ジャキス・モレレンバウム、パウラ・モレレンバウム&伊藤ゴロー
2014年8月3日 音楽 ミュージシャンズ・ミュージシャンであるブラジル人チェリスト(2005年7月24日)と嫁のシンガーのパウラ(2005年7月24日、2008年8月22日)とヴォイシング豊かなアコースティック・ギター名手である伊藤ゴロー(1999年6月3日)の、連名リーダー公演。その3人に、ピアニストの澤渡英一とドラム/打楽器の小川慶太がつく。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
パウラのヴォーカルをフィーチャーするパートを前後に置き、中盤は演奏陣だけで数曲。ブラジル音楽の妙味をいろんな方向から見つつ、その他の音楽興味や個人の持ち味なども通過させての、秀でたセンスや優しい気持ちの重ね合い。ひたひた、おしつけがましくもなく。その和気あいあいにして、どこか澄んだ質感も持つパフォーマンスは月並みな形容となるが、豊かと思わせる。伊藤とジャケスは確か前にも共演公演を東京でやったことがあるはずでもあり、重なりはまろやか。また、ピアニストもドラマーも伊藤の選択だろうから、これもまた無理なく音を重ねる。ベーシストはいないが、時々ジャケスはピチカートでベース的な音を出す。ただ、チェロという楽器はピチカート向きではないのか(どうかは知らないが)、綺麗とは言えない音が出ていた。
一番最後の曲は、アントニオ・カルロス・ジョビンの代表曲「三月の水」。とっても、いい曲。世に秀でた曲は沢山あるが、個人的ベスト10に入るなと、聞きながら思う。いつごろからか、この曲が耳に入ってくると、勝手に別ヴァージョンを脳内で作っている自分がいる。なんか、そういうことを誘発させる発展を抱えた曲であるよなー。この曲を一番最初に聞いたのはいつごろか、ぐうぜん耳にしたはずで、そのときはジョビンの曲ということも知らなかったはず。音楽のことを書く生業なので、現在音楽を楽しむということと、それにまつわる情報や背景を拾うという行為は、とうぜん一体化している。でも、能書き抜きのパっと聞き直感というのはやはり大切にしたい。
▶過去の、モレレンバウム
http://43142.diarynote.jp/200507281000160000/
http://43142.diarynote.jp/200808221741070000/
▶過去の、伊藤(エスピリト)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm
<今日の、水>
いつの間にか、すっかり夏になっている。湿度が過剰に高くなってはおらず、まだ例年よりは過ごしやすいとは思うが。ただ、水は猛烈に、のべつまくなし飲んでいる。それマジ、摂っているというレヴェルではない。まあ、水をゴクゴク飲むというのはぼくの特技ではあるのだが、今年は例年以上に飲んでいると感じる。もう、2リットルのペット・ボトルがぽんぽん空いて行く。あひ〜。ところで、過去のモレレンバウム夫妻のショウは愛し合っていますという感じを猛烈に出していたが、今回はわりとサラっとしていたような。
パウラのヴォーカルをフィーチャーするパートを前後に置き、中盤は演奏陣だけで数曲。ブラジル音楽の妙味をいろんな方向から見つつ、その他の音楽興味や個人の持ち味なども通過させての、秀でたセンスや優しい気持ちの重ね合い。ひたひた、おしつけがましくもなく。その和気あいあいにして、どこか澄んだ質感も持つパフォーマンスは月並みな形容となるが、豊かと思わせる。伊藤とジャケスは確か前にも共演公演を東京でやったことがあるはずでもあり、重なりはまろやか。また、ピアニストもドラマーも伊藤の選択だろうから、これもまた無理なく音を重ねる。ベーシストはいないが、時々ジャケスはピチカートでベース的な音を出す。ただ、チェロという楽器はピチカート向きではないのか(どうかは知らないが)、綺麗とは言えない音が出ていた。
一番最後の曲は、アントニオ・カルロス・ジョビンの代表曲「三月の水」。とっても、いい曲。世に秀でた曲は沢山あるが、個人的ベスト10に入るなと、聞きながら思う。いつごろからか、この曲が耳に入ってくると、勝手に別ヴァージョンを脳内で作っている自分がいる。なんか、そういうことを誘発させる発展を抱えた曲であるよなー。この曲を一番最初に聞いたのはいつごろか、ぐうぜん耳にしたはずで、そのときはジョビンの曲ということも知らなかったはず。音楽のことを書く生業なので、現在音楽を楽しむということと、それにまつわる情報や背景を拾うという行為は、とうぜん一体化している。でも、能書き抜きのパっと聞き直感というのはやはり大切にしたい。
▶過去の、モレレンバウム
http://43142.diarynote.jp/200507281000160000/
http://43142.diarynote.jp/200808221741070000/
▶過去の、伊藤(エスピリト)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm
<今日の、水>
いつの間にか、すっかり夏になっている。湿度が過剰に高くなってはおらず、まだ例年よりは過ごしやすいとは思うが。ただ、水は猛烈に、のべつまくなし飲んでいる。それマジ、摂っているというレヴェルではない。まあ、水をゴクゴク飲むというのはぼくの特技ではあるのだが、今年は例年以上に飲んでいると感じる。もう、2リットルのペット・ボトルがぽんぽん空いて行く。あひ〜。ところで、過去のモレレンバウム夫妻のショウは愛し合っていますという感じを猛烈に出していたが、今回はわりとサラっとしていたような。
矢野顕子トリオ。エリマージ
2014年8月7日 音楽 ますは矢野顕子(2004年7月20日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年8月19日、2009年9月4日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年9月9日、2011年12月11日、2012年8月21日、2013年8月11日、2013年11月30日)、恒例夏場のブルーノート東京公演を見る。電気ベースのウィル・リー(2008年12月7日、2009年8月19日、2012年8月21日、2012年11月26日、2013年12月5日)とドラムのクリストファー・パーカー(2009年8月19日、2012年8月21日)という、近年ずっと一緒に夏場の来日ライヴをやっているリズム隊を従えての出し物。
2012年に矢野顕子にインタヴューした際、このトリオについて「私たちは、この3人で演奏するのが楽しみでしょうがないんです。年々、バンドとしての“バンド度”というものがあがって来ていますから。どんどん“濃ゆく”なっているので、どんな曲がきてもバンドの音に達するのが早くなっているのを去年あたりから感じていまして、曲に対する愛情の注ぎ方も強くなっています」と語っていたが、わあ、まさか今回こんなバンド音でくるとは! フレッシュ。かなり、過去の行き方とは違っていた。
その鮮やかな差異は、今年発表した新作『飛ばしていくよ』(ビクター)が導いた。彼女にとって5年半ぶりのアルバムとなる同作はエレクトロ・サウンドを介した内容だったわけだが、今回はそこからの楽曲を中心に披露したことで、リーとパーカーの出す演奏音や噛み合いが大きく変わっていたのだ。そこは二人とも、百戦錬磨のスタジオ・ミュージシャンとしての積み重ねを持つ。ゆえに彼ら、ほうと感嘆したくなるほど、矢野が持つ新世界に対応しようとしていた。
リーは今回、ベースを肩から外し、小振りなシンセサイザーに向かいベース音や音響音を出すこともあった。また、パーカーも過去とは全然異なる叩き口のドラミングを見せ……。プリセット音を下敷きにした曲もあったが、その際パーカーはヘッドフォンを付けて演奏した。とか、その様にはNYのスタジオ界で長年生きて来た熟達奏者の矜持を山ほど感じてしまったな。リーはハーモニカを吹いりもしたが、ミュージシャンシップをかけたその総体は当然ながら過去のトリオの関係性とは少し離れるものであるとともに、新作『飛ばしていくよ』のサウンドとも位相を異にするもので、接していて、面白くてしょうがなかった。
リズム隊二人の演奏のもと、ピアノやエレクトリック・ピアノ音のキーボードを弾きながら歌っていた矢野は中央に出て来てスキャットをかます場面もあり。また、完全アコースティックなのりで、リトル・フィート(2000年12月8日、2012年5月22日)の「ロング・ディスタンス・ラヴ」(1975年『ザ・ラスト・レコード・アルバム』に収録)を披露もした。そのさい、リーはデュエット役をした。これ、ウェスト・コースト・ロックから離れることで個性を放った彼らにとってはトップ級に(「ウィーリン」とともに)西海岸シンガー・ソングライター的情緒を湛えた人気曲。それゆえ、ぼくはリトル・フィート曲のなかでは嫌いなほうの曲だが、そうとうニコニコして聞けたナ。
でもって、35年前が見事にフラッシュ・バック。矢野はデビュー作『ジャパニーズ・ガール』の半分をLAでリトル・フィートのバッキングで録り、フィートの1978年の東京厚生年金会館公演のアンコール時には彼女も一緒に出て来たのだよな。ちょうど怪物ライヴ盤『ウェイティング・フォー・コロンブス』(ワーナー・ブラザース)が出た後で、ステージ中央にはニオン・パーク画伯によるそのトマトがあしらわれたジャケット絵がはられていたっけ。
新たな種と確かな歌心が、度を超えた音楽家力量のもと、綱引きしていたパフォーマンスだった。
▶過去の、矢野
http://43142.diarynote.jp/200407200015350000/
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200908221621447408/
http://43142.diarynote.jp/200909120647256771/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201109151818437240/
http://43142.diarynote.jp/201112191449196187/
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
http://43142.diarynote.jp/201312051627467488/
▶過去の、ウィル・リー
http://43142.diarynote.jp/200812150312308154/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090819
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
http://43142.diarynote.jp/201212101904379741/
http://43142.diarynote.jp/201312171510083393/
▶過去の、パーカー
http://43142.diarynote.jp/?day=20090819
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
▶過去の、フィート
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
そして、その後は、丸の内・コットンクラブで、NYの前線ジャズ・シーンで活動している面々が重なるグループ(2013年6月4日)の、2度目となる来日公演を見る。
リーダー格のジャマイア・ウィリアムズ(2009年5月18日、2012年3月3、4日、2013年4月1日、2013年6月4日)、キーボードとトロンボーンのコーリー・キング(2013年2月15日、2013年6月4日、2014年5月25日)、エレクトリック・ギターのマシュー・スティーヴンス(2009年1月31日、2013年6月4日)に加え、ベーシストはヴィセンテ・アーチャー(2007年10月3日、2009年4月13日、2010年7月24日、2013年2月2日、2013年6月4日)からエリマージのアルバムで歌っているアラン・ハンプトンに今回変わった。これは、うれしい。だって、彼はNYの今様“ジャズ+”の担い手から実はひっぱりだこの人物で、どんな人なのかなーと常々感じていたから。
ヒップホップ・ビートをぐつぐつ感を増やしつつ人力で巧みに処理したような、やはりどこかイビツなうれしい感覚を持つウィリアムズのドラム演奏を土台に、隙間や流動性にたんまり留意した他の楽器音が重なるバンド・サウンドはなかなかに風情があって、美味。やはり、何気に引きつけられる。当のハンプトンはヴォーカル中心でこのバンドに関与するのかと思えば、もう全面的に手慣れたエレクトリック・ベース演奏を見せるので少し驚く。右手はいろんな使い方もしていて、その背後にコントラバスも弾けることを透けて見させる。なるほど、その総体の流れへの乗り具合を見ても、ちゃんとジャズを通っている御仁なのは間違いない。
そんな彼はケンドリック ・スコット(2009年3月26日、2013年2月2日、2013年8月18日、2013年9月11日)やデリック・ホッジ(2002年7月3日。2005年8月21日、2009年3月26日、2009年12月19日、2010年12月16日、2012年6月12日、2013年1月25日、2014年1月10日)のアルバムにフィーチャリング・シンガーとして参加するとともに、グレッチェン・パーラト(2009年2月3日、2012年2月22日、2013年3月19日)やエスペランサ(2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日、2011年2月17日、2012年3月7日、2012年9月9日)作にもシンガーやベース奏者やギタリストとして関与。また、それ以前にも、アンドリュー・バード(2010年2月3日)やクレア&ザ・リーズンズ(2005年5月22日、2009年2月13日、2010年8月20日、2010年11月21日、2013年2月20日)やスフィアン・スティーヴンスらポップ・フィールドにいる人たちのアルバムに参加もしていて、ぼくは当初洒脱ロック系列にあるシンガー・ソングライターではないかと、彼のことを見ていた。ハンプトンの2011年リーダー作も、変なギター演奏は入っているものの完全にそういう流れにあった。だが、今日の彼のパフォーマンスを見て、彼がきっちりバークリー音大出とかの学究派であると了解。まあ、バードやクレア・マルダーたちも同様に正式音楽教育を受けているわけで、今マンハッタン/ブルックリンのポップ音楽シーンは音大出の人たちによる密な繋がりがあって、何かを生んでいるというところもあるのではないか。→→少なくても20年前と比べたら、音大卒のポップ・ミュージシャン比率はけっこう増えているはず。それはちょいスノビッシュであリ、チっとどこかで思わなくはない心は雑草ファンカーでいたいワタシではあるが、現在そうした人たちが作る洒脱なポップ・ミュージックをぼくが愛好しているのも確かでありますね。
そして、そこから話は発展するが、エリマージやエスペランサやクリス・バワーズ(2013年2月15日、2014年7月27日)らの表現もまた、同様の経路を持っているとふと思える。はみ出したジャズ系表現を<精神としてのジャズ>と説明することがあるが、彼らのアルバムはジャズ発想/技量を用いつつ<精神としてのポップ>というキブンのほうが強いと感じる。そんなこともあり、ぼくはそれらをジャズと紹介するよりも、今の時代のビート・ポップ、ポスト・ロック、ポスト・ファンクと言ってしまったほうがしっくり来ちゃう。ロバート・グラスパー(2007年10月3日、2009年4月13日、2009年12月19日2010年12月16日、2012年6月12日、2013年1月25日)の近2作も、完全にポストR&Bという内容だよな。
このブログに書いたことがあるが、今の同時代ポップ表現はジャズをちゃんと知っている担い手の手腕や感性に導かれているところが少なくない。というか、あのぐらいのインタープレイや発展の感覚は今の先端ポップに往往必要とされる用件であり(それを感覚一発でやることで大衆音楽の世界で天下を取ったのが、ヒップホップだと言える)、わざわざジャズという言葉を用いる必要はないかもしれぬ。まあ、そう考えたくなるのは、ぼくがジャズ愛好家である前に、ロックやファンク好きであるから? それとも、欲張りにいろんなものを聞いてきているからこそ、固有のジャズの凄さも長年感じていて、唯一無二のジャズたる醍醐味=飛躍の感覚に畏怖するところがあるからか。 あ、少し前に初来日したヴィジェイ・アイヤー(2014年6月17日、2014年6月19日、2014年6月20日)は様々なポップ音楽要素を見ていても、”ジャズ”でしかありません。
▶過去の、エリマージ
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224
▶過去の、ウィリアムズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130401
http://43142.diarynote.jp/200905191118258984/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120303
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224
▶過去の、キング
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224
http://43142.diarynote.jp/201405271755563079/
▶過去の、スティーヴンス
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224
▶過去の、アーチャー
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
▶過去の、スコット
http://43142.diarynote.jp/?day=20090326
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
http://43142.diarynote.jp/201309161510164697/
▶過去の、ホッジ
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/?day=20090326
http://43142.diarynote.jp/200903271727246000/
http://43142.diarynote.jp/201001051625155901/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095
http://43142.diarynote.jp/201206141342549869/
http://43142.diarynote.jp/201301270742196778/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140110
▶過去の、パーラト
http://43142.diarynote.jp/200902040424558168/
http://43142.diarynote.jp/201202251301444372/
http://43142.diarynote.jp/201303221327416224/
▶過去の、エスペランサ
http://43142.diarynote.jp/200809071430380000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20081201
http://43142.diarynote.jp/?day=20100904
http://43142.diarynote.jp/201102190814495504/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120307
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
▶過去の、バード
http://43142.diarynote.jp/201002051635443280/
▶過去の、クレアたち
http://43142.diarynote.jp/200505230459460000/
http://43142.diarynote.jp/200902180051531741/
http://43142.diarynote.jp/201008261619146538/
http://43142.diarynote.jp/201011250550109951/
http://43142.diarynote.jp/201302281042208923/
▶過去の、バワーズ
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201408051020111821/
▶過去の、グラスパー
http://43142.diarynote.jp/200710121727100000/
http://43142.diarynote.jp/200904150840164356/
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http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
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http://43142.diarynote.jp/201301270742196778/
▶過去の、アイヤー
http://43142.diarynote.jp/201406180853065508/
http://43142.diarynote.jp/201406201008164250/
http://43142.diarynote.jp/201406210910441716/
<今日の、初めて&ありゃ>
矢野顕子のほうは、彼女の同所公演の常でフル・ハウス。ここは混んでいる際は、カウンター前に椅子を出したり、ステージに向かって左側にある普段はクローズになっている2階席を開放する場合があるが、この日は2階席に案内される。長いブルーノート東京詣で歴のなか、これは初めてのこと。へ〜え。ちょうど見下ろすように、彼女の指さばきが見えて、ドリンクのお代わりはしにくいが、なかなか塩梅が良い。満場の客の様子もつぶさに分る。そして、移動しコットンクラブに行ったんだが、あれれ演奏がすでに始まっている。あぁそうだ、ここのセカンド・ショウの開演は21時であった。知っていたはずなのに、なぜか21時半スタートだと今回勘違い(泣)。モーロクについては認識しているのでヘコみはしないが、エリマージのあたまの方を聞き損ねたのは、とっても悲しい。でも、その美点は十分に了解し、堪能できたとも思うが。
2012年に矢野顕子にインタヴューした際、このトリオについて「私たちは、この3人で演奏するのが楽しみでしょうがないんです。年々、バンドとしての“バンド度”というものがあがって来ていますから。どんどん“濃ゆく”なっているので、どんな曲がきてもバンドの音に達するのが早くなっているのを去年あたりから感じていまして、曲に対する愛情の注ぎ方も強くなっています」と語っていたが、わあ、まさか今回こんなバンド音でくるとは! フレッシュ。かなり、過去の行き方とは違っていた。
その鮮やかな差異は、今年発表した新作『飛ばしていくよ』(ビクター)が導いた。彼女にとって5年半ぶりのアルバムとなる同作はエレクトロ・サウンドを介した内容だったわけだが、今回はそこからの楽曲を中心に披露したことで、リーとパーカーの出す演奏音や噛み合いが大きく変わっていたのだ。そこは二人とも、百戦錬磨のスタジオ・ミュージシャンとしての積み重ねを持つ。ゆえに彼ら、ほうと感嘆したくなるほど、矢野が持つ新世界に対応しようとしていた。
リーは今回、ベースを肩から外し、小振りなシンセサイザーに向かいベース音や音響音を出すこともあった。また、パーカーも過去とは全然異なる叩き口のドラミングを見せ……。プリセット音を下敷きにした曲もあったが、その際パーカーはヘッドフォンを付けて演奏した。とか、その様にはNYのスタジオ界で長年生きて来た熟達奏者の矜持を山ほど感じてしまったな。リーはハーモニカを吹いりもしたが、ミュージシャンシップをかけたその総体は当然ながら過去のトリオの関係性とは少し離れるものであるとともに、新作『飛ばしていくよ』のサウンドとも位相を異にするもので、接していて、面白くてしょうがなかった。
リズム隊二人の演奏のもと、ピアノやエレクトリック・ピアノ音のキーボードを弾きながら歌っていた矢野は中央に出て来てスキャットをかます場面もあり。また、完全アコースティックなのりで、リトル・フィート(2000年12月8日、2012年5月22日)の「ロング・ディスタンス・ラヴ」(1975年『ザ・ラスト・レコード・アルバム』に収録)を披露もした。そのさい、リーはデュエット役をした。これ、ウェスト・コースト・ロックから離れることで個性を放った彼らにとってはトップ級に(「ウィーリン」とともに)西海岸シンガー・ソングライター的情緒を湛えた人気曲。それゆえ、ぼくはリトル・フィート曲のなかでは嫌いなほうの曲だが、そうとうニコニコして聞けたナ。
でもって、35年前が見事にフラッシュ・バック。矢野はデビュー作『ジャパニーズ・ガール』の半分をLAでリトル・フィートのバッキングで録り、フィートの1978年の東京厚生年金会館公演のアンコール時には彼女も一緒に出て来たのだよな。ちょうど怪物ライヴ盤『ウェイティング・フォー・コロンブス』(ワーナー・ブラザース)が出た後で、ステージ中央にはニオン・パーク画伯によるそのトマトがあしらわれたジャケット絵がはられていたっけ。
新たな種と確かな歌心が、度を超えた音楽家力量のもと、綱引きしていたパフォーマンスだった。
▶過去の、矢野
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http://43142.diarynote.jp/201112191449196187/
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
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▶過去の、ウィル・リー
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http://43142.diarynote.jp/?day=20090819
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http://43142.diarynote.jp/201212101904379741/
http://43142.diarynote.jp/201312171510083393/
▶過去の、パーカー
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▶過去の、フィート
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http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
そして、その後は、丸の内・コットンクラブで、NYの前線ジャズ・シーンで活動している面々が重なるグループ(2013年6月4日)の、2度目となる来日公演を見る。
リーダー格のジャマイア・ウィリアムズ(2009年5月18日、2012年3月3、4日、2013年4月1日、2013年6月4日)、キーボードとトロンボーンのコーリー・キング(2013年2月15日、2013年6月4日、2014年5月25日)、エレクトリック・ギターのマシュー・スティーヴンス(2009年1月31日、2013年6月4日)に加え、ベーシストはヴィセンテ・アーチャー(2007年10月3日、2009年4月13日、2010年7月24日、2013年2月2日、2013年6月4日)からエリマージのアルバムで歌っているアラン・ハンプトンに今回変わった。これは、うれしい。だって、彼はNYの今様“ジャズ+”の担い手から実はひっぱりだこの人物で、どんな人なのかなーと常々感じていたから。
ヒップホップ・ビートをぐつぐつ感を増やしつつ人力で巧みに処理したような、やはりどこかイビツなうれしい感覚を持つウィリアムズのドラム演奏を土台に、隙間や流動性にたんまり留意した他の楽器音が重なるバンド・サウンドはなかなかに風情があって、美味。やはり、何気に引きつけられる。当のハンプトンはヴォーカル中心でこのバンドに関与するのかと思えば、もう全面的に手慣れたエレクトリック・ベース演奏を見せるので少し驚く。右手はいろんな使い方もしていて、その背後にコントラバスも弾けることを透けて見させる。なるほど、その総体の流れへの乗り具合を見ても、ちゃんとジャズを通っている御仁なのは間違いない。
そんな彼はケンドリック ・スコット(2009年3月26日、2013年2月2日、2013年8月18日、2013年9月11日)やデリック・ホッジ(2002年7月3日。2005年8月21日、2009年3月26日、2009年12月19日、2010年12月16日、2012年6月12日、2013年1月25日、2014年1月10日)のアルバムにフィーチャリング・シンガーとして参加するとともに、グレッチェン・パーラト(2009年2月3日、2012年2月22日、2013年3月19日)やエスペランサ(2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日、2011年2月17日、2012年3月7日、2012年9月9日)作にもシンガーやベース奏者やギタリストとして関与。また、それ以前にも、アンドリュー・バード(2010年2月3日)やクレア&ザ・リーズンズ(2005年5月22日、2009年2月13日、2010年8月20日、2010年11月21日、2013年2月20日)やスフィアン・スティーヴンスらポップ・フィールドにいる人たちのアルバムに参加もしていて、ぼくは当初洒脱ロック系列にあるシンガー・ソングライターではないかと、彼のことを見ていた。ハンプトンの2011年リーダー作も、変なギター演奏は入っているものの完全にそういう流れにあった。だが、今日の彼のパフォーマンスを見て、彼がきっちりバークリー音大出とかの学究派であると了解。まあ、バードやクレア・マルダーたちも同様に正式音楽教育を受けているわけで、今マンハッタン/ブルックリンのポップ音楽シーンは音大出の人たちによる密な繋がりがあって、何かを生んでいるというところもあるのではないか。→→少なくても20年前と比べたら、音大卒のポップ・ミュージシャン比率はけっこう増えているはず。それはちょいスノビッシュであリ、チっとどこかで思わなくはない心は雑草ファンカーでいたいワタシではあるが、現在そうした人たちが作る洒脱なポップ・ミュージックをぼくが愛好しているのも確かでありますね。
そして、そこから話は発展するが、エリマージやエスペランサやクリス・バワーズ(2013年2月15日、2014年7月27日)らの表現もまた、同様の経路を持っているとふと思える。はみ出したジャズ系表現を<精神としてのジャズ>と説明することがあるが、彼らのアルバムはジャズ発想/技量を用いつつ<精神としてのポップ>というキブンのほうが強いと感じる。そんなこともあり、ぼくはそれらをジャズと紹介するよりも、今の時代のビート・ポップ、ポスト・ロック、ポスト・ファンクと言ってしまったほうがしっくり来ちゃう。ロバート・グラスパー(2007年10月3日、2009年4月13日、2009年12月19日2010年12月16日、2012年6月12日、2013年1月25日)の近2作も、完全にポストR&Bという内容だよな。
このブログに書いたことがあるが、今の同時代ポップ表現はジャズをちゃんと知っている担い手の手腕や感性に導かれているところが少なくない。というか、あのぐらいのインタープレイや発展の感覚は今の先端ポップに往往必要とされる用件であり(それを感覚一発でやることで大衆音楽の世界で天下を取ったのが、ヒップホップだと言える)、わざわざジャズという言葉を用いる必要はないかもしれぬ。まあ、そう考えたくなるのは、ぼくがジャズ愛好家である前に、ロックやファンク好きであるから? それとも、欲張りにいろんなものを聞いてきているからこそ、固有のジャズの凄さも長年感じていて、唯一無二のジャズたる醍醐味=飛躍の感覚に畏怖するところがあるからか。 あ、少し前に初来日したヴィジェイ・アイヤー(2014年6月17日、2014年6月19日、2014年6月20日)は様々なポップ音楽要素を見ていても、”ジャズ”でしかありません。
▶過去の、エリマージ
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224
▶過去の、ウィリアムズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130401
http://43142.diarynote.jp/200905191118258984/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120303
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224
▶過去の、キング
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224
http://43142.diarynote.jp/201405271755563079/
▶過去の、スティーヴンス
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224
▶過去の、アーチャー
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
▶過去の、スコット
http://43142.diarynote.jp/?day=20090326
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
http://43142.diarynote.jp/201309161510164697/
▶過去の、ホッジ
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/?day=20090326
http://43142.diarynote.jp/200903271727246000/
http://43142.diarynote.jp/201001051625155901/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095
http://43142.diarynote.jp/201206141342549869/
http://43142.diarynote.jp/201301270742196778/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140110
▶過去の、パーラト
http://43142.diarynote.jp/200902040424558168/
http://43142.diarynote.jp/201202251301444372/
http://43142.diarynote.jp/201303221327416224/
▶過去の、エスペランサ
http://43142.diarynote.jp/200809071430380000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20081201
http://43142.diarynote.jp/?day=20100904
http://43142.diarynote.jp/201102190814495504/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120307
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
▶過去の、バード
http://43142.diarynote.jp/201002051635443280/
▶過去の、クレアたち
http://43142.diarynote.jp/200505230459460000/
http://43142.diarynote.jp/200902180051531741/
http://43142.diarynote.jp/201008261619146538/
http://43142.diarynote.jp/201011250550109951/
http://43142.diarynote.jp/201302281042208923/
▶過去の、バワーズ
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201408051020111821/
▶過去の、グラスパー
http://43142.diarynote.jp/200710121727100000/
http://43142.diarynote.jp/200904150840164356/
http://43142.diarynote.jp/201001051625155901/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/201206141342549869/
http://43142.diarynote.jp/201301270742196778/
▶過去の、アイヤー
http://43142.diarynote.jp/201406180853065508/
http://43142.diarynote.jp/201406201008164250/
http://43142.diarynote.jp/201406210910441716/
<今日の、初めて&ありゃ>
矢野顕子のほうは、彼女の同所公演の常でフル・ハウス。ここは混んでいる際は、カウンター前に椅子を出したり、ステージに向かって左側にある普段はクローズになっている2階席を開放する場合があるが、この日は2階席に案内される。長いブルーノート東京詣で歴のなか、これは初めてのこと。へ〜え。ちょうど見下ろすように、彼女の指さばきが見えて、ドリンクのお代わりはしにくいが、なかなか塩梅が良い。満場の客の様子もつぶさに分る。そして、移動しコットンクラブに行ったんだが、あれれ演奏がすでに始まっている。あぁそうだ、ここのセカンド・ショウの開演は21時であった。知っていたはずなのに、なぜか21時半スタートだと今回勘違い(泣)。モーロクについては認識しているのでヘコみはしないが、エリマージのあたまの方を聞き損ねたのは、とっても悲しい。でも、その美点は十分に了解し、堪能できたとも思うが。
19時きっかりに場内は暗転し、オン・タイムでもったいぶることなく、Tシャツ&短パンの格好の当人が出てくる。新木場・スタジオコースト。その広いステージに、出演者は生ギターを抱えた彼が一人だけ。そして、この英国人はいろんな角度からエド・シーランという人間や、その音楽を、外連味なく出す。完全ソロで、本編80分。だが、アンコールは30分やって、ちょうど1時間50分の長さを、彼は一人で見せきった。
見ている途中から、ここには音楽の力や自分のストーリー(基本、彼の歌詞は言葉数が多い)を信じるまっすぐなミュージシャンがいる……ということを、痛感せずにはいられず。まだ、23歳。その音楽を介しての先にある何かを信じる様のまぶしくも、頼もしいこと。過去発表した2枚のアルバムはともに新人としては破格の成功を収め、とくに今年出た新作『X』(アサイラム。ファレル・ウィリアムスの共作/制作曲も入っている。こわいものなし、だなあ)は英米ともに1位を獲得するなどこれ以上望むべくもないセールスを記録しているのだから、そりゃ自分や音楽の力を信じるなというほうが、無理ではあるのだが。
基本は、生ギター弾き語り基調のシンガー・ソングライター。それは無理なく、確かな歌心を持つ。その様に触れながら、彼の大人気は、同じ英国のマムフォード&ザ・サンズ(2013年7月30日)のそれと繋がるものかと、思った。曲により、場内がシング・アロング状態になるのも同様。うぬ、マムフォーズ同様、シーランも来年あたまのグラミー賞を取りそう?
だが、彼の実演はそれだけでなく、半数の曲(時間的には3/5?)では、サンプリング/ループ・サウンドを用いた一人パフォーマンスを披露する。ギター音やギターのボディを叩くビート音や歌(一部ヒューマン・ビート・ヴォックスも)をその場でどんどん重ねたループ音環境のもと、彼は自分の言葉やメロディや息遣いを開放。それ、バンドを雇って披露しても問題はないだろうが、シーランは一人でやることに意義を感じているのだろう、頑にDIYを貫く。そう、すべては自分の力量や責任のもと遂行したいという気持ちも、また彼のショウにおける美点。それは、彼の強さやしなやかな好奇心を浮かび上がらせもする。
そして、そうした複合的な行き方によって明解に露になるのは、王道のフォーキー曲からR&B/ヒップホップの影響を持つものまで、曲調が何気に広いこと。さすが彼はお手軽にいろんな音楽を享受できちゃうYouTube世代であると、ぼくはおおいに頷く。彼は時にラップも噛ます。また、語り口調ヴォーカルを聞かせた曲もあったが、それもまたボブ・ディランから来たというよりはヒップホップからのヴァリエーションだろうと思わすところがある。また、ヒップホップが自然に横にある世代であることは、曲調にも表れている。実のところ彼の楽曲はリフを重ねたものが多く、意外にコードの動きに技は使わない。が、ヒップホップと親和性を持つ、そうした繰り返し基調の曲構成を持つからこそ、彼はライヴで自らループ音を無理なく作ることが出来もするのだ。なお、機材を駆使する場合、彼はかなり臨機応変に曲の尺を引っ張ったりもする。
彼が抱えた様々なものを仔細に分析すれば、新しさはあまりない。だが、それらが有機的に繋がり、個の表現として出されたものは、インパクト大であるし、今の輝きをこれでもかと放つ。やる、な。
▶過去の、マムフォーズ
http://43142.diarynote.jp/201308021400578638/
<今日の、会場>
最寄り駅の新木場駅におりると、ロータリー周辺に、屋形船乗り場まで客を運ぶバスが何台も止まっている。稼ぎ時、だよな。会場前にはダフ屋が出ていたように、スタジオコーストは満員。まあ、今年トップ級のセールスを見せている人なのだから、それも無理はない。当然のことながら、終始黄色い嬌声や愛している〜みたいな声は飛ぶ。そして、先に書いたように、参加型というか、合唱状態になる場合も度々。そういうときの働きかけも、シーランはお上手デス。ところで、彼が抱えるギターは小ぶりに見えたが、実際に小さ目のそれを使っているから? それとも、伸長が高くてそう見える?
見ている途中から、ここには音楽の力や自分のストーリー(基本、彼の歌詞は言葉数が多い)を信じるまっすぐなミュージシャンがいる……ということを、痛感せずにはいられず。まだ、23歳。その音楽を介しての先にある何かを信じる様のまぶしくも、頼もしいこと。過去発表した2枚のアルバムはともに新人としては破格の成功を収め、とくに今年出た新作『X』(アサイラム。ファレル・ウィリアムスの共作/制作曲も入っている。こわいものなし、だなあ)は英米ともに1位を獲得するなどこれ以上望むべくもないセールスを記録しているのだから、そりゃ自分や音楽の力を信じるなというほうが、無理ではあるのだが。
基本は、生ギター弾き語り基調のシンガー・ソングライター。それは無理なく、確かな歌心を持つ。その様に触れながら、彼の大人気は、同じ英国のマムフォード&ザ・サンズ(2013年7月30日)のそれと繋がるものかと、思った。曲により、場内がシング・アロング状態になるのも同様。うぬ、マムフォーズ同様、シーランも来年あたまのグラミー賞を取りそう?
だが、彼の実演はそれだけでなく、半数の曲(時間的には3/5?)では、サンプリング/ループ・サウンドを用いた一人パフォーマンスを披露する。ギター音やギターのボディを叩くビート音や歌(一部ヒューマン・ビート・ヴォックスも)をその場でどんどん重ねたループ音環境のもと、彼は自分の言葉やメロディや息遣いを開放。それ、バンドを雇って披露しても問題はないだろうが、シーランは一人でやることに意義を感じているのだろう、頑にDIYを貫く。そう、すべては自分の力量や責任のもと遂行したいという気持ちも、また彼のショウにおける美点。それは、彼の強さやしなやかな好奇心を浮かび上がらせもする。
そして、そうした複合的な行き方によって明解に露になるのは、王道のフォーキー曲からR&B/ヒップホップの影響を持つものまで、曲調が何気に広いこと。さすが彼はお手軽にいろんな音楽を享受できちゃうYouTube世代であると、ぼくはおおいに頷く。彼は時にラップも噛ます。また、語り口調ヴォーカルを聞かせた曲もあったが、それもまたボブ・ディランから来たというよりはヒップホップからのヴァリエーションだろうと思わすところがある。また、ヒップホップが自然に横にある世代であることは、曲調にも表れている。実のところ彼の楽曲はリフを重ねたものが多く、意外にコードの動きに技は使わない。が、ヒップホップと親和性を持つ、そうした繰り返し基調の曲構成を持つからこそ、彼はライヴで自らループ音を無理なく作ることが出来もするのだ。なお、機材を駆使する場合、彼はかなり臨機応変に曲の尺を引っ張ったりもする。
彼が抱えた様々なものを仔細に分析すれば、新しさはあまりない。だが、それらが有機的に繋がり、個の表現として出されたものは、インパクト大であるし、今の輝きをこれでもかと放つ。やる、な。
▶過去の、マムフォーズ
http://43142.diarynote.jp/201308021400578638/
<今日の、会場>
最寄り駅の新木場駅におりると、ロータリー周辺に、屋形船乗り場まで客を運ぶバスが何台も止まっている。稼ぎ時、だよな。会場前にはダフ屋が出ていたように、スタジオコーストは満員。まあ、今年トップ級のセールスを見せている人なのだから、それも無理はない。当然のことながら、終始黄色い嬌声や愛している〜みたいな声は飛ぶ。そして、先に書いたように、参加型というか、合唱状態になる場合も度々。そういうときの働きかけも、シーランはお上手デス。ところで、彼が抱えるギターは小ぶりに見えたが、実際に小さ目のそれを使っているから? それとも、伸長が高くてそう見える?
ディーン・ブラウン・グループ
2014年8月11日 音楽 丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。ひょろりと痩せたブラウン(2001年 6月14日、2003年8月19日、2005年8月21日、2008年12月7日)はNYの敏腕セッション・ギタリストで、ここで録音されたリーダー・ライヴの実況盤も持つ御仁。いろんな演奏が出来る人だが、根暗&幸薄そうな顔(もっと快活な感じだったら、もっと人気者になっていたかもなー)をしていながら、ファンキーなことをやらせても、彼は滅茶うまい。きち んと理論と理論が邪魔となるロック/ファンクのファジーな醍醐味をうまく自分のなかで繋げている人物と言うこともできようか。そんな彼の今回の来日公演は、欧州生まれのエレクトリック・ヴァイブラフォン奏者を従えてのもので、さあどうなる?
そのヴァイブラフォン奏者は、ポーランド人(1965年生まれ)のバーナード・メイセル。ぼくには親しみのない名前だが、パット・メセニー(1999年12月15日、2002年9月19日、2010年6月12日、2012年1月25日、2012年3月3日、2012年3月4日、2013年5月21日)とポーランド人歌手であるアナ・マリア・ヨペックの2002年ノンサッチ発の双頭リーダー作に、彼は参加している。5弦電気ベーシストのアーネスト・ティッブスはLAの音楽シーンで活動しているセッション・マン。サイモン・フィリップス(2011年9月3日、2011年9月27日、2012年7月25日、2012年12月9日)のリーダー・グループ“プロトコールⅡ”のメンバーでもあり、彼はそれで今年すでに来日しているようだ。
そして、ドラマーはぬわんとマーヴィン・スミッティ・スミス。1980年代初頭からNYのジャズ界で活躍する引く手あまたの辣腕ジャズ・ドラマーで、テレンス・ブランチャード(2002年7月3日、2005年8月21日、2009年3月26日、2010年10月21日、2013年8月18日)、ブランフォード・マルサリス(2001年10月24日、2010年3月8日、2010年10月21日)、スティーヴ・コールマン、ボビー・ワトソン、デイヴ・ホランド、ソニー・ロリンズ(2005年11月13日)、デイヴィッド・マレイ(2003年8月9日、2004年6月6 日、2012年9月28日、2013年7月22)他、いろいろな有名奏者のアルバムに参加。とともに、1990年前後に、コンコード・ジャズ(現コンコードの旧名称。かつてはジャズ専門のインディであったことが分りますね)から純ジャズのリーダー・アルバムを3枚リリースしている。
まず、ほうと頷いたのは、スミスの演奏。もともとパワー・ドラマーという評価はあったと思う(それゆえ、ジャズ界でがつんと頭角を顕したはず)が、こんなにくっきりと立った非4ビート叩く人とは思わなかった。1音1音に、存在感があり。綺麗な左手のスナップは彼がちゃんとジャズをやっていたことを伝えもし、なんか格好いい。早いパッセージを叩くとどこかビリー・コブハムを思い出させるところもあるが、そういうやあブラウンはコブハム・バンドにいたことがあったか。古くは、トミー・ボーリンやジョン・スコフィールド(1999年5月11日、2001年1月11日、2002年1月24日、2004年3月11日、2006年3月1日、2007年5月10日、2008年10月8日、2009年9月5日、2012年10月10日、2013年10月21日) もコブハムのバンドにいたが、なるほど、そういう流れで見ると、ブラウンの微妙な立ち位置が少し整理されるかもしれない。
電気ヴァイブラフォンのメイセルはなるほど、腕が立ちそう。だが、その音色はいまいちブラウンのギター音と重なりがちで、本領発揮、見所多発とは言いがたい。曲や場面によって音色を変えるというようなこともしなかった(と思う)彼だが、もったいない。もう少し押し出し方を変えれば、鍵盤でなくヴァイブをこのバンドに入れる旨味をもっとアピールできたはずだし、彼自身“出来る奴”であることをより鮮やかに出せたはずだ。
ディーンの奔放な演奏を中央に行く、自在に流れていく感覚も抱えたバンド・サウンドの各奏者の噛み合い方はなかなか。この単位で、過去にも実演をやっているのは明らかだ。
▶過去の、ブラウン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm マーカス・ミラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm マーカス・ミラー
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/ マーカス・ミラー
http://43142.diarynote.jp/200812150312308154/
▶過去の、メセニー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/201006181520054406
http://43142.diarynote.jp/201201271245417497/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
http://43142.diarynote.jp/201305260927026044/
▶過去の、フィリップス
http://43142.diarynote.jp/?day=20110903
http://43142.diarynote.jp/?day=20110927
http://43142.diarynote.jp/201207310933428147/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121209
▶過去の、ブランチャード
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://43142.diarynote.jp/?page=74&date=2010-12-10
http://43142.diarynote.jp/200903271727246000/
http://43142.diarynote.jp/201010221631583852/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
▶過去の、ブランフォード・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/201003101340038868/
http://43142.diarynote.jp/201010221631583852/
▶過去の、ロリンズ
http://43142.diarynote.jp/200511130413390000/
▶過去の、マレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm(ハンラハンズ・コンジュア)
http://43142.diarynote.jp/200406062249580000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120928
http://43142.diarynote.jp/201307230845338219/
▶過去の、スコフィールド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live2.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200403111821250000/
http://43142.diarynote.jp/200603011148430000/
http://43142.diarynote.jp/200705181809270000/
http://43142.diarynote.jp/200810111558046727/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090905
http://43142.diarynote.jp/201210111837516874/
http://43142.diarynote.jp/201310210730403296/
<今日の、いろいろ>
まず、運転免許証の更新をする。違反していた(ぜんぜん、覚えていない。今回は違反なしで更新できるかと思っていた……)ので、最寄りの警察署ではなく、生理的には遠いが地下鉄1本で行ける神田の運転免許センターに出向いて、更新をする。
そして、その後は、“藤”がつく人間が集まっての、他愛ない遊びの相談。四谷の<いーぐる>と渋谷の<Li-Po>、オトナの趣味人客多しの両店をマッシュ・アップ(?)してしまおう、との主旨。具体的には、それぞれの店主である後藤雅洋さんと伊藤美恵子さんを取り替えっこ、お互いの店で一日店長&ちーママをしちゃう、というもの(従来の店主も、横で小間使い役をします)。“Li-Poの後藤さん”であり“いーぐるの伊藤さん”であり、“渋谷のいーぐる”であり“四谷のLi-Po”であり……。とか書いていくと何だか良く分らないが、まっさらな(?)な環境でそれぞれの店主がやりたい放題やっちゃいマス。
渋谷における後藤さんは普段いーぐるでかからない(かけられない)、でも実はこっそり気に入っている音楽をこれでもかとかけ、Li-Poという手頃な空間において接客し、音楽を語る。一方、四谷の伊藤さんはいーぐるに立つメリットを最大級に活用、同店の盤やオーディオを使い倒し<私の大好きなジャズ>をここに開陳。おおっ。あ、もしかすると、そっちにはLi-Poのアルバイト女性がサーヴィス担当として立つかもしれません。とともに、両店で人気のチリ・ビーンズ(いーくる)とカレー(Li-Po)も、出張先でお出しします。実は後藤さんと伊藤さんは、ともに天秤座。だからどうしたって、感じですが、両店を天秤にかけた、両店主の気配りを排したそれは、“Li-Poの後藤”が9月28日(日曜日。15時〜21時)、“いーぐるの伊藤”が9月29日(月曜日。18時〜24時)。わ、ガチの連日営業かい!? 両日来店の方には、何かいいことがあるかも。
▶いーぐる
http://www.jazz-eagle.com/index.html
▶Li-Po
http://li-po.jp
そのヴァイブラフォン奏者は、ポーランド人(1965年生まれ)のバーナード・メイセル。ぼくには親しみのない名前だが、パット・メセニー(1999年12月15日、2002年9月19日、2010年6月12日、2012年1月25日、2012年3月3日、2012年3月4日、2013年5月21日)とポーランド人歌手であるアナ・マリア・ヨペックの2002年ノンサッチ発の双頭リーダー作に、彼は参加している。5弦電気ベーシストのアーネスト・ティッブスはLAの音楽シーンで活動しているセッション・マン。サイモン・フィリップス(2011年9月3日、2011年9月27日、2012年7月25日、2012年12月9日)のリーダー・グループ“プロトコールⅡ”のメンバーでもあり、彼はそれで今年すでに来日しているようだ。
そして、ドラマーはぬわんとマーヴィン・スミッティ・スミス。1980年代初頭からNYのジャズ界で活躍する引く手あまたの辣腕ジャズ・ドラマーで、テレンス・ブランチャード(2002年7月3日、2005年8月21日、2009年3月26日、2010年10月21日、2013年8月18日)、ブランフォード・マルサリス(2001年10月24日、2010年3月8日、2010年10月21日)、スティーヴ・コールマン、ボビー・ワトソン、デイヴ・ホランド、ソニー・ロリンズ(2005年11月13日)、デイヴィッド・マレイ(2003年8月9日、2004年6月6 日、2012年9月28日、2013年7月22)他、いろいろな有名奏者のアルバムに参加。とともに、1990年前後に、コンコード・ジャズ(現コンコードの旧名称。かつてはジャズ専門のインディであったことが分りますね)から純ジャズのリーダー・アルバムを3枚リリースしている。
まず、ほうと頷いたのは、スミスの演奏。もともとパワー・ドラマーという評価はあったと思う(それゆえ、ジャズ界でがつんと頭角を顕したはず)が、こんなにくっきりと立った非4ビート叩く人とは思わなかった。1音1音に、存在感があり。綺麗な左手のスナップは彼がちゃんとジャズをやっていたことを伝えもし、なんか格好いい。早いパッセージを叩くとどこかビリー・コブハムを思い出させるところもあるが、そういうやあブラウンはコブハム・バンドにいたことがあったか。古くは、トミー・ボーリンやジョン・スコフィールド(1999年5月11日、2001年1月11日、2002年1月24日、2004年3月11日、2006年3月1日、2007年5月10日、2008年10月8日、2009年9月5日、2012年10月10日、2013年10月21日) もコブハムのバンドにいたが、なるほど、そういう流れで見ると、ブラウンの微妙な立ち位置が少し整理されるかもしれない。
電気ヴァイブラフォンのメイセルはなるほど、腕が立ちそう。だが、その音色はいまいちブラウンのギター音と重なりがちで、本領発揮、見所多発とは言いがたい。曲や場面によって音色を変えるというようなこともしなかった(と思う)彼だが、もったいない。もう少し押し出し方を変えれば、鍵盤でなくヴァイブをこのバンドに入れる旨味をもっとアピールできたはずだし、彼自身“出来る奴”であることをより鮮やかに出せたはずだ。
ディーンの奔放な演奏を中央に行く、自在に流れていく感覚も抱えたバンド・サウンドの各奏者の噛み合い方はなかなか。この単位で、過去にも実演をやっているのは明らかだ。
▶過去の、ブラウン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-6.htm マーカス・ミラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm マーカス・ミラー
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/ マーカス・ミラー
http://43142.diarynote.jp/200812150312308154/
▶過去の、メセニー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/201006181520054406
http://43142.diarynote.jp/201201271245417497/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
http://43142.diarynote.jp/201305260927026044/
▶過去の、フィリップス
http://43142.diarynote.jp/?day=20110903
http://43142.diarynote.jp/?day=20110927
http://43142.diarynote.jp/201207310933428147/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121209
▶過去の、ブランチャード
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://43142.diarynote.jp/?page=74&date=2010-12-10
http://43142.diarynote.jp/200903271727246000/
http://43142.diarynote.jp/201010221631583852/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
▶過去の、ブランフォード・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/201003101340038868/
http://43142.diarynote.jp/201010221631583852/
▶過去の、ロリンズ
http://43142.diarynote.jp/200511130413390000/
▶過去の、マレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm(ハンラハンズ・コンジュア)
http://43142.diarynote.jp/200406062249580000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120928
http://43142.diarynote.jp/201307230845338219/
▶過去の、スコフィールド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live2.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200403111821250000/
http://43142.diarynote.jp/200603011148430000/
http://43142.diarynote.jp/200705181809270000/
http://43142.diarynote.jp/200810111558046727/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090905
http://43142.diarynote.jp/201210111837516874/
http://43142.diarynote.jp/201310210730403296/
<今日の、いろいろ>
まず、運転免許証の更新をする。違反していた(ぜんぜん、覚えていない。今回は違反なしで更新できるかと思っていた……)ので、最寄りの警察署ではなく、生理的には遠いが地下鉄1本で行ける神田の運転免許センターに出向いて、更新をする。
そして、その後は、“藤”がつく人間が集まっての、他愛ない遊びの相談。四谷の<いーぐる>と渋谷の<Li-Po>、オトナの趣味人客多しの両店をマッシュ・アップ(?)してしまおう、との主旨。具体的には、それぞれの店主である後藤雅洋さんと伊藤美恵子さんを取り替えっこ、お互いの店で一日店長&ちーママをしちゃう、というもの(従来の店主も、横で小間使い役をします)。“Li-Poの後藤さん”であり“いーぐるの伊藤さん”であり、“渋谷のいーぐる”であり“四谷のLi-Po”であり……。とか書いていくと何だか良く分らないが、まっさらな(?)な環境でそれぞれの店主がやりたい放題やっちゃいマス。
渋谷における後藤さんは普段いーぐるでかからない(かけられない)、でも実はこっそり気に入っている音楽をこれでもかとかけ、Li-Poという手頃な空間において接客し、音楽を語る。一方、四谷の伊藤さんはいーぐるに立つメリットを最大級に活用、同店の盤やオーディオを使い倒し<私の大好きなジャズ>をここに開陳。おおっ。あ、もしかすると、そっちにはLi-Poのアルバイト女性がサーヴィス担当として立つかもしれません。とともに、両店で人気のチリ・ビーンズ(いーくる)とカレー(Li-Po)も、出張先でお出しします。実は後藤さんと伊藤さんは、ともに天秤座。だからどうしたって、感じですが、両店を天秤にかけた、両店主の気配りを排したそれは、“Li-Poの後藤”が9月28日(日曜日。15時〜21時)、“いーぐるの伊藤”が9月29日(月曜日。18時〜24時)。わ、ガチの連日営業かい!? 両日来店の方には、何かいいことがあるかも。
▶いーぐる
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▶Li-Po
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南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。いけない。お盆中だからだろう、この日は開演時間が早くなっており、終盤のほうしか実演を見ることができなかった。なんか、油断しているな、注意力散漫になっているなと、自戒……。
在NYの、日本人女性のハイパーさを世界に広く知らしめた女性デュオ・ユニット(2014年3月31日)のショウはちゃんとした公演としては本当に久しぶりになるのではないか。まあ、(たぶん)ショーン・レノン(2009年1月21日)主宰“キメラ・ミュージック”一番のセールス作となった新作『ホテル・ヴァレンタイン』が15年ぶりの作品なのだから、それも当然ではあるのだが。でも、見る側もやる側も、そんなに時間がたったとは思えないんじゃないか。
ヴォーカルのハトリミホと鍵盤とコーラスの本田ゆか(2009年1月21日)に加え、エレクトリック・ベースのデヴィン・ホフとドラムのあらきゆうこ(2009年1月21日、2014年1月22日)がリズム隊としてつくカルテットでのパフォーマンス。ホフは本田の旦那さんでありウィルコ(2003年2月9日、2004年9月19日、2010年4月23日、2013年4月13日)のギタリストでもあるネルス・クライン(2010年1月9日、2010年4月23日、2013年4月13日)の表現に関与している純冒険ジャズ奏者。彼、普段はウッド・ベースを弾き、同ソロによるリーダー作を持つ。出演者は、みんな白基調の格好。
リズム隊以外のメロディ楽器は本田のみ。彼女の手腕は目立つ。バッファロー・ドーター(2002年1月13日、2003年11月8日、2006年6月22日)の大野由美子(2004年12月12日、2011年9月16日、2012年6月1日)も終盤、コーラスで加わる。うししい何かが加わる。この後、彼女たちはサマーソニックに出演し、9月に入るとまた米国ツアーに入る。
▶過去の、チボ・マット
http://43142.diarynote.jp/201404031700136483/
▶過去の、レノン
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
▶過去の、本田
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
▶過去の、あらき
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
http://43142.diarynote.jp/201401251205076037/
▶過去の、ウィルコ
http://www.myagent.ne.jp/%7Enewswave/live-2003-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200410121003440000/
http://43142.diarynote.jp/201004250658039897/
http://43142.diarynote.jp/201304150854159566/
▶過去の、クライン
http://43142.diarynote.jp/?day=20100109
http://43142.diarynote.jp/201004250658039897/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130413
▶過去の、バッファロー・ドーター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200606270001320000/
▶過去の、大野
http://43142.diarynote.jp/200412212058580000/
http://43142.diarynote.jp/201109171049342536/
http://43142.diarynote.jp/?month=201206
<今日の、湿度>
雨がずっとではないが、降っていた日。家にいるとき、別にエアコン抜きでもそれほど気にならなかったが、外に出ると、かなり蒸している。おお、今年一番の湿気であり、日本は東南アジア圏じゃとあっさり語るようなそれ。うひ。すごい湿気に弱い知人が発狂寸前になっているのではと、ちらりと思う。今年は疎開しているという話は聞いてないよな? 実は20代のころ、おやじになったら夏と冬は過ごしやすい所にほえほえと行ける身分になると信じていた私……。幸せ、かつ意気盛んだったんだろーな。で、そうはなっていない今を不幸とは全然思わない幸せを少し感じた?
在NYの、日本人女性のハイパーさを世界に広く知らしめた女性デュオ・ユニット(2014年3月31日)のショウはちゃんとした公演としては本当に久しぶりになるのではないか。まあ、(たぶん)ショーン・レノン(2009年1月21日)主宰“キメラ・ミュージック”一番のセールス作となった新作『ホテル・ヴァレンタイン』が15年ぶりの作品なのだから、それも当然ではあるのだが。でも、見る側もやる側も、そんなに時間がたったとは思えないんじゃないか。
ヴォーカルのハトリミホと鍵盤とコーラスの本田ゆか(2009年1月21日)に加え、エレクトリック・ベースのデヴィン・ホフとドラムのあらきゆうこ(2009年1月21日、2014年1月22日)がリズム隊としてつくカルテットでのパフォーマンス。ホフは本田の旦那さんでありウィルコ(2003年2月9日、2004年9月19日、2010年4月23日、2013年4月13日)のギタリストでもあるネルス・クライン(2010年1月9日、2010年4月23日、2013年4月13日)の表現に関与している純冒険ジャズ奏者。彼、普段はウッド・ベースを弾き、同ソロによるリーダー作を持つ。出演者は、みんな白基調の格好。
リズム隊以外のメロディ楽器は本田のみ。彼女の手腕は目立つ。バッファロー・ドーター(2002年1月13日、2003年11月8日、2006年6月22日)の大野由美子(2004年12月12日、2011年9月16日、2012年6月1日)も終盤、コーラスで加わる。うししい何かが加わる。この後、彼女たちはサマーソニックに出演し、9月に入るとまた米国ツアーに入る。
▶過去の、チボ・マット
http://43142.diarynote.jp/201404031700136483/
▶過去の、レノン
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
▶過去の、本田
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
▶過去の、あらき
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http://43142.diarynote.jp/201401251205076037/
▶過去の、ウィルコ
http://www.myagent.ne.jp/%7Enewswave/live-2003-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200410121003440000/
http://43142.diarynote.jp/201004250658039897/
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▶過去の、クライン
http://43142.diarynote.jp/?day=20100109
http://43142.diarynote.jp/201004250658039897/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130413
▶過去の、バッファロー・ドーター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm
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▶過去の、大野
http://43142.diarynote.jp/200412212058580000/
http://43142.diarynote.jp/201109171049342536/
http://43142.diarynote.jp/?month=201206
<今日の、湿度>
雨がずっとではないが、降っていた日。家にいるとき、別にエアコン抜きでもそれほど気にならなかったが、外に出ると、かなり蒸している。おお、今年一番の湿気であり、日本は東南アジア圏じゃとあっさり語るようなそれ。うひ。すごい湿気に弱い知人が発狂寸前になっているのではと、ちらりと思う。今年は疎開しているという話は聞いてないよな? 実は20代のころ、おやじになったら夏と冬は過ごしやすい所にほえほえと行ける身分になると信じていた私……。幸せ、かつ意気盛んだったんだろーな。で、そうはなっていない今を不幸とは全然思わない幸せを少し感じた?
六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。サマーソニック出演前の1日だけの単独公演日だが、大入り。1990年代初頭の西海岸ヒップホップの広がりを鮮やかに見せてくれた、20年強のキャリアを持つ名士グループなり。
全盛期は4人のMCがいたが、現在はイマーニとブーティ・ブラウンの二人による。彼ら、40歳ぐらいにはなっていると思われるが、あまりおっさんぽくなく、現役っぽい感じを持つ。言い換えれば、栄光の過去をなぞるという感じよりも(ま、振り返っている部分は当然あるが)、ちゃんと今を楽しんでやっているという風情が強いのが良い。実際、二人の絡みは肉声にしても、動きにしてもアトラクティヴ。そして、その様に触れると、やはり彼らは間違いなく当時のヒップホップに新風を吹き込んでいたと、再認識させられたりもするわけだ。そういえば、彼らの快進撃をサウンド面でお膳立てしたのが、今も名声を持つジェイ・ディー(J・ディラ)だった。
そして、この晩のファーサイドの実演をきっちり支えていたのが、器用にイカした音を出していた白人メガネのDJ氏。そして、そのDJ音に沿って、適時キーボード奏者とドラマーが生音を付け足す。で、後からそのDJの名前を調べてみれば、なんとマイク・レルム。マニー・マーク(2002年1月28日、2005年5月25日、2005年6月2日)などともツルんだことがある技巧派で、彼は同郷(シスコ圏)のDJシャドウ((2003年3月25日、2006年8月13日、2011年10月6日)のように映像も作り、バッファロー・ドーター(2002年1月13日、2003年11月8日、2006年6月22日)のクリップを作ったこともあった。この晩、背後に流されていた多分に音とシンクロする映像も彼がオペレートしていたと思われる。
終始、ルンルン気分に支えらた、良性のエンターテインメント感覚がそこここに。 MCの二人はときにけっこう歌ったりもするが、どう行こうと、なんか引っかかりがあり弾けている。場内も相当な盛り上がりで、皆ニコニコ。あ、ボブ・マーリーの「ジャミン」もやったな。楽しかった。
▶過去の、マーク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200506021847130000/
http://43142.diarynote.jp/200506021851060000/
▶過去の、DJシャドウ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20060813
http://43142.diarynote.jp/201110091258307349/
▶過去の、バッファロー・ドーター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200606270001320000/
<今日の、移動>
現在は誰も住んでいない(ぼくは残念ながら、一度も住んだことがない。でも、本籍はいまだそこにある)ものの、先祖代々のお墓がある喜多方市に、日帰りで行って来た。母親が東京に引っ越して来たことで、初めて東京から一緒に喜多方市に行く。さすが、お盆の時期に高速道路を運転する根性はまったくなく、JRで会津若松まで行き、そこからはレンターカーを使用。戻す際のガソリン代は400円ちょい。タクシーを使っても出費はそんなに変わらなかったかな? まあ、鉄道の指定席が取れたからできたわけだが、年配の母もそれほど過剰な疲れは覚えなかったようだ。年に一回の親孝行/先祖孝行を終え、東京に戻ってきて、そのままビルボードライブ東京に向かい、日常に戻る……。ほっ。
全盛期は4人のMCがいたが、現在はイマーニとブーティ・ブラウンの二人による。彼ら、40歳ぐらいにはなっていると思われるが、あまりおっさんぽくなく、現役っぽい感じを持つ。言い換えれば、栄光の過去をなぞるという感じよりも(ま、振り返っている部分は当然あるが)、ちゃんと今を楽しんでやっているという風情が強いのが良い。実際、二人の絡みは肉声にしても、動きにしてもアトラクティヴ。そして、その様に触れると、やはり彼らは間違いなく当時のヒップホップに新風を吹き込んでいたと、再認識させられたりもするわけだ。そういえば、彼らの快進撃をサウンド面でお膳立てしたのが、今も名声を持つジェイ・ディー(J・ディラ)だった。
そして、この晩のファーサイドの実演をきっちり支えていたのが、器用にイカした音を出していた白人メガネのDJ氏。そして、そのDJ音に沿って、適時キーボード奏者とドラマーが生音を付け足す。で、後からそのDJの名前を調べてみれば、なんとマイク・レルム。マニー・マーク(2002年1月28日、2005年5月25日、2005年6月2日)などともツルんだことがある技巧派で、彼は同郷(シスコ圏)のDJシャドウ((2003年3月25日、2006年8月13日、2011年10月6日)のように映像も作り、バッファロー・ドーター(2002年1月13日、2003年11月8日、2006年6月22日)のクリップを作ったこともあった。この晩、背後に流されていた多分に音とシンクロする映像も彼がオペレートしていたと思われる。
終始、ルンルン気分に支えらた、良性のエンターテインメント感覚がそこここに。 MCの二人はときにけっこう歌ったりもするが、どう行こうと、なんか引っかかりがあり弾けている。場内も相当な盛り上がりで、皆ニコニコ。あ、ボブ・マーリーの「ジャミン」もやったな。楽しかった。
▶過去の、マーク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200506021847130000/
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▶過去の、DJシャドウ
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▶過去の、バッファロー・ドーター
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<今日の、移動>
現在は誰も住んでいない(ぼくは残念ながら、一度も住んだことがない。でも、本籍はいまだそこにある)ものの、先祖代々のお墓がある喜多方市に、日帰りで行って来た。母親が東京に引っ越して来たことで、初めて東京から一緒に喜多方市に行く。さすが、お盆の時期に高速道路を運転する根性はまったくなく、JRで会津若松まで行き、そこからはレンターカーを使用。戻す際のガソリン代は400円ちょい。タクシーを使っても出費はそんなに変わらなかったかな? まあ、鉄道の指定席が取れたからできたわけだが、年配の母もそれほど過剰な疲れは覚えなかったようだ。年に一回の親孝行/先祖孝行を終え、東京に戻ってきて、そのままビルボードライブ東京に向かい、日常に戻る……。ほっ。
パイレーツ・カヌー。スーマー&桜井芳樹。中村まり with 安宅浩司、原さとし
2014年8月16日 音楽 『Highway 246 Revisited viol.2』と名付けられた出し物で、米国ルーツ・ミュージック愛好する、普段からいろいろと交遊があるらしい担い手たちが会した公演。表参道・CAY。
野暮用の後、ちょうど19時に会場に入ると、京都の女男混合グループ、パイレーツ・カヌーがパフォーマンスしている。ドブロ奏者やマンドリン奏者もいて、弦楽器奏者がいろいろ。そして、まったくもって、米国土着系音楽愛好を根におく手作り音楽を無理なく聞かせる。新作『One For The Pain In My Heart』を出したばかりの彼女たちは昨年オースティンのサウス・バイ・サイス・ウェストに出演するとともに、米国ツアーもしたらしい。生ギターを弾きながら歌うリード・ヴォーカル嬢(米国人とのミックスのよう。もすぐ米国に引っ越すと、MCで行っていた)の歌い口はなかなか魅力的。歌声にある透明度の高さが印象的で、アイリッシュ・トラッドを歌ってもはまりそうと思う。この手のグループの場合、ちゃんとドラマーを入れない場合もある(そのほうが練習も楽だし、ライヴ設定も同様)が、ちゃんとリズム隊を入れていることにも、好感をぼくは持った。それにより、ほんのりスワンプ情緒も加わるしね。
その後は、桜井芳樹(2001年3月24日、2005年2月19日。2007年6月29日、2012年6月14日)のプロデュースで新作『ミンストレル』を7月に出したスーマー(歌、生ギター)とギターの桜井のデュオ。彼は日本語のフォーク曲といった感じのものを、太い声で披露する。
その次は、中村まり(2012年6月14日、2014年6月2日)の出番。彼女に加え、ギターの安宅浩司とバンジョーの原さとし(2007年6月29日、2012年6月14日)がサポート。悠々と、大河が流れるが如く、アコースティック&アーシー、そしてアダルトでもある実演を展開。大河が流れるが如く、という、あまり適切じゃない形容を用いてしまったのは、中村の歌のどこかにある効果的な濁りが、威風堂々としたノリを確実に導くからか。この手の音楽性だとおっさんが多そうだが、彼女や先のパイレーツ・カヌーに対する同性支持者も多いのだろう、何気に女性客がけっこういたはず。
最後は、出演者による全員でステージに上がる。で、パイレーツ・カヌー曲や米国ルーツ傾向曲(やはり、アイリシュ・トラッドが根にあるときっちり思わせられるものも)などを披露したよう。和気あいあい、本当に仲が良さそう。その様は、なんか記録映画のフィナーレ映像のよう? とにかく、出演者自身が同好の仲間たちと一緒の場が持ててることがうれしくてしょうがないという感じに溢れていたナ。さぞや、打ち上げも盛り上がったと推測される。終演時間は、22時半ぐらいだったか。
▶過去の、中村まり
http://43142.diarynote.jp/201206181341313130/
http://43142.diarynote.jp/201406110834215934/
▶過去の、原
http://43142.diarynote.jp/?day=20070629
http://43142.diarynote.jp/201206181341313130/
▶過去の、桜井
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-3.htm シカラムータ
http://43142.diarynote.jp/200502232040290000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20070629
http://43142.diarynote.jp/201206181341313130/
<今日の、夜>
電車に乗ると、浴衣姿の女性が何かと目につく。そういえば、浴衣姿=キャバ嬢とガチ連想する知人がいます。今年は女性の浴衣姿を例年になく、目にしたような。でも、そういう光景もそろそろ見納めになるかな。
昼間はともかく、ここのところ、夜は多分に涼しい。というか、もしかして今年は熱帯夜がなかったのではないか。ノーエアコンを志向していると、そういうことには敏感になりマス。お盆も過ぎたし、ああ秋に向かっているナと感じることは、より多くなりそう。その観測、甘いかな。何となくずっと続けてきたノーエアコン生活、2011年以降は意地でも電力消費を抑えてやるという気にもなったが、今年で卒業するかもしれない。例年になく、今夏はそれほどストレスなく夏が過ぎたという実感がとてもあるし、ここ数年で冷房にすんごく弱くなりもしたのだが、親身な外野がいろいろうるさくて。。。。。
野暮用の後、ちょうど19時に会場に入ると、京都の女男混合グループ、パイレーツ・カヌーがパフォーマンスしている。ドブロ奏者やマンドリン奏者もいて、弦楽器奏者がいろいろ。そして、まったくもって、米国土着系音楽愛好を根におく手作り音楽を無理なく聞かせる。新作『One For The Pain In My Heart』を出したばかりの彼女たちは昨年オースティンのサウス・バイ・サイス・ウェストに出演するとともに、米国ツアーもしたらしい。生ギターを弾きながら歌うリード・ヴォーカル嬢(米国人とのミックスのよう。もすぐ米国に引っ越すと、MCで行っていた)の歌い口はなかなか魅力的。歌声にある透明度の高さが印象的で、アイリッシュ・トラッドを歌ってもはまりそうと思う。この手のグループの場合、ちゃんとドラマーを入れない場合もある(そのほうが練習も楽だし、ライヴ設定も同様)が、ちゃんとリズム隊を入れていることにも、好感をぼくは持った。それにより、ほんのりスワンプ情緒も加わるしね。
その後は、桜井芳樹(2001年3月24日、2005年2月19日。2007年6月29日、2012年6月14日)のプロデュースで新作『ミンストレル』を7月に出したスーマー(歌、生ギター)とギターの桜井のデュオ。彼は日本語のフォーク曲といった感じのものを、太い声で披露する。
その次は、中村まり(2012年6月14日、2014年6月2日)の出番。彼女に加え、ギターの安宅浩司とバンジョーの原さとし(2007年6月29日、2012年6月14日)がサポート。悠々と、大河が流れるが如く、アコースティック&アーシー、そしてアダルトでもある実演を展開。大河が流れるが如く、という、あまり適切じゃない形容を用いてしまったのは、中村の歌のどこかにある効果的な濁りが、威風堂々としたノリを確実に導くからか。この手の音楽性だとおっさんが多そうだが、彼女や先のパイレーツ・カヌーに対する同性支持者も多いのだろう、何気に女性客がけっこういたはず。
最後は、出演者による全員でステージに上がる。で、パイレーツ・カヌー曲や米国ルーツ傾向曲(やはり、アイリシュ・トラッドが根にあるときっちり思わせられるものも)などを披露したよう。和気あいあい、本当に仲が良さそう。その様は、なんか記録映画のフィナーレ映像のよう? とにかく、出演者自身が同好の仲間たちと一緒の場が持ててることがうれしくてしょうがないという感じに溢れていたナ。さぞや、打ち上げも盛り上がったと推測される。終演時間は、22時半ぐらいだったか。
▶過去の、中村まり
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▶過去の、原
http://43142.diarynote.jp/?day=20070629
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▶過去の、桜井
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-3.htm シカラムータ
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http://43142.diarynote.jp/201206181341313130/
<今日の、夜>
電車に乗ると、浴衣姿の女性が何かと目につく。そういえば、浴衣姿=キャバ嬢とガチ連想する知人がいます。今年は女性の浴衣姿を例年になく、目にしたような。でも、そういう光景もそろそろ見納めになるかな。
昼間はともかく、ここのところ、夜は多分に涼しい。というか、もしかして今年は熱帯夜がなかったのではないか。ノーエアコンを志向していると、そういうことには敏感になりマス。お盆も過ぎたし、ああ秋に向かっているナと感じることは、より多くなりそう。その観測、甘いかな。何となくずっと続けてきたノーエアコン生活、2011年以降は意地でも電力消費を抑えてやるという気にもなったが、今年で卒業するかもしれない。例年になく、今夏はそれほどストレスなく夏が過ぎたという実感がとてもあるし、ここ数年で冷房にすんごく弱くなりもしたのだが、親身な外野がいろいろうるさくて。。。。。
ピート・ロック&C.L.スムース
2014年8月18日 音楽 1990年代上半期東海岸ヒップホップの名ユニットの公演を、六本木・ビルボードライブ(ファースト・ショウ)で見る。
トラック・メイカーでもあるピート・ロックがラッパーのC.L.スムースと組んだ表現は、エレクトラから3作品リリースされている。うろ覚えで書いちゃうが、インパクトが強いのは1991年リリースの第一作。でも、1994年の3作目のギター音のジャジー&グルーヴィなサンプリン使用の様はイケてて、けっこう印象に残っている。って、1990年代半ばぐらいまでは、先端にある米国黒人音楽として、ヒップホップをそれなりにちゃんとぼくは追いかけていたのだな。ライムを追う(内容を吟味する)のが面倒くさいこともあり、もともとヒップホップを専門領域であると考えたことはないが、DJジャジー・ジェフ&フレッシュ・プリンスやATCQ、P.M.ドーンとかは昔CD解説を書いたことがある。それはともかく、サウンドの面白さがどんどん希薄になっていくような気がして(それは、サンプラー他の機器の発達と無縁ではないだろう〜やっぱりやっかいなほうが奇特なアイデアは生まれるし、トラック作りが容易になり才に欠ける人も前に出やすくなる〜)、徐々にぼくは熱心にヒップホップを追わなくなった。それは、トリップホップやドラムンベースなど、興味ひかれるサンプリング音楽が出て来たことも関係するか。あ、そこらへん“ロック耳”でヒップホップを聞いていたからかもしれない。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。ステージ後方に置かれたブースでDJをしながらラップもするピート・ロックと、前方中央に位置してラップするC.L.スムースの二人で、きっちりことにあたる。最初、ピート・ロックが出て来て音を出そうとするが、ラップトップのデーターを探しているのか、当初はずっとパッドをちまちまいじっていて無音。おお、雑というか無頓着というか。
基本は過去の財産によりかかったパフォーマンスだが、ビートにのる二人の肉声と過去だしたトラックのフックはやはり鼓舞する力あり。ピート・ロックは音出しもしなければならないため、C.L.スムースのほうが主ラッパーとなるが、最後のほうはピーロ・ロックも前に出て来て、全面的に肉声をぶちまける。おお、より野太い声を持つ彼の声とピート感のほうが、ぼくの好みであるのを再認識。そのピート・ロックのDJは随所で、けっこう荒い。そうなのか。ときに、歌モノ曲を素直に用いる場合もあり。マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」もそうで、その際は一緒に歌ってと、ピート・ロックが観客に要求。あははは。
1986年〜1993年ごろにかけての充実期〜末広がり期にあるヒップホップをさして“ゴールデン・エイジ”という呼称(一部、ミドル・スクールという言い方もあり)があるが、彼らはさすがゴールデン・エイジという印象も得たか。
<今日の、会話>
その後あった飲みで、今時の子供のアレルギーやアトピーの話になる。オレらガキのころ、そんな奴はいなかったよなー、と。もしかしたらいたのかも知れないが、そういう概念がまだ一般的に知られておらず、ただの身体や皮膚の弱い子として昔は片付けられていたのかもしれない。でも、いつの間にかそれほどレアな事項でなくなっているのは、生活環境、食生活習慣が変わったのが大きな要因ではないか、という話に落ち着く。まあ、アスベスト使用とかはあったが、今ほどケミカル処理の建材が用いられることはなかったろうし、こんなに添加物が食物に入ってもいなかったろう。コンビニもなかったし。そういう文明悪が導く負要素がまず親に蓄積し、そのツケが今の子供たちに回っている……。やっぱ、効率や上辺の利便性追求は歪みを生む、てな、もっともらしい結論に落ち着いたんだっけ。一堂、今日の話は高尚だねえなぞとも、言っていた? なんだかなあ。そうか、ぼくはあまりアレルギーとかまだそれほど問題になっていなかった時代のヒップホップが好きなのか?
トラック・メイカーでもあるピート・ロックがラッパーのC.L.スムースと組んだ表現は、エレクトラから3作品リリースされている。うろ覚えで書いちゃうが、インパクトが強いのは1991年リリースの第一作。でも、1994年の3作目のギター音のジャジー&グルーヴィなサンプリン使用の様はイケてて、けっこう印象に残っている。って、1990年代半ばぐらいまでは、先端にある米国黒人音楽として、ヒップホップをそれなりにちゃんとぼくは追いかけていたのだな。ライムを追う(内容を吟味する)のが面倒くさいこともあり、もともとヒップホップを専門領域であると考えたことはないが、DJジャジー・ジェフ&フレッシュ・プリンスやATCQ、P.M.ドーンとかは昔CD解説を書いたことがある。それはともかく、サウンドの面白さがどんどん希薄になっていくような気がして(それは、サンプラー他の機器の発達と無縁ではないだろう〜やっぱりやっかいなほうが奇特なアイデアは生まれるし、トラック作りが容易になり才に欠ける人も前に出やすくなる〜)、徐々にぼくは熱心にヒップホップを追わなくなった。それは、トリップホップやドラムンベースなど、興味ひかれるサンプリング音楽が出て来たことも関係するか。あ、そこらへん“ロック耳”でヒップホップを聞いていたからかもしれない。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。ステージ後方に置かれたブースでDJをしながらラップもするピート・ロックと、前方中央に位置してラップするC.L.スムースの二人で、きっちりことにあたる。最初、ピート・ロックが出て来て音を出そうとするが、ラップトップのデーターを探しているのか、当初はずっとパッドをちまちまいじっていて無音。おお、雑というか無頓着というか。
基本は過去の財産によりかかったパフォーマンスだが、ビートにのる二人の肉声と過去だしたトラックのフックはやはり鼓舞する力あり。ピート・ロックは音出しもしなければならないため、C.L.スムースのほうが主ラッパーとなるが、最後のほうはピーロ・ロックも前に出て来て、全面的に肉声をぶちまける。おお、より野太い声を持つ彼の声とピート感のほうが、ぼくの好みであるのを再認識。そのピート・ロックのDJは随所で、けっこう荒い。そうなのか。ときに、歌モノ曲を素直に用いる場合もあり。マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」もそうで、その際は一緒に歌ってと、ピート・ロックが観客に要求。あははは。
1986年〜1993年ごろにかけての充実期〜末広がり期にあるヒップホップをさして“ゴールデン・エイジ”という呼称(一部、ミドル・スクールという言い方もあり)があるが、彼らはさすがゴールデン・エイジという印象も得たか。
<今日の、会話>
その後あった飲みで、今時の子供のアレルギーやアトピーの話になる。オレらガキのころ、そんな奴はいなかったよなー、と。もしかしたらいたのかも知れないが、そういう概念がまだ一般的に知られておらず、ただの身体や皮膚の弱い子として昔は片付けられていたのかもしれない。でも、いつの間にかそれほどレアな事項でなくなっているのは、生活環境、食生活習慣が変わったのが大きな要因ではないか、という話に落ち着く。まあ、アスベスト使用とかはあったが、今ほどケミカル処理の建材が用いられることはなかったろうし、こんなに添加物が食物に入ってもいなかったろう。コンビニもなかったし。そういう文明悪が導く負要素がまず親に蓄積し、そのツケが今の子供たちに回っている……。やっぱ、効率や上辺の利便性追求は歪みを生む、てな、もっともらしい結論に落ち着いたんだっけ。一堂、今日の話は高尚だねえなぞとも、言っていた? なんだかなあ。そうか、ぼくはあまりアレルギーとかまだそれほど問題になっていなかった時代のヒップホップが好きなのか?
ヴィンテージ・トラブル。ロバート・グラスパー
2014年8月20日 音楽 LAの4人組バンド(2012年8月20日)の公演をまず見る。2011 年に出したデビュー作以降オリジナル・アルバムは出してないが、グラスゴウでのライヴDVDとアコースティック曲EPを自らリリース。とともに、ブッカー・T・ジョーンズ(2008年11月24日、2009年7月25日、2010年2月8日、2011年9月12日、2013年10月29日)の2013年作スタックス盤『サウンド・ジ・アラーム』にも、彼らはバンドで2曲参加している。
南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。別に彼らのことを過小評価しているわけではないが、会場がきっちりフル・ハウスで驚く。そして、さらに驚いたのは、メンバーが出てくる前の前説MC(やっている人の姿は見えず。メンバーのタイ・テイラーがやっていた?)とすちゃらかした場内音楽だけで、観客の相当数が立ち上がったこと。ほうっ。リード・シンガーのタイ・テイラーは客席側に出張って歌うとともに、照明を操る2階バルコニーにまで行ってそこで会場全体を見渡すように歌ったり、ドラマーのリチャード・ダニエリソンもまた客席におりて、テーブルをスティックで叩いて動いたり。そういうことをここでするのを見たのは、初めてだな。
といったように、音楽面だけをしっかりアピールするだけでなく、彼らは見せることにも一流。その際、誠意のようなものが出るのも、うれしいポイントだ。テイラーはJB調の掛け声や観客とのコール・レスポンスがとってもサマになっているし、妙なフリを客にやらせたりするのも違和感がない。また、この手のロック・バンドは演目をかためる方向にあるが、彼らはけっこう臨機応変に曲を入れ替えて演奏しているそう。そういう、バンドとしての熟練と阿吽の呼吸もうれしい。中盤には、変化を出すために、ステージ前に皆座ってアコースティック・セットにて持ち歌を披露。それから、メンバーがちゃんとタイ&ジャケットで着飾っているのも、確かなショーマンシップの表れだ。
本物のソウル感覚と変わらなくていいロック感覚がてんこ盛り、それらは見事に綱引きしあう。ようは、絵に描いたような味と手応えを持つR&Bロック・バンドの、絵に描いたようなショウでありました。あ、それから、ステージに出て来て演奏を始める前に、ドラマーの前に皆寄り、拳を合わせたりも。なんか、球技チームの試合前の儀式の一コマのようなそれにも、ぼくはグっと来ました。そんな彼らのオリジナル新作は一体どーなっておるのダ? それは、本欄最後に。
▶過去の、ヴィンテージ・トラブル
http://43142.diarynote.jp/201209121315025654/
▶過去の、ブッカー・T
http://43142.diarynote.jp/200812110456078867/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090725
http://43142.diarynote.jp/201002090914248826/
http://43142.diarynote.jp/201109151819433479/
http://43142.diarynote.jp/201310301217408539/
その後は、ロバート・グラスパー(2007年10月3日、2009年4月13日、2009年12月19日2010年12月16日、2012年6月12日、2013年1月25日)のワーキング・バンドのショウを六本木・ビルボードライブ東京(セカンド・ショウ)を見る。エキスペリメントと名付けられたここのとろのそのメンバーはシンセサイズド・ヴォーカルとリード類のケイシー・ベンジャミン、 電気ベースのバーニス・トラビス 、ドラムのマーク・コレンバーグ、なり。
彼らもサマーソニック出演(今回それに出た、彼らやザ・ファーサイドやピート・ロックたちはビルボードライブ経由でブッキングされたようだ)を経てのクラブ公演。前にも書いたことがあるが、グラスパーの初来日はビラルのサマーソニック出演時(2001年8月18日)のサポート。まさか、あのとき自分名義で同じフェスには出るとは思いもしなかったと推測され、グラさんはなかなか感無量であったのではないか。今回の彼のサマソニ公演はなかなか気張り、ロック曲カヴァーもやったとも聞く。
一方の通常クラブ公演のほうは平常心というか、基本はいつも通り。現代ジャズと取るよりもポストR&Bとして聞いたほうが吉となる、ある種のモードも横たわるパフォーマンスが臨機応変に届けられる。ベンジャミンは電気経由の歌を聞かせる度合いが増した。コレンバーグはより怪物ぶりを示す。終盤のほうはソロ・ピアノのパートがあったりとか、グラスパーがソロ取る頻度が増したが、やはりそれはジャズを下敷きに、もう一つの丁々発止回路を求めんとしているように、ぼくには思えた。今回の彼、何気にうれしそうな感じが溢れでていたような。90分少し欠けぐらいのショウだった。
▶過去の、グラスパー
http://43142.diarynote.jp/200710121727100000/
http://43142.diarynote.jp/200904150840164356/
http://43142.diarynote.jp/201001051625155901/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/201206141342549869/
http://43142.diarynote.jp/201301270742196778/
▶過去の、ビラル
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm サマーソニック1日目
<今日の、トラブルメイカー>
ヴィンテージ・トラブルの実演後、誘われたので楽屋に挨拶に行く。さすが2年前のインタヴューがウケただけあって、皆覚えていてくれ、汗だくなままなのに相手をしてくれる。白ワインをふるまってくれたテイラー(なんか、昔のブラック・ムービーに出てきそうなルックスの持ち主なり)はあのとき、ぼくが言った冗談まで、覚えていてびっくり。ノー・プレブレムはモンダイナイ〜マンデイ・ナイトと言えば通じるよ、みたいな乱暴なやりとり。ボクハ忘レテイタ……。なんと彼ら、次は社長ドン・ウォズ直々の契約で、新作はブルーノート発となるとか。なるほど、ドン・ウォズ(2013年2月15日)、好きそうかもなあ。来年春ごろのリリースになるとのこと。わー、楽しみ。
▶過去の、ドン・ウォズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130215
南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。別に彼らのことを過小評価しているわけではないが、会場がきっちりフル・ハウスで驚く。そして、さらに驚いたのは、メンバーが出てくる前の前説MC(やっている人の姿は見えず。メンバーのタイ・テイラーがやっていた?)とすちゃらかした場内音楽だけで、観客の相当数が立ち上がったこと。ほうっ。リード・シンガーのタイ・テイラーは客席側に出張って歌うとともに、照明を操る2階バルコニーにまで行ってそこで会場全体を見渡すように歌ったり、ドラマーのリチャード・ダニエリソンもまた客席におりて、テーブルをスティックで叩いて動いたり。そういうことをここでするのを見たのは、初めてだな。
といったように、音楽面だけをしっかりアピールするだけでなく、彼らは見せることにも一流。その際、誠意のようなものが出るのも、うれしいポイントだ。テイラーはJB調の掛け声や観客とのコール・レスポンスがとってもサマになっているし、妙なフリを客にやらせたりするのも違和感がない。また、この手のロック・バンドは演目をかためる方向にあるが、彼らはけっこう臨機応変に曲を入れ替えて演奏しているそう。そういう、バンドとしての熟練と阿吽の呼吸もうれしい。中盤には、変化を出すために、ステージ前に皆座ってアコースティック・セットにて持ち歌を披露。それから、メンバーがちゃんとタイ&ジャケットで着飾っているのも、確かなショーマンシップの表れだ。
本物のソウル感覚と変わらなくていいロック感覚がてんこ盛り、それらは見事に綱引きしあう。ようは、絵に描いたような味と手応えを持つR&Bロック・バンドの、絵に描いたようなショウでありました。あ、それから、ステージに出て来て演奏を始める前に、ドラマーの前に皆寄り、拳を合わせたりも。なんか、球技チームの試合前の儀式の一コマのようなそれにも、ぼくはグっと来ました。そんな彼らのオリジナル新作は一体どーなっておるのダ? それは、本欄最後に。
▶過去の、ヴィンテージ・トラブル
http://43142.diarynote.jp/201209121315025654/
▶過去の、ブッカー・T
http://43142.diarynote.jp/200812110456078867/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090725
http://43142.diarynote.jp/201002090914248826/
http://43142.diarynote.jp/201109151819433479/
http://43142.diarynote.jp/201310301217408539/
その後は、ロバート・グラスパー(2007年10月3日、2009年4月13日、2009年12月19日2010年12月16日、2012年6月12日、2013年1月25日)のワーキング・バンドのショウを六本木・ビルボードライブ東京(セカンド・ショウ)を見る。エキスペリメントと名付けられたここのとろのそのメンバーはシンセサイズド・ヴォーカルとリード類のケイシー・ベンジャミン、 電気ベースのバーニス・トラビス 、ドラムのマーク・コレンバーグ、なり。
彼らもサマーソニック出演(今回それに出た、彼らやザ・ファーサイドやピート・ロックたちはビルボードライブ経由でブッキングされたようだ)を経てのクラブ公演。前にも書いたことがあるが、グラスパーの初来日はビラルのサマーソニック出演時(2001年8月18日)のサポート。まさか、あのとき自分名義で同じフェスには出るとは思いもしなかったと推測され、グラさんはなかなか感無量であったのではないか。今回の彼のサマソニ公演はなかなか気張り、ロック曲カヴァーもやったとも聞く。
一方の通常クラブ公演のほうは平常心というか、基本はいつも通り。現代ジャズと取るよりもポストR&Bとして聞いたほうが吉となる、ある種のモードも横たわるパフォーマンスが臨機応変に届けられる。ベンジャミンは電気経由の歌を聞かせる度合いが増した。コレンバーグはより怪物ぶりを示す。終盤のほうはソロ・ピアノのパートがあったりとか、グラスパーがソロ取る頻度が増したが、やはりそれはジャズを下敷きに、もう一つの丁々発止回路を求めんとしているように、ぼくには思えた。今回の彼、何気にうれしそうな感じが溢れでていたような。90分少し欠けぐらいのショウだった。
▶過去の、グラスパー
http://43142.diarynote.jp/200710121727100000/
http://43142.diarynote.jp/200904150840164356/
http://43142.diarynote.jp/201001051625155901/
http://43142.diarynote.jp/201012171104366095/
http://43142.diarynote.jp/201206141342549869/
http://43142.diarynote.jp/201301270742196778/
▶過去の、ビラル
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm サマーソニック1日目
<今日の、トラブルメイカー>
ヴィンテージ・トラブルの実演後、誘われたので楽屋に挨拶に行く。さすが2年前のインタヴューがウケただけあって、皆覚えていてくれ、汗だくなままなのに相手をしてくれる。白ワインをふるまってくれたテイラー(なんか、昔のブラック・ムービーに出てきそうなルックスの持ち主なり)はあのとき、ぼくが言った冗談まで、覚えていてびっくり。ノー・プレブレムはモンダイナイ〜マンデイ・ナイトと言えば通じるよ、みたいな乱暴なやりとり。ボクハ忘レテイタ……。なんと彼ら、次は社長ドン・ウォズ直々の契約で、新作はブルーノート発となるとか。なるほど、ドン・ウォズ(2013年2月15日)、好きそうかもなあ。来年春ごろのリリースになるとのこと。わー、楽しみ。
▶過去の、ドン・ウォズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130215
ドナルド・ハリソン・クインテット
2014年8月25日 音楽 1960年NOLA(ルイジアナ州ニューオーリンズ)生まれのアルト・サックス奏者は、MCでソツなく日本語の単語を入れたりもする。その様で、昔何度も来日しているんだろうナと思わせる。ぼくは、この著名ジャズ・マンを今回初めて見たわけだが(おそらく)。
マルディグラ・インディアン家系で、今もチーフの活動をしているとも伝えられる御仁。“ウィズ・ドクター・ジョン(2000年5月24日、2002年3月23日、2005年9月20日、2012年2月15日、2013年10月1日)”名義の『Indian Blues』(Candid,1992)のジャケット・カヴァーはチーフの格好をした彼の写真であったし、マルディグラ・インディアン音楽に向き合ったアルバムも彼は複数自主リリースしているようだ。何年か前には、NOLA出身トランペットの若大将的存在のクリスチャン・スコット(2008年7月23日、2008年9月10日、2009年1月31日、2009年9月15日、2010年9月3日、2011年12月17日)との連名アルバムを出したこともありましたね。あ、スコットって、ハリソンの甥なんだっけ。
そんな彼はルイジアナ州バトンルージュにあるサザン・ユニヴァーシティやボストンのバークリー音楽大学を経て、1980年代初頭にアート・ブレイキーのザ・ジャズ・メッセンジャーズに加入。溌剌名手の登竜門的バンド員への抜擢で、彼の名前はジャズ界で広く知られることとなる。そして、そのときの同僚が、やはりNOLA出身で今のNYのジャズ新潮流シーンの元締め的な位置にいると書けるだろう、トランペッターのテレンス・ブランチャード(2005年8月21日、2009年3月26日、2013年8月18日)。彼とは、ザ・ジャズ・メッセンジャーズ在籍と重なりつつ双頭バンドを組んだときもありました。そういえば、2000年代上半期のハリソン・バンドにはベース奏者のヴィセンテ・アーチャー(2007年10月3日、2009年4月13日、2010年7月24日、2013年2月2日、2013年6月4日)がいて、そこから引き抜かれるカタチで、アーチャーはロバート・グラスパーのトリオに加入し、ブルーノート発の初期2作でベースを弾いていたりするわけだ。
基本は気っ風のいいハード・バッパーだが、けっこう先鋭的な設定で突っ走らんとするときもあれば、ヒップホップ要素導入アルバムやかなりなスムース・ジャズ調作品もあり。基本、おっちょこちょい気味なナイス・ガイと分析することもできようか。ワン・ホーンのギター付きクインテットによるこの晩の実演も、アルトを思うまま吹く(ときに、濁りというか、重さも出て、テナー・サックスに近い質感を出す場合もある)だけでなく、いろんな人の曲もやり、歌も歌い、パーカッション・ソロも披露し、といった具合で、けっこうとっちらかっていたなあ。
丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。バンド・メンバーのうち、ピアノとベース(一部はエレクトリック・ベースを弾く)とドラマーはまだ20代の感じで、ハリソンの教え子とか。一時はNYに住んだこともあったろうが、ハリソンはNOLA在住であり、サイドの4人も皆NOLA生まれであるとか。
当初はフツーのジャズ調(って、妙な言い方だが)で進むが、皆気心が知れているはずなのに、なんかギクシャクというか、どこかその総体はデコボコした感じも与える。それも、NOLA流? 自作曲だけでなく、アート・ブレイキー、チャーリー・パーカー、ビリー・ストレイホーン、さらにはザ・ヘッドハンターズ(cf.ハービー・ハンコック)の曲も演奏。そのザ・ヘッドハンターズ曲に耳馴染みがなかったので、1990年後期のヴァーヴ発の再結成盤に入っていた曲だったのだろうな。そうだ、ザ・ヘッドハンターズの重要メンバーである打楽器奏者のビル・サマーズ(2002年8月2~4日、文中では触れてないが、自己バンドのロス・オンブレス・カリエンテスでの出演。2010年7月9日)はずっとNOLAを拠点にしていて、その流れで、ハリソンは2007年の同欧州ツアーにベニー・モウピンの代役で入ったことがあった。そのおり、ポール・ジャクソン(2002 年3月12日2008年6月12日)も不在で、なんとT.M.スティーヴンス(2001年10月31日、2011年8月12日、2012年5月31日)がベースを演奏。その模様は、P-ヴァイン発の2枚組実況盤で確認できます。
MCで全員NOLA出身であることを何度か強調していたハリソンだが、後半は歌も歌い、NOLA味が出てくる。だって、やったのがNOLAパレードのスタンダード曲「聖者の行進」、ザ・ミーターズの「ヘイ・ポッキー・アウェイ」、ドクター・ジョンのカヴァーで知られる「アイコ・アイコ」だったんだもの!
▶過去の、ドクター・ジョン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200510030016390000/
http://43142.diarynote.jp/201202161725143619/
http://43142.diarynote.jp/201310050709459564/
▶過去の、スコット
http://43142.diarynote.jp/200807241546500000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080910
http://43142.diarynote.jp/200902030206339619/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100903
http://43142.diarynote.jp/?day=20100903
http://43142.diarynote.jp/201112201159168538/
▶過去の、ブランチャード
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/200903271727246000/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
▶過去の、アーチャー
http://43142.diarynote.jp/200710121727100000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090413
http://43142.diarynote.jp/?day=20100724
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224/
▶過去の、サマーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20100709
▶過去の、ジャクソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20080612
▶過去の、スティーヴンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/201108131129381378/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120531
▶過去の、ザ・ファンキー・ミーターズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20090725
http://43142.diarynote.jp/201401181209502731/
<今日の、はじめて>
本編が終わると、全員遠いほうの通路をぐるりと回って退出。そして、そのまま、逆側(いつも出演者が出入りする通路)からまた5人はステージに戻って、アンコールに入る。わ、そんなことをした出演者には初めて触れるナ。さすが、パレード大好きなNOLAネイティヴで固められたバンドと、ぼくのココロは小躍り? 50代半ばのハリソンは、おやじギャグはかましても、老けている感じはなし。そんな彼には後日取材することになっているが、いやいやいっぱい聞きたいことがあるなー。ハリソンの公演は4日間、28日まで。
追記:インタヴューしたら、こんなことを言っていました。▶来日は、20回以上している。▶NOLAの音楽的特徴を語るのに、打楽器の重要性を、彼はなにげに強調していた。▶NYには1982年から20年間住んでいた。▶彼の父親、そして父親の死後にチーフとなったマルディグラ・インディアンの連の名は“ガーディアンズ・オブ・ザ・フレイム”。実は先に出した『Indian Blues』を出したとき、彼はまだチーフではなかったけど、あの格好をしちゃったそう。▶NOLAを舞台とし、NOLA文化愛が横溢する米国好評TV「トレメ」(本国では2010年ぐらいに放映)は彼の父と彼のことが下敷きになっているそうですがと問うと、「だって、僕が企画のときから密接に関わっただもん」。▶首を痛めたことがあって、あまりサックスを吹けないときに、歌うようになった。▶ヴィセンテ・アーチャーの、その後の活躍はうれしい。▶とても交友関係は広いようで、なんと数ヶ月前からザ・クッカーズ(2012年10月17日)に加入したそう。次回来日は、それで来る可能性もあるな。
彼は、すべてオリジナル曲でかためた『Quantum Leap』(FOMP13131、自主リリースなのかしら)というCDをくれた。今回の同行奏者全員やビル・サマーズ(2010年7月9日、他)が入ったものだが、これがかなりアグレッシグかつ真摯なジャズ志向作でびっくり。おお、現代ジャズ・マンとして、勝負しているじゃないか! その手の演奏は、ぼくが見たショウでは見せていなかったので余計に驚く。ブルース曲も入ってもいるが、それも確かなミュージシャンシップのもと、並のブルース曲にはしないという意志が息づく。また、ファンキー要素やラップ導入もうまくそこで入れたものもある。傑作、じゃ。で、彼は資料を送るから連絡先を教えてといってきたので、名刺を渡す。そしたら、8月29日朝(日本時間。米国に発つ前か)にちゃんとメールを送ってきた。真面目で、マメな人です。
▶過去の、ビル・サマーズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20100709
▶過去の、ザ・クッカーズ
http://43142.diarynote.jp/201210201219525855/
マルディグラ・インディアン家系で、今もチーフの活動をしているとも伝えられる御仁。“ウィズ・ドクター・ジョン(2000年5月24日、2002年3月23日、2005年9月20日、2012年2月15日、2013年10月1日)”名義の『Indian Blues』(Candid,1992)のジャケット・カヴァーはチーフの格好をした彼の写真であったし、マルディグラ・インディアン音楽に向き合ったアルバムも彼は複数自主リリースしているようだ。何年か前には、NOLA出身トランペットの若大将的存在のクリスチャン・スコット(2008年7月23日、2008年9月10日、2009年1月31日、2009年9月15日、2010年9月3日、2011年12月17日)との連名アルバムを出したこともありましたね。あ、スコットって、ハリソンの甥なんだっけ。
そんな彼はルイジアナ州バトンルージュにあるサザン・ユニヴァーシティやボストンのバークリー音楽大学を経て、1980年代初頭にアート・ブレイキーのザ・ジャズ・メッセンジャーズに加入。溌剌名手の登竜門的バンド員への抜擢で、彼の名前はジャズ界で広く知られることとなる。そして、そのときの同僚が、やはりNOLA出身で今のNYのジャズ新潮流シーンの元締め的な位置にいると書けるだろう、トランペッターのテレンス・ブランチャード(2005年8月21日、2009年3月26日、2013年8月18日)。彼とは、ザ・ジャズ・メッセンジャーズ在籍と重なりつつ双頭バンドを組んだときもありました。そういえば、2000年代上半期のハリソン・バンドにはベース奏者のヴィセンテ・アーチャー(2007年10月3日、2009年4月13日、2010年7月24日、2013年2月2日、2013年6月4日)がいて、そこから引き抜かれるカタチで、アーチャーはロバート・グラスパーのトリオに加入し、ブルーノート発の初期2作でベースを弾いていたりするわけだ。
基本は気っ風のいいハード・バッパーだが、けっこう先鋭的な設定で突っ走らんとするときもあれば、ヒップホップ要素導入アルバムやかなりなスムース・ジャズ調作品もあり。基本、おっちょこちょい気味なナイス・ガイと分析することもできようか。ワン・ホーンのギター付きクインテットによるこの晩の実演も、アルトを思うまま吹く(ときに、濁りというか、重さも出て、テナー・サックスに近い質感を出す場合もある)だけでなく、いろんな人の曲もやり、歌も歌い、パーカッション・ソロも披露し、といった具合で、けっこうとっちらかっていたなあ。
丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。バンド・メンバーのうち、ピアノとベース(一部はエレクトリック・ベースを弾く)とドラマーはまだ20代の感じで、ハリソンの教え子とか。一時はNYに住んだこともあったろうが、ハリソンはNOLA在住であり、サイドの4人も皆NOLA生まれであるとか。
当初はフツーのジャズ調(って、妙な言い方だが)で進むが、皆気心が知れているはずなのに、なんかギクシャクというか、どこかその総体はデコボコした感じも与える。それも、NOLA流? 自作曲だけでなく、アート・ブレイキー、チャーリー・パーカー、ビリー・ストレイホーン、さらにはザ・ヘッドハンターズ(cf.ハービー・ハンコック)の曲も演奏。そのザ・ヘッドハンターズ曲に耳馴染みがなかったので、1990年後期のヴァーヴ発の再結成盤に入っていた曲だったのだろうな。そうだ、ザ・ヘッドハンターズの重要メンバーである打楽器奏者のビル・サマーズ(2002年8月2~4日、文中では触れてないが、自己バンドのロス・オンブレス・カリエンテスでの出演。2010年7月9日)はずっとNOLAを拠点にしていて、その流れで、ハリソンは2007年の同欧州ツアーにベニー・モウピンの代役で入ったことがあった。そのおり、ポール・ジャクソン(2002 年3月12日2008年6月12日)も不在で、なんとT.M.スティーヴンス(2001年10月31日、2011年8月12日、2012年5月31日)がベースを演奏。その模様は、P-ヴァイン発の2枚組実況盤で確認できます。
MCで全員NOLA出身であることを何度か強調していたハリソンだが、後半は歌も歌い、NOLA味が出てくる。だって、やったのがNOLAパレードのスタンダード曲「聖者の行進」、ザ・ミーターズの「ヘイ・ポッキー・アウェイ」、ドクター・ジョンのカヴァーで知られる「アイコ・アイコ」だったんだもの!
▶過去の、ドクター・ジョン
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▶過去の、スコット
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▶過去の、ブランチャード
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▶過去の、サマーズ
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▶過去の、ジャクソン
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▶過去の、スティーヴンス
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▶過去の、ザ・ファンキー・ミーターズ
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<今日の、はじめて>
本編が終わると、全員遠いほうの通路をぐるりと回って退出。そして、そのまま、逆側(いつも出演者が出入りする通路)からまた5人はステージに戻って、アンコールに入る。わ、そんなことをした出演者には初めて触れるナ。さすが、パレード大好きなNOLAネイティヴで固められたバンドと、ぼくのココロは小躍り? 50代半ばのハリソンは、おやじギャグはかましても、老けている感じはなし。そんな彼には後日取材することになっているが、いやいやいっぱい聞きたいことがあるなー。ハリソンの公演は4日間、28日まで。
追記:インタヴューしたら、こんなことを言っていました。▶来日は、20回以上している。▶NOLAの音楽的特徴を語るのに、打楽器の重要性を、彼はなにげに強調していた。▶NYには1982年から20年間住んでいた。▶彼の父親、そして父親の死後にチーフとなったマルディグラ・インディアンの連の名は“ガーディアンズ・オブ・ザ・フレイム”。実は先に出した『Indian Blues』を出したとき、彼はまだチーフではなかったけど、あの格好をしちゃったそう。▶NOLAを舞台とし、NOLA文化愛が横溢する米国好評TV「トレメ」(本国では2010年ぐらいに放映)は彼の父と彼のことが下敷きになっているそうですがと問うと、「だって、僕が企画のときから密接に関わっただもん」。▶首を痛めたことがあって、あまりサックスを吹けないときに、歌うようになった。▶ヴィセンテ・アーチャーの、その後の活躍はうれしい。▶とても交友関係は広いようで、なんと数ヶ月前からザ・クッカーズ(2012年10月17日)に加入したそう。次回来日は、それで来る可能性もあるな。
彼は、すべてオリジナル曲でかためた『Quantum Leap』(FOMP13131、自主リリースなのかしら)というCDをくれた。今回の同行奏者全員やビル・サマーズ(2010年7月9日、他)が入ったものだが、これがかなりアグレッシグかつ真摯なジャズ志向作でびっくり。おお、現代ジャズ・マンとして、勝負しているじゃないか! その手の演奏は、ぼくが見たショウでは見せていなかったので余計に驚く。ブルース曲も入ってもいるが、それも確かなミュージシャンシップのもと、並のブルース曲にはしないという意志が息づく。また、ファンキー要素やラップ導入もうまくそこで入れたものもある。傑作、じゃ。で、彼は資料を送るから連絡先を教えてといってきたので、名刺を渡す。そしたら、8月29日朝(日本時間。米国に発つ前か)にちゃんとメールを送ってきた。真面目で、マメな人です。
▶過去の、ビル・サマーズ
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▶過去の、ザ・クッカーズ
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スキヤキ・トーキョー
2014年8月27日 音楽 富山県の長寿ワールド・ビート系フェス“スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド”の流れを組む帯イヴェントin東京、今年で4年目を数える。渋谷・www。その初日はぼくの誕生日でパス、今年は今日の2日目と明日の3日目を見ます。
最初に出て来たのは、南アフリカの生ギター弾き語りシンガー、ボンゲジウエ・マバンドラ。ソロでパフォーマンスする。ファルセットで綴られる言葉は、故ネルソン・マンデーラもしゃべっていたという現地語であるという。ぼくの耳にはそれほど南アフリカぽさを想起させるところはなかったが、繊細に自分のなかにあるいくつもの音楽的動機を真摯に束ねんとしているところが印象に残る。MCは、もちろん英語でする。スリム小柄で、その音楽同様に内省的な感覚を与える人ながら、結構お洒落な感じも印象に残る。親戚に仕立て屋さんがいて、その服を来たりもするようだ。
次は、ショーロ・クラブ(2002年3月24日)と畠山美由紀(2007年3月11日、2009年3月31日)が重なる。数曲ショーロ・クラブがインストゥメンタルを演奏後、畠山が登場。かつて録音したこともあるマリーザ・モンチ曲などとともに、9月上旬にリリースされる畠山美由紀が日本の演歌や歌謡曲を題材にした新作『歌で逢いましょう』(ランブリン)で取り上げている曲も披露。それ、沢田穣治(2002年3月24日、2010年4月19日、2011年7月24日、2012 年5月15日、2012年5月16日、2013年9月6日)のプロデュースで、他のショーロ・クラブの面々も録音に参加している。
そして、最後の登場者は、カーボ・ヴェルデ出身、パリ在住の女性歌手であるマイラ・ アンドラーデ(2007年10月25日)。キーボード(女性)、ギター、ベース、ドラムというバンド演奏のもと、生理的に快活性の高い(その奥に、哀愁の感覚があるのも見逃していけないが)パフォーマンスを開いて行く。やはり、カーボ・ヴェルデの因子と指摘したくなる海洋性の広がりのようなものがあるのがうれしいところであり、彼女の強み。言葉も、カーボ・ベルデのクレオール語、ポル語、仏語、英語などを用いていたようだ。2番目のお父さんが外交官でいろんな土地にも住んでいるので、いろんな言語が堪能ですね。でも、言葉とか、音楽性とかを超えたところで、聞き手にお働きかけたり、誘いを与えたりするところが、彼女にはあると思う。
▶過去の、畠山
http://43142.diarynote.jp/200703130418360000/
http://43142.diarynote.jp/200904040640421651/
▶過去の、ショーロ・クラブ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
▶過去の、沢田
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/201004211621084144/
http://43142.diarynote.jp/201107310726159855/
http://43142.diarynote.jp/201205301229093694/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120516
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
▶過去の、アンドラーデ
http://43142.diarynote.jp/?day=20071025
<今日の、記憶>
ぼくがスペインで彼女のショウを見てインタヴューをしたのは、2007年秋のこと。あの時はまだ1枚しかアルバムを出していなかったし、もう少しスリムであったようにも記憶するが、すくすくキャリアを重ねてきている様には感無量。彼女はまだ、ギリ20代のはず。彼女のマネージャー氏とは、こんなやりとりも。→
http://43142.diarynote.jp/200712151623180000/
最初に出て来たのは、南アフリカの生ギター弾き語りシンガー、ボンゲジウエ・マバンドラ。ソロでパフォーマンスする。ファルセットで綴られる言葉は、故ネルソン・マンデーラもしゃべっていたという現地語であるという。ぼくの耳にはそれほど南アフリカぽさを想起させるところはなかったが、繊細に自分のなかにあるいくつもの音楽的動機を真摯に束ねんとしているところが印象に残る。MCは、もちろん英語でする。スリム小柄で、その音楽同様に内省的な感覚を与える人ながら、結構お洒落な感じも印象に残る。親戚に仕立て屋さんがいて、その服を来たりもするようだ。
次は、ショーロ・クラブ(2002年3月24日)と畠山美由紀(2007年3月11日、2009年3月31日)が重なる。数曲ショーロ・クラブがインストゥメンタルを演奏後、畠山が登場。かつて録音したこともあるマリーザ・モンチ曲などとともに、9月上旬にリリースされる畠山美由紀が日本の演歌や歌謡曲を題材にした新作『歌で逢いましょう』(ランブリン)で取り上げている曲も披露。それ、沢田穣治(2002年3月24日、2010年4月19日、2011年7月24日、2012 年5月15日、2012年5月16日、2013年9月6日)のプロデュースで、他のショーロ・クラブの面々も録音に参加している。
そして、最後の登場者は、カーボ・ヴェルデ出身、パリ在住の女性歌手であるマイラ・ アンドラーデ(2007年10月25日)。キーボード(女性)、ギター、ベース、ドラムというバンド演奏のもと、生理的に快活性の高い(その奥に、哀愁の感覚があるのも見逃していけないが)パフォーマンスを開いて行く。やはり、カーボ・ヴェルデの因子と指摘したくなる海洋性の広がりのようなものがあるのがうれしいところであり、彼女の強み。言葉も、カーボ・ベルデのクレオール語、ポル語、仏語、英語などを用いていたようだ。2番目のお父さんが外交官でいろんな土地にも住んでいるので、いろんな言語が堪能ですね。でも、言葉とか、音楽性とかを超えたところで、聞き手にお働きかけたり、誘いを与えたりするところが、彼女にはあると思う。
▶過去の、畠山
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▶過去の、ショーロ・クラブ
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▶過去の、沢田
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▶過去の、アンドラーデ
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<今日の、記憶>
ぼくがスペインで彼女のショウを見てインタヴューをしたのは、2007年秋のこと。あの時はまだ1枚しかアルバムを出していなかったし、もう少しスリムであったようにも記憶するが、すくすくキャリアを重ねてきている様には感無量。彼女はまだ、ギリ20代のはず。彼女のマネージャー氏とは、こんなやりとりも。→
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スキヤキ・トーキョー
2014年8月28日 音楽 夕方からの打ち合わせが長引き、会場入りしたときは、メイン出演者の出番。その前の出し物はホンゲジウエ・マバンドラ(2014年8月27日)と複数国籍奏者たちとのセッションだったが、会場への階段を降りる時にマバンドラ(一人だった)とすれ違い、少し言葉をかわす。やはり、なかなかお洒落さん。
コンゴのキンシャサからやってきた、ジュピター&オクウェス・インターナショナルを見る。2007年セビーリャのWOMEX会場で彼らのことを扱った映画「Jupiter’s Dance」を見て(2007年10月24日)、彼らが出て来た環境や音楽の持ち味などは知っていたつもりだったのだが、これが想像以上に味良し、訴求力ありで、驚く。打楽器、鳴り物、電気ギター×2、ベース、ドラムという面々はけっこう皆若い。いっていても、30代半ば? ヴォーカルは朗々とした声で、全員で取る。あれ、メンバー紹介のときに、ドラマーはモンタナと紹介されていなかったか? コンゴといえば、数年前にスタッフ・ベンダ・ビリリ(2010年10月3日、2010年10月11日、2010年10月17日。そのドキュメンター映画は、2010年6月30日)の来日公演が大評判を呼んだが、その際のドラマーがモンタナという名前で、ジュピター&オクウェス・インターナショナル出身と言われていなかったっけ。ベンダ・ビリリはあまりに商売になりすぎて、そのためにバンドは分解。それゆえ、モンタナがまた戻って叩いていても不思議ではない。
同地で育まれたリンガラ・ミュージックの流れをくむものから、けっこう西欧音楽の耳にも直截に働きかけるものまで、面々は満面の笑顔のもとごんごんと音楽をオーディエンスに向かわすわけだが、その弾みまくる音に触れると、皆個人能力が高いと、痛感せずにはいられない。天晴。とともに、客への働きかけも巧みで、そりゃ客はよけいに浮かれる。しかし、今回の来日は選抜隊編成で、本来ジュピター&オクウェス・インターナショナルは14人だとも聞く。お、その大所帯パフォーマンスはどんなもののか? 妄想、もわもわ膨らむ。フル編成で、フジ・ロックとかに出ないものか。
最後のほうは、なんかサンタナ(2013年3月12日)の1969年哀愁屈強曲「ジンゴー」を思わせるような曲。また、『リメイン・イン・ライト』のころのトーキングヘッズの弾みを思わせるものもあり。昔に彼らが存在して、デイヴィッド・バーン(2009年1月27日)がそれを見たら、サポート・メンバーに雇ったのではないか。
▶過去の、Jupiter’s Dance
http://43142.diarynote.jp/200711080718230000
▶過去の、ベンダ・ビリリ関連
http://43142.diarynote.jp/201007081545497624/
http://43142.diarynote.jp/201010050803424611/
http://43142.diarynote.jp/201010191155486031/
http://43142.diarynote.jp/201010191405067654/
▶過去の、サンタナ
http://43142.diarynote.jp/201303211531189619/
▶過去の、バーン
http://43142.diarynote.jp/200901281359552953/
<今日の、お礼>
コンサート会場で知人と会い、食事や飲みに流れると、ぼくの誕生日がある(あった)から、おごるよという“いい人”がここのところ相次いでいて、なんかこそばゆい。でも、素直にうれしい。フェイスブックのせい(ぼくは。基本やらないが、データーは入れているからナ)で、誕生日が告知されているのが、一因か。昨日、取材したときも通訳嬢がわざわざお酒を誕生日プレゼントとして持参してきてくれたりして。みんな、ありがとねー。この晩も一緒に流れた20歳近く若い友達が、今日はおごりまよと張り切って言う。人徳と、しておこう。なら、もう一軒流れて、おごり返すというのが、オトナの流儀ナリ。
コンゴのキンシャサからやってきた、ジュピター&オクウェス・インターナショナルを見る。2007年セビーリャのWOMEX会場で彼らのことを扱った映画「Jupiter’s Dance」を見て(2007年10月24日)、彼らが出て来た環境や音楽の持ち味などは知っていたつもりだったのだが、これが想像以上に味良し、訴求力ありで、驚く。打楽器、鳴り物、電気ギター×2、ベース、ドラムという面々はけっこう皆若い。いっていても、30代半ば? ヴォーカルは朗々とした声で、全員で取る。あれ、メンバー紹介のときに、ドラマーはモンタナと紹介されていなかったか? コンゴといえば、数年前にスタッフ・ベンダ・ビリリ(2010年10月3日、2010年10月11日、2010年10月17日。そのドキュメンター映画は、2010年6月30日)の来日公演が大評判を呼んだが、その際のドラマーがモンタナという名前で、ジュピター&オクウェス・インターナショナル出身と言われていなかったっけ。ベンダ・ビリリはあまりに商売になりすぎて、そのためにバンドは分解。それゆえ、モンタナがまた戻って叩いていても不思議ではない。
同地で育まれたリンガラ・ミュージックの流れをくむものから、けっこう西欧音楽の耳にも直截に働きかけるものまで、面々は満面の笑顔のもとごんごんと音楽をオーディエンスに向かわすわけだが、その弾みまくる音に触れると、皆個人能力が高いと、痛感せずにはいられない。天晴。とともに、客への働きかけも巧みで、そりゃ客はよけいに浮かれる。しかし、今回の来日は選抜隊編成で、本来ジュピター&オクウェス・インターナショナルは14人だとも聞く。お、その大所帯パフォーマンスはどんなもののか? 妄想、もわもわ膨らむ。フル編成で、フジ・ロックとかに出ないものか。
最後のほうは、なんかサンタナ(2013年3月12日)の1969年哀愁屈強曲「ジンゴー」を思わせるような曲。また、『リメイン・イン・ライト』のころのトーキングヘッズの弾みを思わせるものもあり。昔に彼らが存在して、デイヴィッド・バーン(2009年1月27日)がそれを見たら、サポート・メンバーに雇ったのではないか。
▶過去の、Jupiter’s Dance
http://43142.diarynote.jp/200711080718230000
▶過去の、ベンダ・ビリリ関連
http://43142.diarynote.jp/201007081545497624/
http://43142.diarynote.jp/201010050803424611/
http://43142.diarynote.jp/201010191155486031/
http://43142.diarynote.jp/201010191405067654/
▶過去の、サンタナ
http://43142.diarynote.jp/201303211531189619/
▶過去の、バーン
http://43142.diarynote.jp/200901281359552953/
<今日の、お礼>
コンサート会場で知人と会い、食事や飲みに流れると、ぼくの誕生日がある(あった)から、おごるよという“いい人”がここのところ相次いでいて、なんかこそばゆい。でも、素直にうれしい。フェイスブックのせい(ぼくは。基本やらないが、データーは入れているからナ)で、誕生日が告知されているのが、一因か。昨日、取材したときも通訳嬢がわざわざお酒を誕生日プレゼントとして持参してきてくれたりして。みんな、ありがとねー。この晩も一緒に流れた20歳近く若い友達が、今日はおごりまよと張り切って言う。人徳と、しておこう。なら、もう一軒流れて、おごり返すというのが、オトナの流儀ナリ。
渋谷・シアターオーブで、ベルギー発のコンテンポラリー・ダンス(と言っていいの?)公演を見る。国籍がいろいろと散った男女ダンサーたち13人に、エスニック傾向伴奏を付ける(けっこう出音デカい)やはり国籍の散った演奏者5人による。彼らは14か国にわたるという。シディ・ラルビ・シェルカウイとダミアン・ジェレが振り付けをし(カーテンコールのときにでてきたお二人は、あまりお洒落な感じのしないおじさん)、舞台デザインのアントニー・ゴームリーは有名な人たちらしい。
休憩無し、1時間45 分ぐらいの出し物。ほう、よく作られているな。その出し物の名は“バベルの塔”から来ていて、異なる文化や言葉や習慣を持つ人々の軋轢や共生をテーマに置くもののようだが(なのかな?)、それについて、アートなものに鈍感でいたいぼくはよく分らない。出演者によってはときに長いセリフを言ったりもし、その訳が背景上部にデカデカと映し出させるが、思わせぶりな言い回しにもぼく???の体。劇中、ダンサーと演奏参加者の日本人が二人で狂言回し的な会話をする部分もあるが(日本公演に向けて、追加されたのだろう。音楽も和のノリの部分が少なくなかった)、その空虚なやりとり(でも、彼らは上手にやっていたと思う)同様、肉声を使って何かを発しているということ、それがなんらかの感興を見る者に生理的に与えるところが大切なのだと思う。そういうところにおいて、この出し物は与えるものは何かとアリ。他のダンスや動きが主体になった部分はもっと怒濤に物を言い……。
この手の流儀や美意識などを一切しらないぼくではあるが、こりゃすげえな、よく作ったな、という思いをおおいに得る。舞台美術はとてもシンプルだが、複数のデカい立体スクエア状金属フレームの使い方にもおおいに感心するし、いろんなダンサーたちの絡みもいろいろと目をひく。へえ〜。そして、それらはどんどん抽象的ながらストーリー状にもなり、人間の発想や創造の凄さを受け手に味あわせるだろう。属性の散った出演者が思い思いの平服(衣装はエリザヴェス・キン・スヴェンソン)を着ているのは、ジーザズ・クライスト・スーパースターを思い出させる? って、大昔に映画しか見た事がないぼくが、なぜそう思った?
いろんな要素や英知が生の感覚を失わずに絡まりあう様、それは普通の音楽公演では味わえ得ないもの。ぼくは、いろいろ得ました。
<今日の、流れ>
飲みが長引き早朝ぎみの時間に寝たのに、わりとちゃんと起きて、机に向かう。やっぱ、だるいナ。午後、昼寝しよう思ったのに、あまり眠くならず、そのままスポール・チャンネルのサッカー試合放映を見ちゃったり。と、そんな塩梅だったので、こりゃ上の不慣れなものを見て寝るナと思ったのだけど、そんなことなし。いっぱい、興味をひく事項があったのだと思う。シアターオーブは久しぶりで、ここからの夜景を見るのも楽しみではあったが、そちらについては感激度が落ちていた。人間って、慣れ(?)が早いねえ。
休憩無し、1時間45 分ぐらいの出し物。ほう、よく作られているな。その出し物の名は“バベルの塔”から来ていて、異なる文化や言葉や習慣を持つ人々の軋轢や共生をテーマに置くもののようだが(なのかな?)、それについて、アートなものに鈍感でいたいぼくはよく分らない。出演者によってはときに長いセリフを言ったりもし、その訳が背景上部にデカデカと映し出させるが、思わせぶりな言い回しにもぼく???の体。劇中、ダンサーと演奏参加者の日本人が二人で狂言回し的な会話をする部分もあるが(日本公演に向けて、追加されたのだろう。音楽も和のノリの部分が少なくなかった)、その空虚なやりとり(でも、彼らは上手にやっていたと思う)同様、肉声を使って何かを発しているということ、それがなんらかの感興を見る者に生理的に与えるところが大切なのだと思う。そういうところにおいて、この出し物は与えるものは何かとアリ。他のダンスや動きが主体になった部分はもっと怒濤に物を言い……。
この手の流儀や美意識などを一切しらないぼくではあるが、こりゃすげえな、よく作ったな、という思いをおおいに得る。舞台美術はとてもシンプルだが、複数のデカい立体スクエア状金属フレームの使い方にもおおいに感心するし、いろんなダンサーたちの絡みもいろいろと目をひく。へえ〜。そして、それらはどんどん抽象的ながらストーリー状にもなり、人間の発想や創造の凄さを受け手に味あわせるだろう。属性の散った出演者が思い思いの平服(衣装はエリザヴェス・キン・スヴェンソン)を着ているのは、ジーザズ・クライスト・スーパースターを思い出させる? って、大昔に映画しか見た事がないぼくが、なぜそう思った?
いろんな要素や英知が生の感覚を失わずに絡まりあう様、それは普通の音楽公演では味わえ得ないもの。ぼくは、いろいろ得ました。
<今日の、流れ>
飲みが長引き早朝ぎみの時間に寝たのに、わりとちゃんと起きて、机に向かう。やっぱ、だるいナ。午後、昼寝しよう思ったのに、あまり眠くならず、そのままスポール・チャンネルのサッカー試合放映を見ちゃったり。と、そんな塩梅だったので、こりゃ上の不慣れなものを見て寝るナと思ったのだけど、そんなことなし。いっぱい、興味をひく事項があったのだと思う。シアターオーブは久しぶりで、ここからの夜景を見るのも楽しみではあったが、そちらについては感激度が落ちていた。人間って、慣れ(?)が早いねえ。