1937年テキサス州ヒューストン生まれの女性歌手であるジュエル・ブラウンは、太っちょのおばあちゃんだった。R&Bが出てくる前、ジャズやブルースの輪郭がまだ曖昧でもあったころのノリ(それはジャンプとか、ジャイヴとかいう言葉も引用できるか)も持つヴェテラン歌手で、かつてはルイ・アームストロングの楽団に入っていたことがあった。かつてダンスの場の音楽として機能したジャズの楽団は、華のある女性シンガーを雇うのが常でしたね。サッチモの1963年来日公演にも、彼女は同行。そのころの米国での共演映像も残されていて、さすが50年前だけに、そこでの彼女はおきゃんで可愛らしい。なるほど、“宝石”か。

 今回、彼女をサポートしたのは、ホンクな三管(テナー、バリトン、トロンボーン)やウッド・ベーシストを擁するレトロさをある種のパンクさ(昔のジョー・ジャクソンのジャッンピン・ジャイヴ・バンドをよりジャズっぽくした印象もあり)を介して披露するセクステットであるBloodset Saxophoneとピアニストの伊東ミキオ。彼らとブラウンはこのショウに先立ち、一緒に山中湖かどこかで合宿レコーディングをしたそう。

 下北沢・440。演奏陣がスウィンギン&ジャンピーに数曲披露した(何気に、ブラック・ミュージックに不可欠な綻び感を持つギター演奏がいい感じ)後に、ブラウンは登場。彼女を呼び出すMCをしたのは、彼女のアルバムも出しているオースティンの好ブルース・レーベル”ダイアルトーン”を切り盛りするエディ・スタウト(日本録音の今作も彼がプロデュースしているよう)。なんと彼、白いジャケットに蝶ネクタイと正装していた。

 そして、ブラウンが出てくると、かなりの入りの場内は割れるような歓声で迎える。それは曲間も同じであったのだが、それには出演者も鼓舞されたろう。いやあ、この晩のあの歓声の“熱い美しさ”は、ぼくが今年接する公演のなかで有数のものになるに違いない。

 1曲目は、スタンダードの「オール・オブ・ミー」。彼女は椅子に座って歌うが、こんなにアップ・テンポのこの曲に触れるのは初めて? とても張りのある声でガンガン歌を噛ましていくブラウンは生理的に雄弁。年輪を無条件で感じさせる味の濃さはさすがにして、すごい。面白いのは、曲間にもなんかわあわあとオフ・マイクで声を出していること。もう、ステージにいられるのがうれしくてしょうがないという感じ。彼女が歌う曲数はそんなに多くなかったが、その米国ブラック・ミュージックの根っこにあると書きたくなるガハハな味はうれしすぎる。かつ、これぞ珠玉のブラック・エンターテインメントという醍醐味にも溢れていて、聞く者をノックする。変わらなくていいもの、山ほど。2ヶ月近く前に見たディー・ディー・ブリッジウォーター(2014年5月3日)のことを諸手をあげてぼくは賞賛しているが、こういう人たちの下地があってこそのものとも、彼女に接していて思った。

 両者が無理なく重なっているのは、レコーディングをしたばかりなので驚きはしない。でも、笠置シヅ子の弾けた関西弁歌詞曲「買い物ブギー」を日本語で歌ったのにはびっくり。まったく、彼女の曲になっちゃってるぢゃん。これもレコーディングしたらしいが、よくぞ選曲したな。このカヴァーにも、ブラック・ミュージックのうれしい逞しさがありました。

▶過去の、ブリッジウォーター
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200708270316020000/
http://43142.diarynote.jp/200812150311286788/
http://43142.diarynote.jp/20091181706108905/
http://43142.diarynote.jp/201405051105329639/

<今日の、どうぞ安らかに>
 唯一無二のソウル導師、ボビー・ウォマック(2013年5月12日)が27日に死んじゃった。享年、70歳。その2週間前には、米国最大のロック・フェスティヴァルであるボナルーに出演していて、その際の写真は一部アップされてもいる。2日前に、マッスル・ショールズの映画のことを書いた(2014年6月26日)が、ウォマックもまたフェイム・スタジオの恩恵を受け、一方ではその名声を高めた人物でもあった。そして、同地のミュージシャン同様、ストーンズやストーンズ加入前のロニー・ウッドほかロック側名士にもいろいろ影響を与え、付き合いを持った人物。悲しみは本当に世界中に広がっているに違いない。彼には1995年に一度だけインタヴューをしたことがある(それ、スティーヴィー・ワンダーもロナルド・アイズレーもキース・リチャーズもチャーリー・ワッツもロッド・スチュワートもロニー・ウッドもゲスト入りしていた、『レザレクション』を出したとき)が、一度話しだしたら、見事に話が止まらなくなるタイプ。たしか1時間で質問を5、6個しか出来なかったが、“任侠”な内容は抜群におもしろかった。本当はそのときのインタヴューの起こしをここに載せたいが、当時のPCがクラッシュしていて不可能か。でも、あなたの豪快なマシンガン・トークは忘れません。

▶過去の、ボビー・ウォマック
http://43142.diarynote.jp/201305141107016872/