夕方、錦糸町・すみだトリフォニー・ホールに。地下鉄半蔵門線の錦糸町駅の次の駅は押上。そう、何かと話題になっている東京スカイツリー(ぼくの知人は、語呂も東京タワーと似ているし、経営会社の名前を取って東武タワーでいいじゃん、と言っている。賛成かも)がある駅ですね。天気もいいしホールに行く前にスカイツリー周辺探訪をしようかと思ったが、さすが昨日の12時間に渡る痛飲のためハング・オーヴァー気味で、やめにする。でも、すみだトリフォニー・ホールの側からも通り一直線先にタワーが見える箇所があった。そういう所は、必ず携帯かざして写真を撮っている人がいるのですぐに分かる。現在400メートル弱だそうだが、工事途中のそれはぼくが想像していたよりも低く見えた。うーぬ、家から見えるところでこんなの作っていたら、ワクワクするかな。いや、絶対するだろうな。そして、タワーが見えないところにいると、落ち着かなくなっちゃったりするんだろーな。

 今年早々にリリースされた現代ジャズ・ギター界の大スター(1999年12月15日、2002年9月19日)の新作『オーケストリオン』はオーケストリオンという同名の自動演奏装置が奏でるサウンドのもとギターを弾いたアルバムで、今回の来日はそのオーケストリオンを持ってきてのソロ・パフォーマンス。東京2日間のみのもので、それは早々に売り切れとなったようだ。

 冒頭の数曲は、生ギター、バリトン・ギター、ピカソ・ギター、エレクトリック・ギターなど各種ギターを手して、ソロで1曲づつ弾く。その後はオーケストリオンを用いてのものだが、ナンダコレハと接した者は感じずにはいられない装置だよな。左右と背後に、各種パーカッション、鍵盤類、その他いろんな楽器/鳴りもの(全部で、100ぐらいはある?)が少しアートぽく置かれていて、それはいかなる仕掛けかは分からぬが、その場で動いて音を出し(例えば、シンバルだったらスティックが動いて対象を叩く)、その一個一個の音が重なり一つのサウンドが作られる。それは、物凄く大掛かりで、手間とお金がかかった“明和電気なるもの”なんて、言い方も少しは出来ようか。なんでも、子供のころに親類の家にあった自動演奏装置に対する好奇心がその根にあるようだが、とにもかくにも、酔狂。そのシステムを成り立たせるまでの労力や時間やコストのことを考えると本当に気が遠くなる。とともに、そのアナログな複雑装置が一切トラブルなしで動いている様にも驚く。ここまで安定させるまでには、相当な苦労があったろうて。ちなみに、バンドのときよりスタッフ数は多いそうだ。

 というわけで、ステージ上には寛いだ雰囲気が流れていたが、生理的に壮絶。ガキのころの夢を温め続けて、それを見事に形にしちゃった、メセニーの行動力や気持ちの強さにゃ感服。あんた馬鹿、いや大バカだ。で、そんなオーケストリオンがリアルタイムで出す音群に合わせて、メセニーは思うまま、得意気にギターを弾く。ギターのフレイズに連動して機械が動くところもあるのかもしれないが、基本そのオーケストリオンが出す音にヴィヴィッドな即興性があるわけではないし、採用楽器や装置の回路上やはりサウンドの傾向は一方向を向きがち。それだけを取るなら、バンドをバックにしたほうが生々しいことはできるだろうし、いろんな音を思うまま重ねたプリセット音を流してそれに合わせてギターを弾いたほうが多様に飛び散る表現はできるはず。それゆえ、純粋な音楽面においての新しさの獲得は皆無と言える。音楽的にも新たな境地に達したなんて言う人はメセニー狂信者か、耳のくもっている人と、ぼくは思う。CD『オーケストリオン』のリード・トラックたる1曲目なんて、マイク・オールドフィールドが70年代初頭に発表した「チューブラー・ベルズ」の聞き味からそんなに変わってないでしょ?

 意地悪なことを書けば、メセニーのバンド表現におけるサウンド構築のヴァリエーションや純粋なギター演奏語彙は行き詰まっているところはあるはず。それを敏感なメセニーは察知しているからこそ、彼はこういうプロジェクトにも望んだとも言えなくはないだろう。でも、経過はどうであれ、その変テコでやっかいな筋道を通ってのメセニーのギター表現は言葉を超えた感慨を引き出し、輝きや妙味を持つものとして、あの場にいた受け手に向かいまくっていたのは間違いのないこと。なんか、掛け替えのない何かが存分にあの場にはあった!

 <パット・メセニー、私とギター、そしてその音楽人生……>そんな副題が付けられそうな、メセニーのギターや音楽に対する並外れた執念がこれでもかと放出された公演。途中からは達成感を下敷きにするだろう心のこもったMCを1曲ごとに挟んだりもし、3度やったアンコール曲も含めると、3時間にも及ぶショウとなった。そういえば、最後のほうになると、メセニーのギター演奏に関しては、そのライヴ・ギター音をサンプリングしそれをループして行く手法も取ったりもした(それ自体はリチャード・ボナ他いろんな人がやっていることで新味なし)し、オーネット・コールマン(2006年3月27日)の「ピース」をやったりもした。オーケストリオン装置は豆電球が光ったりもする(それ、演奏しているものが光るという話もあるが、遠目にはピカピカ光っているようにしか見えなかった)が、照明ともどもそれは子供っぽい感じを与えるもので、趣味がいいとは言いがたい。まあ、そこらあたりは服装に無頓着な彼らしいと思わせるか。

 あのからくり装置のお化けのようなものを介する生サウンドにギター演奏を重ねる様に触れて、メセニーは強大な“スカイツリー”を一人で見事に作り上げちゃたんだなーと、思ったりも。無駄なことを嬉々としてやるパワー、その創造性や権力の自由な行使にはおおきく心を動かされちゃったナ。メセニー、あんたって人は……。巨大なおもちゃを前に永遠のギター少年が思うまま振る舞う様に、ピーターパンという言葉を思い出したりも。これをMJ(マイケル・ジャクソンのことです)が見たら、メセニーと共演したくなったんじゃないか。なんか、ぼくはそんな唐突なことも思った。

 この日は、オーケストリオンをひっさげてのツアーの最終日。秋にはまたこのプロジェクト・ツアーをやるという話もあるが、この欧州サマー・フェス・ツアーはカルテット(ラリー・メイズ、スティーヴ・ロドビー、アントニオ・サンチェス)でやるようだ。

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