じぇじぇじぇ。という流行り言葉は、こういう場合に用いるのか。ビッグ・Qの特別製公演は2部構成を持ち、休憩をいれてなんと4時間の尺。面々がステージを降りた(最後は出演者全員による「ウィー・アー・ザ・ワールド」)ときは23時10分だった。有楽町・東京国際フォーラムのホールA、この公共施設って、こんなに遅くまで使えるんだァ。ここで2日公演するうちの2日目で、満員。彼の来日公演としては32年ぶりのこととなる。

 一部(90分)は亀田誠治仕切りの、日本人たちによるクインシー・トリビュート。14人のハウス・バンド(ドラマーがいいなと、思った。それは第2部のジョン・ロビンソンを聞くと余計に)に、いろんなジャンルの人たちがいれかわり、立ち代わり。1部にフィーチャーされたのは、沖仁(2011年1月21日)、上妻宏光(2007年12月10日、他)、Miyavi、綾香、K、Juju、小野リサ(2011年7月10日)、小曽根真(2012年9月8日、他)、BoA、三浦大知、VERBAL、ゴスペラーズといった面々。で、クインシー絡みの楽曲を主に披露するのだが、シンガー曲だとマイケル・ジャクソン絡み曲の比率は高い。

 小曽根真(前日公演後、ジョーンズと午前2時半までお話をした。とMCで言っていた)は自分のビッグ・バンド、ノー・ネーム・ホーセズでの出演で、自分の曲をやる。彼にも、亀田が声をかけたらしい。いろんな部分で、その掌握の様、亀田誠治はすごいな。クインシーはステージ袖でそれらを全部見ており、ステージで彼に挨拶したり、帰り際にハグしたりする人もいる。彼のお眼鏡にかかった人はいたろうか。

 2部(2時間)はクインシー・ジョーンズ仕切りのインターナショナル編。グレッグ・フィリンゲインズ他の米国敏腕奏者たちのバンド(打楽器で参加のパウリーニョ・ダ・コスタとは、ジョイス公演があったコットンクラブですれ違った)に、ジェリー・ヘイがまとめる日本人によるホーン・セクションが加わり、ハウス・バンドとなる。冒頭の2曲はビッグ・バンド調で「エア・メイル・ルペシャル」と「キラー・ジョー」のジャズ有名曲を披露。
 
 以下、キュバー出身のアルフレッド・ロドリゲスのトリオ(2011年11月25日)、2001年生まれの米国人ピアニストのエミリー・ベア、1997年生まれスロヴァキア人ギタリストのアンドレアス・ヴァラディ、1994年カナダ生まれ歌手のニッキ・ヤノフスキー(2009年8月3日)、盲目の青年ピアニストのジャスティン・コフリン、アジア5カ国の女性歌手からなるLAベースのユニットのプラッシュ、ナイジェリア出身のR&B歌手のパーカー・イグヒルらが出て来て、演奏や歌を披露する。こちらのほう、随時クインシーはステージ上にニコニコいて、ときに指揮したり、MCをしたりもする。

 そして、「愛のコリーダ」からの後半1時間は、パティ・オースティン(2008年2月5日)、ジェイムス・イングラム、サイーダ・ギャレット(彼女はジャクソン曲をいろいろ歌う)というお馴染みの3人の歌手をフィーチャーする、山場パート。さすがに客が湧くし、華々しい。1曲は松田聖子も出て来て、パティ・オースティンとデュエットした。そして、本編最後の曲はジャズ有名曲「マンテカ」をインストでぶち噛ます。

 それにしても、出演者は1部と2部すべてあわせると100人近いのではないか。よく滞りなくショウが進んだと思う。80歳になったジョーンズはさすが歳をとったなあという感想を与えるが、彼が好奇心旺盛に、妙な先入観なしに、いろいろな事項に両手を広げてあたっていることがたっぷり伝わる出し物だったのは間違いがない。特に2部前半の世界各国の若手が出てくるパートに触れると、御大は若い子たちとやりとりを持つことが本当に好きであるのを痛感させられる。そういえば、1990年代後半にプロモーション来日したことがあって取材をしたが、その際は、まだハタチ前後であったろうR&B歌手のタミアを同行させていたよなあ。マイケル・ジャクソンをプロデュースしたとき、ジャクソンはすでにエスタブリッシュされていたけど、スタンスとしてはやはり同様であったのか、なんてことも思ってしまった。

 なお、この後、彼は第2部の出し物を広島でも披露したはず。

 順は逆になるが、昼間は外苑前・ブラジル大使館で、2本の映画を見る。昨日と同じように、秋に持たれるブラジル映画祭上映作品だ。

 映画「ゴンザーガ〜父から子へ〜」(ブレノ・シルヴェイラ監督)はブラジルの北東部の土着表現=バイアォンの王様と言われた、故ルイス・ゴンザーガ生誕100年にあわせて(なのかな)2012年に本国で公開された映画だ。ゴンザーガの息子のゴンザギーニャ(1945〜1991年)も人気シンガー・ソングタイターとなったが、父親/継母とそりが合わずに離れ、地力でミュージシャンとして大成したという経歴を息子は持つ。映画はずっと疎遠だった父と子が徐々に気持ちをかよわす課程を軸に、ゴンザーガの歩み/人間を浮かび上がらせる。役者たちはけっこう似ているし、とても達者。アーティストに対するリスペクトもある、よく出来た音楽映画と言える。一部は、仲直り後に親子共演したショウの模様など現実の映像も用い、リアリティをさりげなく持ち込んだりもしている。

 そして、映画「ウィルソン・シモナル〜スウィング! ダンス!! ブラジル!!!〜」は、1960年代にブラジルで大スターだった、少し数奇な歩みを持つ黒人歌手のドキュメンタリー。彼は人気絶頂のなか、1972年に軍事政権の諜報機関に協力した(とされた)ことで芸能界から抹殺され、1990年代には名誉回復したものの失意のためにお酒に溺れたことで体をやみ、62歳になった2000年に肝硬変で亡くなった。

 愛嬌にもあふれた彼がもっていたテレビ番組、シェル石油のTV-CF、怒濤の客の反応に驚くしかないコンサート映像など、大スターだけあって、映像マテリアルはいろいろ残されているよう。その映画タイトルに示唆されるように、彼はアメリカのジャズやポピュラー・ヴォーカル、ソウルやロックなどをブラジル情緒とクロスさせるとともに、米国のエンターテインメント流儀を最大級に取り入れることで、人気を得た人であるのが明快に伝わる。ダンスも出来るし、なんか1960年代ブラジルのマイケル・ジャクソンというノリもあった? とともに、この映画を見ると、ブラジル人って本当にアメリカ音楽が大好きなんだなとも、思い知らされる。映画には米国の大ジャズ歌手であるサラ・ヴォーンと共演する実演映像も出てくるが、英語で歌う彼に触れると、本当に耳がいい人なのだろうなというのが直裁に伝わって来た。

 一方、芸能界から総スカンを喰ったあたりの描写は説明不足。彼はプレスからも鬼のように叩かれたというが、そんなに当時のマスコミや音楽界はリベラルであったのか。軍事政権は検閲も行っていたとも聞くし。とともに、それほどブラジル人は一本気であり、全体主義的なところがあるの?

 彼の息子は、溌剌ソウル派のウィルソン・シモーニーニャ(2006年11月25日。そうなのダ、ゲストとはいえ、ブルーノート東京で見ることができたんだよなー)と弟のクラブ電脳派のマックス・ヂ・カストロで、もちろん彼らも思い出話を提供する。2人とも聞き所たっぷりの音楽をトラマ他から出していて、それに触れると逆引き的にシモナルの才の大きさも分るか。それから、シモナルと親しかったバイアグラの大好きなかつての大サッカー選手のペレのインタヴュー映像も出てくる。シモナルが名声をタテにサッカーのブラジル代表チームに帯同したあたりのエピソードは本当にブラジル人ぽい。ふふ。

 それにしても、ブラジル人音楽家って、二世が多いな。それに比すと、サッカー選手のほうはそうではもない。それって、運動能力のほうが遺伝しにくいことの証左になるのだろうか?

<今日の、ほう>
 昼間は蝉がうるさい。が、夜の帰宅時には、蝉の音とともに、もう秋虫(と、思ふ!)の鳴き声が聞こえるよー。