渋谷・シアターオーブで、ベルギー発のコンテンポラリー・ダンス(と言っていいの?)公演を見る。国籍がいろいろと散った男女ダンサーたち13人に、エスニック傾向伴奏を付ける(けっこう出音デカい)やはり国籍の散った演奏者5人による。彼らは14か国にわたるという。シディ・ラルビ・シェルカウイとダミアン・ジェレが振り付けをし(カーテンコールのときにでてきたお二人は、あまりお洒落な感じのしないおじさん)、舞台デザインのアントニー・ゴームリーは有名な人たちらしい。

 休憩無し、1時間45 分ぐらいの出し物。ほう、よく作られているな。その出し物の名は“バベルの塔”から来ていて、異なる文化や言葉や習慣を持つ人々の軋轢や共生をテーマに置くもののようだが(なのかな?)、それについて、アートなものに鈍感でいたいぼくはよく分らない。出演者によってはときに長いセリフを言ったりもし、その訳が背景上部にデカデカと映し出させるが、思わせぶりな言い回しにもぼく???の体。劇中、ダンサーと演奏参加者の日本人が二人で狂言回し的な会話をする部分もあるが(日本公演に向けて、追加されたのだろう。音楽も和のノリの部分が少なくなかった)、その空虚なやりとり(でも、彼らは上手にやっていたと思う)同様、肉声を使って何かを発しているということ、それがなんらかの感興を見る者に生理的に与えるところが大切なのだと思う。そういうところにおいて、この出し物は与えるものは何かとアリ。他のダンスや動きが主体になった部分はもっと怒濤に物を言い……。

 この手の流儀や美意識などを一切しらないぼくではあるが、こりゃすげえな、よく作ったな、という思いをおおいに得る。舞台美術はとてもシンプルだが、複数のデカい立体スクエア状金属フレームの使い方にもおおいに感心するし、いろんなダンサーたちの絡みもいろいろと目をひく。へえ〜。そして、それらはどんどん抽象的ながらストーリー状にもなり、人間の発想や創造の凄さを受け手に味あわせるだろう。属性の散った出演者が思い思いの平服(衣装はエリザヴェス・キン・スヴェンソン)を着ているのは、ジーザズ・クライスト・スーパースターを思い出させる? って、大昔に映画しか見た事がないぼくが、なぜそう思った?

 いろんな要素や英知が生の感覚を失わずに絡まりあう様、それは普通の音楽公演では味わえ得ないもの。ぼくは、いろいろ得ました。

<今日の、流れ>
 飲みが長引き早朝ぎみの時間に寝たのに、わりとちゃんと起きて、机に向かう。やっぱ、だるいナ。午後、昼寝しよう思ったのに、あまり眠くならず、そのままスポール・チャンネルのサッカー試合放映を見ちゃったり。と、そんな塩梅だったので、こりゃ上の不慣れなものを見て寝るナと思ったのだけど、そんなことなし。いっぱい、興味をひく事項があったのだと思う。シアターオーブは久しぶりで、ここからの夜景を見るのも楽しみではあったが、そちらについては感激度が落ちていた。人間って、慣れ(?)が早いねえ。