかなり臨機応変に曲の尺を引っ張ったりもする。

 彼が抱えた様々なものを仔細に分析すれば、新しさはあまりない。だが、それらが有機的に繋がり、個の表現として出されたものは、インパクト大であるし、今の輝きをこれでもかと放つ。やる、な。

▶過去の、マムフォーズ
http://43142.diarynote.jp/201308021400578638/

<今日の、会場>
 最寄り駅の新木場駅におりると、ロータリー周辺に、屋形船乗り場まで客を運ぶバスが何台も止まっている。稼ぎ時、だよな。会場前にはダフ屋が出ていたように、スタジオコーストは満員。まあ、今年トップ級のセールスを見せている人なのだから、それも無理はない。当然のことながら、終始黄色い嬌声や愛している〜みたいな声は飛ぶ。そして、先に書いたように、参加型というか、合唱状態になる場合も度々。そういうときの働きかけも、シーランはお上手デス。ところで、彼が抱えるギターは小ぶりに見えたが、実際に小さ目のそれを使っているから? それとも、伸長が高くてそう見える?

 ますは矢野顕子(2004年7月20日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年8月19日、2009年9月4日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年9月9日、2011年12月11日、2012年8月21日、2013年8月11日、2013年11月30日)、恒例夏場のブルーノート東京公演を見る。電気ベースのウィル・リー(2008年12月7日、2009年8月19日、2012年8月21日、2012年11月26日、2013年12月5日)とドラムのクリストファー・パーカー(2009年8月19日、2012年8月21日)という、近年ずっと一緒に夏場の来日ライヴをやっているリズム隊を従えての出し物。

 2012年に矢野顕子にインタヴューした際、このトリオについて「私たちは、この3人で演奏するのが楽しみでしょうがないんです。年々、バンドとしての“バンド度”というものがあがって来ていますから。どんどん“濃ゆく”なっているので、どんな曲がきてもバンドの音に達するのが早くなっているのを去年あたりから感じていまして、曲に対する愛情の注ぎ方も強くなっています」と語っていたが、わあ、まさか今回こんなバンド音でくるとは! フレッシュ。かなり、過去の行き方とは違っていた。

 その鮮やかな差異は、今年発表した新作『飛ばしていくよ』(ビクター)が導いた。彼女にとって5年半ぶりのアルバムとなる同作はエレクトロ・サウンドを介した内容だったわけだが、今回はそこからの楽曲を中心に披露したことで、リーとパーカーの出す演奏音や噛み合いが大きく変わっていたのだ。そこは二人とも、百戦錬磨のスタジオ・ミュージシャンとしての積み重ねを持つ。ゆえに彼ら、ほうと感嘆したくなるほど、矢野が持つ新世界に対応しようとしていた。

 リーは今回、ベースを肩から外し、小振りなシンセサイザーに向かいベース音や音響音を出すこともあった。また、パーカーも過去とは全然異なる叩き口のドラミングを見せ……。プリセット音を下敷きにした曲もあったが、その際パーカーはヘッドフォンを付けて演奏した。とか、その様にはNYのスタジオ界で長年生きて来た熟達奏者の矜持を山ほど感じてしまったな。リーはハーモニカを吹いりもしたが、ミュージシャンシップをかけたその総体は当然ながら過去のトリオの関係性とは少し離れるものであるとともに、新作『飛ばしていくよ』のサウンドとも位相を異にするもので、接していて、面白くてしょうがなかった。

 リズム隊二人の演奏のもと、ピアノやエレクトリック・ピアノ音のキーボードを弾きながら歌っていた矢野は中央に出て来てスキャットをかます場面もあり。また、完全アコースティックなのりで、リトル・フィート(2000年12月8日、2012年5月22日)の「ロング・ディスタンス・ラヴ」(1975年『ザ・ラスト・レコード・アルバム』に収録)を披露もした。そのさい、リーはデュエット役をした。これ、ウェスト・コースト・ロックから離れることで個性を放った彼らにとってはトップ級に(「ウィーリン」とともに)西海岸シンガー・ソングライター的情緒を湛えた人気曲。それゆえ、ぼくはリトル・フィート曲のなかでは嫌いなほうの曲だが、そうとうニコニコして聞けたナ。

 でもって、35年前が見事にフラッシュ・バック。矢野はデビュー作『ジャパニーズ・ガール』の半分をLAでリトル・フィートのバッキングで録り、フィートの1978年の東京厚生年金会館公演のアンコール時には彼女も一緒に出て来たのだよな。ちょうど怪物ライヴ盤『ウェイティング・フォー・コロンブス』(ワーナー・ブラザース)が出た後で、ステージ中央にはニオン・パーク画伯によるそのトマトがあしらわれたジャケット絵がはられていたっけ。

 新たな種と確かな歌心が、度を超えた音楽家力量のもと、綱引きしていたパフォーマンスだった。
 
▶過去の、矢野
http://43142.diarynote.jp/200407200015350000/
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200908221621447408/
http://43142.diarynote.jp/200909120647256771/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201109151818437240/
http://43142.diarynote.jp/201112191449196187/
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
http://43142.diarynote.jp/201312051627467488/
▶過去の、ウィル・リー
http://43142.diarynote.jp/200812150312308154/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090819
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
http://43142.diarynote.jp/201212101904379741/
http://43142.diarynote.jp/201312171510083393/
▶過去の、パーカー
http://43142.diarynote.jp/?day=20090819
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
▶過去の、フィート
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/

 そして、その後は、丸の内・コットンクラブで、NYの前線ジャズ・シーンで活動している面々が重なるグループ(2013年6月4日)の、2度目となる来日公演を見る。

 リーダー格のジャマイア・ウィリアムズ(2009年5月18日、2012年3月3、4日、2013年4月1日、2013年6月4日)、キーボードとトロンボーンのコーリー・キング(2013年2月15日、2013年6月4日、2014年5月25日)、エレクトリック・ギターのマシュー・スティーヴンス(2009年1月31日、2013年6月4日)に加え、ベーシストはヴィセンテ・アーチャー(2007年10月3日、2009年4月13日、2010年7月24日、2013年2月2日、2013年6月4日)からエリマージのアルバムで歌っているアラン・ハンプトンに今回変わった。これは、うれしい。だって、彼はNYの今様“ジャズ+”の担い手から実はひっぱりだこの人物で、どんな人なのかなーと常々感じていたから。

 ヒップホップ・ビートをぐつぐつ感を増やしつつ人力で巧みに処理したような、やはりどこかイビツなうれしい感覚を持つウィリアムズのドラム演奏を土台に、隙間や流動性にたんまり留意した他の楽器音が重なるバンド・サウンドはなかなかに風情があって、美味。やはり、何気に引きつけられる。当のハンプトンはヴォーカル中心でこのバンドに関与するのかと思えば、もう全面的に手慣れたエレクトリック・ベース演奏を見せるので少し驚く。右手はいろんな使い方もしていて、その背後にコントラバスも弾けることを透けて見させる。なるほど、その総体の流れへの乗り具合を見ても、ちゃんとジャズを通っている御仁なのは間違いない。

 そんな彼はケンドリック ・スコット(2009年3月26日、2013年2月2日、2013年8月18日、2013年9月11日)やデリック・ホッジ(2002年7月3日。2005年8月21日、2009年3月26日、2009年12月19日、2010年12月16日、2012年6月12日、2013年1月25日、2014年1月10日)のアルバムにフィーチャリング・シンガーとして参加するとともに、グレッチェン・パーラト(2009年2月3日、2012年2月22日、2013年3月19日)やエスペランサ(2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日、2011年2月17日、2012年3月7日、2012年9月9日)作にもシンガーやベース奏者やギタリストとして関与。また、それ以前にも、アンドリュー・バード(2010年2月3日)やクレア&ザ・リーズンズ(2005年5月22日、2009年2月13日、2010年8月20日、2010年11月21日、2013年2月20日)やスフィアン・スティーヴンスらポップ・フィールドにいる人たちのアルバムに参加もしていて、ぼくは当初洒脱ロック系列にあるシンガー・ソングライターではないかと、彼のことを見ていた。ハンプトンの2011年リーダー作も、変なギター演奏は入っているものの完全にそういう流れにあった。だが、今日の彼のパフォーマンスを見て、彼がきっちりバークリー音大出とかの学究派であると了解。まあ、バードやクレア・マルダーたちも同様に正式音楽教育を受けているわけで、今マンハッタン/ブルックリンのポップ音楽シーンは音大出の人たちによる密な繋がりがあって、何かを生んでいるというところもあるのではないか。→→少なくても20年前と比べたら、音大卒のポップ・ミュージシャン比率はけっこう増えているはず。それはちょいスノビッシュであリ、チっとどこかで思わなくはない心は雑草ファンカーでいたいワタシではあるが、現在そうした人たちが作る洒脱なポップ・ミュージックをぼくが愛好しているのも確かでありますね。

 そして、そこから話は発展するが、エリマージやエスペランサやクリス・バワーズ(2013年2月15日、2014年7月27日)らの表現もまた、同様の経路を持っているとふと思える。はみ出したジャズ系表現を<精神としてのジャズ>と説明することがあるが、彼らのアルバムはジャズ発想/技量を用いつつ<精神としてのポップ>というキブンのほうが強いと感じる。そんなこともあり、ぼくはそれらをジャズと紹介するよりも、今の時代のビート・ポップ、ポスト・ロック、ポスト・ファンクと言ってしまったほうがしっくり来ちゃう。ロバート・グラスパー(2007年10月3日、2009年4月13日、2009年12月19日2010年12月16日、2012年6月12日、2013年1月25日)の近2作も、完全にポストR&Bという内容だよな。

 このブログに書いたことがあるが、今の同時代ポップ表現はジャズをちゃんと知っている担い手の手腕や感性に導かれているところが少なくない。というか、あのぐらいのインタープレイや発展の感覚は今の先端ポップに往往必要とされる用件であり(それを感覚一発でやることで大衆音楽の世界で天下を取ったのが、ヒップホップだと言える)、わざわざジャズという言葉を用いる必要はないかもしれぬ。まあ、そう考えたくなるのは、ぼくがジャズ愛好家である前に、ロックやファンク好きであるから? それとも、欲張りにいろんなものを聞いてきているからこそ、固有のジャズの凄さも長年感じていて、唯一無二のジャズたる醍醐味=飛躍の感覚に畏怖するところがあるからか。  あ、少し前に初来日したヴィジェイ・アイヤー(2014年6月17日、2014年6月19日、2014年6月20日)は様々なポップ音楽要素を見ていても、”ジャズ”でしかありません。

▶過去の、エリマージ
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224
▶過去の、ウィリアムズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130401
http://43142.diarynote.jp/200905191118258984/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120303
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224
▶過去の、キング
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224
http://43142.diarynote.jp/201405271755563079/
▶過去の、スティーヴンス
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224
▶過去の、アーチャー
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
▶過去の、スコット
http://43142.diarynote.jp/?day=20090326
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http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
http://43142.diarynote.jp/201309161510164697/
▶過去の、ホッジ
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/?day=20090326
http://43142.diarynote.jp/200903271727246000/
http://43142.diarynote.jp/201001051625155901/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095
http://43142.diarynote.jp/201206141342549869/
http://43142.diarynote.jp/201301270742196778/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140110
▶過去の、パーラト
http://43142.diarynote.jp/200902040424558168/
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▶過去の、エスペランサ
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▶過去の、バード
http://43142.diarynote.jp/201002051635443280/
▶過去の、クレアたち
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http://43142.diarynote.jp/201302281042208923/
▶過去の、バワーズ
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201408051020111821/
▶過去の、グラスパー
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http://43142.diarynote.jp/200904150840164356/
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▶過去の、アイヤー
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http://43142.diarynote.jp/201406201008164250/
http://43142.diarynote.jp/201406210910441716/
 
<今日の、初めて&ありゃ>
 矢野顕子のほうは、彼女の同所公演の常でフル・ハウス。ここは混んでいる際は、カウンター前に椅子を出したり、ステージに向かって左側にある普段はクローズになっている2階席を開放する場合があるが、この日は2階席に案内される。長いブルーノート東京詣で歴のなか、これは初めてのこと。へ〜え。ちょうど見下ろすように、彼女の指さばきが見えて、ドリンクのお代わりはしにくいが、なかなか塩梅が良い。満場の客の様子もつぶさに分る。そして、移動しコットンクラブに行ったんだが、あれれ演奏がすでに始まっている。あぁそうだ、ここのセカンド・ショウの開演は21時であった。知っていたはずなのに、なぜか21時半スタートだと今回勘違い(泣)。モーロクについては認識しているのでヘコみはしないが、エリマージのあたまの方を聞き損ねたのは、とっても悲しい。でも、その美点は十分に了解し、堪能できたとも思うが。
 ミュージシャンズ・ミュージシャンであるブラジル人チェリスト(2005年7月24日)と嫁のシンガーのパウラ(2005年7月24日、2008年8月22日)とヴォイシング豊かなアコースティック・ギター名手である伊藤ゴロー(1999年6月3日)の、連名リーダー公演。その3人に、ピアニストの澤渡英一とドラム/打楽器の小川慶太がつく。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。

 パウラのヴォーカルをフィーチャーするパートを前後に置き、中盤は演奏陣だけで数曲。ブラジル音楽の妙味をいろんな方向から見つつ、その他の音楽興味や個人の持ち味なども通過させての、秀でたセンスや優しい気持ちの重ね合い。ひたひた、おしつけがましくもなく。その和気あいあいにして、どこか澄んだ質感も持つパフォーマンスは月並みな形容となるが、豊かと思わせる。伊藤とジャケスは確か前にも共演公演を東京でやったことがあるはずでもあり、重なりはまろやか。また、ピアニストもドラマーも伊藤の選択だろうから、これもまた無理なく音を重ねる。ベーシストはいないが、時々ジャケスはピチカートでベース的な音を出す。ただ、チェロという楽器はピチカート向きではないのか(どうかは知らないが)、綺麗とは言えない音が出ていた。

 一番最後の曲は、アントニオ・カルロス・ジョビンの代表曲「三月の水」。とっても、いい曲。世に秀でた曲は沢山あるが、個人的ベスト10に入るなと、聞きながら思う。いつごろからか、この曲が耳に入ってくると、勝手に別ヴァージョンを脳内で作っている自分がいる。なんか、そういうことを誘発させる発展を抱えた曲であるよなー。この曲を一番最初に聞いたのはいつごろか、ぐうぜん耳にしたはずで、そのときはジョビンの曲ということも知らなかったはず。音楽のことを書く生業なので、現在音楽を楽しむということと、それにまつわる情報や背景を拾うという行為は、とうぜん一体化している。でも、能書き抜きのパっと聞き直感というのはやはり大切にしたい。

▶過去の、モレレンバウム
http://43142.diarynote.jp/200507281000160000/
http://43142.diarynote.jp/200808221741070000/
▶過去の、伊藤(エスピリト)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm

<今日の、水>
 いつの間にか、すっかり夏になっている。湿度が過剰に高くなってはおらず、まだ例年よりは過ごしやすいとは思うが。ただ、水は猛烈に、のべつまくなし飲んでいる。それマジ、摂っているというレヴェルではない。まあ、水をゴクゴク飲むというのはぼくの特技ではあるのだが、今年は例年以上に飲んでいると感じる。もう、2リットルのペット・ボトルがぽんぽん空いて行く。あひ〜。ところで、過去のモレレンバウム夫妻のショウは愛し合っていますという感じを猛烈に出していたが、今回はわりとサラっとしていたような。
 六本木・ビルボードライブ東京→南青山・ブルーノート東京。ともに、出演者はフジ・ロック・フェスティヴァルに出演している。前者は1997年、後者は1976年以来の来日とか。

 在シカゴのヴェテランのブルース・マン、シル・ジョンソンのショウは、当人に加え、ギター、キーボード、ベース、ドラム、二管(トランペットとサックス。二人ともまだ20代?)という編成ナリ。本人が出てくる前の1曲目前奏で、はりきりドラマーは座りながらジャンプした。ワハハ、そういうの初めて見ました。なんと、ギターは山岸潤史(1999年8月5日、2000年12月7日、2001年7月16日、2004年3月30日、2005年7月30日、2005年7月31日、2007年2月3日、2007年2月4日、2007年2月5日、2008年9月11日、2009年5月19日、2009年7月27日、2010年8月4日、2011年5月17日、2012年9月8日、2013年6月13日)であり、ベースはキング・カーティスのザ・キング・ピンズを支えたジェリー・ジェモット!!!!!! あの、カーティスやアリサ・フランクリンのフィルモア実況盤のファンキー極まりないベースも彼。ここでは堅実なサポートを見せたジェモットさん、なかなか外見が格好いい。なんか、有り難や〜の二乗?

 ステージに登場したジョンソン(1936年生まれ)はタキシード正装。かつてのヤクザな格好良さはないが、長身ぽく見えて威厳あり(ちょい楽屋で会ったら、普通にいい感じのご老人)。そりゃ、ジャイヴ・レコードからのアルバムも持つ娘のセリーナ・ジョンソン(2001年3月3日、2003年1月28日)も立派に見えるはずじゃ。南部ソウルのハイ・レコードと契約し当たりを取ったこともある彼だが、ブルース曲とアーシー気味ソウル曲の両方を、年輪は感じさせるもののあまりジジむさくなることもなく披露する。ギターを山岸にまかせて歌に専念するときもあり、ハーモニカを吹くときもあった。グっと来させるところは多々。彼はラップ勢からのサンプリング需要も少なくないが、そのグっと来させるポイントがそれを招くのかと思ったりもした。近年では、2011年にジェイZとカニエ・ウェストの「ザ・ジョイ」に無断使用されたと、彼は訴えていますね。

▶過去の、山岸
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040330
http://43142.diarynote.jp/200508060616450000/
http://43142.diarynote.jp/200508060622480000/
http://43142.diarynote.jp/200702112125550000/
http://43142.diarynote.jp/200702121118370000/
http://43142.diarynote.jp/200702122331070000/
http://43142.diarynote.jp/200809160030188727/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090519
http://43142.diarynote.jp/?day=20090727
http://43142.diarynote.jp/?day=20100804
http://43142.diarynote.jp/201105181052427410/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120908
http://43142.diarynote.jp/201306171646424744/
▶過去の、セリーナ・ジョンソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-1.htm

 その後に見たプリザヴァーション・ホール・ジャズ・バンドはニューオーリンズ・ジャズの伝統を継承し、広くアピールする(それは、同地を訪れる観光客の需要も考慮したろう)ために1961年に創設された同地音楽会場の、ハウス・バンド。現在、同バンドの音楽ディレクションを取るのは1971年生まれのアラン・ジャフィ(チューバやバンジョーなどの楽器もするが、ライヴではウッド・ベースを担当)。1987年に亡くなった彼の父ベンは同ホールのオーナーであるとともに、同バンドでチューバを吹いていた。アランは1976年時の同バンドの来日公演にも、お父さんについて来たという。とっぽい感じも持つ白人の彼、高校や大学では音楽を学んだそうだが、本当に昔から同ホール、同バンドがすぐ横にあったんだな。

 ステージ上には、5人の管楽器奏者(もちろん、スーザフォン奏者もいます)と、ピアノとベースとドラムという、8人が立つ。82歳だかの誕生日と紹介されていたリード奏者もいれば、おそらく30代の奏者もいる。いろいろと代替わりしていて、創設時は当然のこと、前回来日時とも、構成員は一人も重なっていない。現在の顔ぶれは4年間続いている。面々は帰国すると、92 歳で亡くなった旧メンバーのジャズ・フューネラルに参加するそうだ。

 ちょいちょい聞いての感想は、ぼくが想像したいたものより、一般的に想起するニューオーリンズ・ジャズに近いことをやっているナということ。と、書くとなんか釈然としない人もいるかもしれないが、現在の彼らはアラン・ジャフィのインスピレーションのもと、ただの伝統の保存ではなく、それを元とする折衷にぎやか表現〜新しい顔を獲得しようとする路線に出ている。そういう面をもっと出すのかと、ぼくは思っていた。

 が、途中から、こっちのポイントの当て方を修正し、彼らもどんどん歌うようなったりもし(ヴィーカルは多くのメンバーが取った)、ぐいぐいと美点が広がる。やはり、何をやるにしても、根底にはパレードやジャズ・フューネラルに代表されるくだけたストリートのりやエンターテインメント性が、そこにはある。やっぱ、見ていてウキウキできるし、積み重ねの尊さを実感できる。

 それにしても、会場は文字通りのフル・ハウス。そのためか、客の入れ替えに手間取り、ショウの開始がほぼ30分おくれた。数えきれないぐらいこの会場に来ているが、ここまで開演がおしたのは初めてだな。客は、前回来日時にも足を運んだんだろうなと思わせる年配の方から、フジ・ロックの評判を聞いてきたような若い人まで、いろいろ。でも、その様には当人たちも鼓舞されたのではないか。

<今日の、取材>
 夕方に、アラン・ジャフィにインタヴュー。先に触れたように、その新作『ザッツ・イット!』を聞くと、ニューオーリンズ・ジャズというより、百花繚乱ホーン音も効いたごった煮ニューオーリンズR&B+と説明したほうがピンと来る仕上がりで、同作はマイ・モーニング・ジャケット(2005年7月30日、2012年3月29日)のジム・ジェイムスがジャフィとともに共同プロデュースをしている。そうか、この前のマイ・モーニング・ジャケットの来日公演(2012年3月29日)で、マウンテン・モカ・キリマンジャロ(2008年10月15日、2011年7月2日、2013年6月6日)のトランペッター他3本のホーンを使ったパートがあったことも、その事実を知ると納得できますね。ジャフィは本当にいろんな音楽に接している人で、一緒にやってみたい人として、ベック(2001年8月18日、2003年4月1日、2009年3月24日)やジャック・ホワイト(2003年10月21日、2006年3月5日、2010年3月31)やクエストラヴ(2002年12月29日、 2003年12月2日、2004年9月19日、2007年1月15日、2013年12月19日)らの名前を出した。そういえば、クエストラヴ率いる今のザ・ルーツの編成はスーザフォン入りですね。

▶過去の、マイ・モーニング・ジャケット
http://43142.diarynote.jp/?day=20050730
http://43142.diarynote.jp/201204021351501388/
▶過去の、マウンテン・モカ・キリマンジャロ(メンバーのライヴ参加も含む)
http://43142.diarynote.jp/200810170628196746/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100523
http://43142.diarynote.jp/201106202136153213/
http://43142.diarynote.jp/201107081125158841/
http://43142.diarynote.jp/201204021351501388/
http://43142.diarynote.jp/201212131541413347/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130524
http://43142.diarynote.jp/201306111556299464/
▶過去の、ベック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm
http://43142.diarynote.jp/200903260428284843/
▶過去の、ジャック・ホワイト(ザ・ホワイト・ストライプス、ザ・デッド・ウェザー)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200603080248000000/
http://43142.diarynote.jp/201004080750382797/
▶過去の、クエストラヴ(ザ・ルーツ)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
http://43142.diarynote.jp/201312200917503345/

 渋谷・クラブクアトロ。NY変調ギター王(2001年1月19日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年8月4日)の今回の来日リーダー公演は、ザ・ヤング・フィラデルフィアンズと名乗ってのもの。ん? その構成員は、ジャマラディーン・タクーマ(べース)、グラント・カルヴィン・ウェストン(ドラム)、メアリー・ハルヴォーソン(ギター)、そしてに日本人女性の弦が3人。この設定は、フジ・ロックを含む今回の日本ツアーがワールド・プレミアとなるはず……。

 タクーマ御大とウェストンはフォラデルフィアンだが、何ゆえにこのネーミングか。それは、主要メンバーの出自と今回プロジェクトはフェリー・ソウル名曲をレパートリーにしていることからつけられたのだろうか。ストリング・セクションをおごったのも、フィリー・ソウルを題材とするがゆえだろう。他にはオハイオ・プレイヤーズなどの1970年代ダンス・クラシックス、リーボウの自作曲などを、面々はやる。

 パフォーマンスが始まっておおっと思ったのは、リーボウはきっちり歌を披露していたこと。かなり曲調はくずし、歌もヘタうま調ではあるのだが、かなり目立つ。こんなに歌いたい願望を持つ人であったのか。まあヴォーカル曲を採用し、歌とよじれた演奏の拮抗の妙〜それは“メロウさや歌心”と“野生や冒険心”の相乗の彩と言うこともできるか〜を追求せんとするプロジェクトでもあったということですね。

 けっこう荒い質感のなか、演奏はずんずん進んで行く。歌との対比もあり、今回のリーボウはぐいぐい狼藉するギターを弾いているナと思えた。また、もう一人のギターのハルヴォーソン(1980年、ボストン生まれ)はその道ではかなり知られる前衛&アート派ギタリスト。20枚近いリーダー作も出している彼女、クールというかとっても平常心というか地味ぃ〜に椅子に座り端でギターを弾いているのだが、だだモンじゃない感じはいろいろ。これをきっかけに、また来ないかな? フリー・ジャズ〜前衛音楽の世界ってミュージシャンのネットワークが密だから、すでに来日したことがあるのかもしれないが。

 白いあご髭を蓄えたタクーマ(なんか、お洒落なこともあり、ソニー・ロリンズぽい外見になった)はトレードマークのスタインバーガーはやめて、4弦のフェンダーの少し変形のベース(ジャガー・ベース。つまり、メイド・イン・ジャパンですね)を使用。オーネット・コールマン(2006年3月27日)のバンドに19歳で抜擢され人間基準法違反の超人ベース演奏を披露するとともに、1980年代初頭からはグラマヴィジョンからいろんなリーダー作を発表。外見の格好良さもあって、ぼくは一時本気でタクマが米国黒人音楽の未来を作ると期待していたことがあった。彼は、やはりフィラデルフィアンであるザ・ルーツ(2002年12月29日、 2003年12月2日、2004年9月19日、2007年1月15日、2013年12月19日)と一緒に『GROOVE 2000 』(P-ヴァイン,1998年)というアルバムを出したこともありました。

 一方、オーネット・コールマンのプライムタイムやジェイムズ・ブラッド・ウルマーのバンドでドラマーを努めてきたグラント・カルヴィン・ウェストン(あと、ジョン・ルーリー/ザ・ラウンジ・リザーズのお気に入り奏者だった。彼、リーダー作も何気に10枚近く出しているのではないか)も、ぼくのなかでは名士きわまりない人物だが、1959年生まれの彼はけっこう若く見えた。バスドラを二つおいていた彼、一部ファルセットで歌ったりもしたが、それがかなりイケていたのは想定外。お茶目なパーソナリティがよく伝わってもきたな。

 というわけで、コールマンやウルマーに身を焦がしたものとしては、今回の筆頭となる目当てはタクーマとウェストンでありました。それで、そのフィラデルフィア組リズム・セクション音はもう力づくで、ガチンコ。両者のコンビ音の最高サンプルとして出せるのは、オーネット・コールマンの1979年発表作『オブ・ヒューマン・フィーリングス』(アイランド。同作はドラムがツインで、もう一人はデナード・コールマン。プライムタイム作の最良盤であり、もっともファンキーな仕上がりを見せる一作と大推奨)から見れば冗談みたいなものだが、それでも聞いてて、笑みがこぼれて来ちゃうのはどうしてなんだろ? ハイ、ボクノ青春ノ音ト言ッテモ過言デハアリマセン。

 なお、リーボウとタクーマとウェストンがそろい踏みしているアルバムだと、ジェイムス・カーターがパンク・ジャズをやりたくて彼らを雇った『レイン・インア・ザ・カット』(アトランティック、2000年)が一番入手しやすいし、好内容か。故ジェフ・リー・ジョンソン(2004年10月28日、2012年9月9日。2013年1月30日参照)も、そこには入っているし。

▶過去の、リーボウ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
▶過去の、オーネット親子
http://43142.diarynote.jp/200603281335030000/
▶過去の、ザ・ルーツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040919
http://43142.diarynote.jp/200701201415300000/
http://43142.diarynote.jp/201312200917503345/
▶過去の、ジョンソン
http://43142.diarynote.jp/200410310519500000/
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130130

<今日の、クアトロ>
 15時に一度ライヴ会場に行く。ちょうどリハが始まっていて、卓にはオノセイゲン(2000年3月12日、2009年1月17日)がいて……。と、前回のリーボウ取材/公演(2011年8月4日)のときのことがちょいデジャヴったりして。今回も公演をレコーディングするそうだが、はてどーなる? で、今回が30年ぶりの来日となった、ジャマラディーン・タクーマをリハ後に取材。先に書いたとおり、かつてぼくは外見の格好よさもあって、彼のことが大好きで、彼とはちょいとした心温まるやりとりをもったことがあった。その顛末は、1990年代初頭に組んだ<フリー・ファンク>シリーズの一環でビデオアーツから出した彼のグラマヴィジョン発ベスト盤のライナーノーツで書いており、その話はほんの一部で“タクーマの恩返し”として知られる。
 その件を覚えていた彼、やっぱり山ほどのナイス・ガイ。それなりに太くなったが、お洒落なのはそのままで、一気に30年のときの流れが縮まる。大昔に子供が5人いると言っていたが、今10人だそう。音楽関係に進んでいる者はいないそうで、音楽業界を理想だけで渡って行くのは大変なのでそれでいい、とのこと。うーん、そうなんだけど……。
 とはいえ、自分のやりたいようにふるまっているのもまた確かで、彼は苗場に行く前に、渋谷の路上演奏ミュージシャン(アルト・サックス奏者の横田寛之)を見て共感し、東京に戻って来ての前日(7月27日)の深夜に、横田のトリオ・バンドであるエスニック・マイノリティ(2012年に、イーストワークスからアルバムを出している)とレコーディングを行った。それ、オノセイゲンのサイデラ・マスタリングにて。おじさん、フットワーク、強くも軽すぎ。
 ところで、本編ライヴには知り合いが山ほど。うち、ベースシトのTOKIE(2001年3月19日、2001年5月29日、2003年12月18日、2004年11月7日、2005年7月30日、2006年1月9日、2006年3月23日)もいたが、なんと彼女はタクーマの代役をしたかもしれなかったのだとか。というのも、1985年にポール・マッカートニーと同じ罪状で成田でパクられた彼(それゆえ、彼は30年間も来日していなかった)には渡日の前日までヴィザが発給されず、トラの話がもちかけられていたのだそう。マッカートニーはずっと前から何度も来日しているのに、ね。ともあれ、来れて良かったア。TOKIE嬢もタクーマの代わりなんて無理、と言っておりました。
▶過去の、オノ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200901181343426080/
▶過去の、TOKIE
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
http://43142.diarynote.jp/200411141142200000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050730
http://43142.diarynote.jp/200601111700180000/
http://43142.diarynote.jp/200603281351530000/
 ブルーノート東京、セカンド・ショウ。ええええ〜、と思わせる公演であったかな。かなりポップ・シンガー然とした行き方を、この現代的にして多彩さもいろいろ抱えたジャズ歌手(2008年9月18日、2010年11月11日、2011年1月12日、2012年2月18日、2012年9月13日、2013年2月15日)は今回見せた。まあ、“回線”ですべてやりとりしたらしい椎名林檎との協調曲もボーナス曲として入っている新作『ホワイル・ユー・アー・スリーピング』(ブルーノート)もまたそういう傾向にあると言えるが、実演ではそこにあった“オルタナ性”をあまり出さない方向〜より凝らない素直なポップ・ソング的アプローチを取っているような感じがして、ぼくのなかではけっこう驚きのライヴ・パフォーマンスであったのだ。

 ジェイムズが生ギターを持って歌う曲もいくつもあり。より、非ジャジー度数があがる。そうした今回の行き方を鑑みてのことだろう、過去同行させていた側近トランペット奏者の黒田卓也(2012年2月18日、2012年9月13日、2013年2月15日、2014年5月25日)はバンドから外れ、かわりに新作にも入っていたギターのブラッド・アレン・ウィリアムズが入っていた。また、バックグラウンド・シンガーのタリア・ビッリグという女性もステージにいたが、印象の薄い人。いなくても、たいして変わらなかったんじゃないかな。

 実は、今回のジェイムズの実演でまず注視したいと思った事項が、キーボードのクリス・バワーズ(2013年2月15日)とドラマーのリチャード・スペイヴン(2012年2月18日、2013年2月15日)の演奏。だって、その両者は今年に入って<ポップ←→ジャズ>回路にあるあまりに秀逸なリーダー作をそれぞれに出しているんだもの。それは、しょうがない。が、彼らの演奏はまさしく伴奏という感じで、彼らが今回のバンド・メンバーである必然性はあまり出ない。新加入ギタリストのウィリアムズだけは短めながらそこそこソロのパートを与えられていたが、ぼくはそれにあまり惹かれなかった。それから、近年やはりジェイムズ・バンドに入っている電気ベース奏者のソロモン・ドーシーが一部歌う場面があったのだが、なかなか訴求力があった。声量とソウル度はジェイムズより勝っていたかにゃ。

 そうした実演に接していて、売れっ子ジャズ・ドラマーのブライアン・ブレイド(2000年12月6日、2001年8月3日、2002年8月25日、2004年2月9日、2012年1月16日、2012年3月15日、2014年2月12日、2014年4月14日)のワーキング・グループの通常ショウたる“フェロウシップ公演”(2008年9月4日、2011年5月12日、2012年5月22日)と、彼がギターを弾きながら歌うフォーキー歌ものプロジェクト“ママ・ローザ公演”(2009年7月20日)の大きな違いを、思い出した……?

 ラスト3曲の「トラブル」から、広がりを持たせる方向に出る。バワーズもどんどんソロ・スペースを与えられる。やっぱり、ぼくはこっちのほうが楽しめるな。しかし、全体的にポップっぽく進めつつも、ジェイムズは100分ぐらいはパフォーマンスしたのではないか。チャーミングに、生真面目に。あらあら、満腹感はけっこうありました。

▶過去の、黒田
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/201209191239346073/
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201405271755563079/
▶過去の、ジェイムズとパワーズら
http://43142.diarynote.jp/200809191051472579/
http://43142.diarynote.jp/201011140051119042/
http://43142.diarynote.jp/201101131336421886/
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
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http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
▶過去の、ブレイド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200402091738240000/
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http://43142.diarynote.jp/200908061810483865/
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http://43142.diarynote.jp/?day=20140212
http://43142.diarynote.jp/201404161959228005/

<今日の、分析>
 パワーズには何日か前にインタヴューして、かなり感心。すごい明晰な人で、“世代の音”というのをとても意識している。とともに、メッセージの出し方にも自覚的な人。共感を持てる人としてジェイムズ・ブレイク(2011年10月12日、2013年6月4日)他を挙げつつ、「いろんな音楽に対してオープンでもあることにも共感を覚えるが、伝えるメッセージについてすごく意識的であるのがいい。それが僕と同じだと思う。小さなことよりも、長い目で俯瞰する感じで、大きな問題を音楽で伝えていこうとするアーティストを、ぼくは好きなんだ」。まあ、そんなこんなでとっても演奏陣に注視しちゃったせいもあり、今回途中でよりありゃりゃという心持ちになったのだろーな。
▶過去の、ブレイク
http://43142.diarynote.jp/201110161924242614/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224/

 ドイツ在住の自由ロック界の顔役的存在と言ってもいいのかな、元カンのダモ鈴木(1999年9月22日、2006年3月11日)を囲む、セッション。横浜の日ノ出町・シャノアール。駅の近くにあるハコで、なんか渋谷・公園通りクラシックスをおもいださせる? 外国人客比率、高し。行きはJR桜木町駅から歩いたが、帰りは最寄りの日ノ出町駅から電車に乗る。京急の日ノ出町駅、初体験。普通の私鉄線駅だが、階段やホームがおしっこ臭いのにはびっくり。

 即興協調者は、マルコス・フェルナンデス(ドラム)、沢田穣治(ベース。2002年3月24日、2010年4月19日、2011年7月24日、2012 年5月15日、2012年5月16日、2013年9月6日)、植野隆司(ギター)、山田あずさ(ヴァイブラフォン、鳴り物。2013年5月19日、2014年6月13日、2014年6月15日)、狩俣道夫(フルート、ソブラノ・サックス)、直江実樹(ラジオ)、横川理彦(ヴァイオリン)。

 Meltという即興トリオも組んでいるフェルナンデス、沢田、植野が出て来て演奏が始まり、そこに山田、狩俣と加わって行き、10分強後に、出演者が全員そろい、流れるまま1時間半。そして、休憩を入れて、それよりは短めでセカンド・ギグも。基本は、最初に出て来た3人が繰り出すものが主体(とくに、フェルナンデスの演奏が流れの契機になっていた)となり、悠々と鈴木は肉声をおもいつくまま繰り出す。けっこう、英語を伴っていたのが多かったのかな? 歌うという感覚も持つそれは、やはり朗々。鈴木さん、自由なことをとことんやってきたがゆえの、人間の高潔さみたいのがより出て来ているような。

 総じては、肉声大フューチャーの即興ロック+マイルズ1970年代初頭的混沌も少々……。テニスコーツ(2008年10月9日、2010年9月19日)を組んでいる植野があんなにぎんぎんに弾く人とは。Meltに接したことがないぼくには新鮮でした。山田はヴァイヴに専念、いろいろ技を繰り出し、風や奥行きを与える。狩野は肉声でも少し鈴木と絡む。ラジオというクレジットがなされていた直江はラジカセみたいなのを座って抱えてつまみをいろいろといじっていた。横川は楽器音の重なりに配慮してか、あまり弾かず。大人だな。

▶過去の、鈴木
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200603161837100000/
▶過去の、沢田
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/201004211621084144/
http://43142.diarynote.jp/201107310726159855/
http://43142.diarynote.jp/201205301229093694/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120516
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
▶過去の、山田
http://43142.diarynote.jp/201305260923241736/
http://43142.diarynote.jp/201406160956273046/
http://43142.diarynote.jp/201406161000365031/
▶過去の、テニスコーツ
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http://43142.diarynote.jp/201009231554333481/

<今日の、文明享受>
 昼間、フジ・ロックでやってきているフランスの酔狂ロッキン・ソウル・バンドのザ・インスペクター・クーゾ(2010年5月7日、2012年10月4日)にスカイプにてインタヴュー。昨日、彼らは成田入りしてそのまま苗場に行き、今日は現地オフ。明日出演して、その翌日は台湾のフェスに出演するために、すぐに出国。という日程のために、そう相成った。苗場の彼ら、通訳、ぼくという3元によるそれ、なんの問題もなし。ほんと、便利になったものだ。って、それじゃ別に来日時に取材をする必要ないじゃん。。。。DIY感覚を山ほど持つ彼らはフランス南西部ガスコーニュ(元々の地元)で1年半前から農場を持って(もとろん、スタジオをもある)、音楽作りとともに農作業にも従事している。ザ・インスペクター・クルーゾを組んだとき(2007年)にはそんなことやるとは思いもしなかったと笑う彼らだが、米国モンサント社に対する反感が農業をやる引き金になったという。新作『ガスコーニュ・ロック』でも、彼らはモンサント社↓↓↓というを曲を入れている。。
▶過去の、ザ・インスペクター・クーゾ
http://43142.diarynote.jp/201005091451244918/
http://43142.diarynote.jp/201210061012387869/
▶過去の、反モンサント社映画
http://43142.diarynote.jp/201206141342549869/

 ベンジオール@ブルーノート東京の初日公演(2014年7月21日)のあの素晴らしさを受けてしまっては、もう一度実演に接したくなるというものではないか。この晩はファースト・ショウを見る。基本の手応えは同じなんだが、ろいろと新鮮に見れちゃう。持っているキャパシティは宇宙級に広いんだもの、それは当然ではあるのだが。以下、過剰書きに所感を連ねる。

 ▶バンド・メンバーは白のポロシャツ(ダヂのみ、白の長袖シャツ)と白いパンツという白装束。バンマスのベンジオールは白いパンツと紺色の長袖シャツ、そして色の濃いサングラス。それらは、一昨日みたときと同様。▶ベースのダヂはけっこうサム・ピッキングを多用。なんか佇まいが、ロック派であると思わされる。オフの時にはそうでもないが、ステージ上の勇士を見ると、そう感じちゃう。▶「JORGE DA CAPADOCIA」から数曲はどのセットも同じなよう。途中から、臨機応変に変えたりもするし、フレキシブルに行くのは曲の進め方も同様。ソロを構成員に気分で振るような場面もあるし、引っ張り方はいろいろ。だから、実際の寸よりも長くやっているように、ぼくは感じてしまう。▶2トーン(ex.ザ・スペシャルズ、他)みたいだなと思わされたリズムで披露された「PAIS TROPICAL」はやらず。これはけっこうセカンド・ショウでやっている曲のよう。前々日は、このずんずん弾んだ曲にのせられ、立つ人が多かった。▶過去の2日間ファーストでやらなかったそうな「タジ・マハール」は、この最終日のファーストでも披露。客をステージにあげることはなし。▶この日の最終曲は、「マシュケナダ」。とにもかくにも、ほんとにいい曲、キャッチーな曲を彼は書いていると思わずにはいられず。▶ファースト・ショウだけで披露しているらしい「PONTA DE LANCA AFRICANO (UMBABARAUMA)」が聞けて、超うれしい。ギターの扇情的なリフが印象的なジャンプ曲だが、クラヴィネット音基調でぐいぐい開いていた。▶名古屋の女性が歌われた「EM NAGOYA EU VI ERIKO」をはじめ、心の琴線に触れるメロディとファンキーな立ちを両立させる手腕は彼一流。ビート曲なのに哀愁を持つあたりはもう感涙モノ。これこそはベンジオールならではと思うとともに、ブラジルならではの何かが活きる。▶しかし、本当に抱えている音楽要素は多様、でも秀でた個体が本能に従う音楽というのは往々にしてそういうものなのダ。▶キーボードくんは歌もこなすのだな。▶イケまくっているドラマーは、本当にうれしそうに火の玉小僧然となり叩く。▶ぜんぜん飽きない。感動、深まる。

▶過去の、ベンジオール
http://43142.diarynote.jp/201407221737554384/
http://43142.diarynote.jp/200809081534510000/

 そして、青山・月見ル君想フに移動。住所は同じ南青山、歩くのはキツいが、信号がほとんどない道で行け、タクると2、3分で着いてしまう。“パラシュート・セッション”と名付けられた対バン企画が持たれていて、この晩の出演者はF.I.B JOURNAL(2009年10月18日)と、J.A.M(2009年6月12日、2010年6月11日、2012年9月13日)。

 ちょうど、セカンド・ショウが始まる前に到着。2組はともにトリオ編成のバンドだが、双方の楽器がなんとステージではなく、客席フロアにそれぞれ左右に分けておいてある。そして、通常のステージ上には椅子が並べられている。その様、けっこうインパクトあり。新代田・フェーヴァーでのライトニング・ボルト公演(2009年11月15日)のセッティングを思い出した。

 J.A.Mが先発する。その演奏が終わると、F.I.B JOURNALのパフォーマンスが始まり、それが終了するとJ.A.Mの演奏になり。その繰り返し。それぞれの1曲の演奏時間は5分未満か。両者の演奏が重なることはなく(あれれ、アンコールは一緒にやったっけ?)、相手演奏のフレイズやリフを引き継ぐ事もなく、たとえばJ.A.Mの演奏時に秋田に変わってF.I.B JOURNALの真船が入るとかいった同奏者のスウィッチもなく(ただ、途中から、相手の演奏音に、待機組が控え目にちょい音を加えたりもしていた)。そういう意味では、ジャズ的なジャム・セッション感覚はなし。でも、相手の演奏に接し、それを受けて演奏を始めるというのは出演者たちにとっては新鮮であったようで、単独時とは異なるそれぞれの様相も出ていたと思う。J.A.Mのみどりんは相手バンドの沼直也のセッティングに対応するため、通常セットとは異なるセッテイングで事にあたったそう。

 なるほど、これはDJが交互にディスクを回し合う、いわゆる“バック・トゥ・バック”の生演奏版なのだと了解。J.A.Mは「ソー・ホワット」などスタンダードも一部演奏。F.I。Bの山崎円城(肉声、ギター)のサンプラー使いが巧みになっていた。このパラシュート・セッション、今回が6回目なのだとか。次回は10月に、今日出たF.I.B JOURNALとSCHROEDER-HEADZ (2012年3月28日、2014年6月1日)の組み合わせで行われるという。

▶過去の、F.I.B JOURNAL
http://43142.diarynote.jp/200910201116264673/
▶過去の、J.A.M
http://43142.diarynote.jp/200906160733018341/
http://43142.diarynote.jp/201006171603353982/
http://43142.diarynote.jp/201209191239346073/
▶過去の、ライトニング・ボルト
http://43142.diarynote.jp/?day=20091115
▶過去の、SCHROEDER-HEADZ
http://43142.diarynote.jp/?day=20120328
http://43142.diarynote.jp/201406110832491208/

<今日の、流れ>
 月見ル君想フの出し物が21時台で終わったので、そのまま近くのプラッサ・オンゼに行っちゃう。そしたら、TOYONO(1999年6月3日、2007年8月23日、2008年1月31日、2009年6月12日、2009年9月26日、2009年12月18日、2010年2月23日、2010年12月22日)が自己バンドとやっている。おお、歌声が太くなってる。存在感、増している。4曲、しっかり聞けた。終演後に、だらだら飲んでいたら、先の月見ル出演者が一人やってくる。歩ける距離に、双方あるしな。ちなみに、この日のブルーノートとプラッサオンゼで撮られた写真がフェイスブックに別々にあげられている。両方を見て、結構同じ格好しているのねと言ってきた人あり。だって、同じ日じゃしょうがないぢゃん……。
▶過去の、TOYONO
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm
http://43142.diarynote.jp/200708270314500000/
http://43142.diarynote.jp/200802051630130000/
http://43142.diarynote.jp/200906160733018341/
http://43142.diarynote.jp/200909291504366263/
http://43142.diarynote.jp/201001051624161036/
http://43142.diarynote.jp/201002280940361567/
http://43142.diarynote.jp/201012241100592422/
 フルート奏者のMiyaが仕切る、大掛かりな催し。“指揮者がいる”フリー・ジャズ・オーケストラといった趣の出し物が持たれ、なるほどと膝を叩きまくり、笑顔とともに、拝聴する。新宿・ピットイン。

 Miya、UKフリー・ジャズの重鎮(現在はドラマー)のテリー・デイ、ヴァイオリンの小塚泰と横川理彦、サックス類の山田光、森順治、吉田隆一(2004年8月20日、2004年10月10日、2006年7月3 日、2012年12月11日)、トランペットの金子雄生、ピアノの荻野都と照内央晴、ギターの吉本裕美子、ウッド・ベースの岡本希輔とカイドーユタカと谷口圭祐、ドラムの荒井康太と白石美徳と山岸直人、パーカッションの松本ちはや、ヴォイスの蜂谷真紀(2008年8月24日、2009年1月8日、2010年9月11日)という人たちが演奏。そして、さらにはダンサーの木野彩子、佐渡島明浩、Margaticaも適時くわわる。

 ファースト・ショウは、その選抜隊(7人以上10人以下、という感じ?)による、20分見当の顔ぶれ違いの3つのパフォーマンスがなされる。指揮は山田光、蜂谷真紀、Miya(彼女指揮のときは、彼女がお世話になったという谷川賢作が急に加わる)による。おお、指揮者の存在はフリー流儀で行くにしてもやはり効いているし、そこには心地よい交通整理〜統制がある。リハはやっていないものの、過去何度か彼女たちは同様の公演を持っており、参加者の多くは重なっているようで、なら余分なわちゃくちゃが削がれ、確かなストーリー性ある魅惑的な凸凹を獲得しているのも納得できる。

 二部は全員によるもので、通して1時間ちょいぐらいだったか。4つに分けられ、横川理彦、テリー・デイ、Miya、照内央晴がコンダクト。それぞれに違い、様々な色や形を描き、沸き上がり、流れる。こちらのほうは、器楽奏者のヴォイスを使う場面も耳についたか。また、これだけリズム系楽器の奏者の数が多いと、ある種の太さや具体性が出てもくる。そして、アンコールは決まっていなかったようだが、吉田隆一が前に立つ。ニャアニャア、ワンワンという擬音も駆使した、やんちゃな小品。吉田は他の曲でも音が目立つ(バリトン・サックス)こともあり、いろいろ大活躍。MIyaが指揮するブロックでは彼女の恩師である山下洋輔(1999年11月10日、2004年7月27日、2006年3月27日、2009年7、2013年7月27日)が加わり、場が華やいだ。

 演奏者たちの前には、当然のことながら譜面はなし。譜面台のないビッグ・バンドのなんと風通しの良いことか!

▶過去の、吉田
http://43142.diarynote.jp/?day=20040820
http://43142.diarynote.jp/200410162220330000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060703
http://43142.diarynote.jp/?day=20121211
▶過去の、蜂谷
http://43142.diarynote.jp/200808260821260000/
http://43142.diarynote.jp/200901091437341082/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100911
▶過去の、山下
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040727
http://43142.diarynote.jp/200907221011377741/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/

<今日の、音>
 梅雨があけた、とのこと。でも。夜はまだ涼しいし、今年は冷夏であるかもと、淡い期待をいだかせる。というわけで、今夏はまだ蝉の音を聞かないなと思っていたが、日中、細々と蝉が鳴いているのを確認。日本の蝉はうるさいと言っている外国人の知人がいるけど、大量異常発生したりしたら、ほんとヤだろうな……。関係ないけど、現在Jリーグでピカ一のブラジル人選手であるアルビレックスのレオ・シルヴァはやっぱしパンデイロ好きなようだ。それは、W杯でJリーグ中断中にアルビレックスがファレル・ウィリアムスの「ハッピー」を用いた選手出演の映像で知った。しかし、どのぐらい世界中で「ハッピー」に合わせた映像が作られているのか? 今年の1曲はと聞かれたら、ぼくは「ハッピー」を挙げると思う。それにしても、そこに特別枠でフィーチャーされていたエース・ストライカーの川又堅碁はJ再開第一戦でベンチ外。ええっ。
 サンバ・ロック〜ファンクの帝王(2008年9月7日)の来日が近づき、なんかぼくの周りのブラジル音楽好きがけっこうソワソワしていたかも……。南青山・ブルーノート東京。セカンド・ショウ。

 わー、最高。ギターを弾きながら歌うベンジオールと6人編成のバンド(鍵盤、電気ベース、ドラム、打楽器、フルート/アルト・サックス、トロンボーン)によるショウを見ながら、彼はミック・ジャガーとキース・リチャーズが一緒になったようなブラジル人大家であるとも思わずにはいられず。そんな人の衰えない実演、そりゃすごくないはずがない。接しつつ、今年のNo.1ライヴ候補か〜なんても思ってしまった。

 溌剌、若く見える69歳。歌声はちゃんと出て説得力と味を持つし(途中から、少し喉が疲弊したような感じもあったが)、繰り出される曲はそれぞれに魅力的であるし、バンド音も弾力と適切な色あいを持つ。ベースはダヂ(2013年5月26日)で卓越しているのは当然としても、ルーカスという名のドラマーのきりっとした叩き口が良くて、驚く。また、パーカッション奏者(ネネム・ダ・クイーカ)は60年代からベンジオールと一緒にやっていて彼より年上らしい。そんなにその演奏音は効いていたわけではないが、その場にいるだけで0Kという感じの存在ですね。

 すべてエレクトリック・ギターを弾いていた彼だが、それがとても巧み。広がりもあり、エッジもあり。ときに単音ソロも見せたが、こんなにギターを弾く彼は初めて接すると知人のブラジル音楽識者が言っていた。

 とにかく、力があり、精気もあり、情熱もあり、歌心もあり。高揚しつつ、うなづきまくり。最後のハーレム曲「タージ・マハール」では女性のお客さんをあげる。混沌、祝祭の極み。イエーっ。

▶過去の、ベンジオール
http://43142.diarynote.jp/200809081534510000/
▶過去の、ダヂ
http://43142.diarynote.jp/201305280925006733/

<今日の、バンド員>
 ライヴ終了後、前に取材したのをきっちり覚えていてくれ、ダヂがやさしく接してくれる。皆言うけど、いい人だよな。そして、横にいたキーボード奏者に、彼にはインタヴューしてもらってさあと、ぼくを紹介する。電気ピアノ音一発キーボードであらゆる曲に自然体で対応したリュパンさん、普段はブラジル音楽全般とヒップホップの伴奏をしていると言う。でも、好きなピアニストは問えば、ハービー・ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日)と言う。さらにはフレッド・ハーシュ(2013年4月18日)とか、何人か純ジャズ・ピアニストの名をだす。ならば、ヴィジェイ・アイヤー(2014年6月17日、2014年6月19日、2014年6月20日)はと問うと、「彼はすごい。天才だよね。この前に東京に来たんでしょ」とのたまう。なんだ、あんたすこぶるジャズに詳しいじゃん。今、瑞々しいポップ演奏家であるには、ジャズはかなり重要な素養であるということか。
▶過去の、ハンコック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
▶過去の、ハーシュ
http://43142.diarynote.jp/201304211110267820/
▶過去の、アイヤー
http://43142.diarynote.jp/201406180853065508/
http://43142.diarynote.jp/201406201008164250/
http://43142.diarynote.jp/201406210910441716/

 人気英国人DJであるジェイルズ・ピーターソン(1999年5月21日、2002年11月7日、2004年1月16日、2008年9月18日、2012年9月13日、2013年11月1日)のキューバ音楽紹介盤『Havana Cultura』(ブラウンズウッド、2009年)に入っていたり、米国人ジャズ・ヴァイブラフォン奏者のステフォン・ハリス(2010年5月30日、2011年12月17日)と在NYプエルトリコ出身テナー・サックス奏者であるダヴィッド・サンチェス(2003年8月1~2日、2010年1月27日、2011年12月17日)と米国人オレ様トランパッターのクリスチャン・スコット(2008年7月23日、2008年9月10日、2009年1月31日、2009年9月15日、2010年9月3日、2011年12月17日)の三頭キューバ録音プロジェクト盤『ナインティ・マイルズ』(コンコード、2011年)に名前を見せてもいる、キューバ人ピアニストがリーダーとなるピアニスト公演を丸の内・コットンクラブで見る。

 そのアロルド・ロペス・ヌッサのおじさんはキューバの実力派のイケ面ピアニストであるエルナン・ロペス・ヌッサ。今回同行のドラマーは弟のアドリアン・ロペス・ヌッサで、彼も兄と一緒に上出のアルバムに参加している。結構力づくで叩く彼は1曲兄とのデュオの際は、カホーンを叩いた。ベーシストのホルヘ・サワ・ペレスは5弦のエレクトリク・ベースを弟の一生懸命具合と対照を成すようにやる気なさそうに弾く。その様、ぼくには受けた。横のほうにアコースティック・ベースも寝かせてあったが、一切弾かず。縦を弾いた回もあったのだろうか?

 1曲目の初っぱなのピアノ音のスコーンと広がる感覚におおっ。なんか、いつものここの響きと違うみたい? もうちょっと変なほうにぐりっと行ってと思わなくもないが、ラテンがどきこか下敷きにある、達者なジャズ流儀の指さばきを披露する。兄と弟は小さいころからずっと一緒にやっていたのだろう、阿吽の呼吸的な息の合い方を見せる。アロルド・ロペス・ヌッサは、一部電気キーボードも控え目に使うが、それは用いなくても印象は変わらなかったかな。

▶過去の、ピーターソン
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▶過去の、ハリス
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▶過去の、サンチェス
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▶過去の、スコット
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 そして、六本木・ビルボードライブ東京に移動して、ヴェテランのヴァイブラフォン奏者(2000年3月23日、2002年8月11日2004年3月10日2008年7月10日)のグループ+の出し物を見る。

 歌い電気ヴァイブラフォンをぼちぼち弾く当人に加え、シンガー(ちょいラップも)、キーボード奏者(けっこう、ソロ・パートを与えられていたが、どれもけっこう同じに聞こえる)、ベーシスト、ドラマーという編成。ソウル味フュージョンやアーバン・ソウル(インコグニートや黒田卓也も取り上げた「エヴリバディ・ラヴズ・ザ・サンシャイン」はやはり名曲なり)を聞かせるわけだが、どこかクラブ・ミュージック愛好者にもアピールする味を持っているのが強み。じっさい、客はエアーズが再評価を受けて以降に彼のことを知った層だろう。そして、途中からはア・トライヴ・コールド・クエスト(ATCQ)のDJ/クリエイターであるアリ・シャヒード・ムハマドも加わる。ATCQというとまずQティップ(2005年8月13日)の名が出るが、彼もいい感じに見えたな。今、DJというとPC音/トラック出し担当者という感じの人も少なくないが、彼はキュルキュルとターンテブルをきっちり扱う。うふふとなれますね。なんか、彼の娯楽プロジェクトのルーシー・パールを家に帰ったら聞きたいという気持ちも、終盤ムクムク。

▶過去の、エアーズ
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▶過去の、Q・ティップ
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<続く、悲報>
 今年もやってきている、ホワイト・ブルース・マンのジョニー・ウィンター(2011年4月13日、2012年5月27日、2014年4月18日)が楽旅先のスイスで亡くなったというニュースが流れる。享年、70歳。医者が同行してのツアーであり、彼やスタッフらに見守られて息を引き取ったよう。音楽家としては、誇り高き死と言うことができるかもしれない。彼と弟のエドガーはアルピノであるため早死にする定めにあり、それゆえその演奏は鬼気迫るという言い方も昔はされたっけ。かつての宣伝文句はけっこう、エグかった。、晩年、日本という、温かく迎えられる土地を知ることができたのは良かった。完成したと伝えられる彼を扱った映画は追悼作として公開されるのか……。

▶過去の、ウィンター
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ジョイス

2014年7月15日 音楽
 毎夏恒例のブラジル人シンガー/ギタリスト(2004年7月15日、2005年7月13日、2007年7月24日、2008年9月7日、2009年9月29日、2010年7月29日、2011年8月3日、2012年8月15日、2013年7月30日)の公演。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。彼女のショウを見ると、ああ夏が来たんだな。と、実感したりして……。

 ジョイスは白いサマー・ドレスを着て、ステージにあがる。1948年リオ生まれ、66歳。芸歴、50年とか。16歳のとき、ホベルト・メネスカルのレコーディングにコーラス参加したのが初仕事のよう。中盤、弾き語りで当時お世話になったり大好きだった、メネスカル曲やバーデン・パウエル曲も披露したっけ? そんな彼女の2014年新作『ハイス』は、ティーンエイジャーのころ親しんだ曲を取り上げている。

 エリオ・アルヴィス(ピアノ)、ブルーノ・アギアール(ウッド・ベース)、トゥチ・モレーノ(ドラム)という、ピアノ・トリオを擁してのパフォーマンス。アルヴィスと旦那のモレーノは毎度のサポート奏者だが、アギアールは今回が初来日という。そのアギアールは現代ブラジル清新クロスオーヴァー表現の旗手であるアントニオ・ロウレイロ(2013年8月29日、2013年9月6日)とリズム・セクションを組んでレコーディング参加していたりもする人。なるほど、型通りの歌もの演奏からも、ジャズ的奏法からも少し離れて、個を出さんとする音を出していたか。それが、今回の出し物と合っていたかは見解保留としたいが、時に妙に凝ったベース音のもと(こんなラインじゃ、私はちゃんと歌えないというプロ歌手も少なくない?)、よくジョイスは悠々と歌っていたと思う。とともに、安住せず、新しい種を求め続ける彼女の意志も確認できた。なお、ジョイスはトレードマークとなっていた“空洞ボディ”ギターを手にせず、ガット・ギターを弾く。はて、前回はどうであったか。結構、バッキング音が生理的に激しいので、輪郭がはっきりした音が出る空洞ギターのほうがギター演奏音は聞きやすいかもとふと思う。

 それにしても、ジョイスは独自の位置にいると、改めて痛感。こんなに丁々発止する意志を抱えるジャズなバッキングや回路を採用しつつ(本人のギター演奏も基本シャープです)、ヴォーカル・ミュージックであることをまっとうしちゃっているブラジル人もそういないのではないか。その研ぎすまされた、知識や技量の蓄積の様、ため息をつかせますね。で、曲によっては、5歳年長のジャニ・ミッチェルみたいだなと思わずにはいられず。ブラジル音楽至上主義者ではないぼくにとって、それはすごい褒め言葉だな。いやあ、凛とした態度ともに、スポンテニアスな風をこれでもかと舞わせていく様は重なる。とともに、どうしてミッチェルはきっちりアコースティックなピアノ・トリオをバックに自分の瑞々しいポップ・ミュージックを開かなかったのかとも思う。さぞや、すごいものが表れたと思うが。いまや引退している彼女に(難病にかかっているという話もあるか)、それは望むべくもないのであるが。そこから、見ていて、ほのかな悲しみを感じてしまいました。

▶過去の、ジョイス
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▶過去の、ロウレイロ
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<週末の、悲報>
 ずっと病床にあると伝えられていたジャズ・ベーシストのチャーリー・ヘイデン( 2001年11月20日、2005年3月16日、2009年9月10日)が亡くなってしまった。昨年暮れに、オーネット・コールマン表現憧憬からヘイデンを何度も使っていたパット・メセニーに彼のことを尋ねたら「確かに病気だけど、心配する必要はないよ」という返事が返ってきて、なんとなく、また勇士は見られるかなとも思っていたのだが。。。ジャズ史上、もっともストレートで真摯なメッセージ・アルバムを作った人物である。その『リベレイション・アンサンブル』(インパルス、1969年)は彼30歳と少しのときのデビュー作であり、問題意識の深さが音楽的な広がりやオルタナ性をおおいに生みもした奇跡的な内容だった。後にどんどん和みの方向を持つようにもなった大人(たいじん)だが、娘たち(2009年1月21日)やコステロ(2002年7月5日、2004年9月19日、2004年12月8日、2006年5月31日、2006年6月1日、2006年6月2日、2011年3月1日)や義理の息子のジャック・ブラックたちも入ったカントリー経由ポップ・アルバム『ランブリング・ボーイ』(デッカ、2008年)は本当に寛いだ、楽しいアルバムだった。ただ、セールスも好調だった2002年作『アメリカン・ドリーム』(ヴァーヴ。マイケル・ブレッカー、ブラッド・メルドー、ブライアン・ブレイドがコリーダーとしてクレジット)を作ったことには疑問を持つ。というか、どうして出してしまったのか? 同作は2001年NYテロ事件を引き金としただろう、慈しみの情をたたえたゆったり曲をストリング音も加味して13曲配したもの。オリジナルやキース・ジャレットやメセニー曲の他、裏国歌たる「アメリカ・ザ・ビューティフル」も取り上げていた。そこには、テロを受けた米国や犠牲者に向けての鎮魂の意やそれでもアメリカは尊いんだという情が充満。しかしながら、どうして米国がそういう惨事を招いたのかという視点は欠落していた(その観点を出すのことに失敗していた)と、ぼくは判断している。1作目はぎょっとしちゃうほど、政府を目の敵にしていたのに。
 また、時を同じくして、フリー/前衛ジャズの評論〜啓蒙に長年尽力した副島輝人さんもお亡くなりになった。一度行ったメルスのジャズ 祭のジャーナリスト登録は彼を介したもので、お世話になりました。芯の強さと裏返しであろう、とても柔らかな紳士でした。
▶過去の、チャーリー・ヘイデン
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▶過去の、ペトラ・ヘイデン
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▶過去の、コステロ
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 このツっぱった異才(2002年6月18日、2003年11月18日、2003年11月22日、2008年5月7日、2009年5月15日、2013年11月18日)がマドンナ(2005年12月7日)のレーベル“マーヴェリック”から1993年にデビューした当初は、様々な黒人音楽に明るい統合型屈強ファンカーという印象が強かった。それが、こういう“退き”も持つんだと思わされたのは、クレイグ・ストリート(cf.カサンドラ・ウィルソン)のプロデュースのもと、ジョー・ヘンリー(2010年4月2日、2012年10月15日、2010年4月4日、2012年10月16日)やデイヴィッド・トーン(2000年8月16日)なんかも関与していた3作目『ビター』(マーヴェリック、1999年)を出したとき。グルーヴなどアフリカ系を特徴づける音楽語彙を意識的に排しているのに、米国黒人音楽が持つ陰影をうっすらと出すアーバン静謐ポップ表現を、そこで彼女は見事にモノにすることに成功。ンデゲオチェロがここのところ見せている、もやもやも淡々ポップ路線もその先にあるものとぼくは判断している。

 六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。昨年公演と同じ顔ぶれによる。歌とベースのンデゲオチェロをサポートする3人、クリス・ブルース(ギター)とジョビン・ブルーニ(キーボード)とアール・ハーヴィン(ドラム)は、彼女の2014年新作『コメット・カム・トゥ・ミー』(ナイーヴ)の関与者でもある。ドラマーはセッティングも叩き方も格好もジャズ側にいると思わせる御仁だが、素晴らしく引っ掛かりと奥行きを持つドラミングを聞かせるなあ。うしし。

 今回もすべて、ヴォーカル曲。ただし、接していて、しっかりと認知したことアリ。それは、彼女の肉声が3つのパターンを持つ事。一つは太い地声で歌うもの。→この場合、堂々“裸のンデゲオチェロ表現”という思いを誘発させる。それから、裏声での歌唱。→この場合、頼りなさが出るためもあり、根無し草的なノリが出てくる。そして、もう一つは、ラップというか喋り口調のもの。→この場合、肉声遣いを少しジャストなタイミングとズラしているためもあるのか、ベースを弾きづらいらしく、彼女はベース演奏をしない(この晩は、ギタリストに少し弾かせる部分もあった)。へ〜え。ぼくが一番好きなのは、地声の表現デス。それが、ぼくにとっての、今回のンデゲオチェロ公演の一番の収穫だな。

 終盤、「オリジナルの歌い方が好き」みたいなことを言って、プリンス(2002年11月19日)の「パープル・レイン」をやる。が、これがあの著名リフレイン箇所にならないとまったくそれとは分らないもので(ぼくはプリンス曲のなかでトップ級に嫌いなそれなので、ちゃんと歌詞も追ったことがないし……)驚愕し、シビれる。うーぬ、彼女はカヴァーだけのアルバムを作るべきではないのか。あの“自分化”の手腕というか、彼女自身の色の強さはあまりに感動的でR。

 ンデゲオチェロのやっていることは、決して新しさに溢れてはいない。だが、誰にも負けない、個の力や音楽哲学を持っている。ほんと、素敵な現代ポッパーだよなあ。とともに、黒人でも白人でもいいのだが、彼女以外の人がこれと同じことをやったとしたら、ぼくは仰天しまくりなのではないか。

▶過去の、ンデゲオチェロ
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http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm
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http://43142.diarynote.jp/200905161026033788/
http://43142.diarynote.jp/201311191050581790/
▶過去の、マドンナ
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▶過去の、ヘンリー
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http://43142.diarynote.jp/201004080754018553/
http://43142.diarynote.jp/201210201217291727/
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▶過去の、トーン
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▶過去のプリンス
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<今日の、期待>
 ンデゲエオチェロはこの9月に、要点ありまくりのジャズ・ピアニストのジェイソン・モラン(2007年1月16日、2007年1月17日、2013年1月6日)との連名でブルーノートからファッツ・ウォーラーへのトリビュート作をリリースすることになっている。実は、リアル・ジャズとヒップホップ双方の理解者として、モランは大穴の存在。そこには、そういう視点も入るか否か。基本、モランはずっとブルーノートからリーダー作をリリースしているが、日本盤発売は見送られている。次は久しぶりに出ないかな。
 それから、今日早朝の試合でブラジルW杯が終了した。ちゃんとした勤め人でもきっちりTV放映を見ていた人をぼくは何人も知っているが、彼らはいつ寝ていたのだろう? 終わって、少しホっとする人もいるかな。ライヴの帰り道、<ドイツ優勝を祝って、ビール1杯無料。どうぞ、お立ち寄りください>みたいな張り紙告知宣伝板を歩道に出しているお店がありました。

▶過去の、モラン
http://43142.diarynote.jp/200701201417260000/
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挾間美帆

2014年7月10日 音楽
 出光音楽賞という賞の受賞者によるガラ・コンサート。初台・東京オペラシティコンサートホール。2005年のシャクティ公演いらい行くが、こんなにつんと尖った高い天井を持つ会場であるのか。

 同音楽賞は、石油販売の出光が提供しているTV朝日系の長寿音楽番組「題名のない音楽会」を端に置くもの(この日の模様は、同番組で放映されるようだ)だそうで、今回で23年目になるらしい。そして、今年は二人のクラシックのヴァイオリン奏者(小林美樹、成田達輝)とともに、ジャズ作編曲者の狭間も受賞。賞金は300万円のよう。若いクラシック音楽家/研究家を主に讃える賞のようでが、過去にも大西順子(1999年10月9日、2007年9月7日、2010年9月30日、2010年12月22日、2011年2月25日、2011年8月6日)や松永貴志(2003年 7月1日、2004年2月3日)というジャズ・ピアニスト(ともに当時、東芝EMI所属だな)が受賞したことがあるようだ。

 彼女のオーケストラやソロ・アルバム用に書いた曲を組曲風にまとめたものを、沼尻竜典(2008年7月3日、2009年9月4日)指揮の東京シティフィルハーモニック管弦楽団(2006年6月2日)で開く。挾間はピアノも弾くが、オーケストラの音量に負けていた。何も情報なしに聞いたら、ジャズの要素も入った、現代音楽風要素も通る、傾向外のクラシックのオーケストラ表現と思うだろうか。山下洋輔(1999年11月10日、2004年7月27日、2006年3月27日、2009年7月19日、2013年7月27日)の覚えもめでたいジャズ作編曲家という触れ込みのもとリリースされた彼女のNY 録音デビュー作『ジャーニー・トゥ・ジャーニー』(ユニバーサル、2013年。米国はサニーサイドからのリリース)はウェザー・リポートっぽいところが少しあったが、当然この日はそのかけらもないのはとても良かった。編成による柔軟性も彼女は大いに持ち、引き出しは多そうだ。

 それから、音以上に驚いたかもしれないのが、別にほめるところは何も見当たらぬ司会役女子アナウンサーの問いに対する、彼女の実にちゃんとした受け答え。相当に賢く、人知に長けてると、痛感させられてしまった。ぜんぜんテンぱらず、万人に対して明瞭に自分のことや自分の音楽について話す様はすごい。

▶過去の、大西
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▶過去の、松永
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▶過去の、沼尻
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http://43142.diarynote.jp/?day=20090904
▶過去の、東京シティフィルハーモニック管弦楽団
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▶過去の、山下
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<今日の、追悼>
 出光というと思い出すのは、この6月18日に亡くなった大ジャズ・ピアニストのホレス・シルヴァー(1928〜2014年)だ。1950年代中頃のアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの人気隆盛期を支えた、ファンキーを絵に描いたようなピアニスト。とともに、ブルーノート・レコードを代表するアーティストでもあり、創設社主であるアルフレッド・ライオンが引退後に唯一付き合いを持ったミュージシャンとも言われていますね。その1962年作『トーキョー・ブルース』(ブルーノート)のジャケット・カヴァーは、着物を着た女性二人に挟まれてニッコリの彼の図。で、その手前に映っているほうの女性が出光興産創始者の娘というのはよく知られる話。その出光真子(1940年〜)さんは後に映像作家として活動した。ともあれ、作曲家としての才にも恵まれたシルヴァーは「シスター・セイデイ」ほか、いかしたグルーヴィ曲をいろいろと書いている。ぼくがジャズを聞き出すようになったころ、いわゆる新主流派と称された担い手以前の世代のなかで、もっともピンときたブルーノート契約アーティストが彼だった。彼がいなかったら、ぼくのブルーノート・レコード観は少し歪んだものになっていたかもしれない。なお、印象的な顔つきの彼は2分の1がカーボ・ヴェルデ、4分の1はアイルランドの血が入っていたと言われる。

 ヨアンナ・ドゥダはポーランドのピアニスト。シアター・アマレヤという同国のダンス・カンパニー公演の伴奏のために同行、目黒区三田・ポーランド大使館でソロ・パフォーマンスを行った。

 尖った髪型を持つ(ながら、もの静かな感じを与える)彼女は約1時間の切れ目なしのピアノ演奏(+アンコール)を披露。ミニマル・ミュージック的なシークエンスの繰り返しが根にあって、そこに不協和音やいろんな装飾音/メロディを加え、変化〜発展して行くといった感じのピアノ・ソロ表現を聞かせる。ときに、クラシック曲の断片をインサートした場合があったが、<音楽大学のピアノ練習室で練習していて、他の部屋からこぼれてくる音に自在に反応していた>というような会場で配られた印刷物の記載は、その表現を培った風景を鮮やかに想起させる。

 生理的にそれは、パラレル、という言葉も使いたくなるか。<複数の音楽(メロディや曲想)が鍵盤上で展開される>ということともに、<自らの内なる世界との対話>や<自己と外の空気との会話>があるということで。基本となるシークエンス音や差し込み音はこれまで積み重ねて来た蓄積のなかから適時引き出しているという感覚も与え、リアルな即興度や前衛度はそれほど高くはないが、どこか“孤高”というノリを出して行く様には個があると頷く。また、この手の演奏ってけっこう自己陶酔的なのりが溢れて腰が退いちゃう場合があるが、淡々と演奏する彼女の場合はそういう部分が皆無なのは良かった。本編最後で、メロディのある曲を弾いたら、場内はわく。なんでも、ポーランドのロック・バンドの有名曲を弾いたらしい。

<今日の、情報>
 現在はベルリンを拠点とし、例によって世界のあちこちに行って活動しているピアニストの藤井郷子とトランペット奏者の田村夏樹(1999年8月16日、2000年6月2日、2000年10月1日、2002年8月5日、2003年1月21日、2003年4月7日、2004年7月27日、2005年2月10日、2005年11月28日、2005年12月11日、2006年7月3日、2008年8月24日、2008年12月17日、2010年1月9日、2010年6月7日、他)が、クリスチャン・プリュヴォ(トランペット)とピーター・オリンズ(ドラム)というフランス人奏者たちと組んでいるKAZE(および、その関連公演)が9月下旬から10月上旬にかけて、東京、札幌、名古屋、稲毛、神戸、岡山、福岡、京都、甲府、横浜などで、全国13公演を行う。雄弁すぎる2トランペットがフロントに立っての、風を切ったり風が舞ったりする、あっち側を見る情緒ジャズ……。そのKAZEは2枚CDをリリースしているが、デビュー作はポーランドのクラクフでの実況盤。また藤井夫妻のma-doの諸作はポーランドのレーベルから送り出されている。

▶過去の藤井・田村
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm 藤井カルテット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-6.htm 藤井3+1
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm 藤井カルテット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm 藤井3+1
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-1.htm 藤井4
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 田村カルテット
http://43142.diarynote.jp/200407271618520000/ 藤井3+1
http://43142.diarynote.jp/?day=20050210 田村カルテット
http://43142.diarynote.jp/200512020244540000/ ザ・レイモンド・マクドナルド・トウキョウ・インプロヴァオザーズ・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/200512140951100000/ エリオット・シャープ
http://43142.diarynote.jp/?day=20060703  藤井オーケストラ名古屋/同東京
http://43142.diarynote.jp/?day=20080824 レイモンド・マクドナルド・インターナショナル・ビッグ・バンド
http://43142.diarynote.jp/200812281445103402/ 藤井4
http://43142.diarynote.jp/201001101203088126/ ガトー・リブレ、ファースト・ミーティング、ma-do、オーケストラ東京
http://43142.diarynote.jp/?day=20100607 ファースト・ミーティング
▶過去の、藤井(2010年8月6日、2012年7月1日)
http://43142.diarynote.jp/201008261616172628/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120701
▶過去の、田村(2004年8月20日、2004年10月10日)
http://43142.diarynote.jp/?day=20040820
http://43142.diarynote.jp/200410162220330000/
 南青山・ブルーノート東京(ファースト・ショウ)で、ヨーロピアン・リズム隊を擁する、渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日)のカルテット公演を見る。うち、ピアノのボブ・ディーゲン(米国人で、10歳ほど年下ながら、渡辺貞夫とはバークリー音楽院時代の演奏仲間。後に渡欧)とベースのディーター・イルク(ドイツ人)の二人はチャーリー・マリアーノとの双頭リーダー公演(2005年12月18日)のときに、マリアーノが同行させた奏者。そして、ドラマーのモーテン・ルンドはデンマーク人で、ディーゲンとイルクの推挙で今回来日した。

 “チャーリー・マリアーノに捧げる”という副題の公演で、彼の曲もいろいろ演奏する。うち、動物の鳴き声が曲名となったとMCで説明された曲は、ブルージー&グルーヴィな土台のもとメロディアスに広がる曲で、何も言われなければ、渡辺貞夫の自作曲と思ってしまいそうな曲想。ともにチャーリー・パーカーを根っこに置く両者は1960年代上半期に交遊を重ねたが、<敬愛するチャーリー・マリアーノには演奏だけでなく、曲作りの面でも影響を受けた>(渡辺談)という事実も納得。彼はボヘミアン的なスタンスの持ち主で、晩年もドイツとインドに半年づつ住む生活を送っていたという。まあ、渡辺貞夫もブラジルやアフリカ音楽に目を向け、いろいろと旅してきた人ではあるよなあ。

 品格とウィンクの感覚を持つ、アコースティック・ジャズの夕べ。近年ずっとそうであるように、渡辺貞夫はアルト・サッックスに専念する。しかし、80歳をすぎて悠々、ワン・ホーンをこなすのは凄いな。彼はワシントンDCとNYとボストンでイエロージャケッツ(2009年3月23日、2014年1月15日)のラッセル・フェランテ、フェリックス・パストリアス、ウィリアム・ケネディのサポートのもとカルテットでライヴを行ったばかり。本編最後の曲はチャップリン曲「スマイル」。彼が取り上げるのは初めてと思うが、マリアーノのヴァージョンに触発されて演奏したようだ。

▶過去の、渡辺
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▶過去のマリアーノ、ディーゲン、イルク
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▶過去の、イエロージャケッツ/フェランテ
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 その後、新宿・ピットインでアルゼンチンの自由派ギタリストのフェルナンド・カブサッキ(2002年9月7日、2002年9月15日、2006年7月7日、2011年4月16日、2013年6月6日)のショウを見る。

 例によって、毎回異なる共演者との即興ライヴ・ツアーの一環の1日で、この日は電気ヴァイオリンの勝井祐二(2000年7月29日、2000年9月14日、2002年9月7日、2002年9月14日、2003年3月6日、2003年7月29日、2004年1月16日、2004年5月28日、2004年5月31日、2004年6月2日、2004年6月3日、2004年11月19日、2005年2月15日、2005年2月19日。2005年4月11日。2005年10月30日、2006年5月30日、2006年7月7日、2006年8月27日,2006年12月3日,2006年12月28日、2007年6月29日、2008年1月30日、2008年2月18日、2012年12月23日、2013年1月7日、2013年2月11日、2013年6月6日他)、タブラのU-ZHAAN(2013年6月19日、2013年8月7日)、キーボードやギターの益子樹、ドラムの千住宗臣(2007年4月20日、2009年10月31日、2010年9月11日、2011年5月22日、2012年3月21日、2013年1月10日)がつく。

 約50分の切れ目なしのお手合わせを、間に休憩を挟んで二つ。そして、アンコール。やはり、カブサッキと勝井の繋がりは太いな。サーフ・ギター調とか、ヘヴィなロック調とか、普段見せていないような具象的な演奏をけっこう出していたのは印象に残った。この晩、彼はあまりエフェクター/サンプラーに頼らず演奏していたが、それは電気ヴァイオリン音との兼ね合いもあったか。あと、要所で土台を固めていた、ROVOのメンバーでもある益子の演奏は何気に利いていた。いろんな担い手のレコーディングに裏方として関与している彼だが、その手腕の一端に触れたような気持ちにもなった。

▶過去の、勝井/ROVO
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▶過去の、カブサッキ
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▶過去の、U-zhaan
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▶過去の、千住
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<今日の、家族>
 終演後にカブサッキと会ったら、だいぶ前に取材した事を覚えていて、驚く。ぼくは忘れていたのに、取材場所や媒体も! 緻密な人でもあり、その積み重ねの先に、“大胆”があるのだろう。で、カブサッキの異種丁々発止日本ツアーは今後も続く。最終日は7月29日の代官山・晴れたら空に豆まいて(w.ヨシタダイキチ、藤本一馬、大村亘)。会場には、美術家の奥様と10歳の可愛い娘さんもいた。その奥さん、モニカ・ぺラルタはこの7月1日から13日にかけて、池袋・B-galleryで個展を開いている。翌、9日はアルゼンチンの独立記念日。そして、対オランダのサッカーW杯準決勝の試合がある。
 南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。米国黒人音楽/ジャズ史においてなんとも不可解というか唯一の居場所に居続けたバンド・リーダー〜ピアノ/キーボード奏者である、サン・ラ(1914年~1993年)の意志を継ぐビッグ・バンド(2000年8月14日、2002年9月7日、2003年7月25日)の、11年ぶりの来日公演を見る。側近アルト奏者のマーシャル・アレンを前に出し、彼らはサン・ラ亡き後もごんごん活動している。今年も5ヶ月にわたる怒濤の欧州ツアーが組まれていて、彼らはその合間にひょっこり東京2日間の公演のためにやってきた。

 例によってキンキラ衣装を不揃いに羽織って、登場した面々は12人。4サックス、1トランペット、1フレンチ・ホルン、1トロンボーン、1鍵盤、1ギター、1打楽器、1ウッド・ベース、1ドラムという内訳。うち、 MCもする長身のバリトン・サックス奏者はよく歌い、打楽器も叩くサックス奏者もいる。こうやって書くと、通常のジャズ・ビッグ・バンドの編成からは大きく離れているのが、よく分りますね。管奏者たちは雛形状に座るが、アレンだけは中央に独立した形で位置し、ずっと立ってパフォーマンス。が、彼は指揮は一切しない。そんなところにも表れているように、その音は最初からきっちり合わせる気がないと言えるもの。別に、不揃いでいいぢゃん。そんな、意志が横溢。そんなバラバラな音は接する人によってはムカつくものかもしれないが、端正な重なりを求める人は最初からサン・ラー・アーケストのショウには来ないよな。彼らは黒人音楽/芸能であることを標榜している、とも、書けるか。

 頭の2曲はオールド・スクールな、曲調やリズムだけを取ればスウィンギンなジャズ。でも、テーマ部のところは烏合の衆的ヴォーカルがかまされて、普通じゃなくなるのが愉快。そして、3曲目からはグっと曲調が広がり、スペクタクルにもなり、より非ジャズ愛好者の興味を引く路線に入るか。そのなかの何曲かは、MCによればアレンの曲だったようだ。そして、その広がりは、日々の現場で学んでいるのだろう、“飛び道具”と言いたくなる要素は、過去見たときよりも増えている。

 たとえば、アレンやトランペッターのソロはフリーキー方面で突っ走り、アレンは曲によりウィンド・シンセサイザーも手にしてコズミック音も出し、ウルトラマンのお面を付けて出て来た若目のピアニスト/キーボード奏者は小シンセで電波音を出したり……。最後はお約束で、メンバーがチャントしながらステージをおりていく(場内後方で踊ったりも)。まあ、それらは絵に描いたような感じでもあり、ある意味予定調和と書けなくもない。だが、頻繁に彼らのパフォーマンスに触れることができるわけではない日本に住むぼくたちにとっては決定的事項に即触れられるということで、アリ。

 しかし、ぼくがハタチぐらいで、その存在をあまり知らずに、この晩のブラック・ホール的なショウに触れたら、ブっとぶだろうなあ。そして、似たような出で立ちのもと、狼藉楽団を友達とともに組みたくなるのではないか。なんか、彼らはまだまだ必要とされる存在でもあると、ふと実演を見ながら思った。

▶過去の、サン・ラー
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http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm

<今日の、気温>
 会場を出ると、とてもすずしい。いや、寒いくらい。日中は少し暑さを感じるようにもなってきているが、寝ているときは、いまだちゃんと布団をかけて寝ているぼく。やはり、今年は既報されているように、冷夏なのだろうか。もう若くないし、今年もノー・エアコンで行くつもりだし、それを望みたい。輝く陽光や自然を求めたいときは、リゾートに行けばいい。

 米国西海岸ベイ・エリアの著名ラテン・ファミリア父娘が中心となるグループの公演を、まず南青山・ブルーノート東京で見る。

 ティンバレスやコンガを叩く父ピート・エスコヴェド(2011年1月19日)とドラムを叩くシーラ・E(2002年8月12日、2006年8月10日、2009年5月11日、2009年9月20日、2011年1月19日)を中心に、キーボード、ギター、電気ベース、サックス、トランペット、トロンボーンという布陣(みな、年齢は中年以上)のパフォーマンス。音楽的にはフュージョンぽい部分もあるのだが、ちゃんとラテン的な旨味を通っていることで、線の太さや、楽ないい加減さや、ワイルドさを維持。やっぱり、この界隈の奏者たちは皆うまいとも頷かされる。

 笑ったのは、各人の出音のデカさ。そんな楽器数は多くないのに、その総体はオーケストラと名乗るのもまあいっかと思える重厚さをそれなりに持つ。全体演奏のとき、皆の音がそれなりに確認できるかわりに、ソロになったときは、たとえば電気ピアノ音のキーボードの音質の無神経さは相当なもの。シーラの叩き口も、とっても獰猛。でも、そこかしかこら出てくる、気安くも弾んだノリで、ルンルンとなっちゃう。あ、ギターはけっこう技をもっていたな。

 サンタナ(2013年3月12日)を追うラテン・ビヨンド・バンドのアステカをやっていた1970年代前半とかはハード・ドラッグをコレもんできめていたと思われるピートさんではあるが、現在の白髪も似合う好々爺ぶりには、人間長生きするもんだアと思わされた? 彼は大好きな曲と言って、「マイ・ウェイ」も歌ったが、これはシーラも入った同様編成によるピートのコンコード発2013年ライヴ盤にも入っている。シーラはドラム・ソロとともに、コンガのソロも披露。毎度ティンバレスのソロには触れてきたが、彼女のコンガ・ソロは初めて聞くかも。

▶過去の、ピート・エスコヴェド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/201101231220535615/
▶過去の、シーラ・E
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http://43142.diarynote.jp/?day=20090920
http://43142.diarynote.jp/201101231220535615/
▶過去の、サンタナ
http://43142.diarynote.jp/201303211531189619/

 その後は、丸の内・コットンクラブで、ビアンカ・ジスモンチのトリオ公演を見る。そのファミリー・ネームが示唆するように、ブラジルの鬼才エグベルト・ジスモンチ(2008年7月3日、2013年3月27日)の娘さん。お兄さんは、エグベルトと一緒に昨年やってきたギタリストのアレシャンドレ・ジスモンチですね。

 見た目はパっとしないリズム・セクションの同胞おっさんたちと登場したビアンカは、とっても綺麗。わあ、写真以上。そして、痩身で長身。黒髪で、なんかスペインの血が入っているんじゃないかと思わせるところもアリ。そして、その外見に合ったアイス・ドールなノリを彼女は持っていて、歓声に大きく応えることはせず。それは、無愛想な感じともつながるが、それゆえふと見せる表情からなんかいい人かもと思わる部分も持つ。ドラマーはレベッカの旦那さんだと言う人がいたが、そうならば、世の男性に勇気を与える? な〜んてね。

 ピアノを弾くと兄同様、すぐにクラシックのトレーニングを受けていることを示唆。そして、美意識と創意が交錯したフックを持つ楽曲をなぞり、電気ベースとドラムが後を追うように付いて行く。思っていたより即興度数は高くなく、仕掛けある曲が流れて行く様は、プログ・ロック的と思わせられもしたか。あと、いくつかの曲は往年のデイヴ・グルーシンのような味を感じさせる。ベーシストが裏声で詠唱する場面もあり。ビアンカも時に歌ったが、ベーシストも彼女と同じぐらい歌った。ビアンカの歌声は低く、太い。ちょい音程の甘さを覚えさせもするが、ルックスが勝るし、そこにある種の荘厳さが入るのがポイントだ。アンコールでは弾き語りも、彼女は見せた。

▶過去の、ジスモンチ
http://43142.diarynote.jp/200807041128510000/
http://43142.diarynote.jp/201303290753133066/


<今日の、親バカ>
 そっかー、今日の二つの公演は、ともに実力者である父を持つ娘が出たものであったのね。ブルーノート東京のほうは、アハハてなくらい、父と娘が笑顔で讃えまくり。親父は娘に向かって、ビューティフルを連発。一方のビアンカは25年前に、兄のアレシャドレらと一緒に父親のアルバムに幼いヴォイスで参加したことがあった。エグベルトのシンセサイザー音多用の電波作、『アマゾニア』(ECMを通して流通している)。それを聞くと、エグベルトも何気に親バカと思わせる。一時代を築いた名手は自信満々で、血を分けた子女たちにも自ら太鼓判ということなのだろうか。とともに、シーラもビアンカも偉大な父親を持っていることをプレッシャーに感じず、ラッキーと思い、自分の道を進んでいるようなところはある? って、シーラはプリンス(2002年11月19日)・ファミリー入りし、全米2位曲(「ザ・グラマラス・ライフ」)も出すなど、数字的には父親よりもよほど大きな成功を収めているわけだが。

▶過去のプリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm 
 1937年テキサス州ヒューストン生まれの女性歌手であるジュエル・ブラウンは、太っちょのおばあちゃんだった。R&Bが出てくる前、ジャズやブルースの輪郭がまだ曖昧でもあったころのノリ(それはジャンプとか、ジャイヴとかいう言葉も引用できるか)も持つヴェテラン歌手で、かつてはルイ・アームストロングの楽団に入っていたことがあった。かつてダンスの場の音楽として機能したジャズの楽団は、華のある女性シンガーを雇うのが常でしたね。サッチモの1963年来日公演にも、彼女は同行。そのころの米国での共演映像も残されていて、さすが50年前だけに、そこでの彼女はおきゃんで可愛らしい。なるほど、“宝石”か。

 今回、彼女をサポートしたのは、ホンクな三管(テナー、バリトン、トロンボーン)やウッド・ベーシストを擁するレトロさをある種のパンクさ(昔のジョー・ジャクソンのジャッンピン・ジャイヴ・バンドをよりジャズっぽくした印象もあり)を介して披露するセクステットであるBloodset Saxophoneとピアニストの伊東ミキオ。彼らとブラウンはこのショウに先立ち、一緒に山中湖かどこかで合宿レコーディングをしたそう。

 下北沢・440。演奏陣がスウィンギン&ジャンピーに数曲披露した(何気に、ブラック・ミュージックに不可欠な綻び感を持つギター演奏がいい感じ)後に、ブラウンは登場。彼女を呼び出すMCをしたのは、彼女のアルバムも出しているオースティンの好ブルース・レーベル”ダイアルトーン”を切り盛りするエディ・スタウト(日本録音の今作も彼がプロデュースしているよう)。なんと彼、白いジャケットに蝶ネクタイと正装していた。

 そして、ブラウンが出てくると、かなりの入りの場内は割れるような歓声で迎える。それは曲間も同じであったのだが、それには出演者も鼓舞されたろう。いやあ、この晩のあの歓声の“熱い美しさ”は、ぼくが今年接する公演のなかで有数のものになるに違いない。

 1曲目は、スタンダードの「オール・オブ・ミー」。彼女は椅子に座って歌うが、こんなにアップ・テンポのこの曲に触れるのは初めて? とても張りのある声でガンガン歌を噛ましていくブラウンは生理的に雄弁。年輪を無条件で感じさせる味の濃さはさすがにして、すごい。面白いのは、曲間にもなんかわあわあとオフ・マイクで声を出していること。もう、ステージにいられるのがうれしくてしょうがないという感じ。彼女が歌う曲数はそんなに多くなかったが、その米国ブラック・ミュージックの根っこにあると書きたくなるガハハな味はうれしすぎる。かつ、これぞ珠玉のブラック・エンターテインメントという醍醐味にも溢れていて、聞く者をノックする。変わらなくていいもの、山ほど。2ヶ月近く前に見たディー・ディー・ブリッジウォーター(2014年5月3日)のことを諸手をあげてぼくは賞賛しているが、こういう人たちの下地があってこそのものとも、彼女に接していて思った。

 両者が無理なく重なっているのは、レコーディングをしたばかりなので驚きはしない。でも、笠置シヅ子の弾けた関西弁歌詞曲「買い物ブギー」を日本語で歌ったのにはびっくり。まったく、彼女の曲になっちゃってるぢゃん。これもレコーディングしたらしいが、よくぞ選曲したな。このカヴァーにも、ブラック・ミュージックのうれしい逞しさがありました。

▶過去の、ブリッジウォーター
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http://43142.diarynote.jp/200708270316020000/
http://43142.diarynote.jp/200812150311286788/
http://43142.diarynote.jp/20091181706108905/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/

<今日の、どうぞ安らかに>
 唯一無二のソウル導師、ボビー・ウォマック(2013年5月12日)が27日に死んじゃった。享年、70歳。その2週間前には、米国最大のロック・フェスティヴァルであるボナルーに出演していて、その際の写真は一部アップされてもいる。2日前に、マッスル・ショールズの映画のことを書いた(2014年6月26日)が、ウォマックもまたフェイム・スタジオの恩恵を受け、一方ではその名声を高めた人物でもあった。そして、同地のミュージシャン同様、ストーンズやストーンズ加入前のロニー・ウッドほかロック側名士にもいろいろ影響を与え、付き合いを持った人物。悲しみは本当に世界中に広がっているに違いない。彼には1995年に一度だけインタヴューをしたことがある(それ、スティーヴィー・ワンダーもロナルド・アイズレーもキース・リチャーズもチャーリー・ワッツもロッド・スチュワートもロニー・ウッドもゲスト入りしていた、『レザレクション』を出したとき)が、一度話しだしたら、見事に話が止まらなくなるタイプ。たしか1時間で質問を5、6個しか出来なかったが、“任侠”な内容は抜群におもしろかった。本当はそのときのインタヴューの起こしをここに載せたいが、当時のPCがクラッシュしていて不可能か。でも、あなたの豪快なマシンガン・トークは忘れません。

▶過去の、ボビー・ウォマック
http://43142.diarynote.jp/201305141107016872/

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