いろんな逸材とお手合わせし、いろんなリーダー作も発表している77歳のヴェテラン・ジャズ・ドラマーのリーダー公演、丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)。
ジャズ・コミュニケイターズと名付けられたコンボはリーダーのヘイズに加え、テナー・サックスのエイブラハム・バートン(エンヤからのリーダー作など。ミンガス・ビッグ・バンドで来日している)、ヴァイブラフォンのスティーヴ・ネルソン(エンヤやクリス・クロス他、リーダー・アルバムはいろいろ)、ピアノのデイヴィッド・ブライアント(マイロン・ウォルデンやジェレミー・ペルトらのアルバムに参加)、ベースのデズロン・ダグラス(サイラス・チェスナット〜2009年6月7日〜とやるほか、リーダー作もあり)。ピアノやベース奏者は結構若い。ヘイズは、同名義/同メンバーのアルバムも出している。
一曲目、ワン・コードのリフで突っ走る。ベースのダグラスは骨太なリフを黙々と繰り出していて、彼への好意がもわもわ〜。そして、レギュラー・グリップで叩いていたようなヘイズの叩き口も勇ましく、若々しい。彼が時にする、MCは朴訥。今回ヘイズにインタヴューした先輩と会場で一緒になったが、彼によれば返答は実にしっかりしたものだったとのこと。それから、どの曲においてもドラムの出音は大きかったような。存分にソロを回し、1曲はどれも15分はあったのではないか。総演奏時間はアンコールなしで、スパっと90分少し欠け、ほど。
テナーのバートンは歌えるが、フレイジングにちょい乱暴さを感じさせるのと、音色の選択の部分でぼくを少し落ち着かなくさせる部分がある。と思っていたら、最後の曲で一気に爆発。ジョン・コルトレーンのマナーに、ぶお〜っとに突入。あ、彼はそういう人なんですか。また、いい意味で笑えたのは、ヴァイブラフォンのネルソン。近年はデイヴ・ホランドのリーダー作群に名を連ねてもいたが、時に繰り出す、生理的にやけくそな(いや、竹を割ったような)、メーターを振り切った演奏にはおおおっ。もう、ぼくはクスクスしっぱなし。それは、ぼくのなかにあるジャズ・ヴァイブラフォンのライブラリーにはないものであったから。そして、そんなバートンやネルソンを雇うヘイズも愛すべき変わり者と思ったりもしてしまう。ま、ユセフ・ラティーフと懇意にした人でもあるからな。
▶過去の、サイラス・チェスナット
http://43142.diarynote.jp/200906091637138003/
その後は、南青山・ブルーノート東京で、エリック・ミヤシロ率いる(アレンジもする)ブルーノート東京オールスター・ジャズ・オーケストラを見る。それ、震災直後に急遽同所の出し物用として組まれたブルーノート・オールスター・ビッグ・バンド(2011年3月28日)を根っこに置くものと考えていいのかな。まあ、名のある実力者がずらり。アレンジャーとしても活躍している村田陽一(2005年1月7日、2006年1月21日、2010年3月9日、2011年12月20日、2012年9月8日、2014年12月14日。彼は元、じゃがたら でもある)も一奏者として、参加しているではないか。そして、今回はリチャード・ボナ(2000年12月6日、2002年1月9日、2002年9月19日、2002年12月14日、2004年12月15日、2006年2月16日、2008年10月19日、2010年2月5日、2010年6月6日、2011年1月25日、2012年5月14日、2012年12月15日、2013年12月2日)をゲストに迎えるという項目がついてのもの。
まず、冒頭2曲はボナ抜き。そして、披露したのは、2つともマイク・マイニエリ(2010年9月5日)が率いたステップス・アヘッド(来月に、ここに出演)の曲。ドラマーは山木秀夫(2008年8月19日、2012年8月24日、2012年9月8日、2014年10月26日)がインフルエンザにかかり代役であったようだが、さすがにまとまった音を出しているナ。そして、ボナが出て来て、アフリカ属性とともに自分の大きなルーツの1/2と本人が自覚するジャコ・パストリアスの「ティーン・タウン」と美曲「3ヴューズ・オブ・ア・シークレット」(佐野聡〜2008年1月31日〜による、原曲を尊重したハーモニカ音つき)を演奏。ボナは4弦と5弦のフレットレス・ベースを手にして、パストリアスへの耽溺を表出する。彼がビッグ・バンドと絡むのは初めてだそうだが、とってもうれしそう。パストリアスがウェザー・リポートを辞めた後に率いたビッグ・バンド表現にもボナは浸りまくってきたはずで、当然と言えば当然だが。
ボナはベース弾き語りも披露し、さらにはビッグ・バンド音にのって、スタンダードの「オール・オブ・ミー」を弾力性たっぷりに、ベースを置いてエンターテイナー然として歌い上げたりも。なんか、楽しい。他にも、ボナは嬉々として歌手だけをする曲があった。アンコール曲はジェイムス・コットン(2004年8月10日)でも知られ、パストリアスもビッグ・バンド時代に取り上げた陽性ブルース曲「ファニー・マエ」なり。
ブルーノート・オールスター・ジャズ・オーケストラはモントルー・ジャズ・フェスにも出張ったりもしているようだが、、この3月にはアジア最大のジャズ・フェスと言えるだろうジャワ・ジャズ(2012年3月2日、3日、4日)にも出演するそう。
▶過去の、ブルーノートオールスター・ビッグ・バンド
http://43142.diarynote.jp/201104041100266528/
▶過去の、リチャード・ボナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200412212102130000/
http://43142.diarynote.jp/200602171950040000/
http://43142.diarynote.jp/200810211839169096/
http://43142.diarynote.jp/201002072246423695/
http://43142.diarynote.jp/201006071818281946/
http://43142.diarynote.jp/201102081256565179/
http://43142.diarynote.jp/201205221056242128/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201312171132096072/
▶過去の、マイク・マイニエリ
http://43142.diarynote.jp/201009171511588216/
▶過去の、村田陽一
http://43142.diarynote.jp/200501170151560000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
http://43142.diarynote.jp/201003101342028780/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111220
http://43142.diarynote.jp/?day=20120908 ベン・E・キング
http://43142.diarynote.jp/?day=20141214
▶過去の、山木秀夫
http://43142.diarynote.jp/200808221745590000/
http://43142.diarynote.jp/201209181226141636/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120908 ベン・E・キング
http://43142.diarynote.jp/201410301512336095/
▶過去の、佐野聡
http://43142.diarynote.jp/200802051630130000/
▶過去の、ジェイムズ・コットン
http://43142.diarynote.jp/200408100058160000/
▶過去の、ジャワ・ジャズ
http://43142.diarynote.jp/201203062004221304/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
<今日の、気持ち>
1週間ばかし、ネット環境から離れていて(ガラ携愛好者のぼくは、携帯電話でネットを引くことは元々しません&PCにきたメールも見ることができません)、なんか楽だなと感じる。何かに追われる感覚がなくなり、生活のテンポがゆっくりになったような心持ちを得た。PCに明るくないがゆえ間違いなくネットに依存していないほうであるはずなのに、ココロの平成がたっぷりぃ。って、それはのんびりした正月の期間であったことや、日常の場である東京から離れていたことのほうが大きい? まあ、年明け早々の締め切り物件を年内にきっちり仕上げていたら、気持ちはとってもほのぼのではあるよな〜。
ジャズ・コミュニケイターズと名付けられたコンボはリーダーのヘイズに加え、テナー・サックスのエイブラハム・バートン(エンヤからのリーダー作など。ミンガス・ビッグ・バンドで来日している)、ヴァイブラフォンのスティーヴ・ネルソン(エンヤやクリス・クロス他、リーダー・アルバムはいろいろ)、ピアノのデイヴィッド・ブライアント(マイロン・ウォルデンやジェレミー・ペルトらのアルバムに参加)、ベースのデズロン・ダグラス(サイラス・チェスナット〜2009年6月7日〜とやるほか、リーダー作もあり)。ピアノやベース奏者は結構若い。ヘイズは、同名義/同メンバーのアルバムも出している。
一曲目、ワン・コードのリフで突っ走る。ベースのダグラスは骨太なリフを黙々と繰り出していて、彼への好意がもわもわ〜。そして、レギュラー・グリップで叩いていたようなヘイズの叩き口も勇ましく、若々しい。彼が時にする、MCは朴訥。今回ヘイズにインタヴューした先輩と会場で一緒になったが、彼によれば返答は実にしっかりしたものだったとのこと。それから、どの曲においてもドラムの出音は大きかったような。存分にソロを回し、1曲はどれも15分はあったのではないか。総演奏時間はアンコールなしで、スパっと90分少し欠け、ほど。
テナーのバートンは歌えるが、フレイジングにちょい乱暴さを感じさせるのと、音色の選択の部分でぼくを少し落ち着かなくさせる部分がある。と思っていたら、最後の曲で一気に爆発。ジョン・コルトレーンのマナーに、ぶお〜っとに突入。あ、彼はそういう人なんですか。また、いい意味で笑えたのは、ヴァイブラフォンのネルソン。近年はデイヴ・ホランドのリーダー作群に名を連ねてもいたが、時に繰り出す、生理的にやけくそな(いや、竹を割ったような)、メーターを振り切った演奏にはおおおっ。もう、ぼくはクスクスしっぱなし。それは、ぼくのなかにあるジャズ・ヴァイブラフォンのライブラリーにはないものであったから。そして、そんなバートンやネルソンを雇うヘイズも愛すべき変わり者と思ったりもしてしまう。ま、ユセフ・ラティーフと懇意にした人でもあるからな。
▶過去の、サイラス・チェスナット
http://43142.diarynote.jp/200906091637138003/
その後は、南青山・ブルーノート東京で、エリック・ミヤシロ率いる(アレンジもする)ブルーノート東京オールスター・ジャズ・オーケストラを見る。それ、震災直後に急遽同所の出し物用として組まれたブルーノート・オールスター・ビッグ・バンド(2011年3月28日)を根っこに置くものと考えていいのかな。まあ、名のある実力者がずらり。アレンジャーとしても活躍している村田陽一(2005年1月7日、2006年1月21日、2010年3月9日、2011年12月20日、2012年9月8日、2014年12月14日。彼は元、じゃがたら でもある)も一奏者として、参加しているではないか。そして、今回はリチャード・ボナ(2000年12月6日、2002年1月9日、2002年9月19日、2002年12月14日、2004年12月15日、2006年2月16日、2008年10月19日、2010年2月5日、2010年6月6日、2011年1月25日、2012年5月14日、2012年12月15日、2013年12月2日)をゲストに迎えるという項目がついてのもの。
まず、冒頭2曲はボナ抜き。そして、披露したのは、2つともマイク・マイニエリ(2010年9月5日)が率いたステップス・アヘッド(来月に、ここに出演)の曲。ドラマーは山木秀夫(2008年8月19日、2012年8月24日、2012年9月8日、2014年10月26日)がインフルエンザにかかり代役であったようだが、さすがにまとまった音を出しているナ。そして、ボナが出て来て、アフリカ属性とともに自分の大きなルーツの1/2と本人が自覚するジャコ・パストリアスの「ティーン・タウン」と美曲「3ヴューズ・オブ・ア・シークレット」(佐野聡〜2008年1月31日〜による、原曲を尊重したハーモニカ音つき)を演奏。ボナは4弦と5弦のフレットレス・ベースを手にして、パストリアスへの耽溺を表出する。彼がビッグ・バンドと絡むのは初めてだそうだが、とってもうれしそう。パストリアスがウェザー・リポートを辞めた後に率いたビッグ・バンド表現にもボナは浸りまくってきたはずで、当然と言えば当然だが。
ボナはベース弾き語りも披露し、さらにはビッグ・バンド音にのって、スタンダードの「オール・オブ・ミー」を弾力性たっぷりに、ベースを置いてエンターテイナー然として歌い上げたりも。なんか、楽しい。他にも、ボナは嬉々として歌手だけをする曲があった。アンコール曲はジェイムス・コットン(2004年8月10日)でも知られ、パストリアスもビッグ・バンド時代に取り上げた陽性ブルース曲「ファニー・マエ」なり。
ブルーノート・オールスター・ジャズ・オーケストラはモントルー・ジャズ・フェスにも出張ったりもしているようだが、、この3月にはアジア最大のジャズ・フェスと言えるだろうジャワ・ジャズ(2012年3月2日、3日、4日)にも出演するそう。
▶過去の、ブルーノートオールスター・ビッグ・バンド
http://43142.diarynote.jp/201104041100266528/
▶過去の、リチャード・ボナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200412212102130000/
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▶過去の、マイク・マイニエリ
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▶過去の、村田陽一
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▶過去の、山木秀夫
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▶過去の、佐野聡
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▶過去の、ジェイムズ・コットン
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▶過去の、ジャワ・ジャズ
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http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
<今日の、気持ち>
1週間ばかし、ネット環境から離れていて(ガラ携愛好者のぼくは、携帯電話でネットを引くことは元々しません&PCにきたメールも見ることができません)、なんか楽だなと感じる。何かに追われる感覚がなくなり、生活のテンポがゆっくりになったような心持ちを得た。PCに明るくないがゆえ間違いなくネットに依存していないほうであるはずなのに、ココロの平成がたっぷりぃ。って、それはのんびりした正月の期間であったことや、日常の場である東京から離れていたことのほうが大きい? まあ、年明け早々の締め切り物件を年内にきっちり仕上げていたら、気持ちはとってもほのぼのではあるよな〜。
TOYONOペリカーノ・ヘヴンwith マルコス・スザーノ
2015年1月10日 音楽 スライ&ロビー(1999年12月6日、2003年7月25日、2009年3月7日、2011年11月4日、2014年10月10日)の屈強にして戦闘性の高い人間基準法違反のレゲエ・ビートは“ミリタント・ビート”という呼称を与えられているが、マルコス・スザーノ(1999年8月11日、2001年12月19日、2002年7月21日、2005年2月15日、2005年10月30日、2006年8月11日、2006年8月24日、2006年12月28日、2007年8月11日、2007年8月23日、2008年10月10日、2009年9月25日、2009年9月26日、2013年1月7日)のブラジルの何かと繋がった豊富なニュアンスと鼓舞力の高いビートもなんらかの専売特許的な呼び名を与えられるべきではないのか。この晩のスザーノの、やっぱり魔法のようなパンデイロ裁きを見ていて、ぼくはそう思わずにはいられなかった。
ブラジル音楽/ポルトガル語の妙味を知り、そしてその美点を経由しているアダルト派シンガーのTOYONO(1999年6月3日、2007年8月23日、2008年1月31日、2009年6月12日、2009年9月26日、2009年12月18日、2010年2月23日、2010年12月22日、2014年7月23日)のワーキング・バンドと、彼女ととっても親しいマルコス・スザーノが一緒にやる公演。たまプラーザ・3丁目カフェ。
ギターの竹中俊二、ピアノ/ピアニカの宮川剛、エレクトリック・ベースの岡雄三、ドラムの宮川剛からなるバンドに、スザーノは最初から最後まですっと絡む。メンバーは皆譜面を置いているのに、スザーノだけは置かず。一緒にレコーディングをし、何度もライヴ共演するなどしているにせよ、パっとバンドの音に合わせ、最良のパターンを叩いていき、決めにも悠々と合わせる彼の能力はすごいとしかいいようがない。しかも、そのビートが精気と表情と多彩性に満ち、かつグルーヴィでエネルギッシュなんだもの! パンデイロの音はベース・アンプを介して出されていたようで、なるほどそりゃ低音もちゃんと出せるよな。ほんと、すごい、歴史に残るべき奏者。まあ、この晩の場合は、ドラムの宮川との噛み合いの良さも特筆すべきものであったわけだが。2人は、宮沢和史のGANGA ZUMBA(2007年8月11日)でコンビを組んでいた。
TOYONOのオリジナルを中心に、「おいしい水」や「イパネマの娘」なども披露。その2つのブラジル有名曲のアレンジし具合にいささか驚く。特に後者のモダンにイっている変換し具合は凄い。そして、その超難しくなったラインを難なく歌うTOYONOもすごい。また、竹中と彼女が作った「トレス・マリアース」は本当にいいしっとり曲と再認識。それ、ちょいゴスペル的/ブルージィなところも持つ曲なのだが、そういう系統にあるメロディアス曲として、スクイーズ「テンプテッド」、渡辺貞夫「マイ・ディア・ライフ」とともに、その三傑に入る名曲と思った。
2部制。スザーノ、馬鹿みたいにうれしそうに演奏していたなー。最後のアンコール曲は、彼がレニーニ(2000年6月16日)とつるんでいたころの共作曲で、そこでスザーノは歌も担当。ラップっぽいそれ、素敵すぎます。なんか、録音物になってほしい。
▶過去の、マルコス・スザーノ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200502161844550000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20051030
http://43142.diarynote.jp/200608141732470000/
http://43142.diarynote.jp/200608271342350000/
http://43142.diarynote.jp/200612291257400000/
http://43142.diarynote.jp/200708161531410000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20070823
http://43142.diarynote.jp/?day=20081010
http://43142.diarynote.jp/200909291503456026/
http://43142.diarynote.jp/200909291504366263/
http://43142.diarynote.jp/201301151819527787/
▶過去の、スライ&ロビー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200903122225149470/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111104
http://43142.diarynote.jp/201410201120545545/
▶過去の、TOYONO
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm エスピリト
http://43142.diarynote.jp/200708270314500000/
http://43142.diarynote.jp/200802051630130000/
http://43142.diarynote.jp/200906160733018341/
http://43142.diarynote.jp/200909291504366263/
http://43142.diarynote.jp/201001051624161036/
http://43142.diarynote.jp/201002280940361567/
http://43142.diarynote.jp/201012241100592422/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140723
▶過去の、レニーニ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-6.htm
<今日の、初めて>
たまプラーザ駅初体験。二子多摩川駅以降、駅と駅の間隔が短くなり、カーブも細かいのか電車のスピードもぐっと落ちて、げんなりしちゃう。←どこまで、せっかちなんだか。なんか、ホームの端から隣の駅のホームが見える井の頭線みたいだと思わずにはいられず。←三軒茶屋の人身事故でダイヤが乱れ、急行で行くはずが普通列車に乗らなければならず、それで認知できたのかもしれないが……。そこらへん、昭和初期の路面電車をルーツとするという路線特性が見事に残っていると感じた。東急の威信をかけた新興住宅地としてかつてブイブイ言わせていた たまプラーザの駅舎(そんなに昔じゃない時期に立て直しを受けた、という感じか)もなかなか立派。改札口で近くに住む知人たちと待ち合わせたのが、一人がパンデイロを持っていたせいで、ライヴ会場からの迎えを待っていたスザーノの奥さんと娘さんに声をかけられていた。毎年末年始をわざわざ寒い日本に来て過ごしている彼だが、今年はもっと日本に滞在したいという気持ちを持っているようだ。そして、駅から5分ぐらいの所にある3丁目カフェにもとうぜん初めて行くが、グランド・ピアノがおいてある会場だった。通り側はガラス面が多いが、音もそこそこ出せるよう。
ブラジル音楽/ポルトガル語の妙味を知り、そしてその美点を経由しているアダルト派シンガーのTOYONO(1999年6月3日、2007年8月23日、2008年1月31日、2009年6月12日、2009年9月26日、2009年12月18日、2010年2月23日、2010年12月22日、2014年7月23日)のワーキング・バンドと、彼女ととっても親しいマルコス・スザーノが一緒にやる公演。たまプラーザ・3丁目カフェ。
ギターの竹中俊二、ピアノ/ピアニカの宮川剛、エレクトリック・ベースの岡雄三、ドラムの宮川剛からなるバンドに、スザーノは最初から最後まですっと絡む。メンバーは皆譜面を置いているのに、スザーノだけは置かず。一緒にレコーディングをし、何度もライヴ共演するなどしているにせよ、パっとバンドの音に合わせ、最良のパターンを叩いていき、決めにも悠々と合わせる彼の能力はすごいとしかいいようがない。しかも、そのビートが精気と表情と多彩性に満ち、かつグルーヴィでエネルギッシュなんだもの! パンデイロの音はベース・アンプを介して出されていたようで、なるほどそりゃ低音もちゃんと出せるよな。ほんと、すごい、歴史に残るべき奏者。まあ、この晩の場合は、ドラムの宮川との噛み合いの良さも特筆すべきものであったわけだが。2人は、宮沢和史のGANGA ZUMBA(2007年8月11日)でコンビを組んでいた。
TOYONOのオリジナルを中心に、「おいしい水」や「イパネマの娘」なども披露。その2つのブラジル有名曲のアレンジし具合にいささか驚く。特に後者のモダンにイっている変換し具合は凄い。そして、その超難しくなったラインを難なく歌うTOYONOもすごい。また、竹中と彼女が作った「トレス・マリアース」は本当にいいしっとり曲と再認識。それ、ちょいゴスペル的/ブルージィなところも持つ曲なのだが、そういう系統にあるメロディアス曲として、スクイーズ「テンプテッド」、渡辺貞夫「マイ・ディア・ライフ」とともに、その三傑に入る名曲と思った。
2部制。スザーノ、馬鹿みたいにうれしそうに演奏していたなー。最後のアンコール曲は、彼がレニーニ(2000年6月16日)とつるんでいたころの共作曲で、そこでスザーノは歌も担当。ラップっぽいそれ、素敵すぎます。なんか、録音物になってほしい。
▶過去の、マルコス・スザーノ
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http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200502161844550000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20051030
http://43142.diarynote.jp/200608141732470000/
http://43142.diarynote.jp/200608271342350000/
http://43142.diarynote.jp/200612291257400000/
http://43142.diarynote.jp/200708161531410000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20070823
http://43142.diarynote.jp/?day=20081010
http://43142.diarynote.jp/200909291503456026/
http://43142.diarynote.jp/200909291504366263/
http://43142.diarynote.jp/201301151819527787/
▶過去の、スライ&ロビー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200903122225149470/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111104
http://43142.diarynote.jp/201410201120545545/
▶過去の、TOYONO
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm エスピリト
http://43142.diarynote.jp/200708270314500000/
http://43142.diarynote.jp/200802051630130000/
http://43142.diarynote.jp/200906160733018341/
http://43142.diarynote.jp/200909291504366263/
http://43142.diarynote.jp/201001051624161036/
http://43142.diarynote.jp/201002280940361567/
http://43142.diarynote.jp/201012241100592422/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140723
▶過去の、レニーニ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-6.htm
<今日の、初めて>
たまプラーザ駅初体験。二子多摩川駅以降、駅と駅の間隔が短くなり、カーブも細かいのか電車のスピードもぐっと落ちて、げんなりしちゃう。←どこまで、せっかちなんだか。なんか、ホームの端から隣の駅のホームが見える井の頭線みたいだと思わずにはいられず。←三軒茶屋の人身事故でダイヤが乱れ、急行で行くはずが普通列車に乗らなければならず、それで認知できたのかもしれないが……。そこらへん、昭和初期の路面電車をルーツとするという路線特性が見事に残っていると感じた。東急の威信をかけた新興住宅地としてかつてブイブイ言わせていた たまプラーザの駅舎(そんなに昔じゃない時期に立て直しを受けた、という感じか)もなかなか立派。改札口で近くに住む知人たちと待ち合わせたのが、一人がパンデイロを持っていたせいで、ライヴ会場からの迎えを待っていたスザーノの奥さんと娘さんに声をかけられていた。毎年末年始をわざわざ寒い日本に来て過ごしている彼だが、今年はもっと日本に滞在したいという気持ちを持っているようだ。そして、駅から5分ぐらいの所にある3丁目カフェにもとうぜん初めて行くが、グランド・ピアノがおいてある会場だった。通り側はガラス面が多いが、音もそこそこ出せるよう。
カメルーン出身パリ経由、現NY在住シンガー/エレクトリック・ベーシストであるでリチャード・ボナ(2000年12月6日、2002年1月9日、2002年9月19日、2002年12月14日、2004年12月15日、2006年2月16日、2008年10月19日、2010年2月5日、2010年6月6日、2011年1月25日、2012年5月14日、2012年12月15日、2013年12月2日、2015年1月9日)の自己バンドによる公演。ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
バンドの陣容は少し変化ありで、お馴染みの鍵盤のエティエンヌ・スタッドウィック(オランダ、ロッテルダム出身)、トランペットのリー・グリンブラット(米国、シアトル出身)、ギターのアダム・ストーラー(米国、NYクイーンズ出身)、ドラムのルドヴィグ・アフォンソ(キューバのハバナ出身)という編成。トランペッターとギター奏者は育ちが良さそうなとっぽい眼鏡白人で、ドラマーも白人だ。
ま、誰とやろうと、根っこにあるものが大きく違っていて、破格と痛感させる全身ゴム毬のようなパフォーマンスを悠々と繰り広げるのは彼ならではのもの。その一方で、しなやかで柔和さに溢れているのも美点。そんなパフォーマンスは、全体力の6、7割で事にあたっているとも感じるか。軽自動車専用道路で、彼は4000cccの大排気量車でゆっくり走っているというか。いやいや、彼のショウに触れると、余裕のあること、力を抜く事がいかに大切かを痛感させられます。
例により、ソロ歌唱/ベース演奏パートではサンプラーを駆使。今回もまたバンドで、ウェザー・リポートのジャコ・パストリアス曲「ティーン・タウン」のカヴァーも披露。それから、ときにこなれたアクセントの日本語をまじえ、聞き手にユーモアたっぷりに働きかけるのも、毎度のこと。今回、有名曲「ドナドナ」のキメの箇所を、“ドナ”を“ボナ”に置き換えて歌ったりもした。
ブラジル色が強かったり、ラテン色が強かったりとか、彼のパフォーマンスは時期によって動く。そして、今回は一番アダルト・ポップ色を持つパフォーマンスと言えるものではなかったか。でも、逆にそういう味だと、彼の内にある、かなわね〜的なアフリカ的属性は見えやすくなったりもする。
▶過去の、リチャード・ボナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200412212102130000/
http://43142.diarynote.jp/200602171950040000/
http://43142.diarynote.jp/200810211839169096/
http://43142.diarynote.jp/201002072246423695/
http://43142.diarynote.jp/201006071818281946/
http://43142.diarynote.jp/201102081256565179/
http://43142.diarynote.jp/201205221056242128/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201312171132096072/
http://43142.diarynote.jp/201501131019359012/
<今日の、昼下がり>
晴天。まず、日曜(しかも、三連休の中日)というのに、取材をする。相手は、プロモーション来日している、仏女性シンガーのザーズ(2012年2月23日)。かなり盛り上がってインタヴューできたのはいいのだが(『Paris』という新作を出している彼女に、テロについての発言もとる)、なんとその記事は、ラティーナ誌の1月20日発売号に掲載される。わあ。音楽関連雑誌で閉め切りに一番融通がきくのが同誌という定評が、書き手のなかにはあります。その後、永田町から渋谷に戻り、毎年オースティンで開かれているサウス・バイ・サウス・ウェストに行っているカメラマンの森リョータの、それがテーマの写真展をのぞく。1日かぎりなためか、けっこう人が来ていたな(ほぼ、若い人……)。実は、今年はSXSWに行く予定であるので、けっこう身近なものとして見ることができたのは確か。
そして、それを一緒に見た知人とリチャード・ボナを見る。先週木曜にピーター・バラカンに3月にやってくるボビー・マクフェリン(2004年2月3日)について話してもらう取材をしたのだが、その際に彼は、マクフェリンは唯一無二の人ながら重なる人を挙げるならリチャード・ボナという主旨を発言。ほおっ。ぼくは考えたこともなかったが、独唱やベース弾き語りの際になると、なるほどォとなりました。なお、通常ボビー・マクファーリンと日本では表記されるが、ピーターさんが音引きが入ることはスペルと発音の決まりからして絶対にありえないと力説していたので、ここでもマクフェリンと記します。
▶過去の、ザーズ
http://43142.diarynote.jp/201203061821277995/
▶過去の、ボビー・マクフェリン
http://43142.diarynote.jp/200402051853580000/
バンドの陣容は少し変化ありで、お馴染みの鍵盤のエティエンヌ・スタッドウィック(オランダ、ロッテルダム出身)、トランペットのリー・グリンブラット(米国、シアトル出身)、ギターのアダム・ストーラー(米国、NYクイーンズ出身)、ドラムのルドヴィグ・アフォンソ(キューバのハバナ出身)という編成。トランペッターとギター奏者は育ちが良さそうなとっぽい眼鏡白人で、ドラマーも白人だ。
ま、誰とやろうと、根っこにあるものが大きく違っていて、破格と痛感させる全身ゴム毬のようなパフォーマンスを悠々と繰り広げるのは彼ならではのもの。その一方で、しなやかで柔和さに溢れているのも美点。そんなパフォーマンスは、全体力の6、7割で事にあたっているとも感じるか。軽自動車専用道路で、彼は4000cccの大排気量車でゆっくり走っているというか。いやいや、彼のショウに触れると、余裕のあること、力を抜く事がいかに大切かを痛感させられます。
例により、ソロ歌唱/ベース演奏パートではサンプラーを駆使。今回もまたバンドで、ウェザー・リポートのジャコ・パストリアス曲「ティーン・タウン」のカヴァーも披露。それから、ときにこなれたアクセントの日本語をまじえ、聞き手にユーモアたっぷりに働きかけるのも、毎度のこと。今回、有名曲「ドナドナ」のキメの箇所を、“ドナ”を“ボナ”に置き換えて歌ったりもした。
ブラジル色が強かったり、ラテン色が強かったりとか、彼のパフォーマンスは時期によって動く。そして、今回は一番アダルト・ポップ色を持つパフォーマンスと言えるものではなかったか。でも、逆にそういう味だと、彼の内にある、かなわね〜的なアフリカ的属性は見えやすくなったりもする。
▶過去の、リチャード・ボナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200412212102130000/
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http://43142.diarynote.jp/200810211839169096/
http://43142.diarynote.jp/201002072246423695/
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http://43142.diarynote.jp/201102081256565179/
http://43142.diarynote.jp/201205221056242128/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201312171132096072/
http://43142.diarynote.jp/201501131019359012/
<今日の、昼下がり>
晴天。まず、日曜(しかも、三連休の中日)というのに、取材をする。相手は、プロモーション来日している、仏女性シンガーのザーズ(2012年2月23日)。かなり盛り上がってインタヴューできたのはいいのだが(『Paris』という新作を出している彼女に、テロについての発言もとる)、なんとその記事は、ラティーナ誌の1月20日発売号に掲載される。わあ。音楽関連雑誌で閉め切りに一番融通がきくのが同誌という定評が、書き手のなかにはあります。その後、永田町から渋谷に戻り、毎年オースティンで開かれているサウス・バイ・サウス・ウェストに行っているカメラマンの森リョータの、それがテーマの写真展をのぞく。1日かぎりなためか、けっこう人が来ていたな(ほぼ、若い人……)。実は、今年はSXSWに行く予定であるので、けっこう身近なものとして見ることができたのは確か。
そして、それを一緒に見た知人とリチャード・ボナを見る。先週木曜にピーター・バラカンに3月にやってくるボビー・マクフェリン(2004年2月3日)について話してもらう取材をしたのだが、その際に彼は、マクフェリンは唯一無二の人ながら重なる人を挙げるならリチャード・ボナという主旨を発言。ほおっ。ぼくは考えたこともなかったが、独唱やベース弾き語りの際になると、なるほどォとなりました。なお、通常ボビー・マクファーリンと日本では表記されるが、ピーターさんが音引きが入ることはスペルと発音の決まりからして絶対にありえないと力説していたので、ここでもマクフェリンと記します。
▶過去の、ザーズ
http://43142.diarynote.jp/201203061821277995/
▶過去の、ボビー・マクフェリン
http://43142.diarynote.jp/200402051853580000/
アイスランドの、同国ですごい支持を集めているという自作派歌手。恵比寿・リキッドルーム。
さすが、旬の人。会場の恵比寿・リキッドルームは相当な込み具合。東京は、追加公演もでた。キーボードを弾きながら(一部ギターも手にする)柔らかに歌う彼に加え、キーボード、キーボード/ベース、ギター、ドラム。一部シークエンス音を用いる曲もあったが、きっちり奥行きと光彩の感覚を持つバンド・サウンドで、どこかに今がしっかりと存在する密やかな歌やメロディをサポート。そこにある、一種独特な奥行きの感覚はとっても北の表現というしかない佇まいをしかと持つ。
1時間のショウは、まだ20代前半の彼が確かな才を持つ人物であることを、きっぱりと指し示す。そういえば、スピリチュアルでもある歌を鍵盤を弾きながら歌う図は、どこかジェイムズ・ブレイク(2011年10月12日、2013年6月4日)に通じると思わせる部分もあったか。彼はヴォーカルにエフェクトをかけたりしないが、おいしい揺らぎも抱える。それから、ある曲で彼がとったシンセサイザー・ソロが、ロキシー・ミュージック(2010年7月31日)時代のブライアン・イーノみたいですこぶる良かった。それは、彼があっち側の世界も見ている事を知らせるもので、ぼくはニヤニニヤしまくり。そういえば、彼は生まれたときには存在しなかったはずの、ニルヴァーナ曲も披露。ココロに嵐を持つと思わせるところも、すこぶる良い。拍手。
▶過去の、ジェイムズ・ブレイク
http://43142.diarynote.jp/201110161924242614/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224/
▶過去の、ロキシー・ミュージック
http://43142.diarynote.jp/201008251413325933/
<今日の、どーでもいいこと>
真冬に食べるアイスクリームもおいしいなー。なくし物をしたりて、いや〜ん。
さすが、旬の人。会場の恵比寿・リキッドルームは相当な込み具合。東京は、追加公演もでた。キーボードを弾きながら(一部ギターも手にする)柔らかに歌う彼に加え、キーボード、キーボード/ベース、ギター、ドラム。一部シークエンス音を用いる曲もあったが、きっちり奥行きと光彩の感覚を持つバンド・サウンドで、どこかに今がしっかりと存在する密やかな歌やメロディをサポート。そこにある、一種独特な奥行きの感覚はとっても北の表現というしかない佇まいをしかと持つ。
1時間のショウは、まだ20代前半の彼が確かな才を持つ人物であることを、きっぱりと指し示す。そういえば、スピリチュアルでもある歌を鍵盤を弾きながら歌う図は、どこかジェイムズ・ブレイク(2011年10月12日、2013年6月4日)に通じると思わせる部分もあったか。彼はヴォーカルにエフェクトをかけたりしないが、おいしい揺らぎも抱える。それから、ある曲で彼がとったシンセサイザー・ソロが、ロキシー・ミュージック(2010年7月31日)時代のブライアン・イーノみたいですこぶる良かった。それは、彼があっち側の世界も見ている事を知らせるもので、ぼくはニヤニニヤしまくり。そういえば、彼は生まれたときには存在しなかったはずの、ニルヴァーナ曲も披露。ココロに嵐を持つと思わせるところも、すこぶる良い。拍手。
▶過去の、ジェイムズ・ブレイク
http://43142.diarynote.jp/201110161924242614/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224/
▶過去の、ロキシー・ミュージック
http://43142.diarynote.jp/201008251413325933/
<今日の、どーでもいいこと>
真冬に食べるアイスクリームもおいしいなー。なくし物をしたりて、いや〜ん。
コートニー・パイン。ラリー・ハーロウ
2015年1月15日 音楽 まず、丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)で、ジャマイカン・ルーツの英国人リード奏者のコートニー・パイン(2000年5月30日、2001年3月12日、2003年10月31日、2004年9月26日、2012年12月17日、2013年11月13日)のショウを見る。前回公演と同じように、スティール・パン奏者を伴い、自らのカリビアン・ルーツを俯瞰せんとする方向性を持つもの。このプロジェクトの場合、パインはテナー・サックスやバス・クラリネットは手にせず、ソプラノ・サックスとウィンド・シンセサイザーだけを手にする。今回、ウィンド・シンセを吹く時間が増しているような気がし、それについては、ウィンド・シンセ嫌いのぼくは<パインの馬鹿>という気持ちを持った。
ショウのオープナーは、ソニー・ロリンズ(2005年11月13日)が自らの西インド諸島ルーツを顧みた「セイント・トーマス」。その選曲は、理に叶っていますね。ここで、パインは延々ソプラノ・サックスのソロ(陳腐な書き方をすれば、あふれる泉のごとく)を取ったが、各人はソロのパートが与えられた場合はわりとたっぷりと時間を与えられる。
パインに加え、ピアノ、ギター、スティール・パン、エレクトリック縦ベース、ドラムという編成。初来日というピアノ(のみを弾く)のマリオ・カノンジュは、なんとマルティーニーク島の出身で、ズークのバンドであるサキヨ(1980年代末に、CBSソニーから日本盤が出たこともありました)で弾いていたのだとか。完全ソロ演奏のパートを与えられたりもした彼、かなりジャズ・マナーに則って演奏していた。
パインはジャマイカ国旗色の上着をはおっていたが、レゲエ調曲はなし。彼の日本語の単語を混ぜたステージ進行はお客に少し無茶ぶりの所もあるが、快活そのもの。彼は何かというと、すぐにコブシをつきだし、それを相手と合わせ合う。なんか、それだけで熱いココロの持つ主だと思わせるのは、パインのアドヴァンテージ。彼はメンバーともそれを何度もするし、観客ともそう。そういえば、一度演奏を始めたあと、一端やめさせたときもあり。それは、前の曲でのソロの奏者の名前を紹介をし忘れて、それをちゃんとするためだった。今回は、ココロの真っすぐな、熱いナイス・ガイというコートニーの側面が、印象に残ったかな。
▶過去の、コートニー・パイン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200409280755420000/
http://43142.diarynote.jp/201212190844487864/
http://43142.diarynote.jp/201311161308131454/
▶過去の、ソニー・ロリンズ
http://43142.diarynote.jp/200511130413390000/
その後は、NYのサルサ界の大ピアニスト/バンド・リーダー、ラリー・ハーロウ(1999年8月28日、2014年1月25日、2014年1月28日)の楽団を見る。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
2人の色男歌手を含め、全13人。昨年のニッキー・マレロにかわり、1960年代後期のファニア・オールスターズ時代からハーロウと絡んでいるティンバレス奏者のオレステス・ビラトーが同行。彼、1980年代はずっとサンタナ(2013年3月12日)に入っていた。そして、途中からは、やはり特別ゲスト扱いの、ホルヘ・サンタナが加わる。カルロス・サンタナの弟にして、ラテン・ロック・バンドのマロをやっていた御仁。眼鏡をかけた彼、大学で教鞭を取ってますと言われたら、頷く? 演奏自体は入らなくても良かったかな。
ああ、ラテンは素晴らしい。心底、そう感じさせるショウ。皆、浮かれていました。それから、それほどソロを取るわけではないが、ハーロウのそれはちょい悪なダンディズムと哀愁を併せ持っているのがかっちょいいと、ぼくは思った。
▶過去の、ラリー・ハーロウ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm オーシャン・ブルー・ジャズ・フェスティヴァル
http://43142.diarynote.jp/201401271737069409/
http://43142.diarynote.jp/201401291105093975/
▶過去の、サンタナ
http://43142.diarynote.jp/201303211531189619/
<今日は、雨だけど晴れ>
天気予報どおりに、豪雨の日。家を出るころには収まったが、一瞬ビビる。ともあれ、両会場、ともにいつも以上に知り合いと会ったかな。今日は、英国〜カリブ海〜米国と巡る夕べであったのか。と、ふと、終電間際に珍しく飲んだシングル・モルトを手に思った。年が明けて15日、あとこれを23回繰り返すともう今年も終わりかあ。帰り道、そんなつまらないことも頭によぎる。なかなか、ジェットコースターのような2015年の始まりであり、諸知人の厚意も受けちゃっているナ。
ショウのオープナーは、ソニー・ロリンズ(2005年11月13日)が自らの西インド諸島ルーツを顧みた「セイント・トーマス」。その選曲は、理に叶っていますね。ここで、パインは延々ソプラノ・サックスのソロ(陳腐な書き方をすれば、あふれる泉のごとく)を取ったが、各人はソロのパートが与えられた場合はわりとたっぷりと時間を与えられる。
パインに加え、ピアノ、ギター、スティール・パン、エレクトリック縦ベース、ドラムという編成。初来日というピアノ(のみを弾く)のマリオ・カノンジュは、なんとマルティーニーク島の出身で、ズークのバンドであるサキヨ(1980年代末に、CBSソニーから日本盤が出たこともありました)で弾いていたのだとか。完全ソロ演奏のパートを与えられたりもした彼、かなりジャズ・マナーに則って演奏していた。
パインはジャマイカ国旗色の上着をはおっていたが、レゲエ調曲はなし。彼の日本語の単語を混ぜたステージ進行はお客に少し無茶ぶりの所もあるが、快活そのもの。彼は何かというと、すぐにコブシをつきだし、それを相手と合わせ合う。なんか、それだけで熱いココロの持つ主だと思わせるのは、パインのアドヴァンテージ。彼はメンバーともそれを何度もするし、観客ともそう。そういえば、一度演奏を始めたあと、一端やめさせたときもあり。それは、前の曲でのソロの奏者の名前を紹介をし忘れて、それをちゃんとするためだった。今回は、ココロの真っすぐな、熱いナイス・ガイというコートニーの側面が、印象に残ったかな。
▶過去の、コートニー・パイン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
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▶過去の、ソニー・ロリンズ
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その後は、NYのサルサ界の大ピアニスト/バンド・リーダー、ラリー・ハーロウ(1999年8月28日、2014年1月25日、2014年1月28日)の楽団を見る。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
2人の色男歌手を含め、全13人。昨年のニッキー・マレロにかわり、1960年代後期のファニア・オールスターズ時代からハーロウと絡んでいるティンバレス奏者のオレステス・ビラトーが同行。彼、1980年代はずっとサンタナ(2013年3月12日)に入っていた。そして、途中からは、やはり特別ゲスト扱いの、ホルヘ・サンタナが加わる。カルロス・サンタナの弟にして、ラテン・ロック・バンドのマロをやっていた御仁。眼鏡をかけた彼、大学で教鞭を取ってますと言われたら、頷く? 演奏自体は入らなくても良かったかな。
ああ、ラテンは素晴らしい。心底、そう感じさせるショウ。皆、浮かれていました。それから、それほどソロを取るわけではないが、ハーロウのそれはちょい悪なダンディズムと哀愁を併せ持っているのがかっちょいいと、ぼくは思った。
▶過去の、ラリー・ハーロウ
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http://43142.diarynote.jp/201401271737069409/
http://43142.diarynote.jp/201401291105093975/
▶過去の、サンタナ
http://43142.diarynote.jp/201303211531189619/
<今日は、雨だけど晴れ>
天気予報どおりに、豪雨の日。家を出るころには収まったが、一瞬ビビる。ともあれ、両会場、ともにいつも以上に知り合いと会ったかな。今日は、英国〜カリブ海〜米国と巡る夕べであったのか。と、ふと、終電間際に珍しく飲んだシングル・モルトを手に思った。年が明けて15日、あとこれを23回繰り返すともう今年も終わりかあ。帰り道、そんなつまらないことも頭によぎる。なかなか、ジェットコースターのような2015年の始まりであり、諸知人の厚意も受けちゃっているナ。
マーサ・ウェインライト
2015年1月16日 音楽 ああ、ミュージシャン力の高い人。と、思わされたな。とともに、感じていた以上にストロングな“フォークの人”であるとも。
2012年作の本田ゆか(2009年1月21日、2014年3月31日、2014年8月14日)プロデゥース盤から一転、前2013年作(カナダのTVドラマのサントラ。2009年作はエディット・ピアフ絡みシャンソン曲カヴァー集だったが、そこでもフランス語曲を歌う)はシンプルなフォーキー盤で、同作にはアンニュイな手触りもあっただけに、こんなに生一本なパフォーマンスに触れられるとは思わなかった。元々は母親のケイト・マグギャルリルから引き継いでいる味が強いとも思っていたが、今日のパフォーマンスに触れて、父親のラウドン・ウェインライトⅢから受け継いだものもたっぷり抱えると実感。六本木・ビルボードライブ、セカンド・ショウ。
ルーファス・ウェインライトの3歳年下の妹(1976年生まれ)である、やはり個と視点を持つシンガー・ソングライター。その精気にあふれたフォーク・ギター弾き語りは、彼女の事を知らなかったり、何を歌っているか分らなくてもしっかりと聞き手の心に入り込む力を持っていたと、書きたくなる。その地にある表現力、音楽集中力が、彼女は秀でている。そして、それを基にいろんな所にもそりゃ飛躍できるはずとも、思った。
中盤と終わりのほうにはピアノ奏者も付き、その場合、マーサ・ウェインライトはギターを置き、ヴォーカルに専念したりもする。実は、ピアノを弾いたブラッド・アルベッタはルーファスやマーサの諸アルバムでベースを弾いている御仁。専門のピアニストとは異なる隙間を持つその演奏は妙味を持ち、マーサを引き立てる。彼がちょいつけたコーラスも、味があった。
▶過去の、本田ゆか
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
http://43142.diarynote.jp/201404031700136483/
http://43142.diarynote.jp/201408161131356136/
<今日の、感想>
ビルボードライブに回る前に、某音楽事務所(設立30年を祝うものでもあった)の新年会があり。おいしくお酒を飲み、楽しい話ができました。いろんな、人が来ていたなー。そして、そこでミュージシャンの方々から、CDを何枚かいただいた。以下、軽く感想を記しておく。
▶栗コーダー・カルテット『20周年ベスト 1994〜2014年』(ユニバーサル)
メンバー4人がリコーダーやウクレレ、その他を持ち替える。タイトルにあるように20年間の歩みを括る2枚組の40曲入り編纂盤。風通しの良い、ラヴリーな室内楽的インストという表現傾向は見事にブレず。
▶川口義之meets栗コーダー・カルテット&渋さ知らズオーケストラ『生栗渋』(バウンディ)
アルト・サックス、リコーダー、ハーモニカその他の川口義之が所属する“動”と“和み”のバンドの両面を俯瞰できる、ライヴ・ソース作。同じ曲の、それぞれのバンドのヴァージョンを並べているのがミソ。なるほどほう、というディレクション。
▶川口義之meets栗コーダー・カルテット&渋さ知らズオーケストラ『割れ栗渋』(バウンディ)
<栗コーダー・カルテットの楽曲を渋さ面子で渋さ流に開く&渋さの曲を栗コーダー調で編曲し直す>という内容を持った『栗渋』の、江古田・バディでの公開録音(川口のセルフ解説書に、ぼくが1986年1月にNYで体験したジョー・ジャクソン『ビッグ・ワールド』録音が例えに出されていてうれしかった)の使われていない渋さの栗コーダー演奏ライヴ録音曲を中心にまとめたもの。なんか、詳細に吟味するのは時間がかかるが、澄んだミュージシャンシップが眩しい。
▶河野文彦『F』(Prodige Jaon)
1983 年生まれの、マヌーシュ・スウィンング・ギタリスト。リズム・ギターとコントラバスの伴奏のもと、指を明晰に踊らせる。綺麗な弾き口のなかに、何気にグルーヴを持つのは好印象。工夫を凝らした自作曲を演奏するなかクローザーはジャンゴ・ラインハルト曲で、世代相応のブライトな感覚を押し出す。
▶シカラムータ『LIVE AT 磔磔』(ディスクユニオン)
昨年4月に録られた、我が道を行くバンドの整備の様(ライヴなのに、発展や狼藉をかかえつつ、精緻な音となっている)、価値を目の当たりにできるライヴ盤。強者ぞろいのメンバーの個別のライヴには触れているものの、シカラムータ(2001年3月24日〜http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-3.htm)の実演自体は15年近くも触れていないんだぁと戦慄。彼らを、見なきゃ。
▶ジンタらムータ『Dies Iras 怒りの日々』(ディスクユニオン)
シカラムータのスピン・オフ集団、ジンタ方向に突き進む街頭音楽隊のデビュー作。思ったほどはチンドンぽくはないが、それは旧来の枠から創意を持って踏み出しているからという解釈ができる。ペーソスと裏町感覚、たっぷり。グレゴリオ大聖歌、トラッドやビクトル・ハラ曲など、カヴァーがいろいろ。
2012年作の本田ゆか(2009年1月21日、2014年3月31日、2014年8月14日)プロデゥース盤から一転、前2013年作(カナダのTVドラマのサントラ。2009年作はエディット・ピアフ絡みシャンソン曲カヴァー集だったが、そこでもフランス語曲を歌う)はシンプルなフォーキー盤で、同作にはアンニュイな手触りもあっただけに、こんなに生一本なパフォーマンスに触れられるとは思わなかった。元々は母親のケイト・マグギャルリルから引き継いでいる味が強いとも思っていたが、今日のパフォーマンスに触れて、父親のラウドン・ウェインライトⅢから受け継いだものもたっぷり抱えると実感。六本木・ビルボードライブ、セカンド・ショウ。
ルーファス・ウェインライトの3歳年下の妹(1976年生まれ)である、やはり個と視点を持つシンガー・ソングライター。その精気にあふれたフォーク・ギター弾き語りは、彼女の事を知らなかったり、何を歌っているか分らなくてもしっかりと聞き手の心に入り込む力を持っていたと、書きたくなる。その地にある表現力、音楽集中力が、彼女は秀でている。そして、それを基にいろんな所にもそりゃ飛躍できるはずとも、思った。
中盤と終わりのほうにはピアノ奏者も付き、その場合、マーサ・ウェインライトはギターを置き、ヴォーカルに専念したりもする。実は、ピアノを弾いたブラッド・アルベッタはルーファスやマーサの諸アルバムでベースを弾いている御仁。専門のピアニストとは異なる隙間を持つその演奏は妙味を持ち、マーサを引き立てる。彼がちょいつけたコーラスも、味があった。
▶過去の、本田ゆか
http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
http://43142.diarynote.jp/201404031700136483/
http://43142.diarynote.jp/201408161131356136/
<今日の、感想>
ビルボードライブに回る前に、某音楽事務所(設立30年を祝うものでもあった)の新年会があり。おいしくお酒を飲み、楽しい話ができました。いろんな、人が来ていたなー。そして、そこでミュージシャンの方々から、CDを何枚かいただいた。以下、軽く感想を記しておく。
▶栗コーダー・カルテット『20周年ベスト 1994〜2014年』(ユニバーサル)
メンバー4人がリコーダーやウクレレ、その他を持ち替える。タイトルにあるように20年間の歩みを括る2枚組の40曲入り編纂盤。風通しの良い、ラヴリーな室内楽的インストという表現傾向は見事にブレず。
▶川口義之meets栗コーダー・カルテット&渋さ知らズオーケストラ『生栗渋』(バウンディ)
アルト・サックス、リコーダー、ハーモニカその他の川口義之が所属する“動”と“和み”のバンドの両面を俯瞰できる、ライヴ・ソース作。同じ曲の、それぞれのバンドのヴァージョンを並べているのがミソ。なるほどほう、というディレクション。
▶川口義之meets栗コーダー・カルテット&渋さ知らズオーケストラ『割れ栗渋』(バウンディ)
<栗コーダー・カルテットの楽曲を渋さ面子で渋さ流に開く&渋さの曲を栗コーダー調で編曲し直す>という内容を持った『栗渋』の、江古田・バディでの公開録音(川口のセルフ解説書に、ぼくが1986年1月にNYで体験したジョー・ジャクソン『ビッグ・ワールド』録音が例えに出されていてうれしかった)の使われていない渋さの栗コーダー演奏ライヴ録音曲を中心にまとめたもの。なんか、詳細に吟味するのは時間がかかるが、澄んだミュージシャンシップが眩しい。
▶河野文彦『F』(Prodige Jaon)
1983 年生まれの、マヌーシュ・スウィンング・ギタリスト。リズム・ギターとコントラバスの伴奏のもと、指を明晰に踊らせる。綺麗な弾き口のなかに、何気にグルーヴを持つのは好印象。工夫を凝らした自作曲を演奏するなかクローザーはジャンゴ・ラインハルト曲で、世代相応のブライトな感覚を押し出す。
▶シカラムータ『LIVE AT 磔磔』(ディスクユニオン)
昨年4月に録られた、我が道を行くバンドの整備の様(ライヴなのに、発展や狼藉をかかえつつ、精緻な音となっている)、価値を目の当たりにできるライヴ盤。強者ぞろいのメンバーの個別のライヴには触れているものの、シカラムータ(2001年3月24日〜http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-3.htm)の実演自体は15年近くも触れていないんだぁと戦慄。彼らを、見なきゃ。
▶ジンタらムータ『Dies Iras 怒りの日々』(ディスクユニオン)
シカラムータのスピン・オフ集団、ジンタ方向に突き進む街頭音楽隊のデビュー作。思ったほどはチンドンぽくはないが、それは旧来の枠から創意を持って踏み出しているからという解釈ができる。ペーソスと裏町感覚、たっぷり。グレゴリオ大聖歌、トラッドやビクトル・ハラ曲など、カヴァーがいろいろ。
ジョー。ジェイソン・モラン・バンドワゴン
2015年1月20日 音楽 まず、六本木・ビルボードライブ東京(ファースト・ショウ)で、40歳ちょいの脂ののったR&Bシンガーのジョー(2012年11月1日)を見る。整備されたバンドとともに、ある種のR&B流儀があふれるショウを堂々と展開。見ながら、やはりこういう出し物には、時々触れたほうがいいと感じる。ライヴ・ミュージックとしての重要な何かがあるよな。鍵盤2、ギター(前見た時と同じ日本人かな)、ベース、ドラムという編成は少し変化あり。皆、格好は黒いスーツ基調の正装なり。以前に彼の実演を見たときはステージに近い位置にいる客が過度に優遇されている感じもあったが、今回はステージ・フロア後部、2階部席やその上のバーがあるフロアなど、ジョーは会場をいろいろと回り、客と十全にスキンシップを計った。しっかりした歌唱力と見た目の格好良さを持つと、そういう所作が映え、本当にうれしいものに感じられる。数曲、スロウで弾いたアコースティック・ギターは確か。故ボビー・ウォマック(2013年5月12日)同様に“ギターでモノを考える”ソウル歌手であることが出てくる様も当然悪いはずがない。
▶過去の、ジョー
http://43142.diarynote.jp/201211151031072337/
▶過去の、ボビー・ウォマック
http://43142.diarynote.jp/201305141107016872/
そして、南青山・ブルーノート東京。1999年デビュー以来、ずっとブルーノート・レコードに所属する秀英ピアニストであるジェイソン・モランのバンドワゴンと名付けられたトリオ(2007年1月16日、2007年1月17日)を見る。フレットレスの電気ベースを弾くタラス・マティーン(彼ほどエレクトリックでウッド・ベースに近い音を出す人を、ぼくは他に知らない)とドラムのナシート・ウェイツ という顔ぶれも2000年ぐらいから変わらない。
ながら、その新作『オール・ライズ』はミシェル・ンデゲオチェロ(2002年6月18日、2003年11月18日、2003年11月22日、2008年5月7日、2009年5月15日、2013年11月18日、2014年7月14日)がブルーノート社長のドン・ウォズ(2013年2月15日)と共同プロデュースしており、これまでで一番プレイヤーやシンガーのゲストが見られ、エレクトリック・ピアノを弾くアルバムだった。だが、その一方では、”ファッツ・ウォラー(1904〜1943年)トリビュート”というお題目を持つ物であり、レトロ・ジャズ期の巨匠と繋がろうとすることで、一方では立ったビートや現代的音色やラップを導入するという指針を取っているところが、ハイパーなモランの面白さ。そして、その奥には、米国黒人によって愛好されてきた大衆文化の時間軸を超えた共有がある。と、『オール・ライズ』は解説担当盤であるので、意義をすらすら挙げられますね。なお、モランは昔から、ウォラーが代名詞となるおどけた風情も持つストライド・ピアノ奏法を繰り出す人であった。
冒頭、2曲は新作とは関係ないトリオ演奏曲。グランド・ピアノの上にはでっかいラバー仕立ての頭部マスクがおいてある。そして、3曲目に入るときにモランはそのマスクを被り、ウォラー絡み曲を演奏しだす。おお、そのマスクはウォラーを模したものなのか。しかし、あんなの被って演奏して手元がよく見えるのかと心配にもなるが、彼は悠々指をはわす。それにしても、クールでお洒落なモランがこんなお茶目なことをするとは思いもよらず。お洒落と言えば、カジュアルな方向で格好をいつもキメている彼は今回、黒いスーツと蝶ネクタイでステージにあがっていた。その格好は、他の2人も同様。それは、往年のジャズの正装に習わんとした、と解釈していいだろう。
そして、中盤以降は、オペラ歌手をしている奥さんのアリシア・ホール・モランがヴォーカルで加わる。モランはマスクをやっと取る。アリシアは長身で綺麗な人だが、前回のモラン来日公演に同行した際は髪型がアフロだったんだよな。それで、彼女は数曲歌ったのだが、これが完全なクラシック流れ歌唱。浮く、という形容も、それはできる。アルバムの録音には参加していない彼女がそういう歌唱を延々取ることで、ここでのモラン表現はまた位相を変えていき……。彼女は『オール・ライズ』とは関係ない曲も歌っていたが、そのなかにはスタンダードの「サマータイム」もあって、それを聞いていて、なんかデュラス映画の「インディア・ソング」のテーマ曲との親和性を感じたりもした。へえー。もう少し、グルーヴや黒さの提示があっても良かったと思わなくもないが(ンデゲオチェロ参加のモランのDCかどこかのライヴ映像で、すごいのがYouTubeで見ることができる)、やはりモランは自在で、面白い。
本編最後の『オール・ライズ』収録曲「シェイク・オブ・アラビー」で、またモランはマスクをかぶって演奏する。なお、やはり今回も(電気キーボードはそれほど触らず)ピアノ演奏が主なり。
▶過去の、ジェイソン・モラン・バンドワゴン
http://43142.diarynote.jp/200701201417260000/
http://43142.diarynote.jp/200701201418210000/
▶過去の、ミシェル・ンデゲオチェロ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-6.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200805090836380000/
http://43142.diarynote.jp/200905161026033788/
http://43142.diarynote.jp/201311191050581790/
http://43142.diarynote.jp/201407151135353688/
▶過去の、ドン・ウォズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130215
<今日の、六本木ミッドタウン>
ビルボードライブに行く前によく待ち合わせ場所に使っていたTSUTAYAの、ミッドタウン一階(スターバックスの隣)にある趣味っぽい本を並べた店舗がしめられていた。雑誌や文庫本をおいた地下一階の狭い方のTSUTAYA(しかし、ツタヤと打つとまず英文字表記が出てくるのだな)はまだある。そういえば、ここのテナントもオープン時からはいろいろと変わっていて、当初はりきって割り振りしたフロアの統一感がなくなりぎみ?
年明けから、ここのスケート・リンクがはじまったよう。11時から22時までなのか。案内を見たら、ぼくがメインで使っているクレジット・カードを提示すれば、只で滑れる。今度、ライヴ前に利用してみようかな。でも、小学生いらい滑ってないし、脚の筋力が衰えているし……←と、考え、老いを感じたナリ〜。
▶過去の、ジョー
http://43142.diarynote.jp/201211151031072337/
▶過去の、ボビー・ウォマック
http://43142.diarynote.jp/201305141107016872/
そして、南青山・ブルーノート東京。1999年デビュー以来、ずっとブルーノート・レコードに所属する秀英ピアニストであるジェイソン・モランのバンドワゴンと名付けられたトリオ(2007年1月16日、2007年1月17日)を見る。フレットレスの電気ベースを弾くタラス・マティーン(彼ほどエレクトリックでウッド・ベースに近い音を出す人を、ぼくは他に知らない)とドラムのナシート・ウェイツ という顔ぶれも2000年ぐらいから変わらない。
ながら、その新作『オール・ライズ』はミシェル・ンデゲオチェロ(2002年6月18日、2003年11月18日、2003年11月22日、2008年5月7日、2009年5月15日、2013年11月18日、2014年7月14日)がブルーノート社長のドン・ウォズ(2013年2月15日)と共同プロデュースしており、これまでで一番プレイヤーやシンガーのゲストが見られ、エレクトリック・ピアノを弾くアルバムだった。だが、その一方では、”ファッツ・ウォラー(1904〜1943年)トリビュート”というお題目を持つ物であり、レトロ・ジャズ期の巨匠と繋がろうとすることで、一方では立ったビートや現代的音色やラップを導入するという指針を取っているところが、ハイパーなモランの面白さ。そして、その奥には、米国黒人によって愛好されてきた大衆文化の時間軸を超えた共有がある。と、『オール・ライズ』は解説担当盤であるので、意義をすらすら挙げられますね。なお、モランは昔から、ウォラーが代名詞となるおどけた風情も持つストライド・ピアノ奏法を繰り出す人であった。
冒頭、2曲は新作とは関係ないトリオ演奏曲。グランド・ピアノの上にはでっかいラバー仕立ての頭部マスクがおいてある。そして、3曲目に入るときにモランはそのマスクを被り、ウォラー絡み曲を演奏しだす。おお、そのマスクはウォラーを模したものなのか。しかし、あんなの被って演奏して手元がよく見えるのかと心配にもなるが、彼は悠々指をはわす。それにしても、クールでお洒落なモランがこんなお茶目なことをするとは思いもよらず。お洒落と言えば、カジュアルな方向で格好をいつもキメている彼は今回、黒いスーツと蝶ネクタイでステージにあがっていた。その格好は、他の2人も同様。それは、往年のジャズの正装に習わんとした、と解釈していいだろう。
そして、中盤以降は、オペラ歌手をしている奥さんのアリシア・ホール・モランがヴォーカルで加わる。モランはマスクをやっと取る。アリシアは長身で綺麗な人だが、前回のモラン来日公演に同行した際は髪型がアフロだったんだよな。それで、彼女は数曲歌ったのだが、これが完全なクラシック流れ歌唱。浮く、という形容も、それはできる。アルバムの録音には参加していない彼女がそういう歌唱を延々取ることで、ここでのモラン表現はまた位相を変えていき……。彼女は『オール・ライズ』とは関係ない曲も歌っていたが、そのなかにはスタンダードの「サマータイム」もあって、それを聞いていて、なんかデュラス映画の「インディア・ソング」のテーマ曲との親和性を感じたりもした。へえー。もう少し、グルーヴや黒さの提示があっても良かったと思わなくもないが(ンデゲオチェロ参加のモランのDCかどこかのライヴ映像で、すごいのがYouTubeで見ることができる)、やはりモランは自在で、面白い。
本編最後の『オール・ライズ』収録曲「シェイク・オブ・アラビー」で、またモランはマスクをかぶって演奏する。なお、やはり今回も(電気キーボードはそれほど触らず)ピアノ演奏が主なり。
▶過去の、ジェイソン・モラン・バンドワゴン
http://43142.diarynote.jp/200701201417260000/
http://43142.diarynote.jp/200701201418210000/
▶過去の、ミシェル・ンデゲオチェロ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-6.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200805090836380000/
http://43142.diarynote.jp/200905161026033788/
http://43142.diarynote.jp/201311191050581790/
http://43142.diarynote.jp/201407151135353688/
▶過去の、ドン・ウォズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130215
<今日の、六本木ミッドタウン>
ビルボードライブに行く前によく待ち合わせ場所に使っていたTSUTAYAの、ミッドタウン一階(スターバックスの隣)にある趣味っぽい本を並べた店舗がしめられていた。雑誌や文庫本をおいた地下一階の狭い方のTSUTAYA(しかし、ツタヤと打つとまず英文字表記が出てくるのだな)はまだある。そういえば、ここのテナントもオープン時からはいろいろと変わっていて、当初はりきって割り振りしたフロアの統一感がなくなりぎみ?
年明けから、ここのスケート・リンクがはじまったよう。11時から22時までなのか。案内を見たら、ぼくがメインで使っているクレジット・カードを提示すれば、只で滑れる。今度、ライヴ前に利用してみようかな。でも、小学生いらい滑ってないし、脚の筋力が衰えているし……←と、考え、老いを感じたナリ〜。
アラン・トゥーサン。ジェイソン・モラン(ソロ)
2015年1月21日 音楽 好ペースで来日公演をしている、ニューオーリンズR&Bの名作曲家/プロデューサー(2006年5月31日、2006年6月1日、2007年10月21日、2009年5月29日、2011年1月10日、2012年10月15日、2013年10月22日)の実演は六本木・ビルボードライブにて。ファースト・ショウ。
お、これまでより弾き語りするピアノの位置がステージ中央に寄っている? それにより、電気ベーシストはトゥーサンの背中側に位置する。ギターのレナード・ポーシェ(2007年2月2日、3日。2009年5月29日、2011年1月10日、2012年10月15日)はスキン・ヘッドだったっけ? 彼は今回も一部でリコーダー2本をくわえて伴奏音を出したりも。今回、「セイント・ジェイムズ・インファーマリー」の際、長めにソロ・パートを与えられ、その際に彼はなかなか個性的な演奏を披露した。それ、濁りながら流れると書きたくなるもの、也。
御大の銀色基調のキラキラ衣装はその白髪ともマッチして、なかなか似合う。余裕と滋味、山ほど。前回のときより、もっと元気と思えた? 基本はメロディアスな所もあるニューオーリンズR&B曲をちょいとしたうれしいアクセントや揺れを交えて披露していくのだが(今回も、超美曲「フリーダム・フォー・ザ・ステリオン」はやらなかったなー)、誘われる。いろんな曲を交錯させるピアノ・ソロ演奏パートは今回短めだったが、それもメリハリがあって、過去の同傾向パフォーマンスより良く思えたかも。それから、メンバー紹介でベーシストを紹介する際は、ドクター・ジョン(2000年5月24日、2002年3月23日、2005年9月20日、2012年2月15日、2013年10月1日)の「ライト・プレイス・ロング・タイム」(プロデュースはトゥーサン)のリフを引用しました。
それと、今回の彼の来日ギグの要点は、もうすぐマルディグラ・シーズンということで、ショウの終盤に光り物ほか小物をステージから客に投げ与えたこと。マルディグラ・パレード(2007年2月3日)において縁起物を見物人に投げるというのが、彼の地の流儀なんだよね。やっぱ、他愛ない所作ではあるんだけど、それにはウキウキしちゃうなあ。
▶過去の、アラン・トゥーサン
http://43142.diarynote.jp/200606071933120000/
http://43142.diarynote.jp/200606071936190000/
http://43142.diarynote.jp/200710221206190000/
http://43142.diarynote.jp/200906051614524790/
http://43142.diarynote.jp/201101111202336229/
http://43142.diarynote.jp/201210201217291727/
http://43142.diarynote.jp/201310241000242214/
▶過去の、レナード・ポーシェ
http://43142.diarynote.jp/200702090041480000/ JBトリビュート
http://43142.diarynote.jp/200702112125550000/ ジガブーのセッション
http://43142.diarynote.jp/200906051614524790/
http://43142.diarynote.jp/201101111202336229/
http://43142.diarynote.jp/201210201217291727/
▶過去の、ドクター・ジョン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200510030016390000/
http://43142.diarynote.jp/201202161725143619/
http://43142.diarynote.jp/201310050709459564/
▶過去の、マルディグラのパレード
http://43142.diarynote.jp/200702112125550000/
その後は、丸の内・コットンクラブで、昨日はバンド公演を見させてもらったジェイソン・モラン(2007年1月16日、2007年1月17日、2008年4月6日、2013年1月6日、2015年1月20日)のピアノ・ソロ公演。彼が冒頭MCで言ったが、今日が誕生日。40歳になったそうだ。
……度を超してすばらしかった。一体なんなの、この人。もうパフォーマンスに触れている端から笑みがこみ上げてきてしまい、とってもとっても幸せな心持ちをえた。音楽が好きで良かったとも、心底思えた。そんな、素敵なことってあるかい! モランにとっても、最良の誕生日になったのではないか。いろんな意味で、先にあったバンド公演の数倍、今日一日かぎりのソロ演奏のほうにグっときた。
1曲目は短めの(たぶん)フリー・フォーム曲。そして、次はミニマル・ミュージック的な要素を持つ曲なのだが、そのころにはわわわわって、ぼくはなっていた。とにかく、弾き方や音色が豊かで、無駄がない(押さえている鍵盤の数はそれほど多くないはず)。でもって、出音のダイナミクスの付け方がまた幅が広く、見事にコントロールされている。モランがこんなにもピアノと“友達”な御仁であったとは。おそらく、これまでぼくが見たソロ・ピアノのパフォーマンスのなかで一番いいと思えるものであったのではないか。
途中、通っていたニュー・スクール大学の先生だった自由人ジャキ・バイアードの名を出し、手巻きのオルゴール音をならし、それを継ぐようにピアノを訥々と弾く曲もあった(最後には、またオルゴール音を回して出して曲を終える)。また、自らの誕生日をこれを流して祝うと言って、グラディス・ナイト&ザ・ピップスの「ノー・ワン・クッド・ラヴ・ユー・モア」を延々と流し、途中からはそれに合わせてピアノを弾きだして、ソウル好きな私のもう一つのジャズ・ピアノ表現を紡ぐということも、彼はした。うーぬ、純度は高いのに、発想は凝り固まらずしなやかで、見せ方も多彩。素晴らしいな。ちなみに、1972年にモータウンから出された「ノー・ワン・クッド・ラヴ・ユー・モア」はそれほど知られる曲ではないと思うが、グラディス・ナイトのゴスペル仕込みの張りのある声が活きた、メロディアスなビート曲。ぼくの頭のなかのライブラリーには入っていなかったが、いい曲だなあ。
また前日のグループ公演と同様に、彼はファッツ・ウォラーのマスクを被って、彼絡みの曲を演奏したりもする。昨日よりずっと近くで見て分ったが、デカいそのマスクは特注だな。モランは昨日と同じ正装をしていたが、それはマスクに合わせるためであることが、今日ちゃんと分った。とともに、マスクを被りながら演奏すると、なんか人形が弾いているみたいであり、どーにもこーにも人間的な諧謔が湧いてきて、その様は常人の発想を超えたウォラー・トリビュートになっていると思わずにはいられず。
とかなんとか、ジェイソン・モラン、すごすぎ。そして、また切に彼のピアノに触れたいっ!
▶過去の、ジェイソン・モラン
http://43142.diarynote.jp/200701201417260000/
http://43142.diarynote.jp/200701201418210000/
http://43142.diarynote.jp/200804081928430000/
http://43142.diarynote.jp/201301151731112021/
http://43142.diarynote.jp/201501210901575140/
<今日の、追記>
実は、モランはザ・バッド・プラス(2003年8月1~2日、2004年5月13日、2005年8月29日、2008年2月20日、2011年3月9日、2013年11月20日、2014年10月31日)のイーサン・アイバーソンと並んで、大家キラーなピアニスト。ことECMレーベルに限っても、ポール・モーシャンとの『Lost in a Dream』、チャールス・ロイドとの『Hagar’s Song』などに参加するなど、いい仕事をしている。一方のイーサンはビリー・ハートやアルバート・ヒースに可愛がられるとともに、ライノーノーツ執筆業も盛ん(ポール・モーシャン、ジャキ・バイアード、ブラッド・メルドー〜2002年3月19日、2003年2月15日、2005年2月20日、チャーリー・ヘイデン〜2001年11月20日、2005年3月16日、2009年9月10日〜など)。黒のモラン、白のアイヴァーソン、なんちって。
▶過去の、ザ・バッド・プラス/アイバーソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200405101355540000/
http://43142.diarynote.jp/200509011126570000/
http://43142.diarynote.jp/200802212249200000/
http://43142.diarynote.jp/201103171347055826/
http://43142.diarynote.jp/201311230757159421/
http://43142.diarynote.jp/201411101736494912/
▶過去の、ブラッド・メルドー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/%7Enewswave/live-2003-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200502232041270000/
▶過去の、チャーリー・ヘイデン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200503240453290000/
http://43142.diarynote.jp/200909120650273142/
お、これまでより弾き語りするピアノの位置がステージ中央に寄っている? それにより、電気ベーシストはトゥーサンの背中側に位置する。ギターのレナード・ポーシェ(2007年2月2日、3日。2009年5月29日、2011年1月10日、2012年10月15日)はスキン・ヘッドだったっけ? 彼は今回も一部でリコーダー2本をくわえて伴奏音を出したりも。今回、「セイント・ジェイムズ・インファーマリー」の際、長めにソロ・パートを与えられ、その際に彼はなかなか個性的な演奏を披露した。それ、濁りながら流れると書きたくなるもの、也。
御大の銀色基調のキラキラ衣装はその白髪ともマッチして、なかなか似合う。余裕と滋味、山ほど。前回のときより、もっと元気と思えた? 基本はメロディアスな所もあるニューオーリンズR&B曲をちょいとしたうれしいアクセントや揺れを交えて披露していくのだが(今回も、超美曲「フリーダム・フォー・ザ・ステリオン」はやらなかったなー)、誘われる。いろんな曲を交錯させるピアノ・ソロ演奏パートは今回短めだったが、それもメリハリがあって、過去の同傾向パフォーマンスより良く思えたかも。それから、メンバー紹介でベーシストを紹介する際は、ドクター・ジョン(2000年5月24日、2002年3月23日、2005年9月20日、2012年2月15日、2013年10月1日)の「ライト・プレイス・ロング・タイム」(プロデュースはトゥーサン)のリフを引用しました。
それと、今回の彼の来日ギグの要点は、もうすぐマルディグラ・シーズンということで、ショウの終盤に光り物ほか小物をステージから客に投げ与えたこと。マルディグラ・パレード(2007年2月3日)において縁起物を見物人に投げるというのが、彼の地の流儀なんだよね。やっぱ、他愛ない所作ではあるんだけど、それにはウキウキしちゃうなあ。
▶過去の、アラン・トゥーサン
http://43142.diarynote.jp/200606071933120000/
http://43142.diarynote.jp/200606071936190000/
http://43142.diarynote.jp/200710221206190000/
http://43142.diarynote.jp/200906051614524790/
http://43142.diarynote.jp/201101111202336229/
http://43142.diarynote.jp/201210201217291727/
http://43142.diarynote.jp/201310241000242214/
▶過去の、レナード・ポーシェ
http://43142.diarynote.jp/200702090041480000/ JBトリビュート
http://43142.diarynote.jp/200702112125550000/ ジガブーのセッション
http://43142.diarynote.jp/200906051614524790/
http://43142.diarynote.jp/201101111202336229/
http://43142.diarynote.jp/201210201217291727/
▶過去の、ドクター・ジョン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200510030016390000/
http://43142.diarynote.jp/201202161725143619/
http://43142.diarynote.jp/201310050709459564/
▶過去の、マルディグラのパレード
http://43142.diarynote.jp/200702112125550000/
その後は、丸の内・コットンクラブで、昨日はバンド公演を見させてもらったジェイソン・モラン(2007年1月16日、2007年1月17日、2008年4月6日、2013年1月6日、2015年1月20日)のピアノ・ソロ公演。彼が冒頭MCで言ったが、今日が誕生日。40歳になったそうだ。
……度を超してすばらしかった。一体なんなの、この人。もうパフォーマンスに触れている端から笑みがこみ上げてきてしまい、とってもとっても幸せな心持ちをえた。音楽が好きで良かったとも、心底思えた。そんな、素敵なことってあるかい! モランにとっても、最良の誕生日になったのではないか。いろんな意味で、先にあったバンド公演の数倍、今日一日かぎりのソロ演奏のほうにグっときた。
1曲目は短めの(たぶん)フリー・フォーム曲。そして、次はミニマル・ミュージック的な要素を持つ曲なのだが、そのころにはわわわわって、ぼくはなっていた。とにかく、弾き方や音色が豊かで、無駄がない(押さえている鍵盤の数はそれほど多くないはず)。でもって、出音のダイナミクスの付け方がまた幅が広く、見事にコントロールされている。モランがこんなにもピアノと“友達”な御仁であったとは。おそらく、これまでぼくが見たソロ・ピアノのパフォーマンスのなかで一番いいと思えるものであったのではないか。
途中、通っていたニュー・スクール大学の先生だった自由人ジャキ・バイアードの名を出し、手巻きのオルゴール音をならし、それを継ぐようにピアノを訥々と弾く曲もあった(最後には、またオルゴール音を回して出して曲を終える)。また、自らの誕生日をこれを流して祝うと言って、グラディス・ナイト&ザ・ピップスの「ノー・ワン・クッド・ラヴ・ユー・モア」を延々と流し、途中からはそれに合わせてピアノを弾きだして、ソウル好きな私のもう一つのジャズ・ピアノ表現を紡ぐということも、彼はした。うーぬ、純度は高いのに、発想は凝り固まらずしなやかで、見せ方も多彩。素晴らしいな。ちなみに、1972年にモータウンから出された「ノー・ワン・クッド・ラヴ・ユー・モア」はそれほど知られる曲ではないと思うが、グラディス・ナイトのゴスペル仕込みの張りのある声が活きた、メロディアスなビート曲。ぼくの頭のなかのライブラリーには入っていなかったが、いい曲だなあ。
また前日のグループ公演と同様に、彼はファッツ・ウォラーのマスクを被って、彼絡みの曲を演奏したりもする。昨日よりずっと近くで見て分ったが、デカいそのマスクは特注だな。モランは昨日と同じ正装をしていたが、それはマスクに合わせるためであることが、今日ちゃんと分った。とともに、マスクを被りながら演奏すると、なんか人形が弾いているみたいであり、どーにもこーにも人間的な諧謔が湧いてきて、その様は常人の発想を超えたウォラー・トリビュートになっていると思わずにはいられず。
とかなんとか、ジェイソン・モラン、すごすぎ。そして、また切に彼のピアノに触れたいっ!
▶過去の、ジェイソン・モラン
http://43142.diarynote.jp/200701201417260000/
http://43142.diarynote.jp/200701201418210000/
http://43142.diarynote.jp/200804081928430000/
http://43142.diarynote.jp/201301151731112021/
http://43142.diarynote.jp/201501210901575140/
<今日の、追記>
実は、モランはザ・バッド・プラス(2003年8月1~2日、2004年5月13日、2005年8月29日、2008年2月20日、2011年3月9日、2013年11月20日、2014年10月31日)のイーサン・アイバーソンと並んで、大家キラーなピアニスト。ことECMレーベルに限っても、ポール・モーシャンとの『Lost in a Dream』、チャールス・ロイドとの『Hagar’s Song』などに参加するなど、いい仕事をしている。一方のイーサンはビリー・ハートやアルバート・ヒースに可愛がられるとともに、ライノーノーツ執筆業も盛ん(ポール・モーシャン、ジャキ・バイアード、ブラッド・メルドー〜2002年3月19日、2003年2月15日、2005年2月20日、チャーリー・ヘイデン〜2001年11月20日、2005年3月16日、2009年9月10日〜など)。黒のモラン、白のアイヴァーソン、なんちって。
▶過去の、ザ・バッド・プラス/アイバーソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200405101355540000/
http://43142.diarynote.jp/200509011126570000/
http://43142.diarynote.jp/200802212249200000/
http://43142.diarynote.jp/201103171347055826/
http://43142.diarynote.jp/201311230757159421/
http://43142.diarynote.jp/201411101736494912/
▶過去の、ブラッド・メルドー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/%7Enewswave/live-2003-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200502232041270000/
▶過去の、チャーリー・ヘイデン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200503240453290000/
http://43142.diarynote.jp/200909120650273142/
マシュウ・スティーヴンス・トリオ
2015年1月22日 音楽 クリスチャン・スコット(2008年7月23日、2008年9月10日、2009年1月31日、2009年9月15日、2010年9月3日、2011年12月17日)のバンドやジャマイア・ウィリアムズ率いるエリマージ参加など、NY発のレディオヘッド(2001年10月4日、2004年4月18日、2008年10月4日)思慕下にあるジャズ/ジャジー表現を志向する界隈で活躍するカナダ出身ギタリストであるマシュウ・スティーヴンス(2009年1月31日、2013年6月4日、2014年8月7日)のリーダー・グループの公演を見る。同行のリズム・セクションは、ジャマイア・ウィリアムズ(2009年5月18日、2012年3月3日、2013年4月1日、2013年6月4日、2014年8月7日)と現パット・メセニー・ユニティ・グループのベン・ウィリアムズ(2009年5月18日、2009年9月3日、2010年5月30日、2012年3月3日、2012年5月28日、2013年4月1日、2013年5月21日)。この2人はコンビでジャッキー・テラソンや渡辺貞夫のリズム隊を担ったことがあるなど仲良しさんだが、いまや豪華という感想も持たせる? モーション・ブルー・ヨコハマ。入れ替えなしの2ショウにて、彼は思うまま、たっぷり持ち味を披露した。
接してすぐに感じたのは、思っていた以上にジャズ・ギタリストであること。スコット表現にせよ、エリマージ表現にせよ、エフェクターを駆使して響きや空間を作り出す方向の演奏を見せていたスティーヴンスだが、まずジャズ・ギタリストとして必要なものを蓄積している事実を、この晩の演奏はおおいに示す。ジャマイアがブラシを用いたバラードで最初見せた爪弾き系ソロもとても堂にいっていたし、セロニアス・モンクのブルース曲演奏もいい感じに開いていた。知人はピックを用いているのに、あんなに柔らかい音を出しているのは不思議という感想をもらしていたな。
そして、もう一つ感じたのは、パット・メセニーをやらせたら、たぶん滅茶上手いんだろうなということ。なんか、次々に繰り出すフレイズの奥に、ぼくはメセニーの影響を見ずにはいられず。スティーヴンスは基本沈んだ陰鬱な曲をやるのだが、それがもっと爽快な曲調だったらパット・メセニーになっちゃうぢゃんと思った。まあ、このリズム隊はメセニーのトリオ公演のそれを担ったこともある(2012年3月3日)わけだが。なんにせよ、スティーヴンスはまっとうにして、雄弁なジャズ・ギタリストであり、リズム隊の2人もちゃんとジャズ好きなんだなと思えるパフォーマンスを受けることができた。
▶過去の、スコット
http://43142.diarynote.jp/200807241546500000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080910
http://43142.diarynote.jp/200902030206339619/
http://43142.diarynote.jp/200909181206531984/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100903
http://43142.diarynote.jp/201112201159168538/
▶過去の、レディオヘッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200404180058130000/
http://43142.diarynote.jp/200810061856366600/
▶過去の、マシュー・スティーヴンス
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224
http://43142.diarynote.jp/201408091058201133/
▶過去の、ベン・ウィリアムズ
http://43142.diarynote.jp/200905191118258984/
http://43142.diarynote.jp/200909120646397236/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100530
http://43142.diarynote.jp/?day=20120303
http://43142.diarynote.jp/201205301445023004/
http://43142.diarynote.jp/201304031026406106/
http://43142.diarynote.jp/201305260927026044/
▶過去の、ジャマイア・ウィリアムズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130401
http://43142.diarynote.jp/200905191118258984/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120303
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224
http://43142.diarynote.jp/201408091058201133/
<今日の、いやーん>
昨日(昼間は雪がちらついたよう)、今日(雨天)と寒すぎ。なんか、精神的にひもじさを覚えるよーん。でもって、なんかここのところ出かけるたびに、渋谷駅のあり方をはじめとする、まっとうな企業としては醜態というしかない東急電鉄のいろんな不備を覚えずにはいられず、心乱れる。
接してすぐに感じたのは、思っていた以上にジャズ・ギタリストであること。スコット表現にせよ、エリマージ表現にせよ、エフェクターを駆使して響きや空間を作り出す方向の演奏を見せていたスティーヴンスだが、まずジャズ・ギタリストとして必要なものを蓄積している事実を、この晩の演奏はおおいに示す。ジャマイアがブラシを用いたバラードで最初見せた爪弾き系ソロもとても堂にいっていたし、セロニアス・モンクのブルース曲演奏もいい感じに開いていた。知人はピックを用いているのに、あんなに柔らかい音を出しているのは不思議という感想をもらしていたな。
そして、もう一つ感じたのは、パット・メセニーをやらせたら、たぶん滅茶上手いんだろうなということ。なんか、次々に繰り出すフレイズの奥に、ぼくはメセニーの影響を見ずにはいられず。スティーヴンスは基本沈んだ陰鬱な曲をやるのだが、それがもっと爽快な曲調だったらパット・メセニーになっちゃうぢゃんと思った。まあ、このリズム隊はメセニーのトリオ公演のそれを担ったこともある(2012年3月3日)わけだが。なんにせよ、スティーヴンスはまっとうにして、雄弁なジャズ・ギタリストであり、リズム隊の2人もちゃんとジャズ好きなんだなと思えるパフォーマンスを受けることができた。
▶過去の、スコット
http://43142.diarynote.jp/200807241546500000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080910
http://43142.diarynote.jp/200902030206339619/
http://43142.diarynote.jp/200909181206531984/
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▶過去の、レディオヘッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200404180058130000/
http://43142.diarynote.jp/200810061856366600/
▶過去の、マシュー・スティーヴンス
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224
http://43142.diarynote.jp/201408091058201133/
▶過去の、ベン・ウィリアムズ
http://43142.diarynote.jp/200905191118258984/
http://43142.diarynote.jp/200909120646397236/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100530
http://43142.diarynote.jp/?day=20120303
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http://43142.diarynote.jp/201304031026406106/
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▶過去の、ジャマイア・ウィリアムズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130401
http://43142.diarynote.jp/200905191118258984/
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http://43142.diarynote.jp/201408091058201133/
<今日の、いやーん>
昨日(昼間は雪がちらついたよう)、今日(雨天)と寒すぎ。なんか、精神的にひもじさを覚えるよーん。でもって、なんかここのところ出かけるたびに、渋谷駅のあり方をはじめとする、まっとうな企業としては醜態というしかない東急電鉄のいろんな不備を覚えずにはいられず、心乱れる。
10cc。ADAM at
2015年1月23日 音楽 オリジナル・メンバー1/4のグレアム・グールドマンが率いる。英国の誇るめくるめくポップ職人ユニット(現在、1/4のグレアム・グールドマンが率いる)の実演を見る。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。大昔、ザ・ビートルズやトッド・ラングレンと一緒の囲いに、ポップであることは冒険でもあることを実践していた彼らを入れていました。
歌とベースのグールドマンにくわえ、ギター、歌とギターと打楽器、キーボード、ドラムという藤布陣にて、パフォーマンス。グールドマンが歌う際、歌の韻とリズムの関係が難しい曲の場合は、彼がギターを手にし、他の奏者がベースを弾く場合もあった。
10ccはリード・ヴォーカルをメンバーでいろいろ取り合うバンドであり、グールドマンがリード・ヴォーカルを取ったのは半数で、他の高音目のリード・ヴォーカルが必要なものはミック・ウィルソンという人物が担当。彼の存在、きいていました。また、ドラマー以外はみなコーラスも取り、それはきまる。ギターのニール・フェンは10ccが分裂したときにロル・クリーム(2012年8月6日)の代わりとして入って以来ずっと関与している奏者で、1980年代中期にはピンク・フロイドのニック・メイソンと双頭アルバムをコロムビアから出してもいる。また、ちゃんとした叩き口を持つドラマーのポール・バージェスは、すでに1973年の10ccツアー時に追加ドラマーとして関与していたそうだ。
演目は初期曲中心、それらをなかなか上質に生の場で開き、有名曲「アイム・ノット・イン・ラヴ」だけはプリセットの音も併用する。ライヴは新たな刺激や示唆を受ける場であると、ぼくは常々そういうふうに、コンサートのことを規定してきた。だが、今はかつて愛好した音楽にまつわる記憶を甘美に追体験する場であるとも思えるわけで(これだけ、ポップ・ミュージックに触れてきて、齢もとってきたら、しょうがない)、そういう部分において、彼らは“人生のサウンドトラック”提供役を十全にまっとう。終盤、オールド・ポップス調の「ドナ」はドラマーを除く4人でステージ前面中央に立ってアカペラにて披露したが、それもとっても良かった。年配客の温かい反応を得て、グルードマンたちもうれしそう。気をよくしてこの後、ショウはもっと輝くものになっていくと思われる。
▶過去の、10cc
http://43142.diarynote.jp/?day=20100523
▶過去の、ロル・クリーム
http://43142.diarynote.jp/201208091454209002/
その後、渋谷・PLUGで、浜松市をベースとする鍵盤奏者のタマスケアットを中心とする、弾けたインスト・バンドのADAM atを見る。この1月にメジャー・デビュー作を出したばかり。鍵盤以外はトリオ基調でメンバーを固定していないようで、この晩は電気ベースとドラムとギターがつく。キーボード奏者は客席に背を向ける様にセッティング。四者は向かい合うようにステージに位置する。これなら、ライトニング・ボルト(2009年11月15日)のように、客席フロア中央に奏者がこじんまりと陣取り、お客が彼らを取り囲むようにすればいいと、思わずにいられず。
途中から、ひゃひゃひゃ、となる。だって、退きの部分ゼロ。コクなんか糞食らえといった感じで、ひたすらイケイケで疾走するんだもの。曲は”善人を気取りたがるファミリー・パパ”というものもあったりするのだが、そういうものもひたすら前のめりでゴー。腕はずっと劣るが、鍵盤裁きに触れてソイルの丈青が好きなんじゃないかと思わせるところがあった。あと、特筆すべきは、そのタマスケの饒舌なMC。スベリもするのだが、内容のない話をベラベラまき散らして行く様はなんか爽快でもある。とかなんかで、ぼくはライヴの送り手としてこれはアリと思ってしまった。
▶過去の、ライトニング・ボルト
http://43142.diarynote.jp/200911161707238141/
<おとといの、発見物>
ちょい探し物があり、処分仕分け(ぜんぜん、できねえ)をかねて、トランクルームのCD群と長時間ではなく(←それは、無理)格闘する。そしたら、えぇこんなのあるのみたいなアイテムが次々出てくる。そのなかに、1980年代下半期にリリースされたワックスというユニット作が出来てびっくり。それ、グレアム・グールドマンとちょい産業音楽臭も持つポップ作風で知られる米国西海岸シンガー・ソングライターのアンドリュー・ゴールドの2人が国籍を超えてつるんだもの。2作目は『アメリカン・イングリッシュ』と表題付けされているゾ。おお、こんなグループがあるなんてすっかり忘れていた。しかも、3作もあった。アメリカではすでにワックスというグループがいたらしく、彼らはワックスUKとアメリカでは記事表記されたりもした。親も音楽関係者であったハリウッドぼんぼんのゴールド(1977年の「ロンリー・ボーイ」という、甘酸っぱいメロディとリズムの揺れが印象的な全米トップ10ヒットはとてもぼくの耳に残っている)は2011年にお亡くなりになった。あー、ワックスのように、リアルタイムで接していても、すでに忘却の彼方にある担い手やアルバムが山ほどあることを実感させられ、切ないよ〜。なお、ちょい聞き返したら、彼らの熱心な聞き手でないかぎり、今聞く必要はないと判断しました。←と言いつつ、処分CDのほうには回さなかった、ぼく。
歌とベースのグールドマンにくわえ、ギター、歌とギターと打楽器、キーボード、ドラムという藤布陣にて、パフォーマンス。グールドマンが歌う際、歌の韻とリズムの関係が難しい曲の場合は、彼がギターを手にし、他の奏者がベースを弾く場合もあった。
10ccはリード・ヴォーカルをメンバーでいろいろ取り合うバンドであり、グールドマンがリード・ヴォーカルを取ったのは半数で、他の高音目のリード・ヴォーカルが必要なものはミック・ウィルソンという人物が担当。彼の存在、きいていました。また、ドラマー以外はみなコーラスも取り、それはきまる。ギターのニール・フェンは10ccが分裂したときにロル・クリーム(2012年8月6日)の代わりとして入って以来ずっと関与している奏者で、1980年代中期にはピンク・フロイドのニック・メイソンと双頭アルバムをコロムビアから出してもいる。また、ちゃんとした叩き口を持つドラマーのポール・バージェスは、すでに1973年の10ccツアー時に追加ドラマーとして関与していたそうだ。
演目は初期曲中心、それらをなかなか上質に生の場で開き、有名曲「アイム・ノット・イン・ラヴ」だけはプリセットの音も併用する。ライヴは新たな刺激や示唆を受ける場であると、ぼくは常々そういうふうに、コンサートのことを規定してきた。だが、今はかつて愛好した音楽にまつわる記憶を甘美に追体験する場であるとも思えるわけで(これだけ、ポップ・ミュージックに触れてきて、齢もとってきたら、しょうがない)、そういう部分において、彼らは“人生のサウンドトラック”提供役を十全にまっとう。終盤、オールド・ポップス調の「ドナ」はドラマーを除く4人でステージ前面中央に立ってアカペラにて披露したが、それもとっても良かった。年配客の温かい反応を得て、グルードマンたちもうれしそう。気をよくしてこの後、ショウはもっと輝くものになっていくと思われる。
▶過去の、10cc
http://43142.diarynote.jp/?day=20100523
▶過去の、ロル・クリーム
http://43142.diarynote.jp/201208091454209002/
その後、渋谷・PLUGで、浜松市をベースとする鍵盤奏者のタマスケアットを中心とする、弾けたインスト・バンドのADAM atを見る。この1月にメジャー・デビュー作を出したばかり。鍵盤以外はトリオ基調でメンバーを固定していないようで、この晩は電気ベースとドラムとギターがつく。キーボード奏者は客席に背を向ける様にセッティング。四者は向かい合うようにステージに位置する。これなら、ライトニング・ボルト(2009年11月15日)のように、客席フロア中央に奏者がこじんまりと陣取り、お客が彼らを取り囲むようにすればいいと、思わずにいられず。
途中から、ひゃひゃひゃ、となる。だって、退きの部分ゼロ。コクなんか糞食らえといった感じで、ひたすらイケイケで疾走するんだもの。曲は”善人を気取りたがるファミリー・パパ”というものもあったりするのだが、そういうものもひたすら前のめりでゴー。腕はずっと劣るが、鍵盤裁きに触れてソイルの丈青が好きなんじゃないかと思わせるところがあった。あと、特筆すべきは、そのタマスケの饒舌なMC。スベリもするのだが、内容のない話をベラベラまき散らして行く様はなんか爽快でもある。とかなんかで、ぼくはライヴの送り手としてこれはアリと思ってしまった。
▶過去の、ライトニング・ボルト
http://43142.diarynote.jp/200911161707238141/
<おとといの、発見物>
ちょい探し物があり、処分仕分け(ぜんぜん、できねえ)をかねて、トランクルームのCD群と長時間ではなく(←それは、無理)格闘する。そしたら、えぇこんなのあるのみたいなアイテムが次々出てくる。そのなかに、1980年代下半期にリリースされたワックスというユニット作が出来てびっくり。それ、グレアム・グールドマンとちょい産業音楽臭も持つポップ作風で知られる米国西海岸シンガー・ソングライターのアンドリュー・ゴールドの2人が国籍を超えてつるんだもの。2作目は『アメリカン・イングリッシュ』と表題付けされているゾ。おお、こんなグループがあるなんてすっかり忘れていた。しかも、3作もあった。アメリカではすでにワックスというグループがいたらしく、彼らはワックスUKとアメリカでは記事表記されたりもした。親も音楽関係者であったハリウッドぼんぼんのゴールド(1977年の「ロンリー・ボーイ」という、甘酸っぱいメロディとリズムの揺れが印象的な全米トップ10ヒットはとてもぼくの耳に残っている)は2011年にお亡くなりになった。あー、ワックスのように、リアルタイムで接していても、すでに忘却の彼方にある担い手やアルバムが山ほどあることを実感させられ、切ないよ〜。なお、ちょい聞き返したら、彼らの熱心な聞き手でないかぎり、今聞く必要はないと判断しました。←と言いつつ、処分CDのほうには回さなかった、ぼく。
チェット・フェイカー
2015年1月26日 音楽 オーストラリアのエレクトロニカ傾向にあるシンガー・ソングライターの公演、渋谷・クラブクアトロ。どっひゃー、激込み。にして、外国人=オーストラリア人比率高く、オレ、ニセコに来ちゃったかと思った? 彼ら、勝手な掛け声をあげたり、一緒に歌ったり。それに接して、我等がアンセム送り出しアーティストとしての豪州での支持の高さを思い知られる。とともに、彼の楽曲の歌詞をちゃんと知りたくなった。先日(2015年1月12日)のアウスゲイルもアイスランドでそういう位置にいるアーティストなはずだが、あのときは過剰に外国人がいたわけではなかったよなー。と、一瞬思ったが、それは在日アイスランド人が少ないだけなのだろうと合点。もし、オーストラリア人と同じぐらい東京に住むアイスランド人がいたら、やはり今日ぐらいの外国人比率の高さになったのではないか。それにしても傍若無人な同胞からの声援を受けて、おいおいここは東京でオーストラリアじゃないんだよと、いさめる彼はとてもいい奴っぽかった。また、ショウの進め方、客へのアプローチの仕方も斜に構えた所がなく、快活で直接的だった。
一人による、パフォーマンス。DJ 的所作による音出しのもと、自ら弾くキーボード音をくわえ、そして何気に野太いベターっとした声で歌う。微妙にソウル好きかもと思わす曲調は滑らかで、漂う情緒もはらむ。ビートは基本四つ打ちでインストゥメンタルやプリセットのヴォーカル曲トラックをいじるときもあり、そういう場合はテイラー・マクフェリン(2012年3月2日、2012年2月18日、2014年9月26日)のインスト表現と重なる回路も持つと思わせられたか。
ところで、アーティスト名を見て、チェット・ベイカーを思い起こす人もいるだろうが、もちろんその名前はあのジャズ・トランペッター/シンガー故人から取られている。フェイクだから、ベイカーではなくフェイカーなわけだ。本名ニコラス・ジェームス・マーフィ君はベイカーの暖簾に腕押し的な虚無的/ユニセックス的なヴォーカル表現への思慕からそう名乗っていると思われるが、先に触れたように歌声は機材を通してもいても男性的。とはいえ、とらえどころのない曖昧さは、ベイカー流れの部分がほんの少しあるかもしれない。
▶過去の、アウスゲイル
http://43142.diarynote.jp/201501131649383715/
▶過去の、テイラー・マクファーリン
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120302
http://43142.diarynote.jp/201409291402101328/
<今日も、順調なり>
連日の飲み流れ早朝帰宅で、疲れ気味。ながら、ちゃんと昼間は片付けようと思っていた2誌の予定原稿をちゃんと仕上げて、自分で自分をほめたい。うち、bsr誌の現代ファンクについての原稿は与えられた量を当初かなり超えてしまい、2200字に縮めるのに少し苦労。そのため、ちょい流れが飛躍気味の分り辛いものになったか。編集者の返信は好評で、ホっとする。明日から3日連続でインタヴュー取材が入っているので、昼間集中して原稿を書くことができなくなる。でも、はかどり具合は順調で、楽勝で月末仕事をこなせるはずで、気分いい〜。
一人による、パフォーマンス。DJ 的所作による音出しのもと、自ら弾くキーボード音をくわえ、そして何気に野太いベターっとした声で歌う。微妙にソウル好きかもと思わす曲調は滑らかで、漂う情緒もはらむ。ビートは基本四つ打ちでインストゥメンタルやプリセットのヴォーカル曲トラックをいじるときもあり、そういう場合はテイラー・マクフェリン(2012年3月2日、2012年2月18日、2014年9月26日)のインスト表現と重なる回路も持つと思わせられたか。
ところで、アーティスト名を見て、チェット・ベイカーを思い起こす人もいるだろうが、もちろんその名前はあのジャズ・トランペッター/シンガー故人から取られている。フェイクだから、ベイカーではなくフェイカーなわけだ。本名ニコラス・ジェームス・マーフィ君はベイカーの暖簾に腕押し的な虚無的/ユニセックス的なヴォーカル表現への思慕からそう名乗っていると思われるが、先に触れたように歌声は機材を通してもいても男性的。とはいえ、とらえどころのない曖昧さは、ベイカー流れの部分がほんの少しあるかもしれない。
▶過去の、アウスゲイル
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▶過去の、テイラー・マクファーリン
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<今日も、順調なり>
連日の飲み流れ早朝帰宅で、疲れ気味。ながら、ちゃんと昼間は片付けようと思っていた2誌の予定原稿をちゃんと仕上げて、自分で自分をほめたい。うち、bsr誌の現代ファンクについての原稿は与えられた量を当初かなり超えてしまい、2200字に縮めるのに少し苦労。そのため、ちょい流れが飛躍気味の分り辛いものになったか。編集者の返信は好評で、ホっとする。明日から3日連続でインタヴュー取材が入っているので、昼間集中して原稿を書くことができなくなる。でも、はかどり具合は順調で、楽勝で月末仕事をこなせるはずで、気分いい〜。
渋谷・O-イースト。入りは十分。活動休止している時期もあったが、30年を超えるキャリアを持つ、NYのもう一つの過激や創意を出しつつけている、独立独歩のポスト・パンク/オルタナ・ロック・バンドの公演はとっても威風堂々、音も研ぎすまされていた。
開演時間10分押しでまずドラマーが出て来て、ざわめき音を出し始め、1人2人と出て来て、ちゃんと全員がそろったのは10分後。そして、皆でやりはじめた曲はノンストップで40分。以下も、これほど長くはないが、大河的仕様曲をかます。いろんなタイプの聞き手が集まっていたと思うが、みんな次から次へと出される我が道を行く集団表現に触れ、クククッとなっちゃったんじゃないかな。
ギターと歌のマイケル・ジラを中央に置き、ギター、キーボード、パーカッション(マレット系楽器、ヴァイオリン、トロンボーンも手にする)、ベース、ドラムという布陣。音は大きめで、引き締まっている。そして、演奏者たちは皆、腕前はしっかり。1コード基調のもと、ドローン効果や呪術性や迷宮感覚を求める蠢き音やフレイズを重ね、適所で楔も打ち込まれ、サウンド総体はぐいぐいと流れて行く。そして、要所で入るジラのヴォーカルが朗々としていて声がデカい。表現力あるそれは、昔堅気な(?)ロッカーの鏡と言いたくなるもの? ちょいダモ鈴木(1999年9月22日、2006年3月11日、2014年7月25日)を思い出させる? 音楽性だけを取ると、韜晦した物腰を取りそうだけど、これが生理的にまっすぐ。照明もちゃんと前から照らして、その全貌/ミュージシャンシップを包み隠さず見せていた。
インタヴューに関わった人によると、彼らは昨年200本ものライヴをいい年こいてやったのだそう。なるほど、ぼくがクロスビートの年間ベストを扱うムックのベスト20の18位に入れた彼らの2014年作『トゥ・ビー・カインド』もツアー中に録音されたという話であるしな。だが、疲弊している様子もなく、日々のギグを楽しんでいる様は働き盛りのジャズ・マンみたいな感じもあり。年季と創意、ある種のモードや美意識もたっぷり抱えた、情報量の多い上質なロック公演だった。
▶過去の、ダモ鈴木
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200603161837100000/
http://43142.diarynote.jp/201407261220126653/
<今日の、展覧会>
夕方、渋谷パルコ・パート1の3階に行く。うひょー、ちゃんと中に入るなんていつ以来? 地階にまだちゃんと本屋があって良かったあ。それで、パルコミュージアムでやっている<大恐竜人間展>(2月2日まで)をのぞく。元々は雑誌企画が基になっているようだが、下田昌克が作るいろんな恐竜の骨を模した布製のオブジェと谷川俊太郎の詩と藤代冥砂による同オブジェ+を撮った写真が、井上嗣也のアート・ディレクションのもと展示されるというもの。会場内のフロアや天井には10数個のスピーカーが周到な配慮のもと設置され、そこで流れる音楽はオノセイゲン(2000年3月12日、2009年1月17日、2011年8月4日、2012年6月7日、2013年1月30日、2014年4月20日、2014年7月28日、2014年9月23日、2014年10月8日、2014年10月11日)が担当。書き下ろし曲(パール・アレキサンダーが演奏)と彼の名作『コム・デ・ギャルソン』のリミックス盤断片を交錯させた90分の素材がそこで流されている。それ、会場で高音質2枚組CDで限定販売される由。また、31日夜はここで、ギターのオノとコントラバスのアレキサンダー(2014年10月11日)、谷川俊太郎(ポエトリー・リーディング)が出るパフォーマンスも持たれる。
▶過去の、オノセイゲン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200901181343426080/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
http://43142.diarynote.jp/201206110945571082/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130130
http://43142.diarynote.jp/201404251643448230/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140728
http://43142.diarynote.jp/201409261635077130/
http://43142.diarynote.jp/201410210814495715/
▶過去の、パール・アレキサンダー
http://43142.diarynote.jp/201410210814495715/
開演時間10分押しでまずドラマーが出て来て、ざわめき音を出し始め、1人2人と出て来て、ちゃんと全員がそろったのは10分後。そして、皆でやりはじめた曲はノンストップで40分。以下も、これほど長くはないが、大河的仕様曲をかます。いろんなタイプの聞き手が集まっていたと思うが、みんな次から次へと出される我が道を行く集団表現に触れ、クククッとなっちゃったんじゃないかな。
ギターと歌のマイケル・ジラを中央に置き、ギター、キーボード、パーカッション(マレット系楽器、ヴァイオリン、トロンボーンも手にする)、ベース、ドラムという布陣。音は大きめで、引き締まっている。そして、演奏者たちは皆、腕前はしっかり。1コード基調のもと、ドローン効果や呪術性や迷宮感覚を求める蠢き音やフレイズを重ね、適所で楔も打ち込まれ、サウンド総体はぐいぐいと流れて行く。そして、要所で入るジラのヴォーカルが朗々としていて声がデカい。表現力あるそれは、昔堅気な(?)ロッカーの鏡と言いたくなるもの? ちょいダモ鈴木(1999年9月22日、2006年3月11日、2014年7月25日)を思い出させる? 音楽性だけを取ると、韜晦した物腰を取りそうだけど、これが生理的にまっすぐ。照明もちゃんと前から照らして、その全貌/ミュージシャンシップを包み隠さず見せていた。
インタヴューに関わった人によると、彼らは昨年200本ものライヴをいい年こいてやったのだそう。なるほど、ぼくがクロスビートの年間ベストを扱うムックのベスト20の18位に入れた彼らの2014年作『トゥ・ビー・カインド』もツアー中に録音されたという話であるしな。だが、疲弊している様子もなく、日々のギグを楽しんでいる様は働き盛りのジャズ・マンみたいな感じもあり。年季と創意、ある種のモードや美意識もたっぷり抱えた、情報量の多い上質なロック公演だった。
▶過去の、ダモ鈴木
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<今日の、展覧会>
夕方、渋谷パルコ・パート1の3階に行く。うひょー、ちゃんと中に入るなんていつ以来? 地階にまだちゃんと本屋があって良かったあ。それで、パルコミュージアムでやっている<大恐竜人間展>(2月2日まで)をのぞく。元々は雑誌企画が基になっているようだが、下田昌克が作るいろんな恐竜の骨を模した布製のオブジェと谷川俊太郎の詩と藤代冥砂による同オブジェ+を撮った写真が、井上嗣也のアート・ディレクションのもと展示されるというもの。会場内のフロアや天井には10数個のスピーカーが周到な配慮のもと設置され、そこで流れる音楽はオノセイゲン(2000年3月12日、2009年1月17日、2011年8月4日、2012年6月7日、2013年1月30日、2014年4月20日、2014年7月28日、2014年9月23日、2014年10月8日、2014年10月11日)が担当。書き下ろし曲(パール・アレキサンダーが演奏)と彼の名作『コム・デ・ギャルソン』のリミックス盤断片を交錯させた90分の素材がそこで流されている。それ、会場で高音質2枚組CDで限定販売される由。また、31日夜はここで、ギターのオノとコントラバスのアレキサンダー(2014年10月11日)、谷川俊太郎(ポエトリー・リーディング)が出るパフォーマンスも持たれる。
▶過去の、オノセイゲン
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http://43142.diarynote.jp/201410210814495715/
▶過去の、パール・アレキサンダー
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チキンシャック。ベッカ・スティーヴンス・バンド
2015年1月29日 音楽 異能ギタリストの山岸潤史(1999年8月5日、2000年12月7日、2001年7月16日、2004年3月30日、2005年7月30日、2005年7月31日、2007年2月3日、2007年2月4日、2007年2月5日、2008年9月11日、2009年5月19日、2009年7月27日、2010年8月4日、2011年5月17日、2012年9月8日、2013年6月13日、2014年7月29日)はこのライヴのためだけに、訪日。この公演を終え、すぐにニューオーリンズに戻るという。そりゃ、マルディグラのシーズンに突入だからね。今年で、彼はニューオーリンズに渡って20年となる。
バブル期のころ六本木で結成されたソウル思慕を滲ませるアーバン・フュージョン・バンドで、2年前から再び活動するようになり、山岸をはじめ3/5がオリジナル・メンバーとなる。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。彼らの持ち曲とともに、昨年亡くなったジョー・サンプル・トリビュート曲(ザ・クルセイダーズの「ストリート・ライフ」)など、今回のショウ向けの楽曲も披露。山岸が参加していたサンプルのクリオール・バンドは故人の遺志で息子のニック・サンプルとレイ・パーカーJr.を中心に活動を維持、もちろん山岸も継続して関与するという。山岸がニューオーリンズの音楽界の中枢に立つのを助けたザ・ワイルド・マグノリアスのチーフだったボー・ドリスも亡くなったばかりで、コメントあり。最初に山岸があの映えあるマルディグラ・インディアン・グループの一員/音楽監督的立場で来日したときは、ほんとに胸がたかなったよなー。蛇足だが、山岸が加入したころ、ちょうどザ・ワイルド・マグノリアスはブルーノートと契約。そして、ブルーノートの弁護士を通じて、彼は米国のグリーンカードを取得した。それまでは、ジョン・スコフィールドのお兄さん(ニューオーリンズ在住のジョン・ビッガム)の事務所を通して取ろうとしていたが、相談料とかお金だけふんだくられつつ、取得できないでいたのだった。
▶過去の。チキンシャック
http://43142.diarynote.jp/201306171646424744/
▶過去の、山岸
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040330
http://43142.diarynote.jp/200508060616450000/
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http://43142.diarynote.jp/200702112125550000/
http://43142.diarynote.jp/200702121118370000/
http://43142.diarynote.jp/200702122331070000/
http://43142.diarynote.jp/200809160030188727/
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http://43142.diarynote.jp/?day=20090727
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http://43142.diarynote.jp/?day=20120908
http://43142.diarynote.jp/201306171646424744/
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そして、丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。音大出身(NYのニュー・スクール大学。現在、ジェイソン・モランをはじめ、同大出身者がNYの音楽界で結構のしている)のシンガー・ソングライター。ぎょ、ほぼフル・ハウス。2日前の初日に行った人からそんなに混んでいないときいていたのだが、評判が評判を呼び、どんどん予約が入っていったよう。
アコースティック・ギター、ウクレレ、チャランゴなどを弾きながら歌う当人にくわえ、鍵盤(アコーディオン、ピアノ、キーボード)、ウッド・ベース、ドラムがサポート。彼らが彼女を絶妙に持ち上げる様はなるほどこれは“ワーキング・バンド”と思わせるもので、ベッカ・スティーヴンス・バンドと名乗るのもとても納得が行く。細やかな工夫を持つ演奏だけでなく、鍵盤とベース奏者のコーラスもこれはいいなあと思わせる。片手にシェイカーを持ちもう片方はスネアを叩くというような、純ドラム・セットの奏法から離れることも多かったドラマーはカサンドラ・ウィルソン(1999年8月27日、1999年9月2日、2001年2月12日、2004年9月7日、2008年8月11日、2011年5月5日 、2013年5月31日)『ニュー・ムーン・ドーター』のころのリズム音をよく研究していると思わせた。
なるほどの、示唆に富むアーティスト。弦楽器を爪弾きながらエスペランサを想起させるようなちょい捉えどころのないメロディを悠々と歌うだけでも脱ジャンル的ポップ・ミュージックの素敵をたっぷり伝えるのに、そこに吟味された他楽器音やコーラスが加わり、その総体は自在に伸縮し、いろんなシェイプを描き、色合いもだすのだから、聞き入ってしまう。<今の、有機的な都会のフォーキー・ミュージック>、<ワールド音楽やジャズをはじめとする様々な音楽を享受できる今だからこその、大人の手作りポップ表現>、ここにあり! 彼女やエスペランサ(2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日、2011年2月17日、2012年3月7日、2012年9月9日)やグレッチェン・パーラト(2009年2月3日、2012年2月22日、2013年3月19日)やレベッカ・マーティン(2009年3月1日)らはアルバムに参加し合ったりもし、同じ立ち位置にいると言えなくもないが、歌が一番うまく存在感があるのはスティーヴンスかな。
あと、彼女たちを聞きながら、……。<ザ・ビートルズはリアル・タイムで聞けなかったぼくではあるが、T・レックスはそうできたことには至福を感じる>というようなことを、ぼくはある原稿で書いたことがあるのだけど、それに倣えば、<ジョニ・ミッチェルは間に合わなかったけど、ベッカにはリアル・タイムで接っせて超幸せ>と感じる若い人がいても不思議はないなあ、なんてことをふと思った。そりゃ、今のところはミッチェルのほうが才は上だが(まあ、比較するものでもないが)、ひらりと枠をとっぱらうスティーヴンスも本当に素晴らしい。
ずっこけたのは、研ぎすまされていてクールでもある音楽自体と、音楽をやらない時=MCの際との彼女の持ち味の落差がすごいこと。喋ると、フランク極まりないヤンキー娘100%。もう、張りつめた演奏中に誰かがグラスを落としてがしゃーんという音を出しても、ナイスな効果音ねとか言ってヘラヘラ喜びそうな感じがあるもの。それから、太目の二の腕を剥き出しにする、ノー・スリーヴの黒色のジャンプスーツという格好も謎というか、まるっきり彼女が送り出す音楽性と合わない。でも、あのキャラクターだったらしょうがないかとも思える?
初来日。彼女は日本や日本の聞き手が大好きになってしまったようで、それもあっけらかんと露にする。アンコールではジョニ・ミッチェル、スミス、スティーヴ・ウインウッド(2003年7月27日)の3人の先達の名前を挙げ、客の拍手の大きさでカヴァー曲を選ぶということもやった。別に拍手が大きいとは思わなかったが、彼女がそこで選んだのはウィンウッド曲。そして、2度目のアンコールに出て来て、ミッチェル曲を披露した。そのアレンジ処理も実にお見事!
本質と繋がった、有機的な現代オルタナティヴ・ポップ、確かなかたち。その実演能力にも満ちたショウは、音楽の女神が舞っていた。
▶過去の、カサンドラ・ウィルソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm オーシャン・ブルー・ジャズ・フェスティヴァル
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200409070203440000/
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http://43142.diarynote.jp/201306060609052151/
▶過去の、エスペランサ
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http://43142.diarynote.jp/?day=20081201
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http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
▶過去の、パーラト
http://43142.diarynote.jp/200902040424558168/
http://43142.diarynote.jp/201202251301444372/
http://43142.diarynote.jp/201303221327416224/
▶過去の、レベッカ・マーティン
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▶過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
<今日の、オートグラフ>
ぼくがインタヴュー取材をしたりする境遇になって以降、プロ意識からわりと心がけているのは、取材時にサインをもらったり、一緒に写真を撮ったりしないこと。←変なところ、潔癖というか、意固地だったよねー。まあ、かつては馬鹿みたいにインタヴューする機会が多くて(レギュラーで持っていたFMステーション誌だけでも、週に2回ほど来日ミュージシャンに取材していたよナ)、いちいち絡んでいたらキリがねえという思いもあったけど。とはいえ、例外はあって、先方から一緒に写真を撮ろうよと言ってきた場合や、よほど好きな人と会うときは別。大昔、P-ファンクの主要メンバーとの2ショット写真制覇なんて、意気込んでいたこともあった。でも、職歴の長さからすれば、あっと驚くほど、ぼくはミュージシャンと一緒に撮った写真やもらったサインなどは所有していないと思う。どうせ、だらしないので、どっかに行ってしまうしね。だが、この日は公演前に楽屋で山岸潤史にニューオーリンズ話を聞く取材があったので、ベーシストのウォーネルさんに、彼の若き日のステージ写真が二葉ほどジャケットに載せられている(当然、演奏もきっちりしている)ニルス・ロフグレンの『ナイト・アフター・ナイト』(A&M、1977年)のアナログを持参し、サインをもらってしまう。そのとき、彼はまだ10代であったとか。外見は変わっていないと、ジャケの写真を見た他のメンバーからひやかされていました。今回わざわざサインをもらった理由は、前回のチキンシャック公演時の文章に書いてあります。ロック心が密かに燃える……。ぼく、ロック・バンドで演奏する黒人ミュージシャンが大好きでした。ウォーネル・ジョーンズは行ったり来たりしたものの、1985年から東京に住んでいるという。こっちに来て、そんなに長いのかあ。2010年代にはいるまで、とんと知りませんでした。
バブル期のころ六本木で結成されたソウル思慕を滲ませるアーバン・フュージョン・バンドで、2年前から再び活動するようになり、山岸をはじめ3/5がオリジナル・メンバーとなる。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。彼らの持ち曲とともに、昨年亡くなったジョー・サンプル・トリビュート曲(ザ・クルセイダーズの「ストリート・ライフ」)など、今回のショウ向けの楽曲も披露。山岸が参加していたサンプルのクリオール・バンドは故人の遺志で息子のニック・サンプルとレイ・パーカーJr.を中心に活動を維持、もちろん山岸も継続して関与するという。山岸がニューオーリンズの音楽界の中枢に立つのを助けたザ・ワイルド・マグノリアスのチーフだったボー・ドリスも亡くなったばかりで、コメントあり。最初に山岸があの映えあるマルディグラ・インディアン・グループの一員/音楽監督的立場で来日したときは、ほんとに胸がたかなったよなー。蛇足だが、山岸が加入したころ、ちょうどザ・ワイルド・マグノリアスはブルーノートと契約。そして、ブルーノートの弁護士を通じて、彼は米国のグリーンカードを取得した。それまでは、ジョン・スコフィールドのお兄さん(ニューオーリンズ在住のジョン・ビッガム)の事務所を通して取ろうとしていたが、相談料とかお金だけふんだくられつつ、取得できないでいたのだった。
▶過去の。チキンシャック
http://43142.diarynote.jp/201306171646424744/
▶過去の、山岸
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20040330
http://43142.diarynote.jp/200508060616450000/
http://43142.diarynote.jp/200508060622480000/
http://43142.diarynote.jp/200702112125550000/
http://43142.diarynote.jp/200702121118370000/
http://43142.diarynote.jp/200702122331070000/
http://43142.diarynote.jp/200809160030188727/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090519
http://43142.diarynote.jp/?day=20090727
http://43142.diarynote.jp/?day=20100804
http://43142.diarynote.jp/201105181052427410/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120908
http://43142.diarynote.jp/201306171646424744/
http://43142.diarynote.jp/201408051721103640/
そして、丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。音大出身(NYのニュー・スクール大学。現在、ジェイソン・モランをはじめ、同大出身者がNYの音楽界で結構のしている)のシンガー・ソングライター。ぎょ、ほぼフル・ハウス。2日前の初日に行った人からそんなに混んでいないときいていたのだが、評判が評判を呼び、どんどん予約が入っていったよう。
アコースティック・ギター、ウクレレ、チャランゴなどを弾きながら歌う当人にくわえ、鍵盤(アコーディオン、ピアノ、キーボード)、ウッド・ベース、ドラムがサポート。彼らが彼女を絶妙に持ち上げる様はなるほどこれは“ワーキング・バンド”と思わせるもので、ベッカ・スティーヴンス・バンドと名乗るのもとても納得が行く。細やかな工夫を持つ演奏だけでなく、鍵盤とベース奏者のコーラスもこれはいいなあと思わせる。片手にシェイカーを持ちもう片方はスネアを叩くというような、純ドラム・セットの奏法から離れることも多かったドラマーはカサンドラ・ウィルソン(1999年8月27日、1999年9月2日、2001年2月12日、2004年9月7日、2008年8月11日、2011年5月5日 、2013年5月31日)『ニュー・ムーン・ドーター』のころのリズム音をよく研究していると思わせた。
なるほどの、示唆に富むアーティスト。弦楽器を爪弾きながらエスペランサを想起させるようなちょい捉えどころのないメロディを悠々と歌うだけでも脱ジャンル的ポップ・ミュージックの素敵をたっぷり伝えるのに、そこに吟味された他楽器音やコーラスが加わり、その総体は自在に伸縮し、いろんなシェイプを描き、色合いもだすのだから、聞き入ってしまう。<今の、有機的な都会のフォーキー・ミュージック>、<ワールド音楽やジャズをはじめとする様々な音楽を享受できる今だからこその、大人の手作りポップ表現>、ここにあり! 彼女やエスペランサ(2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日、2011年2月17日、2012年3月7日、2012年9月9日)やグレッチェン・パーラト(2009年2月3日、2012年2月22日、2013年3月19日)やレベッカ・マーティン(2009年3月1日)らはアルバムに参加し合ったりもし、同じ立ち位置にいると言えなくもないが、歌が一番うまく存在感があるのはスティーヴンスかな。
あと、彼女たちを聞きながら、……。<ザ・ビートルズはリアル・タイムで聞けなかったぼくではあるが、T・レックスはそうできたことには至福を感じる>というようなことを、ぼくはある原稿で書いたことがあるのだけど、それに倣えば、<ジョニ・ミッチェルは間に合わなかったけど、ベッカにはリアル・タイムで接っせて超幸せ>と感じる若い人がいても不思議はないなあ、なんてことをふと思った。そりゃ、今のところはミッチェルのほうが才は上だが(まあ、比較するものでもないが)、ひらりと枠をとっぱらうスティーヴンスも本当に素晴らしい。
ずっこけたのは、研ぎすまされていてクールでもある音楽自体と、音楽をやらない時=MCの際との彼女の持ち味の落差がすごいこと。喋ると、フランク極まりないヤンキー娘100%。もう、張りつめた演奏中に誰かがグラスを落としてがしゃーんという音を出しても、ナイスな効果音ねとか言ってヘラヘラ喜びそうな感じがあるもの。それから、太目の二の腕を剥き出しにする、ノー・スリーヴの黒色のジャンプスーツという格好も謎というか、まるっきり彼女が送り出す音楽性と合わない。でも、あのキャラクターだったらしょうがないかとも思える?
初来日。彼女は日本や日本の聞き手が大好きになってしまったようで、それもあっけらかんと露にする。アンコールではジョニ・ミッチェル、スミス、スティーヴ・ウインウッド(2003年7月27日)の3人の先達の名前を挙げ、客の拍手の大きさでカヴァー曲を選ぶということもやった。別に拍手が大きいとは思わなかったが、彼女がそこで選んだのはウィンウッド曲。そして、2度目のアンコールに出て来て、ミッチェル曲を披露した。そのアレンジ処理も実にお見事!
本質と繋がった、有機的な現代オルタナティヴ・ポップ、確かなかたち。その実演能力にも満ちたショウは、音楽の女神が舞っていた。
▶過去の、カサンドラ・ウィルソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm オーシャン・ブルー・ジャズ・フェスティヴァル
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200409070203440000/
http://43142.diarynote.jp/200808121357410000/
http://43142.diarynote.jp/201105101010399933/
http://43142.diarynote.jp/201306060609052151/
▶過去の、エスペランサ
http://43142.diarynote.jp/200809071430380000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20081201
http://43142.diarynote.jp/?day=20100904
http://43142.diarynote.jp/201102190814495504/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120307
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
▶過去の、パーラト
http://43142.diarynote.jp/200902040424558168/
http://43142.diarynote.jp/201202251301444372/
http://43142.diarynote.jp/201303221327416224/
▶過去の、レベッカ・マーティン
http://43142.diarynote.jp/200903031751323247/
▶過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm フジ・ロック
<今日の、オートグラフ>
ぼくがインタヴュー取材をしたりする境遇になって以降、プロ意識からわりと心がけているのは、取材時にサインをもらったり、一緒に写真を撮ったりしないこと。←変なところ、潔癖というか、意固地だったよねー。まあ、かつては馬鹿みたいにインタヴューする機会が多くて(レギュラーで持っていたFMステーション誌だけでも、週に2回ほど来日ミュージシャンに取材していたよナ)、いちいち絡んでいたらキリがねえという思いもあったけど。とはいえ、例外はあって、先方から一緒に写真を撮ろうよと言ってきた場合や、よほど好きな人と会うときは別。大昔、P-ファンクの主要メンバーとの2ショット写真制覇なんて、意気込んでいたこともあった。でも、職歴の長さからすれば、あっと驚くほど、ぼくはミュージシャンと一緒に撮った写真やもらったサインなどは所有していないと思う。どうせ、だらしないので、どっかに行ってしまうしね。だが、この日は公演前に楽屋で山岸潤史にニューオーリンズ話を聞く取材があったので、ベーシストのウォーネルさんに、彼の若き日のステージ写真が二葉ほどジャケットに載せられている(当然、演奏もきっちりしている)ニルス・ロフグレンの『ナイト・アフター・ナイト』(A&M、1977年)のアナログを持参し、サインをもらってしまう。そのとき、彼はまだ10代であったとか。外見は変わっていないと、ジャケの写真を見た他のメンバーからひやかされていました。今回わざわざサインをもらった理由は、前回のチキンシャック公演時の文章に書いてあります。ロック心が密かに燃える……。ぼく、ロック・バンドで演奏する黒人ミュージシャンが大好きでした。ウォーネル・ジョーンズは行ったり来たりしたものの、1985年から東京に住んでいるという。こっちに来て、そんなに長いのかあ。2010年代にはいるまで、とんと知りませんでした。
オーレ・ブールード。DJプレミア
2015年1月30日 音楽 いやあ、今日見たアーティスト2組は両方とも想像しえなかった内容の実演を見せてくれるとともに、けっこう笑わせてくれたよなー。
まず、丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)で、オーレ・ブールードという、ノルウェー人シンガー/ギタリストを見る。もともとエクストルというバンドで変種ヘヴィ・メタルをやっていたらしい貧相な外見の彼は、鍵盤、ギター、ベース、ドラムという平均的編成を持つバンドを伴ってパフォーマンスをした。
昨年に続く来日のようだが、ぼくはノー・マーク。ゆえに、38歳の彼のCD(全部で5作、個人リーダー作を出しているよう)を聞いたことはない。でも、ソウル・ミュージックを良質に昇華していそうな気がし、<北の国の、淡〜い、でも確かなソウル・ミュージックへの思慕>の様を確認したくて、ぼくは足を運んだ。そしたら、あららら……。乱暴に言ったら、この人、ノルウェーのエヂ・モッタ(2003年3月30日、2013年10月17日)と言いたくなるじゃん。だって、この日披露した曲の7割は、スティーリー・ダン大好きというノリが横溢、その簡素版という感じだったんだもの。
それが、よく出来ている。甲高い声も、彼のギターの演奏も、バンド各人の演奏もなかなかにいい感じで収まっている。結果、クククっと笑みがこみ上げてしょうがなかった。どれも本家の過剰さや執拗さを薄めたことをやっているのだが、気楽に、ちょいワザのある曲〜雰囲気を楽しむには十分と思ってしまった。そういえば、昔、フラ・リッポ・リッピというノルウェーのグループがいて、その1987年作はスティーリー・ダン〜西海岸大人ポップに接近しようとして、スティーリー・ダンの1/2であるウォルター・ベッカーに制作を委ねたことがあったが、彼らよりなんぼか作曲能力、巧みな咀嚼能力を、ブールードは持つと思う。ショウのオープナーとクローザーはわりとビートの強いロッキッシュな曲でそれだと少し“産業ロック臭”が出るが、サイドマンも米国西海岸奏者へ憧憬を滲ませるし、所謂AORと呼ばれる表現が好きな人は見て損はないはず。いかにもスカンジナヴィアン的な人の良さそうなところも好ましいし。
MCによれば、ブールードは1980年前後に3枚のアルバムを出した、AOR愛好者からはかなり崇められる西海岸ユニットのペイジズのファンでそのカヴァーもやったようだが、ぼくはペイジズをちゃんと聞いたことがないので、そこからの影響についてはよく分らない。でも、彼が1980年前後のアメリカ産AOR系表現に精通しているのは疑いがない。そして、この晩のショウに接するに、その手の愛好リスナーがちゃんとついているようだ。
▶過去の、エヂ・モッタ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://43142.diarynote.jp/201310181020496675/
一方、六本木・ビルボードライヴ東京(セカンド・ショウ)に出演した、1990年代ヒップホップ界の最たる敏腕DJ/トラック・メイカーであるDJプレミアもこんな人でこんなことやるのという、感じでワ〜。場内、満杯。ギリの時間に会場に着いたのだが、チェックイン窓口でかなりな列になっていて、ここでそういう光景に接するのは初めてか。
バンドを伴ってのもの。トランペットの黒田卓也(2012年2月18日、2012年9月13日、2013年2月15日、2014年5月25日)とトロンボーンのコーリー・キング(2013年2月15日、2013年6月4日、2014年5月25日、2014年8月7日)という、ホセ・ジェイムズ(2008年9月18日、2010年11月11日、2011年1月12日、2012年2月18日、2012年9月13日、2013年2月15日、2014年7月27日)がらみの二管とともに、白人ベーシストと黒人ドラマーを擁するカタチでパフォーマンス。このリズム隊、なんか見た目が格好いい。管の2人は共にキーボードも前に置き、時に弾いた。通称プリモさんはおおらかに巨漢、なり。力持ちに見える彼は、ターンテーブルとPCを前に置く。
DJプレミアの出した音を下敷きにプレイヤーたちは生音を加えるのだが、ぼくが事前に想像していたものとは違う。ジャジーな音選びという項目もあった彼だけに、生奏者と彼のDJイングとの丁々発止が楽しめるかと思ったら、それはなし。というのも、リズム音の上に楽器音が投げ出される局面もあった(ときに二管はソロのパートを与えられる場合も)が、基本はラップ付きトラック(それ、ギャング・スター曲をはじめ、どれも彼が制作関与したブツなのだろうか)が流され、それを補強する伴奏音として生音は付けられたから。
笑えたのは、プリモは時々キュルキュルやりつつ、のべつまくなし掛け声や扇情的な肉声を出し続けたこと。これが、野太く、デカい。傍若無人と言い方もあり? ずんずん、彼は平然とそれを続ける。結構こまかい音作りを志向するDJというイメージをなんとなく持っていたので、その様は、ぼくの意表をついた。そして、汚い言葉がいっぱい。あるときは、いいかぁマサー・ファッカーというのはいい言葉なんだァ、そらマザー・フッカー→マザー・ファッカー→マザー・ファッカー。てな感じで、客とコール&レスポンス。はは、笑いころげるしかないぢゃん。DJプレミアは俺様な、好漢でした。あ、それから、故グールーとのギャング・スターにはとっても深い思いを持っているのを直截に出していた。
本編最後の20分強はサポート奏者が引っ込んで、彼一人でパフォーマンス。で、自ら出すビートと野太い肉声の拮抗をがんがん噛ます。それだけでも、1時間ぐらいは持たせられそうとも思ったが、そうはしなかったあたりは、クールな人である表れか。そして、アンコールはまた5人でゴー! 全部で95分ぐらいやったかな。
▶過去の、黒田卓也
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/201209191239346073/
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201405271755563079/
▶過去の、コリー・キング
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224
http://43142.diarynote.jp/201405271755563079/
http://43142.diarynote.jp/201408091058201133/
▶過去の、ホセ・ジェイムズ
http://43142.diarynote.jp/200809191051472579/
http://43142.diarynote.jp/201011140051119042/
http://43142.diarynote.jp/201101131336421886/
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/201209191239346073/
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201408051020111821/
<今日の、”ドント・ストップ・ザ・ワールド“>
朝起きたら、天気予報どおり雪が降っていて、少し積もってもいる。じきに雨にはなったが終日寒い。先週あたりから、それなりに寒さを感じざるをえない日がけっこうあって、この冬が暖冬という話はどうなったんじゃーと言いたくなるよなあ。ところで、深夜の飲みの場で興味深い話が出た。それは、外気と室内の温度は差異がないほうが風邪をひきにくい、というもの。それ、本当か? そのとき、一緒に飲んでいた一人が、北海道では室内はがんがん暖房をいれるじゃないと言うと、発言者は、それと風邪を引くことは無縁なことで、北海道ぐらい寒いと暖房をいれないと室内でも死に至る危険性があるからであり、そうは氷点下にならない東京においては厚着していれば室内暖房なしでもなんら問題はないと力強くのたまう。うーむ。うがいの際、うがい薬は使わない方がいいというのは真実らしい(なので、帰宅時はずっとうがい薬を用いて喉をすすいていたが、昨年の12月からそれをやめている)し、間違った認識、習慣はいろいろあるからなー。それで、ちゃんとノー暖房を実践しているのかと発言者に問えば、リタイアした寒がりの父親と小さな子供と月並みな嫁がいるため、正しい方策の実行の達成にはあまりに障害が多すぎて……とのこと。そして、眼鏡をかけた彼は悲しい表情をして両手で顔を挟んだ。その顔つきは、デフ・スクールの『Don’t Stop the World』(Warner Bros.、1977年)のジャケット・カヴァーみたいだった。あのアルバム、ぼくの英国ロックのベスト10に入るかもしれない。
まず、丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)で、オーレ・ブールードという、ノルウェー人シンガー/ギタリストを見る。もともとエクストルというバンドで変種ヘヴィ・メタルをやっていたらしい貧相な外見の彼は、鍵盤、ギター、ベース、ドラムという平均的編成を持つバンドを伴ってパフォーマンスをした。
昨年に続く来日のようだが、ぼくはノー・マーク。ゆえに、38歳の彼のCD(全部で5作、個人リーダー作を出しているよう)を聞いたことはない。でも、ソウル・ミュージックを良質に昇華していそうな気がし、<北の国の、淡〜い、でも確かなソウル・ミュージックへの思慕>の様を確認したくて、ぼくは足を運んだ。そしたら、あららら……。乱暴に言ったら、この人、ノルウェーのエヂ・モッタ(2003年3月30日、2013年10月17日)と言いたくなるじゃん。だって、この日披露した曲の7割は、スティーリー・ダン大好きというノリが横溢、その簡素版という感じだったんだもの。
それが、よく出来ている。甲高い声も、彼のギターの演奏も、バンド各人の演奏もなかなかにいい感じで収まっている。結果、クククっと笑みがこみ上げてしょうがなかった。どれも本家の過剰さや執拗さを薄めたことをやっているのだが、気楽に、ちょいワザのある曲〜雰囲気を楽しむには十分と思ってしまった。そういえば、昔、フラ・リッポ・リッピというノルウェーのグループがいて、その1987年作はスティーリー・ダン〜西海岸大人ポップに接近しようとして、スティーリー・ダンの1/2であるウォルター・ベッカーに制作を委ねたことがあったが、彼らよりなんぼか作曲能力、巧みな咀嚼能力を、ブールードは持つと思う。ショウのオープナーとクローザーはわりとビートの強いロッキッシュな曲でそれだと少し“産業ロック臭”が出るが、サイドマンも米国西海岸奏者へ憧憬を滲ませるし、所謂AORと呼ばれる表現が好きな人は見て損はないはず。いかにもスカンジナヴィアン的な人の良さそうなところも好ましいし。
MCによれば、ブールードは1980年前後に3枚のアルバムを出した、AOR愛好者からはかなり崇められる西海岸ユニットのペイジズのファンでそのカヴァーもやったようだが、ぼくはペイジズをちゃんと聞いたことがないので、そこからの影響についてはよく分らない。でも、彼が1980年前後のアメリカ産AOR系表現に精通しているのは疑いがない。そして、この晩のショウに接するに、その手の愛好リスナーがちゃんとついているようだ。
▶過去の、エヂ・モッタ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://43142.diarynote.jp/201310181020496675/
一方、六本木・ビルボードライヴ東京(セカンド・ショウ)に出演した、1990年代ヒップホップ界の最たる敏腕DJ/トラック・メイカーであるDJプレミアもこんな人でこんなことやるのという、感じでワ〜。場内、満杯。ギリの時間に会場に着いたのだが、チェックイン窓口でかなりな列になっていて、ここでそういう光景に接するのは初めてか。
バンドを伴ってのもの。トランペットの黒田卓也(2012年2月18日、2012年9月13日、2013年2月15日、2014年5月25日)とトロンボーンのコーリー・キング(2013年2月15日、2013年6月4日、2014年5月25日、2014年8月7日)という、ホセ・ジェイムズ(2008年9月18日、2010年11月11日、2011年1月12日、2012年2月18日、2012年9月13日、2013年2月15日、2014年7月27日)がらみの二管とともに、白人ベーシストと黒人ドラマーを擁するカタチでパフォーマンス。このリズム隊、なんか見た目が格好いい。管の2人は共にキーボードも前に置き、時に弾いた。通称プリモさんはおおらかに巨漢、なり。力持ちに見える彼は、ターンテーブルとPCを前に置く。
DJプレミアの出した音を下敷きにプレイヤーたちは生音を加えるのだが、ぼくが事前に想像していたものとは違う。ジャジーな音選びという項目もあった彼だけに、生奏者と彼のDJイングとの丁々発止が楽しめるかと思ったら、それはなし。というのも、リズム音の上に楽器音が投げ出される局面もあった(ときに二管はソロのパートを与えられる場合も)が、基本はラップ付きトラック(それ、ギャング・スター曲をはじめ、どれも彼が制作関与したブツなのだろうか)が流され、それを補強する伴奏音として生音は付けられたから。
笑えたのは、プリモは時々キュルキュルやりつつ、のべつまくなし掛け声や扇情的な肉声を出し続けたこと。これが、野太く、デカい。傍若無人と言い方もあり? ずんずん、彼は平然とそれを続ける。結構こまかい音作りを志向するDJというイメージをなんとなく持っていたので、その様は、ぼくの意表をついた。そして、汚い言葉がいっぱい。あるときは、いいかぁマサー・ファッカーというのはいい言葉なんだァ、そらマザー・フッカー→マザー・ファッカー→マザー・ファッカー。てな感じで、客とコール&レスポンス。はは、笑いころげるしかないぢゃん。DJプレミアは俺様な、好漢でした。あ、それから、故グールーとのギャング・スターにはとっても深い思いを持っているのを直截に出していた。
本編最後の20分強はサポート奏者が引っ込んで、彼一人でパフォーマンス。で、自ら出すビートと野太い肉声の拮抗をがんがん噛ます。それだけでも、1時間ぐらいは持たせられそうとも思ったが、そうはしなかったあたりは、クールな人である表れか。そして、アンコールはまた5人でゴー! 全部で95分ぐらいやったかな。
▶過去の、黒田卓也
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/201209191239346073/
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201405271755563079/
▶過去の、コリー・キング
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201306060730086224
http://43142.diarynote.jp/201405271755563079/
http://43142.diarynote.jp/201408091058201133/
▶過去の、ホセ・ジェイムズ
http://43142.diarynote.jp/200809191051472579/
http://43142.diarynote.jp/201011140051119042/
http://43142.diarynote.jp/201101131336421886/
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/201209191239346073/
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201408051020111821/
<今日の、”ドント・ストップ・ザ・ワールド“>
朝起きたら、天気予報どおり雪が降っていて、少し積もってもいる。じきに雨にはなったが終日寒い。先週あたりから、それなりに寒さを感じざるをえない日がけっこうあって、この冬が暖冬という話はどうなったんじゃーと言いたくなるよなあ。ところで、深夜の飲みの場で興味深い話が出た。それは、外気と室内の温度は差異がないほうが風邪をひきにくい、というもの。それ、本当か? そのとき、一緒に飲んでいた一人が、北海道では室内はがんがん暖房をいれるじゃないと言うと、発言者は、それと風邪を引くことは無縁なことで、北海道ぐらい寒いと暖房をいれないと室内でも死に至る危険性があるからであり、そうは氷点下にならない東京においては厚着していれば室内暖房なしでもなんら問題はないと力強くのたまう。うーむ。うがいの際、うがい薬は使わない方がいいというのは真実らしい(なので、帰宅時はずっとうがい薬を用いて喉をすすいていたが、昨年の12月からそれをやめている)し、間違った認識、習慣はいろいろあるからなー。それで、ちゃんとノー暖房を実践しているのかと発言者に問えば、リタイアした寒がりの父親と小さな子供と月並みな嫁がいるため、正しい方策の実行の達成にはあまりに障害が多すぎて……とのこと。そして、眼鏡をかけた彼は悲しい表情をして両手で顔を挟んだ。その顔つきは、デフ・スクールの『Don’t Stop the World』(Warner Bros.、1977年)のジャケット・カヴァーみたいだった。あのアルバム、ぼくの英国ロックのベスト10に入るかもしれない。