under current(F.I. B. JOURNAL+松岡亮)。バーシア
2009年10月18日 音楽 前日は食事/飲みやライヴの予定もなく、久しぶりに日暮れ以降も家にいて、お酒も飲まず、早々に床につく。そしたら、明けて2時すぎに、ヤな夢で目がさめる。以下は、その悪夢の概要……。
場所は、居住するマンションの駐車場。が、ぼくはクルマではなくスクーターで外出しようとして、まず居住者が運転しているだろうメルセデスに後からぶつかる。ありゃ。と、思う間もなく、続いて黄色いフェラーリのボンネットの上を走っちゃう。両者、激しくはないものの、ヘコんだり傷がついたりしたはず。呆然とするぼくに、フェラーリから眼鏡をかけたおっさんが出てきて、ニヤニヤしながら親し気に「佐藤さん、やっちゃいましたねえ」。ぼくは、「すみません。修理代、結構かかりますよね」。すると、彼は当然と頷く。よく見ると、そのフェラーリにはそれぞれのパーツに二桁や三桁の万単位の値札がいっぱい付けられている。保険使えばなんとかなるかと思いつつ、いけねえ、俺は車ではなくスクーターで事故っていると気付く。かつては実生活において車とスクーターを併用していたが、数年前からスクーターはやめて、その次の年の更新から車の保険から原付バイクの保険を抜いたはず。で、夢のなかで、その事実になぜか気がつき、ガビーンとなる。えーん、オレ自力で修理代はらわなきゃいけないの。そして、いったい2台ぶんでいくらかかるのか、とか考え、気持ち悪くなって目がさめたのだった。
えーんやだよー、こんな夢。他愛ない夢ばかり見ている(はず)のぼくにしては、最大級の悪夢。現実のマンションの駐車場は地上にあるが夢では地下にあったり、実際フェラーリなんか乗っている居住者がいるはずもなく。さて、この夢はいかなる深層心理の反映か。マジメに早寝したのが、そもそもの間違いか。今年、マンションの管理組合の役員をやっている事(基本、月一回の理事会に出るだけだが、プレッシャーあり)と関係ありか。なんにせよ、気がおおいに萎え、悲しい気分になる。修理代はらったことにして、快楽的に散在せよという、神のお告げか。あはは。
というわけで、そのまま起きたため、睡眠不足のため夕方にはもうふらふら。で、まずは渋谷・playroomでのunder currentというイヴェントに行く。同イヴェントの主催者の一人が率いるF.I. B. JOURNALと画家の松岡亮のコラボレーション。会場の背には一面に白い布が張ってあり、実演が始まると布の奥から絵を描きだし来場者はそれを布ごしに見て、抽象画が完成していく様をリアル・タイムで受けるという案配。
バンドの演奏を聞き、すぐにこのドラマーのことは何度も聞いたことがあるゾと思う。もう、刻みの様が立体的と言いたくなるそれはかなり魅力的で個性があるもの。知人に聞いたら、phat(2003年3月6日、他)にいた沼直也。そりゃ、聞き覚えがあるはずだ。俺、彼のソロ演奏なら1時間でも笑顔で聞いていられるゾ。今回、彼の演奏を目の当たりにして、どこかUKの名ドラマーのリチャード・ベイリー(ジェフ・ベック、アネット・ピーコック、インコグニート、スティーヴ・ウィンウッド作などで印象的な演奏を披露)と繋がる部分を感じたかな。オレがミュージシャンだったら、一緒にやりたいドラマーの上位に彼の名前を置きたい。というのはともかく、彼がロンドンに行けば、すぐに売れっ子セッション・マンになれるんじゃないだろうか。
そんな彼とリズム隊を組むのは、エゴ・ラッピン(2005年7月31日、2006年12月13日、2009年8月8日、他)やハナレグミ(2008年11月14日)らをサポートしているウッド・ベース奏者の真船勝博。もう二人で、ごんごん突き進むリズム・セクション音に、シング・トーク(多くは、非日本語と思う)/ギター/サンプラー(少し)の山崎円城が重なりF.B.I. JOURNALの表現は成り立つが、その編成はいちおうG・ラヴ&ザ・スペシャル・ソース(2006年10月23日、他)と同じなんだな。まあ、ぼくがその音を簡単に説明するなら、ザ・スペシャル・ソース表現からブルージィさとポップ性を抜いてよりハード・ボイルド度数とインプロ指数を高めた感じ、とするだろうか。いろんなものを好奇心旺盛に結びつけて提供しようとする“under current”は9月に続いて2度目をなるよう。
その後は、南青山・ブルーノート東京で、ポーランド出身の女性シンガーのバーシアを見る(セカンド・ショウ)。大昔に英国洒脱ポップ・ユニットのマット・ビアンコ(2001年2月5日)にいて知名度を得て、その同僚にして旦那のダニー・ホワイトとともに80年代後半からソロ活動をしている人。もちろんをホワイトを伴ってのパフォーマンスだが、けっこう彼は堂にいったジャズ的な鍵盤ソロをとっていたな。他に、サポートは生ギター(曲によっては、電気ベースも。イタリア人である彼はソロ演奏のパートを与えられたときには、フラメンコ調のそれを披露)、打楽器/トランペット、二人の女性シンガー。うまく開かれた各曲は、その編成で十分じゃんと思わせるもの。で、その大きな一助となっていたのが、二人のバックグラウンド・シンガー。顔も似ている彼女たちは姉妹のようだが、その重なりが実にいい感じで、それが確実に曲趣をもりあげていて、感心。なんか、女性歌手+女性コーラスという編成もいいのだナと認識させられてしまいました。それから印象に残ったのは、出演者同士の仲の良さのようなもの。それぞれにフィーチャーされる部分もあったというのは別にしても、我らファミリーといった感じのこなれた雰囲気(見せかけとしても、それはプロだった)は確実にショウの輝きを3割増しにしていたはずだ。演目はボサノヴァぽい曲が少なくなかったが、ジョビンの「3月の雨」をやったりも。ジョビン曲なかで、ぼくはこの曲が一番好きだな(たぶん)。
今日は、その後しっかり、2時まで飲まさせていただきました。
場所は、居住するマンションの駐車場。が、ぼくはクルマではなくスクーターで外出しようとして、まず居住者が運転しているだろうメルセデスに後からぶつかる。ありゃ。と、思う間もなく、続いて黄色いフェラーリのボンネットの上を走っちゃう。両者、激しくはないものの、ヘコんだり傷がついたりしたはず。呆然とするぼくに、フェラーリから眼鏡をかけたおっさんが出てきて、ニヤニヤしながら親し気に「佐藤さん、やっちゃいましたねえ」。ぼくは、「すみません。修理代、結構かかりますよね」。すると、彼は当然と頷く。よく見ると、そのフェラーリにはそれぞれのパーツに二桁や三桁の万単位の値札がいっぱい付けられている。保険使えばなんとかなるかと思いつつ、いけねえ、俺は車ではなくスクーターで事故っていると気付く。かつては実生活において車とスクーターを併用していたが、数年前からスクーターはやめて、その次の年の更新から車の保険から原付バイクの保険を抜いたはず。で、夢のなかで、その事実になぜか気がつき、ガビーンとなる。えーん、オレ自力で修理代はらわなきゃいけないの。そして、いったい2台ぶんでいくらかかるのか、とか考え、気持ち悪くなって目がさめたのだった。
えーんやだよー、こんな夢。他愛ない夢ばかり見ている(はず)のぼくにしては、最大級の悪夢。現実のマンションの駐車場は地上にあるが夢では地下にあったり、実際フェラーリなんか乗っている居住者がいるはずもなく。さて、この夢はいかなる深層心理の反映か。マジメに早寝したのが、そもそもの間違いか。今年、マンションの管理組合の役員をやっている事(基本、月一回の理事会に出るだけだが、プレッシャーあり)と関係ありか。なんにせよ、気がおおいに萎え、悲しい気分になる。修理代はらったことにして、快楽的に散在せよという、神のお告げか。あはは。
というわけで、そのまま起きたため、睡眠不足のため夕方にはもうふらふら。で、まずは渋谷・playroomでのunder currentというイヴェントに行く。同イヴェントの主催者の一人が率いるF.I. B. JOURNALと画家の松岡亮のコラボレーション。会場の背には一面に白い布が張ってあり、実演が始まると布の奥から絵を描きだし来場者はそれを布ごしに見て、抽象画が完成していく様をリアル・タイムで受けるという案配。
バンドの演奏を聞き、すぐにこのドラマーのことは何度も聞いたことがあるゾと思う。もう、刻みの様が立体的と言いたくなるそれはかなり魅力的で個性があるもの。知人に聞いたら、phat(2003年3月6日、他)にいた沼直也。そりゃ、聞き覚えがあるはずだ。俺、彼のソロ演奏なら1時間でも笑顔で聞いていられるゾ。今回、彼の演奏を目の当たりにして、どこかUKの名ドラマーのリチャード・ベイリー(ジェフ・ベック、アネット・ピーコック、インコグニート、スティーヴ・ウィンウッド作などで印象的な演奏を披露)と繋がる部分を感じたかな。オレがミュージシャンだったら、一緒にやりたいドラマーの上位に彼の名前を置きたい。というのはともかく、彼がロンドンに行けば、すぐに売れっ子セッション・マンになれるんじゃないだろうか。
そんな彼とリズム隊を組むのは、エゴ・ラッピン(2005年7月31日、2006年12月13日、2009年8月8日、他)やハナレグミ(2008年11月14日)らをサポートしているウッド・ベース奏者の真船勝博。もう二人で、ごんごん突き進むリズム・セクション音に、シング・トーク(多くは、非日本語と思う)/ギター/サンプラー(少し)の山崎円城が重なりF.B.I. JOURNALの表現は成り立つが、その編成はいちおうG・ラヴ&ザ・スペシャル・ソース(2006年10月23日、他)と同じなんだな。まあ、ぼくがその音を簡単に説明するなら、ザ・スペシャル・ソース表現からブルージィさとポップ性を抜いてよりハード・ボイルド度数とインプロ指数を高めた感じ、とするだろうか。いろんなものを好奇心旺盛に結びつけて提供しようとする“under current”は9月に続いて2度目をなるよう。
その後は、南青山・ブルーノート東京で、ポーランド出身の女性シンガーのバーシアを見る(セカンド・ショウ)。大昔に英国洒脱ポップ・ユニットのマット・ビアンコ(2001年2月5日)にいて知名度を得て、その同僚にして旦那のダニー・ホワイトとともに80年代後半からソロ活動をしている人。もちろんをホワイトを伴ってのパフォーマンスだが、けっこう彼は堂にいったジャズ的な鍵盤ソロをとっていたな。他に、サポートは生ギター(曲によっては、電気ベースも。イタリア人である彼はソロ演奏のパートを与えられたときには、フラメンコ調のそれを披露)、打楽器/トランペット、二人の女性シンガー。うまく開かれた各曲は、その編成で十分じゃんと思わせるもの。で、その大きな一助となっていたのが、二人のバックグラウンド・シンガー。顔も似ている彼女たちは姉妹のようだが、その重なりが実にいい感じで、それが確実に曲趣をもりあげていて、感心。なんか、女性歌手+女性コーラスという編成もいいのだナと認識させられてしまいました。それから印象に残ったのは、出演者同士の仲の良さのようなもの。それぞれにフィーチャーされる部分もあったというのは別にしても、我らファミリーといった感じのこなれた雰囲気(見せかけとしても、それはプロだった)は確実にショウの輝きを3割増しにしていたはずだ。演目はボサノヴァぽい曲が少なくなかったが、ジョビンの「3月の雨」をやったりも。ジョビン曲なかで、ぼくはこの曲が一番好きだな(たぶん)。
今日は、その後しっかり、2時まで飲まさせていただきました。