昨日に続き、まさに初夏という感じの、気持ちいい一日。野外会場公演日和じゃ。で、まず日比谷野音で、昨年からまた活動を再開している、ヴェテラン・グループの単独ライヴを見る。歌とギターの木村充揮、ギターの内田勘太郎(2002年12月15日、2009年10月12日)、ベースの花岡献治のオリジナル・メンバーに加え、ドラマーはRCサクセションで叩いていた新井田耕造が現メンバーとして加わっている。場内、満員。客の年齢層は高く、アーティストにかけられる声も頻繁。木村とお客のやりとりは、なかなか独特なものがあるナ。

 滋味に富み、ときに起爆力もある、日本語のブルース+アルファ。非ブルース曲をやるときは、余裕とオトナな広がり、あり。結成は40年も前に遡るが、彼らならではの個性と訴求力を持つ、親しみやすくもオルタナティヴな、日本語による表現を作り上げていたのはすごすぎ。で、そうしたもとからある核に、その後の蓄積がいい塩梅で加わっていると思った。

▶過去の、内田(←でたばかりの一人ギター演奏のアルバム。気合いと味、たっぷり)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://43142.diarynote.jp/200910141731349364/

 この日は、もう一つライヴを見る。キーボード奏者の渡辺シュンスケ(2012年6月1日)のトリオ・ユニット、Schroeder-Headzの新作『Synesthesia』発売記念の単独ライヴで、会場は渋谷・www。昔からの顔ぶれというトリオ(ベースは須藤優。ドラムは鈴木浩之)で表現にあたり、パーカッション奏者(朝倉真司)が加わったときも。今回は電気キーボードとともに、グランド・ピアノも渡辺は演奏する。終盤、PCが壊れたアと彼が言っていたが(“どうしたんだヘイ・ヘイ・ベイビー”とRCサクセションの「雨上がりの夜空に」の一節を、アドリブで歌ったりも)この晩の演奏はライヴ・アルバム化する予定もあるようだ。

 メロディアスさとひたひたしたと書きたくなる美意識と確かな見識から来るひねりや創意工夫が、今様音像/ビートと噛み合いながらあふれ出る。そう、書けそうなパフォーマンス。途中、土岐麻子が出て来て2曲歌う。彼女のこと、初めて見るんだなあ。けっこう、矢野顕子(2004年7月20日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年8月19日、2009年9月4日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年9月9日、2011年12月11日、2012年8月21日、2013年8月11日、2013年11月30日)を想起させる歌い方をするんだと、ぼくは思った。というのはともかく、過去にも共演経験を持つ両者の噛み合いは良好。しなやかさや鮮やかさや、洒脱がすうっと舞う。この夏にはジャズ・フェス(江戸川ジャズ・ナイト、8月23日)にも、両者連名で出演するという。背後ヴィジョンには、気の利いた映像(土井昌徳による)が流されていた。

▶過去の、渡辺
http://43142.diarynote.jp/?day=20120328
http://43142.diarynote.jp/?month=201206
▶過去の、矢野
http://43142.diarynote.jp/200407200015350000/
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200908221621447408/
http://43142.diarynote.jp/200909120647256771/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201109151818437240/
http://43142.diarynote.jp/201112191449196187/
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
http://43142.diarynote.jp/201312051627467488/

<今日の、リンゴ>
 日比谷野音に一番近い丸ノ内線の霞ヶ関駅の構内に、なんとリンゴの自動販売機があった。田園都市線渋谷駅にバナナ販売機があるのは知っていたが、リンゴ販売機もあったんだア。どういう人を顧客に設定してのものか。試しに買ってみたら、200円で、4切れ入っていている。リンゴは青森産。業者は神戸市、なり。

 アイルランド系米国人たちで結成された、四半世紀近いキャリアを持つ今を生きるトラッド音楽グループの、個人的ルーツを求める気持ちをトリガーとする、自ら制作している映画を伴う新作『シャムロック・シティ』(2012年6月14日、参照のこと。通常いろいろトラッド曲をやっていこともあり、リーダーのシェイマス・イーガンはこんなにオリジナル曲を作ったのは初めて、と言っていた)をフォロウする公演を、渋谷・duo MUSIC EXCHANGEで見る。

 当初来日が予定されていたシンガーがご懐妊で来日できなくなり、ソーラスの初代シンガーであるアイルランド人のカラン・ケイシー(2003年12月20日)が今回の来日ツアーに加わるという、うれしい変更つき。もともとジャズ・シンガーに憧れて米国に渡ったことが縁でソーラスに加入(1999年まで)し、その後アイルランドに戻ってリーダー作もいろいろ出している彼女だが、外見の劣化も少ないし、さすがの美声を披露する。しかし、きっちりとメロディを捉えた透明度の高い彼女の歌い方にジャズの要素を見るのは困難ではあるよな。

 本場で積み重ねられてきた表現を見て、そして憧れ、それを対岸の環境で暮らす自分たちのものとして胸を張って出す。そうした回路は、米国ソウルを仰ぎ見るUKソウルの担い手にある構図と重なるものがある? そういえば、ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ(1999年8月2日、2010年2月22日、2013年9月18日)にしろインコグニート(2002年12月20日、2006年9月3日、2011年3月31日)にしろ、シンガーだけは米国人を雇いたいという意志をかつて持っていたよな。

 2部制でやり、2部のほうには、2年前に共演してソーラス側がその歌い口の良さに驚いたという中村まり(2012年6月14日)も加わる。声の高いケイシーに対して、少しくぐもった低目の声の中村という対比もあり、シンガー間のコンビネーションも良好。ソーラスと中村は今後も時間をかけてコラボっていただきたいと、思わずにはいられず。それから、ヴァイオリン奏者のホラン嬢は昔のミック・ジャガーかカーリー・サイモンかというワイルドな外見の持ち主。だが、その強気なルックスにたがわぬ切れと濃い情緒を持つ演奏が“新天地アイリッシュ・トラッド”の芯を担っているとも、今回再確認した。

▶過去の、ソーラス
http://43142.diarynote.jp/201206181341313130/
▶過去の、カラン・ケイシー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-12.htm
▶過去の、中村まり
http://43142.diarynote.jp/201206181341313130/
▶過去の、ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://43142.diarynote.jp/201002280939559070/
http://43142.diarynote.jp/201309201841355632/
▶過去の、インコグニート
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20060903
http://43142.diarynote.jp/201104041101072561/

<今日の、珍盤>
 ビル・ラズウェル(2004年9月5日、2005年7月30日、2005年8 月20日、2005年8月21日、2006年1月21日、2006年11月26日、2007年8月3日、2011年3月7日)の2000年リーダー作に『Emerald Aether: Shape Shifting/Reconstructions Of Irish Music』(Shanachie)というブツがある。それタイトルにあるように、ケルティック・トラッドを電化処理した内容で、ラズウェルはソーラス(彼らもまたシャナチーから何作もリーダー・アルバムを出していた)、カラン・ケイシー、ザ・チーフタンズ(1999年5月29日、2001年5月20日、2007年6月1日、2012年11月22日、2012年11月30日)のマット・モロイら、その手の人たちによる曲をいじくっている。“リヴァーダンス”流行後にそれをやっているというのはダサい(ラズウェルはアイリッシュの血もひいていないはず)が、それを聞くと、ケイシーの歌が入る2曲のうちの一つは歌はブリストル系シンガーのようにも聞こえるか。

▶過去の、ラズウェル
http://43142.diarynote.jp/200409050916440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050730
http://43142.diarynote.jp/200508230544440000/
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
http://43142.diarynote.jp/200611271213510000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20070803
http://43142.diarynote.jp/201103101345364557/
▶過去の、ザ・チーフタンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live2.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm
http://43142.diarynote.jp/200706061351080000/
http://43142.diarynote.jp/201211241109408189/
http://43142.diarynote.jp/201212111331075592/

WUJA BIN BIN

2014年6月13日 音楽
 いろんなバンド/場で活動している、働き盛りミュージシャンが集まったインスト主体の大所帯バンド。セカンド作『Inaka Jazz』をリリースを記念するもので、13人編成にて、渋谷・O-nest。フル・ハウス。

 管楽器4、5人(会場の後側からは良く見えないので、正確な人数は分らなかった。すぐ音を聞いただけで、編成を言い当てられる耳は持っておりません。類家心平なんていう今トップ級に注目を浴びるジャズ・トランペット奏者も一員としていた)を擁する、(スタインバーガー・タイプのベースを持つ)ベース奏者のケイタイモが率いる、専任シンガーも男女一人づつ抱えた集団。歌手の二人は歌詞のないテーマ部を担うスキャット歌唱に専念、ときにその際は少し渋さ知らずオーケストラ的風情がふわーんと出るときもある。

 また、いろんな楽器奏者がいるにも関わらず、ギター奏者はいなかったりして、そこらへん、微妙にして強いこだわりがあったりもするのだろう。その一方、マリンバ系奏者もいて、その音がちゃんと利いている事もあり、いろんな音楽要素が入り込んでいるものの、その一つのインスピレーションにフランク・ザッパの魑魅魍魎表現があるのは間違いないか。彼らほど、毒や変拍子や子供っぽい変態を散りばめるわけではなく、もっとおおらかに皆で楽器音を出そうとしているように、僕には思えた。だから、聞きやすいというか、聞いていて楽な部分が彼らにはある。ライヴをやっている面々、楽しそうだしね。シンガーたちが歌わない時間は長いのだが、袖に引っ込まずずっとステージ上にいるのもなんとなく良い。

 管奏者の間で長めにソロを回す曲もあったが、それは例外なほう。本編最後の曲はかなりウェザー・リポートというかジャコ・パストリアス・ビッグ・バンド的というか、それを元に曲を作った感じのものをやる。そういえば、WUJA BIN BINにはスティール・パンも叩く打楽器奏者もいるけど、パストリアス・ビッグ・バンドにはスティール・パン奏者が入っていましたね。それから、今後のライヴ予定を紹介する際に一緒に出る出演者も案内していたのだが、「7月25 日はフジ・ロックで、対バンはフランツ・フェルディナンド……」と言っていたのに、笑う。そういうユーモアも大切にしているバンドなのだと思う。

<今日の、フッチボール>
 ”フッチボール”の国で、ワールドカップがはじまった。彼の地の景気が悪くなっているとはいえ、いろいろ反対運動/反対意志表明が出ていることには改めて驚く。まあ、昨年の同国フェデレイションズ・カップのときも同様のことが報じられたが、時代は動いているんだろう。さあて、今年のW杯のTV観戦はどーしたものか。我が家は地上波TV放送が映らないので、外に出ないと、試合の放映を見ることができないのダ。それは、前回のW杯の際もそうであったのだが、いろんなとこに出向いてて、なんか2010年南アときはいろいろと燃えていたよなー。以下は、そのもろもろに触れた項。
http://43142.diarynote.jp/201006171603353982/
http://43142.diarynote.jp/201006181522574502/
http://43142.diarynote.jp/201006181524353169/
http://43142.diarynote.jp/201006281505525045/
http://43142.diarynote.jp/201007061026579306/
http://43142.diarynote.jp/201007081547497212/
http://43142.diarynote.jp/201007081548327436/
 今年は開幕前の時期に、珍しく体調を崩したりし(マジ、そうなの。すぐ近くの大学病院に急患でかけこむ。そんなの初めて)、なにもW杯TV観戦対策も考えていなかったのだが(ワンセグUSBをくっつければPCで見れるよと教えられもし一瞬対応しかけたが、画質悪いと聞いて、ヤメる)、開幕直前に10分間ぐらいネットであれやこれやひいたら、ちゃんとどの試合もストリーミングで見れることが分り、前回のようなW杯映像観戦ジプシーになるのはやめようと、思っている次第。4月のアタマにPCをもう1台買った(http://43142.diarynote.jp/?page=2)のは、またジプシー生活になったさい一つを外持ち出し用に使ってもいかと思ったからでもあったのだが。ライヴのあとに少しだけ寄った馴染みのブラジル音楽の店はワールドカップ絡みでTVや雑誌で紹介されてもいて、お客さんが絶えないよう。
 帰宅後、スペインとオランダの試合(ともに、セカンド・ユニフォームを着ていて違和感あり。日本チームはグループ・リーグではすべて青色を着ることが発表されているよう)ライヴ・ストリーミングで見たのだが、セカンド・ハーフの展開にはびっくり。なんか、ボール保有率の高さを背景とするパス・サッカー優勢の終わりを見た思い? なんて、大げさに書きたくなったりして。ちゃんと守備に人数をかけ、相手のフォーメーションのほつれを見てロング・ボールを前線に出し、2、3人のスピードと決定力で確実に点を取る。それが、今のハイエンドにあるサッカー戦術であり、旧来の守備重視戦術とも少し趣を異にするのではないのか。な〜んて、思わせるものが、今回の鮮やかなオランダの戦い方にはあった(でも、予選リーグでああいう大勝試合をやってしまうと、決勝トーナメントに入ってコロっと負けちゃう場合も多々あるが)し、オランダのようなチームがそいういう戦い方をしたことが、本当に印象に残った。まあ、スペイン対策でそういう戦術を取ったところはあるのだろうが、全蘭の監督は来年マンチェスター・ユナイテッドの監督になるので、その指揮の取りようが楽しみにもなった。今の日本代表チームはこれまでになく攻撃的な布陣で試合にのぞんでいて、それゆえに、まあ見ていてつまらなくはない出入りの激しい試合をここのところ繰り返しているわけだが、あの攻撃的なサッカー指針は実は理想主義のオールド・スクール作法? とはいえ、強力なストライカーとセンター・フォワードがいない日本においては組織で前がかりになって相手に対していくというのは理には適っているとは思うが。
 ちなみに、2006年のドイツ大会のときはあまりブログで触れた記憶はないが、2002年のときはやはりけっこうのぼせた記載アリ。
▶2002年6月1日、4日、5日、11日、12日、18日、25日、26日、
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-6.htm

 モーションブルー・ヨコハマで、賑やかし男女混合13 人編成バンド+ときにサンバー・ダンサー2人(2010年12月27日、2011年2月11日、2011年5月8日、2012年6月8日、2012年10月27日、2013年2月11日、2013年8月24日、2014年5月3日)の、セカンド作『OPA』(ハピネス)発表を記念するライヴを見る。客の入り、良好。バンドのノリもなんとなくヨコハマっぽいところも持つし、またここでやらないかな。

 華があり、楽しい。娯楽精神の発露で、バカバカしくもある。で、一皮むくと、いろんな知識や思慮や知性が垣間見えたりもする。横浜市民であるカンタス村田は余興で横浜市歌というのを、うれしそうに弾き語る。どーでもいい時代錯誤な歌詞を持つ曲だが、何気に田舎くさい内容で、横浜=洗練というイメージを崩させる破壊力ある楽曲だな。横浜市は校歌いがいにもこんな妙ちくりんな歌をコドモたちに歌わせるのだろうか。

▶過去の、カンタス村田とサンバマシーンズ
http://43142.diarynote.jp/201101061047294455/
http://43142.diarynote.jp/201102121002078478/
http://43142.diarynote.jp/201105140858559432/
http://43142.diarynote.jp/201206120854205300/
http://43142.diarynote.jp/201211151028209850/
http://43142.diarynote.jp/201302181123344904/
http://43142.diarynote.jp/201308281519499994/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/

 そのファースト・ショウを見て、近くにあるBankART Studio NYKという施設で、舞踏とマリンバ演奏のデュオを見る。広いスペースの2辺横に観客(若目の人が多い)がオープン・スペースを囲むように座る。

 踊りを見せる蝉丸という方は、山海塾の創設者の一人とのこと。演劇やパフォーマンスに疎いぼくでも山海塾というと白塗りハダカの人の……というイメージを想起するが、まあそれに遠からず。坊主頭の白塗り姿で登場。白いコスチュームを身につけていて、その姿はなるほど風情あり。途中から片方の肩をはだけたりし、どんどん裸に近づいていくのかと思ったら、それは上半身だけでした。

 伴奏を付けたのは、渋さ知らズオーケストラやWUJA BIN BINにも入っているマリンバ/ヴァイブラフォン系奏者の山田あずさ(2013年5月19日、2014年6月13日)。置かれたマリンバに、でけえと少し驚く。出る限りの低音が出るようにした特注品だそうだが。で、音が出始めたとたん(ノーPAでした)、プリセット音併用かと一瞬思う。それは2本のマレットを両手に持って演奏しているが故の音の重なり方と、音の響き(とくに低い方の音)ゆえ。おお、マリンバはなるほど音響楽器だと思わされるとともに、マリンバという楽器の面白さや個性を目の当たりにした思い。その響きがもたらす音の佇まいは、何気にクラブ・ミュージック的とも思った。

 基本ゆるやかな約50分の、厳かでもある出し物。マリンバの所には譜面も置いてあったが、一応決まり事や流れはありつつ、臨機応変に流れていたのか。両者は、初顔合わせのよう。今回のパフォーマンスに蝉丸は昨年亡くなった母親への思いを下敷きに置いていることが、ちらしに記されていた。ぼくにとっては普段あまり接しないタイプの肉体パフォーマンスと楽器演奏だったのだが、ほうという感じで見れました。

 古い倉庫をリノヴェーションして使っているここは横浜市の運営のようだが、とっても眺めの良いカフェみたいな場もある。23時までやっているそうで、バス・ペールエールの生は450円。近所に来たさい、利用してもいいな。

▶過去の、山田
http://43142.diarynote.jp/201305260923241736/
http://43142.diarynote.jp/201406160956273046/

<今日の、レプリカ>
 16時すぎに横浜に向かう電車内で、サッカー日本代表のレプリカ・ユニフォームを着た人たちを散見する。おお。皆さん、どこでW杯試合放映観戦していたのでしょうか。日本チームは見事に試合には負けたが、皆グレた風情は一切出していなくて、偉い。対コートジボアール戦が終わったばかりの、正午過ぎの渋谷のスクランブル交差点はやはり勝敗抜きで、“え〜じゃないか”狂騒状態だったのだろうか。とともに、ぼくが見た半数以上のユニフォーム姿の人が赤いアクセントが入れられた2014年型新版デザインのそれを身につけていて、その熱心さ&従順さにも驚く。今日の新聞記事によれば、レプリカ・ユニフォームの売り上げは、南アW杯時の4倍だそう。ところで、来年に日本サッカー協会とアディダスの間に結ばれている代表ユニフォームのサプライヤー契約が切れるという話があるが、ぼくはそれを切望したい。同社の売りであるユニフォームの首元から腕にかけての、あの3本線、ダサい&萎える。1980年代じゃあるまいし(ランDMC〜2000年7月29日〜をはじめ、アディダスのジャージとゴールドのチェーンがNYラッパー御用達でした。彼らの1986年作には「マイ・アディダス」という曲も収録され、シングル・カットもされた)、あの無神経なアディダス3本ラインの存在のため、デザイン的には自由度も減じ、もう鈍臭くなることこのうえなし!  ぼくは、そう思います。
▶過去の、ランDMC
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm
 アルゼンチンの個性派シンガー・ソングライターであるフロレンシア・ルイス(2008年4月4日)を中央にすえ、そこに、ギターの鬼怒無月(2003年3月6日、2003年6月30日、2004年1月16日、2005年4月11日、2006年1月21日、2009年10月8日 、2010年3月20日、2012年2月10日、2012年6月13日、2012年6月28日、2012年11月21日、2013年2月11日、2014年2月9日、2014年2月22日)、エレクトリック・ベースとチェロを弾く佐野篤(2006年3月24日、2012年6月13日、2014年2月9日、2014年2月22日)、パーカッションのヤヒロトモヒロ(2007年11月14日、2009年2月8日、2009年10月12日、2010年7月22日、2011年10月26日、2012年6月13日、2014年2月9日、2014年2月22日)からなるロス・オンゴス・オリエンタレス(2014年2月22日)が重なる公演。渋谷・クラブクアトロ。5月中旬から20カ所を超える日本ツアーを持ちあってきた両者の、これが最終公演。そこにツアー中に急遽カナダからやってきたという(アルゼンチン人?)ヴァイオリン奏者も入る。彼、何気にバッキング・コーラスも良かったな。

 ダーク気味迷宮系とも言えるかもしれない、我が道を行く静謐ロック楽曲を作り、悠々と歌う彼女に、ロス・オンゴス・オリエンタレスの面々が“もう一つ”のサウンドをつける。その重なりからは、清々しいまでの両者の信頼がもあもあと湧いてくるわけで、その様にぼくは大きくうなずく。そういうのを目の当たりにすると、ミュージシャンって、音楽って、人間同士のやりとりって、いいナと思っちゃう。にわか、いい人度数が自分のなかで増していることを自覚しちゃう。

 途中には、ルイスのエレクトリック・ギター弾き語りのパートもあって、スペイン語と日本語の両方で歌う曲もあった。と書いても、あそうとなってしまうだろうが、随所から彼女の研ぎすまされた才覚とはあまり相容れない純な真心は伝わってくるわけで……。ともあれ、一人パフォーマンスの際は、彼女のソング・ライティングの妙をより直接的に感じることができる。彼女は、「サッカー好きの子供がワールド・カップに出たときのような感激を、私は日本のステージに立つと感じます」みたいな、MCもしていた。

 それから、松田美緒(2005年7月11日、2010年4月19日、2010年10月16日、2012年6月13日、2014年2月9日)が出て来て、フロレンシア曲のもと歌声を重ねるときも。ちなみに、松田美緒&ビスコイット・グローポ(2012年6月13日、2014年2月9日)の演奏陣のみの単位が、ロス・オンゴス・オリエンタレスというバンド名になるわけだ。もともとフロレンシアと日本勢のやりとりは松田やヤヒロが昔行ったブエノスアイレス公演に端を発するらしい。

▶過去の、フロレンシア・ルイス
http://43142.diarynote.jp/200804052110160000/
▶過去の、ロス・オンゴス・オリエンタレス
http://43142.diarynote.jp/?day=20140222
▶過去の、鬼怒
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/200401160000000000/
http://43142.diarynote.jp/200504151004040000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20060121
http://43142.diarynote.jp/200910140952248669/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100320
http://43142.diarynote.jp/?day=20120210
http://43142.diarynote.jp/?day=20120613
http://43142.diarynote.jp/201207031352302181/
http://43142.diarynote.jp/?day=20121121
http://43142.diarynote.jp/?day=20130211
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
http://43142.diarynote.jp/201402240940377749/
▶過去の、佐野
http://43142.diarynote.jp/200603281333540000/
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196/
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
http://43142.diarynote.jp/201402240940377749/
▶過去の、ヤヒロ
http://43142.diarynote.jp/?day=20071114
http://43142.diarynote.jp/200902102121513506/
http://43142.diarynote.jp/200910141731349364/
http://43142.diarynote.jp/201007241308021448/
http://43142.diarynote.jp/201111141210356758/
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196/
http://43142.diarynote.jp/201402111029354181/
http://43142.diarynote.jp/201402240940377749/
▶過去の、松田
http://43142.diarynote.jp/200507161355250000/
http://43142.diarynote.jp/201004211621084144/
http://43142.diarynote.jp/201010191403189326/
http://43142.diarynote.jp/201206141343402196/
http://43142.diarynote.jp/?day=20140209

<今日の、まったり>
 不思議なもので、日々の郵便物/宅急便の量やメール数はならすと、まあ安定するか? だが、この日はメールの数が少なくて、驚く。しゃかりきに原稿を書いているときに次々にメールが入ると、メイラー を切りたくなるが、今日は本当に少なかったような。スパムも入っていない? ワールドカップ開催期間中であるから、ということにしておこう。なんか、望外にゆったりした心持ちを得てしまった、ぼく。一時つづいていた雨もここのところは、なし。さあ、渋谷まで歩いて出よう……。
 丸の内・コットンクラブ。セカンド・ショウ。結構なキャリアを持つ御仁であるが、初来日。

 よくぞ呼んでくれて、ソロとトリオの二タイプの公演をちゃんと企画してくれたものだと思う。タイプや持ち味は違えど、ぼくはブラッド・メルドー(2002年3月19日、2003年2月15日、2005年2月20日)が今いる位置に、ヴィジェイ・アイヤーがいても不思議はないと思ってきたから。彼らは1歳違い(メルドーは1970年マイアミ州ジャクソンヴィル生まれ。アイヤーは1971年ニューヨーク州オルバニー生まれ)で、アルバム・デビューはともに1995年。弾き味は異なるが(技量はメルドーのほうが上ですね)、感性と視野の広さは甲乙付け難いところであり、現代ジャズ・ピアニストとしての輝きやアドヴァンテージを放つところもいい勝負。アイヤーはインド系だが、もし彼が格好いい白人だったら、また違っていた? という書き方は、誤解を招くな。アイヤーだって別に格好悪くないし、根暗なメルドーだってそんなに美男子ではないし。

 当初は、変拍子ファンク・ジャズの雄たるスティーヴ・コールマン(ぼくは、彼が吹いているということで、アイヤーのアルバムを最初買った。というか、コールマンのバンドで電気キーボードを弾いていたこともあるか)など管奏者も擁する、ストロングでありつつ迷宮に遊ぶリアル・ジャズを標榜。暫くして、アルバムではトリオのブツが多くなったが、諸作にはいろんな様相が全開。なかには、現代音楽〜ミニマル色を出す物もあるよな。なんにせよ、ジャズとして必要なほつれや刺やバカヤローの感覚や、それと表裏一体の美感や繊細さを持ち、現在いる場から別の地点へ跳ぼうとする感覚を抱えてもいて……。そんな彼は、ずっと基本はオリジナル曲主義。だが、ソロ・ピアノ作はスタンダードや多大な影響を受けていると思われるアンドリュー・ヒル曲、さらにはマイケル・ジャクソンが歌った曲なども取り上げている。一方、彼はラップや肉声と絡んだアルバムも出しているし(2003年作はディスク・ユニオンが日本盤で出して、それなりに話題を呼んだ)、この手のジャズ・マンが避けがちなギター奏者を擁するアルバムも持っているし、ちょい電気的な音がインサートされるアルバムもあったか。

 非メジャーから20作近く出している彼の2014年作『Mutations』は、なんとECM発。彼はそこで弦ユニットと一緒に、美世界を求めている。今回の来日公演はECMレコーディング・アーティストという印籠がもたらしたものと考えられるが、同社のマンフレド・アイヒャーにはじっくりとアイヤーの面倒を見てほしい。アーロン・パークス2002年7月3日、2005年8月21日、2008年11月22日、2009年2月3日、2012年5月31日、2014年2月5日)も新作はECM発だが、同社の新プロデューサーによるパークス作と違いアイヤーのアルバムはアイヒャー物件のようであるから。

 この日は、ソロ・パフォーマンス。1時間20分ほど、ジャズ・ピアニストであることをまっとうする。少し行儀良すぎ、もっと乱暴にあっち側に行ってェと、思わす部分もあったが。ぼくが彼に求めるもの、過剰にデカいっスから。ステージ中央に、観客席に真横になるようにセッティングされたスタンウェイから、いろんな調べが溢れ出る。意外だったのは、アンドリュー・ヒルとかハービー・ニコルズとかケニー・カークランドとかの他人曲を演奏していたこと。とはいえ、自分流に曲を存分に紡いでいて、オリジナルと言われても、そうなのと納得しそうではあるけど。延々フリーフォームでやることも出来たはずだが、そういうのはなかった。

▶過去の、メルドー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-2.htm
http://43142.diarynote.jp/200502232041270000/

▶過去の、パークス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm 2002年7月3日
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/200811241224271906/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090203
http://43142.diarynote.jp/?day=20120531
http://43142.diarynote.jp/201402071150071550/

<今日の、Mr.ビーン>
 おお、アイヤーって狸に似ているな。とともに、やはり優等生っぽい、とは感じさせられる。この手の辣腕タイプにありがちな、鍵盤を押さえながらの“うなり声”も、彼は一切出さない。妙な雑音がないのは、やはりいい。それから、見てくれで、彼はどこかミスター・ビーンが入っているところがある、というのが、ぼくの見解。とか書くと、彼の熱心なファンから、何言っているんですか、彼は飛び級でイェール大学で数学や心理学を学んだ(なんか、そこらへんの音楽外の秀才ぶりはアーロン・パークスと重なる?)んですよと、反駁されそうだけど。そういえば、彼は今年に入ってハーヴァード大学の(音楽の)教授に就任したという話もある。
 ともあれ、ほのかなミスター・ビーン臭は愛嬌/抜けている感じにも繋がるように思う。また、それは神経質な印象から彼を遠ざける。よって、ピリピリしておらず、淡々と事にあたっていると感じさせるのは良い。とともに、真面目さは出てしまっても外にストリクトさが出ることはなく、出向いたライヴ会場に多少ボロなピアノが置いてあっても、こんなこともあるサと鷹揚に演奏にのぞんでいそうとも想起させて、それもぼくには頼もしく見えた。18日から3日間はトリオにて、ドラマーはマーカス・ギルモア(2007年11月21日、2010年7月24日、2010年8月22日、2014年5月15日)です。さー、どーなるか。
▶過去の、ギルモア
http://43142.diarynote.jp/200711290930350000/
http://43142.diarynote.jp/201007261045442770/
http://43142.diarynote.jp/201008261620103318/
http://43142.diarynote.jp/201405171309186867

 米国のアフリカ系女性アーティスト(うわあ、なんと大ざっぱな括り口)をはしご。六本木・ビルボードライブ東京→→南青山・ブルーノート東京。ともに。“この人”がやるからこそのライヴ・ショウの価値を持っていた。

 まず、ウィリアムスのショウ。わあ、ステージ上には、米国TVドラマ「アグリー・ベティ」のファッション雑誌の意地の悪いディレクターがいるう! ほんと、まんま。そんなに同番組を見ていたわけじゃないけど、あの存在感あふれる役者の様には、ヴァネッサ・ウィリアムズやるなあと思わせられたものなあ。女優としても活躍する(というか、いつごろからかそっちのほうが主か?)彼女は過去何度か来日公演を行っているはずだが、ぼくは今回初めて彼女を見る。

 ピアノ(音楽監督。デュエットも1曲聞かせる)、キーボード、ギター、ベース、ドラム、女性バックグランド歌手というサポート体制。今回の日本行きのために組まれたバンドのようだが、あらら、ドラマーはJ.T.ルイス(2005年6月8日、2005年6月9日)じゃないか。ハービー・ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日)のヒップホップ導入バンドである“ロックイット”バンドに参画して知名度を得て、いろんなR&Bセッションとともに、キップ・ハンラハン(2000年1月12日、2001年5月15日、2011年12月8日)やブランドン・ロス(2004年9月7日、2005年6月8日、2005年6月9日、2006 年9月2日、2011年5月5日、2011年12月8日、2011年12月14日)らひねくれ派からも信任を受ける御仁ですね。

 ウィリアムスは、エメラルド色の薄地ジャンプ・スーツ調衣装に身を固めてショウを進める。で、こんなに芝居がかって歌う人も(ぼくの経験上)めったにないと思った。と、書くと、なんか悪口みたいだが、それは女優としてもエスタブリシュされた彼女ならではの見事なプロの芸風に他ならず。うへ〜、彼女は見事にヴァネッサ・ウィリアムスを演じていると痛感。いや、なかなかの見物でした。で、件のTV役と違い、時に人の良さが出る感じがしたのも、悪くなかった。

 全体的なショウの感じは、MOR目の穏健R&Bという感じか。本人の持ち歌を中心に、チャカ・カーン(2003年10月10日、2008年6月5日、2012年1月10日)は一番好きな歌手と言って、彼女がルーファス(2008年11月10日、2010年1月20日、2011年6月22日、2012年9月9日、2012年9月12日)時代に発表した「エヴァーラスティング・ラヴ」を歌ったりもしたが、これ2005年作でもタイトル曲としてカヴァーしている。また、ザ・アイズレー・ブラザース(2001月12月6日、2004年3月1日)の「ワーク・トゥ・ドゥ」も歌ったが、こんなに華々しいこの曲のヴァージョンは初めて聞くかも? その2005年作ではアイズレーズの「ハーヴェスト・フォー・ザ・ワールド」も取り上げてもいて、彼女は何気にアイズレーズ好きなのか?

 4月には、1920〜30年代にハーレムにあったクラブ“コットン・クラブ”の栄華を扱ったミュージカル「アフター・ミッドナイト」にゲスト出演したようで、そこで歌った「ストーミー・ウェザー」も彼女は堂々披露。同クラブでリナ・ホーンが当たり曲とした、ハロルド・アーレンのスタンダードですね。同ミュージカルの楽団を務めるのはリンカーン・ジャズ・オーケストラの面々で、そのプロデューサの一人にはウィントン・マルサリス(2000年3月9 日)も名を連ねている。現在は、パティ・ラベルがゲストで出ているようだ。

▶過去の、ハンコック
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▶過去の、ハンラハン
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▶過去の、ロス
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▶過去の、カーン
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▶過去の、ルーファス
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▶過去の、アイズレーズ
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▶過去の、マルサリス/LJO
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 一方のアンディ・アロウは25歳で、アルバム2作をリリースしているシンガー/ギタリスト。プリンス(2002年11月19日)のバンドであるザ・ニュー・パワー・ジェネレイションに入ってツアーしたことがあり、自主制作の2作目『Superconductor』(2012年)はプリンスがエグゼクティヴ・プロデューサーに立っていて、楽曲共作や傘下ミュージシャン提供などいろいろ助力している。

 ステージに出て来たアロウ嬢は、うわあぁ〜い、綺麗かわいい。アフロな髪型もあって、多くの人はすぐにエスペランサ・スポルディング(2008年9月5日、2008年12月1日、2010年9月4日、2011年2月17日、2012年3月7日、2012年9月9日)を思い出すだろう。エスペランサが柔和でシャイな印象を与えるとしたら、彼女はもう少しシャープでワイルド。彼女はカメルーン生まれで2000年に米国に引っ越したという情報を持つが、パっと見た感じ肌の色はそれなりに白い。母親のほうが米国人のようだが、非アフリカ系なのではないか。

 キーボード、ベース、ドラムという編成のバンドによる出音のでかいバンド音にのり、彼女は嬉々として歌をのせる。やはり、歌声はかなり可憐。しっとり目の曲だと、ミニー・リパートン的とも言いたくなる? それなりに広がりある曲調やアレンジが施されていたスタジオ録音物の音が頭にあると、もう少し厚い、かつメロウなサウンドを実演でも求めたくなるが、アロウという個体により集中しやすくはなるかも。意外だったのは、ギターを手にせずシンガーに専念する場合が多く、ギターを手にしてもコードを爪弾いたり単純にストロークするぐらい(すぐに、歌だけになったりも)であったこと。彼女、プリンスのバンドでどういう役割をやっていたのだろう。御大はずっと来日していないし、ずばらなぼくは彼のライヴ映像もチェックしていないので、謎は見ていてどんどん深まった。巨漢奏者によるベース音がデカすぎとアタマから感じていたが、彼がギター的な役割も担おうとしているのら、それも分らなくはなく……でも、やはり音デカすぎだな。

 曲はオリジナルに加え、マーヴィン・ゲイ「ホワッツ・ゴーイン・オン」やザ・ドゥービー・ブラザースの「ロング・トレイン・カミン」なども披露。アルバムではメイシオ・パーカー(1999年8月6~8日、1999年10月28日、2001年4月17日、2002年11月19日、2005年9月6日、2007年9月13日、2009年1月21日、2010年2月16日、2010年9月3日、2013年2月2日)とトロンボーン・ショーティ(2010年12月13日、2012年2月2日)が活躍する弾けたファンク曲もあれば、スタンダード的風情を持つ瀟洒曲もあった。まだまだ、これから開ける引き出しはあるという感じか。

 何をやろうと、何を歌おうと、この娘がやればOK、すべては光輝く……。実もフタもないない書き方になっちゃうけど、初々しさもいまだ持つ彼女のパフォーマンスに接していて、そう感じずにはいられず。でも、それはポップ・ミュージックにおいては一番重要なことだろう。

▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
▶過去の、エスペランサ
http://43142.diarynote.jp/200809071430380000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20081201
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http://43142.diarynote.jp/201102190814495504/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120307
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/
▶過去の、パーカー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/augustlive.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200509130313320000/
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http://43142.diarynote.jp/200901221504141906/
http://43142.diarynote.jp/201002171552164447/
http://43142.diarynote.jp/201009111624281899/
http://43142.diarynote.jp/201302041827243806/
▶過去の、トロンボーン・ショーティ
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http://43142.diarynote.jp/201202090942324966/

<今日の、比較>
 ウィリアムスとアロウの年齢差は25、6歳。倍なのだな。アロウもだいぶ前に「ザ・ゲーム」というTVコメディ・ドラマに出演したことがあったらしいが、今後はどういうふうに進んで行くのだろう。とか、個ある両者を続けて見て、ふと183秒間かんがえる。
 ソロ・パフォーマンス(2014年6月17日)に続く、敏腕ジャズ・ピアニストのトリオ公演はワーキング・バンドと言える顔ぶれにてなされた。縦ベーシストのステファン・クランプ(アイヤーのMCによれば、15年の付き合いとか)とドラマーのマーカス・ギルモア(2007年11月21日、2010年7月24日、2010年8月22日、2014年5月15日)はともに大分前からアイヤーの録音に関わっていて、特にギルモアにとってアイヤー作参加はけっこう初期に名前を出す仕事であったはず。しかし、ギルモアはこの5月にもジョシュア・レッドマン(2003年1月16日、2009年4月21日、2010年9月5日、2012年5月31日、2014年5月15日)とテイラー・マクファーリン(2012年2月18日、2012年3月2日)のサポートで来日していたりもし、ここのところの訪日率はとても高い。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。

 素晴らしすぎる、現代ピアノ・トリオ表現。聖と俗の間にピンとはられたタイトロープのうえを確信をもってひたひたと突き進むような演奏を、なんと説明したものか。そして、3人が丁々発止した後には、山ほどの美と刺激と創意が舞いまくる。もー、かたずを飲んで、食い入るように見入り、聞き入るのみ。

 よくぞ、この3人が集まったナとも痛感。クランプスは立ったシークエンスをぐいぐい押し出し(それから、アルコ弾きもけっこう見せる)、ギルモアは従来の定石から外れた奇怪なのにグルーヴィな鼓動をこれでもかと送り出す。<ジャズなんだけどジャズない>というか、<見事にジャズなんだけど、いろんな現代に享受できる非ジャズ要素を見事に抱えたリズム・セクション音>というべきか。1曲目はいくつかのアイヤー曲をつなげた30分にわたるものだったが、その3人の変幻自在なやりとりの様に驚愕。とっても整備され、約束ごとも踏まえた上で、あくなきインタープレイの先に挑戦や飛躍、そして造型総体としての美を獲得する様(もちろん、みんな譜面なぞおいてませんよー)に、時節柄あんたたちワールドカップのグループ・リーグ戦のなかベストのチームと賞賛するに値するパフォーマンスじゃあと、ココロのなかで喝采。誇張なしに、壮絶。もちろん、今年のぼくが見たジャズの好ライヴの筆頭にリストされるべきと思う。

 他は10分ほどの尺の曲を並べていたが、1曲はスティーヴィー・ワンダーの1972年作『トーキング・ブック』のなかに入っていた異色エスノ・フォーキー曲「ビッグ・ブラザー」をカヴァー。自分流に大胆に翻訳していたが、それ、やはり同じ顔ぶれのトリオでやっている2008年作で披露していたりしますね。

 ところで、少し不思議な気持ちになったのは、先に見たソロ・パフォーマンスよりも、アイヤーのピアノの味が倍以上良いと思えたこと。より腕がたち、個性にあふれるとも思えた。トリオ演奏の合間に5分弱(?)のソロ演奏も披露したが、それも前々日のものよりはるかにグっと感じられたのはどうしてなのか。実際そうだったのか、ぼくの心持ちの問題も少しは働いているのか。研ぎすまされたソロ演奏って、やる方にしても、受ける側にしても難儀な出し物であると、個人的に認知もしたか。しかし、イビツは美徳なりというタイプの先達の奏法をちゃんと咀嚼したうえで、不整合きわまりない指さばきの連続の先に山ほどの醍醐味を得ているアイヤーはやはり凄い。創意とひかかりと美のあくなき相乗……。いやー、まだまだリアル・ジャズは先に進めます!

▶過去の、アイヤー
http://43142.diarynote.jp/201406180853065508/
▶過去の、ギルモア
http://43142.diarynote.jp/200711290930350000/
http://43142.diarynote.jp/201007261045442770/
http://43142.diarynote.jp/201008261620103318/
http://43142.diarynote.jp/201405171309186867/
▶過去の、レッドマン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200904221307055009/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100905
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http://43142.diarynote.jp/201405171309186867/
▶過去の、マクファーリン
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/?day=20120302

<今日の、情報>
 ゲイリー・バートン(2005年8月21日、2011年7月20日)とチック・コリア(2006年9月3日、2007年10月1日)も見に来ていた。少しは、オレら余裕ぶっかましている場合じゃないと感じた? それとも、“戦い、前に進むジャズ”はらつ腕すぎる彼らにまかせると納得? アイヤーの次のECM第二弾は、このトリオによるレコーディング作だそう。楽しみすぎます。
▶過去の、バートン
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
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▶過去の、コリア
http://43142.diarynote.jp/?day=20060903
http://43142.diarynote.jp/200710121726160000/
 昨日のパフォーマンスがあまりに良く、アイヤーも違う内容になると言っていたので、予定を少し変えて、2日連続で見ることにする。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 アイヤーが詠唱っぽく指を這わせる調べにあわせリズム・セクションが徐々に重なって行き、それらは次第にあらぬ方向に向かい、という曲の始まり方は往々にして、どの曲も同じ(それは昨日も)。そして、三者演奏になって以降の、想像不可能にして大胆な航路の取り方、起伏ありまくりの重なりの様は、プログ・ロック的手触りを感じさせる場合もある。プログなプログ・ロック愛好者の方々、アイヤーさんを聞いてみてはいかがでしょうか。

 確かに演奏する曲は異なり(セロニアス・モンク曲もアタマのほうでやった)、そのため3人の重なり〜インタープレイの取り方も前日とは異なる。ウッド・ベースのクランプスはもう少しジャズ側に寄った演奏をし(でも、アルコ演奏比率は昨日より低い。あれは、効果音的な何かを求める使い方でもあった?)、ドラムのマーカス・ギルモアはブラシを使う部分もあった。彼、何気にバスドラのチューニングを昨日とはかえていなかったか。わりと素直なシャッフル・ビートでブルース〜ゴスペル流れの曲を披露する(ぼくは、寛ぎつつ、いろんな思いを得ました)場合も。とか、総じて昨日よりも、過去の財産との連続を意識させるパフォーマンスであったし、もう少しジャズ色が強かったとも指摘できるだろう。

 来週この3人で録音するそうなECM新作用曲も披露。完全に、コットンクラブ公演のトライアングル関係が、そのまま切り取られるものになるのではないのか。「エレクトロ・ミュージックのパイオニアであるロバートなんちゃらに捧げる」みたいなことを言って演奏したアンコール曲は、ダダダダダという単純な同一音/テンポの畳み掛けが延々と続けられる。まるでこの前のマイ・ブラッディ・バレンタイン公演(2013年2月7日)の実演ハイライトの曲みたいな感じのもの。もちろん、その基本の反復パターンは崩さず、全員一丸となって、そこに自らのミュージシャンシップをかけた創意をこれでもかと加えて行くのだが、おもしろすぎる。そして、最後はそんなにアイコンタクトをかわした様子もないのに、パキっと終わる。カッキー。

 やはり、アイヤーをとんでもなく支持!

▶過去の、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン
http://43142.diarynote.jp/201302091333126442/

<今日の、アイヤーさん>
 アイヤーは時折、ちゃんとマイクをもって、ぎこちなく短めのMCをする人、それほど内容が代わる人ではない。MCなぞしなくてもいいとぼくは思うが、受け手に誠実に、言葉をかけたい表れと推測する。しかし……。
 これが最後の来日公演にならないことを望む。→また日本に来れるといいなあ。→また、日本に戻ってきたい。
 という項目は、ぼくが見た3日のなかでどんどん変化して行った。<ミュージカル・アドヴェンチャー>という言葉は毎回使ったかな。なるほど、それが彼の表現を適切に説目する言葉かもしれぬ。

ジャーズ、アヨ

2014年6月21日 音楽
 <音楽の祭日 2014>と題された、飯田橋・アンスティチェ・フランス東京での野外の無料イヴェント。うわあ、人がいっぱい。そして、まあ毎度だが、場が弾んでいる。なんか、フランス型縁日、なんて感想も浮かぶ? ぼくは最後に出た二組の来日アクトを見た。

 まず見たジャーズは、現在25歳というマダガスカル人とフランス人の両親を持つミックス。18歳のときに生まれ育ったマダガスカルからパリに出て来て、弾き語りを人前でするようになったという。生ギターを持って、一人で訥々とパフォーマンス。今から25年ほど前にビクター音産からラコトという味のいいマダガスカルのシンガー・ソングライターが紹介されたことがあったなあ、なぞと思い出しつつ、彼女に接する。マイナー・キー基調の曲を枯れた感覚と濡れた感覚が入り交じった情感をたたえ、訥々と披露。彼女はバスキングで鍛え、支持者も獲得したらしいが、室内で見たほうが真価は伝わりやすいかとも思った。

 午後一から持たれているイヴェントのトリを飾ったアヨはナイジェリア人とルーマニア系ジプシーの両親のもと、ドイツのケルンに生まれた。そして、現在はパリに住んでいる。そんな彼女は、英語でずっと歌ってきている。

 かつてはクリクリしたショート気味アフロ・ヘアがトレードマークだったが(少なくても、2013年発の新作ブックレット写真までは)、現在は伸ばして後で束ねている。だいぶ感じは変わったが、やはりかなりのべっぴんさん。長身であり、格好や髪型もあってか、ステージ上の彼女は威風堂々。アヨのことをなんら知らない人でも彼女を一瞥したなら、何かを表現する人、人の前に出て何かをしている人という印象はきっと持つのではないか。ステージに立つ彼女を見ながら、綺麗なグレイス・ジョーンズみたいとも、ぼくはほんのり思ったか。

 ギターを弾き語りする彼女を、いろんなキーボードを弾く(一部、ベース音も担当)男性がサポート。陰影と哀愁と誘いが入り交じる曲をけれんみなく披露して行くが、意外に歌は喉に負担がかかりそうな歌い方をする人なんだな。なんにせよ。アルバムでの模様に生の場ならではの精気を加味する感じで、総体はよりシャープな印象を受けた。

 中盤移行、彼女はコール&レスポンスなど、より見る者に働きかける所作を曲の中に入れるようになり、臨機応変に曲の尺を長くする。ああ、ライヴに触れていると実感できるナ。それから、ライヴだと、ボブ・マーリー愛好をいろいろと、その背後に感じさせられた。そういえば、新作『チケット・トゥ・ザ・ワールド』のタイトル・トラックなどは、相当に素敵な、持たざる者の立場を代弁する広がりあるメッセージ・ソング。同作ではスロウなラップ調シンギングも見せ、それはどこかニーナ・チェリー的とも思わせる。この晩は、アルバムでゲスト・ラッパーが担当していた箇所を自分でやったりもしていた。

 実はアヨとは、デビューした翌年である2007年に豪州のバイロン・ベイ・ブルース・フェス(2007年4月5〜9日)のバックステージで会って、一緒に写真を撮ったことがあった。そんとき、彼女はフィッシュボーンのアンジェロと親しげに話していたよなー。そのデビュー作『Joyful』はまじに<ユーロ・アフリカンの、ノラ・ジョーンズなるもの>というしなやかさやジューシーさや親しみやすさに溢れていて、ぼくはぞっこんだった。そんな彼女は4作品を仏ユニヴァーサル・ミュージック系列から出している。

▶過去の、バイロン・ベイのブルース・フェス
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/

<週明けの、アヨ>
 月曜に、取材する。実物は、かわいい〜。昔のまんま。で、彼女はバイロン・ベイで会ったときのことを覚えていた。あのとき、あなたの髪の毛はもっと短かったわよね、なぞとも指摘してくる。逆にこちらも現在の髪型について聞いたら、何もしなければ暴れたアフロなのだそう。それを束ねると、今みたいになるらしい。で、アイフォンのなかに入っている、2週間前に録ったというアフロな写真を、彼女は見せてくれた。アヨがシンガーになりたいと思ったのは、子供のときにダイアナ・ロスのジャケ写を見たとき。それまで、くせ毛でモップ頭といじめられていたが、彼女のような職業につけばアフロな髪型でもおおいばりできるんだと思ったからだそう。新作にはモータウンのロゴも付いているが、やはりロスを売り出した会社と同じロゴが付くのはうれしかったとのこと。でも、今と昔のモータウンは違う会社、と冷静な発言もしていましたが。子供もいる彼女はローラーブレイドなど、スポーツも大好きなよう。

 へえ〜。こういうボサ基調の男女デュオ表現もあるんだァ。と、何気に感心。初めて行った国のクラブに行って、偶然この二人のパフォーマンスに触れたなら、わあ文化度が高い国だなあ、なんて感想を持つかもと、ぼくはなんとなく思った。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。価格が高くない席は満席、なり。

 本国で何作ものリーダー作を出しているポーランドの女性ジャジー歌手とシカゴで活動しているというブラジル人ギタリスト/シンガー(彼もリーダー作をいろいろリリースしている)という組み合わせ。どういう経緯で国籍も住む場所も異なる二人が一緒にやるようになったかは知らないが、二人はザ・ビートルズ曲をボッサ調で開いたアルバムを2008年に出していて、それは日本盤もリリースされている。

 まず、ガルシアが出て来て、ジェントルにギター弾き語りを2曲。さりげなくも、安定した、いい味。ギターも歌も軽妙にして、まさにそれ風(と書くと、ナンだが)。ベロオリゾンテ出身で過去に複数回来日したこともあるそうだが、ブラジル人にはやっぱしかなわないという、まったく実もフタもない感想を覚える。

 その後は、デュオでパフォーマンスはすすめられ、演目は良く知られるボサノヴァ曲(基本、英語詩曲で歌われる)やザ・ビートルズ曲。スティング曲も1曲やったか。何を取り上げるにせよ、女性が歌で男性がギター伴奏という単純にして、よくある構図の表現からは大きく離れる内容はよくぞ。それは、ガルシアも良く歌い、終始デュエットというカタチで曲は披露されたから。しかも、その男女の歌声の重なり方はとても多彩で、終始ハーモニーを取る方向にもあって、よくこれだけ変化に満ちたヴォーカル編曲を施したものだと思わせる。そりゃ、さんざん聞いてきているザ・ビートルズ曲も新鮮に聞こえるし、生ギター1本という簡素な伴奏音でもちゃんとショウは持ちますね。そして、両者のクールな歌の質感もあり、なんとなく生理的には“北の、もう一つのボサノヴァ”という印象をぼくに与えたりもした。

<今日の、了解>
 この二人の来日公演は、ポーランドの援助によって実現したよう。東(中)欧についてはあまり知識を持ち合わせていないが、ぼくのなかでは、ポーランドはジャズをはじめとする洗練された音楽を旧共産主義国のなかでは一番送り出しているという印象を持つ。アウグスチクはときに猛烈なスキャットをかましたりした。というのはともかく、ポーランドの音楽事情について、より興味を喚起させられた一夜でもあったか。今日の実演に触れ、どうしようかと決めあぐねていた、7月上旬にあるポーランド人女性ピアノ奏者の同国大使館でのライヴに足を向けることに決めた。
▶過去の、ポーランド絡みの記述
http://43142.diarynote.jp/200511130011570000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20091018
http://43142.diarynote.jp/201001101203088126/
http://43142.diarynote.jp/201303290751204240/

 目黒・ソニー PCL本社試写室で、肉感度高いサザン・ソウル調サウンドのもと数多のシンガーたちの珠玉の録音サポートをしてきたアラバマ州のマッスル・ショールズ界隈の二つの著名レコーディング・スタジオを題材にした映画を見る。2013年、米国制作のドキュメンタリーだ。

 二つのスタジオのうち一つは、ミュージシャンもしていたことがあるエンジニア/プロデューサーであるリック・ホール(R&B史に燦然と名を残す名士ですね)が1959年にマッスル・ショールズ(現在の人口は、13.000人)に作ったフェイム・スタジオ(フェイムはフローレンス・アラバマ・ミュージック・エンタープライズの略なので、実際はマッスル・ショールズの隣にあるフローレンスで設立されたのかもしれない)。そして、もう一つは“ザ・スワンパーズ”と呼ばれたフェイム・スタジオの名ハウス・ミュージシャンたちが1969年にフェイムから独立して隣町シェフィールド(現人口9.000人)に作ったマッスル・ショールズ・スタジオ。ちょい、紛らわしいですね。なお、両スタジオともずっと健在(後者は2013年にスタジオ稼働をやめたよう)。長年ツブれずに来たのは、両方ともスタジオ運営/音楽制作や音楽出版に特化し、レコード会社業には手を出さなかったことは関係あるかもしれない。

 そして、その動きにはアトランティックの黄金期R&Bを舵取りしたジェリー・ウェクスラーが深く関与していたのには改めてびっくり。映画によれば、なんと彼がフェイム・スタジオ潰しを画策して、側近奏者たちに資金を提供したことでマッスル・ショールズ・スタジオは設立されたそう。だが、ウェクスラーはフェイム・スタジオを広く有名にした人物でもある。彼はアトランティック物件をいろいろと録音委託していたメンフィスのスタックス・レコードとの関係がこじれ、かわりにフェイムを使ったことで、フェイム/リック・ホールの名は上がった。まあ、リック・ホールが最初に扱ったR&Bシンガーであるアーサー・アレクサンダーのデビュー曲「ユー・ベター・ムーヴ・オン」や「アンナ」はともに1962年に米国でヒットし、前者はザ・ローリング・ストーンズに、後者はザ・ビートルズにカヴァーされてもいて、当初からホールは確かな手腕を示していたが。しかし、ウェクスラーって、罪作りな人だよなー。彼がいてこそ、南部ソウル/ミュージシャンの隆盛があったは間違いないけれど。

 監督は、これが初めての監督作品となるコロラド州ボールダーで不動産業を営むそうなグレッグ・フレディ・キャリア。彼はこれまで2つの映画にお金を出しプロデューサー・クレジットを得ているというので、本業で潤っているのか。なんでも友人と車で長旅した際、マッスル・ショールズに偶然一泊したことがきっかけで、この伝説の音楽地場に興味を持ち、ここにまつわる映画を作ることにしたのだという。てなわけで、映画好きではあったろうが、監督に関しては経験がないような彼でもあるが、豊富な証言者映像(皆、いいこと言うよなあ。現在は物故者になってしまった人もいるので、そこそこの期間をかけて取材にあたったと考えられる)と何気に残っているいろいろな過去の記録映像のため、なんの文句もない、いい感じの音楽映画に仕上がっている。

 インタヴュー映像で出てくるのは、同地録音の恩恵を受けているパーシー・スレッジやクラレンス・カーター(2013年11月14日)やアリサ・フランクリンやキャンディ・ステイトン(2012年7月1日)、ジミー・クリフ(2004年9月5日、2006年8月19日、2013年3月6日、2014年5月21日)やストーンズ(2003年3月15日)のミック・ジャガーとキース・リチャーズなど。その顔ぶれは本当に豪華で、かの地の功績を痛感させられるか。後からできたマッスル・ショールズ・スタジオは当初鳴かず飛ばずだったが、ストーンズが1971年作『スティッキー・フィンガーズ』録音で同スタジオを用いたことが幸いし、軌道に乗ったそうだ。それから、U2(2006年12月4日)のボーノの発言もたびたびインサートされるが、彼のそれは熱く、思い入れたっぷり。そういえば、U2の1988年作『ラトル&ハム』はメンフィスのサン・スタジオでの録音。サン・レコード設立者であるサム・フィリップスはフローレンスの生まれだ。

 また、当然のことながら、リック・ホールをはじめフェイム・スタジオの関係者たち、鍵盤のスプーナー・オールダムやソングライターのダン・ペン(2010年8月25日)なども出てくる。フェイム・スタジオの第二期ハウス・バンドであるザ・スワンパーズの面々、ギターのジミー・ジョンソン、ベースのデイヴィッド・フッド、ドラムのロジャー・ホウキンス、キーボードのバリー・ベケット(彼のみ、故人)も同様。おお、彼らは皆白人ではないか! そう、歌手は黒人だったが、マッスル・ショールズの裏方関係者は白人だった。差別があり、それが激しかったはずの米国南部田舎での、ちょい不思議な、でも意義たっぷりの白人と黒人の共同作業……。それもまた本映画が伝える重要部で、それにはじわじわと示唆を、ぼくは受けた。ザ・オールマン・ブラザーズのギタリストである故デュエイン・オールマンもフェイム・スタジオのハウス・ミュージシャンだったことがあり、彼の事もいろいろ紹介されるし、証言者には弟のグレッグ・オールマンも出てくる。

 ザ・スワンパーズの4人、ジミー・ジョンソン(ストーンズの『スティッキー・フィンガーズ』にはエンジアとして、彼はクレジット)、デイヴィッド・フッド、ロジャー・ホウキンス、バリー・ベケットは後のマッスル・ショールズ・スタジオの設立者でもあり、後半よりフィーチャーされる。彼らはマッスル・ショールズ・リズム・セクションとも、かつて呼称されましたね。

 実は、ザ・スワンパーズたちの名前をぼくはロックのアルバムのクレジットで知り、ライナー・ノーツを読んで、普段は米国の地方のスタジオ・ミュージシャンであるのを高校生のころから知っていた。だが、彼らがこれほどまでに田舎に住み、R&B演奏で腕をならしてきたプレイヤーであるとは、当時熱心なロック愛好者であるぼくは思いもしなかった。ハハハ。ボズ・スキャッグス、ドン・ニックス、ポール・サイモンなど、いろいろロック側の人のアルバムにも彼らは貢献している。うち3人はトラフィックの1973年欧州ツアーに参加した(ライヴ盤『オン・ザ・ロード』。インスト部が長く、今の言葉で言うなら、ジャム・バンド的か)が、それはスタジオ暮らしの彼らにとって、初のツアー参加であった(初の外国行きでもあったろう)。映画に出てくるトラフィックを率いたスティーヴ・ウィンウッド(2003年7月27日)は、彼らを魔法の土地から外に出してしまうことで、その純度が失われるんじゃないかと憂慮したというようなことを、証言している。

 なお、映画のエンド・ロールで使われているのは、サザン・ロック・バンドのレイナード・スキナードの1974年全米8位曲「スウィート・ホーム・アラバマ」。「アラバマ」や「サザン・マン」という曲を発表していたニール・ヤング(2001年7月28日)へ他所もんが南部気質にアヤつけてんじゃねえという気持ちをこめたこの曲は、マッスル・ショールズ録音曲ではない(ジョージア州ドラヴィルでの録音)。だが、曲中に<マッスル・ショールズには、ザ・スワンパーズがいる>という歌詞を持つ。

 また、本編の最後には、喧嘩別れしたリック・ホールとザ・スワンパーズの面々が邂逅するシーンがあり、さらには、フェイム・スタジオでピアノを弾きながら歌うアリシア・キーズ(2008年8月10日)をジョンソン、フッド、ホウキンスの3人がバッキングし、ホールが卓をいじるシーンも登場。演奏されるのは、ボブ・ディランの「プレッシング」。ディランのゴスペル期『セイヴド』(1980年)に入っており、マッスル・ショールズ・スタジオ録音でジェリー・ウェクスラーとバリー・ベケットがそのアルバムをプロデュースした。そのシーン、やはりグっと来ちゃいます。

 それにしても、1932年生まれのリック・ホール(現在は80歳を過ぎている)は、とっても若く見える。映画は彼の発言を元に進んで行く感じもあり、本映画は山あり谷ありの“リック・ホール物語”的な色彩も持っているか。それゆえ、なかばマニアックな側面も持つのだが、少なくてもぼくは小難しくは感じなかった。

 ところで、映画ではマッスル・ショールズ界隈の風景もいろいろ映されるが、これが川(テネシー川)と森が鬼のようにある土地に撮られている。だが、そんな田舎からあっと驚く優秀なミュージシャンが続々出て、1960年代中期からR&Bやロック有名人が彼らの手作りサウンドを求めて大挙おしよせた。そこに行けば、人間的かつアーシーな音やソウルネスが得られる、と……。なんか、彼の地が映画「フィールド・オブ・ドリームス」で描かれる“夢の球場”のように、ぼくは映画を見ながら思えて来たりもしちゃい、満たされた南部幻想に包まれもした。ああ、遥かなるマッスル・ショールズ。そんな、この映画は新宿シネマカリテ他、7月12日から順次公開される。

▶過去の、クラレンス・カーター
http://43142.diarynote.jp/201311161311391480/
▶過去の、キャンディ・ステイトン
http://43142.diarynote.jp/201207031354584120/
▶過去の、ジミー・クリフ
http://43142.diarynote.jp/200409050916440000/
http://43142.diarynote.jp/200608201821080000/
http://43142.diarynote.jp/201303070815313472/
http://43142.diarynote.jp/201405230833199357/
▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
▶過去の、U2
http://43142.diarynote.jp/200612070141170000/
▶過去の、ダン・ペン
http://43142.diarynote.jp/201008270912512078/
▶過去の、スティーヴ・ウィンウッド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
▶︎過去の、ニール・ヤング
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm
▶過去の、アリシア・キーズ
http://43142.diarynote.jp/?day=20080810

<今日の、おじいさん>
 家から駅に向かうとき、けっこうな頻度ですれ違うおじいさんがいる。今日も会った。杖をついているのに、冬も夏も毎日日中は散歩に出ているとしか、思えない。体力あるなー。そのご老人とはいつごろからか、会釈し合う関係になった。でも、彼はリック・ホールよりは年下かな。ホールさんは農場も持っているようで、がんがん作業をやっている姿も、映画には出てきます。
 1937年テキサス州ヒューストン生まれの女性歌手であるジュエル・ブラウンは、太っちょのおばあちゃんだった。R&Bが出てくる前、ジャズやブルースの輪郭がまだ曖昧でもあったころのノリ(それはジャンプとか、ジャイヴとかいう言葉も引用できるか)も持つヴェテラン歌手で、かつてはルイ・アームストロングの楽団に入っていたことがあった。かつてダンスの場の音楽として機能したジャズの楽団は、華のある女性シンガーを雇うのが常でしたね。サッチモの1963年来日公演にも、彼女は同行。そのころの米国での共演映像も残されていて、さすが50年前だけに、そこでの彼女はおきゃんで可愛らしい。なるほど、“宝石”か。

 今回、彼女をサポートしたのは、ホンクな三管(テナー、バリトン、トロンボーン)やウッド・ベーシストを擁するレトロさをある種のパンクさ(昔のジョー・ジャクソンのジャッンピン・ジャイヴ・バンドをよりジャズっぽくした印象もあり)を介して披露するセクステットであるBloodset Saxophoneとピアニストの伊東ミキオ。彼らとブラウンはこのショウに先立ち、一緒に山中湖かどこかで合宿レコーディングをしたそう。

 下北沢・440。演奏陣がスウィンギン&ジャンピーに数曲披露した(何気に、ブラック・ミュージックに不可欠な綻び感を持つギター演奏がいい感じ)後に、ブラウンは登場。彼女を呼び出すMCをしたのは、彼女のアルバムも出しているオースティンの好ブルース・レーベル”ダイアルトーン”を切り盛りするエディ・スタウト(日本録音の今作も彼がプロデュースしているよう)。なんと彼、白いジャケットに蝶ネクタイと正装していた。

 そして、ブラウンが出てくると、かなりの入りの場内は割れるような歓声で迎える。それは曲間も同じであったのだが、それには出演者も鼓舞されたろう。いやあ、この晩のあの歓声の“熱い美しさ”は、ぼくが今年接する公演のなかで有数のものになるに違いない。

 1曲目は、スタンダードの「オール・オブ・ミー」。彼女は椅子に座って歌うが、こんなにアップ・テンポのこの曲に触れるのは初めて? とても張りのある声でガンガン歌を噛ましていくブラウンは生理的に雄弁。年輪を無条件で感じさせる味の濃さはさすがにして、すごい。面白いのは、曲間にもなんかわあわあとオフ・マイクで声を出していること。もう、ステージにいられるのがうれしくてしょうがないという感じ。彼女が歌う曲数はそんなに多くなかったが、その米国ブラック・ミュージックの根っこにあると書きたくなるガハハな味はうれしすぎる。かつ、これぞ珠玉のブラック・エンターテインメントという醍醐味にも溢れていて、聞く者をノックする。変わらなくていいもの、山ほど。2ヶ月近く前に見たディー・ディー・ブリッジウォーター(2014年5月3日)のことを諸手をあげてぼくは賞賛しているが、こういう人たちの下地があってこそのものとも、彼女に接していて思った。

 両者が無理なく重なっているのは、レコーディングをしたばかりなので驚きはしない。でも、笠置シヅ子の弾けた関西弁歌詞曲「買い物ブギー」を日本語で歌ったのにはびっくり。まったく、彼女の曲になっちゃってるぢゃん。これもレコーディングしたらしいが、よくぞ選曲したな。このカヴァーにも、ブラック・ミュージックのうれしい逞しさがありました。

▶過去の、ブリッジウォーター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200708270316020000/
http://43142.diarynote.jp/200812150311286788/
http://43142.diarynote.jp/20091181706108905/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/

<今日の、どうぞ安らかに>
 唯一無二のソウル導師、ボビー・ウォマック(2013年5月12日)が27日に死んじゃった。享年、70歳。その2週間前には、米国最大のロック・フェスティヴァルであるボナルーに出演していて、その際の写真は一部アップされてもいる。2日前に、マッスル・ショールズの映画のことを書いた(2014年6月26日)が、ウォマックもまたフェイム・スタジオの恩恵を受け、一方ではその名声を高めた人物でもあった。そして、同地のミュージシャン同様、ストーンズやストーンズ加入前のロニー・ウッドほかロック側名士にもいろいろ影響を与え、付き合いを持った人物。悲しみは本当に世界中に広がっているに違いない。彼には1995年に一度だけインタヴューをしたことがある(それ、スティーヴィー・ワンダーもロナルド・アイズレーもキース・リチャーズもチャーリー・ワッツもロッド・スチュワートもロニー・ウッドもゲスト入りしていた、『レザレクション』を出したとき)が、一度話しだしたら、見事に話が止まらなくなるタイプ。たしか1時間で質問を5、6個しか出来なかったが、“任侠”な内容は抜群におもしろかった。本当はそのときのインタヴューの起こしをここに載せたいが、当時のPCがクラッシュしていて不可能か。でも、あなたの豪快なマシンガン・トークは忘れません。

▶過去の、ボビー・ウォマック
http://43142.diarynote.jp/201305141107016872/

 米国西海岸ベイ・エリアの著名ラテン・ファミリア父娘が中心となるグループの公演を、まず南青山・ブルーノート東京で見る。

 ティンバレスやコンガを叩く父ピート・エスコヴェド(2011年1月19日)とドラムを叩くシーラ・E(2002年8月12日、2006年8月10日、2009年5月11日、2009年9月20日、2011年1月19日)を中心に、キーボード、ギター、電気ベース、サックス、トランペット、トロンボーンという布陣(みな、年齢は中年以上)のパフォーマンス。音楽的にはフュージョンぽい部分もあるのだが、ちゃんとラテン的な旨味を通っていることで、線の太さや、楽ないい加減さや、ワイルドさを維持。やっぱり、この界隈の奏者たちは皆うまいとも頷かされる。

 笑ったのは、各人の出音のデカさ。そんな楽器数は多くないのに、その総体はオーケストラと名乗るのもまあいっかと思える重厚さをそれなりに持つ。全体演奏のとき、皆の音がそれなりに確認できるかわりに、ソロになったときは、たとえば電気ピアノ音のキーボードの音質の無神経さは相当なもの。シーラの叩き口も、とっても獰猛。でも、そこかしかこら出てくる、気安くも弾んだノリで、ルンルンとなっちゃう。あ、ギターはけっこう技をもっていたな。

 サンタナ(2013年3月12日)を追うラテン・ビヨンド・バンドのアステカをやっていた1970年代前半とかはハード・ドラッグをコレもんできめていたと思われるピートさんではあるが、現在の白髪も似合う好々爺ぶりには、人間長生きするもんだアと思わされた? 彼は大好きな曲と言って、「マイ・ウェイ」も歌ったが、これはシーラも入った同様編成によるピートのコンコード発2013年ライヴ盤にも入っている。シーラはドラム・ソロとともに、コンガのソロも披露。毎度ティンバレスのソロには触れてきたが、彼女のコンガ・ソロは初めて聞くかも。

▶過去の、ピート・エスコヴェド
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http://43142.diarynote.jp/201101231220535615/
▶過去の、シーラ・E
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200608111021270000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090511
http://43142.diarynote.jp/?day=20090920
http://43142.diarynote.jp/201101231220535615/
▶過去の、サンタナ
http://43142.diarynote.jp/201303211531189619/

 その後は、丸の内・コットンクラブで、ビアンカ・ジスモンチのトリオ公演を見る。そのファミリー・ネームが示唆するように、ブラジルの鬼才エグベルト・ジスモンチ(2008年7月3日、2013年3月27日)の娘さん。お兄さんは、エグベルトと一緒に昨年やってきたギタリストのアレシャンドレ・ジスモンチですね。

 見た目はパっとしないリズム・セクションの同胞おっさんたちと登場したビアンカは、とっても綺麗。わあ、写真以上。そして、痩身で長身。黒髪で、なんかスペインの血が入っているんじゃないかと思わせるところもアリ。そして、その外見に合ったアイス・ドールなノリを彼女は持っていて、歓声に大きく応えることはせず。それは、無愛想な感じともつながるが、それゆえふと見せる表情からなんかいい人かもと思わる部分も持つ。ドラマーはレベッカの旦那さんだと言う人がいたが、そうならば、世の男性に勇気を与える? な〜んてね。

 ピアノを弾くと兄同様、すぐにクラシックのトレーニングを受けていることを示唆。そして、美意識と創意が交錯したフックを持つ楽曲をなぞり、電気ベースとドラムが後を追うように付いて行く。思っていたより即興度数は高くなく、仕掛けある曲が流れて行く様は、プログ・ロック的と思わせられもしたか。あと、いくつかの曲は往年のデイヴ・グルーシンのような味を感じさせる。ベーシストが裏声で詠唱する場面もあり。ビアンカも時に歌ったが、ベーシストも彼女と同じぐらい歌った。ビアンカの歌声は低く、太い。ちょい音程の甘さを覚えさせもするが、ルックスが勝るし、そこにある種の荘厳さが入るのがポイントだ。アンコールでは弾き語りも、彼女は見せた。

▶過去の、ジスモンチ
http://43142.diarynote.jp/200807041128510000/
http://43142.diarynote.jp/201303290753133066/


<今日の、親バカ>
 そっかー、今日の二つの公演は、ともに実力者である父を持つ娘が出たものであったのね。ブルーノート東京のほうは、アハハてなくらい、父と娘が笑顔で讃えまくり。親父は娘に向かって、ビューティフルを連発。一方のビアンカは25年前に、兄のアレシャドレらと一緒に父親のアルバムに幼いヴォイスで参加したことがあった。エグベルトのシンセサイザー音多用の電波作、『アマゾニア』(ECMを通して流通している)。それを聞くと、エグベルトも何気に親バカと思わせる。一時代を築いた名手は自信満々で、血を分けた子女たちにも自ら太鼓判ということなのだろうか。とともに、シーラもビアンカも偉大な父親を持っていることをプレッシャーに感じず、ラッキーと思い、自分の道を進んでいるようなところはある? って、シーラはプリンス(2002年11月19日)・ファミリー入りし、全米2位曲(「ザ・グラマラス・ライフ」)も出すなど、数字的には父親よりもよほど大きな成功を収めているわけだが。

▶過去のプリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm