ピート・ロック&C.L.スムース
2014年8月18日 音楽 1990年代上半期東海岸ヒップホップの名ユニットの公演を、六本木・ビルボードライブ(ファースト・ショウ)で見る。
トラック・メイカーでもあるピート・ロックがラッパーのC.L.スムースと組んだ表現は、エレクトラから3作品リリースされている。うろ覚えで書いちゃうが、インパクトが強いのは1991年リリースの第一作。でも、1994年の3作目のギター音のジャジー&グルーヴィなサンプリン使用の様はイケてて、けっこう印象に残っている。って、1990年代半ばぐらいまでは、先端にある米国黒人音楽として、ヒップホップをそれなりにちゃんとぼくは追いかけていたのだな。ライムを追う(内容を吟味する)のが面倒くさいこともあり、もともとヒップホップを専門領域であると考えたことはないが、DJジャジー・ジェフ&フレッシュ・プリンスやATCQ、P.M.ドーンとかは昔CD解説を書いたことがある。それはともかく、サウンドの面白さがどんどん希薄になっていくような気がして(それは、サンプラー他の機器の発達と無縁ではないだろう〜やっぱりやっかいなほうが奇特なアイデアは生まれるし、トラック作りが容易になり才に欠ける人も前に出やすくなる〜)、徐々にぼくは熱心にヒップホップを追わなくなった。それは、トリップホップやドラムンベースなど、興味ひかれるサンプリング音楽が出て来たことも関係するか。あ、そこらへん“ロック耳”でヒップホップを聞いていたからかもしれない。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。ステージ後方に置かれたブースでDJをしながらラップもするピート・ロックと、前方中央に位置してラップするC.L.スムースの二人で、きっちりことにあたる。最初、ピート・ロックが出て来て音を出そうとするが、ラップトップのデーターを探しているのか、当初はずっとパッドをちまちまいじっていて無音。おお、雑というか無頓着というか。
基本は過去の財産によりかかったパフォーマンスだが、ビートにのる二人の肉声と過去だしたトラックのフックはやはり鼓舞する力あり。ピート・ロックは音出しもしなければならないため、C.L.スムースのほうが主ラッパーとなるが、最後のほうはピーロ・ロックも前に出て来て、全面的に肉声をぶちまける。おお、より野太い声を持つ彼の声とピート感のほうが、ぼくの好みであるのを再認識。そのピート・ロックのDJは随所で、けっこう荒い。そうなのか。ときに、歌モノ曲を素直に用いる場合もあり。マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」もそうで、その際は一緒に歌ってと、ピート・ロックが観客に要求。あははは。
1986年〜1993年ごろにかけての充実期〜末広がり期にあるヒップホップをさして“ゴールデン・エイジ”という呼称(一部、ミドル・スクールという言い方もあり)があるが、彼らはさすがゴールデン・エイジという印象も得たか。
<今日の、会話>
その後あった飲みで、今時の子供のアレルギーやアトピーの話になる。オレらガキのころ、そんな奴はいなかったよなー、と。もしかしたらいたのかも知れないが、そういう概念がまだ一般的に知られておらず、ただの身体や皮膚の弱い子として昔は片付けられていたのかもしれない。でも、いつの間にかそれほどレアな事項でなくなっているのは、生活環境、食生活習慣が変わったのが大きな要因ではないか、という話に落ち着く。まあ、アスベスト使用とかはあったが、今ほどケミカル処理の建材が用いられることはなかったろうし、こんなに添加物が食物に入ってもいなかったろう。コンビニもなかったし。そういう文明悪が導く負要素がまず親に蓄積し、そのツケが今の子供たちに回っている……。やっぱ、効率や上辺の利便性追求は歪みを生む、てな、もっともらしい結論に落ち着いたんだっけ。一堂、今日の話は高尚だねえなぞとも、言っていた? なんだかなあ。そうか、ぼくはあまりアレルギーとかまだそれほど問題になっていなかった時代のヒップホップが好きなのか?
トラック・メイカーでもあるピート・ロックがラッパーのC.L.スムースと組んだ表現は、エレクトラから3作品リリースされている。うろ覚えで書いちゃうが、インパクトが強いのは1991年リリースの第一作。でも、1994年の3作目のギター音のジャジー&グルーヴィなサンプリン使用の様はイケてて、けっこう印象に残っている。って、1990年代半ばぐらいまでは、先端にある米国黒人音楽として、ヒップホップをそれなりにちゃんとぼくは追いかけていたのだな。ライムを追う(内容を吟味する)のが面倒くさいこともあり、もともとヒップホップを専門領域であると考えたことはないが、DJジャジー・ジェフ&フレッシュ・プリンスやATCQ、P.M.ドーンとかは昔CD解説を書いたことがある。それはともかく、サウンドの面白さがどんどん希薄になっていくような気がして(それは、サンプラー他の機器の発達と無縁ではないだろう〜やっぱりやっかいなほうが奇特なアイデアは生まれるし、トラック作りが容易になり才に欠ける人も前に出やすくなる〜)、徐々にぼくは熱心にヒップホップを追わなくなった。それは、トリップホップやドラムンベースなど、興味ひかれるサンプリング音楽が出て来たことも関係するか。あ、そこらへん“ロック耳”でヒップホップを聞いていたからかもしれない。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。ステージ後方に置かれたブースでDJをしながらラップもするピート・ロックと、前方中央に位置してラップするC.L.スムースの二人で、きっちりことにあたる。最初、ピート・ロックが出て来て音を出そうとするが、ラップトップのデーターを探しているのか、当初はずっとパッドをちまちまいじっていて無音。おお、雑というか無頓着というか。
基本は過去の財産によりかかったパフォーマンスだが、ビートにのる二人の肉声と過去だしたトラックのフックはやはり鼓舞する力あり。ピート・ロックは音出しもしなければならないため、C.L.スムースのほうが主ラッパーとなるが、最後のほうはピーロ・ロックも前に出て来て、全面的に肉声をぶちまける。おお、より野太い声を持つ彼の声とピート感のほうが、ぼくの好みであるのを再認識。そのピート・ロックのDJは随所で、けっこう荒い。そうなのか。ときに、歌モノ曲を素直に用いる場合もあり。マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」もそうで、その際は一緒に歌ってと、ピート・ロックが観客に要求。あははは。
1986年〜1993年ごろにかけての充実期〜末広がり期にあるヒップホップをさして“ゴールデン・エイジ”という呼称(一部、ミドル・スクールという言い方もあり)があるが、彼らはさすがゴールデン・エイジという印象も得たか。
<今日の、会話>
その後あった飲みで、今時の子供のアレルギーやアトピーの話になる。オレらガキのころ、そんな奴はいなかったよなー、と。もしかしたらいたのかも知れないが、そういう概念がまだ一般的に知られておらず、ただの身体や皮膚の弱い子として昔は片付けられていたのかもしれない。でも、いつの間にかそれほどレアな事項でなくなっているのは、生活環境、食生活習慣が変わったのが大きな要因ではないか、という話に落ち着く。まあ、アスベスト使用とかはあったが、今ほどケミカル処理の建材が用いられることはなかったろうし、こんなに添加物が食物に入ってもいなかったろう。コンビニもなかったし。そういう文明悪が導く負要素がまず親に蓄積し、そのツケが今の子供たちに回っている……。やっぱ、効率や上辺の利便性追求は歪みを生む、てな、もっともらしい結論に落ち着いたんだっけ。一堂、今日の話は高尚だねえなぞとも、言っていた? なんだかなあ。そうか、ぼくはあまりアレルギーとかまだそれほど問題になっていなかった時代のヒップホップが好きなのか?