シルビア・ペレス・クルス
2019年10月10日 音楽 やったー。また、スペインの輝ける才能(2018年5月11日)が今年もやってきた。今回はピアニストのマルコ・メスキーダ(1987年生まれ)とのデュオによるもの。ここのところペレス・クルスは彼とのライヴを続けており、彼女の次のアルバムは、一環のツアーで抑えたものをソースとするライヴ・アルバムになるようだ。
まず、共演者のメスキーダがペレス・クルスに見合う奏者であることをすぐに了解。間(ま)を適切に抱えつつ、泉がこんこんと湧くような質感を持つ指さばきに深くうなずく。音のダイナミクスも、ブリリアント! ソロ・ピアノ作を複数出しているという事実にも大きく納得だな。フラメンコ・ギター奏者とのデュオ、モーリス・ラヴェル(バスク系フランス人ですね)曲をジャズ化したものまでいろんなアルバムを出してもいて、同国ジャズの希望の人であるというのもすぐに了解。というか、彼は米国のフレッシュ・サウンドからリーダー作も出していて、アメリカにも進出している。また、ステファーノ・ボラーニ(2006年11月3日、2007年5月14日)のトリオにも入っていたことがあるデンマーク人ベーシストのイェスパー・ボディルセンのトリオ作で弾いたこともあった。
そんな彼の伴奏のもと、ペレス・クルスは思うまま題材を探り、思うまま肉声を重ねる。その強弱のダイナミクスは弦楽五重奏を連れてきた前回ライヴ以上。今回はけっこう声を張り上げる局面もあり。英語曲はスタンダードの「マイ・ファニー・ヴェレンタイン」、サイモン&ガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」、レディオヘッド(2001年10月4日、2004年4月18日、2008年10月4日、2016年8月21日)の「ノー・サプライゼズ」の3つだったか。
先にピアノとのデュオと書いたが、数曲はペレス・クルスはアコースティック・ギターを弾きながら歌う。そして、会場にはグランド・ピアノとともにアップライト・ピアノが置かれており、メスキーダはくぐもった音色を持つそちらを弾く場合もあった。また、メスキーダがグランド、ペレス・クルスがアップライトを一緒に弾く場面もあり。
アンコールの1曲目は、メスキーダが4歳のときにおばあちゃんに買ってもらったというおもちゃのピアノを弾き、それに合わせて彼女は歌う。それが、先に触れたレディオヘッド曲でした。
片足は地元の大地を踏みしめ、もう片方は自由に、好奇心旺盛に外の世界に踏み出す。言葉にすると普通だが、彼女はそれをなんとも個性豊かに、鮮やかにやりきる。そんな素敵なことって、あるかい?
▶︎過去の、シルビア・ペレス・クルス
https://43142.diarynote.jp/201805121754429711/
▶︎過去の、ステファーノ・ボラーニ
https://43142.diarynote.jp/200611071310280000/
https://43142.diarynote.jp/200705181811010000/
▶過去の、レディオヘッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200404180058130000/
http://43142.diarynote.jp/200810061856366600/
https://43142.diarynote.jp/201608241301049887/
<今日の、真心>
そっちの方でも、破格というしかないものを2人は出していた。「今日は来てくれてありがとう。日本語ができなくごめんなさい」云々というMCをまず冒頭にするし、その発言の機会はメスキーダーにも与えられた。そして、そんなここでライヴをできてうれしいっというヴァイブは公演中終始満ちていた。アンコールの2曲めはメスキーダの曲で、歌詞は冒頭の日本語MCに近いものをメロディに乗せる日本語曲だった。彼女たちは今回の東京公演に際し、ポスト・カードを印刷してきて、終演後にはそれを配った。
そんな真心と才能が呼応しあう公演に触れながら、この編成で出る予定にあるライヴ盤に、ブルーノート東京のソースが数多く収録されないものかと思う。とともに、メスキーニのリーダー公演ももたれたりはしないだろうか。少しクラシック臭が出るところは好みが分かれるかもしれないが、聞きてー。
まず、共演者のメスキーダがペレス・クルスに見合う奏者であることをすぐに了解。間(ま)を適切に抱えつつ、泉がこんこんと湧くような質感を持つ指さばきに深くうなずく。音のダイナミクスも、ブリリアント! ソロ・ピアノ作を複数出しているという事実にも大きく納得だな。フラメンコ・ギター奏者とのデュオ、モーリス・ラヴェル(バスク系フランス人ですね)曲をジャズ化したものまでいろんなアルバムを出してもいて、同国ジャズの希望の人であるというのもすぐに了解。というか、彼は米国のフレッシュ・サウンドからリーダー作も出していて、アメリカにも進出している。また、ステファーノ・ボラーニ(2006年11月3日、2007年5月14日)のトリオにも入っていたことがあるデンマーク人ベーシストのイェスパー・ボディルセンのトリオ作で弾いたこともあった。
そんな彼の伴奏のもと、ペレス・クルスは思うまま題材を探り、思うまま肉声を重ねる。その強弱のダイナミクスは弦楽五重奏を連れてきた前回ライヴ以上。今回はけっこう声を張り上げる局面もあり。英語曲はスタンダードの「マイ・ファニー・ヴェレンタイン」、サイモン&ガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」、レディオヘッド(2001年10月4日、2004年4月18日、2008年10月4日、2016年8月21日)の「ノー・サプライゼズ」の3つだったか。
先にピアノとのデュオと書いたが、数曲はペレス・クルスはアコースティック・ギターを弾きながら歌う。そして、会場にはグランド・ピアノとともにアップライト・ピアノが置かれており、メスキーダはくぐもった音色を持つそちらを弾く場合もあった。また、メスキーダがグランド、ペレス・クルスがアップライトを一緒に弾く場面もあり。
アンコールの1曲目は、メスキーダが4歳のときにおばあちゃんに買ってもらったというおもちゃのピアノを弾き、それに合わせて彼女は歌う。それが、先に触れたレディオヘッド曲でした。
片足は地元の大地を踏みしめ、もう片方は自由に、好奇心旺盛に外の世界に踏み出す。言葉にすると普通だが、彼女はそれをなんとも個性豊かに、鮮やかにやりきる。そんな素敵なことって、あるかい?
▶︎過去の、シルビア・ペレス・クルス
https://43142.diarynote.jp/201805121754429711/
▶︎過去の、ステファーノ・ボラーニ
https://43142.diarynote.jp/200611071310280000/
https://43142.diarynote.jp/200705181811010000/
▶過去の、レディオヘッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200404180058130000/
http://43142.diarynote.jp/200810061856366600/
https://43142.diarynote.jp/201608241301049887/
<今日の、真心>
そっちの方でも、破格というしかないものを2人は出していた。「今日は来てくれてありがとう。日本語ができなくごめんなさい」云々というMCをまず冒頭にするし、その発言の機会はメスキーダーにも与えられた。そして、そんなここでライヴをできてうれしいっというヴァイブは公演中終始満ちていた。アンコールの2曲めはメスキーダの曲で、歌詞は冒頭の日本語MCに近いものをメロディに乗せる日本語曲だった。彼女たちは今回の東京公演に際し、ポスト・カードを印刷してきて、終演後にはそれを配った。
そんな真心と才能が呼応しあう公演に触れながら、この編成で出る予定にあるライヴ盤に、ブルーノート東京のソースが数多く収録されないものかと思う。とともに、メスキーニのリーダー公演ももたれたりはしないだろうか。少しクラシック臭が出るところは好みが分かれるかもしれないが、聞きてー。
恵比寿・東京都写真美術館で、日本とポーランド国交樹立100周年を記念して企画された展を見る。「しなやかな闘い ポーランド女性作家と映像 1970年代から現在へ」という表題に示されているように、50年近く前からの、ポーランド人女性による映像作品を展示する。8月から持たれ来週まで続く出し物だが、平日であるにも関わらず、けっこう人が入っていて驚く。当然、途中に民主化を挟むわけだが、結構な数の展示がなされたいた。
民主化前からポーランドには刮目すべきポップ・カルチャー調のアート感覚を持つ人が少なくなかったとぼくは思っており、そういうものを少し期待していったのだが、内容は違っていた。どの時代のものにせよ、アヴァンギャルド目。冷笑的な視点や諧謔を抱えもし、そういう作風は民主化前のものも同様だ。そして、トーンが暗めというのも、少なくてもここに集められたものについては指摘することができる。飛ばし気味に見たが、じっくり吟味しようと思ったら、けっこう時間がかかるだろうなー。
そのあとは、スウェーデン大使館のアルフレッド・ノーベル・オーディトリアムでの催しを見る。普段行くのは大使公邸のほうだったが、大使館のメインの建物には小ホールのようなものがあるのだな。
まず、ヴァイオリンと歌のダニエル・ヴィクスルンドがにこにことパフォーマンス。ヴァイオリンは複音弓弾きとピチカートの併用を見せ、ヴォーカル曲の場合は英語の曲が多かった。事前の案内にヨイクの文字があったので、その系統にいる人なのかと思ったら、そうではまったくあらず。トラッドを自分の感覚で、足のストンプ音込みで、ウィティに披露していた。
その後は、サーミ民族学者であるというエリーナ・ニーゴードによる、映像を介してのレクチャー。彼女は民族衣装っぽい服を着て、おおらかにことを進める。極寒の先住民族であるサーミの説明をする際、彼女は日本だと北海道のアイヌのような存在と説明。残念ながら、独特の歌唱を抱えるサーミ人の民謡であるヨイクについてはほぼ言及されなかった。
▶︎過去の、ヨイク関連アーティスト
https://43142.diarynote.jp/201007081547031840/
https://43142.diarynote.jp/201001201250553549/
https://43142.diarynote.jp/201610241405267224/ アルヴァス
https://43142.diarynote.jp/201810031028426328/
<今日の、取材>
午後一から、リムデン(2019年10月7日)の3人にインタヴュー。一緒にやらないと声をかけたのはブッゲ・ヴェッセルトフトであったそう。リムデンの第一作において3者連名になっているフリーフォーム曲(1曲め)以外は、3人がそれぞれ曲を出しあっている。E.S.T.時代はピアニストの故エスビョルン・スヴェンソンの曲をやっていたので、自分たちも曲を出せるのはうれしいとのこと。個別の活動のことも聞いたが、ブッゲが前に女性バンドを率いたのは、「ジャズ界は男社会で、なかなか女性は出られない。その状況を僕は少しでも変えたかった」。おお、格好いい発言じゃん。ジャズランドはビーディ・ベルとか、女性にも門戸を開いていた。
▶︎過去の、リムデン
https://43142.diarynote.jp/201910081218288479/
▶︎ブッゲ・ヴェッセルトフトの女性バンド
https://43142.diarynote.jp/201610110957506440/
https://43142.diarynote.jp/201701301326224033/ ドラマーはトゥーレ・ブルンボルグの娘だった
▶︎過去の、ビーディ・ベル
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm ブッゲの項
民主化前からポーランドには刮目すべきポップ・カルチャー調のアート感覚を持つ人が少なくなかったとぼくは思っており、そういうものを少し期待していったのだが、内容は違っていた。どの時代のものにせよ、アヴァンギャルド目。冷笑的な視点や諧謔を抱えもし、そういう作風は民主化前のものも同様だ。そして、トーンが暗めというのも、少なくてもここに集められたものについては指摘することができる。飛ばし気味に見たが、じっくり吟味しようと思ったら、けっこう時間がかかるだろうなー。
そのあとは、スウェーデン大使館のアルフレッド・ノーベル・オーディトリアムでの催しを見る。普段行くのは大使公邸のほうだったが、大使館のメインの建物には小ホールのようなものがあるのだな。
まず、ヴァイオリンと歌のダニエル・ヴィクスルンドがにこにことパフォーマンス。ヴァイオリンは複音弓弾きとピチカートの併用を見せ、ヴォーカル曲の場合は英語の曲が多かった。事前の案内にヨイクの文字があったので、その系統にいる人なのかと思ったら、そうではまったくあらず。トラッドを自分の感覚で、足のストンプ音込みで、ウィティに披露していた。
その後は、サーミ民族学者であるというエリーナ・ニーゴードによる、映像を介してのレクチャー。彼女は民族衣装っぽい服を着て、おおらかにことを進める。極寒の先住民族であるサーミの説明をする際、彼女は日本だと北海道のアイヌのような存在と説明。残念ながら、独特の歌唱を抱えるサーミ人の民謡であるヨイクについてはほぼ言及されなかった。
▶︎過去の、ヨイク関連アーティスト
https://43142.diarynote.jp/201007081547031840/
https://43142.diarynote.jp/201001201250553549/
https://43142.diarynote.jp/201610241405267224/ アルヴァス
https://43142.diarynote.jp/201810031028426328/
<今日の、取材>
午後一から、リムデン(2019年10月7日)の3人にインタヴュー。一緒にやらないと声をかけたのはブッゲ・ヴェッセルトフトであったそう。リムデンの第一作において3者連名になっているフリーフォーム曲(1曲め)以外は、3人がそれぞれ曲を出しあっている。E.S.T.時代はピアニストの故エスビョルン・スヴェンソンの曲をやっていたので、自分たちも曲を出せるのはうれしいとのこと。個別の活動のことも聞いたが、ブッゲが前に女性バンドを率いたのは、「ジャズ界は男社会で、なかなか女性は出られない。その状況を僕は少しでも変えたかった」。おお、格好いい発言じゃん。ジャズランドはビーディ・ベルとか、女性にも門戸を開いていた。
▶︎過去の、リムデン
https://43142.diarynote.jp/201910081218288479/
▶︎ブッゲ・ヴェッセルトフトの女性バンド
https://43142.diarynote.jp/201610110957506440/
https://43142.diarynote.jp/201701301326224033/ ドラマーはトゥーレ・ブルンボルグの娘だった
▶︎過去の、ビーディ・ベル
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm ブッゲの項
タランティーノの2019年長時間映画をやっと見る。渋谷・シネクイント。さすが公開されて2ヶ月たつため、会場は空いていた。なるほど、こんなん。おもしろい。傾向はぜんぜん違うけど昔のLAを扱ったデイミアン・チャゼル監督の映画「ラ・ラ・ランド」は駄作だったとも、改めて思わせられた。ほのぼのした終わり方にもおおいに拍手。
1969年のハリウッド/LAの人間模様を史実をうまく(いや、うますぎる)織り込んだ作品だが、メッセージ性を抱えず、クスクスさせるところを盛り込みながら、見せきるのは素晴らしい。あ、アメリカなんてクソだが、でもおもしろい。って、思いは投影されている? しかし、チャールズ・マンソン事件をああいう風に盛り込んでしまうとは。1969年って、タランティーノは小学校に入るかという時期だったが、そのころの記憶の断片をつないでいるところもあるのか。彼が南部からLAに引っ越したのは1971年だった。
しかし、マーティン・スコセッシのとっても完成度の高いわちゃくちゃ作「ウルフ・オブ・ウォールストリート」の怪演にも頷いたが、主演のレオナルド・ディカプリオはいい監督からの評価が高いんだな。音楽はカー・ラジオやレコード・プレイヤーから流れる音楽が主で、とうぜん当時のポップ・ソングが使われる。サイモン&ガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」やディープ・パープル(2005年8月13日、2006年5月21日)の「ハッシュ」(ともに、1968年のヒット曲)、他。レトロな曲調のものがおおいのは、タランティーノの趣味? 自動車好きは、古い車群に目が釘付け?
▶過去の、ディープ・パープル
http://43142.diarynote.jp/200508152007550000/
http://43142.diarynote.jp/200605231801250000/
その後は、音楽ライヴのお時間。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
現代音響ジャズの先駆者と間違いなく言える存在が、1990年代から独創的な活動を鋭意標榜したスウェーデンのピアノ・トリオであるE.S.T. (2003年6月17日、2007年1月13日)だった。彼らが解散したのは、ピアニストのエスビョルン・スヴェンソン(そのグループ名はエスビョルン・スヴェンソン・トリオの略で、当初はその名前で活動していた)が2008年6月14日に亡くなってしまったからだった。その後、残されたダブル・ベース奏者のダン・ベルグルンド とドラマーのマグヌス・オストロムはそれぞれにいろんな活動してきている(ともに、ACTからリーダー作を出してもいる)が、なんとノルウェーの電化ジャズの顔役であるピアノ/キーボード奏者のブッゲ・ヴェッセルトフト(2001年5月27日、2002年5月8日、2008年9月21日、2010年1月24日、2012年4月29日、2016年10月4日)とリムデンという名前のトリオを結成してしまうとは!
ふうむ、これは大ありだよなあ。実は、ベルグルンドとヴェッセルトフトはドイツのハウス系制作者のヘンリク・シュワルツと3人連名で2014年に『Trialogue』というアルバムをヴェッセルトフトが主宰するジャズランドから出していて、その助走はなくもなかったわけだが。ときにE.S.T.流れのものとしては、ダン・ベルグルンドとマグヌス・オストロムがとフィンランド人ピアニストのイーロ・ランタラ(トリオ・トウケアットの活動で知られる)を擁してE.S.T.曲をストックホルム・フィルハーモニック・オーケストラ付きで開いたアルバムを2016年に出しており、また2005年5月20日のロンドン公演が2枚組で2018年に蔵出しリリースされたりもしている。また、2012年にも昔の豪州録音のスタジオ作『301』が出されたこともあり、その存在を今も忘れていない人は少なくないと思われる。一方、ヴェッセルトフトはノルウェーの人気DJであるプリンス・トーマスとの双頭作やB4やR5やディランやバッハらの曲を扱うピアノ爪弾きカヴァー・アルバム『Everybody Loves Angels』(ACT,2017)を出している。
なんでも、3人はリムデンとして2017年からライヴを行ってきているというが、アルバム『リフレクションズ&オデッセイズ』(ジャズランド。日本のモークラウド盤はライヴのボーナス曲を収録)リリースを期に来日した。そしたら、なにげにアルバムとは別な行き方、この3人による“この晩、このとき”と言える演奏をきかせてくれて頷く。ゆえに、自在に流れていき、けっこうアブストラクトな面を出してもいた。ジャズはそうでなくっちゃ。セカンド・ショウはまた違ったものになったんじゃないか。ステージ背景には、デジタル感覚の強い鮮やかな映像が音楽に合わせて映されていた。
まず、印象に残ったのは、アルバムよりアコースティック感覚が強い方向性をとっていたこと。電気ピアノやシンセサイザーも場合によっては弾いたものの、ヴェッセルトフトはピアノを弾く時間が長く、またその演奏が耳を引いた。ほう、やっぱし確かぢゃん。過去の電気キーボードを弾く際の彼はハービー・ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日、2014年9月7日、2015年9月6日、2016年9月3日、2018年9月1日)趣味を出したりもするのだが、今回はそれもなし。また、E.S.T.時代には過剰にエフェクターをかけてギターみたいな音も出していたがダン・ベルグルンドであったが(リムデンのアルバムの曲でも1つ、そういうのあり)、それはなし。2曲ではかなり弓引きを聞かせ、終盤曲の和音を多用したソロは個性が横溢。そして、マグヌス・オストロムのドラミングだが、手数が多いことにおお。なるほど。かつのE.S.T.が持つロックっぽさは彼が担っていたところもあったのか。彼がMCも軽快に担った。
▶過去の、E.S.T.
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/200701141431470000/
https://43142.diarynote.jp/200806180852480000/ エスビョルン・スヴェンソンの逝去に触れた文章
▶︎過去の、ブッゲ・ベッセルトフト
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-5.htm
http://43142.diarynote.jp/200809231132339668/
http://43142.diarynote.jp/201001251710004302/
http://43142.diarynote.jp/201205080620235237/
https://43142.diarynote.jp/201610110957506440/
▶過去の、ハービー・ハンコック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903
https://43142.diarynote.jp/201809051532324111/
<今日の、雲行き>
ライヴ会場を出ると、雨。出口にお持ち帰り傘が置かれていて、ありがたやー。そして、和食屋、焼き鳥ならぬ焼きジビエ屋をハシゴしたのだが、ともに外国人客がいる。とくに、人気店である前者は客の3分の2は外国人だった。値段安くはないのに、彼らポンポン頼んでいるなあ。まあ、日本は外食代は欧米と比して安価なのは間違いないけど。今度の連休も台風が来ると言われているが、観光客にとってみたら、それと合致したらサイアクだと、ふと思いは飛ぶ。そういえば、千葉に多大な被害をもたらし、成田空港を一時陸の孤島にした台風15号上陸から1ヶ月たった今も被害はいまだ身近なところでも目につく。うちのマンションの入り口の損傷を受けたドアはまだ交換されていなし(在庫がないのかな)、近所の高層ビルに入っているスーパーの側面ガラスにはいまだテープが無様にベカーっと貼られている。
1969年のハリウッド/LAの人間模様を史実をうまく(いや、うますぎる)織り込んだ作品だが、メッセージ性を抱えず、クスクスさせるところを盛り込みながら、見せきるのは素晴らしい。あ、アメリカなんてクソだが、でもおもしろい。って、思いは投影されている? しかし、チャールズ・マンソン事件をああいう風に盛り込んでしまうとは。1969年って、タランティーノは小学校に入るかという時期だったが、そのころの記憶の断片をつないでいるところもあるのか。彼が南部からLAに引っ越したのは1971年だった。
しかし、マーティン・スコセッシのとっても完成度の高いわちゃくちゃ作「ウルフ・オブ・ウォールストリート」の怪演にも頷いたが、主演のレオナルド・ディカプリオはいい監督からの評価が高いんだな。音楽はカー・ラジオやレコード・プレイヤーから流れる音楽が主で、とうぜん当時のポップ・ソングが使われる。サイモン&ガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」やディープ・パープル(2005年8月13日、2006年5月21日)の「ハッシュ」(ともに、1968年のヒット曲)、他。レトロな曲調のものがおおいのは、タランティーノの趣味? 自動車好きは、古い車群に目が釘付け?
▶過去の、ディープ・パープル
http://43142.diarynote.jp/200508152007550000/
http://43142.diarynote.jp/200605231801250000/
その後は、音楽ライヴのお時間。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
現代音響ジャズの先駆者と間違いなく言える存在が、1990年代から独創的な活動を鋭意標榜したスウェーデンのピアノ・トリオであるE.S.T. (2003年6月17日、2007年1月13日)だった。彼らが解散したのは、ピアニストのエスビョルン・スヴェンソン(そのグループ名はエスビョルン・スヴェンソン・トリオの略で、当初はその名前で活動していた)が2008年6月14日に亡くなってしまったからだった。その後、残されたダブル・ベース奏者のダン・ベルグルンド とドラマーのマグヌス・オストロムはそれぞれにいろんな活動してきている(ともに、ACTからリーダー作を出してもいる)が、なんとノルウェーの電化ジャズの顔役であるピアノ/キーボード奏者のブッゲ・ヴェッセルトフト(2001年5月27日、2002年5月8日、2008年9月21日、2010年1月24日、2012年4月29日、2016年10月4日)とリムデンという名前のトリオを結成してしまうとは!
ふうむ、これは大ありだよなあ。実は、ベルグルンドとヴェッセルトフトはドイツのハウス系制作者のヘンリク・シュワルツと3人連名で2014年に『Trialogue』というアルバムをヴェッセルトフトが主宰するジャズランドから出していて、その助走はなくもなかったわけだが。ときにE.S.T.流れのものとしては、ダン・ベルグルンドとマグヌス・オストロムがとフィンランド人ピアニストのイーロ・ランタラ(トリオ・トウケアットの活動で知られる)を擁してE.S.T.曲をストックホルム・フィルハーモニック・オーケストラ付きで開いたアルバムを2016年に出しており、また2005年5月20日のロンドン公演が2枚組で2018年に蔵出しリリースされたりもしている。また、2012年にも昔の豪州録音のスタジオ作『301』が出されたこともあり、その存在を今も忘れていない人は少なくないと思われる。一方、ヴェッセルトフトはノルウェーの人気DJであるプリンス・トーマスとの双頭作やB4やR5やディランやバッハらの曲を扱うピアノ爪弾きカヴァー・アルバム『Everybody Loves Angels』(ACT,2017)を出している。
なんでも、3人はリムデンとして2017年からライヴを行ってきているというが、アルバム『リフレクションズ&オデッセイズ』(ジャズランド。日本のモークラウド盤はライヴのボーナス曲を収録)リリースを期に来日した。そしたら、なにげにアルバムとは別な行き方、この3人による“この晩、このとき”と言える演奏をきかせてくれて頷く。ゆえに、自在に流れていき、けっこうアブストラクトな面を出してもいた。ジャズはそうでなくっちゃ。セカンド・ショウはまた違ったものになったんじゃないか。ステージ背景には、デジタル感覚の強い鮮やかな映像が音楽に合わせて映されていた。
まず、印象に残ったのは、アルバムよりアコースティック感覚が強い方向性をとっていたこと。電気ピアノやシンセサイザーも場合によっては弾いたものの、ヴェッセルトフトはピアノを弾く時間が長く、またその演奏が耳を引いた。ほう、やっぱし確かぢゃん。過去の電気キーボードを弾く際の彼はハービー・ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日、2014年9月7日、2015年9月6日、2016年9月3日、2018年9月1日)趣味を出したりもするのだが、今回はそれもなし。また、E.S.T.時代には過剰にエフェクターをかけてギターみたいな音も出していたがダン・ベルグルンドであったが(リムデンのアルバムの曲でも1つ、そういうのあり)、それはなし。2曲ではかなり弓引きを聞かせ、終盤曲の和音を多用したソロは個性が横溢。そして、マグヌス・オストロムのドラミングだが、手数が多いことにおお。なるほど。かつのE.S.T.が持つロックっぽさは彼が担っていたところもあったのか。彼がMCも軽快に担った。
▶過去の、E.S.T.
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/200701141431470000/
https://43142.diarynote.jp/200806180852480000/ エスビョルン・スヴェンソンの逝去に触れた文章
▶︎過去の、ブッゲ・ベッセルトフト
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-5.htm
http://43142.diarynote.jp/200809231132339668/
http://43142.diarynote.jp/201001251710004302/
http://43142.diarynote.jp/201205080620235237/
https://43142.diarynote.jp/201610110957506440/
▶過去の、ハービー・ハンコック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
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https://43142.diarynote.jp/201809051532324111/
<今日の、雲行き>
ライヴ会場を出ると、雨。出口にお持ち帰り傘が置かれていて、ありがたやー。そして、和食屋、焼き鳥ならぬ焼きジビエ屋をハシゴしたのだが、ともに外国人客がいる。とくに、人気店である前者は客の3分の2は外国人だった。値段安くはないのに、彼らポンポン頼んでいるなあ。まあ、日本は外食代は欧米と比して安価なのは間違いないけど。今度の連休も台風が来ると言われているが、観光客にとってみたら、それと合致したらサイアクだと、ふと思いは飛ぶ。そういえば、千葉に多大な被害をもたらし、成田空港を一時陸の孤島にした台風15号上陸から1ヶ月たった今も被害はいまだ身近なところでも目につく。うちのマンションの入り口の損傷を受けたドアはまだ交換されていなし(在庫がないのかな)、近所の高層ビルに入っているスーパーの側面ガラスにはいまだテープが無様にベカーっと貼られている。
渡辺貞夫 “TIME AFTER TIME”
2019年10月6日 音楽 アルト・サックス奏者の渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日、2017年10月8日、2017年12月16日、2018年5月28日、2018年9月2日、2018年10月6日、2018年12月15日、2019年8月6日)による毎年恒例の食事付きの丸の内・コットンクラブ公演は、日本人のワーキング・バンドによるもの。海外から呼ぶゲスト・シンガーもおらず、ここのところでは一番シンプルな設定であると言える。
ピアノの林正樹(2013年9月6日、2015年9月27日、2015年12月17日、2016年7月16日、2018年5月13日 、2019年1月7日)、ダブル・ベースに専念するコモブチキイチロウ(2011年1月21日、2012年4月10日、2012年11月10日、2012年11月25日、2013年7月10日、2013年7月27日 、2018年10月6日)、ドラムの竹村一哲(2016年9月27日、2018年3月27日、2018年9月2日)、パーカッションのンジャセ・ニャン(2006年10月4日、2013年9月29日、2014年10月5日、2016年10月11日)がバンドの面々だ。
御大が現在もっとも信頼する日本に住むミュージシャンたちとのギグであり、そのカルテットのみで繰り広げられたということで、今の渡辺貞夫の自然体の姿勢のようなものが出た公演と言えそう。「サイクリング」で始まりアンコールの林とデュオで披露された「カリニョーゾ」(近年、エンディング曲に採用される度合いが一番高い曲と言える)まで2部構成で20曲弱披露されたが、意外な(最近やらなかった)曲もあったし、スタンダードと紹介しやった曲もあった。
一応、アコースティック・ジャズ仕立てなんだが、一番ジャズにフォーカスした活動をしている(&この中では一番若い)竹村以外はジャズ以外の素養も山ほど抱えたミュージシャンであり、いろんな凸凹や余白を抱えた演奏内容であり、普通のジャズはやらないぞという意思もまた出ていたと指摘できる。林とコモブチがテーマ部でコーラスを取る曲が2曲、ニャンが歌う曲も2曲(うち、1曲は重なる)、それらはいい変化球となっていた。
▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 6日
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000/
http://43142.diarynote.jp/200610080946310000/
http://43142.diarynote.jp/200712171350530000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200907310048137248/
http://43142.diarynote.jp/200909120646397236/
http://43142.diarynote.jp/201107111008176019/
http://43142.diarynote.jp/201207031353196616/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201304031026406106/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
http://43142.diarynote.jp/201310050701201281/
http://43142.diarynote.jp/201407091243129270/
http://43142.diarynote.jp/201410061850124929/
http://43142.diarynote.jp/201412281017371613/
http://43142.diarynote.jp/201512151504068292/
http://43142.diarynote.jp/201607100827363436/
http://43142.diarynote.jp/201609201032322395/
http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/
http://43142.diarynote.jp/201612171245154424/
http://43142.diarynote.jp/201710121700178187/
http://43142.diarynote.jp/201712181015052794/
http://43142.diarynote.jp/201805290906425481/
http://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
http://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
http://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
https://43142.diarynote.jp/201812201004266842/
https://43142.diarynote.jp/201908071557182844/
▶過去の、林正樹
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/201512271306411506
http://43142.diarynote.jp/201607191312426603/
https://43142.diarynote.jp/201805150750157494/
https://43142.diarynote.jp/201901090933013218/
▶︎過去の、コモブチキイチロウ
http://43142.diarynote.jp/201101231224498510/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120410
http://43142.diarynote.jp/?day=20121110
http://43142.diarynote.jp/?day=20121125
http://43142.diarynote.jp/?day=20130710
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
▶︎過去の、竹村一哲
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
https://43142.diarynote.jp/201803281101075372/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
▶︎過去の、ンジャセ・ニャン
https://43142.diarynote.jp/200610080946310000/
https://43142.diarynote.jp/201310050701201281/
https://43142.diarynote.jp/201410061850124929/
https://43142.diarynote.jp/201610141747514263/
<今日の、訃報>
ジャズ・ドラマー/UKブルース・ドラマー/ロック・ドラマー(クリームのメンバーとして著名)/貿易商であった、ジンジャー・ベイカー(2012年11月21日)が10月6日に亡くなった。ここ数年、かなり健康状態が悪かったらしい。少年期は不良でありつつツール・ド・フランスに出ることが夢の自転車小僧、その夢が破れ、運動神経のいいベイカーはドラムに邁進した。彼はアフリカ音楽にも興味を持ち、ラゴスに乗り込みフェラ・クティともっとも早く共演盤を作った西欧のミュージシャンだった。すでに同地とのパイプを持っていた彼はポール・マッカートニー(2018年10月31日)のラゴスのEMI スタジオ録音の大ヒット作『バンド・オンザ・ラン』(アップル、1973年)の準備に助言したとも言われる。なるほどなあ、劣悪な環境だったと言われるナイジェリア録音(帰国後、ロンドンのエアー・スタジオなどでけっこう追加録音された)の成り立ちは他とは大きく違う。1939年8月19日ロンドン郊外生まれ、80才でした。
▶︎過去の、ジンジャー・ベイカー
https://43142.diarynote.jp/201211231437358985/ その様、興味深すぎ
▶︎過去の、ポール・マッカートニー
https://43142.diarynote.jp/201811011655349966/
ピアノの林正樹(2013年9月6日、2015年9月27日、2015年12月17日、2016年7月16日、2018年5月13日 、2019年1月7日)、ダブル・ベースに専念するコモブチキイチロウ(2011年1月21日、2012年4月10日、2012年11月10日、2012年11月25日、2013年7月10日、2013年7月27日 、2018年10月6日)、ドラムの竹村一哲(2016年9月27日、2018年3月27日、2018年9月2日)、パーカッションのンジャセ・ニャン(2006年10月4日、2013年9月29日、2014年10月5日、2016年10月11日)がバンドの面々だ。
御大が現在もっとも信頼する日本に住むミュージシャンたちとのギグであり、そのカルテットのみで繰り広げられたということで、今の渡辺貞夫の自然体の姿勢のようなものが出た公演と言えそう。「サイクリング」で始まりアンコールの林とデュオで披露された「カリニョーゾ」(近年、エンディング曲に採用される度合いが一番高い曲と言える)まで2部構成で20曲弱披露されたが、意外な(最近やらなかった)曲もあったし、スタンダードと紹介しやった曲もあった。
一応、アコースティック・ジャズ仕立てなんだが、一番ジャズにフォーカスした活動をしている(&この中では一番若い)竹村以外はジャズ以外の素養も山ほど抱えたミュージシャンであり、いろんな凸凹や余白を抱えた演奏内容であり、普通のジャズはやらないぞという意思もまた出ていたと指摘できる。林とコモブチがテーマ部でコーラスを取る曲が2曲、ニャンが歌う曲も2曲(うち、1曲は重なる)、それらはいい変化球となっていた。
▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 6日
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
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▶過去の、林正樹
http://43142.diarynote.jp/201309121810294280/
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▶︎過去の、コモブチキイチロウ
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▶︎過去の、竹村一哲
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
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▶︎過去の、ンジャセ・ニャン
https://43142.diarynote.jp/200610080946310000/
https://43142.diarynote.jp/201310050701201281/
https://43142.diarynote.jp/201410061850124929/
https://43142.diarynote.jp/201610141747514263/
<今日の、訃報>
ジャズ・ドラマー/UKブルース・ドラマー/ロック・ドラマー(クリームのメンバーとして著名)/貿易商であった、ジンジャー・ベイカー(2012年11月21日)が10月6日に亡くなった。ここ数年、かなり健康状態が悪かったらしい。少年期は不良でありつつツール・ド・フランスに出ることが夢の自転車小僧、その夢が破れ、運動神経のいいベイカーはドラムに邁進した。彼はアフリカ音楽にも興味を持ち、ラゴスに乗り込みフェラ・クティともっとも早く共演盤を作った西欧のミュージシャンだった。すでに同地とのパイプを持っていた彼はポール・マッカートニー(2018年10月31日)のラゴスのEMI スタジオ録音の大ヒット作『バンド・オンザ・ラン』(アップル、1973年)の準備に助言したとも言われる。なるほどなあ、劣悪な環境だったと言われるナイジェリア録音(帰国後、ロンドンのエアー・スタジオなどでけっこう追加録音された)の成り立ちは他とは大きく違う。1939年8月19日ロンドン郊外生まれ、80才でした。
▶︎過去の、ジンジャー・ベイカー
https://43142.diarynote.jp/201211231437358985/ その様、興味深すぎ
▶︎過去の、ポール・マッカートニー
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同フェスの中日。渋谷・LUSH。
*サンティアゴ・バレンシア(チリ)
グループかと思ったら、個人+キボードレスのバンドのよう。英語圏のポップ・ロックに影響を受けたスペイン語曲を陽性に披露。やはり、どこかスペイン語から導かれるうれしい情緒あり。まだ曲つくりのパターンを確立していないのか、ブルース・コードの曲も二つあった。ギタリストがテレキャスターをピックを使わず弾いていて、イエイ。
*ニコラ・ソン(ブラジル/フランス)
アルメニアン・ルーツを持ち、5年間のリオデジャネイロ居住を持つ在フランスのシンガーソングライター。ちゃんと会得しているブラジリアン・ミュージック味と今の環境を併置したことをする。開演前にサウンド・チェックのため1曲やったら、聞き味良しで場内がけっこう聞き入り、「これはリハーサルなんだよ」と告げ、一度引っ込む。ギターをつまびきながら歌う本人に、ベーシスト、ドラマー、アルト/テナー・サックス奏者がつく。そのサポート奏者は日本で用意された(ドラマーは日本に住むブラジル人のよう)が、過不足ない音をつけていた。ポルトガル語とフランス語の曲あり。2019年最新シングルの「A Pura Essência da Malemolência」は、メロウさとグルーヴィさを巧みに持つ好曲だ。ヴィニシウス・ジ・モライスとトッキーニョが作った曲も披露。事前にマネージメントから 日本に行くのでよろしくねーとのメールを受けていて、終演後に挨拶。彼はこの後、ニュージーランドに行き、けっこうな数のギグを持つ。
*Escalera al Cielo(日本)
日本人ギター奏者の2人組で、フラメンコ・ギターをベースに置くインストゥルメンタルを聞かせていた。ロドリーゴ・イ・ガブリエーラを思い出させるところ、あり? あのメキシコ人たちの表現が苦手なぼくは……。少し見て、外で立ち話し。
*マレオ(チリ)
男性ヴォーカル(ギターを弾くときもあり)、女性補助ヴォーカル、女性キーボード,鍵盤ベース/エレクトリック・ベース、ドラムの陣容にて事に当たる。誰が出しているか分からなかったが、一部仕込み音も使っていたか。キッチュな、スペイン語のビート・ポップを展開。
<今日の、そうなんだよなあ>
ライヴに行く前、渋谷で知人と会い、飲んでから会場に向かう。その際、スクランブル交差点の混み具合にびっくり。なんか、観光客目線になっちゃたよー。で、出演者4つを見たあと、渋谷の馴染みのバーを2軒流れたのだが、改めて外国人が多いのを認識。最初の店には東南アジアのグループがいて、それと入れ替わるように入ってきたのがスウェーデン人のグループ。また、その後には米国人が1人で入ってきた。そいつは隣に座ったので、どうしてこの店に入ったのと問えば、ここら辺を歩いていて入りたくなった……。次の店にも、アメリカ人の客がいた。まあ、それとは関係はないが、いま日本観光のガイド・ブックに夏季は常軌を逸した多湿(←こっちのほうが問題だと思う)/高温であるため、訪日を避けるべき、という記載はないだろうか?
*サンティアゴ・バレンシア(チリ)
グループかと思ったら、個人+キボードレスのバンドのよう。英語圏のポップ・ロックに影響を受けたスペイン語曲を陽性に披露。やはり、どこかスペイン語から導かれるうれしい情緒あり。まだ曲つくりのパターンを確立していないのか、ブルース・コードの曲も二つあった。ギタリストがテレキャスターをピックを使わず弾いていて、イエイ。
*ニコラ・ソン(ブラジル/フランス)
アルメニアン・ルーツを持ち、5年間のリオデジャネイロ居住を持つ在フランスのシンガーソングライター。ちゃんと会得しているブラジリアン・ミュージック味と今の環境を併置したことをする。開演前にサウンド・チェックのため1曲やったら、聞き味良しで場内がけっこう聞き入り、「これはリハーサルなんだよ」と告げ、一度引っ込む。ギターをつまびきながら歌う本人に、ベーシスト、ドラマー、アルト/テナー・サックス奏者がつく。そのサポート奏者は日本で用意された(ドラマーは日本に住むブラジル人のよう)が、過不足ない音をつけていた。ポルトガル語とフランス語の曲あり。2019年最新シングルの「A Pura Essência da Malemolência」は、メロウさとグルーヴィさを巧みに持つ好曲だ。ヴィニシウス・ジ・モライスとトッキーニョが作った曲も披露。事前にマネージメントから 日本に行くのでよろしくねーとのメールを受けていて、終演後に挨拶。彼はこの後、ニュージーランドに行き、けっこうな数のギグを持つ。
*Escalera al Cielo(日本)
日本人ギター奏者の2人組で、フラメンコ・ギターをベースに置くインストゥルメンタルを聞かせていた。ロドリーゴ・イ・ガブリエーラを思い出させるところ、あり? あのメキシコ人たちの表現が苦手なぼくは……。少し見て、外で立ち話し。
*マレオ(チリ)
男性ヴォーカル(ギターを弾くときもあり)、女性補助ヴォーカル、女性キーボード,鍵盤ベース/エレクトリック・ベース、ドラムの陣容にて事に当たる。誰が出しているか分からなかったが、一部仕込み音も使っていたか。キッチュな、スペイン語のビート・ポップを展開。
<今日の、そうなんだよなあ>
ライヴに行く前、渋谷で知人と会い、飲んでから会場に向かう。その際、スクランブル交差点の混み具合にびっくり。なんか、観光客目線になっちゃたよー。で、出演者4つを見たあと、渋谷の馴染みのバーを2軒流れたのだが、改めて外国人が多いのを認識。最初の店には東南アジアのグループがいて、それと入れ替わるように入ってきたのがスウェーデン人のグループ。また、その後には米国人が1人で入ってきた。そいつは隣に座ったので、どうしてこの店に入ったのと問えば、ここら辺を歩いていて入りたくなった……。次の店にも、アメリカ人の客がいた。まあ、それとは関係はないが、いま日本観光のガイド・ブックに夏季は常軌を逸した多湿(←こっちのほうが問題だと思う)/高温であるため、訪日を避けるべき、という記載はないだろうか?
キューバ人ピアニストのアロルド・ロペス・ヌッサ(2014年7月19日、2016年9月3日、2018年10月9日)は何度も来日してだいぶ知られる存在になっているはずだが、彼は音楽家族の恩恵をたっぷり受けた末にインターナショナルなミュージシャンになった人物で、そんな彼の少年時代の音楽環境を透かしてみせるようなところもあるファミリー・コンサートが日本でもお披露目された。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
アロルドの他は、父親であるドラマーのルイ・ロペス・ヌッサ、弟のドラマーであるルイ・アドリアン・ロペス・ヌッサ(2014年7月19日、2016年9月3日、2018年10月9日)、叔父(お父さんの弟)のピアノのエルナン・ロペス・ヌッサ、トランペットのマイケル・ゴンザレス、エレクトリック・ベース(フレットレスで、5弦だったか)フリオ・セサール・ゴンザレスという陣容。おお、2ピアノ、2ドラムではないか。父ロペス・ヌッサの発案によりハバナで2006年に初演され、その後海外でも披露され好評を博してきた。
向かって右側にグランド・ピアノとピアノ音色のクラヴィア・ノードが置かれ、アロルドとエルナンは随時場所を交換する。基本、主となる演奏をするほうがグランド・ピアノの前に座るという感じか。並列されると、さすがアロルドのほうがブリリアントな指さばきをするな。一方、向かって右側にはドラムが2台並べられる。ツイン・ピアノにせよ、ツイン・ドラムにせよ、もう勝手知ったるというか、阿吽の呼吸ありまくりの重なりぐあい。一方、結成時から参画しているトランペットのマイケル・ゴンザレスは何気にぶっきらぼうな吹き口を持ち、バンド音に芯や色を加える。演目は何げにジャズ・スタンダードもやる。
ピアノ奏者2人だけの連弾や、ドラマー2人だけの演奏パートもあり。なんか、いい感じ。本編最後はドラマー2人が叩くなか、トランペッターがメロディを弾く以外、他の3人も鳴り物やタムを叩きながらステージを降りる。そして、面々は同様の体にてステージに戻り、アンコールに応えた。兄と弟によるアロルド・ロペス・ヌッサ・トリオの実演にもしっかりと現れていたが、一番身近な単位での音楽をする気安い悦びが山ほどあった。
▶︎過去の、アロルド・ロペス・ヌッサとルイ・アドリアン・ロペス・ヌッサ
http://43142.diarynote.jp/201407221705302936/
http://43142.diarynote.jp/201609201032322395/
https://43142.diarynote.jp/201810161356269313/
その後は、渋谷・LUSHに行き、毎年行われているSHIBUYA MUSIC SHOWCAS EFESTの初日に行く。この日は、オルタナティヴ・ロック・ナイトと称されている。ぼくは、3番目のアクトから見た。その前は、スウェーデン人とフランス人がパフォーマンスしたよう。
*Colores(日本)
福岡で結成され東京でけっこうキャリアを重ねているバンドで、ヴォーカルとギターの吉村美香、ドラムの中野良子、そしてサポートのベースの朱雀祐輝のトリオ。米サウスバイサウス・ウェストや英国に出向くなどしているようだが、しっかりした出音のもと、歌もよく聞こえる。他の2人もコーラスを入れる。パンク、ガレージ、グランジなどを消化したパワー・ビート表現を作ると言っていいかな。曲作りも確かで、フックと勢いアリ。にっこり、見れた。ベーシストは器用な弾き方で音にヴァイリエーションをつけ、ドラマーはあまりハイハットのオープン/クローズは用いないもののしっかりと屋台骨を担う。客は外国人が多かったが、やはり女性主体バンドということもあり、受けていた。そんな彼女たち、2週間後から北欧、フランス、ドイツ、オーストリア、ハンガリーなどを回るヨーロッパ・ツアーを行うという。今年出た5枚目のアルバム『Colores』(日本語歌詞主体)はミニストリー、キリング・ジョーク、リヴィング・カラー、ホワイト・ゾンビーらいろんなプロダクションやオーディオに関与している米国人リー・ポーパのプロデュースだ。
*アローン・アンド・ミー(フランス)
少し変わった短髪の女性1人のプロジェクトで、パフォーマンスに触れながらその名前になるほどとうなずく。エフクトのかかり方の異なるマイクを二つ立てて歌を拾い、またアコースティック・ギターの音も随時サンプリングし、立派な1人多重表現をその場で開いていく。そういうことやる人は少なくないけど、足元にもいろいろなエフェクターを置いた彼女の所作は実に達者。これまで触れたなかで、一番かも? 歌詞は英語、その弾き語りの所作だけをとってもまっとう。歌い方とかから、アニ・ディフランコ(2001年7月29日)に影響を受けていそうとも感じる。マイナー・キーの曲ばかりやったが、1曲ぐらい弾けた曲も、ぼくの好みとしてはやってほしかった。
▶︎過去の、アニ・ディフランコ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm フジ・ロック
*ディヴェル(米国)
笑った。シカゴ拠点だそうだが、なんだコイツら。お酒が回っていたせいもあるけど、ケレケラしながらもうぎんぎん踊っちゃったよー。もう立派な体格をした短髪の髭面中年2人が(ヴォーカル担当と音出しとキーボード担当)、ちゃらい四つ打ちポップ(曲は粒ぞろい)を大真面目に繰り広げるんだもの。これは、ある種、脳みそとろけそうな手触りを持つ。もともとはハード・コアとピコピコ音を合わせたようなことをやるパウンド・オブ・フレッシュという連中を母体にできたらしい。1曲でシンガーは帽子とサングラスをかけて歌い、それはヴィレッジ・ピープルを意識した? シャレなのかとことん本気なのか判別しかねるが、いやあ妙な、レアなもんに触れちゃったなー。
<今日の、早い買い物>
ぼくはスケジュール帳がわりに、マス目でできているカレンダーを使うのだが、早々に来年のそれを買ってしまった。フリーランスのぼくには関係ないが、来年も連休はそこそこあるなあ。しかし、ハロウィーンぽい飾りの店も目にしたし、まだ寒くはまったくないが、師走にむかっているー。来週からはけっこう、涼しくなるみたいだな。
アロルドの他は、父親であるドラマーのルイ・ロペス・ヌッサ、弟のドラマーであるルイ・アドリアン・ロペス・ヌッサ(2014年7月19日、2016年9月3日、2018年10月9日)、叔父(お父さんの弟)のピアノのエルナン・ロペス・ヌッサ、トランペットのマイケル・ゴンザレス、エレクトリック・ベース(フレットレスで、5弦だったか)フリオ・セサール・ゴンザレスという陣容。おお、2ピアノ、2ドラムではないか。父ロペス・ヌッサの発案によりハバナで2006年に初演され、その後海外でも披露され好評を博してきた。
向かって右側にグランド・ピアノとピアノ音色のクラヴィア・ノードが置かれ、アロルドとエルナンは随時場所を交換する。基本、主となる演奏をするほうがグランド・ピアノの前に座るという感じか。並列されると、さすがアロルドのほうがブリリアントな指さばきをするな。一方、向かって右側にはドラムが2台並べられる。ツイン・ピアノにせよ、ツイン・ドラムにせよ、もう勝手知ったるというか、阿吽の呼吸ありまくりの重なりぐあい。一方、結成時から参画しているトランペットのマイケル・ゴンザレスは何気にぶっきらぼうな吹き口を持ち、バンド音に芯や色を加える。演目は何げにジャズ・スタンダードもやる。
ピアノ奏者2人だけの連弾や、ドラマー2人だけの演奏パートもあり。なんか、いい感じ。本編最後はドラマー2人が叩くなか、トランペッターがメロディを弾く以外、他の3人も鳴り物やタムを叩きながらステージを降りる。そして、面々は同様の体にてステージに戻り、アンコールに応えた。兄と弟によるアロルド・ロペス・ヌッサ・トリオの実演にもしっかりと現れていたが、一番身近な単位での音楽をする気安い悦びが山ほどあった。
▶︎過去の、アロルド・ロペス・ヌッサとルイ・アドリアン・ロペス・ヌッサ
http://43142.diarynote.jp/201407221705302936/
http://43142.diarynote.jp/201609201032322395/
https://43142.diarynote.jp/201810161356269313/
その後は、渋谷・LUSHに行き、毎年行われているSHIBUYA MUSIC SHOWCAS EFESTの初日に行く。この日は、オルタナティヴ・ロック・ナイトと称されている。ぼくは、3番目のアクトから見た。その前は、スウェーデン人とフランス人がパフォーマンスしたよう。
*Colores(日本)
福岡で結成され東京でけっこうキャリアを重ねているバンドで、ヴォーカルとギターの吉村美香、ドラムの中野良子、そしてサポートのベースの朱雀祐輝のトリオ。米サウスバイサウス・ウェストや英国に出向くなどしているようだが、しっかりした出音のもと、歌もよく聞こえる。他の2人もコーラスを入れる。パンク、ガレージ、グランジなどを消化したパワー・ビート表現を作ると言っていいかな。曲作りも確かで、フックと勢いアリ。にっこり、見れた。ベーシストは器用な弾き方で音にヴァイリエーションをつけ、ドラマーはあまりハイハットのオープン/クローズは用いないもののしっかりと屋台骨を担う。客は外国人が多かったが、やはり女性主体バンドということもあり、受けていた。そんな彼女たち、2週間後から北欧、フランス、ドイツ、オーストリア、ハンガリーなどを回るヨーロッパ・ツアーを行うという。今年出た5枚目のアルバム『Colores』(日本語歌詞主体)はミニストリー、キリング・ジョーク、リヴィング・カラー、ホワイト・ゾンビーらいろんなプロダクションやオーディオに関与している米国人リー・ポーパのプロデュースだ。
*アローン・アンド・ミー(フランス)
少し変わった短髪の女性1人のプロジェクトで、パフォーマンスに触れながらその名前になるほどとうなずく。エフクトのかかり方の異なるマイクを二つ立てて歌を拾い、またアコースティック・ギターの音も随時サンプリングし、立派な1人多重表現をその場で開いていく。そういうことやる人は少なくないけど、足元にもいろいろなエフェクターを置いた彼女の所作は実に達者。これまで触れたなかで、一番かも? 歌詞は英語、その弾き語りの所作だけをとってもまっとう。歌い方とかから、アニ・ディフランコ(2001年7月29日)に影響を受けていそうとも感じる。マイナー・キーの曲ばかりやったが、1曲ぐらい弾けた曲も、ぼくの好みとしてはやってほしかった。
▶︎過去の、アニ・ディフランコ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm フジ・ロック
*ディヴェル(米国)
笑った。シカゴ拠点だそうだが、なんだコイツら。お酒が回っていたせいもあるけど、ケレケラしながらもうぎんぎん踊っちゃったよー。もう立派な体格をした短髪の髭面中年2人が(ヴォーカル担当と音出しとキーボード担当)、ちゃらい四つ打ちポップ(曲は粒ぞろい)を大真面目に繰り広げるんだもの。これは、ある種、脳みそとろけそうな手触りを持つ。もともとはハード・コアとピコピコ音を合わせたようなことをやるパウンド・オブ・フレッシュという連中を母体にできたらしい。1曲でシンガーは帽子とサングラスをかけて歌い、それはヴィレッジ・ピープルを意識した? シャレなのかとことん本気なのか判別しかねるが、いやあ妙な、レアなもんに触れちゃったなー。
<今日の、早い買い物>
ぼくはスケジュール帳がわりに、マス目でできているカレンダーを使うのだが、早々に来年のそれを買ってしまった。フリーランスのぼくには関係ないが、来年も連休はそこそこあるなあ。しかし、ハロウィーンぽい飾りの店も目にしたし、まだ寒くはまったくないが、師走にむかっているー。来週からはけっこう、涼しくなるみたいだな。
オマール・ソーサ & ジィリアン・カニサーレス ‘アグアス・カルテット’
2019年10月2日 音楽 キューバ出身バルセロナ在住の規格外ピアニストのオマール・ソーサ(2001年8月24日、2002年7月22日2004年8月2日、2005年9月24日、2006年10月28日、2008年3月16日、2009年5月12日2010年8月3日、2013年9月17日、2014年3月10日、2016年7月15日、2016年7月16日、2017年10月22日、2018年10月6日)の1年ぶりの来日は、昨年と同様に、キューバ→ロシア→ベネズエラなどの音楽学校に通い、現在はスイスの市民権を獲得しているというヴァイオリン奏者/シンガーのジュリアン・カニサーレス(2018年10月6日)をフィーチャーするもの。前回の項でエスペランサ・スポルディング(2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日、2011年2月17日、2012年3月7日、2012年9月9日、2015年9月5日、2016年5月31日、2017年3月27日)に髪型とか似ていると書いているが、実際カニサーレスは彼女のファンなんだそう。
他の協調者は、ベースのチルド・トーマス(2009年5月12日、2010年8月3日、2013年9月17日)とパーカッションのグスターボ・オバージェス((2017年10月22日、2018年10月6日)。今回からダブル・ネックのエレクトリック・ベースを弾いていたトーマスはカニーサレスにスペシャル・ゲストと紹介されていたので、普段は前回がそうだったようにトリオでライヴをやっているのかもしれない。
ラテンやジャズをはじめとする、いろいろな音楽のメルティング・ポットと言える表現であり、掛け声や息遣いを重要視する人間性に溢れたパフォーマンス。今回、わりとジメっとした曲が多かったという印象も持った〜ぼくとしては発散の情を重ねにくい〜し、ソーサのピアノ演奏(一部はキーボードも弾く)は控え気味という印象を持ったが、やはり毎度来るたびに見に行かなきゃと思わせられる人であるのは疑いがない。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
▶過去の、オマール・ソーサ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200408021925240000/
http://43142.diarynote.jp/200510030021170000/
http://43142.diarynote.jp/200611020835550000/
http://43142.diarynote.jp/200803201207150000/
http://43142.diarynote.jp/200905131200576485/
http://43142.diarynote.jp/201008251432447574/
http://43142.diarynote.jp/201309201840164499/
http://43142.diarynote.jp/201403131302032810/
http://43142.diarynote.jp/201607191309581526/
http://43142.diarynote.jp/201607191312426603/
http://43142.diarynote.jp/201710240958114009/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
▶︎過去の、ジュリアン・カニーサレス
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
▶過去の、エスペランサ・スポルディング
http://43142.diarynote.jp/200809071430380000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20081201
http://43142.diarynote.jp/?day=20100904
http://43142.diarynote.jp/201102190814495504/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120307
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
http://43142.diarynote.jp/201606101027587993/
http://43142.diarynote.jp/201703281829079078/
▶︎過去の、チルド・トーマス
https://43142.diarynote.jp/200905131200576485/
https://43142.diarynote.jp/201309201840164499/
https://43142.diarynote.jp/201008251432447574/
▶︎過去の、グスターボ・オバージェス
http://43142.diarynote.jp/201710240958114009/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
<今日の、ムカっ>
少し前から、日本発と思われる短文スパム・メールが頻繁に送られてきていて、辟易。まあ、サラリ消せばいいのだが、間違って他の見なきゃいけないメールも削除しそうで怖い。夜半帰宅し、酔っ払ってその作業するのはやめておこう。そういえば、ここのところは、海外発のそれは見かけなくなっているなー。一時、半分脅迫のような英文のものもあったが、今となっては懐かしい。
他の協調者は、ベースのチルド・トーマス(2009年5月12日、2010年8月3日、2013年9月17日)とパーカッションのグスターボ・オバージェス((2017年10月22日、2018年10月6日)。今回からダブル・ネックのエレクトリック・ベースを弾いていたトーマスはカニーサレスにスペシャル・ゲストと紹介されていたので、普段は前回がそうだったようにトリオでライヴをやっているのかもしれない。
ラテンやジャズをはじめとする、いろいろな音楽のメルティング・ポットと言える表現であり、掛け声や息遣いを重要視する人間性に溢れたパフォーマンス。今回、わりとジメっとした曲が多かったという印象も持った〜ぼくとしては発散の情を重ねにくい〜し、ソーサのピアノ演奏(一部はキーボードも弾く)は控え気味という印象を持ったが、やはり毎度来るたびに見に行かなきゃと思わせられる人であるのは疑いがない。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
▶過去の、オマール・ソーサ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200408021925240000/
http://43142.diarynote.jp/200510030021170000/
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http://43142.diarynote.jp/200803201207150000/
http://43142.diarynote.jp/200905131200576485/
http://43142.diarynote.jp/201008251432447574/
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http://43142.diarynote.jp/201403131302032810/
http://43142.diarynote.jp/201607191309581526/
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https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
▶︎過去の、ジュリアン・カニーサレス
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
▶過去の、エスペランサ・スポルディング
http://43142.diarynote.jp/200809071430380000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20081201
http://43142.diarynote.jp/?day=20100904
http://43142.diarynote.jp/201102190814495504/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120307
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http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
http://43142.diarynote.jp/201606101027587993/
http://43142.diarynote.jp/201703281829079078/
▶︎過去の、チルド・トーマス
https://43142.diarynote.jp/200905131200576485/
https://43142.diarynote.jp/201309201840164499/
https://43142.diarynote.jp/201008251432447574/
▶︎過去の、グスターボ・オバージェス
http://43142.diarynote.jp/201710240958114009/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
<今日の、ムカっ>
少し前から、日本発と思われる短文スパム・メールが頻繁に送られてきていて、辟易。まあ、サラリ消せばいいのだが、間違って他の見なきゃいけないメールも削除しそうで怖い。夜半帰宅し、酔っ払ってその作業するのはやめておこう。そういえば、ここのところは、海外発のそれは見かけなくなっているなー。一時、半分脅迫のような英文のものもあったが、今となっては懐かしい。
JAL国際線 機内エンターテインメントAUDIO ジャズ ch25 (9〜10月)
2019年10月1日 音楽選曲してまして、<With Strings>の巻でーす。
1)
煙が目にしみる/クリフォード・ブラウン
『クリフォード・ブラウン・ウィズ・ストリングス』(エマーシー、1955年)
2)
スワンダフル/ダイアナ・クラール
『ザ・ルック・オブ・ラヴ』(ヴァーヴ、2001年)
3)
ウィロー・ウィープ・フォー・ミー/デイヴィッド・サンボーン
『パールズ』(エレクトラ、1995年)
4)
パーカーズ・ムード/チャーリー・パーカー
『バード(オリジナル・サウンドトラック)』(コロムビア、1988年)
5)
アフター・イアーズ/渡辺貞夫
『ナチュラリー』(ビクター、2015年)
6)
ピープル・ウィル・セイ・ウィアー・イン・ラヴ/エラ・フィッツジェラルド・フィーチャリング・グレゴリー・ポーター
『サムワン・トゥ・ウォッチ・オーヴァー・ミー』(ヴァーヴ、2017年)
7)
スイングしなけりゃ意味ないね/ソニー・スティット・ウィズ・ストリングス
『プレリュード・トゥ・ア・キッス』(M&I,1978年)
8)
星に願いを/ウィントン・マルサリス
『スターダスト』(コロムビア、1989年)
9)
マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ/ダイアン・シューア
『ラヴ・ソングス』(GRP,1993年)
10)
ヴィダ・リアル/アルトゥーロ・サンドヴァール・ウィズ・ミシェル・ルグラン
『ドリーム・カム・トゥルー』(GRP,1993年)
11)
君を想いて/ハリー・コニックJr.
『オンリー・ユー』(コロムビア、2004 年)
1)
煙が目にしみる/クリフォード・ブラウン
『クリフォード・ブラウン・ウィズ・ストリングス』(エマーシー、1955年)
2)
スワンダフル/ダイアナ・クラール
『ザ・ルック・オブ・ラヴ』(ヴァーヴ、2001年)
3)
ウィロー・ウィープ・フォー・ミー/デイヴィッド・サンボーン
『パールズ』(エレクトラ、1995年)
4)
パーカーズ・ムード/チャーリー・パーカー
『バード(オリジナル・サウンドトラック)』(コロムビア、1988年)
5)
アフター・イアーズ/渡辺貞夫
『ナチュラリー』(ビクター、2015年)
6)
ピープル・ウィル・セイ・ウィアー・イン・ラヴ/エラ・フィッツジェラルド・フィーチャリング・グレゴリー・ポーター
『サムワン・トゥ・ウォッチ・オーヴァー・ミー』(ヴァーヴ、2017年)
7)
スイングしなけりゃ意味ないね/ソニー・スティット・ウィズ・ストリングス
『プレリュード・トゥ・ア・キッス』(M&I,1978年)
8)
星に願いを/ウィントン・マルサリス
『スターダスト』(コロムビア、1989年)
9)
マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ/ダイアン・シューア
『ラヴ・ソングス』(GRP,1993年)
10)
ヴィダ・リアル/アルトゥーロ・サンドヴァール・ウィズ・ミシェル・ルグラン
『ドリーム・カム・トゥルー』(GRP,1993年)
11)
君を想いて/ハリー・コニックJr.
『オンリー・ユー』(コロムビア、2004 年)
映画「マイ・フーリッシュ・ハート」
2019年9月30日 音楽 京橋・テアトル試写室で、ジャズ史にきっちりと名を刻むトランペッター/シンガーであるチェット・ベイカー(1929〜88年)を題材に置くオランダ映画を見る。
ヤク中〜コワれたダメ男を貫き通したベイカー(その裏返しとは言わないが、受け手の想像性を喚起する珠玉のジャズ表現を会得した。まあ、昔のジャズなんてロックやクラブ・ミュージック以上にドラッグゆえの名演みたいのはべらぼうに多い)は、1988年5月13日夜にアムステルダムのホテルで転落死した。そして、1983年オランダ生まれのロン・ヴァン・アイクの初長編映画となるこの映画は、その転落の原因が不明となっている死に焦点を合わせ、事実とフィクションを交錯させつつ、不世出のジャズマンの晩年の姿〜ベイカーのモヤモヤしたキャクターや人生を浮き彫りにせんとしている。ストーリー性に満ちる音楽性と人生を持つベイカーについては、ドキュメンタリー映画「レッツ・ゲスト・ロスト」(ブルース・ウェーバー監督、1988年)とイーサン・ホウクがベイカー役を務めた伝記映画「Born to Be Blue」(ロバート・バドロー監督、2015年)があるので、変化球と言いたくなるベイカー映画を作ろうとしたのはよく理解できる。ヴァン・アイクはベイカーが晩年に住んだアムステルダムの関係者に取材し、3年がかりで脚本を作ったという。
ベイカーよりゴツそうとは思わせるがさほど違和感なく役を演じているのは、アイルランドのロッカー/役者のスティーヴ・ウォール(https://www.facebook.com/stevewall.musician.actor/。ぼくは知りませんでした)。彼はトランペットの指使いも覚えたそうで、劇中で歌われる歌も彼が歌っているのだろうか。ベイカーの演奏/録音シーンで流れる音楽はオランダ人ジャズ・マンが作っているようで(エンド・ロールの曲クレジットがぼけていて解読不能だった)、トランペット音は欧州ビッグ・バンド畑で知られるルード・ブレールス(1962年生まれ)が提供している。
ベイカーと重なる闇を抱えるオランダ人の刑事が死の真相を追っていく流れのなかで、ベイカーの晩年の姿をいろいろと交錯させる作法は興味深い。言語は刑事が出てくるシーンはオランダ語が中心で、ベイカーが出てくるシーンは英語が使われる。ヴァン・アイクが覚えるところのジャズの美学は随所に投影されてもいるこの映画は、11月上旬からロードショー公開される。
<今日の、なんとなく>
街に、外国人男性グループが目につくような。それ、ラグビーのワールド・カップのため訪日している人たちなのだろうか? あー、やっぱ1試合ぐらいみたいーーー。
ヤク中〜コワれたダメ男を貫き通したベイカー(その裏返しとは言わないが、受け手の想像性を喚起する珠玉のジャズ表現を会得した。まあ、昔のジャズなんてロックやクラブ・ミュージック以上にドラッグゆえの名演みたいのはべらぼうに多い)は、1988年5月13日夜にアムステルダムのホテルで転落死した。そして、1983年オランダ生まれのロン・ヴァン・アイクの初長編映画となるこの映画は、その転落の原因が不明となっている死に焦点を合わせ、事実とフィクションを交錯させつつ、不世出のジャズマンの晩年の姿〜ベイカーのモヤモヤしたキャクターや人生を浮き彫りにせんとしている。ストーリー性に満ちる音楽性と人生を持つベイカーについては、ドキュメンタリー映画「レッツ・ゲスト・ロスト」(ブルース・ウェーバー監督、1988年)とイーサン・ホウクがベイカー役を務めた伝記映画「Born to Be Blue」(ロバート・バドロー監督、2015年)があるので、変化球と言いたくなるベイカー映画を作ろうとしたのはよく理解できる。ヴァン・アイクはベイカーが晩年に住んだアムステルダムの関係者に取材し、3年がかりで脚本を作ったという。
ベイカーよりゴツそうとは思わせるがさほど違和感なく役を演じているのは、アイルランドのロッカー/役者のスティーヴ・ウォール(https://www.facebook.com/stevewall.musician.actor/。ぼくは知りませんでした)。彼はトランペットの指使いも覚えたそうで、劇中で歌われる歌も彼が歌っているのだろうか。ベイカーの演奏/録音シーンで流れる音楽はオランダ人ジャズ・マンが作っているようで(エンド・ロールの曲クレジットがぼけていて解読不能だった)、トランペット音は欧州ビッグ・バンド畑で知られるルード・ブレールス(1962年生まれ)が提供している。
ベイカーと重なる闇を抱えるオランダ人の刑事が死の真相を追っていく流れのなかで、ベイカーの晩年の姿をいろいろと交錯させる作法は興味深い。言語は刑事が出てくるシーンはオランダ語が中心で、ベイカーが出てくるシーンは英語が使われる。ヴァン・アイクが覚えるところのジャズの美学は随所に投影されてもいるこの映画は、11月上旬からロードショー公開される。
<今日の、なんとなく>
街に、外国人男性グループが目につくような。それ、ラグビーのワールド・カップのため訪日している人たちなのだろうか? あー、やっぱ1試合ぐらいみたいーーー。
ブルガリアン・ヴォイス・アンジェリーテ
2019年9月29日 音楽 国営テレビ局の合唱団が前身という、1952年結成のブルガリアのポリフォニー合唱団の公演は、錦糸町・すみだトリフォニーホールにて。
その不可思議にして、魔法を感じさせる同国の女性ヴォーカル・アンサンブルが広く知らされるようになってだいぶたつなあと、ステージ上にずらりならんだ女性陣のパフォーマンスに触れながらふと思う。彼女たちは1995年に来日しているそうだが、それぞれ微妙に異なるカラフルな衣装を身につけた面々はパっと見、何気に若く見える人が多い。なるほど、代替わりしながら、活動を続けているんだろうな。
18人のシンガーに、女性指揮者が1人。四声や六声を基本に、不可思議にして魅惑的な重なりを見せる歌を超然と送り出す。面々はときどき立ち位置フォーメーションを変えたりもし、一部トラッドな弦楽器をメンバーが弾いたり、鳴りものが手にされる場合もある。が、とうぜん、基本はアカペラ、肉声のみ。フレイズの語尾を嬌声的にクイっとあげる場合もある。トラッドが披露されるなか、日本のソーラン節もブルガリアン・ヴォイス調にて、披露。“どっこいしょ”という掛け声が可愛くもユーモラス。
2部構成。2部の頭にはなんと雅楽の笙の女性3人〜“笙アンサンブル 星筐”と名乗っているよう〜が平安時代を想起させるような装束のもとでてきて、2曲だったか共演する。へえ〜。興味深くも見事に融合、発案者に拍手。ブルガリアン・ヴォイスの面々も興味深くてしょうがなかったろうなあ。リハ〜楽屋での、日本勢とのやり取りが知りたい。2部では、同様の「ふるさと」も披露された。
アンコールもたっぷり。その際、笙の女性たちはアヌーナ(2007年12月15日、2009年12月12日、2011年12月7日、2011年12月10日、2014年12月4日、2014年12月6日、2017年2月16日)のように、会場後方から演奏しながら移動し、ステージに上がる。肉声、生の人間の重なりの妙は色々とあるし、世界にはいろんな音楽表現が培われている。当たり前ちゃあ当たり前なのだが、そんなことを目の当たりにできて満足感を味合わないはずがない。
▶過去の、アヌーナ
http://43142.diarynote.jp/200712161423560000/
http://43142.diarynote.jp/201001051620426983/
http://43142.diarynote.jp/201112171633334584/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111210
http://43142.diarynote.jp/201412151250144917/
http://43142.diarynote.jp/201412221527313725/
https://43142.diarynote.jp/201702211429132450/
<今日の、過ち>
某売れっ子作曲家からいろんな所のお土産をいただき(本当に頻繁に行っているんだなー)恐縮。ラスヴェガスに行ったばかりなのに、ぼくは手ぶらだよー。ほろ酔い気分で帰宅後、某アナログ・サイトを見てしまい、思わず発注。音は悪くなるだろうが、コドモなのでカラー・レコードにはひかれる。ついでに、価格が高くないこともあり、ビューク((2001年12月5日、2008年2月22日)のカセット・テープ再発も興味本位で一つ購入。ぜったい、カセット向きの音じゃないよなー。いかん、気持ちが緩くなる。それより、そろそろカートリッジを変えたいなあ。
▶過去の、ビョーク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://43142.diarynote.jp/200802230934310000/
その不可思議にして、魔法を感じさせる同国の女性ヴォーカル・アンサンブルが広く知らされるようになってだいぶたつなあと、ステージ上にずらりならんだ女性陣のパフォーマンスに触れながらふと思う。彼女たちは1995年に来日しているそうだが、それぞれ微妙に異なるカラフルな衣装を身につけた面々はパっと見、何気に若く見える人が多い。なるほど、代替わりしながら、活動を続けているんだろうな。
18人のシンガーに、女性指揮者が1人。四声や六声を基本に、不可思議にして魅惑的な重なりを見せる歌を超然と送り出す。面々はときどき立ち位置フォーメーションを変えたりもし、一部トラッドな弦楽器をメンバーが弾いたり、鳴りものが手にされる場合もある。が、とうぜん、基本はアカペラ、肉声のみ。フレイズの語尾を嬌声的にクイっとあげる場合もある。トラッドが披露されるなか、日本のソーラン節もブルガリアン・ヴォイス調にて、披露。“どっこいしょ”という掛け声が可愛くもユーモラス。
2部構成。2部の頭にはなんと雅楽の笙の女性3人〜“笙アンサンブル 星筐”と名乗っているよう〜が平安時代を想起させるような装束のもとでてきて、2曲だったか共演する。へえ〜。興味深くも見事に融合、発案者に拍手。ブルガリアン・ヴォイスの面々も興味深くてしょうがなかったろうなあ。リハ〜楽屋での、日本勢とのやり取りが知りたい。2部では、同様の「ふるさと」も披露された。
アンコールもたっぷり。その際、笙の女性たちはアヌーナ(2007年12月15日、2009年12月12日、2011年12月7日、2011年12月10日、2014年12月4日、2014年12月6日、2017年2月16日)のように、会場後方から演奏しながら移動し、ステージに上がる。肉声、生の人間の重なりの妙は色々とあるし、世界にはいろんな音楽表現が培われている。当たり前ちゃあ当たり前なのだが、そんなことを目の当たりにできて満足感を味合わないはずがない。
▶過去の、アヌーナ
http://43142.diarynote.jp/200712161423560000/
http://43142.diarynote.jp/201001051620426983/
http://43142.diarynote.jp/201112171633334584/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111210
http://43142.diarynote.jp/201412151250144917/
http://43142.diarynote.jp/201412221527313725/
https://43142.diarynote.jp/201702211429132450/
<今日の、過ち>
某売れっ子作曲家からいろんな所のお土産をいただき(本当に頻繁に行っているんだなー)恐縮。ラスヴェガスに行ったばかりなのに、ぼくは手ぶらだよー。ほろ酔い気分で帰宅後、某アナログ・サイトを見てしまい、思わず発注。音は悪くなるだろうが、コドモなのでカラー・レコードにはひかれる。ついでに、価格が高くないこともあり、ビューク((2001年12月5日、2008年2月22日)のカセット・テープ再発も興味本位で一つ購入。ぜったい、カセット向きの音じゃないよなー。いかん、気持ちが緩くなる。それより、そろそろカートリッジを変えたいなあ。
▶過去の、ビョーク
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
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アダム・バウディヒ+クシュストフ・ディス
2019年9月28日 音楽 ポーランド人ヴァイオリン奏者とピアニストのデュオを、神保町・楽屋で見る。バウディは現在ドイツのアクトからアルバムを出していて、その最新作『sacrum profanum』はクシュストフ・ディスらピアノ・トリオとのカルテットで録音されている。
ウェットな情緒を持つニュー・エイジ・ミュージック調のものから、キース・ジャレット(2001年4月30日、2007年5月8日)的なピアノ演奏を介するフリー・フォーム的な演奏まで、ヴァイオリンとピアノの二つの楽器による、イマジネイティヴな旅が80分にわたって披露された。両者ともにまず技量が立つというのはすぐに了解できることで、ポーランドのジャズ水準の高さを思い知らされよう。そして、そこにスラブ民族らしいと言いたくなるペーソスや誘いが付加されるのだから、耳を引く。1曲、アダム・バウディヒはルネッサンス・ヴァイオリンと紹介するもう少し無骨な形をした古いヴァイオリンも弾いた。
▶過去の、キース・ジャレット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
<今日の、主役>
先に触れた『sacrum profanum』は自作とクラシック音楽家の曲が混在し、それを自身のアレンジのもと違和感なく聞かせる。いろんな曲調や仕掛けのもととても雄弁でエモーショナル。ジャズの今様な息吹きも横溢し、これは勧めるにたる。何気に、プログ・ロック・ファンに受けそうなところも多々あるかな。今回が2度目の来日となる彼、次は詩情と才気が呼応するカルテットでやってきてほしい。
ウェットな情緒を持つニュー・エイジ・ミュージック調のものから、キース・ジャレット(2001年4月30日、2007年5月8日)的なピアノ演奏を介するフリー・フォーム的な演奏まで、ヴァイオリンとピアノの二つの楽器による、イマジネイティヴな旅が80分にわたって披露された。両者ともにまず技量が立つというのはすぐに了解できることで、ポーランドのジャズ水準の高さを思い知らされよう。そして、そこにスラブ民族らしいと言いたくなるペーソスや誘いが付加されるのだから、耳を引く。1曲、アダム・バウディヒはルネッサンス・ヴァイオリンと紹介するもう少し無骨な形をした古いヴァイオリンも弾いた。
▶過去の、キース・ジャレット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
<今日の、主役>
先に触れた『sacrum profanum』は自作とクラシック音楽家の曲が混在し、それを自身のアレンジのもと違和感なく聞かせる。いろんな曲調や仕掛けのもととても雄弁でエモーショナル。ジャズの今様な息吹きも横溢し、これは勧めるにたる。何気に、プログ・ロック・ファンに受けそうなところも多々あるかな。今回が2度目の来日となる彼、次は詩情と才気が呼応するカルテットでやってきてほしい。
ヂアナ・オルタ・ポポフ。ノース・イグジット
2019年9月27日 音楽 トニーニョ・オルタ(2010年10月7日、2016年10月27日)の姪となる女性シンガー・ソングライターのヂアナ・オルタ・ポポフを青山・プラッサオンゼで見る。ミナス・ジェライス州ベロ・オリゾンチ生まれでリオ育ち、そして現在はパリに居住。そんな“移動”を抱えるキーボードを弾きながら歌う彼女を、夫であるフランス人のマチアス・アラマンが電気ベース(一部はアコースティック・ギターも弾く)でサポートする。
愛らしい感じを持ちつつも、難しいライン取りの歌をごんごん歌うなと、すぐに思う。一緒に歌うのは無理。でも、奥行きにも繋がるそのもやもやはブラジル音楽の素敵の尻尾を顕すものに他ならない。とっても曖昧な言い方になるが、そうしたとらえどころのないものからいろんな木漏れ日のようなものが見えて、ぼくは誘われた。また、フルートを吹いたインストもあり、それにはショーロを思い出す。ファースト・セットを見て、移動。後ろ髪引かれた。
▶過去の、トニーニョ・オルタ
http://43142.diarynote.jp/201010110934082197/
https://43142.diarynote.jp/201610310943306583/
次は、六本木・ビルボードライブ東京で、元ジャパンのスティーヴ・ジャンセン(2004年4月24日)とスウェーデン人のミュージシャンたちが協調したユニットを見る。
ヴォーカルのトーマス・フェイナー、ピアノのウルフ・ヤンソン、ギターやシンセサイザーのチャールス・ストーム 、ドラムのスティーヴ・ジャンセンに、ダブル・ベースのスヴェン・リンドヴァル。さらに、チェロの徳澤青弦、ヴァイオリンの吉田篤貴と地行美穂、ヴィオラの須原杏のストリングスが加わる。その日本人たち、墨絵のようなという形容もできるサウンドによく弦音をつけていた。
ベーシストが全面的に縦を用いていたのには驚いたが、その事実に現れてもいるように、実にオトナ志向の美意識を抱えた悠然としたロックが繰り広げられる。低いフェイナーの歌はなにげにデイヴィッド・シルヴィアン(2004年4月24日)的とも言えるだろう。ドアの先にある北の佇まいを抱えたその表現は、響きと密かな蠢きに満ちた情緒ロックとしてアドヴァンテージを持つものと思う。演奏時間は長めだった。
▶︎過去の、スティーヴ・ジャンセン
https://43142.diarynote.jp/200404271931000000/
▶︎過去の、デイヴィッド・シルヴィアン
https://43142.diarynote.jp/200404271931000000/
<今日の、追記>
イグジット・ノースのセルフ・リリース作『Book of Romance and Dust』(2018年)は、オノ セイゲン(2000年3月12日、2009年1月17日、2011年8月4日、2012年6月7日、2013年1月30日、2014年4月20日、2014年7月28日、2014年9月23日、2014年10月8日、2014年10月11日、2015年4月17日、2015年9月13日、2015年9月24日、2015年10月9日、2016年3月14日、2016年5月22日、2016年7月26日、2017年5月7日、2018年6月7日、2018年11月12日)の音楽をサンプリング使用し、マスタリングを当のオノが担当している。今回の来日時、メンバーは彼が持つ神宮前のサイデラ・マスタリングのスタジオ詣もしているようだ。そんなこともあり、会場で出会ったセイゲンに誘われ、楽屋に行く。その静謐な音楽性と離れ、みんな愛想がいい。ジャンセン、けっこう顔デカいんだな。兄のデイヴィッド・シルヴィアンにはデレク・ベイリーが参加した『プレミッシュ』(2003年)を出した際にインタヴューしたことがあったが、そうは思わなかった。とっても大人のわびさび溢れる『プレミッシュ』を前に、シルヴィアンにジャパン時代のことを聞いたら、「若気のいたり。でも、若い時分にはそういう放蕩も必要」といったことを静かに言っておった。早々に引き上げると、楽屋の外には高橋幸宏(2009年10月31日、2011年8月7日、2012年8月12日、2013年8月11日、2017年7月14日)、土屋昌巳、SUGIZO(2015年6月29日)らミュージシャンがいらっしゃった。
「僕はいつも遠くからセイゲンのキャリアをフォローしてきたので、彼は録音とマスタリング、特にアコースティック録音に素晴らしい耳を持っていることを知っていた。だから、僕たちのレコードのマスタリングをやってもらうのは素晴らしい選択肢のように思えたんだ。
マスタリングはとても重要な仕事であるのに、見落とされがち。個人的には、マスタリングについての複雑な技術的知識は持ち合わせていないが、よくマスターされた録音は肝要と思う。イグジット・ノースの録音はポスト・マスタリングされることで、ダイナミクスと暖かさを保持しつつ、さらに多くの存在感、重厚さ、および“色”を獲得したんだ。もちろん、英国にも多くの優れたマスタリング・エンジニアがいるけど、セイゲンが関与することはノース・イグジットに適していた」(スティーヴ・ジャンセン)
▶過去の、オノセイゲン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200901181343426080/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
http://43142.diarynote.jp/201206110945571082/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130130
http://43142.diarynote.jp/201404251643448230/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140728
http://43142.diarynote.jp/201409261635077130/
http://43142.diarynote.jp/201410210814495715/
http://43142.diarynote.jp/201509250943244179/
http://43142.diarynote.jp/201603151140427186/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160522
http://43142.diarynote.jp/201608020801362894/
http://43142.diarynote.jp/201705081232023349/
https://43142.diarynote.jp/?day=20180607
https://43142.diarynote.jp/201811141355524842/
▶︎過去の、高橋幸宏
http://43142.diarynote.jp/200911010931589797/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110807
http://43142.diarynote.jp/?day=20120812
http://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
https://43142.diarynote.jp/201707151654245284/
▶︎過去の、SUGIZO
https://43142.diarynote.jp/201507021227231770/
愛らしい感じを持ちつつも、難しいライン取りの歌をごんごん歌うなと、すぐに思う。一緒に歌うのは無理。でも、奥行きにも繋がるそのもやもやはブラジル音楽の素敵の尻尾を顕すものに他ならない。とっても曖昧な言い方になるが、そうしたとらえどころのないものからいろんな木漏れ日のようなものが見えて、ぼくは誘われた。また、フルートを吹いたインストもあり、それにはショーロを思い出す。ファースト・セットを見て、移動。後ろ髪引かれた。
▶過去の、トニーニョ・オルタ
http://43142.diarynote.jp/201010110934082197/
https://43142.diarynote.jp/201610310943306583/
次は、六本木・ビルボードライブ東京で、元ジャパンのスティーヴ・ジャンセン(2004年4月24日)とスウェーデン人のミュージシャンたちが協調したユニットを見る。
ヴォーカルのトーマス・フェイナー、ピアノのウルフ・ヤンソン、ギターやシンセサイザーのチャールス・ストーム 、ドラムのスティーヴ・ジャンセンに、ダブル・ベースのスヴェン・リンドヴァル。さらに、チェロの徳澤青弦、ヴァイオリンの吉田篤貴と地行美穂、ヴィオラの須原杏のストリングスが加わる。その日本人たち、墨絵のようなという形容もできるサウンドによく弦音をつけていた。
ベーシストが全面的に縦を用いていたのには驚いたが、その事実に現れてもいるように、実にオトナ志向の美意識を抱えた悠然としたロックが繰り広げられる。低いフェイナーの歌はなにげにデイヴィッド・シルヴィアン(2004年4月24日)的とも言えるだろう。ドアの先にある北の佇まいを抱えたその表現は、響きと密かな蠢きに満ちた情緒ロックとしてアドヴァンテージを持つものと思う。演奏時間は長めだった。
▶︎過去の、スティーヴ・ジャンセン
https://43142.diarynote.jp/200404271931000000/
▶︎過去の、デイヴィッド・シルヴィアン
https://43142.diarynote.jp/200404271931000000/
<今日の、追記>
イグジット・ノースのセルフ・リリース作『Book of Romance and Dust』(2018年)は、オノ セイゲン(2000年3月12日、2009年1月17日、2011年8月4日、2012年6月7日、2013年1月30日、2014年4月20日、2014年7月28日、2014年9月23日、2014年10月8日、2014年10月11日、2015年4月17日、2015年9月13日、2015年9月24日、2015年10月9日、2016年3月14日、2016年5月22日、2016年7月26日、2017年5月7日、2018年6月7日、2018年11月12日)の音楽をサンプリング使用し、マスタリングを当のオノが担当している。今回の来日時、メンバーは彼が持つ神宮前のサイデラ・マスタリングのスタジオ詣もしているようだ。そんなこともあり、会場で出会ったセイゲンに誘われ、楽屋に行く。その静謐な音楽性と離れ、みんな愛想がいい。ジャンセン、けっこう顔デカいんだな。兄のデイヴィッド・シルヴィアンにはデレク・ベイリーが参加した『プレミッシュ』(2003年)を出した際にインタヴューしたことがあったが、そうは思わなかった。とっても大人のわびさび溢れる『プレミッシュ』を前に、シルヴィアンにジャパン時代のことを聞いたら、「若気のいたり。でも、若い時分にはそういう放蕩も必要」といったことを静かに言っておった。早々に引き上げると、楽屋の外には高橋幸宏(2009年10月31日、2011年8月7日、2012年8月12日、2013年8月11日、2017年7月14日)、土屋昌巳、SUGIZO(2015年6月29日)らミュージシャンがいらっしゃった。
「僕はいつも遠くからセイゲンのキャリアをフォローしてきたので、彼は録音とマスタリング、特にアコースティック録音に素晴らしい耳を持っていることを知っていた。だから、僕たちのレコードのマスタリングをやってもらうのは素晴らしい選択肢のように思えたんだ。
マスタリングはとても重要な仕事であるのに、見落とされがち。個人的には、マスタリングについての複雑な技術的知識は持ち合わせていないが、よくマスターされた録音は肝要と思う。イグジット・ノースの録音はポスト・マスタリングされることで、ダイナミクスと暖かさを保持しつつ、さらに多くの存在感、重厚さ、および“色”を獲得したんだ。もちろん、英国にも多くの優れたマスタリング・エンジニアがいるけど、セイゲンが関与することはノース・イグジットに適していた」(スティーヴ・ジャンセン)
▶過去の、オノセイゲン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200901181343426080/
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▶︎過去の、高橋幸宏
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▶︎過去の、SUGIZO
https://43142.diarynote.jp/201507021227231770/
ブライアン・ジャクソン。ミンディ・エイベア & ザ・ボーンシェイカーズ
2019年9月27日 音楽 六本木・ビルボードライブ東京で、メッセージに富んだ詩作と秀でた同時代的ブラック・ミュージック語彙を見事に噛み合わせたギル・スコット・ヘロン(全盛期に彼はアリスタのハイ・プライオリティの契約者であったが、それは社長のクライヴ・デイヴィスが当時人気のボブ・ディランとスライ・ストーンの間をつなぐ存在として、スコット・ヘロンのことを高く評価したからだった)の音楽面を大々的に支えたブライアン・ジョンソンのショウを見る。スコット・ヘロンとジャクソンはペンシルヴァニア州のリンカーン大学で知り合い、スタラタ・イーストやアリスタ時代のアルバムは2人の連名でアルバムがリリースされた。なお、ジャクソンは少しリーダー作を出すとともに、クール&ザ・ギャング(2014年12月26日、2016年2月23日、2017年10月10日)やウィル・ダウニングからジャズ・ベーシストのチャーネット・モフェットの2019年作『Bright New Day』(Motema)まで、何人ものレコーディング・セッションに参加している。
フェンダー・ローズを弾きながら歌うジャクソンをサポートするのは在LAのミュージシャンたちか。キーボードとコーラスのレックス・キャメロン(ロンドン出身と紹介された)、ギターでNY出身のクラーレンス・ブライス(テレキャスターを持ち、カーティス・メイフィールド的な指さばきを披露)、フランス出身ベーシストのアントアーヌ・カッツ、ドラムのマーク・ホイットフィールド Jr. (有名ギタリストである父親と来日している彼、ジャクソンともやっているのか)とパーカッションのアラコイ・"ミック ホールデン"・ピートという陣容による。
スコット・ヘロンとのことを語り、彼と作った曲を生理的に悠然と披露していく。ジャクソンは決定的な味にはかなり欠けるが、何気に声量はあり、音程はスコット・ヘロンよりはくっきりしている。なんか、テリー・キャリア(2002年5月21日、2004年4月19日、2005年2月17日、2007年3月8日、2009年9月15日)の持ち味を鍵盤主体表現で開いているという所感も得たか。
90分のパフォーマンス。ジャクソンは1曲で、グラウンド・ピアノに移りソロをとったが、かなり達者。ちゃんとジャズもできる人ですね。また、1曲はスロウ持ち曲をピアノ弾き語りもする。2曲ではフルートも手にしたりもし、やはり音楽的な才能に恵まれていることを伝える。1952年生まれだから、まだまだこれからがありそうとも思えた。
▶過去の、クール&ザ・ギャング/J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/200611281428510000/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201403051230433466/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201412291146465218/
http://43142.diarynote.jp/201508051544452721/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201602290953239524/
https://43142.diarynote.jp/201710121703595237/
▶︎過去の、テリー・キャリア
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-5.htm
http://43142.diarynote.jp/200502232039250000/
http://43142.diarynote.jp/200703101608130000/
http://43142.diarynote.jp/200909181206531984/
http://43142.diarynote.jp/200404190049350000/
その後、丸の内・コットンクラブで、ミンディ・エイベア (2009年9月20日)& ザ・ボーンシェイカーズのライヴを見る。見ることが叶わなかった前回来日公演時に、ぼくはこんなことを書いていますね。→https://43142.diarynote.jp/201510251330372218/ 下のほう
今回、スウィートピー・アトキンソンの同行はなかったが、しっかりギタリストのランディ・ジェイコブズ(2017年5月5日)はザ・ボーンシェイカーズの要の奏者として来ている。他にメンバーはキーボードのランディ・リー、ベースのベン・ホワイト、ドラムのサード・リチャードソンという面々でアフリカ系奏者が多い。ベン・ホワイト以外はミンディ・エイベア & ザ・ボーンシェイカーズのここ数作品に参加しているミュージシャンたちだ。
おお彼女、今はこうなっているんだよな。スムース・ジャズ系のアルト・サックス奏者として世に出た彼女だったが、歌うことに力を入れ、ソウル/ファンク調やアーシー系表現に移行し(2017年作には、故グレッグ・オールマンが歌っている曲もあった)、2019年新作『No GoodDead』(Pretty Good For a Girl )ではまったく明快なロック/ロックンロール傾向のなかで、彼女は歌い、アルト・サックスを吹いている。ソウル/ダンス傾向で行くキャンディ・ダルファー(2009年5月11日、2010年2月16日、2012年2月13日、2018年11月19日)に対し、ロック/アーシー傾向で行くミンディ・エイベアという説明は間違いなくできよう。
そして、この晩もそんな路線に則った生き方で、ストレートにロッキッシュに迫る。もう竹を割ったようなわかりやすい華や娯楽性の持ち方に、ラスヴェガスから帰ってきたばかりのぼくはわあアメリカっぽい、どこかヴェガスっぽいと思ってしまった。実際、金髪(に染めた?)綺麗目で太ってもいないミンディはラスヴェガスで颯爽と働く女性のタイプと重なる?
その彼女の歌にしろアルトにしろ、実にまっとう。実力者だ。それはバンドのメンバーも同じで、きっちりバンド表現(皆んな、コーラスも取る)で攻め、ちゃんとバンド名を名乗っていることにも納得。途中でドラマーがいい声で歌い始めた曲はなんとジェイムズ・ブラウン(2000年8月5日)の「コールド・スウェット」。おお、こんなロックぽいJB曲は初めて聞いた。また、途中でジェイコブズはカスタム・メイドのバンジョーを手にし、ドラマーはカホーンを叩き、キーボード奏者はカズーを担当する曲があったのだが、それはジミ・ヘンドリックスの「ヴードゥ・チャイル」。おお、いい味。それに触れながら、アメリカーナと呼ばれる表現は、米国の音楽史の襞として登録されている曲や情緒の引き出しをあけ、それを今という時間に解き放つ行為であるのだと思わせられた。ミンディ・エイベア & ザ・ボーンシェイカーズの音、フランクでチャラいようで実は深いところあります。馬鹿にしちゃいけないよ。あ、皆んなで歌ったアンコールは、ロバート・パーマーの大ヒット曲「アデイクテット・トゥ・ラヴ」でした。イエイ。
そして、ぼくのお目当てのランディ・ジェイコブズだが、さすがの演奏。デトロイト育ちの彼はスウィートピー・アトキンソンと同じくドン・ワズ(2013年2月15日、2019年6月12日、2019年6月13日、2019年6月14日)とは昵懇の間柄となるが、ピックを使わずいろんな演奏を繰り出すそのマスターぶり(数曲ではスライド・バーも用いる。エフェクターにはあまり頼らない)は、真のギター好きは彼だけ目当に行っても損はないと思える。MCによれば、ワズ(・ノット・ワズ)だけでなく、彼はギタリストでもあるボニー・レイット(2007年4月6日)のバンドにいたこともあるのか。でも、さもありなんという感じですね。
▶︎過去の、ミンディ・エイベア
https://43142.diarynote.jp/200909271554269289/
▶︎過去の、ランディ・ジェイコブズ
https://43142.diarynote.jp/201705081217396490/
▶︎過去の、キャンディ・ダルファー
https://43142.diarynote.jp/200905121053358452/
https://43142.diarynote.jp/201002171552164447/
https://43142.diarynote.jp/201202141303117620/
https://43142.diarynote.jp/201811201615047405/
▶過去の、JB
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm サマーソニック初日
▶︎過去の、JBの映画2種
http://43142.diarynote.jp/201503041619591535/
http://43142.diarynote.jp/201606281735457440/
▶過去の、ダニー・レイ
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/ 小曽根真ノー・ネーム・ホーセズvs.クリスチャン・マクブライド・ビッグ・バンド
http://43142.diarynote.jp/201412310727087161/
▶︎過去の、ザ・オリジナル・ジェイムズ・ブラウン・バンド/シンシア・ムーア。フレッド・トーマス 、トニー・クック 、ジョージ"スパイク"ニーリー
http://43142.diarynote.jp/201412310727087161/
https://43142.diarynote.jp/201806040807198626/
▶過去の、ボニー・レイット
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
▶︎過去の、ドン・ワズ
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
https://43142.diarynote.jp/201906151230594715/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
<今日の、貴さ>
実は、両公演とも入りはなぜかいまいちであった。前者は2日間公演の最終日で、後者は初日で日曜日まであと3日間ショウが持たれる。だが、それぞれのリーダーとバンド員たちはそんなことを気にするそぶりも出さず、誠心誠意パフォーマンスにあたり、東京でギグをできる感謝をあらわす。プロなら当然のことなのだが、一点の曇りもなくそれを清々しく出す面々に、ぼくは頭を垂れる。
フェンダー・ローズを弾きながら歌うジャクソンをサポートするのは在LAのミュージシャンたちか。キーボードとコーラスのレックス・キャメロン(ロンドン出身と紹介された)、ギターでNY出身のクラーレンス・ブライス(テレキャスターを持ち、カーティス・メイフィールド的な指さばきを披露)、フランス出身ベーシストのアントアーヌ・カッツ、ドラムのマーク・ホイットフィールド Jr. (有名ギタリストである父親と来日している彼、ジャクソンともやっているのか)とパーカッションのアラコイ・"ミック ホールデン"・ピートという陣容による。
スコット・ヘロンとのことを語り、彼と作った曲を生理的に悠然と披露していく。ジャクソンは決定的な味にはかなり欠けるが、何気に声量はあり、音程はスコット・ヘロンよりはくっきりしている。なんか、テリー・キャリア(2002年5月21日、2004年4月19日、2005年2月17日、2007年3月8日、2009年9月15日)の持ち味を鍵盤主体表現で開いているという所感も得たか。
90分のパフォーマンス。ジャクソンは1曲で、グラウンド・ピアノに移りソロをとったが、かなり達者。ちゃんとジャズもできる人ですね。また、1曲はスロウ持ち曲をピアノ弾き語りもする。2曲ではフルートも手にしたりもし、やはり音楽的な才能に恵まれていることを伝える。1952年生まれだから、まだまだこれからがありそうとも思えた。
▶過去の、クール&ザ・ギャング/J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/200611281428510000/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201403051230433466/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201412291146465218/
http://43142.diarynote.jp/201508051544452721/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201602290953239524/
https://43142.diarynote.jp/201710121703595237/
▶︎過去の、テリー・キャリア
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-5.htm
http://43142.diarynote.jp/200502232039250000/
http://43142.diarynote.jp/200703101608130000/
http://43142.diarynote.jp/200909181206531984/
http://43142.diarynote.jp/200404190049350000/
その後、丸の内・コットンクラブで、ミンディ・エイベア (2009年9月20日)& ザ・ボーンシェイカーズのライヴを見る。見ることが叶わなかった前回来日公演時に、ぼくはこんなことを書いていますね。→https://43142.diarynote.jp/201510251330372218/ 下のほう
今回、スウィートピー・アトキンソンの同行はなかったが、しっかりギタリストのランディ・ジェイコブズ(2017年5月5日)はザ・ボーンシェイカーズの要の奏者として来ている。他にメンバーはキーボードのランディ・リー、ベースのベン・ホワイト、ドラムのサード・リチャードソンという面々でアフリカ系奏者が多い。ベン・ホワイト以外はミンディ・エイベア & ザ・ボーンシェイカーズのここ数作品に参加しているミュージシャンたちだ。
おお彼女、今はこうなっているんだよな。スムース・ジャズ系のアルト・サックス奏者として世に出た彼女だったが、歌うことに力を入れ、ソウル/ファンク調やアーシー系表現に移行し(2017年作には、故グレッグ・オールマンが歌っている曲もあった)、2019年新作『No GoodDead』(Pretty Good For a Girl )ではまったく明快なロック/ロックンロール傾向のなかで、彼女は歌い、アルト・サックスを吹いている。ソウル/ダンス傾向で行くキャンディ・ダルファー(2009年5月11日、2010年2月16日、2012年2月13日、2018年11月19日)に対し、ロック/アーシー傾向で行くミンディ・エイベアという説明は間違いなくできよう。
そして、この晩もそんな路線に則った生き方で、ストレートにロッキッシュに迫る。もう竹を割ったようなわかりやすい華や娯楽性の持ち方に、ラスヴェガスから帰ってきたばかりのぼくはわあアメリカっぽい、どこかヴェガスっぽいと思ってしまった。実際、金髪(に染めた?)綺麗目で太ってもいないミンディはラスヴェガスで颯爽と働く女性のタイプと重なる?
その彼女の歌にしろアルトにしろ、実にまっとう。実力者だ。それはバンドのメンバーも同じで、きっちりバンド表現(皆んな、コーラスも取る)で攻め、ちゃんとバンド名を名乗っていることにも納得。途中でドラマーがいい声で歌い始めた曲はなんとジェイムズ・ブラウン(2000年8月5日)の「コールド・スウェット」。おお、こんなロックぽいJB曲は初めて聞いた。また、途中でジェイコブズはカスタム・メイドのバンジョーを手にし、ドラマーはカホーンを叩き、キーボード奏者はカズーを担当する曲があったのだが、それはジミ・ヘンドリックスの「ヴードゥ・チャイル」。おお、いい味。それに触れながら、アメリカーナと呼ばれる表現は、米国の音楽史の襞として登録されている曲や情緒の引き出しをあけ、それを今という時間に解き放つ行為であるのだと思わせられた。ミンディ・エイベア & ザ・ボーンシェイカーズの音、フランクでチャラいようで実は深いところあります。馬鹿にしちゃいけないよ。あ、皆んなで歌ったアンコールは、ロバート・パーマーの大ヒット曲「アデイクテット・トゥ・ラヴ」でした。イエイ。
そして、ぼくのお目当てのランディ・ジェイコブズだが、さすがの演奏。デトロイト育ちの彼はスウィートピー・アトキンソンと同じくドン・ワズ(2013年2月15日、2019年6月12日、2019年6月13日、2019年6月14日)とは昵懇の間柄となるが、ピックを使わずいろんな演奏を繰り出すそのマスターぶり(数曲ではスライド・バーも用いる。エフェクターにはあまり頼らない)は、真のギター好きは彼だけ目当に行っても損はないと思える。MCによれば、ワズ(・ノット・ワズ)だけでなく、彼はギタリストでもあるボニー・レイット(2007年4月6日)のバンドにいたこともあるのか。でも、さもありなんという感じですね。
▶︎過去の、ミンディ・エイベア
https://43142.diarynote.jp/200909271554269289/
▶︎過去の、ランディ・ジェイコブズ
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▶︎過去の、キャンディ・ダルファー
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▶過去の、JB
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm サマーソニック初日
▶︎過去の、JBの映画2種
http://43142.diarynote.jp/201503041619591535/
http://43142.diarynote.jp/201606281735457440/
▶過去の、ダニー・レイ
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/ 小曽根真ノー・ネーム・ホーセズvs.クリスチャン・マクブライド・ビッグ・バンド
http://43142.diarynote.jp/201412310727087161/
▶︎過去の、ザ・オリジナル・ジェイムズ・ブラウン・バンド/シンシア・ムーア。フレッド・トーマス 、トニー・クック 、ジョージ"スパイク"ニーリー
http://43142.diarynote.jp/201412310727087161/
https://43142.diarynote.jp/201806040807198626/
▶過去の、ボニー・レイット
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
▶︎過去の、ドン・ワズ
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
https://43142.diarynote.jp/201906151230594715/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
<今日の、貴さ>
実は、両公演とも入りはなぜかいまいちであった。前者は2日間公演の最終日で、後者は初日で日曜日まであと3日間ショウが持たれる。だが、それぞれのリーダーとバンド員たちはそんなことを気にするそぶりも出さず、誠心誠意パフォーマンスにあたり、東京でギグをできる感謝をあらわす。プロなら当然のことなのだが、一点の曇りもなくそれを清々しく出す面々に、ぼくは頭を垂れる。
クリスティーナ・アギレラ
2019年9月21日 音楽 明日は何を見ましょうかという感じで選んだのは、クリステォーナ・アギレラのショウ。“ザ・エクスペリエンス”と名付けられたパッケージで、これはヴェガス特化の出し物。この5月から来年3月にかけて持たれ、場所はプラネット・ハリウッド・リゾート&カジノのザッポス・シアター。劇場に入ったら、めちゃデカい会場でびっくり。7000人収容とかで、ホテル併設のスポーツをやらない純シアターとしてはザ・ストリップで一番デカいらしい。入場時に厳重な、空港に入るときのようなセキュリティ・チェックを受けた。それは、今回行った会場のなかではここだけ。21時開演のはずが1時間押しで始まる。40分すぎたころから開演を促す拍手が時に起こったりもするが、大きな波にはならない。
ショウは当然ことながら、米国エンターテインメントの粋を集約したと言えるものだった。大きなアーチが作られたステージ上に、10人のダンサーとアギレラが現れ、ショウは始まる。ステージ前にX型のとその外に半円の出道が作られ、それも場合によっては作われる。大まかにみれば、スペイシーな効果が施されているか。映像とライティングは最大限に用いるが、冒頭はもしかすると音楽トラックはプリセットのものを使うのかと思う。
ショウは2〜3曲ごとに幕が閉まり間奏が入り、ステージ・デザインやアギレラ達の衣装が変えられるという設定。そして、最初の幕間の後からは、鍵盤、ギター、ベース、ドラム、3人のコーラスがアーチの上に位置し、プリセット音も用いつつ生音を加える。ギタリストとベーシストはステージ前面に降りてきて演奏する場合もあった。
わあ、アギレラって歌がうまい。過剰な喉への負担のかけ方をせずにがっちり確かな歌唱を彼女は聞かせる。それ、感心。もし、口パクだとしても、その巧妙さに脱帽するしかない。で、ラベルの「レディ・マーマレード」の映画絡みの2001年カヴァーを含む、オールタイムの有名曲が披露されるわけだが、その映像を含む構成がお上手。その総体は、<痛みを知る、自立する女性像>をきっちり結晶させていた。見て何気に達成感を覚えさせる出し物、ナリ。
会場を出ると、カジノのあちこちに露出度の高い女性がお立ち台に立ち、踊っている。それ、プラネット・ハリウッドの夜の売りのよう。
▶︎過去の、ノーナ・ヘンドリックス/ラベル
https://43142.diarynote.jp/201009151537076176/
<今日の、もうけ>
今回、渡米中に再認識したのは、自分の冷房に対する弱さ。もう、行きの飛行機の中から冷房はギンギン、ぼくはT-シャツとトレイナーの重ね着にジャケットを羽織り、首にはストゥールを巻き、それでOK。おいおい。なのに、T-シャツだけでいる人もいるものなあ。ヴェガスは確かに気温は高い。が、湿度がとっても低い。ぼくは鼻の粘膜が弱く乾燥する冬場にはただれてしまうのだが、ラスヴェガス滞在の前半でそうなったのには驚いた。とうぜん、ホテルやカジノやモールも冷房は絶賛大効き。重ね着するシャツと上着は欠かせなかった。就寝時はエアコンを切って、ちょうどよかった。
今回エアーはUAを使い、行きはサンフランシスコ経由で、帰りはデンヴァー経由。行き帰りで異なる経路にしたのは、同じじゃつまらない。ところで、行きも帰りも、米国国内便の離陸が定刻より3〜4時間は遅れたのにはビックリ。運がとっても悪いとしか言いようがない。行きはUA社員が罪滅ぼしのため、水とお菓子を配った。帰り便は余裕たっぷりであったはずの乗り換え時間がギリとなり(機内に入ってからもグズグズして飛ばなかったなあ。性格がちゃんとしてそうな男性乗務員に確認を取ると大丈夫、まかせろと言うので、まあ平常心でいたが)デンヴァーに降りると、成田便ゲートに向かう客を乗せるカートが待機していた。おお、空港内カートに乗るというのは初体験じゃ。なんか、それについてはうれしかった。そこそこ離れてはいたが、国際便のゲートも同じターミナルだった。しかし、ラスヴェガスには日本との直行便がないのに、デンヴァー直行便があるというのはちょい謎(→デンヴァーはUAのハブ空港らしい)。これで、ヴェガス直行便があれば、ぼくはまた行く(かも)。帰国便、フルでした。
行き帰りの国際便では、映画「ボヘミアン・ラプソディ」と「ロケットマン」をしっかり見る。へえ、後者は少しミュージカル仕立てっぽい箇所もあるのか。両主人公ともそんなに似ていないと、ぼくには思えた。特に、フレディ・マーキュリーのほうはそう。クイーンは他のメンバーのほうがしっくり来る。なんて、リアルタイム経験組ながらファンじゃないぼくが言うのもなんだが。ぼくはマーキュリーの爬虫類的なルックスに昔からひいていました。エルトン・ジョンの場合は1974年シングルの「ベニー&ザ・ジェッツ」(実は米国黒人ラジオ局に認められたもっとも初期の白人曲となる)までは好きでよく聞き、その後はほぼ聞いていない。それは彼の作曲能力の減衰に伴うわけだが、加齢とともに作曲能力が下がるのはポール・マッカートニー(2018年10月31日)やトッド・ラングレン(2001年11月9日、2002年9月19日、2002年9月28日、2008年4月7日、2010年10月10日)らメロディ・メイカーと言われる人にすべからく当てはまる事実だ。
話はそれたが、ともに音楽や楽曲にある襞を描かんとしているのは了解。となにげに冷静に書いているのは、アリサ・フランクリンの1971年1月13日と14日にLAのザ・ニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会で持たれたゴスペル・コンサートの模様を伝える映画「Amezing Grace」を機内で見ることができたからだ。今年に入って大々的に本国では公開され、音楽DVDのチャートで1位にもなっているが、日本では未発表だ。
1972年に同名の2枚組アルバムが出されたこのゴスペル公演は当初からスペシャルなものとして映画化することも決められ、役者としても知られるロシア系米国人のシドニー・ポラックが監督にあたった。だが、音楽と映像の同期がうまくいかずお蔵入り。ワーナー・ブラザースの倉庫に眠っていた20時間のテープの権利が2007年に他者に渡り、今の技術を介して同期させた87分の映画として、2011年に完成。しかし、当のフランクリンがOKを出さず(緊張している様も描かれ、当人にとってはいまいちいい印象をもっていないのかもしれない)、彼女の死後にすぐに遺族が公開を許諾したという経緯を持つ。
映像美などはあまり考えていないような、そっけないマテリアルゆえ、その場の出来事の模様は素直に伝えられるという部分はあるか。ああ、そうだったのかと合点がいく部分もある。当人に加え、ピアノと歌のジェイムズ・クリーヴランド牧師、サザン・カリフォルニア・コミュニティ・クワイアー、オルガンのケネス・ルッパー(全盛期のビリー・プレストンのバンドにいた人だが、顔も彼に似ている)、ギターのコーネル・デュプリー(2002年6月25日、2010年8月31日)、ベースのチャック・レイニー(2011年6月21日、2018年11月22日)、ドラムのバーナード・パーディ(2006年7月26日、2012年6月19日)らがサポートをする。あまり映らないのは残念だが。父親のC.L.フランクリンもいるし、2日目に観覧したストーンズ(2019年4月19日)のミック・ジャガーとチャリー・ワッツも映る。いやあ、これを見れるとはうれしい。
実は飛行機内の音楽プログラムはしょぼいが、映像プログラムは豊富で、他にも音楽ものはいくつかあった。ジャニス・ジョプリンのドキュメンタリー「リトル・ガール・ブルー」(2016年6月20日)もリストにあったが、そちらはTV番組のプログラムに入っていた。それ、劇場公開映画ではなく、TV放映用の映像作品であったのか。
▶︎過去の、ポール・マッカートニー
https://43142.diarynote.jp/201811011655349966/
▶過去の、トッド・ラングレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200804081929500000/
http://43142.diarynote.jp/201010111257003810/
▶過去の、コーネル・デュプリー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-6.htm
http://43142.diarynote.jp/201009010955348098/
▶︎過去の、チャック・レイニー
https://43142.diarynote.jp/201106270438075311/
https://43142.diarynote.jp/201811251043143983/
▶︎過去の、バーナード・パーディ
https://43142.diarynote.jp/200607281034380000/
https://43142.diarynote.jp/201206210944302024/
▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月13日(バック・バンド)。15日
https://43142.diarynote.jp/201904200941516964/ ストーンズ展
▶︎過去の、「リトル・ガール・ブルー」
https://43142.diarynote.jp/201606231719464677/
ショウは当然ことながら、米国エンターテインメントの粋を集約したと言えるものだった。大きなアーチが作られたステージ上に、10人のダンサーとアギレラが現れ、ショウは始まる。ステージ前にX型のとその外に半円の出道が作られ、それも場合によっては作われる。大まかにみれば、スペイシーな効果が施されているか。映像とライティングは最大限に用いるが、冒頭はもしかすると音楽トラックはプリセットのものを使うのかと思う。
ショウは2〜3曲ごとに幕が閉まり間奏が入り、ステージ・デザインやアギレラ達の衣装が変えられるという設定。そして、最初の幕間の後からは、鍵盤、ギター、ベース、ドラム、3人のコーラスがアーチの上に位置し、プリセット音も用いつつ生音を加える。ギタリストとベーシストはステージ前面に降りてきて演奏する場合もあった。
わあ、アギレラって歌がうまい。過剰な喉への負担のかけ方をせずにがっちり確かな歌唱を彼女は聞かせる。それ、感心。もし、口パクだとしても、その巧妙さに脱帽するしかない。で、ラベルの「レディ・マーマレード」の映画絡みの2001年カヴァーを含む、オールタイムの有名曲が披露されるわけだが、その映像を含む構成がお上手。その総体は、<痛みを知る、自立する女性像>をきっちり結晶させていた。見て何気に達成感を覚えさせる出し物、ナリ。
会場を出ると、カジノのあちこちに露出度の高い女性がお立ち台に立ち、踊っている。それ、プラネット・ハリウッドの夜の売りのよう。
▶︎過去の、ノーナ・ヘンドリックス/ラベル
https://43142.diarynote.jp/201009151537076176/
<今日の、もうけ>
今回、渡米中に再認識したのは、自分の冷房に対する弱さ。もう、行きの飛行機の中から冷房はギンギン、ぼくはT-シャツとトレイナーの重ね着にジャケットを羽織り、首にはストゥールを巻き、それでOK。おいおい。なのに、T-シャツだけでいる人もいるものなあ。ヴェガスは確かに気温は高い。が、湿度がとっても低い。ぼくは鼻の粘膜が弱く乾燥する冬場にはただれてしまうのだが、ラスヴェガス滞在の前半でそうなったのには驚いた。とうぜん、ホテルやカジノやモールも冷房は絶賛大効き。重ね着するシャツと上着は欠かせなかった。就寝時はエアコンを切って、ちょうどよかった。
今回エアーはUAを使い、行きはサンフランシスコ経由で、帰りはデンヴァー経由。行き帰りで異なる経路にしたのは、同じじゃつまらない。ところで、行きも帰りも、米国国内便の離陸が定刻より3〜4時間は遅れたのにはビックリ。運がとっても悪いとしか言いようがない。行きはUA社員が罪滅ぼしのため、水とお菓子を配った。帰り便は余裕たっぷりであったはずの乗り換え時間がギリとなり(機内に入ってからもグズグズして飛ばなかったなあ。性格がちゃんとしてそうな男性乗務員に確認を取ると大丈夫、まかせろと言うので、まあ平常心でいたが)デンヴァーに降りると、成田便ゲートに向かう客を乗せるカートが待機していた。おお、空港内カートに乗るというのは初体験じゃ。なんか、それについてはうれしかった。そこそこ離れてはいたが、国際便のゲートも同じターミナルだった。しかし、ラスヴェガスには日本との直行便がないのに、デンヴァー直行便があるというのはちょい謎(→デンヴァーはUAのハブ空港らしい)。これで、ヴェガス直行便があれば、ぼくはまた行く(かも)。帰国便、フルでした。
行き帰りの国際便では、映画「ボヘミアン・ラプソディ」と「ロケットマン」をしっかり見る。へえ、後者は少しミュージカル仕立てっぽい箇所もあるのか。両主人公ともそんなに似ていないと、ぼくには思えた。特に、フレディ・マーキュリーのほうはそう。クイーンは他のメンバーのほうがしっくり来る。なんて、リアルタイム経験組ながらファンじゃないぼくが言うのもなんだが。ぼくはマーキュリーの爬虫類的なルックスに昔からひいていました。エルトン・ジョンの場合は1974年シングルの「ベニー&ザ・ジェッツ」(実は米国黒人ラジオ局に認められたもっとも初期の白人曲となる)までは好きでよく聞き、その後はほぼ聞いていない。それは彼の作曲能力の減衰に伴うわけだが、加齢とともに作曲能力が下がるのはポール・マッカートニー(2018年10月31日)やトッド・ラングレン(2001年11月9日、2002年9月19日、2002年9月28日、2008年4月7日、2010年10月10日)らメロディ・メイカーと言われる人にすべからく当てはまる事実だ。
話はそれたが、ともに音楽や楽曲にある襞を描かんとしているのは了解。となにげに冷静に書いているのは、アリサ・フランクリンの1971年1月13日と14日にLAのザ・ニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会で持たれたゴスペル・コンサートの模様を伝える映画「Amezing Grace」を機内で見ることができたからだ。今年に入って大々的に本国では公開され、音楽DVDのチャートで1位にもなっているが、日本では未発表だ。
1972年に同名の2枚組アルバムが出されたこのゴスペル公演は当初からスペシャルなものとして映画化することも決められ、役者としても知られるロシア系米国人のシドニー・ポラックが監督にあたった。だが、音楽と映像の同期がうまくいかずお蔵入り。ワーナー・ブラザースの倉庫に眠っていた20時間のテープの権利が2007年に他者に渡り、今の技術を介して同期させた87分の映画として、2011年に完成。しかし、当のフランクリンがOKを出さず(緊張している様も描かれ、当人にとってはいまいちいい印象をもっていないのかもしれない)、彼女の死後にすぐに遺族が公開を許諾したという経緯を持つ。
映像美などはあまり考えていないような、そっけないマテリアルゆえ、その場の出来事の模様は素直に伝えられるという部分はあるか。ああ、そうだったのかと合点がいく部分もある。当人に加え、ピアノと歌のジェイムズ・クリーヴランド牧師、サザン・カリフォルニア・コミュニティ・クワイアー、オルガンのケネス・ルッパー(全盛期のビリー・プレストンのバンドにいた人だが、顔も彼に似ている)、ギターのコーネル・デュプリー(2002年6月25日、2010年8月31日)、ベースのチャック・レイニー(2011年6月21日、2018年11月22日)、ドラムのバーナード・パーディ(2006年7月26日、2012年6月19日)らがサポートをする。あまり映らないのは残念だが。父親のC.L.フランクリンもいるし、2日目に観覧したストーンズ(2019年4月19日)のミック・ジャガーとチャリー・ワッツも映る。いやあ、これを見れるとはうれしい。
実は飛行機内の音楽プログラムはしょぼいが、映像プログラムは豊富で、他にも音楽ものはいくつかあった。ジャニス・ジョプリンのドキュメンタリー「リトル・ガール・ブルー」(2016年6月20日)もリストにあったが、そちらはTV番組のプログラムに入っていた。それ、劇場公開映画ではなく、TV放映用の映像作品であったのか。
▶︎過去の、ポール・マッカートニー
https://43142.diarynote.jp/201811011655349966/
▶過去の、トッド・ラングレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200804081929500000/
http://43142.diarynote.jp/201010111257003810/
▶過去の、コーネル・デュプリー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-6.htm
http://43142.diarynote.jp/201009010955348098/
▶︎過去の、チャック・レイニー
https://43142.diarynote.jp/201106270438075311/
https://43142.diarynote.jp/201811251043143983/
▶︎過去の、バーナード・パーディ
https://43142.diarynote.jp/200607281034380000/
https://43142.diarynote.jp/201206210944302024/
▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月13日(バック・バンド)。15日
https://43142.diarynote.jp/201904200941516964/ ストーンズ展
▶︎過去の、「リトル・ガール・ブルー」
https://43142.diarynote.jp/201606231719464677/
スモーキー・ロビンソン
2019年9月20日 音楽 なんと、スモーキー・ロビンソンのご尊顔を拝むことができようとは! 現在、79歳。モータウンの契約第一号アーティストであり、長年モータウンの副社長を務め、なんといってもスウィート&メロウな歌声の持ち主にして、極上のソングライターである、まさにミスター・モータウンたる人物を見ることが、今回のヴェガス行きの第一の目的だった。彼が最後にアルバムを出したのは、ジョン・レジェンド(2005年5月8日)やレデシー(2002年6月12日、2007年11月12日、2009年1月25日、2010年1月8日 、エルトン・ジョン他いろんな人と絡んだ特別製と言える2014年作『スモーキー&フレンズ』(ヴァーヴ)だ。
会場は、高級ホテルとして知られるウィン・ラスヴェガス&アンコール。カジノを通って、そのアンコール・シアターまで行く間に、なるほどこれは格式高いホテルなのだなと実感。チケッティングするところに至る通路とか、入口を入ってからの風情もなにかときらびやかにして落ち着きあり。トイレももちろんきれい。
会場内はすり鉢状になっていて、感じとしては1500人ぐらい入る会場と思った。チケットは過剰に高くなく130ドルぐらいだったか(税が高く、込みで180ドル)、知人に取ってもらったんだが、横ではない前目の席(全体の1/3より前)だったのでびっくり。これじゃ、表情もろ見えぢゃん。座っていて、どんどん高揚してきちゃう。もちろん、満場だ。
20時開演を約10分押しで始まったショウは、まずバック・バンドの前奏から始まる。キーボード2人(うち、1人がミュージカル・ディレクターをする)、ギター、ベース、ドラム、コーラス3人というサポート編成なり。それほどはうまくない。最初はアレっと思っちゃった。
そして、ステージ中央のドアから御大は登場する。万感の拍手の嵐。黒基調に深紅色のキラキラなジャケットを着用し、華あり。そんなにお腹は出ておらず、顔も一頃より細くなった? 肌はテカテカで皺なし。前より快活で、若返ったという所感は接した観客は皆んな得たのではないか。
そして、ショウはスモーキーの1982年全米2位の自作曲「ビーイング・ウィズ・ユー」から始まる。ワウ、ちゃんと歌える。そりゃ、かつての様からみれば、艶や精気が減じているところはあるかもしれない。だが、ぼくの耳にはとっても現役感ある歌声に聞こえた。
ボブ・ディランやジョン・レノンも最敬礼したスモーキーの歌声や佇まいに触れられればOKと思ってラスヴェガスに飛んだわけだが、思った以上元気に歌い、彼は動く。いや、あっぱれ。
そう、彼の身のこなしには大きく頷いた。これが、けっこう左右に動き、ステップを踏んだりするのだ。終盤にはちょいセクシーな仕草も見せ、女性客が湧く。もう、過去のソウルのマナーの積み重ね、観客の反応のツボを知り尽くしていると言わんばかりに、彼はパフォーマンスをまっとうする。ああ、これがスモーキーか。これが米国大衆ソウルを支えた最たる御仁か。ぼくは、ソウル・オブ・エイジズをいやがおうにも感じてしまい、胸が熱くなった。でも、ちゃんと質量感を持ちつつ、彼の振る舞いは軽々としていて、それが和みを誘う。それが、どんなに素敵なことか分かるかい?
曲は、もちろん有名曲が中心。「ウー・ベイビー・ベイビー」や「ザ・ティアーズ・オブ・ア・クラウン」など、5分の3はザ・ミラクルズ時代の曲。また、珠玉の自作曲に加え(彼が書いたテンプス〜2009年11月8日、2013年8月18日、2017年3月20日〜曲も披露)、スタンダードの「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」も少しスウィギンに歌う。死ぬほど他の人のヴァージョンも聞いてきている曲だが、だからこそまろやか&ダンディなスモーキーの歌い口に触れると、彼のありがたみを実感できちゃう。スモーキーって裏声歌唱の人という印象を持っていたが、それなりに地声で歌ってもいて、やはりその際も甲高い声ですね。
クローザーはディアンジェロ(2015年8月18日)もデビュー作で取り上げていた1979年曲「クルージン」をアップめ、ゴスペル色を強めて披露。この際、前に座っていた女性2人をステージに上げ、彼女たちを使って左右に分けて観客にリフレインを歌わせたりもしたのだが、その際の観客の歌声のデカさはオレの経験のなかでも間違いなくトップ級のものだった。やっほー、アメリカで御大を見るありがたさを感じた。
約15曲、1時間45分ほど。アタマのほうにご尊顔と書いたが、勇姿と書いた方が適切なショウ。でもって、皆んなといい音楽、いい場を共有したいというスモーキーの思いのようなものが横溢。ボクはもう稼がなくてもいいんだ、山ほどの名誉も得ているし。てな、彼の所感も伝わってくるような気がして、すこぶる気持ちよし。書き遅れたが、観客は中年以上が多く、綺麗な格好をしている人も少なくなかった。ぼくの隣に座っていたのは普段カントリーを聞いていそうな老夫婦だった。
なお、これはラスヴェガス特化プログラムではなく、スモーキーはただいま米国ツアー中。断続的、ゆるいペースながら、来年2月まで日程が出されている。あ、物販はありませんでした。
▶過去の、ジョン・レジェンド
http://43142.diarynote.jp/200505141714260000/
▶︎過去の、レデシー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-6.htm
https://43142.diarynote.jp/200711131002450000/
https://43142.diarynote.jp/200901270025408952/
https://43142.diarynote.jp/201001091312302526/
▶︎過去の、ザ・テンプテーションズ・レヴュー
http://43142.diarynote.jp/200911101136006646/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
http://43142.diarynote.jp/201703211232135720/
▶︎過去の、ディアンジェロ
https://43142.diarynote.jp/201508200741137207/
<今日の、現場>
ヴェガス滞在期間中に、見た公演は3つ。それ以上宿泊したが、売り切れになっていたり(普通の都市であればこういう場合でも会場前に行けばダフ屋がいるものだが、どうなんだろう? まあ、そこまでして見たい出演者はなし)、公演が休みの日であったり。シルク・ド・ソレイユの「マイケル・ジャクソン・ワン」や「ザ・ビートルズ・ラヴ」(それを提供するミラージュ・ホテルの上面にでっかくディスプレイされたザ・ビートルズの4人の顔にはほんの少し萌える)はせっかくここに来たのだから、見てもいいなと思ったんだが、両方とも見事に休演日だった。ま、そのぶん、各ホテルの工夫を凝らした建物設定やアトラクションをいろいろと探索し楽しんだり、その度にそれぞれのカジノでスロットをしたり。今はドル札をそのままマシーンに入れて始めることができるので、ほんと気軽にやってしまう。そうした腰の軽いつまみ食い移動に、フジ・ロックに行っていたときの我が様を思い出す。ハハ。
過去にこの欄に書いたことがあるように、ぼくは博才がないためもあり、まったくギャンブルに興味が持てない。だが、行った先にカジノがあった場合は別で、郷に入れば郷に従えとなる。イエ〜。少しでもお金を落としたカジノは今回、10を超えている。それなりにクレジットが増えたときもあったが、どこでもとうぜんすった。それ、納得済みのこと。と言いつつ、帰国後は少し節制せねば。しかし、カジノほかすべてが巨大。とくにMGMグランドはまさにグランドで方向感覚を失い、見事に迷子になった。ファッション・ショーというモールも同じく。
そう言えば、日本ではラグビーのワールドカップが始まったのだなー。NBCスポーツだかで、試合を放映していて驚いた。へえ、W 杯には米国も出ているのか。日本の会場、きれいに映っているなー。なんか、日本/韓国のサッカーW杯の開会式を出張先のローマで見たことを思い出す(2002年6月1日)。ゲームとして率直に判断するなら、サッカーよりもラグビーのほうが面白いと、サッカーが大好きなぼくは思います。
▶︎過去の、日本でのワールド・カップ開会式の中継イン・ローマ(6月1日)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-6.htm
会場は、高級ホテルとして知られるウィン・ラスヴェガス&アンコール。カジノを通って、そのアンコール・シアターまで行く間に、なるほどこれは格式高いホテルなのだなと実感。チケッティングするところに至る通路とか、入口を入ってからの風情もなにかときらびやかにして落ち着きあり。トイレももちろんきれい。
会場内はすり鉢状になっていて、感じとしては1500人ぐらい入る会場と思った。チケットは過剰に高くなく130ドルぐらいだったか(税が高く、込みで180ドル)、知人に取ってもらったんだが、横ではない前目の席(全体の1/3より前)だったのでびっくり。これじゃ、表情もろ見えぢゃん。座っていて、どんどん高揚してきちゃう。もちろん、満場だ。
20時開演を約10分押しで始まったショウは、まずバック・バンドの前奏から始まる。キーボード2人(うち、1人がミュージカル・ディレクターをする)、ギター、ベース、ドラム、コーラス3人というサポート編成なり。それほどはうまくない。最初はアレっと思っちゃった。
そして、ステージ中央のドアから御大は登場する。万感の拍手の嵐。黒基調に深紅色のキラキラなジャケットを着用し、華あり。そんなにお腹は出ておらず、顔も一頃より細くなった? 肌はテカテカで皺なし。前より快活で、若返ったという所感は接した観客は皆んな得たのではないか。
そして、ショウはスモーキーの1982年全米2位の自作曲「ビーイング・ウィズ・ユー」から始まる。ワウ、ちゃんと歌える。そりゃ、かつての様からみれば、艶や精気が減じているところはあるかもしれない。だが、ぼくの耳にはとっても現役感ある歌声に聞こえた。
ボブ・ディランやジョン・レノンも最敬礼したスモーキーの歌声や佇まいに触れられればOKと思ってラスヴェガスに飛んだわけだが、思った以上元気に歌い、彼は動く。いや、あっぱれ。
そう、彼の身のこなしには大きく頷いた。これが、けっこう左右に動き、ステップを踏んだりするのだ。終盤にはちょいセクシーな仕草も見せ、女性客が湧く。もう、過去のソウルのマナーの積み重ね、観客の反応のツボを知り尽くしていると言わんばかりに、彼はパフォーマンスをまっとうする。ああ、これがスモーキーか。これが米国大衆ソウルを支えた最たる御仁か。ぼくは、ソウル・オブ・エイジズをいやがおうにも感じてしまい、胸が熱くなった。でも、ちゃんと質量感を持ちつつ、彼の振る舞いは軽々としていて、それが和みを誘う。それが、どんなに素敵なことか分かるかい?
曲は、もちろん有名曲が中心。「ウー・ベイビー・ベイビー」や「ザ・ティアーズ・オブ・ア・クラウン」など、5分の3はザ・ミラクルズ時代の曲。また、珠玉の自作曲に加え(彼が書いたテンプス〜2009年11月8日、2013年8月18日、2017年3月20日〜曲も披露)、スタンダードの「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」も少しスウィギンに歌う。死ぬほど他の人のヴァージョンも聞いてきている曲だが、だからこそまろやか&ダンディなスモーキーの歌い口に触れると、彼のありがたみを実感できちゃう。スモーキーって裏声歌唱の人という印象を持っていたが、それなりに地声で歌ってもいて、やはりその際も甲高い声ですね。
クローザーはディアンジェロ(2015年8月18日)もデビュー作で取り上げていた1979年曲「クルージン」をアップめ、ゴスペル色を強めて披露。この際、前に座っていた女性2人をステージに上げ、彼女たちを使って左右に分けて観客にリフレインを歌わせたりもしたのだが、その際の観客の歌声のデカさはオレの経験のなかでも間違いなくトップ級のものだった。やっほー、アメリカで御大を見るありがたさを感じた。
約15曲、1時間45分ほど。アタマのほうにご尊顔と書いたが、勇姿と書いた方が適切なショウ。でもって、皆んなといい音楽、いい場を共有したいというスモーキーの思いのようなものが横溢。ボクはもう稼がなくてもいいんだ、山ほどの名誉も得ているし。てな、彼の所感も伝わってくるような気がして、すこぶる気持ちよし。書き遅れたが、観客は中年以上が多く、綺麗な格好をしている人も少なくなかった。ぼくの隣に座っていたのは普段カントリーを聞いていそうな老夫婦だった。
なお、これはラスヴェガス特化プログラムではなく、スモーキーはただいま米国ツアー中。断続的、ゆるいペースながら、来年2月まで日程が出されている。あ、物販はありませんでした。
▶過去の、ジョン・レジェンド
http://43142.diarynote.jp/200505141714260000/
▶︎過去の、レデシー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-6.htm
https://43142.diarynote.jp/200711131002450000/
https://43142.diarynote.jp/200901270025408952/
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▶︎過去の、ザ・テンプテーションズ・レヴュー
http://43142.diarynote.jp/200911101136006646/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
http://43142.diarynote.jp/201703211232135720/
▶︎過去の、ディアンジェロ
https://43142.diarynote.jp/201508200741137207/
<今日の、現場>
ヴェガス滞在期間中に、見た公演は3つ。それ以上宿泊したが、売り切れになっていたり(普通の都市であればこういう場合でも会場前に行けばダフ屋がいるものだが、どうなんだろう? まあ、そこまでして見たい出演者はなし)、公演が休みの日であったり。シルク・ド・ソレイユの「マイケル・ジャクソン・ワン」や「ザ・ビートルズ・ラヴ」(それを提供するミラージュ・ホテルの上面にでっかくディスプレイされたザ・ビートルズの4人の顔にはほんの少し萌える)はせっかくここに来たのだから、見てもいいなと思ったんだが、両方とも見事に休演日だった。ま、そのぶん、各ホテルの工夫を凝らした建物設定やアトラクションをいろいろと探索し楽しんだり、その度にそれぞれのカジノでスロットをしたり。今はドル札をそのままマシーンに入れて始めることができるので、ほんと気軽にやってしまう。そうした腰の軽いつまみ食い移動に、フジ・ロックに行っていたときの我が様を思い出す。ハハ。
過去にこの欄に書いたことがあるように、ぼくは博才がないためもあり、まったくギャンブルに興味が持てない。だが、行った先にカジノがあった場合は別で、郷に入れば郷に従えとなる。イエ〜。少しでもお金を落としたカジノは今回、10を超えている。それなりにクレジットが増えたときもあったが、どこでもとうぜんすった。それ、納得済みのこと。と言いつつ、帰国後は少し節制せねば。しかし、カジノほかすべてが巨大。とくにMGMグランドはまさにグランドで方向感覚を失い、見事に迷子になった。ファッション・ショーというモールも同じく。
そう言えば、日本ではラグビーのワールドカップが始まったのだなー。NBCスポーツだかで、試合を放映していて驚いた。へえ、W 杯には米国も出ているのか。日本の会場、きれいに映っているなー。なんか、日本/韓国のサッカーW杯の開会式を出張先のローマで見たことを思い出す(2002年6月1日)。ゲームとして率直に判断するなら、サッカーよりもラグビーのほうが面白いと、サッカーが大好きなぼくは思います。
▶︎過去の、日本でのワールド・カップ開会式の中継イン・ローマ(6月1日)
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「Purple Reign」
2019年9月19日 音楽 ラスヴェガスに来ている。ギャンブルとともに、もちろんエンターテインメントの街であり、非音楽系ショウだけでなく、音楽ライヴも多々やっていて、音楽目当てだけで行っても損はないのではないか。レコード店の類はないとしても。追記:メイン・ストリートから離れたところにはいろいろあるという話を後から識者に聞きました。
トロピカーナ(カジノ&ホテル)の左右にかなり長いシアターで、<Purple Reign>というレギュラーの出し物を見る。売れ行きいまいちで、ディカウントあり。当日に行くことに決めた。その字面が想起させるように、プリンス(2002年11月19日)のトリビュート・バンドのショウだ。プリンスのそっくりさんのパフォーマンスのショウというよりは、それなりに達者なコピー・バンドのコンサートという感じか。あ、似てなくはないですよ。
プリンス役の人(立って歌う場合もあるが、ギターを弾かせるとうまい)に加え、グラマラスさを意識しているはずのギター、ベース、キーボード、ドラムが付く。演目は、「キッス」などもやったが、『1999』から『パープル・レイン』にかけての曲が多し。つまりレコーディングは1人でやっていたとしても、ライヴにおいてはザ・レヴォルーションがサポートしていた時代を彷彿させるノリでやっている。だとすると、ギターと鍵盤はウェンディ&リサをならって女性にしてほしいとぼくは思った。ベースはブラウン・マークっぽいかといえばそうではなく、バンドが与える聞き手の襞を広げるような効果については無頓着と言える。
そのぶん、アポロミア6を意識する3人の女性ダンサーが出てきたり、モーリス・デイ(2019年6月23日)役の人が出てきたりして、華を添える部分もあり。感動したとかいう部分はないが、ワクワクはできました。前のほうのスツール席のほうの客はやんやでワッショイしていたなー。そういえば、各カジノで流れる音楽は様々ながらEDM系が多いとは感じ、あとプリンスとザ・ポリスはなにげに耳についたような。
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
▶︎過去の、モーリス・デイ
https://43142.diarynote.jp/201906240933026811/
<今日の所感>
NY、LA、サンフランシスコ、シンシナティ、ワシントンD.C.、ニューオーリンズ、メンフィス、マイアミ、グレイト・バーリントン、オースティン、サンアントニオ、ヒューストンなどなどの米国都市には行ったことがあったが、ラスヴェガスには初めて行く。実は21世紀に入る切れ目に、全財産持って運試ししようかとマジ思いラスヴェガスの研究をしたことがあった。あれ、なんでそうするのやめたのかな。そんなこともあってか、過去のラスヴェガスで撮影された映画を見た印象もあるためか、どこか既知感をえたのは確か。ではあるのだが、めちゃくちゃ楽しい。特に、ネオン技術を駆使した夜景はああコレかと、最初の晩に息を飲んだ。想像通りに一つ一つの規模がデカいが、施設が基本一本の道(ザ・ストリップ)に沿って有名どころは点在し、公共バス(その急行で、サクっと南北にあるアウトレット・モールにも行ける)がちゃんと走っているので車を運転せずにことたりる。サンタモニカあたりの海岸沿いの快楽/快適性を除けば、LAより断然こっちだな。完全に観光の街ゆえ、ここにいる人は遊びに来た人とそれに奉仕する人の二つだけであるのが、ストレスから解放する。ホテルのプールではここはどこ?的な気分も味わえるし。あと、ダウンタウンが想像を超えていい感じだった。
トロピカーナ(カジノ&ホテル)の左右にかなり長いシアターで、<Purple Reign>というレギュラーの出し物を見る。売れ行きいまいちで、ディカウントあり。当日に行くことに決めた。その字面が想起させるように、プリンス(2002年11月19日)のトリビュート・バンドのショウだ。プリンスのそっくりさんのパフォーマンスのショウというよりは、それなりに達者なコピー・バンドのコンサートという感じか。あ、似てなくはないですよ。
プリンス役の人(立って歌う場合もあるが、ギターを弾かせるとうまい)に加え、グラマラスさを意識しているはずのギター、ベース、キーボード、ドラムが付く。演目は、「キッス」などもやったが、『1999』から『パープル・レイン』にかけての曲が多し。つまりレコーディングは1人でやっていたとしても、ライヴにおいてはザ・レヴォルーションがサポートしていた時代を彷彿させるノリでやっている。だとすると、ギターと鍵盤はウェンディ&リサをならって女性にしてほしいとぼくは思った。ベースはブラウン・マークっぽいかといえばそうではなく、バンドが与える聞き手の襞を広げるような効果については無頓着と言える。
そのぶん、アポロミア6を意識する3人の女性ダンサーが出てきたり、モーリス・デイ(2019年6月23日)役の人が出てきたりして、華を添える部分もあり。感動したとかいう部分はないが、ワクワクはできました。前のほうのスツール席のほうの客はやんやでワッショイしていたなー。そういえば、各カジノで流れる音楽は様々ながらEDM系が多いとは感じ、あとプリンスとザ・ポリスはなにげに耳についたような。
▶過去の、プリンス
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▶︎過去の、モーリス・デイ
https://43142.diarynote.jp/201906240933026811/
<今日の所感>
NY、LA、サンフランシスコ、シンシナティ、ワシントンD.C.、ニューオーリンズ、メンフィス、マイアミ、グレイト・バーリントン、オースティン、サンアントニオ、ヒューストンなどなどの米国都市には行ったことがあったが、ラスヴェガスには初めて行く。実は21世紀に入る切れ目に、全財産持って運試ししようかとマジ思いラスヴェガスの研究をしたことがあった。あれ、なんでそうするのやめたのかな。そんなこともあってか、過去のラスヴェガスで撮影された映画を見た印象もあるためか、どこか既知感をえたのは確か。ではあるのだが、めちゃくちゃ楽しい。特に、ネオン技術を駆使した夜景はああコレかと、最初の晩に息を飲んだ。想像通りに一つ一つの規模がデカいが、施設が基本一本の道(ザ・ストリップ)に沿って有名どころは点在し、公共バス(その急行で、サクっと南北にあるアウトレット・モールにも行ける)がちゃんと走っているので車を運転せずにことたりる。サンタモニカあたりの海岸沿いの快楽/快適性を除けば、LAより断然こっちだな。完全に観光の街ゆえ、ここにいる人は遊びに来た人とそれに奉仕する人の二つだけであるのが、ストレスから解放する。ホテルのプールではここはどこ?的な気分も味わえるし。あと、ダウンタウンが想像を超えていい感じだった。
イエメン・ブルース(・デュオ)
2019年9月17日 音楽 イエメン・ブルースは、イスラエル人シンガーのラヴィッド・カハラーニが2010年に結成した多国籍ユニットだ。そのカラハーニは同国人気者のイダン・ライヒェル(2014年10月7日)のグループに在籍したこともあるそうで、イエメン・ブルースの日本盤も出た2015年作『インサニヤ ~人間性』(Inzima Publishing)はビル・ラズウェル(2004年9月5日、2005年7月30日、2005年8 月20日、2005年8月21日、2006年1月21日、2006年11月26日、2007年8月3日、2011年3月7日)がプロデュースしていた。2度目となる今回の来日は、電気ベース/ウード奏者のシャニア・ブルメンクランツを伴ってのもとなる。NY在住のブルメンクランツのお母さんはエジプト人だそう。代官山・晴れたら空に豆まいて。
1曲め、ゲンブリみたいな楽器を弾きながらカハラーニは歌い、ブルメンクランツはアンプリファイドしたウードを弾く。それ以降、カハラーニはスネアとタムと金物を並べたキットを叩きながら、歌う。自ら専門家じゃないと言っていたが、足を使わぬドラム的な演奏はパッションあり。一方、ブルメンクランツはファズ系エフェクトが効いたベースをぶりぶりギター風に弾いたり(その際は、ベース流儀の2フィンガーにて演奏)、ウードを手にしたり。何気にインスト部も長く、その場合、簡素ライトニング・ボルト(2009年11月15日)みたいな感じになるときもあった。
そして、肝心のカハラーニの歌だが、かなり訴求力あり。高めの声や裏声は存在感があり、かの地の風土を認識させよう。オルタナティヴな部分もあるが、ぼくが2人のパーフォーマンスに触れて感じたのは、トラッドを受け継いだ底力のようなもの。伝承曲を今様な楽器を用いふっきれてやっていると聞いても、ぼくは信じちゃうな。1時間50分ぐらいやった。日本人ベリー・ダンサーのミラも加わる局面もあったが、後から出てきたとき、彼女は衣装をかえ、髪に毛を新たに編んでいた。パフォーマンスを終えた際の、カハラーニの最後の言葉は、「飲もうぜ!」。
▶過去の、ビル・ラズウェル
http://43142.diarynote.jp/200409050916440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050730
http://43142.diarynote.jp/200508230544440000/
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
http://43142.diarynote.jp/200611271213510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20070803
http://43142.diarynote.jp/201103101345364557/
▶︎過去の、ザ・イダン・ライヒェル・プロジェクト
https://43142.diarynote.jp/201410141139176172/
▶︎過去の、ライトニング・ボルト
https://43142.diarynote.jp/200911161707238141/
<先日の、切手>
在米マリンバ奏者のミカ・ストルツマン(2014年10月17日)から2枚の新作CDが送られてきた。夫君のリチャード・ストルツマン(2014年10月17日)とバッハ、ラヴェル、ウィリアム・トーマス・マッキンリー、ジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月21日)、アストル・ピアソラ曲を瀟洒に演奏している『Palimpzsst』(Avie/東京エンプラス)。そして、スティーヴ・ガッド(2004年1月27日、2010年12月1日、2012年11月26日、2013年9月3日、2004年1月27日、2010年12月1日、2012年11月26日、2013年9月3日、2016年2月19日、2016年12月6日、2017年6月12日、2019年8月6日)の渾身の助力のもと続けられているミカのリーダー・グループであるミカリンバの『Tapereba』(Biground)の2作品。前者は2人のデュオ表現の集大成的な内容。また、ダンサブルなサウンドを標榜していた後者の新作はゆったり傾向で、かなり大人っぽい綾や襞を新たに獲得している。ガッドがオリジナルで叩いていたポール・サイモンの「恋人と別れる50の方法」はアメリカーナ的な仕上がりになった。で、その2枚のCDを包んだパッケージにはなんと、昨年USポストが発行したジョン・レノンの切手が貼ってある。その情報は得ていたが、これが現物か。うれしいっ。その切手の下に日本郵便の印刷切手が確認用に追加で貼られていたが、250円。欧州もそうだが、米国も郵便料は安価だなあ。
▶︎過去の、ミカ・ストルツマン
http://43142.diarynote.jp/201410220711345595/
https://43142.diarynote.jp/201706281510173316/
▶︎過去の、リチャード・ストルツマン
http://43142.diarynote.jp/201410220711345595/
https://43142.diarynote.jp/201706281510173316/
▶︎過去の、ジョン・ゾーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
▶過去の、スティーヴ・ガッド
http://43142.diarynote.jp/200402051855170000/
http://43142.diarynote.jp/201012051903113851/
http://43142.diarynote.jp/201212101904379741/
http://43142.diarynote.jp/201312171510083393/
http://43142.diarynote.jp/201410220711345595/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160219
http://43142.diarynote.jp/201612091513593556/
http://43142.diarynote.jp/201706130913351348/
https://43142.diarynote.jp/201908071557182844/
1曲め、ゲンブリみたいな楽器を弾きながらカハラーニは歌い、ブルメンクランツはアンプリファイドしたウードを弾く。それ以降、カハラーニはスネアとタムと金物を並べたキットを叩きながら、歌う。自ら専門家じゃないと言っていたが、足を使わぬドラム的な演奏はパッションあり。一方、ブルメンクランツはファズ系エフェクトが効いたベースをぶりぶりギター風に弾いたり(その際は、ベース流儀の2フィンガーにて演奏)、ウードを手にしたり。何気にインスト部も長く、その場合、簡素ライトニング・ボルト(2009年11月15日)みたいな感じになるときもあった。
そして、肝心のカハラーニの歌だが、かなり訴求力あり。高めの声や裏声は存在感があり、かの地の風土を認識させよう。オルタナティヴな部分もあるが、ぼくが2人のパーフォーマンスに触れて感じたのは、トラッドを受け継いだ底力のようなもの。伝承曲を今様な楽器を用いふっきれてやっていると聞いても、ぼくは信じちゃうな。1時間50分ぐらいやった。日本人ベリー・ダンサーのミラも加わる局面もあったが、後から出てきたとき、彼女は衣装をかえ、髪に毛を新たに編んでいた。パフォーマンスを終えた際の、カハラーニの最後の言葉は、「飲もうぜ!」。
▶過去の、ビル・ラズウェル
http://43142.diarynote.jp/200409050916440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050730
http://43142.diarynote.jp/200508230544440000/
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http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
http://43142.diarynote.jp/200611271213510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20070803
http://43142.diarynote.jp/201103101345364557/
▶︎過去の、ザ・イダン・ライヒェル・プロジェクト
https://43142.diarynote.jp/201410141139176172/
▶︎過去の、ライトニング・ボルト
https://43142.diarynote.jp/200911161707238141/
<先日の、切手>
在米マリンバ奏者のミカ・ストルツマン(2014年10月17日)から2枚の新作CDが送られてきた。夫君のリチャード・ストルツマン(2014年10月17日)とバッハ、ラヴェル、ウィリアム・トーマス・マッキンリー、ジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月21日)、アストル・ピアソラ曲を瀟洒に演奏している『Palimpzsst』(Avie/東京エンプラス)。そして、スティーヴ・ガッド(2004年1月27日、2010年12月1日、2012年11月26日、2013年9月3日、2004年1月27日、2010年12月1日、2012年11月26日、2013年9月3日、2016年2月19日、2016年12月6日、2017年6月12日、2019年8月6日)の渾身の助力のもと続けられているミカのリーダー・グループであるミカリンバの『Tapereba』(Biground)の2作品。前者は2人のデュオ表現の集大成的な内容。また、ダンサブルなサウンドを標榜していた後者の新作はゆったり傾向で、かなり大人っぽい綾や襞を新たに獲得している。ガッドがオリジナルで叩いていたポール・サイモンの「恋人と別れる50の方法」はアメリカーナ的な仕上がりになった。で、その2枚のCDを包んだパッケージにはなんと、昨年USポストが発行したジョン・レノンの切手が貼ってある。その情報は得ていたが、これが現物か。うれしいっ。その切手の下に日本郵便の印刷切手が確認用に追加で貼られていたが、250円。欧州もそうだが、米国も郵便料は安価だなあ。
▶︎過去の、ミカ・ストルツマン
http://43142.diarynote.jp/201410220711345595/
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▶︎過去の、リチャード・ストルツマン
http://43142.diarynote.jp/201410220711345595/
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▶︎過去の、ジョン・ゾーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
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▶過去の、スティーヴ・ガッド
http://43142.diarynote.jp/200402051855170000/
http://43142.diarynote.jp/201012051903113851/
http://43142.diarynote.jp/201212101904379741/
http://43142.diarynote.jp/201312171510083393/
http://43142.diarynote.jp/201410220711345595/
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ジョイス+ゼ・ヘナート。ヨタム・シルバースタイン・カルテット
2019年9月13日 音楽 南青山・ブルーノート東京で、毎年やってくるブラジル人偉才(2004年7月15日、2005年7月13日、2007年7月24日、2008年9月7日、2009年9月29日、2010年7月29日、2011年8月3日、2012年8月15日、2013年7月30日、2014年7月15日、2015年8月3日、2017年9月8日、2018年10月5日)のショウを見る。“シングス・ボサノヴァ・ソングブック”と名付けられた今回は、ジョイス・モレーノ(ヴォーカル、ギター)、トゥチ・モレーノ(ドラムス)、エリオ・アルヴェス(ピアノ)、ロドルフォ・ストロエテール(ベース。縦と電気の両使い)というお馴染みの陣容に、ゲストとしてヴォーカルとギターのゼ・ヘナートを迎える。
設定されたテーマもあり今回は柔和で洒脱に行くのかと思ったら、オープナーのジョニ・アルフの「空と海」でまた一段とジャジー&難しい行き方をとっているなーと思わせる。また、終盤に披露した十八番オリジナル「フェミニーナ」もスキャットもぽんぽんと飛びだし長めの尺でやるなど、やはりブラジル滋養歌モノとジャズ的な何かを交錯させたことをやらせら、ジョイスは間違いなくピカ一であると再認識。しかし、ジョニ・ミッチェル的清新さがジョイスに憑依したような「フェミニーナ」は来日時には毎度披露していて、彼女にとっても本当に自信曲なんだろうな。
他はボサノヴァ重要曲を中心に趣向を凝らして披露されたのは間違いなく、誘いと潤いある歌モノ表現を求めた受け手も皆にっこりであったろう。ジョイスと旧知のゼ・ヘナートは途中に出てきてジョイスとのデュエットや、単独歌唱曲を披露する。そちらでは、2人の共作曲や彼のオリジナルもあり。ミナスっぽいと言われもする彼だが(彼を有名にしたヴォーカル・グループのポカ・リヴリはほぼほぼ聞いてない。遺憾デス)、そんなこと以前に、心優しそでダンディな佇まいにブラジル的機微を感じさせられ、うれしくなった。あ、そういえば、ジョイスは外見が少し若返ったような。
▶過去の、ジョイス・モレーノ
http://43142.diarynote.jp/200407151608250000/
http://43142.diarynote.jp/200507161357340000/
http://43142.diarynote.jp/200708051737070000/
http://43142.diarynote.jp/200809081534510000/
http://43142.diarynote.jp/200910021138591223/
http://43142.diarynote.jp/201008111723131487/
http://43142.diarynote.jp/201108101628235325/
http://43142.diarynote.jp/201208201259398163/
http://43142.diarynote.jp/201308021400578638/
http://43142.diarynote.jp/201407161154441780/
http://43142.diarynote.jp/201508091203108498/
http://43142.diarynote.jp/201608291403509244/
http://43142.diarynote.jp/201709110843278416/
https://43142.diarynote.jp/201810090956533250/
移動し、丸の内・コットンクラブで、NY在住のイスラエル人ギタリストのカルテットを見る。ブラジル出身であるピアノとキーボードとアコーディオン担当のヴィートル・ゴンサルヴェス(彼の2017年サニーサイド発のリーダー作は、トッド・ニューフェルドとトーマス・モーガンという晩年のプーさん〜1999年11月3日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24日、2012年6月25日、2012年10月26日〜絡みのミュージシャンを起用していた!)、カナダ人のダブル・ベースのリック・ロサト(2019年6月9日)、そしてイスラエル出身ドラマーのダニエル・ドー(2014年1月21日、2015年5月14日)という面々が同行。
現代ジャズ・ギターの作法をしっかり会得しつつ、ブラジル音楽などのもやもやも介したりもするギタリストという印象をぼくはヨタム・シルバースタインに持っているが、終盤にヴィートル・ゴンサルヴェスとのデュオを2曲だかじっくり聞かせたりもし、ブラジル人をバンドに擁しているのにかなり意義を感じているのはありあり。ハコ物ギターを手にする彼(イフェクター・ボードを組んではいるが、それほどは頼らない)の要点は、一部でギターを弾きながら詠唱を重ねること。やっぱり、肉声は偉大だ。ジャズ的なキットながらスネア2つ置きのダニエル・ドーのドラミングは接していて本当に面白い。ちゃんとサウンドに芯を与えていたリック・ロサトはソロを取らなかった。
▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
http://43142.diarynote.jp/201207031322126509/
http://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
http://43142.diarynote.jp/201210271744294415/
http://43142.diarynote.jp/201507091044561526/ インタヴュー
http://43142.diarynote.jp/?day=20160611 遺作について
▶︎過去の、リック・ロサト
https://43142.diarynote.jp/201906100932238360/
▶︎過去の、ダニエル・ドー
http://43142.diarynote.jp/201401221432209419/
https://43142.diarynote.jp/201505150911423384/
<今日の、ホっ>
昨日から急に涼しくなった。湿度も低めか。今日は、昼間もエアコン使用せず。このまま、秋になるかな? いや、来週アメリカの砂漠の街に行くので、日焼けしちゃうか。
設定されたテーマもあり今回は柔和で洒脱に行くのかと思ったら、オープナーのジョニ・アルフの「空と海」でまた一段とジャジー&難しい行き方をとっているなーと思わせる。また、終盤に披露した十八番オリジナル「フェミニーナ」もスキャットもぽんぽんと飛びだし長めの尺でやるなど、やはりブラジル滋養歌モノとジャズ的な何かを交錯させたことをやらせら、ジョイスは間違いなくピカ一であると再認識。しかし、ジョニ・ミッチェル的清新さがジョイスに憑依したような「フェミニーナ」は来日時には毎度披露していて、彼女にとっても本当に自信曲なんだろうな。
他はボサノヴァ重要曲を中心に趣向を凝らして披露されたのは間違いなく、誘いと潤いある歌モノ表現を求めた受け手も皆にっこりであったろう。ジョイスと旧知のゼ・ヘナートは途中に出てきてジョイスとのデュエットや、単独歌唱曲を披露する。そちらでは、2人の共作曲や彼のオリジナルもあり。ミナスっぽいと言われもする彼だが(彼を有名にしたヴォーカル・グループのポカ・リヴリはほぼほぼ聞いてない。遺憾デス)、そんなこと以前に、心優しそでダンディな佇まいにブラジル的機微を感じさせられ、うれしくなった。あ、そういえば、ジョイスは外見が少し若返ったような。
▶過去の、ジョイス・モレーノ
http://43142.diarynote.jp/200407151608250000/
http://43142.diarynote.jp/200507161357340000/
http://43142.diarynote.jp/200708051737070000/
http://43142.diarynote.jp/200809081534510000/
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http://43142.diarynote.jp/201008111723131487/
http://43142.diarynote.jp/201108101628235325/
http://43142.diarynote.jp/201208201259398163/
http://43142.diarynote.jp/201308021400578638/
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http://43142.diarynote.jp/201508091203108498/
http://43142.diarynote.jp/201608291403509244/
http://43142.diarynote.jp/201709110843278416/
https://43142.diarynote.jp/201810090956533250/
移動し、丸の内・コットンクラブで、NY在住のイスラエル人ギタリストのカルテットを見る。ブラジル出身であるピアノとキーボードとアコーディオン担当のヴィートル・ゴンサルヴェス(彼の2017年サニーサイド発のリーダー作は、トッド・ニューフェルドとトーマス・モーガンという晩年のプーさん〜1999年11月3日、2002年9月22日、2003年6月10日、2004年11月3日、2012年6月24日、2012年6月25日、2012年10月26日〜絡みのミュージシャンを起用していた!)、カナダ人のダブル・ベースのリック・ロサト(2019年6月9日)、そしてイスラエル出身ドラマーのダニエル・ドー(2014年1月21日、2015年5月14日)という面々が同行。
現代ジャズ・ギターの作法をしっかり会得しつつ、ブラジル音楽などのもやもやも介したりもするギタリストという印象をぼくはヨタム・シルバースタインに持っているが、終盤にヴィートル・ゴンサルヴェスとのデュオを2曲だかじっくり聞かせたりもし、ブラジル人をバンドに擁しているのにかなり意義を感じているのはありあり。ハコ物ギターを手にする彼(イフェクター・ボードを組んではいるが、それほどは頼らない)の要点は、一部でギターを弾きながら詠唱を重ねること。やっぱり、肉声は偉大だ。ジャズ的なキットながらスネア2つ置きのダニエル・ドーのドラミングは接していて本当に面白い。ちゃんとサウンドに芯を与えていたリック・ロサトはソロを取らなかった。
▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
http://43142.diarynote.jp/201207031322126509/
http://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
http://43142.diarynote.jp/201210271744294415/
http://43142.diarynote.jp/201507091044561526/ インタヴュー
http://43142.diarynote.jp/?day=20160611 遺作について
▶︎過去の、リック・ロサト
https://43142.diarynote.jp/201906100932238360/
▶︎過去の、ダニエル・ドー
http://43142.diarynote.jp/201401221432209419/
https://43142.diarynote.jp/201505150911423384/
<今日の、ホっ>
昨日から急に涼しくなった。湿度も低めか。今日は、昼間もエアコン使用せず。このまま、秋になるかな? いや、来週アメリカの砂漠の街に行くので、日焼けしちゃうか。
プラエド+蜂谷真紀と直江実樹
2019年9月12日 音楽 入谷・なってるハウスにすんごく久しぶりに行く。そんなに、迷わずお店につけてよかったァ。
まず、ヴォイス〜ときに、自分で装置を用い自在に声色を換える〜とときにピアノの蜂谷真紀(2008年8月24日、2009年1月8日、2010年9月11日、2014年7月22日、2014年9月25日、2015年5月20日、2015年6月15日、2016年11月2日、2018年1月19日、2019年3月29日)とラジオの直江実樹(2014年7月25日)がパフォーマンス。蜂谷の冴えは何度も見て知っているゾという一方、直江のラジオ扱いを間近に見ておおいにうなづいた。古いラジカセ(42年前のものを使っているとか)を用い、断片的にはまんまAMやFM放送を流し、また局を探す際の流動音や発信音を鋭敏なノイズに変換した音も、彼は自在に断続的に差し出す。その音総体のノリは、臨機応変なノイズ&アクセント音発生装置として機能していたかつてのアート・リンゼイ(1999年12月18日、2002年9月9日、2004年11月21日、2011年6月8日、2014年10月26日、2015年6月9日、2016年9月1日、2017年6月23日、2018年10月21日、2018年10月23日)のギター音と同質と説明できる。達者であると感じさせるともに、この晩はラジオ放送を使う利点もほどほど感じた。冒頭とか複数の箇所で、彼はニュース放送を拾って流したのだが、それは千葉県の台風によるライフライン断絶を受けての給水所やシャワー施設設置の情報で、実にタイムリー。一方で、オペラっぽい音楽も拾い鮮やかに入れたりとかもした。
続いては、変てこ装置やラップトップや小鍵盤のラエド・ヤシンとクラリネットとラップトップのパエド・コンカ(2014年10月30日)からなる、レバノンのベイルートのユニットであるプラエド(PRAED)がステージに立つ。おお、こんなん。下敷きされるバック・トラックは四つ打ちで、エスニック。そこに、2人は思うまま楽器/装置音を乗せていく。というわけで、バックトラックが鍵。中東というよりも北アフリカっぽいなと感じさせたプリセット音は、なんでもエジプトのミュージシャンのものを活用しているという。マイクで拾ったクラリネット音がPC経由で少し変な音で出てきたり、電波音が気ままにインサートされたり。ラエド・ヤシンは終盤、コブシの入った歌も歌い出す。チャラい蛮行の奥に、諧謔や思慮があるのは間違いない。
そして、そのあとは出演する4者がフリーフォームに重なり合う。この1発モノ、結構な時間をかけて披露される。で、プラエドのお二人は実験的な奏者としての下敷きがあることを十全に知らせる。かなり、興味深く接することができたなー。
会場には日本を旅行中である、英国ケンブリッジ在住の青年トーマスもいた。ノイズ/フリー・ミュージックの愛好者である彼(自分でもやると言っていたな)はバー・イッシーにも行ったし、明日は江古田のフライング・ティー・ポットに出向くと言っていた。ぼく、フライング・ティー・ポットって、行ったことなよー。かつて海外に行った際に現地の人によくそんなとこ行くねーとか言われたりもしたが、そういうもんなんだろうなー。その話が横に伝わり、ぐうぜん直江は明日フライング・ティー・ポットに出演することになっており、また本来プログ・ロック喫茶であった同所で一番最初にライヴをやったのは、それを申し出た蜂谷であったんだとか。なんか、いろいろ授受つなぎ。を、感じもした晩でした。
▶過去の、蜂谷真紀
http://43142.diarynote.jp/200808260821260000/
http://43142.diarynote.jp/200901091437341082/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100911
http://43142.diarynote.jp/201407231341189225/
http://43142.diarynote.jp/201409261635554506/
http://43142.diarynote.jp/201410310931316189/
http://43142.diarynote.jp/201505211022511238/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161102
http://43142.diarynote.jp/201707111737453393/
https://43142.diarynote.jp/201801200930278094/
https://43142.diarynote.jp/201903301004154036/
▶︎過去の、直江実樹
https://43142.diarynote.jp/201407261220126653/
▶過去の、アート・リンゼイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200411231722390000/
http://43142.diarynote.jp/201106141341111340/
http://43142.diarynote.jp/201410301512336095/
http://43142.diarynote.jp/201506111719463390/
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https://43142.diarynote.jp/201810240904066739/
▶︎過去の、パエド・コンカ
https://43142.diarynote.jp/201410310931316189/
<最近の、R.I.P>
個性派シンガー・ソングライター/ペインターのダニエル・ジョンストン(2010年2月9日)の訃報がはいってきた。ざっと向こうの記事をいくつか見ると、この火曜夜にテキサス州ヒューストン郊外の自宅でなくなったようだ。近年はとくに健康問題がヘヴィなことになり、2017年には最後のツアーを謳うものも行った。晩年はテキサス州オースティンに住んでいたようで、昨年の誕生日には同市でトリビュート・コンサートも持たれもしたらしい。1961〜2019年、どうそ安らかに。
▶︎過去の、ダニエル・ジョンストン
https://43142.diarynote.jp/201002150513388369/
まず、ヴォイス〜ときに、自分で装置を用い自在に声色を換える〜とときにピアノの蜂谷真紀(2008年8月24日、2009年1月8日、2010年9月11日、2014年7月22日、2014年9月25日、2015年5月20日、2015年6月15日、2016年11月2日、2018年1月19日、2019年3月29日)とラジオの直江実樹(2014年7月25日)がパフォーマンス。蜂谷の冴えは何度も見て知っているゾという一方、直江のラジオ扱いを間近に見ておおいにうなづいた。古いラジカセ(42年前のものを使っているとか)を用い、断片的にはまんまAMやFM放送を流し、また局を探す際の流動音や発信音を鋭敏なノイズに変換した音も、彼は自在に断続的に差し出す。その音総体のノリは、臨機応変なノイズ&アクセント音発生装置として機能していたかつてのアート・リンゼイ(1999年12月18日、2002年9月9日、2004年11月21日、2011年6月8日、2014年10月26日、2015年6月9日、2016年9月1日、2017年6月23日、2018年10月21日、2018年10月23日)のギター音と同質と説明できる。達者であると感じさせるともに、この晩はラジオ放送を使う利点もほどほど感じた。冒頭とか複数の箇所で、彼はニュース放送を拾って流したのだが、それは千葉県の台風によるライフライン断絶を受けての給水所やシャワー施設設置の情報で、実にタイムリー。一方で、オペラっぽい音楽も拾い鮮やかに入れたりとかもした。
続いては、変てこ装置やラップトップや小鍵盤のラエド・ヤシンとクラリネットとラップトップのパエド・コンカ(2014年10月30日)からなる、レバノンのベイルートのユニットであるプラエド(PRAED)がステージに立つ。おお、こんなん。下敷きされるバック・トラックは四つ打ちで、エスニック。そこに、2人は思うまま楽器/装置音を乗せていく。というわけで、バックトラックが鍵。中東というよりも北アフリカっぽいなと感じさせたプリセット音は、なんでもエジプトのミュージシャンのものを活用しているという。マイクで拾ったクラリネット音がPC経由で少し変な音で出てきたり、電波音が気ままにインサートされたり。ラエド・ヤシンは終盤、コブシの入った歌も歌い出す。チャラい蛮行の奥に、諧謔や思慮があるのは間違いない。
そして、そのあとは出演する4者がフリーフォームに重なり合う。この1発モノ、結構な時間をかけて披露される。で、プラエドのお二人は実験的な奏者としての下敷きがあることを十全に知らせる。かなり、興味深く接することができたなー。
会場には日本を旅行中である、英国ケンブリッジ在住の青年トーマスもいた。ノイズ/フリー・ミュージックの愛好者である彼(自分でもやると言っていたな)はバー・イッシーにも行ったし、明日は江古田のフライング・ティー・ポットに出向くと言っていた。ぼく、フライング・ティー・ポットって、行ったことなよー。かつて海外に行った際に現地の人によくそんなとこ行くねーとか言われたりもしたが、そういうもんなんだろうなー。その話が横に伝わり、ぐうぜん直江は明日フライング・ティー・ポットに出演することになっており、また本来プログ・ロック喫茶であった同所で一番最初にライヴをやったのは、それを申し出た蜂谷であったんだとか。なんか、いろいろ授受つなぎ。を、感じもした晩でした。
▶過去の、蜂谷真紀
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▶︎過去の、直江実樹
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▶過去の、アート・リンゼイ
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▶︎過去の、パエド・コンカ
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<最近の、R.I.P>
個性派シンガー・ソングライター/ペインターのダニエル・ジョンストン(2010年2月9日)の訃報がはいってきた。ざっと向こうの記事をいくつか見ると、この火曜夜にテキサス州ヒューストン郊外の自宅でなくなったようだ。近年はとくに健康問題がヘヴィなことになり、2017年には最後のツアーを謳うものも行った。晩年はテキサス州オースティンに住んでいたようで、昨年の誕生日には同市でトリビュート・コンサートも持たれもしたらしい。1961〜2019年、どうそ安らかに。
▶︎過去の、ダニエル・ジョンストン
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カミラ・メサ&ザ・ネクター・オーケストラ。シャソール
2019年9月9日 音楽 チリ出身で在NYのシンガー・ソングライター/ジャズ・ギタリストであるカメラ・ミザ(2017年9月3日)のリーダー・グループ公演を、南青山・ブルーノート東京で見る。ファースト・ショウ。
イスラエル出身ピアニストのシャイ・マエストロ(2012年3月12日、2016年1月4日、2016年6月11日、2016年6月11日、2017年9月3日、2017年9月6日、2018年11月12日)と日本に複数回来ているメサだが、今回の同行奏者の2人はやはり在NYのイスラエル人。それはキーボードとピアノのエデン・ラディン(2018年6月19日)と、ダブル・ベースのノーム・ウィーゼンバーグ(2018年11月12日)という辣腕奏者たち。さらに、ドラマーはやはりNYで活躍する小川慶太(2014年8月3日、2016年1月19日、2017年4月18日、2017年12月11日、2018年4月4日、2018年10月10日)で、そんな3人はメサの新作『アンバー』録音サポート者と同一。その新作が弦楽四重奏団付きであったように、そのカルテットに日本調達の4人の弦楽器奏者がつく。ヴァイオリンの松本裕香(2018年8月26日)と鈴木絵由子、ヴォオラの惠藤あゆ(ヴィオラ)、チェロの橋本歩(2019年6月29日)が、その面々。
素敵な実演だった。オリジナルに混じったミルトン・ナシメント(2003年9月23日)曲カヴァーをはじめ、多くは新作に入っていた曲で、スペイン語中心で歌われる。そして、自ら弾くギター・ソロも今様で確か。ギター弾き語りで歌われた曲は、メキシコ人のトマス・メンデスの1954年有名曲「ククルクク・パロマ」。あのカエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日)も昔取り上げていた。
弦アレンジはウィーゼンバーグがしているそうだが、その曲趣を底上げする才気ある編曲を日本人女性たちもよくこなしていた。合わせるのは大変だったろうに、ファースト・ショウとセカンド・ショウはけっこう違う曲をやったらしい(彼女の2016年作『Traces』で取り上げていた、ヴィクトル・ハラの「ルチアン」もやったと聞いた)。ジャズを知らなくては現れえない浮遊感や広がりと随所に息づく透明感ある南米滋養に、ほんとうに頷く。でもって、みんなで心を持っていいものを作り上げたいという気持ちが、確かな実を結んでいたと思う。書き留めたいことは、山ほど。日経新聞電子版でこの晩のことを書くので、これぐらいにしておく。
▶︎過去の、シャイ・マエストロ
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
http://43142.diarynote.jp/201601050914043127/
http://43142.diarynote.jp/201606121230202174/
https://43142.diarynote.jp/201702021523283237/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
https://43142.diarynote.jp/201709110842026988/
https://43142.diarynote.jp/201811141355524842/
▶︎過去の、カメラ・ミザ
https://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
▶︎過去の、エデン・ラディン
https://43142.diarynote.jp/201806201223491195/
▶︎過去の、ノーム・ウィーゼンバーグ
https://43142.diarynote.jp/201811141355524842/
▶過去の、小川慶太
http://43142.diarynote.jp/201408061110256933/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160119
http://43142.diarynote.jp/201704200801169451/
http://43142.diarynote.jp/201712121324481276/
http://43142.diarynote.jp/201804051207119119/
https://43142.diarynote.jp/201810170924585002/
https://43142.diarynote.jp/?day=20181117
https://43142.diarynote.jp/201812081039071230/
▶︎過去の、松本裕香
https://43142.diarynote.jp/201808290950074198/
▶︎過去の橋本歩
https://43142.diarynote.jp/201906301115529387/
▶︎過去の、カエターノ・ヴェローゾ
http://43142.diarynote.jp/200506021846130000/
▶過去の、ミルトン・ナシメント
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm
その後は、六本木・ビルボードライブ東京に。特殊才能アリのフランス人キーボード奏者である(2015年5月30日、2016年8月29日)のセカンド・ショウを見る。例により、当人とドラマー2人によるパフォーマンスなり。
まずは、映像ありきの人。自ら撮ったり、ネットなどで拾った映像を自在に編集し、その映像に元々ある肉声や鳥の鳴き声や情景音などを下敷きに、彼はそこにメロディやキーボード/ビート音を加えて、絵巻的サウンドを作ってしまってきている。つまり、彼の音楽の基には映像があり、アルバムはその映像のサウンドトラックという感じものとなる。ゆえに、彼のライヴ・パフォーマンスにおいては、いつも映像(プリセットの音楽付き)が流され、それに合わせるように生の演奏音がつけられる。
さすが、前回から3年近くたつため、4つのパートに分けられた映像はすべて新しい。その映像は人間にまつわるゲームを題材とするもので、横のほうに座っていたので今いちそれをちゃんと把握することはできなかったが、日本で言うならずいずいずっころばし〜のようなフランスの子供の遊びの様からTVゲームの画面まで、“絵”のマテリアルは様々。けっこう長々と使われていたエレヴェイターのシーンの女性はクリスタル・ケイ(2011年8月6日 )だった?
そんな映像に沿う音楽はヴォーカル・パートが多くなり、フルート音も結構使われているのはポイント。そのシンガーやフルート奏者も画像に現れ、それは過去はなかったこと。そして、痛感させられるのは、まあワン・パータンという感想も生まれなくはないのだが、本当にシャソールの作るメロディとキーボード音は温もりや潤いがあり、天衣無縫さや満たされた情緒を抱えているという事実。ほんと、それは唯一無二の個性。一部、米国のR&Bの作り手が彼の才に着目しているというのもさもありなん。彼のそうした手腕って、飛躍して言えばたとえばデイヴィッド・T・ウォーカーやバーニー・ウォレルの個性ある楽器音のようなものだから……。ただし、そういう彼の演奏をジャズっぽいという人もいるが、ぼくはその説には与しない。よく映像に臨機応変に合わせるとは思うが、基本は決まったフレイズをまんま弾いているので、インプロ度は低い。とはいえ、その指さばきやメロディがあまりに有機的かつメロウであるから、そういう言い方が出てくるのも分からなくもない。
ドラムを叩くのは、マテュー・エデュアール 。彼、過去の来日時の人と同じなのかな? もう、強力にしてシャープ。わりと画像に合わせて歌うように叩くときは本当に腕が立つと思わされる。だが、ステディな8ビートをキープする際だと、その上手さが災いし、つまんなく感じられてしまうという不幸な人ですね。なんにせよ、彼も完成度の高いショウには欠かせぬ人であるのは間違いない。アンコールは2曲、最初は昔の印度材料のやつで、2曲目は映像なしでデュオった。90分ぐらい、2人は演奏した。
▶︎過去の、シャソール
http://43142.diarynote.jp/201505310957591440/
https://43142.diarynote.jp/201609200921301045/
▶︎過去の、クリスタル・ケイ
https://43142.diarynote.jp/201108101632022013/
<2015年の、ナイス・ガイ>
以下の質疑応答は、1976年にパリに生まれたシャソールの2015年初来日時に取ったインタヴューだ。その抜粋は、ラティーナ誌に掲載された。
——ご両親がマルチニークの生まれで、あなたはパリ生まれなんですよね。
「そう。音楽学校に通って、ピアノを学んだり音楽分析をするようになった。オーケストラにも所属したよ。ピアノという楽器はオケのなかで1名しか存在しないから、その地位を得るまでが大変だった」
——子供の頃から音楽が一番の存在で、大きくなったらミュージシャンになると思っていたわけですか。
「もちろん、小さなときからそう思っていた。音楽家になることはハードルが高いというのは、自分でも自覚していた。父がサックスとクラリネットをやっていたので、父はやはり音楽の道に進んでほしいという希望を持っていたんだ。父は(出身地の)アンティル諸島の音楽やジャズやラテンを演奏していたけど、パリに移住したとき、オーケアストラに所属しようと努力した。そして、オーケアストラに入ってからはクラリネットを吹いていた」
——では、子供の頃から、マルチニークの音楽も流れていたわけですか?
「そりゃ、もちろん。島の民族音楽、ビギン、ジャズ、カリプソ、クラシックのレコードを沢山あって、小さなころから父と演奏し、それがクラシックを真面目にやるきっっかとなった」
——アメリカのバークリー音楽大学にも通ったことがあるんですよね?
「パリの大学では哲学を専攻して、と同時にオーケストラにも所属していて、また同時にジャズの音楽学校にも通っていた。一方、個人的にはミュージック・ヴィデオを作る事もしていて、26歳になったときにバークリー音大の奨学金を得た。作曲の勉強をちゃんとしたい、アメリカに行きたいという気持ちがあったからね。1年間、そこで学んだよ」
——その後は、映像に音楽を付ける仕事についたのですか?
「いや、その前からパリではプロとしてそういう仕事をしていたよ。帰国後にフェニックスの世界ツアーに同行して、そのツアーの終わりがLA公演だったので、そのままそこに1年間滞在したんだ。そのとき、アーティスト・イン・レジデンスに所属していた。ロサンゼルスはとても好きな街で、そこでの生活はいろんなことが試すことが出来て、僕のキャリアにおいて大切な時期だと感じている。それが2005年なんだけど、ちょうどその時にYouTubeという画期的なものが表れて、何万というヴィデオを自由に見る事が出来て、自分の好きなように弄ったり、編集したりできて、それに夢中になった。そして、そんな時に、ヴィデオで使われている音を使えるんじゃないかというアイデアに行き着いた」
——では、LAでの自由な日々がなかったら、今のようなことはやっていない?
「LAに行く前から広告の仕事をしていたんだ。その手の職業はとても報酬がいいので、そのころから半年仕事をして、半年は自分の創作活動に励むという生活をしていたので、LAに行ってなくても今のようになっていたのではないかと思う。まあ、一番のきっかけは、YouTubeの登場だね」
——YouTubeの登場を引き金とする、クリエイティヴな音楽の冒険。……そんな行き方を確立したのはいつごろですか?
「LA滞在を終えて、パリに帰ったんだけど、そのときに両親が飛行機事故で亡くなってしまったんだ。パリにいて、なんか落ち着かない日々で、その時にすごく自分の創作に没頭して、仕事をし、2006年に”ロシアの子供”というタイトルのヴィデオを作ってのが分岐点となるかな。そこらあたりが、今の自分の音楽性に繋がった。そして、2008年ごろに、自分自身で映像も作りたいと思うようになったんだ。いろんな映画の予告版から“もののけ姫”の映像まで、なんでも僕は使い、音楽をつけるよ」
——僕はインドで撮った映像を基にした『Indiamore』(Tricatel、2013年)を知って、こんな才人がいるのかと仰天しました。ときに、なぜインドだったのでしょう?
「マルチーニークとインドってかけ離れた国のように思うだろ? でも、意外と繋がりがあって、僕の母もインド系の血が入っていたということもある。それに、マルチニークは、西インドとも呼ばれるでしょ? まずインドにひかれたのは、ん〜という、そこにある低音にひかれた。そこにいろんな音が加わり、最終的に音楽が低音に収束する。低音と高音の間に余っている空間があって、そこに西洋音楽を入れる余地があって、僕はそこにひかれた。」
——西洋と東洋の出会い、みたいなところはかなり意識したのでしょうか?
「それもなくはなかったけど、そういうのは1960年代ぐらいから他の有名な人がやってたからね。まず、僕が思ったのは、周りのフランス人の友達がインド音楽を理解してくれない。寝てしまったり、聞こうともしないという状況をどうやって、彼らに聞かせることができるかというのが目的だった」
——新作の『Big Sun』(Tricatel、2015年)。そのジャケット・カヴァーにあるマスクは映像の材料地となったマルチニークのものですか?
「これはカーニヴァルで使われるマスクなんだ。僕自身も最初見た時に奇抜で、驚いた。いろんなものを子供たちがつけて、車をとめたりして、何かをもらったりする。そういうハロウィン的なカーニヴァルがあるんだ。今回このマスクを選んだのは、フランスの大臣のなかに黒人女性がいるんだけど、フランス国内における黒人差別の動向を取り上げてすごく白人たちからバッシングを受けていたこと。僕は当然それを黒人の立場で見ていて、今の白人の黒人に対する態度というのは14世紀となんら変わらない。ならば、そんなことを笑い飛ばしてやれという気持ちで、黒人が猿のお面を被って笑っているというメッセージをこめた。それと、僕が映画「猿の惑星」の大ファンだということもある」
——音楽的に求めたところは?
「音楽的には、何度も聞きたくなるものにしたかった。たとえば、ノスタルジー的な要素だったり美的な要素であったり、自分の熱意であったり、そういうのを糸と針で繋いで行く。そういう作業しながら、一つの音楽にまとめていったんだ」
イスラエル出身ピアニストのシャイ・マエストロ(2012年3月12日、2016年1月4日、2016年6月11日、2016年6月11日、2017年9月3日、2017年9月6日、2018年11月12日)と日本に複数回来ているメサだが、今回の同行奏者の2人はやはり在NYのイスラエル人。それはキーボードとピアノのエデン・ラディン(2018年6月19日)と、ダブル・ベースのノーム・ウィーゼンバーグ(2018年11月12日)という辣腕奏者たち。さらに、ドラマーはやはりNYで活躍する小川慶太(2014年8月3日、2016年1月19日、2017年4月18日、2017年12月11日、2018年4月4日、2018年10月10日)で、そんな3人はメサの新作『アンバー』録音サポート者と同一。その新作が弦楽四重奏団付きであったように、そのカルテットに日本調達の4人の弦楽器奏者がつく。ヴァイオリンの松本裕香(2018年8月26日)と鈴木絵由子、ヴォオラの惠藤あゆ(ヴィオラ)、チェロの橋本歩(2019年6月29日)が、その面々。
素敵な実演だった。オリジナルに混じったミルトン・ナシメント(2003年9月23日)曲カヴァーをはじめ、多くは新作に入っていた曲で、スペイン語中心で歌われる。そして、自ら弾くギター・ソロも今様で確か。ギター弾き語りで歌われた曲は、メキシコ人のトマス・メンデスの1954年有名曲「ククルクク・パロマ」。あのカエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日)も昔取り上げていた。
弦アレンジはウィーゼンバーグがしているそうだが、その曲趣を底上げする才気ある編曲を日本人女性たちもよくこなしていた。合わせるのは大変だったろうに、ファースト・ショウとセカンド・ショウはけっこう違う曲をやったらしい(彼女の2016年作『Traces』で取り上げていた、ヴィクトル・ハラの「ルチアン」もやったと聞いた)。ジャズを知らなくては現れえない浮遊感や広がりと随所に息づく透明感ある南米滋養に、ほんとうに頷く。でもって、みんなで心を持っていいものを作り上げたいという気持ちが、確かな実を結んでいたと思う。書き留めたいことは、山ほど。日経新聞電子版でこの晩のことを書くので、これぐらいにしておく。
▶︎過去の、シャイ・マエストロ
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
http://43142.diarynote.jp/201601050914043127/
http://43142.diarynote.jp/201606121230202174/
https://43142.diarynote.jp/201702021523283237/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
https://43142.diarynote.jp/201709110842026988/
https://43142.diarynote.jp/201811141355524842/
▶︎過去の、カメラ・ミザ
https://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
▶︎過去の、エデン・ラディン
https://43142.diarynote.jp/201806201223491195/
▶︎過去の、ノーム・ウィーゼンバーグ
https://43142.diarynote.jp/201811141355524842/
▶過去の、小川慶太
http://43142.diarynote.jp/201408061110256933/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160119
http://43142.diarynote.jp/201704200801169451/
http://43142.diarynote.jp/201712121324481276/
http://43142.diarynote.jp/201804051207119119/
https://43142.diarynote.jp/201810170924585002/
https://43142.diarynote.jp/?day=20181117
https://43142.diarynote.jp/201812081039071230/
▶︎過去の、松本裕香
https://43142.diarynote.jp/201808290950074198/
▶︎過去の橋本歩
https://43142.diarynote.jp/201906301115529387/
▶︎過去の、カエターノ・ヴェローゾ
http://43142.diarynote.jp/200506021846130000/
▶過去の、ミルトン・ナシメント
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm
その後は、六本木・ビルボードライブ東京に。特殊才能アリのフランス人キーボード奏者である(2015年5月30日、2016年8月29日)のセカンド・ショウを見る。例により、当人とドラマー2人によるパフォーマンスなり。
まずは、映像ありきの人。自ら撮ったり、ネットなどで拾った映像を自在に編集し、その映像に元々ある肉声や鳥の鳴き声や情景音などを下敷きに、彼はそこにメロディやキーボード/ビート音を加えて、絵巻的サウンドを作ってしまってきている。つまり、彼の音楽の基には映像があり、アルバムはその映像のサウンドトラックという感じものとなる。ゆえに、彼のライヴ・パフォーマンスにおいては、いつも映像(プリセットの音楽付き)が流され、それに合わせるように生の演奏音がつけられる。
さすが、前回から3年近くたつため、4つのパートに分けられた映像はすべて新しい。その映像は人間にまつわるゲームを題材とするもので、横のほうに座っていたので今いちそれをちゃんと把握することはできなかったが、日本で言うならずいずいずっころばし〜のようなフランスの子供の遊びの様からTVゲームの画面まで、“絵”のマテリアルは様々。けっこう長々と使われていたエレヴェイターのシーンの女性はクリスタル・ケイ(2011年8月6日 )だった?
そんな映像に沿う音楽はヴォーカル・パートが多くなり、フルート音も結構使われているのはポイント。そのシンガーやフルート奏者も画像に現れ、それは過去はなかったこと。そして、痛感させられるのは、まあワン・パータンという感想も生まれなくはないのだが、本当にシャソールの作るメロディとキーボード音は温もりや潤いがあり、天衣無縫さや満たされた情緒を抱えているという事実。ほんと、それは唯一無二の個性。一部、米国のR&Bの作り手が彼の才に着目しているというのもさもありなん。彼のそうした手腕って、飛躍して言えばたとえばデイヴィッド・T・ウォーカーやバーニー・ウォレルの個性ある楽器音のようなものだから……。ただし、そういう彼の演奏をジャズっぽいという人もいるが、ぼくはその説には与しない。よく映像に臨機応変に合わせるとは思うが、基本は決まったフレイズをまんま弾いているので、インプロ度は低い。とはいえ、その指さばきやメロディがあまりに有機的かつメロウであるから、そういう言い方が出てくるのも分からなくもない。
ドラムを叩くのは、マテュー・エデュアール 。彼、過去の来日時の人と同じなのかな? もう、強力にしてシャープ。わりと画像に合わせて歌うように叩くときは本当に腕が立つと思わされる。だが、ステディな8ビートをキープする際だと、その上手さが災いし、つまんなく感じられてしまうという不幸な人ですね。なんにせよ、彼も完成度の高いショウには欠かせぬ人であるのは間違いない。アンコールは2曲、最初は昔の印度材料のやつで、2曲目は映像なしでデュオった。90分ぐらい、2人は演奏した。
▶︎過去の、シャソール
http://43142.diarynote.jp/201505310957591440/
https://43142.diarynote.jp/201609200921301045/
▶︎過去の、クリスタル・ケイ
https://43142.diarynote.jp/201108101632022013/
<2015年の、ナイス・ガイ>
以下の質疑応答は、1976年にパリに生まれたシャソールの2015年初来日時に取ったインタヴューだ。その抜粋は、ラティーナ誌に掲載された。
——ご両親がマルチニークの生まれで、あなたはパリ生まれなんですよね。
「そう。音楽学校に通って、ピアノを学んだり音楽分析をするようになった。オーケストラにも所属したよ。ピアノという楽器はオケのなかで1名しか存在しないから、その地位を得るまでが大変だった」
——子供の頃から音楽が一番の存在で、大きくなったらミュージシャンになると思っていたわけですか。
「もちろん、小さなときからそう思っていた。音楽家になることはハードルが高いというのは、自分でも自覚していた。父がサックスとクラリネットをやっていたので、父はやはり音楽の道に進んでほしいという希望を持っていたんだ。父は(出身地の)アンティル諸島の音楽やジャズやラテンを演奏していたけど、パリに移住したとき、オーケアストラに所属しようと努力した。そして、オーケアストラに入ってからはクラリネットを吹いていた」
——では、子供の頃から、マルチニークの音楽も流れていたわけですか?
「そりゃ、もちろん。島の民族音楽、ビギン、ジャズ、カリプソ、クラシックのレコードを沢山あって、小さなころから父と演奏し、それがクラシックを真面目にやるきっっかとなった」
——アメリカのバークリー音楽大学にも通ったことがあるんですよね?
「パリの大学では哲学を専攻して、と同時にオーケストラにも所属していて、また同時にジャズの音楽学校にも通っていた。一方、個人的にはミュージック・ヴィデオを作る事もしていて、26歳になったときにバークリー音大の奨学金を得た。作曲の勉強をちゃんとしたい、アメリカに行きたいという気持ちがあったからね。1年間、そこで学んだよ」
——その後は、映像に音楽を付ける仕事についたのですか?
「いや、その前からパリではプロとしてそういう仕事をしていたよ。帰国後にフェニックスの世界ツアーに同行して、そのツアーの終わりがLA公演だったので、そのままそこに1年間滞在したんだ。そのとき、アーティスト・イン・レジデンスに所属していた。ロサンゼルスはとても好きな街で、そこでの生活はいろんなことが試すことが出来て、僕のキャリアにおいて大切な時期だと感じている。それが2005年なんだけど、ちょうどその時にYouTubeという画期的なものが表れて、何万というヴィデオを自由に見る事が出来て、自分の好きなように弄ったり、編集したりできて、それに夢中になった。そして、そんな時に、ヴィデオで使われている音を使えるんじゃないかというアイデアに行き着いた」
——では、LAでの自由な日々がなかったら、今のようなことはやっていない?
「LAに行く前から広告の仕事をしていたんだ。その手の職業はとても報酬がいいので、そのころから半年仕事をして、半年は自分の創作活動に励むという生活をしていたので、LAに行ってなくても今のようになっていたのではないかと思う。まあ、一番のきっかけは、YouTubeの登場だね」
——YouTubeの登場を引き金とする、クリエイティヴな音楽の冒険。……そんな行き方を確立したのはいつごろですか?
「LA滞在を終えて、パリに帰ったんだけど、そのときに両親が飛行機事故で亡くなってしまったんだ。パリにいて、なんか落ち着かない日々で、その時にすごく自分の創作に没頭して、仕事をし、2006年に”ロシアの子供”というタイトルのヴィデオを作ってのが分岐点となるかな。そこらあたりが、今の自分の音楽性に繋がった。そして、2008年ごろに、自分自身で映像も作りたいと思うようになったんだ。いろんな映画の予告版から“もののけ姫”の映像まで、なんでも僕は使い、音楽をつけるよ」
——僕はインドで撮った映像を基にした『Indiamore』(Tricatel、2013年)を知って、こんな才人がいるのかと仰天しました。ときに、なぜインドだったのでしょう?
「マルチーニークとインドってかけ離れた国のように思うだろ? でも、意外と繋がりがあって、僕の母もインド系の血が入っていたということもある。それに、マルチニークは、西インドとも呼ばれるでしょ? まずインドにひかれたのは、ん〜という、そこにある低音にひかれた。そこにいろんな音が加わり、最終的に音楽が低音に収束する。低音と高音の間に余っている空間があって、そこに西洋音楽を入れる余地があって、僕はそこにひかれた。」
——西洋と東洋の出会い、みたいなところはかなり意識したのでしょうか?
「それもなくはなかったけど、そういうのは1960年代ぐらいから他の有名な人がやってたからね。まず、僕が思ったのは、周りのフランス人の友達がインド音楽を理解してくれない。寝てしまったり、聞こうともしないという状況をどうやって、彼らに聞かせることができるかというのが目的だった」
——新作の『Big Sun』(Tricatel、2015年)。そのジャケット・カヴァーにあるマスクは映像の材料地となったマルチニークのものですか?
「これはカーニヴァルで使われるマスクなんだ。僕自身も最初見た時に奇抜で、驚いた。いろんなものを子供たちがつけて、車をとめたりして、何かをもらったりする。そういうハロウィン的なカーニヴァルがあるんだ。今回このマスクを選んだのは、フランスの大臣のなかに黒人女性がいるんだけど、フランス国内における黒人差別の動向を取り上げてすごく白人たちからバッシングを受けていたこと。僕は当然それを黒人の立場で見ていて、今の白人の黒人に対する態度というのは14世紀となんら変わらない。ならば、そんなことを笑い飛ばしてやれという気持ちで、黒人が猿のお面を被って笑っているというメッセージをこめた。それと、僕が映画「猿の惑星」の大ファンだということもある」
——音楽的に求めたところは?
「音楽的には、何度も聞きたくなるものにしたかった。たとえば、ノスタルジー的な要素だったり美的な要素であったり、自分の熱意であったり、そういうのを糸と針で繋いで行く。そういう作業しながら、一つの音楽にまとめていったんだ」