サマーソニック08
2008年8月10日 高速道路が混んでおらず、別に飛ばしたわけではないのに、これまでで一番早く(40分ぐらいかな)幕張メッセに着く。到着は13時過ぎ。が、リストバンド交換デスクに近い、ぼくが基本つかう県営第一駐車場は満杯で、入り口がブロックされている。こんなこと、初めて。しょうがないから、少し高くなるけど隣の民営駐車場に入れる。こちらは半分以下しか埋まってなかった。
まずはメッセ内会場を慣らしで、ソニック、ダンス、マウンテンの各ステージや食べ物売店やアトラクションのエリアなどをブラブラ。マウンテン・ステージは2画分ぶちぬいてて相当でかい。って、去年もそうだったっけか。後でタイムテーブルと照らし合わせてみると、ミュートマス、ジ・ティーン・ネイジャーズ、ポリシックス(下北沢で、リーダーくんとは某先輩を挟んで飲んだことあったな)などを見たはず。ミュートマスはザ・ポリスのフォロワー度濃厚ながらニューオーリンズのバンドということでそれなりに期待していたが、あれが本当にミュートマスだったのだろうか。後ろのほうでぼうっと短時間見ただけだと、ぜんぜん分からなかった。
それにしても、なんでメッセ内会場はあんなに照明が暗めなんだろう。なんか気が滅入ってきて(多分に嘘)、陽光注ぐマリン・スタジアムの方のエリアに向かう。普段は連絡バスを使っていたが、この時はなぜか歩いていこうという気持ちになった。球場手前に川を挟んでシーサイド・ヴィレッジとサイレント・ディスコというスペースがあったので少しチェック。シーサイド・ヴィレッジはけっこう広いスペースで横のほうテントが張ってあったりもしていたが、それは誰が使っているのだろう? サマソニはキャンプは許容してないよな? そこでは、柔いアゲアゲ曲をやっている日本人アーティストがやっていて、かなり客が沸いていた。サイレント・ディスコのほうはアララ。音楽が出ていないなか、ヘッドフォン(入り口のところで、渡していたよう)をした人々が首を振ったり、身体をゆすったり。なかなかにシュールな光景で笑えるが、その一団の一員になるのはごめん被りたいぞと即思う。それに、夏の冷房の効いていないところでヘッドフォンなんかしたらすぐに汗を吹き出るはずで、他人の汗がついたものを耳や髪に触れさせるのも勘弁と思った。それ、入り口の所で得た所感だが、それはぼくの勘違いで、実際は全然違うシステムなのだろうか。
そして、球場の横から入るサマーソニックの僕のお気に入り会場であるビーチ・ステージへ。あんなに海(今年は例年になく多くの船が沖に見えたナ)が汚いのに、やっぱりうきうきできる会場。横のハーフ・パイプがある所でマイケル・フランティ(2006年10月5日、他)がかかっていてより個人的に盛り上がる。そこで見たのはカナダの3人組のベドゥイン・サウンド・クラッシュ(2007年1月19日)だったのだが、これは良かったナ。レゲエとパンクっぽいロックの間を行き来するその音楽性と場のノリが滅茶苦茶合致していて。とともに、サウンドはより肉感的だったりし、ザ・ポリス趣味が影を潜め、でも歌心や存在感を増していたりして、前回の実演時のときよりかなり成長していた。佇まい良好、これは彼らの事を知らない人にも立ち止まらせる力を持っていたはず。拍手!
再び、メッセ。この頃にはけっこう身体はダルくなってくる。ブンブンサテライツ(2002年11月16日。昨年秋にインタヴューをやって、ぼくの好感度は上がりました)、スーパー・ファリー・アニマルズ(2001年10月19日、2005年10月18日。1曲、ロキシー・ミュージック『アヴァロン』あたりに入ってそうな曲をやったな)、ニュー・ヤング・ポニー・クラブなどを覗く。ちゃんとした食事は例年のごとく、会場向かいのビル2階のレストラン街で落ち着いてとる。
その後、また球場に行き、アリシア・キーズをじっくりと見る。ああ、やっと彼女が見れた。実はワタクシ、キーズ嬢にはかなりの思い入れを持っている。………それについては、この項の最後につけた、<車の中にあった、魔法のR&B……。>というタイトルでbmr誌に書いた彼女のライヴ盤をネタにしたコラム原稿を参照してくださいナ。
そのパフォーマンスはコーラス隊や管奏者を含む10人はいたろうこなれたバンドを従えてのもの。最初、彼女は基本マイクを持って歌う(ステージ左右にキーボードが置いてあり、ときにそれを弾いたりも)。その場合、過去の先達表現を俯瞰し、それを統合しつつ、彼女なりの開かれたポップスとして送り出すという感じが強くでたか(アイザック・ヘイズやスライ・ストーンなどの断片を差し込んだりも)。中盤になると、ピアノを弾きながら歌い、旧来のイメージに近い実演となる。なんにせよ、声はよく聞こえるし、溌剌としているし、さすが。どこか温いと感じさせるところもなくはなかったようにも思えたが(それは、期待が大きかった事や、球場のスタンドから見ていたこともあったか。会場のヴィジョンが小さかったな)、新時代のソウル・ウーマンとしての矜持はちゃんと溢れていたはず。その様を見ていて、今年のフジ・ロックはスティーヴィー・ワンダー(2005年11月3日)の出演が決まりかけていたこと(結局、ギャラの面で折り合いがつかなかったよう)を思い出した。
込み合うなか球場を出るのが嫌だったのと、やはりカフェ・タクーバを見ておきたかったので、キーズの終盤にビーチに向かう。昨年の公演のときに書いたよう(2007年11月3日)に、ぼくは彼らを応援したいのダ。で、これがまた質の高いパフォーマンスを展開しててびっくり。近くでダイレクト感たっぷりに見れたということを差し引いても、昨年の2倍はグっと来るライヴだったな。リズム音はグルーヴあるし、他の楽器音にせよ、歌(やコーラス)にせよ、こいつらは上手いと今回は実感できた。だから、彼ら特有の洒脱なポップネスやひねりは伝わりやすいし、ときに入る遊び心あふれるお茶目なメンバー一丸の振り付けも実に嵌まる。これなら、誰が見てもメキシコの大人気バンド(まじ、そうなんですう)であることや、メキシコは侮れぬ国であることを感じることができたのではないか。それにしても、少ないというしかない観客数(たぶん、彼らにとってここ15年で一番観客数の少ないライヴだったのでは)でも、誠心誠意ぶちかました彼らは素晴らしい。
その後、球場横の駐車場に作られたアイランド・ステージに立ち寄る。フジ・ロックのレッド・マーキーみたいな、白色のテント・ステージ。入ってすぐに、白色でも昼間だと熱くてもう大変な会場ではないかと思う。やっていたのはオーストラリアの3人組、リヴィング・エンド。ぼくの中ではロカビリー色の強い(ベーシストはスタンダップを使用する)発散のバンドという印象があったが、もっとロック色を強めていたな。レッド・ツェッペリンのカヴァーも飛び出した。
コールドプレイ(2006年7月18日)は込むだろうからパス、ほんとうはメッセにもう一度戻って、ザ・ジーザズ・アンド・メリー・チェインとかをチェックしたかったがけっこう疲労を感じたので、帰るのを選択。そして、都心に入ると豪雨。その後の、幕張はどうだったのだろう。家でソックスを脱ぐと、足に豆が出来ていた。トホホ、過剰には歩いてないのに。
<bmr誌2006年11月号より>
去年、一番聞いたアルバムは?
普段から生ぬる〜く、鬼のように注意散漫に生きている私ではあるが、その問いにはすぐに答えられる。アリシア・キーズの『アンプラグド』だ。本当に良く聞いたし、もしかして世田谷区で一番あのアルバムの中身に感じ入った人間なのではなのか。そんなふうに思ったりもする。
その理由は明快だ。ちょうどリリースを控えていた頃にそのテスト盤が車のなかに置かれていて、そんな折りに父親が死んだからだ。……では、まるで説明になってないな。もう少しちゃんと書くと、10月4日朝に父が亡くなったと母親から電話を受けて、すぐに車に飛び乗り実家に帰り、そのまま喪主をぼくは務めた。葬式後も、何度も実家と自宅を往復した。そして、その度に頻繁に車のなかで流されたのがアリシア・キーズの新作だったのだ。他にも、ロックやジャズのアルバムも車のなかにはあった。だが、ダークなぼくをもっとも優しく包んでくれ、癒しの感覚を与えてくれたのは彼女の表現だったのだ。
ああ、R&Bってなんて人間的でテンダーで味わい深いのか。ぼくは身を持ってR&Bが持つ効用の凄さを実感した。R&Bの有り難みが身に染みた。大げさに書けば、ぼくはあのときR&Bの内実を初めて受け取ったのではないのか。そう感じるぐらい、そのときのアリシア・キーズの表現はぼくにとってありがたかった。そして、ぼくは音楽の持つ力というものもものすごーく実感した。いや、せざるを得なかった。でもって、音楽を紹介できる仕事をしていて良かったとも思わせられたかな。
もしかすると、アレサ・フランクリン(キーズを聞いて、フランクリンぽいと思ったもんな)でもオーティス・レディングでも(だけど、彼のアップ曲だと、ぼくはヘヴィに感じたかな?)同じように大きく感じ入ったのかもしれないが、豊かな伝統をしっかりと受け止め、それをハタチ半ばの送り手なりの前を見たものとして瑞々しく出している様が傷心のぼくを勇気づけてくれたのだと思う。また、きっちりと個体の存在があからさまになるアンプラグドというしっとり様式もまた大きくプラスに働いたのは間違いない。
かようにぼくの心の中に入り込んだアリシア・キーズの『アンプラグド』ではあったのだが、ぼくはまだ同ソースの映像商品は見ていない。それは、ぼくのなかで彼女の『アンプラグド』は音盤だけで完結しちゃっているからか。それとも、同作は去年の10月のクルマのなかにあった魔法の音楽(まさしく!)として、ぼくのなかに留めておきたいからかもしれない。
ああ、10月1日は一周忌。この原稿は9月中に書いているのだが、ぼくは『アンプラグド』を実家やお墓を行き来するクルマのなかに入れようかどうか迷っている。
まずはメッセ内会場を慣らしで、ソニック、ダンス、マウンテンの各ステージや食べ物売店やアトラクションのエリアなどをブラブラ。マウンテン・ステージは2画分ぶちぬいてて相当でかい。って、去年もそうだったっけか。後でタイムテーブルと照らし合わせてみると、ミュートマス、ジ・ティーン・ネイジャーズ、ポリシックス(下北沢で、リーダーくんとは某先輩を挟んで飲んだことあったな)などを見たはず。ミュートマスはザ・ポリスのフォロワー度濃厚ながらニューオーリンズのバンドということでそれなりに期待していたが、あれが本当にミュートマスだったのだろうか。後ろのほうでぼうっと短時間見ただけだと、ぜんぜん分からなかった。
それにしても、なんでメッセ内会場はあんなに照明が暗めなんだろう。なんか気が滅入ってきて(多分に嘘)、陽光注ぐマリン・スタジアムの方のエリアに向かう。普段は連絡バスを使っていたが、この時はなぜか歩いていこうという気持ちになった。球場手前に川を挟んでシーサイド・ヴィレッジとサイレント・ディスコというスペースがあったので少しチェック。シーサイド・ヴィレッジはけっこう広いスペースで横のほうテントが張ってあったりもしていたが、それは誰が使っているのだろう? サマソニはキャンプは許容してないよな? そこでは、柔いアゲアゲ曲をやっている日本人アーティストがやっていて、かなり客が沸いていた。サイレント・ディスコのほうはアララ。音楽が出ていないなか、ヘッドフォン(入り口のところで、渡していたよう)をした人々が首を振ったり、身体をゆすったり。なかなかにシュールな光景で笑えるが、その一団の一員になるのはごめん被りたいぞと即思う。それに、夏の冷房の効いていないところでヘッドフォンなんかしたらすぐに汗を吹き出るはずで、他人の汗がついたものを耳や髪に触れさせるのも勘弁と思った。それ、入り口の所で得た所感だが、それはぼくの勘違いで、実際は全然違うシステムなのだろうか。
そして、球場の横から入るサマーソニックの僕のお気に入り会場であるビーチ・ステージへ。あんなに海(今年は例年になく多くの船が沖に見えたナ)が汚いのに、やっぱりうきうきできる会場。横のハーフ・パイプがある所でマイケル・フランティ(2006年10月5日、他)がかかっていてより個人的に盛り上がる。そこで見たのはカナダの3人組のベドゥイン・サウンド・クラッシュ(2007年1月19日)だったのだが、これは良かったナ。レゲエとパンクっぽいロックの間を行き来するその音楽性と場のノリが滅茶苦茶合致していて。とともに、サウンドはより肉感的だったりし、ザ・ポリス趣味が影を潜め、でも歌心や存在感を増していたりして、前回の実演時のときよりかなり成長していた。佇まい良好、これは彼らの事を知らない人にも立ち止まらせる力を持っていたはず。拍手!
再び、メッセ。この頃にはけっこう身体はダルくなってくる。ブンブンサテライツ(2002年11月16日。昨年秋にインタヴューをやって、ぼくの好感度は上がりました)、スーパー・ファリー・アニマルズ(2001年10月19日、2005年10月18日。1曲、ロキシー・ミュージック『アヴァロン』あたりに入ってそうな曲をやったな)、ニュー・ヤング・ポニー・クラブなどを覗く。ちゃんとした食事は例年のごとく、会場向かいのビル2階のレストラン街で落ち着いてとる。
その後、また球場に行き、アリシア・キーズをじっくりと見る。ああ、やっと彼女が見れた。実はワタクシ、キーズ嬢にはかなりの思い入れを持っている。………それについては、この項の最後につけた、<車の中にあった、魔法のR&B……。>というタイトルでbmr誌に書いた彼女のライヴ盤をネタにしたコラム原稿を参照してくださいナ。
そのパフォーマンスはコーラス隊や管奏者を含む10人はいたろうこなれたバンドを従えてのもの。最初、彼女は基本マイクを持って歌う(ステージ左右にキーボードが置いてあり、ときにそれを弾いたりも)。その場合、過去の先達表現を俯瞰し、それを統合しつつ、彼女なりの開かれたポップスとして送り出すという感じが強くでたか(アイザック・ヘイズやスライ・ストーンなどの断片を差し込んだりも)。中盤になると、ピアノを弾きながら歌い、旧来のイメージに近い実演となる。なんにせよ、声はよく聞こえるし、溌剌としているし、さすが。どこか温いと感じさせるところもなくはなかったようにも思えたが(それは、期待が大きかった事や、球場のスタンドから見ていたこともあったか。会場のヴィジョンが小さかったな)、新時代のソウル・ウーマンとしての矜持はちゃんと溢れていたはず。その様を見ていて、今年のフジ・ロックはスティーヴィー・ワンダー(2005年11月3日)の出演が決まりかけていたこと(結局、ギャラの面で折り合いがつかなかったよう)を思い出した。
込み合うなか球場を出るのが嫌だったのと、やはりカフェ・タクーバを見ておきたかったので、キーズの終盤にビーチに向かう。昨年の公演のときに書いたよう(2007年11月3日)に、ぼくは彼らを応援したいのダ。で、これがまた質の高いパフォーマンスを展開しててびっくり。近くでダイレクト感たっぷりに見れたということを差し引いても、昨年の2倍はグっと来るライヴだったな。リズム音はグルーヴあるし、他の楽器音にせよ、歌(やコーラス)にせよ、こいつらは上手いと今回は実感できた。だから、彼ら特有の洒脱なポップネスやひねりは伝わりやすいし、ときに入る遊び心あふれるお茶目なメンバー一丸の振り付けも実に嵌まる。これなら、誰が見てもメキシコの大人気バンド(まじ、そうなんですう)であることや、メキシコは侮れぬ国であることを感じることができたのではないか。それにしても、少ないというしかない観客数(たぶん、彼らにとってここ15年で一番観客数の少ないライヴだったのでは)でも、誠心誠意ぶちかました彼らは素晴らしい。
その後、球場横の駐車場に作られたアイランド・ステージに立ち寄る。フジ・ロックのレッド・マーキーみたいな、白色のテント・ステージ。入ってすぐに、白色でも昼間だと熱くてもう大変な会場ではないかと思う。やっていたのはオーストラリアの3人組、リヴィング・エンド。ぼくの中ではロカビリー色の強い(ベーシストはスタンダップを使用する)発散のバンドという印象があったが、もっとロック色を強めていたな。レッド・ツェッペリンのカヴァーも飛び出した。
コールドプレイ(2006年7月18日)は込むだろうからパス、ほんとうはメッセにもう一度戻って、ザ・ジーザズ・アンド・メリー・チェインとかをチェックしたかったがけっこう疲労を感じたので、帰るのを選択。そして、都心に入ると豪雨。その後の、幕張はどうだったのだろう。家でソックスを脱ぐと、足に豆が出来ていた。トホホ、過剰には歩いてないのに。
<bmr誌2006年11月号より>
去年、一番聞いたアルバムは?
普段から生ぬる〜く、鬼のように注意散漫に生きている私ではあるが、その問いにはすぐに答えられる。アリシア・キーズの『アンプラグド』だ。本当に良く聞いたし、もしかして世田谷区で一番あのアルバムの中身に感じ入った人間なのではなのか。そんなふうに思ったりもする。
その理由は明快だ。ちょうどリリースを控えていた頃にそのテスト盤が車のなかに置かれていて、そんな折りに父親が死んだからだ。……では、まるで説明になってないな。もう少しちゃんと書くと、10月4日朝に父が亡くなったと母親から電話を受けて、すぐに車に飛び乗り実家に帰り、そのまま喪主をぼくは務めた。葬式後も、何度も実家と自宅を往復した。そして、その度に頻繁に車のなかで流されたのがアリシア・キーズの新作だったのだ。他にも、ロックやジャズのアルバムも車のなかにはあった。だが、ダークなぼくをもっとも優しく包んでくれ、癒しの感覚を与えてくれたのは彼女の表現だったのだ。
ああ、R&Bってなんて人間的でテンダーで味わい深いのか。ぼくは身を持ってR&Bが持つ効用の凄さを実感した。R&Bの有り難みが身に染みた。大げさに書けば、ぼくはあのときR&Bの内実を初めて受け取ったのではないのか。そう感じるぐらい、そのときのアリシア・キーズの表現はぼくにとってありがたかった。そして、ぼくは音楽の持つ力というものもものすごーく実感した。いや、せざるを得なかった。でもって、音楽を紹介できる仕事をしていて良かったとも思わせられたかな。
もしかすると、アレサ・フランクリン(キーズを聞いて、フランクリンぽいと思ったもんな)でもオーティス・レディングでも(だけど、彼のアップ曲だと、ぼくはヘヴィに感じたかな?)同じように大きく感じ入ったのかもしれないが、豊かな伝統をしっかりと受け止め、それをハタチ半ばの送り手なりの前を見たものとして瑞々しく出している様が傷心のぼくを勇気づけてくれたのだと思う。また、きっちりと個体の存在があからさまになるアンプラグドというしっとり様式もまた大きくプラスに働いたのは間違いない。
かようにぼくの心の中に入り込んだアリシア・キーズの『アンプラグド』ではあったのだが、ぼくはまだ同ソースの映像商品は見ていない。それは、ぼくのなかで彼女の『アンプラグド』は音盤だけで完結しちゃっているからか。それとも、同作は去年の10月のクルマのなかにあった魔法の音楽(まさしく!)として、ぼくのなかに留めておきたいからかもしれない。
ああ、10月1日は一周忌。この原稿は9月中に書いているのだが、ぼくは『アンプラグド』を実家やお墓を行き来するクルマのなかに入れようかどうか迷っている。